高校は上宮高校だったが、周りは凄い人だかりでライバルとなる人はいなかった。
補欠の選手で終わった。専修大学では、 1学年先輩に小林幹英さんという目標ができた。
小林さんを見ていて、専修大学でナンバーワンの投手になりたいと思うようになった。
当時の小林さんはとにかくすごいボールを投げていた。
そのうち私は小林さんを目標やライバルとして捉えることが出来るようになった。
それは、大学に入ってから、気持ちに余裕ができ、野球の技術にひとつひとつ取り組んでいくことで自分の腕も上がり、周囲と自分の比較ができるようになった。そうすることで、自分だけを尺度にしながら野球をするのではなく、周りのライバル、目標を意識し、自分も成長できるようになったのだ。
黒田さんの上を目指すという考え方とは、 「目の前の枠の中に目標を作る」という方法だった。
その目標は達成できると、今度は他の大学の同学年の投手という枠の中で、自分の力を比較し、目標とするようになる。
そこで結果を出しナンバーワンになることができれば、今度はリーグという枠の中でナンバーワンの投手になりたい。そんな欲求が湧いてきたのだ。
ひとつひとつ自分の目の前の枠の中でナンバーワンを目指す。それが達成できれば枠を広げて行く。その後枠の中でまたナンバーワンを目指す。それが今も変わらない自分の考え方の原点になっていたのだ。
その結果、枠はどんどん広がり、メージャーリーグにまで辿り着いてしまった。
これがもし、大学入学時から目の前の目標ではなく、遠い彼方である「メージャーリーグに行ってやる」と鼻息荒く意気込んでいたら、きっと途中で野球を止めてしまっていたと思う。
(決めて断つ 黒田博樹 KKベストセラーズ 38ページより引用)
黒田さんの目標の立て方は、自分の現在の状況を踏まえて、目の前の達成可能な小さな目標を設定して挑戦していくというやり方です。最初から大きな夢や目標を追い求めるのではない。
目の前の小さな目標を1つ1つ達成することによって、後で振り返ってみれば、とてつもないところに到達していたというやり方です。
これは私たちにとってとても参考になる話だと思われます。
私たちはとかく、最初から大きな目標を立てて、どこから手をつけていいのかわからなくなって容易に挫折してしまいます。これは目標というより願望に近い。
また反対に雑仕事や日常茶飯事のような小さな目標に対しては、馬鹿にして全く手をつけることがない。
その2つの板ばさみになって、無為な人生を過ごしている場合が多いのではないでしょうか。
これは目標の立て方に無理があるということではないでしょうか。
さて、黒田さんはそのためには、ライバルの存在が有効だと言われています。
追い越すことが可能なライバルを明確にして、果敢に挑戦する態度が欠かせないと言われています。
アテネオリンピックへ出たとき、黒田さんはメンバーに選ばれましたが控え投手でした。
その時、松坂大輔、上原浩治、岩隈久志、和田毅投手を始めとして各チームのエースが選ばれていました。この時黒田さんは、先発できないことで悔しい思いをしました。
その悔しさをバネにして 「よし、自分も日本を代表する投手になる」と決意を新たにした。
自分の気持ちを鼓舞するきっかけとなったと言われています。一つ一つ目標を切り上げていったのです。
黒田さんの野球人生を振り返ってみると、ギリギリの隙間をぬって目の前の大きな壁をぶち破って前進されたように思います。それこそが、私たちがめざしていくべき方向なのではないでしょうか。
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