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どうでもいいことであるが、7月31日に100,000ヒット突破。一応は記念に書いておこう。その前後のアクセス状況。100002 2005-07-31 10:39:23 Gaobrazilさん 100001 2005-07-31 10:36:04 *.ocn.ne.jp 100000 2005-07-31 10:06:34 *.hatena.ne.jp 99999 2005-07-31 09:56:52 ***.bbtec.net 100,000はゲストさんでした。突破後の最初の楽天メンバーはGaobrazilさん。ブラジル在住の方です。わが日記も国際的になったものと感激。
2005年07月31日
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義経を最初に知ったときは、やはり「悲運の武将」であり、「悲劇のヒーロー」であった。当然、頼朝はヒーロー義経を陥れた陰険な男である。しかし、社会人になり、組織の中で仕事をし、あるいは、組織の中でなくても、何かをやるときには自分以外に人の力が必ず必要になってくるということを身をもって体験してくると、「義経というのは、本当にヒーローなのか」とか「義経みたいな奴が傍にいて、一緒に仕事をすることになったらどうなんだろうか」と思うようになってきた。「もしも義経にケータイがあったなら」(鈴木輝一郎・著)はそういう観点から書かれたものである。総大将・源頼朝の承認を得ずに独断で行動することの多かった源義経が、社内根回しの重要性や始末書の書き方を知っていたら、あるいは携帯電話を持っていたら、ということをあげながら、経営と人事理論で読み解く義経の失脚について、という内容である。なかなか面白い。映画「仁義なき戦い」は、組織に生きる者にとってのバイブル的映画でもあるが、ここに登場する人物にあてはめれば、義経は「大友勝利」に近いと思うが、いかがであろうか?
2005年07月31日
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湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によって多くの子どもたちが白血病を病んだ。その子どもたちとの出会いが、この映画が生まれるきっかけとなった。「ヒバクシャ」と聞けば、広島、長崎、そして第五福竜丸の人々を連想する。また、日本を表現するに「世界唯一の被爆国」というフレーズが使われる。しかし、被爆という状況は、今、世界中に広がりつつあり、ヒバクシャは増えつつある。劣化ウラン弾も、原発もその大きな要因であることを、この映画は語っていく。アメリカのワシントン州ハンフォードは、長崎に投下された原爆のプルトニウムが生産された場所であるが、ここでは半世紀以上にもわたり、プルトニウムを製造する過程で世界でも最大量、高濃度の核廃棄物の汚染にさらされてきた。また、広島で被爆した医師がヒバクシャの医療と人権回復にかける情熱的な活動がある。多くの人々がヒバクシャであると認められないままで死んでいき、闘病中の多くの人々がいる。そして、その状況は広がりつつある。この映画は、こうした被爆とヒバクシャをめぐる人々の姿を伝えていく。映画の冒頭で、イラクの14才の少女が「私を忘れないで」とメモを残して死んでいったというエピソードは衝撃的である。この映画が描くのは、人間の愚かさである。
2005年07月30日
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ジム・ジャームッシュ作品。「コーヒー」と「タバコ」にまつわる11のストーリーを連ねたオムニバス映画。「コーヒー」と「タバコ」にまつわるというより、この二つが必ず登場すると言った方がいいかも知れない。どの話も実に面白い。それぞれストーリーはあってないようなもので、実はどうでもいいような会話ばかりであるが、それぞれが実にいい。すべてモノクロ画面であることも効果をあげている。私は、「いとこ同士」と「いとこ同士?」が良かった。特に「いとこ同士」は、オチがいい。コーヒーが黒でタバコが白紅茶(イギリス)とコーヒー(アメリカ)会話の発し手と受け手すべての物語に二項対比があり、これがきっと大きな意味があるのであろう。それにしても実にしゃれたオムニバス映画だ!
2005年07月29日
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23日の日記に対して、エメラマリンさんから次のコメントをいただいた。---------------------------------------------------------カン社長の心が揺らがなかったら、あのような悲劇は起こりません。カン社長は周期的に心が揺らぐのでしょう。(7年周期?)そのたびに有能な部下を疑い、抹殺してきたのではないかと思います。ソヌが力をつけてきたことが怖かったのでしょう。---------------------------------------------------------このコメントの中で「周期的に」という点に注目した。ある国の王様が、有能な家臣を何年かに一度、忠誠心を試すことを行って、次々と有能な家臣を葬っていき、次の有能な家臣に交替させる、というそんな物語がなかったか?ジャングルの奥地に王国を築いたカーツは、ウィラードが来て、自分を倒すのを待っていたように思えるが、カン社長はどうだったのだろうか?カン社長は、おそらくソヌを葬って、テグをその後にすえるつもりではなかったのだろうか。しかし、それは瓦解したのである。カン社長の王国における輪廻はここで終止符が打たれた。
2005年07月28日
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映画バトンの中で「映画化して欲しい小説、或いは物語」という設問があり、次の3作品をあげた。「妖星伝」、「黒死館殺人事件」、「ガロアの生涯」実は、これは一部であって他にもあり、それらを紹介しておきたい。「家畜人ヤプー」(沼正三)と「虚無への供物」(中井英夫)とはまずあげておきたいが、次の日本SFの3大傑作は、果たして映画化される日が来るであろうか。「果てしなき流れの果てに」(小松左京)「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)「虚航船団」(筒井康隆)これらの映画化に比べれば、「アドルフに告ぐ」(手塚治虫)の映画化は容易かも知れない。ところでアリステア・マクリーンの最高傑作「女王陛下のユリシーズ」の映画化には誰もチャレンジしないのだろうか。ところで、ここにあげた作品を映画化するなら、監督、主演は誰がいいのだろうか?
