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弁護士だけが知っている図解 反論する技術 反論されない技術 木山泰嗣著面白いなあと思った点を紹介。「逆質問」でその場をしのぐ!(Chapter 1)ディベートの質疑応答(Cross-examination)でも、「…」となる事も少なくない。大体のパターンは、(色々なパターンがあるが)応答する立場からは、・質問の意味が分からない・質問が漠然としすぎてどう答えれば良いか分からない・(英語ディベートの場合)質問の英語が分からない。。。時には、・質問が鋭すぎてどう答えて良いか答えに詰まる(汗)一方、質疑する立場からは、・どの様に質問していいか良く分からない、はっきりしない(対戦するチームの実力に開きがあると、往々にしてこんな事態が起きたりする)質疑応答は、質問と応答の時間なので、応答は(逆)質問をしてはいけないのだけれど。(時には、応答される側が質問をしている場面に遭遇したりする^^:;。結構、見かける)ただ、応答をするために、確認をするのは許される。「(質問は)こういう意味ですか」とか。ディベートを始めて最初の頃は、質問されたら、直ちに応答を行なう(ことが必要)、という様な感覚があるのだけれど。一番大切な箇所は内容。質問を正確に把握して、応答するのが一番だと思うのです。そしてほんの数秒だけど、結構落ち着く(時もある)。時には、あまりにも鋭い質問に対して、(どうして応答して良いか分からず)もう一度聞き直すこともありますが。。。これも程度問題なので、あまりにも酷い時間稼ぎになると点数(マナー点)を減点にもなりかねません。質疑する立場からは、(相手が分かっていないなあ、または質問が鋭すぎて答えられないという場合は)「ありがとうございます」と言って、他の質問に移るのもスマートだと思います。(時間を掛けても何も得られない。一方。ジャッジには分かっているし。。)総論は賛成し、各論を問題にする(p.52) 何となく議論(考え)が整理されないなぁ、という時は総論で話している時が多い。ディベートの議論で、反論できない(どうしよう)という時は、総論から一歩各論に踏み込んでみる。最終的に肯定・否定という結論(総論)に到る場合でも、各論の段階では様々な意見があるものだ。例えば、平和、平等、人権、安全保障といった議論を考えてみる。肯定側が、世界平和を(プランがもたらす)メリットであげると、否定側も世界平和は大切と思う。その考え方自体「総論」を否定する人は(まず)いないのだけれど。そもそも、世界平和とはどの様な平和なのか。世界の民族や宗教、人々にとって様々な考え方「各論」がある。肯定側のプランで、議論しているメリットは、重要なものなのか、現状では対応できないのか、プランはメリットをもたらすか、デメリットをもたらさないか。ただ、総論→各論→極端な各論、となってしまうと行き過ぎ。例えば独裁者にとっては、自分が世界を支配することが世界平和かもしれない。そこでのバランス感覚がディベートの試合でも、日常でも難かしいのですが。
2015.01.27
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東大主席弁護士が実践!誰でもできる<完全独学>勉強術 著山口真由最近、勉強法の本が流行っているようだ。受験勉強や資格試験。私も某試験勉強の参考に読んでみた。その中から、ひとつ紹介。答案用紙は“教授へのラブレター”なのです。(中略)書くということは、感謝や思いやりといった自分の気持ちを相手に伝えることでもあると思うのです。(p.149)ディベートであれば、各スピーチは、ディベートや、論題へのラブレターなのだろう。大会や試合を見ていると、みんな熱心なのだけど。その中でも、特に目立つディベーターがいたりする。ディベートへの情熱と愛情がほとばしっている。。。やっぱ、愛なんだろうなぁ。ディベート愛、と思ったりする。
2015.01.26
