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図書館で『井伏鱒二(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【井伏鱒二(群像日本の作家)】ムック、小学館、1990年刊<「BOOK」データベース>より青春の孤独と苦悩の果てに獲得した冷厳な人間観察を通して、ユーモアとエスプリとみずみずしい感覚によって開花した井伏文学―大正・昭和・平成、三代を市井人として生きぬく現文壇の巨匠の全容に初めて総合的に迫る。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon井伏鱒二(群像日本の作家)昭和15年の短篇を一つ、見てみましょう。<へんろう宿>p279~283 いま私は所用あつて土佐に来てゐるが、大体において用件も上首尾に運んで何よりだと思つてゐる。ところが一昨日、バスのなかで居眠りをしていて、安芸町といふところで下車するのを遍路岬といふところまで乗り過ごした。 安芸町に引返さうとすると、バスはもう終車が通つてしまつたといふのである。安芸町まで六里だといふ。それで用件も上首尾だし、急いで引返す必要もなかつたので、遍路岬でゆつくりと宿をとることにした。 遍路岬の部落は遍路岬村字黄岬といふ、街道の両側に平屋ばかりの人家がならび、一本道の部落だから道に迷ふ心配はない。なるべく電話のある宿に泊らうとして通りすがりの漁師にたづねると、この部落で電話のある家は郵便局と警察だけだといふことであつた。それでは宿屋は何軒あるかとたづねると、へんろう宿が一軒あるといふのである。 この土地では遍路のことを、へんろうといふ。遍路岬もへんろう岬といつてゐる。街道の傍にある石の道しるべにも「へんろう道」と刻んである。私の泊まつた宿屋の入口にも「波濤館」と書いた看板が掛けてあつた。 この宿屋には客間が三部屋しかなくて宿屋としては貧弱きはまるが、意外にも女中が五人ゐる。そして、おやじもおかみさんも息子もゐない。つまり従業員がゐるだけで、宿屋の経営主に該当する人がゐないのである。 はじめ私はこの宿屋の入口に立つたとき、これは漁師屋をそのまま宿屋にしたのだらうと思つた。もう暗くなつてゐたので外見はよくわからなかつたが、入口の障子や低い軒の工合が平凡な漁師屋と変りなかつた。 私は入口の障子をあけて狭い土間に立つと、「こんばんは、もしもし、泊めてもらひたいんですが」 と声をかけた。なかから障子をあけ、年のころ五十ぐらゐの女が現はれて、「おや、おいでなさいませ、お泊りですらうか」 と云つた。 障子のなかが直ぐ居間になつてゐる様子で、八十ぐらゐの皺くちやのお婆さんと六十ぐらゐのお婆さんが火鉢を囲んで座つてゐた。お婆さんたちは私を見ると「おや、おいでなさいませ」と云つて、愛想よく「さあどうぞ、奥へあがつてつかさいませ」と云つた。 奥の部屋へ行くためには、その上り口の居間を通りぬける必用があつた。おまけにその狭い部屋にはお膳や飯櫃が並べてあつたので、私は火鉢や硯箱などをまたいで通りぬけなければならなかつた。私が硯箱をまたぐとき、八十ぐらゐの極老のお婆さんが、「どうぞ御遠慮なく。けんど、足もとに気をつけてつかされ、このごろ電気が暗うございますきに」 さう云つて、しやんと立つて私を案内してくれた。 三つの客間は、襖で仕切られて三つ並んで続いてゐた。入口の居間に続いてゐる部屋は、これは客間兼自家用の居間のやうに思はれた。十二ぐらゐの女の子と十五ぐらゐの女の子が、お互に向かひあつて同じ机についてゐた。この子供らは読本の書取をしてゐたが、部屋を通りぬける私を見ると黙つてお辞儀をした。二人ともなかなか利口さうな子供である。その隣の部屋には、大きな男が腹這ひになつて鉛筆を舐めながら帳面を見つめてゐた。私がその部屋を通りぬけるとき、「失礼します」 と挨拶すると、その男は上の空のやうに、「やあ失礼しますわ」 と云つた。私はその隣の部屋に案内された。 極老のお婆さんは、戸棚から浅黄色の夜具をとり出して、「ほんなら、この蒲団を強いて寝てつかさい」 と云つて出て行つた。入れかはりに、六十ぐらゐの方のお婆さんが、お茶を持つて来て、「便所は、その障子の外だよ。夜なかに便所へ行く人がここを通りますきに、寝えても電気を消さんづつ、おいてつかされ。明朝はお早うございますか」 私が明朝は遅くまで寝るだらうと答へると、「そんなら、おやすみなさいませ。ええ夢でも御覧なさいませ。百石積の宝船の夢でも見たがよございますらう」 そういふ豪華なお愛想を云って出て行つた。(後略)このあと、3人のお婆さんは赤子のときにこの宿に捨てられた捨子であること、それから2人の女の子も同様に捨てられた捨子であることが、さらりと書かれているが・・・へんろう宿とはそんなものだったようですね。この本も(群像日本の作家)シリーズに収めておくものとします。
2019.03.15
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図書館で『司馬遼太郎(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【司馬遼太郎(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<「MARC」データベース>より「竜馬がゆく」「世に棲む日々」…。司馬遷に遼かに及ばずとの思いから、司馬遼太郎と名のった国民的作家の全貌に迫る。井上ひさし、梅棹忠夫、大岡昇平、鶴見俊輔との対談も収録。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon司馬遼太郎(群像日本の作家)大岡昇平氏との対談を、見てみましょう。まるで、戦中派対談の観があるなあ。<日本人と軍隊と天皇>p106~108■下にいちばん重圧がかかる大岡:横井さんは28年がんばったが、あれはふつうの人ではとてもできないな。ひと月だってできないな。とくに、ぼくらインテリにはね。手に職のある人間の強みですね。司馬:人類として例外の記録でしょうか。人類は一人では暮らせないというのが常識でしょうけど。横井さん、自分の手の技術に引きずられて生きていったんですなあ。精神とか意識とかというより、手がくるくると前へ前へと進んでゆくから、つい生きてしまったという面もあるんでしょうね。しかし、兵隊さんというのは、すごいですなあ。将校さんはだめですね。大岡:現役の強さね。兵隊の眼から見ないと、日本の元軍隊の特質はわからない。つまり下から見ないと・・・。司馬:下にいちばん重圧がかかりますからね。だから、大岡さんが、もし将校でフィリピンにいってらしたら『俘虜記』などの名作は生まれなかったかもしれませんな(笑い)大岡:でも司馬さんもあのとき戦車隊にいたわけですね。司馬:ええ、戦車隊にいました。大岡:しかし、それについてあまり書きませんね。司馬:書くだけの主題がないのです。要するに温存されていた部隊、その中の下級将校という軍隊官僚の端くれ(といっても正規将校でなくて予備役)ですもの。まあ会社員と本質的にかわらなくて。ですから、大岡さんのような日本国全体がからだ一つにのしかかってきたということはないのですよ。大岡:レイテには68旅団がきてました。あのそばでしょう、司馬さんの戦車隊は。司馬:予備士官教育を受けたのは奉天の北の四平街にあった陸軍戦車学校です。卒業して配置されて、牡丹江省のものすごい田舎の石頭というところにいた戦車第一連隊にいました。 その連隊は、日本陸軍が虎の子みたいに大事にしていた戦車部隊で、本土決戦の切り札ということで内地にもどってきたのです。アメリカ軍が、東京湾とか相模湾とかに上陸したら、出かけていくということで、栃木県の佐野とか、前橋あたりに待機させられていました。大岡:何年ごろですか。司馬:20年の春になってからです。ですから大岡さんがひどい目にあっていらっしゃるときは、対ソ戦の稽古をしていて、そのあと本土決戦部隊ということで、温存されていたため、結果的には申しわけないみたいな・・・。大岡:でも司馬さんのような幹部候補生もまたそれなりに気の毒ですよ。消耗品であることにはかわりないですから。(中略)大岡:戦車隊は特科だから、大事にされるから・・・。われわれのような、鉄砲撃つだけのパチンコ屋とは違いますよ。司馬:歩兵は肉体一つですから敗勢の場合でも、斬り込みをやって死ぬとか、ある意味では変化の可能性がたくさんあるわけですけれど、戦車隊ですと機械力が劣弱の場合、それが絶対的なもので運命についての可能性などは少しもありません。暗いものでした。 ただ鋼板の厚みで、国家の力がからだで否応なしにわかってしまうという、そういうわかり方はあのなかに入っていますとありますですね。敵の鋼板は、とても厚くて、自分の小さな大砲ではタドンを投げたようでカスリ傷も与えることができない。日本のほうは、体裁はととのっているけれど、いざ戦場に出ると、トウフみたいに砲弾を貫かれてしまう。 あの97式中戦車は、できあがったときには国際的水準に近い戦車だったようですが、しかしすぐ時代遅れになっています。昭和12年のおおとでしたか、戦闘機が7万円、爆撃機が20万円のとき、戦車は35万円だったそうですから、日本の国力ではモデルチェンジできないわけです。 ノモンハンが終わったころに量産のコースにのったシロモノで、独ソ戦を経た欧米のレベルからみればとても・・・。太平洋戦争の初期のマレー作戦のときは、駐留英軍が装甲車程度しかもっていませんでしたから相対的に威力はありましたけれど、あとはずっと役立たずでした。大岡:ノモンハンのときに、だめだということは証明されているわけだからねえ。あれより大型は作らなかったのですか。司馬:日本の国内鉄道が狭軌でしょう。ですから日本の貨車の幅が決まるわけですから大型はだめだったんですね。大岡:レイテにも戦車はきましたが、もっぱら、大砲を引っぱったり、連絡に使うつもりで持ってきたらしい。馬はすぐ死んじゃうのでね。ところが、戦車ってのは、すぐ飛行機に見つかっちゃうんで、昼間は広いところには出られない。夜だけ動き回っていたらしい。
2019.03.11
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図書館で『サラダ好きのライオン』という本を、手にしたのです。この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪【サラダ好きのライオン】村上春樹, 大橋歩著、マガジンハウス、2012年刊<「BOOK」データベース>より男がオムレツを作るとき、どんな風景がいちばんふさわしいでしょう?おたくの猫には、音楽の好き嫌いがあると思いますか?村上春樹さんは占い師として、はたして大成したでしょうか?最新のムラカミ情報満載の「村上ラヂオ」第三作。<読む前の大使寸評>この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪rakutenサラダ好きのライオントライアスロンが語られているので、見てみましょう。大使は若いころに、地方のトライアスロン大会で年代の部3位入賞くらいの実績を持っているので、トライアスロンには目がないのです。p110~<楽しいトライアスロン> あなたはトライアスロンってやったことありますか? そう、水泳と自転車とランニングを続けてやるやつ。僕は毎年一度、レースに出ています。やり始めると面白いもので、やみつきになります。「そんなもの面白いわけねえだろう」というつぶやきがそのへんから聞こえてきそうだけど。 ホノルルで毎年5月頃におこなわれるホノルル・トライアスロンにも何度か出場したことがあります。このレースが楽しいのは、海が温かいから、水泳にウェットスーツを着用しなくていいことで、裸でひょいと海に飛び込んで、泳いで帰ってきて、そのまま自転車に飛び乗れる。これは実に気持ちが良い。ウェットスーツの着脱って、実際にやってみるとけっこう面倒なんですよね。セックスでいえば・・・いや、これはやめよう。 この大会で逆にちょっとひっかかるのは、ふくらはぎにフェルトペンで年齢を書かされることです。たとえば59歳だと、「59」と黒々と自己申告しなくてはならない。今はどうなのか知らないけど、数年前まではそうだった。どうしてそんなことをしなくてはいけないのだろう? 男の場合はまだいいけど、女性の中には嫌がる人もいるんじゃないか。 でも、自分より年齢の若い人たちを最後のランニングで追い抜いていくのは、それなりに気分の良いものです。この前36とふくらはぎに書いてある人を追い抜いたら、「おい、ちょっと待てよ、59、あんたはほんとに59歳か? よう、嘘だろ。なんで36が59に追い抜かれるんだ?」としばらくのあいだしつこく声をかけてきた。「いちいちうるせえなあ。そういうのはトシの問題だけじゃねえんだよ」とか、心の中では思うんだけど、そんなことを言うと喧嘩になるのでもちろん言わない。にっこり笑って手を振って、そのまま走り去る。 逆に72という番号を書いた人を抜くときには、「がんばって」と声をかける。僕も72歳くらいまでは現役でトライアスロンをやっていたいものだなあと思う。 僕がマラソン・レースに出るようになったのは30代前半で、その頃はエージ別のスタートでは前の方だった。まだ若かったんですね。それが年齢を重ねるにつれ、だんだん後ろの方に押しやられ、今ではとうとう最後尾になってしまった。だからスタートまで長い時間がかかって、そのあいだ寒風に吹かれていなくてはならない。ひどいじゃないか、少しは敬老の精神を持てよな、とか思うんだけど、まあ大会の運営上しょうがないことなのだろう。 でもいくつになっても、マラソンやトライアスロンのレースの前日、ウェアを揃えたり、ナンバーをピンでとめたり、シューズの紐を結び直したり、サプリメントの整理をしたりするのは、わくわくと楽しいものです。まるで小学生が遠足に行くときのような気分だ。 年をとるということを、いろんなものを失っていく過程ととらえるか、あるいはいろんなものを積み重ねて行く過程ととらえるかで、人生のクオリティーはずいぶん生意気なことを言うようですが。『サラダ好きのライオン』3:編集者たちとの交流『サラダ好きのライオン』2:スーパーサラダが食べたい『サラダ好きのライオン』1:サラダ好きのライオン
2019.03.08
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図書館で『サラダ好きのライオン』という本を、手にしたのです。この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪【サラダ好きのライオン】村上春樹, 大橋歩著、マガジンハウス、2012年刊<「BOOK」データベース>より男がオムレツを作るとき、どんな風景がいちばんふさわしいでしょう?おたくの猫には、音楽の好き嫌いがあると思いますか?村上春樹さんは占い師として、はたして大成したでしょうか?最新のムラカミ情報満載の「村上ラヂオ」第三作。<読む前の大使寸評>この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪rakutenサラダ好きのライオン編集者たちとの交流がおもしろいので、見てみましょう。p130~133<カラフルな編集者たち> ドイツの出版社で働いている女性と話していて、どこの国でも最近は男性よりは女性の方が元気に働いているみたいですね、という話になった。彼女によればドイツの出版界では、本来は作家志望だったのだが、成功せず編集者になったというケースが、男性に関してはとても多いのだそうだ。「でも不思議なことに、女性にはそういうケースはないの。もともと作家志望だった女性編集者なんて、一人も知らない」 だから男性編集者にはけっこう屈託のある、面倒なやつが多い。それに比べると女性の方は実務的にさっさと働くから、そのぶん仕事がやりやすい、ということだった。彼女はもう少し婉曲な言い方をしたけど、ざっくり言うと、まあそうなる。「で、日本はどうなの?」と訊かれて、僕は返答に詰まった。さあ、日本ではどうなんだろう。よくわからない。 僕の担当編集者は昔からだいたい男女半々だ。男だから女だからという意識はこちらにはとくになく、きちんと良い仕事をしてくれれば性別はまったく問わない。ゲイだってレズビアンだってかまわない(どちらも実際にいましたが)。 そりゃまあ、息を呑むような美人編集者が担当になったりしたら、こっちもいくぶん緊張して、仕事に差し支えが出るかもしれないけど、幸か不幸かそういうことも・・・いや、この話はまずいな。やめよう。忘れて下さい。 小説家になって30年以上になり、これまで少なくない数の編集者と仕事をしてきたけれど、つらつらと思い起せば、中にはちょっと変わった人、首をひねりたくなる人がいた。以下はそのごく一例。 喫茶店で打ち合わせをしていて、僕がシンプルにコーヒーを頼んでいるのに、自分はフルーツパフェを注文した、文芸誌の男性編集者がいた。狭いテーブルに原稿を広げて話してるんだから、そんなややこしいものを注文するなよな、とか思うんだけど、正面切ってそんなことも言えないし・・・。会社も社員教育するとき、「作家との打ち合わせの時に、フルーツパフェを注文するのは不適切だ」みたいな細かい注意まではしなかったんですね。(中略) とあるリゾート地を取材旅行中、フリー時間に水着姿で日光浴をしすぎて、ひどいやけど状態になり、僕とカメラマンとで夜なべで看病することになった若い編集者もいた。出版社の社員教育係の人も、いろんなシチュエーションを想定しなくちゃならないから大変だ。 あくまでたまたまなのかもしれないけど、僕が人生の過程で出会ったカラフルなというか、その手の「ちょっと変てこ編集者」は全員男性だった。女性は今までのところ、おおむねまともだった。どうしてかはよくわからない。どうしてでしょうね?『サラダ好きのライオン』2:スーパーサラダが食べたい『サラダ好きのライオン』1:サラダ好きのライオン
2019.03.08
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図書館で『サラダ好きのライオン』という本を、手にしたのです。この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪【サラダ好きのライオン】村上春樹, 大橋歩著、マガジンハウス、2012年刊<「BOOK」データベース>より男がオムレツを作るとき、どんな風景がいちばんふさわしいでしょう?おたくの猫には、音楽の好き嫌いがあると思いますか?村上春樹さんは占い師として、はたして大成したでしょうか?最新のムラカミ情報満載の「村上ラヂオ」第三作。<読む前の大使寸評>この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪rakutenサラダ好きのライオンエッセイをもうひとつ、見てみましょう。p42~45<スーパーサラダが食べたい> ミカ・カウリスマキ(アキ・カウリスマキの兄)が監督した『GO! GO! L.A.』という映画が十年くらい前にあった。イギリスの小さな町で葬儀屋を営んでいる脚本家志望の青年が、アメリカから来た女優の卵に恋をし、すべてを捨ててハリウッドまで彼女を追いかけていって、そこでいろいろとんでもない目にあう。ちょっと変てこな、オフビートなコメディーだった。フィンランド人の監督だから、もちろんハリウッド文化を徹底的におちょくっている。 その中でレストランのウェイトレスが注文をとりながら、「スーパーサラダ?」と質問する場面がある。青年は「それがいいな。スーパーサラダをもらうよ」と言うんだけど、ウェイトレス不機嫌な顔をして「スーパーサラダ!」と早口で繰り返すばかりだ。青年は「だから、そのスーパーサラダがほしいんだよ」と言うんだけど、話がぜんぜん通じない。 要するに彼女が言いたかったのは「Soup or salad(スープかサラダか、どちらかが料理につくんだけど、どっちがいいの)?」ということだったんですね。それを早口でせかせか言われると、英国人の耳にだって、「スーパーサラダ」としか聞こえない。このシーンはおかしかった。僕もアメリカのレストランで、何度か同じような目にあってきた。ほんとに不機嫌そうに早口でしゃべるんだから。 僕は野菜が好きで、毎日大量のサラダを食べる。洗面器くらいの大きさの器に野菜を山盛り入れて、ばりばり食べる。初めて見る人はみんな仰天する。「ほんとにそれ、全部一人で食べちゃうんですか?」。もちろん。実際にそっくり食べてみせると、更に驚く。べつに人を驚かせるために食べているわけじゃないんだけど。 だからもしどこかのレストランのメニューに「スーパーサラダ」なんてものが本当に載っていたとしたら、僕としてはまず間違いなく注文すると思う。しかしいったいどんなサラダが出てくるんでしょうね?「スーパーサラダ」というほど大層なものではないけど、ホノルルのハレクラニ・ホテルのプ-ルサイド・レストラン「HWAK(ハウス・ウィズアウト・ア・キー)」が以前、なかなか素敵なサラダを出していた。マノア・レタスとクラ・トマトとマウイ・オニオンを合わせただけのきわめてシンプルなサラダ。でもこれがおいしくて、いつも昼ご飯に食べていた。温かいロールパンとこのサラダが(そして冷たいビールが)あればほかには何もいらない。 マウイ・オニオンは苦みのない甘いタマネギで、そのままぼりぼり生で食べられる。ただし値段は普通のものに比べて高いし、ハワイ以外では手に入りにくい。フランク・シナトラもハワイを訪れたとき、すっかりこのタマネギのファンになって、わざわざ本土に取り寄せて食べていたということだ。 でもHWAKはあるときメニューから、なぜかこのチャーミングなサラダを外してしまって、それ以来僕はわりに不自由している。もちろん僕を幸福な気持ちにさせることを目的としてホテルが経営されたり、世界が運営されたりしているわけではないので、文句を言う筋合いもないんだろうけど・・・。ウン 村上さんは連載エッセイを始める前には、50個ぐらいのトピックを準備しておくそうで・・・このあたりに長距離ランナーの着実な気質が表れているようです。それとちょっと気の利いたユーモアもあるし♪『サラダ好きのライオン』1
2019.03.07
