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■ 満を持し、半年前からの計画準備も、根底から感覚の違いがあった。 分かっていたのは、秋田からはずいぶん遠い所だと・・・・。■ 時間表からの理解が先行した為に、距離感との間に誤差が生じてしまった。■ その後、この地図を見ると何等問題なく納得だが、初めての沖縄は、想像以上に遠く、島と島ともまた遠い。■ 半年間の未知と、不安と、希望と、夢が、無人島でも短期間は暮らせる程の準備をさせた。■ しかし、その重装備が行く先々の不安を、軽くもしてくれた。■ 準備の半年間は、行くか行くまいか、仕事するか離れるか・・・・・・・。 新幹線!こまち!の乗車券を買まで、葛藤が続く。■ その!こまち!が、プラットホームを離れた瞬間、心は夢にまでも見た「珊瑚礁の沖縄」でいっぱい・・・・・・・・。■ 一瞬、間を置いて、込み上げる女房殿と後継者、子ども達への感謝の念であった。
2008.10.31
■ 初めての沖縄、息子達その嫁さん達からの、安全祈願のお札、お札・・・・・・。 ありがたいものだ。■ 半年の準備を通して、電車、船、バス、歩き。 飛行機、レンタルカー禁止。■ よりゆっくり、より長くをモットーにした。 出発の秋田は、雪はなかったが、痛いほど寒い朝だった。
2008.10.29
■ こんな年は記憶にない。 例年だと、10個以上の台風の攻撃受をけ、インパチェンスの受難が続くのだか、今年は違った。■ 8月始め、その台風対策として、丸刈りカットを実施した事も、今この姿の維持持続があるのかも・・・・・・・・。■ 秋田も急に寒くなって来た、山添地方はぼちぼち「あられ」かなぁ・・・・・。■ しかし、私は執念をもってして、あの暖かい沖縄を飾る「インパチェンス」を、秋田の雪の白さと、競演させたい。■ 花は、人の語り掛けを理解すると言う。 このごろ、毎日熱心に「綺麗だ、とっても綺麗だよ・・・・・・・雪の降るまで!がんばれ!よ、と」。■ ある日、近所の子どもに・・・・おじさん・・・・大丈夫?・・・・・誰とおはなししてるの? だって【PR】50周年記念で300G増量♪薬用入浴剤ヤングビーナス2.7KG3,150円
2008.10.29
■ 「夢へのスタート」と言っても、過去長い出張でも一週間。 それも、行き先は沖縄とだけ、帰りは全くの未定ままに。■ さかのぼる事半年、家族との話し合い。 二社、各々の社長息子二人との話し合い。 マンネリ化している常とは真剣さが違う この時すでに、「探し旅」の50%の成功を確信したものだった。■ 女房殿にも、子供達、孫達にも、それ相当の心配と不安を残しての出発は、申し訳なかったが、心地良さもあった。■ 写真は、秋田駅への見送り、この孫も今は、中学1年サッカー部。■ 「南の風」まさにこの心境、半年間夢見た沖縄を、一点に凝縮するなら・・・・・・・・・・ サラリーマンと脱サラの人生を、一点に凝縮するなら・・・・・・・・。 1999年3月4日、秋田駅を出発【PR】伊是名島のもずく500g787円~
2008.10.28
■ 「還暦、沖縄ぶらり人生探し旅」。 脱サラし、二つの事業を起業し、二人の子供にバトンタッチ。 トラック競技のリレーのように・・・・・。■ 還暦と言う、私の都合だけで。 昔から、「虎は子を自らの手で、千尋の谷底へ突き落とす」と言う。■ それでは、「人間は自らの手で、自らを千尋の谷底へ」・・・・・・。■ そんな事から、一度も伺ったことのない「沖縄」を、全くの無計画あしたのアポイントを今日取る、終わりを決めない旅で、さ迷う事となる。■ 古稀の今、自分メモリーと家族への電子メモリーも兼ね、改めて紐解く事にした。■ 写真は、10年経ったアルバム三冊、あの時に今の思いも付け加え・・・・・・ 家族へと、倅(せがれ)達へのメッセージになればと・・・・・・・・・。【PR】楽天ランキング1位獲得♪日本の秘境、沖縄県西表島の黒糖
