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■ 昨日、夕陽を見た100メートル展望台「セリオンタワー」の直下、目がくらくら、足がガクガク。■ すれ違う車が、とてもカラフルな色の多い昨今、天上から見てホワイトカラーの多いのには以外。■ そう言えば、私の愛車も白だった。 この展望台は、秋田港の名所の一つ、広い埠頭の一角にある。■ 埠頭では時々、大きな催事をやる、この日は中古車市を開催。■ 気候変動、温暖化、海面上昇・・・・・1、5メートルで・・・・・・・「100メートル、セリオンタワー」が海の中。■ まさか・・・・・・と思うのだが・・・・・・もしかして・・・・・・と思わせられる自然の脅威と人間の欲望・・・・・・・。■ ここへ来る度に、いつもこんな気持ちになるのです・・・・・・・。
2008.09.30
■ 昨日は秋田も晴れた、夕方になり日本海、つまり西の空には大きな厚い雲はあったが、薄いガス雲は無かった。■ この季節、運が良ければ日本海が、沸騰するのではと思わせる「夕陽」が見られるのです。■ 日没時間、午後5時27分。 そそくさと、車で駆けつけ100メートル展望台セリオンタワー・・へ・・・滑り込みセーフ。■ しかし、残念ながらご覧の通り。 わずか前までは、期待を持たせて置いて・・・・。 同じ思いで来ていた人…曰く…あなた今日、なにか悪いことしなかった?・・・・・・・・。 そんなこと言われても・・・・・(笑)。
2008.09.29
■ 秋田市内、中学校サッカー大会新人戦が始まった。 雪が降って来そうな寒い空からの雨、選手も応援団もぶるぶる。■ 孫も一年生ながら、良く頑張っていた。 ボランチとかの位置で、頭一つ大きい相手選手を、ほぼ完璧にガードしていた。■ 家族の中では、まだまだ「童」と思っていたが、あの広いピッチを縦横無尽に走り回り、競り勝つ姿。■ 私が野球をやる姿を、孫達に見せることが、孫達の興味と喜び、勇気をも与える事が出来るのでは・・・と・・・。■ いつの間にか、それが、なんと・・・・・目の前で、まだまだと思う想像をはるかに越える、個人技とチームプレー。■ 爺の日頃の指令など耳に入らぬ孫も、監督、コーチの小さくささいな一言一言に、機敏に反応しその場に対処。■ 間違いなく、これからは爺の私が感動を頂き、喜びを頂き、勇気をもらう立場になったようだ。■ 一族三代、一族五代と云うが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(喜)。
2008.09.27
■ 30周年を迎えた、「全県大会」49歳を最若年に、上は80歳代まで。■ 若いから上手とは行かない、70歳代だから弱いとは限らない。 それが、30年もの築き上げて来た伝統だ。■ グランド、ダイヤモンドの狭い規格を、上手に計算し相手の気負い、ルール熟読の円熟さ。 これ、若者を凌ぐ、高齢野球少年の極意なり。■ もう一つの「極意」が、高齢野球少年にはあるのです。 野球技術向上の前に、自分自らの健康競争に勝つ試練。 若者と覇を競う、原点となるのです。■ 若者達に申し上げたい! 60代の野球は楽しいぞ、70代になっても、80代でもだ・・・・・・・。■ グローブを持つのはその時になってからでいい・・・・・・・・・。その時に、グローブを持てる、健康で明るい自分を、今からイメージし摂生を、怠らないでほしい・・・・・・・・・・(大笑)。
2008.09.26
■ 1年間の目標「全県500歳野球大会」に出場し、皆さんのお陰で、掛け替えのない感動を得ました。■ 過去最多170チームでのトーナメント、4戦し(3勝1敗)ベスト16。 1投1打、365日の集中をその一点に注ぐ。 夢だねぇー、ロマンだねぇー・・・・・・・。■ 昨年は1勝も出来ずに、この悔しい気持ちで1年を過ごした。 しかし、これからの365日、より上を目指し、わくわくした気持ちで過ごせる。 何と幸せなことか・・・・・・(笑)。■ 実は、我がチームの主戦投手と私の年齢差「20歳」。 私は500歳野球の、一番大事な役目を担っているのです、言うなれば年齢貢献と言う、若い選手には成し得ない「業」が・・・・・(笑)。■ 鬼に笑われてもいい・・・・ 来年は、「業」も然る事乍ら、一挙手一投足の流れが勝利に貢献出来るプレーヤーを目指す・・・・・・。■ 来年は、年齢的にも大台に乗る、このままずるずると若い者達に先を越される訳には行かない。■ 人生終盤、若者達にも通用する「ロートルパワー」の全開を期したい・・・・・・・(笑)。■ 今大会の主催者、我がチームの皆さんへ、深く深く感謝を申し上げたい。 日ごろから、訓練を頂いている「カガブくんリーグ」の皆さんにも感謝
