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今日は、ネットからの情報から転載です。れいなさん、感謝いたします。 P 16 悪口と折伏 罵詈讒謗と折伏とは混間されやすいが、自ら正法を持ち正行を行ずるものが他の過悪を責むるは折伏である。自ら正法を持つことなく又正行を行ずることもなくして却って他を言ふは悪口罵詈である。一つはうちに正あって他の邪に迷ふを見て慈悲の念止む能はず彼が為に悪を除かむとする親の情により、一つは自らの及ばざるに怨嫉を基として卑劣なる情によって起る。此の両者は結果に於ては区別し難いがその原因に於ては千里の逕庭がある。即ち正法受持の自覚があると否と、而して受持するところはたして正法なると否とによるのである。 他の過悪を挙ぐることは易い、その非を嗚らすことも容易である。けれども自ら正法を受持し正見に住することは至難である。今の世悪口罵詈讒謗毀(此言)は多いが真の折伏は少い。悪口罵詈は如何に巧なりとも一顧だにも価しないが、折伏は如何なりとも耳を傾けなければならぬ。 日蓮大聖人曰く「体斜めなれば影曲がる」と体とは法である影とは行人である。されば行人の曲れるは法の曲がれるによる影を矯んとならば法を糺さなければならぬ。法若し正しくして影が曲れば それは行人の罪であって法の罪ではない、五濁爛漫の当世、法をさしをいて一々の言行を批判すれば悪口に堕する、唯受持する法の邪正を決するが行伏である。近時自ら正法に住せずして巧に他を言ふものがある。 徒らに奇言を弄して衆目を悪はさんとするものの如くであるが、聞くところ見るところによれば悉く所雨悪口に過ぎない。自らの智解の及ばざるを知らず浅見を以て他を論ずるが如くである。衆人先づ悪口か折伏かを批判して然るのちにその言を聴かむことが肝要である。 昭和六年六月 (大日蓮) これは、学会や顕正会を破折してる内容だと私は、思います。
2010.01.30
今の新しい仕事は、いろんな家を周り、家のメンテナンスを提供する仕事をしております。大変な仕事であります。 いろんな家があり、いろんな宗教をしている事がわかります。 今回は、稲荷信仰について、破折したいと思います。 稲荷は、狐を本尊として崇めております。 こういう、畜生を崇めると行動までが、動物の行動をする。人間より劣る(知能により)のを崇めれば、畜生の生命に感応して、目先の事や、道理よりも本能に基づく判断が強くなったりするのである。 よく、狐付きと言われる。いきなり、奇声をあげたりして暴れる話しを聞くであろう。そういうのは、狐や動物を崇める事により起こる事である。 私の仕事からして、稲荷が家の庭や北側にある家は、何故か?”汚い””散らかってる”のである。私の母親の実家は、禅宗であるが、家の北側に稲荷を奉っている。私が幼い時は、崇めていた事はなかったが、十数年前に稲荷を新しくして、位置をづらした時から、家が凄く散らかりだした。前々から、汚いのは汚かった。母親が、甥っ子によく片付けるように叱っていた。因みに私の母親は、宗教に無関心である。祖父がそうだったからだとは思う。 野生だと、木の枝が伸びようが、草があろうが関係はない。 そういうのが、全面に出ている。畜生を崇めると、畜生のような生活になる。散らかっても平気、汚くても平気なのであろう。 邪宗教の恐さは、まさにこういう姿であろう。今日、現場での研修で見た家は、以前から工事の話しがあった。だが、こういうメンテナンスの補修は、家に上がらないとならない。少なくとも、少しは綺麗にするものである。 工事の後、来たよりも綺麗に掃除をした。こういう仕事だと、個人ではゴミだと思うような物は、捨てる事ができない。(どっかの土産の酒の徳利や割れたガラス等) 今回は、稲荷信仰を破折した。成田山の信仰の家も破折したいのだが、これは、真言宗になるので、真言宗の特徴等を知れたら、随時日記にしたいと思います。
2010.01.27