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図書館で『サラダ好きのライオン』という本を、手にしたのです。この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪【サラダ好きのライオン】村上春樹, 大橋歩著、マガジンハウス、2012年刊<「BOOK」データベース>より男がオムレツを作るとき、どんな風景がいちばんふさわしいでしょう?おたくの猫には、音楽の好き嫌いがあると思いますか?村上春樹さんは占い師として、はたして大成したでしょうか?最新のムラカミ情報満載の「村上ラヂオ」第三作。<読む前の大使寸評>この本は雑誌「アンアン」の連載エッセイ「村上ラヂオ」の記事を集めて作っている旨が「まえがき」に述べられています。・・・これでぐっと気楽に読めるのではないかと思うのでおます♪rakutenサラダ好きのライオン表紙のライオンの挿絵が載っているあたりを、見てみましょう。p10~13<忘れられない、覚えられない> こういう連載をしていると、「毎週毎週、書くことがよくありますね。話題がなくて困ることってありません?」としばしば訊かれる。 僕の場合、話の材料に不自由することはまずない。というのは連載を始める前に、だいたい50個くらいトピックを用意しておくから、そこから「今回はこれでいこう」と適当に選んで文章を書く。もちろん日々の生活の中から、新しい話題は自然と生まれ出てくるわけで、それらをリストに加えていく。だから「はて、今週は何を書けばいいのか」と頭を悩ませた記憶はない。 ただ「そうだ、これも書かなくちゃな」と新しいトピックを思いつくのは、なぜかベッドに入って眠りに就く前であることが多く、それが僕にとっていささかの問題になっている。 もちろん思いついたときにちょちょっとメモしておけばいいんだけど、こっちも眠いし(眠れない夜は僕にとって、サラダ好きのライオンくらい珍しい)、枕元に筆記具なんて置いてないし、まあいいやと、そのまま寝てしまう。すると翌朝目が覚めたときには、何を書くつもりでいたのか、すっかり忘れてしまっている。「なんか寝る前に思いついたんだよな」としか覚えていない。 記憶は柔らかい泥沼の中にすっぽり沈み込んでいる。それがなんだったか思い出すのは三ヵ月後ということもあれば、ついに思い出せず、今でも泥の中に埋もれっぱなし、ということもある。 よくわからないんだけど、どうしても寝る前に限ってネタを思いつくんでしょうね? エッセイに限らず、「うん、これを小説に書こう」と思ったこともよく消えてしまう。そうやって埋もれていったアイデアを全部集めたら、一冊の独立した本ができるかもしれない。 フランスの作曲家ベルリオーズは夢の中で交響曲をひとつ作曲した。朝目が覚めたとき、第一楽章を細部までそっくり丸ごと思い出すことができた。会心の作だ、と彼は思った。すごいですねえ、眠っているあいだに作曲ができちゃうんだ。「やったぜ。これは覚えてるうちに書き留めておかなくちゃな」と彼はすぐに机に向かってすらすら楽譜を書き始めた。 でもそこではっと気がついた。ベルリオーズの奥さんはそのとき大病を患っていて、治療に多額のお金が必要だった。雑誌に評論を書いて原稿料を稼がなくてはならない。交響曲なんか書き出したら、完成までにずいぶん時間がかあるし、その期間ほかの仕事ができない。薬代も払えない。 だから彼は、泣く泣くその交響曲を忘れてしまおうとしたのだが、メロディーはしつこく脳裏を去らなかった。それでも心を鬼にして、懸命に記憶を消そうと努めた。そしてある日、その音楽はついに彼のもとを去っていった・・・という話だ。残念ですね。そのようにしてベルリオーズの(たぶん)傑作がひとつ音楽史から永遠に消えてしまった。 そう考えると、僕みたいに覚えていようと思いつつ、ついぽかっと忘れちゃう方が、忘れられないものを無理やり忘れるよりも、精神衛生的に見ればむしろ害がないのかもしれない。だから片端からどんどん忘れちゃっていいというものでも、もちろんないんだけど。
2019.03.07
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上春樹(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』以来、新しい感覚で現代人の「生」をとらえなおし、日本文学をまさに現代のものにして、文学の世界を大きく広げた村上春樹。その透明な抒情の漂う不思議な文学世界は、いまなお広がりつづけており、多くの読者をひきつけている。例えば評論家・山崎正和氏は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』に触れて、現代でもなお文学は自由や愛について夢を見、憧れることをやめていないようだ、といい、この作品はその行為が夢にすぎないと認めながらも、なおそれを夢見ることの意味を謳いあげようとしたものだ――と評している。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上春樹(群像日本の作家)丸谷才一さんの群像新人賞選評で、村上評を見てみましょう。<『風の歌を聴け』:丸谷才一>p289~290 村上さんの『風の歌を聴け』は現代アメリカ小説の強い影響の下に出来あがったものです。カート・ヴォネガットとか、ブローティガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでゐる。その勉強ぶりは大変なもので、よほどの才能の持主でなければこれだけ学び取ることはできません。 昔ふうのリアリズム小説から抜け出さうとして抜け出せないのは、今の日本の小説の一般的な傾向ですが、たとへ外国のお手本があるとはいへ、これだけ自在にそして巧妙にリアリズムから離れたのは、注目すべき成果と言っていいでせう。 しかし、たとへばカート・ヴォネガットの小説は、哄笑のすぐうしろに溢れるほどの悲しみがあつて、そのせいで苦さが味を引き立ててゐるのですが、『風の歌を聴け』の味はもつとずつと単純です。 たとへばディスク・ジョッキーの男の読みあげる病気の少女の手紙は、本来ならもつと前に出て来て、そして作者はかういふ悲惨な人間の条件ともつとまともに渡りあはなければならないはずですが、さういふ作業はこの新人の手に余ることでした。この挿話は今のところ、小説を何とか終わらせるための仕掛けにとどまつてゐる。 あるいは、せいぜい甘く言っても、作者が現実のなかにある局面にまつたく無知ではないことの証拠にとどまつてゐる。このへんの扱ひ方には何となく、日本的抒情とでも呼ぶのが正しいやうな趣があります。もちろんわれわれはそれを、この作者の個性のあらわれと取つても差支へないわけですけれど。 そしてここのところをうまく伸ばしてゆけば、この日本的抒情によって塗られたアメリカふうの小説といふ性格は、やがてはこの作家の独創といふことになるかもしれません。 とにかくなかなかの才筆で、殊に小説の流れがちつとも淀んでゐないところがすばらしい。『村上春樹(群像日本の作家)』1
2019.02.28
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図書館で『漫画のすごい思想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。【漫画のすごい思想】四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。rakuten漫画のすごい思想手塚治虫について、見てみましょう。p188~192<治癒する者 手塚治虫> これまで手塚治虫といえば『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』が有名で、『ブッダ』はどちらかといえば論じられることの少ない、やや傍系的な位置にある作品だと考えられてきた。だが、掲載誌の誌名が変わろうとも執筆に拘泥し、完成までに12年の歳月を費やした『ブッダ』の位置は、今後の手塚研究にあって、より重要なものと見なされるべきである。 それでは『ブッダ』は手塚漫画のなかで、はたして孤立した作品といえるだろうか。それともこの長篇を核に据えることで、彼の遺したおびただしい作品を理解する、新しい視座を見出すことができるのだろうか。 この問いに答えるにあたってきわめて興味深いのが、『ブッダ』に少し先行して執筆され、さまざまな理由から未完に終わってしまったもう一つの長篇『火の鳥』である。この作品は12の異なった物語から構成され、いずれもが、いたずらに不死不滅を願って挫折する人間の定義をめぐって、まったく異なる時空において展開している。 その第十編にあたる『火の鳥・異形編』を、ここで取り上げてみよう。というのもこの作品は『マンガ少年』1981年1月号から4月号にわたって連載されており、それはちょうど手塚が『ブッダ』において、アジャセ王物語を構想しちた時期に相当しているからである。『異形編』は舞台を戦国時代にとり、八百比丘尼伝説とSFのタイムスリップとを結合させて構想された、百頁ほどの中篇である。 見崎にある蓬莱寺なる寺に八百比丘尼なる尼僧がいて、訪れてくる民百姓のために病気治療を施している。不思議なことに彼女は永遠に年をとらず、ただ本堂の仏像の裏に隠された不思議な鳥の羽をかざすだけで、人々の傷をたちどころに癒してみせる。ある嵐の夜、左近介なる若侍が寺を訪れ、一刀のもとに比丘尼を切り殺してしまう。実はこの侍は男性ではなく、武将である父親の手で男として育てられ、厳しい剣の稽古を積んできた女性であった。彼は自分の一生を捻じ曲げてきた残虐無比な父親に対する憎悪から、彼の業病に治療を授けた比丘尼を殺害したのである。(中略) 『ブッダ』にもし『火の鳥』と比べて優れている箇所があるとすれば、それは主人公のブッダを含め一人ひとりの人物の思索の道筋を、それなりに説得力をもって辿ってみせたところにある。だがこの違いは『ブッダ』を完結させたが、『火の鳥』を未完に終わらせた。いや、より正確にいうならば、『火の鳥』はそもそも冒頭の時点で、宇宙の真理を体現する鳥という存在を結論のように登場させてしまったがゆえに、物語として決着をつけねばならぬ契機も必要も見失ってしまったのだ。 手塚治虫にとってその執筆は『異形編』の八百比丘尼の治療行為に似て、未来永劫に完結しない作業であったといえるだろう。『漫画のすごい思想』1
2019.02.27
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図書館で『漫画のすごい思想』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。【漫画のすごい思想】四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊<「BOOK」データベース>より政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。rakuten漫画のすごい思想まず、冒頭の佐々木マキを、見てみましょう。p10~16<杉浦茂への回帰> 1967年11月号の『ガロ』に、佐々木マキの『天国で見る夢』が掲載されたときの興奮を、わたしは忘れることができない。佐々木はそれ以前にも黒い諧謔を持ったSF短篇を二本、すでに同誌に発表していたが、この新作ではまったく違った手法、というよりおよそ日本の漫画界が始まって以来の手法を用いてみせた。 『天国で見る夢』には統一的な物語というものが存在していない。コマとコマは読み進むべき順番をもたず、無時間的な平面のうえにただ投げ出されているばかりである。登場人物はいっこうに科白を語ろうとしない。ときおり現れる吹き出しには、★や林檎の記号、数式、英語やアラビア語といった外国語が記されているばかりである。どの頁から読んでもよく、またどのコマだけを取り出して眺めていてもよかった。 後に佐々木本人が語ったことによれば、彼は全体的な構想もないまま1日1頁のペースで描き続け、書き終わった後で、トランプのカードを切るときのようにページを自由に組み換え、並べ直してみたのだという。15歳だったわたしはこの斬新なる漫画の出現に狂喜し、ただちに『ガロ』編集部に感想を書き送った。それは三ヵ月後、投稿欄に掲載された。 佐々木マキは驚きそのものだった。とはいえ前衛のつねとして、彼の出現を訝しく思う人が少なからず存在したことは事実である。その最たる者は手塚治虫で、彼は佐々木を「狂人」だと罵倒してやまず、雑誌への掲載をただちに中止すべきであるという論旨の文章を、さる総合雑誌に寄稿した。 スリリングな語りの展開にこそ漫画の妙味があると信じてきた手塚にとって、佐々木の出現は世界の終末の予兆のように漢字られたのだろう。とはいうものの佐々木はといえば、幼少時より親しんできた杉浦茂漫画の延長に自分が作画を営んでいるという強い自覚を抱いていた。彼はコマを物語の因果律へ従属させるのではなく、それ自体として完結し充足した画として、読者の前に差し出したのである。 『天国で見る夢』には、何が描かれていたのだろうか。 鉄条網で囲まれた平地を、重い鉄球を引き摺りながら延々と走っている男がいる。チェス盤の向こうではしゃいでいる道化師がいて、首吊り用のロープを眺めている女がいる。絶叫する黒人歌手がいて、溺れかけている大勢の男女の前で一人壇上に立ち、説教をしている神父がいる。巨大な舌をもった一つ目のお化けがいる。このお化けは強制収容所であろうが、飛行機の墜落現場であろうが、いたるところに出現してみせる。(中略) 『天国で見る夢』の次に発表された『殺人者』では、逆にフィルム・ノワールを真似て、古典的なまでに人称をもった語りが作品の柱となっている。とあるバーに二人の男がやって来る。彼らの目的は、そこでロンという男を殺害することである。もう一人の若い男のほうは黙りこくったままで、何も口にしない。彼はまるでボードレールの水彩自画像から抜け出してきたような雰囲気をもち、これから行なわれるであろう殺人について、醒めきった意識を抱いている。(中略) こうした不毛で絶望的な状況にあって、無垢なる少年少女たちの身には何が起こるのだろうか。『アンリとアンヌのバラード』『セブンティーン』『うみべのまち』『ぼうや、かわいい ぼうや』といった一連の作品には、彼らが蒙る受難が痛ましいまでに描かれている。『アンリとアンヌのバラード』は、地上で罪を犯し地獄に送られてきた少年と少女が身の上を語るという作品である。地獄とは「不幸と苦痛のポーズはしていても、傷みはもはや感じちゃいない」場所であり、慣れてしまうことが大事だという点で、地上世界をめぐる、強烈にアイロニカルな隠喩に他ならない。天国でみる夢アンリとアンヌのバラードピクルス街異聞
2019.02.27
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第39回日本SF大賞が24日に発表されたが、円城塔さんの『文字渦』と、山尾悠子さんの『飛ぶ孔雀』に決まったそうです。『飛ぶ孔雀』は第46回泉鏡花文学賞受賞に続いて、『文字渦』は第43回川端康成文学賞受賞に続いての日本SF大賞受賞となったようだが・・・最近のSFは純文学のフロンティアとでも言うべきか。ところで、大使は既に『文字渦』は読んだし、『飛ぶ孔雀』は図書館に借出し予約しているわけで・・・この2作を押さえているあたりは日本SFの勘所だったようでおます。*****************************************************************************【文字渦】円城塔著、新潮社、2018年刊<出版社>より昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。<読む前の大使寸評>「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。<図書館予約:(9/05予約、10/16受取)>rakuten文字渦『文字渦』4:「新字」の謎の続き『文字渦』3:「新字」の謎『文字渦』2:「第5回遣唐使」『文字渦』1:CJK統合漢字*****************************************************************************【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)現在6位>rakuten飛ぶ孔雀
2019.02.27
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上春樹(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』以来、新しい感覚で現代人の「生」をとらえなおし、日本文学をまさに現代のものにして、文学の世界を大きく広げた村上春樹。その透明な抒情の漂う不思議な文学世界は、いまなお広がりつづけており、多くの読者をひきつけている。例えば評論家・山崎正和氏は『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』に触れて、現代でもなお文学は自由や愛について夢を見、憧れることをやめていないようだ、といい、この作品はその行為が夢にすぎないと認めながらも、なおそれを夢見ることの意味を謳いあげようとしたものだ――と評している。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上春樹(群像日本の作家)友人でもある安西水丸さんが語る村上評を、見てみましょう。<村上春樹さんについてのいろいろ>p178~180 この夏ひさしぶりに休みをとって、千倉の海であそんだ。海につき出た岩のうえで、とうもろこしをかじりながら、ぼんやりとこの原稿のことを考えた。 そういえば2年ほど前、村上春樹さんと千倉のことについて対談したことがあった。 その時ぼくが、千倉ではヒジキで歯をみがくなんてでたらめなことを言って、村上さんの好奇心をむやみにかきたててしまった。海にはいる時、ヒジキを口にふくむのはぼくのいつものくせだった。 村上春樹さんとは、今まで何度か対談をしたり、インタビューをうけたことがある。村上さんはテープおこしの名人で、なんとなく世間話をしているだけで対談ができあがってしまう。さすがとしかいいようがない。(中略) 村上春樹さんにはじめて会ったのは、彼の千駄ヶ谷のPETER-CATだった。 ぼくを村上さんに紹介してくれたのは、当時若者の人気雑誌だった「ビックリハウス」の二人の女性編集者で、ぼくはPETER-CATの階段を上がった時、カウンター近くで働いている不機嫌そうな表情の若者が、村上春樹さんだとすぐにわかった。こんなことを言っては失礼になるかもしれないけれど、彼はまだ学生のように見えた。 しばらくして、手のあいた村上さんも、ぼくたちのテーブルにやってきてみんなで雑談をしてすごした。はじめて聞く村上さんの声はプラチナ製といった感じだった。 余談。手塚治虫さんの有名な漫画に「鉄腕アトム」がある。このなかにプラチナというロボットが登場する。ちょっと生意気で、アトム以上の性能があり、そのスマートな顔かたちもぼくは気に入っていた。 村上さんの声をプラチナ製なんて書いたけれど、そのプラチナに村上さんは雰囲気がよく似ている。(中略) 村上春樹さんの単行本のカバーにイラストレーションを描いたのは、彼のはじめての短篇集だった。ぼくはそれまで彼の単行本のカバーでは、佐々木マキさんのイラストレーションしか見たことがなかった。 それで少しとまどった。 ぼくは以前から、村上さんは佐々木マキさんのファンだったということを本人からきいていたし、佐々木マキさんを好きな小説家の短篇集のカバーというのは、どんな絵を描いたらいいのかと思ったのだ。 その結果、ぼくはいつも自分の絵の中で、いちばん強い印象があると思っている線をはずしてみた。絵柄は皿にのった二つの西洋梨にした。見つめているとだんだん見えてくるような絵になったらいいと思った。 それが「中国行きのスロウ・ボート」のカバーになった。 つぎの短篇集「螢・納屋を焼く・その他の短編」のカバーは、ぼくの描き文字だけでやってみたいという村上さんの意見をいれて文字だけで仕上げた。 村上さんという人は、自分のこの本はこういう本にしたいといった考えをはっきり持っているのに、絵を描く人を、ほとんど自由にあそばせてくれるといった、ふしぎなアートディレクターの能力を持っている。テンポのよさはさすがとしかいいようがない。 ぼくが村上さんといっしょに出した「象工場のハッピーエンド」なども、まったく別々に作業は進行したのに、実にうまくまとまったと思っている。こういう結果も、前述したような彼の目に見えないディレクションがあったから得られたのかもしれない。いずれにしてもこの本の時は、村上さんの忙しいスケジュールの中ですっかりお世話になった。 余談。村上春樹さんという人は、とても人見知りをする人だけれど、友情のあつさにおいては完璧なものがある。それに待ち合わせ時間などにはほとんど遅れない。原稿もきちんとはいってくる。ぼくは「週刊朝日」とか「日刊アルバイトニュース」といった、締切の周期が短いイ雑誌で、村上さんと長い間組んで仕事をしたけれど、原稿はいつも早めに、しかも三回ぶんくらいまとまってぼくの手もとにとどいた。そんな彼の原稿に絵をつけて編集者にわたすことが、往復書簡のようで楽しかった。安西水丸さんのイラストレーションによる「中国行きのスロウ・ボート」、「螢・納屋を焼く・その他の短編」を付けておきます。
2019.02.26
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図書館に予約していた『スメルジャコフ対織田信長家臣団』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団文章テクニックやトライアスロンあたりを、見てみましょう。p15~18<どうしたらうまい文章が書けるか> ときどき「どうしたらうまい文章が書けますか?」という質問を受けるのですが、僕の答えはひとつだけです。とにかく何度でもいいから読み直し、書き直すこと。これしかありません。プロだってアマチュアだって、これは同じことですね。 書き直すときには、書き直しと書き直しのあいだにしかるべき時間を置くといいです。更にいえば、一回の書き直しのときに、それぞれのテーマを設定すること。<余分な贅肉をとって、話題はひとつ> みなさんから寄せられるメールの文章をみていて全体的に感じるのは、「余分なところが多いな」ということです。この文章は3割くらい贅肉をとって、すっきりさせるともっとスピードがでるのにな、と残念に思うことがけっこうあります。 それから「ひとつのメールに、話題はひとつ」というのは、大事なポイントです。そうすると文章がぐっと読みやすくなります。焦点が絞られて、文章の目鼻立ちもよくなります。別の話題があれば、手間を惜しまず別のメールに書くといいです。それから長い文章よりは常に短い文章が好まれます。長い文章を長さを感じさせないように書くには、それなりの高度なテクニックが必要とされるからです。 もっとも当ホームページは「村上春樹の文章講座」ではありませんので、文章のことはあまり気にせずに、気楽にメールを送ってください。<7月12日にトライアスロンに出ました> 話題は変わって、7月12日の「裏誕生日」に二度目のトライアスロン・レースをホノルルで走ってきました。「ティンマン・トライアスロン」という大会で、水泳800メートル、自転車40キロ、ラン10キロを無事に完走しました。とても楽しかったです。成績は957人中444番でした。水泳でミスらなかったらもっとよかったんだけど。ちちち。 ところでこのレースの説明パンフレットに Abusive langage will result in disqualification という注意書きがあtったんだけれど、「罵りの言葉は失格の対象になります」と言われても、どの程度がabusiveなのかわかんないですよね。そんなこと言ったら、エディー・マーフィーなんて一発で退場だもんね。 いずれにせよ、トライアスロンにはまっている村上です。みなさんはきっと興味ないでしょうね。すみません。でもこのシーズンのうちにもう一回レースに出ようと思っています。それから11月にはNYシティー・マラソンを走るつもりです。NY在住のみなさんとは路上でお会いできると思います。ただしあれはなにしろ人数が多いので、見分けがつくかどうか・・・。<正統的オープン2シーター乗りの夏> 全国オープン2シーター(O2S)同好会のみなさん、お元気ですか。♪ぎらぎらと輝く太陽背に受けて(コニー・フランシス)、の夏ですね。ハッピーにお過ごしでしょうか? 「どーせ車のローンに追われて、彼女いないんでしょう」なんて失礼なことを言ってはいけないんですね。冗談です。どうぞ限りある青春を謳歌してください。 ときどきせっかくの良い天気なのにトップをかぶせて、エアコンをがんがんきかせているというコソクな人を見かけますが、そういうのはやはりオープン2シーター乗りとして恥かしいですよ。多少暑くても、意識が朦朧としても、きっちり屋根を開けて、エアコンは切る。 帽子、サングラス、日焼け止め、助手席にはミネラル・ウォーターのボトルと汗拭きのタオル。カーステレオにはクリーデンスかビーチボーイズ。それが正統的オープン2シーター乗りの日本の夏です。なんかもう、ほとんどラバウル航空隊みたいですが。この本も村上春樹アンソロジーR6に収めておきます。『スメルジャコフ対織田信長家臣団』1
2019.02.22
