年賀状の作成の時期がきた。
挨拶がわりに、 「年賀状書いてますか」というのが風物詩である。
一般的には、気が重いなと思っている人が多いようだ。特に出す枚数が多い人によく見られる。
森田では、イヤイヤ取り掛かっればそのうち弾みがついてくるという。
とにかく早く取り掛かっれば、精神的苦痛は少なくなると思う。
たまに、年賀状作りがとても楽しみだという人もいる。
聞いてみると、そういう人は 11月に入るとさっそく準備しているようだ。
そういう人は絵手紙を書いたり、版画づくりから始める。
あるいは毛筆で1枚1枚丁寧に書くので早くから始めないと間に合わなくなるという人もいる。
心のこもった年賀状を受け取ると、とても嬉しいものである。
草木染で自作の作品を描いたもの、達筆な字で書かれたもの、絵手紙に一言添えてあるものなど手作りの作品はとても好感が持てる。そういう人は毎年丁寧な年賀状作りに力を入れておられる。
そういう年賀状をいただくと、そういう年賀状が少ないだけに、とても目立つのである。
その人に対する印象が、好印象となってとても好感が持てる。人間的な優しさも感じることができる。
今年も何かいいことが起きるかもという期待を持たせる。毎年2枚か3枚はある。
なかには出してない人が聞きつけて、その作品を催促されることもあるという人もいる。
これこそ年賀状作りに森田理論を応用している例だと思う。
なかには市販の年賀状や印刷屋に頼んだ年賀状にそのまま宛名書きを印刷して出している人もいる。
こういう人は、時間がなくて慌てて作ったのか、あるいは強いて出したいとは思わないが、相手からくるので、義理で出しているのだという気持ちが透けて見える。
義理でいただく年賀状は多いが全く嬉しくない。
出すだけ時間の無駄ではないかと思う。かえって相手に対する不信感すら覚える。
むしろ出さないほうが悪い印象を与えないので、そのほうがよいということが分かっていないようだ。
せめて一言、近況報告や相手のことを思いやる言葉を添えるのが常識のある人間のやることだ。
一言書き添えるのは、「おはようございます」「おつかれさまです」という挨拶のようなものだ。
こちらが挨拶をしたのに、無視されることほど不愉快な気持ちになることはない。
さて、そのためには、 12月も押し詰まってから取り掛かるのでは遅いと思う。
11月に入ると大まかな計画を立てて、早くから少しずつでも取り掛かることが大切だと思う。
11月中に裏面は自分の撮った写真などを貼り付けて、一応は完成させておくのがよいようだ。
喪中はがきが来るので、一旦目につくところにそのまま放置しておく。
私は今年は老人ホームの慰問活動で撮った獅子舞を踊っている写真にした。
12月10日過ぎから毎日5枚から10枚ぐらいずつ宛名書きを始める。
そのとき、あらかじめ、昨年頂いた人のリストを作る。
その際昨年喪中はがきの来た人が漏れないように気を配る。
発見会関係、会社関係、OB会、友人、親戚や近所の人、資格試験の時の仲間、同窓会関係、趣味の関係などジャンル分けをしている。
そして喪中ハガキが来た人に誤って出さないように先に印をつける。これが来年役立つ。
それが完成すると、出す人を思い浮かべながら、余白に一言付け加えるのである。
相手との思い出について書くことが多いが、ない場合は自分の日頃の生活状態を伝えるようにしている。
そうすれば、特に年賀状作りのための時間を作る必要がなくなる。
億劫でなくなる。さらに弾みがついてやる気が高まってくる。
20日もあれば、自然に終わっており、後は年末に投函するだけとなる。
出した人が懐かしさのあまり電話をいただくことがある。そんな年賀状を作りたいものだ。
年賀状はとりかかるまでは、億劫で面倒だと思いがちである。
でもそれを突破して、ものそのものになりきれば急に楽しい年末の活動に早変わりする。
森田でよく言われるように、苦楽はコインの裏表なのだ。たかが年賀状、されど年賀状である。
生活の発見誌でも、今年もらったうれしい年賀状というコーナーを作ってみてはどうだろうか。
よく公民館や郵便局などで絵手紙年賀状の展示をしている。見事な作品がそろっている。
現物展示は、来年の年賀状作りの励みになるかと思うのである。
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