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図書館で『三谷幸喜 創作を語る』という本を、手にしたのです。おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。【三谷幸喜 創作を語る】三谷幸喜著、講談社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「新しいこと」「おもしろいこと」ばかり考える希代のクリエイターの頭の中身。『古畑任三郎』から『清須会議』まで制作の舞台裏を語る。<読む前の大使寸評>おお 三谷さんの「ハウツー脚本家」のような本ではないか・・・三谷さんのコメディの原点が見えるかも。rakuten三谷幸喜 創作を語るこの本の冒頭から、見てみましょう。インタビュアーは松野大介さんです。p16~19<1 やっぱり猫が好き> Q:脚本家デビューの前に、もともとは放送作家からスタートしたわけですよね。三谷:日芸(日本大学芸術学部)在学中に放送作家を始めたんです。大学の掲示板に“放送作家募集”の貼り紙があったので、オクタゴンという作家の事務所に入ったけど、最初はアルバイトみたいなもん。Q:どんな番組ですか。三谷:『エッ! うそーホント!』(日本テレビ)って番組の時は、海外にある変わった風習をクイズにして、解答者が「これは本当か? 嘘か?」を当てるんだけど、僕は実際にある世界の風習を探すより、逆の“いかにも風習にありそうな嘘”を作るほうが楽しかったんですよ。 番組会議では、作家が各自作ったネタを順番に発表して、スタッフが「本当だ!」「嘘だ!」と当てるという、番組同様にシミュレーションする。うまく騙せたり盛り上がったりしたネタを採用してた。でも僕は、番組に採用されるより、自分が面白いと思うほうに筆が走ってしまって…。 たとえば、「南太平洋の▲▲島の住民は脱皮する。砂浜には人間の脱皮した抜け殻が落ちている」とか。すると一斉にみんなから「嘘だ!」「嘘だ!」と。3年も問題を作ってたけど、1回も採用されなかった。Q:採用されないんですか。ギャラは出るんですか?三谷:それでも貰えたから、心苦しくて…。『お笑いマンガ道場』(日本テレビ)や『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』(フジテレビ)にも参加したけど、クイズは苦手で、逆にコントのような仕事は楽しかったな。お芝居みたいに会話中心に書くわけだから僕向きだった。Q:当時からテレビマンというより脚本家寄りだったみたいですね三谷:ギャラは大学在学中に結成した劇団の資金にほとんどつぎ込んでたので、貰えるのはありがたかったけど、自分に合ってない仕事ばかり。だからその後、放送作家の事務所を辞めて、脚本家の水谷龍二さんの下で脚本家見習いになったんです。 バラエティ番組でしたけど『やすきよ笑って日曜日』(テレビ朝日)でコントレオナルドさんのコントやコント山口君と竹田君のコーナーを書かせてもらった。それで山・竹さんのお二人と親しくなって、道頓堀のストリップ劇場でコントをやるのを見に通った。とにかく笑えた。それから山・竹さんと一緒にコントを50本ほど作った。座付き作家ですね。コントは台詞があって、お芝居と同じだから楽しかったです。(中略)当時の三谷さんは20代半ば。自身が座長を務める劇団「東京サンシャインボーイズ」はまったく人気が出ず、細々と活動していたというが、その話はのちほど語ってもらうとして、そんな時期にあるドラマと出会う三谷:深夜にたまたまテレビをつけたら、すごく僕好みの深夜ドラマをやっていたんですよ。それが『やっぱり猫が好き』(フジテレビ)。 なんておもしろいんだろう! と思った。もたいまさこさん、室井滋さん、小林聡美さんの3人で、セットの部屋だけでストーリーが繰り広げられるコメディドラマ。僕が創りたいのはこういうドラマだ! と思ったくらい。三谷さんが監督した近作『記憶にございません!』をつけておきます。【記憶にございません!】三谷幸喜監督、2019年制作、2019.10.07鑑賞<movie.walker作品情報>より『ラヂオの時間』などで知られる脚本家、三谷幸喜の映画監督8作目となるオリジナル作品。国民から嫌われ、史上最低の支持率を叩き出した総理大臣が記憶喪失になったことから巻き起こる騒動を描いたコメディ。主演の中井貴一ほか、ディーン・フジオカ、石田ゆり子、佐藤浩市など豪華キャストが脇を固める。<大使寸評>美男美女でもあるディーン・フジオカと小池栄子が有能なスタッフとして掛け合うシーンが、硬軟取り混ぜて太子好みであった♪裏を知りつくしてシニカルなディーンが変化球であるなら、記憶喪失の首相の青臭い生真面目さが直球のように見えるわけで・・・硬軟取り混ぜたお話しになっています。栄子さんは直球派として首相をサポートするわけだが、爽やかである。官房長官役の草刈さんが、いかにもフィクサーの役柄をコミカルに演じています。その他、石田ゆり子、斉藤由貴、木村佳乃、吉田羊、佐藤浩市など・・・豪華キャストである。シニア割引でも1200円と値上げされて、封切り映画は厳選せざるを得ないのだが・・・さにあれば、爽やかな喜劇こそ最適なんでしょうね。movie.walker記憶にございません!
2019.11.20
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<『草原からの使者』>図書館で『草原からの使者』という文庫本を、手にしたのです。おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。【草原からの使者】浅田次郎著、徳間書店、2009年刊<「BOOK」データベース>より議員秘書が語る総裁選の裏に隠された秘密、若くして財閥を継承した御曹司の苦悩、高名な大馬主が競馬場で出会った謎の老人、アメリカ人の元大佐が語る“もうひとつの退役”-各界の名士が集う秘密サロン「沙高樓」で、私はまたしても彼らの数奇な運命に耳を傾けることになった…。驚愕と戦慄!玲瓏たる筆致で描かれた浅田次郎版百物語。【目次】宰相の器/終身名誉会員/草原からの使者/星条旗よ永遠なれ<読む前の大使寸評>おお 浅田さんの短篇集ではないか♪ 2009年刊というようなエアーポケットに落ち込み、今まで見つからなかったのかも。rakuten草原からの使者「星条旗よ永遠なれ」。主人公はニッポン占領時のGIという異色の1篇ですが、その語り口を見てみましょう。p240~242<星条旗よ永遠なれ> 孫。はい、孫は6人もいます。ここだけの話ですけれど、実はひ孫も2人。 何もそんなに愕くことはないでしょう。「10歳若くみせろ」は、アメリカ国民の合言葉です。私の場合、20歳ぐらい若く見える自信はありますがね。 ということは・・・そうです。あの不幸な第二次世界大戦も、合衆国軍人として経験しているのですよ。ウエスト・ポイントを卒業したのは1945年の6月ですから、たった2ヶ月だけですけれども、マッカーサー軍の一員としてフィリピンに駐留し、従軍章も授与されました。 日本に来たのは9月、占領軍の第1陣といってもいいでしょう。もちろん当時は日本語など何ひとつわからなかったのですが、その年のうちに今の奥さんと知り合って、翌年にベイビーができたので結婚しました。そんなわけで、日本語が急に上達したのです。 こういうケースはべつに珍しくはないけれど、ふつうは奥さんのほうが英語を覚えるもので、アメリカ兵が日本語を話せるようにはならないですね。つまり、私はそれくらい奥さんを愛していたということ。 だって、考えてもみてくださいな。ついこの間まで戦争をしていたアメリカ兵と結婚するなんて、それだけでも奥さんは後ろ指を指されるわけでしょう。だから私は、せめて奥さんをアメリカ人にはせずに、私ができるだけ日本人になろうとしたのです。 奥さんの名はハルコ。スプリングではなくて、晴れた空の晴子さん。アメリカ人は言いづらいので、「ハル」と呼びます。 ハルコさんと結婚したことで、私の予定もずいぶん変わりました。というよりも、当分の間は帰国せずにGHQ勤務、というのが結婚を許可する軍の条件だったのですね。誰だって長いこと海外に駐留するのはいやですから、日本人のガール・フレンドがいるという噂がたてば、上官のほうからそういう条件を持ち出したものでした。 2年間勤務すればハルコさんを連れて帰国できる、という話だったのですが、実のところはそうもいかなかった。なぜかというと、その2年の間に私が日本語をすっかり覚えていまったから。 当時は通訳の少ないことがGHQの悩みの種だったのです。日経二世の兵隊は大活躍しましたが、数に限りがある。そこで大学出の日本人なら役に立つだろうとというわけで大募集したのはいいが、いざ面接してみると「グッド・モーニング」がせいぜいでした。そりゃあそうですよ。敵性語は高等教育でも教えられていないし、少し歳上の人たちは忘れてしまっているんですからね。読み書きはいくらかできても、会話となると彼らはからきしでした。 そんなわけで、私は帰国予定の3年目からは立派な通訳要員です。いつまでたっても帰れるわけがありません。ましてやGHQのお偉方は南部出身の差別主義者が多かったので、生粋の白人将校である私は司令部付を命ぜられて大忙しでした。 アメリカ大使館の向かいにあった将校宿舎に寝泊りして、週末だけハルコさんの待つ立川のキャンプに帰るという毎日です。 ダグラス・マッカーサー。知っているも何も、私のボスですよ。もちろん尊敬しています。永遠に。
2019.11.17
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図書館で『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』という本を、手にしたのです。おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪【ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<出版社>より全世界の「KAWAII」もの好きのみなさま、お待たせしました。来年の東京五輪より一足早く、2025年の大阪・関西万博より何足も早く、誌上「ゆるかわアート万博」の開催を、ここに宣言いたします!<読む前の大使寸評>おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪shinchoshaゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)「02 もう一つのゆるかわ大国:板倉聖哲」で韓国の民画を、見てみましょう。p58~61<変幻自在な民画の楽しみ> つづきまして、韓国のゆるかわを見てゆきましょう。そもそも韓国は、もう一つのゆるかわ大国と言っていい。嘘だと思ったら、柳宗悦が創設した東京駒場の日本民芸館に行ってみてください。民画など朝鮮半島の美術が並ぶ一部屋があって、ゆるかわなものがいつでも見られますから。 もともと高麗・朝鮮の美術は、高麗時代に制作された高麗仏画にせよ高麗青磁にせよ、朝鮮王朝の山水画にせよ、中国を規範とする要素が非常に強く、それが正統的な表現として君臨していた。その一方で、民間にはとても愛らしい、親密な表現が残っており、両者が文化の階層性の中で各々展開していたと考えられる。 ところが韓国の美術史で扱う対象もまず仏画・青磁・山水画などで、民間絵画は漏れ落ちてしまっていました。そんな民間の絵を「民画」と呼び、率先して評価した人物が柳宗悦だったんですよね。 元々「民画」は大津絵のような民衆的絵画を指すのに柳が作った言葉でしたが、韓国で失われようとしていた表現を、柳が初めて美の俎上に載せたことは、やはり特筆すべきと思います。 そしてその背景には、正統的な表現と民間的な表現の垣根が低い日本ならではの、ゆるかわ的感性があったと言っていいでしょう。(中略)≪虎図≫ さて、東洋パビリオンのフィナーレは、バリバリの民画≪虎図≫に飾ってもらおうと思います。これは柳とともに民芸運動を推し進めた工芸作家の芹沢桂介が買った作品。朝鮮絵画の虎も、江戸時代の画家たちにずいぶん影響を与えていますが、さすがにここまではじけた表現はしていない。でも、ゆるかわですか、これ? ちょっと自分の感覚に自信が持てませんけど(笑)、「民画の世界へ、ようこそ!」って感じで、いかがでしょう。『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』1
2019.11.16
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図書館で『ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)』という本を、手にしたのです。おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪【ゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<出版社>より全世界の「KAWAII」もの好きのみなさま、お待たせしました。来年の東京五輪より一足早く、2025年の大阪・関西万博より何足も早く、誌上「ゆるかわアート万博」の開催を、ここに宣言いたします!<読む前の大使寸評>おお ゆるかわアートってか・・・太子のツボが疼くのでおます♪shinchoshaゆるかわアート万博(芸術新潮2019年8月号)「01 庶民から上様まで『これでいいのだ』」で矢島新×金子信久の対談を、見てみましょう。p30~31<「ふにゃかわ」で行こう!> ≪つきしま絵巻≫矢島:「古」「拙」という言葉が出たところで、ぐっと時代を遡り、「ゆるかわ」の歴史を辿り直してみましょうか。奈良時代の≪絵因果経≫の絵をうまいという人もいますが、どうですか? おそらく写経生のような書の専門家が描いた絵で、むしろ素人的なところが魅力かなと私は思うんですけど。金子:奈良時代は絵の遺品があまりに少なくて、スタンダードなレベルが分からない。当時の人はこれを見てどう思ったんでしょう。矢島:分かったら面白いけどね。いずれにしろ、意識してゆるく描いているわけじゃなく、結果として素朴味が残ったんだろうと思います。金子:意図してかわいく描いたものと意図せずそう見えちゃうものがごっちゃになって、いまはとにかく面白ければいいみたいな風潮があるから、こうした絵の魅力はどこから来るんだろうと考えることは、すごく大事なことだと思いますね。矢島:時代をくだって平安朝の≪源氏物語絵巻≫も、引目鉤鼻が私はかわいいと思うんだけど、授業でそう言い張っても学生さんに賛成してもらえないので(笑)、一気に飛んで室町時代の絵入本『かるかや』と≪つきしま絵巻≫を挙げます。これなら文句ないでしょう。 16世紀のほぼ同時期の絵だと思いますけど、この2作は性格がちょっと違うんじゃないかな。『かるかや』は一生懸命描きながら、通常で言われるところの技術がなくて素朴な絵になっているんだろうと。≪つきしま≫の絵描きはね、自分のスタイルに自信を持っている気がするんですよ。 この絵巻は結構長いですけども、それなりに安定したスタイルを貫いているし、意外とためらいのない描線にも見えます。素朴味を意図したとまで言えるかは分からないですけど、ちょっとそんな匂いがする。金子:物語絵って、極論を言えばストーリーを説明するための記号でもいい。必用最小限の形で、ここに人間がいると分かればいい。そうした作画を繰り返していく中で、プロの描き方とは違う、ある種「ゆるかわ」な描き方に落ち着いていくという想像もできます。矢島:16世紀は「わび」の美意識が確立してくる時代でしょう。茶の湯の「わび」ってすごく高尚なイイメージで語られるけど、素朴を愛するという部分が大きいですよね。それまでずっと「唐物」という中国の完璧な美の光線を、日本は浴びてきたわけですよ。それゆえ逆説的に、ひびや染みがあったりとか、不完全なものを良しとする価値観の転換がおきた。 『かるかや』や≪つきしま≫のような表現が、それと同じ時代に出てくるっていうのがとても面白い。一方に狩野永徳が信長や秀吉のために描いた豪華な障壁画とかがあって、一方にこうした素朴絵を愛する人たちもいたわけです。金子:私は「素朴」っていう概念そのものが、必然的に相対的なものだと思います。それゆえ、私にとって「素朴」は悩みの塊でもありまして。『かるかや』や≪つきしま≫も、現代人の目から見ればめちゃくちゃいいですよ。
2019.11.16
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図書館で『にっぽん妖怪地図』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、絵巻物や錦絵がカラー画像で載っていて迫力満点である。中でも百鬼夜行絵巻(真珠庵蔵)と河鍋暁斎の錦絵がすごいので、見てゆきたい。【にっぽん妖怪地図】阿部正路×千葉幹夫編、角川書店、1996年刊<「MARC」データベース>より日本全国、いたるところで妖怪たちは声を発している。鎌倉時代から明治初年までの絵巻物・錦絵・版本・絵本に現れた妖怪たちを網羅。日本各地の妖怪たち大集合の、妖怪画集決定版。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、絵巻物や錦絵がカラー画像で載っていて迫力満点である。中でも百鬼夜行絵巻(真珠庵蔵)と河鍋暁斎の錦絵がすごいので、見てゆきたい。amazonにっぽん妖怪地図「第2章 妖怪たちの行進」で「百鬼夜行絵巻」を、見てみましょう。p14~21<百鬼夜行絵巻(真珠庵蔵)> 百鬼夜行とは、妖怪どもが夜、列をなして往来を横行することをいう。「今昔物語集」には「火をともしたる者ども過ぐ。何者ぞと、戸を細めに開きて見れば、早う人にはあらで鬼どもなりけり。さまざまの怖ろしげなる形あり」とある。 饗宴を終えた妖怪たちは夜更けの町へと繰り出すことになる。それは自分たちの存在を世に知らしめることでもあろう。ここでは、画家たちの幻視した多様な行進をご覧いただく。【百鬼夜行絵巻】 真珠庵本と称せられる。いかにも騒々しい妖怪たちのようすが生き生きと描かれており、後世の妖怪画に多大な影響を及ぼしている。室町時代の百鬼夜行図の代表的な絵巻。描かれているのは鬼と付喪神が多い。寺伝では作者は土佐光信とされるが確証はない。【暁斎百鬼画談】 「暁斎百鬼画談」は河鍋暁斎没後に刊行された。真珠庵本系列に、動的表現とユーモアを自在な筆でつけ加えている。暁斎らしさは、たとえば「源頼光公館土蜘蛛妖怪図」をイントに、得意の骸骨集団を描くなど、随所に見られる。ウン 付喪神を描くオリジナリティがいいではないか・・・怖いというより、なんだか可愛いくて、クールである。元祖クールジャパンというべきか♪ネットから百鬼夜行絵巻の画像を探してみました。以前に読んだ河鍋暁斎関連の雑誌を紹介します。【河鍋暁斎の写実力(美術の窓2008年4月号)】雑誌、生活の友社、2008年刊<ブログ「ひえもん」>より【巻頭特集】「なんでも描けてなにが悪い!! 河鍋暁斎の写実力」 ●巻頭グラビア 「美は永遠か/徹底した観察眼/大和美人も西洋美人もおてのもの 生き物は先生/弱肉強食の微妙な関係/死出の旅路も怖くない 地獄にもある悲喜こもごも/歌舞伎役者も妖怪に」他 ●福富太郎氏vs.山下裕二氏 スペシャル対談 「暁斎から幕末明治の再評価へ」 <読む前の大使寸評>図書館の放出本にしては汚れもなく、内容も優れもので、かなりラッキーであった♪torinakukoesu河鍋暁斎の写実力(美術の窓2008年4月号)
2019.11.09
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図書館で『パステル画のテクニック』という本を、手にしたのです。この本に、水彩とパステルの併用が載っていて、太子のツボに響いたわけでおます。【パステル画のテクニック】立花千栄子著、誠文堂新光社、2012年刊<商品説明>よりパステルの技法から用具、基本的な塗り方、画材の併用のしかたまで、パステル画のテクニックを、イラストレーターが写真つきで分かりやすく解説する。<読む前の大使寸評>この本に、水彩とパステルの併用が載っていて、太子のツボに響いたわけでおます。rakutenパステル画のテクニック「第3章 画材を併用する」で水彩とパステルの併用を、見てみましょう。p81~87<透明感を活かす> 透明水彩絵の具とパステルは、相性のいい画材だと思います。水彩の持ち味や透明感が、パステルと違和感なく溶け合います。アクリル絵の具なら、水を多くして薄塗りの水彩風に使います。(濃度の濃い、乾いたアクリル絵の具の上の上にパステルを置くのは困難です) 絵具は水に溶いて使うので、紙が水を吸って波打ってしまうことがあります。 そのため、厚い紙を使うとき以外は、あらかじめ「水張り」をして、それを防ぎます。<水張りの仕方> ・使用する用紙より大きめのパネル・水張りテープ・刷毛・水・乾いたタオルを用意します。・水張りテープは、用紙の四辺それぞれよりも少し長めに切り、上下左右の分4枚を準備しておきます。・用紙の裏を刷毛を使ってまんべんなく濡らします。・用紙を表にして、パネルの上に置き、乾いたタオルで中心から外に向かってふくようにして、パネルと用紙の間の空気を抜きます。・用紙の四辺に水張りテープを貼って、パネルに留めます。・平らにして乾かします。<パステルの上から水彩で描く> ・水張りがしっかり乾いたら、描いていきましょう。パステルを淡く塗った上に水彩で形を描きます。絵の具の水分でパステルが溶け出すことがありますが、違和感のない色同士を使うことと画面を筆で擦り過ぎないようにすれば、水彩に味わいが加わります。・まず、パステルの「ドライウォッシュ」で地塗りをします。ここでいったんフィキサチーフ(固定用スプレー)を軽くかけておきましょう。そうすることで、パステルが過剰に溶けるのを防ぐことができます。・その上から水彩で描いていきます。【P0INT】指でよくドライウォッシュの粉を擦り込んでおきましょう。その後パステルを塗ることできれいに仕上がります。部屋の隅に、画材と画用紙帳を置いてもう数ヶ月たっているのだが・・・もうすぐ着手する予定でおます。
2019.11.08
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又吉直樹さんが芥川賞を受賞して以来、作家へのハードルが下がったので(それは錯覚です)、「よし 俺もいっちょう」と思うのである。…で、これまで集めた文章修業ハウツーのインデックスを作ってみました。・『本当の翻訳の話をしよう』:村上春樹×柴田元幸・『小説工房12ヶ月』:阿刀田高・『小説家のための人生相談』:阿部和重・『定年後の知的生産術』:谷岡一郎・『ニホン語日記』:井上ひさし・『名文を書かない文章講座』:村田喜代子・『殺し文句の研究』:阿刀田高・『書く力』:斎藤孝・『小説の読み方』:平野啓一郎・『絲的メイソウ』:絲山秋子・映画ライターになる方法:まつかわ ゆま・『文体の科学』:山本貴光・伝わるWebライティング:ニコルとケイト・文章のみがき方:辰濃和男・売れる作家の全技術:大沢在昌・すっきり書ける文章のコツ80:高橋俊一・日本語文章がわかる:高橋源一郎、南伸坊など・作家デビューを目指す貴方へ:ドングリ編・言語表現法講義:加藤典洋 なお、村上春樹の文章修業については別枠として『職業としての小説家』1~6を設けています。R8:『本当の翻訳の話をしよう』を追記・『本当の翻訳の話をしよう』2:村上流短編小説の書き方・『小説工房12ヶ月』1:原稿を書く作業・『小説工房12ヶ月』2:短篇小説の書き方・『小説工房12ヶ月』3:私の書き方 まず読むことから・『小説家のための人生相談』2:桐野夏生との対談・『定年後の知的生産術』1:クリア・ファイル活用術・『ニホン語日記』1:テンとマル・『名文を書かない文章講座』1:「が」を減らす・『殺し文句の研究』1:文章作法・『殺し文句の研究』2:作家の企業秘密・『書く力』:パソコンで「書く力」をつける、他・『小説の読み方』:エンターテインメント小説の秘密・『絲的メイソウ』2:過激なご意見・映画ライターになる方法:映画評ではネタばれ禁止・『文体の科学』:独話体・伝わるWebライティング:ゴールの設定など・文章のみがき方:鶴見俊輔さんの文章修業・売れる作家の全技術:直木賞ぐらいでおたおたするな・すっきり書ける文章のコツ80 :最強の6ヶ条・日本語文章がわかる:新人賞へチャレンジ:松成武治・作家デビューを目指す貴方へ・言語表現法講義 :文間文法、他
2019.11.07