2005年07月27日
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●質問 1. 今あるマンガの冊数は? 数えたことはないが、おそらく50冊未満。● 質問 2. 今、1番読んでいるマンガは?萩尾望都の作品はかなり頻繁に読む。特に「マリーン」。週刊誌を立ち読みして必ず読むのは東海林さだおの漫画。● 質問 3.最近買ったマンガは?「夕凪の街 桜の国」(実は半年ほど前のこと。つまり私はあまり漫画は買わない。)● 質問 4. よく読み返す、または特別な思い入れのある5冊。「光る風」(山上たつひこ)「ポーの一族」(萩尾望都)「百億の昼と千億の夜」(萩尾望都)「ねじ式」(つげ義春)「アリと巨人」(手塚治虫)「ゴルゴ13」(さいとうたかお)の中では好きなエピソードがある。
2005年07月26日
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<映画バトン>がやってきた。カインさんバージョンととこみんさんバージョンを併せたもの。1. 最後に観た映画 「ヒバクシャ 世界の終わりに」2. 最後に買ったDVD、叉はビデオ、LD。 映画は映画館で見るので、こういうものは買ったことがない。3. 最後に映画館で観た映画 「バットマンビギンズ」4. 好きな監督ベスト3 深作欣二 小川紳介 フランソワ・トリュフォー あと次の二人もあげておきたい。 加藤泰 ジョン・フランケンハイマー5.あなたの映画ベスト10 或いは、あなたにとっての永遠のスター 「2001年宇宙の旅」 「ニッポン国古屋敷村」 「緋牡丹博徒・お竜参上」 「仁義なき戦い・代理戦争」 「ピクニック・at・ハンギングロック」 「サウンド・オブ・ミュージック」 「ミツバチのささやき」 「眺めのいい部屋」 「気狂いピエロ」 「隣の女」 「レッズ」 「ゴジラ」(1954年版) おやおや、12作品になってしまった。 明日になったら、この一部は変わっているかも知れない。 永遠のスターとしては藤純子さん (決して富司純子ではない)6.ワースト映画ベスト3 「ディア・ハンター」 「未知との遭遇」 「砂の器」7.映画化して欲しい小説、或いは物語 「妖星伝」 「黒死館殺人事件」 「ガロアの生涯」このバトンを受け取られる方は、トラックバックをお願い致します。
2005年07月25日
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19日の日記に対してゲストの明彦さんから次のコメントをいただいた。---------------------------------------------------------『野性の証明』や『戦国自衛隊』(79年版)は、「自衛隊差別映画」でしたよね。「これでは自衛隊の人が気の毒だ」と、子供心に思ったものですが・・・。30年近く経って、極端から極端へとずれてしまったような気がします。---------------------------------------------------------このことは私も同感である。「野性の証明」と「戦国自衛隊」の出来についてはいろいろと意見があると思うが、これらの映画の基本にあるものは、自衛隊というものに対する批判的な態度であると思う。これは思想的にどのような立場であるかということとは別として、権力を持ったもの、我々の生活を左右する巨大な存在に対する懐疑的な態度であり、ごく自然なものと思う。何かを創るということは現状への異議申し立てという意味があり、その意味では、ものを創る人は反体制的であり、常に現状に疑問を抱くべきと思う。30年経て、極端から極端へとずれてしまったということは、これは自衛隊というものを受け入れたというより、創作者が持っているべき批判精神をなくした、ということであろう。出来上がった映画については防衛庁にとって何ら不具合はない映画であったのであろう。だからこそ、シネコンに「自衛官募集」のチラシが置かれたのではなかろうか。ところで、今の映画界に「私は社会派である」と言える作家は、どれだけいるのだろうか。
2005年07月24日
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もう映画館で「甘い人生」を見ることはないかもしれないが、今でも時々、この映画のことを考えている。映画の冒頭の師匠と弟子との会話、ここでは「心の揺らぎ」が語られる。この物語はソヌの行動を中心に展開し、ソヌの行動が社長の命令に反したことによって起きる出来事が描かれる。ソヌの心の揺らぎがすべてを引き起こしたということであるが、最大の原因はカン社長の「心の揺らぎ」ではなかろうか。
2005年07月23日
