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今夜はふじさわ湘南ロータリークラブの移動例会です。藤沢南口江ノ電第2ビル1Fの蕎麦と創作和食「猿房」にて・・・新倉会長が亡くなり、喪が明けての「懇親会」例会でした。<久々にみんなでおいしいものを食べ、楽しい時間を過ごしましょう>コンセプトのもと、尽きない話題に大分時間をオーバーしたようです。いつもの例会とは違う、個人の顔の見えた例会でした。 前回の例会の卓話で貴重なお話を伺いましたので記します。 WFP(国連世界食料計画)の活動、国際情勢について 卓話者:大河原珠美様(公文国際学園教諭)食糧援助機関としてWFPの食糧援助方法は以下の3本の柱です。 生命維持のための食糧援助 成長や教育をも目的とした食糧援助 労働の対価としての食糧援助世界人口60億人の内、約8億3000万人の人たちが栄養不足でその内7億9100万人は発展途上国に暮らしています。つまり、世界の7人に一人、発展途上国の5人に一人が飢餓状態にあると言う事です。栄養不足の人が最も多く住んでいるのはアジア太平洋地域です。また、世界には国内総人口の35%の人達が栄養不足の国が27ヶ国その内21ヶ国がアフリカに集中しています。 経済力のある国には様々な食料が集まり、消費されずに廃棄されたり穀物が家畜の飼料にかなりの割合で使用されています。日本では世界中の料理を食べられますが世界でも非情に稀な事です。日本では9割以上を輸入品に頼っていますがその一方で余った食料を大量に捨てています。スーパーやコンビニの賞味期限切れや売れ残り食品などの残飯量は年間700万トンにものぼり、世界の食糧援助総量の70%に匹敵するのです。結婚披露宴の食事の4分の一が無駄になっているのです。日本が豊かさを独り占めしている事実を知り、驚きました。このことを一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。
2005.01.31
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昼下がりの日曜日、リビングの暖かい日差しを浴びてソファーでくつろいでいました。こんな、のんびりしたの久しぶりFM湘南ナパサの中尾副社長から携帯にコール「おめでとう。良かったね、盛況で楽しかったよ・・・・・」昨日は一緒にこられたナパサのDJ<ガラさん>からも同じように携帯にねぎらいの言葉を戴いていました。 湘南FMナパサの<土曜スペシャル>サーカス;リーダーのDJ叶 高さんの特別ゲストに小野ひとみが出演したのです。番組が終わった叶 高さんを交えて副社長・ガラさん・yungusaさん・私と乾杯しました。その時に叶さんの口から湘南ライブへのゲストが決まったのでした。急な予定が入るといけないので、チケットを買って下さった方にお知らせしませんでした。突然の飛び入りデュットに満員の聴衆は驚き、二人の歌うステージの迫力、その圧巻さは素晴らしいものでした。皆様のお顔で、大変喜んで戴けたと叶さんには感謝しています。 ナパサや皆様のお陰で ひとみちゃんのコンサートはほんとに大成功でした。60人分のチケットは<ソウルドアウト>遅くに返事を頂いた方をお断りしなければならない状況でした。 ひとみちゃんのことを全く知らなかった、ほとんどの人がその歌唱力とステージに魅入り、感激して涙までして下さった。帰るときに口々から返してくれたお礼の言葉の一つ一つがひとみちゃんの今日の関係者の心に染み渡った事でしょう。 打ち上げでひとみちゃんを囲んで
2005.01.30
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昨夜は茅ケ崎市内異業種グループ「ハイテクメイト湘南」の <新春経済講演会> 会員企業:大和證券さんから講師をお迎えして年に2回の経済情報を詳細な資料とともに今後の見通しなど解説して戴く。 私たち「エレガンス」のコンパニオンのサービスで懇親会。会頭になられた会長に替わる次年度の新会長の紹介があった。次期の会長は私も事務局をしている日本宇宙少年団茅ヶ崎分団の団長をしている宇宙に造詣の深い方なのです。〆の挨拶を星の話を交えて1本締めでしめくくり、2次会に移る。 会合が終わってさよならでなく、こうした2次会も雑談の中からお互いの背景やらその人となりを知る良い機会です。次回の例会は神奈川県湘南産学公交流推進協議会(KSSK)と共催で<基調講演><企業プレゼンテーション><交流会>が有ります。講師にお迎えするのは茅ヶ崎のオーテックジャパン社長:遠藤 淳一氏です。題して「日産のマネージメントの変革とオーテックの取り組み」日産のカルロス・ゴーン社長の右腕として若くしてオーテックの社長に抜擢された遠藤氏のお話しが楽しみです。時々寝てしまい、ヤカンが一滴も残さずカラカラに・・・・・そんな状態で昨夜からビバー茶を煮出しています。昨日も今日も幾つもしなくてはいけないことを抱え、忙しい日です。今日のコンパニオンの手配、お寺の檀家の世話役さんの新年会だけだったのに2日前に料亭からの6人の依頼がありました。夜のライブもあり、合計9人出すのは大変なことです。「4人は確実に、6人に近く努力します」とお断りして何とか2ヶ所8人を確保しました。あと一人です。誰でもいいと言うわけにはいきません。ライブを楽しみにしているのに出てくれとは言えません。約束の4人より一人多い5人を確保したのにところが「何とか6人に」と料亭からの電話・・・・受け持ったチケットは完売したのに今度はこちらで電話のかけまくり、集合時間の6時半まで今もしています。いつも宿題を抱える因果な商売・・・・
2005.01.29
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ある日、また空き店舗の張り紙を見つけました。茅ヶ崎の中心部国道沿いの2階、約15坪の空間でした。後ろは茅ケ崎市役所、前は農協会館、商工会議所、郵便局、警察とひらつか方向に並んでいます。 すぐ電話をして、父に知らせました。その頃住んでいた家には離れがあって、麻雀部屋がありました。妹の友達、父の友達などいろいろな人とよくしていたものです。即、決定!こうして4人セット麻雀屋さんが誕生したのです。私が言いました。「社長室」がいいんじゃない?ほとんどのお店がリーチ麻雀、いわゆるスタッフが待機していてお客さんと賭ける・・スタッフにお給料を払い、その人の勝った・負けたは自己責任です。それと違う、4人でいらしたお客様への貸し卓のみでした。好きな事を仕事に一人で、できたのですから嬉しかったでしょう。今と違って、いい時期に麻雀屋さんを営業してたと思います。 やがて私は東大卒の<麻雀プロ>井出洋介先生や健康麻雀を提唱した田島理事長等とご縁ができて 「賭けない」「飲まない」「吸わない」麻雀店の空いてる昼間の時間を<無料健康麻雀教室>として父の協力で開放し、1年間茅ヶ崎での普及に務め、今に続いています。知的ゲームとしてのマージャンを普及していく協会の会員になり広報担当として8ページの「麻雀新聞」を作っていました。賭けないマージャンを「麻雀」から「麻将」と変えることになり「麻将新聞」の題字の揮毫をお願いに国会議事堂に行きました。とうま 明男:県会議員と甘利 明:衆議院議員から当時の厚生大臣だった首相:小泉さんのお部屋に井出洋介先生とお伺いしたのです。早いもので「健康麻将協会」は昨年15周年を迎えました。高齢化対策として自治体が取り込んだり、経済紙にも健康麻将の効能が取り上げられ認知されつつあります。父が他界し、私が経営を引き継いだと同時に夜の麻雀店の営業は止め、カルチャー教室として「健康麻将」を今は水曜日だけ「英会話教室」を主宰し地域の交流サロンとしています。「社長室」から「ティア交流サロン」へと名前も変えました。私の世界では父が麻雀屋をしているのを誰にも言えなかったけれど今、私は声を大にして言います。「麻雀って楽しいですよ」私もできるようになりました。父は「そうだろう」って言っているようです。今度お墓に牌を置いてこようかしら・・・・・・・ 1/26 ひょっこりひょうたん島 からの続きです。完結☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.28
