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テムズ川のクジラは力尽きて亡くなった。今日もニュースでマッコウクジラの漂着が報道されていた。イルカやクジラの漂着や川や湾岸への迷い込みはストランディングといわれている。ちなみにイルカとクジラは生物学的には同種。ワシとタカの関係のようなもので、大きさや形で学者が勝手に名前をつけ分けているだけだ。ストランディング(Stranding)という言葉には馴染みがない人も多いだろう「(船などが)座礁すること」「(海洋生物が)岸や浅瀬に乗り上げること」という意味。実はこれは非常にありふれた出来事で、少なくとも日本各地で年間数百件の発生しているそうだ。最古の歴史書・古事記にもイルカの大量ストランディングで沖が血に染まったという記載がある。メディアではストランディングについて報道するものの、なぜクジラやイルカがそのような自殺的行動をしてしまうのか?ストランディングという名称はもとより、原因についてはほとんど触れられないのでちょっと解説。1.寄生虫・・・方向感覚をつかさどる耳の器官を寄生虫が狂わせる。2.感染性脳炎・・・ウイルス感染により脳炎が起こり異常行動を引き起こす。3.超音波障害・・・クジラやイルカは超音波で方向や距離感を把握する。海底の形が複雑な場所などでは超音波を正確に捉えにくくなる。特定の場所でストランディングが頻繁におこるのはこのため。実はこのストランディングが科学的に研究され、原因が明らかになってきたのはほんのここ10年ほどである。そして、ストランディング研究には日本の獣医学者たちが大きく貢献している。十数年前、日本のクジラ食文化を非難する過激な欧米の動物愛護団体や環境保護団体、特にグリーンピースが日本で起こったストランディングを、あたかも人為的な漁であるかのように報じたことがあった。日本を取り巻く海底はきわめて複雑でストンランディングが頻繁に起こりやすく、海外のメディアは日本各地で起こるストランディングを「日本のクジラ漁、イルカ漁」として連日報道した。このため、幼稚で感情的な国際的非難が集まり、国際捕鯨委員会(IWC)と商業捕鯨モラトリアムの問題と無理やり関連付けられ、国際的問題に発達しかけた。日本文化が「野蛮」と決め付けられそうになっていた。このピンチに日本の獣医学者たちが立ち上がった。日本で打ち上げられたイルカ、クジラを徹底的に調査し、寄生虫やウイルス感染を次々と証明し、国際的な学会や生物学誌で発表。数年にわたり、次々と発表される日本の高レベルな論文。ストランディング現象を解明し、獣医学、海洋生物学の進化を促した。海外の冷静で高名な獣医学者や海洋生物学者はこれらを正等に評価。感情的批判に走るグリーンピースをはじめとするエコファシズムはついに沈黙せざるをえなくなった。驚くべきことは、これらの調査研究を行った獣医学者には、海洋生物を専門とする学者はほとんどいなかったことだ。日本のピンチを救った獣医学者たちは、牛や豚、犬など他の動物を専門とする人たちであった。ある高名な国立大学の獣医学科教授が陸で大量死したイルカたちの耳から寄生虫を発見した。しかし、この教授はもともと"牛"の"先天性奇形"の専門家であった。もちろんイルカの寄生虫や病気になどついてほとんど知らなかった。「論文を書かなければ・・・、しかもレベルの高い論文を。」連日の海外の歪んだ報道に憤り、憂いていた老教授には、恥も外聞も投げ捨てる覚悟があった。頭を下げ、自分より年齢も若く、経歴も少ないが、専門性の高い学者達に教えを請うことにした。意外なことに協力を惜しむ学者はほとんどいなかった。それどころか、ほとんど全面的な協力を得ることができた。ドイツ語など専門家でも読みにくい論文を和訳して送ってきた若い大学講師もいた。協力などしても自分のキャリアにはほとんど上積みされないのに・・・。かくして、一つのきわめてレベルの高い研究がなされた。この研究は珍しい症例として海外でも高い評価を受けることとなった。