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今ゆっぴーが凝っているのがビリヤード。ビリヤードと言っても、本物は台だけでもかなり大きいし、高いし、置く場所もない。そこで、夫が子ども用のビリヤード台を作ってくれたんです。と言っても、フィリピン式ビリヤード。フィリピン式ビリヤードは、玉の代わりに木でできた円盤を使います。専門用語(?)ではこれを「ピッツァ」と呼ぶそうで・・確かに小型のピザみたいではありますね。それでゆっぴーは毎日毎日ビリヤードで遊んでます。はっきり言って私より・・・というか、家族のうちの誰よりうまいのですが・・・あんまり「僕が我が屋のチャンピオンだ~べーべーべー」とかかりんに「そういうことは、僕に勝ってから言えよ」とかなんとか生意気言って、うるさいので、ついに「じゃあ、勝負だ!Race to 3! 先に3回勝った方がチャンピオンよ!」と真剣勝負を申し込んでしまいました、私。ゲームはナインボール。1から順に落としていって、先に9を落とした方が勝ちです。実際にはゆっぴーの方が、私より落とした「ピザ」の数は多いのだけど、ほとんどまぐれで9を落として、私が3対1で勝ってしまいました。悔しくて涙にむせぶゆっぴー。ちょっとかわいそうだけど、試合は試合だからね。その後、私はまだゆっぴーとはやってないのですが、かりんやパパは毎日ゆっぴーとビリヤードやってます。ビリヤードにしろ、何にしろ、こうやって遊ぶ中でずるとかしないで、フェアに遊ぶことを覚えてほしいものです。
2006年04月25日
早いもので、気づいてみれば、ホームスクールを始めて2年が経過し、3年目に入ろうとしています。その間に、7才だったゆっぴーが、もう10才になろうとしているんですねー。ほんとに時の経つのは早いです。ホームスクールの先駆者の中には、「正式な教育は遅い方がいい」と言う主張をしている方もいて、その子その子によって、読めるようになったり、計算ができるようになったりする年齢は違うもの。環境を整えてやっていれば、10才~遅くても14才までくらいの間に読んだり書いたり、計算ができるようになる、という話をよく聞きます。(その間、まったく何もしないというわけではなくて、もちろん親は生活の中で子どもが学べる機会を与えてやるわけですが、それは必ずしも紙と鉛筆、ワークブックを使った学びとは限らないわけです。)ゆっぴーは読み書きについては晩生(おくて)の方だったし、九九もなかなか覚えられなくて、「そうかー、14才まで待つのは大変だなぁ」と思ったり、「ほんまかなぁ・・・」と思ったり「まともに座って勉強できるようになるんやろか・・?」なんて思ったりしていたわけですが、最近、10ー14才開花説(?)はゆっぴーに関しては本当だった!と実感しています。今こちらは夏休みなんで、かりんもゆっぴーも算数と英語だけ課題を与えています。ゆっぴーには苦手な九九をマスターしてもらおうと思って、九九のドリルを一日1ー2ページくらいやらせているのですが、先日ゆっぴーが"It's a magic!"って言うんです。なにがマジックなのかと思ったら、8の段が覚えられた、と言うんです。1から100までの数字が百マスの中に書いてある表の8の倍数だけ色を塗っていったり、しばらく練習して、最後に「目をつむって8の倍数を数えてみよう」という課題をやったら、すんなり答えが頭にうかんできた、と言うのです。ほんとかなぁと思って、8X6とか8X7とかランダムに言ってやると、ほんとに答えが出てくるんです。以前、夫が始めて運転免許を取った時、最初は頭でいろいろ考えて運転していたけれど、ある時、頭で考えなくても自動的に運転できるようになった、と言っていたことがあるのですが、ゆっぴーが九九ができるようになったのも、そういう感じなのかな、という気がします。そういう課題をやっている時、九九の問題を解く時間を計る、なんて、以前だったら二十何分、とか計っているうちに計っていたこと自体を忘れてしまいそうなほど(!)