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(1 /30のつづき)知行合一。私の好きな言葉だ。英語を研くという陽明学徒の私は、「行」を重んじる。大学は学ぶところ。教授は教えるが、人を育てることはしない。単位を与えるマシーンで、情は無縁なのだ。大学、そして大学院を出て、博士号をとっていれば、卒業後は極楽(現実はそんなに甘くない)というのは甘い発想だ。甘さ(soft love)で稼ぐ、大学のビジネスは、蜜の味がする。(つづく)
2011年01月31日
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(1 /29のつづき)「悪いけど、オレの信教など捨てて、踏み絵とやらを踏んで、生き続けてほしい」と。これが密教的なアプローチ。本来、多神教的日本人は、後者を選ぶ。これを陽明学派とすれば、朱子学はもっとかたくなに教えを守る。密教は柔軟だ。だが、「行」が伴うだけに、甘くはない。(つづく)
2011年01月30日
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(1 /28のつづき)天草四郎に従った多くのキリシタンは、迫害に耐えた。棄教しなかった多くは、キリスト教信者というよりもサムライ的であった。踏み絵を踏んで死んでいく信者に対して、イエス・キリストはこんなことをいっただろうか。「オレの絵を踏め、死ね。そうすれば永遠の魂が得られるのだ。天国はミルクと蜂蜜の流れる甘いところなのだから」と。まさに甘い(シュガリー)な説得。これは仏教でいえば、顕教的だ。しかし、密教的なアプローチとは何か。(つづく)
2011年01月29日
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(1 /26のつづき)トップから命じられ、説得して修行をするのではない。トップのひとりだけがパーフェクトで、あらゆる人間は不完全。たから、トップに逆らわず、羊のように盲従しろというのが一神教。信じれば救われるという他力本願は、甘い。イエスの甦りを信じます、といえばすぐに入信の儀式が用意される。洗礼で顔に水が注がれるだけで、合格。すぐさまクリスチャンになれる。「行」は要らない。だから砂糖なのだ。(つづく)
2011年01月28日
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(1 /25のつづき)今年も信貴山断食道場で執筆をする。本断食が終ったあと、補食に入る。その時の一つの梅干の美味いこと。何時間でも食べていられる。塩、ニガリは生命の源泉である。「行」の醍醐味も、塩である。武士道も塩である。平成武士道は、magnetからsaltのシンボルに達した。(つづく)
2011年01月26日
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(1 /23のつづき)私塾としての道場は「塩」であった。大学は、私とは縁がなかった国際教養大学を含め、砂糖である。単位というニンジンにくらいついていけば、必ず卒業できるから、甘い。大学は砂糖。道場は、その点、「塩」である。英語を学ぶには、sweat, blood, tearsが要る。塩の味がする。砂糖の資格は試験が終れば、あるいは卒業すれば、すぐに忘れられてしまう。塩味は残る。(つづく)
2011年01月25日
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(1 /22のつづき)秋田と同じく縄文度の高い土地柄だけに、意外にTIMEとノーネス・チャンネル(紘道館の必須条件)に飛びつくかもしれない。万博時代(私が英語道二、参段の頃)に、産声を上げた生駒英語道場。ここには、菱研の半田晴久社長(当時同志社ESS部長)が訪れて、みなと同じ英語道を学んだことがある。大物になる器は、この頃から非凡の才を見せていた。(つづく)
2011年01月23日
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(1 /20のつづき)紘道館の前身のナニワ英語道私塾ゆかりの地である奈良が熱くなってきた。平成の竜馬、塩原祥之という星が急に輝き出した。塩原君は、汗を流して私のために人集めし、80名集めてくれた。若い人の間では私は無名(過去の人)だが、この若き説得の達人は、ご本人の魅力でここまで集めてくれた。このままでは奈良にも紘道館が産まれそうだ。(つづく)
2011年01月22日
