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<水族館でイルカをみたいあなたへ イルカ施設で一緒に泳ぎたいあなたへ>イルカ&クジラ・アクション・ネットワーク 記事より------------------------------------------- イルカはかわいい、賢いから好き!という人は年々増えているようです。 さまざまなシンボルや、企業イメージなどにもイルカの姿が使われています。 丸いおでことほほえんでいるような口元で、親しみやすく、水族館でもなつっこくよってきてくれる彼らにいやされる人がいるというのも分かります。 でも・・・・・・・ あなたはイルカたちがどこから来たのか知っていますか?イルカが大好きなあなたに、そのことをぜひとも知っていただきたいのです。 昨日、静岡県の富戸で行われたイルカ猟のようすをお伝えしましょう。 早朝、沖でバンドウイルカの群が100頭ほど地元の富戸の漁業者たちによって湾に追い込まれました。富戸港の入り口は漁網で封鎖され、イルカたちは仕切りの中で一晩を過ごしました。翌朝8時過ぎから、漁業組合の人と水族館の関係者によるイルカの選別と捕獲作業が始まりました。 岸壁には大きなクレーンが横付けされ、赤や青の担架がつりおろされて、7,8人のダイバーにとりおさえられて捕獲されたイルカを中に入れると、 再びクレーンがあがります。待ちかまえていたトラックがイルカを運び去ります。そうした作業がえんえんと続きました。そうして、12時過ぎには14頭のイ ルカが捕獲され、作業が終了しました。 狭い仕切りから、イルカたちが船で追い立てられて、広い仕切りの仲間と合流しました。イルカとともに、赤い水が帯となって流れ出します、濁った白い泡も流れてきました。もがきつかれて、仲間の方に泳ぐ力も残っていないイルカが狭い仕切りの中にとどまってただよっています。 弱って傷ついたイルカたちは、こののち海に帰されて、はたして生き延びることができるのでしょうか?ショックで死んだイルカもいました。 80頭ほどのイルカが海に戻されましたが、一方で、漁船の網には、解体される3頭のイルカが頭を上にしてじっと動きません。彼らが生きていることは、時折ブシュッと噴気があがることでわかるだけです。 解体作業は、イルカを愛する人たちからの抗議を受けたからという理由で、関係者以外には公開されなくなりました。以前よりも、短い時間で殺す方法に変えたと言われますが、本当かどうかの確認はできませんでした。いずれにしても、仲間が捕獲されるのを身近に目撃し、仲間が海に戻されるのを知りながら網に閉じこめられ、生きたまま頸椎を切断されるのですから、本当にこれが「人道的」なのかどうかはおわかりでしょう。 今回の捕獲は、伊豆下田海中水族館や伊豆三津シーパラダイス、しながわ水族館などからの注文で行われたと言うことです。この中には、みなさんがイルカをごらんになった施設も入っているのではないか、と思います。 こうした人工的な施設で飼育されるイルカたちの多くは、野生での寿命を全うできないでこの世を去ると言われます。多くの水族館ではイルカは消耗品で、イルカ捕獲の注文も次々とつきないわけなのです。 皆さんが、水族館やイルカ施設でイルカをみたい、一緒に泳ぎたいと考える限り、こうした悲惨な運命に合うイルカは後を絶ちません。 あなたはそれを望みますか? イルカが見たいのであれば、ウォッチングや野生イルカと泳ぐプログラムもあります。その方が本当にほほえんでいるイルカたちを見ることができるはずです。 富戸では、元イルカ漁師だったIさんがドルフィンウォッチングをしています。 -------------------------------------------文末の某I氏は「若い頃はイルカを捕まえてカネにし、老いて捕まえられなくなったら見せ物にしてカネにするのか」と非難されたそうである。I氏は「なにも言えなかった」と述懐しているが、他人の生き方だし、人に迷惑はかけていないのだから、そこまで言わなくても・・と思う。さて胸に迫るものがある文章である。が、冷静に読めばこれがクジラ(イルカ)ファシズムと同列であることが分かるだろう。証拠に「イルカを助けろ」とは言うが「マグロやサバを助けろ」とは言わない。