私たちは、行動する前から頭の中でやりくりをしてしまうという特徴があります。
例えば、簡単な仕事と思えば、軽く見積り、難しいと思えば、やる前からため息が出る。
頭の予想に振り回されるところがあるのです。
そのため、手が出ない。あるいは手を出しても簡単だと思っているから失敗する。
そんな時、なるべく早く手をつけ、作業をすることによって、その人の中に「はずみ」が生まれます。
1種のリズムです。
そして作業する人は、自分が今まで取るに足らない自分などがやることではないと思っていた家事の中に、面白みを見つけ、達成の喜びを見つけるのです。
思想、つまり観念というものは、実際に当たることによって変化するのです。
くだらないと見下げていたものが、やってみると意外に面白いものがあったりする。
あるいは、簡単だと思っていたものが、工夫のいるものだと体験することは、その人のものの見方を変えていくのです。
(流れと動きの森田療法 岩田真理 白揚社 95頁より引用)
森田先生の入院森田療法では、どんなに社会的な地位が高い人に対しても、それまで全くやっていなかった日常茶飯事や雑仕事に取り組ませました。
飯炊き、食事の準備、風呂焚き、部屋の清掃、便所掃除、小動物の世話などです。
今までそのような取るに足らない日常茶飯事は軽蔑して、親や奥さんに押し付けていたのです。
あるいは会社での仕事でも雑仕事は全く手を付けないで、同僚や部下などにやらせていたのです。
自分はもっと価値のある仕事、もっとやりがいがあり、人に注目されるようなクリエイティブな創作活動などに専念すべきだと考えていたのです。知らず知らずのうちに、頭の中で価値の高いものと価値の低いものを選別して、取捨選択をしていたのです。
その結果、実際には、一方ではやることがなくなり暇を持て余して退屈になりました。
もう一方では、価値の高いと判断した仕事にはどこから手をつけていいのか、手がかりさえつかめないという状況に陥っていたのです。どちらにしても実践・行動がおろそかになってきました。
森田先生は頭の中で是非善悪の価値判断をするという態度を改めさせようとしています。
そのためには、自分の体で見本を見せて、入院生にも同じ事を体験させていました。
ある入院生は、雑巾がけや肥くみなどの作業をさせられて情けなくて涙が出たと言われていました。
それほどまでに、是非善悪の価値判断で自分自身ががんじがらめに縛られて、融通が利かなくなっていたのです。
頭の中で価値判断をすることをやめさせ、とにかく目の前の日常茶飯事や雑事・雑仕事に注意や意識を向けて丁寧に取り組ませる。そうすると、次第に感情が発生し、高まり興味や関心が湧いてくる。
さらに一心不乱に取り組むことによって行動に弾みがついてくる。
これが基本的な生活態度となるべく入院生と生活を共にする環境の中で、徹底的に指導されていった。
そのうち入院生たちは、頭の中で価値判断をしてやりくりを試行錯誤するよりも、尻軽に気づいたことに即座に手足が出るようになる。
そうすることで、生活の幅が広がり、神経症的な葛藤や悩みが少なくなっていったと思われる。
つまり、価値判断至上主義から、物事本位の事実本位の生活へと人生観の転換が図られたのである。
ちなみに森田先生は、価値判断することやめて、自然に服従した生活ができるようになると、大学卒業程度の段階であると言われている。
神経症が治るということ その3 2025.11.04
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