森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.09.12
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カテゴリ: 森田番外編
先日の集談会で大変興味深い話を聞いた。
その方は郷土の歴史研究会に所属して様々なことを研究されている。
その中に、赤穂義士の大石内蔵助の妻の理玖と三男大三郎の墓が広島の国泰寺にある事を知られた。兵庫県の赤穂市にあるのならば納得できるが、なぜ広島にあるのか疑問に持たれた。
興味と関心が高まってきたのだ。

早速国泰寺に出向き、本堂と墓を確認されている。
写真を撮られ報告書に載せている。
寺もさることながら、墓も立派なものだった。
そのあとが凄い。さらに好奇心に火が付いたのだ。
広島市立図書館に何度も足を運んで半年余り研究された。

それでも何とかA4用紙8枚のレーボートにまとめ上げて、歴史研究会で発表された。
その内容が素晴らしい。疑問がすべて解き明かされた。
感動した。まさに神経質性格のなせる業である。

報告書の中に大石理玖と大三郎の詳しい年表を作られている。
大石家の家族図も作られた。
大石理玖さんは、1669年に兵庫県豊岡で出生。18歳で28歳の大石内蔵助と結婚。
その後5人の子供を設けた。1701年浅野内匠頭が松の廊下で吉良氏を切りつける。
即日切腹をさせられた。2年後の1703年赤穂浪士の吉良邸襲撃事件が起こる。
長男の主税は大石内蔵助とともに討ち入りに参加。

妻理玖さんは討ち入り前に離縁させられて、子どもを引き連れて豊岡の実家に戻っている。
その後、実家の石束家の家運が傾いてきた。生活できなくなったのである。

大三郎には1500石旗奉行次席に取り立て、妻理玖には隠居料100石を与えた。
このようにして、大石内蔵助の妻理玖、三男大三郎の墓が広島に存在しているのである。
赤穂浪士の事件がなければ、赤穂市に墓があるはずだ。

この方は、その後国泰寺の来歴、浅野家の家系図、妻が離縁されたときの状況、赤穂浪士の遺児の処罰と赦免、次女の大石ルリや理玖の兄の石束毎明の生涯についても調べられている。
さらに討ち入りに参加しながら、引き上げの際に姿を消した寺坂吉右衛門信行についても言及されていた。


一つの小さな興味や関心を膨らませていくことが、森田理論のめざしているところであるが、まさにその実践の過程を目の前に示してくださったと思うのである。
ちなみにこの方は強迫神経症を克服して、日々森田的な生活を送られている。





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Last updated  2020.09.12 06:36:17
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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