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昨日は大家族だと子育てが楽!と書きましたが、家族が多くてもけして楽でない場合もあります。旦那の実家のとなりに、Yちゃんが住んでいます。彼女には2歳の子供がいます。実家住まいで、その他の家族は父・母・祖母・弟2人・旦那さん(マスオさん状態)です。よく愚痴をこぼしていました。「洗っていないお皿が、バケツいっぱいにある。 でも、もう夕食の準備をしなくちゃ! お皿はためて、洗うのは1日1回!」「旦那が暖かいご飯がいいと言うの。 だから朝、少~しご飯を炊いて、 夕方また少~しご飯を炊くのよ!」「子供に食べさせたあとは洗濯したいのに、食べてくれない!」「料理していると、子供が外に出て行きそうになるから危ないし!」(田舎ではドアは開けっ放し)いつも忙しく動き回っていて、とても大変そう。彼女の母親は仕事をしているので、助けてはくれない。弟達も手伝いません。おばあちゃんはたまに庭掃除をしていますが、戦力外か。料理・洗濯・皿洗い・子供の世話・全部彼女の仕事です。こんな人にこそ電子レンジ・洗濯機・食器洗い機が必要よね、と思いました。(田舎ではこんな家電を持っているうちは少ないです)それに、彼女は仕事に未練があるみたいです。出産するまで美容師の仕事をしていました。「子供ができる前は 毎朝シャワーを浴びるとメイクをして、仕事にいったのよ。 お客さんがいっぱいいて。 いまでは、どこにも行けない。 田んぼに行って、子供といっっしょに山羊を見るくらい」家事と育児に追われて、自分のことは何もできなくて、子供がいない時代をなつかしく思う・・・そういう気持ち、すごくよくわかるので聞いていてこちらも悲しくなりました。
2005.12.30
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インドネシアの旦那の実家にいったときのお話です。旦那の家では大人子供合わせて10人が暮らしてる。私たち家族4人が行ったので全部で14人。大家族って便利ですね。食事の時、義母が「ナツミ、先に食べなさい」と言って、次女ワティを抱っこして外へ連れ出してくれる。おかげで私は旦那や義妹義弟達と落ち着いて食事ができる。そして自分が食べ終わったあと、ゆっくりと次女に食べさせてあげることができる。洗濯がしたいとき。(洗濯機はないので井戸から水を汲み、たらいで手洗いです!)親戚の子供達が、次女の遊び相手をしてくれる。こんな大家族の中で子育てしたら、楽だなと思った。掃除も手の開いた人がやっている。日本では私も、私の友達も核家族。子供を産んで病院から帰ってきたその日から戦いだ。実家の母に来てもらったりヘルパーさんを雇ったり。同居ならでの苦労もあるだろうけどね。
2005.12.29
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先日郵便受けを見ると、プレゼントが届いていた。あるショップからだ。毎年この時期にプレゼントを贈ってくれる。今年は、ビーズアクセサリーだった。ボリュームがあり美しい。ビーズアクセサリーはインドネシアのアチェの女性たちが作ったものだ。このショップはフェアトレードを行っている。去年のスマトラ沖地震で大きな被害が出たアチェ。このショップがアチェの女性達に製品の製作を依頼し、お給料を支払い、それが生活費や医療費になっている。アチェの人々にそして世界中の人に良い年が訪れますように。
2005.12.26
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記録的な大雪に覆われている日本各地だが、インドネシア人の旦那は今日からスキーに行っている。昨夜は冷蔵庫の前でニンジンを握りしめ、つぶやいていた。旦那「これ、持っていくか」私 「・・・・?」旦那「鼻はこれだよね。あとは何かな」雪だるまのことらしい。目と口は炭だと教えてあげると、旦那の目がきらりと輝いた。まさかBBQをした時の残りの炭を持って行く気では。今朝はバタバタと出発して、結局ニンジンも持っていかなかったが雪だるま作ったのかな。雪の降らない国から来た旦那は、雪に憧れがあるようだ。
2005.12.23
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インドネシアの旦那の実家に行った時のお話です。イドゥル・フィトゥリ(ラマダン開けの大祭)の朝、モスクへ行ったみんなが帰ってくるとイドゥル・フィトゥリの挨拶をした。お互いこれまでの過ちを詫びて、許しを請う。 両手で握手して。女性のスカーフがみんな違うのが面白い。若い子(右の写真の右)の間では髪をすっぽり覆うタイプが主流。 おばさん(左の写真)だと薄い長いスカーフを頭にのせ、首でくるりと巻く人が多い。お年寄り(右の写真の右)はわかり辛いけれど、帽子をかぶった上からスカーフをしている。。日常的にこの帽子をかぶっている人もいる。家族内で挨拶が終わると、ご近所に同じように挨拶に行った。子供達はお年玉をもらう。それが終わると、みんなでお墓参り。今回のインドネシア滞在ですごーく気になることがあった。旦那の実家あたりでは、イスラム教徒のお墓はこんな感じ↓なのだ。土葬をした上に、墓石を載せる。頭と足の部分には飛び出た部分があるのね。つまり墓石はけっこう大きい。でも、墓地には小さい墓石も目に付く。通常の半分くらい。つまり子供の墓だ。中には大人の3分の1くらいの長さのものが3つも並んでいるところがあって生まれてまもなく亡くなったのかなぁ、3人は兄弟?と考えると痛ましくて仕方なかった。今回の滞在中、道沿いの墓石屋の前を通るときも、ついつい小さな墓石に目がいってしまった。