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素人の私がお店にいるのはかなり、辛いものがありました。人見知りはするし、おしゃべりは苦手その頃はイタリアンなんて言葉や区分もないし、スナックの延長ぐらいにしか見られません。 その点、弟は接客術をたたきこまれて、話しをそらせません。私は無理やり、相手をするので手持ち無沙汰な私は水割りをグイグイ・・・・もちろん薄いのですが最高16杯も!私がお酒に強いのはそんなことだったのではないでしょうか? 3人でのお店も宮代君が飲食業の友達のパートナーとして辞め海沿いのディスカウントショップの軽食屋さんからはじめその友達のお店、大磯の「ブルーマリーン」を立ち上げました。 そんな頃北海道から大学に通い役者になりたくて茅ヶ崎に住んでいた岩本君が「ドンガバチョ」のお客さんで通っていたのです。 食事をご馳走したり、家に遊びに来るうちに欠けた人数を岩本君が正式に住み込みで働くことになりました。マージャンの好きな父とのマージャンのメンバーとしても重宝がられていたこともありました。がんちゃんは真面目な人でしたよ。お店のカウンターに上がり、プレスリーの物まねをしたり、その頃から歌がうまく、その片鱗はあったのでしょう。 やがて役者の夢を果たせなかった彼は北海道に帰ることになり札幌に飲食業のお店を出し、そこで発掘されたのです。深夜の「ギルガメッシュナイト」の司会や<布施 明>など物まね四天王として活躍し、今は独立し自分のプロダクションでスケジュールが毎日埋まっているようです。 今から思えば私の青春だった思い出が・・・・お客様とのテニス、ディスコパーティー、音楽に合わせてお皿やグラスをたたいて毎晩楽しく賑わっていました。やがて私は結婚して、女子美に通っていた妹が手伝うことに・・36年の歴史の中でみんな、おじさんおばさんになったけど 今だにあの頃のまんまの気持ちでいる私です。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.27
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医者を継がず商売をしたかった父が晩年にかなえた自分の夢それは2つのお店を持ったことです。イタリアンのお店とマージャン屋さんでした。日本では湘南が発祥のサーフィンに夢中になっていた弟大学受験に失敗、サーフィン仲間とビーチボーイで真っ黒でした。そんなある日、今では普通に使われる「ヤバイ」と言う言葉を口にし、それが起因で叱られた弟は「こんな家、出て行ってやる」飛び出して2年も茅ヶ崎にいなかったのです。 あとでわかったのは先輩に紹介して貰ったアルバイトや日本に初めてできたビザハウスなどでお世話になっていたのでした。結果、ビザの作り方や接客を学び茅ヶ崎に戻ってきたという事です。「何とかしなければ」茅ヶ崎に偶然私が見つけた貸し店舗の張り紙・・・父からの援助もあり、とんとん拍子に話しが進んでいったのです。野村證券に務めていた私は辞めました。茅ヶ崎に初めてのイタリアンのお店を開店させたのです。 名前を決めるのも大変で・・・当時のNHKのひょっこりひょうたんじまから「ドンガバチョ」に弟は<マスター> 私は<ガバチョのお姉さん>手伝ってくれたのが宮代君 弟の友達でした。今から36年前のことでした。今は「ガバチョハウス」と名前を変えましたが、当時のままのレトロなお店とおいしい味は変わりません。次のページで物まね四天王「がんちゃん」こと岩本 恭正君が私たちの家に住み込み働いていた頃のお話しをしましょう。☆ガバチョハウスはこんなお店です。http://homepage2.nifty.com/gavacho/☆がんばれ!湘南ベルマーレ「元気創造プログラム」http://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.26
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リクエストが多かったという冬ソナのメロディー大きなチェロを演奏するのはプロミュージシャンの吉川よしひろさん。優しいお顔に長髪が良くお似合いです。ここは藤沢白旗にある湘南長寿園病院http://www2.ocn.ne.jp/~chojuen/開設以来20数年にわたって高齢者の看護、介護に携わってこられた老人医療の第一人者 医学博士松川フレディ先生が院長です。院長は本やテレビのお茶の間でもおなじみのお顔です。常に高齢者に安心な療養環境を考え、◎老人の疾病を癒すのみばかりでなく、老人の将来をも考えた 医療を行う。◎最大限に老人の希望を取り入れた個別の医療を、真心をもって 提供する。これを この病院の医療理念としています。 また、ニオイ対策こそケアの基本。 「臭い、 汚い、 暗い」誰もが描く老人病院のイメージですが 院内のニオイ対策を徹底させているクリーンな老人病院でもあるのです。この病院には一木会会員が二人います。 素敵な人生の先輩方と(一木会)今は藤沢市民病院名誉院長のピンピンコロリの栢木先生は火曜日と木曜日の午前中、消化器・循環器の外来を担当。藤沢市立看護専門学校の校長だった中西さんは婦長をしています。そして私のふじさわ湘南ロータリークラブ会長の西尾さんがここの事務局長をしているのです。お二人から院内コンサートの話を聞いていたので、 一木会の松井先生とおじゃましたというわけです。ベッドから看護士さんに連れられ車椅子で集まってきた患者さん達はリズムをとったり、それぞれに聞き入っています。蘇州夜曲・リンゴ追分・波浮の港・浜千鳥・叱られて・・・・普段はジャズが多いのに今日のために選んだ曲は懐かしいメロディー私は涙が出てきました。どうしてでしょう?多勢の患者さんの涙を拭いている姿が見られます。また、演奏に歌う人も出てきました。私を含めた3人のお誕生日の人のために全員でハッピーバースディーを・・・・松川フレディー先生をはじめ、 皆さん、患者さんを看る目が優しいのです。アメージンググレイスそして 最後の曲「上を向いて歩こう」 こうして感動のチェロコンサートは終わりました。併設の有料老人ホームの方もいらして、皆さん本当に喜んでいたのがわかります。音楽は心を和ませ、心を洗い 豊かな気分は明日の力になることでしょう。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.25