このようなレベルの高い日本の研究に海外の学者は刺激され、ここ10年でストランディングの研究は飛躍的に進んだのだ。専門外の分野についてあれほど高度な研究調査を行った日本の獣医学者たちは、解剖学、微生物学、病理学など分野の垣根を越え、閉鎖的な大学の門を破り、お互いに協力し合ったのだった。個人的には捕鯨について反対も賛成もしない。ただ、他国の文化を自分たちの価値観で一方的に非難する人々を支持しない。そして、そのような卑劣な非難に正面から立ち向かい、堂々と勝利した日本の獣医学者たちを誇りに思う。閉鎖的な構造、独善的な行動が目立ち、政治力の獲得にばかり注力するあまり、若い医師達から見放されつつある日本の医学会も見習ってほしい事例である。
2006/01/28
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志と野心は違う北尾吉孝(SBIホールディングスCEO) 06/1/21堀江くんのケンカはケンカ下手の最たるものと言えよう。このままでは堀江くん自身が大けがをすることになることを忠告しておく。糸山英太郎(糸山政経塾塾長)05/12/16
2006/01/22
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不平等の中でも悪平等はもっとも見つけにくく、排除しにくく、それでいてもっとも悪質である
2006/01/21
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小泉改革では地方改革の一環として地方競馬の見直しを迫っているようだ。ただし見直しの対象となったのは地方競馬のみ、JRAは対象外とされた。JRAを含めた見直しにすればJRAと地方の連携が強化されたであろうに、つくづく長期的視野がない。競馬=JRAと考える人も多いが、競馬のレベルは競走馬として生まれてくる馬の数に大きく依存するからだ。もし、競走馬の受け入れ先がJRAしかないとすれば、多くの生産農家が廃業し、馬のレベルもレースのレベルも落ちる。さらに裾野が狭いと言うことは、いつも同じメンバーで競馬が行われ、堅い決着ばかり。そうなると競馬自体の魅力が損なわれる。今度はJRAすら衰退し、日本の競馬は危うい。この改革の中で、地方競馬が生き残るには地方同士が連携する以上にJRAとの連携が重要になることは間違いない。JRAと地方で交流が行われるのはなにも馬だけではない。馬に乗るジョッキーも交流する。いくら強い馬でもその能力を引き出すのはジョッキーである。では、地方競馬とJRAのジョッキーはどれほどレベルの差があるのだろうか?地方所属(一部は既にJRAに移籍)ながらJRAでも騎乗回数の多いジョッキーと、JRAのトップジョッキーを比較してみる。データは2005年[地方トップジョッキー] 名前 騎乗数 勝 率 連対率内田博幸 252 0.123 0.222岩田康成 265 0.106 0.223五十嵐冬樹 158 0.076 0.152石崎隆之 140 0.050 0.071[JRAトップジョッキー] 名前 騎乗数 勝 率 連対率横山典弘 770 0.174 0.308藤田伸二 805 0.151 0.245柴田善臣 804 0.132 0.265福永裕一 811 0.134 0.221数十年に一人の天才といわれる武豊は勝率0.248、連対率0.398とさすがに反則なので除外した(笑)JRA四天王は地方四天王のだいたい1.5倍の勝率、連対率があることがわかる。それでも内田、岩田らの勝率、連対率だけを見れば200人近くいるJRAのジョッキーの中でも5~15位以内のレベルである。五十嵐、石崎でも30位以内には入る。騎乗機会が少なくコースを知り尽くしているという「地の利」がない分を差し引いて考えれば、決して悪い成績ではない。地方笠松からJRAに移籍した安藤勝己がリーディングトップ10の上位であるのは若干特別であるが、岩田、内田らもJRAでトップクラスをはれるだろう。それは限られたエリートジョッキーの話ではないか?では、中堅以下のジョッキーは?