どころか、イルカと同じほ乳類の「アシカやホッキョクグマを助けろ」とすら言わない。うちはイルカとクジラ専門ですから・・・とでも言うつもりだろうか?イルカやクジラの知能が高いことは有名だが、ブタやウシも頭はいい。食肉になるため殺されると分かれば暴れるし、仲間が死ぬところを見ると混乱する。(そのためと畜場では、仲間が死ぬところを後の動物に見せない構造になっている)北野武がクジラファシズムについて(たしかTVタックルで)こんなことを言っていた。「どうもあのクジラ捕るなっての危ない気がするんだよな。 知能が高いから捕るなって言うんだろ。 すると知能で動物を差別するんだから、いつか人間の知能差別につながっちゃうと思うんだよ。」この意見は、クジラファシズム問題の核心を突いている。某料理マンガで、食材となる動物がかわいそうという子供に、植物が生長するビデオを見せて「植物に生命を感じないのなら、それはただ想像力の欠陥だ」と指摘するシーンがあった。痛い、怖いのは人間に捕食される魚も、ライオンに捕食される鹿も、イルカに生きたまま噛み砕かれる小魚も同じだ。もちろん、愉快的な殺戮を自然界の動物はしないし、人間でも許されない。自然は殺生を前提として成り立っている。人間も含め、それはどの生命体とて例外ではない。理由があって殺し、殺され、自然界を形成しているのは地球誕生以来の真理だ。その真理に「心情的に同意できない」という考えこそ、自然への無理解に他ならないだろう。あのグリーンピースをはじめ「アニマルライツ(動物の権利)」をさも特別なことかのように声高に叫ぶ人たちだ。動物が自らの種の維持のために、他の動物を殺すのは自然の摂理だ。ヒトや動物が動物や植物を殺して食べることが最たるものだろう。これは自然が決めたルールのため、生き延びるために行うのだ。ひるがえって、医薬品の動物実験もヒトが生きるために行われているという点で、食と同一視できる。(もっとも現在の科学レベルで現実的に安全上必要な動物実験のことである)いったい、貧困国の子供が、どれほどワクチンと薬を待ちながら死んでいっているのか?蚊が運ぶマラリアに殺される前に、どれほど殺虫剤を欲しがっているのか?※1それをアニマルライツという言葉の意味を知らないまま振りかざし「心情的に同意できない」などと言うのなら、薬を使うことはもちろん、あらゆる生き物・・・獣、鳥、魚はおろか植物も食べることを止めるべきだろう。そのために自然に過度に干渉していいとは言わないが、ヒトはヒトのアニマルライツを最優先にするのが自然の摂理だ。少なくとも、現状で直接の自然破壊につながってはいない動物実験の反対に精力と資金をつぎこんでいるヒトより、研究室で動物実験をしてでも薬を作っているヒトの方が「自然」であり「アニマルライツ」をよほど正確に理解しているといえる。(たとえ、それが自己の名誉と企業の利益につながっても…だ)そもそも、権利(ライツ)にヒトとアニマルという区分を設けていることこそ傲りそのもの。「人間が自然を守る」というドンキホーテと変わらない愚行。私たちは、そういう風に「自然」から離すぎた頭になってしまっている。言い古された言葉だが「人間も自然の一部」という言葉の意味が少しでも分かっていれば「アニマルライツ」などとは、無知を晒すようなもので恥ずかしくて口に出せない。それが分からない、気持ちは変わらないのは仕方ないにしても、少なくとも動物らしい自然を失った状態だと理解した方がいい。実際、私も馬刺を食べる時は、美しく人なつっこい馬を思って少し気が引ける。だが、少なくとも私はこれが「感情」であることを知っているし、これが「理性」ましてや「正義」だとは微塵も思っていない。刀を鳥に加えて鳥の血に悲しめども魚に加えて魚の血に悲しまず声ある者は幸福也 斎藤緑雨他の動物に優れるというヒトの英知とやらが、自らの種を守るためというごく自然の摂理に反しては本末転倒だ。人口爆発の議論も、環境破壊の議論も、すべては自然の摂理を見失った感情論だから破綻する。欲望のままに自然を壊すのも、一動物にすぎぬヒトが「地球を守ろう」などとそもそも間違った願いを抱くのも、本質的には同じだと言われれば、自然保護、動物保護、環境保護を使命と自認する人々は反発するだろうか?考え事が大きくなりすぎて、理解が難しくなったら、本質を変えずサイズを小さくするのがいい。