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「セプテンバー11」以来、有名監督を集めたオムニバス映画が流行っているような気がするが・・・。「愛の神、エロス」はウォン・カーウォイ、スティーヴン・ソダーバーグ、ミケランジェロ・アントニオーニの3人によるオムニバス映画。テーマは題名通りに「愛の神、エロス」である。このうちで注目すべきは、アントニオーニ。1912年生まれであるから、今年は93歳である。枯れるということを知らないようで、男と女の間のエロスの探究心は、この人の作品が一番であろう。ウォン・カーウォイの作品の題名は「手」。仕立て屋と高級娼婦とのプラトニックな愛を実に濃密に描く。まさに彼独自の映像美の中で、コン・リーとチャン・チェンの火花散る共演である。この二人の間に挟まったソダーバーグの作品は、少し損をしていると思う。この作品は別のオムニバスに入れた方がいいと思った。まず、ウォン・カーウォイの作品の濃密さにからめられて、ソダーバーグの作品で一休みして、最後にアントニーニ作品で驚かされるという構成である。タイトルとその間に登場するロレンツォ・マットッティの非常に美しい絵が、実は最もエロティックではないかと思う。さらに、マットッティの絵画のバックには、ブラジルのカエターノ・ヴェローゾの曲が使われ実にいい。全部で109分。非常に贅沢なひとときであった。
2005年07月22日
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短編集「図書室の海」のあとがきで、恩田陸は自作の解説を行っているが、「茶色の小瓶」と「国境の南」をドキュメンタリー・タッチのホラーだと言っている。これは非常にいい表現だと思う。この2作品は共に、日常のなにげない描写を積み重ねながら、次第に異様な世界を描き出す、あるいはそのムードを作っていくという展開で、これが実にいい。そのドキュメンタリー・タッチがホラーの効果をあげている。ホラーや伝奇小説は、日常の描写からとか普通の小説のような展開でスタートする方が説得力もあり、効果もあると思っている。このようなタッチのホラーでよく出来ているのは小池真理子の「墓地を見おろす家」と「死者はまどろむ」である。これらは本当に怖い!
2005年07月21日
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こんなキャスティングではどうだろうか?ソヌ オダギリジョーヒス 宮沢りえカン社長 ビートたけしムン・ソク 香川照之ペク社長 岸部一徳ミンギ 加藤晴彦テグ 小澤征悦監督は誰がいいのだろうか。「崩壊」をテーマにするなら、引退した篠田正浩のテーマだと思うが・・・。現役監督なら、阪本順治、北野武というところか。
2005年07月20日
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このような質問を受けたら、あなたはどのように答えるであろうか?そもそもこういう質問がどのような意図で、何を目的として発せられたのかが問題だ。このフレーズを求人広告に掲載しているその職業にあなたは何を感じるのだろうか。私は、ここには非常に意図的な胡散臭いものを感じる。そもそも求人にあたって、どうしてこんな問いが必要なのか?実は、冒頭のフレーズは「自衛官募集」チラシのコピーなのである。私がこのチラシをどこで入手したかというと、シネコンである。何故、このチラシがシネコンに置いてあるかというと、映画「亡国の自衛隊」に自衛隊が全面協力していることからであろう。なるほど、「映画を見て自衛隊に入ろう」、「これらの映画を見たら、自衛隊に入りたくなる若者がいる」はずだということか。このチラシを見ると、いろいろと面白い(?)ことが発見できるが、そのことはまた別の日に。「亡国の自衛隊」とは「戦国自衛隊1549」と「亡国のイージス」を一緒にして表現したもので、現実にはこの題名の映画はない。しかし、「亡国の自衛隊」という事実はあるかも知れない。ところで、これらの映画を見て自衛隊に憧れる人はどれくらいいるのだろうか。「亡国のイージス」は未公開であるが、「戦国自衛隊1549」はどうだったのだろうか?このチラシの効果を知りたいものである。
2005年07月19日
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「激突!」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」この3作品でスピルバーグの評価は決定し、同時に観客がスピルバーグ映画に何を期待するかも決まったのではなかろうか。それはショック演出と視覚効果である。しかし、それはスピルバーグ作品の本質であろうか。彼の作品に頻繁に登場する「欠陥家族・家庭」や「国家という視点を持たない」という点にはもっと注目していいと思う。私が15日の日記に書いた「宇宙戦争」への評価はすべて「激突!」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」の延長におけるものだ。それだけで評価していいのだろうかという気持ちもある。16日の日記はそのような考えから書いたものである。スピルバーグはコンスタントに新作を出しており、常に話題となって、興行成績も上位にあるが、この数年間は不調ではないかと思う。そのように感じる原因は何だろうかと思い、またスピルバーグ作品の本質と観客である私の期待とのずれがあるのではないかと思う。それは何だろうか。「宇宙戦争」への批判は、少し早すぎるような気もする。ところで、スピルバーグ作品の本質とは何だろうか?彼は何を訴えたくて映画を作り続けるのだろうか?