男性と交じって健闘する女性ジョッキーは人気はあるが実力はいまひとつ。歴代女性騎手最多勝記録を持つ名古屋の宮下瞳ですらハンデ1kg(平均的に1馬身差に相当するといわれている)をもらって30名足らずの名古屋所属騎手の中で7~8位。ジョッキーは男女で体重差がないのに(むしろ女性が軽量なのに)ハンデとは不公平な感もあるがこれが名古屋の方針。他の競馬場のようにハンデ1kgがなくなればトップ10落ちは確実、おそらく本当に真ん中くらいの中堅ジョッキーというのが実力だろう。「史上最高」の宮下瞳がそうならば、その他の女性ジョッキーはいわずと知れず、JRAでも地方でもリーディングの下位をさまよっている。では、その下位レベル(失礼!)ジョッキーたちが地方とJRAで交流戦を行うと・・・「全日本レディース招待競走(女性騎手招待競走)」という全国から女性ジョッキーが集結する交流戦が行われている。05年の上位3名はすべて地方所属の女性ジョッキーであった。(ちなみに2位はみのり姫こと笹木美典!このブログで紹介済み)ちなみに、JRA所属の牧原は5位、西原は6位であった。牧原は過去の交流戦で優勝、準優勝の経験がそれぞれ1回ずつあるが、今回敗北したのはいずれも自分より経験の浅い若手騎手(20代前半)だけに差は感じられない。現状から言えるのは、たとえ牧原が地方に移籍しても、やはり男性ジョッキーの中、リーディングの下位をさまようであろうということだ。(ただし、牧原は交流戦では宮下瞳より常に上位に来ているが・・・)言い換えれば、JRAに劣らない優秀なジョッキーが恵まれていないのが地方競馬である。Jリーグやプロ野球のようにJRAを1部リーグ、地方を2部リーグと明確に位置付けて交流を図れば、地方の実力上位ジョッキーは実力にみあった賞金が得られる活躍の道が開かれ、希望も向上心も持てる。もちろん強い馬もそう。すなわち、生産農家や調教師も同じくということである。JRAと地方の交流を盛んにする、理想的には融合して一元化することは競馬界全体を活性化する。これは地方財源を確保、国民生活の向上につながる。地方財源はいまや国からの借金に頼っている。それは税金の消費にほかならない。そしてそれが消費税など税金の高騰を招く大きな原因の一つなのだ。およそ競馬に使われる金は「遊興費」である。つまりは「余りのお金」「生活に必要ではないお金」である。余ったお金が血税の換わりに、国を自治体を支える。余ったお金を効率的に動かすように誘導するのは不況脱出の鉄則である。いまは競馬場にお客さんが減り、それ以上に一人当たり賭け金が減少しているのが赤字経営の本質である。お客さんの減少はレジャーの多様化、賭け金の減少は不況がそれぞれ主な原因である。しかし、競馬は歴史ある娯楽スポーツでありゲームである。これから先も永く続く確立された文化であるとすらいえる。不況脱出と農水省(JRA)、自治体の努力が続けられれば、かならず競馬場に人とお金が戻る。そのときに競馬場跡地は駐車場になり、馬産農家も調教師も騎手学校もなかったら・・・?長期ビジョンのない安易な競馬場廃止(すなわち地域の馬産業廃絶)はしてはならない。そして、地方競馬場を運営する自治体の体質も変えなければならない。少なくとも、たった2~5年の短いスパンで異動してしまう、競馬に情愛のない一般職員を競馬場の担当にしてはならない。経済学・経営学に強い職員、獣医師・農業大学卒をはじめとした馬や農家・管理者に強い職員、そして熱意と柔軟な思考に溢れる"競馬バカ"な職員。こういった「適切な」職員を5~10年の中長期スパンで競馬場の管轄に配属し、これまでただ異動の日を待ち、放漫な経営で赤字を膨らませ続けた職員を左遷させて置き換えるべきであろう。地方競馬界の活性化(=地方財政の自立⇒税負担軽減)は馬好きオヤジのためというより、税負担の軽減など国民のための政策と位置付けて議論を進めるべきであろう。
2006/01/17