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図書館に予約していた『スメルジャコフ対織田信長家臣団』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。【スメルジャコフ対織田信長家臣団】村上春樹著、朝日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より不倫相談・ドーナツ情報・村上作品・音楽・映画の話から、なぜか『カラマーゾフの兄弟』まで、「何でも相談室」の村上さんがお答えします。CD-ROMに約4千通のメールを収録!3年半にわたる作家と読者のメール交換の総決算。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると「村上ラジオ」に連載された記事を集めて編集されているが・・・村上さんの翻訳家時代の活発な姿が見られます。<図書館予約:(2/12予約、2/19受取)>rakutenスメルジャコフ対織田信長家臣団「今月の読書」3篇で村上さんの読書傾向を、見てみましょう。p30~32<思わず笑ってしまう高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』> 高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』(小学館)を読みました。高橋さんは僕が『アンダーグラウンド』を書いたときにリサーチャーとして働いてくれた人で、とても有能なノンフィクションのライターです。知り合いだから推薦するわけじゃないけど、これはほんとにおかしい本です。どうして日本人はこんなにもラジオ体操が好きなのかというのを、正面から調査し考察した労作で、読んでいて思わず笑ってしまいます。 僕は知らなかったのだけれど、広島に原爆が落とされたとき、広島にいた兵隊のほとんどはちょうどラジオ体操をしていたのですね。空にB29爆撃機が見えたいえれど、「体操の途中だったので、そのまま続けました」っていうことだけど、すごいですねえ。ラジオ体操って、空襲があっても、途中でなかなかやめられないんですね。<49歳の永井荷風の日記を集中的に読んでみる>『断腸亭日乗』(岩波文庫)は37歳から79歳までの永井荷風の日記ですが、荷風が僕の年のころ何をしていたのかなと興味があったので、49歳のところを集中的に読んでみました。昭和2年のことです。 なんかほとんど毎日銀座で酒を飲んで、女給と遊んでいるんですね。いいなあ。でもときどきいろんなことにひどく腹を立てていて、おかしいです。そのままでは漢字がとても変換できそうもないので、あらすじを現代語訳しますと、「1月6日。銀座に出ようと思って夕方箪笥町の崖下の道を歩いていたら、一群の児童が私の通り過ぎるのを見て、背後から私の名前を連呼した。なんだろうと思って振り返ると、みんなで一斉に拍手哄笑して逃げ去った。まるで狂人か乞食を相手にするような振る舞いである。 しかし近隣の児童がどうして私の名前や顔を知っておるのか。これというのも私がものなんか書いているからである。虚名の災いもここまでくれば、まったく忍びがたい。雑誌や新聞の毒筆なんかは、こっちが見ないでおればそれですむことだが、子供の面罵までは避けようもない。嘆かわしいことである。それにしてもいまどきのガキたちの凶悪暴慢さは憎んでもあまりある」 気持ちはまあよくわかるんだけど、子供相手に「凶悪暴慢」ってのはちょっとないんじゃないかなと思います。いくらなんでも大人げないじゃないですか。でも荷風ってなんかすごく変なおっさんだということが、これを読んでいるとよくわかりますね。<ポール・セロー『地中海旅行記』も怒りっぽい> 腹を立てるといえば、ポール・セロー『地中海旅行記』(NTT出版)も、なんかしょっちゅう腹を立てている本で、この人は年をとるにつれて確実に怒りっぽくなっていますね。『鉄道大バザール』のころもたしかに皮肉っぽくて、ことあるたびに腹は立てていたんだけれど、そこにはそれ以上に新鮮な好奇心があり、ユーモアがあった。 でも最近の彼の本は絶望感みたいなものがだんだん色濃くなっているように思います。この前読んだ『オセアニアの幸福な島々』(これは未訳)は、最初から最後まで日本人に対する悪口で埋まっていた。とても面白いエピソードに満ちた本だし、ぜんぜん手抜きしてないし、言っていることはたしかにごもっともなんだけど、読んでいてだんだん疲れてきます。それに比べたら、荷風の腹の立て方は、それこそご本人が子供みたいであっけらかんとしていて、なかなか可愛いですよね。 人間って年をとると、だんだん怒りっぽくなるんだろうか。僕もなるべくいろんなことに腹を立てないで、少なくとも文章を書くレベルでは、のんびりとマイペースで生きる「O2Sじじい」になりたいです。O2S・・・なんじゃそれ? 調べてみたら、オープン2シーターでした。村上さんはけっこう車好きのようです。
2019.02.22
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉著者の書評を2006年の日記から、見てみましょう。<読書つれづれ日記2006~2007>■2006年9月2日p71~74 翻訳者というのはよく「巫女さん」に喩えられる。神の声をつたえる者、すなわち作者の代理だという発想で、わたしも以前は作者になりきろうとジタバタした。でも、じつは訳者は作者の代理ではなく、読者の代表、いや、読者のひとり。小説家の胸のうちは謎のままだ。 ところが、小説家のエッセイ集というのは、時にその胸のうちを垣間見た気にさせてくれるから、にくい。そうした本のなかでも、『博士の愛した数式』の作者・小川洋子のエッセイ集『犬のしっぽを撫でながら』は、格別にスリリングだ。「無いものを存在させる」虚数や0を発見した数学者というのは、「言葉にできないことを言葉にしようとする」小説家と近い存在なのでは? と感じたのが、あの小説の種子となったとか、「友愛数」という言葉から、博士と家政婦さんの出会いの場面がそれこそ天啓のようにパーッと浮かんでくる、といったくだりに、著者の感性と知性がきらめいいている。 自身の文学の原点だというアンネ・フランクをめぐるエッセイの静かな迫力や、犬と野球への熱愛ぶりもいいが、「フーヴォー村と泉泥棒」という短いエッセイにわたしは胸をつかれ、泣いた。 わけのわからない涙がこんこんと湧いてきた。人の心にインスピレーションが宿る瞬間をこんなに美しく綴ったものがあるだろうか。強いてあげれば、ヴァージニア・ウルフの随筆の最高作『自分ひとりの部屋』ぐらいだ。 ところで最近、おしゃれな「モダン温泉」がすごい勢いでふえているらしい。「お二人さま」でしか泊まれない室内風呂付きデート旅館も大賑わいだそうだ。吉田修一の短篇集『初恋温泉』は、どれもカップルが温泉に行く話だが、登場するのは格式ある老舗か渋い宿ばかりで、イマドキの温泉は出てこない。 家族連れやひとり客も交じっている宿へ、夫婦や恋人やわけありのふたりが、それぞれ思惑をもってやって来る。貸切風呂に恋人をつれこもうと必死になる高校生もいれば、故あってひとりで来て、単身の女と親しくなる既婚の男もいる。(中略)■2006年11月25日p86~87 ドゥマゴ文学賞は、毎年ひとりの選考委員が受賞作を決めるユニークな賞だ。対象作品は、「日本語の文学作品」となっている。今年は山田詠美氏の選考で平松洋子の『買えない味』が受賞したが、こういう例は珍しいのではないだろうか。本書は、アジアのごはん事情に詳しい著者による、食とその周辺のエッセイ。 ドゥマゴ賞にかかわらず、いわゆるフード関係のエッセイが文学賞をとることじたいが画期的ではないか。わたしは、懐かしい味を手放しで恋しがり、ちょっと古風なことばを並べるだけで情緒が出ると思っているような食のエッセイが嫌いだ。その点、平松洋子の『買えない味』には、小股の切れあがった文章のなかに、毎回、小宇宙がでんぐり返るような瞬間があって、どきどきした。箸置きは「自分の戻る場所」になり、檸檬は梶井基次郎的な比喩ではなく本当に「爆弾」になる。 東洋の輪廻思想を愛する西洋人は、四季が移ろうのではなく「めぐる」ことに惹かれる。季節のめぐりを鮮やかにとらえ、すぐれた「四季文学」たる本書のなかでも、「扉に閂を落とすように、夏はぱたりと終わる」の一文で始まり、桃をつやっぽく描く「指」は、その白眉と言えそうだ。ウン この日記の取り上げたページに大使の好みが表れるのだが・・・吉田修一『初恋温泉』を別にして、著者、作品、受賞作、選考委員の全てが女性となっていました。『本の森 翻訳の泉』2:『エクソフォニー』で読む『文字移植』『本の森 翻訳の泉』1:対談 日本語は滅びるのか
2019.02.22
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉言語学的SFという分野が大使のツボでもあるのだが・・・多和田葉子が『エクソフォニー』でそんなSFを書いているので、見てみましょう。p29~32<『エクソフォニー』で読む『文字移植』> この原稿を書き進めていた最中、多和田氏もよく知るオランダの作家、セース・ノーテボームが来日し、わたしは彼の訳者として久しぶりに再会した。奇遇だったな、と思う。 ノーテボームは多和田葉子の愛読者で、彼の旅行記Strange Waterなどは、多和田の作品のことばからタイトルをとっているのだ。文化圏が似ているだけでなく、このふたりの作家には色々と相通じるものがある気がする。実際、その夜、彼らがあるプロジェクトに共に参加したときの話を、ノーテボームから聞いた。それには、二十人ほどの作家・詩人が参加し、それぞれがひとつの景観のなかから好きな場所を選んでそれを詩に詠むという、なかなか大胆なコラボレーションだったそうだ。 それを聞いたわたしの頭のなかで、多和田葉子のことばがまた勢いよく動きだした。 彼女のことばは、じっとしていない。捉えようとすればその手をするりとかわし、境界をしなやかに越え、かと思うと、何かと何かの狭間に姿を消す。 日本で出版された彼女のエッセイ集『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』に、翻訳について書いたこんなくだりがある。しかし、小さな言語で書かれた文学はほとんどの人には読めないわけだから、多くの人の読める言語に訳されることになる。すると、滅びかけた語彙、思考のリズム、語り口、映像、神話などが、翻訳という形で大きな言語の中に「亡命」し、そこに、ずれ、ゆがみ、戸惑い、揺れ、などを引き起こすことになる。これほど文学にとって刺激的なことはない。だから翻訳文学は、大きな言語を変身させる役割も果たす。 まさに、目から鱗が落ちるとは、このことだった。とくに「大きな言語の中に「亡命」し」という箇所では、椅子からころげ落ちそうになってしまった。 翻訳というのは、外国語を自分のことばのなかに引きずりこもうとする、むしろ内向きの作業だと、常々わたしは感じていた。きっと自分が英→和の翻訳者だからだろう。 英語という巨大な言語を日本語という「小さな」言語に移す仕事をしているから、こういう逆の発想になってしまったのだ。英和翻訳は、言語人口から言えば、伝達の可能性を十分の一にする、ある意味「縮小化」なわけで、英語のままにしておけば十億人が読めるものを・・・と、いつもなんとなく申し訳ない気持ちをどこかに抱いている。 エクソフォニーとは、母語の外へ出た状態を表す語だそうだ。日本からドイツに移住し、日本語とドイツ語で創作をつづけている多和田葉子は、ある意味、二つの文化、二つの言語をつなぐダイナミックな翻訳者である。 この翻訳者はダイナミックであると同時に、きわめて用心深い。一般に、翻訳をやるには、多数の言語に習熟しているほうがよいとされるが、彼女は日本語の外に出たからといって、「たくさんの言語を学習すること自体にはそれほど興味がない」と言う。『エクソフォニー』からこのくだりも引用しておこう。言葉そのものよりも二ヶ国語の間の狭間そのものが大切であるような気がする。わたしはA語でもB語でも書く作家になりたいのではなく、むしろA語とB語の間に、詩的な峡谷を見つけて落ちて行きたいのかもしれない。そんな「詩的な峡谷」を知る人こそが、理想の翻訳者ではないかとわたしは思う。 ところが、これ以上はないというほど最悪な翻訳家が登場するのが、『文字移植』である。文庫化のときに改題したようで、わたしの手元にある旧版のタイトルは『アルファベットの傷口』という。 この翻訳家である「わたし」は、まず相当に翻訳が「下手くそ」らしい。少なくとも、学者ウケがとてつもなくわるい。「こんな露骨な翻訳調ではとても文学を読んでいる気になれない」とか、「作品はいいのに、原文の文体を味わわせてくれないのが残念」などと、酷いことばかり書かれている。 しかも、「わたし」は丸1冊訳し通せたことがなく、いつも途中で、同業者の「エイさん」に代訳を頼んでしまうのだ。なんとも理解しがたい「悪訳者」ぶりだが、何か読み解く手がかりはないだろうか。翻訳者だって半身は母語の外に出る「半エクソフォン」であるから、このさい『エクソフォニー』をときどき注釈書にして『文字移植』を読んでみよう。「わたし」はいま、今度こそ1冊訳し終わらせようと、カナリア諸島の別荘にこもって仕事をしている。知人に借りたこの別荘は、バナナ園に隣接し、海を遠くに望む。今日中に訳し終わらないと、「ゲオルク」が来てしまい、そうなると仕事どころではなくなるし、第一締切に間に合わない。今回のはたったの2ページしかないのに、「わたし」はまだ何をどう訳せばいいのか見当もつかない、と言う。彼女の原稿は、たとえばこうだ。 そして、ほとんど、いつも、彼等は、である、ひとりぼっち、友人、助けてくれる人、親戚、はいない、近くに・・・ 日本語としてすんなり読める訳文でないことは確かだろう。どうやら、原文(Anne Duden Derwunde Punkt in Alphabets)の単語を頭からひとつひとつ日本語の単語に置き換えているだけのようだ。ときおり、いつのまにか現れては消える小説のといっしょに、水のない河の底を歩いたりする。『本の森 翻訳の泉』1
2019.02.21
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図書館で『本の森 翻訳の泉』という本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。【本の森 翻訳の泉】鴻巣友季子著、作品社、2013年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、多和田葉子、村上春樹、朝吹真理子ー錯綜たる日本文学の森に分け入り、ブロンテ、デュ・モーリア、ポー、ウルフー翻訳という豊潤な泉から言葉を汲み出し、日本語の変容、文学の可能性へと鋭く迫る、最新評論集!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、取り上げている作家が多和田葉子、村上春樹、水村美苗、池澤夏樹と好きな作家が多いのが借りる決め手となりました。rakuten本の森 翻訳の泉『日本語が滅びるとき』というセンセーショナルなタイトルの本を著した水村美苗さんとの対談を見てみましょう。p295~298<対談 日本語は滅びるのか>『日本語が滅びるとき』という刺激的なタイトルの評論を発表した水村美苗氏は、全世界的に権威を振るう世紀に入ったからこそ、日本語をとりまく状況に危機感を募らせる。 なぜ、英語はこれほどまでに流通したのか。日本語の特異性とは? 自国の言語を護るために今、必要なこととは?鴻巣:『日本語が滅びるとき 英語の世紀の中で』を読みまして、翻訳家の身としてさまざまなことを考えさせられました。まず、タイトルが非常に刺激的です。日本語が「堕落」しているとか、閉塞状況にあるというようなことは感じていても、「滅びる」というところまで意識が及んでいる人は学者にしろ作者にしろさほどいないと思います。水村:確かに作家はほとんど考えていないでしょうね。ただ学者のなかには、分野によって、そういう危機感をもった方がかなりいると思います。「滅びる」といっても、人々が真剣に読み書きしなくなるという意味ですが。鴻巣:なるほど書き言葉としての危機ですね。本書の冒頭で、米国のアイオワで参加なさった国際創作プログラムのことを書かれています。「人はなんと色んなところで書いているのだろう・・・」と。 で書いている人々が世界各国にいて、それを水村さんは「各国語の何物にも代えがたい物質性と特異性」というふうに表現しています。また、非英語作家が大勢集まっているさまを「ユーラシア大陸の歴史を乗せて」走るバスのようであったとおっしゃっていますね。水村:あのプログラムに参加して感じたのですが、あのとき集まった集団ほど英語ができない人たちは、アメリカの大学では見たことがありません(笑)。学問の世界で起こっていることと、創作の現場との間には大きな差があるのを、ひしひしと感じました。そして、それが文学にどういう意味をもつかと考え始めたんです。 数式が主な数学や自然科学では、重要な論文は英語で読み書きするのが当然とされていますが、それ以外の分野でも、学問の言葉としては、英語が圧倒的にのしてきています。極端な場合には、文学においても、非英語圏の作品というのはオブジェクトレベルにあり、メタレベルの、その文学に関する言説は英語に移りつつあったりします。■今世紀末までに8割以上の言語が消える?鴻巣:本書では、言葉には序列があるということで、言語の歴史を繙きながら三つのレベルに分けています。まずがあって、次に国民国家誕生と相前後して生まれるがある。そして、その下に、という、国民国家以前の大昔から話されていた、を特にもたない言語がある、と。これらの定義は本書のキーワードにもなっていますね。水村:そもそもというのは、だったと思うんですね、つまり、を独自に生み出すというのは、人類の歴史のなかで極めて稀にしかおこらない。 とは、それをもつ文明から近隣の地域に伝播し、そして各々の地域の人が読み書きするというものだったと思うんです。ですから、かつてはとしかなくって当然だった。西洋の吟遊詩人などはであるで唄っていたわけだし、中世の芝居などもそう。一方、学問や宗教といった、思考する言語としてはが使われていた。鴻巣:=ということですね。それは古くはギリシャ語から、ラテン語やアラビア語であった時代もあるし、サンスクリット語、パーリ語、漢語などの言語もそうですね。そしてを現地の言葉に翻訳する過程でができた。 つまりの成立にはによる翻訳という行為が欠かせなかったという言語の成立事情を、紙幅を割いて強調されていますね。水村:その通りです。鴻巣:たとえば明治期、二葉亭四迷の『浮雲』をはじめとする言文一致という文体は、翻訳を通して作られたと考えられていますが、水村さんはもう一歩も二歩も踏み込んで、その近代日本語はそのものであるという書き方をされています。さらに言えばのは多くの場合、なのだと。わたしはそこまで考える勇気はなかったような気がするんですね。 そこまで考え詰めると、文字を書いている人間にとってはひたひたと危機感が迫るような部分もありますし、今まで一文化のアイデンティティだと思っていたものが根底から揺らいできます。 じつは翻訳学の世界では1980年代から、柳父章氏が「翻訳語としての日本語」の観点から鋭い論考を数々発表してきたのですが、一般読者にまで注目されることはありませんでした。翻訳者でさえ(であるがゆえ)その問題は怖くて直視できずにいました。『日本語が滅びるとき』でようやく目を向けた人は多いと思います。水村:翻訳という行為は、その重要性が、歴史のなかで無視され過ぎていたと思うんです。ことに「書く主体」が特権化された近代において。 ウン 水村さんの『日本語が滅びるとき』を通して翻訳の重要性を語る鴻巣さんの鋭い指摘(翻訳学について)が、ええでぇ。この本も通訳、翻訳についてに収めておくものとします。
2019.02.21
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今ではテレビで『カンブリア宮殿』というインタビュー番組を持っている村上龍であるが、小説家のなかでは経済的なセンスはぴか一なんでしょうね。コンビニで『村上龍の質問術』という文庫本を買ったのだが・・・とにかく、対談した経済的成功者の顔ぶれがすごいので、思わず衝動買いした次第です。(消費税値上がり初日に衝動買いするアホな大使でおま♪)・・・ということで、村上龍の対談を集めてみました。・村上龍の質問術(2013年刊)・村上龍(群像日本の作家)(1998年刊)R1:『村上龍(群像日本の作家)』を追加し、全体見直し*****************************************************************************【村上龍の質問術】村上龍著、日本経済新聞出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より人気番組「カンブリア宮殿」のインタビュアーとして、300人以上の経営者と対話し、その人間的魅力と成功の秘訣を聞き出してきた村上龍。対談相手や企業の歴史を「文脈」として把握し、本質的な疑問、質問を発見する作家ならではの手法とは?著者初の文庫書き下ろし。 <読む前の大使寸評>『カンブリア宮殿』という番組の構成、台本なんかは、製作スタッフと村上や小池栄子との共同作業で成り立っているとは思うのだが、メインキャスターたる村上の鋭い洞察力が反映されていると思うわけです。amazon村上龍の質問術この本から、ユニクロの柳井社長との対談を、紹介します。昨今はブラック企業と叩かれているが、わりと欧米的なマインドで勝ち進む柳井社長の秘訣が知りたいわけです。<核となる質問>よりp229~231村上:柳井さんの本のタイトルは『一勝九敗』(新潮社)ですが、相撲でいえば完璧な負け越し、野球だったら二軍落ちです。柳井:そうですね。村上:経営者の場合はどうなのでしょう。柳井:反対に皆さんに連戦連勝だと思われているんですよ。でもどんなに優秀な経営者でも、連戦連勝なんてことはあり得ないでしょう、新しいことをやっていたら、失敗して当然です。1勝9敗でもいいくらいでしょう。実は連戦連勝というのは、自分たちが新しいことをやっていないということであり、失敗した原因を分析していないということなんです。商売をやっていたら、いかに冷静に失敗した原因を追究していくか、それが次の成功につながると思うのです。ですから優秀な経営者は連戦連敗だと僕は思っているのです。小池:失敗ということでいうと、昔はスポクロ、ファミクロというのがあったんですね。柳井:スポクロというのはスポーツウェアとシューズに特化したユニクロみたいなもの、ファミクロというのはファミリーウェア、お父さん、お母さんの服と子供服に特化した店です。小池:ユニクロとは別に?柳井:ええ。売れなかったですね。ユニクロと区分けしたので、同じ地域に3店あると、三つ行かないといけない。そんな面倒なことしないですよね、普通。村上:その前に広島にユニクロの1号店を出されるんじゃないですか。これは失敗できなかったんじゃないですか。柳井:ええ、できないです。村上:もちろん失敗していい事業というのはないのかもしれませんが、1号店とスポクロ、ファミクロではリスクが違うんじゃないかと思うんです。柳井:それは全然違いますよ。村上:スポクロ、ファミクロのときはもうすでにユニクロがあった。その中で、どのくらいの分量で勝負していくわけですか。柳井:3分の1くらいでしょうね。ですから僕は、失敗しても会社が潰れなかったらいいと思うんです。そして失敗するんだったら早く失敗しないといけない。ビジネスというのは理論通り、計画通りには絶対いかないんです。だったら早く失敗して、早く考えて、早く修正する。僕はそれが成功の秘訣だと思います。*****************************************************************************<村上龍(群像日本の作家)3>図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)中上健次との対談「存在の耐えがたきサルサ」を、見てみましょう。<ジャズと快楽幻想>p211~213村上:ビートというと、ジャズとかロックというけど、モーツァルトにもありますからね、フッとした瞬間とか。もちろんバッハにもある。だから極端に言うと、メロディーも、リズムのあり方もビートから追っていく、そういうのが昔からあったんですよ。中上:だから、音楽をメロディーラインで追うんじゃなくて、リズムで追っていくという感じだな。村上:そうです。坂本からいつもバカにされるんだけども、メロディーは甘ったるいのが好きなんですよ、ほんとにもう感傷的なやつがね。中上:坂本龍一に関しては、もうちょっと後で言いたいね。 俺はクラシックとジャズという、しかもクラシックの一番古いものとジャズがぶつかった、そしてもう一つの俺の背景として、紀州の土俗的な世界とぶつかったというところがあるんだけどね。 日本の作家の場合、龍でリズムというのがはっきり出てきたんじゃないのかな。リズムということをすごく気にしているよね。気にしているというか、それが音楽の第一主義みたいなさ。ロックっていうのはまさにそうだよね。村上:ええ。中上:ロックのメロディーラインなんてバカみたいだよ。ロックのリズムは若くなくちゃできないようなあれだろ。村上:絶対そうですね。中上:絶対そうだよな。年取ったらあんなのは・・・。村上:心臓が丈夫でなきゃね。中上:そうだよな。ジャズは違うけど、ロックなんてさ。それをもって表現したというのは、君が初めてだからさ。村上:そうですかね。中上:うん。それはやっぱり地殻変動を起したよね。それは俺にもないところだったよ。俺はものすごく面白いと思った。村上:それはあれとは違うのかな。中上さんから最初に言われた、「」とか、「」って。あれとは違うんですか。中上:あれとは違う。村上:俺、いまでも気になるんだよね。リアリズム好きだから。映画でも小説でもリアリズムが好きなんですよ。中上:それと違うよ。俺、対談を読み直したら、「これラリって書いたの?」と訊いたら、「中上さん、ヌーヴェル・ヴァーグの画面あるでしょ。こっち側があって、向こうがあって、全く等価に見えるみたいのがあるじゃないですか」って、君はちゃんと切り返しているよ。村上:ちゃんと言ってますか。中上:言ってるよ。あれは25歳ぐらいか。村上:まだ24歳かもしれないですよ。中上:それが悪いなんて言ってないぜ。君の小説はこうだって一応措定する、君はこういう書き方している、村上龍という新しい作家はこういう書き方している、つまり俺にはこう見えるということを言う。それはいいか悪いかとは別なんだよ。俺はそういうことで言ったんだけどさ。ちゃんと答えている。村上:言われたから言うわけじゃないけど、ああいうところはあんまり自分でも好きじゃないんです。たとえばあるところを描写するときに、きれいな映画のパンというのはきちんとビーンといくんですね。ダメなやつというのは、変に凝って、ホッと止めて、スッとズームしたりするの。小説の描写でも、そういうのってあんまり好きじゃないの。中上:ゴダールなんていうのはきれいに撮れるのをもう十分知ってて、つまりアップしたままパンをして、全部平面的に並べて撮るとか、そういうことをやったわけじゃない。村上:ゴダールは知ってたんですか。中上:知ってるよ。そう考えなきゃ面白くないもの。村上:そうですね。中上:そうだよ。村上:でも案外映画ってハードに拠るところが多いというか、状況に左右されるから、たとえばジム・ジャームッシュなんかでも、フィックスが多いったって、フィックスしかできないです、全部ロケ撮影だから。そういう中で、ゴダールにとって、あれしかなかったんじゃないかな。中上:そうだとしても、新鮮だった。それは言ってみれば機械の力だよ。ハードガソフトに影響を与え、どうしても新手法を発見させてしまうみたいな、そういうあれだからさ。村上:あ、そうか。中上:それはひとつもマイナスじゃない。(後略)
