森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2020.12.01
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正法眼蔵の現成公案の中に次のような言葉がある。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
悟迹の休歇(ごしゅくのきゅうけつ)なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

仏教を学ぶということは、自分とは何か、私はなぜ死ぬのか、なぜ意地悪をしてしまうのかなどを学ぶことである。
そして、自己がわかるということは、無我になることである。
無我とはあらゆる物事の真実(万法)に突き動かされる(証)ことである。

その時、悟り臭さの跡がない(悟迹の休歇なる)という生き方があり、臭みのなくなった悟りをいつまでも、どこでも、だれにでも(長長出)働かせ行くのである。
(道元百話 中野東禅 東方出版 152~154ページ引用)

ちなみに「身心脱落」とは心底こだわりのない世界に安住することである。
別の言葉に言い換えると、柔軟心を持つことである。
柔軟心というのは、柔らかい心であるから、拘らず、自我に硬直せず、対象とつかず離れず接して行ける自由さのことである。(同書 119ページ)

道元禅師の唱えた世界観と森田先生の目指していた考え方はほぼ一致している。
つまり観念の世界を優先して、世の中のことや人間関係を推し進めようとする態度に疑問を投げかけているのである。頭で考えたことを現実に当てはめていこうとする態度をとり続ける事こそが、人間の心身に悪影響を与えている。葛藤や苦悩を生み出しているとみているのです。

観念優先の世界観から、現実、現状、事実優先の世界に転換することが大切になる。
事実にしっかりと足をついて、そこを出発点として実践・行動する態度を身に着けようではありませんかと訴えかけられているのです。

「身心脱落」という言葉は、聞きなれない難しい言葉ですが、森田理論の「事実唯真」という言葉を別の言葉で表現したものなのです。
森田理論の言葉は、別の考え方を学ぶことによって、さらに磨きがかかり、凄みを増してくるものと考えます。





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Last updated  2020.12.01 06:32:59
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kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 申し訳ございません。生涯森田様でした。
kurokawa@ Re:感情と行動を分離して行動する(11/11) New! 障害森田様 この記事の中で「心とは裏腹…
楽天星no1 @ 早速のご返事感謝 森田生涯さんへ 早速のご返事ありがとう…

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