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最近、回転寿司に行って思ったこと。お客さんの10人中5人(それも男性ばかり)が威勢良く「おあいそお願い!」という。なかには部下だか後輩だかと思われる女性を連れているリーマン風の方も。客→店に「おあいそ(御愛想)」はよくある間違いですが、連れの方がこのことを知っていたら(文学部出身だったりして)と想像すると恥ずかしい。(「先輩ったら思いっきり使い方間違えてるのにあんな元気良く・・・(汗)」)よく言われているように、おあいそは例えば店主がお客さんに「お客様、ご歓談のところ誠に申し訳ございませんがおあいそ頂いてよろしいでしょうか~・・へぇ」のように、店→客に使われるへりくだった言葉。もともとは「お金の話なんてして愛想尽かしでしょうが一つ寛大にお願いしますよ」ってな意味合いだったらしい。私ですか?フツーに「お勘定お願いしまーす!」と板さんに言いましたよ。板さんはよく通る声で「へい!7番さんおあいそお願い!」とレジの店員さんに声をかけてくれました。
2006/01/10
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目新しい記事ではないが、一部マスコミの恐怖報道(混乱しか招かない利己的報道)については常々不快感を覚えていたところである。ただ、私の見解や意見も他人が作った医学・生物学誌や論文にもとづくものであり(一部マスゴミの記事よりは信頼がおけるが…)、私の私見が入っていることをまず断っておく。まず、鳥インフルエンザについては10年以上前から「近い将来、ほぼ確実に発生する」と予言されていた。ウイルス学が進歩したのはここ数十年のことにすぎない。学者たちの大きな興味の一つは「なぜインフルエンザウイルスはこうもコロコロと形を変えてしまうのか?」であった。その原因はウイルスより研究が進んでいた細菌で実証されていた仮説をあてはめることで比較的簡単に解明できた。すなわち「別の動物に感染するときに変異が起こる」というものだ。ものすごく大ざっぱに説明する。・同じ動物、例えばヒト→ヒトに感染したときには変異は起こらないかほとんど変化しない。・違う動物、例えばブタ→ヒトに感染したときには変異が起こりやすく大きく姿を変える。つまり、動物からヒトに「カゼがうつった」ときはキケンであるということだ。さらに、別の動物からカゼをもらった動物(例えばトリ→ブタ)の持っているウイルスはさらにキケンということだ。まとめるとこうなる。数種類の動物とヒトが共存し頻繁に接触するであって、不衛生な空間は、恐ろしいインフルエンザウイルスを生む可能性が高い例えば外国の獣医もいないような畜産農家…(日本の畜産農家にはお抱え獣医がいます)10年以上前から、強力なインフルエンザ発生が予言されていたと先に書いたが、新型ウイルスの発生源が中国南部、福建省や広東省のあたりになるだろうことも学者の間では通説であった。ウソだと思うならどこの大学でもいい、医学部や獣医学部の先生方(微生物学・公衆衛生学)に聞いてみるといい。ある先生は「まったくそのとおりだ」と言うだろうし、ある先生は「そのような説があったことは否定しない」というであろう。しかし、「そのような説は無かった」と否定する先生は一人もいないはずである。中国南部はインフルエンザウイルスが形を変えて生き残るには格好の場所であった。1)渡り鳥が他の国から新しいウイルスを運んできてくれる。2)カモやニワトリにそれらのウイルスが取り込まれる。3)カモのいる池に水を飲みにきたブタやウシにウイルスが感染する。(変異発生)4)カモやブタに直接触れて世話をする農家の人々に変異したウイルスが感染。(ヒト感染)変異といってもヒトには無害な変異もあれば非常に有害な変異もある。問題は後者のような有害な変異がいつ起こるか?それが1980年代後半ごろから「この先10年ほどの間に…」ということであった。疑問1.予言はなぜ「10年前」から唱えられてはじめたのか?1>ウイルス学の発展詳細は医学誌に譲るが、ウイルス学の発展には顕微鏡の技術の発展が急務であった。電子顕微鏡はウイルス学の発展に大きく寄与した。