2005年07月18日
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発症までに20年から40年という時間がかかり、その間も発症にむけて確実に進んでいる。そのようなことからアスベストは、「静かな時限爆弾」と言われている。しかし、この「静かな時限爆弾」はアスベストだけではない。政治、社会のあり方そのものも、また「静かな時限爆弾」である。これくらいならいいだろう。不満はあるが、状況からみて、これは仕方がないだろう。理想かもしれないが、現実を考えれば、仕方がない。食うためには仕方がない。このような日々変化する社会、それが積み重なってもの言えぬ社会、弾圧と密告の社会となり、そこに生きる人々を殺していく。これもまた、静かな時限爆弾である。この静かな時限爆弾はアスベストと違って不発にすることができる。それは我々の思考力・判断力にかかっている。
2005年07月17日
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昨日の「宇宙戦争」に対してゲストの明彦さんから次のようなコメントをいただいたので、今日はこのコメントをもとに再度、映画「宇宙戦争」について考えてみよう。コメントは前日の日記を見ていただければ、わかるのであるが、改めて紹介しておこう。--------------------------------------------------実際にこんなことが起こったらどうなるか」を、一市民の視点に徹して描いたのがよかったです。(ラストは原作通りとは言え、ちょっと腰砕けでしたが)火星人?は実はアメリカ軍であり、なす術もなく逃げ惑う人々は、イラクの民衆なのかもしれません。そして観終わった後初めて原作をちゃんとした翻訳で読んで、「前の映画化よりも忠実かもしれない」と思いました。原作も今回も、圧倒的な力を誇る世界一の大国が完全に粉砕されてしまい、国中に難民が溢れる話なんですね・・・。ただ火星人?のデザインは中途半端に人間ぽくて、がっかりしました。これは明らかに、一瞬だけおぞましい姿を見せる前回の勝ちです。----------------------------------------------------「火星人(?)はアメリカ人で」という部分は、私もそういう感じを受けた。スピルバーグはそのような視点でこの映画を作ったのかも知れないが、それを観客がきちんと受け止めるだけの演出をしたかどうかは疑問である。しかし、この映画が徹底して「一市民の視点」で描かれていることに注目したい。火星人(?)の攻撃によりアメリカはもとより世界的に壊滅的な被害を受けているが、ここには国家の動きはまったく描かれない。火星人(?)への攻撃を行う軍隊は登場するが、それは物語を進める大きな要素ではない。この種の映画に登場する政府や軍の中枢の動きは全く描かれない。普通の市民の視点では、そのようなものは全く関係ないのかも知れない。もし、それをスピルバーグが意識して、この映画を作ったのであれば、それは非常にすごいことだと思う。もし、このシナリオで明彦さんの言われるように「火星人(?)をアメリカ軍」に置き換えて、イラクやアフガニスタンの普通の家庭の一家を主人公に描いたイラクやアフガニスタンの映画であれば、これはミニシアター系の傑作として評価されたのではないかと思う。夥しい数の難民、そして曇り空。この点ではアンゲロプロスの映画と共通している要素である。では、「エレニの旅」」と「宇宙戦争」とを分けたものとは何だろうか。
2005年07月16日
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ここは「ジュラシック・パーク」みたい。ここは「プライベート・ライアン」かな。あれって「AI」かな。あそこは「ET」だね。これは「ID4」かな。あそこのところは「ディープ・インパクト」みたいだ。トライポッドは原作者に敬意を表して、きちんとしているな。うーむ、それでは現在のスピルバーグのオリジナリティはどこに?
