森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.07.28
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神経症は自分で症状を治そうとすればするほど、ますます悪くなるものである。

すなわち、 「逃げようとする」か「踏みとどまる」かが、治ると治らぬとの境である。
(森田全集第5巻 389ページより引用)

普通、神経症で苦しんでいる人は、なんとかこの苦しみを取り除きたいと思っている。
薬物療法でも、森田療法でも、他にどんな精神療法でもいいが、とにかく体にべったりと張り付いているコールタールのような気味が悪い異物を除去してほしい。ほとんどの人は、その症状に10年も20年もとりつかれて格闘しているのである。
お金には変えられない。もし、特効薬のようなものがあるのならいくらでもお金を出してもいい。藁にもすがるような気持ちなのである。
そんなときに、上記のようなことを言われたらな気持ちになるだろうか。いい気はしないかもしれない。

神経症のアリ地獄に陥ってる人は、無責任極まる事を言われているのではないかと思うかもしれない。

地獄の底に落ちて、もうなすすべがないと白旗を上げた人にピンとくる言葉ではないかと思う。
精根尽き果てて背水の陣を引いた人にはよく分かる言葉なのである。

私の場合を振り返ってみよう。
私の症状は対人恐怖症であった。それは中学生頃から始まったように思う。
とにかく、友達との人間関係がうまくいかない。付き合えば付き合うほど不愉快になるのである。
そのうち友人たちを避けるようになった。ひとりで過ごすのが精神的に楽なのである。
しかし、心の奥底では友達を求める気持ちも強かった。
また友達に一目置かれて尊敬されるような人間になりたいといつも考えていた。

こういう状態で社会に放り出された。生活のために仕事を始めたのである。
ところが、そのうち人間関係が悪化して、生活の糧を得るという目的が希薄になってきた。
会社では、良好な人間関係が基礎にないと仕事を続けることは困難であると思うようになった。

私の注意や意識は、会社内の人間関係を壊さないためにはどうするかという点にばかり向いてきた。
注意や意識が外に向かわずに、自分の内へ内へと向かいだした。
それは経験した人ならだれでもわかると思うが、自分に対する信頼感がないために、精神的にとても辛いのである。このような状態で生きていても、苦しいばかりである。
自分は苦しむために生まれてきたのだろうかと考えるようになった。
つまり、頭の中も生活の面でも全てが悪循環のスパイラルにはまっていったのである。

このまま一生を終えてしまうのか。

森田理論学習によって、症状はそのままにして、目の前の仕事や生活に丁寧に取り組んでいけば症状は治ると学んだ。私は素直に森田理論に従い、さらに先輩方のアドバイスを忠実に実行に移していった。
1年くらいすると、会社での仕事が好循環を始めた。会社内での評価も上がってきた。
これが森田でいう治るということかと感じた。
しかし、常時自己内省的な状態から、やることなすことが外向きになって、行動面では問題がなくなっても、人の思惑が気になって精神的に苦しいという状態は依然として強かったのだ。

次第に、これが森田の限界だと思って森田理論に魅力を感じなくなってきた。
森田理論では自分のこの苦しい症状はとることはできないだろう。そんな力は森田にはないのだろうと思っていた。つまりこの時点で、別の意味で、症状をとるということあきらめてしまったのだ。
10年も20年も森田理論の学習を続けてきて、症状がよくならないので、症状を治すことを諦めざるを得なかったといってもいい。それからは対人恐怖症を治すための努力はしかたたなく止めてしまった。

そこに投入していたエネルギーはどのようにしたのか。
その頃、私が取り組んでいた事は、森田全集第5巻の中には、森田先生が普段の生活ぶりについて、いろいろと説明されていた。
どうせ対人恐怖症が治らないのなら、森田先生のやることなすことを徹底的に自分の生活の中で取り入れる努力をしてみようと考えました。特に、森田先生は形外会などで鶯の綱渡りや踊り、民謡などを積極的にされていました。一人一芸を自分でも豊富に持ち、入院生たちと積極的に楽しまれていました。

私もそれにヒントを得て、トライアスロン、テニス、スキー、魚釣り、資格試験への挑戦などにどん欲に取り組みました。
一人一芸では、楽器の演奏、どじょうすくいの踊り、しばてん踊り、浪曲奇術などを手始めに、いろいろ挑戦してみました。
もし対人恐怖症が完全に治るのならその方法に頼っていたと思いますが、治らないので、やむなく諦めざるを得なかった。
そして治すために使っていたエネルギーを、自分の趣味や興味のあることに集中して使うようにしたのです。

振り返ってみると、私の他人の思惑が気になるという特徴、あるいは個性と言ってもいいかもしれませんが、これは一生涯変わらないだろうと思います。
他人の思惑が気になろが、なるまいが、自分の人生においては、どちらでもいいのではないか。
むしろ他人の思惑が気になるというのは、人を安易に傷つけたりすることが防げるかもしれない。
その特徴をできるだけプラスに活かしていけばいいだけのことで、それを修正することは難しいし、無駄な努力になってしまうかもしれない。
症状を治すことをやめるという事は、そこに使っていたエネルギーを「生の欲望の発揮」に向けて切り替えるということだと思います。
そうすれば、症状と格闘することがなくなるので精神的にはずっと楽になります。
そして気持ちを前向きに外向きに使うことができるようになるので、精神的にも健康になり、日常生活もどんどん生産的、建設的に変化してゆくのだと思います。
私の症状を治さずに治したというのは、まとめてみるとこのようなことなのです。





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Last updated  2017.07.28 06:30:05
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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