2008.10.27
■たった34年で、しかしその人によっては、もう34年も経ったんだ。と■昔を知り、今中国を訪れる者すべてが問われる奇怪な感傷ではあるまいか。■写真は、34年前北京市故宮、紫禁城内を闊歩する!当時最高のファッションで誇らしげに語り合う、現地の貴婦人。■歴史、そしてそれ等の価値観は、何年をスパーンに計られるものなのだろうか・・・・・・・・・。■ひとの振り見て、わが振り直せ・・・・・・か。
2008.10.26
■今日、秋田ビューホテルに於いて、秋田市民生協、県南生協、由利生協の三生協「創立記念式典・レセプション」開かれる。 ■東北では、秋田県だけが統一出来てなかった。 これでようやく「生活協同組合コープあきた」の誕生となった。 ■今後の「生活協同組合コープあきた」の任務は大きい・・・・・・・・・。 それは、食の安全、食の安定、食の安心が課題なのだ。 ■因みに、私の出席は「生協虹の会」の一員として。 「虹の会」とは、商品納入業者(80数社)の親睦会。
2008.10.25
■ 「還暦、沖縄ぶらり人生探し旅」と、生意気にも!大義!を作り、気の向くまま、無計画の沖縄旅。■ スタートして10年、始めは本島、八重山1ヶ月半。 2、3、4回目のほとんどが八重山諸島。 ほぼ1年おき、1ヶ月~1ヶ月半。■ そんな時、「石敢当」との出会いがあった。 行くたびに、親しくなった現地の古老達から、その歴史や言い伝えを聞いた。■ 先の「先生」とは、若干の差異はあるものの、大方は共通の説明だ。 道角に怨念が宿り、道の突き当たりには、魔物が突き当たる、と言う。 それを、「石敢当」が打ち壊してくれる、と■ 私の「石敢当」は、故郷の太平山中腹から採取の自然石(高さ45センチ・自筆、自彫り)。
2008.10.24
■秋田の民謡歌手、男性ナンバーワン「利部梅謡(かがぶばいよう)本名敏夫」が、仲間と共にCDを制作。写真、右端が利部です。 ■以前から何作かを、発売しておりましたが、今回は中々の傑作と見た。 十七曲の編成は、曲、歌い手のバランスが良く、個性にもマッチしていた。 ■民謡愛好家からの注文も多いようだが、国内全域からは、私がフォローして上げようと提案。 ■なにせ、従兄弟のことだもの・・・・・・・・・・・・・(笑)。 ■価格は1巻→2、000円 運賃は1巻→80円 ■お申し込みは 電話・018、835、8051 FAX・018、832、8388 □大一商事株式会社 ■この機会に、ぜひ秋田民謡の調べをお聞きください。
2008.10.23
■ 過日、歴史作家!土居輝雄先生!の案内による・・・・・「佐竹城下を歩く会」に参加した。■ 40人ほどの参加で、ハンドマイクを持つ先生を先頭に、普段の街をのろのろゾロゾロ。■ 行き交う人の怪しき視線、急ぐ主婦も立ち止まって振り向く猜疑。■ 洗濯屋の前を通った時には、オヤジが窓越しに(おッ!後期高齢者の陳情デモ隊か・・・・・・?)と・・・ 図らずも聞こえてしまった。■ この日の課題は、中国大陸南部から、琉球、沖縄に伝わり、いつしか秋田にまでも伝わった「石敢当」散策である。■ 秋田市には、楢山、南亀の町を中心に28基を確認とか。 その内の4基を見聞。江戸時代のものだと言う。■ 先生曰く「石敢当」とは、古代中国の猛勇の名前だと言う。 道のT字路、クランク路地の突き当たりに魔物が住むと言う。 その魔物を、「石敢当」を以て打ち果す。■ 洗濯屋!はたして、我々一団を・・・・・魔物と見たかァ!・・・・・・。
2008.10.22