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図書館で『本当の翻訳の話をしよう』という本を、手にしたのです。おお 村上春樹×柴田元幸の翻訳談義ってか・・・これは期待大である。【本当の翻訳の話をしよう】村上春樹×柴田元幸著、スイッチ・パブリッシング、2019年刊<「BOOK」データベース>より【目次】帰れ、あの翻訳(村上春樹+柴田元幸)/翻訳の不思議(村上春樹+柴田元幸)/日本翻訳史 明治篇(柴田元幸)/小説に大事なのは礼儀正しさ(村上春樹+柴田元幸)/短篇小説のつくり方(村上春樹+柴田元幸)/共同体から受け継ぐナラティヴー『チャイナ・メン』(村上春樹+柴田元幸)/饒舌と自虐の極北へー『素晴らしいアメリカ野球』(村上春樹+柴田元幸)/翻訳講座 本当の翻訳の話をしよう(村上春樹+柴田元幸)<読む前の大使寸評>おお 村上春樹×柴田元幸の翻訳談義ってか・・・これは期待大である。rakuten本当の翻訳の話をしよう村上さんが創作テクニックを語っているので、見てみましょう。p194~196<村上流短編小説の書き方> 村上:僕は短篇を書こうと思ったら、必ずまとめて書きます。ばらばらには書かず、六つか七つ、ざっと書いてしまう。柴田:それはなぜでしょうか?村上:そういう書き方しかできないんです。僕はたぶん本来的には長篇作家なんでしょうね、一息にまとめて短篇を書く方が楽なんです。短篇を書くサイクルに入ると、短篇のモードが出来て、2、3週間に1本というペースで書いていく。『女のいない男たち』も『東京奇譚集』も『神の子どもたちはみな踊る』も一気に書いています。柴田:村上さんは初期の短篇集からすでに統一感がありましたよね。『神の子どもたちはみな踊る』からそれがいっそう強まった気がします。村上:テーマを設定して書いているからですね。もしそうじゃなくて、この雑誌から依頼されたから書きましょう、みたいにばらばらにやっていたら、うまく頭がまとまらない。柴田:テーマがあっても、結末まで見えて書きはじめるわけではないですよね。書き出すときにどこに行くかわからないというのはすごく楽しいことですか?村上:楽しいですね。いったいこれはどんな話になるんだろうと、楽しみながら書いていくんだけど、短篇は二週間くらいで書いちゃえるから、二週間後には行き先がわかります。長篇は二年先までわからなかったりするから大変です。そういう意味では短篇は楽。ひとつの短篇を書いたあと、まだアイドリングが続いているうちに次を書きはじめると、またすぐに書ける。 僕にとっては、短篇って、何かきっかけがあれば書けてしまうものなんです。『東京奇譚集』のときはキーになる言葉を二十数個選んで、これとこれとこれで一篇を書く、次はこれとこれとこれというふうに決めて書いていきました。すごく即興的に。柴田:それで思い出したんですけど、たぶん初めて村上さんがワープロを使った現場を見ていて、突然村上さんがキーボードを叩いて「僕が森を歩いていたら熊が出てきて~」と書きはじめて、ああ、作家はすぐ物語が出てくるものなんだ、と驚いたのが印象に残っています。村上:1980年代、買ったばかりでまだ使っていなかった富士通のワープロを新潮社クラブに持っていったときですね。スティーブン・キングの『ミザリー』じゃないけど、何か書けと言われれば、わりにその場でするする書けちゃうんですよ。柴田:それは子供のころからですか?村上:そんなことはないです。三十を過ぎてからです。柴田:作家になってから、ロックされていたものが外れたみたいな感じなんでしょうか?村上:ペイリーさんみたいに分裂症っぽいのかもしれない(笑)。なんにも訓練していないのに、そういうのができちゃうのも不思議だなと思います。 昔は短篇からふくらませて長篇を書くということもありましたが、最近はないですね。『女のいない男たち』のいくつかの短篇について、「続編はないんですか?」と訊かれるんですけど、もうひとつそういう気がしないんです。たぶん僕の中での短篇の位置が変わってきたんだと思います。『本当の翻訳の話をしよう』1
2019.11.07
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<『薄幸日和』>図書館に予約していた『薄幸日和』というマンガ本を、待つこと5日でゲットしたのです。グレゴリ青山のストーリーまんがを初めて見ることになります。【薄幸日和】グレゴリ青山著、小学館、2014年刊<商品説明>よりグレゴリ青山、ストーリーまんが最新刊!! 日常の小さな片隅に潜む”薄幸”それを探して人は旅をする。転校先でいじめに遭っていた夕子。その夕子に手を差し伸べた不思議な同級生・薄井幸子。幸子は、生八つ橋に人生の機微を読み解く謎の少女だった。<読む前の大使寸評>グレゴリ青山のストーリーまんがを初めて見ることになります。<図書館予約:(10/30予約、11/04受取)>rakuten薄幸日和マンガ本の書評を書くってか、難しすぎるではないか。・・・ということで、ネットから画像だけを探してみました。学校では気付かれない存在の薄井幸子が、なにくれとなく夕子さんに優しく接してくれるのです。京都出身のグレゴリさんだから、ディープな京都を案内します。(追って追加予定)
2019.11.05
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グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。 このたびグレゴリさん初期の『グ印亜細亜商会』を読んでいるのだが、亜細亜に溺れるテイストがええでぇ♪ということで、グレゴリさんの本を集めてみました。・グ印亜細亜商会(2003年刊)・夢を吐く絵師・竹中英太郎(2006年刊)・『外地探偵小説集 上海篇』(2006年刊)・グ印関西めぐり(濃口) (2007年刊)・薄幸日和(2014年刊)R1:『グ印亜細亜商会』を追加【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会『グ印亜細亜商会』2:陳澄波の≪嘉義街景≫『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎***********************************************************************グレゴリ青山は朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていたが、たいして気にしてなかったわけです。ところが、朝日の「竹中英太郎への旅 グレゴリ青山展」の記事に、グレゴリ青山と竹中英太郎のイラストが出ていて・・・見直したというか驚いたのです♪旅、昭和レトロ、探偵小説を通じて、グレゴリ青山と竹中英太郎の時を超えた感応が絶妙で・・・とにかく、お二人の妖しい雰囲気のイラストがええわけです♪【夢を吐く絵師・竹中英太郎】鈴木義昭著、弦書房、2006年刊<「MARC」データベース>より江戸川乱歩、横溝正史、夢野久作に寄り添い、妖美、怪奇な画風で時代の寵児となった英太郎は、突然絵筆を折って満州に渡り消息を絶つ。その叛逆の青春、息子・労との戦後までを活写する。<読む前の大使寸評>★【記念館オープン十周年記念展開催中】竹中英太郎は昭和の挿絵画家【山梨湯村】で竹中英太郎の作品を見たが・・・ええでぇ♪Amazon夢を吐く絵師・竹中英太郎***********************************************************************【『外地探偵小説集 上海篇』】藤田知浩編、グレゴリ青山画、せらび書房、2006年刊<出版社説明>よりオールド上海、そこは東洋と西洋の合わさった巨大国際都市。賭博、娼婦、麻薬といった悪習がはびこり、秘密結社や秘密機関が跋扈する危険な街……。忘れられた〈外地〉を舞台とするミステリ・アンソロジー、満洲篇に続く第二弾が登場。オールド上海を舞台にした九編の探偵小説に加え、巻頭にガイドとして、編者・執筆、グレゴリ青山・イラストによる「探偵小説的上海案内」を置く。日本の探偵小説がとらえた"魔都"の正体とは!? <読む前の大使寸評>青山は専門学校を中退し中国への一人旅を敢行したそうで、この本のイラストを描くうえで、素質十分の人物なんだろう♪serabishobo『外地探偵小説集 上海篇』***********************************************************************【グ印関西めぐり(濃口) 】グレゴリ青山著、メディアファクトリー、2007年刊<商品説明>より「KANSAI Walker」の人気連載マンガが、待望の単行本化!京都で生まれ育ち、大阪で古本屋さんのバイトを経験し、和歌山の山奥で2年ほど生活していたこともあるグレゴリ青山による、超ディープな関西ガイド。大阪のウメチカ(梅田の地下街)、銭湯マニアとめぐる京都の旅、船舶画伯にガイドしてもらう神戸港、滋賀の草津にもある温泉などなど、グレゴリ青山独自の視点から見たおもしろ関西をご紹介します。<読む前の大使寸評>グレゴリ青山による、超ディープな関西ガイドとのこと・・・興味深々でおま♪この本は、アマゾンの古本で汚れなし309円というのがあったので、速攻で注文したのです。古本の場合は、古本屋から発送するので最速でも5日ほどかかるようです。rakutenグ印関西めぐり(濃口) ***********************************************************************【薄幸日和】グレゴリ青山著、小学館、2014年刊<商品説明>よりグレゴリ青山、ストーリーまんが最新刊!! 日常の小さな片隅に潜む”薄幸”それを探して人は旅をする。転校先でいじめに遭っていた夕子。その夕子に手を差し伸べた不思議な同級生・薄井幸子。幸子は、生八つ橋に人生の機微を読み解く謎の少女だった。<読む前の大使寸評>グレゴリ青山のストーリーまんがとやらを見てみたいものです。rakuten薄幸日和アホなイラストばっかりではなかったのか♪・・・とにかくグレゴリ青山ワールドにはまったのです。勝手に関西遺産14:大阪環状線、全駅違う発車メロディ勝手に関西遺産13:ごまめの歯ぎしり
2019.10.31
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図書館で『グ印亜細亜商会』という本を、手にしたのです。グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会嘉義街景「第4章 幻町の亜細亜」の「電信柱の画家の街」で陳澄波に触れたあたりを、見てみましょう。要するに、ニッチでかつディープなグレゴリさんの拘りなんですが。p157~162<電信柱の画家の街>■まずは、台北市立美術館 この画集には、嘉義の地図が載っていて、親切にも彼が描いた嘉義の絵の場所が地図上に記してあり、こりゃー嘉義に行った時に役立ちそうだとうれしくなりました。 さらにページをめくっていくと、終わりの数ページには急に“陳澄波興二ニ八”“陳澄波被槍殺時所写的遺書”“陳澄波於嘉義火車站被槍斃時”などというキナくさい漢字が現れてきました。 二ニ八? 被槍殺時? 二ニ八事件といえば戦後の台湾で、もともと台湾に住んでいた本省人と、大陸からやって来た外省人の間に起こった暴動のことだったっけ? そのとき彼は殺されてしまった? なぜ?(中略)■「台湾人」というかき氷屋さんで ぼんやりとその店の白い壁をながめていると、おやっ? 陳澄波の≪嘉義街中心≫と≪調配船廠的風景≫の複製画がかかっているではありませんか。さすが、画家のふるさとだけあって、きっとこの店の主人が彼の絵の愛好者なのでしょう。グはカキ氷を持って来た店主に「陳澄波!」と絵を指して言うと、 へえー…って、ええええ!? おっちゃん、今、とんでもなこと言わへんかったか!?「陳澄波的家!?」「対、ほら、こっち、このあたりが彼のアトリエだったところだよ」 というような身ぶりで、彼は店の奥のドアを開けて見せてくれるのでした。ホントに? マジで? オッちゃん、ほら、見てよこの画集、私、陳澄波のふるさとやっていうからわざわざこの街にやって来たんやから、ということを今から思うと日本語で言ったか英語か中国語で言ったかわからない。 コーフンして、ほとんど半泣き状態になっているグに、おっちゃんは言いました。「じゃあ、今から陳澄波の息子さんに、電話してあげる」 これは夢か? テーブルの上のカキ氷はもう溶けそうになっています。■陳澄波の絵のある部屋で その部屋に入ったとたん、これは夢ではないかと、昨夜から繰り返し自問してきたことを恍惚と繰り返してしまいました。その部屋の壁には、陳澄波の絵の本物や複製が、そこに住んでいる人を見守るようにして並んでいます。しかも目の前にはその画家、陳澄波の長男である陳重光さんがおだやかな顔で座っていらっしゃいます。 徳島県近代美術館でひとめぼれしてしまった陳澄波の絵と、その絵の舞台を探す台湾の旅は、台北市立美術館で≪夏日街景≫の絵に再会でき、画集も手に入れ、≪嘉義街景≫の絵の舞台となった嘉義市の一角にたどりつけたことで、その目的は充分に達せられたことになったはずでした。 ところが、たまたま入ったカキ氷屋が陳澄波の住んでいた場所だったこと、しかも「じゃあ、陳澄波の息子さんに電話してあげる」と言って、カキ氷屋の主人が電話のプッシュボタンを押し始めたことで、現実は、グの目的を軽く越えてしまったのでした。『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎
2019.10.29
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図書館で『グ印亜細亜商会』という本を、手にしたのです。グレゴリ青山といえば、朝日夕刊の「まだまだ勝手に関西遺産」シリーズでイラストを描いていているので、関西では名が知られているのです。それから・・・竹中英太郎に感応するとか上海好みとか、とにかくニッチなテイストがすごいわけです。【グ印亜細亜商会】グレゴリ青山著、旅行人、2003年刊<「MARC」データベース>より夢の客船に乗って行ってみたいのは、探偵小説の似合う街。懐かしい上海の歌声やインド映画音楽。奇才グレゴリ青山が描くアジアのとある街のとある時。イラスト満載の旅の本。<読む前の大使寸評>亜細亜に溺れるニッチなテイストがええでぇ♪amazonグ印亜細亜商会ハルピン ハルビン(哈爾浜)よりハルピンや竹中英太郎に触れたあたりを、見てみましょう。p137~143<第4章 幻町の亜細亜> 舞台は大正9年のハルピン。19世紀末にロシア人が中国に建設したヨーロッパ風のこの街…“キタイスカヤ界隈の豪華な淫蕩気分、フーチヤテンのアクドい殷賑さ、ナハロフカの気味悪い、ダラケた醜怪さ”…の中で、日本兵、赤系白系のロシア人、混血のスパイ、軍と共謀する日本料亭の女将、ジプシーの血をひく露西亜娘が蠢き、陰謀に巻き込まれた主人公は北満に、シベリアに、ウラジオに、そして最後には“氷の涯”へと流れて行くという、“探偵小説が似合う街”どころか、堂々たる“探偵小説の舞台の街”だったのです。(中略) 夢野久作をはじめ江戸川乱歩、横溝正史といった巨星たちの小説に妖気に満ちた挿絵を描き、挿絵画壇の寵児となりながらも、ある日忽然と姿を消した画家がいました。彼の名は竹中英太郎。戦前の探偵小説ファンにとっては伝説的な存在の画家です。(中略) 竹中英太郎はなぜ筆を捨て、そしてどこへ消えてしまったのか・・・と、まるで彼自身が探偵小説の主人公のようですが、これがまさにその通りで、失踪後の昭和11年2月27日の夜、彼はニ・ニ六事件関連の容疑で特高に連行され、さらにその三年後に今度は憲兵隊に逮捕されます。逮捕されたその場所は、満州のハルピン。そう、夢野久作の『氷の涯』の、あの哈爾濱です。 夢野久作の小説に絵をつけていた画家は満州、哈爾濱でいったい何をしようとしていたのか?…と、もうこの謎だけでグの中で哈爾濱という街はますます魅惑をましていきます。 わかっていることは『月刊満州』『少年満州』という雑誌の刊行、編集に携わっていたこと、そして満州国創設を推進した石原莞爾と親交があったということ、そして竹中英太郎が逮捕、強制送還された年は東条英機の陰謀により石原莞爾が関東軍を去ることになった年だったということで、何やら本当に国家謀略を背景にしたスパイ、スリラーめいているのです。 彼の長男である、ルポライターで今は故人となった竹中労(すごい父子だ)の回想によると、“昭和6、7年から満州時代にかけて具体的にどのような事件と人々に関わりあったのか、父は四人組の張春橋のように完黙”して語らなかったといいます。 ただ、父の友人から、満州時代はマージャンでメシを食っていたとか、ハルピンで白系の混血の少女と云々という伝説を聞かされたことがあるそうで、ますます『氷の涯』の主人公と竹中英太郎の姿が重なり合ってくるのです。 もともと夢野久作の文章と竹中英太郎の絵は、久作の文章からしみ出たインクで描かれたものが英太郎の絵なのか、英太郎の絵のインクがとろけて久作の文章になったのではないかというぐらい二人の個性が溶け合っていて、何か因縁めいたものを感じずにはいられません。『グ印亜細亜商会』1:ハルピン、竹中英太郎
2019.10.28
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使堀江栞「献灯使」の続きを、見てみましょう。献灯使の選定にふれたあたりです。p141~144<献灯使> 夜那谷はいつからか、大人に対する話し方と子供に対する話し方を区別しなくなってきていた。知らない単語は知っている単語の中にあらわれることで、辞書を引かなくても、意味が理解できる。知っている単語の中に1割くらい知らない単語の混ざったものを読み続けることで語彙は増えていく。 自分に教えられるのは言葉の農業だけだ。子供たちが言葉を耕し、言葉を拾い、言葉を刈り取り、言葉を食べて、肥ってくれることを願っている。 世界地図を広げて海の向こうの国の話をしてやると、子供たちは露に濡れた葡萄のような瞳を向けて、飽きることなく耳を傾けている。その中から一番「献灯使」にふさわしい子を選び出さなければならない。毎日たくさんの小学生を観察できる環境にいる夜那谷は、それが自分の使命と思っていた。無名に白羽の矢を立ててはいるが、これからどんな風に成長していくのか数年見守ってからでなければ最終的な判断は下せない。 無名は激しくまばたきした。頭の芯がずきずき痛む。心臓の鼓動が胸から耳の奥に移ってきた。鼻の奥でかすかに血のにおいがする。でも今身体の不調を訴えれば、先生は地理の話をやめてしまうだろうと思い、何度も唾をのみ、拳骨を握って我慢していた。 無銘には世界地図が自分の内臓をうつし出すレントゲン写真のように見えてきた。アメリカ大陸が右半身、ユーラシア大陸が左半身だ。腹にオーストラリアが感じられる。今、先生なんて言った? 日本列島はもともとは大陸にくっついていた? そんなことって、あるんだろうか? 大昔は半島だった? もしそうなら昔は歩いて大陸に渡って、地球がまるく感じられるくらい大きな地面を横断して、気が遠くなるくらい遠くへ行くことができたんだろうか。「どうして大陸から突き放されたんですか?」 と誰かが訊いた。誰だろうと思って無名は振り返ろうとしたが、首が硬くなっていて、まわらなかった。「日本はわるいことをして大陸から嫌われたんだって、曾おばあちゃんが言ってた」 と、龍五郎君が得意になって言うと、それを聞いて夜那谷は苦しげな笑いを浮かべて頷いた。「ほら、見てごらん。世界の真ん中には大きな海がある。これが太平洋だ。この海をはさんで、左にユーラシア大陸とアフリカ大陸、右にアメリカ大陸がある。太平洋の海の底に沈んだ板が時々大きくずれる。するとその板の縁で大きな地震が起こって、津波が来ることもある。それは人間の力ではどうにもならないことだ。地球というのはそういうものんんだ。でも、日本がこうなってしまったのは、地震や津波のせいじゃない。自然災害だけなら、もうとっくに乗り越えているはずだからね。自然災害ではないんだ。いいか。」 夜那谷がそう言った途端、教室の火災警報がけたたましく鳴り始めた。夜那谷は赤い機械に近づいていって、スイッチを切った。「地球はまるいんだよ」 と無名は気がつくと柔らかいがよく響く声で発言していた。自分が何を言おうとしているのかわからないのに声が勝手に飛び出した。まわりの子たちが不思議そうに無名を見た。無名は鳥が翼を動かすように両腕を動かし始めた。苦しまぎれにやったことだが、ふざけて鶴の真似をしているようにも見えた。先生は目を細めて笑って、「そうだ、地球はまるい。まるいものを平面に描いたのがこの世界地図だ。そのことを言うのを忘れていた」 と言って、頭をかく真似をした。安川丸がだまされて怒ったような顔をして、「え、まるい? じゃあ、これは嘘?」 と言った。龍五郎君も呆れたような声を出した。「なあんだ、まるいのか。」 夜那谷は答えに窮した。だますつもりはなかった。地球がまるいということよりもっと大切なことを言うつもりだったんだ。でも、若しかしたら地球がまるいことも大切なのかもしれない。「あとでみんなで紙を切って、鞠みたいな地球儀をつくってみよう」 無名は頭の両側から錐をねじ込まれるような痛みに耐えるために必死で腕を動かし続けた。ウーム グローバリズムの闇が語られているというか・・・とにかくニッポンの大陸侵攻を意識した近未来小説になっているようです。『献灯使』4:国際海賊団、言語の輸出入『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.25
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使堀江栞「献灯使」の続きを、見てみましょう。国際海賊団、言語の輸出入にふれたあたりです。p110~112<献灯使> 国際海賊団に入っている日本人たちは日本を無断で離れたため、もう帰国する権利がなない。「帰国するよりも、いろいろな国から来た同僚たちといっしょに海賊の仕事をしていた方が金も儲かるし命も安全だ」というとんでもない手紙を新聞に投稿した日本人がいた。それを読んで義郎は大声をあげて笑ってしまった。新聞がそういう投稿を載せるということは、言論の自由もまだトキみたいに絶滅したわけじゃないんだなとも思った。 海賊組織なのでバイキングの伝統を誇るノルウェー人やスウェーデン人が活躍しているには何の不思議もないが、海に縁のなさそうなネパール人やスイス人なども参加しているそうである。日本人もかなりの比率で参加しているということは、鎖国の遺伝子など存在しないということだろう。 南アフリカ政府はあらゆる海賊と断固として戦う姿勢を示している。義郎はこの間足を運んだ「サメの将来とかまぼこの未来」についての講演会で、国際海賊組織の話を聴いた。講演原稿には検閲がないのでナマの情報が耳に入ることがある。義郎は歩いていける十キロ範囲内で講演会があると必ず出掛けていく。講演会場はいつも満員だった。 南アフリカとインドは、地下資源を暴力的なスピードで工業製品に変えながら安価を競うグローバルなビジネスからいち早く降り、言語を輸出して経済を潤し、それ以外のものは輸入も輸出もしないという方針をとっていた。南アフリカとインドは「ガンジー同盟」という名前の同盟を結び、世界の人気者になりつつあった。 この仲のよいペアに嫉妬する国もいくらかあった。二国が喧嘩をするのはサッカーについてだけで、人間と太陽と言語に関しては意見がいつもぴったり一致していた。南アフリカとインドは、諸外国の専門家たちの予測に反して、経済的にどんどん豊かになっていった。 日本の政策も、地下資源の輸入と工業製品の輸出をとりやめたところまでは同じだが、輸出できるような言語がなかったので、そこで行き詰まってしまった。政府は沖縄の言葉が日本語から完全に独立した一つの言語だという論文をお抱え言語学者に書かせ、中国に言い値で売りとばそうと企んだこともあったようだが、沖縄はそんなことは許さない。もしも沖縄の言葉を売り飛ばすつもりならば、これからは果物をいっさい本州に出荷しない、と強く出た。 義郎の朝には心配事の種がぎっしりつまっているが、無名にとって朝はめぐりくる度にみずみずしく楽しかった。無名は今、衣服と呼ばれる妖怪たちと格闘している。布地は意地悪ではないけれど、簡単にこちらの思うようにはならず、もんだり伸ばしたり折ったりして苦労しているうちに、脳味噌の中で橙色と青色と銀色の紙がきらきら光り始める。寝間着を脱ごうと思うのだけれど、脚が二本あってどちらから脱ごうかどうしようかと考えているうちに、蛸のことを思い出す。もしかしたら自分の脚も実は八本あって、それが四本ずつ束ねて縛られているから二本に見えるのかもしれない。更に読み進めました。p118~120「無名、まだ着替え終わってないのか。学校遅れるぞ」 と言いながら、曾おじいちゃんが近づいてくる。激しい声を出そうとしているのは分かるけれど、ちっとも恐くない。 無名の襟首から立ちのぼる子どもの甘い匂いを義郎は深く吸い込んだ。この匂いだ。娘の天南がまだ赤ん坊だった頃、抱き上げて顔を近づけるとこの匂いがした。それは女の子の匂いなのだと勝手に思っていたが、無名はこの匂いを濃厚に発散している。天南が大人になって飛藻を生み、ある時靴下を履かせてやってくれと頼まれて、りんごに袋を被せるみたいに靴下をはかせた時、子供の小さい足に激しいいとおしさを感じたことは今でも覚えている。 しかし飛藻は、無名ほどいいにおいはしなかった。幼い飛藻の身体から発散されるにおいには、すでに泥と汗が混ざっていた。飛藻は小学校に入学する頃には靴下など無視して、裸足で運動靴の踵を踏みつぶして、「行って来ます」も言わずに勝手に外に遊びに行くようになった。落ち着きも思いやりもない子だったけれど体力はあった。 無名が生まれて飛藻が戻ってきた時、「自分の子がかわいくないのか」と思わず陳腐な台詞を吐いてしまった義郎に対して、飛藻はその場の勢いで、「俺の子かどうか、どうしてわかる」と言い返した。義郎はどきっとした。売り言葉に買い言葉の口喧嘩で言ったことに真実を求めても仕方ないと思い、飛藻の言葉をすぐに忘却炉に投げ込んでしまったが、だいぶ後になって灰の中からささやき声が聞こえてきた。無名の父親が本当に飛藻なのかどうか、飛藻自身も自信がないのだということだ。 無名の母親は、おしどりでもペンギンでもなかった。貞節という言葉も書けず、腰が軽く、浮気が日常、責められても上の空、罪の意識はなく、うわばみみたいによく飲む女でもあった。もうとっくに灰になっているので、無名の父親が誰だったのか訊きたくても訊くことができない。たとえ生きていたとしても、ひょっとしたら本人ももう覚えていないのかもしれない。ウーム 元気な曾おじいちゃんは別にして、無名のすさまじい家庭環境である。『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.22