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こうしたらどうかなぁ、と思ったこと。スピーチの構成を考える、無駄を省く。と言うか、同じ事は1度で済ます(特に立論では)。最初の例:(このスピーチで)デメリットを2つ述べます。デメリット1は○○、デメリット2は××です。(それでは)デメリット1の○○。(デメリットの)発生過程を3つ述べます。発生過程1は○○、2は××、3は△△。証拠資料を引用します(この資料は1と2を説明するもの)。こんな感じもいいのではと思うのですが。デメリットを2つ述べます。デメリット1は○○。固有性は。。。(デメリット1を終えてから2を説明)(デメリットの)発生過程を3つ述べます。発生過程1は○○、2は××。発生過程1と2を説明する、証拠資料を引用します。発生過程3は△△(と続く)。ジャッジやオーディエンス、相手のディベーターはあくまでも聞いた順番に理解し、フローを取っていく。そのため、説明の項目は戻らない(方が望ましい)。試合の後半の反駁であればともかく、前半の立論(特に自分達が提出する議論では)。デメリットや項目のタイトルを先に説明されても、どこにフローを書けばいいか、(書くにせよ)どの位の空間(後でフローを取るための)を空けておけば良いのか悩んでしまう。私だけなのだろうか。。。2つ目の例:議論を説明する際に、証拠資料(エビデンス)の内容を、ほぼ全文引用。そして証拠資料を(再度)引用。こんな感じ。証拠資料は特別な意味はなし。何らかの成果物を生み出す仕事であり、(中略)一定以上の品質を達成するために残業時間が長くなってしまうのではないかと推測されます。ダイヤモンドオンラインから引用開始。「こうした業界は何らかの成果物を生み出す仕事であり、(中略)一定以上の品質を達成するために残業時間が長くなってしまうのではないかと推測されます」(154字)http://diamond.jp/articles/-/55343?page=2議論の内容を短くまとめて説明するのも勉強(結構、難かしいのだけれど。特に最初の頃は)残業時間は長くなります。ダイヤモンドオンラインから引用開始。「こうした業界は何らかの成果物を生み出す仕事であり、(中略)一定以上の品質を達成するために残業時間が長くなってしまうのではないかと推測されます」(102字)文字数(≒時間)にして、2/3に短縮。2つとも、説明を考えるという点では共通していると思います。大会とかで、速くスピーチを行なうディベーターもいるのですが。まずは、自分の話す速度で何ができるか(最大限の説明という意味で)。結構、同じ事を話していることも多い。それで証拠資料を1枚(時には複数枚)読めない状況で(スピーチ終了の)時間を迎えることも。まずは、同じ時間・速度の中で何ができるかを考えてみるのも一つの方法です。結構変わるものです。
2015.01.21
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サインポスティングのはなし今回(の例会で)もサインポスティング(改善)の指摘。ディベート大会でも、必ずと言っていい程、この指摘が出る。まずは議論の準備から特にディベートを始めたばかりの頃は分かるのです。試合を観戦していて、「あれくらいはできるかなぁ」と思って自分が試合をすると、思った程の何分の一か。何も言えないことも。試合後の反省会という名の飲み会でもあったのですが。または、立論を作るのに手一杯。そして試合に突入、そして撃沈^^:;当然、反駁の議論の準備はしていない。まあ、相手の議論が出てからそれに反論というのは分かるのですが。多くの場合、相手の議論は予想されるので、少なくとも大まかか、必ず当てはまる議論は作って(考えて)おきたい。3分のスピーチであれば、1分(または30秒)程度の議論をいくつか作っておいて、相手が出してきた議論にあわせて提出(反論)。サインポスティングはどこに?と言われそうですが。まずは、事前に議論の準備を行なっておけば、議論が分かって(少し余裕が)、そして何の議論に対する反論かが分かる。パニックになるパターンは、相手の言っている事が分からない→だから、何を反論すればいいか分からない→焦って、何かを言おうとする→自分が何に対して何を言っているか分からない→当然、サインポスティングも何もない→ジャッジもどこにフローを取れば分からない、議論も。。自分も経験したから分かる^^:;、ディベーターとしてです。スピーチ原稿に書いておいてもいいその上で、(例えば肯定側であれば)「最初に、デメリットに対して反論します」とか「メリットの反論に再反論します」とか言える様になるのかなぁ。