2008.09.25
■ 1972年、日本と中国 が国交を回復した。 その第一の交流として、北京に於いて「農業展」・「工業展」を、二年に渡って行われた。■ 友好ムードの中では、とにかく日本から来た「友好親善訪中団」には、中国の伝統文化の全てを、ご覧いただこう・・・・・・・。■ 毎晩のように、ホテルの玄関に大型バスが迎えに来る。 写真は、北京市内のとある劇場での「革命歌劇」である。■ 当時はまだ、文革の色濃い世相、このような勇ましい文芸ものは、殊の外多かった。■ 当時は、ホテルの中の照明も暗く、暗い夜道を走るバスもなぜか、前照灯は点けずスモールだけ。■ 劇場内は追って知るべし、入口から真っ暗、どこが客席なのかも分からない、劇場もあった。■ あの頃はそれでも感動したものだった。 外国人向けが間に合わず、言葉も、意味も全く分からず、迎えのバスが来るまで、2時間、3時間とそれらを見せられた事も、今ではとてもなつかしい・・・・・・・・・・(笑)。
2008.09.22
■全県500歳野球、2日目は雨のため明日に順延となる。 昨日の第1日目で、170チームが半数となる。 ■出鼻をくじかれた今日の中止が、吉と出るか凶と出るか?・・・・・・。 ■只、1日延期になることは大変大きな意味を持つのは、若い有力選手ほど休暇の変更が出来にくいことだ。 ■そんな事から、大きな番狂わせが続発する。 それに秋田県は広い、明朝の第一試合チームなどは、今晩から現地集合しているのではなかろうか。 それにまだまだ、今が盛り「稲刈りシーズン」だ。 これも因果な話し、雨が降ると稲刈り中止、天気が良けれゃ野球が始まる。 ■豊作と優勝旗のダブル獲得は「至難の業」かも知れんのーー・・・・・・・(笑)。
2008.09.21
■ 全県500歳野球大会の開会式が、秋田県大仙市神岡球場で、朝7から行われた。■ 過去最多の170チームが、グランド狭しとプラカードを先頭に堂々の行進。 この時ばかりは、一人残らず自分を「あの頃の野球少年」と、思い込んでいた。■ 大会は30周年の記念大会、過去の貢献者、記録保持者等々へ表彰で、大喝采。■ この大会を見る限り、秋田県民高齢者には、病院とは縁遠いものと思われる・・・・・・・・・。■ この熱狂的ロートルパワー高気圧の影響か、猛威を震い北上続けた、台風13号も遥か太平洋上に消えた。■ この5日間、雨の心配全くなし。 この上は、勝って、かって、勝ち残るのみ。
2008.09.20
■ その日は「展覧会」の休日、乗った路線バスは定員数をはるかに越え、身動き出来ず乗車賃払えず下車。 よくある事だったらしい。■ パンダの噂は聞いていた、しかし見たことが無かった。 北京市動物園は、とにかく広かった、行けど歩けどパンダ舎がない。 当時はまだ、外国人観覧は想定外だったらしい、案内板が不備。■ 記憶では、国交回復後しばらくして「パンダが日本に来た」、私の面会時(34年前)には、まだ来てなかったと思うが・・・・。■ 最初の印象は、猫であるようで猫でない。 熊であるようで熊でない。 しかし、そばに行くと圧倒される大きな身体。■ その後のパンダ人気急上昇の原点は、性格穏やか、見た目愛くるしく。 パンダに似たぬいぐるみ、ではなく「ぬいぐるみに似たパンダ」が、ひとの心を魅了した。■ 早朝から終日、世界の動物を揃えたマンモス園を、つぶさに見て回った記憶はある が・・・・・・・・・。 後日、珍しい多くの動物達を、思い出そうと思っても、出てくる画像は「パンダ」だけ・・・・・・(笑)。■ 今は、きっと東洋一の、いや世界一の動物園になっていることだろうなぁー・・・・・・・。 あの・・・・路線バスがあったら・・・・いつか乗って見たいものだ・・・・・きっときっと、あの時見た夢の再現が、あのバスの揺れ、混み、匂いと共にあるのでは・・・・・・・。