私が勤めます新しい会社にて、次のようなのがありますので、紹介したいと思います。 可能(Can/キャン)目標を達成してこそ、責任を果たした事になる。すべては「できる」という強い意思からはじまる。 やはり、折伏でもこの信仰にも言える事でありますが、「できる」と言う強い意思がなければ、何も変わらないと思います。 このブログを見ている。皆さんも経験はあると思いますが、やらなければ変わらないのであります。 日蓮正宗の信仰も、「やる」と言う気持ちがないと、変わらないです。いくら、「信仰」あります。 日蓮大聖人様は「法華経並びに釈迦尊の御報恩を報じ給ふに成るべく候。弥(いよいよ)はげませ給ふべし、懈ることなかれ。皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程は信心も弱く、僧をも恭子敬(くぎょう)せず、供養もなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし、恐るべし。」(新池御書・御書1457ページ)にあるように、信心してると、自慢していて供養もせず、僧侶を蔑ろにするのは、恐ろしい事と言われてます。きちんと、最後まで信心を持たないとなりません。 ここで、御法主上人猊下の今年の元旦勤行の砌を紹介いたします。 我々の広布の戦いは、けっして停滞があってはならないのであります。停滞は後退につながりかねからであります。後退は敗北であります。大聖人は『聖人御難事』に、「月々日々つより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書1397ページ)と仰せであります。 月々日々に信心を奮い立たせ、とどまることなく、力強く広布の願業へ向けて前進していくことが大事でありまして、もし油断して緊張が緩むと必ず魔が襲ってきます。(大白法平成22年1月16日第781号より) 今年は、広布前進の年であり、仕事が変わり折伏が更に難しいのですが、「できる」と言う気持ちを持たないと、広宣流布はできないのであります。
2010.01.25
研修で、日記更新が出来ずにいました。 研修終了しました。今回の研修にて、私自身がいろいろ学ぶ事が沢山ありました。 逃げてる自分自身の弱さが出ていました。 自分自身が、法華講として、学んだ事は何だったのかな?何していたのか?と、葛藤をしてました。 私自身が、成長をしたと感じる研修になりました。 仏法から見ても、自分自身の仏法に対する姿勢も考えさせられた研修になりました。 いろんな葛藤があり、想像以上の厳しい研修で、以前の会社以上に大変な仕事になりそうです。 ある意味、大変な仕事になります。だけど、自分自身を鍛えられる事。自分自身が、折伏する上でどうすべきか?それを学ぶ事ができました。 感じたのは、私自身の甘さがありました。そして、それを乗り越えていく事は、自分自身が変わるしかないのであります。 後日、いろんな事を書いていきたいっ思います。
2010.01.24
はて?それは、顕正会の間違えであろう。 顕正会は、必ず「日蓮大聖人に逆らうと罰が出る」「仏罰で不幸になる」と脅して勧誘をする。また、顕正会の浅井会長は、「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ」なる通称メタ本をだし、その内容たるは、日蓮大聖人を逆らうのは、顕正会であると言える。 さて、今は『2012』という映画が話題になっている。マヤの予言だとこの年に、世界は滅亡するそうだが? 昨日、コンビニにて、学会破折資料のコピーをして、立ち読みで終末思想の事が書いてある本があった。いつの時代も、生活の不安、世の中の不安感からか?いろんな終末思想があったようである。 こういうのは、ただの妄想であり根拠がないとだけ、言っておこう。 さて、その本には日蓮大聖人は、原爆を予言したとある。まあ、大集経の事を引かれた。立正安国論を言ってるようだ。だが、立正安国論は、予言の書ではない。読めば分かる事であるが。日蓮大聖人は、世の中がおかしいのは、間違えた宗教からだとしている。 今、人々が間違えた宗教を信じていたり、正法を聞かずに避けるならば、いろんな災難がある。 それは、予言でもなければ、正法を背いてきた事によるものである。 それは立正安国論に「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に、善神国を捨て相去り、聖人所を辞して還らず。是を以って、魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。」(御書234ページ) と、言われております。 今は、日本国内、または、世界を見れば、立正安国論に説かれてる事が起きてる。 経済の悪化による。生活が苦しい事や、自殺者が増えている事。また、凶悪犯罪、世界を見れば、内戦や飢餓は絶えずに起こっています。 これが、現実に起きてる事である。 こういう現実を説明してるのに、終末思想と言う輩は、社会を知らない。世間知らずとしか言えない。 私たちは、一人でも多くの人に正しい宗教を知ってもらいたいのである。