■ 日中国交回復後、そして初めての本格的な経済交流「北京農業展」・「北京工業展」、34年の歳月が過ぎた。 休館の度、暇さえあれば<北京市一、中国一のメインストリート!長安通り!>を散策。■ やはり、何と無く着いて見れば「天安門広場」。 我々の親の時代、御上りさん(上京)時、皇居(宮城)に足を運び、二重橋を見る事で心を癒す。 そんな心境に、似てたかなぁー・・・・・・・・。■ 写真は、天安門、故宮紫禁城内・・・・・・。 中央左、下に3人の人影 その中央、大理石に龍(皇帝の象徴)の大彫刻、その両側に細い階段 輿に乗った「皇帝」が龍の上を通過、その担ぎ手が細い階段を掛け走る。 右の黒い石段は、皇帝に次ぐ高官の通る道。■ 歴史の源流として考えた時、中国の歴史3、000年、或いは5、000年ともなれば・・・・・・・。 我々の、縄文の時代までさかのぼることとなる。
2008.10.21
■ 紅葉間近、澄み切った秋空に「太平山」が浮かぶ。 何時、何処から見ても!故郷の山!は、懐かしさ、暖かさを感じるものだ。■ そこには、少年時代の追憶、家族の語らい、友達との優しさがある。■ この写真は、秋田キャッスルホテル7階レストランから、手前千秋公園お堀、左手前国学館高校、右下広小路も見える。■ なんと、今はこのお堀の下を、車専用のトンネルが開通した。南北に走る「JR線秋田駅」に対して、十字に走る東西線。■ トンネル開通前、身内のある人にこっそり聞かれた,トンネル開通すれば、あの堀の底にいる!鯉や鮒!が、良く見えるべな・・・・・と;■ その人は、時代遅れや、バカな人ではなかった? 我々より遥か先に、先進水族館を数多く見聞、トンネル型の大水槽に圧倒された後遺症未だ取れず、不眠症の現在とか・・・・・・(笑)。■ そう言えば、青函トンネル開通の時も、 オラもこの機会に行って見テェー、海草や魚の泳ぐのを見るだけでエェー・・・・・・・・・と、言ったとか、言わなかったとか・・・・・・・・(笑)。
2008.10.20
■ 豪華フェリーの埠頭を、隣接の秋田セリオンタワー100メートル展望台から望む。■ この時は、すでに多くの車と、観光客を乗せ出航の後だった。■ 日本海の夕陽は「天下一品」 そう言えば、数年前に東京湾から沖縄那覇港、尚も宮古島経由石垣島までの大型フェリー片道4日間。■ 日の出を左舷に仰ぎ、うとうとしなから物思いに耽る。 やがて、傾きかけた陽光が右舷に沈む。 こんな、映画かぶれの経験がしたくて出かけたは、今は昔。■ その時々の「夕陽」も、やはり忘れる事が出来ない「天下一品もの」だった。
2008.10.18
■ 先般、「大分県国体」が閉幕された。 昨年同期、この秋田県立中央運動公園のオーロラビジョンが、アスリート達の勇姿を映し出していた。■ 時の移ろいは早い、二度目の紅葉が来て、間もなく二度目の冬が来る。 しかし、あの一競技、一種目にかけた精魂が、見るものに与えた感動今にも。■ あの選手諸君が、今何をして居られるものか・・・・・・・・・。 選手を継続されている方、社会人として歩まれている方。 道は違っていても、人に感動を与えられる人は、必ずひとからの感動を得て成長する、と私は思う。■ 世界記録、日本記録に挑戦することも立派だが、 私は、自分の限界に挑む、直向きな態度そのものが好きだ。■ 写真は、静寂な運動公園に小鳥の鳴き声を聞くにつけ・・・・・・・。 「奧の細道」 ・・・・・夏草や兵どもが夢の跡・・・・・と。
2008.10.17
■ 江戸の昔は、「北前船」で大繁盛。 その昔、日本海側を表日本と言ってた頃だ。■ 写真、豪華船は、全長199、9メートル 総トン数18、000トン 航海速力22、7ノット(1ノット・約2キロメートル)。■ 敦賀→新潟、12時間30分 新潟→秋田、6時間30分 秋田→苫小牧東、10時間20分■ 新日本海フェリーでは、「日本海を行く、くつろぎのクルージング」として、大好評のようだ。■ すでに日本海時代到来、細長い日本の中にあって、今一つ、地の利に恵まれなかった、我が秋田も「大陸には最短の距離」。■ その為には、先ず人間力を付けなければならい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。■ 海の玄関口から入る、秋田はとても素晴らしい・・・・・・・・・。