2008.09.19
■ 台風、沖縄八重山地方へ接近中!と・・・・・ニュースが流れ。 被害がなければいいがと、思っている内に・・・・・。■ 台風さん、台湾へ行ってしまった。 もう温帯性低気圧にでもなってなくなったと思ってた。■ なんと何と、温暖化ともなれば、台風までもが「ど根性台風」となるのか?。■ 我が家の「インパチェンス」(写真)を目がけ、又々鎌首をもたげ北北東に進路をとる。■ 今満開、近所周囲を楽しませている絶品「インパチェンス」を守らねば・・・・・・。■ 如何なる台風をも、迎え撃つ準備は出来ておる。 先の「丸刈りカット」がその為だ!。■ 台風君よ!・・・・来るなら来てみろ。 用意周到に準備を進め、爪痕一つ残させてたまるか!・・・・・・・! 来たらそのまま、返り討ちにしてあげるわ、思い知れ・・・・・・・・!。
2008.09.18
■ 一年間、それをイメージし、事あるごとに足腰の関節を意識し、疲れる部分から率先して鍛え上げる。 誠に涙ぐましい努力である。■ 全県500歳野球は、文字通りの自分との戦い、老いとの戦い、痴呆との戦い、神岡町までの長距離運転との戦い・・・・・。■ 今年は過去最多の170チーム、日程5日間、優勝するには7試合。 球場11ヶ所。■ 毎年の事ながら、朝4時起床の開会式は7時から。 170(チーム)×20(人)=3、400人 他に、大会役員、審判、吹奏楽団、花火師・・・・その他世話係り・・・・・・・総入場者数3、700人を越える。 あの大球場の、きれいな人口芝が見えなくなるばかりか、選手、人で埋め尽くされる。■ 私は、今年の大会で10年連続出場となる。 大会会場には多くの、友人知人が出来た。 親しい中にも礼儀あり、そこに居ない選手の消息を聞くべからず。■ この歳になって見れば、出れない、出られない事情など、何百もある。 皆それを知っている、一年ぶりにあった名前もチーム名も分からぬ、それでいてしっかり手を握り、励まし合う・・・・・。■ 年寄りも、なかなかやるもんだ。 揃いのユニフォームで、グランドにすっくと立てば、そこには、目を輝かす紅顔の美少 年・・・・・・・・今でも、そんな気分になれるから不思議だぁー・・・・・・・・・(笑)。私の500歳野球の、エネルギーは「カガブくんリーグ」に有ります
2008.09.17
■ 毎年この時期、秋田市全市一斉に、全ての行事を取り止め、地区体協の音頭で地域、地区の老若男女が集う。■ 素晴らしい行事だ、近年の少子化、核家族、個人情報云々で「町内会」は機能せず。 隣の人は何する人ぞ?・・・・・。■ 大人達が主動する運動会に、子供達が大勢参加し、校長先生が来賓の挨拶(写真)する。 こんな素晴らしい事はない。■ 少年の頃、運動会には爺さん婆さん家族全員が、重箱に食べきれない料理と酒を持ち込み。■ 部落(町内)上げ応援団を組織、接戦クライマックスには重箱等が飛んで来る。■ 何時かの年には、後ろで大人達の大ケンカが始まった(いつもの事だった)。 きっと勝敗の判定が不服か?!・・・・・ 。 二人とも頭から血を流していた。■ 隣のおじさん同士、さぞかし重大な事かと思いきや、酒を飲み過ぎて、お互い持って来た重箱を取り違え、お互い食ってしまった。■そんなこと、こんな事の昔話は通用しなくなった今が、何かさみしい気がするなぁー・・・・・・。
2008.09.16
■ 今、秋田市文化会館に於いて、秋田県秋石会主催の「名石展」が開かれている。 ■削り、磨きをかけた「美石の部」、自然石そのものの「水石の部」。 広い会場に、多数の来客を迎え、自慢の作を誇らしげに説明していた。 ■ 〔石徳五訓〕 特別ご披露 一、奇形怪状無言にして能く言ふものは石なり 一、沈着にして気精永く土中に埋もれて大地の骨となるものは石なり 一、雨に打たれ風にさらされ寒熱にたえて悠然動ぜざるは石なり 一、堅実にして大厦高楼の基礎たるの任務を果たすものは石なり 一、黙々として山岳庭園などに趣を添え人心を和らぐは石なり 永平泰禅九十四翁 (永平寺貫首、泰禅禅師揮毫より)