例えば、イルカを捕って食べることはどうか?例えば、だれもが電車に乗れば水族館に行けて、イルカを見れることはどうか?例えば、水族館や動物園があることが、自然から隔離された社会の中で、自然に対する心をはぐくむことはどうか?それらは自然の摂理に反することか?それが無意味であるか、誰か一人の価値観で決まるものではないことぐらいは少なくとも分かるだろう。※1 1950~60年代、低コスト・高効果の「奇跡の殺虫薬」DDTは後進国の蚊を駆逐し、10年以上にわたって少なくとも3000万人ものマラリア死を救った。(算出法によって異なるが、一億人以上を救ったという説もある)しかし、DDTは動物実験を含む安全性検証が不十分だったため、十分なデータがないまま発ガン物質、環境汚染物質と疑われ世界中で禁止された。DDTが生産されなくなった後、高価な殺虫薬が買えない後進国では、蚊の復活と同時にマラリア死が再び急増。そして今現在も毎年数百万人がマラリアで亡くなっている。一方、その後の研究でDDTの発ガン性は無いか無視できるほど小さいこと、環境への影響も濫用しなければ十分コントロール可能なことが分かった。DDT禁止から30年以上を経た2006年、ようやくWHOはマラリア対策にDDT使用を公式に認めた。なお、DDT耐性の蚊も発生しており「DDTより安価で同等の効果と安全性を持つ殺虫薬を造った化学者はノーベル賞確実」「マラリアに悩まされる国々から礼服が埋まるほどの勲章を授けられるだろう」と言われている。しかし、今「殺虫剤=環境汚染物質」のレッテルのため殺虫剤研究に費用が使えないこと(日本でも大正製薬が2000年に殺虫剤部門を休止)、特に欧米の研究者は動物実験がなかなか行えないことなど、「環境・動物保護原理主義者」の直接・間接の干渉により、殺虫剤研究は遅々として進んでいない。DDT耐性の蚊が増えたとき、また後進国の人々の生命が脅かされるが、環境・自然保護派の人々はこの点には無関心というより冷酷なようである。「ドルフィンセラピーを受けてみたい!」と大のイルカファンを公言する上戸彩(2007ロッテ販促用限定カレンダーより)
2007/08/21
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米アリゾナ州で宝くじ付き投票法案提出も住民投票で破れる2006年8月。大統領選で40%を切る同州の投票率低迷を打破するため、アリゾナ州のマーク・オステロ氏が「宝くじ付き投票用紙」案を提出した。これは、同州が行う宝くじで換金されずに残っている残金のうち100万ドル(約1億円)を投票者のうち1名に抽選で与えるというもので、内容を審査したが憲法や州法には違反しないということで、オステロ氏と有志は18万人の署名を集め、住民投票で採否を決定することになった。この提案がマスメディアで報道されると、米国中で賛否両論の物議をかもしだした。結局、同年11月の住民投票で反対多数で廃案となった。-------------------以前のブログにも書いたように「投票宝くじ」は米国で現実に検討されたことがあった。私も投票宝くじには投票率をアップさせる効果があると思う。ただ、オステロ氏の敗因の一つは、アリゾナ州100万人の有権者のたった1人にしか当選の機会がない案だったことだと思う。もっと当選者数が多く、人々が「うまくすれば私も…」と思える案なら合理的な欲が安い理性を上回るのではないか?みかけはどうあれ結果的に国益となる制度ならばいいのだ。運用次第だと思う。そこで、投票宝くじが法的にどうかは置いて、遊び心でちょっと考えてみた。まず、日本の宝くじであるが、サマー、年末などの冠を付けたジャンボ宝くじの知名度は抜群だ。(財)日本宝くじ協会調査によると、ジャンボ宝くじを年に1回以上買った人は国民の61%。一回当たりの平均購入枚数は年末ジャンボで5.7枚(1732円)。賞金総額は年末ジャンボで約1000億円。一等2億円は75本。(平成18年)「明日からいきなり億万長者」の夢が買えるため、職場などで話題になることも多い。特に年末ジャンボ宝くじの「もう買った?」「当たったら会社辞めるよ」などの会話は、年の瀬の恒例行事といっていいほどだ。ジャンボ宝くじのデータで注目したいのは、18~29歳の59%、30~39歳の73%もが宝くじの購入経験があることだ。