時間がかかっていたのに、(そりゃ、いちいち頭の中で足し算して解いてたんですから時間がかかるわけですが。)最近では数分以内、早いものでは一分で解けるようになってきました。今日も、昨日の日曜学校で、どんな聖句を覚えたのか、と言う話をしていた時、聖句そのものは覚えていないけど、箇所は覚えている、と言ってゆっぴーが自分で聖書を引っ張り出してきて、暗唱聖句の個所を自分で引いて、自分で読んだんです。聖書って、小さな字でぎっしりと書いてありますよね。それを自分で開いて、自分ですらすらと読んだんですから、これは本物だ、と思いました。子どもって、脳が成長して今までの情報がきちんとつながる時期っていうのがあるんでしょうね。去年の今ごろまでは、ゆっぴーが今後どうなるのかかなり心配で、英語の読みのオンライン診断テストなんかも受けさせてたのですが、もうそれも必要ないかな、という気がしています。これって、ホームスクール3年目の余裕?なのかもしれません。何にしろ、いくらかでも結果が見えてくる、手応えが出てくる、というのは嬉しいものだと思います。石の上にも3年、と言いますが3年目のホームスクール、どんな旅路になるのかわくわくしながら夏休みを過ごしている私です。
2006年04月24日
フィリピン、毎日暑いです。今がこの国の夏なんだから、仕方ないと言っても、昼間は35度近くまで気温が上がるんですよ。これが5月になると、もっと上がるんだから、うーん、耐えられるかしら?なので、というわけではありませんが、先週は2度もプールに行ってきました。水曜日は、お馴染みのホームスクールのサポート・グループで、プールのあるお家で集まり。土曜日は、夫の登山グループのスポーツ大会で、これまたプールのある所貸し切りだったので、便乗スイミング。普段から暑いフィリピンと言っても、他の時期だと冷たい水のプールで泳ぐのは、ちょっと・・・と感じるのですが、やっぱり今の時期だと気持ちいいです。サポートグループの方は、お馴染みのメンバーが7家族、これからホームスクールを始めたいという一家、そして、ホームスクールをしているけれど、サポートグループに来るのははじめて、という一家が集まりました。子供たちは幼稚園児から、今年でHS卒業して大学へ行く子まで幅広い年齢の子達です。1ヶ月に1度か2度の集まりと言っても、長期にわたって顔を合わせていると、子供たちもやはりたとえ年齢が大きく離れていても仲良くなってきますね。見ていると、大きなお兄さんは、小さな子たちには「人間遊園地(?)」に見えるらしく(笑)、小さな子は自然と大きなお兄さんに群がって遊んでいます。そんな子供たちを見ていて、自然と話題に登ったのはホームスクールの子供たちは、年齢にあまりこだわりなく対話ができる、という話でした。今度大学へ行くというそのお兄さんB君のお母さんが言うには、しばらく前に、B君が招待されたパーティーにどこかの国の宣教師の方が来ていたのだそうです。もちろん年齢もずいぶん離れているし、人種も違う。でも、B君はすぐにうちとけて、共通の話題を見つけて、いろいろとディスカッションができたのだそうです。その宣教師の人はびっくりして、B君のお母さんに言ったそうです。自分の国でも、B君と同じくらいの年齢の子達を知っているけれど、B君くらいの年齢の子は、同じ年齢層の子とは話ができても大人とはなかなか対等に話ができる子は多くはない、と。ホームスクールだと、同じ年齢の子ばかりで集団になる、ということがあまりなくて普段から様々な年齢の人と接しているからかもしれない、とB君のお母さんは言っていました。もちろん最近は、「ホームスクールで育っても、社会性には問題がない」ということは正式に研究されたデータがでてきているのですが、それをB君のような身近な例として見られると、私のようなホームスクール・ママとしては嬉しいというか、励まされるという感じがします。