2008.09.13
■ 私の所属する、軟式野球「ASカガブくんチーム」。今年もあれこれ、25試合ほどの消化でしょうか。■ 孫のような名選手に、励まされたり煽(おだ)てられたり。 当チームは、ヤングは大学生から老は古希まで。■ 今、チームの一員として思う事は、昔の家族、少年頃の部落の大人と子供。 歳の差、経験の差を越えて、全く同じくなる目線の貴重な事を。■ 今時にして、人間社会の世代間に不信不安が渦巻く。 少子化、核家族化の進む中、当然の社会現象なのかも知れないが。■ 何か、手立てはあるのではないか・・・・・・と私思う。 今時の若者の逞(たくま)しさ、利口さ・・・・・・。 歳の差ではない、目線を等しくする事だ。■ 私が欲しているように、彼ら若者達も我々の経験と強(したた)かさを求めているのです。■ 還暦を過ぎたら、古希を過ぎたら、勇気を持って今時の若者達となんでもいい、目線を合わせ、心を合わせて見ようじゃないか・・・・・・・世の中が、広く明るく見えてくる(笑)。【PR】私も使っています『古稀魔球の生みの親』
2008.09.12
■ 今までは、悪天候が続く、寒くなるのが早い等と、異常天気を罵ってきたもが・・・・・・・。■ 8月よりも、9月の方が気温が高く雨も降らず雲のない日が多い。 なんとしたものだろうか。■ 沖縄の作物が九州で採れ、関西のそれが東北で、あきたこまちが北海道の田んぼが美味しい等と・・・・・・笑い話にもならない。■ 台風が来ない!と喜んでいたら、宮古島の友達からメールで、大変な台風が来そうだ、今飛ばされないよう準備に大わらわとのこと。■ 秋田にこの台風すらも来なかったら、近年にない大異常のシーズン到来となるかも。■ 今日の「県立雄和運動公園(写真)」は雲一つない秋空、気温30度。 今年で10年、怠りなく続いてきた「雄和トレーニング」、日に日に熱が入る。
2008.09.11
■ 秋田駅東側、秋田市拠点センター「アルヴェ」14階展望室から・・・・、太平山(ここから15キロメートル)を望む。■ 故郷はその手前、ここから12キロメートル。 それはそれは美しいところ(笑)。 朝日は太平山の肩口から登り、尾根に降る雨は大森林を潤し、沢にまとまり田んぼに注がれる。■ つまり、裏山に降る雨が木々草木に浄化され、生活排水とは無縁の農業地帯。 米、畑作の美味しいこと天下一品(笑)。■ その手前、ここから2、5キロメートルに我が小社。 その処に、人生初の自宅建築、40年前。■ 感無量、40年前のこのロケーションには(写真)、きっと左端に手形、赤沼地区がわずかに写っていたのでは。■ その頃、この地を煙りモクモクSLが走り、2、5キロメートル離れた我が家の二階からも、その勇姿が見えた。■ この視界の95パーセントが、大穀倉地帯、水田であった。 そこには、ぼつぼつ高層マンションが見え始める。■ 折り返して40年後、きっと雨後のタケノコの如く、高層ビル群が林立し、我が故郷の山「太平山」の勇姿が見えなくなるのでは・・・・・・・。
2008.09.10
■日中国交回復が1972年。 北京での「農業・工業技術展」は、74年と75年。■国交回復後、日中間の歴史的最初の人的交流会。 全国から200名ほどの参加の中で、秋田県からの参加は私一人。■対中国戦後補償色濃い、技術、ノウハウ交流会は中国側から大変な、おもてなしを頂いた。 10日に1回ほど歓迎レセプション、5日に1回ほどの中国芸術、芸能の夕べ招待。 その他、毎週近場の観光、遺跡見学。■新中国、初めての日本人招致で、中国料理店利用の格安割引。 3日に1回、写真のような大宴会が続く。 安かったア・・・・・。■この日中両国が初めて経験する、友好平和協力関係に立ち合い、毎日が身の震える感動の連続であった。■これが、74年に45日、75年に45日。 合わせ、3ヶ月の体験が、その後の私を作り、その後の私の家族に大きな影響を与える事となる。
2008.09.09