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人に会う時は 春のような暖かい心で 仕事に励む時は 夏のような情熱的な心で 考え事をするときは 秋のような澄んだ心で 自分を戒める時は 厳しい冬のような心でこんな素敵な言葉を下さった先生がいらっしゃいます。 松井 芳子先生は最後を藤沢市内の小学校の校長として退官し横浜国大の講師としていらした2年目に当時の葉山 俊藤沢市長に請われて全国初の女性教育長となられた方です。教育長2年を過ぎた頃、葉山市長から今の山本市長に体制が代わりそこでも新市長に請われて2期8年を教育長として女性ならではの心配りとアイデアで手腕を発揮されました。日本初の円形の養護学校など、その一例です。今、私はふじさわ湘南ロータリークラブ社会奉仕委員長として麻薬撲滅委員長がリーダーで企画進行中のプロジェクトを抱え会長・幹事と連携を取りながら講演にふさわしい、もう一人の講演者を探していました。メディアから新聞社・テレビ局など報道の最前線の方に実態を披露していただこうとか・・・・・2~3日、いろいろな人にお会いしたり紹介していただいたりしてきましたが、関われば関わるほど薬物乱用以前の家庭や学校、地域社会の教育力が低下したことにすべて起因している事がわかリます。青少年を指導する方々に対象者を絞った「麻薬乱用撲滅セミナー」薬物に行き着く<子どもの心を救うこと>が大事なことだと。 一人ひとりの子どもたちが持つすばらしいものを見いだし、それを自ら育て伸ばしていくことを助けることが、家庭や学校、地域の大切な仕事である事を私達が自覚していかなければならないのです。松井先生こそ、いいお話を聞かせてくれる・・・・方向変換を打診したところみんなも納得してくれました。一木会のお付き合いの中でいつか講話をとお願いしていたこともあり先生のご自宅にお願いにあがり、お引き受けいただいたのです。月曜日の例会:委員会報告で麻薬撲滅委員長からの報告を終え、あとは水曜日の会長幹事会への企画書を提出するだけとなりました。 きっといい「薬物乱用防止セミナー」になると確信します。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.24
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土曜日は素晴らしい富士山の見えたいいお天気だったのに今日のお天気は、雪国を思わせる曇天・・それに雪がチラチラ。出かける気分も失せて、1日中家でぶらぶらしていた。来週はいろいろなことの詰めがある、自分に休養と言い聞かす。 ひとみちゃんのライブがあと1週間に迫ってきた。 小野ひとみひとみちゃんのページhttp://www.art-makoto.co.jp/hitomi/yunguさんからの電話で特別ゲストの曲が決まったという。 実は秘密にしていたけれど先週の湘南ナパサに出演のひとみちゃんのDJをしていたサーカスのリーダー叶 高さんがゲストでライブに・・・と約束してくれた。 ホッピーを飲みながらの話だが万が一予定が入ってしまったらと今日まで公にはできなかったのだが・・・歌う曲を決めたということは必ず来てくださるということだ。ひとみちゃんのステージに華を添えてくれるのが嬉しい。席をあと10席、追加することに決定!ひとみちゃんの素晴らしいライブ是非、見に来て下さい。・日時:2005年1月29日(土)18:30~・場所 ハスキーズギャラリー・料金 \3,500 予約は\3,000 ☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.23
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中高年の女性は「冬ソナ」から一連の韓流映画に詳しい。興味ない私は母や妹の話に「フゥ~ン」と話題に追いつけない。ビデオ貸してあげるから見てみれば・・・・そりゃぁ、私だってたまに深夜に偶然、見たこともある。昔、「君の名は」「あの橋のたもとで」すれ違い、まどろっこしさ・・・そういえば懐かしい。週刊誌からの情報では、そんな純愛ブームが今年は中高年サラリーマンの間でもわき起こっているらしい。 不治の病におかされた女性「みこ」と、恋人「マコ」の切ない往復書簡集は140万部の大ベストセラーになり、吉永小百合主演の映画も大ヒットした。中高年、特に男性には<サユリスト>と称するファンが多い。いまだに衰えない知性と美貌は更にいぶし銀に憧れと尊敬ものだ。 私も大好き。ああいう風に年を重ねていきたいものだ。某、超アイドルだった少女のオバサン化にはなるまいと。この冬、それを大和書房が復刊したところ、初版8000部が即日完売状態になったという。定年を前にした団塊組が「青春時代を思い出して切なくなった」「あの日に帰りたい」と再び涙を流しているのだ。 そのほかにも渡辺淳一モノなど中高年サラリーマンの「恋愛モノ読みたい」ブームが起こっているという。 中年女性と同じ、トキメキたい症候群が中高年男性にも蔓延しているらしい。「団塊世代をはじめ、50代の中高年男性は定年など自分の人生の答えが出てしまう時期にさしかかっている。「一生懸命働いてきたのに、過去を誇れる人なんてごく一部です。そんなつらい境遇だから、今の自分は本当の自分じゃないと、昔の恋愛経験とか現実からかけ離れた純愛物語に自分をオーバーラップさせ、心の空洞を埋めたいのかもしれませんね 」 東京家族ラボ主宰の池内ひろ美氏はこう言う。同じ家に住みながら、それぞれの空洞を埋めている中高年の純愛ブームの背景には、悲しい現実が横たわっているのか。なぜか「熟年クラブ」のご案内がきた私は、 <一人がいいさと>ゴミ箱に捨てた。 ☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.22
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TBS「スーパーフライデー」にて、水谷先生のドキュメンタリー「完全実録!夜回り先生 若者たちを救い続けた熱血教師の13年の闘い」 を見た。水谷 修氏<プロフィール>1956年横浜市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。横浜市で高等学校の教師となり現在までの夜間高校の教師を退任。教師生活のほとんどの時期、生活指導を担当し、高校生の非行、薬物汚染問題に関わる。特に薬物問題では、若者たちから「夜回り」と呼ばれている。深夜の繁華街のパトロールを通して、多くの若者たちとふれあい、彼らの非行防止と更生に取り組んでいる。 従来の駅頭での麻薬撲滅キャンペーンを実質的な内容で、例えば「水谷先生の講演を」と国際ロータリー第2780地区の全役員が一堂に会する<新・奉仕委員長会>で大先輩のひんしゅくをかった様だ。提案という事で批判などしていないのだが、男の中に女一人休憩時間に茅ヶ崎の若いロータリアンが励ましてくれた。そんな事で従来の形から今回はセミナーという形で実現できそうだ。 水谷先生は「ライラ」という2泊3日で青少年の集まる会場に講演に来てくださることになっている。残念だが「麻薬撲滅キャンペーン」ではお呼びできなくなった。 「お前ら 死ぬな! 明日をつくろう」 今の時代をうまく生きられない7万人を超える子ども達からのメールや電話による救援のメッセージに自分の時間とガンに蝕まれた身体を犠牲にして、毎夜闘っている先生。悲しみを抱えた子どもたちのオモイを 社会に伝えること・その現状を語ること水谷先生は頼られ過ぎて教師生活をも余儀なくされ教師を辞めた。今年は大人たちと子どもたちとの再度の関係形成のための接着剤になろうと,自分の時間を削り立ち向かっている。関われば関わるほど薬物乱用以前の家庭や学校、地域社会の教育力が低下したことにすべて起因している事がわかる。 一人ひとりの子どもたちが持つすばらしいものを見いだし、それを自ら育て伸ばしていくことを助けることが、家庭や学校、地域の大切な仕事である事を私達が自覚していかなければ・・・青少年を指導する方々に対象者を絞った「麻薬乱用撲滅セミナー」薬物に行き着く<子どもの心を救うこと>が大事なことだ。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.21