と言っても、それはスクーラーだとそういう機会が無い、という意味ではありません。それに、フィリピンだとまだまだ多産傾向が強いし、親戚付き合いも濃いから、きょうだい、いとこ、親戚、叔父さん叔母さん、それに親の友達まで含めて、いろいろな年齢の人と知り合う機会は多いけれど、少子化の進んでいる日本(特に都会)だとどうなんでしょう?学校だと縦割りにしたりして、異学年児が交流する機会を持ったりするのかもしれないけど・・・。やはりホームスクールかスクールか、だけじゃなくて、文化的な背景もやっぱり大きいですよね。なんだかまとまりませんが、今日はこのへんで。
2006年04月23日
さて一夜明けて。飲料水は持ってきているので、帰りのバンカ・ボートが迎えに来るまでもてば大丈夫なんですが、使った皿やおなべを洗う水がありません。松は水がないところには生えない、と言われているので、絶対どこかに水があるはず、と言っていたら、あったんです。川が。砂浜の方からは見えないけれど、50mほど松林を入っていくとありました。なべや皿を洗う分には使えそうです。夫と一緒に4リットルくらい入る水のペットボトルを持っていって水を汲んでいると、先住民のおじさんが寄ってきて「その水、飲むのか。飲むなら沸かさないとだめだよ。」と言います。「洗いものに使うだけだから、飲まないです。」と答えると「それなら、いいけど。飲むなら沸かさないとマラリア蚊の幼虫がいるかもしれないから。」えーっ!いるんですか?マラリア蚊。ゆうべなんか、やたらと蚊にさされちゃいましたよ、私。どうしよう、マラリアになったら~そう。忘れてきたんです。虫除け「オフ」ローション。こうとわかっていたら、それだけはちゃんと持ってきたのに~。(注:先住民さんの家にはポンプ式の井戸があって、20ペソ払えば使わせてもらえたそうです。)さて、ボラカイ等のリゾートと違って、ここは、あまりにもやることなさすぎ。太陽も暑くなってきたし、子供たちを連れて、川の水で水浴びして、テントもかたづけて、それでもまだ朝10時です。バンカ・ボート、午前中のうちに迎えにきてもらえばよかったなぁ・・・。そのまま松の木陰で3時ごろまで昼寝したり、ゴロゴロして過ごしました。それはそれでよかったのですが。ハッピーもやることなくて、暇そうです(写真)。なにしろ、暑いしね。3時すぎに約束どおり、バンカ・ボートが迎えに来てくれたものの、1そう足りない!来るときは4そうで来たのに、3そうしか来ませんでした。前の日に飲みすぎで迎えに来られなかったとか、なんとか。片道1そう250ペソだというので、「じゃあ、行きが250x4で1000ペソ、帰りが250X3で750ペソ、全部で1750ペソだから、うちが875ペソ、登山の会の人たちが875ペソね」とかやっていると、バンカの元締めのおじさんがぼそりと「行きが4そうだったんだから、迎えに行っても行かなくても全部で2000ペソだ。」えー、それはないでしょう、と思ったけど、このバンカ代と車のガソリン代以外には出費してないからか、「わかった、わかった、じゃあ2000ペソね」とリチャード君、太っ腹です。ついでに今度登山の会で「ビーチニアリング」の講座をやる時に40人くらいで来るけど、どこで許可をもらったらいいか、とかおじさんに聞いています。また来るから、ここで無理にねぎって敵に回すよりは味方につけておこうという魂胆でしょうか帰りはもう一度知人の家に立ち寄らせてもらい、一休みしてから帰路につきました。
2006年04月15日