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図書館に予約していた『献灯使』という本を待つこと10ヵ月ほどでゲットしたのです。腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>腰巻には「デストピア文学の傑作!」とあり、5編の短篇集となっています。期待できそうやでぇ♪<図書館予約:(12/09予約、10/13受取)>rakuten献灯使「献灯使」の続きを、見てみましょう。日本の鎖国にふれたあたりです。p51~55<献灯使> 義郎は、自分が孫に教えたことが間違っていたことを認めるしかない。「東京の一等地に土地があれば将来その価値が下がるということはありえない。不動産ほど信用できるものはない」と孫に言った覚えがあるが、一等地も含めて東京23区全体が、「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定され、土地も家もお金に換算できるような種類の価値を失った。 個別に計った場合は飲料水も風も日光も食料も基準をうわまわる危険値がはじき出されることはないが、長期間この環境にさらされていると複合的に悪影響が出る確率が高い土地だということらしい。測量は個別にしかできないが、人は総合的に生きるしかない。 危険だと決まったわけではないが23区を去る人が増え、それでもあまり遠くへは行きたくないし、海の近くは危険なので、奥多摩から長野にかけての地域に目を向ける人が植えていった。23区に相続した家と土地を売ることもできず、そのままにしているのは義郎の妻の鞠華だけではない。 子孫に財産や知恵を与えてやろうなどというのは自分の傲慢にすぎなかったと義郎は思う。今できることは、曾孫といっしょに生きることだけだった。そのためにはしなやかな頭と身体が必要だ。これまで百年以上も正しいと信じていたことをも疑えるような勇気を持たなければいけない。誇りなんてジャケットのように軽く脱ぎ捨てて、薄着にならなければならない。 寒さに襲われたら、新しいジャケットを買うことを考えるのではなく、熊のように全身にみっしり毛が生えてくるようにするにはどうすればいいのか考えた方がいい。実は自分は「老人」ではなく、百歳の境界線を越えた時点から歩き始めた新人類なのだと思って義郎は何度も拳骨を握りなおした。(中略) 義郎は外に立ったまま新聞を広げた。実は若い頃は新聞を読んでいなかったが、一度新聞というメディアが潰れて、あらためて復活してからは、新聞を隅々まで読むのが日課になった。政治欄の上を低空飛行すると、「規制」「基準」「適合」「対策」「調査」「慎重」などの穂先が目にささる。内容を読み始めると、沼にずぶずぶ入っていく。朝から新聞など読んでいてはいけない、まず無名を学校に送り出すことだ。「学校」という言葉にはまだかすかな希望が宿っているような気がした。 新聞を玄関に置いて台所に戻り、義郎はしぼりたてのオレンジジュースを入れた細い飲み口の付いた竹のコップを無名に手渡した。「オレンジは沖縄でとれるんでしょ」と一口飲んでから無名が訊く。「そうだよ。」「沖縄より南でもとれる?」 義郎は唾を呑んだ。「さあ、どうだろうね。しらない。」「どうして知らないの?」「鎖国しているからだ」「どうして?」「どの国も大変な問題を抱えているんで、一つの問題が世界中に広がらないように、それぞれの国がそえぞれの問題を自分の内部で解決することに決まったんだ。前に昭和平成資料館に連れて行ってやったことがあっただろう。部屋が一つずつ鉄の扉で仕切られていて、たとえある部屋が燃えても、隣の部屋は燃えないようになっていただろう。」「その方がいいの?」「いいかどうかはわからない。でも鎖国していれば、少なくとも、日本の企業が他の国の貧しさを利用して儲ける危険は減るだろう。それから外国の企業が日本の危機を利用して儲ける危険も減ると思う。」 無名は分かったような、分からなかったような顔をしていた。義郎は自分が鎖国政策に賛成していないことを曾孫にははっきり言わないようにしていた。ウン 百年以上も生きてきた義郎は、復活した新聞という紙媒体を愛好しているようです。この老人好みがええでぇ♪『献灯使』2:ナウマン像『献灯使』1:冒頭の語り口
2019.10.22
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車オーストリアといえばまずウィーンであるが、リンツのような小都市を、見てみましょう。p117~120<ハンブルグへ> リンツは、ヒットラーがドイツ帝国の首都にしようと考えていたこともあった町だ。今ではオーストリアの小都市の一つに過ぎないが、そう言われて、まわりの町並みをぐるっと見回してみると、確かに、眠っている間に、煉瓦を唇に乗せられたような気分になる。 狭い額に憂鬱そうな皺を浮かべ、濁った充血した目で、恨めしそうにこちらを睨んでいる男のような町。骨組みはがっしりしているが、背の割に肩幅が広すぎて、腕の筋肉が重くぶら下がっている。いや、これは言い過ぎかもしれない。 あなたはリンツをそれほど嫌っているわけでhない。目を光らせて、現代音楽に耳を傾け、自分の踊りを吸い付けられるように見ている人たちが、この町にはたくさん住んでいることを、あなたは知っている。でも、これから、夜行の来るまでの時間をこの町で過ごさなければならないと思うと、何か得体の知れない物い呑み込まれはしないか、と不安になる。 ウィーンを出た夜行列車がこの町に着くのは、十時半過ぎ、あなたはそれまで、この町で時間を潰さなければならない。時間を潰すというのは、なんて嫌な言い方だろう。まるで、時間が蠅であるかのよう。時間蠅という種類の蠅がいる。タイム・フライズ・ライク・アン・アロウ。時間は矢のように飛んでいく。光陰矢のごとし。これをコンピュータに訳させたら、「時間蠅たちは、矢がお好き」という訳が出た、という話をつい昨日、読んだばかりだった。 しかし、夜行の来るのを待つ間、時間は矢のようには過ぎ去ってはいかない。蠅のように飛び去ってもいかない。まさに、その逆で、かたつむりのようだ。かたつむりの通った後には、一本の光る筋が残る。あれは、触ったら、ねばねばしているんだろうか。線路のように、背後に軌跡を残して。でんでんむしは、電車の一種か。頭から、アンテナが二本、伸びていて、遠くの誰かと通信しているようにも見える。 リンツで時間を潰すには、どうしたらいいのか。まず、植物園へでも行ってみようか。先週、ダンスのワークショップに来ていた参加者の一人が言っていたことをあなたは思い出した。「あたし、一番好きな場所は植物園なんです。踊りたい人間が植物みたいに動きのないものに惹かれるのは変かもしれませんが、わたし、いつもものを考える時には植物園に行くんです」あなたは植物に興味を持ったことはなかったが、そう言われてみると、なんだか、植物園に行ってみたくなった。 もう何年も、植物園になど、足を踏み入れたことがない。そうか、なるほど、動きのないものか。ダンサーにとって、静止の時間というのは大切かもしれない。いや、静止というのは、こちらの誤解。花だって、動いている。太陽のある方向に首を曲げたり、茎が伸びて成長したり、枯れたり。ただ、その動きが恐ろしく遅いだけだ。 植物の動きに比べたら、あたつむりなど特急列車ではないか。遅い動きというのは、体力を多く消耗するから、疲れる。ひまわりおように、1時間かけて首を右から左へ動かせと言われたら、大変だ。どうして、ひまわりは、そんな動きをしても疲れないんだる。そんなことを考えていたら、なんだか、たまらなく植物園に行きたくなってきた。 リンツの植物園にはさんさんと日が降り注ぎ、つつじの蜜が地面にこぼれそうだった。薄くてひらひらレースのような花びらが下着のようで、ちょっとみだらな感じもする。蜂はうまく羽を動かして、花の中を覗き込みながら、空中のある位置に停まり続ける。蜜があるあどうか偵察しているのだろう。あなたは、どんなに高く飛び上がることができても、すぐに地面に落ちてしまう。ダンサーなんて、そんなものだ。 蜂がお尻を振って踊るのを映画で見たことがある。蜂のダンスは、蜜のある場所を仲間に教えるためにやるんだ、と聞いた。おしべにめしべ。一つの花の中には、めしべ女とおしべ男と、両方住んでいる。そうだ、植物にとっては、両性具有が普通なんだ。自分の心の中にも、女と男と両方住んでいるのかもしれない、とあなたはふと思う。 牡丹は、ぼったりと咲いて、花の重みでぼったりと落ちそうである。 紫陽花は、どんなに日が照っていても、雨の日の記憶を肌に残して、しっとりと咲いている。 花壇の間を抜けて、道がくねくねと続く。植物園は、小さな山の麓に作られている。花壇の間をぬって走る終わりのない小道が、いつの間にか木立の中に入っていく。はくしょいと、あなたは、くしゃみをした。いつの間にか、両端に樫の木が立っていた。あなたは、樫の木は苦手である。いわゆるアレルギーがあって、近づくと、くしゃみが止まらなくなる。あわてて引き返す。『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ
2019.10.22
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車マルチリンガルの中国人学生との関わりを、見てみましょう。p61~67<北京へ> 鋼鉄の摩擦音が月を蝕み、駅が暗黒宇宙の真ん中にぽっかり浮かびあがる。どちらが上、どちらが東。あなたは、平均台の上を歩くように、腕でバランスを取りながら、停まっている汽車の方へ近付いていく。 驢馬一頭分くらいの荷物を肩に背負って歩く女がいる。子供の手を引いて急ぎ足に歩いていく男がいる。二人連れの男。腰の曲がった老人。映画俳優のように額を輝かせる若者。道端に地蔵のように並んでいるおは、靴磨きの少年たちだ。物売りの裸電球の光が薄闇に滲む。濡れた紙に墨が滲むように。 あなたは、運動靴やリュックサックに付いた商標を薄闇が隠してくれるのをありがたく思った。決して高級品ではないが、まだ80年代のことで、資本主義国の会社の製品を身に付けていただけで、外国人であることが分かってしまう。好奇の目から逃れて、まわりの人間達と同じ歩行の影になろうと務める。自分の乗る列車を探しているのは、どうやらあなただけではないらしい。 きょろきょろうろうろしている人たちが他にもいる。目の前に列車が停まっているが、それに乗ればいいのかどうか分からない。あなたはポケットから、透き通るほどウうい切符を出して見る。列車の番号がカスレタインキで印刷されている。これが本当に切符なのだろうか。もし違ったら、という疑いが掠め通る。もし違ったら、騙されたのだから、又、お金を払って、新しい切符を買うしかない。 騙されることが一番の勉強だ、と誰かが言っていた。ああ、馬鹿馬鹿しい。あなたはそういうもっともらしい説教が嫌いだ。苦い薬が必ずしも身体に効くとは限らない。甘い果物を買ったつもりでかぶりついて酸っぱかったら、ぺっぺと吐き出すだけだ。何の勉強にもならない。甘いものばかり食べて、良い仕事をした芸術家だっているはずだ。いないなら、自分がその第一号になってやろう。(中略) 途方に暮れていると、後ろから誰かが背骨をさわった。骨と骨の間の妙な隙間に指を入れるように。ぶるっと身震いして振り返ると、眉の美しい昨日の学生が立っていた。 昨日、西安の町中で、この学生が声をかけてきた。七ヶ国語が話せる、という。 夜行の切符を買うのには時間がかかる。自分が買ってきてやるから、あなたは観光でもしているがいい、と言うので、まとまったお金を渡し、夕方ホテルのロビーで逢う約束をして、別れた。ところが、別れて兵馬俑行きのバスに乗ってみると、あなたは不安になってきた。名前も知らない学生に大金を渡し、もし彼が戻ってこなかったら、どうするのだ。 警察に話しても笑われるだけだろう。自分の国でも、知らない人にお金を渡してものを頼んだりはしない。なぜあんなことをしてしまったのか。1週間食いつなげるだけの金額だった。学生だから人を騙さないとは限らない。第一、あれが学生であるかどうかさえ分からない。語学ができるのは確かであるけれども、語学があんなにできるのは却って怪しいのではないか。真面目な生活を送ろうとする人間が、七ヶ国語も勉強するだろうか。疑う心から鬼がぼろぼろ生まれてくる。急に学生の美しい眉が妖しげなものに思われてきた。 それは密に繁っているだけに毛虫のように見えた。艶やかではあったが、それは唾をつけて艶をつけていたのではないのか。繊細な指つき、しなやかな首、柔らかい声、少し照れたような笑い、悪いことなどできなそうな顔ではあった。しかし、羊のセーターを借りて着ている虎もいる。言葉が上手くて滑らかな人間に道徳的に優れた人間はいない、と昔中国の賢人が言っていなかったか。 あなたは一日中落ち着かず、兵馬俑の人形達の顔を見ていても、そこに学生の顔が浮かび上がってくるようで困った。夕方、あなたは下痢をしてしまった。いらいらしながらロビーに早めに降りて待っていると、時間通りに学生が現れた。日中と全く同じ明るい眉をして、夜行の切符とお釣りをあなたに渡した。お釣りは予想外にたくさんあった。あなたは学生を疑ったことが後ろめたくなって、うつむいた。(中略) あなたは本を読み続けた。少しも眠くならなかった。夜行列車の中では、理由もなくひどく眠くなることもあれば、一晩中眠れないこともある。 三十分くらいたっただろうか。顎ヒゲ頬ヒゲ繁る商人が麦酒のにおいをさせて戻ってきた。ドアのところに立ったまま、上のベッドに横たわった桃の妖精たちと話を始めた。男が何か低い声でぶつけるように言う度に、二人は、ひらひらと笑うのだった。笑い声の中には言葉も混ざっていた。 あなたが文庫本の活字から少しでも目をずらすと、男の骨盤の辺りが視界に入った。男の声は、聞いていると内蔵を触られるように不快だった。このまま深い眠りに入って、自分の周りにある世界を消してしまいたい、とあなたは思った。どのくらい時間がたったか、男はドアを閉めて、姿を消した。男はどうやら、他のコンパートメントに寝台を予約しているらしい。『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ
2019.10.21
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図書館に予約していた『容疑者の夜行列車』という本を待つこと1週間ほどでゲットしたのです。この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。【容疑者の夜行列車】多和田葉子著、青土社、2002年刊<「BOOK」データベース>より戦慄と陶酔の夢十三夜。旅人のあなたを待ち受ける奇妙な乗客と残酷な歓待。宙返りする言葉を武器にして、あなたは国境を越えてゆけるか。-稀代の物語作者による傑作長篇小説!半醒半睡の旅物語。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると、まるでヨーロッパ鉄道旅行記のような本になっているわけで、ちょっと当てが外れたのでおます。<図書館予約:(10/11予約、10/17受取)>rakuten容疑者の夜行列車この本の語り口を、見てみましょう。p30~32<グラーツへ> チューリッヒ行きの電車が来て、あなたとヒコボシはまるで友人同士のように同じコンパートメントに乗り込んだ。国境警察が物売りのように車内を通り過ぎていった後、スイス鉄道の車掌がまわって来ると、男は急にスイス方言に切り替えて、あなたの事情を説明してくれた。 同じ土地の人間として方言で頼まれると、嫌とは言えないようだった。方言はお金よりも強く人を縛る。車掌は、電話で夜行に連絡して聞いてみます、と約束して去った。信頼の置けそうな口調だった。ところがそれっきり戻ってこない。どこで油を売っているのだろう。それとも、約束のことなど忘れてしまったのか。もうすぐチューリッヒ駅です、という放送が入った時、やっと、車掌は息せき切って戻ってきて、「すいません、電話がどういうわけか、ずっと繋がらなかったんです。夜行はもう出てしまいました」 と誤まった。 嘘とは思えなかった。あなたはお腹の力が抜けていくのを感じた。今夜は、チューリッヒに泊まるしかないのだろうか。明日の早朝列車があったとしても、昼前にはグラーツに着けないだろう。ヒコボシは、「これから、いっしょに窓口に言って相談してみましょう」 と言って立ち上がった。 あまり自信のある言い方だったので、あなたは巨人に負ぶさって空を飛ぶようなつもりでついていった。窓口では、男はまたスイス方言で相手をぐいぐい押すように質問を重ねている。しばらくすると、あなたの方に振り返って、メモを手渡した。「これから、ウィーン行きの夜行が来るから、それに乗って、あけがたの四時にザルツブルグで降りなさい。そこからグラーツ行きの始発に乗れば、昼には着きますよ」 あなたは手品でも見せられたように、ぽかんとしている。だまされたような、救われたような気持ちである。そうか、方角のちょっと違う夜行に半分だけ乗って、途中で乗り換えることで軌道修正すれば、間に合うのか。そういう考え方もある。「本当にお世話になりました。もし、あなたがいなかったら、途方に暮れていたところです。」「グラーツ公演も頑張ってください。」「あなたもお元気で」 彼女によろしく、と言おうとして、あなたは口を噤む。男の浮気の目撃者になるつもりはなかった。もちろん住所も交換できない。今度チューリッヒのどこかで偶然出逢っても、向こうは他人のふりをするだろう。向こうは、奥さんといっしょかもしれない。ウン モームの「アシェンデン」を彷彿とするテイストであるが・・・まだパンスカ風テイストは強くはありませんね。この本も『多和田葉子アンソロジー』R2に収めておくものとします。
2019.10.21
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図書館で『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』という本を、手にしたのです。第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪【奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<商品の説明>より◆特集◆正統なんてぶっ飛ばせ!奇想と言えば、若冲や蕭白などの江戸時代の絵画。だが実は、日本人には縄文時代から奇想DNAが流れていた!●はじめに 文・山下裕二●奇想八カ条●奇想の美術史年譜―そいつは時々、爆発する【第一部】奇想幼年期 大陸とせめぎあう奇想の島 縄文時代~桃山時代【第二部】奇想青年期 徳川の平和は奇想の楽園 江戸時代【第三部】奇想壮年期 世界一体化と奇想の行方 明治時代~現代<読む前の大使寸評>第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪amazon奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)ゆるかわ系絵巻物を、見てみましょう。p31<こんなにいるよ、ゆるキャラのご先祖さま> 右頁の≪かるかや≫と双璧をなす中世のゆるかわ系絵巻物には、福原遷都を成しとげた平清盛が、和田岬に港を作るため人柱を沈める説話「築島物語」の各場面が描かれている。残酷なストーリーとは裏腹に、簡略化・類型化された人物表現は天真爛漫。たとえば筏の漕ぎ手の下半身を大胆に省略してしまうなど、なげやり(?)な描きぶりには、唖然とさせられながらも、笑みを誘われる。 ウン 大胆な省略やでぇ♪ ちなみに福原、和田岬とはドングリ国の領内でおます。 『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』3:岩佐又兵衛『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』2:はじめに:山下祐二『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』1:バンクシー非公式展覧会
2019.10.19
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先日、(三谷幸喜のありふれた生活#963)を紹介したのだが・・・三谷さんの新聞連載コラムに最新の#964が出たので紹介します。#964では、三谷さんと和田誠さんの二十年ちかくのお付き合いが語られているのだが、この連載コラムで(最初で最後の)三谷さんの挿絵が見られます。三谷さんの挿絵(2019.10.17(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズから転記しました)朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。<(三谷幸喜のありふれた生活964)三谷さんの挿絵> 僕が五本目の映画を作った時、和田誠さんからこんなエールを頂いた。巨匠監督の五作目を列記して、それは例えばコッポラの「ゴッドファーザー」であり、フランクリン・J・シャフナーの「猿の惑星」であり、マーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」であるのだが、つまり、どの監督も五作目は面白い。だからあなたの「ステキな金縛り」は面白いのだ、と。 こんなステキな言い方で映画を誉めて下さるのは、世の中に和田さんしかいない。 和田誠さんが亡くなった。 中学生の頃、著作のファンになった。シンプルだけど深いその絵。豊富な映画の知識。「お楽しみはこれからだ」のシリーズは何度読み返したことか。和田さんの絵をひたすら模写した。筆跡まで似せた。 ヘンリー・スレッサーの小説「快盗ルビイ・マーチンスン」に刺激を受けて、僕は「青池さんちの犯罪」という舞台を作った。同じ頃、和田さんはその小説を原作に映画「快盗ルビイ」を撮った。僕は和田さんに芝居の招待状を送った。映画の宣伝で多忙だった和田さんは、観に行けない代わりに、僕を映画の完成披露試写会に招いてくれた。それが和田さんとの出会いだ。 ビリー・ワイルダーについての対談に呼んで下さり、僕の本の装丁をして下さり、映画の本を一緒に作り、その表紙を一緒に描き、そして新聞の連載が始まったら、そこに素敵な絵を描いて下さった。つまりこの「ありふれた生活」。和田さんはほぼ毎週、絵の中に僕を登場させ、本物の僕よりもイラストの僕の方が一般的になった。 僕の映画にゲストで出て頂き、そのお礼に僕も和田さんの映画にワンシーン出演した。一緒に食事にも行ったし、かれこれ十年以上続く「和田誠を囲む会」と称した飲み会には、僕はお酒も飲めないのに必ず参加してきた。 二十年以上にわたって、お付き合いさせて頂きました。あちらはどう思っていたか分からないけど、僕にとって尊敬する大先輩であり、信頼出来る仕事仲間であり、なにより和田さんとその作品に出会わなければ今の自分はいないわけで、和田さんはまさに僕にとっての「育ての親」だったと言ってもいい。 レミさんがいつかこんな話をしてくれた。 「和田さんはね、丸一日、ホント、一日中ずーっと絵を描いてるの。それで寝る時にね、『ああ、今日もいっぱい描けて、楽しかった』って言うのよ。もうね、和田さんはね、そのくらい大好きなの、絵を描くのが」 和田さん、僕はあなたのようになりたい。 この「ありふれた生活」は、まもなく二十年を迎えようとしています。これから先は、和田さんは新しい絵を描いてはくれません。でも和田さんの書いたタイトル文字とおしゃれなカットが残る限り、和田さんは生き続ける。レミさんも賛成してくれました。 和田さん、今後もよろしくお願いします。(三谷幸喜のありふれた生活964)先輩、仲間、「育ての親」2019.10.17(三谷幸喜のありふれた生活963)記憶に残った映画の宣伝2019.10.10久々の封切り映画:記憶にございません!