2005年07月15日
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エレニとアレクシスは「河の始まりを探しに行こう」と約束しあう。そして、その河の始まりのことがこの映画のラストに語られる。茂る草の葉から水が滴って、柔らかな地に注いでいて、ここが河の始まりという。「君が手を伸ばして葉に触れ、水滴が滴った。地に降る涙のように」それはアメリカへ移住して市民権を得て、兵士となってオキナワで戦死する寸前に見た夢であった。このギリシア現代史を描いた作品に「オキナワ」が登場することをもっと考えたい。文明は河のほとりから生まれた。そして、その河の源が涙に喩えられることをもっと考えてみたい。「涙」は、この映画の重要なキーワードである。そして、エレニは常に涙を流している。この「エレニの旅」の原題は「トリロジー」である。3部作の第1作である。全体が完成が待ち遠しい。この3部作はおそらく、映画史に残るものになるはずだ。
2005年07月14日
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このような映画を「偉大な映画」というのだろうか。見て何日か経つが、その感動と驚きは薄れない。何度も見たいと思わせるが、時間がない。テオ・アンゲロプロスの「永遠と一日」以来の新作「エレニの旅」のことである。河、舟、霧、旗、布、緑の平原、曇り空、水、そして、さまよう一群の人々などアンゲロプロス作品にはおなじみのものが登場する。アンゲロプロス作品の画面は、ひとつひとつが緊張感のある美しさであるが、同時に濡れた情感がある。中でも、アレクシスがアメリカに渡るときにエレニの編みかけた赤いマフラーの毛糸の端をにぎり、遠ざかるにつれてほとけていく赤い毛糸。この場面の美しさと哀しさには圧倒される。物語は1919年から1946年まで。エレニという女性の人生をギリシアの歴史と重ねながら、語られる。大変なスケールの物語である。これは決してギリシアという遠く離れた国の物語ではなく、「我々の物語」であることだと説得力をもって迫ってくる。ラスト近くでのエレニのうわごとはギリシアの現代史そのものであろう。「また、違う制服ですね・・・・」このフレーズが非常に印象に残る。どんな言葉もこの作品の偉大さは伝えられない。
2005年07月13日
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ジル・ドゥルーズの「シネマ」は哲学者が映画を論じたものとしては前人未到・空前絶後のものであろう。2巻にわたり、約700本の作品と約180人の映画監督が論じられているのである。第1巻は「運動イマージュ」であり、第2巻は「時間イマージュ」である。10日の私の日記に書いたことであるが、「甘い人生」を「ある状況に対して主人公をはじめとして登場人物たちが、どのように行動するかが時間をおって語られるという形式」だとすれば、第1巻で述べられようし、「場面毎にすべて過去の集約となっており、この映画における時間の流れが、単に主人公たちの現在の行動を示すためだけではなく、重層的な構造となっている」とすれば、第2巻で述べられることになる。もし、ドゥルーズが生きていて、この「甘い人生」を見たら、どのように論じるであろうか?それにしても、この「シネマ」は、翻訳進行中ということは数年前から聞いているが、一体いつになったら翻訳完了・刊行されるのだろうか!映画ファン熱望の一冊であることには間違いないのである!
2005年07月12日
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映画「バンジージャンプする」のテーマは「輪廻転生」である。このテーマとしては宇宙的スケールで描いた「2001年宇宙の旅」、現実の出来事をもとに描いた「モニカの不思議な旅」などがあり、いずれも印象深い。「バンジージャンプする」では生まれ変わった恋人(イ・ウンジュ)と再会するのかと予想していたら、まったく違った。恋人が生まれ変わった先は、なんと男性、それも高校生で自分の教え子である。(この映画でイ・ビョンホンは高校教師を演じる)従って、教師と生徒の関係やゲイへの偏見の問題、さらには家庭の問題もからんで物語は進むが、そのようなわき道に過剰に踏み入ることなくラストのバンジージャンプへと進んでいく。このあたりの展開は巧いと思った。最初は、イ・ウンジュを二役で登場させた方が良かったのではないかと思ったが、結果としてはこのままで良かったと思う。生まれ変わりは必ずしも同性とは限らない。女が男に、男が女に生まれ変わる場合もあるだろうし、同国人とも限らない。もしかしたら、地球的なスケールで考えれば、人間とも限らないのではないか。恋人が、次は男性に生まれ変わったことによって、この輪廻転生が、さらに続くことを暗示している。このことが、この映画をただのラブロマンスにとどめていない。イ・ビョンホンの映画としては「甘い生活」と「バンジージャンプする」との間には約4年の歳月があり、その間には彼としてもいくつかの作品があったのであるが、この2作品をたまたま接近して見た私にとって非常に関連ある作品に思える。ソヌが、あの銃撃で命をなくしたとすれば、生まれ変わって甘い夢を叶えることができるであろうか。あるいは、そのゆらぎに惑わされないことができるであろうか。「バンジージャンプする」を見たことで「甘い人生」への視点が得られたような気がしたが、「甘い人生」の上映は終わってしまった。
2005年07月11日