2>シミュレーション技術感染症の発生や広がりを予測するにはシミュレーションが必要だが、それにはコンピューターの発展と普及を待たなければならなかった。3>香港かぜと中国1960年台末、香港かぜといわれる世界的インフルエンザ大流行が起こった。その当時から香港政府は中国から輸入されるトリが原因ではないかと疑っていた。そして、97年、再びトリからではないかと疑われる致死的なインフルエンザが流行の兆しをみせた。そのとき香港政府が取った対応は「中国からのトリ輸入停止」。この対策は見事に効を奏し、インフルエンザは急速に収束した。もはや通説となっていた学者達の認識が確信に変わった瞬間であった。疑問2.現地の農民はなぜ大丈夫なのか?1>ウイルス慣れ?農民は常に家畜とウイルスに接触している。そのたびに、体の中で免疫反応が起き、新しいウイルスに対する抗体が作られる。抗体は新しいウイルスの形が少ししか違わなければ有効である。少し変わったウイルス→前のタイプの抗体が有効→その間に新しい抗体が作られる→ウイルス制圧しかし、大きく形が変わったウイルスに古い抗体は無効である。つまり、現地の人はウイルス慣れしているが、海外の人にそのウイルスが感染した場合は無防備であるという仮説が成り立つ。2>実際には多数の人が亡くなっているとはいえ、どのくらい変異するのか、毒性がどのように変わるのかは一定ではない。実際には多くの現地民が亡くなっているのが現実であろう。これは最近の新聞報道のとおりである。しかし、はたして中国南部のインフルエンザ死亡率がどの程度か?他地区と比べて高いのか?正確な数字は私が調べた限りないか、信頼できる数値(例えばWHOなど第三者機関が調査したもの)ではないかどちらかである。疑問3.中国政府は対応しないのか?1>SARS発生時の中国政府対応誤解があってはいけないので事実だけを言う。中国はSARS発生の際、情報操作を行い発生を隠蔽しようとしたというジャーナリストや亡命者が多数いる。中国には言論の自由はない、不適切な言論は政府の判断で制限される。また、中国政府によるSARS隠蔽工作を内部告発しようとした医学者が「中国政府」を名乗る者に拉致され行方不明になっている。2>香港への中国政府の抗議97年、香港政府がインフルエンザ対策として、中国からのトリ類輸入を禁止しようとしたとき、中国政府は猛烈な反対をし圧力をかけてきた。国家としては「アリ」だろう。香港のインフルエンザは消滅した。99年、再び香港でインフルエンザ流行のきざしがあり、原因を中国のトリと判断した香港政府が輸入禁止措置を取ろうとしたとき、またも中国は猛烈な抗議を行い輸入を継続するよう強要した。その理由は「科学的根拠がない」とのことであった。疑問4.日本の対応は? (最大の疑問)1>日本政府の弱腰外交これにつきる。SARS、トリインフルエンが海外から持ち込まれた可能性を認めつつ、輸入禁止措置や渡航制限をなかなかかけない。相手国の利益を損なうことに慎重なのである。自国の損失を想定し、断固たる対応は取れないのか?少なくとも現状では取りようがないであろう。なぜなら2>感染症対策システムがない次に、では渡航制限や輸入禁止措置が必要だったとしよう。誰が?どこのお役所が号令をかけるのか?常識的に考えれば、厚労省、農水省、外務省が総理に進言し、日本国として制限を発動するということになる。しかし、日本には米CDCのような感染症防止や制圧のための機関は存在しない。感染症法のどこを見てもそのような機関についての文言は無い。するとどうなるか?舵取りの座に座らされないよう(責任を取らされないよう)厚労省、農水省、外務省、その他がなすり合いをはじめる。実際、BSE問題で米国牛の輸入制限が遅れに遅れたのは、そのようななすり合いが起こったからであることは周知。3>現場(地方)が動けない政府がリーダーシップを取らず、保健所など地方は動けない。東京など小国家のような一部の地方自治体以外は、ただ国から「インフルエンザ対策を取れ」とだけ命令されても拠り所となる金も人も法律すら準備されていない。