2008.10.16
■有名な画家の作、毎日眺めては、日々成長している孫たちを思わない日はない。 ■その孫たちは、二人兄弟のいとこ同志、つまり父親が兄弟だ。 ■現実は、中学一年生を頭に保育園のお嬢までの4人。 この絵を入手した動機も、やがて各々が成長し、親元を離れ自立するであろうこと。 ■核家族化、小子化が進む今「従兄弟関係」こそが、最も大切に取り扱われなければならない、と私は思うのです。 ■子供達がそう思うはずはありません。 親を初め、周りの心ある人達がサポートする事です。 ■この孫たちも、やがて私の年齢に達した頃に、同じ夢を見、同じ期待感を持てたとしたら・・・・・・・・・その世も、やはり素晴らしい世の中になっていることだろう・・・・・。 ■家族、一族を思いやる、優しい思いやりと、勇気に満ち溢れたた人になってほしいものだ・・・・・・・・・・・(笑)。
2008.10.15
■国道13号、大仙市を南下、やがて右側に勇ましい「騎馬武者」(写真)が現れた。 ■「雁の里・せんなん」、大きな立派な像は!八幡太郎義家!か。 <後三年の役>、飛び立つ「雁の羽音」で敵武者の存在を察知、即座の攻勢で大勝利、世の流れを変えた。 ■こんなにも、穏やかな山村風景の中にも、この見事な像を見ていると、・・・・・・・・・。 後ろの方から、横の方から、山の裾野からザワザワと不気味な風音がして、馬のいな泣き、人々の逃げ惑う悲鳴が聞こえて来るような・・・・・・・・・・。 ■妄想も、ここまで来させる「道の駅」・・・・・・・・・・・一句出来ました(笑)。
2008.10.14
■祭日の今日、女房殿と「道の駅」巡り。 午前早めに車で出発、4ケ所を隅からすみまで、見て回った。 今日は秋田県南地区。 ■今の「道の駅」はとても楽しい。 農産物、木工品等々その地域の特産品に触れる事が出来る。 ■ある「道の駅」では、中高年30人ほどの男女の、見事な大コーラスの発表会に遭遇。 大昔、少年時代に習った「童謡」の数々は、玄人跣(くろうとはだし)。 ■とうとう増田町「釣りキチ三平」の、ふるさとまで来てしまった。 天気が良く、「三平たち」には大歓待を受け・・・・・・・・今日は、さすがに!大安吉日! ■「道の駅」行くところ、行くところから、帰って来て見れば、他愛無い数々の買い物、反省しきり。 ■それにしても、大型店やコンビニでは考えられない商品の数々、どんどん繁盛して欲しい。 今日一日で、大変に若返ったような気がする。 これが、社会との営みと言うことなのだろう・・・・・・・・ありがたい事だ。
2008.10.13
■この二日間、行楽の連休「小品盆栽展」は大盛況の人出。 ■写真は、18卓の出品中、小生の出展品です。
2008.10.12
■第24回「秋の小品盆栽展!」始まる。 秋田駅前・アトリオン地下一階に於いて。 ■私達会員の、日頃の傑作をご覧頂きたい。 会場では、講師加賀先生の指導による、「小品盆栽相談コーナーを開設。」 ■尚会場では、苗木、小鉢の即売コーナーも開設しています。 ■最近の傾向として、ご年配お若い女性に、殊更の大きな人気のようです。 ■会では、会員募集も合わせしています。 毎月、第一土曜日・午後1時から午後4時。秋田市茨島コミュニティセンター 会費、月1、500円 年間、春・秋2回の展示会開催。 ■今回の会期、今日、明日。 つまり10月11日・12日の2日間です。
2008.10.11
