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仕事が忙しいのと、膨大な破折資料整理(学会と顕正会がほとんどである)と折伏を専念に、しばらくはブログから離れます。 顕正会、学会や他宗教からの脱会相談等は、下記Googleメールにてお願いします。アンチ及び、顕正会と創価学会等の法論等は、きちんと寺院に確認してからになります。メールでの法論はいたしません。あらかじめ ご了承ください。 ns.hidemitsu@gmail.com
2013.03.15
ネットで騒いでいる者らは、ただ感情を丸出しにして騒いでいるだけである。 仏教そのものを全く理解もしてない。また、教義そのものを全く理解してないのである。 彼等は、否定するものしか信用しないのである。それに対して、きちんと論証もせずに思い込みで騒いでいるに過ぎない。 ただ、おかしい。おかしい。と言っていて、何故?おかしいのか?どうしておかしいと言えるのか?それをきちんとした資料を元に論証してない。 彼等は、思い込みで、〜に決まっている。と言う。では?その理由は? 答えられずに、〜に決まっているのだ。と言う。つまり、彼等は理解してないのに、言っているのだ。 〜に決まっていると、言うのは幼稚は思い込みである。 自称俳優hideは、幼稚な長文を書いているだけで、長い文章を書けば良いと言うものでない。 論証も出来ないのである。 教義を全く知らないから、思い込みでの反論は、幼稚である。 本当の研究者は、否定的に研究しない。否定的に見れば、否定的な部分しか見ないのである。 私が、大御本尊について出したものを見れば、それがきちんと、わかりやすく完結なものなのが分かるはずである。
2013.03.08
自称俳優で、徳川家光公が日光山輪王寺であるのに、東照宮と言ってる歴史認識がズレているのが、mixiで悪あがきをしている。あまりにも、無理矢理に否定してるので、長文を書けば良いというものでない。よっぽど暇なのであろう。 大聖人御一代中に顕(あら)わされた多数の御本尊には、それぞれ建立意義と目的に異なりがあり、御本尊図顕(ずけん)における大聖人の御化導を相伝仏法の上から正しく拝さなければ、本義を見失うこととなる。ゆえに、正法不信の者がいくら邪智(じゃち)浅見をもって御本尊の深義を理解しようとしても、けっして大聖人の御聖意に辿(たど)り着けることはない。 当宗僧俗はすでに周知のことであるが、大御本尊が何たるかを知らない者どもに、簡略に説明しておこう。 元来、大聖人所顕(しょけん)の御本尊は、大きく2種類に分けることができる。 1には、弟子や檀那への個人に与えられた御本尊である。これは、主に授与者の信行の対象として安置すべき御本尊であり、ほとんどの御本尊に授与者の名前が認(したた)められている。 2には、特別な意義と目的のもとに顕わされる御本尊で、その時々の境地より御図顕され、授与者が示されていないものもある。 戒壇の大御本尊が、このうちの後者に当たることは言うまでもない。 当宗においては、戒壇の大御本尊をもって信仰の主体としている。その理由は、大聖人の宗旨が戒壇の大御本尊に極まるからであり、法義的に三大秘法のすべてを惣在(そうざい)する上から「三大秘法惣在の本尊」と称し、また末法万年の衆生を救済するために万人を対象として御図顕され、一閻浮提(全世界)すべての人々が信受すべき御本尊である意味から「一閻浮提総与の本尊」とも称するのである。否定したがる者の特徴として、言える事は、言葉や文字を理解しない事と自分自身が正しいという思い込みである。私は、仕事で営業とサービス業をしてきて、また折伏して何万という人間を見てきて、言える事でもある。どんなプロの営業マンでも、こういう人間は難しいものである。この自称俳優は、歴史認識がズレているだけでなく、地理の認識もズレている。栃木県の信行寺の御本尊ついて、悪あがきを言ってる。まあ、これは、どう足掻こうが馬鹿というしかないのである。私親戚が、栃木県であり栃木県と茨城県の境出身であるから、笑えるのだが、信行寺がある栃木市は、栃木県南部であり、天気予報見れば分かるが、東京都千葉県沿岸部と気温は、大差無いのである。また、身延より北だから、楠木は無いという事は、絶対あり得ないのである。楠木は日本において、人口により植えられているのだから、そこに無いと言い切れないのである。現実雪国の北陸富山には、楠の地名がある。楠がある証明でもある。小氷期(しょうひょうき、英:Little Ice Age, LIA)とはほぼ14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代、ミニ氷河期ともいう。