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折伏をしないという信心は、これは本宗の信心の上から言えば本当の信心ではない、つまりそれはなぜかと言えば無慈悲になるからであります。 大聖人様は『阿仏房尼御前御返事』に 「云(い)ひて罪のまぬかるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳(げんに)の二徳忽ちに破れて大無慈悲なり。章安の云はく『慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨(あだ)なり』等云云」(御書906ページ)と、このように仰せであります。 我々は絶対このような侮りを受けてはなりません。 (大日蓮18年6月号81ページ) 顕正会は、日蓮正宗は折伏を忘れたとか言ってるようですが? 折伏しない信心は、信心ではありません。 私も苦労してますが、折伏をしてます。 毎回、屁理屈言われたりしますが、頑張って折伏していき、一人でも多く、救っていかなければなりません。
2009.06.28
YouTubeでの学会員の話しを聞いても、ネットでの学会員とのやり取りを見てて、屁理屈を言ってるだよね~ 神札問題にしても、屁理屈を言う。 開眼についても、屁理屈を言う。 屁理屈しか言えないのが、学会員の特徴だよな~ 日記にも書いたが、ある学会員夫婦、学会辞めたい。言いながら、なんか屁理屈を言ってたよな~ 昨日、写真を見せに再訪問してきたけど、どうしたいのか?イマイチ本人が分かってない。思わず。辞めたいなら、退会届け出せばいいじゃん。って言っちゃいました。 そんなのか~?って、ボケてんだか、分かってんのか?分からないのか? 地道に折伏していくしかないでしょう。 折伏は簡単ではない事がよく分かる。私の場合、なんか難しい人を折伏がよく当たる。(泣) さて、ネットで最近の学会員は、オモロい! 日蓮大聖人と同じ難に遭わないと、法華経の行者と言えない。とか言う。 大聖人は、あくまで御本仏です。大聖人様と同じ難に遭わないなら、法主と認めないと言うなら、日興上人は、首切られそうになったか?って話しです。 それは無い。 日興上人以降全くない。 屁理屈を見て、聞いていると疲れます。
2009.06.26
来月の大結集総会が、控えているのに、体調崩しました(泣) 一昨日、登山から帰ってから怠さを感じていたので、寝てました。その夜から、頭痛く、腹痛が… 一晩寝れば治るだろうって安易な考えでいて、起きたら、変わらない(泣) 仕方なく仕事をしていたら、頭は痛いは腹痛は酷いはでした。夜勤を急遽変わってもらい。 帰ってから、勤行をやったら、もう動けない… 熱は出るし、腹痛酷い。 翌日、熱は下がったが、腹痛だけは治まらず。仕事休むわけにいかず。無理して行きました。 合間に何回もトイレに駆け込むはで、大変でした。 きちんと、体調管理をしなければと反省です。
2009.06.24
昨日、私は本山任務を初めてしました。わからない事ばかりでしたが、仲間の指導のおかげで何とかできました。 内容は、言えないのでありますが、さて、昨日は、雨が酷かったですね~(泣) 時間の合間にいろいろ話して、ある御僧侶が、雨が降った中での登山は罪障を洗い流してくれてるからだと。 そうなのか?う~ん? 罪障を洗い流してくれるか~いい事ですね。 雨が降るからと悪い事ではない。よく結婚式で雨だったら、「雨降れば地固まる」なんておもしろい事を言います。 私が、初お講では、雨でした。雨が降るのが、50%です(笑) 昨日、任務終了後に挨拶で雨男と自己紹介をしました。(笑) 本場はどうなのかな? スッゴク、ドキドキします。
2009.06.22
顕正会だけでなく、学会員にも言える事です。 ”現実を見よ!” あるSNSサイトで、知り合った顕正会員を折伏しようとしてますが、何故か?友達を裏切れないとか… 友達は大切だが、間違えた信仰で間違えた宗教を信じている。それを理解しているのか? 理解しているなら、きちんとその友人を説得して正しい道に導くのが、本当の友情ではないだろうか? 昨日日記に書いた学会員でありますが、今日、行ったら留守でした。そこに若い孫かな?その方に伝えて帰ってきた。 昨日、その学会員の方と正本堂について話して、きちんと、壊した理由、池田氏の事、メンテナンスの事、維持費を説明したら、納得してくれた。 こんなに簡単に納得してくれる学会員は、非常に珍しいです。 私は何とかこの老夫婦と家族を救いたいと思います。 話しを聞いていたら、やはり”現実”を知ってるのです。周りの学会員に功徳がない事、仏法より選挙を優先。それがおかしい事を理解している。 それだけ人生経験が豊富であり、真実を知りたいと思っているのが素晴らしいです。 心地観経に云はく「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ。」(開目抄下・御書571ページ) 現実を知る事、それが大切であると大聖人様はおっしゃります。 現実を見て、今を知らないと未来をいくら言っても意味ありません。