2010.01.15
現実に神や仏がいるとは思わない はじめに、神についていいますと、キリスト教やイスラム教で立てる天地創造の神ゴッドやアラーは、予言者と称(しょう)されるキリストやマホメットが経典に説示(せつじ)しただけのことで、現実にこの地上に姿(すがた)を現わしたことはありません。 天理教の天理王命や金光教の天地金乃神なども、教祖がある日思いついたように言い出したもので、この世に現われたことはありません。 また神社の中には、天満宮や明治神宮などのように菅原道真とか明治天皇などの歴史上の人物を祭っているところもありますが、これらは偉人を敬慕する感情や時の政治的配慮などによって、人間を神にまで祭りあげてしまっただけのことで、神本来の働きをもっているわけではないのです。 本来、神とは原始的時代の自然崇拝の産物であり、宇宙に存在するさまざまな自然の作用には、それぞれ神秘的な生命すなわち神が宿っているという思想に端を発しています。 したがって真実の神とは、ひとつの人格や個性を指すものではありませんし、神社などに祭られて礼拝の対象なるものでもありません。あくまでもすべての生き物を守り育くむことに神の意義があるのです。この神の力が強ければ人々は平和で豊かに暮らせるわけですが、仏法においては、神の作用は正しい法の功徳を原動力とし、これを法味(ほうみ)といい、諸天諸神が正法を味わうとき、仏の威光(いこう)と法の力を得て善神(ぜんじん)として人間を守り、社会を護(まも)る力を発揮(はっき)すると説いています。 次に仏についていいますと、仏典に説かれるたくさんの仏や菩薩たちも、ほとんどは歴史的に地上に出現したことはありません。身近(みぢか)なところでは、念仏)宗の阿弥陀如来や真言宗の大日如来なども実在したことのない仏です。 ではなぜ架空ともいえる仏や菩薩が経典に説かれたのかというと、インドに出現した釈尊は法界の真理と生命の根源を説き明かすために生命に備わる働きや仏の徳を具象的・擬人的に仏・菩薩の名を付けて表現されたのです。たとえば智慧を文殊菩薩、慈悲を弥勒菩薩)、病いを防ぎ、癒やす働きを薬師如来・薬王菩薩、美しい声を妙音菩薩というように、それぞれに名を付けられました。 これらの仏・菩薩は教主である釈尊の力用を示すために説かれたわけですが、釈尊は厳然とインドに誕生され、宇宙の真理を悟り、人々に多くの教えを遺されました。釈尊の出現と経典に説かれる深義に疑いいをもつ人はいないでしょう。 この釈尊が究極の教えとして説かれた法華経の中に、末法に出現する本仏を予証されました。その予証とは、法華経を行ずる故に刀や杖あるいは瓦石で迫害されること、悪口(あっく)罵詈されること、しばしば所払いの難に遭うこと、迫害者の刀が折れて斬ることができないなどのことですが、この予言どおりに、うち続く大難の中で民衆救済のために究極の本法たる文底の法華経を説き、未来永劫の人々のために大御本尊を顕わされた御本仏こそ日蓮大聖人です。 日蓮大聖人はひとりの人間としての人格の上に本仏の境界を現実に示されたのです。 もしあなたが、仏は人間の姿をしたものではなく、金ピカの仏像や大仏そのものと考えて「そのような仏など実在しない」というならば、それはあまりにも幼稚な考えであり、ためにする言い掛りというべきです。 (正しい宗教と信仰127ページ) アンチ日蓮正宗とか言う。自称無神論者は、全くの無知である。 何も知らずに、ただ、騒いでるだけである。
2010.01.14
