森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2021.01.27
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カテゴリ: 森田番外編
今日は森田先生が大変評価されている西郷隆盛の一生を紹介してみたい。

1827年 鹿児島市で誕生
1833年 7歳で儒学を学び始める。
1844年 18歳で薩摩藩の仕事を始める。
1850年 24歳で陽明学を学ぶ。
1852年 26歳で最初の結婚をする。
1854年 28歳で藩主島津斉彬に見いだされて江戸に行く。妻とは離婚。
1856年 30歳で篤姫の輿入れ準備に奔走している。
1858年 32歳の時藩主島津斉彬死亡。僧月照と錦江湾で入水自殺を図ったが、一命をとりとめた。

1861年 11月21日35歳の時藩主島津久光より召喚状が来る。
1862年 しかし藩主島津久光の命令に背く行動により、今度は沖永良部島に流罪となる。
1864年 38歳の時藩より召喚状が来る。7月禁門の変で長州兵を撃退している。
1865年 イトと3度目の結婚をしている。3人の子供を設ける。
1866年 40歳の時、坂本龍馬の立会いの下で薩長同盟を結ぶ。
1868年 明治元年 42歳の時勝海舟と江戸城無血開城を決めた。
1871年 45歳の時、廃藩置県を断行。
1873年 47歳の時、陸軍大将になる。朝鮮問題が発生。閣議で決定した朝鮮派遣使節が中止になった。すべての役職を辞して鹿児島に戻る。
1874年 48歳の時、私学校を作る。
1875年 49歳の時、吉野開墾社を作る。農業に従事している。
1877年 51歳の時、西南戦争が起きる。鹿児島の城山で自決する。


最後は新政府と西南戦争で戦い国賊扱いされても仕方がないところであるが、明治天皇をはじめ、政治家、財界人、文化人、民衆から圧倒的な支持を集めている。
前アメリカ大統領のトランプさんとよく似ている。
1889年 憲法発布の大赦で罪を赦されて「正三位」を追贈されている。
1898年 上野に高村光雲作の犬を連れた浴衣姿の西郷隆盛の銅像が建てられた。
鹿児島の城山にも西郷隆盛像がある。山形県鶴岡市には「敬天愛人」の碑がある。


当時庄内藩は幕府派に属しており、討幕派の薩摩藩とは敵対関係にあった。
庄内藩はこともあろうに、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにしたのである。
その後庄内藩はそれ相当の報復を覚悟していたという。
ところが官軍の総大将の西郷隆盛は、きわめて寛大な処置をとり、敗者に恥辱を与えることをしなかったのだ。
これに感激した庄内藩はいたく感動して、以後西郷隆盛に指導を仰ぐようになった。
この本は西郷隆盛に指導を受けた人たちが、西郷隆盛から聞いた人生訓、政治家、指導者、リーダたちの心構えのことを書いている。





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Last updated  2021.01.30 08:02:43
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森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
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