2009.06.18
去年、何回も出した事ですが、創価学会は日恭上人を誹謗してます。「覚悟の死」とした事を否定する。はっきり言って情けないです。 誰の御蔭で、創価学会が存在出来たのか?その根本を忘れてます。 私は、日恭上人が苦悩したからこそ、日蓮正宗の今が存在すると思います。 戦時中は、本当に酷いです。 今では想像出来ないです。 あの戦争で、多くの方々な亡くなりました。 日恭上人は、心を痛めていたと思います。 その気持ちを踏みにじる。それが正しいと言えるだろうか? 今、日蓮正宗があるのも創価学会があるのも、顕正会も日恭上人の努力です。その気持ちを踏みにじる事をする悲しいですね。情けない。非常に情けないです。今日、夜勤から帰り、過去帖をめくり、「十七日、総本山六十二世日恭上人昭和二十年六月」を見て、御命日として折伏しなければと感じました。今日、車のディーラーに行く途中に「公明党のポスター」がありました。今日は日恭上人の御命日、学会員を救わねばと思い。帰りに寄り、勇気をもって折伏をしました。優しい感じのおばあさんが、もう何年も登山してない。と話し、御主人も学会を辞めたいと話してました。今日、日恭上人の御命日にて、きちんと話しを聞いてくれる学会員なんていないですから、縁を感じました。きちんと、御祈念をし救っていかないとなりません。
2009.06.17
以前も書きましたが、間違えた宗教は、麻薬だと麻薬の毒を抜くのに、苦しみがあると書きました。 この信仰は、難しいとよく思う。 仏道修行上、自分自身の欠点や落ち度があります。 その欠点が、イライラします(泣) こういうイライラが、魔を呼ぶのできちんと、しなければなりません。 私も、愚痴を言いたい事、沢山あります。 『崇峻天皇御書』(御書・1173頁)「世間のすぎえぬやうばし歎(なげ)ひて人に聞かせ給ふな。若しさるならば、賢人にははづれたる事なり。」何か悩みな困難に直面したとき、御本尊様根本にそれを乗り越えようとせずにただ歎いているだけなら、本当には御本尊様の力を信じていないということになります。 こういう時こそ、きちんと信心をしなければならない。 唱題しょう(^O^)/
2009.06.14
南条殿御返事に曰く「参詣遥(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)を企(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし。」(御書・1569ページ)大聖人様はこう仰せです。「参詣が長く途絶えておる。直ぐにでも万難を排して参詣して来なさい。ここで(当時は身延)で待っているぞよ。」本当に大聖人様を渇仰恋慕する信心があれば、何をさて置いても大聖人様にお目にかかりたい!と思うのが自然の発露であって、義務的に考えるのはやはり正当な信心を失っている姿と言えますね。人即法・法即人 人法一箇の戒壇の大御本尊はそのまま大聖人様であり、その大聖人様を慕わない姿はまさに謗法堕獄の心です。『戸田城聖全集』「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。」(三―四九〇)顕正会では、御開扉を中止せよ!と言う。しかし、総本山大石寺に、登山し戒壇の大御本尊を拝する事。それは修行の一つです。私が顕正会にいた頃、理解出来なかったのが、何故?戒壇の大御本尊を拝してはいけないのか?顕正会は、遥拝勤行で富士大石寺の方向に向いて、勤行をする。本当に信心があるなら、その戒壇の大御本尊を見たいと思うだろう。創価学会二代目会長の戸田さんを顕正会は、悪く言った事はない。戸田さんが言う事は、顕正会からしたら間違えか?なら、浅井センセーは、戸田さんのかつてのこの指導を批難すべきでは?参詣が出来ない事が、もう大聖人の仏法ではないのです。顕正会のいう仏法というのは、おかしな話しです。やはり、本物の信心は戒壇の大御本尊を拝し、戒壇の大御本尊を護る。総本山を護るという気持ちではないだろうか?