あるサイトにて、こんな馬鹿げた。根拠もなければ、いい加減であり妄想でしかない。くだらない。邪義を言う世間知らずがいる。 こういう根拠のない事は、言ってる本人がただの大恥をさらしてるとだけ言っておこう。 以前にも書いたが、学会を破門して、生活が成り立たないのは、日蓮正宗である。日蓮正宗が金儲けをして、贅沢三昧の生活を日蓮正宗全僧侶がしていたとするならば、学会員をおだてて、供養と称して、沢山金を集めてればよいのだ。 だが、日蓮正宗では、学会を破門した。 日達上人のお言葉を紹介しましょう。これは、YouTubeにもあります。 「それは正本堂を造ってもらって有り難い。正本堂は、その時の日蓮正宗の信心をする人の集まりによってできた建物である。だから、もし学会が来なくて、こちらの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、御開帳願う人があったなら御開扉しようと覚悟を決めたわけです」(昭和49年7月27日) 日蓮正宗法華講は、当時数万人しかいません。その数万人しかいない。日蓮正宗が、八百万人いる創価学会を切り、生活が出来るであろうか? 誰が見ても、生活できないのは、目に見えてます。まして、寺院を増やしてます。 その世間知らずは、日蓮正宗は学会を騙して、寺院を建てたと言う。ならば、破門して寺院維持が出来るであろうか? よく考えなくとも、信徒がいなければ、寺院の維持は不可能なのは、”一般常識”である。 アンチとか言って、ネットで騒ぐ輩は、一般常識すらわからないのであろうか? 日蓮正宗が、金儲けとか言うならば、証拠を出すがよかろう。 ただの”妄想”や”想像”、”聞いた話し”ならば、誰でも言える事である。 日蓮正宗は、学会を利用した等とふざけた事を言ってるが?逆に日蓮正宗を利用していたのが、創価学会である。 日蓮正宗という伝統仏教を利用し、布教し欲を持って、日蓮正宗から独立しようとしたのが、創価学会である。 これは、調べれば分かる事である。 調べない。調べようともせずに言うのが、アンチの妄想である。 日蓮正宗が、創価学会を利用してない証拠に、総本山大石寺にて、大化城を取り壊したり、大客殿を壊して、客殿を新しく建立したり、はたまた、正本堂を取り壊して、奉安堂という立派な蔵を建立している。 これを学会の金だとか言うだろうが、全く違う。 日蓮正宗の全法華講による真心の御供養により、建立されたのである。 日蓮正宗が、金儲けをしてなければ、一切衆生を救うべく、日々折伏をしているのである。 アンチとは、素直に聞かない事がよく分かる。
2010.01.13
昨日に引き続き、アンチ日蓮正宗という世間知らずを破したいと思います。 まず、世の中が乱れてる事は誰もが感じる事でしょう。 去年、私の日記にて大集経をだしたと思います。立正安国論「 大集経に云はく『仏法実(じつ)に隠没(おんもつ)せば鬚髪爪(しゅほっそう)皆長く、諸法も亦忘失(もうしつ)せん。」(御書235ページ) 大集経には、次のように述べている。 「正しい仏法が隠没(おんもつ)すれば、人々(なかんづく僧侶)は鬚や髪や爪をだらしなく伸ばすようになるだろう。また、世間の諸法も効力・秩序を失うであろう。」(立正安国論の解説55ページ) 大集経には、仏法が隠没することにより、世の中にどのようなことが起きるかが示されている。 この冒頭の「仏法実に隠没」とは、単に仏教典や寺院の有無だけをいわれたものではなく、一国に邪宗邪義がはびこり、小乗をもって大乗を、権経(ごんきょう)をもって実経を破るような、謗法行為が横行する状況をも含めて”正しい仏法が衰微する”との意で述べられていることは申すまでもない。 すなわち、邪宗の僧俗や施設が、いかに一国に充満していたとしても、それは、かえって「仏法実に隠没」の相にあたるのである。 さて、仏法が隠没した時には、まず、風俗が乱れ、世間の善思想や道義・道徳が廃れてしまう。それは、根本の正法に背いて三悪道・四悪道の境涯に堕すれば、色心不二の故に、それが姿・形の上にも顕われまた、広く世相にも反映されていくからである。 たとえば、今日、浄土真宗を始めとするよこしまな仏教諸宗の僧が、鬚や髪を伸ばして平然としている姿や、世間において、だらしなく、みだしなみを乱した姿が流行していること等は、まさに法滅の忘失せれ姿以外の何物でもなかろう。 こうした世の中には、また、依正不二の故に、”有史以来’初めての”とか”数百年ぶりの”と称される、異常気象や天変、災害等が相次いで現れてくる。これ、すべて、根源の因は「仏法隠没」に存するのである。(同60ページ) ここで、日達上人の御指南を紹介します。一般世間の人びとは先ず国家を第一と考え仏法を次にしておる。即ち安国論に、「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽(ねが)ふ所、土民の思ふ所なり。