■天安門前、長安通りセンターラインに立ち東を見れば、突出した高層ビルは「北京飯店」だけ。■その「北京飯店」前(写真)の、長安通りセンターラインから尚東を眺望・・・・・・・・。■何と、道幅100メートルの沿道には目立つ高層建築物の姿が見えない。 私も歩いて横断したものだが、渡る決心をした時の左右の交通状況と、渡り終わる頃のそれとは一変して、何度も冷や汗をかいたものだった(笑)。 信号のない、100メートルの車避け競争は正に、命懸け任務遂行であった。■写真は、左にわずか「北京飯店」の壁面が見える。 34年前の路線バス、横断する人もやはり私と同じく命懸け。■しかし、この時代にして半ば政府協力事業の「農業・工業技術展」。 1ヶ月半、2年連続「北京飯店」での超一流の会議、レセプション、接待を受けた。■夢のような、中国政府要人との接見、日本側代表団との接点。■この34年間、あの当時この「北京飯店」には常時50ヶ国の人々が出入りすると言われた。 それに、「長安通り」の東の行き着く所、秋田。 確かに、このギァップは大きく思えた。 しかし、何時かは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな思いが・・・・・・・脱サラ、中国物産となり・・・・・・・二人の倅を北京に留学させ・・・・・・・・・・日中友好はアジアの平和に止まらず、世界の平和に必ずや貢献する。 などと、身に余る過大な「夢」を描きながらの34年間・・・・・・・・・。
2008.09.08
■毎年、春秋の「秋田小品盆栽友の会」〔講師・加賀和義先生〕主催の展示会が、秋田駅前アトリオンで開かれる。■会期は、来月10月11日(土)~12日(日)の2日間。今日は定例の勉強会だが、展示品の選定、最後の追い込みに大わらわ。■最近の兆候として、愛好者は若い女性、中高年女性が増えて来た。 中には、普通盆栽をやって来たが、加齢と共に重いものの持ち運び難、と高年男性のグチも聞く。■小品盆栽は、庭の木々への忍耐と、身近な草花の気楽さの真ん中にあり、ペットにはない気持ちの和みが私は好きだ。■何よりも、小品盆栽の仲間いい、頑固さもなく、片意地張らず、暗さがない。 人は、持ち物によって気性が変わると言われるが、確かに。■何十年、何百年の丹精を込めた名木の、ミニチュアを片手にかざして見入るは、至福の限り。 軽く、陽気で明るいは、この辺からの起源かも・・・・・・・(笑)。
2008.09.07
■(写真)は天安門前、北京市メインストリート「長安通り」のセンターラインに立つ。 左に天安門(故宮)、右が天安門前広場(中国歴史博物館・人民大会堂)。■路幅100メートルのセンターラインが水平線の彼方に消えた先。 北緯四十度、そこには我が故郷「秋田」があるのです。■さすが34年前、飛行場の滑走路より遥かに広い「長安通り」も、交通量もあまりなく、閑散とした静かな大通りであった(ご覧の通り)。■今からは、想像出来ない「長安通り」の両側には、高層建築物の影も見えない。 わずか道路左側に、薄くぼんやりと白い高層ビルが見える、これが当時中国を代表し、あらゆる接待レセプション会議が開かれた「北京飯店」その容姿。■たったの34年間で、此れ程までに街並みを替える事が出来た。 このことが、中国の人達の自尊心なのかも知れない・・・・・・。
2008.09.06
■9月5日になっても、気温30度近い、やっぱりこれは異常だ。 お陰様で、我が家のインパチェンスは「満開」となりました。■この20年間ほど、私の玄関前「インパチェンス」がないのは、12月~4月まで。 後の5月~11月まで7ヶ月間は、写真の如くに咲き乱れ(只、他の花は無いんです)。■数年前、沖縄本島を旅した時に、「沖縄戦跡国定公園」近くに、見事なインパチェンスの花壇があった。 そこの管理人から了解を頂いて、種を沢山採集し持ち帰った。 花の美しいのは、それらの子孫であるためか・・・・・? 。■「インパチェンス」は、暑さにも強いが、本来的に寒さには殊の外強い。 今年も台風対策の、後期丸刈りカットを実施。 しかし、待ってるわけではないが、その「台風さん」全く来る気配もない。■来なければ来ないで、気になる温暖化とやら・・・・・・・・。 この分だと、伸び過ぎが心配「みぞれ」来るまで、もう一度の!丸刈りカット!が必要かなーア・・・・・・・(笑)。