(これはロードマップに近いかも)それで、準備した議論を出来れば紙に書いて(印刷して)、その一番上には、議論の名前を書く。肯定側であれば、・デメリット(○○→予想される内容のタイトル)への反論・メリット(重要性)の補強とかとか。それを自分のスピーチで読む順番に重ねて、さあ自分の出番。「××(議論の名前)に反論します」と原稿に書いておいて、そのまま読んでもいい。事前の準備はどこまですべきか(そのまま読むか)、試合に応じて臨機応変に対応すべき、等々の意見がありますが。まずは、せっかくの試合(練習試合でも)では、スピーチをすることが大切だと思います。(個人的な意見ですが)「次の議論は何」と、サインポスティングが安定してくると、ディベート初心者から一歩成長となるのでしょうか。
2015.01.20
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フローシートのはなし「ひでさんは、フローシートは何を使っていますか」という質問。普通のA3の用紙を使っています。無地の。(ディベート甲子園でも、JDAでもA3の紙が用意される)最近はA3を縦にして使う。当然の事ながら、縦より横の方が短い。昔、紙は横にして使う様に習った事もあるけれど、そこまで使う(横の端まで)ことは滅多にない。当初の議論→反論→再反論、ターンアラウンド、アド・オンとかが続くこと。多くの場合は再反論まで行けば、結構議論が続く方かなぁ。あとは、フローを取る字(の大きさ)。どちらかと言えば小さい方なのであまりスペースを取らない。あとは、略語、記号を使ったり。ある人が持ち出したのが、事前に印刷したフローシート。こんな感じ。フローシートは、事前にスピーチ欄を印刷しても良いし、紙を折っても良い。また、ペンを2色(黒と赤、黒と青、とか)使って肯定・否定と取ってもいいし。色が違えば、欄や折れ線がなくてもいい。2色に加えて、3番目の色で、ディベーターであれば自分の議論、ジャッジであれば試合後のコメントやアドバイス、確認点を書いてもいいし。要は、使い易ければいいのです。もちろん、自分の立場からディベートが分かるという意味で。だから私は、大会の前日は、ボールペン(黒と赤、または黒と青)を2セット準備。最近は、フローシートに欄を区切ったり、折ることも、まずしない。何故かと思うと、一つの理由として(多分)、オーガニゼーション(スピーチの構成)や、サインポスティング(道標(みちしるべ)を立てること)が崩れる事が多い^^:;そうなると、線があったり、紙が折ってあったりすると、逆に混乱する(見難くなる)こともあるのですね。そんな時は、「あっ、違う場所(に書くべき)だった」なんて。長い→(矢印)でつなげたりします。
2015.01.19
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1月の例会の論題はホワイトカラー・エクゼンプション。国会でも論じられていますが、専門性の高い職種に関しては、成果という基準で管理する(労働時間は本人の裁量)こと。肯定側のアプローチは、現在の日本のホワイトカラーの生産性は低い。というのも、残業代目当てに、だらだらと会社に残っていたり、結果生産性を向上しないから。そういう人が多い。分かりますねぇ、特に社会人ならば。どんな職場にもそんな人はいるもの^^:;まあ、自分がどうかは会社の他の人の判断に任せる事にして…そこで肯定側のプランの登場。一定以上(今回は年収6百万円以上)の人を対象に、ホワイトカラー・エクゼンプションを導入。詳細は論じられなかったけれど(時間の制約もあるが)、残業代は払わないよ!という考え。ただ、肯定側の分析が正しいとすると、・能力のない人 → 結局、仕事はできない。会社は残業代を削減できるかもしれないが。・能力のある人 → これまではだらだら残業していたが、さっさと仕事を終えて、帰宅。でも、残業代がもらえなくなってしまう… 多分、テキパキと仕事をする意欲はあまり起きないかも。結局、仕事が進まない可能性も。ディベートの限られた時間という制約はあるのですが、ある程度の所で、両者(この場合は会社と労働者)にとってメリットがある様な状況がないと(問題解決性が生じない)。