森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.04.25
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カテゴリ: 感情の法則
森田先生は対人恐怖の人が、人前に出ると恥ずかしいという心がなくなったら、それは図々しい「すれっかし」になるといわれています。
「すれっかし」というのは、慣れてしまって、感情が鈍磨すると起こる。
入院患者の中には、森田先生から、小言を言われても、ビクともしない人がいる。
顔色が少しも変わらない。これは面の皮が厚くなったともいう。
赤面恐怖が治るには、もっと細かく恥ずかしくなるようにならなければならない。
(森田全集第5巻 221より要旨引用)

当時大学の先生というのは、一般の人から見ると雲の上の存在だったのだ。
その言動は誰でも一目置いていた。当然感情も高まり、敏感に反応した。
しかし、入院患者の中には森田先生に叱られることに慣れてしまって、「カエルの面に小便」のように、平気になってしまう人がいたのである。


今まで観念の世界で理屈をこねまわしていた人間を、凡事徹底によって、豊かな感情を発生させて、その感情が勢いよく流れることを目指していたのです。

その視点から見ると、「すれっかし」というのは、慣れてしまって、当然湧き上がってくる豊かな感情が枯渇している状態です。目指しているところから見ると反対になっているのです。
これではお手上げになってしまうのです。
慣れてしまうというのは、実に恐ろしいことになってしまいます。

これを防ぐには「純な心」を大切にした生活習慣を作り上げることが有効です。
素直な心や直観や第一に湧き上がってくる感情を宝物のように取り扱う生活習慣を作り上げることです。

例えば、学校行事で子供たちが遠足に行きました。
ところが集合時間になっても帰ってこない子供がいた。
先生は「何か事件に巻き込まれているのではないか」と必死になって探した。
しばらくすると、探していた子供が何気ない顔で帰ってきた。
そのとき先生は、「どこに行っていたの。勝手な行動をとってはいけないとあれほど注意をしていたでしょ。けがや事件に巻き込まれたらご両親にどう言い訳をしたらいいのよ」と叱責した。


それから出発すると、「無事に帰ってくれてよかった。先生は何か事件に巻き込まれたのかもしれないととても心配していたのよ」となります。
第一の感情はほんの一瞬で消えていきます。そのあとに、「かくあるべし」を多分に含んだ、第二の感情が沸き起こるようになっているのです。
それに基づいた言動は、叱責、批判、弁解、否定などになり、相手と対立するようになるのです。
「純な心」から出発する習慣が身につくと、感情の事実をそのまま認めて受け入れることになります。感情はますます豊かになって、勢いよく流れていくようになります。
「すれっかし」になって感情の発生が枯渇するということはなくなります。





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Last updated  2024.06.02 23:24:34
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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