2019.10.18
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図書館で『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』という本を、手にしたのです。第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪【奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<商品の説明>より◆特集◆正統なんてぶっ飛ばせ!奇想と言えば、若冲や蕭白などの江戸時代の絵画。だが実は、日本人には縄文時代から奇想DNAが流れていた!●はじめに 文・山下裕二●奇想八カ条●奇想の美術史年譜―そいつは時々、爆発する【第一部】奇想幼年期 大陸とせめぎあう奇想の島 縄文時代~桃山時代【第二部】奇想青年期 徳川の平和は奇想の楽園 江戸時代【第三部】奇想壮年期 世界一体化と奇想の行方 明治時代~現代<読む前の大使寸評>第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪amazon奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)≪山中常盤物語絵巻≫「第二部 奇想青年期」で岩佐又兵衛を、見てみましょう。p40~42<徳川の平和は奇想の楽園> 全巻の総長150メートルという極彩色の≪山中常盤物語絵巻≫の作者は岩佐又兵衛。 辻氏が修士論文のテーマに選んだ「奇想第一号」とも言える絵師だ。牛若丸の伝説をテーマに室町時代に作られた御伽草子系のストーリー「山中常盤」は、17世紀前半にも浄瑠璃の人気演目として上演されていた。 この絵巻も、当時の浄瑠璃のテキストを詞書として使用していると言われるが、もとの物語がもつファンタジックな性格は、どぎつく生々しい描写にとって代わられている。(中略) 又兵衛は織田信長に反旗を翻した家臣・荒木村重への見せしめに、信長は村重一族の妻子34名を処刑する。又兵衛は乳母に連れられ城を抜け出し、難を逃れた。成人後は信長の子・信雄に仕えるが、お家再興はかなわず絵師の道へ。 菊池寛の小説『忠直卿行状記』で乱行ぶりが知られる松平忠直に招かれたか、不惑を前に越前北之庄に赴き、60歳まで同地で暮らす。晩年は江戸に出て73歳の生涯を終えた。 又兵衛作品にはやまと絵風の穏やかな画風のものも多いが、こと極彩色の絵巻になると、常軌を逸した異様さが際立つ。そこには母を含め一族を皆殺しにされた自身の血塗られた人生そのものが、とめようもなく発露する。『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』2:はじめに:山下祐二『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』1:バンクシー非公式展覧会
2019.10.10
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図書館で『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』という本を、手にしたのです。第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪【奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<商品の説明>より◆特集◆正統なんてぶっ飛ばせ!奇想と言えば、若冲や蕭白などの江戸時代の絵画。だが実は、日本人には縄文時代から奇想DNAが流れていた!●はじめに 文・山下裕二●奇想八カ条●奇想の美術史年譜―そいつは時々、爆発する【第一部】奇想幼年期 大陸とせめぎあう奇想の島 縄文時代~桃山時代【第二部】奇想青年期 徳川の平和は奇想の楽園 江戸時代【第三部】奇想壮年期 世界一体化と奇想の行方 明治時代~現代<読む前の大使寸評>第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪amazon奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)ゆるキャラの「築島物語絵巻」この雑誌の「はじめに」を、見てみましょう。p22<はじめに:山下祐二> 「奇想の日本美術史」と題した特集をお届けする。このタイイトルは、いまから半世紀近く前に刊行された1冊の書物に由来する。1970年、美術出版社から刊行された『奇想の系譜』。68年に「美術手帖」に連載された「奇想の系譜・江戸のアヴァンギャルド」を1冊にまとめたものである。 著者は、辻惟雄。当時、東京国立文化財研究所に勤務していた。弱冠37歳の日本美術史研究者である。その後、東北大学、東京大学などで教鞭をとり、千葉市美術館、MIHO MUSEUMの館長を歴任し、日本美術史研究で多大な功績を挙げた人である。『奇想の系譜』は、以後の研究者に決定的な影響を与えた。たとえば、いまでは絶大な人気を誇る伊藤若冲の場合。1970年の時点ではほとんど忘れられかけた存在だったのが、この本に導かれるかたちで若い研究者たちが研究を重ね、2000年に京都国立博物館で開催された「特別展覧会 没後200年 若冲」を機に、一気に若冲人気は爆発したのである。 つまり、『奇想の系譜』という時限爆弾の導火線の火を絶やさぬように以後の研究者が静かに煽ぎ続け、21世紀に至って「若冲ブーム」、「江戸絵画ブーム」、ひいては「日本美術ブーム」が現出したのである。 このたび、東京都美術館で「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」と題した展覧会が開催される。『奇想の系譜』でとりあげられた、当時は異端、傍流とみなされていた6人の画家・・・岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳に、近年その再評価の気運が著しい白隠エ鶴、鈴木其一の2人を加えて、その「奇想ぶり」の精華をご覧に入れようとする企画である。 この展覧会の監修者である私は、もちろん『奇想の系譜』の主役である若冲の作品を多くの方に見てもらいたいと思っている。だがじつは、「若冲だけじゃないぞ!」というのが裏テーマなのである。とくに又兵衛。 本展にあわせて新潮社から『血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛』と題した、辻氏との共著による「とんぼの本」も刊行されているから、そちらもあわせて参照していただきたい。 さて、この特集では、江戸時代絵画史を大きく書き換えることとなった「奇想」というキーワードを日本美術史全般に拡張して、縄文土器から現代美術まで、私が独断と偏見によって選んだ、「奇想」ぶりがあふれる、というか、思わず漏れ出すような作品を満載してお届けする。『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』1
2019.10.09
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図書館で『奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)』という本を、手にしたのです。第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪【奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)】雑誌、新潮社、2019年刊<商品の説明>より◆特集◆正統なんてぶっ飛ばせ!奇想と言えば、若冲や蕭白などの江戸時代の絵画。だが実は、日本人には縄文時代から奇想DNAが流れていた!●はじめに 文・山下裕二●奇想八カ条●奇想の美術史年譜―そいつは時々、爆発する【第一部】奇想幼年期 大陸とせめぎあう奇想の島 縄文時代~桃山時代【第二部】奇想青年期 徳川の平和は奇想の楽園 江戸時代【第三部】奇想壮年期 世界一体化と奇想の行方 明治時代~現代<読む前の大使寸評>第一特集:正統なんてぶっ飛ばせ!、第ニ特集:バンクシー非公式展覧会という取り合わせが・・・ええでぇ♪amazon奇想の日本美術史(芸術新潮2019年2月号)≪愛はごみ箱の中に≫第一特集をさしおいてなんだが・・・第二特集「バンクシー非公式展覧会」が目についたので、そっちを先に見てみましょう。p98~100<バンクシー非公式展覧会> 12月初旬、恒例のマイアミ・フェアの開催に合わせて登場した「バンクシーのアート」展。バンクシーといえば、さきのオークションでのハプニングもあって、いまや世界一有名なストリート・アーティストだろう。 ユーモアと批判精神に溢れた落書きアートは、世界各地の街角に神出鬼没。が、絵柄や内容より、不法侵入や公共物損壊といった違法性によってすぐさま消されてしまうことが多い。 作家の素性モミステリーだ。イギリス南西部の港湾都市ブリストルに生まれ、生年は1974年とあるが、ひとりなのか、複数なのか。90年代初頭より活動し、ルーブルやMOMAなど世界のメジャーな美術館に自作をこっそりしのばせたり、パレスチナの紛争地帯に「世界一眺めの悪いホテル」を建設したり。2010年には、ロサンゼルスのグラフィティ作家を主人公にしたドキュメンタリー映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を公開し、アカデミー賞にノミネートされてもいる。まさに八面六臂の活躍だが、この映画にしても真のドキュメントなのか、作家の「作られ方」を揶揄するフィクションなのか、議論はやまない。 そのため、正体不明であることを含め、すべては巧妙なメディア戦略、話題作りだといった批判の声は大きい。その一方で、作品の所有権の問題からアートの価値・定義に至るまで、デュシャン以来の難題を引き継ぐ究極のコンセプチュアル作家として、若手研究者の格好の題材ともなっている。 さても、バンクシーの展覧会とはいったいいかなるものか、消えて無くなる性質のアートだけに、主体は記録写真や資料だろうか。もとより、バンクシー本人は展示に関わっていないという。企画したのは元マネジャーのスティーブ・ラザリーディスだ。なるほど、ロンドンの地下鉄マークをもじった展覧会ロゴには「UNDERGROUND」ならぬ「UNAUTHORIZED」(=無許可)の文字がくっきり。■バンクシー・ワールドの実物たち 期待半分だったが、会場には思いがけず、監視カメラの頭部をもたげた彫像だの、引き剥がされたシャッターだの、バンクシー・ワールドの実物が並んでいた。(中略) 販売される作品とは、活動資金を稼ぐため、また誰にでも手の届く安価なアートとして制作される版画や絵画であり、バンクシーの人気モチーフの多くは、色変わりのエディションやサイズ違いのキャンバス画として流通している。 その最たる例が、昨年10月、ロンドンのサザビーズで140万ドル(約1億5500万円)で落札され、その直後に下半分が細断されてしまった≪少女と風船≫の絵画だろう。前代未聞のこのハプニング、厚さ18センチもある額縁の中にシュレッダーが仕込まれ、会場内の誰かが茶道させたものだった。が、犯行声明ともいうべき動画がインスタグラムで拡散され、仕掛け人はバンクシー本人であることが判明。 そればかりか、細断されたキャンバスは、ピカソの言葉「創造行為の始まりは破壊行為なり」にならって新たな作品として認知され≪愛はごみ箱の中に≫なる新タイトルまで発表された。
2019.10.08
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図書館で『めくるめく現代アート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪【めくるめく現代アート】筧菜奈子著、フィルムアート社、2016年刊<「BOOK」データベース>よりいざ、きらめく現代アートの宇宙へ。むずかしい現代アートをやわらかく。押さえておきたい基礎知識から最新の動向まで、これ一冊でよくわかる!イラストだから、理解できる。誰もが夢中になれる現代アートガイド。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪rakutenめくるめく現代アート《大日本零円札》おお、赤瀬川原平も現代アートなのか♪・・・ということで見てみましょう。p52~53<ARTIST21 赤瀬川原平> 画家、パフォーマー、イラストレーター、漫画家、小説家、カメラ研究家、日本美術応援団団員・・・赤瀬川原平はその時々で様々な顔を見せる作家です。こうした多岐にわたる活動に共通するのは、日常の物ごとを徹底して観察し、そこに潜む矛盾やおかしみをあらわにしょうとする姿勢でしょう。 例えば≪宇宙の缶詰≫では、カニ缶のラベルを内部に貼りかえて蓋を閉じることで、缶の外側がカニ缶の中身となり、同時に外部の宇宙が缶の内部に梱包されるという思考の転換のおかしみを表現しています。 こうした奇抜な発想は作品制作のみならず、美学校での教育活動や日本美術応援団での美術作品の独自の解釈など、様々な活動に活かされています。■ハイレッド・センター 赤瀬川は63年に高松次郎、中西夏之とともに芸術集団を結成し、様々なパフォーマンスや奇抜な展覧会を開催しました。最も有名な「首都圏清掃整理促進運動」では、東京オリンピックを目前に街を綺麗にしようとする世間の風潮を逆手にとり、白衣を着た集団が道路や敷石を丹念に清掃する異様な光景をつくりだしました。 芸術の枠組みを問い直す「反芸術」の精神による数々の活動は60年代の日本美術を代表するものです。■千円札裁判 赤瀬川は63年に個展案内状に千円札を印刷して現金書留で送付したり、読売アンデパンダン展に千円札の拡大模写作品を出品したりしていました。 こうした作品によって赤瀬川は通貨模造で起訴されることとなり、64~70年に裁判が行なわれました。証人としてハイレッド・センターのメンバーらが出廷し、作品やパフォーマンスを証拠品として提出しました。 また瀧口修造や針生一郎など数々の美術評論家が特別弁護人を務めるなど、国家と芸術表現の相対は大きな関心を呼びました。■超芸術トマソン/尾辻克彦 四谷を歩いている時に発見した、あがって降りるだけの「純粋階段」。赤瀬川は街中に潜むこのような無用の長物を「超芸術トマソン」と称して、数多く発見していきました。 日常の物事をよく観察して衝撃を与えるものを発見するという赤瀬川の姿勢は文筆活動にもあらわれており、81年には尾辻克彦名義で書いた小説『父が消えた』で芥川賞を受賞します。 また97年には「老人力」という言葉を考案し、一般に否定的に考えられがちな物忘れなどの老化現象を肯定的に捉え直すことで、流行語大賞の候補になるなど人気を博しました。赤瀬川さんについてはもう赤瀬川原平さんはいないのかというアンソロジーをつくってみました。『めくるめく現代アート』2:村上隆『めくるめく現代アート』1:バンクシー
2019.10.08
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図書館で『めくるめく現代アート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪【めくるめく現代アート】筧菜奈子著、フィルムアート社、2016年刊<「BOOK」データベース>よりいざ、きらめく現代アートの宇宙へ。むずかしい現代アートをやわらかく。押さえておきたい基礎知識から最新の動向まで、これ一冊でよくわかる!イラストだから、理解できる。誰もが夢中になれる現代アートガイド。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪rakutenめくるめく現代アート官製クールジャパンとは無関係とうそぶく村上隆を、見てみましょう。p86~87<ARTIST38 村上隆> アニメや漫画といった日本のポップカルチャーを反英した村上隆の作品は、海外へ新しい日本文化のイメージを広めました。 90年代前半には、戦後の日本におけるアメリカ文化の歪んだ享受をアイロニカルに表現する作品を制作していましたが、94年のNY留学を経た後は、西洋式アートの文脈へ日本のカワイイ/オタク文化をいかに接合していくかを思考するようになります。性的に誇張された等身大フィギュアや、つぶらな瞳のキャラクターたちが登場する絵画や彫刻、アニメーションなどその作品は多岐にわたります。 2000年以降はルイ・ヴィトンとのコラボレーションやヴェルサイユ宮殿での展示など海外でも目覚しい活動をしています。■スーパーフラット 伊藤若冲や曽我蕭白など江戸時代の画家の画面構成を学んだ村上は、そこに見る人の視線をジグザグに誘導する構造があると気づきました。これをもとに視線を誘導する多数の焦点を持つ平面的表現を新たに作りあげ、スーパーフラットと呼びました。こうした表現はアニメーター金田伊功の作画にも共通するとされます。■DOB君 ドラえもんなどの日本のキャラクターは、アメリカのキャラクター文化の影響下で様々に掛け合わされてできたのではないか・・・そう考えた村上は、この理論を用いて94年に自身を代表するキャラクター・DOB君をつくりあげます。 このDOB君を日本の屏風や絵巻の構図で描くことで、村上は日本のキャラクター文化をアートに接続することを試みています。■五百羅漢図 2011年の東日本大震災を受け、暗澹たる現実に立ち向かう力を創造するために、村上はこれまでにない大規模作品の制作に取りかかりました。それが縦3m×横100mにわたる≪五百羅漢図≫です。 青竜・白虎・朱雀・玄武の4パートからなり、五百人の羅漢像が描かれています。2012年にカタールの個展で初めて展示された後、日本でも2015年に森美術館で公開されました。村上隆については村上隆アンソロジーをつくってみました。『めくるめく現代アート』1:
2019.10.07
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図書館で『めくるめく現代アート』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪【めくるめく現代アート】筧菜奈子著、フィルムアート社、2016年刊<「BOOK」データベース>よりいざ、きらめく現代アートの宇宙へ。むずかしい現代アートをやわらかく。押さえておきたい基礎知識から最新の動向まで、これ一冊でよくわかる!イラストだから、理解できる。誰もが夢中になれる現代アートガイド。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、全ページにカラー画像満載のビジュアル版となっています。大使の好きなビジュアル本でんがな♪rakutenめくるめく現代アート約13億円で落札されたバンクシー作品街中での落書きで有名になったバンクシーを、見てみましょう。p88~89<ARTIST39 バンクシー:> 名前や姿を一切明かさずに、世界各地の街角に落書きをしたり、美術館に自作を無断で展示したりすることから「芸術テロリスト」の異名を持つアーティスト・バンクシー。突如として街中に現れる、現代の社会や政治の状況を風刺するステンシル絵画は、落書きでありながらも多くの人から愛されています。 2007年のオークションでは、本人の意図と関係なく現場から持ち去られた作品計6点が出品され、およそ8500万円の金額で落札されて話題を呼びました。2010年にはドキュメンタリー調の映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』で監督をつとめ、顔を隠した形で自らも出演しました。■グラフィティ・アート バンクシーに多大な影響を与えたのが70年代からNYを中心に広まったグラフィティ・アートの動向です。建物や鉄道の壁にスプレーなどで文字やイラストを描くその表現は、器物損壊や不法侵入などの犯罪行為と考えられてきました。 しかし80年代にキース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアらが活躍したことで、現代アートの一分野として認められるようになりました。■政治的意味を持つ場所に描く バンクシーの作品には社会・政治的なメッセージが込められています。最も政治的な主張を持つ作品としては、パレスチナの隔離壁などに描かれた作品があります。手榴弾の代わりに花束を投げる若者や、隔離壁の向こうに楽園が広がる光景などを描いた作品はメディアを通して世界中に発信されました。
2019.10.07
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図書館で『文士の遺言』という本を手にしたのです。ウン 歴史探偵と呼ばれた半藤さんの薀蓄が・・・ええでぇ♪【文士の遺言】半藤一利著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>より「歴史探偵」が薫陶を受けた作家たちの知られざる思想、苦悩、その素顔!あの戦争・戦後とは何だったのか?知られざる作家の肉声、創作秘話が炙り出すもう一つの「昭和秘史」!!<読む前の大使寸評>ウン 歴史探偵と呼ばれた半藤さんの薀蓄が・・・ええでぇ♪rakuten文士の遺言丸谷才一論を、見てみましょう。p175~179 <玩亭センセイの芸の力>■美的な論理構築の面白さ のっけから妙なことを書く。わたくしは丸谷才一さんが喜寿を迎えたとき、ごく簡単な祝宴で挨拶をさせられた。このとき丸谷さんを見習ってあらかじめ話すことを原稿用紙に書いて、それを読むような読まざるような形でお祝いの言葉を述べた。それが手もとに残っているので、あらためてここに書き写すことにする。つまりわたくしの丸谷才一論である。≪いまを去ること7年前、古希になられた丸谷さんから我々は大料亭に招かれ大そう御馳走になりました。こんど丸谷さんの喜寿をお祝いしてそのお返しをさせて戴こうという趣旨でありますが、そも喜寿とは何のことでありましょうか。 古希はわかるんです。杜甫の詩に由来をもちます。「朝より回りて日々春衣を典じ/毎日江頭酔を尽して帰る/酒債尋常行く処あり/人生七十古来稀なり」これであります。何でもかんでも質に入れ、大いに酔っぱらって、あっちを向いてもこっちを向いても酒代の借金ばかり。これが尋常の日常になってしまった。しかし、わしも70まで生きることはできんのじゃ。わしが余生の楽しみを許し給え。 たいして喜寿は、喜の草書は七十七と読むことができる。そこからきた賀の祝い、ということぐらいはわたくしにもわかる。が、それ以上のことはわからない。そこで『大言海』を引いてみると、その長寿ならんことを祝って、もともとあった四十、五十、六十、七十、八十、九十、百の賀に加えて、「足利時代の末より、六十一歳(還暦)、七十七(喜寿)、八十八(米寿)なども起これり」とあるだけでありました。やっぱりわかっていなかった。 ま、古希にくらぶれば目出たさも中くらいなり、というところでありまして、そのお返しの会が大料亭にくらべれば大分落ちますが、そんなわけでありまして、丸谷先生、どうぞお許しください。 さて、こんなどうでもいいことを喋って終わりにしようかとも思ったのでありますが、そうもまいりません。それで昨夜、もう一度泉鏡花賞にかがやく『輝く日の宮』を読み直そうかと思ったのですが、老来すぐに瞼が落っこちていまうので、とても無理と考えて、そこで久し振りに、まあ短い『横しぐれ』を読むことにしました。いやあ、傑作ですね。 父と国文学の恩師と、種田山頭火との、伊予・道後の一日の関係を探索する。丸谷さんならではの文学の面白さ、かなしさがあざやかに表現されている。山頭火の奇矯な人物像を炙りだすために、幾重も罠のように仕掛けられた小説的趣向は、まるで推理小説を読むようでありました。 と、同時に、横しぐれの一語を起点に、時雨にふれる短歌や俳句の日本的感受性の世界の奥へと尋ね入っていくのです。そして「しぐれ」という言葉には、「死暮れ」という意味がこめられているおではないか、という言葉遊びをやるあたりから、急速に死の世界があらわれて、死に憧れたこの放浪の俳人のイメージが定着していく。その芸たるや、見事なものですねえ。(中略) それにしても丸谷さんの、男性自身的にはどうか知りませんが、文学的な若さにはほんとうに驚かされます。心からの賛辞を呈するために、わたくしは丸谷さんがかつて書かれたある一文を、ここに皆さんにご紹介してみたい。それは「慶応三年から大正五年まで」という短い、夏目漱石について書かれた文学エッセイなんですが、そのいちばん最後の結びの部分です。「彼は、偉大な知識人でありながらしかも優れた小説家であつて、つまり一文明の知的指導者であった。かういふ位置を、彼ほど長い期間(おそらく今日まで)保ち続けてゐる文学者はほかには見られないのである。ここには、小説家の社会的機能としての、いはば理想的な形がある」 どうでしょうか。この「彼」を丸谷と置き換えてみれば、そのまま丸谷才一論の結びになるのではないでしょうか≫ 以上がわたくしの祝辞というか挨拶であったが、どうも性来の胴間声に加えて発音明瞭ならざる喋り下手もあって、多くの人に感銘を与えるというわけにはいかなかったようであった。 わたくしなりに丸谷さん直伝の文学的趣向の限りをつくしたつもりであったのに、それが分かってもらえず残念な想いを噛みしめていたら、当の丸谷さんからは、「半藤さん、キミのいい芸を見せてもらいました。とても気持がよかった」といわれたのである。これで気をとり直したことを、いまもありありと思いだせる。■ユーモアで包んだ教養こそ 対談集の解説のはずなのに、てんで解説になっていないじゃないかと叱られすであるが、これでもかなり意識して座談の名人といわれた丸谷さんの対談の味わい方をそれとなく語っているつもりである。 それに、そもそも“余計な解説を加えると、かえって先入観を読者に与えてしまっていかん”という文庫に解説不要論者なのである。が、やっぱりここはきちんと居住まいを正してその魅力について説かねばならないあ、と思うのではじめると・・・。 まずは、丸谷さんの対談・鼎談の心得の条を聞こう。「相手がよくなくちゃできない。なかにはどんな相手でも平気な人もゐるかもしれないが、わたしはさうではない。 じつくり語り合はうといふ気のない人や、荒つぽい人はもちろん苦手だが、それだけではなく、論理的な精神に欠ける人、用語が明確でない人も、閑談の相手には向かない」(『言葉あるいは日本語』構想社) これを逆にいいかえると、対談の相手となる丸谷さんその人が文学的感受性に恵まれ、思考に長け、表現の明瞭な人ということになる。そのような人がぴたりと呼吸が合う相手を選んで語り合うというのであるから、その対談はすべて高みと面白さと香気をめざしてどんどん話が広がっていく、という読者にとってはこよなく読みごたえのあるものとなるのは当然である。この本も丸谷才一の世界R3に収めておくものとします。『文士の遺言』2:満蒙関連のお話し『文士の遺言』1:司馬さんの謎