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映画「甘い人生」の上映は8日で終了した。3度目の鑑賞を、と考えたのであるが、時間を取ることはできなかった。次に映画館で「甘い人生」を見ることはあるのだろうか?しかし、この映画についてはもう少し書いてみたいので、しばらく続けたい。映画「甘い人生」の中でソヌが登場して、最後に銃弾を浴びせられるまでは、ほぼ時間の経過に沿って展開される。展開だけを見ると、ごく平凡な起承転結に沿ったアクション映画である。ある状況に対して主人公をはじめとして登場人物たちが、どのように行動するかが時間をおって語られるという形式である。「甘い人生」は表面的には、そのような映画であるが、様々な場面において「過去」の様々な断面が描かれている。現在のある場面は、過去の集約となっている。それはソヌが前任者の手首を切り落とした事件をはじめとした過去の経緯である。カン社長とヒスとの関係もそれに含まれる。7月7日の私の日記に対するきつね雑貨市さん(この方こそ、「甘い人生」論の第一人者)の次のコメントを紹介しておく。(詳細は当日記のコメントを)-----------------------------------------------------------その違和感をわざと見せているのはやはり対立、相対、対比を暗示しているのだと思います。しかも、「とんがった塔がふたつ」ですから、カン社長とソヌを暗示しているのでは?同じ形の塔は、二人がよく似ていることも暗示していたりして!?でも、その後に昔の部下の話をしているので、その人とソヌのことなのかもしれません。----------------------------------------------------------これは、あの二つの尖塔を持つ教会の絵に、これまでの過去が集約されていることを示しているのではなかろうか。また、同じくエメラマリンさん(この方も熱心な観察者)の次のコメントを紹介しておく。----------------------------------------------------------シャドーボクシングもそうですが、内と外はガラスで隔てられていて、ある時は外が見えるし、ある時は鏡のように外は見えない。開くことも閉じることもできるし、またできない。----------------------------------------------------------これは過去と現在との関係である。現在から過去は見えるようで見えないということではないか。このように考えると、この「甘い人生」は場面毎にすべて過去の集約となっており、この映画における時間の流れが、単に主人公たちの現在の行動を示すためだけではなく、過去も含めた重層的な構造となっているのではなかろうか。そして、ラストの師匠と弟子との会話。「それは甘い夢でした。叶えられることのない夢でした」これは、映画のラストであるが、実は、物語はここから始まるということも考えられる。このような夢を見て、涙を流した人物とはどういう人物であったのか?それをさぐっていく物語が、映画「甘い人生」である。これは、あの「市民ケーン」の逆構成である。
2005年07月10日
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新潮文庫の新刊「図書室の海」は恩田陸ファンには、たまらない内容である。実は、ここに収録されている作品のいくつかは、長編小説の予告編であり、番外編である。予告編の場合は、既刊のものがあり、ここから新たな解読ができそうで楽しみが増えた。未刊のものは、今後が大いに楽しみである。「イサオ・オサリヴァンを捜して」は、長編SF「グリーンスリーブス」の予告として書かれたものであるというが、これは想像力を刺激させてくれる素晴らしい内容である。コッポラの「地獄の黙示録」とウェルズの「市民ケーン」を合体させた内容を予感させるような内容である。これはとてつもない内容になるのではないかと、今から期待をしている。さあ、いつ刊行されるのか、「グリーンスリーブス」!期待!期待!この「図書室の海」には、素晴らしい作品が収録され、まさに恩田陸の魅力全集といった感じなので、今後もたびたびこの日記で取り上げたい。
2005年07月09日
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この映画は2日から東京などでも公開中であるが、お客の入りも良さそうで、うれしい限りだ。映画「いつか読書する日」の撮影協力には「ながさき観光地映像化支援センター」という名前の団体がクレジットされている。これは長崎県のオフィシャルなフィルム・コミッションである。長崎県に数多ある観光地に映画のロケに来てくれるはずだという県の願いがこめられている。しかし、これは随分とひとりよがりの考えによるネーミングである。映画のロケは観光地(これは既に知られた観光地という意味)に来てくれるという勝手な思い込み。そして、映画業界からみて「観光地映像化支援センター」という名前が「フィルム・コミッション」であると理解してくれるはずだというこれまた勝手な思い込み。設立前に、映画製作側のニーズはどういう点にあるのかについて知っておくべきと考え、全国各地へのロケ経験が豊富な有名な撮影監督においでいただき、実際に市内を歩き回ったのであるが、その時にその方は「我々は観光地を撮りに来るのではない。作品のイメージにぴったりで作品やテーマの肉付けができる風景を求めている」と言われたのである。市内を歩きながら、その方が特に良かったと言われたのは「小さな路地」、「町の日常風景」などである。それらは観光案内に掲載されているような場所ではない。映画「いつか読書する日」は、ほぼ全編を長崎市内でロケを行っている。長崎ロケを決めるにあたり緒方監督は次にように言っておられる。「脚本の青木は、舞台を“何の変哲もない町”と想定していて、最初、長崎で撮るのには難色を示したんです。あまりにも歴史が染み付いている土地だから。でも、この文学性の強い脚本を僕は“肉体化”させたかったんです。具体的には“坂”ということですよね。坂を駆け上がる女性の肉体が、この話には必要だと思ったんです。それで、長崎で撮るけれども、架空の町という設定にして、海も映さないことに決めました」(この部分は「映画芸術」(411号)に詳しく掲載されている)結果は成功である。すぐれた作品になっており、長崎の町の特性が見事に作品を生かしている。物語の舞台は「長崎市」ではない。有名な観光地は一切登場しない。海も写されない。原爆のことも出てこない。異国情緒もない。それでもこの映画は、長崎市ロケでなければできなかったことを思わせる。そして、長崎市に住む者に長崎再発見をさせてくれる。このことを「ながさき観光地映像化支援センター」の運営に関わる人々はよく考えて欲しい。(まさか、「グラバー邸も天主堂も出てこないような映画を撮って何やってんだ、あの監督は」などということは言っていないだろうな!)