夫(それ)国は法に依って昌(さか)え、法は人に因(よ)って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先づ国家を祈りて須(すべから)く仏法を立つべし」(御書244ページ)の如くである。これが仏法の真実の精神である、大聖人の御心は、 「早く天下を静謐(せいひつ)を思はば須く国中の謗法を断つべし。乃至、汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぜ壊れんや。国衰微無くんば身は安全にして、心は是禅定ならん」云云(御書247ページ)であって、どこまでも正法流布に依って、国も栄え人も栄えるとの御精神である。昭和52年7月16日 日達上人全集第二 第七巻(立正安国論並御指南抄139ページ) アンチと言う輩は、世間を見ずに勝手な憶測と妄想しか言わない。 そういう姿が、三悪道に堕ちた姿である。
2010.01.12
こういう事を言う輩は、社会勉強をしてないとしか言えないです。 こじつけと言うが、人類は科学が、釈尊の時代より発展をしているのが、現実である。科学の発展により生活は豊になり、釈尊の時代には難病だった病気も治る時代であります。また、鎌倉時代からの疫病も治る時代であります。科学が発展しても、次から次へと新たな病が生まれてるのが、現状です。 例えば、エイズや牛の狂牛病が言えるではないでしょうか?また、新型インフルエンザの流行も現代の疫病ではないでしょうか? また、世界中では、戦争や内戦は続いてるし、飢饉や飢餓も増えています。 私は、去年に立正安国論から、これらを破折をしました。 立正安国論にて、きちんと原因を判明しそれを断ち切る事を言われている。 今の戦争の原因は、間違えた思想からくるものである。 世界史を見れば、戦争を起こしているのは、キリスト教が布教している国々である。 キリスト教の教えに矛盾が生じているからである。その矛盾から神が正しいから、信じる自分らは正しいとすれだから、差別があり、貧困もあるだから、戦争が起きるのである。 立正安国論に云はく『仁王経に云はく「国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。賊来たりて国却かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官、共に是非を生ぜん。天地怪異し、二十八宿・星道・日月、時を失ひ、度を失ひ、多く賊の起こること有らん」』(御書236ページ) まさに、今乱れに乱れた世の中を顕している。 偶然ではなく、昔から乱れる原因を言われて変わらないだけです。
2010.01.11
引越しも大部分が終わり、後は元の部屋にあるものを持ってきて、大掃除だけです。今日は、ゆっくり休みたいと思います。 昨日は、汗びっしょりで引越しでした。 教訓は、余計な物は買わない! 余計とは、使わない物ですね~ 引越しして、これ不要、これ必要といろいろ出てきます。 得に貰い物です。バスタオルは、あると便利だけど使わないと、ただのゴミです。これが二つあり、普段使うのが、三つあるから不要ちゃ不要なんだが?これって捨てられないですよね~使えるからな~ 自分自身が、何かをとっとく癖がありまして、それが引越しに役に立つのもありましたが、不要な物も沢山あるわけです。 引越ししてから、また、必要な物も出るです。来月に、揃えていこうと思います。 さて、新しい部屋にて、勤行をしてて、前の部屋より落ち着きます。広いのもあるでしょうが、なんか落ち着きます。ごちゃごちゃしてないからでしょう。 新しい生活のスタートは、順調な滑り出しです。
2010.01.09