これは平成15年衆院選の投票率が20~29歳が35%、30~39歳が59%だったように、若者の政治無関心(投票不参加)に、投票宝くじ導入の効果があるのではないかと期待させる数字である。※これ以降の年代では、投票率と宝くじ購入経験はほぼ60~70%であまり差がない。投票を奨励するための「投票宝くじ」なのだから、年末ジャンボよりずっと魅力的なのが好ましいと思う。思い切って「タダなのに最高賞金も賞金総額も日本最大の宝くじ!」なんてキャッチがいいのではないか。というわけで賞金総額6000億円(年末ジャンボの6倍!)ぐらい大きく出てみよう。もちろん大金だが、あの小渕内閣の「地域振興券」の予算6200億円の前例があるのでアリではないかと思う。(衆参院選は平均で年に1回もないのだし…)さて、日本の有権者は約一億人だから、単純に10人に1人が6万円を手にできるというのも悪くない。しかし、宝くじの魅力を使って、投票所に足を運んでもらおうという魂胆なのだから、宝くじ本来の魅力を忘れてはならないだろう。宝くじの魅力はなんといっても一攫千金、億万長者だ。実際、協会のアンケートでも「賞金目当て」(59.3%)と「大きな夢があるから」(50.6%)が2大理由であった。すると、1億円以上の賞金はあった方がいい。年末ジャンボ宝くじの場合、一人平均5枚購入するとして、一等2億円が当たる確率はおおよそ1/200万、二等1億円なら1/50万である。「億万長者」の夢のために、少なくともこれより魅力的でなければ、宝くじ目当てで投票所に来る人はいないだろう。1億円以上の当選確率は倍以上、さらに法定最高賞金4億円の金看板は捨てがたいので、こんなのはどうか?特賞 4億円× 10本(!?) 1/1000万一等 2億円×100本 1/100万二等 1億円×500本 1/20万三等 1千万円×2500本 1/4万無料の宝くじなのに法定最高賞金4億円の代名詞・ロト6で年に0~5回しか出ない4億円が10本!そして2億円の当選確率は年末ジャンボの2倍!、1億円は2.5倍!宝くじファンならずともワクワクする魅力的な確率だろう。かなり多くの政治無関心層が(特に若者、低所得層が)投票所に出向いてきてくれるのではないか?だが、せっかく6000億円も使うのだ(いや仮定の話だが…)。単に投票率がアップするだけでも効果があるが、この6000億円に二次効果、できれば消費拡大を期待したいところである。1000億円分の億万長者の誕生による経済波及効果は個人差がありすぎて計算しがたい。残りの5000億円で、多くの当選者を出して確実な効果を狙いたいところだ。純粋なギャンブルとしてはジャンボ宝くじのように、300円~100万円の細かい等級の方が面白い。だが、5000億円の使途を消費拡大という目的に絞るなら、等級をつけず「四等 ◯万円」という単一設定がいいのではないかと思う。一億人の有権者に、なるべく多くのお金を使ってもらいたいとなると平成10年の"天下の大失策"こと地域振興券の教訓が思い出される。地域振興券は、配布対象が15歳以下の子供と65歳以上の老人、社会弱者などだけで、流通どころかその65%以上が貯蓄に回されてしまった。また、いわば地域の商品券であるため不便さがあり、使われたとしてもほとんどが生活必需品の購入に当てられたと分析されている。結果、当初政府が期待していた経済波及効果の大きい家電製品・旅行などの大型出費にはつながらなかったのである。結局、消費を拡大することはできず、経済効果は2000億円、GDPは0.1%↑にとどまった。この配布層の問題は、有権者の1/4が高齢者であることを差し引いても、成人にランダムに配布されることから、投票宝くじでは改善されるであろう。地域振興券は2万円分を3000万人に交付したことになる。地域振興券のポイントは「商品券」であったということだ。2万円の商品券をもらったので、自分のサイフから1万円を足して3万円の家電を買おうと考えるだろうと、+1万円の消費拡大を政府は期待した。その期待は今となっては泡だったが、それはともかく、投票宝くじの賞金は通貨である。(別に地域振興券でもかまわないが・・・)では通貨だと、どのぐらいを何人にばらまけば消費拡大が期待できるのであろうか?