2019.02.15
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図書館に予約していた『天子蒙塵(1)』という本を、待つこと10日ほどでゲットしたのです。浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)張学良『天子蒙塵』では張学良の出番が増えてくるのだが・・・この本を読み進めると、春児や溥儀が描かれた『蒼穹の昴』、『中原の虹』、『マンチュリアン・リポート』などと繋がった長篇小説だとわかるわけです。これらの全貌を概観するために、2016年の浅田治郎独占インタビューを再読してみましょう。2016年『天子蒙塵』浅田治郎独占インタビューより小林:『蒼穹の昴』は清朝(1644~1912年)末期の物語。第9代皇帝妃・西太后が権力を握る宮廷が舞台でした。続く『珍妃の井戸』は1900年に起こった義和団の乱を扱い、『中原の虹』では清朝滅亡前後を背景にして馬賊・張作霖その周辺を描き、『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件が軸になっています。そして、待望の新作『天子蒙塵』に続くわけですね。浅田:今回は溥儀と張学良という2人の若き王に焦点を当てています。この2人を通して、あの時代を描いてみよう、と。小林:どのような気持ちで新作に臨まれたのでしょうか。浅田:このシリーズは数十年にわたる私のライフワークであり、生活そのもの。新しいものを書き始めるからといって、特別な気構えはないんです。ただ粛々と書いていると言ったらいいでしょうか。小林:またここへ戻ってきたという感じですか。浅田:このシリーズを書いているときこそが私には日常で、心はむしろ休まっています。小林:溥儀と張学良については、どのような人物とお考えですか?浅田:いずれの人生も、アラビアンナイトの物語に加えても遜色のないような数奇な運命に彩られています。溥儀は3回即位して3回退位した歴史上ただ一人の王です。一方、父親の死を受け、27歳で満洲における全権力を継いだ張学良も、時代に翻弄された王ですね。そんなドラマティックな人生を描いています。小林:「天子蒙塵」という言葉を初めて聞く人も多いと思いますが、どのような理由でタイトルにされたのでしょう。浅田:紀元前、春秋時代の最古の史料『春秋左氏伝』に出てくる言葉です。「天子塵を于外(うがい)に蒙る」。天子、つまり王がほこりまみれになって逃げるという、大変な異常事態を表しています。実は『蒼穹の昴』を書いたときに、すでにこの蒙塵のイメージが頭の片隅にあったのですが、今回、溥儀は紫禁城を追われ、張学良も自分の領地を追い出されて、まさに蒙塵するんです。小林:冒頭のシーンも蒙塵と呼べるものですね。イタリア船のコンテ・ロッソ号で、アラビア海を行く張学良の姿が描かれています。浅田:居場所を奪われた張学良は、船でイタリアへ向かうわけですが、あのシーンは取材旅行で訪れたヴェネツィアでひらめきました。「海洋博物館」に行った際に目にとまったのが、豪華客船コンテ・ヴェルデ号の模型です。コンテ・ロッソ号ではなかったけれど、同型艦の精密な模型があった。小林:取材旅行のときは、船が実際に着岸した場所にも行きましたが、冒頭のシーンの源泉になったのは模型のほうだったんですね(笑)。 浅田:船着き場では、イメージできなかった。でも旅の最後に寄った「海洋博物館」で模型を見た瞬間に、私は小さな張学良になってコンテ・ロッソ号のデッキに転げ込んだんです。一瞬で物語のすべてが出来た気がしました。やっぱり小説の神様は降りてきてくれたんだな、と……。しかし、娯楽小説とはいえ、想像だけでは書けません。大切なのは、それまでにどれだけ資料を読み、かつ分析しているかです。イメージが降りてきたとき、それを正確にストーリーと結びつけるには、それだけの用意がないといけないんです。小林:浅田さんはこのシリーズを書き始めた頃から、張学良を非常に強く意識されていたんですよね。浅田:当時はまだご存命中でしたしね。小林:彼は1901年生まれで、2001年に亡くなっています。浅田:晩年はハワイに住んでいらしたんです。あの頃、私は年に一度くらいハワイへ行っていたから、散歩に出てくるんじゃないかと、彼が住んでいたあたりをウロウロしたりした(笑)。結局会えなかったけれど。小林:溥儀に関してはいかがですか。浅田:やはり非常に思い入れがあります。溥儀の自伝『わが半生』は、映画『ラストエンペラー』が作られるずっと前、20歳の頃に私は読んで、世の中にこんなに面白い読み物があるのかと思ったんです。本がボロボロになるくらいに読みました。小林:今回は溥儀について、側妃の文繍(ウンシュウ)が語るという設定になっています。彼女は歴史上初めて、そして唯一中華皇帝と離婚をした皇妃で、その視点で溥儀を描くというのも新鮮ですね。浅田:この離婚劇を書きたかったんです。にっちもさっちも行かなくなった溥儀から逃れ、自由を求める文繍。では家族とは何なのか、自由とは何だろうと私も深く考えました。そして読者の皆さんには、運命に逆らおうとする人間たちの姿からも、何かを感じ取っていただきたい。小林:『天子蒙塵』は10月発売の第一巻に続いて、12月には第二巻が刊行されます。どのような展開になるのでしょうか。浅田:まだまだ続きます、ということだけは言っておきましょう(笑)。『蒼穹の昴』以降、私もこのシリーズとともにいくらか成長しておりますので、より良いものになっていくだろう、と。はっきり申し上げたいのは、『蒼穹の昴』で立ちどまってしまった読者は不幸だということです。あれは壮大な物語の玄関に過ぎないのですからね(笑)。ウーム 文繍さんは女真族の末裔であり、浅田さんの思い入れも深いようです。それから・・・浅田さんの漢族嫌いのスタンスが感じられるのが、ええでぇ♪『天子蒙塵(1)』1この本も満州あれこれR6に収めておくものとします。
2019.02.13
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)中上健次との対談「存在の耐えがたきサルサ」を、見てみましょう。<ジャズと快楽幻想>p211~213村上:ビートというと、ジャズとかロックというけど、モーツァルトにもありますからね、フッとした瞬間とか。もちろんバッハにもある。だから極端に言うと、メロディーも、リズムのあり方もビートから追っていく、そういうのが昔からあったんですよ。中上:だから、音楽をメロディーラインで追うんじゃなくて、リズムで追っていくという感じだな。村上:そうです。坂本からいつもバカにされるんだけども、メロディーは甘ったるいのが好きなんですよ、ほんとにもう感傷的なやつがね。中上:坂本龍一に関しては、もうちょっと後で言いたいね。 俺はクラシックとジャズという、しかもクラシックの一番古いものとジャズがぶつかった、そしてもう一つの俺の背景として、紀州の土俗的な世界とぶつかったというところがあるんだけどね。 日本の作家の場合、龍でリズムというのがはっきり出てきたんじゃないのかな。リズムということをすごく気にしているよね。気にしているというか、それが音楽の第一主義みたいなさ。ロックっていうのはまさにそうだよね。村上:ええ。中上:ロックのメロディーラインなんてバカみたいだよ。ロックのリズムは若くなくちゃできないようなあれだろ。村上:絶対そうですね。中上:絶対そうだよな。年取ったらあんなのは・・・。村上:心臓が丈夫でなきゃね。中上:そうだよな。ジャズは違うけど、ロックなんてさ。それをもって表現したというのは、君が初めてだからさ。村上:そうですかね。中上:うん。それはやっぱり地殻変動を起したよね。それは俺にもないところだったよ。俺はものすごく面白いと思った。村上:それはあれとは違うのかな。中上さんから最初に言われた、「」とか、「」って。あれとは違うんですか。中上:あれとは違う。村上:俺、いまでも気になるんだよね。リアリズム好きだから。映画でも小説でもリアリズムが好きなんですよ。中上:それと違うよ。俺、対談を読み直したら、「これラリって書いたの?」と訊いたら、「中上さん、ヌーヴェル・ヴァーグの画面あるでしょ。こっち側があって、向こうがあって、全く等価に見えるみたいのがあるじゃないですか」って、君はちゃんと切り返しているよ。村上:ちゃんと言ってますか。中上:言ってるよ。あれは25歳ぐらいか。村上:まだ24歳かもしれないですよ。中上:それが悪いなんて言ってないぜ。君の小説はこうだって一応措定する、君はこういう書き方している、村上龍という新しい作家はこういう書き方している、つまり俺にはこう見えるということを言う。それはいいか悪いかとは別なんだよ。俺はそういうことで言ったんだけどさ。ちゃんと答えている。村上:言われたから言うわけじゃないけど、ああいうところはあんまり自分でも好きじゃないんです。たとえばあるところを描写するときに、きれいな映画のパンというのはきちんとビーンといくんですね。ダメなやつというのは、変に凝って、ホッと止めて、スッとズームしたりするの。小説の描写でも、そういうのってあんまり好きじゃないの。中上:ゴダールなんていうのはきれいに撮れるのをもう十分知ってて、つまりアップしたままパンをして、全部平面的に並べて撮るとか、そういうことをやったわけじゃない。村上:ゴダールは知ってたんですか。中上:知ってるよ。そう考えなきゃ面白くないもの。村上:そうですね。中上:そうだよ。村上:でも案外映画ってハードに拠るところが多いというか、状況に左右されるから、たとえばジム・ジャームッシュなんかでも、フィックスが多いったって、フィックスしかできないです、全部ロケ撮影だから。そういう中で、ゴダールにとって、あれしかなかったんじゃないかな。中上:そうだとしても、新鮮だった。それは言ってみれば機械の力だよ。ハードガソフトに影響を与え、どうしても新手法を発見させてしまうみたいな、そういうあれだからさ。村上:あ、そうか。中上:それはひとつもマイナスじゃない。(中略)村上:でも、中上さんはいろいろものを知っているからさ。俺は知らないもの、何にも。今日聞こうと思ってたんだよね。中上:そんなことないよ。君は知らんふりをして、俺は知っているふりをしてるっていう・・・。村上:いや、俺、本当に知らないですよ。(笑)でも、中上さんも自分の興味のあること以外は知らないですものね。中上:今度の『新潮』12月号の島田雅彦と柄谷行人の対談、つまんないだろ。大体、柄谷行人のような攻撃型の人間は下のやつに攻撃されると思っていて、あまりみっともない、ジタバタしないでおこうと思ってるから、攻撃が下手だったら、つまんない対談になる。村上:でも、島田は柄谷さんの攻撃はできない。村上龍(群像日本の作家)1:島田雅彦の村上評村上龍(群像日本の作家)2:『ラッフルズホテル』解説
2019.02.13
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図書館で『村上龍(群像日本の作家)』というムック本を、手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【村上龍(群像日本の作家)】ムック、小学館、1998年刊<出版社>よりドラッグ・セックス・ロック世代の青春を描き颯爽と登場した村上龍。いまデッドロックにのりあげた世紀末日本を根源から問い直す、もっとも先鋭的な作家のすべてを、同時代の作家・批評家が検証した初めてのアンソロジー。<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon村上龍(群像日本の作家)ラッフルズ・ホテルシンガポールの『ラッフルズホテル』を題材にした村上を、見てみましょう。<『ラッフルズホテル』解説:村松友視>p196~199 村上龍がデビューしたのは、私がまだ中央公論社につとめていて、文芸雑誌「海」の編集部に在籍していた頃だった。そのデビューぶりは最近では例のないケースだが、「限りなく透明に近いブルー」の群像新人賞の受賞自体がすでにしてひとつの事件だった。「海」という雑誌はけっこう突っぱっていて、芥川賞を狙うような古くさい編集方針じゃないなんぞと、私は同僚の安原顕あたりとうなづき合ったりしたものだったが、村上龍の出現には二人ともけっこう取り乱してしまった。 純文学雑誌の新人賞などはしょせん狭いゾーンの中の物語にすぎず、とっぴょうしもない才能なんかは最初の粗よりの段階で落っこちてしまうと、私はタカをくくっていた。この常識が破られたことが、まずもって大きなショックだった。「ちょっとヤバイな・・・」 安原顕と喫茶店でそんな言葉を交わしたことを覚えているが、その翌々日に安原顕は講談社の「群像」編集部へ電話を入れて、新人賞村上龍の電話番号をたずねている。そして、「群像」でそれを教えてくれなかったと彼はえらく憤慨していたが、「群像」編集部が連絡先を秘密にしていたこと自体が、新人賞受賞が事件だったという、村上龍のデビューぶりを表していたのだった。 私は、当時ある雑誌の1頁コラムのアルバイト原稿を書いていたが、「群像」新人賞受賞の村上龍について、この彗星のごとく出現した才能を、いったい芥川賞選考委員たちはどのように待遇するのかといった文章を書いた。これだけインパクトをもって登場してしまったら、とりあえずは論じなければなるまい。しかし、「限りなく透明に近いブルー」は、一種スキャンダラスな匂いとともに脚光を浴びていたので、あまり率直に認めるのもむずかしかろうという気がしたのだ。 つまり、「限りなく透明に近いブルー」が芥川賞選考委員をリトマス試験紙にかけているといった趣きが、外野席から強く感じられたというわけだ。 けっきょく、この作品は芥川賞を受賞してさらに大爆発をした。スキャンダラスな煙幕を張った「限りなく透明に近いブルー」の文学的本質を、さすがに選考委員は見抜いたというのが私の印象だった。しかし、作品がまとうスキャンダラスな衣もまた、芥川賞受賞によってさらに大きく羽を広げたのであり、これに対する反発も強かった。(中略) 一作で終わる大型新人と位置づけた人々を置き去りにして、この何年か村上龍は機嫌よく疾走している。そして衣にかじりついている観客もまた上機嫌なのであって、彼らが上機嫌でいるうちにまた別の衣を・・・こうやって、村上龍は先へ先へと行くのである。 そのように、村上龍はうしろをふり返ることをしないアグレッシブな作家であり、ノスタルジアの領域を好まないタイプなのだ。その村上龍がきわめてノスタルジックな匂いの濃いシンガポールのラッフルズホテルを作品のターゲットにした・・・このことに私は意外な感じを受けたものだった。ラッフルズホテルは、かつてサマーセット・モームが常宿としていた、コロニアル・スタイルの極め付のホテルとして有名だ。そんな古風な舞台を設定して、村上龍はいったいどんな世界を創り上げようというのだろうか。 この小説は映画「ラッフルズホテル」のノベライゼーションということになっているが、それを真に受けると良い意味で裏切られる。私もその一人だったのだが、この作品におけるノベライゼーションという表現は複雑だ。 小説「ラッフルズホテル」には、映画「ラッフルズホテル」に取り組んださいの刺激が、別な棘となって突き刺さっている。つまり、映画「ラッフルズホテル」が小説「ラッフルズホテル」の下地となり、映画をつくるときに刺さった刺激の棘が小説の中で別な光彩を放っているのだ。しかし、小説家はすべての物事を“”するのだから、もしかしたらこれは当然のことであるのかもしれない。だが、このお色直しは小説家なら誰にでもできるといったレベルの世界ではないだろう。 映画のためにつくった脚本、撮影を通じて興味を抱いた女優、シンガポールのラッフルズホテルやマレーシアのフレザーヒルという名のジャングルといったロケ先・・・それらが映画監督村上龍に与えた刺激が、小説をつくる上で存分に作用している。そういう刺激がなくて小説に取りかかったならば、この作品はかなり危険な方向へずれていたかもしれない。(中略) ノベライゼーションというのは村上龍流のノベライゼーションでなければならないのだが、村上龍はこの危ない橋をいとも簡単に、自分流のステップで渡り切ってしまった。あくまで自分の曲想と旋律を厳格に守り、ペースを乱すことなく、しかも即興曲のごとき軽やかさをただよわせて小説を創り上げてしまったのである。(中略) この作品に大きく影を落とすベトナム戦争やニューヨークという視座も村上龍らしい設定だと思う。ラッフルズというあまりにものどかな極東のノスタルジアに、今日的なフレームを与えなければ気がすまないというわけだ。ニューヨーク、金沢、シンガポール、フレザーヒルと切り換わる視座でストーリーが進んだあと、最後のチャプターをシンガポールにおける日本人ガイドのアングルで締めくくっているのも心憎い。村上龍は「ラッフルズホテル」という映画を撮っていたのか・・・観てみたいものである。村上龍(群像日本の作家)1:
2019.02.12
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図書館に予約していた『天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪【創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集】横尾忠則著、SBクリエイティブ、2018年刊<「BOOK」データベース>より絵を描くことと、生命というものが、どこかでひとつながりになっている。その感覚を確かめるために、横尾忠則が3年かけて訪ね歩いた。9人の80歳以上、現役クリエーターとの唯一無二の対話集。<読む前の大使寸評>横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪<図書館予約:(1/31予約、2/05受取)>amazon天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集佐藤愛子さん(対談当時93歳)との対談を、見てみましょう。<元気の秘訣はわがままに暮らすこと。嫌なことはしない>p227~230横尾:今日は、わざわざお出でいただき、ありがとうございます。 それにしても、佐藤さんはずいぶんお若い。年齢を聞いていなければちょっと想像つかないですよ。 昨日、展覧会のオープニングがあったので神戸まで行ってたんですが、同窓生がたくさん集まってくれたんですね。 僕は80歳なので、同窓生も全員80歳なんですが、その中に女性も居たんですが、だけど佐藤さんのほうがずっと若いです。誰と比較してもお若いです。 佐藤さんがそんなにお若くいらっしゃる秘訣って何ですか?佐藤:わがままに暮らしているので(笑)。横尾:(笑)。やっぱり。まあそれが一番でしょうね。佐藤:そう。嫌なことはしないという(笑)。横尾:いいですね(笑)。 今日はちょっとね、今まで読んだ佐藤さんのご本を集めてみたんです。佐藤:わぁ、そんなに読んでくださって。横尾:文庫本は、もっとたくさん読んでいます。昔から佐藤さんが本をお書きになった年齢、50歳、60歳、70愛と、その年代を追いながら、なんとなく読んでいたんです。佐藤:そうですか。 いやねぇ、80代までははね、あんまり年のことなんか感じることなかったんですけど、90歳になると、やっぱりもうガタっときますね。横尾:90歳になってからですか?佐藤:なってからですね。横尾:それは遅いですね(笑)。佐藤:そうですか? 80代はもう普通に60代、70代と同じ意識で暮らしていましたけどね。横尾:へぇ、それはすごいですね。佐藤:90歳はダメですわ。横尾:僕が60歳の還暦を迎えたときに、周囲の人たちが「還暦だから、お祝いしましょう」ってやかましく言うんだけれども、僕には還暦なんて実感が全くなくて、逆に、「失礼なことしないでほしい」って断ったんです。 ところが、70歳になったときに、帯状疱疹と顔面神経麻痺になったの。それが、ちょうど70歳。佐藤:それは痛かったでしょう。あれは痛いと聞きます。横尾:ハイ、痛いです。そのときにね、今まで乖離していた肉体年齢と精神年齢が初めて一つになったんです。 自分では、肉体は別にして、気持ちはだいたい12歳から20歳くらい若いと、ずっと感じていたんですよ。でも、そのとき初めてとうとう一緒になっちゃったんです。佐藤:今から15年ほど前でしたか。結婚式(2005年、神津善之の結婚式)で初めて横尾さんにお目にかかりました。あの時はおいくつですか? 65歳くらい? てっきり独身だと思ってたんですよ。そしたら「ウチの息子が・・・」って横尾さんがお話しになったので、「えー! 息子さんいらっしゃるんですか?」って、心底驚きました。横尾:あのとき、僕の隣にはかみさんが居たんですよ。佐藤:そうなんですよね。だから私、奥様に失礼なことしちゃったと思っていました。横尾:嬉しい話ですね。佐藤:いや、本当に横尾さんは独身の感じでしたね。横尾:そうですか? 生活感の欠如ですね。(中略)<生に対する執着から、死ぬことがずっと怖かった>p234~235横尾:今さらですが、佐藤さんとお呼びしてよろしいですか?佐藤:どうぞどうぞ、もちろん。横尾:本当は佐藤先生ってお呼びしなきゃいけないんでしょうけど。佐藤:いやいや冗談じゃないですよ。横尾:この対談は、僕がインタビュアーみたいな感じで、僕より年上の、ものを創っているいろいろな方にお話をお聞きしているんです。 僕ももう80歳になったので、みなさん80歳以上の方です。81歳も82歳も、僕にとっては未来の年齢なんですよ。僕より未来にいらっしゃる方たちにお会いして、その未来観はいかがなもんでしょうかということをお聞きしたいなと思って。佐藤:そんな未来観なんて、難しいこと考えたこともないですよ。横尾:難しくないですよ、全然。未来観っておおげさだったかな。佐藤:要するに、死んでいくってことですよね、未来ってことは。横尾:そうですね。僕も80歳ですが、最終的なゴールってもう死しかないわけですからね。日に日に「死」に向かっているわけですが、年齢を重ねられて、その分死に近づいていらっしゃるわけですよね。でもそういう方が意外や意外、死に無頓着だっていうのが、そこが面白いんです。佐藤:考えたってしょうがない。なるようになって行く。死なない人っていない。みんな死ぬんだから、仕方ないって感じかしら。 ウン さばさばした感じがいいではないか♪天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集2:山田洋次天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集1:瀬戸内寂聴
