森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2019.11.09
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カテゴリ: 生の欲望の発揮
10月号の生活の発見誌に、学校生活につまずいた生徒たちは、本人が無自覚かどうかは別としても、「どう生きるか」よりも「なぜ生きるか」に関心が向き、その答えを見つけようとしているのではないかという記事があった。
学生たちは、きわめて哲学的なことを考えているのである。
そういえば私も高校生の頃、「人間は何のために生きているのか」と考えた時期があった。
結論は出なかった。

これに関して「幸福論」を書いたヒルティは次のように書いている。
「これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でない限り、誰でも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。
そして・・・早速、こう言わなければならないのは残念だが・・・たいていの人は今日、この答えを得ないままこの世を去るのである」

私は「なぜ生きるのか」よりも「どう生きるか」と考えたほうがより建設的、生産的であると思う。
この世に生まれてきた時に、あらかじめ目的を持って生まれた人はいない。

人間は生まれる前から使命が与えられていると思うことは、甚だしい思い上がりであると思う。
自分が置かれている境遇を受けとめて、なんとかできるだけ長く延命を図ることことが一番大切である。
生物は草木に至るまで、できるだけ生きながらえ、命を次の時代へとつないでいくことを宿命づけられていると思う。それが自然のいとなみなのである。
そういう意味では、衣食住の確保、安全の確保、他者と共存共栄関係の構築は欠かせない。
当たり前の生活の中で、問題点や課題が出てくる。工夫や改善点も生まれてくる。
そのような生活の中で、関心や興味が膨らみ、夢や希望も出てくる。
こうしてみると淡々と流れいく大河の流れのような生活を大切にして、精魂込めて1日1日いとおしむように生活していくことの中に生きる意味は存在している。

私の座右の銘は「凡事徹底」である。人生は「雑事に始まり、雑事に終わる」
日常茶飯事に丁寧に取り組む中で、小さなしあわせのかけらをいくつも見つけている人が、人生を締めくくるにあたり、「いろいろとあったけど、まあまあの人生だった。また機会があったら人間に生まれてみたい。今度はこれまでの経験を活かしてもっとましなことができるだろう」と思えるのではなかろうか。





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Last updated  2019.11.09 06:20:05
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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