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月曜日に報告する「麻薬撲滅キャンペーン」の企画私がしなければならない案件で色々電話したり、訪ねていったりここ2,3日その件に追われている。私の宿題http://plaza.rakuten.co.jp/elegance/diary/200501170000/茅ヶ崎市役所の神奈川新聞記者室、ひらつかの神奈川新聞湘南総局・・特に麻薬担当記者がいるということではないので最前線の情報は?結果的には適当な人がいないということで新聞社は諦める。 経過を幹事・麻薬撲滅委員長に報告し残るメディア:テレビ局関係者に方向転換、少ないコネを頼りにTBS関係の方に電話してお願いすることになった。 何故、TBSかというと1月の番組で、TBSの田丸美寿々さんで報道特集「少女と白い粉」確かそんなタイトルで麻薬常習への入り口となる都会で簡単に手に入る薬物の受け渡しの実態の現場を見たからだ。 私はたまたま視聴者として見たのだが、青少年を指導する立場の人、いわゆる<私達が参加して欲しい>と願う人たちがそんな実態を果たしてどこまで知っているのか・子ども達に麻薬の恐ろしさを伝えるだけ真実を把握しているのか?そんな取材の中、実態を知っているどなたかに講話をして欲しい。それがTBSの関連の方にお願いしたい一番の理由だ。 そこで世間の裏事情に詳しい楽天仲間の両国のご隠居さん、そしてその友人TBS関係のS氏その3人で東京での会合となったのだ。お二人の人柄がそうさせるのか2~3回、あっただけなのに昔からの友人のように思えるのは不思議。それぞれにあたってくれると私の宿題を分けてくれた。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.20
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「湘南スタイル研究会」の第45回の例会が 茅ヶ崎「Kumaya Dining」で行われました。湘南スタイル研究会 サザンも歌ったえぼし岩湘南を愛する有志が集い発足した研究会です。 http://www.shonanstyle.ne.jp/ 今日の講師は日本画・版画・立体造形など幅広く制作する寒川在住の田口 雅巳氏です。湘南ぶらり達人:田口先生とはhttp://plaza.rakuten.co.jp/elegance/diary/200412010000/ 2年後に古希を迎えられる方には見えない先生はお好きな赤の色のセーターに<横須賀どぶ板通りの>派手なスカジャン足を上げて真っ赤な靴下を見せてくださいました。そして三味線の糸とじをデザインしたシルバーのペンダント・・・ 絵を目指していた息子が中学時代のこと先生に<注意されても、されても>赤い靴下を履いて行き呼び出された私は、泣いて「お願いだから履かないで・・・」今は当たり前のアナをあけたGパンには「可哀想に、親なのにズボンも縫ってあげないなんて」の声人と同じ事を嫌う息子に<世間体ばかり気にして>と言われたのを思い出します。 先生の様に絵だけで食べていかれるのはほんの少しの人先生の一貫した生き方・ポリシーをお聞きしながら、絵をあきらめた息子の顔がダブって仕方ありませんでした。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.19
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お正月明けで会社も営業体制に入ったがいろいろと忙しい。やらなくてはいけないことがほんとにたくさんある。あ~ぁ新年を迎えて各種会合もいっぱい・・・ 行きつけの<止まり木>に行けたのも久しぶり・・・ ある人と話をしてて、睡眠時間の話しから・・・・その人はもう出来上がっていて、時々まぶたを閉じている。「もう眠い、帰ろう」といいながら帰る気配はいっこうにない。今日は自分の時間をシンデレラ時間以内に楽しんでここにいる。自分で立ち上げたプロジェクト、団体で拘わっているプロジェクト本当の自分の仕事より多いかもしれない・・・・「そのエネルギーを仕事にだけ費やせば?」今頃、お金持ちだよ・・・・身内に言われてしまう。そんなで11時か12時以降がプライベート時間になってしまう。プログを更新するのも、意外と時間がかかる。情報発信として表に出る文章だから間違ったことは書けない。でも、そんな自分の生活を楽しんでいる。イヤイヤ、やっていることなど一つもない。「何でそんなに、がんばるの?」団体の地域への貢献や社会貢献に自分の時間は使えない。意味がないという「悪いけど、どれだけ価値があると思う。」私は今までも<こういう考え方の人もいる>と すべての人・事に対立をしてこなかった。その人が毎日<止まり木>にいる遊の時間を楽しんでいるように人にはそれぞれの色々な生き方・過ごし方があるからだ。私は時々遊の時間でもいい。そこに行けばいい飲み仲間もいるし。でも、今日は傷ついた。右手にロマン、左手にそろばん理念と経済を両立させるのはいつのことやら・・・いい加減な年になるのに要領の悪い自分を非難されたようで☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.18
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月曜、夜はふじさわ湘南ロータリークラブの例会7時からの例会前に私が委員長である社会奉仕委員会の中の「麻薬撲滅キャンペーン」の打ち合わせをする。会長代行・幹事・麻薬撲滅委員長・そして私の4人補導員歴30年の故新倉会長の急逝で、会長推進の経過や人脈がゼロになり振り出しに戻ったこの企画。当初の企画では講師として<夜回り先生:水谷修氏>をお迎えし、講演を1時間半くらいしていただいた後、警察・学校関係者・父兄等にパネルディスカッションをしていただきたかったのだが。3月開催の青少年を対象の<ライラ>に水谷氏の講演が先に決まってしまっていた。遅れた企画にパネルディスカッションは無理と本日決定し、講話者2人の講演会とした。 参加対象者は市内7つのロータリアンもだが、青少年に接する教育関係者・保護者・指導者などの方々に<薬物乱用の恐ろしさと実態>私たちの知らない実態を現場の関わっている人から講演で知って貰うのだ。最前線の人が見た<現実・実態>を報道するメディアの人からそして立ち直る為の更生施設「横浜ダルク」の施設長(依頼済み) 神奈川新聞にお願いしてどなたかに講話していただく。 藤沢市などの共催が取れるか?その場合どのように・・・・神奈川新聞にお願いすることと一木会でご一緒させていただいている元教育長松井先生とお会いし教育委員会を通して青少年を指導する各方面の参加者の動員に力をいただけるよう、お願いすることが私の宿題となった。 ロータリー2780地区での新年度の社会奉仕委員長の集まりで私は挙手した。「駅頭で風船やばんそうこう、飲み物を赤ちゃん連れの親子や誰彼なく無作為に配るキャンペーンに本当の意味があるんでしょうか?」そのあとの会長幹事会に出た会長・幹事がそれを後押ししてくれ、ホストとして今回の企画書提出になったのだった。承認されれば7クラブからの各代表者で実行委員会が組織される。駅頭でのキャンペーンそれ自体も啓蒙運動として有意義ではあるがやったとの自己満足ではないのだろうか・・・恒例の駅頭キャンペーンから初めての試み「薬物乱用防止運動」参加者数が目的でなく内容のある実績が残せたらと思っている。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.17