2009.06.12
登山は、何回も日記にしてますが、日蓮正宗総本山大石寺に参詣に行く事です。 朝早く、出発し薄暗い中、高速を乗り、東京都内の明かりがぽつぽつある。景色を見ながら、安全運転で行きます。途中、朝日ビール本社ビルや六本木ヒルズ、東京タワーを見て、日本の建築技術は素晴らしいな~と関心しながら、行きます。(笑) 首都高って、朝早く行かないとマジコワイです(泣) カーブ多いし、見づらい。二回くらい間違えて、お台場方面を走ってます~(笑) 去年は、一号線一周したしね(笑)斜め前のトラックが突然のパンクで、ビックリして、曲がれなかったのです(笑) 東名を乗るとホッとしますね。後は、真っ直ぐですから、いつも海老名サービスエリアで、朝食です。ここのパンを食べるのが、楽しみです。 パンが美味いです(>_<) 晴れた日は、目の前に富士山がめっちゃ朝日に映えて綺麗なんです。 足柄サービスエリアで、ちょっと休息してから、大石寺へ! 三門が見えると、なんかホッとします。 帰りは、足柄サービスエリアの富士宮焼きそば!末寺の仲間と行くときは、地元で食べるのですが、一人登山の楽しみが、この焼きそばです。 スッゴクお腹空いてる時は、フランクフルトと、お握りです。 (太る原因!)毎回恒例の大渋滞!そして、ライトアップされた。東京タワーを見ながら、一人幸せを感じ(笑) 帰って、ホッとする。無事帰ると、御本尊様に感謝です。 顕正会員には、この気持ち分かるかな~?わかんね~だろうな~?(古!幾つだよ!)登山するだけでも、楽しみでワクワクします。いろんな楽しみ方もあります。 先日、ディーラーで車検をして、次回買うときの車見積もりして、車迷っています。 今の車古いし、新しい車で、登山出来たらって思ってます。
2009.06.10
和歌山のある地方では「御本尊さえあればよいんだ血脈なんかいらないんだ」と言って、一生懸命に説明して歩いている人がいるそうです。これはどういう考えでしょう。「御本尊さえ」という御本尊様は誰が認めるんです。当宗では、血脈やくして御本尊を書写し奉ることはできない。もし、血脈などいらないというのならば、身延の人が書いた本尊でもよい、誰が書いてもよいではないか。 思い起こせば、小樽問答の時に身延のある僧侶が「御本尊なんか誰が書いたっていいんだ」と、平然として口走っておった。私はびっくりしました。この人は何ということを言うのだと。それでは、東本願寺や西本願寺の管長に御本尊を書いてもらって、ありがたく拝めるのか。御本尊様とはそんなものではないです。 (第十七回妙観会・昭和五十三年三月三十一日)(誰にでもわかる創価学会の誤りより) 日達上人の御指南であります。 顕正会では、日布上人の御本尊について言うと、「知らない」「浅井先生なら御本尊を印刷してもいい」等言う。 学会は、このまんまです。開き直りです。終いには、御本尊は何でもいい。 その拝んでいる。御本尊を否定されて、混乱してしまうのは分かるが… 正しい御本尊は、何か?やはり、血脈相承された御法主上人猊下が、書いた御本尊です。
2009.06.08
折伏教典より「弘安二年十月十二日にあらわされた一閻浮提総与の大御本尊(本門戒壇の大御本尊)に対して題目を唱えるのが大聖人の教えである。(略) 大聖人の正しい教えを聞きたければ、大聖人より日興上人に御付嘱があって以来、富士大石寺に七百年間、連綿として血脈相承されている日蓮正宗についてのみ、日蓮宗を正しく知ることができるのである。」「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければ、なんの功徳もないのである。従って富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(折伏教典) 「この大御本尊に直結したお漫荼羅を拝む信仰でなければ、絶対に功徳もなく、ましてや、生命の本質をつかんで仏の境涯に立ち、永遠の生命を感得することなどは、とうてい望めないことである。」(折伏教典)「信仰の対象としていっさいをささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においては御相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあさばされるものであり、われら信者がうんぬんすべきことではないのである。三大秘法、観心本尊抄等に照らして拝察するのであれば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりとわかるのである。これは不相伝なるがゆえに深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということができる」(折伏経典) 何回も、日記に出しておりますが、私は戸田城聖氏の信心を尊敬しております。 ずばずば言うところが、好きでして、信徒だろうが僧侶だろうが、間違えだと言うなら、きちんと話す。この姿勢が大切だと私は思うのであります。 今回、大御本尊についての指導を出しました。 信仰の根本の御本尊が、きちんとしてないとならない。顕正会は、本尊なくとも遥拝勤行で、一念信解とかいう。 今の学会は、折伏すると御本尊について、バラバラである。開眼供養は不要だの南無妙法蓮華経の題目を唱えれば、本尊だのバラバラ言います。 やはり、戒壇の大御本尊をきちんと崇めての信仰だと私は思います。