例えばですが(数字は「例えば」です)、現在、基本給(残業代除き)が6百万円、残業代を加えると7百万円の人がいるとする。会社は、ホワイトカラー・エクゼンプションで、中間の6.5百万円に給料を設定。ただし、前提として仕事内容をあらかじめ定めておく。それが終了すれば、帰宅して良い!現在、遅くまで(様々な理由で)残業している人が、自分の仕事を頑張ろう(早く終了して帰ろう)!と思えるかもしれない。この場合、会社にとっては給料削減になるし、労働者本人にとては、給料は減るけれど、早く帰れるというメリットが生じる。現在、様々な場所で、ワーク・ライフ・バランスという事が叫ばれている。お互いにとってのメリットがあると、問題解決性が見えてくる様な気がします。あくまでも、これは一つの考えですが。
2015.01.18
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ジャッジには限りませんが。自分に興味を持たれて、嫌がる人はいない(ほとんどの場合)人は他人に対して興味があるかどうか。少なくとも言える事は、自分自身に対して程に興味はないだろうけれど、自分に対して好意・興味を持っている人にたいしては相応には興味を持つ(と思う)。「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくらないが、がっかりするほど見ていなくもない」 藤田晋・見城徹共著、の本のタイトル。われわれは、自分の好きなものに興味を持つ。生涯持ち続けるだろう。しかし、自分以外には、だれもそんなものに興味を持ってはくれない。だれも彼も、われわれ同様、自分のことでいっぱいなのだ。(D.カーネギー 人を動かす p.50-51)何故か、ジャッジとの関係が、上手く行かないなあ。ディベートで言えば、試合に勝てないとか、ポイントが低いとか。等々。一度、そのジャッジを研究してみることをお勧めする。それで、直接アプローチ(質問とか)できれば、それが一番。そこまで勇気がない?というのであれば、そのジャッジの試合後のコメントを努めて聞く、とか。特に一番前の席とかで。→毎回いると結構、認識される人間は不思議なもので、自分が相手を知っていても不思議に思わない一方で、(自分が知らない)相手が自分を知っていると、不思議に思ったりする。大学生の頃、あるディベート(ESS)大会に参加、途中で敗れて、決勝戦の会場へ観戦の席を探しに。空いている席がないかなぁ、と探していると、突然知らない人から、「○○さん(私の名前)、席を探しているのですか。どうぞ」あ、ありがとうございます。数十年たった現在でも何故か鮮明に思い出す。でも、誰だったのだろうかは分からない。後は、質問をする際でも、最初に自己紹介をして自分を印象付ければいいかなぁ。例えば、試合後に「否定側(または学校名)の第一反駁を担当した◇◇です。××を聞きたいのですが」なんて言えば。ただ、質問をするよりも印象的(だし、ジャッジが名前を覚える可能性が高い)。ディベーターが、2×2の試合ならともかく、4×4となると。試合中、多くの時間はフローシートとお友だち。また、大会で参加者のネームプレート(首から下げる)を自分で書くのであれば、大きな太い字でしっかり書くのもありだと思うのですが。ディベートに限らず、仕事を含めた様々なイベントでも、自己紹介は大切。たまにしか会わない人に対しては、「○○(所属)の□□(名前)」と自分から挨拶をすれば、顔と名前も一致するし、相手からも以前あった事柄を思い出してくれる可能性も高い(と思うのです)。
2015.01.09
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昨年12月の話なのですが、高名な日本画家の方のギャラリー・トークにて。(美術に詳しい訳ではないけれど、あるきっかけで。その方の先生は、美術の教科書にも載っている誰でも知っている人。。)自身の作品を前にして、話をするのをギャラリー・トークというのだそうだ。美術の話しではあるけれど、気持ちの持ち方等は参考になる気がする。印象に残った言葉:・美大に入る(受験する)学生でも、「自分が天才」だと思っている人は大成しない美大に入る人は美術に関する才能は、人並み外れたものを持っている。自分が天才と思っている人は大成しないのだそうだ。