森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2015.06.10
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カテゴリ: 森田番外編
私たちの心の中には、どうなりたいとか、どんなことをしたいとか、何が欲しいといった欲求や願望があります。
それを実現して幸福になれる人もいますが、やはり、人生そう甘くはないわけで、たいていは思い通りにならずにつらい思いをします。
「なりたい自分」になれないし、「欲しいもの」は手に入らない。
こうして、「生の欲望の発揮」の努力を中止してしまうと、「かくあるべし」という厄介なものがのさばってきます。
現実と理想のギャップに苦しみ出します。心の中は不満だらけになります。
最後には、「こんな人生になんの意味があるのだろうか」「ただ苦しいだけではないか」
「人間は苦しむために生きているのだろうか」等と悲観的に考えるようになります。
だいたい苦難や災難は一つ起こってくると次から次へと連鎖してたて続けに起こることが多いものです。
たとえば、リストラで仕事を失い、経済的困窮がもとで奥さんと子供が実家に帰ってしまう。


この問題に対して、「夜と霧」を書いた精神科医のフランクルは、それは認識の仕方が間違っていると指摘しています。
つまり、「人生の意味」は、私たちがそれを追い求めるのに先立って、常に人生のほうから送り届けられている。
私たち人間がなすべき事は、生きる意味はあるのかと「人生を問う」ことではなくて、人生の様々な状況に直面しながら、その都度「人生から問われていること」に対して全力で答えていくこと、ただそれだけだというのです。
これはほっとさせられる考え方です。

人間はそもそも「人生とは何か」と問う存在なのではなく、「人生から生き方を問われている存在」である。
この視点に立つと、人間が「人生に意味があるかどうかを問う」という態度は傲慢且つ不謹慎であるということになると思います。
したがって、人間にできること、しなければならないことは、人生の様々な状況に直面しながら、その都度、状況から発せられてくる「問い」に全力で答えていくということである。
そうして自分の人生に与えられている「使命」を全うすることにある。

もう一度言いますと、フランクルは「人間は常に人生から問いかけられている存在」だと言いました。
フランクルは、ここにこそ人間の本来あるべきあり方があると考えました。

これは森田でいうと自分に与えられた運命をそのまま受け入れて、目の前に与えられた困難で悲惨な問題点や課題などに対して誠心誠意立ち向かっていくことだと思います。

こういう考え方ができるようになると、ずいぶん楽に生きていけるのだろうと思います。
(100分de名著 フランクル夜と霧 諸富祥彦 NHK出版より一部引用)





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Last updated  2015.06.10 06:42:03
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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