人里離れた山奥で、和田さんの家族と登校拒否児や自分の生き方を求める若者たちと共同生活をされていた。
和田さんは、日本の教育に人間が生きていく基本姿勢を教える教科が欠けていることを心配され、 「人生科」という人生について教える教科の必要性を提唱しておられた。
そうかと言って、特別な考え方を教えるような事は一切されていない。
「ああしろ」 「こうしろ」 「こう思わなければいけない」などということも一切ない。
「こうしてやりましょう」と思ってやった事は、ろくなことにならないことが多いという考えだった。
ですから、そんなものはいつでも手放して、本当にめいめいが自分自身を生きていくという事、そういうことができるようになればよいと思ってやっておられた。
大体、みんな朝6時ごろに起きて、朝食の準備をする。神社にお参りをする。
鶏を飼う。畑を耕す。山で薪をとり、食事は手作り。味噌を作り、玄米食などの自然食である。
可能な限り自給自足生活を送っている。掃除をする。
大雨で流された道を修理する。時には坐禅をする。大体そういう生活だ。
ほとんど規則はない。和田さんは、規則とか枠はない方がよいと言われる。
そういうものがなければ、人間同士の争いはなくなるのではないか。
そんな風に生活をしていると、花や鶏も自分たちの仲間だという感じになってくる。
鶏の考えているようなこともわかるようになり、自然は新鮮で美しいと思えるようになる。
「ああしちゃいけない」「こうしちゃいけない」と言うような事をなしにして、全部を平らにしてしまって、自分は何をしたいのか、という自分の中の欲求をよく見つめて手足を動かし、実際にやってみる。
何しろ頭で考えたってダメなんだ。頭でもって「ああか、こうか」と考えたって、それは妄想なんだ。
そんな生活をしていると、2、3週間から1ヶ月ぐらい経つとみんな顔つきが変わってくる。
穏やかになってくるという。根本的に人間を信頼できるようになる。
いろんな規則や抵抗のない所へ来たならば、自然の姿に変わっていくのだと思う。
鶏は大脳がないからすごく素直なんですね。だから余計なことを考えない。
人間もそういう素直さで生きると、これは本当に楽に楽しく生きていけるということでしょうね。
今の学校教育は、 「人間はこうするべきである」 「こうするべきではない」と教えているわけですが、何か役に立っているだろうか。まったく役に立っていないんじゃないかと思うんですね。
もしかすると学校教育はマイナスになっているのかもしれない。
そういう考え方を180度回転して、自分の内心、心の中の有様を検討していくというような方向に気持ちを向けて言ったら、もう少しましなことになるんじゃないかと思っているんですね。
「うそを言っちゃいけない」ということだって、どうしても嘘を言った方が、なんか人情に合っているような場合だってあるじゃないですか。
それを「嘘を言っちゃいけない」と、そこのところを強調したら、かえっておかしいものになるんじゃないかと思うんですね。
ですから。この嘘を言うというようなことでも、必ずしもその言葉通りじゃないし、もっと自然な形で自分の行動を決めていけるということが必要なんだと思っているわけです。
ここでの入寮期間は無制限です。 3ヶ月いたり、半年いたり、 1年いたり、 2年いたりで、どこまでいたらいいと、そういう事はありません。
(昭和61年3月2日 NHK教育テレビの「こころの時代」の放送より)
和田重正さんの考え方や実践を見ていると、森田先生の考え方や入院療法にとてもよく似ていることに気づく。
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