さて、バンカ・ボートに乗って到着しました。ビーチの名前は、えーっと、忘れちゃいました。フィリピンのビーチって言うと、普通は椰子の木がずらーっと植わっているものなんですが、ここは珍しく熱帯性の松が生えています。普通の砂浜よりきらきら光る砂が多くて、ちょっと変わっているなぁと思っていたら、実はこのビーチの砂、1991年に噴火したピナトゥボ火山の土石流だったんです。松もあの後植えたものだとか。なるほど、自然に生えたものじゃなかったんですね。それにしても、松は高さが20m以上あります。あの後植えた木がこんなに大きくなるほど、年月が経ったんだなぁ!とか、それにしても南国の松は大きくなるのが早いんだなぁ!とか、いろいろ感心してしまいました。もっともへぇーとかはぁーとか、感心しているのは私ばっかりで、子供たちは関心なし。そりゃあ、君たちが産まれる前の話だもんねぇ・・。ところで、一応先住民の一家以外は無人のビーチということでしたが、イースターのお休みということもあって、他にも3組くらいのグループがキャンプをしにきていました。ちょっと困ったのは、ここはお手洗いがないこと。ちょっと松林の中へ入っていって、ミミズもカエルもちょと御免!とやるしかないんです。こういう時役立つのがマロン。そう、あの栗のお菓子です!布を輪にしてあるサロンのことです。これの中に入って、お手洗いすれば、周りからは見えないし、着替えだってできます。田舎などで外で水浴びをする時など、現地の人は、このマロンを着て水浴びしています。夫ことリチャード君がどうしてもというのでバンカに乗せて持ってきたダッチオーブンで、チキンとポーク・スペアリブを煮込んで、みんなで分けあって食べました。テントは2つ持っていったので、1つは義妹とお手伝いさんのニニの二人が使って、もう1つは私たち家族4人が使います。こっちの方が大きいテントだからね。さぁ、寝よう!とゆっぴーと私が横になると、かりんは「私はどこで寝るの?」「ここで寝たらいいやん。まだ余裕で寝られるよ。」と言うも、なぜかいじけるかりん。しゃあないのう。ほんなら私とパパは外で寝るし。どっちにしても、テントの中はかなり暑かったんで、テントの入り口にゴザを引いて、夫と私は外でハッピーと寝ます。夜中に、ハッピーが「う~う~」とうなるので、はっとして目が覚めました。ハッピーがそんな風に唸るのを聞いたのははじめてです。ふと砂浜の方を見ると、シェパードが急ぎ足で歩いていきました。テントを張っていた別のグループの犬のようです。さて、それはいいとして、なんだかあちこち蚊に噛まれてしまいました。明け方になってきたら今度は蚊はいなくなったものの、寒い~!テントの中ですやすや眠っているゆっぴーとかりんの間に入り込んで、私も寝ることにしました。ハッピーは、外のゴザで寝ているリチャード君の肩を枕にして寝たらしいです。
2006年04月14日
サンバレス旅行の続きです。さて、マニラから北へ数時間。パンパンガ州のサン・フェルナンドで高速を降りて、あとは国道を走ります。サンバレス州のサン・フェリペの町に住む知人を尋ねます。彼女がビーチまで案内してくれるとのことで、先に出発した登山仲間ともここで落ち合うことになっていました。この知人の家にはたくさん果物の木があって、うちの子供たちは大喜び。写真はグリーン・マンゴーを摘んでいるゆっぴーです。こっちでは、熟した黄色いマンゴーだけじゃなくて、若い緑の実もスライスして、オキアミの塩辛 「バゴオン」と一緒に食べたりするんですよ。このマンゴーは、インディアン・マンゴー(現地では「インジャン・マンゴー」と発音)と言って、皮が緑でも割と酸味の少ない種類です。角切りにして、トマトや玉ねぎと一緒にサラダにしてもおいしい。ともかくたくさんいただいてきました。このおうちは、元々農家だったそうで、タイヤだけでもゆっぴーより大きいトラクターがとまってました。さて、持ってきたチキン・アドボでお昼を食べて、いよいよビーチに出発です。サン・フェリペより少し南の、サン・アントニオまで戻り、Pundaquit(プンダキット)のビーチまで、15分ほどのドライブです。今日行くビーチは、ここからバンカ・ボートに乗っていかないといけないところです。地続きながら、道がないので、先住民の一家が住んでいるだけで誰も住んでいないところだそうです。(続く)
2006年04月14日
