森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.02.05
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​​​​​不安へのとらわれから脱出する具体的な方法を考えてみたいと思います。
これからの話は、玄侑宗久氏の「禅的生活」からの引用です。
興味のある方は52ページあたりをお読みください。

たとえば今、眼を閉じて焼きそばを思い浮かべていただきたい。
人によってさまざまだろうが、多くの人は焼きそばの載った皿や鉄板を上から見たように思い浮かべたのではないだろうか。
そして一部の人だけが、その焼きそばの置いてある部屋の様子、テーブルの大きさやテーブルクロスの柄、場合によっては部屋の内部装飾や何人かの人の顔まで想像したかもしれない。

上から見たように思い浮かべた人は、じつは焼きそばのことを「考えた」のである。
やがてその中に入れる具のことなど考え出すかもしれない。
一方、焼きそばのある風景全体を思い浮かべた人は、 イメージの世界に遊んだ

瞑想とは、ふだん意識から独立している無意識の脳機能を意識によってコントロールする方法であり、基本的には 意識が拡散した状態を保持する ことから始まる。
たとえば意識が右の拳1ヵ所に集中すると、我々はすぐに何かを考えはじめることもできるが、意識を両手の拳に均等に分散してみていただきたい。
その状態では理性的な思考がストップしている ことに気づくだろう。
慣れてきたら両手両足の4ヵ所意識を分散したまま集中することも可能になる。

「瞑想」してみると分かるが、 その時目に見える何物をも言語化していないし、なんらかの価値判断もしていない。 焼きそばの例でいえば、、思い浮かべた部屋も綺麗でもないし汚いわけでもなく、ただ「ありのまま」に浮かんで見えているに過ぎない。

つまり価値判断がなされていないからこそ、全体が浮かんでくるのである。
見えている人の顔にしても、好きとか嫌いとか特別な怨みがあったりすれば、焼きそばも、テーブルクロスもすぐに見えなくなってしまう。
「考える」とは「今ここ」からいなくなることなのである。
「瞑想」においてすべてが見れるのは、好き嫌いや価値判断を離れているからなのである。
大局的に物事が見えている状態であり、そこではあらゆる「考え」や価値観から解放されているのである。

言葉を使って思索しているのは、大脳の前頭前野である。
新しいものを創造するときはとても重宝なものである。これは大いに活用したほうがよい。
ところが神経症の原因となる、不安や恐怖などに注意を固定して、闘いを挑むことは、たちまち葛藤や苦悩を抱え込んでしまうことになる。これは考える能力を持った人間の宿命である。

この場合は、大脳の前頭前野を使って考えること、価値判断を下すことがマイナスに作用してしまうのである。そこで、禅では、人間に葛藤や苦悩をもたらす思考をなくする方法として、「瞑想」という手法を使っておられるのだと思う。
不安や恐怖から逃れる方法として、過度な注意の集中を避けて、大局的な立場から物事を見つめるというのはその通りなのかなと感じる。

余計なことをしないで、眼を閉じて、呼吸に注意を向けたり、今現在の感覚に注意をむけるという方法と似ているのかなと感じた。
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Last updated  2020.02.05 06:35:33
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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