2005.12.22
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長女と作ったクリスマス&お正月飾り。我が家ではクリスマスだからといって、ケーキやチキンは食べない。プレゼントもあげていない。でも、季節の行事ということで、こんな飾りを玄関に置いてみました。カワイイでしょ!サザンカ(多分)の花はすぐにしおれてしまいそうだ。梅か桃があればいいのにな。買わなきゃ外にはまだ咲いていない。今年は年中さんの長女が初めて「うちにはサンタクロースこないの?」と聞いた。わたしは「うちには来ないの。幼稚園に来るのよ」と答えた。幼稚園ではサンタに扮装した職員がみんなにプレゼントを配ってくれる。イスラム教の家庭では『いっさい、クリスマスはしません』というところもある。知人はお嫁さんがキリスト教徒で、女の子がいるけれど『おひなさま』はしないそうだ。もともと人型に厄を背負わせて流したので宗教性があると判断したそうだ。我が家はその辺はゆる~いかな。お雛様も飾るし、七夕の短冊ににお願い事書くし。旦那が文句をいわないのでやっている。逆にわたしが旦那の田舎の行事で拒んだものがある。インドネシアの田舎に家を建てるときに、”鶏を一羽料理して土の中に埋める”というのがあった。自分が寝ている下に鶏の死骸があるのかと思うとイヤでたまらなくなり、お願いして止めてもらった。旦那は「別にやってもやらなくてもいいことだから」とあっさり、わたしの意見を通してくれた。これって、きっと、イスラム教やヒンドゥー教が入る前の土着信仰なのかな。
2005.12.21
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旦那の実家に泊まっている間に、ラマダン月(断食月)も終わり、断食開けの大祭=イドゥル・フィトゥリ(Idul Fitri)を迎えた。イスラム暦の中では一番のおまつり。インドネシアの学校や会社は休みに入り、家族とはなれている人は故郷に帰る。日本のお正月みたいだ。この日の朝ごはんに欠かせないのはクトゥパ(ketupat)だ。椰子の葉を編んだ中に米を入れて調理したもの。ナイフで切って、 鶏肉や野菜の炒め物などの料理といっっしょに。朝ごはんが終わると、旦那の家族はモスクへ出かける。親戚の女の子ナミ(小1)も行く。白い衣装に身を包み出かけるナミを見て、長女サンが「サンもいくー!」と駆け出した。(2人の出会いは→こちら)服も普通の服なのに!とわたしは思ったが、旦那が「だいじょうぶ」と言うので、ナミといっしょに行く義妹にサンをお願いすることにした。30分くらいしてモスクから戻ってきた。サンにとっては初めてのモスクだ。いったい何を感じてきたんだろう?サンを妊娠したとき、わたしはインドネシアにいた。インドネシアで子供を生み、育てるつもりでいた。だから自分の子は幼い頃から、当然モスクに通うのだと思っていた。ところが諸事情あり日本で生まれ育っている子供達。インドネシアにいるのとはまったく違う人生を歩み始めているのだろう。
2005.12.19
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メイさんにおしえてもらったエス・シルサ(es sirsak)シルサ(sirsak)という果物とカキ氷のミックスさわやかな柑橘系の香り果肉は白くて、甘く、繊維質です。実物のシルサとはどんな果物なんでしょうか?4000ルピア(約50円)
2005.12.17
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旦那の実家に行ったわたし達家族。1歳半の次女ワティはむこうの家族に会うのは初めてだった。みんなワティをかわいがってくれようとするんだけどあやし方がコワイ。いきなり大声で話しかけたり、いない、いない、ばーをして顔を近づけたり(しかも顔、濃いし!)喜ぶどころか、泣き出すワティ。義父母も叔父や叔母も抱っこしたがるけれど、わたしから離れたがらない。わたしも「慣れていないから」と言い訳していた。でも、そのうち業を煮やした義母が無理やりわたしの腕からワティをもぎ取った。わたしに手を伸ばして「ママー、ママー」と泣き叫ぶワティ。義母はお構いなく「おばあちゃんが抱っこしてあげるわ」と言って、外へ連れて行ってしまった。しばらくして帰ってきたときは泣き止んでいたけど、真っ赤な目が痛々しいわ。こんな感じで初日は人を怖がりわたしにしがみついていたワティだが、二日目には、1人でお庭で遊ぶようになり、やがてむこうの家族にもなついていった。抱っこされて、よく鶏や牛・山羊を見に行ったのでそれらの動物が大好きになった。それから馬。何度か馬車に乗ったのが楽しかったらしく、日本に帰ってきた今でも、まちなかのトナカイを見つけては「ぱっぱか、ぱっぱか」と叫んでいる。馬車に乗ってお散歩小柄な馬。300万ルピア(約4万円)だそう。ランプ(ヘッドライト?)も素敵でしょ
