昨年度、思いもかけず、日本大学は甲子園ボウルで大学日本一を勝ち取った。
それで、大学の内外で改めて前監督の手腕が評価されることになった。
前監督は、さらにその評価を高めて、ゆくゆくは日本大学の理事長となりたかったのだろうか。
自分の野望を実現するために、さらにチームを強くして連続大学日本一を勝ち取ろうとした。
その手段として、アメリカンフットボールのコーチや選手たちを自分の思い通りにコントロールしようとしたのである。これは運動を通じた人間教育とはいいがたいのではないか。
そもそも教育の在り方とはどうあるべきなのだろう。
小中学生では、大人になって生きていくために人類が積み上げてきた基礎的な学習が欠かせない。
国語、語学、算数、歴史、地理、理科、社会の仕組み、人間関係のあり方、体の仕組み、自分の適性などの学習である。これらを広く浅く学習しておく事が重要である。
それ以上の学問は、それぞれの人の進路に合わせて高等教育として、選択科目として教育していけばよいのではないのか。
次に高校や大学の課外活動である運動部の目標は何か。
課外活動である運動部の目標は人間教育にあると言われている。
体育会系運動部は教育の一環として行われているのである。
大人になって社会の荒波にさらされて生きていく中で、様々な困難や壁が待ち受けている。
それらから安易に逃避することなく、果敢に乗り越えるための強靭な体力、忍耐力、対人折衝能力、個人の能力や技術等を身につけることにある。
選手個人個人が自分の目標や課題を認識し、それを乗り越えるために努力精進することは尊いことだ。
選手個人で目標や課題を見つけられないときは、監督やコーチが選手を刺激したり、一緒になって考える。いずれにしろ選手が目標や課題を見つけることが大切である。
目標に向かって向かって努力・挑戦していくことはもっと重要だ。
挑戦の過程では、容易に目標や課題は達成できないことが多い。そんな時は監督やコーチの出番だ。
監督やコーチはその状況をよく見て、選手がくじけてしまわないように、側面から支援をしていく。
監督やコーチはサポート部隊なのである。監督やコーチがサポートすることによって、それぞれの選手は、中途で挫折することなく能力を獲得して大きく成長していく。
そのような体験や経験を持った人間は、社会の荒波に放り出されたとき、つらい状況を乗り越えることができるのである。運動部に所属するとそのような人間教育の体験を積むことができる。
これが課外活動における教育の醍醐味である。
森田理論学習を続けている私たちは、「かくあるべし」があまりにも前面に出てくると、こんなにも悲劇的な状況を迎えるという事を肝に銘じておく必要があると思う。
ウソも方便ということ 2025.11.28
共感と同情は違います 2025.11.26 コメント(3)
世話活動が心の励みになる 2025.11.15
PR
Keyword Search
楽天星no1さん
メルトスライム25さんCategory
Comments
Calendar