2019.02.11
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図書館に予約していた『天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪【創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集】横尾忠則著、SBクリエイティブ、2018年刊<「BOOK」データベース>より絵を描くことと、生命というものが、どこかでひとつながりになっている。その感覚を確かめるために、横尾忠則が3年かけて訪ね歩いた。9人の80歳以上、現役クリエーターとの唯一無二の対話集。<読む前の大使寸評>横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪<図書館予約:(1/31予約、2/05受取)>amazon天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集山田洋次さん(対談当時86歳)との対談を、見てみましょう。<年をとってからのほうが俄然面白くなってくる>p277~281横尾:僕は今、丁度80歳なんですね。そこで80歳以上の方、何人かとお会いして、お話をお聞きしてるんです。テーマは「創作すること」。僕は、創作することで健康にもなれるし、またそれが延命にも繋がるんじゃないかっていうふうに考えているんです。 その根拠は、画家には長生きの方が多いんですよね。ピカソを筆頭に、キリコ、シャガール、ミロ、ダリと、とにかく巨匠と言われる人はみんな80代から90代まで。どうしてこんなに長生きすんのかなって思うくらい。山田:画家は手が震えたって大丈夫だって横尾さん言ってましたね。手が震えたってその通り震えるままに描けばいいって(笑)。横尾:そうそう。キリコっていう人は、90歳でなくなったんですけど、後半の絵が俄然面白くなってくるんです。それが、よく見ると線やタッチが震えているんですよ。だから若いときよりも何とも言えない味が出てきて。そういうことも逆にメリットになるんですよね。だから山田さんもこれから映画をどんどんどんどん撮って、震える映画を(笑)。山田:(笑)。いいですね。横尾:ところで映画の撮影は2ヶ月くらいですよね?山田:うん、そうですよ。横尾:2ヶ月、ほとんど毎日でしょ?山田:まあ、週に1回は休みます。横尾:1日くらいは休むんですね。いつも、撮影に入られる前「この映画を最後まで撮れるかどうか不安なんですよ」とおっしゃるけれども、結局は最後まで撮っちゃいますよね。山田:まあ今まではね。何とかおかげさまで。横尾:撮影していると、体力がよみがえってくるんですか?山田:何でしょうね? あのね、監督が病気で撮影を中止したとか、撮影を休んだって事は、今までにあんまりないんですよね。なぜか。横尾:聞いたことないですね。山田:監督が死んで、映画ができなかったっていうのもあんまりない。横尾:俳優さんはありますか?山田:俳優はありますね。だからクランクインのときには「大丈夫。俺は最後まで生きてるんだ!」と。もうこの年になるといつもそう思うようにしていますよ。不安はもちろんありますけどね。 でも、まあスケジュールも寅さんを撮っていた頃みたいにものすごく無理な残業なんか今はしないし、みんなも僕を労わってくれますからね。だから僕の年でも撮影できる形にはなっているんじゃないのかな。横尾:映画の場合は、そのプロセスが面白いですよね。どんどんできあがっていくプロセスが。それは、俳優さんよりも監督さんのほうが、プロセスを楽しむ感覚というか、実感があるんじゃないですか? 逆に俳優さんはプロセスが不安になると思うんですよ。こんな感じでうまくいってるのかどうかと。山田:そうですね。俳優はわかんないでしょうね。横尾:監督さんは、わかっている。撮影中の快感は俳優よりも監督にあるんじゃないですかね。だから疲れない。山田:監督によって俳優のあり方は違いますからね。ものすごくギュウギュウ絞られて、ワンカットの芝居を一日中繰り返してやらされた上、監督が今日は中止だって叫んだりなんかする。黒澤明なんかそっちのタイプでしょうね。小津安二郎も実に厳しかったらしい。そういう目にあえば俳優は、「いい仕事をした!」って気持ちになると思うんだけど、そうじゃない監督もいるんです。 例えば成瀬巳喜男なんていう人は、「あら、これでいいの? もう終わりなのかしら?」と思うくらい、さらさらさらさらと撮影してたという。それなのに、成瀬の映画はすばらしい。俳優をギュウギュウしごけばいい映画ができるかっていうとそうとも限らない。 一方、俳優のほうも、「よし、いい芝居をしてやろう」と思えばいい映画になるかっていうとそうでもない。「これでいいのかな?」と不安な思いでクランクアップしても、意外にその映画も良かったりする。そういうもんですね。<毎回芝居を見るのが楽しみだった渥美清さん>p281~283横尾:溝口健二さんは厳しかったでしょ?山田:溝口健二さんは厳しかったみたいですね。横尾:俳優さんがどうしていいかわからなくなっても、「どうすればいいんですか?」って聞く余地がなかったと聞きました。山田:そうらしいですね。何も言わず、ただダメです、ダメですと言い続けた。横尾:何をどうしていいかわからないっていうのは、ちょっときついと思う。山田:あるとき、堪りかねた俳優が「一体どうすればいいんですか?」って監督に聞いたら、「僕は俳優じゃないからわからない。それは君が考える事だ」と。横尾:おー、怖いね。山田:要するに、「究極、良いか悪いかは僕はわかるんだから、僕が良いと思うまでやってくれ」って事なんでしょうね。溝口さんは「ダメです」しか言わなかったと、よくスタッフから聞きました。「ダメです」「ダメです」と言い続けて、「今ので良いです」って言うと、それで終わり。「こうしろ。ああしろ」とか、「ここはこういう気持ちだから、こう演じろ」とかそういうことは一切言わない。横尾:「私は俳優じゃないからわからない」っていうのは、すごい突っぱねてしまってますよね。言われたほうはかなわない。山田:「あなたがいろいろ考えなさい」っていうことですよね。横尾:客観的に見ると、ずるい監督だなと思うけれども。それはそれで筋が通ってるようにも思えます。むしろそこに真理があるんじゃないかって思いますよね。 そういうの、僕もこれから使おうかな、うちの秘書に(笑)。山田:「そういうことは君が考えることで、俺にはわかんないよ」って言っていればいい(笑)。横尾:渥美清さんは、どんな俳優さんですか?山田:だいたい僕が思うような芝居をしてくれましたね。あるいは僕が思う以上の事をしてくれた。「あー、こんな芝居もあるんだ」って、毎回芝居を見るのが楽しみでしたね。横尾:相性がいいからあれだけ続いたんでしょうね。山田:まぁそういう事でしょうね。ウン 山田監督と渥美さんの間合いがいいではないですか♪それにしても、「ダメです」「ダメです」と言い続けて、「今ので良いです」って言う溝口監督には往生こいたようですね。天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集1
2019.02.10
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図書館に予約していた『天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪【創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集】横尾忠則著、SBクリエイティブ、2018年刊<「BOOK」データベース>より絵を描くことと、生命というものが、どこかでひとつながりになっている。その感覚を確かめるために、横尾忠則が3年かけて訪ね歩いた。9人の80歳以上、現役クリエーターとの唯一無二の対話集。<読む前の大使寸評>横尾さんより年上のクリエーター9人を3年かけて訪ね歩くという若々しい企画がええでぇ♪<図書館予約:(1/31予約、2/05受取)>amazon天創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集瀬戸内寂聴さん(対談当時93歳)との対談を、見てみましょう。<若い人たちがいいものを書いている。私も負けずに書かなくちゃ>p22~26横尾:その病気の間でさえも、瀬戸内さんは創作意欲があるでしょう? 瀬戸内:だから、気持ちはあるのに、その間ものを創らないでいるっていうのが、本当に嫌だった。横尾:創作はしなくても、その間にずいぶんたくさん本を読まれたでしょう? 瀬戸内:そうそう! その間、ふだん忙しくて読めない本、こんなに分厚いものもたくさん読みましたよ。横尾:普通はね、病気になったら気分が滅入って、本なんて読めないですよ。 瀬戸内:本を読んでいたら、気がまぎれたんです。書きたいのに書けなかった。だから読むしかなくて・・・。横尾:読むってことは、創作と一体化している?瀬戸内:小説を読みながら「私だったらこう書く」なんてことは思わない。ただ面白いから読むだけ。読み終わったときに、いい小説は何か残るわね。 それから、私も何か書いてやろうと思う。 横尾:その年齢で、その意欲を持たれることがすごい。瀬戸内:若いのがこんないいものを書いているのに、私も負けないで書かなくちゃって思う。横尾:「私も負けないで」って言うけれど、93歳っていう年齢を感じたことはない?瀬戸内:私は自分が93歳だなんて、本当に信じられない!「お年は?」って聞かれて、70いくつとか、ひどいときは20いくつってつい、言ってしまって。秘書に「またこんなにサバ読んで!」って怒られるの(笑)。 でも、本当にそう思うのよ。横尾:僕は70歳くらいまでは、意欲も好奇心もあった。 瀬戸内さん、93歳まで「意欲」ってのは、本当にあるんですか?瀬戸内:あるのねぇ・・・。私は、自分で意欲とは思っていない。ただ書きたいから書いているの。途中まで、こういう小説って思って書いていたのに、あとでぜんぜん違う小説になったりする。書いているうちに、どんどん変わっていく。それも面白い。横尾:僕は、変わっていかないほうが不安になる。自分のスタイルというか様式を決めて、ロボットで作る今川焼きみたいに、同じものを作っていくのは嫌なんです。 昨日とは違うものを描きたい。明日はまた違うものを描きたい。瀬戸内:それは、やっぱり好奇心でしょう?横尾:好奇心かもしれないけど。好奇心というより、僕は飽き性なんです。瀬戸内:私が横尾さんに感じている魅力は、この年になっても、まだ常に変わろうとしていること。これからもまだまだ変わると思いますよ。 だいたいさ、グラフィックデザイナーで全世界に名が轟き、成功しているときに、急に画家になるなんて! すでに世界的に有名なのに、それにまだ飽き足らなくて画家になるなんて、私は「横尾さん、食べていけるかしら」と、まず心配しましたよ。 けれど、実際画家になってみたら、見事成功している。 こんなふうに変わるところに(魅力を感じて)、私は横尾さんを好きになったの。 この人は本当の芸術家だと思っています。横尾:だって、自分のものを褒められて、一度褒められたら、そればっかり描いているのはアホでしょう? 僕はたんに気が多い。すぐものごとに飽きる。自分をどんどん変化させないで1ヶ所に留まっているというのがこわくった、なんでもいいから見たこともない自分や作品に出会いたい。だから、向上するっていう気がぜんぜんないんです。瀬戸内:その調子でいけばね。コツをおぼえて、苦労しないで描けばぜんぶお金になるのに、そういう状態が嫌なのね、この人は。横尾さんと私の違うところはね。横尾さんは奥さんひとすじだけど、私はね男もすぐ飽きちゃうの。横尾:なんだか、話がヘンな方向に行っちゃったなぁ(笑)。というか、瀬戸内さんの本領発揮だ。 作品に飽きるっていうのは、そんなに問題起さないけれど、男に飽きるなんていうのは問題あるじゃないですか? 次から次に面倒くさいし、エネルギーいるし。瀬戸内:その面倒くさいのを繰り返すっていうのは、ちょっとアホね(笑)。 わかってるのに繰り返すのね。
2019.02.08
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図書館に予約していた『螢・納屋を焼く・その他の短編』という本を、ゲットしたのです。年末のNHKで村上春樹原作『バーニング』という韓国版映画を観たのだが・・・その勢いでこの本を予約していたわけです。【螢・納屋を焼く・その他の短編 】村上春樹著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった…。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。<読む前の大使寸評>先日、NHKで『納屋を焼く』という韓国版映画を観たのだが・・・その勢いでこの本を予約していたわけです。<図書館予約:(1/04予約、1/14受取予定)>rakuten螢・納屋を焼く・その他の短編 もうひとつの短篇「螢」の語り口を、見てみましょう。p9~12<螢> 昔々、といってもたかだか14、5年前のことなのだけれど、僕はある学生寮に住んでいた。僕はその頃18で、大学に入ったばかりだった。東京の地理にはまったくといっていいくらい不案内だったし、おまけにそれまで一人暮しの経験もなかったので、親が心配してその寮をみつけてくれた。 もちろん費用の問題もあった。寮の費用は一人暮しのそれに比べて格段に安かった。僕としてはできることならアパートを借りて一人で気楽に暮したかったのだけれど、入学金や授業料や月々送ってもらう生活費のことを考えるとわがままは言えなかった。 寮は見晴らしの良い文京区の高台にあった。敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれていた。門をくぐると正面には巨大なけやきの木がそびえ立っている。樹齢は百五十年、あるいはもっと経っているかもしれない。根本に建って上を見上げると、空はその緑の枝にすっぽりと覆い隠されてしまう。 コンクリートの舗装はそのけやきの巨木を迂回するように曲がり、それから再び長い直線となって中庭を横切っている。中庭の両側には鉄筋コンクリートの三階建ての棟がふたつ、平行に並んでいる。大きな建物だ。開け放しになった窓からはラジオのディスク・ジョッキーが聞こえる。窓のカーテンはどの部屋も同じクリーム色・・・日焼けがいちばん目立たない色だ。 舗道の正面には二階建ての本部建物がある。一階には食堂と大浴場、二階には講堂と集会室、それから貴賓室まである。本部建物と並んで三つめの寮棟がある。これも三階建てだ。中庭は広く、緑の芝生の中ではスプリンクラーが太陽の光を受けてぐるぐると回っている。本部建物の裏手には野球とサカーの兼用グラウンドとテニス・コートが6面ある。至れり尽せりだ。 この寮の唯一の問題点は(それを問題点とするかどうかは見解の分かれるところだとは思うけれど)それがある極めて右翼的な人物を中心とする正体不明の財団法人によって運営されているところにあった。入寮案内のパンフレット及び寮生規則を読めばそのだいたいのところはわかる。「教育の根幹をきわめ国家にとって有為な人材を養成する」これがこの寮創設の精神である。 そしてその精神に賛同する多くの財界人が私財を投じ・・・というのが表向きの顔なのだが、その裏のことは例によって曖昧模糊としている。正確なところは誰にもわからない。税金対策だと言うものもいるし、寮設立を名目として詐欺同然のやりくちで土地を手に入れたんだよと言うものもいる。単純に売名行為と決めつけるものもいる。でもそんなのは結局のところどうでもいいことだ。 とにかく1967年の春から翌年の秋にかけて、僕はその寮の中で暮していた。そして日常生活というレベルから眺めてみれば、右翼だろうが左翼だろうが偽善だろうが偽悪だろうが、なんだってたいした変わりはないのだ。 寮の1日は荘厳な国旗掲揚とともに始まる。もちろん国家も流れる。国旗掲揚と国家は切っても切り離せない。これはスポーツ・ニュースとマーチの関係と同じようなものだ。国旗掲揚台は中庭のまんなかにあって、どの寮棟の窓からも見えるようになっている。 国旗を掲揚するのは東棟(僕の入っている棟)の寮長の役目だった。背が高く目つきの鋭い50前後の男だ。髪は固く幾らか白髪が混じり、日焼けした首筋に長い傷あとがある。この人物は陸軍中野学校の出身という話だ。 その横にはこの国旗掲揚を手伝う助手の如き立場の学生が控えている。この学生のことは誰もよく知らない。丸刈りで、いつも学生服を着ている。名前も知らないし、どの部屋に住んでいるのかもわからない。食堂でも風呂でも一度も顔を合わせたことがない。本当に学生なのかどうかさえわからない。しかし額制服を着ているからにはやはり学生なんdろう。そうとしか考えようがない。中の学校氏とは逆に背が低く、小太りで色が白い。この二人組が毎朝6時に寮の中庭に日の丸を上げるわけだ。 僕は寮に入った当初、よく窓からこの光景を眺めたものだ。朝の6時、時報とともに二人は中庭に姿を見せる。学生服が桐の薄い箱を持っている。中野学校はソニーのポータブル・テープレコーダーを持っている。中野学校がテープレコーダーを掲揚台の足もとに置く。学生服が桐の箱を開ける。箱の中にはきちんと折り畳まれた国旗が入っている。学生服が中野学校に旗を差し出す。中野学校がロープに旗をつける。学生服がテープレコーダーのスイッチを押す。(中略) 夕方の儀式も様式としてはだいたい朝と同じようなものである。ただ順序が朝とはまったく逆になる。旗はするすると下に降り、桐の箱の中に収まる。夜には国旗は翻らない。ウーム、村上春樹の作品はどこの国でも読まれる普遍性をもっているのだが・・・さすがにこの『螢』はそうはいかないのではないか。韓国人のレビューを見てみたい気もするのだが。『螢・納屋を焼く・その他の短編』1
2019.02.05
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図書館で『キャンセルされた街の案内』という本を、手にしたのです。吉田修一の短篇集であるが・・・期待できそうでおます。【キャンセルされた街の案内】吉田修一著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>より東京、大阪、ソウル、そして記憶の中にしか存在しない街―戸惑い、憂い、懼れ、怒り、それでもどこかにある希望と安らぎ。あらゆる予感が息づく「街」へと誘う全十篇。<読む前の大使寸評>吉田修一の短篇集であるが・・・期待できそうでおます。amazonキャンセルされた街の案内冒頭の「日々の春」の語り口を、見てみましょう。p8~12<日々の春> 立野くんは、酔うと別れた彼女の話をするくせがある。そして私は、その話を聞くのが嫌いではない。左耳に二ヶ所あいているピアス。豪徳寺でのアパート探し。配達が遅れたドミノ・ピザ。渋谷駅前での待ちぼうけ。韓国旅行での焼肉をめぐる些細なケンカ。 まだ数回しか立野くんと一緒に飲んだことはないのだが、詳しく話をされているせいか、私は何度もふたりを街で見かけたことがあるような気がする。その情景のなかで、立野くんと彼女はいつも仲良さそうに手をつなぎ合っている。「もう一回、連絡とってみればいいのに」 私が他人事のようにそういうと、立野くんは必ずビールを一口だけ飲んでから、「いや、もう無理ですよ。絶対に無理」と首をふる。 伏し目がちに首をふるその姿があまりにも沈痛で、少しだけその女のコが羨ましくなる。「ちゃんと話してみなきゃ分からないじゃない」「いや、絶対に無理ですよ」 目の前でそうきっぱり言われると、まるで彼から、別の何かを絶対に無理だと断言されているようでつらい。 酔うと私のことを思い出してくれるような男と、私はこれまで付き合ったことがあるだろうか。いくつか顔は浮かんでくるが、残念ながら、そのなかにもう一度やりなおしたいと思う人はいない。「一度だめになったら、もう終わりなんですよ」 そう呟いて、串焼きを追加注文しようと店員を呼ぶ立野くんに、私は、「あと砂肝もお願い」と、付け加えることしかできない。(中略) いつだったか、喫煙室で偶然一緒になった立野くんに、「今井さんって、休みの日とか、何やってんですか?」と訊かれたことがある。 見栄を張っても仕方がないので、「特に予定がない日は、洗濯して、部屋の掃除して、本なんか読んでるとすぐ夕方だから、晩ごはんの材料を買いに行って・・・」などと答えていると、何を思ったのか、急に真面目な表情になった立野くんが、「セクハラ覚悟で訊きますけど、もしかして今井さんって、今、付き合ってる人とかいないんですか?」と訊いてきた。 喫煙室には別の課の人たちも何人かいた。私たちの声が聞こえていたかどうかは分からないが、立野くんの質問に深い意味がないことだけは分かった。「そう、いないのよ」 私が素直に答えると、立野くんは、「へぇ」と頷き、「でも、休みの日に今井さんと同じようなことしてる男なんて、きっといくらでもいると思うけどなぁ」と、今度は首をひねった。 立野くんは喫煙室でたばこを吸うとき、これでもかというほど脚を広げてパイプ椅子に座る。その角度が広がれば広がるほど、偉そうではなく、逆にその幼さが強調される。たばこの火を灰皿で消しながら、「そういう立野くんは、休みの日、何やってるのよ?」と私は訊いた。彼は一瞬遠くを見つめるような顔をして、「休みの日は寝てますね」と答えた。「寝てるだけ?」 呆れて私がそういうと、彼はちょっと考えるふりをして、「寝転がって、窓の外の空を眺めてますね」と笑う。
2019.02.02