フィリピンではイースター(ホーリーウィーク)の木曜日から日曜日までお休みになります。そこでうちも金曜、土曜と旅行に行ってきました。最初はルソン島北端のさいはての地 Pagodpod(パゴッドポッド)に行こうか、という話だったんです。18時間のドライブ。名前からしてpagod(疲れた)& podpod(擦り切れた)になりそうな所じゃないですか。スペイン時代の建築物のたくさん残るイロコス地方のViganという町を通っていくそうで、一度は行きたいと思ってたのですが、うーん。知人に聞くとパゴッドポッドはそんなに良くなかったとか。イースターだとビーチはイモの子を洗うようだし、トイレに長蛇の列ができるとのこと。そのうち、まだ産まれて半年の赤ちゃんのいる義妹が一緒に行きたいと言っているとか、義弟の奥さんと子供たちも一緒に来たいらしいという話が、同居の義妹から伝わってきて・・・ああ、フィリピンだなぁ・・・誰かがどこか行くというと、みんなつるんで行くんですよね。しかもなんで、私とか夫に直接連絡してこないんでしょう?同居の義妹いわく「私もそう言ったんだけどね、遠慮してる(Nahihiya)んじゃないの?」夫が言うには「自分たちで車持ってくるならいいよ。うちの車にはもう乗れないから。」そう言われるとわかってたから、最初から連絡してこなかったのかも。そうこうしているうちに夫の山登りの仲間からも「この休み、どっか行かないの~?」との声が。結局、彼らはサンバレス州のビーチに行く事にしたようで、うちも一緒に行く事にしました。次の心配は、ペットをどうするか。でも一晩だけなら、ゆっぴーのカメも、かりんのハムスターも置いていっても大丈夫でしょう。犬のハッピーは、やっぱり連れていくことにしました。私が助手席に乗って、ハッピーはその足元に。タオルを頭からかけてやると、なぜか安心するみたいです。(続く)
2006年04月14日
無事、学校に成績を提出してきました。学校に行ってみると、担当の先生はお留守だったので、テストとか子どもの作品とかノートとか、勉強していたよ、ということを証明するものをファイルしたものも、学校におあずけしてきました。学校に残っていた先生は、ハイスクールの理科の先生だそうで、わがやの子供たちが理科が好きだというと、どんな教材を使ってどんなことをやっているのか、興味あるようす。一応ファイルの中に、子供たちが実験している様子とか、何かを作っている所などをアルバム形式にしたものを入れていったので、それを見せると、先生いわく、「やっぱりホームスクールが一番いいと思うんですよ。うちの学校の(普通のスクーラーの)生徒たちを見ても、大きな学校だとあまりよくできなかった子でも、小人数でやっている小さな学校に来ると、よく目がいきとどくから、よく学べる。だから家庭で親が1人とか数人を見るのだと、ほとんどマone on one(マン・ツー・マン)で勉強できるから、よく学べるに決まってますもんねー。」と、とても肯定的な言葉をかけてもらえました。これも、この学校に登録していたホームスクール家庭が実績を積んできた結果だろうなぁ、と思います。
2006年04月12日
我が家はやっと夏休みに入りました!昨年度の子供たちの成績付けも終わったし、学校に提出するファイルの整理も終わったし、やっと私も一息つける♪あとは、登録している学校に持っていくだけです。ほんとはこちらでは4月、5月の2ヶ月が夏休みなんですが、かりんは今度6年生で、ハイスクール受験。このお休み中から受験勉強をはじめないといけないらしいです。まあ、とりあえずそれはホーリーウィーク(イースター)が終わってからということで。お休みに入った子供たち、何をしているかというと、かりんは紙で着せ替え人形作りに精を出してます。「わたし、ファッション・デザイナーになりたいなぁ」とか言いながら、バレエやスケートの衣装とか、普段着とか、着せ替えの服をせっせと作ってます。ゆっぴーの方は、紙と竹串とか紙とストローで、グライダー作り。うまく飛ばなかったので、百科事典CD-ROMで飛行機についてリサーチ。「ねえ、お母さん、知ってる?『一般に飛行機の羽根は2枚あると思われていますが最近の物はすべて1枚の羽根で構成されています』だって!だから飛ばなかったんだ~!」ほぉ~お母さんも知らなかったよ。2枚だから飛ばなかったかどうかはわからないけど・・・。「ぼくは大人になったら、なにか物を作る人になりたいなぁ」と言いながら飛行機を作っているゆっぴー。そうねー、きっと君は物を作る人になるんだろうなぁ・・・まだ先のことはわからないけど。いろいろ試行錯誤して、5機めでやっと満足のいく飛行機ができたようでした。