2019.10.03
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お彼岸を過ぎても暑い天気である、久々に横尾忠則を観に行こう♪…ということで、横尾忠則現代美術館に出かけたわけです。(10月1日に観覧)今回のポスターです。横尾忠則 自我自損展より 本展はアーティスト横尾忠則をゲスト・キュレーターに迎えた展覧会です。横尾が自らの個展をキュレーションするのは、公立美術館では初の試みです。 タイトルの「自我自損」は、エゴに固執すると損をする、という意味の造語です。その背景には、自らの旧作に容赦なく手を加えて新たな作品へと変貌させたり、同一人物とは思えないほど大胆にスタイルを変化させる、横尾の絶えざる自己否定、そして一貫したテーマである「自我からの開放」があります。 本展では、横尾が自ら出品作品を選定し、展示プランを考案します。現役アーティストの名を冠した美術館ならではの野心的な試みに、どうぞご期待ください。[会期]2019年9月14日-12月22日(月:振休)自画自損と題して展示されるので、もっと荒々しいものかと思ったが・・・思いのほか、整然とした冷静なキュレーションになっていました。今回も写真撮影OKだったのでバンバン撮りました。自画像です。その他、気にいったもの数枚です。横尾忠則を観に行こう♪10:笑う横尾忠則展横尾忠則を観に行こう♪9:大公開制作劇場
2019.10.02
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図書館で『日本近代漫画の誕生』という本を手にしたのです。この「日本史リブレット」というシリーズであるが・・・図が多く、薄くて手頃で、元祖ビジュアル本という体裁がええでぇ♪【日本近代漫画の誕生】清水勲著、山川出版社、2001年刊<「BOOK」データベース>より本書は、近代漫画誕生の経過を七つのエピソードで紹介する。【目次】)1 幕末諷刺画の誕生とその発展/2 自由民権期の『団団珍聞』/3 『パック』と日本近代漫画/4 「漫画」という言葉の誕生/5 国際漫画雑誌『東京パック』の登場/6 日本最長寿漫画誌『大阪パック』/7 柳瀬正夢の漫画表現の変遷<読む前の大使寸評>この「日本史リブレット」というシリーズであるが・・・図が多く、薄くて手頃で、元祖ビジュアル本という体裁がええでぇ♪rakuten日本近代漫画の誕生「近代漫画の創始者」とも言われる北沢楽天を、見てみましょう。p42~51 <『パック』の清親・楽天への影響> 明治15(1882)年8月より、本多に代わって『団団珍聞』の風刺画を担当しだした小林清親は、『パック』からどんな影響を受けたのだろうか。清親は本多が見ていた『パンチ』や『パック』を当然見ていたと思われる。このほか、イギリス人画家C・ワーグマンの主宰する『ジャパン・パンチ』も見ていたことが判明している。 週刊の『団団珍聞』に毎号2、3点の風刺画を描かねばならない清親にとって、参考になる資料は、そうした外国漫画雑誌の作品だったことは想像にかたくない。(中略) 明治18年2月から3月にかけて、フランス人画家ビゴーが『団団珍聞』に漫画を3点寄稿しているが、そのうちの2点は日本的な洒落や発想が色濃く出ているから、日本人との共同作業でつくられたように思われる。その日本人とは、当時の同誌の漫画担当者・小林清親にほかならない。 清親は明治18年ごろから明治20年代初頭にかけて、ビゴーとの接触や外国漫画雑誌の閲覧によって、力強い漫画表現とは何かを追求した。日本人画家としては珍しい銅版刷風刺画を試み、石版刷漫画やコマ漫画をこの時期多数生み出したのも、外国漫画から触発されたものと思われる。 『パック』の漫画から多くの影響を受けたもう一人の漫画家は北沢楽天である。清親作品よりも楽天作品のほうが、影響関係がより明瞭である。 「鉄道の国営」の鉄道公営化による駅長・助役・駅夫の官員きどりの客扱いと運賃値上げを風刺した、巨人駅員のアイデアは、「現代の鉄道巨人」からヒントを得ているように思われる。両者の間に27年の時間差があるが、J・ケプラーの強烈な印象を与える鉄道界風刺画がずっと楽天の脳裡にあって、同じ鉄道界の風刺に巨人像を使用したのであろう。(中略) 日本の近代漫画のスタイルをつくり出した二人の巨人・小林清親と北沢楽天が、その風刺画の創作にあたって、欧米の漫画雑誌や来日欧米人の漫画雑誌から多くのヒントを得ていたことが、具体的にわかってきた。英仏からだけでなく、アメリカからもこんなに早くから影響を受けていたことが、『パック』誌によって証明された。『日本近代漫画の誕生』1
2019.10.01
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私英語圏における翻訳について、見てみましょう。(あるいは奢れる英語とでも言いましょうか。)p221~223<英語圏における日本文学の将来>■翻訳者の名前は小さい ときどきアメリカの読者から「何を読んだら日本文学の現状が分かるか」と聞かれることがある。私は何の躊躇いもなくMonkey Businessと答える。変な題名ではあるが、Monkey Businessというのは日本文学の最前線を毎年紹介するユニークな英語文芸誌である。創刊号は2011年に出たが、編集長は東京大学でアメリカ文学を教える一方、無数のアメリカ小説を翻訳してきた柴田元幸さんである。 柴田さんはアメリカ文学の翻訳者としていくつかの雑誌で特集を組まれるほど有名である。また村上作品の翻訳のチェック係としても注目されている。 日本の読者には当たり前のことに思われるかもしれないが、翻訳者についてアメリカで特集が組まれるとは、考えられないことである。だいたい翻訳書が出ても、表紙に翻訳者の名前が出るなど、きわめて珍しい。柴田さんの翻訳書には彼の名前が大きく出ているのに対し、私の訳書は、原著者が村上春樹であれ、漱石であれ、はたまた芥川であれ、まったく出ていないか、出たとしてもごく小さいのが普通である。 日本で翻訳者が重要視されるのは、明治以前の開国以来、翻訳者に頼らなければ全世界の知識に触れる可能性がなかったからである。逆に、英語は世界中で通用する言葉であり、もともと好奇心の乏しいアメリカ人はますます自己中心の世界観で満足して、外国の言葉を知ろうとしないし、翻訳書を少数しか読もうとしない。 英語版Monkey Business創刊の3年前に、柴田さんは日本で文芸誌『モンキービジネス』を始めた。編集者G氏が後ろ盾となって、出版社まで見つけてきてくれて、季刊『モンキービジネス』がヴィレッジブックス刊で2008年4月にスタートした。大まかに言って、半分は日本の作家の新作やインタビュー、半分はほとんど全部柴田さん自身の翻訳になる英米の作品である。 なぜ文芸誌に『モンキービジネス』という名前を付けたのかと、私は柴田さんに聞いてみた。「初めは『ストーリー』にしたかったんだけど、女性誌に『Story』というのがあって、著作権上不可だと分かった。で、どうしたものか、Gさんと電話で喋っていたら、チャック・ベリーのCDが目に入った。おお、そうだ、トウー・マッチ・モンキー・ビジネス・・・これだ、とまずリクツ抜きで思った」 しかし、リクツもあとからいちおう付いてきた。柴田さんによれば、日本の文芸誌はだいたいにおいてシリアスである。そして、中身はそれぞれ工夫しているのだが、形式は相当に画一的である。 同じ版型で、毎月同じ日に刊行されて、一緒に新聞広告が載って・・・これはまたアメリカでは考えられない話である。誌名も旧漢字を未だ使っていたりしていて、物々しい。いかにもシリアス・ビジネスという感じなのだ。で、それに対抗してモンキー・ビジネスというわけなのだ。「でも、実際にやってみて、毎月文芸誌を出している人たちはすごいなあと思うようになった。こっちは3ヶ月にいっぺんでもフウフウ言っているのに。尊敬してます」 と柴田さんは苦笑いする。『村上春樹と私』6:文学鑑賞と年齢の関係『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.21
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私文学鑑賞と年齢の関係について、見てみましょう。p134~137<後期高齢者なのか>■村上作品に魅了されてしまった 2015年5月7日、ニューヨークのジャパンソサエティでアメリカ文学の翻訳者柴田元幸さんや若い作家の松田青子さん他数人とともに「翻訳の魅力:村上春樹から若手作品まで」という講演会に参加する光栄に浴した。 その題名は誰の発想だったか分からないが、初めて見た瞬間に、自分は老人になったなあと思った。私が初めて村上さんの作品に出合ったのは1989年だったが、それ以来、村上春樹という作家の名前は出発点ではなくて、到達点として見ることに慣れていた。 これまでは、「漱石から村上まで」や「川端から村上まで」だったので、急に、現代日本文学の老大家の作品を翻訳したり研究したりする老学者としての役が回ってきたようだった。講演会の講師として、若い作家たちと、そして新しい作家の一人である30代の松田さんがステージのすぐそばに座っていた。とにかく、この経験はショックだった。 私が初めて村上作品を読んだ1989年は、村上さんは40歳で、まだ「若い作家」と言われていたし、彼の主な読者は10代から20代の人々だった。私は48歳になろうとしていたので、村上さんのような若い作家を研究対象にするには年を取り過ぎていたかもしれない。 その当時、海外の評論家や学者の多くは、村上さんことを批評に値する作家とは思っていなかったようだ。いい年をして、若者向きのポップ小説家をそう真剣に扱っているのはなぜかと私はよく聞かれたのだが、いつも冗談半分に「僕は未熟だから」と答えたものだ。今、村上さんご自身もすでに67歳になっていて、村上作品を翻訳したり論文を書いたりしてきたこの老学者は75歳になっている。(2016年当時) 漱石と芥川の場合でも、年齢の問題は忘れてはならない。芥川はもちろん夭折したと言えるが、漱石も比較的若くして亡くなっている。漱石も漱石の時代もある意味で未熟だった。 近代・現代日本文学史の本は明治・大正・昭和の作家を個人ではなく、流派のメンバーとして論じるのが普通だが、漱石は別格で、個人として扱われることが多い。漱石が小説家として出発した時、文壇を支配していたのは自然主義派だったが、漱石にはよく反自然主義のレッテルが貼られている。(中略) 世代間の衝突や反抗や自己発見や孤独というテーマがいくらか青臭く聞こえるなら、あるいは明治という時代を日本の青春期と見ていいかもしれない。時代が移って、次々に現れてくる若い読者層は常に漱石を再発見する。また、西洋においても現代の知識人の姿を漱石に見出す。■情熱は冷めていなかった 漱石の小説の中で、私が翻訳したいという要求が抑えられなかったのは『三四郎』であった。翻訳したくなったというよりは、すぐ翻訳しないと、年を取ったらその若い雰囲気が鑑賞できなくなるのではないかと心配したと言った方が正確かもしれない。 私が『三四郎』を初めて読んだのは33歳か34歳の時で、その若い主人公に惹かれた。ストーリーの初め、主人公の三四郎は23歳で、終わりになると24歳になっている。ハーバード大学のファカルティ・ハウジング・コンプレックスの庭に座って、赤ん坊だった娘を抱きながら4歳のわんぱくな息子に目をやっている妻に、漱石の原文と私の翻訳をセンテンスごとに読み上げて、翻訳のチェックをしている光景がありありと思い出させる。 とにかく、早く翻訳しないと、若い主人公への思いがなくなると思ったが、後になって分かったのはそういう心配はまったく要らないということだった。ペンギン社の2009年版のために翻訳を改定した時、私は60代後半だったが、『三四郎』への情熱は全然冷めていなかったから。『村上春樹と私』5:世界中の翻訳仲間『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.20
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私世界中の翻訳仲間について、見てみましょう。p123~126<オコナー賞受賞式に出席して>■『ねじまき鳥クロニクル』に着想を得て 今回の旅で妻と私はワシントン州シアトルから出発し、第二の立ち寄り先がダブリンだった。最初の訪問先であるアイルランドのコークで9月24日の夜にフランク・オコナー国際短篇賞に村上春樹が決まったと発表された。コペンハーゲンは第三の立ち寄り先であり、村上作品をデンマーク語に訳しているメッテ・ホルムさんに会いに行くのが目的だった。 ホルムさんとは2006年3月に東京で開催された村上春樹国際シンポジウムで知り合った。デンマーク日本協会における講演も彼女が手配してくれて、そこでマッシーモ・フィオレンティーノが自作を収めたCDを私に手渡してくれたのだ。(中略) ライナーノートで次の一節を読んで私が感激したことは言うまでもない。「この素晴らしい小説を書いた村上春樹と、それを見事に翻訳したジェイ・ルービンに最大のかんしゃを」 言い換えれば、私の頭の中を絶え間なく流れている音楽は・・・私の翻訳に寄って促進された面もある。このシンプルだが心を打つメロディは、村上さんが書いた一編の短編小説のようにたちまち心を捉え、憶えやすい・・・多くの人と出来事が驚くべき国際的合流を遂げた成果であり、その中心に村上春樹がいる。これがグローバリゼーションならば、私は大賛成である。 ある日本人作家のノーベル賞に対する権利を確立しようとする半官組織の発想ではないかと疑う者も我々の中にはいたが、たとえそうだったにせよ、国際シンポジウム・ワークショップ「」は素晴らしかった。特に参加者にとっては。 これは世界中の翻訳仲間と出会う前代未聞の機会で、意見や感想のやりとりは公開イベントの最中だけでなく、食事や富士山麓の森を散策する間も行なわれた。これぞ「合流」の最たるものだ! 半年後、デンマークのエスロムにてメッテ・ホルムさん、美しいお嬢さんのフェリシア、私の妻が一緒にエビの殻をむいている姿を写真に撮りながら、あのシンポジウムは独特の実りをもたらしたのだと私はしみじみ感じた。 1268年に川端康成が「日本人の心の精髄、すぐれた感受性をもって表現するその叙述の巧みさ」に対してノーベル文学賞を受賞された時と現在とでは、状況は多いに異なる。当時の西洋人は、日本人作家についてはこの上なく民族中心的な言葉で捉える用意しかなかった。1994年に大江健三郎が「誌的総鵜増力により、現実と神話が密接に凝縮された想像の世界をつくり出し、現代における様相を衝撃的に描いた」としてノーベル文学賞を授与された時には、西洋の側も視野が広がっていただろう。 そして2006年9月にコーク市とマンスター文学センターが短篇賞を村上さんに与えた時は、グローバリゼーションが真っ盛りとなっていた。『村上春樹と私』4:アメリカでの村上講演会『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.20
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私アメリカでの村上講演会について、見てみましょう。p105~111<ファンが溢れる春樹講演会>■冷房装置が壊れる惨事 2005年5月から1年間、村上さんはハーバード大学ライシャワー・インスティチュートからの招待で、アーティスト・イン・レジデンスとなった。インスティチュート内の広々したオフィスも提供された。 ここでは、前節で述べた村上の世界的な人気を示す具体的なエピソードを書いてみることにする。 村上さんがハーバードにいるという情報が流れた途端にアメリカ各地から講演依頼が殺到したのは言うまでもない。また、国内は言うに及ばず、ドイツ、イギリス、ニュージーランドからも報道関係者がインタビューにオフィスに押し寄せてきた。通りに出れば、村上さんだと気が付いた人が話しかけてくるという具合で、1993年から95年まで同じケンブリッジに滞在した時とは劇的な対照をなしていた。村上春樹は今や、押しも押されもせぬ世界的な作家となったのである。 2005年10月6日、マサチューセッツ工科大学(MIT)の作家シリーズで村上の朗読会が行なわれた当日、事態は絶頂を迎えたかの感があった。このシリーズに招かれるということはとりわけ名誉なことである。(中略) 当日になり、イベント担当者は驚愕した。今日まで、広く名前を知られた作家と言えども、大学の最大会場であるこのホールを満員にする心配はなかったのであるが、講演が始まる数時間前に、会場の全席、500席はすでに埋め尽くされていたっだけでなく、内部のすべての通路も、演壇を囲むステージエリアも歩く隙間もないほどに、ぎっしりと人々が座り込んでいたのである。 会場の外では、ホールの入り口に至る廊下も満員で、大学警察によれば、その数、約1300人だということであった。さらに悪いことには、その日が10月には珍しい酷暑日で、満員の聴衆で熱気がむんむんする上に、ホールの冷房装置が壊れるという思いがけない惨事が起きた。会場内にいる「幸運な」人々は汗を乾かすべくプログラムをうちわ代わりに使うという始末であった。 そうこうしているうちに朗読時間が迫ってきたのであるが、突然、大学の消防署長と名乗る男が壇上に上がって、火災法によって、席についている500人は残っていてよいが、それ以外は全員、通路と床を空けて退散するようにと声を張り上げた。皆が出ていくまで朗読会は始められないと。 聴衆からうめき声があがり、それでも、仕方なく出ていく人々の中には涙を流している者もいた。彼らは外の廊下にいた人たち、さらに遅れて来た人たちと合流した。退出させられた人の一人は「私はインターネットでこのイベントを知って、オハイオ州シンシナティから飛行機ではるばるやって来たのに」と訴えた。聴衆は大学生くらいの年代が圧倒的に多く、アジア系が多かったが、実にさまざまな年代と国籍の人々からなっていた。 人々が退場した後、村上さんは入場を許された。薄いグレーのスポーツコートの下は“Pickle”の文字が入った深緑のTシャツ、靴はトレードマークのランニングシューズという格好である。換気の悪さと人々の熱気は耐え難く、村上さんは、スポーツジャケットを脱いだ。Tシャツは汗でべったりと滲んでいる。そうこうするうちに、小説家ジュノ・ディアズの村上さんの紹介で会が始まった。「村上さんは世界の実体を見せてくれます。しかも私たちが見たことのない世界の実体ではなく、私たちがそれと知らずに日々見ている世界を見せてくれるのです」 拍手が鳴りやむと、村上さんは東京では、無名で過ごすことが難しい有名作家としてのいくつかのエピソードをユーモアたっぷりに流暢な英語で語った。続いて、「かえるくん、東京を救う」の一部を朗読した。 聴衆が日本人でない朗読会では必ず、原文の響きを示す一端として、まず日本語で数ページ読んでから、同じページを英語で読み、その後は英語を母国語とする読み手に引き渡すというのが通常の村上さんの方針である。今回は詩人のウィリアム・コルベット氏がその役を引き受けた。 一部のファンの熱狂的歓迎と、参加できなかった人々の大いなる失望で終わった村上さん朗読会は、MITの作家シリーズの歴史に残る一大イベントであったに違いない。(中略) 最後に、この2回の講演の聴衆の中には、これまたちょうどハーバード大学の客員教授としてその年、ケンブリッジに滞在していた、東京大学教授でアメリカ文学翻訳家の柴田元幸教授の姿もあった。彼は村上さんが手掛けた和訳のチェッカーとしても知られ、私とも旧知の間柄である。初めて会ったのは、2001年3月、村上さんの東京のオフィスにおいてであった。 2000年に村上さんと柴田先生の『翻訳夜話』が対話形式として文芸春秋社から出版され、文中に私の名前もときどき出てきたのであるが、何といっても一番目を引いたのが、特に柴田先生の会話の後に記された(笑)という文字であった。翻訳に関してそんなに冗談を飛ばす人がいるのかと、ぜひ会ってみたい旨を村上さんにお願いしたところ、次の日本滞在の時に実現したのである。『翻訳夜話』を紹介します。【翻訳夜話】村上春樹×柴田元幸著、文藝春秋、2000年刊<「BOOK」データベース>よりroll one’s eyesは「目をクリクリさせる」か?意訳か逐語訳か、「僕」と「私」はどうちがう?翻訳が好きで仕方がないふたりが思いきり語り明かした一冊。「翻訳者にとっていちばんだいじなのは偏見のある愛情」と村上。「召使のようにひたすら主人の声に耳を澄ます」と柴田。村上が翻訳と創作の秘密の関係を明かせば、柴田は、その「翻訳的自我」をちらりとのぞかせて、作家と研究者の、言葉をめぐる冒険はつづきます。村上がオースターを訳し、柴田がカーヴァーを訳した「競訳」を併録。<読む前の大使寸評>おお 翻訳のプロによる「競訳」が見られるのか…期待できそうやで♪<図書館予約:(9/08予約、9/17受取)>rakuten翻訳夜話『村上春樹と私』3:村上作品の英訳『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.20