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母の実家が田園調布にあります。そこで生まれた私は小学1年生の時、茅ヶ崎に移りましたが春休み・夏休みなど泊りがけで3人兄弟でよく行ったものでした。子どもの記憶でも田園調布と茅ヶ崎の暮らしが随分と違うのを感じ田園調布の駅で祖母に見送られる時は茅ヶ崎に帰るのがイヤで泣きながら帰ったものでした。<田園調布ルーテル教会幼稚園>の卒業写真と<茅ヶ崎小学校>の写真を見比べると並んだ子どもたちの違いに笑ってしまいます。半農半漁と別荘の町、昔言ってた<茅ヶ崎・蚊ヶ崎・蝿ヶ崎>田園調布の友達には手動でエンジンを発動する自動車があるのに茅ヶ崎に唯一あるのは駅前の輪タク・・・懐かしい風景が、今では大好きな街に変わりました。 そんな子供時代をすごした祖父母はすでに鎌倉の東慶寺に眠り、田園調布の家には母の弟夫婦、叔父叔母が健在で薔薇の館となった家で暮らしています。五十嵐喜芳さんにオペラを習いピアノも良く弾く、はきはきした、とても美人で自慢の叔母でした。長女である、いとこが薔薇の達人と出会い、手ほどきを受けて和風の庭を素敵な薔薇の館に変身させたのでした。そのいとこが結婚し、今では夫婦二人で愛しんでいます。 また、叔母は昭和五十二年から真勢易龍師に周易 四柱推命 方鑑気学 姓名学 手相人相 と占いを勉強し始めて30年近く指導を受け私も良く当たるのでビックリします。そんな叔母が<薔薇と占いの館>のホームページを開いています。九星気学による、年運と月運・本命線によるその日の運勢を毎日、知ることができ、素敵な薔薇も見ることのできるサイトです。 また、リンクを辿れば、フジ子・ヘミングウェイさんのことやわが街「田園調布」を愛する人たちによる田園調布の風景など楽しめます。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.16
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ひらつかのコミュニティー放送「湘南FMナパサ」に行きました。今日の2時からのFMナパサ「土曜スペシャル」に1月29日に茅ヶ崎でライブをするジャズ&ソウルの小野ひとみが出演するのでyunguさんと一緒にお供をしたわけです。サーカスのリーダー:叶高のDJでひとみちゃんの魅力がリスナーに届けばとミキシングルームの横で聞いていましたが叶さんとのおしゃべりと選んだ曲でしっかり伝わった事でしょう。 会場となる茅ヶ崎のハスキーズギャラリーに向かいあらためて3人で下見をして色々、打ち合わせを済ませました。チケットをお店に置いてくれてるハーブ専門店「アールグレイ」のクマさんご夫婦にひとみちゃんが初対面、協力のお礼を・・・湘南の人たちは当日、温かく迎えてくれるでしょう。 再びナパサに戻り、MNビルの下のヤキトリ屋さんに。先ほどの叶さん・ナパサのガラさん・副社長中尾さんとで乾杯!湘南の人たちに声でひとみちゃんを紹介できました。湘南からの情報発信! ナパサはミュージシャンを育てるのです。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.15
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久しぶりにゴールデンタイムのテレビをみた。私は2時間モノのサスペンスが好きなのだがコマーシャルの間はチャンネルを回して細切れで別の番組にも遠征してしまう。今日の番組からトレタマでの寒川にあるキリンビバレッジの新発売のお茶の情報今年の花粉は大量に飛んでるらしい花粉ビジネスなる言葉が踊り、畑違いの会社でも新規に参入したり新商品開発にやっきになっているということだ。キリンビバレッジは湘南ベルマーレのスポンサーでもある。ちなみに競技場の飲料はスポンサーの飲料に制限されている。あたらしく開発されたお茶は「体質茶」ネーミングも面白い。花粉症やアレルギー体質の人に最適という。KW乳酸菌と緑茶の組み合わせがアレルギーを抑制するお助けマンとして100万ケースが出荷されることになっている。 今日、大磯プリンスホテルの特選店の方で販売しているうちの湘南セレクトクラブ<ダイエットグミ>が少なくなっているので納品に行った。ついでに2号館売店のほうも在庫を確認してきたがやっぱり「湘南セレクトクラブ甜茶」が売れているようだ。補充しておかないと・・・・私も花粉ビジネスで儲けましょうか・・・・☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.14
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今日はかねてよりのお誕生日会を祝ってもらった。私ともう一人、同じ月生まれのお誕生日を迎えた二人のために。茅ケ崎市内の異業種グループ「ハイテクメイト湘南」の理事会が6時からあり、終わってから遅れて参加するようになっていた。ところがこの日は藤沢での「一木会」もあり、大事な会合が3つも重なってしまっていたのである。一木会の<元教育長>松井先生にはお願いしたいことがありどうしてもお会いしたいし・・・・私たちふじさわ湘南ロータリークラブがホストを務める「麻薬撲滅キャンペーン」を意義あるイベントにするため青少年の指導者の方々を対象に薬物乱用防止運動に参加してもらうために協力を仰ぎたいのだ。 昼間、会議所に出向き所用で欠席の旨、届け会長・委員会のパートナーにもお許し願った。一木会の松井先生には快くご協力戴けるお返事をいただけ、感謝!茅ケ崎市役所の神奈川新聞の記者室にも出向き、薬物乱用に詳しいセクションを紹介していただき、何らかの協力をしていただけるようにもお願いしてきた。 月曜日のロータリー社会奉仕委員会では様々な情報を持ち寄り急逝した会長の意思を継ぎ、意義あるイベントの実施ができそうだ。 ホッとした後だから、誕生を祝ってくれる仲間の気持ちが本当に嬉しかった。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.13