2009.06.07
顕正会員が知らない事シリーズ(?!)奉安堂、三門と、日蓮正宗総本山大石寺のシンボル的堂宇を紹介しました。今回は、客殿についてです。 客殿は、総本山内で最も多くの法要が行われる中枢の建物であり、ことに日蓮大聖人の法脈を受け継がれた歴代上人が毎朝、広宣流布祈念の丑寅勤行を修される重要な堂宇である。 寛政六年(1465)九世日有上人が創建され、享保八年(1723)二十七世日養上人の時再建、また明治四年(1871)五十二世日霑上人の代、および昭和二十三年六十四世日昇上人の代、さらに昭和三十九年六十六世日達上人の代に、それぞれ再建された。 現在の建物は、平成七年一月の阪神・淡路大震災の被害に鑑み、六十七世日顕上人発願のもと、耐震性にすぐれた建物として、平成十年三月に新築完成したものである。 内部の基本構造は堅牢な鉄骨造りであるが、外装や堂内の仕上げは全て木材を使用し、温もりのある伝統的和風建築となっており、間口・奥行とも約五十メートル、高さ三十六メートルの二階建てで、建物内部には、1112畳敷きの大広間がある。 (日蓮正宗大石寺より) 前の大客殿が、高さ三十メートル、建面積3008平方メートル、三階から上が吹き抜きの畳敷きが630畳でした。前の客殿より、広いですね。丑寅勤行については、後日にして、毎月第一日曜日は、広布唱題会を客殿で9時からしてます。今、百日唱題で毎日、唱題をしてます。 この唱題行において、客殿の御本尊について御指南があります。 「ただいま皆様と共に唱題を申し上げましたが、正面に安置されている御本尊は『譲座御本尊』と申しまして、宗祖大聖人様より日興上人へ、そしてまた日興上人が末法万年の衆生救済のための根本の大仏法を日目上人へ授けられ、また、その日目上人は日道上人へ日道上人は日行上人へというように、代々の御法主上人に相伝されましたが、この御本尊は大聖人様の仏法が万代にわたって常住するという意義を顕された御本尊であります。 したがって、中央の『南無妙法蓮華経』の御文字、また、その下の『日蓮』の御文字は、因果倶時不思議の一法としての久遠元初自受用報身如来の心法を顕されたものでありまして、その左右の十界は、その根本の仏様に具わる十界は顕されておるのであります。故に因果倶時・不思議の一法として因も果も共に具わる故に、十界三千の諸法がことごとく具わっておるということを大聖人様が御指南であります。ですから、皆様方一人ひとりの命、そのなかにあるところの様々な環境、生活、そして、そのなかの心のことごとくが妙法蓮華経のなかに存するのであります。しかし、仏法を知らない人は、そのなかの一分のところに執われておるが故に、様々な悩みと苦しみのなかに存して、そこから抜け出ることができません。ところが大聖人様は、大御本尊に久遠元初自受用報身如来の悟りの心法たるところの、法界全体を包含する十界三千の諸法がそのままわっておるのであるから、妙法受持のところに妙法の自由自在な用きとして即身成仏の境界を得ることができると御指南であります。」(唱題行の砌・平成15年1月3日 総本山客殿・大白法より) 御本尊には、深い意味があります。 因みに、客殿の須弥壇は、左側が日蓮大聖人の御影像、中央が御本尊、左側が日興上人の御影像です。三宝を顕しております。四恩抄にあります。「仏宝・法宝は必ず僧によて住す」(御書・268ページ)
2009.06.05
「最近ことに学会と宗門との間に色々いきさつがございます。決して我々宗門としては、学会をつぶそうとか、学会をどうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして、長い間において学会が、宗門の法義の上において間違ってきてしまった、それを指摘して何とか直して、昔の純粋なる信心のもとに立ち直ってもらいたい、と思うが故でございます。 なるほど長い間学会は、よく宗門のために尽くし下さいました。その功績は大きいのであります。”しかし、功績が大きいからといって、教義が間違い、宗門逸脱してしまえば、これは何にも役に立ちません。”ただそういえふうに間違いを起こしてもらいたくないが故に、ただいまのように色々のことを指摘して、学会を何とかして立て直してもらいたいと思ってやっておるのです。」 (大白法・号外 昭和54年4月3日号 日達上人猊下御言葉 妙観会の砌より一部) こういう事、沢山あるかと思います。 これだけの事をしたのだからと、怠慢になる人は沢山います。 最初は、発展させる為に努力をします。協力を仕合ながら、ここで慢心して自分らが偉い!って思ったら、崩壊した沢山あります。 この日達上人猊下御指南は、拝し、これだけ寺院に尽くしたから、仏法に尽くしたからと、考えず。ひたすらに、信心をしていかなければなりません。
2009.06.03
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