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図書館で『妖しい関係』という本を手にしたのです。阿刀田さんといえば、ロアルド・ダールの短篇「女主人」を紹介してくれた作家であり、とにかく阿刀田さんの短篇小説が気になるのです。【妖しい関係】阿刀田高著、幻冬舎、2012年刊<商品の説明>より突然逝った、美しく年若き妻。未亡人となっていた、かつての恋人。生まれ変わりを誓い死んだ、年上の女性。男と女の関係は、妖しく不思議で、時に切ない。短篇小説の滋味を味わいつくす、珠玉の13篇。<読む前の大使寸評>阿刀田さんといえば、ロアルド・ダールの短篇「女主人」を紹介してくれた作家であり、とにかく阿刀田さんの短篇小説が気になるのです。rakuten妖しい関係「死んだ縫いぐるみ」の語り口を、見てみましょう。p104~106<死んだ縫いぐるみ> 電話がかかってきたのは正午少し前、オフィスは昼休みに入ろうとしていた。あとで考えてみれば、相手はこの時間を計ってベルを鳴らしたのだろう。「もしもし」 石崎が囁くと、「もしもし、石崎さん?」 女の声。若い声。「石崎ですが」「あのう、奉子です。銀座の・・・で」 と言い淀む。「やあ、久しぶり」 は銀座八丁目、新橋に近いビルの地下にあったクラブで、今は閉じているはずだ。高級クラブではない。が、どことなくのどかな雰囲気で、石崎は営業を担当していたころ時折行っていた。3、4年も前のことである。「あの、お願いしたいことがあって・・・ほんの十分くらい、お会いできますか」「いいよ」 奉子はで働いていたホステス、20歳くらい・・・いや、もう少し上なのだろうが、子どもっぽくて、まったくすれたところが感じられない。酒場には珍しい。一応は石崎の担当で・・・つまり銀座のクラブではたいてい客ごとに係りのホステスが決まっていて、なんとなく奉子が石崎の担当になっていた。「どこへ行けば、いいんですか」「えーと、今?」「ええ」「どこにいる?」「近くだと思いますけど・・・八重洲の本屋さんの前」 一度、店内で偶然出会ったことがある。「じゃあ、そこのティールーム。今から十分後に行く」「すみません」 受話器を置いて周囲を見まわす。女性からの電話は珍しい。ジャケットを羽織り、 ・・・なんだろう・・・ とエレベーターに急いだ。 ・・・まさか借金じゃあるまいな・・・ それを頼まれるような関係ではなかった。 ・・・勧誘かな・・・ またどこかのクラブに勤めていて“どうぞ来てください”と・・・。その可能性は否定できないけれど、 ・・・ちがうな・・・ 商売にそう熱心な感じではなかった。をやめて堅気の仕事についているような話だった。 東京駅の地下を行く。あちこちで工事が進んでいて、2、3日前に通ったところを迂回しなければならない。少し遅れて約束のティールームに着いた。「やあ」「ご無沙汰してます」 奉子は立って、はすかいに体を曲げる。 若い。相変わらず若い。少女の表情を残している。『妖しい関係』1:黒いオルフェ
2019.09.19
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図書館で『妖しい関係』という本を手にしたのです。阿刀田さんといえば、ロアルド・ダールの短篇「女主人」を紹介してくれた作家であり、とにかく阿刀田さんの短篇小説が気になるのです。【妖しい関係】阿刀田高著、幻冬舎、2012年刊<商品の説明>より突然逝った、美しく年若き妻。未亡人となっていた、かつての恋人。生まれ変わりを誓い死んだ、年上の女性。男と女の関係は、妖しく不思議で、時に切ない。短篇小説の滋味を味わいつくす、珠玉の13篇。<読む前の大使寸評>阿刀田さんといえば、ロアルド・ダールの短篇「女主人」を紹介してくれた作家であり、とにかく阿刀田さんの短篇小説が気になるのです。rakuten妖しい関係冒頭の短篇「オルフェウスの神話」を、見てみましょう。p17~21<オルフェウスの神話> 小谷野と別れたあと…あとと言っても二日ほどたってのことだったがの歌が聞きたくなり、映画のほうも、 …どんな筋だったかな… 古い映画を扱う店へ立ち寄ってDVDを買い求めた。 家に帰って、「知ってる、これ?」「知ってるわよ。テレビで見たわ」 妻はさほどの興味を示さない。そこで独り留守番を頼まれたときに鑑賞した。 カーニバルが熱い。市電の運転手と田舎から出て来た少女の運命的な恋。会ったとたんに愛しあう。そこへ不気味な仮装の男が現れ、少女を奪って死に追いやる。運転手もあとを追って死ぬ。 映画が終わるころになって、「ただいま」 芳美が帰って来た。「よくわからん。歌と画面はいいけれど」「いい曲よね」 芳美のハミングは正調だ。「死体置き場に訪ねて行ったりして…あの世に訪ねて行くのとはちがうよな」「カーニバルってすごいんでしょ。賑わいの最中に死がいきなり襲って来るって、そういうスト-リーじゃないの」「そうかも」 人間たちは歓喜に酔いしれている。そのときにこそ死が近づいて来るのだ。それが神話の示す教訓なのかもしれない。 …小谷野はどう言うかな… 今度会うことがあったら…あまり会いそうもないけれど尋ねてみよう、と思った。 本来のギリシャ神話に触れておけば…オルフェウスはエーゲ海の北岸トラキア地方の出身で、ホメロス以前の最高の詩人にして音楽家、竪琴を奏でて歌う詩歌はまさに生きとし生けるものすべてを感動させてやまなかった、と、これはもちろん伝説である。ニンフの一人エウリュディケを妻とし、この上なく愛していたが、エウリュディケは暴漢に襲われ、逃げる途中で草むらに住む蝮を踏んで咬まれ、あえなく命を失ってしまう。オルフェウスの悲しみは深い。(中略) そして、もう一つ、多くの人の記憶に残る映画は、ブラジルの詩人が書き残したストーリーをマルセル・カミュが脚色・監督して作った名作だ。リオのカーニバルを舞台にして生死を超えた宿命的な愛を描いて、いくつもの映画賞を受けている。とりわけ主題歌となったは郷土色をたたえて哀調を含み、不思議なストーリーに抜群の効果をそなえている。主人公たちの名はオルフェとユーリディスと神話に因んでいるが、ストーリーは必ずしも原話にそうものではなく、有名な冥界行きは含まれていない。阿刀田さんといえば、ロアルド・ダールの短篇「女主人」を紹介してくれた作家であり、とにか阿刀田さんのく短篇小説が気になるのです。『キス・キス』2:女主人
2019.09.19
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図書館で『晴れたり曇ったり』という本を、手にしたのです。ウーム 見覚えが有るような、無いような本である。帰って調べてみると、この本を借りるのは3度目であることがわかりました(またか)・・・で、(その6、7)としました。【晴れたり曇ったり】川上弘美著、講談社、2013年刊<商品説明>より「もういない、でもまだいる」 この前、好きだったひとを、みかけた。まちがいない。会いたいと思いながら会えなかった人に、ようやく会えた。そう思ったとたんに、その人がもうなくなっていることを思いだした。「ぬか床のごきげん」 ぬか床には四種類の期限がある。笑うぬか床、慇懃なぬか床、怒るぬか床、そして淋しがるぬか床。「真夜中の海で」 大学では生物を勉強した。私の卒業研究は、「ウニの精子のしっぽの運動性」だった。「晴れたり曇ったり」 大学時代、バスの窓越しに見かけた喫茶店「晴れたり曇ったり」。一度訪ねてみたいと思いつつ、いくことはなかった。<読む前の大使寸評>帰って調べてみると、この本を借りるのは3度目であることがわかりました(またか)・・・で、(その6、7)としました。rakuten晴れたり曇ったりこの本のタイトルになっている「晴れたり曇ったり」について、見てみましょう。p240~241<晴れたり曇ったり> バスに乗って、渋谷から国道246号をほんの少し西に行ったところに、その不思議な名前のお店の看板はありました。喫茶店、「晴れたり曇ったり」。もう30年ほど前のことです。 当時大学生だったわたしは、小説なるものを書いてみたいものだと思いつつ、どんなふうに書いていいのかというただ一つのとっかかりも得られないまま、毎日授業をさぼっては、図書館でただ悶々と先人の小説を読み散らしていました。 ああ、この先自分はどうやって生きていくんだろう。 熱心に専門の授業を受けている同級生たちを横目で眺めつつ、つねにわたしは鬱々としていたのです。ことに鬱屈が激しい日、わたしはバスに乗りに行きました。渋谷や新宿のバスターミナルから出発する路線に、あてどもなく適当に飛び乗るのです。 やるせない気分で見る車窓からの景色は、不思議な色あいをおびていました。昭和50年代初頭ごろの東京なのに、まるでそれよりも数十年さかのぼった戦後すぐの頃の東京、あるいは反対に、半世紀ほども先の東京であるかのような、時間がぶれてしまう感覚を、いつもわたしはおぼえたものでした。「晴れたり曇ったり」の看板の前を通るたびに、わたしはバスの降車ボタンを、むしょうに押したくなりました。ここで降りて、ふらりと「晴れたり曇ったり」に入ってみよう。何回も思いました。けれど、結局わたしは、1回も「晴れたり曇ったり」に入ることはなかったのです。 ただ、窓から見るだけだった、あの看板。 数年後、就職した後にふと思いついて訪ねた時には、すでに「晴れたり曇ったり」は、なくなっていました。どうしても行きたかった、という店ではなかったけれど、それだけになぜだか、「晴れたり曇ったり」は、ずっとわたしの心の中から消えないのです。 困難なことが、鬱々とした気持が、自己嫌悪がきざすたびに、わたしは小さな声で、「晴れたり曇ったり」と、つぶやきます。晴れていた空にさあっと雲がかかり、ふたたびまた薄く晴れはじめる、そんな中途半端な光景が、まなうらに浮かびます。憂鬱は晴れません。 けれど、その瞬間、ほんのわずかだけ、時間がぶれるのです、遠くまで来たなあ。でも、案外これは、遠くもない、近いところなのかもしれないなあ。そんなふうにぽかんとした気持になるのです。 『晴れたり曇ったり』6:スランプp38~41『晴れたり曇ったり』5:「味の素」談義p222~224『晴れたり曇ったり』4:かすかなその声:『ニッポンの小説』(高橋源一郎)p189~191『晴れたり曇ったり』3:行ってみようじゃないか:『食の達人たち』(野地秩嘉)p174~177『晴れたり曇ったり』2:真夜中の海でp137~139『晴れたり曇ったり』1:ぬか床のごきげんp72~74
2019.09.18
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図書館で『晴れたり曇ったり』という本を、手にしたのです。ウーム 見覚えが有るような、無いような本である。帰って調べてみると、この本を借りるのは3度目であることがわかりました(またか)・・・で、(その6)としました。【晴れたり曇ったり】川上弘美著、講談社、2013年刊<商品説明>より「もういない、でもまだいる」 この前、好きだったひとを、みかけた。まちがいない。会いたいと思いながら会えなかった人に、ようやく会えた。そう思ったとたんに、その人がもうなくなっていることを思いだした。「ぬか床のごきげん」 ぬか床には四種類の期限がある。笑うぬか床、慇懃なぬか床、怒るぬか床、そして淋しがるぬか床。「真夜中の海で」 大学では生物を勉強した。私の卒業研究は、「ウニの精子のしっぽの運動性」だった。「晴れたり曇ったり」 大学時代、バスの窓越しに見かけた喫茶店「晴れたり曇ったり」。一度訪ねてみたいと思いつつ、いくことはなかった。<読む前の大使寸評>帰って調べてみると、この本を借りるのは3度目であることがわかりました(またか)・・・で、(その6)としました。rakuten晴れたり曇ったりスランプについて、見てみましょう。p38~41<へへん> いちばん最近スランプになったのはさきおとついのことだ。ずいぶん近い。最初自分がスランプになったことがわからなくて、困った。くねくねしてみたり、お風呂に長い間つかってみたり、やたらお茶を飲んでみたりしたが、なおらなかった。しばらくしてお腹の中がいやあな気分になってきたので、ようやくスランプだとわかった。 しんとしようかそのまま知らないふりをして眠ってしまおうか迷った。窓の外からは秋の虫の鳴く声が聞こえてくる。そういえば前の日に、友人からアオマツムシの話を聞いていた。曰く、このごろ東京でよく鳴く秋の虫は、外来種の「アオマツムシ」というものである。街路樹の上に棲息する。ものすごく声が大きい。街路樹の上に棲むのは、在来種の日本のこおろぎやら何やらが地面の縄張りをゆずらなかったせいである。 ほそぼそと街路樹の上で命をつないでいたのに、何年もたつうちにすっかりその生態にも慣れて、今や東京の町を大音声で鳴きたてて席巻している。云々。アオマツムシからつながってえんまこおろぎが出てきた。そのままいつものスランプのしんとした場所に入っていってしまったのである。 ようやく今朝になってスランプがなおった。風邪みたいなものだ。時期が来ればなおる。だからとといって油断するといけない。風邪は万病のもと。自転車に乗って、近くのマーケットに行った。スランプの間は買い物なんかしたくない。ものの色つやも楽しめないし、じっとしていて太るからスカートなんかもきつくなる。 スランプが明けると、だから、早速買い物に行く。ニンジンに大根にさんまにチーズに干しえびにぶどうジュース。必用のないものまで盛大に買いこむ。ついでにデパートに寄って、大根の袋ごと試着室に入り、スカートをはいてみる。ついでに喫茶店に入って、大根の袋とスカートの紙包みを横に置いて、コーヒーを飲む。 自転車を飛ばして帰り、みかんサンドをつくった。バタークリームはないから、かわりに生クリームを使い、3年くらい前に買ったみかんのかんづめを開け、食パンにはさんだ。あんまりおいしくなかったが、食べ物を残すのは嫌いなので、耳まであまさず全部食べた。 昼から虫が鳴いている。なぜスランプになんかなるのだろうと、いっぱいになったお腹をさわりながら、思う。自意識過剰。体の不調。失敗。ためらい。そのほか。スランプになっていた時のことを思い出してみる。昨日までのことなのに、うまく思い出せない。みかんサンドの味も、食べたばかりなのにもう思い出せない。やたらに鳴きたてているアオマツムシの声は聞こえるのだが、えんまこおろぎの声は聞こえない。スランプだった時には、あんなにすぐそばにあるもののように思い浮かべられたのに。 少し原稿を書いて、また外に出て、猫を撫でた。いつも路地の入り口にいる猫である。秋が来たと思ったら、もうじき冬だ。今年はあと何回スランプが来るのだろうかと思いながら、アオマツムシの声をじっと聞く。虫の声は、聞いているうちに聞こえなくなる。耳いっぱいになってしまって、何もないのと同じになる。猫がにゃあと鳴き、同時にアオマツムシの声が戻ってきた。 へへん、と思いながら、立ち上がって腰をぐるりとまわした。空がやたらに高くて、何もかにもが秋めいている。へへん、へへん、と言いながら、一人で路地の中をやたらに行ったり来たりした。『晴れたり曇ったり』5:「味の素」談義p222~224『晴れたり曇ったり』4:かすかなその声:『ニッポンの小説』(高橋源一郎)p189~191『晴れたり曇ったり』3:行ってみようじゃないか:『食の達人たち』(野地秩嘉)p174~177『晴れたり曇ったり』2:真夜中の海でp137~139『晴れたり曇ったり』1:ぬか床のごきげんp72~74
2019.09.18
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私村上作品の英訳について、見てみましょう。p67~71<無意識と偶然に造られた象の長旅>■バーンバウム氏の英訳 今日、村上作品は世界中で読まれているが、本国では文体のうまい作家とされているにもかかわらず、外国語に翻訳されたものを読んでいる読者には、村上自身の書いた言葉が何一つ伝わってこない。当たり前と言えば当たり前だが、皮肉なことに、言葉を生命とする人(すなわち小説家)が日本以外で読まれたいと思えば、どれほど他人(すなわち翻訳家)の言葉に頼らなければならないかが分かると思う。訳の文体がよくなければ、いくら原作の文体がうまくても、外国では読まれないからだ。 その意味で、村上作品の国際的な人気はアルフレッド・バーンバウムという翻訳者に負うところが大変大きい。初めて英語圏の読者の興味を引いたのが、バーンバウム氏の『羊をめぐる冒険』の生き生きとした訳だったからだ。それ以後、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も『ダンス・ダンス・ダンス』も活気のある英文になり、村上春樹の人気はますます広がっていった。 バーンバウム氏の英訳を通じてアメリカの出版社が村上作品に興味を持つようにならなければ、私は永遠に村上さんの作品を読まなかったかもしれない。本書冒頭で述べたように、村上作品を初めて読んだのは1989年の夏、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の翻訳を出すか出すまいか迷っていたアメリカのヴィンテージ社という出版社からの依頼によってだった。出版社は日本語の原文を読める人に、小説が翻訳に値するかどうかを聞きたかったわけだ。 私はぜひ翻訳するべきだと勧めたが、ヴィンテージ社はその段階では出さないことに決めた。当時、バーンバウム氏は村上さんのすべての長篇小説を翻訳していたが、短篇の翻訳は少数だったから、私は他の短篇の翻訳の許可をもらって、『象の消滅』や『パン屋再襲撃』や『眠り』を翻訳し始めた。 以後は、好きな作品に出合って翻訳したくなると村上さんに直接頼むのが習慣になったが、不思議なことに、「それはバーンバウムさんがやった」という答えが返ってきた例は一度しかなかった。村上さんの話によると、バーンバウム氏にも「それはもうルービンがやった」と答える羽目には一度もならなかったそうだ。このことは、二人の翻訳者がそれぞれ熱烈な村上作品の愛読者でありながら、志向はまったく違うということを証明している。しかし、この話はそこでは終わらない。 そのころアメリカの一流出版社であるクノップ社から村上さんの短篇集を出す話が持ち上がった。バーンバウム氏が翻訳した原稿と私が翻訳した原稿が同社に送られ、編集者はバーンバウム訳9作とルービン訳8作を選んだ。 いよいよ本が出て、書評が新聞や雑誌に現れはじめると、批評家たちは全部が全部と言っていいほど、バーンバウム氏のものだけに言及するか、私のものだけに言及するかで、両方にふれた評はなかったのである。彼らもまた、二人の翻訳者の志向の違いを、無意識のうちに反映していたに違いない。(中略) 長い時間をかけて骨を折って翻訳したものが、半年で読まれなくなるかもしれないし、後世から見れば明らかな名作を見逃し、愚作を選んで笑われるかもしれない。しかし、生きた文学を翻訳することで、自分が無意識と偶然の連続である創作過程そのものにいくらかでも参加しているという、独特な興奮を味わうことができるのである。■井戸のイメージ 村上さんの小説を翻訳する仕事では、無意識や偶然が特に重要なものに思えてくる。デビュー作の『風の歌を聴け』以来、村上文学には廊下や井戸のイメージが頻繁に出てきて、現実世界から無意識の世界への通路の役割を果している。 作品の人物はそういう通路を通って自分の人間性の核に入ろうとしたり、あるいは反対に、完全に忘れた記憶が同じ通路から不意に出てきて、その不思議なほどの現実性にとまどったりする。 私が1997年に英訳を完成した『ねじまき鳥クロニクル』では、主人公の享は長い間井戸の中にいて、自分の記憶や無意識の世界を探検する。3部作からなるこの長い小説の第2部、第5章から第11章まで、主人公は井戸の底に座りっぱなしだ。『村上春樹と私』2:翻訳者の仕事『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.17
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです。rakuten村上春樹と私翻訳者の仕事について、見てみましょう。p60~66<目を瞑っては翻訳はやりにくい>■名詞の単数と複数の区別 村上作品の読者は、アメリカから主な影響を受けた波のような現代作家の作品に、翻訳者の発明の余地があるのだろうかと思われるかもしっれない。村上さんの作品には、数々のジャズやロックミュージシャン、あるは、アメリカ人作家が登場するのは言うに及ばず、文章構成や言葉遣いそのものも、明らかに英語的なものが多い。したがって、彼の文体はしばしば「バタ臭い」と形容される。 村上さんの小説『1Q84』のBOOK1とBOOK2を翻訳するにあたり、彼の文体は、相変わらずバタ臭かったのだが、それと同時に、日本語からの翻訳者を常に苦しめる諸問題、つまり15世紀の能舞台から、果ては源氏物語にまで及ぶ語りの問題とも取り組まなければならなかった。 簡単な問題点の一つとして、日本語には、名詞の単数と複数の区別がないということがある。村上さんが英語の単語をあたかも日本語の単語になっているかのように使う場合、複雑となるのである。レイモンド・カーヴァー、ジョン・アーヴィング、スコット・フィッツジェラルド等の作家と深く関わりあっている村上さんでさえ、単数と複数の違いは明確ではない。 例えば、村上さんはジャズ音楽家に関する2冊のエッセイ集『ポートレイト・イン・ジャズ』を刊行した際、他の多くの作品と同様、英語でPortrait in Jazzとの副題を付けた。そうすることによって、日本語だけのタイトルよりも、さらにクールな表紙となるからであると思われる。 もし、この本を英語に翻訳するとなると、タイトルは必ず、文中の複数のジャズ音楽家のプロフィールを意味するPortrait in Jazzにしなければならない。村上さんの原題の「ポートレイト」が日本語として使われていて、単数にも複数にもなる良い例である。 『1Q84』では、超自然的と思われる「リトル・ピープル」という一団が登場する。彼らが集団として同じ動作をする場合は何の問題もないが、彼らの一人が個人として喋ったり、行動したりすると、翻訳の問題が生じてくる。たとえば、 「われらに良いことをしてくれた」と小さな声のリトル・ピープルが言った。 というところを英訳すると、わざわざ「リトル・ピープルの中の一人である」(one of the Little People)というニュアンスを「小さな声のリトル・ピープル」に次のように加えなければならなかった。 You did us a favor, says one of the Little People with a small vcice.(2:403/tr.P.535/UK 566) 『1Q84』の世界では、ある人物は、空には二つの月が存在すると核心する。一つは通常の黄色い大きな月であり、もう一つは小さめの緑色をした歪な月である。二つの月が見える人物は当然、他の人にも見えるかどうか尋ねたいと思う。しかし、頭が変になったかなと思われるのが怖くて、その事実を確かめるのを躊躇する。したがって、二つの月は、疎外感、つまり、他人に正直に述べることを不可能にする、疎外感のシンボルとなる。(中略) 明治時代の小説家、泉鏡花は特に、能舞台の言語に造詣が深く、彼の語り口が登場人物の頭の中を出たり入ったりするので、正確に翻訳するのは困難だ。 しかし、現代の『1Q84』のような小説においてさえ、内的独白は、「」とか活字のフォントの違いとかの助けなしに、登場人物が「俺」の一人称から「彼」の三人称との間を予測なしに、行ったり来たりする長い箇所がある。 私は数回にわたって、村上さんに、この箇所は一人称か三人称か、どっちがよいでしょうかと質問したのだが、彼の答えは決まって「適当にやってください」というものであった。 結局この「適当」という言葉こそが、翻訳者の仕事をすべて言い表していると思う。翻訳者の仕事はつまり、自分の言葉で、適当と思われる手法を使って、できうる限り、読者に原文に近い文学的な経験を味わってもらうことである。もちろん、誰もが、客観的な意味で何が「できうる」かは分かっていない。あまりにも多くの要因が、翻訳者の主観的な経験に基いているからである。『村上春樹と私』1:翻訳の苦労
2019.09.17