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お天気はくもり、めっちゃ寒いけど、久々に横尾忠則を観に行こう♪…ということで、横尾忠則現代美術館に出かけたわけです。(1月29日に観覧)今回のポスターです。横尾忠則 大公開制作劇場より 観客の前で作品をつくる公開制作は、横尾忠則がしばしば行う制作方法の一つです。人に見られることでかえって余計な自我やこだわりが消え、無心状態で制作することができるという横尾にとって、公開制作は「描く」という肉体的行為を再認識するための格好の手段でした。 本展では、横尾がこれまでに公開制作で描いてきた作品を、映像・写真などの資料とともに紹介します。1980年代、画家へと転向したもののアトリエのなかった横尾が、制作できる場所を求めてやむなくとった手段が公開制作でした。 しかし、人前で描くことで逆に迷いを捨てて集中できるという実感を得た横尾は、アトリエが完成した後も様々な場所で公開制作の機会を持つようになります。そして2000年、横尾の代表的シリーズとなる「Y字路」が描き始められると、以降、公開制作において「Y字路」は一つのフォーマットとして展開し、各地の美術館で開催される個展にあわせて、その土地にちなんだ"ご当地Y字路"が次々と生み出されていきました。 そこではまた、横尾自身が仮装して制作するPCPPP(Public Costume Play Performance Painting)も行われるようになります。 横尾は公開制作を演劇にたとえています。舞台の上で起こる事件=創造の現場を固唾をのんで見つめる観客と、その熱気やエネルギーを創造=事件に利用する横尾。その間には、即興的でスリリングな共犯関係が成り立っているといえるでしょう。これら事件の現場を検証することで、横尾の制作に対する姿勢や創造のプロセス、その変遷を辿ります。[会期]2019年1月26日(土)-5月6日(月:振休)残念ながら、今回は展示作品の写真撮影は禁止となっていました。美術館屋外ロビー内展示横尾忠則amazonを見て、図書館予約する手があるやんけ♪横尾忠則を観に行こう♪8:在庫一掃大放出展横尾忠則を観に行こう♪7:横尾忠則 画家の肖像
2019.01.30
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図書館で『星のあひびき』という本を、手にしたのです。歴史的仮名遣いで知られる丸谷さんが、村上春樹訳のチャンドラーからカズオ・イシグロまで、語るってか・・・ナウいやんけ♪(今ごろナウいは通用するだろうか?)なお、帰って調べてみたらこの本を借りるのは2017年11月以来2度目であることが、判明しました(又か、でも再読でもいいではないか)。・・・これではアカンということで、これまで読んだ丸谷さんの作品を集めてみました。・『恋文から論文まで』1987年刊・丸谷才一(群像日本の作家)1997年刊・『ゴシップ的日本語論』2004年刊・『星のあひびき』2010年刊・『人魚はア・カペラで歌う』2012年刊R2:『丸谷才一(群像日本の作家)』を追加*****************************************************************************『恋文から論文まで』1:吉行淳之介×丸谷才一閑談『恋文から論文まで』2:吉行淳之介×丸谷才一閑談(続き)・『丸谷才一(群像日本の作家)』1:清水義範のエッセイ・『丸谷才一(群像日本の作家)』2:中国皇帝や六朝文化・『ゴシップ的日本語論』1:文学は言葉で作るp95~97・『ゴシップ的日本語論』2:泉鏡花の位置p137~141・『ゴシップ的日本語論』3:日本語があぶないp32~37・『星のあひびき』1:小説家が教える海外文学p67~69・『星のあひびき』2:わたしと小説p34~36・『星のあひびき』3:カズオ・イシグロの短篇小説p125~127・『星のあひびき』4:丸谷さんの憂色p205~207・『人魚はア・カペラで歌う』1:小村雪岱の挿絵p181~187・『人魚はア・カペラで歌う』2:満州の森林破壊p199~202・『人魚はア・カペラで歌う』3:魯山人の茶漬p199~202*****************************************************************************【恋文から論文まで】丸谷才一編、福武書店、1987年刊<「BOOK」データベース>より恋文、卒論、作文、料理、小説、悪文…と、豊富な題材で文章上達の極意を伝授!<読む前の大使寸評>たくさんの作家による文章論が載っていて、興味深いではないか♪・・・ということで借りたのです。amazon恋文から論文まで*****************************************************************************【丸谷才一(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より作家であり強靭無比な論理の批評家である丸谷才一。世界と日本の文学を凝視するマルチ作家の全体像を多角的に捕捉し解明する。書き下ろしエッセイ…池澤夏樹/主な執筆者…石川淳、平野謙、大江健三郎、吉行淳之介、他/対談…司馬遼太郎、野坂昭如<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon丸谷才一(群像日本の作家)*****************************************************************************【ゴシップ的日本語論】丸谷才一著、文藝春秋、2004年刊<「BOOK」データベース>よりテレビとケータイが日本語に与えた深刻な影響とは?昭和天皇の「ア、ソウ」と近代日本が背負った重荷!「猫被りの香具師のモモンガーの…」漱石の悪態づくしから学ぶ。さらに鏡花、折口から歌舞伎に現代思想まで、刺戟に満ちた講義、対談が満載。<読む前の大使寸評>なんか見覚えのある表紙の装丁であるが・・・まっ 再読になってもいいか、と思って借りたのです。帰って調べると、やはり再読となることが判明しました。で、(その4)とします。rakutenゴシップ的日本語論*****************************************************************************【星のあひびき】丸谷才一著、集英社、2010年刊<「BOOK」データベース>より戦争の世紀20世紀を眺望し、モーツァルトと『源氏物語』を評価した名誉をたたえる。村上春樹訳のチャンドラーから井上ひさしまで、バルガス=リョサからカズオ・イシグロまでの傑作を推奨する。『坊つちやん』を大胆に解釈し、仔犬を抱いて笑う少年特攻兵の写真に泪する。ゴシップ・ユーモア・奇想・新説がたっぷり。高級で愉しい快楽の書。<読む前の大使寸評>歴史的仮名遣いで知られる丸谷さんが、村上春樹訳のチャンドラーからカズオ・イシグロまで、語るってか・・・ナウいやんけ♪(今ごろナウいは通用するだろうか?)rakuten星のあひびき*****************************************************************************【人魚はア・カペラで歌う】丸谷才一著、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より信長が謙信に贈ったズボンから「小股の切れ上つたいい女」の小股って?まで、頭が刺激されて思わず膝をうつ24篇の知的エッセイ。【目次】鍋の底を眺めながら/検定ばやり/象鳥の研究/浮気な蝶/007とエニグマ暗号機/敵役について/村上春樹から橋本夢道へ/北朝びいき/人さまざま/槍奴〔ほか〕<読む前の大使寸評>ペラペラとめくったら「小村雪岱の挿絵」というくだりがあったので、借りる決め手になりました。rakuten人魚はア・カペラで歌う
2019.01.30
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室p112~113<41 自然散策> 自然を愛する心とドローイングの練習を組み合わせましょう。このラボでは、散歩の途中で出会うさまざまな要素を注意深く観察して描くことによって、小さなドローイングを何点か完成させます。■基本手順1.画材を準備して、お気に入りのハイキングスポットや豊かな自然がある所に行きます。2.このラボでは、リアルに描くことを目指しているので、選んだ題材を時間をかけて注意深く観察します。ざっくりとした、自由な線で描きましょう。3.散策を続け、興味を引かれるものを描きます。4.絵を描いているのであって、写真を撮っているわけではないので、好みに応じて簡略化してもかまいません。アーティストの特権です。5.大小さまざまなサイズ、クローズアップや遠くからの見た目など、いろいろと描いてみましょう。スケールは気にせず、戸外で得た印象で紙を埋めていきましょう。6.紙が埋まるまで作業を続けます。7.自宅の作業場所に戻ったら、ドローイングを何らかの方法で関連付けます。言葉を添えたり、線を引いたり、アリの行列を描き入れるなど、思いついたどんな方法を使ってもかまわないので、散策ドローイングを一つの作品にまとめ上げます。■ペンでドローイングする利点 鉛筆は素晴らしい画材ですし、消しゴムも役に立つ道具です。しかし指導したときに気付いたのですが、消しゴムの使用を許可してしまうと、実際に描いている時間よりも消している時間の方が長くなってしまいます。直接ペンを使って描けば、消せる可能性がなくなるので、描く作業に集中できるようになります。 怖いですか? 確かに怖いかもしれませんが、おかしなことに自由にもなります。このように考えてみましょう。 ペンとインクを使うと、完璧なドローイングを描かなくては、というプレッシャーが弱くなります。1回目から完璧に描けるなんて、誰も期待していないからです。プレッシャーがなくなれば、より良いドローイングが描けるようになることがよくあります。『ドローイングの教室』2:クレー風の転写画『ドローイングの教室』1:「はじめに」から
2019.01.26
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図書館に予約していた『装丁/南伸坊』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊大使は一時期、熱狂的な谷岡ヤスジのファンだったが、伸坊さんはそれ以上だったようです。p160~161<極楽にいる谷岡ヤスジさんに> 亡くなった谷岡ヤスジさんにはカワイがっていただいたのに、病気のことは全然知らなかった。突然の訃報を伝えてくれた編集者に、それが谷岡さんの指示で、誰にも知らせていなかったのだと教えられた。 楽天的で、男っぽい性格だった谷岡さんは、最後まで「自分ならガンに勝てる」と確信していて、全快した暁に「勝利宣言」の本を書く予定だったという。「装丁はシンボーにやらせるから」と勝手に決めていたらしい。ボクはうれしかった。 谷岡さんとは、もうずいぶんお目にかかっていなかったのだ。こんなことになるんだったら、と思うけれども、谷岡さん自身そんな予定じゃなかったのだ。 予定されていた「勝利宣言」の本は出なかったが、天才・谷岡ヤスジの傑作を集めて本にしたい、その装丁をやってくれませんか、と言われて、もちろんつつしんでお受けした。 谷岡さんのキャラクターは、みんなものすごくいい。かわいいし、味があるし、深みがある。ムチャクチャ迫力があるけど愛嬌もある。 バター犬、タロ、スケスケおじさん、ターゴに花っペに、チクリおじさん、アサーッのムジ鳥、パラパラと、原稿のコピーから、キャラクターを探すうちに、思わずマンガの世界に入り込んでしまった。 「偉大なるマンネリ」と呼ばれた谷岡ヤスジの世界。読んでいくうちに、そこは「極楽だったのだ」と発見した。谷岡さんのつくり出した村(ソン)の風景は、そのまま「極楽図」だった。 谷岡さんは亡くなって、自分のつくった「村」に行ったのだと私は思った。 キョーレツで極端な、ラジカルでナンセンスなシーンの連続である谷岡ワールドが、実は「ゴクラク、ゴクラク」な、極楽図だったのであある。 水平線の奥に灯台、入道雲、そして、タップンと波のよせた岸には、ビニールを腰に巻いた暗黒舞踏家のようなスケスケおじさんがツリ糸を垂れている。 地平線のかなたに、噴水のみえる、広い広い空間、おりしもバアター犬が、客を求めて豪徳寺方面に移動中だ。 暑さ35ミリの『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』(実業之日本社)のカバーは、谷岡ワ-ルドの水平線上に、つぎつぎ現れる天才キャラクターたちをデザインした。 蛍光ショッキングピンクの空にまっ白な雲。 谷岡さんは、よろこんでぅれるかなァ、と小声に出して言いながら、自分では「会心の出来だ!」と頭の中で叫んでいる。「気に入ったなァ、ねえ! 谷岡さん、いいでしょ!!」と私は強気になっているのだったが、その魅力のもとは、全面的に谷岡さんのキャラクターの圧倒的な存在感なのだった。『装丁/南伸坊』1大使の蔵書録から『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』を引っぱりだしてみました。【谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明】谷岡ヤスジ著、実業之日本社、1999年刊<「BOOK」データベース>より「アサー!」「鼻血ブー」から「村」の世界まで、天才・谷岡ヤスジの傑作ギャグのすべてがここに!いしいひさいち、江口寿史、とり・みき、相原コージ、泉昌之、唐沢俊一・なをき、しりあがり寿etc…第一線のギャグ漫画家が、天才・谷岡ヤスジに捧げた描きおろし作品も収録。 <大使寸評>この本は谷岡ヤスジの追悼出版となっていました。天才の夭折という感じで・・・惜しい人を亡くしたものです。amazon谷岡ヤスジ傑作選天才の証明
2019.01.24
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室一見、子供の絵のようなクレーの絵ではあるが、誰でも描けるわけではない。及ばずながらも、クレー風なテクニックを、見てみましょう。p62~63<21 クレー風の転写画> パウル・クレーが考案したテクニックは、鉛筆を使って紙に黒の油彩絵の具を転写することによって、表情豊かな線を作り出すというものです。その独特な風合いを持つ線は、次に紹介する2つの転写テクニックで再現できます。■カーボン紙を用いた転写方法1.水彩紙の上に、カーボン紙をインク面を下にして置きます。2.爪を使って(代わりになるものでもよい)、カーボン紙の上に直接線画を描きます。3.作業中は描いている結果がほとんど見えませんが、重なってしまった線や「間違い」も作品のアクセントになります。4.水彩絵の具、色鉛筆、または好みの画材で彩色します。■アクリル絵の具とハンドローラーを用いた転写方法(省略)■クレーについて 1879年にスイスで生れた画家、パウル・クレーは、分類の難しい画家です。彼の極めて個人的な作品は、表現主義、キュービズム、シュルレアリスム、さらには子供の作品からも影響を受けています。『ドローイングの教室』1:「はじめに」から
2019.01.24
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室「はじめに」が素晴らしいので、見てみましょう。p10~12<はじめに>■難関を乗り越える スティーブン・プレスフィールドは、彼の素晴らしい著書『The War of Art』(日本語版:やりとげる力、筑摩書房)の中で、「恐れを知らぬ戦士、不安を持たないアーティスト、そんなものは存在しない」と書いています。まったくそのとおりです。ドローイングが大好きで、線画(ドローイング)や彩画(ペインティング)を何百も描いてきた私でも、空白のページに向かい合うときには、自分自身との小さい戦いを日々繰り広げています。 この障害を乗り越えるために私が考え出した1つの方法が、ウォームアップエクササイズです。作業のルール、制限、課題を設定しったエクササイズをいくつか考案しておき、制作にとりかかるきっかけとして行なうのです。設定したルールや制限の範囲で描きます。制約があることで、私自身も作品も、過度に力が入らなくなります。また「何を描こう」というプレッシャーなしに描き始めることができます。 歴史を振り返り、クリエイティブな人たちの言葉について考えてみましょう。 「制約が多いほど、精神を縛る鎖から自由になれる」 イーゴリ・ストラヴィンスキー 「制限が無限に形を与える」 ピタゴラス 「芸術家が自らの作品に課す制約が少ないほど、芸術的な成功を収める機会も少なくなる」 アレクサンドル・ソルジェニーツィン これは、まったくの自由が任されると逆に、「固まって」何もできないことが多いという矛盾を示しています。本書は、長年にわたって私自身が作業にとりかかるきっかけに使用してきたウォームアップエクササイズを集めたものです。 また、小学生向けに開発した課題もあります。大人への指導を始めたときに、それらの練習がとても効果的なことが分かったのです。(外見はともかく、誰だっていつまでも子供なんですよね?)■この本の目的 私が守っている3つのルールを紹介します。 1.好きなものを描く。 2.気に入った画材を使って描く。 3.好みのスタイル、技法、プロセスで描く。 本書には、コンタードローイング(輪郭で描く)、ブラインドコンタードローイング(手もとの紙を見ずに輪郭で描く)、ジェスチャードローイング(対象を短時間で見て、短時間で描く)など、伝統的なドローイングの練習も多く含まれていますが、従来のドローイングの本では扱われている内容でも意図的に除外しているものがあります。これは、もう一度ドローイングを始め、その楽しさを発見してもらうための本です! 新たなインスピレーションを得れば、さらに深くドローイングに取り組みたくなるかもしれません。ドローイングに関する優れた書籍を読んだり()、お近くの講座を受講することを強くお勧めします。■必用な画材 アート制作で大切なのは画材ではなく、作品を作ることです。HBの鉛筆しかなければ、それで始めましょう! 以下は、私が手元に置いている画材の簡単なリストです。・大量の白い画用紙 ・ライナー筆・ファブリアーノ水彩紙 ・Pigma Micronペン(黒、太さ0.25mm)・シャープペンシル ・練り消しゴム・画用木炭(柔らかいタイプ) ・耐水性のカラーマーカー・ソフトチャコールペンシル (シャーピーマーカーなど)・コンテクレヨン(赤) ・コピックマーカー(ごく薄い色を何本か)・ペリカン透明水性絵の具(24色) ・色鉛筆・FWアクリルインク ・水性クレヨン・瓶入りインク ・ソフトパステル数本・12号の丸筆 ・スティックのり・つけペン ・ハサミ・平筆(細) ・厚手の紙のスケッチブック(スパイラル綴じ) 手軽に手に入る好みの画材を見つけ、楽しみましょう! 私は、鉛筆は安いもの、紙と筆は高品質のもの、絵の具は中程度のグレードのものを使用しています。肝心なのは、あなたがアーティストだということです。手持ちの画材から1つ選び、それを使って始めましょう。作品で使ってみたいと強く思った画材だけをそこに追加していきます。 本書で使用している画材や材料のほとんどは簡単に手に入るものですが、見つからなければ、周囲を見回して代用品を探しましょう。
2019.01.24
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図書館に予約していた『装丁/南伸坊』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊この本をぱらぱらとめくってみると、南さんが装丁した本のカラー写真が満載で観て楽しい本である。それらの本の2割がたは南さん自身の本であり、宣伝も兼ねたチャッカリした構成になっています。他人の本では赤瀬川原平を筆頭に、南さんの友人たちばっかりとなっています。不良中年と老人といえば大使の関心のあるテーマであるが、そのあたりを見てみましょう。p116~117<「不良中年」と「老人力」> 先月書いた赤瀬川原平さんの「老人力」が話題になっていて、週刊誌なんかで「老人力」という新語がチョーリョーバッコする兆しである。 こっちは版元のしかけなのだが、先日、新宿紀伊国屋で「老人力vs.不良中年」バトルトークっていうイベントがあった。 老人力の赤瀬川原平さんと、不良中年の嵐山光三郎さんが対決で、アンパイヤがねじめ正一さん、老人介護に私・伸坊がセコンドにつくという顔ぶれで、記念すべき「紀伊国屋セミナー第100回」が、こういうもので開催されてしまった。 当日は、赤瀬川さんの老人力全開で会場は大爆笑だった。「エート、宇宙は・・・あのオ、四つの力で出来ています」 と、これは別に冗談でもなんでもないのだが、赤瀬川さんの風貌と語り口で、早くも「トンデモ旋風」が巻き起こった感じで大笑いになってしまった。「いやいや、これはホントなんですよ、重力、電磁力、強い力、弱い力・・・。それで、えーと、私の理論は、人間の四つの力ですが・・・これは、身長、体重、強い意志、弱い意思と、この四つになっているわけです」 というような具合。老人力というのは、この弱い意志を弱いまま強く持つと、こういうことです、とワカッたようなワカンナイような話。 次に嵐山さんが登場して、「ゲンペーさんという人は、昔っから、こういうヘンなことを言ってたんですよ。嵐山さん、ボクには分散力というものがああるんですよって言うから、よく聞いてみると、要するに集中力がないって話なの」と、ここでまた大爆笑。しかし、だんだん話を聞いていると、老人力と不良中年というのは、世間の良識や常識をひっくりがえしてるところがすこぶる共通している。「高齢化社会になると、50歳は『第二の人生』の始まりとなる。体力も若いときにくらべれば劣ってくる」 あとの残りの人生を好き勝手に生きなきゃもったいない。しかし50歳までつみあげてきた社会経験がオヤジの不良化をさまたげている。「そんなものは幻影の楼閣だ。早いとこ捨てちまったほうがいい」そうして、不良の先人に学んで立派な不良中年になろうじゃないの、っていう論旨だ。 老人力というのは、世間の常識である「老はマイナスだ」という考えをズラして、マイナスのままプラス評価するわけで、かなり論旨が重なっている。 実はその直後、嵐山さんの新刊『不良中年は色っぽい』(朝日新聞社)の装丁を依頼された。私はこの本を、本屋で老人力と並べたい、同じ興味の方向で2冊、同時に買っていただきたい、と強く希望したのだ。その気持ちがデザインに反映した。『不良中年は色っぽい』はトルコ石色に金文字。『老人力』とほとんど同じデザインである。ウーム 三人そろって、充分立派な不良のようですね。
2019.01.23
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図書館に予約していた『ギャシュリークラムのちびっ子たち』という本を、待つこと6日でゲットしたのです。この絵本は『絵本の冒険』という本で大人向けの絵本ということでとりあげていたもので、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいくという絵本とのこと。【ギャシュリークラムのちびっ子たち】エドワード・ゴーリー著、河出書房新社、2000年刊<「BOOK」データベース>より大人のための絵本作家として世界的なカルト・アーティストであるエドワード・ゴーリー。子どもたちが恐ろしい運命に出会うさまをアルファベットの走馬灯にのせて独自の線画で描いたゴーリーの代表作。<読む前の大使寸評>この絵本は『絵本の冒険』という本で大人向けの絵本ということでとりあげていたもので、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいくという絵本とのこと。<図書館予約:(1/14予約、1/20受取)>rakutenギャシュリークラムのちびっ子たち死亡例をみっつほど、見てみましょう。K is for Kate who was struck with an axeKはケイト まさかりぐさりF is for Fanny sucked dry by a leechFはファニー ヒルがきゅうけつB is for Basil assaulted by bearsBはベイジル くまにやられた・・・なるほど、子ども向けの絵本とは言えませんね。『絵本の冒険』をつけておきます。【絵本の冒険】小野明、他著、フィルムアート社、2018年刊<商品の説明>より感性を磨きたい、よみ手とつくり手のためによもうがよむまいが、伝わるんだよ、絶対に。――五味太郎絵本はいろいろな職業の人が、一生で一度は誰でもつくったほうがいい。――荒井良二<読む前の大使寸評>おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。amazon絵本の冒険