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(1 /19のつづき)彼女を自分に寄せ付ける。人間力とは磁力のことだ。The law of attractionは、人間以外の物質をも惹きつける求心力のこと。ツンドクになってもめげない。より一層奮起する、起き上がりこぶしのような人間でなくてはならない。 この3つのどれが欠けても、TIMEをモノにすることができない。だから、紘道館方式で全国にTIME大学(私塾)を広げる必要がある。弘法大師ではないが、全国のホット・スポットに札所をつくりたい。今年はNONESに協力的な秋田と奈良がパワー・スポットになりそうだ。(つづく)
2011年01月20日
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(1 /18のつづき)知識体系があれば、英語のシンボルがわかり、内容が情景と共にイメージできる。だから、日本語での読書量、社会的経験などのトータルが試されるのだ。辞書がなくても「流れ」の掴める人は、かなり情報通の人だ。3つ目。人間力。情報力だけでもTIMEは読めない。健全な批判力が伴っていなければ、精読はもとより、とうてい速読はできない。単語力でうろたえている間、TIMEは永遠にクレオパトラ――手の届かない存在――に終ってしまう。(つづく)
2011年01月19日
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(1/17のつづき)武士にとり、「恥」は、譲れない意地、つまりprincipleだ。この有料クオリティー番組は、エリートをターゲットにしているだけに、私の方でも「構え」がいる。この番組の最初から、日本人がTIMEを読めないのは3つの理由があると述べてきた。 1.英語力。読み、聴き、話し、書ける四つのバランスのとれた技能のこと。2.情報力。TIMEが日本の雑誌並みに、スラスラ読めるには、情報力がなくてはならない。外国語が得意であっても、通訳・翻訳ができないのも、情報力の問題なのだ。(つづく)
2011年01月18日
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(1/16のつづき)自分の出ている画面を見て、突き放してみると、日本語も英語もまだまだだ。しかし私は現場力というか、ハッタリがある。I know now to fake it. 恥ずかしい。しかし、昨日の私より、今日の私、今日の私より、明日の私と。心技体を修行を通じて伸ばし続けてゆきたい。一生、恥との闘いだろう。そのことを考えると、10日間ぐらいの断食行などラクなものだ。昨年の英文日記「武士道」はホームページ(http://www.english-kodokan.com/index01.html)に。(つづく)
2011年01月17日
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(1/15のつづき) 今、ノーネス・チャンネル(インターネットTV )という私にとり「はまり役」(a killer post)があり、しあわせだ。 TIMEが届く。手にとったときから収録までまる一日が勝負。カバー・トウー・カバー読むのは、40年前から習慣(second nature)になっているが、一日で日英バイリンガルで解説をすることは、チャレンジでスリルだ。このバイリンガル・ニュース・キャスターは、憧れの仕事でもあった。英語道七段のときから、自らをゼロ段とした。だから、永遠のゼロを意識したことになる。(つづく)
2011年01月16日
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(1/13のつづき) 独りが一番楽しいことがある。I'm alone by myself. でも淋しくない。By myself。私のそば(by)に私がいるんだから。孤独なんかではない。I'm alone. は独行道。Alonenessは「美」。Lonelinessは「醜」だ。 Aloneness is beautiful. Loneliness is ugly. は私のモットーだ。(つづく)
2011年01月15日
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(1/12のつづき)このブログが出る頃、私は信貴山の断食道場で2週間ぐらい「行」を続ける。本も日記も書く。英語もセルフ・ディベート(自己究論)――すべて人間力の強化に繋がる。独りは楽しいものだ。1人だけで思考をグルグル回せる独楽(コマ)になれる。究論(ディベートの訳)も、コマの延長である。その心はspiral logicだ。コマの心棒が「空」だ。(つづく)
2011年01月13日
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(1/11のつづき)それでもいい、英語は道なのだ。人の道も、コミュニケーションの道も、その他あらゆる諸武芸も道である。道には始めがなく、終りもない。ただ、だまって歩き続けることだ。泣きたくなっても、じっと我慢して歩き続けることだ。涙なんか見せちゃいけない。人がそばにいれば、空に向って泣こう。上を向くと涙を止めることができるからな。 (つづく)