2008.09.05
■天安門をくぐり抜け、そこは「故宮」つまり、明代の永楽帝が造営した「紫禁城」だ。 現在は、故宮博物院となっている。■34年前頃は、まだ文革の時代でもあり、一般市民の入館は少なかった。 週一回ほどの城内ぶらぶら(写真)は、とても気分爽快だった。■昨日まで、この城内に於いて!皇帝達の「政」(まつりごと)が行われていた。 かの臨場感漂う「紫禁城」は、心を落ち着かせるものを感じさせる。■中の「故宮博物院」は一級品の、古書、絵画、工芸品が多数収蔵。 しかし、1949年台湾台北に、文物大量に運び去られた。■中国を語る時に、「万里の長城」は無論だが、この「故宮の歴史」、「偉容を誇る紫禁城の姿」なくして悠久は語れない。【PR】痛いところを温めるだけ!自宅で出来る中国温灸フルセット
2008.09.04
■天安門前広場に玄関を持つ「中国歴史博物館」(写真)。 その重厚さと、広さ規模の大きさ。■際限のない中国国内の、数多い観光名所の見物もおすすめだが、それだけでは「クリープと砂糖の入らないコーヒーみたいだ」、なんて古いことを・・・(笑)。■歴史の枠が一昔違う。 日本の、縄文時代、弥生時代を一括りに、わずかなスペースでの遺跡再現に対して・・・・・・ 縄文、石器時代を遥かにさかのぼる「人の営み」。■40~50万年前の周口店遺跡「北京原人」から群雄割拠の戦国時代。 西欧列強の植民地時代から、新中国の誕生と・・・・・・。■中国全土の大都市には、全て歴史博物館がありますが、是非とも「北京歴史博物館」を見てほしい。■自分のルーツ。 人間が・・、私の先祖が・・何の為に、この世に生まれ子孫を残し、泥まみれ、人間まみれの進化発展を繰り返してきたのか・・・・・・・・・・・私は、あの二日間で、これまでの34年間ズート考え続けさせられている・・・・・・私にとって、偉大なる悠久中国がセットされた「中国歴史博物館」なのです。【PR】お茶のルーツプアール快痩茶400g3990円
2008.09.03
■オペラ見物の後は、はとバスで都内遊覧・・・・・・・。 是、御上りさんの定番・・・・・・。■遥々、秋田から参上数十名の中からの物見遊山八名。 折しも、男性を気取る者小生只一人。■最初の下車は、徳川将軍家の別邸「浜離宮恩賜庭園」。 数十年ぶりに見学し、周囲のものものしさに仰天。 超高層ビルが、屏風のように取り囲み、あの広かった空が今どこに・・・・可哀想(写真、真ん中・中島の御茶屋)。■園内「中島の御茶屋」に於いては、抹茶、和菓子を楽しみ、一時の将軍気分に浸らせていただく。■後の、ホテルオークラの昼食会はまた格別。 しかし、庭園に於いては!将軍気取り!なれど、今にして成れば!只のガードマン!■次なるは、三菱創設者・岩崎家本邸「旧岩崎邸庭園」。■最後、「相田みつを美術館」。 広大な広さの当館には、見学者が列を作り、通路など自由に体を翻すことが出来なかった。■日頃から、はとバス利用の多い小生だが、この度のコースは見学時間が長く、バランスに富んで満足満足大満足・・・・・・(将軍とガードマン)。
2008.09.02
■8月30日(土)、午後2時開演。 東京、としま区民芸術祭/区民参加によるアートステージ 〓〓オペラ 「夕鶴」〓〓 東京芸術劇場中ホール。 主催・(財)としま未来文化財団・豊島区。■一階最前列、女房殿と心行くまで堪能させていただいた。 日本語版、主役・ソプラノ、市川倫子さん〔現在、東京音楽大学教授〕。■大きな劇場、中ホールは超満員、秋田からも多くの「市川倫子先生」ファンが押し寄せ、大歓声大 声援の中、幕を閉じた。■30人ほどのオーケストラを前面に配置、聞き取り安い日本語版、「倫子先生達」出演者の息遣いが伝わる・・・・・・・・。■豊島区の子どもさん達も、大勢参加し楽しんでおられた。■2時間を越える熱唱は、正に人の業を越えたものだ。 人間の文化、人間の生き方、価値観をそれに求めて精進する者は、神様に一番近い人間様だと私は思う。■写真、左から3人目が、市川倫子先生です(大拍手をお願いします)。
2008.09.01
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