予算5000億円、投票率が100%に近く1億人と考えると四等賞金の設定と確率 1万円 1/2人(5000万本) 2万円 1/4人(2500万本) 5万円 1/10人(1000万本) 10万円 1/20人(500万本) 25万円 1/50人(100万本) 50万円 1/100人(100万本) 100万円 1/200人(50万本) 500万円 1/1000人(10万本) 1000万円 1/2000人(5万本)消費拡大のためにはどの選択肢が一番良いか。これはたぶん経済や統計の専門家を集めた専門委員会でも意見が分かれるのではないか?当時の政府が地域振興券を2万円としたのは、予算の都合が大きかったが、合理的な理由もあっただろうから、地域振興券と額も数もほぼ同じ2万円を2500万本でもいいかもしれない。だが、2万円でできる「ぜいたく」がそれほど多いとは思えない。(ホテルグルメやちょっといい服くらいか?)経済効果で旅行、家電というが、旅行は(できれば国内)旅先でのグルメや買い物といった付加行動が消費拡大になる家電だと、個人的にはきたる地デジ対応AV機器、PCなどが有力だろうと思う。小旅行や生活家電だと5万円からいけるが、これはキツキツだろう。ハワイなら格安パックで2泊3日、家電だとPCは難しく小型液晶TVやゲーム機か。10万なら旅行はほぼ満足。だが、家電なら地デジ対応AV機器、PCとも買なくはないがやや貧弱だ。しかし、25万円なら、長期の海外旅行とハイスペックな家電がいける。庶民のボーナスの夏分だと思えば、各業界にとってもこの設定はやりやすい。100万円ならさらに上の消費活動がいけるし、500万円以上であれば新車も買える、部屋も変えられるが、如何せん当選確率がガクンと落ちる。200人~1000人に1人では、学年に1人とか大会社の社員で1人という感覚だろう。これでは当選の期待が低くて肝心の投票効果が期待できなくなる。投票効果を期待するなら、やはり「数十人に1人」という二桁が心理攻防ラインになるかと思う。個人的には、クラスに1人という確率なら「もしかして!?」と思わせるものがある。ということで、自分だったら四等賞金は当選確率への期待とボーナス感覚を重視して25万円あたりが手頃ではないかと思う。賞金25万円と1/50の確率いうのは微妙だと思う。この確率でもぜひ当てたいという人は学生、低所得層に集中するだろう。組織票的に投票に参加する大企業の社員、業界・労働団体等の組合員とは性格を異にする「第三勢力」だ。この無党派層を中心とする第三勢力の政治参加を促すことが、目玉だと考えてもいいぐらいだ。衆参院とも投票率90%台を狙いたい。もちろん、その目的が達成されたら、投票宝くじの規模はずっと縮小していいだろう。終戦後1946年に誰でも投票できる普通選挙始まって、ほんの15年前の1993年衆院選まで、投票率は70%前後で推移していた。それがここ10年年々悪化し、07参院選ではこれほど注目を集めた選挙だったのに58.6%。自分の経験から言うと、投票所に行く機会があるだけでも、政治に関心を持つようになる。「どうせなら、いい候補に、政党に」と考えるからだ。すると政治関心や有権者意識が高まり、地方議会選、首長選などの選挙にも波及効果が現れるのではないかと思う。民意がより反映されたあるべき議会を作るためには、私たちが国会議員を通じてなにかしら手を打つ必要がある。投票促進と経済回復の一石二鳥を狙った「投票宝くじ」ローリスク・ハイリターンを望む国民性の日本ではウケると思う。できれば、投票率が上がるほど議席が伸びる少数政党に提案してもらいたい。たとえば、かつて地域振興券を強烈にプッシュした公明党の議員さん、汚名挽回にひとついかがだろうか?または、その公明党案を猛烈に批判した共産党の議員さんも、ウチは経済政策だって上手くできるんだ、というところを示す絶好の機会ではないか?国民の大好きな宝くじとしてだけではなく、真面目に経済効果も検討すれば、提案しただけでも大きな支持を得られるというメリットもあるかもしれない。無論、本稿はあくまでネタなので、真面目な考察やツッコミはご遠慮願います。公明党のアイドル・山本かなえさん、この法案いかがですか?
2007/08/18
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