通常の手合は背広にネクタイ姿で対局している。
これは誰かが見ているとか見ていないとか言う問題ではなく、自分が職業としている将棋というものへの敬意である。
ところがある時ジャンバー姿で対局している若者がいた。
対局後、私は彼を別室に呼んで注意した。
「競輪場へ行くような格好で対局してはいかん。みんな背広とネクタイできている」努めて高圧的にならないように言ったつもりだったが、たちまち反論されてしまった。とにかく、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うのである。
全ての出来事は、自分の頭で判断でき、それが必ず正しいと思い込んでいる。
自分の頭では判断不能なことがあり、判断できたことでも誤っている場合があるということは、プロとして将棋を指していればすぐにわかるはずだ。
であるなら、先輩に注意されたら、 「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」という気持ちを持っていることは棋士の昇段に関わる重要なことになる。
米長さんは、熾烈な勝負を繰り広げている棋士にとって、素直に忠告を聞かない人に勝利の女神は、決して微笑まないと言われている。
なぜなら勝負を決するような重要な山場で舞い上がってしまい局面が読めなくなる。客観的な立場から全体を見渡すことができなくなり、無理やり自分の考え方を押し通そうとするのである。
将棋の世界は、自分のやりたい放題のことを仕掛けて勝てるというような甘い世界ではない。
百戦錬磨の棋士がしのぎを削っているからである。
棋士を職業とするからには、攻撃にかける時間以上に、客観的な立場から戦況について検討を加えていく能力が欠かせないのだ。
よく将棋の対局で長考しているのはその作業を繰り返しているのである。
(
運を育てる 米長邦雄 クレスト 96
頁より引用)
将棋の世界は攻撃以上に防御が必要になると言われています。
それは5対5ではなく、4対6くらいの割合になるのかもしれない。
勝負に勝つためにはこのバランスが非常に大事になってきます。
防御は、イケイケドンドンの攻撃一辺倒の時は軽視しがちになります。
バランスが崩れるとサーカスの綱渡りでは地上に落下してしまいます。
森田理論では神経質性格の人は自己内省力が強いと学びました。
これが強すぎると、考えることが内向き一辺倒になる可能性があります。
行動は消極的になり、考えることは観念的になります。
そして自己嫌悪、自己否定で苦しむようになる。
しかし米長邦雄氏は自己内省力のない人は大成しないと言われています。
自己内省力は、反省力、分析力、客観化できる能力のことです。
素晴らしい能力です。この能力はお金を出して買えるようなものではありません。また、この能力がないと、双極性障害の躁状態になります。
ここで肝心なことは、自己内省性は生の欲望に向かって努力しているときに、初めて効果を発揮する能力であるということです。
生の欲望の発揮が6、自己内省力が4くらいの気持ちを持って目の前のことに取り組むことが必要です。
米長邦雄氏は、アマ三段とプロ棋士四段の差は紙一重だといわれる。
しかし、待遇面では将棋で生活できるか、あるいは引退を余儀なくされるかという大きな差がついているのです。
自己内省力の強い神経質者は、自己内省力を大いに評価したいものです。
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