2005.12.15
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やっと画像をPCに落とした。山羊の串焼き(サテ・カンビン sate kambing)大好きな料理の一つだ。ひと口大に切った山羊の肉をくしに刺し、炭火で焼く。甘しょっぱいタレにからめる。串に刺さっていないが、このお店は串からばずしてお客に出すのでこんな感じ。唐辛子や赤い小たまねぎなどの薬味といっしょにいただく。結婚当初好きなインドネシア料理をきかれて、「サテ・カンビンです(^∀^)」と答えたら、その場にいた人がみんな笑った。後で知ったが、サテ・カンビンは滋養強壮に効果があるのだそうだ。
2005.12.12
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風邪を引いたようです。昨夜は生姜湯を飲んで寝たけれど、朝すごくのどが痛いのでカコナールを飲みました。朝食と洗濯まではがんばったもの、そのあとだるくて、次女と一緒に寝てしまいました。旦那は長女を連れてお出かけしてくれました。子供が1人減るだけでも、ずいぶん楽です。今、起きてきたらお皿も洗ってあり、玄関外の掃除もしてくれていました。昨日も仕事でお疲れの旦那です。帰ってきたら真っ先に「ありがとう」と言おうと思います。にしても、次女が起きません。3時間も眠り続けています。次女も調子悪いのかなぁ。
2005.12.11
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今回のインドネシア滞在で、長女サン(4歳)が少しはインドネシア語を話すようになるかと思っていた。結果は、期待に反しまったく話さなかった。(旦那の田舎あたりでは日常会話はジャワ語だが、わたしやサンには公用語であるインドネシア語で話し掛けてくれていた)約三週間、旦那の弟や妹、親戚の子、近所の子と遊んだがサンはひたすら日本語オンリー。逆にみんなの方が日本語をおぼえた。彼らがはじめて覚えた日本語は「ヤダ」次に「取れるかな」(物を高く掲げてサンが何度も言っていた)「通れません」(とおせんぼのとき)子供は下ネタ好き、「オシッコ」「おなら」「おっぱい」・・・それから「マツケンサンバ♪」もうちょいまともな単語を覚えてくれよ~と思いつつ、サンのボキャブラリーの中からだから仕方ない。さて、インドネシアから帰ってきて2週間以上経ったある日普段の会話の中でサンが何気なく言った。「スィ―――[si:] はジャワ語で、シ―――[∫i:] は、ひらがななんだよ」え、聞き分けてる?!インドネシア語を話さなくても、ちゃんと子供の中には蓄積されていくものがあったのね。「話す」「話さない」ということにとらわれていた自分が恥ずかしくなった。
2005.12.10
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旦那の実家に泊まることになったわたし達家族。長女サンがここの子供達と仲良くなるか心配だった。その一方で、言葉が通じないもの同士がどんな風になじんでいくのか、興味があった。実家に着いた当初はサンはとても怖がっていた。ずっと旦那にしがみついて抱っこしてもらっていた。親戚の女の子達(中学生と小1)が遊んでくれようと寄って来ても身動きしない。話し掛けても、口を一文字に結んだまま旦那にしがみつく。だいじょうぶか?!不安になるわたし。そのうち中学生の子がぬいぐるみをわざと落としてサンの笑いを引き出した。そこから少しずつサンにも笑顔が見られるようになり、差し出されたぬいぐるみを放り投げるようになった。だんだん大胆に動くようになり、ついには旦那のひざを離れてぬいぐるみを高く投げ合って女の子達と遊ぶようになった。それからは、もう、うるさいくらいの3人だった。そんなことをして夜になる頃には、小1のナミが大好きになったようだ。わたしや旦那から離れて1人でずっとナミのそばにいてお絵かきしたりして遊んでいた。仕事から帰った義妹にもなつき、わたしが知らない間に義妹の部屋で寝てしまっていた。翌朝目を覚ますなりサンは「サンのお友達は?」と叫んだ。朝からナミの後について外に出て行った。言葉は通じないけれどすっかり仲良くなった2人にほっとするわたしだった。
2005.12.09
