森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.10.05
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カテゴリ: 行動のポイント
政治家はよく国民の生活をよくするために、政治活動を続けているという。
会社の社長は、社員の生活を守るために会社の経営をしているという。
ここで「 ・ ・ ・のために」という目的志向について、森田先生がどのように考えていたのか見てみよう。

私のやった仕事が社会の役に立ったという事は事実だと思うのが、同時にそれは自分の為でもあったわけだ。
「 ・ ・ ・のために」という目的意識を考えている間は、おそらく、まだ解脱した人間とは言えないだろう。
例えば、 「 ・ ・ ・のために」と、考えてやった仕事がうまく行かなかった場合、当然、そこには失望、落胆、憤慨、怨恨等々 、諸々の情念が群がり起こってくるだろう。
「 ・ ・ ・のために」という目的意識がなければ、心はいつも静かな水の流れのごとく、平静であるに違いない。
波打ち際の砂浜で、やがては波に洗い去られることも考えずに、子どもたちは無心に砂の池を掘り、砂の山を作るが、彼らにはなんらの目的意識もなく、ただ作ることの楽しみと喜びがあるだけである。
私は思う。たとえどんなな小さなことでもいい。その大小は問うところではない。

なまじっか娑婆っけを抱いて、 「 ・ ・ ・のために」と動き回っては、かえってよろしくない。
しいて言えば、楽しさのために、やれるだけのことをやればいいのではないか。

「 ・ ・ ・のために」という目的意識がなくて、 純な心のままにやるときには、そこには何の無理もないから、仕事そのものになりきることになる。それが人間にとって、 1番幸せな心境であるだろう。
森田先生は、神経症の治療をする時も、原稿を書くときも、風呂焚きやサボテンの世話でも真剣に取り込まれた。修行の積んだ人の日常生活は、仕事をしていても遊びと同様の気分である。
これを遊戯三昧(ゆげざんまい)という。三昧とはものそのものになりきることである。
一心不乱の状態である。森田先生の場合は、診察をすればツイつり込まれて時間を忘れるようになり、風呂焚きをしていれば、いつの間にか四方八方に心が働いて、全力をあげると言うふうになってくる。
このような関係から、遊びことと仕事が一如になって、当然精神が集中するようになり、決してお使い根性や、気まぐれの申し訳の仕事にはならない。

神経症を治すための行動は、神経症が治るのではなく、益々神経症が悪化する。
最初は神経症を治すという目的を持っていても構わないが、行動に弾みがついてくるとどこかの時点で、「ものそのものになりきる」という態度が欠かせないのである。
森田先生は、努力即幸福ということを盛んに言われたが、ものそのものになりきって、目の前の仕事や日常茶飯事に取り組むことこそが、生きるということそのものだということを言いたいのだと思う。





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Last updated  2017.10.05 06:30:07
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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