この気候の寒冷化により、「中世の温暖期」として知られる温和な時代は終止符を打たれた。当初、小氷期は全球的な現象だったと考えられていたが現在はその規模に疑問の声が投げかけられている。例えば、過去1,000年間の北半球の気温の推定値は明白な寒冷期を示してはいない[要出典]。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、小氷期を「期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期」と記述している。なお、氷河学的にはこの間や現在なども含めて氷河期の中でも比較的温暖な時期が続く、間氷期にあたる。鎌倉時代は、小氷河期であるから、楠木は絶対無いと言いたいだろうが、平安時代から楠木を使った仏像が存在してるのであるからして、神木だからとかはもう小学生でも、笑う邪義である。
2013.03.08
学会のために行ったことはすべて正しい 俺はそう思う。仏法は現世の法律よりも上だから、法律など関係ない。 2011.10.18 Tuesday 一般人は創価学会のすばらしさがわからないので無視することにした 説明してもわからない奴は敵対者として扱う 2011.10.17 Monday 学会のために行ったことはすべて正しいのだ 俺はそう思う。法律が間違っていることもある。学会が言っていることはすべて正しい。先生もそういっている。先輩も師匠を守るためなら何をしてもいいといった。矢野絢也や乙骨正生との裁判ではわが学会は世俗の法では負けたかもしれない。しかし仏法の上では勝利したことは確かなのだ。裁判そのものが間違っていると俺は思う。もっといえば裁判で学会側が負けたと反学会の連中は騒ぐが、そんなものは仏法の上から見れば大したことではない。(以下省略) http://shinjihi.tumblr.com/post/41694984453/su 創価大学生のブログの内容で現在は、このブログは閉鎖されてるようだ。 これを見ると、日蓮正宗を攻撃するのは、学会が正しいからだという考えから、寺院を放火しようとしたり、はたまた、イタズラ電話をしたり、寺院に乱入したりとする。一般常識から見たら、異常な行動をする理由が分かる。 これが、創価学会の現実の姿の現れであると感じる。そういえば、学会に信仰してないと言って、私のプライベートを調べてネットに出した自称元学会員や自称親が学会員と言う輩がいた。常識無く他人の会社に迷惑電話をしたりもさした。 それも、創価学会という間違えた新興宗教の影響である。だから、平気でネットでくだらない事で騒いでおる。
2013.03.05
第七十条(五十五条)、学問修行の時は宗を定めざる故に・他宗の勤行の事なし、又他宗の袈裟衣をかくる事一向子細無きか、宗を定る事は化他門なり、学問修行は自身自行なる故なり云云。 ○註解。本条は僧分は自行先・化他後なるの通例に従ふ、即ち始は児として師の膝下に修学し更に剃髪して、或は師の下に或は他宗の談所等に修学の功を満てゝ・然る後に始て大僧として化他布教に従事するなり、此は是れ幼童より出家するものゝ通規なり、但し壮年に及び或は老後に至りて発心出家し・又は信徒の随力演説等は必ず此通規に依らず、自行化他同時なりと知るべし、 「又他宗」等とは・当時の学僧は比叡山に留学し又は柏原・仙波にも、下りて他の小談所にも便宜に依りて行きたるが如く真言・禅・浄土等の談所に行きたるの例は無かりしが如ければ、他宗の袈裟衣といへばとて・多くは天台式にして、本宗とは但色を異にしたる位なれども勤行等の行体に至りては大に趣を異にし、加行には弥陀薬師の華香はものかは・不動の護摩を焚きたる事もあるべし、是れ他宗留学には止むを得ざる事なれば・一向子細無きかと云ふなり、 「宗を定る事」等の句は軽く拝すべきなり、或は此文に執して単に化他門には宗旨あれども・自行門には宗旨なしと曲解して外面にのみ謗法厳誡を立て内部には謗法認容の非行あらんことは物怪なり、即ち他門の悪口なる日蓮宗は宗祖始め外には念仏無間等と強義を放言しながら・裡面には密に弥陀念仏を為すと云へる穽に陥いるものなり、凡そ自行化他の前後軽重に就きては・自行前・化他後、自行化他同時、化他前自行後等の重々の義目あり、自行に亦単の信解行あり、複の信解行あり、他宗留学は単の解の一分なり、化他に亦単複の随喜・報恩・利養等あり、此等の細釈は今の所詮にあらず・本条は単に他宗遊学時中・他宗の化儀に同するも差支なしと云ふ、狭き一辺に止て訓を下し給ふが故に其説局れりと見るべし。 この条文は、御僧侶の修行に関して述べられたものであり、我々在家に当て嵌まらない。