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エレガンス新聞VOL7は<妻能登録「エレガンス」はがんばる女性を応援しています。> 元気な女性を応援しています。社会が元気になるには女性の力が必要です。一人の力は小さいけれど100人いれば、いいえ1,000人いれば社会を変えることもできます。 エレガンスでは少しでも元気エネルギーをお届けしようと元気な女性を応援してきました。後藤愛子さん(主婦)茅ヶ崎の自宅をコンサートホールにしてしまい<子ども達に生の音楽を聴かせたい>そんなオモイの後藤さんの夢をかなえてチャリティーコンサートを開催してきました。吉武まつ子さん(声楽家)「海の日ファミリーチャリティーコンサート」 吉武まつ子と愉快な仲間たち<世界音楽めぐり> スポンサー探しとチケット売りに奔走し、市内各ロータリー、地元企業、支援者のお陰で毎回約15万円ほどの純益金は毎回、<障害者作業所「工房朱」><社会福祉協議会>そして、<海岸清掃の為の費用>になりました。 3年経ったとき、レールを敷いたコンサートを預け今度は地元輩出のオリンピック選手の支援をすることになりました。平塚の異業種研究会の、もう亡くなってしまった岩附さんから「この人に応援してもらいなさい」と私を訪ねてきたのです。 <ビーチバレー発祥の地>湘南からアトランタ日本代表では9位再びシドニーへの出場権を得るために世界中の大会で戦いつづけている初対面の女性でした。 ビーチバレーボーラー :石坂 有紀子地元南湖在住で西浜小・中学校、茅ヶ崎高校出身です。<専属ではない>個人の彼女をオリンピックに出場させるため世界各地で行われるワールドツアーへの経済的な支援を「エレガンス」がサポートすることになりました。現金でなく、湘南のあらゆる人に様々な形での支援の輪を作ることに約8ヶ月、湘南の支援者を増やしながら彼女は勝ち進み、筋肉美を披露した「麒麟端麗 生」のテレビCMにも起用され、話題になる一方見事にシドニーへの切符を勝ち取ったのです。茅ヶ崎・寒川・藤沢・平塚etc・・・湘南の多勢の支援者に囲まれ「エレガンス」登録会員:石坂有紀子はシドニーへの人となりました。今は私の友人がプロデュースするジャズ&ソウルフル「小野ひとみ」を応援しています。湘南の人たちに彼女の「元気パワー」を分けてあげたいのです。その友人と茅ヶ崎ライブを友人と共催することになっています。是非、身に来てください。☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.12
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エレガンス新聞VOL7が出来上がった。<ワープロは人に打ってもらうもの>自分じゃ一切文書を作らなかった私が楽天日記を知り、初めてタイピングを日常のものとすることができた。茅ケ崎市役所の無料パソコン教室のボランティアの方達に自己流のワープロ知識取得での、解らないことだけを、教えてもらいに行った。そんな私が自分のオモイの「エレガンス新聞」を創って、はや7号めみんなは当然なのに、遅ればせながらやっと<手段>を手に入れ表現するツールを得たのだった。」今月号は「がんばる女性を応援します」だ。1月29日茅ヶ崎のハスキーズギャラリーでジャズ&ソウルフル「小野ひとみ」の茅ヶ崎ライブを友人と共催することになっている。ちょっとタイム昨夜は一睡もしないでパソコンに向かっていたので湘南温泉に行きさっき帰ってきた。眠気がこないので、一日得をした気分だったが猛烈に今、眠気が襲ってきた。眠ることにして、明日この続きを・・・・☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.11
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石原慎太郎の「太陽の季節」のモデル死去…ふじさわ湘南ロータリークラブからの訃報私たちのクラブにも卓話に来てくださったり、大きな大会の時にはお会いしていた山本淳正さんが亡くなり逗子の延命寺にて8日・9日通夜・告別式が行われた。 上の左から2番目にいらっしやいます。(地区大会にて) 夕刊フジからの以下、抜粋 東京都の石原慎太郎知事(72)と故石原裕次郎さん(享年52歳)兄弟と親交があり、慎太郎知事の芥川賞受賞作『太陽の季節』の主人公のモデルとなった葉山町出身の実業家、山本淳正さんが4日心不全のため、死去した事がわかった。71歳だった。太陽族元祖会の初代会長を務めたほか、展望レストランのオーナーになるなど典型的な「湘南ボーイ」として知られた山本さん。関係者が明かした素顔とは…。 山本さんは昭和8年、湘南ボーイの代名詞ともいえる葉山町で、御用邸前にある同町唯一の高級旅館『かぎ屋』の子息として生まれた。 全国的な有名進学校として知られる旧湘南中学(現湘南高校)から慶応義塾高校に転学。野球部ではサードで活躍、バスケットボール部で活躍していた裕次郎さんと知り合った。当時、2人の交友関係などを、大人のモラルに反する若者群像として、慎太郎氏は乾いた文体で『太陽の季節』を描写した。 小説の中で、スポーツ好きで、異性交遊の熱心な“ラブハンター”として描かれた主人公のモデルが山本氏だった。性に関する話がオープンでなかった当時、男根で障子を破るシーンが描かれ、大きな話題となった。 山本さんは、当時では珍しいヨットを持っていて、裕次郎さんとよく遊んでいた。アロハシャツを着て、刈り上げカットと最新スタイルに性格も親分肌だったので、小説の主人公のように実際、女性にモテました。私のような堅物には、まぶしくみえました」と振り返る。 山本さんは高校卒業後、実家を手伝っていたが、『かぎ屋』を中国海鮮料理店『れすとらん海狼(かいろう)』に改装。「いわゆる『展望レストラン』のハシリとして知られた。地元実業界ではパイオニア的存在でした」(地元の商工会) 平成8年には、裕次郎さんとの思い出などを綴り、その魅力に迫った『友よ 太陽族裕次郎の素顔』を上梓した。 「葉山の太陽が落ちた」-。友人たちはこう話し、肩を落としている。 ☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.10
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茅ヶ崎地区コミュニティーセンターは茅ヶ崎元町にありお年寄りのケアセンターや子どもの家「茅っ子」も併設された地域のコミュニュティーの場として市の指定管理者制度により運営されています。 調理室もあり茅ヶ崎の異業種グループ「ハイテクメイト湘南」の私が部長を務める<新創造ビジネス部会>では二度にわたり郷土料理創作の場となったところでもあリました。このケアセンターでお年よりに楽しまれている「茅ヶ崎すごろく」の話を聞きました。私たちの子どもの頃にはお正月となると、はねつき・すごろくをしたものでしたが、最近は羽子板も飾り物だけになってしまいまして、すごろくで遊んでいるのを見かけなくなりました。 すごろくはわが国最初の歴史書である「日本書紀」には持統天皇の時代689年に賭博性のあったすごろくの禁止のおふれが発せられたと書かれています。わが国に現存する最古のすごろくは朝鮮より渡来したものが正倉院北倉の御物として所蔵されています。人間は遊び心を持っているからこそ人間です。ジョン・ホイジンガーは、「遊びの精神が人類の歴史を作った」とし、人間を遊びの動物=『ホモルーデンス』と呼びました。日本でも「遊びをせんとや生まれけん」というように、昔から、子供の自由な心、しなやかな遊び心を大切にしてきました。この遊び心こそが人間を人間たらしめ、人類の創造性をおおいに刺激してきたのです。ケアセンターでお年よりの介護を手伝う<庵八重子>さん作成のオリジナル「茅ヶ崎すごろく」は茅ヶ崎の名所・旧跡が描かれた昔懐かしいゲームです。サイコロを振ってますを進めたり戻ったり・・・すごろくの人間的温かみがお年よりの郷愁とも重なり喜ばれているのです。 今度は「茅ヶ崎カルタ」を作成中だそうです。 資料 「双六ネット」より抜粋☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.09