このような感染症を甘く見ている国はG8で日本国だけである。結核患者が再び増えつつあるのもG8で日本国だけである。隣の韓国で毎年狂犬病で人が死んでいるのに、著名な医師が新聞に「狂犬病予防接種はムダ」とわざわざ投稿する国である。結論:弱腰外交とシステム不備がこの国をトリインフルエンザをはじめ、感染症の危機に陥れている。「自分の身は自分で守る」これは大原則かもしれないが、社会的弱者は?偏った情報しか知らず無知な人々は?町役場に抗議の電話をしてもほとんど意味が無い。保健所や保健センターですら、素人に毛が生えた程度の医学的知識しかない職員がいるだけである。そこには医師はいないか1人しかいない。なにせ、地方の保健所には医師はもとより、医師に次ぐ高度医療職である薬剤師・獣医師すら定着しない。事務職や業務職の給与は一般に民間より高いが、医療専門職の給与は民間より安すぎるからである。また、保健職員の多数を占める保健師は医師の補助職であるため、主体にはなりえず、高度な知識や能力を得るような医学教育をそもそも受けていない。実際、法的にも医師や薬剤師のような業務独占権はない。(保健センターの健康相談は保健師の独占業務ではない。法的には事務職だろうが誰でもよい。)彼らに期待されるのは住民とのパイプであり、医師のよき補助である。このように、医師が日本医師会の助力で国に進言するならともかく、無難にお役所勤めをしたい事務職が事実上仕切る地方から国への発言など効果がないし、そもそもやらないだろう。現実にわれわれ国民が動かすべきはもっと全体的な国のシステムであろう。だれでもできて、しかも簡単な方法としては、世論を高め、国に伝えるということがある。ブログを持たなくても感染症に対して問題意識をもち、できればビジョンを持っている議員を選挙で勝たせれば良い。感染症対策のために選挙に行こう!という結論は「?」な感じがするかもしれないが、国を動かすもっとも有効な手段は選挙なのである。衆参議院戦で40%を切る投票率が70%になればガラリ国が変わる。議員も大臣も国民の顔色をしっかり見るようになる。議員はマニュフェストとして議会で発言する、そうすれば政治が動く。選挙権は成人であれば誰でも持っている。一人の投票にたしかにさほど影響力はない。当然だ。1億国民の1人にすぎないのだから。そうではなくて、国民全体が無力感にあまりにも囚われすぎているということが問題なのである。職場で学校でスーパーでスポーツクラブで「仕事あるんで期日前投票に行って来たよ」などという簡単なおしゃべりがあれば投票率は確実に動く。もちろん、どの党や誰に投票したなんて話題は一切必要ない。投票を当たり前の位置に戻すことで国が健全になるのだから。「そんなことしてもねぇ…」と、知った顔で言いたい人には言わせておけばいい。消極的に政治に意思表示をしない人間は、政治に参加することも議論することも無く、ただ規則や仕組みに縛られるだけの生活を積極的に選んでいるのだから。インフルエンザの件で言えば、ずさんすぎる感染症防止対策にも、備蓄が足りないワクチンや治療薬にも、高すぎる医療費についても、いっさい何も申しません。みなさんでお決めになったとおりで結構でございます・・・と言ってるようなものだ。「自分の一票なんて」と、消極的に選挙権を放棄することは「もったいない」というよりは「危険」なことだと思う。教育や社会によるスポイル(ダメ化計画)がうまくいったということなのだろうか。最低限の約束ごとを守れない身勝手な人間はもっとも危険であるが、自分の意見を持てない言えない人間はもっとも利用しやすいのだから、一部のエリートや特権階級、上層部と呼ばれる人間層にとってはこれほどいい世界はない。これだから弱者と強者の格差は広がる一方なのだろう。「これからは一太刀いれる、そのくらいの気分で選挙会場に行こう」という人が一人現れてくれればこんな長ったらしい文章を久しぶりに書いた価値があるというものだ。ふぅ・・・
2006/01/07
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