以前私がだした。化儀抄75条の条文を皮肉っている。自称俳優hideがおる。小学生でも分かる日本語であるが、見学=参詣に当て嵌まらない。これは、常識である。55条に関して述べられたものは、御僧侶の修行関してである。他宗での勤行や衣を着るのは止むを得ない場合がある。それを述べられたものである。自らの学問修行の一部として許される、ということなのである。大日蓮を読むと、富士学林大学の生徒が、身延や比叡山等を見学に行ってる。他宗の事を実際に見て見ないと、勉強にならない。その宗派の実情を知らずに、折伏は出来ないものである。まあ、小学生でも分かる日本語を理解できないようでは、俳優としてのセリフは、理解できまい。
2013.03.04
『大日本古文書』二十四 天平六年(734) 造仏所作物帳断簡 練金一両から作られる枚数は600枚 『大日本古文書』二十五 天平宝字五年(761) 造寺雑物請用帳 練金一両から作られる枚数は415枚 『大日本古文書』十二 天平勝宝四年(752) 書写所雑物請納帳 方二寸三分 と 方二寸 『二中歴』第三 平安、鎌倉時代 木像用金箔 金一両で千枚 『宇治拾遺物語』西暦1212年頃 京都の箔打が大和国金峰山の金18両を持ち帰って、箔7,8千枚を 打った 現在 金一両(10匁)で3寸6分角約1,730枚 奈良時代、鎌倉時代の 金箔のdimension 『二中歴』とは、平安時代の後期、あるいは鎌倉時代の初期に作 成された百科全書なのですが、もともとは『掌中歴』『懐中歴』と いう二冊の本だったのを合体させたのです。現代でいえば、ハンド ・ブックとかポケット・ディクショナリーと称する辞典と考えたら よいのでしょう。昔は時代による変化がほとんどなかったから、鎌 倉時代初期に使われた辞典が江戸時代でも使われ続けたのです。 上の写真は『二中歴』第三のなかの「木像用金薄」という項目の 部分です。加賀藩前田家尊経閣に伝わっている伝本です。 木製仏像に使う金箔といえば、「面七胸五衣三座一」と覚えよ、 とこのポケット・ディクショナリーは教え込むのです。平安時代以 降、これが常識だったのでしょう。現代の日本では失われてしまっ た言葉です。 簡単に申し上げると、最近は金7匁で1,000枚の金箔が通り相場ですから、昔の金 箔はとても分厚い金箔だったことになります。そもそも箔のサイズが違います。 http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site54/ariga5.htm 金は、今も昔も貴重価値である。現代においては、電子部品に欠かせない金属になっており、都市埋蔵金とも言われ、パソコンや携帯等からの金が取れるのである。 懲りずに、hideなる歴史を知らずに、徳川家光公は、日光山輪王寺なのに家康と同じ、東照宮だと言っているようや歴史認識が全く無い。習ひそこないの学者が、騒いでおる。 小生から言わせて貰えば、悪あがきにしか見えない内容である。 私は、高校が工業でしかも、電子関連を学んだので、ネットにある大聖人は、貧乏で大御本尊を建立する金は無かっただの、金箔は購入不可だのを見ると、ド素人の論であると感じる。 彼等は、大御本尊建立に何百万だのと思っているだろうが、きちんと当時の金箔を調べれば、以外にコストを抑えて建立されていた事が分かるものである。 一両の金。鎌倉時代の一両が現代価値でわからないが、江戸時代の一両小判が、3万円との事であるからして、金箔だけで何百万はかかって無いのである。金は、少量でも金箔は作れるのである。だから、現代電子部品に使われやすいのである。
2013.03.02
最近、日蓮正宗が嫌になってネットに騙されただのなんだかんだ言っているのがいる。 信仰してたかが、5年や10年で日蓮正宗の信仰の醍醐味が分かるわけがない。 さも、分かったかのようにネットに書いているのは、私たち信仰からして、迷惑なものであります。 私が、入信して間も無いとき初の夏期講習にて、三重県の婦人に 『にいちゃん若いうちに入って良かったな〜この信心は、20年やって分かってくるで〜』 と言われた事を一日たりとも忘れた事ないです。 20年はやらないと分からん。たかが、数年くらい。10年くらいで、仏法なんて全てを理解できるわけがない。 お釈迦様で40年、天台大師が27年でしたか? 長〜い時間かけて、仏法を理解していくのです。 一生懸命になって、悩みながら色々な事が起きる中、地道にコツコツと正しい仏法を実践しなければ、分からない事です。
2013.03.02
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