2019.01.22
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図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治晩年あたりを、見てみましょう。p84~89 <晩年:昭和5年~昭和8年> 昭和5年の3月末頃からようやく起きられるようになり、4月には苗床を造ってもらって園芸を始めた。天候や花・野菜の種まき、移植等をこまかく英語で記録した6月15日までの日記が残っている。 この間、前年春に来訪していた東北砕石工場主鈴木東蔵が4月に再訪、またたびたび手紙での相談にのるようになり、岩手の火山灰地に石灰をもたらす仕事に関心をよせはじめ、9月には自ら工場見学に赴いている。 また、この年から翌年にかけて、初期以来の童話原稿に朱を入れて推敲あるいは改稿改作する仕事が相当に進行したと推定される。 昭和6年に入って、《どうやらもと通りのからだとなりました。4月からまた飛び出すつもりです》と菊池武雄あて賀状にあるとおり、健康が回復したかにみえた。鈴木東蔵はたびたび来訪、あるいは書信による相談を重ねたすえ、2月21日に正式に契約書を交換し、賢治は東北砕石工場技師嘱託として、広告文の起草や炭酸石灰の調査改良、照会への回答、及び、岩手・青森・秋田・山形の宣伝販売を担当することになる。 そして契約のすぐ翌日から、ほとんど毎日のように県内各地を歩き、4月には宮城・秋田、5月にも宮城へ出張する精力的な、あまりに精力的な活動に入った。この間、鈴木東蔵にあてた夥しい業務上の書簡が残っている。 7月には「岩手日報」夕刊に花巻地方の分ケツ状況から今年の稲作の予想を発表。また季刊「児童文学」第1冊に童話「北守将軍と三人兄弟の医者」を発表、9月にはその第3冊に発表を予定して進行中の「風の又三郎」の取材のため、上郷村に沢里武治を訪ねている。 そして9月19日、壁材料の宣伝販売を頼まれて見本をつめた大トランクを掲げて汽車に乗り、途中小牛田・仙台に立寄って20日に上野着、その夜宿舎の八幡館で高熱を発して倒れた。 翌日、遺書をしたためながら、一方では何とか家に報せずに切り抜けることを苦慮。しかし27日、《最後にお父さんの声がききたくなって》と花巻へ電話、驚いた父の手配によりその夜の寝台で帰郷し、そのまま病臥の身となる。 11月3日、手帳に《雨ニモマケズ》ではじまる独白を書き記す。この年は不況、冷害、凶作、また満州事変勃発。そうした状況の中で《決シテイカラズ/イツモシヅカニワラツテヰル》と書きつけたのである。『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』2:大正11年~15年あたり『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』1:国柱会への入会あたり
2019.01.22
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図書館に予約していた『トリツカレ男』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。薄めの本で、ぱらぱらとめくってみると・・・何だか自由きままなテイストのようです。帰ってウィキペディアで調べてみると・・・この小説をミュージカル仕立てにして全国公演もあったようですね。【トリツカレ男】いしいしんじ著、ビリケン出版、2001年刊<「MARC」データベース>よりいろんなものに、どうしようもなく、とりつかれてしまう男、ジュゼッペが無口な少女に恋をした。哀しくまぶしい、ブレーキなしのラブストーリー。<読む前の大使寸評>薄めの本で、ぱらぱらとめくってみると・・・何だか自由きままなテイストのようです。帰ってウィキペディアで調べてみると・・・この小説をミュージカル仕立てにして全国公演もあったようですね。<図書館予約:(1/09予約、1/14受取予定)>amazonトリツカレ男この小説の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p9~12<第1章 ジュゼッペ> ある晩、店じまいのあと、店のご主人から、 「ジュゼッペ、お前、このまんまじゃクビだな」 「もうしわーけ、なーいと、おもってーまーす、だんなー…」 ジュゼッペはうつむいて泣きそうな顔つきになる。歌はマイナー調さ。ご主人だってジュゼッペに悪気がないことはわかってる。しょうがないよな、トリツカレ男なんだから。だからご主人はためいきをつき、しばらく休みをやるよ、その癖がなおったら店にでてきな、そういってニ度三度と細かい肩をたたく。ジュゼッペはこつんとうなづき、すぐさま上をみあげ涙まじりに両手をひらき、 「うたー、うたー、うたーがないとー、おうおうおう、いーきさえ、でーきなーい、ばかなおれー、なーんですー、おうおうおう!」 交通事故にあった友達を見舞いにいっちゃあ、陽気に骨折のアリアをうたい、病院からたたきだされた。 こわもてギャングの目の前で、ばくちと銃撃戦のワルツを踊って、半殺しの目にあった。 猫にひっかかれ、カラスにはつっつかれ、膝がしらは犬の噛みあとだらけ、って、そんな毎日だったよ。 それでもジュゼッペはうたうのをやめなかった。オペラの舞台と同じように、寝てもさめても、うたいながら暮らした。てぬきせず、枯れた声をはりあげ、そう、一心不乱にね。そのうち街のみんなも、ジュゼッペの歌に慣れはじめた。 あら、このこったら、まねしちゃいけません、なんて、やんわりたしなめられる子どもまでではじめたんだ。ジュゼッペのオペラはじょじょに、街の暮らしになじんでいったのさ。 ところがだ。 夏の終わりに近づいたある夕方、のんびりやのばあさん連中、それに、めしの支度に忙しい奥さんがたさえ、あれ、なんだか様子がおかしい、って気づいたんだ。ジュゼッペの声がしない。いつものあのばかな歌がどこからも、きこえてきやしない。そのうち気のいい肉屋のおやじが、ジュゼッペなら公園の空き地でみかけたっけなあ、ほうほう、なんていいだし、みんなそろってぞろぞろと見にいったってわけなんだ。 たしかにジュゼッペはそこにいた。ランニングと短パン姿で。とっとっと、と小走りに駆け、大股で足をかえ、一度、二度、三度! 左左右! と飛び跳ねて、それを何度も、何度もくりかえしてる。 「おいおい」 と誰かがぼんやりつぶやいた。 「なんだか別のものがとりついたらしいよ」
2019.01.17
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図書館で『絵本の冒険』という本を、手にしたのです。おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。【絵本の冒険】小野明、他著、フィルムアート社、2018年刊<商品の説明>より感性を磨きたい、よみ手とつくり手のためによもうがよむまいが、伝わるんだよ、絶対に。――五味太郎絵本はいろいろな職業の人が、一生で一度は誰でもつくったほうがいい。――荒井良二<読む前の大使寸評>おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。amazon絵本の冒険大人の心を揺さぶる絵本を、見てみましょう。p138~139<Q:大人の心を揺さぶる絵本って、どんなものですか?> A:あなたはどんな時に心が揺さぶられますか? 大人の私たちが何を読んで心を揺さぶられるかは千差万別です。ですので、どんなものが心を揺さぶる絵本なのかの答えはそれぞれのなかにあるでしょう。 何歳からが「大人」かというものにも差はありますが、大人を読者として出版される絵本はもちろんあります。『ギャシュリークラムのちびっ子たち』(2000年、河出書房新社)などで知られるアメリカの作家エドワード・ゴーリーの本には残酷で寓意性のあるものが多くあり、間違いなく大人に向けて発信されたものです。 オーストラリアの作家ショーン・タンは『アライバル』(2011年、河出書房新社)で、架空の奇妙な街への「移民」を文字無しの緻密な絵で描き、大人の読者を喜ばせました。また酒井駒子のように子どもに向けた『よるくま』(1999年、偕成社)も出し、一方で大人に向けた『金曜日の砂糖ちゃん』(2003年、偕成社)などを手がける作家もいます。 大人向けの絵本が子ども向けの絵本と違うのは、子どもにはまだ理解できない、まだ共感できないテーマが扱われていること。子どもが理解しづらい表現で死を扱ったもの、残酷なもの、詩や短い文章に絵をつけて絵本にしたものや哲学的なものを入れこんだものなど。ですが、文章を読んでわからなくても絵は見て感じとることができるので、本当の意味はわからず不気味だけれど、子どもが惹かれてしまう「大人向け」の絵本もきっとあるでしょう。 大人の心を揺さぶる「子ども向け」の絵本もあります。『たいせつなこと』(2001年、フレーベル館)という1949年にアメリカで出た本は、スプーン、ひなぎく、雪といったものを、詩のような文と美しい絵でひと見開きずつ見せていきます。(中略) 大人が、心から子どもに伝えたいことを絵と文で表したものは、大人の心をも揺さぶる。これが絵本の醍醐味ではないかと思います。『絵本の冒険』2:ジャンルで知る『絵本の冒険』1:ミッフィーはなぜ愛されるのかこの本も絵本あれこれR4に収めておきます。
2019.01.14
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図書館で『絵本の冒険』という本を、手にしたのです。おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。【絵本の冒険】小野明、他著、フィルムアート社、2018年刊<商品の説明>より感性を磨きたい、よみ手とつくり手のためによもうがよむまいが、伝わるんだよ、絶対に。――五味太郎絵本はいろいろな職業の人が、一生で一度は誰でもつくったほうがいい。――荒井良二<読む前の大使寸評>おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。amazon絵本の冒険アライバル本屋にはいろんな絵本が並んでいて楽しいが・・・この本では絵本を16のジャンルに分類して説明しているので、見てみましょう。(『アライバル』の紹介に偏重していていますが、悪しからず)p56~72<ジャンルで知る>絵本を16のジャンルに分類し、その幅広さの一端を、具体例で見ていこう この章では、今までふれてきた絵本の特徴を、さまざまなかたちで発揮している絵本を紹介します。商業出版される絵本には、当然、出版できるだけのレベルがあるわけです。設定がしっかりしていて、展開も自然でゆるぎない。絵や言葉やテーマに魅力があり、何度でもよみたくなる。この何度もくり返しよむ、というのも絵本の特徴のひとつですね。 絵本好きなら、生涯で百回以上よむ絵本などざらにあります。子どもの時によんでもらったものも勘定にいれれば、千回、というのも別に珍しくないでしょう。小説や映画ではなかなか達成できないつき合い方ですね。そうやって長い間よみ継がれてきた絵本、あるいは近年刊行されたすぐれた絵本が、世界にたくさん存在します。その具体例をなるべく多く紹介したいと思います。 そのために絵本を16ジャンルに分けました。各ジャンル4冊。2冊が古くからの定番中心。あとの2冊が比較的近年のもの。いずれも日本/海外1冊ずつ。もちろんジャンル分けは便宜上のものです。実際には複数のジャンルにまたがるものや,ジャンル分け不可能な作品もあります。●赤ちゃん絵本・幼児絵本●物語絵本●昔話・民話絵本●文芸絵本●生活絵本●ナンセンス絵本●科学絵本●写真絵本●文字なし絵本 文字/言葉なしの絵本だから当然、言葉なしでも伝わる工夫をします。たとえばページ数を増やして、エピソードをより多くかつ念入りに描く。するとキャラクターや世界がより明確になる。コマ割りにする、というのも同じような発想かもしれません。それから、画面を細密に描き込んで情報量を増やす。つまり読者がじっくり見て自分なりの物語をつくれるようにする。1.『やこうれっしゃ』、2.『アンジュール』、3.『旅の絵本Vlll』、4.『アライバル』790コマ・124ページで描かれるかぎりなく緻密で雄大な近未来の異世界。というものがあるとしたら、まずこれという、数々の受賞も当然の大傑作。●言葉の絵本1(しりとりやだじゃれ)●言葉の絵本2(オノマトペ)●探しもの絵本●大人の絵本●パロディ・オマージュ絵本●しかけ絵本1●しかけ絵本2ウン 確かになかなか興味深い16ジャンルですね、それだけ多様な絵本ということなんでしょう♪『絵本の冒険』1
2019.01.13
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図書館で『美の変革者ピカソ(ナショナルジオグラフィック2018年5月号)』という雑誌を、手にしたのです。2018年のナショジオの鳥シリーズを追っかけているのだが・・・5月号は鳥の誕生あたりが載っていて興味深いのでおます。【美の変革者ピカソ(ナショナルジオグラフィック2018年5月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年刊<商品の説明>より●ピカソはなぜ天才か?:20世紀で最も影響力のある芸術家の一人といわれるピカソ。多くの女性たちや芸術家仲間に触発され、作風を絶えず変化させながら、神童から巨匠へと上りつめた。死後45年たった今も、世界中の人々を引きつけてやまない彼の才能と創作の源泉を探っていく。●米国で生きるムスリムたち:誤解や中傷を受け、時に恐怖を感じながらも、たくましく生きる米国のムスリム(イスラム教徒)たち。その数は345万人と推定されている。なかには移民も多く、ルーツはおよそ75カ国にも及び、文化や言語もさまざまだ。彼らの多彩な社会が、全米に広がりつつある。●恐竜から鳥へ:新たな化石の発見と遺伝子解析技術の発達で、恐竜がいかにして鳥になったか、解明されようとしている。<読む前の大使寸評>2018年のナショジオの鳥シリーズを追っかけているのだが・・・5月号は鳥の誕生あたりが載っていて興味深いのでおます。amazon美の変革者ピカソ(ナショナルジオグラフィック2018年5月号)5月号の目玉特集でもあるピカソを、見てみましょう。p36~38<黒服を着た2人のスタッフが、1枚の絵画を運んできた。パブロ・ピカソの「座るジャクリーヌ」だ。:クローディア・カルブ> その日の朝、私は米国ニューヨーク市のロックフェラー・センターにある世界屈指の競売会社クリスティーズにいた。夜に開催される現代アートの競売が目当てだった。 1954年10月に南仏で描かれた「座るジャクリーヌ」は、ピカソの愛人で、後に妻となるジャクリーヌ・ロックをモデルにした幾何学的な肖像画だ。当時、彼女は27歳。72歳のピカソは、わずか1日でこの絵を描き上げた。 力強い筆使い、厚く塗られた絵の具、大胆なフォルム、ずれた目、逆さまの鼻・・・金色の光がジャクリーヌの体を包み、思わず目がくぎづけになる。 夜になり、クリスティーズの競売人エイドリアン・マイヤーは、1200万ドル(約13億円)から入札を始めた。電話で指示を出す匿名の顧客2人の一騎打ちだ。 背筋をぴんと伸ばしたマイヤーは、まるで獲物を見据えるジャガーのように、値段をつり上げる代理人を交互に見つめる。ついに一方が負けを認めた。マイヤーはハンマーをたたき、3250万ドル(約36億円)で落札されたことを宣言した。 大変な額だが、驚きには値しない。ピカソの作品は、死後半世紀近くたっても見る人を魅了し、誘惑し、当惑させ、挑発している。 彼は人の顔を破壊し、遠近法を排除して、画家として出発した当初から、私たちが頭に描く世界観を根底から打ち砕いてきた。創作意欲は実に旺盛で、青の時代、バラ色の時代、アフリカ彫刻の時代、キュビズムの時代、シュルレアリスムの時代と作風を目まぐるしく変えながら、彫刻、素描、版画、陶芸、絵画と、幅広い作品を数多く生み出した。物理学者のアルベルト・アインシュタインが宇宙に重力波があると予言したように、ピカソは誰よりも早く、目に見えない世界の動きをとらえていた。 ピカソの作品管理に携わっている息子クロード・ピカソは、スイスのジュネーブにある自宅の居間で長椅子に座りながら、父親の影響力についてじっと考えをめぐらせた。「父は私たちが慣れきったものを一つ残らず破壊し、すべての人に新しい視点を与えたのです」 赤ん坊はいかにして天才へと成長を遂げるのか。たった一人の人間が、世界中の人々の視点を一変させることなどできるのだろうか。ピカソは破天荒な男だった。生と死が交錯する闘牛とサーカスが大好きで、羽目も外すが寡黙でもあり、女好きで傲慢だった。 神童として世に出てから晩年に至るまで、まるでキャンバスにしっかりと塗り付けられた絵の具のように、ピカソは偉大な芸術家になることが運命づけられていたようだ。実際、彼にはあらゆる要素がそろっていた。創造への情熱や好奇心、意志の強さを育んでくれる家族がいて、刺激を与えてくれる芸術仲間にも恵まれていた。 そして、時代も彼に味方した。科学や文学、音楽の新しい発想が創造意欲をかき立て、誕生してまもないマスメディアによって押し上げられた。しかも91歳という長寿だ。彼は並外れた人生を、とても長く生きたのだ。■あふれる才能の源泉 パブロ・ピカソは1881年10月25日、スペイン南部の都市マラガに生まれた。ぐったりとして動かなかったため死産だと思われたが、叔父のサルバドールに葉巻の煙を吹きかけられて息をふきかえしたという。彼が子ども時代を過ごしたマラガは、太陽の光が降り注ぐ地中海に面した街で、今も活気に満ちている。 ピカソが洗礼を受けたサンティアゴ教会から聞こえてくるのは、聖歌隊が歌うミュージカル「ラ・マンチャの男」の「見果てぬ夢」だ。彼が屋外で初めてスケッチしたメルセド広場のカフェは、大勢の観光客でにぎわい、メニューには、12ユーロ(約1500円)のピカソ・バーガーがある。そして、若きピカソにたばことフラメンコを教えたロマの人々が、通りを闊歩している。『美の変革者ピカソ(ナショナルジオグラフィック2018年5月号)』1
2019.01.13
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図書館で『空の冒険』という本を、手にしたのです。この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・ということで借りたわけでおます。【空の冒険】吉田修一著、木楽舎、2010年刊<「BOOK」データベース>よりままならない現実の中で、その先にある光をめざして進む主人公たちの物語。ANAグループ機内誌『翼の王国』から生まれた、心に寄り添うようなショートストーリーの数々。映画『悪人』の原作者であり、脚本も手がけた著者の制作エピソードも収録。<読む前の大使寸評>この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・rakuten空の冒険2018釜山国際映画祭大使も土地勘のある韓国釜山を、見てみましょう。p186~193<プサン、カンコク> 韓国釜山に行ってきました。 これまでソウルには何度か行ったことがあるのだが、釜山は初めて。近い近いとは聞いていたが、いやはや本当に近かった。福岡からきた友人なんて50分で着いたらしい。 今回釜山を訪れた目的は「釜山国際映画祭」。拙著『パレード』が映画化され、ワールドプレミアが行なわれたのだ。 通常この手の映画祭は、監督や主演俳優さんたちが参加するもので、原作者などお呼びではないのだが、監督の行定勲さんとは旧知の仲だし、釜山行ったことないし、担当編集者のCさんも「カンジャンケジャン食べたい!」って言うし、ということで、半ば強引に参加させてもらったのだ。 この釜山国際映画祭、2009年で14回目を迎えるまだ比較的に若い映画祭なのだが、若いだけあって、活きがいというか、肌なんかピチピチしているような感じで、還暦どころか米寿に近い米国のアカデミー賞に比べれば、知名度こそまだ低いが、とにかく映画が好きな制作者たちと、とにかく映画が好きな観客たちと、そして地元が大好きな釜山の人たちが集まって、それはもう街を挙げてのお祭りになっている。 今回もっとも驚かされ、また感動したのが、縁の下の力持ちとなって映画祭のロゴが入ったTシャツを着た青年が車へ案内してくれる。案内してくれるだけの人なら、別の映画祭にもいるのだろうが、この青年の態度や表情にありありと歓迎の色が見てとれるのだ。 もちろん「ようこそ釜山へ」と口で言うのはたやすいし、実際そんな言葉をかけられたわけでもないのだが、荷物を持ってくれようとする青年の態度や、携帯で車を回すようにドライバーに連絡する青年の声から、「ようこそ釜山へ。映画祭楽しんでくださいね」という気持が滲み出ているのだ。 空港からホテルへはもちろん、ホテルとイベント会場への送迎、イベント会場の受付も警備も、街の至る所にある案内所にも、彼ら、お揃いのTシャツを着たボランティアの若者たちがいた。ある者は監督や俳優たちの世話をし、ある者は会場でチケットを売り、またある者は会場の警備に立ち、プロの記者たちと並んで各種イベントの撮影までやってのける者もいる。 親しい友人の家を訪れたとでも言えばいいのだろうか、とにかく映画祭全体、いや釜山の街全体が、親しい友人の家のような印象だった。 ホテルに先乗りしていた行定監督が、「とにかく釜山は熱いんっすよ。みんな手弁当で集まって、映画祭を盛り上げようとする気迫みたいなものが伝わってくるんですよ」と言っていたが、毎年参加しているという行定さんが、この映画祭を愛してやまない理由が分かるような気がしたし、このような映画祭に大事にされている行定さんが少し羨ましいほどだった。 考えてみれば行定監督と初めて会ったのは、今からもう8年も前のことになる。監督は九州熊本の出身、そして僕は長崎出身、お互い68年生まれと年齢も同じで、二人とも18歳で上京しているので、共通点はかなり多い。ついでに分野は違えど、互いに大きな賞をもらったのがまた同じころで、結果、下積みの時期もぴったり重なる。(中略) 釜山で3日間を一緒に過ごして、改めて行定さんというのは生来の映画監督なんだなぁと思うことが多々あった。 行定さん本人はどう思っていらっしゃるのか知らないが、基本的に彼は社交的な人間に見える。ただ、この見えるというのがくせ者で、イベント会場でも、夜の宴会でも、大いに喋り、周囲の視線をその一身に浴びているように見えるのだが、よくよく観察してみると、彼がみんなに見られているようで、その実、彼のほうがみんなを見ているのだ。(中略) 自作が映像化されるというのは、嬉しくもあり、不安でもあるのだが、今回の『パレード』のキャスティングに関して言えば、まるで彼らをモデルに自分が小説を書いたのではないかと思うほど、スクリーンの中の登場人物たちに引き込まれてしまった。原作の中で僕が描こうとした色が、やはり監督には見えていたとしか言いようがない。 そういえば、今回宿泊したホテルは、美しいビーチ沿いに建っていたのだが、あいにく部屋の窓から見えたのは、海ではなく、釜山の町並のほうだった。大盛況だったイベントを終え、美味しい焼肉をたらふく食べたあと、ほろ酔いで部屋に戻り、しばらく窓から景色を眺めていた。酔った目にネオンの灯ったハングルの看板がちらちらと見える。『パレード』という作品は、僕にとっても、前出の担当編集者のCさんにとっても、初めて海外で翻訳された作品だった。韓国の出版社から届けられた韓国版『パレード』を、Cさんが一応開けてはみたものの、すべてハングル文字だったので、何が書かれているのかさっぱり分からず、2週間もデスクの足元に放置していたという笑い話が思い出される。 自分の本が書店に並ぶことでさえ、まだ俄かに信じられない頃だった。それが海を渡り、その国の言葉になり、それを読んでくれた方々と同じ劇場で、映画になったその作品を観る。 普段は部屋にこもってパソコンに向かうだけの日々だが、たまにはこういうご褒美も素直に受け取ろうと思えた、気持ちのいい釜山の夜だった。『空の冒険』1:ラ・ボル、フランス
2019.01.12
