それは、個人の名前がついているからである。
森田先生自身は、 1919年に開発された神経症克服の理論を、自覚療法、自然療法、特殊療法などと言われていた。のちに高良武久先生が森田療法と名付けられたのである。
個人の名前を付けずに、もっと分かりやすい言葉はなかったのかと思う。
しかし長らく「森田」という言葉が使われてきたので、この言葉を外すと何を目的にしているのかかえって分かりにくくしている。
この療法は、神経質性格を持った人の療法である。
心配性である、強い生の欲望を持っている、自己内省が強い、執着性が強いなどの性格特徴を持った人を対象としている。目指すところは、わかりきったことだがまず神経症に陥った人を治す。
森田先生の入院治療はほぼこの目的に限られていた。
現在は薬物療法や他の精神療法に押されて、その比率はどんどん下がってきた。
しかし全くなくなったわけではない。治療の面では現在外来森田療法が主流となっている。
森田が脚光を浴びているのは、心配性でちょっとしたことにこだわりやすい人たちに対して、心の健康法と人生哲学に対して明確な方向性を示していることであると思う。
現在ではこの役割の方が、はるかに重要だと考えていますが如何でしょうか。
このような森田適用の対象者と目的に対して、一般市民の人に対して分かりやすい適切な言葉はないものだろうか。
キーワードとしては、仲間、学習、体験交流、心配性、取り越し苦労、メンタルヘルス、生きづらさ、心の健康法、人生哲学の習得などであろうか。
長谷川洋三氏の著書の中に「森田式精神健康法」があった。
この本は、キャッチフレーズとしては魅力的であった。
森田理論を学習すれば、心が健康になるというイメージを持つことができる。
医療としては森田療法で構わないが、我々のように森田療法理論を学習して、生きづらさを解消し、確固たる人生の指針を得たいと思っている人は、別の言葉に置き換えた方がよさそうである。
例えば 、「森田心の健康実践会」「メンタルヘルス森田理論学習交流会」「森田生きがい療法の会」「森田生き生き療法の会」「森田理論学習実践会」「森田理論学習交流会」「森田生涯学習研究会」
などである。
もちろん名称の前にNPO法人は欠かせない。
今すぐに適当な言葉が浮かばないが、みんなで知恵を出し合えば、これというものが出てくるのではないか。誰が見ても短くて分かりやすい、親しみやすものがよいと思う。
次に、森田療法理論を学習し、体験交流の自助組織としてNPO法人生活の発見会がある。
心の健康に関しては、日本最大級の自助組織である。
しかしこれも対外的には誤解を受けやすい名称である。
公開講演会などを企画して後援申請に行くと役所などで詳しい説明を求められることがある。
手際よく説明しないとすぐに怪しまれる。
生活改善を目指している会か、日常生活の工夫を幅広く収集している会か、生活の知恵や発明の情報を共有している会か、あるいは耳障りのよい新興宗教の集まりではないのかといわれることがある。
私は集談会の会場の入り口に案内板に次のように書く。
NPO法人生活の発見会 ○○集談会
(森田療法理論の学習と体験交流の会)
ここまで書かないと、何を目的としている会か分かってもらえないのである。
このような注釈をわざわざ記載しなければならない名称というのは如何なものかと思う。
我々は使い慣れているので、違和感はないのだが、世間一般の人はそうではないのである。
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