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昨日の7日は父の祥月命日でした。妹の家と合同で星野ファミリー・庵ファミリーと刻まれたお墓は芝生の中に自由にデザインされたモダンなお墓です。お花の好きだった父に仏花は似合わず、いつも洋花を手向けます。今日も富士山を中心に山々が雪を抱いて鮮やかな姿を現しています。 「おとうちゃまは子ども孝行だったんだね」 <「鍋島の猫騒動」に出てくるご殿医>が先祖の 医者の家を継がず、医者嫌いだった父・・・ どんなに連れて行こうとしても、てこでも動かぬ父を救急車で無理やり連れて行ったあの日本命の病気はたいしたことなかったけど、「おなかが痛い」と繰り返し訴えてた父看護婦さんが来るたびに「痛い」と 「浣腸したりしてますからね・・」 ナース室で聞いた「また、痛いと大騒ぎよ」家族総出で順番に足をさすり、どこか父の身体に触れていた毎日眠って欲しいと願うのに一睡もしない父アンカをおなかに抱かされた晩、やっと届いた訴えに、超音波での撮影が行われた。「盲腸です。お年だから手術はしません。」やっと痛みの原因がわかって、「眠らせましょう」と注射安心した家族を帰し、「私がいる」と父と二人だけの時間。 私は高校生から結婚するまで嫌いになった父に反抗した。外泊はダメ、手紙は見る、電話は切る、門限など・・・・・なぜ、私だけ理不尽な父とおろおろする母 そんな母にも反抗した。 23で結婚が決まり、家族全員で金時山へのハイキング 「お父さんとお母さんに可愛がってもらえ」 「帰ってきたい時は帰って来い」今までの理不尽を許し、父と母に親不孝を心でわびた星野家最後の箱根の夜だった。 そんなことを思い出しながら 「おとうちゃま、ごめんね」 「眠れる注射を打ったから、もう寝てもいいんだよ」父は目を閉じようとしなかった。最後まで・・・何気なく見た、父のベッドのグラフが平らになっていく。「これって死じゃうってこと」・・・信じられなかった。 とうとう平行線になってしまった。「死んじゃったんでしょうか?線が平らになっちゃったんです」今でも忘れられないナースの一声 「あら、効き過ぎちゃったのかしら」呼ばれた先生が脈を取り「ご臨終です」「ご家族を呼んで、いらした時間をご臨終にしましょう」私だけが父の死を看取り、安心して帰った家族が20分後に再び病院を訪れ、意外な結末に驚いた。その直後からお葬式を出すまで、夢を見ているようだった。「もしかしたら、迷惑かけないように おとうちゃまの子ども孝行だったんだよ。きっと!」<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.08
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昨夜は「ふじさわ湘南ロータリークラブ」 2005年、第1回目の例会でした。今晩は特別にシャンパンで乾杯!併せて今月にお誕生日を迎える私を含めた3人のバースディーを祝ってもらいました。センスのいい、素敵なお花がしばらく私を迎えてくれるでしょう。お花を頂くのは嬉しいものです。 例会の後、クリスタルホテルのティーラウンジで理事会です。1月、2月の例会運営の確認をしたり、山積している案件でホテルを出たのは10時過ぎとなってしまいました。 私たちクラブがホストで主催する麻薬撲滅キャンペーンの企画を会長・社会奉仕委員長の私・キャンペーン委員長と進めてきた事が会長の殉職とも言えるご逝去で、会長の担当した部分が白紙になってしまいました。 従来、重ねてきた駅頭でのオマケとチラシの配布キャンペーンを当クラブの企画での内定を頂き企画に沿って実施月をずらして貰い、進めてきたのです。補導員歴30年の会長の人脈でのパネラーなどどうなっているのかわかりません。できるだけ意志を継続したいと残された私たちは考えます。 4月16日 藤沢産業センター6階全フロアを押さえてあります。藤沢の7つのロータリークラブの協力を仰ぎ、青少年を指導する立場の方々を対象に<講演とパネルディスカッション」の開催の正式の企画書を26日までの会長幹事会に提出することが当面の課題です。会長代理の「意志を引き継ぎ、何とか成功する為に力を合わせましょう」の言葉を頼もしく聞きました。小学生までが何らかの薬に手を染めている現実を知っていますか?私たちの知らない現実の世界を把握して人数あわせでは無い本当の意味での麻薬撲滅キャンペーンを実施したいと願います。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.07
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湘南ベルマーレを支援するオフィシャルグッズ「ビバー茶」を創った私たち「エレガンス」は<工場を持たないメーカー>として平塚の茶製造「がんこ茶家」で「茶屋町のお茶」「サーファーのお茶」「ビバー茶」など私たちの<本物へのこだわり>と<女性ならでは夢とアイデア>をカタチにオリジナル健康茶の製造をして頂いています。私たちのブランド「湘南セレクトクラブ」を立ちあげ<湘南にこだわったストーリーのオルジナルハーブティー>を湘南から発信、販売しているのです。 「夢をカタチに」湘南の女性たちが創ったこだわりの健康茶また「ベルマーレ」さんとの縁などで平塚市にも御世話になるので私は「女性会」のメンバーとして平塚商工会議所に所属し4年目になりました。今日はその、平塚商工会議所での「賀詞交歓会」があリました。平塚商工会議所http://www.shokonet.or.jp/hiratuka/ FM湘南ナパサの名パーソナリティー:木下秀成氏の軽妙な司会で平塚商工会議所会頭:島田敬也氏の年頭の挨拶に始まり大蔵律子市長・河野太郎衆議院議員・陶山豊彦市議会議長・森正明氏など県議会議員の出席者代表賀詞が続きました。国立音大助教授であり平塚市教育長の岩崎由紀子氏の独唱のあと年男・年女28名が壇上に上がり<鏡開き>懇親会の幕開けです。平塚ステーションビル「ラスカ」ホールで行われた交歓会は400名近くの参加者であふれかえっています。私たち「エレガンス」も毎年、「トータルレディー」さんと分担バンケットサービスを務めました。地元のFM湘南ナパサ・湘南ケーブルテレビが会場内をインタビューそれぞれの平塚のメディアが実況しています。 中でも印象に残ったのは衆議院議員、我らがベルマーレの会長河野太郎さんからの湘南ベルマーレ情報7市3町のホームタウンを持つNPO湘南ベルマーレスポーツクラブは地域に密着した総合型スポーツクラブとしてサッカーだけでなくビーチバーレー・トライアスロンのチームを持っています。シドニー、アテネオリンピックで活躍した女子ソフトボールチームが参加し核となる選手を中心に北京オリンピックは湘南ベルマーレから出場することになるそうです。詳細はもっと調べて又書きますが、うれしいことです。和気藹々と賑やかに運ばれた懇親会も万歳三唱で〆となりました。湘南が益々元気な街でありますように・・・・・年頭の大きなイベントも無事に終え、ホッとした私です。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.06