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先日セミナーで訪れたのはわたしにとって初めての街だった。たまには違う街を歩くのもいい。色んな出会いがある。○インドネシア家具の店を見つけた。 アンティークと新品をあつかっており、いい風合いのテーブルやシェルフが並んでいた。 ワックスのにおい、木の手触り、とてもなつかしい。 お店の人と話をした。 少ししか話していないのに 「インドネシアに住んでいたことがあるんですか」 と聞かれた。どうしてわかるんだろう(@_@) ダイニングテーブルが欲しくなっちゃた。○ランチで入ったカフェでは、隣の席の会話に耳がピクピク。 2人の女性で、一方の女性がインドネシア語を勉強しているという。 この間マレーシア人と会って、会話したら通じた!と喜んで話していた。 (インドネシア語とマレー語はほぼ同じ) 日本ではインドネシア語を話す機会があまりないとぼやいていたので、 「ごきげんいかがですか」とインドネシア語で話し掛けようかと思ってしまった。帰宅した旦那にそのことを言うと「いえばよかったのに。 日本人は知らない人と話さない。 わたしなら、すぐに話し掛けるのに」といわれた。うーん、勇気がなかったわ。話し掛ければ新たな出会いがあったかもね。
2005.12.06
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木曜に引き続きコーチングセミナーでした。毎回ひろっしゅコーチと参加されたみなさんからすごくいい影響を受けています。今回のテーマは「質問」。これぞ、今のわたしに必要なスキルです。普段の自分の質問の癖に気づきました。子供に対して、「トイレ行った?」「ハンカチもった?」「食べるの?」「質問」というより「詰問」ですね・・・インタヴューゲームでは、話されている方の魅力にどんどん引き込まれていきました。ってことは、相手の魅力を引き出せてる→上手く質問できてるって事?!普段の会話に実践ていこうと思いました。さてさて、「質問」ということなので、インドネシアでは初対面の相手によく「結婚していますか?」と質問します。はじめは「いきなり聞くか!?」と驚きました。でも、これはポピュラーな質問で驚くことではないのです。男性が若い女性に聞くとナンパしてると思われることもあるので注意です。
2005.12.03
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コーチングセミナーの3回目を受けてきました。今回のテーマは「区別」。区別してとらえることの大切さに気がつかされました。挙がった例の一つが「違い」VS「差」「違い」とはAとBが異なるということ。横並びの視点。「差」とはAが10点でBが5点、だからAの方が偉いという縦のスケル。この二つのとらえ方があると気づくことに意味があると思いました。文化をとらえるときに後者の見方だとイライラしがちです。11月29日の日記を例にとると、「真実を言葉にする」のが10点で正しくて、だから「真実を言わない」インドネシア人は5点。こう思うと「どうして真実を言えないの?」と不満になります。でも、前者の見方でとらえると、そこにはただ「真実を言う文化」と「真実と虚像と織り交ぜて言う文化」の二つの文化の違いがあるだけです。こう考えた方が気分が楽♪これが国際結婚のちょっとした秘訣かなぁと思いました。
2005.12.01
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さて、ホテルに3泊した後は旦那の実家へしばらく滞在することに。街の中心から車で10分も走ると、田んぼが多くなる。旦那の実家は街から車で30分くらい。幹線道路には店や役所・銀行が並ぶが、一本道を入るとのどかな田園風景が広がる。見通しのよい田んぼの中の道を行くと、やがて集落に入る。集落の入り口付近は左手に小学校、右に幼稚園、その先はモスクだ。あんまり変わっていない。そこを左に曲がると、なつかしい旦那の実家だ!3年半ぶりの再会。握手をして、みんな笑顔がこぼれる。義父は白髪が増えたが変わらぬ笑顔。義母はぜんぜん歳を取った様子がない。親戚の子供達がみんな成長していて驚く。次女ワティを抱っこしたがる義母に、泣いて抵抗するワティ。長女サンははにかんで旦那の足にしがみついていた。わたし達が実家に着いたのはラマダン月(断食月)の最中だった。イスラム教徒は日中断食する。例外はあって、幼児や年寄り、病人、生理中の女性、旅人はしなくていい。旦那は日本では断食していたがインドネシアに来てからはしなくなっていた。実家ではこっそり食べなくちゃね、気を使っていた。が、いました。この家にも断食しない人が。義父と義弟。理由はただ、したくないから ほかの家族はしているので、人目につかないところで食べていましたが・・・
2005.12.01
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