ブログ引越しじゃないです。 今日から、新しい所に引越しました。って、荷物一部を運んだだけで、まだまだ、日常生活品がいっぱいあります。 私の車以外に積めなく(泣) 積めるだけ積めて行きました。 御本尊様も引越しました。いや~緊張しました。 私、めっちゃおっちょこちょいなんです。(笑)そんなんでよく、某鉄道会社を勤めてましたm(._.)m 慎重に巻いて、経本に挟み、タオルで包み。 以外に厨子が重い。 今までの大白法や服、本を積めに積め、布団が… 入りません(泣) 台所用品や、皿、茶碗等は、会社にたまに落ちている。聖教新聞で包み(笑)まあ、これしか役に立たたい新聞で(失礼) 薄っぺらいから、調度よかったです~(笑) 新しい部屋に、積むのに二時間かかったのに、降ろすのに一時間、入れて整頓するのに、一時間。 やっと、御本尊様を出して、緊張しながら無事に引越し完了です。 広い部屋、綺麗な部屋になり御本尊様もなんか、喜んでるように感じました。 予定より早く出来たので、役所にて転入届けをして、必要な買い物をして、昼食べていろいろ片付けして勤行、そしてちょうどガス会社が来て、ガスの立ち会いをして、ガス立ち会いが、予定より遅かったので、もう少し早く来てれば~後一往復は出来たはず。 今日は、穏やかな天気でよかったです。 明日も穏やかな天気になる予報ですので、今日は早く寝て、朝早くに荷物を持っていき、後は引越し業者にお任せです~ 勤行もしないとね。
2010.01.07
今更何?と思うかも知れませんが?彼岸でもなく、お盆でもありません。 今日は、私の祖母が十三回忌なんです。そこで、去年、塔婆供養を申し込みました。祖母と水子そして、私の先祖代々を建てました。 私の祖母は後妻さんでして、私からして義理になります。子供は当時、お金がないからと卸したそうでして、我が家には水子の墓がないですし、実家には戒名もないです。 父親は、話したがらないし、父の叔母から聞いたので、その叔母も亡くなりました。水子が、どうなのか?わかりません。が、やはり、生まれずに殺す事は、罪でありますから、きちんと、塔婆供養をしないとならないです。 去年は、過去帖を願い出ました。素晴らしい戒名をつけていただき感謝です。 では、塔婆について日蓮大聖人は『中興入道御消息』に、「去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし・孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事・水すめば月うつり・つづみをうてば・ひびきのあるがごとしと・をぼしめし候へ等云云、此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」(新編御書1434ページ) 今、学会さんは塔婆は金儲けだと話しますが? 戸田城聖全集第二巻 質問会編(175ページ)塔婆供養について質問塔婆を立てて、先祖を供養するといわれましたが、毎日の題目で供養しています。これは形式であると思いますが、生命論のうえから説明してください。 形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。塔婆供養の原理についていえば、人が死ぬと宇宙の生命に溶けこみます。色心の二法であるゆえに、この生命を塔婆という体を作って供養すれば、聞いた題目が生命に感じて業がうすくなり、苦悩を少なくしうるのです。 また、日有上人の化儀抄には、 一、卒都婆を立つる時は大塔中にて十如是自我偈を読みて、さて彼の仏を立つる所にて、又十如是自我偈を読むべし、是れ又事の一念三千の化儀を表するか。[日達上人略解]卒都婆とは、塔婆のことで、地水火風空の五輪の塔を表わす。大塔中とは、総本山歴代墓地の中央の宗祖大聖人並びに二祖及ぴ三祖の大墓碑を指す。彼の仏を立つる所とは、塔婆建立回向する、その墓をいう。亡者の追福作善のため、塔婆を建てて回向する時は、塔婆を一度、大聖人の墓碑の所へ立てて、方便品、自我偈、唱題して、一度回向してから、その追善すべき亡者の墓へ、その塔婆を建立して、方便品、自我偈、唱題して追善供養するのであります。これが師弟相対した事の一念三千の化儀を表わしたことになるのであります。 と、日達上人の御指南があります。 日蓮大聖人様を御本仏と思うのならば、塔婆を金儲けだと言うのが間違えである。
2010.01.06
長瀬氏からの質問で、引越しの荷物から引っ張り出しました。 読んでも、私みたいな弱輩者には、意味不明ではあります。 ただ言える事は、地球上の物を言ってはいない事です。 文字と内容からしては、多分ですよ?”多分”ですが?仏界の世界を説明していると思われます。 宇宙は広く、私たちの頭の中では、想像できないものだと私は思います。 私はつくづく思うのでありますが?宇宙から見て地球って、本当にちっぽけな存在なんだと思います。 私は、SFが好きであります。宇宙だと宇宙戦艦ヤマトや、スターウォーズの世界のイメージでしかありません。 科学は、日々進歩してます。科学の発展から、仏法が正しい事が、やがては証明されるのではないかと思います。 さて、今日は市役所に行ったついでで、図書館にて聖書を調べてました。 はっきり言うと、読んで頭痛くなりました(笑) 一つ一つ矛盾をついていきたいと考えます。 見宝塔品についても、わかり次第アップしたいと思います。