2011年01月12日
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(1/9のつづき)道から外れた日本人にならぬよう、しっかり英語道、そして究論道を身につけよう。 道は行である。sweat, blood, tearsは、すべてしょっぱい。一冊の本を読めば、すぐに英語がマスターできるという、甘い言葉に惑わされないように。砂糖には気をつけよう。いくら英語を学んでも、学んでも、道は遠くなるような気がすることがある。I have a long road to travel before I make it in English. (つづく)
2011年01月11日
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(1/8のつづき)おかげで私もバイリンガル、バイカルチャルと呼ばれるようになった。その「核」となる道(the Way)や徳が身につけば、二重人格者や多重人格者にならなくても、英語を自然にマスターさせる。 他流派に、バイリンガルになるには、二重人格者になれ、と暴言を吐く、人気タレント教師がいるが、そういう人に、道(ミチ)についてどう思うか、と問えば、きっと嫌な顔をするだろう。道を粗末にする人は、道に迷うか、道で泣く。道徳的羅針盤(モーラル・コンパス)を失えば、英語、そしてディベートも凶器になる。(つづく)
2011年01月09日
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(1/6のつづき)3を闘わせると、6角形になる。ヘクサゴナル・ロジックは、サッカー・ディベートの基本である。英会話からディベートへ入り、3角ロジックを研いた。 そして今や闘わなくても勝てる6角ロジックに開眼した。関西サッカー・ディベート協会の幹部たちは、サッカー・ディベートの製本化を急いでいる。(つづく)
2011年01月08日
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(1/5のつづき)これも私流の人間管理学だ。都会人間は「知」で勝とうとする。ゲームプレイヤーが多い。しかし地方紘道館は、「情」だ。その人間力も「自然力」に培われたリーダーは強い。 いずれ、鹿児島県や奈良県にも進出したい。「人材」がいればの話だが。(つづく)
2011年01月06日
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(1/3のつづき)マタギ狩人は狼の群れのようにチームで動く。沖縄の琉球紘道館のように、三銃士が守ってくれるからたくましい。 組織のパワーも3だ。情理も3だ。水と火と空が揃って、知(石と風)が従う。いくら英語やディベートで目立つ人でも、インテグリティー(六角ロジックのこと)がなければリーダーシップはとれない。人は石垣、人は城。人も組織も崩れる時は、崩れるものだ。敢えて、救わない。(つづく)
2011年01月05日
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(1/2のつづき)金子賢男も平川英二もグローバル感覚の持ち主で、かなり腕(口)のたつ英語の使い手だ。だれも、オレがオレがというタイプではなく、チーム・プレイヤーである。 今年の3月に第1回紘道館(佐藤直人塾頭)の会合が能代で開かれる。雪の内陸鉄道に乗れるのかと思うとウキウキする。(つづく)
2011年01月03日
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(1/1のつづき)さて、この3点をおさえたマン・オブ・ザ・イヤーは、秋田の佐藤直人君(元ICEEチャンピオン)に決めた。二度目は落ちるのも覚悟とICEEに参加した。 今回も初段。東北一の英語の使い手。秋田のマタギ・ハンターの主将(シカリ)。秋田紘道館のトロイカをしっかり固めている。(つづく)
2011年01月02日
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(12/31のつづき)3.徳(空)。磁石のことである。自他を超越した人間的魅力には、自ずから人が集まってくる。火は「みずから」。空は「おのずから」と、格が違う。この空はトランプではジョーカー、サッカー・ディベートではチームリーダーになる。チームの士気(モラール)を盛り上げていくリーダー、目立たなくても、存在感のある人。紘道館の塾頭は、こういう人でないとつとまらない。(つづく)
2011年01月01日
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