2005年07月08日
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冒頭の墨絵のような色合いから自然の色へと変化する画面そこで語られる師匠と弟子の不思議な問答。最後は、再び、その師匠と弟子の問答で閉じられる。ここからもわかるように、この映画には哲学的な要素がちりばめられている。その中でも注目すべきシーンがある。カン社長が打合せの席上で、スケッチをしているシーン。教会の二つの尖塔である。このスケッチは、カン社長が時間つぶしにやっているのであるが、書かれた絵をきちんと画面で見せてくれるので、何らかの意味があると思う。考えてみれば、この物語は「2」がキーである。二項対立である。二つの尖塔を持つ教会は、そのシンボルだろうか?ソヌに対してはヒス、カン社長、ムン・ソク、ペク社長がいて、それぞれに対立軸がある。ミンギはソヌに忠誠を誓って、それを貫徹するが、生き方としては対照的であろう。ヒスとカン社長にも対立軸がある。ムン・ソクとカン社長ムン・ソクとペク社長カン社長とペク社長これらそれぞれの関係も、いつ対立してもおかしくない。その対立の背景には過去の事件があり、現在と過去が対比している。最後に登場するテグは、ソヌに対する存在であろう。物語の舞台はホテルの「内」と「外」そして、物語の核には「夢」と「現実」この「甘い人生」は、これらの二項対立が、それぞれに共振して展開しているようだ。しかし、「二つの尖塔を持つ教会のスケッチ」にはもっと意味がありそうだ。どなたかご意見を!
2005年07月07日
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「甘い人生」は非常に教訓的な物語として読み取ることもできる。それは己に課したルールを破ったときの代償である。この場合の己に課したルールとは「自分を守る」というものである。ソヌは7年間、決して背くことはなかったカン社長の指示を、初めて背いた。それはソヌの心のゆらぎからのものであった。「ミリオンダラー・ベイビー」のフランキーもそうであった。フランキーとマギーをあの状況に追い込んだのも、フランキーの心のゆらぎであったのかも知れない。2度目の「甘い人生」を見ながら、思い出した映画が2つある。ひとつは市川雷蔵主演の「ある殺し屋」。キャメラは宮川一夫。「甘い人生」の信号灯やソヌがソファに寝転んで明滅させるランプが宮川一夫の画面演出を連想させた。但し、この映画では主人公の殺し屋は徹底的にルールを守ることで「自分を守った」。もうひとつの映画はチャールズ・ブロンスンとジャン・マイケル・ビンセント共演の「メカニック」。これも殺し屋の物語で、決して弟子や助手をとらないブロンスンの殺し屋が、ふとした気まぐれで若い男をやとったことから始まる物語である。こちらはラストは非情である。「甘い人生」の監督やキャメラマンは、フィルム・ノワールのジャン・ピエール・メルビルは当然として、これらの映画を見ているのではなかろうか。宮川一夫のキャメラ術は絶対学んでいると思う。私は、この「甘い人生」の監督とキャメラマンには会って話をしたいと願っている。---------------------------------------<予告>明日もまた「甘い人生」をめぐる内容で書きたいと思います。(わざわざ予告することか(笑))
2005年07月06日
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ラウンジの名前「La Dolce Vita」とは、あのフェリーニの「甘い生活」の原題と同じではないか。もしかしたら、これは隠し味になっていることはないのだろうか。2回目の鑑賞となるといろいろと新しい発見がある。タイトルの文字が煙のようにゆらめいて消えるのである。これはこの物語の象徴のようである。そして、ソヌがカン社長に命じられて初めてヒスの家を訪問したとき、門の前で車を降りたときに一陣のつむじ風が舞った。もしかしたら、ソヌはここで異界へと入っていったのかもしれない。その時に、社長に頼まれたプレゼントを渡すのであるが、これがスタンド。「スタンド」は後で重要な小道具であることがわかる。社長からもらったスタンドをヒスは「子どもっぽい」と笑い、後にソヌと町へ出たときに、彼女が本当に欲しい「スタンド」がわかる。それは「赤色のスタンド」。この映画の中でヒスは「白」で象徴される。チェロのケースが白である。その彼女が「赤」を欲しがるのは、あの「赤ずきんちゃん伝承」の「赤」の意味する通りであろう。もはや、ヒスは社長からの別離を考えていたのであろう。 結局はカン社長とソヌの対立と殺し合いにより、ヒスはこの世界から解放される。この物語はヒスの願望が生み出したものかもしれない。「甘い生活」のラスト、主人公は向こうにいる少女の声が聞こえない。「甘い人生」でも最後にはヒスとソヌとは話すことができない。カン社長やソヌの世界とヒスの世界を隔てるものは、彼らが生きる大ホテル。それは「甘い生活」のラストで浜辺に打ち上げられた腐臭を放つ巨大な魚と同じものを意味するのではないか。