■ 小学3年生の孫が「学年、秋の持久走大会」大きなグランド3周、に出場。 一組23人中、11位。■ この子の4歳上の兄は、当時この持久走は常にトップクラス。 家族にも、仲間にもちやほやされていた。■ この次男坊、走ることには余り意欲が無かった。 ところが、今日は違っていた、目をギラギラ輝かし、最内側にコースを取った。■ ヨーイどん、と先生の合図の前に「孫」が飛び出した。 フライングだ! 孫には、いつも言っていた(スタートが一番大事だと!)。■ 善戦及ばず11位になったが、勝とうと思い全力を尽くしたあの姿に、心の中で涙ながらの声援を送った。■ 終了後、当人と会いこの子の誕生以来最大の賛辞と期待感を伝えた。 最後にポロり、ボクも兄さんのように勝ちたいんだよ・・・・・と。
2008.10.09
■ 味覚の秋、収穫の秋到来! この季節、各方面から様々なニュースを目にする。 昨日、孫娘のお世話頂いている保育園の「イモ掘り」遠足があった。■ 孫は、袋に大きな土の着いた!さつまいも!を入れ、自分が掘ったものだと、胸を張り興奮覚めないまま帰って来た。■ さつまいも、のみならず何でもが、スーパーで作られていると錯覚している「今どきの子どもたち」に、計り知れない、社会、実践勉強だ。■ 幼年期に修得しておかなければ成らない事が、いろいろあるが、自分の食べる物への興味こそが、生きる事への原点だ。■ (写真)今朝、孫娘が「お母さんと一緒に造ったの!」と、持って来てくれた。 くり金団(きんとん)ならぬ、いも金団。■ 世の中に、こんなに美味しいものはなかった。 自分のあの頃までさかのぼれる、感動、感激、思い出の味わいまで・・・・・・・・(笑)。■ 味わい深い、孫娘のいも掘りと、それを企画実践してくれる保育園の先生達に、深く深く感謝を申し上げたい。
2008.10.08
■ 暇があると天安門広場、前門、瑠璃チャン周辺をぶらぶら。 ■ 写真は、北京市長安通りに面した「天安門」をくぐり抜けた「故宮」、つまり紫禁城の皇帝玉座だ■ 時の権力者を象徴する、玉座とその周辺は、豪華絢爛に満ち溢れているが、私は何回見ても、寒々とした冷たいものより感じ得なかった。■ この故宮の中に、半日余り目的も無く、ただボーッとしていた事がある。 当時は、ツアー観光の無い時代、来場者もまばら・・・・・・。■ 静まり返った城内の敷石が、どれ程の人々が、どれ程の年月を駆けると、あのように変形するものか・・・・・・・。 そんな事を思いながら、踏み石の一つ一つを探索していると・・・・・・・ 城内に、大軍勢の喚声と共に、人馬のどよめきが聞こえ、広い城内を一瞬の内に埋め尽くし、勝鬨の声・・・・・・・・。■ 夢心地でうとうとしてたら、お客さん、お客さん、閉館だそうです。 遅れると出れなくなるそうです。 そして、激しい音律のチャイナメロディー。 見たこともない中国人が、日本語で私を起こしてくれた。■ さっきの「歓喜の声」は、わからない中国語の場内放送、ドラ、笛、太鼓の楽団は場内BGMか・・・・・・。■ 夢、幻とは・・・・懐かしい・・・・・・・・(笑)。
2008.10.06
■ 1974年、34年前「春の広州交易会」に参加し、初めて知る事となる「文化大革命(プロレタリア文化大革命)」。 1966年に始まり77に終結。■ 私達の訪中頃は、その激しさも終結に近い国内情勢。 新中国としての、活気に満ちた人々の眼差し、雰囲気が見て取れた。■ その兆候として、我々外国人への興味、仕草を見逃しまいと、常に周りに人垣が出来る。■ 写真は、ホテル広州賓館をのぞく民衆、我々の外出を見届ける一般市民。■この一人一人が、生きる事に対する情熱、仕事に対する執念・・・・・間もなく知る事となる。■ 路上で、フと立ち止まっていると、ニコニコ近づいて来て、私の給料、年間所得、工場の生活環境、工員の給料待遇、等々。 決して嫌み無く、日本人の実状を知りたい・・・・・と言う・・。■ 殊に、子ども達の目がキラキラ光っていたのが、印象に残る。