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今日は茅ヶ崎商工会議所恒例の新年賀詞交換会です。茅ヶ崎商工会議所http://www.chigasaki-cci.or.jp/茅ヶ崎の官公署・事業所・団体等の各代表者が参加し、今年は243名の参加者で和やかに開催されました。 市民憲章を全員で朗読、国家斉唱に続き新春を寿ぎ琴・尺八の伴奏で日本吟心流詩吟國舟会 宗家:松島國舟先生の吟詠で祝吟が披露され、純日本的な演出の新年会です。 私が所属する茅ヶ崎の異業種グループ「ハイテクメイト湘南」の会長でもある「日本精麦(株)」の田中会頭の年頭の挨拶は地域社会で真に求められる商工会議所として商工業の発展を通して地域福祉の増進に寄与することを目標に活力ある地域づくりをめざして全力で取り組んでいくこと、茅ケ崎市とも連携を強化し創業者の支援事業IT(情報技術)少子化・高齢化・様々な環境問題TMO(街づくり)事業の推進「大岡越前祭」50周年記念・・・ 等 茅ヶ崎ゆかりの大岡越前の菩提寺「浄見寺」での墓前祭 これからも真のオピニオンリーダーとして既成概念にとらわれずこれらの案件に対して柔軟な思考と発想で取り組んでいくことの決意を力づよく表明されました。続いて服部信明茅ケ崎市長による乾杯で懇親会に移ります。 私たち「エレガンス」のバンケットサービスは新年の初仕事が商工会議所の賀詞交歓で始まるのです。茅ケ崎市庁舎「コミュニティーホール」に12テーブル、セットされ茅ヶ崎フィッシュセンターさんのお料理を12名でサービスします。あちらこちらで名刺交換やら新年の挨拶に余念がない、なか茅ヶ崎市議会初の女性議長:山下孝子氏の万歳三唱でお開きとなりました。今年の干支は「酉(とり)」「酉」は「福取りの神」とも言われ、開運や商売繁盛のめぐり合わせの良い年とされているそうです。幸運に満ちた1年の幕開けを期待し、私たちの初仕事も終わりました。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.05
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年末に風邪の頭痛と違った痛みを感じました。普段ない、痛みだったので内出血でもしたんじゃないかくも膜? などと心配しました。 また、左わき腹も毎日痛みがあるので本当に心配しました。でも、何時の間にか消えてしまいましたが・・・私も医者嫌いで我慢してしまう方で、家族に内緒で家庭の医学などこっそり見たりします。 昨年の内、保険を見直して充分に入り残された人に迷惑をかけない様、経営者としての後始末も考えました。真剣にそういうことを考える年齢になったのです。ドクターの前に出るとなんだか緊張して自分の症状を正確に伝えられない事が有ります。女性週刊誌を切り抜いてここに書きました。 1:どこが痛みますか? a.おなか(胃・左上腹・左上下腹・恥骨・右下腹・右上腹) b.背中(左右の肩・左肩甲骨・腰) 2:いつ痛くなりますか? 空腹時・食後・朝起きた時・運動後・動いた時・横になった時 3:今までに大きな病気を患ったことがありますか? はい(病名 )いいえ 4:現在、何か治療を受けていますか? はい( )いいえ 5:現在、常用している薬はありますか? はい( )いいえ 6:アレルギーは有りますか? はい(何に対して: ) いいえ 7:良く眠れますか? 良く眠れる・あまり眠れない・寝つきが悪い 8:一日の睡眠時間は? 大体( )時間程度 9:便通の状態は? 普通・便秘ぎみ・下痢ぎみ10:排尿の状態は? 普通・排尿前に痛い・排尿後に痛い・血が混じってる気がする11:お酒は飲みますか? はい(多い・少し・普通) いいえ12:お酒を飲む方へ どんなお酒をどの位飲みますか? 種類( ) 頻度(週 回)13:喫煙しますか? はい(一日 本) いいえ14:女性のみ 最近の生理はいつからいつでした? ( 月 日)から( 月 日)まで15:最近、旅行に行きましたか? はい(どこへ )いいえ16:最近、変わったことはありませんでしたか? 引っ越した・転職した・子どもが生まれた・失恋した 部署が移動になった・スポーツを始めた・化粧品を変えた<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.04
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今日はマイバースディー大晦日に豚汁を作り、東京風お雑煮のだしを取り、具の準備もしたけれど、うちの子二人は3日間いなかった。おせち料理は作らず、せめてお雑煮だけと思ったのが結局、お雑煮は母の家で食べることになった。それ以外はお鍋にいっぱい作った豚汁を食べ続ける毎日・・・今日の誕生日も二人はうんともすんとも言ってこない。ここ1週間、書きたくても書けない心のうちを表現できなくてパソコンに向かいたくなかった。今日、久しぶりに開いて太一さんからのお誕生日の言葉を貰いとても救われた。ナイトカフェー「クー」のママからも携帯にメールが入っていた。やっぱり今年も誕生日は一人・・・でも、13日にはお祝いをしてもらえるんだ。久しぶりのパソコンに思い出しながらさかのぼって書いていこう。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.03
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いつものように1年の終わり、やっと31日に年賀状の宛名書きに取り掛かります。宛名書きを印刷する事は簡単だけど手書きで書く様にしています。そして一言も・・・今年は大晦日の食事の後に実家に行ったので全部書き終わったのが今日になりやっと発送する事ができました。とても字が下手になったと驚いています。ノートに書くのと違って葉書に書くのは難しいですね。パソコンで打つ事が多くなり書く事が少なくなったからでしょうか私はせっかちで今書いてる字と次の字が一緒になってしまう事があります。一字一句ゆっくり書くゆとりが足りないのですね。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.02
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新年を迎えました。 大晦日から実家に来ています。自立している息子と同居の娘は元夫の実家で恒例の新年を迎えています。必ずお餅とおせち料理を持たされてくるのです。きっと、まだお年玉も貰っているのでしょう。 私と母、弟と妹、4人で父のお墓参りをしてきました。芝生の公園墓地は雄大な富士山、大山から箱根までの山が一望できる素晴らしいところです。昨夜の雪も解けて山だけが白い雪を抱えた、いいお天気のお正月を迎えました。<湘南ベルマーレ支援と湘南をもっと元気な街にする>☆元気創造プロジェクト公開日記☆見てねhttp://www.himekuri.net/d55/2313/
2005.01.01
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