2005年07月05日
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昨日の日記にも書いたが、「戦国自衛隊1549」は世界各国で公開され、さらにハリウッド・バージョンも製作される。更に興行収入が高くなるわけだ。これらの増収によって誰が最も利益を得るのだろうか。個人的な希望であるが、半村良のもとにそれがわたって欲しい。半村良は既に亡くなられているので、遺族が受け取れればいい。半村良のあのアイディアあふれる作品がなければ、この状況は生まれなかったと思う。ブームが生まれたときに、そのパイオニアは、もっと評価とメリットを受ける資格があると思う。さて、今、半村良をもっと読もう!私のベスト5「妖星伝」「石の血脈」「収穫」「産霊山秘録」「およね平吉時穴道行」
2005年07月04日
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ヒット中の「戦国自衛隊1549」は、世界40ケ国以上から上映オファーが来て、現在、31ケ国以上で上映が決定し、更には「ハリウッド・バージョン」も出来るとのこと。ハリウッド・バージョンのタイトルは「SAMURAI COMMANDO MISSION 1549」となるそうな。まあ、いかにもって感じのタイトルである。ところで、この映画が世界各国で公開されるときに、内容紹介では「自衛隊」はどのように翻訳されるのであろうか?英語ならば、正式名称の「SELF DEFENCE FORCE」と表現されるのだろうか?それぞれの国の、この趣旨を表現する言葉になるのだろうか。それとも簡単に「ARMY」と表現されるのか?おそらく各国の数多のメディアでは簡単に「ARMY」と表現されるのではなかろうか。「近代兵器を備えた現代日本の軍隊が1549年にタイムスリップ」というように。もし、この映画が世界的にヒットすれば、「自衛隊=日本の軍隊」と完璧に自然と認知されることになるのではないか。もしかしたら、この各国での上映やハリウッド・バージョンは、そうしたことを狙った意図があってのことではないか。この動きのシナリオを書いた者がいるのではないか。もちろん、東宝にそのようなことができるわけがない。陰謀の主は、もちろんXXである。(XXは伏字)
2005年07月03日
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「いつか読書する日」は長崎ではヒット中である。29日(水曜日のレディースディ)では朝の1回目の上映は満席でチケット販売停止となったそうである。この日は、あの「宇宙戦争」の初日であったのだが、もしかしたら、長崎では「宇宙戦争」より「いつか読書する日」の成績が良かったのかもしれない。もし、そうであれば、これは痛快である。いわゆる「ご当地映画」、「観光地映画」ではない映画がこのようにヒットしていることはうれしい。7月2日からは東京、福岡でも公開され、その順次、各都市で公開されていくようだ。どうかヒットして欲しい。長崎では「大ヒット上映御礼」として8日には緒方監督と仁科亜季子さんのトークショーが開催される。
2005年07月02日
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アメリカでは映画の興行成績が長期にわたり低迷している。「スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐」が記録破りの興収を記録しているにもかかわらずである。この傾向は世界的なもので、前年同時期に比べて日本でも10%減となっているとのこと。この傾向が今後も続くとなると、ハリウッドのヒット作・話題作で一挙にお客を集めることを経営の柱にしているシネコンに影響が出るのではないか?全国津々浦々に進出してきたシネコンは、今後は淘汰の時代と言われるが、ハリウッド映画の興行低迷が更に影響するのではなかろうか。シネコン進出→既存映画館閉館→ハリウッド映画不振→シネコン経営不振→シネコン撤退という流れの果てに生まれるのは「映画館のない町」なのである。これは地方都市の芸術振興にとっては深刻である。アメリカの興行不振が日本の地方都市の文化芸術を低下・消滅させる。これは「一匹の蝶の羽ばたきが、地球の反対側で竜巻を起こす」というカオス理論の喩え話ではなく、深刻な現実問題ではなかろうか。
2005年07月01日
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