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図書館で『村上春樹と私』という本を、手にしたのです。著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうです【村上春樹と私】ジェイ・ルービン著、東洋経済新報社、2016年刊<商品の説明>より『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめ、夏目漱石『三四郎』や芥川龍之介『羅生門』など数多くの日本文学を翻訳し、その魅力を紹介した世界的翻訳家が綴る、春樹さんのこと、愛する日本のこと。<読む前の大使寸評>著者のジェイ・ルービンは『1Q84』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』などを翻訳していて、世界的に知られているそうですrakuten村上春樹と私翻訳の苦労について、見てみましょう。p56~58<目を瞑っては翻訳はやりにくい>■正確に表す言葉を探す『ねじまき鳥クロニクル』第1部13「間宮中尉の長い話・2」の次の文を読んで気分が悪くならない読者はあまりいないと思う。 兵隊たちは手と膝で山本の体を押さえつけ、将校がナイフを使って皮を丁寧に剥いでいきました。本当に、彼は桃の皮でも剥ぐように、山本の皮を剥いでいきました。私はそれを直視することができませんでした。私は目を閉じました。私が目を閉じると、蒙古人の兵隊は銃の台尻で私を殴りました。私が目を開けるまで、彼は私を殴りました。しかし目を開けても、目を閉じても、どちらにしても彼の声は聞こえました。彼は始めのうちはじっと我慢強く耐えていました。しかし途中からは悲鳴をあげはじめました。 ここは蒙古人の将校が、日本人スパイの皮を生きたまま少しずつ剥いでいく描写の単なる冒頭部に過ぎなくて、これから先、残酷なシーンが長々と続く。これを翻訳した、むごたらしい日本語から同程度にむごたらしい英語に書き替えた日々のことを今でもありありと覚えている。 間宮中尉という、この13章の語り手と違って、私は1秒も目を瞑る贅沢を許されなかったのだ。ときどき暴力の多い映画を見に行く時、周りの観客たちが目を瞑っている光景を見ると、あの皮剥ぎの場面を翻訳した経験を思い出したりする。ある時、村上さんご自身にこの章のことを話そうとしたが、彼はその話をまったくしたがらなかった。あまりに酷くて吐き気を催すものだからと言った。 もっとも、作家本人はその章をただ書くだけでよかったが、翻訳しなければならなかった私はそれよりずっと長い時間の過程に耐えなければならなかった。もちろん、あるテキストを翻訳することが書くことより集中力を要する経験だとは言っていない。 原作者は場面のすみずみに詰め込む細かいディテールを全部想像しなければならないのは言うまでもない。が翻訳というものは一番強烈な読書方法だと言っても過言ではない。以上の皮剥ぎの場面を一例として、もし読者は耐えられないほど気持が悪くなれば、目を細めにしたり、飛ばして読んだり、読まなかったりすることもできる。しかし翻訳しているとき目を瞑っては、あの兵隊は銃の台尻で翻訳者が目を開けるまで殴られ続けることになる。 文学を翻訳するとは、ただ原作のページに載った内容を受動的に受け容れるのではなく、作家が詰め込んだすべてのディテールを、つまり、すべての視覚心像、音、匂い、感触、味を、翻訳者が積極的に想像して、それらを自分の国の言語でなるべく正確に表す言葉を探すのである。
2019.09.17
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図書館で『100年後の民芸(美術手帖)』という本を、手にしたのです。もう民芸でもないだろうとも思うが・・・「100年後の民芸」というノーテンキさがいいではないか♪【100年後の民芸(美術手帖)】雑誌、美術出版社、2019年刊<商品の説明>より「民藝」という言葉が生み出されてから、間もなく100年が経とうとしている。20世紀前半につくられた造語である「民藝」は、それまで評価されることのなかった日用品や雑器を「民衆的工藝=民藝」として価値づけ、そこに美を見出したことに始まる。宗教哲学者の柳宗悦と、その思想に賛同した工芸家らによって推し進められた「民藝運動」は、美術品に劣らない美が生活道具に宿っており、ひいては生活のなかにこそ美があると提唱した。その思想は時代の浮き沈みのなかで文化運動や芸術へも変化し、矛盾をはらんだ活動と指摘されたこともあるいっぽうで、私たちの現在の生活文化にも影響を与えている。<読む前の大使寸評>もう民芸でもないだろうとも思うが・・・「100年後の民芸」というノーテンキさがいいではないか♪amazon100年後の民芸(美術手帖)山本鼎「ブルトンヌ」「アウト・オブ・民芸」と題した対談を、見てみましょう。デザイナー:軸原ヨウスケ×美術家:中村裕太p58~62こけしや玩具は、なぜ民芸の仲間に入れなかったのか?柳宗悦が提唱した民芸運動の近くにありながらも、はぐれてしまった人や物。周縁(アウト・オブ)を模索してみたら、もやっとしていた民芸の輪郭が見えてきた。展覧会「アウト・オブ・民芸」を企画した2人が、民芸をとりまく相関図を描き出す。 京都の書店・誠光社で昨年開催された展覧会と全5回のトークシリーズ「アウト・オブ・民芸」。民芸的な要素を持ちつつも民芸には含まれない、そんな絶妙な位置にある人や物に焦点を当てた。企画した軸原ヨウスケと中村裕太の対話からその全容に迫る。中村:「アウト・オブ」と言うと民芸に対する批判だととらえがちだけれども、そうではなく、柳の周辺にいた人の動きを並べてみようというのが始まり。様々な動向の中に柳がいたはずなのに、いまはなんでも民芸とひとくくりにしてしまう傾向があります。そこからはぐれたものを見てゆこうと。軸原:例えば、柳がこっぴどく批判した農民美術運動(1919~)。貧しい農民たちに美術教育を施し、手仕事の喜びを伝えるとともに、創作物を販売させることで農閑期の副業として成り立たせようとしたユートピア志向の運動です。この運動を興した山本鼎の功績はすごいものがあります。中村:そもそも手仕事の喜びを唱えたのはウイリアム・モリス。山本も柳も影響を受けていました。軸原:じゃあなんで方向性が違ったのか。海野弘「日本のアールヌーヴォー」(青土社、1978年)では見事に言い表しています。山本はロシア革命前夜のフォーク・アートを見て開眼し、これから農民美術をやればいいこと尽しだと考えた。それに対して柳は弾圧されていた朝鮮美術を守らなければと思ったのが始まり。ロシアと朝鮮という出発点の違いから、モリスの過去と未来への二重の志向が両極へと分裂したんだと。<民芸が手を付けなかったこけしと玩具>軸原:こけしや郷土玩具は民芸と近いところにあるにもかかわらずグレーゾーンであるというのはよく知られているところ。日本民藝館に収蔵されているこけしは、江戸末期につくられたと言われるまっ黒なものだけ。 いったいなぜ、郷土玩具はグレーなのか。その答えを民芸運動の機関紙『工芸』51号に柳が寄稿している「民芸と農民美術」で見つけました。そこにはいずれは玩具もつくっていきたいが、用の美を優先することと、本物の郷土玩具を生み出すのは難しいから、いまは手を付けないという旨のことが書いてあり、妙に納得しましたね。中村:玩具をいろんな人がすでに語っていたから、ふれなかったというのもあると思います。軸原:玩具を初めて体系立てて集めたのは柳より一世代前の清水晴風。竹馬会、集古会、大供会と、みんなで諸国の玩具を持ち寄り食事をするような会にいくつも所属しており、玩具画集『うなゐの友』を出版しています。初めてこけしだけを取り上げた本を出した天江富弥や、各地の郷土玩具を集めて分類し、連絡先を掲載して、買えるカタログ化した武井武雄という人もいる。(中略)<生活のレクリエーション>軸原:柳の民芸って一点ものではなくて、たくさん無心でつくったなかに美が宿るという、手仕事の複製みたいなものを推奨している。言い換えればそれは複製芸術ではないかと思うんです。 民芸より随分前(1904年)に、山本鼎を発端として始まったのが創作版画運動。それまで版画には絵描きがいて、彫り師がいて、摺師がいるという完全な分業制だったけど、山本はそれを全部自分でやった≪漁夫≫という作品を雑誌『明星』に掲載した。 自画・自刻・自刷によって版画を表現として使うという新たな可能性に、ものすごくたくさんの人が影響を受けた。中村:芹沢はのちに民芸の雑誌『工芸』の装丁を担当しますが、型染めを始めたきっかけは農民美術の講習会だとか。軸原:柳も中心人物だった雑誌『白樺』には富本やリーチ、岸田劉生など民芸と名が付く以前の民芸的な作家が多数関わっています。「白と黒社」という出版社を立ち上げて版画誌『版芸術』という雑誌をつくった料治熊太も、民芸合流前の棟方志功や棟方が憧れていた川上澄生を取り上げている。 「吾八」という趣味の店をつくり『これくしょん』を刊行した山内金三郎も、美しい本をつくることに情熱を注いだ人物。後に芹沢がつくっていた大部分の限定本は「吾八」から出ていました。 民芸と民芸的なものの両方を扱った山内みたいな人は、民芸より広い視野で民芸を見ていたと言えるのではないでしょうか。
2019.09.10
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図書館で『アジア幻想』という本を、手にしたのです。この本には見覚えがあるので、再読しようということでかりたわけでおます。いわゆる確信犯というわけで・・・帰って調べるとおよそ11ヶ月前に借りていたのです。で、(その3、その4)としました。この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・モームにいたく惹かれる大使でおます。【アジア幻想】村松友視著、講談社、1989年刊<「BOOK」データベース>より“擬似楽園”に深く刻まれた?マークの謎。ラッフルズ・ホテルの木陰にたたずむとなぜか苦渋にみちたモームが現われてきた…。<読む前の大使寸評>この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・モームにいたく惹かれる大使でおます。amazonアジア幻想サマーセット・モームこの本の導入部を、見てみましょう。p29~31<ライターズ・バーに現れたモームの亡霊が私にとりついた> 私が最初にシンガポールに興味を抱いたのは、どちらかといえばサマーセット・モームをからめてのテーマよりも、亡びる寸前で踏み止まっているラッフルズ・ホテルへの傾斜のためだった。『時代屋の女房』なんぞという古道具屋を舞台にした小説を書くくらいで、私はやたらと古めかしい世界が好きだ。 いや、古めかしいと言っても、寺院やら遺跡やら博物館などはむしろ苦手、明治村みたいに囲われて保護された空間にもあまり馴染まない。ただ有るがままの状態でギリギリ機能し、もはや亡びる崖っぷちというけはいが生じているとでも言おうか、ま、そんな世界が好きなのである。 男には“廃墟の観照”にこだわる面がある…あるアメリカ女流作家のこんな言い方を読んだことがあるが、これはまさに私などの中心にあるセンスかもしれない。そのアングルから見て、シンガポールのラッフルズ・ホテルは十分に魅力をそなえていたのだった。 ラッフルズ・ホテルを最初に訪れたのは、テレビの仕事だった。この古色蒼然たるホテルの佇まいには、たしかに惹かれるものを感じた。シンガポール・ジン・スリングという、ここで創り出されたカクテルが、いかにもラッフルズらしい気分を盛り上げてくれたこともたしかだ。 パーム・コートに屯する、西洋人たちの居っぷりに、かつての英国植民地時代を思わせるムードがただよっていたような気もした。ホテルの内部を一巡すると、自分の靴音に得体の知れぬニュアンスがからむようでもあった。 そして、その78号室が私の泊まる部屋だったのだが、ドアの外側の上部にネーム・プレートがあり、WILLAM SOMERSET MAUGHAMと記してあった。荷物を運んでくれた、かなり年輩のボーイにモームの発音を聞いてみると、モーガン、モーガム、モウグハムといった感じにひびく言い方だった。部屋に入ると、すぐ左手に机があり、その上の壁にモームのしかつめらしい額入りの写真が架っていた。片手を顎にもっていき、「どうかね、気分は?」といったような表情をつくっていた。 天井では扇風機がゆっくりと回転し、いかにも英国人好みのコロニアル・スタイルといった趣きだが、ベッドが大袈裟だった。 そのときのテレビの仕事で、もっとも印象深かったのは、ラッフルズ・ホテルのメイン・バーであるライターズ・バー、すなわち作家のバーと名づけられた場所での撮影だった。そこにもモームの写真は飾ってあった。そこでの撮影は、少しばかりフィクションめいたシーンだった。ラッフルズ・ホテルという空間を、幻想のベールにつつみ込んでしまうのが、このときのテレビ番組の目論みだった。そのような角度で捕るのに、ラッフルズ・ホテルは打ってつけだった。 フロント、天井の扇風機、廊下、卓球室、ビリヤード室、ロング・バー、客室、パーム・コート、シンガポール・ジン・スリング、そしてライターズ・バーにいたるまで、ただカメラを回せばどこかフィクションのような世界に見えてくるのだ。『アジア幻想』3:東洋をどう見ていたかp74~77『アジア幻想』2:東洋におけるモームp118~120『アジア幻想』1:イギリス文壇から冷遇されたモームp58~61
2019.09.10
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図書館で『アジア幻想』という本を、手にしたのです。この本には見覚えがあるので、再読しようということでかりたわけでおます。いわゆる確信犯というわけで・・・帰って調べるとおよそ11ヶ月前に借りていたのです。で、(その3)としました。この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・モームにいたく惹かれる大使でおます。【アジア幻想】村松友視著、講談社、1989年刊<「BOOK」データベース>より“擬似楽園”に深く刻まれた?マークの謎。ラッフルズ・ホテルの木陰にたたずむとなぜか苦渋にみちたモームが現われてきた…。<読む前の大使寸評>この本の副題が「モームを旅する」となっているが、和田誠さんの本で『アシェンデン』の書評を読んだあとだけに・・・モームにいたく惹かれる大使でおます。amazonアジア幻想ラッフルズ・ホテルモームが東洋をどう見ていたか、見てみましょう。p74~75<植民地・東洋での白人だけを書いた/モームも新鮮な刺激を感じなくなった。> 東南アジアの人々の中でも、モームはあまりよくおもわれていなかったという説も多く出ている。これはモームが東南アジアそのものを描くのではなく、そこへやって来るイギリス人たちの屈折にみちた生態を描き出すのを目的としていたところから生じる感覚だ。 モームは大英帝国の文豪として極東や南海へと旅したが、そこの原住民たちには何ら関心を示すタイプでなかった。つまり、モームは大英帝国の権威と潤沢な金をたずさえて、きわめて高飛車に極東や南海をながめ、ただ作品の舞台背景としたにすぎないというアングルだ。 これはおそらく、かなり的を射ているのではなかろうかというのが、今になっての私の感覚だ。 ラッフルズ・ホテルのパーム・コートの白い椅子に座り、そこに屯するイギリス人たちを観察していたモームの姿は、大英帝国の文豪そのものだったにちがいない。そこへ、ウィスキー・ソーダを持って行ったボーイたちは、畏敬の念をこめてモームをながめていたはずだ。そして、モームはその構造をよく知っていたのではないだろうか。 カジュアライナ樹を、「まるでレースのカーテンのようだ」と形容したモームは、カジュアライナ樹に母国のレースをかさね合わせて思いに耽ったのであり、南国の樹々をめでたわけではなかった。やはり、モームにとって東南アジアの地は、イギリスからよんどころなくやって来た白人たちが、人間の醜さと哀しさにみちたドラマを展開する格好の舞台であったというあたりが、いちばん芯に近いような気がするのだ。『アジア幻想』2:東洋におけるモームp118~120『アジア幻想』1:イギリス文壇から冷遇されたモームp58~61
2019.09.10
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<『甘苦上海I』1>図書館で『甘苦上海I』という本を、手にしたのです。日本人のキャリアウーマンが、中国人社会で生きるとはどんなことなのか・・・興味深いわけです。【甘苦上海I】高樹のぶ子著、日本経済新聞出版社、2009年刊<「BOOK」データベース>より仕事も生活もこだわりを満たして生きている。それでもまだ、何かが欠けているー51歳の女性企業家・早見紅子の前に、突然現れた蒼い気配を漂わせる39歳の男。欲望が肯定される街で、恋の冒険が始まる。<読む前の大使寸評>日本人のキャリアウーマンが、中国人社会で生きるとはどんなことなのか・・・興味深いわけです。rakuten甘苦上海Iこの小説の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p32~36<長楽路五十二弄三号楼> 本心からの言葉が、この男にはあるのだろうか。 残飯みたいな夕食…を、ご馳走するのはわたしである。こんな表現しかできない京に恋人が本当にいるのかと、不思議な気持になった。上海女性の恋人がいる、ということ自体が、フィクションなのではないか。 アナベル・リーの本店でマネージャーをしているのだと、そこまで言うんだから、多分本当なのだろう。 アナベル・リーは、いま上海の女性だけでなく、日本からの観光客にも人気の小物ブランドだ。外灘の本店と新天地の直営店を持っていて、主だった高級ホテルでもホテルギフトとして売られている。ハンドバックやクッションカバーなどは、中国古典の絵図の優しさを上手に生かしているけれど、中間色の淡々としたイメージはイタリイアブランドなどと較べると、地味と言えなくもない。強い個性で勝負をかけるブランドより、日本人には受けがいい。わたしのエステ店「Ladies SPA 紅」でも、アナベル・リーの、柳にツバメが舞うカシミアブランケットを使っている。 上海発のブランドはまだ珍しく、その本店でマネージャーをしているのなら、中国女性としては最上級の女に違いない。 上海育ちであっても、決して上海語は話さず、北京語を柔らかく使いこなす知的な女性が浮かんできた。日本語も滑らかなのだろう。 仕事が出来る上海の女性の多くは、北京語と上海語のほかに、英語と日本語が不自由なく話せる。語学力は高給をもらう条件でもある。 エステ業界は、仕入先だけでなく、付き合う会社も多岐にわたっていて、取引先に電話したとき、受話器をとった相手の受付女性が上海なまりの声で受け答えしたら、それだけで二流である。二流だと見られても仕方ない。 もちろん、「Ladies SPA 紅」でも、仕事中は上海語を禁じている。 アナベル・リーの本店マネージャーときくだけで、すっくとして知的な女性が見えてくるのは、日本では考えられない中国女性の優劣、レベルの落差を知りすぎているからだが、そんな優れた女性が京の恋人なら、京もまた、わたしにはまだ見えていない別の姿があるのだろう。 バーを出て、さっき前を通り過ぎた首席公館酒店に入っていく。石の門扉に打ち付けられた古い鉄板には、新楽路八十二号、の表示…番地の上の説明版に、この建物の歴史的ないわれが書かれている。1932年にフランス人建築家により建てられた云々。誰とかの会社のオフィスとして使われていた云々。 けれどその会社、表向きはまっとうな商社だったが、実際には軍閥と租界組織に守られてアヘンを扱っていた闇貿易の魔窟であったことの説明はない。京劇役者や政治家、金や性で社会を操り操られる人間たちが、着飾って夜会を愉しんだ社交の場でもあった。アヘンは膨大な利益を生んだらしく、この建物にも十分なお金がかけられ、今はホテルとしてさらにセンスアップされている。 こうした歴史的な建物は、老房子と呼ばれているが、いま上海中の老房子が、ホテルやレストランに生まれ変わりつつある。 前世紀初頭、中国に進出する列強各国はそれぞれの文化を持ち込んだ建物を、それぞれの租界地区に造ったけれど、とりわけこの准海路近辺はフランスの匂いが今も色濃く漂っている。 わたしの接待相手への土産は、紅の字を焼き付けた菓子と、やはり紅の字をアレンジした扇子だが、ホテルからのプレゼントとしていつも季節の赤い花が一輪添えられた。八十年前は多分、現金の土産が持たされたに違いない。 日本では紅色と赤は違うけれど、中国では同じ赤である。金魚の赤が富裕と幸運の象徴であるように、紅の字も好まれる。 わたしの名前は父親が付けてくれたが、日本の古典文学の中にある紅からとったそうだ。 最上階のオープンテラスのフレンチは、海鮮料理の個室ですこし馴染んだあと招待すると、見晴らしの良さと開放感で話が弾み、商談はおおむねうまく行った。 京と一緒に、エレベーターで最上階のフレンチに向かう。仕事以外でこのホテルを使うのは初めてだ。「日本からの客をこのホテルに泊めると、すごく喜んでくえるの。こんなに沢山、新しいホテルが空に向かって伸びているというのにね…日本人はまだ、上海バンスキングの世界やオールドジャズが流れる上海が好きなのね」 エレベーターは狭く、京とカラダが触れあいそうだ。このエレベーターも、商売相手を身近に引き寄せる小道具になった。エレベーターの扉が開いて、外に出たときの広がりと見晴らしも接待のうちだった。
2019.09.07
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デジタル朝日が「日独2言語で/言葉遊びとユーモアと」と説いているので、紹介します。この記事を紙媒体でスクラップしたのだが、電子媒体でも保存するところが、いかにも老人であるなあ。(この記事を6/24デジタル朝日から転記しました)ドイツ在住の作家、多和田葉子が世界的に注目を集めている。日本、ドイツ、米国で権威ある文学賞を受けてきた。作風は前衛的で国境や言語にとらわれないコスモポリタン。と同時に、日本語の魅力を追究した日本文学である。 多和田葉子は大学卒業後、22歳でハンブルクに移住した。現在はベルリンに暮らす。日本語とドイツ語の両方で、小説や詩を発表してきた。日本では芥川賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞といった純文学の大きな賞を次々に受賞。ドイツではクライスト賞を受け、独特の文体が評価された。いま、世界で活躍する日本人作家のひとりだ。 昨秋には英語版の「献灯使」が米国の権威ある文学賞、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した。大災厄の後に鎖国を選んだ近未来の「日本」が舞台。訳者の満谷マーガレットさんは、「受賞作は震災後の汚染された日本を描く。決して日本だけの問題ではない。全米図書賞という重要な賞を受けたことでこの作品が世界で広く読まれ、受け止められる、その意義は大きいと思う」と話す。 100歳を超えても頑丈な老人たちが社会を支え、子どもは弱くて歩けない。「彼女のファンタジーは現実に根ざしているから力がある」と満谷さん。深刻な物語だが、ユーモアに包まれ、読後感は朗らか。理由の一つに多和田作品の特徴である言葉遊びがある。「献灯使」では「みどりの日」があるなら「赤の日」も、と休日が際限なく増えていく。すたれてきた性交を奨励する「枕の日」、「インターネットがなくなった日を祝うのは「御婦裸淫の日」だ。 * 「何をするのにもわたしは言語を羅針盤にして進む方向を決める」。エッセー集「言葉と歩く日記」に書いた。言葉は遊び相手であり、新しい道への案内人だ。ベルリンの通りを歩き、思索する「百年の散歩」、あなたと呼ばれる主人公が世界の都市で奇妙な出会いを重ねる「容疑者の夜行列車」。「雲をつかむ話」は挿話がふわふわと移り飛ぶ。登場人物は国家や社会の規範から、国境や言語の壁から自由だ。 作家自身、日本とベルリンの行き来だけでなく、世界各地を旅して飛び回る。各地の朗読会では言葉の不思議さをユーモアたっぷりに語り、よく笑いが起きるそうだ。 「子どもの目を持った民俗学者」と評した紹介文もあった、と教えてくれたのはドイツ文学者で早稲田大学教授の松永美穂さん。様々な国や地域の研究者がワークショップやシンポジウムで多和田文学に言及する。比較文学、ジェンダー論、翻訳論、言語哲学、とその批評の切り口も多様だという。(文化の扉)多和田文学、ふわり越境 日独2言語で/言葉遊びとユーモアと2019.6.24
2019.09.07