2008.10.04
■ 日中国交回復直後の34年前頃には、中国への入国はほとんどが、ホンコン、深セン経由、この広州駅。■ 当時の広州駅は狭かった、今はきっと華南を代表する「大国際ステーション」になっているのでは・・・・・。■ 昔から、「食は広州にある」。 私の最初の訪中はこの時「春の広州交易会」、10日ほどの滞在中、毎晩料理店に参拝?。■ それは後で分かったことたが、生き物、動物、昆虫、家畜への感謝と供養に行くのだと・・・・・。■ 34年になるが、未だそのすべてについて、女房殿、子供達には話していない。■ 一例、大蛇のフルコース。さすが本場「漢方食品」。 10人ほどの丸テーブルの上に、直径1メートルほどの金網籠、中には体長1、8メートルほど、胴廻り20センチほどの蛇、2匹。皆が居る前で、籠から手づかみ手際良く、真っ白な皿の上に、真っ赤な肝を摘出。■ これに、数種類の野菜を混ぜ、焼く、煮る、揚げる、8種類ものフルコースとなる。■ 他には、蛙、猿、山猫、犬、コウモリ、さそり、あああああまだまだ・・・・・、この位にしょう。■ すべてが美味しかった、多品種の香辛料が、広東料理の味わいなのでしょう。■ その時の乾杯は、さっき取り出した「真っ赤な肝」を、大きなガラスコップに2個入れ、上から ガバガバと茅台酒(55度)小さなグラスに、入り分け狂気の乾杯となった。
2008.10.03
■ 日中国交回復直後の訪中は、特別なインビテーション(先の展覧会など)の無い限り、入国はホンコン、深セン、広州市へ。■ この時も、ホンコンから深センに入る100メートルほどの距離を、厳重な警備の中、薄暗い部屋で、数度にわたる検問査察を繰り替えされ、あの時の心細さは34年経っても、全く忘れることが出来ない。■ 国交回復直後の広東省広州市での「春の広州交易会」への参加の為だった。 この時代、中央の大企業は中国入国が許されない時。 つまり、日本からの参加者が、あまり居なかった。■ 写真は、その時に泊まったホテル「広州賓館」。 ホテルと交易会場のシャトルバス、当時の最新型バスは沿道中国人の憧れの的。■ 沿道にはその他に、建物よりも大きなスローガン看板が、至るところにあった。 発展途上の、中国の息吹きが、目から、耳から、肌身から感じたものだった。■ 当時は市内の街並み、道路事情も良くなかった。 近年、訪中してないが、最近訪れた当時の知る人は、 まるで、まるで別世界、別な国、別の街に来たようだと・・・・・・・。 浦島太郎は何百年で帰って来たんだっけ・・・・・・。 たった34年、発展すると言うことは凄いことだ。 発展すると言うことは、恐ろしく怖い事でもある気がするのは・・・・・・なんなんだろう・・・・・・・。
2008.10.02
■ 秋田港「セリオンタワー」の対岸、向浜にある…東北製紙(段ボールライナー)…。 100メートル展望台から■ 見たこともない、小島のような巨大タンカー、パルプ原料の木材チップを運んで来るとか。■ 何十万トンタンカーだろうか・・・・・・・木は植えられ、育つと言う。 しかし、度々の入港を見ていると、その木材の量、段ボールの膨大さ・・・・。■ 秋田、青森県境の広大な「世界自然遺産・白神山地」が、あの巨大タンカーでなら、何杯分だろう・・・・・・・。■ 確かに、不謹慎な話しだが、南米アマゾン流域の荒廃などのニュースを聞くにつけ、心が痛む。■ この工場へは、カナダからの入荷と以前聞いた事がある。 いずれにしても、一歩一歩文明が必要悪を重ねながら、地球環境を変えて行く・・・・・。 間違いなく、その片棒を私も担いでいるのだろう・・・・・が・・・・・(苦笑)。
2008.10.01
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