2010.01.05
長瀬さんの貴重な意見と資料は、勉強になります。私なんかまだまだ、ですので、私みたいな信仰浅い弱輩者にこんな下手くそブログで、破祈されてしまう。キリストの教えは、たいしたことない。邪義であります。 去年、キリスト教神父を破祈し、祈伏をしましたが?話してると「信じれば分かる」としか言わない。そんな宗教が正しいわけがありません。 宗教とは、誰もが納得し誰もがその教えに従っていけば、救われていきます。だが、キリスト教は「信じれば分かる」とか?「それがあなたの信じるのであれば、キリストを信じる事は不可能」だと言って、道理が通らずに、信じれば救われると言う。 そんな言葉、どんな宗教でも話してる事でありますから、信じれば救われるなら、苦労はしません。 これは、仏教系も言えるし、最近の顕正会も言える事です。 さて、聖書の貴重な資料を長瀬氏が提供してくれてます。貴重な資料感謝いたします。 「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を見にまとってあなたがたのところにくるが、その内側は貪欲な狼である。あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。(中略)このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」マタイ7.15~20という訳で偽預言者(宗教的指導者の意も含む)の出現は聖書に書いてあって「あなたがたはその実で彼らを見分ける。」と自分で見極めて下さいと聖書では比喩で語ってます。 こういう教えが、数あるキリスト教系のカルトの誕生を生み出す原因である。 ノストラダムスの予言もそうだったが、当時起きてる出来事を暗号ぽく、または、予言ぽく書いたにすぎないわけです。 聖書も全く同じでありましょう。そして、科学や物理、天文学なんか発展してないのですから、想像や人々を支配する為に作られたものでしょう。そういう例えが、沢山ありますからね? 昔、古い遺跡にその時代にないものを埋めて偽装した事件ありましたね? こういう予言は、マジックや腹話術みたいな話しです。 聖書を考えた人は、今でいう直木賞作家みたいなものでは?想像から、物語を発展し、神という想像者を使い。これは日本神話にも似ています。 聖書は、予言でもなんでもなく、ただのミステリーやファンタジーの話しです。それを利用したのが、キリスト自身である。
2010.01.04
日蓮正宗では、昨日と今日と初登山会でした。私は、本来ならば任務として参加でしたが、中々休めずで、年末になり退職たがら、年休を使いなと皆さんの優しい心使いがありましたが、風邪を拗らせて、また、昨日と今日と急遽仕事になり、最後の仕事をしてきました。今年は、年頭から波乱含みであります。 さて、年末に長瀬ひろゆきさんの貴重な資料を貰いましたので、この内容からキリストの死を仏法から見てみたいと思います。 同じように、祭司長たちも立法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人を救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。マタイ27.41~44キリストは、仏法から見てどういう存在か?三類の強敵の「僭聖増上慢」(せんしょうぞうじょうまん)であろうか?と思います。 つまり、エセ聖者です。キリスト教から生まれたカルトの教祖は、全てこれに当たるかと思います。 さて、これは実に面白い内容である。自分自身すら救えないで、他人を救えるのか?もし、キリストが、神の子であるならば、神の力にて助かる事ができるであろう。 法華経観世音菩薩普門品第二十五には「若(も)し復(また)まさに害せらるべきに臨んで、観世音菩薩の名を称せば、彼の執れる所の刀杖、尋いで段々に壊れて、解脱することを得ん 」(法華経558ページ) 龍ノ口にて、日蓮大聖人様は、助かってます。 