2006年04月10日
久しぶりに日本食材のお店へ寄る機会があったので、油あげを買ってきた。油あげなんて、日本にいたらどこでも買える食材だけど海外では貴重品。マニラでお目にかかったのは、実ははじめて。油あげを見たとたん、思い出したのがバイブルスタディー仲間の日系・中国系アメリカ人のDさん。いなり寿司が大好物なのだ。子どものころ、日本人のお母さんに作ってもらったらしい。おととし、中国系フィリピン人のLさんと結婚した時も結婚式にいなり寿司を出したいんだけど、出前してくれるレストランはないか、なんて言っていたっけ。そうだ、Dさんにいなり寿司を作ってあげよう。といっても、マニラに住んで14年、このかた、いなり寿司なんか作った事ない。(だって油あげ自体が手に入らないんだもん。)うーん、うまくできるかしら。昔、母と作った事はあるけど、かなりうろ覚えだわ。一応インターネットで、おいなりさんの作り方を調べてみる。関西風は三角で、関東風は四角、混ぜ寿司を入れるのは関西で、白い酢飯を入れるのは関東なんだ~!なるほどねー。知らなかったわー。母は関西出身なので、確かにうちのおいなりさんは混ぜ寿司が入っていた。でもあげの切り方は四角だったような気が。Dさんのお母さんは広島出身の方なので、お母さんが作られた稲荷寿司は、きっと三角で、やっぱり混ぜ寿司が入っていたんだろうなぁ。でも、とりあえずあまっても仕方ないので、揚げを半分に切って四角のを作ることにした。なんとか30個のおいなりさんができあがった。勘で味付けしたので、やや甘えひかえめだったけど、まあまあそれなりにできあがった。ところで、私がおいなりさんを作っているあいだ、ゆっぴーはコガネムシの観察に忙しい。昨日お手伝いさんが外で捕まえてきたもので、昨日はずーっとしんだふり、今朝も殆どしんだふりをしてた。ゆっぴーは心配していたけれど、周りに人がいない間にちゃんとメロンの皮を食べているようだ。ゆっぴーったら「本物の生きてるコガネムシを見たのは産まれてはじめて」なんて感動している。都会っ子やなあ。夕方Dさんの奥さん、Lさんにおすしを取りに来てもらう。Lさんにコガネムシを見せるゆっぴー。Lさん「コガネムシを寝かせる方法知ってる?」ゆっぴー「知らない」すぐにコガネムシを手にとったLさんは両手を丸めて虫を真ん中に入れてポン!ポン!ポン!と(もちろん虫をつぶさないように)両手を打ち合わせる。「ほら、寝た。」とゆっぴーに見せるLさん。コガネムシ、気絶してる。「じゃあねぇ、起こしかた知ってる?」今度はLさん、両手の中のコガネムシに向かって「うぉー!うぉー!うぉ~!」と低い声で吠えると、本当に黄金虫が目をさました。「子どものころには、よく糸をつけて、黄金虫をぶんぶん飛ばしたもんよ~」とLさん。「ふ~ん~」ゆっぴー、Lさんを尊敬のまなざしで見つめていた(笑)。Lさんの帰った後、うちでもおいなりさんを夕食に食べたけど、かなり大きなおいなりさんだったから3個食べたらおなかいっぱいになった。あとでLさんの持ち帰ったいなり寿司を食べたDさん、やはりもう少し甘い方が好きだと言ってたそうだ。やっぱりなぁ。とりあえず今回のでできるということがわかったから、次回また油あげが手に入ったら、甘~いおいなりさんを作ってあげることにしよう。
2006年04月02日
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