森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2016.06.24
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形外先生言行録の御津磯夫さんのお話です。

鐘が鳴るかや 撞木(しゅもく)が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る

51年前の慈恵医大で私の精神科講義の森田教授の第一声がこれであった。
あざやかに今日も私はその日の光景が目の前に彷彿としてくる。
私は一瞬面喰って一瞬茫然としたが、この最初の一言が私の一生を支配したようで、なんとも忘れられず、意味もよくわからないまま、私の内的生活を育んできたごとくである。
(形外先生言行録 御津磯夫 62ページより引用)

これは古歌で、森田先生は「鐘が鳴るかや 撞木がなるか 撞木が当れば鐘が鳴る」と作り変えておられる。
また森田先生は、ある時の懇話会で、座って話を始める前に、いきなりポン・ポンと拍手を打たれて、「いま鳴らした拍手の音は右か左かどちらの手からでたのか。
「鐘が鳴るかや 撞木が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る」という文句があるが、いってみればそれは不即不離なのだ。思想的にいえば中庸ということであろう。


音が鳴るということは双方がぶつかり合って鳴っている。
相互に影響を与えて「ゴーン」という音が鳴る。
今までそこにはなかった新しいものが生まれてきたのだ。
強くたたけば大きな音がする。小さくたたけば小さな音しかしない。

人間の行動や精神活動も同じである。
自分と他者との相互関係の中で、自分も相手も相互に影響を受けて変化していく。
生まれた赤ちゃんは母親がかいがいしく世話をしてくれるおかげで、愛着の形成ができ、言葉を覚えて、しだいに成長していく。
インドで狼に育てられた女の子がいたが、その子は性格も行動やしぐさも狼そのものであったという。
ここでの要点は、人間の行動様式や思想傾向は単独で生まれるものではなく、自然や他者との相互関係の中で育まれるものであるということである。

そして次にその相互関係はどうあるべきなのか。
森田先生は不即不離、中庸を目指すべきだといわれているのではなかろうか。


宇宙の現象は、すべて唯、発動力と制止力とが、常に平行状態にある時にのみ、調和が保たれている。
天体にも、物質にも、引力と斥力とがあって、その構造が保たれ、心臓や消化器にも、興奮神経と制止神経とが、相対峙し、筋肉には、拮抗筋の相対力が作用して、はじめてそこに、適切な行動が行われている。

吾人の精神現象も、決してこの法則から離れることはできない。
余は特にこれを精神拮抗作用と名づけてある。
欲望の衝動に対しては、常にこれに対する恐戒・悪怖という抑制作用が相対している。


この衝動と抑制とが、よく調和を保つ時に、はじめてその人は、善良な人格者であり、その衝動が強烈で、その抑制の剛健な人が、益々大なる人格者である。





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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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