自分自身すら、死刑から逃れられないのが、神の子なんておかしな話しである。この”矛盾”を補うかのようなのがこれであろう。 このすべてのことが起こったのは、預言者書いたことを実現するためである。 マタイ26.56 これはおかしな話しである。預言者書いたことを実現する?この言葉は何であろうか?「神をなぜ、我を見捨てたもうか」 その叫びの後「全ては神に委ねます」と言い直しているが?キリストが神を疑ってる事、死を恐れて、つい発言したと思われるが? イエスの死は神との関係の修復…人の原罪を贖罪する為と解釈されていますそして、人の子は三日目に復活するマタイ20.19この言葉通りイエスは三日後に復活したとされてます。 非科学的であります。これは、よく調べておきましょう。 キリストの死は?罰か? 罰は自ら招く事でありますから、キリスト自身が、おかしなしかも間違えた教えをしたから、他ありません。 それは、冥罰であろうと思います。 違う例として、中国の善導(ぜんどう)は、自分自身の邪義に酔いしれて、早く浄土へ行きたいと、首をくくったが木が折れて、腰を打って苦しんで死んだ。生きながら地獄に落ちています。 キリストも同じ事が、言えるかと思います。 自分自身を神の子だと思い込み、人々を惑わした。聖書の預言者の言葉を実践しようとしたが、死の恐怖、そして囚人からの罵倒に恐れて、神を否定する言葉を出したのでしょう。 冷静に聖書の一節を見れば、矛盾だらけです。 こういう矛盾から、いろんなカルトが生み出され、人々を不幸にしているのである。
2010.01.03
「正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とくもまさり人にもあいせられ候なり。(中略)今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は、木より花のさき、池の蓮のつぼみ、雪山(せっせん)のせんだんのひらけ、月の始めて出づるがなるべし。今日本国の法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出だせり。此をもってをもうに、今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし。影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来たるべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。十字御書(むしもちごしょ)新1551・全1491」 日蓮大聖人様は、年の始めに、功徳を積む事の大切さを御指南しております。 去年、日記に書きましたが、日蓮正宗の目的は、一切衆生を救う事であります。 顕正会のように、無理矢理な勧誘活動をしては意味ありません。 大切な心は、御法主日如上人猊下の御指南で「末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の正法正義を受持する我等一人ひとりが、地涌の使命を自覚して、一切衆生救済の大願に立ち、一人でも多くに妙法を下種し祈伏を行じていくことであることを銘記しなければなりません。」(大白法・新年特集号平成22年1月1日付け) とあります。 今年は、沢山魔が襲うでしょう。まして、私は転職という新たな生活が始まり、信心に大きな影響があるかと思います。 これをきちんと、乗り越えていけるように、頑張っていきたいと思います。
2010.01.02
広布前進の年であります。 去年は、任務と登山を中心にし祈伏をしてきました。私自身の誓願が達成せずに、残念でありました。私の縁にて、違う末寺に帰依した方や、縁あって私のネットやり取りにて、日蓮正宗を知り、同じ末寺の方の縁で入信したりとありました。 今年は、私は祈伏中心に頑張っていきたいと思います。 今年は、地元末寺にて元朝勤行に参加いたしました。 今年は、沢山の魔が競うと思います。新しく仕事も変わりますので、大変忙しい年になるかと思います。 頑張っていきたいと思いますので、今年も下手くそなブログともどもよろしくお願いいたします。
2010.01.01
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