ただ、自信を持つのはいいけれど、やはり時折、自分に対して見直し(冷静な評価)をして。周りから学ぶことが大切と言う事なのだろう。一方で、・自信が必要作品を作る際に、「良い作品が出来そうだ(作る)」という時は良い作品が出来る。一方で、「不安な気持ち」で始まる時には。。。やはり、良い作品にはならないそうだ。自分を冷静に見つめる必要がある一方で、自分のパフォーマンスに関しては自分を信じて行なうことが大切なのだろう。・自分の教え方は、教えないというやり方。背中で教える。国宝と古典は最高のお手本芸術も一人一人のものなので、やり方を教えない。詳細を教えると(その生徒さんが)その形に決まってしまう。美大で教えるのは芸術家を育てるのだから、先生のコピー(先生が偉大でも)が増えても困るのだろうなぁ。国宝と古典は、本当に良いものや真理というものは、時代を経ても変わらない、ということなのだろう。ディベートでも、共通する点はあるのではないかなぁ。大会に参加する場合でも、チームやディベーター個人によっても目標は違う(はず)ものだし。もちろん、こんな事をしてみては(改善であれ、新たな取組であれ)というのは言うのだけれども。最終的に選択したり、実行するのは本人。先輩や先生のアドバイス通り行なえば、絶対に勝てる(優勝できる)というものでもないし。。。試合や大会が終わってしまえば、それは過去にしか過ぎない。その過程の中で、自分が何を得る(得られる)のかなぁ、とも思ったりする。今や美術界の巨匠や芸大の先生でも、学生時代の切磋琢磨した時代の同期や寮の仲間は、年月を経てもかけがえのない友人。何十年たっても現役時代のディベートの話が酒の肴になるのも共通している様な。。。
2015.01.05
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昨年12月の話なのですが、高名な日本画家の方のギャラリー・トークにて。(美術に詳しい訳ではないけれど、あるきっかけで。その方の先生は、美術の教科書にも載っている誰でも知っている人。。)自身の作品を前にして、話をするのをギャラリー・トークというのだそうだ。美術の話しではあるけれど、気持ちの持ち方等は参考になる気がする。印象に残った言葉:・美大に入る(受験する)学生でも、「自分が天才」だと思っている人は大成しない→美大に入る人は美術に関する才能は、人並み外れたものを持っている。自分が天才と思っている人は大成しないのだそうだ。ただ、自信を持つのはいいけれど、やはり時折、自分に対して見直し(冷静な評価)をして。周りから学ぶことが大切と言う事なのだろう。一方で、・自信が必要→作品を作る際に、「良い作品が出来そうだ(作る)」という時は良い作品が出来る。一方で、「不安な気持ち」で始まる時には。。。やはり、良い作品にはならないそうだ。自分を冷静に見つめる必要がある一方で、自分のパフォーマンスに関しては自分を信じて行なうことが大切なのだろう。・自分の教え方は、教えないというやり方。背中で教える。国宝と古典は最高のお手本→芸術も一人一人のものなので、やり方を教えない。詳細を教えると(その生徒さんが)その形に決まってしまう。美大で教えるのは芸術家を育てるのだから、先生のコピー(先生が偉大でも)が増えても困るのだろうなぁ。国宝と古典は、本当に良いものや真理というものは、時代を経ても変わらない、ということなのだろう。ディベートでも、共通する点はあるのではないかなぁ。大会に参加する場合でも、チームやディベーター個人によっても目標は違う(はず)ものだし。もちろん、こんな事をしてみては(改善であれ、新たな取組であれ)というのは言うのだけれども。最終的に選択したり、実行するのは本人。先輩や先生のアドバイス通り行なえば、絶対に勝てる(優勝できる)というものでもないし。。。試合や大会が終わってしまえば、それは過去にしか過ぎない。その過程の中で、自分が何を得る(得られる)のかなぁ、とも思ったりする。今や美術界の巨匠や芸大の先生でも、学生時代の切磋琢磨した時代の同期や寮の仲間は、年月を経てもかけがえのない友人。何十年たっても現役時代のディベートの話が酒の肴になるのも共通している様な。。。
2015.01.05
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