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図書館に予約していた『地球にちりばめられて』という本を、待つこと半年ほどでゲットしたのです。言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。<図書館予約:(2/18予約、8/28受取)>rakuten地球にちりばめられて「第6章 Hirukoは語る」で出汁のコンペティションあたりを、見てみましょう。p185~189<第6章 Hirukoは語る> ところが、確実に当りそうに思えたそんなささやかな予想でさえ、完全に裏切られることになった。わたしとノラが「シニセ・フジ」の前に着いた途端、待ち構えてでもいたように、中からナヌークとアカッシュが出てきた。うつむきかげんで、おはようも言わずに、二人は水の方に歩き始めた。「どうしたの? もうすぐはじまるんでしょう?」 わたしはナヌークよりは話しかけやすいアカッシュに追いついて尋ねてみた。彼のいいところは、がっかりしても怒っていても電気がついたままの部屋のようで、いつでも入ることができることだった。「イベントは中止だ。」「どうして?」「それが複雑なんだ。ここでは話せない。みんなでコーヒーでも飲みに行こう。」 振り向くと、ノラはナヌークの口から何か聞き出そうとしきりと話しかけていたが、ナヌークは首が折れるほどうつむいて何も言わなかった。 近くの喫茶店に入ると、打ちひしがれて言葉が出なくなっているナヌークの代わりに、アカッシュの明るい声が事情を解明してくれた。 主催者はブレイヴィークという名前でノルウェー人にしてはめずらしく激情しやすいひねくれ者で、国際的に活動する自然保護団体から、「このままえはキハダマグロは太平洋クロマグロに次いで絶滅してしまう。だからイベントに使うべきではない」という電話を受けると腹をたてて挑発的になり、マグロはマグロでさえあれば、どんなマグロであろうと食材として使うがそれだけでなく、鯨を食べるのがノルウェーの伝統であるということをイベントの冒頭でアッピールすることにした。 ブレイヴィークは国粋主義者だが、ノルウェーの価値観がヨーロッパの他の国々とどう違うのかを説明するのはとても難しい。唯一違うのは、鯨とのつきあい方だった。 だからノルウェーの伝統として鯨料理を披露して、自然保護団体を怒らせてやろうとブレイヴィークは考えたのかもしれない。ところが、いざとなると鯨料理をつくれる料理人が見つからない。テンゾという参加者が唯一、自分はいくつか鯨料理をつくれる、と言うので、そのプレゼンテーションでイベントの幕開けをすることが昨日決まった。「鯨を食う喜び」という挑発的な広告が夜のうちに電子に乗って町中に流された。 ところが今朝になって、警察から電話があって、鯨の死体が海岸にあがった。事情聴取したいので出頭するように言われた。「自分たちは関係ない」とブレイヴィークはきっぱりと否定したが、「でもあなたは、鯨料理を披露するイベントの責任者なのではないか」と問われ、「その時に使う肉はもう何ヶ月も前から冷凍庫にしまってあって購入証明書もある」と答えた。「まさかゆうべ鯨を殺して今日料理するような計画をたてる人がいますか」と反論するブレイヴィークは口先だけは威勢がよかったが、内心は警察を恐れていたので、鯨料理だけでなくイベントそのものを中止にした。出頭命令を無視することもできないのでブレイヴィークはすでに警察に向かっている。ナヌークも昼までには警察に顔を出し、いくつかの質問に答えなければならないのだそうだ。「わたしたちもいっしょに行きます」 とわたしは語学の教科書に出ていてもおかしくないような文章を口にしていた。しっかり意味も届いたようで、かたまっていたナヌークの表情が少しゆるんだ。わたしはアカッシュとノラの顔を交互に見比べながら英語で言った。「みんなでいっしょに警察に行きましょう。鯨の死に関しては、ナヌークに責任がないことは確かだけれど、移民はナンセンスな理由で逮捕されるかもしれないという不安に絶えずとりつかれているものなの。だから友達がまわりにいた方がいいの。」「僕ももちろんいっしょに行くよ」 と言ってアカッシュが少女のようににっこり笑った。ノラも当然いっしょに行くと言いたげな顔で頷いた。しおれた植物のようだったナヌークの上半身がしゃんと伸びてきた。英語で討議するわたしたち四人の脚のようで、もう傾いて倒れることはなかった。 沈黙が訪れると、四人それぞれ、考えていることは全く違うんだろうな、と思った。ノラはナヌークではなくテンゾに言いたいことがまだあっただろう。(中略) わたしはそんなことを考えながら、キャラメルのように茶色いヤギのチーズを堅焼き煎餅のようなクネッケ・パンに塗っては口に運んでいた。ノラとアカッシュはサラダを頼み、ナヌークは何も食べずに水ばかりおかわりをしていた。「君が食べているそれは一体何なんだい」 とアカッシュに訊かれ、「ヤイトオスト」 と答えてみんなが不思議そうな顔をしているのを見て初めて、短期間とは言え、この国で暮らしたことがあるのはわたしだけだということを思い出した。ナショナリストのブレイヴィークに言ってあげたい。この中ではわたしが一番ノルウェー人なんです、と。『地球にちりばめられて』1
2019.09.05
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図書館に予約していた『地球にちりばめられて』という本を、待つこと半年ほどでゲットしたのです。言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。<図書館予約:(2/18予約、8/28受取)>rakuten地球にちりばめられてHirukoが独自の言語“パンスカ”をつくり出したあたりを、見てみましょう。p37~40<第2章 Hirukoは語る> ここメルヘン・センターは、移民の子どもたちにメルヘンを通してヨーロッパを知ってもらう活動をしていた。昔は現地の人たちがボランティアで読み聞かせなどをしていたが、最近になって、現地の人ではなくて、大人の移民が子どもの移民に接する方が効果があり、しかも必ずしもA国出身の大人がA国出身の子どもに接するのではなく、いろいろな文化が混ざった方がいいことが判明し、わたしのような人間にとって就職の道が開けた。 メルヘン・センターの求人広告を「週刊ノルディック」で見つけて応募した時、わたしはまだノルウェーのトロンハイムに住んでいた。 ちょうど大学に残れないことがわかった時だった。しかも、帰ろうと思っていた国が消えてしまったので、これからどこで暮らしたらいいのか分からなくて途方に暮れていた。メルヘン・センターの求人広告を読みながら、ふと、わたしのつくった言語を移民の子どもたちに教えてみたいと思いついた。 この言語はスカンジナビアならどの国に行っても通じる人工語で、自分では密かに「パンスカ」と呼んでいる。「汎」という意味の「パン」に「スカンジナビア」の「スカ」を付けた。スウェーデンには「ポールスカ」と呼ばれる民族舞踏があり、ポーランドから来たという意味にとれるのだが、実際のところ、この踊りはスカンジナビア起源ではないかと言われている。その不思議さを語感にいかしてみた。 わたしのパンスカは、実験室でつくったのでもコンピューターでつくったのでもなく、何となくしゃべっているうちに何となくできてしまった通じる言葉だ。大切なのは、通じるかどうかを基準に毎日できるだけたくさんしゃべること。人間の脳にはそういう機能があることを発見したことが何よりの収穫だった。「何語を勉強する」と決めてから、教科書を使ってその言語を勉強するのではなく、まわりの人間たちの声に耳をすまして、音を拾い、音を反復し、規則性をリズムとして体感しながら声を発しているうちにそれが一つの新しい言語になっていくのだ。 昔の移民は、一つの国を目ざして来て、その国に死ぬまで留まることが多かったので、そこで話されている言葉を覚えればよかった。しかし、わたしたちはいつまでも移動し続ける。だから、通り過ぎる風景がすべて混ざり合った風のような言葉を話す。「ピジン」という言い方もあるが、「ピジン」は「ビジネス」と結びついているので、わたしの場合は当てはまらない。売るべき品は何も持たない。わたしの扱っているのは言葉だけだ。 メルヘン・センターで子どもを相手に、パンスカで昔話をしたらどうだろうと考えているうちに、紙芝居を見せることを思いついた。言葉だけでなく、絵を見せた方がやりやすいに決まっている。そんなアイデアを履歴書といっしょに送るとすぐに面接のためにオーデンセの町に来るようにという手紙が来た。面接でももちろんパンスカをしゃべったのだが、面接が始まって五分もしないうちに、すでに面接官の目の中で「採用」の字が点滅し始めた。 わたしの悪いところは、何もできないくせに「こんな事をやったらいいんじゃないかしら」という話が上手いことだ。存在もしないものに形を与え、色を塗り、それこそがみんなが求めている未来だ、と信じさせることができる。このような能力は、わたしの生まれ育った国ではあまり高く評価されていなかった。むしろ口数の少ない勤勉な人が信頼された。(中略) ところが、ヨーロッパではわたしが話し始めると、もぐら叩きされるどころか、聞き手の目が輝き始め、もっと話してください、というメッセージが視線に乗ってどんどん送られてくる。わたしは、紙芝居がどんなに優れたジャンルであるか、それが今どれほどデンマークの役にたつかを滔々と語った。面接官たちの顔はわたしへの好意に輝いていた。「一体あなたは自分で紙芝居をつくったことがあるのですか」などと質問する人は一人もいない。わたしは紙芝居をつくったことがないだけでなく、実際に見たことさえなかった。
2019.08.30
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図書館で『ジャンク・フィクション・ワールド』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると・・・宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説など、目くるめくジャンク・フィクションが並んでいて、楽しそうな本やでぇ♪【ジャンク・フィクション・ワールド】風間賢二著、新書館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりドラキュラ、フランケンシュタイン、宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説、アトランティス…ホンモノの小説は遠慮会釈なく面白い。【目次】『吸血鬼ドラキュラ』は単なる怪奇小説じゃない!/火星人は人類の末裔?/人間は猿か天使か?/“邪視”を持つ男の物語/アイデンティティのエントロピー状態/地球の中はカラッポ?/失われた世界を求めて/海がこわい/最後に合理が勝つ?/恋愛という病を伝染させる小説群〔ほか〕<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、宇宙戦争、タイムマシン、地球空洞説など、目くるめくジャンク・フィクションが並んでいて・・・楽しそうな本やでぇ♪rakutenジャンク・フィクション・ワールド太子のツボでもある『ブレードランナー』が語られているあたりを、見てみましょう。p196~199<めくるめくドラッグ小説の傑作> 芥子から採取されるこの興奮剤は、古くは紀元前16世紀のエジプトで医療薬として服用されていたが、ヴィクトリア朝の英国では、それこそ猫も杓子も、この阿片(阿片のエキスをアルコールで薄めた、いわゆるアヘン・チンキである)を今日のアスピリンのように気軽に飲んでいた。時おりしも産業化社会の最盛期で、貧しい労働者たちは長時間働かされるために、このアヘン・チンキを覚醒剤として大量に摂取していたのだ。なにしろ酒やタバコより安かったので、どこの家庭にもアヘン・チンキは“常備薬”として誰もが手にとれる場所に置かれていたという。■ドラッグ小説の最高峰 もちろん、この阿片を単なる強壮剤・麻酔剤・鎮痛剤としてではなく、感覚・知覚を鋭敏にして精神の拡張や意識の変革をもたらす、幻覚・想像力刺激剤として積極的に常用する芸術家たちもたくさんいた。コールリッジやバイロン、シェリー、ド・クィンシーといったロマン派の詩人や作家たちである。 こうしたドラッグと芸術的想像力の飛翔とが幸福な結合を果たした作品の系譜をたどっていけば、以降、シャルル・ボードレールやテオフィル・ゴーティエ、オルダス・ハクスレー、ジャン・コクトー、ウィリアム・S・バロウズといった現代の有名どころからアンナ・カヴァンやアレクサンダー・トロッキといったマイマー作家の作品まで枚挙のいとまのないほどであるが、ここでは、ジャンクなドラッグ小説の最高峰『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(1964年)を紹介しておこう。 作者は、1982年に享年52歳で亡くなったSF作家フィリップ・K・ディックである。我が国では、ハリソン・フォード主演の映画『ブレードランナー』(1982年)とアーノルド・シュワルツネッガー主演の『トータル・リコール』(1990年)の作者として知られ、80年代末には静かなディック・ブームを招来し、“現実はひとつではない”ことを主張する彼の数多いSF作品は、今でもカルト的人気を誇っている。(中略) 果して、パーマー・エルドリッチとは何者なのか? そもそもすべては幻覚なのか? だとしたら、いったい誰の幻覚なのか? そして仮にあるとしたら、本当の現実はどこにあるのか? 幻覚剤の持つ意識改革と精神拡張の効能を見事に複雑怪奇な物語にまとめてみせたドラッグ小説の傑作である。また、ディックの他のLSD小説として、SF史上の名作『火星のタイム・スリップ』(1964年)や『暗闇のスキャナー』(1977年)もあるが、後者は麻薬の恐ろしさを訴えたアンチ・ドラッグ小説としても知られている。『ジャンク・フィクション・ワールド』2:ハードボイルド『ジャンク・フィクション・ワールド』1:『不思議の国のアリス』
2019.08.24
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図書館で『あなたは、誰かの大切な人』という本を、手にしたのです。この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。ところで、マハさんの名前ですが、乃南アサさんとよく混同して紛らわしいんですね(汗)。・・・・ということで、これまで読んだ原田マハの本を集めてみました。・『フーテンのマハ』2018年刊・『スイート・ホーム』2018年刊・『生きるぼくら』2015年刊・『ロマンシェ』2015年刊・『あなたは、誰かの大切な人』2014年刊・『ジヴェルニーの食卓』2013年刊・『でーれーガールズ』2011年刊R2:『フーテンのマハ』を追加************************************************************・『フーテンのマハ』2:おじさんたらしのマハ・『フーテンのマハ』1:永遠の神戸・『ロマンシエ』1:冒頭の語り口・『あなたは、誰かの大切な人』3:「緑陰のマナ」の続き・『あなたは、誰かの大切な人』2:緑陰のマナ・『あなたは、誰かの大切な人』1:母と父の出会い・『でーれーガールズ』byドングリ************************************************************【フーテンのマハ】原田マハ著、集英社、2018年刊<出版社>よりモネやピカソなど、美術にまつわる小説をはじめ、精力的に書籍を刊行する著者、その創作の源は旅にあった!? 世界各地を巡り、観る、食べる、買う。さあ、マハさんと一緒に取材(!?)の旅に出よう!<読む前の大使寸評>マハさんといえば、名画を題材にしたエッセイがおしゃれ♪・・・それを追っかけるミーハーな大使である。<図書館予約:(8/06予約、12/21受取)>rakutenフーテンのマハ************************************************************【スイート・ホーム】原田マハ著、ポプラ社、2018年刊<「BOOK」データベース>より幸せのレシピ。隠し味は、誰かを大切に想う気持ちー。うつくしい高台の街にある小さな洋菓子店で繰り広げられる、愛に満ちた家族の物語。さりげない日常の中に潜む幸せを掬い上げた、心温まる連作短篇集。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、山手のお嬢さんが洋菓子店を舞台に家族を語るという、(タイトルまんまの)短篇集で・・・大使にはミスマッチの本でおました。<図書館予約:(4/16予約、9/16受取)>rakutenスイート・ホーム************************************************************【生きるぼくら】原田マハ著、徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>よりいじめから、ひきこもりとなった二十四歳の麻生人生。頼りだった母が突然いなくなった。残されていたのは、年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前があった。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」マーサばあちゃんから?人生は四年ぶりに外へ!祖母のいる蓼科へ向かうと、予想を覆す状況が待っていたー。人の温もりにふれ、米づくりから、大きく人生が変わっていく。<読む前の大使寸評>著者の本で『あなたは、誰かの大切な人』というのが良かったので、この本も期待できるかも♪・・・ということで借りたのです。rakuten生きるぼくら************************************************************【ロマンシエ】原田マハ著、小学館、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアーティストを夢見る乙女な美・男子が、パリの街角で、ある小説家と出会ったー。ラスト277ページから、切なさの魔法が炸裂する、『楽園のカンヴァス』著者の新たなる代表作!<読む前の大使寸評>先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪rakutenロマンシエ************************************************************【あなたは、誰かの大切な人】原田マハ著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにするー。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。<読む前の大使寸評>この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。rakutenあなたは、誰かの大切な人************************************************************【ジヴェルニーの食卓】原田マハ著、集英社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりマティス、ピカソ、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、モネ。新しい美を求め、時代を切り拓いた巨匠たちの人生が色鮮やかに蘇る。『楽園のカンヴァス』で注目を集める著者が贈る、“読む美術館”。<読む前の大使寸評>この本は、史実に基いたフィクションとのこと。こんなジャンルの小説も有りなのか、書いたもん勝ちと思わないでもないが・・・著者のフィクションとはどんなかな♪rakutenジヴェルニーの食卓************************************************************【でーれーガールズ】原田マハ著、祥伝社、2011年刊<「BOOK」データベース>より1980年、岡山。佐々岡鮎子は東京から引っ越してきたばかり。無理に「でーれー(すごい)」と方言を連発して同じクラスの武美に馬鹿にされていた。ところが、恋人との恋愛を自ら描いた漫画を偶然、武美に読まれたことから、二人は急速に仲良しに。漫画に夢中になる武美に鮎子はどうしても言えないことがあって…。大切な友だちに会いたくなる、感涙の青春小説。<読む前の大使寸評>「でーれー」とは、名古屋弁で言うところの「どえりゃー」にあたる岡山弁であるわけで・・・この本のタイトルに惹かれて借りたわけでおま♪rakutenでーれーガールズ
2019.08.23
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先日『コンテンポラリー・イラストレーション』という展覧会資料で蓬田やすひろのイラストに惹かれたのです。とにかく、扱う題材といい、描くイラストといい、小村雪岱を彷彿とさせるのです。蓬田さんがイラストレーション感を述べています。「より欲を言えば人間性や日本古来からある習慣や、風土から生れた季節ごとの美しい行事など失われつつある情感を追い描いていきたい」蓬田やすひろ氏のインタビューがネットに出ています。蓬田やすひろ先生インタビューより2002年4月に刊行を開始した『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズ。第一巻「陽炎ノ辻」からカバーイラストを担当されている蓬田やすひろさんにお話を伺い、普段のお仕事振りやシリーズの印象を語ってもらいました。■普段のお仕事振りについて編集部:普段のお仕事の流れから伺いたいと思います。まずは、出版社から依頼があって着手されることと思いますが?蓬田:そうですね、出版社の方からお仕事の依頼をいただいて、まずは初校や再校ゲラを送っていただきますね。編集部:編集者と打ち合わせもされて……。蓬田:最近、ほとんど打ち合わせしないんですよ(笑)。 打ち合わせが嫌なわけじゃないんですけど、自分に全部お任せいただくことが多い。 ただね、作品によって違いますし、編集者によっても違いますけど、「人物を強調してほしい」とか「遠景でお願いします」とか、 その程度の要望はありますけど、最近は「ゲラを読んでイメージを掴んでいただいて、描いてください」っていうのが多いですね。 編集部:では、ゲラをお読みになって、シーンを選んでいかれるんでしょうか?蓬田:その時その時によって違うんですが、原稿を読んでいって、こうやってゲラを折っていくんですよ。 それで、そこに全部メモしていく。それで、最終的にイメージを掴む場合に参考にするんです。 そこからさらに煮詰めていく。 編集部:1つのシーンだけではなくて、いくつかのシーンを選びながら、それらのシーンをトータルしてイメージを膨らませていく感じなんですね。蓬田:そうです。イメージを固めて、ラフ画を描いて構図を決めて。 着色を始めるんですけど……、でもね、完成させるまで考えちゃうんですよ。 特にシリーズものの場合は、他の巻との兼ね合いもあるから、色とかシーンとかね。 「前回は夜のシーンだったな」と思って、昼のシーンを選ぼうとしても、画になるものが無かったりして。 そうすると、同じ夜のシーンでも、少し違う色にしようとかね。 編集部:例えば、日没直後とか深夜、夜明け前とかで、夜空の色調を変えるとかですか?蓬田:そうです。そういう具合に色に変化をつけて違う色味を出す。 灯りがあるか無いかで、闇の深さも変わりますしね。あとは、人物を入れてみた時、「何となく似ちゃうかな」と思ったりしてね。 絵としては全然違うんですよ、でもね、何となくそう思えてきちゃう。だから、描きながら何度も何度もゲラをひっくり返しますよ。 描きながらゲラを再読していく感じなんです。場合によっては極端だけど、半分くらいまで着色しても、書き換えちゃう時もありますよ。 編集部:最初から書き換えですか? 蓬田:ラフ画から書き換えますよ。 もともと僕の場合、さっきのメモ書きのところにも小さいラフ画を描いておくんです。 でも、実際に大きいラフ画を描いてみると、意外と間延びしていたり、ちょっと物足りなかったりとかあって。 そうすると、またゲラに戻って、何か付随する素材はないか探したり……。でも、大概無いですけどね(笑)。 小村雪岱の魅力を語る本を紹介します。【小村雪岱 物語る意匠】大越久子, 埼玉県立近代美術館、東京美術、2014年刊<「BOOK」データベース>より小村雪岱は、大正から昭和の戦前期にかけて、装幀、挿絵、舞台美術など、多彩な分野で名を馳せた美術家です。本書では、雪岱の仕事に共通する天性の魅力を「意匠」ととらえ、その才能を最も開花させた装幀と挿絵の世界を中心に紹介します。【目次】1 鏡花本の世界/2 ふたりの女おせんとお傳/3 装幀の仕事/4 挿絵の仕事/5 雪岱のわすれがたみ<読む前の大使寸評>小村雪岱の版画と装丁による本は、宝石のように美しいのだが・・・この本の装丁もまあまあでんな♪rakuten小村雪岱 物語る意匠『小村雪岱 物語る意匠』1
2019.08.16
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