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図書館で『空の冒険』という本を、手にしたのです。この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・ということで借りたわけでおます。【空の冒険】吉田修一著、木楽舎、2010年刊<「BOOK」データベース>よりままならない現実の中で、その先にある光をめざして進む主人公たちの物語。ANAグループ機内誌『翼の王国』から生まれた、心に寄り添うようなショートストーリーの数々。映画『悪人』の原作者であり、脚本も手がけた著者の制作エピソードも収録。<読む前の大使寸評>この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・rakuten空の冒険エッセイのひとつを、見てみましょう。p154~159<ラ・ボル、フランス> パリからTCVで三時間。ラ・ボルはフランスの西側、大西洋に面した高級ビーチリゾートである。フランス国内では知らぬ者がいないほど古くからの避暑地で、日本で言うところの鎌倉や葉山のような場所らしい。 今回このラ・ボルを訪れるにあたり、都内の書店でガイドブックを調べてみた。入ったのは、わりと大きな書店である。『地球の歩き方』を含め、4種類ほどフランスのガイドブックが並んでいたのだが、驚いたことにどのガイドブックにもラ・ボルが載っていない。街の紹介がないのはもちろん、地図にその地名さえ載っていないのである。 世界中どんな小さな町へ行っても、中華料理店と日本人観光客の姿は必ずあると言われて久しい。日本の旅行ガイドも世界一親切であると名高い。なのに日本で言うところの鎌倉や葉山が、フランスの地図に載っていないのである。 冒険と名付けるのは大袈裟だが、ガイドブックにない場所を訪れるのは今回が初めてだった。 今回の渡仏の事情を簡単に説明すると、拙著の海外版権を扱ってもらっているエージェントのコリーヌさんに誘われたからである。彼女の話によれば、毎年このラ・ボルで『海辺の作家たち』という催しがあるらしい。 フランス人の作家たちが集まり、例えば、ある文学作品とそれに合うワインなんかを紹介するユニークな企画もあるという。毎回ある世界の都市がテーマになるのだが、今年のそれが「東京」。テーマ都市から作家を招くというのも恒例で、その白羽の矢が僕に立ったのである。 「誘ってもらえるのは嬉しいんですけど、作家の集まりというのが苦手なんですよね!」 当初は腰が重かったのだが、「吉田さんは最後の日に1時間だけ対談に出てもらえばいいのよ。あとの3日間はビーチで日光浴三昧なんだから」というコリーヌさんの言葉をころりと態度を改めた。となれば、目的地の情報が一切載っていないガイドブックをトランクに詰めて、いざ出発である。 前の晩パリで一泊し、翌朝モンパルナス駅から3時間の旅。多少時差ぼけ気味ではあったが、3時間後は高級ビーチリゾート。トランクを引っ張る手にも力が入る。 ヨーロッパの電車の座席というのは基本的に向かい合わせである。今回のように一人旅だとどうしても知らない人と向かい合わせになる。正直、気詰まりである。 「でも、だからこそ『恋人までのディスタンス』みたいな物語が生まれるんですよ!」と、恋愛武闘派のライターT譲などは簡単に言うが、万が一相手がジュリー・デルピーでも、こちらがまったくイーサン・ホークではないのだから状況は変わらない。 どんなヒトかなー、などと考えながら指定された号車に乗り込んだ。チケット片手に通路を進んで行くと、僕の座席(二人席)の向かいに東洋人の若い女性が座っている。番号を確かめ、とりあえずシートに荷物を置く。ちらっと目が合ったので会釈を交わした。会釈だけで分かるはずもないのだが、なんとなくその佇まいが日本人っぽくない。 荷物を荷台に上げていると、横のコンパートメント(4人席)に陣取ったフランス人の家族が頻りに彼女に声をかけてくる。彼女も流暢なフランス語である。コンパートメントにはおばあさんが二人、孫娘らしい幼い女の子が二人。何を話しているのかはまったく分からないのだが、しばらくするとふくよかなおばあさんの方が腰のコルセットを外して立ち上がり、僕の前の彼女と席を替わった。 腰が痛くてこちらの席はつらいとでも言ったおばあさんに、「だったら替わりましょうか」とかなんとか言い合っていたらしい。となるとなぜか彼女が日本人のように思えてくる。優しい子だなぁなどと思っているうちに、電車がゆっくりと動き出す。 パリを離れると、車窓からの景色はすぐに田園風景に変わる。僕の目の前で居眠りを続けていたおばあさんがワゴン販売の声にふと目を覚ましたのは、到着1時間ほど前である。呼び止めてペットボトルの水を買ったのだが、蓋が固くて開けられないらしい。代わりに開けてやると、礼を言いながらおばあさんが僕の読んでいた文庫本を手に取る。逆さまに持っているので日本語が読めるはずもない。しばらく眺めていたおばあさんが一方的にフランス語で話しかけてくる。もちろん一切理解できない。フランス語ダメなんですと英語で伝えてもお構いなしである。どうしたものかと焦っていると、「シノワ」という言葉だけが聞き取れた。「ノン。ジャポン」と答えた途端、おばあさんが慌ててコンパートメントに移っていた彼女を呼ぶ。「マイ、マイ、この人、日本人だった。ほら、マイ!」といった感じだろうか。すやすやと眠っていた彼女も慌てて目を覚ます。偶然隣り合わせたのではなく、元々この五人が一組のグループだったらしい。 呆気にとられて眺めているうちに、「ほら、せっかくなんだから、こっちに来てお話しなさいよ」とかなんとか(たぶん)言いながら、おばあさんと彼女がまた席を替わる。同じ国の人なのだから仲良くなるのは当然だと考えるおばあさん的思考は、世界各国共通らしい。 少し照れながらも寝起きのマイさんは僕の前の戻った。「どこまでですか?」と尋ねられ、「ラ・ボルです」と答えると、「私たちもなんですよ。珍しいですね、日本人がラ・ボルなんて」と驚く。 ラ・ボルに到着するまで、このマイさんと話した。マイさんはピアニストで十年近くパリに住んでいるらしかった。ちなみに同行の家族はご近所の方で、ラ・ボルにある彼女たちの別荘に遊びに行くという。 「てっきり偶然隣り合わせて、親切に替わってあげたんだと思ってましたよ」と僕が言うと、「そのわりには、遠慮もなく、おばあちゃんたち持参のサンドイッチをパクオアク食べてると思ったでしょ」と彼女が笑う。 実際、彼女は食べていた。席を替わったお礼にしては、よく食べるとも思っていた。二人で笑い合っているうちに電車がラ・ボルに到着する。降り際、「数日いるなら、必ずうちに食事に来なさい」とおばあさんが誘ってくれる。 ラ・ボルは7キロに及ぶ美しいビーチを中心に出来た町である。町には古くからの瀟洒な別荘が集まり、海岸沿いには70年代に造られたらしいモダンなコンドミニアムが並んでいる。 ヴィラ風のホテルにチェックインすると、コリーヌさんと主催者の奥さんであるブリジットさんの案内で催しの会場となる教会へ向かった。町の中心の広場に立つシンボル的な教会である。会場ではちょうどフランス人のある作家が朗読をやっていた。百席ほどある席は半分ほど埋まり、みんな真剣な表情で朗読に耳を傾けている。 一旦会場を出ると、ブリジットさんが恐ろしいことを言う。 「せっかく遠くから来てくださったんだし、3日間ラ・ボルを自由に楽しんでね」と。浅田次郎著『パリわずらい江戸わずらい』1
2019.01.12
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<『新潮日本文学アルバム大岡昇平』1>図書館で『新潮日本文学アルバム大岡昇平』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、井伏鱒二、小林秀雄と並んで談笑している写真があり・・・大使の琴線に触れたわけでおます。【新潮日本文学アルバム大岡昇平】樋口覚編、新潮社、1995年刊<「BOOK」データベース>より戦後50年、再評価の時を迎える知的探究者、戦争を凝視続けた昭和末までの「夢の集約」。写真で実証する作家の劇的な生涯。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、井伏鱒二、小林秀雄と並んで談笑している写真があり・・・大使の琴線に触れたわけでおます。amazon新潮日本文学アルバム大岡昇平池澤夏樹の賛辞を、見てみましょう。p97~100 <事実と哀惜、それに意地> 一人の作家が生まれるに際しては、いくつもの要因が重なって働きかけるのが普通だが、大岡昇平の場合は一つの大きな力が彼を作家にしたと言い切れる。自分が属する国が戦争をはじめた。二年半後、戦況はおもわしくなく、彼は35歳という高齢にもかかわらず徴兵され、一兵士としてフィリピンに送られた。彼が属する軍は敗北し、彼自身は捕虜になった。 やがて国は降伏して、復員した。この大きな体験が小説の執筆という仕事の方へ彼を強く促した。その結果生れたのが『俘虜記』であり、『武蔵野夫人』であり、『野火』である。 戦争に行く前から彼には人並み優れた文学の教養があり、才能のある友人たちがおり、翻訳の修練によって身についた文体があり、批評家としての文学への姿勢があった。しかし、一応の文章が書ける者が小説という特別に雄弁な表現手段を身につけるには跳躍が必要である。 それなくして小説を目指したばかりに、いつまでも漫然と随筆と小説の間の冥府をさまよっている者は世に少なくない。大岡昇平の場合、出征と戦闘と捕虜の体験がこの決定的な跳躍をもたらした。言ってみれば、耕して、畝を立てて、肥料も入れておいた畑に、戦争体験という特別な種がぽとりと落ちたことになる。その先の結実の豊かさ見事さは言うまでもない。 戦争について、ぼくたちは何も知らない。表面的な知識として知ったつもりでいても、戦争が自分の身に実現した時にどういうことになるか、それを知らない。戦前の日本人でフィリピンの山野の風景を知っている者などいなかった。海外を知っている者さえごく少なかった。日常を離れて大集団で別の土地へ行く。 それまでの生涯を費やして身につけた一日本人としての知恵や教養や行動パターンが通用しない土地。別の言語が使われ、長い別の歴史を持ち、別の文化があり、別の政府が支配している土地。そこへ徒党を組んで行って、居座り、武力によって仮の秩序を維持し、反攻する勢力と対峙する。 鉛筆削りの肥後守しか持ったことがない手に銃を持つ。蚊を叩く以上の殺生をしたことのない心で人間を撃つ。敗走して、山野をうろつき、自分一人の才覚で食べられるもの、飲める水、安全な一夜の隠れ処を探す。捕虜になる。収容所の中で祖国の崩壊を教えられる。そういうことを体験する数十万人の一人になる。 改めて考えてみれば、平和な時代を生きて人生を全うした者が想像しようともしない激動の日々である。体験者の大半にとっては、表現できない混乱した記憶だけが残り、それが薄れてゆくのを心のどこかで惜しく思いながら余生を送る。死者はもちろん語らない。そういうものだ。しかし、大岡昇平には用意があった。彼には言葉があった。機会を与えられた者は多かったはずなのに、実現できた者は彼一人だった。 具体的に彼は何をしたか。自分の体験を理知的に整理して、文体を工夫し、正確な日本語で表現していったのだ。自分一人の「個人的な体験」を語ってゆくうちに、しかしそれは普遍の価値を帯びてきた。 フィクションという表現手段に頼る時、人は事実から離陸して超事実の高空へ上がり、真実の天に至り得る。これが小説の魔術である。病気の敗残兵として山の中をうろついていて、若い敵兵の姿を見ながら、撃てる立場にいながら、撃たない。飢餓の限界に近づきながら、目の前に提供された「干し肉」を食べない。左手が右手を押さえる。 このふるまいの中に彼は自分をではなく、人間を発見した。自分が特別の者だったら、聖者だったら、その聖性は彼自身にしか意味のないものである。自分が多くのうちの一人、人間の一人であれば、聖性は人間たち全体の共有資産であり、人間たちの未来を照らすものになる。闇の中に一条の光が射す。それを言うための検証の厳密さが彼を小説家にした。大岡昇平を読むことは、すなわち厳密な検証という知的快楽を味わうことである。近代日本にこれほど虚偽の排除に力を注いだ作家はいなかった。
2019.01.09
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井伏鱒二といえば、以前に読んだ『徴用中のこと』にあるとおり戦中派の作家という印象も強いし、『黒い雨』の作者でもある。ということで・・・これまで読んだ(あるいは、これから読む)「新潮日本文学アルバム」シリーズを集めてみました。写真が多くてビジュアルなのが、ええでぇ♪・大岡昇平・井伏鱒二・坂口安吾・寺山修司・今後、借りたい作家R1:「大岡昇平」を追記*****************************************************************************【新潮日本文学アルバム大岡昇平】樋口覚編、新潮社、1995年刊<「BOOK」データベース>より戦後50年、再評価の時を迎える知的探究者、戦争を凝視続けた昭和末までの「夢の集約」。写真で実証する作家の劇的な生涯。<読む前の大使寸評>追って記入amazon新潮日本文学アルバム大岡昇平**********************************************************************************【新潮日本文学アルバム井伏鱒二】井伏鱒二、新潮社、1994年刊<「BOOK」データベース>より少年時代は画家志望。青春の孤独を通して得たユーモアとエスプリ、清新な感覚で開花した市井人の文学。原爆の悲劇を世界に訴えた『黒い雨』の巨匠の生涯。<読む前の大使寸評>井伏鱒二といえば、以前に読んだ『徴用中のこと』にあるとおり戦中派の作家という印象も強いし、『黒い雨』の作者でもある。rakuten新潮日本文学アルバム井伏鱒二『新潮日本文学アルバム井伏鱒二』2:「黒い雨」への道程『新潮日本文学アルバム井伏鱒二』1:徴用員井伏鱒二************************************************************************【新潮日本文学アルバム坂口安吾】坂口安吾、新潮社、1986年刊<「BOOK」データベース>より写真で実証する作家の劇的な生涯と作品創造の秘密!―新潟屈指の名家・坂口家に生まれて、終生〈家〉を嫌悪し、反逆と無頼を貫く。どてらと浴衣で通す1年、薬品中毒による錯乱の日々…敗戦の日本に「堕ちよ、生きよ」と主張して思想と文学の主導者となった燃焼の生涯49年。<読む前の大使寸評>新潮日本文学アルバム・シリーズは先日『新潮日本文学アルバム寺山修司』を借りたので・・・個人的にはシリーズ2冊目となるこの本を借りようと思ったのです。amazon新潮日本文学アルバム坂口安吾*****************************************************************************【新潮日本文学アルバム寺山修司】寺山修司、新潮社、1993年刊<「BOOK」データベース>より没後10年、若者に〈自分さがし〉の羅針盤を指し続ける鬼才・寺山修司の迷宮ワールド。<読む前の大使寸評>寺山修司といえば、昭和生まれで昭和に(47歳で)没した…昭和を代表するようなマルチタレントのクリエーターであった。amazon新潮日本文学アルバム寺山修司『新潮日本文学アルバム寺山修司』1*****************************************************************************<今後、借りたい作家>・宮沢賢治・織田作之助・
2019.01.06
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2018年のノーベル文学賞は、またも村上春樹を外しましたね。(2018年はノーベル賞側の不祥事があり文学賞そのものを取止め)2017年のノーベル文学賞はボブ・デュランが受賞し、びっくりポンでおます。でも、なかなかいい選定ではないか♪でも、まあ、毎年この時期に、当落に心躍らせるのもなかなかいい風物詩ではないかと思ったりする♪****************************************************<村上春樹関連の蔵書>・色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(2013年)・村上春樹ロングインタビュー(2010年)・夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです(2010年)・1Q84 BOOK1(2009年)・「1Q84」をどう読むか(2009年)・村上春樹にご用心(2007年)・走ることについて語るときに僕の語ること(2007年)<図書館で借りた本>・風の歌を聴け(1982年)・螢・納屋を焼く・その他の短編(1987年)・海辺のカフカ(2002年)・東京奇譚集(2005年)・私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー(2009年)・女のいない男たち(2014年)・職業としての小説家(2015年)・騎士団長殺し第一部・第二部(2017年)<その他>・「フィリップ・マーロウがつなぐ輪」より・『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪R5:『螢・納屋を焼く・その他の短編』(予約中)を追記【色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年】村上春樹著、文藝春秋、2013年刊<内容紹介>より三年ぶりの書き下ろし長篇小説。 (発刊直後は「BOOK」データなし)<読む前の大使寸評>発売初日に内容も確かめずに単行本の小説を買ったことは、我が読書生活では初めてのことであるが・・・・ミーハーだったかなとの自覚はあるわけです(汗)Amazon色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年************************************************************【村上春樹ロングインタビュー】考える人 2010年 08月号 、新潮社、2010年刊<内容紹介より>特集 村上春樹ロングインタビュー 日常から離れた新緑の山にこもって、たっぷりとお話をうかがった3日間。 【1日目】 一人称から三人称へ 『ノルウェイの森』のこと 僕と鼠の物語の終わり 歴史少年だったころ 物語の間口と奥行き プリンストンへ 「第三の新人」講義 『アンダーグラウンド』と『サハリン島』 『アフターダーク』と『1Q84』 『1Q84』はいかに生まれたか クローズド・サーキット 手を握りあう 物語を掘りだす 文体が支える BOOK3 女性たちとセックス 「1Q84」という世界 パラフレーズすること 【2日目】 プリミティブな愛の力 『静かなドン』から始まった 話し言葉と語りの力 メタファーの活用と描写 BOOK4の可能性 近過去の物語 十歳という年齢と偶然を待つこと 父的なものとの闘い 漱石のおもしろさ 芦屋から東京へ 心理描写なしの小説 自由であること、個であること 時間が検証する 十歳で読書少年に 芦屋のころ 19世紀的な小説像 自我をすっぽかす小説 長距離ランナー 【3日目】 リスペクトの感情 古典の訳し直し サリンジャー、カポーティをめぐって カーヴァーの新しい境地 20世紀の小説家の落とし穴 アメリカの出版界 オーサー・ツアー 全米ベストセラーリスト エルサレム賞のこと 短篇小説と雑誌の関係 今後のこと。 <大使寸評>村上さんがインタビューで、小説を書く舞台裏とかノウハウを惜しげもなく語っています。小説を書きたいと思う大使にとって、たいへん参考になります♪Amazon村上春樹ロングインタビュー村上春樹ロングインタビューbyドングリ************************************************************【夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです】村上春樹、文藝春秋、2010年刊<内容紹介より>13年間の内外のインタビュー18本を収録。なぜ書くのか、創作の秘密、日本社会への視線、走ることについてなどを語りつくす。 <大使寸評>ちょっとかったるい本なので、いまは積読状態になっているけど・・・そのうち読もう。Amazon夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです************************************************************【1Q84 BOOK1】村上春樹著、新潮社、2009年刊<内容紹介>より1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。 <大使寸評>1Q84のシリーズ3冊を購入したが、ハードカバーのシリーズ3冊とはしぶちんの大使としては画期的なことである。このシリーズはもう打ち止めにしてほしいものだ。Amazon1Q84 BOOK1************************************************************【「1Q84」をどう読むか】河出書房新社編、河出書房新社、2009年刊<商品説明>より今を代表する30人の論客が、様々な角度から村上春樹の「1Q84」を照射し作品の謎を紐解く。「1Q84」に向けられた評論からの問い。加藤典洋/川村湊/沼野充義/森達也/島田裕巳/斎藤環他。<大使寸評>この3冊シリーズの小説がなぜこれだけ売れたのか気になるし、他の人がどう読むかも興味深いのです。rakuten「1Q84」をどう読むか************************************************************【村上春樹にご用心】内田樹著、アルテスパブリッシング、2007年刊<内容紹介>よりベストセラー『下流志向』のウチダ教授が村上文学の秘密をついに解きあかす! 本文より 「私たちの平凡な日常そのものが宇宙論的なドラマの「現場」なのだということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除をしたりアイロンかけをしたり、友だちに電話をしたりするのである。それはとってもとってもとっても、たいせつなことだと私は思う。」 <大使寸評>追って記入Amazon村上春樹にご用心************************************************************【走ることについて語るときに僕の語ること】 村上 春樹著、文藝春秋、2007年刊<「BOOK」データベースより>1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走り始めた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走り続けてきた。旅行バッグの中にはいつもランニング・シューズがあった。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう?日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか?村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。 <大使寸評>「継続は力なり」を地で行くような村上春樹のメモワールであり、市民ランナーとして思い当たるふしの多い本である。読破するのが惜しいので、少しづつ読んでいるが・・・これもある意味、積読になります。Amazon走ることについて語るときに僕の語ること<図書館で借りた本>【風の歌を聴け】 村上春樹著、講談社、1982年刊<出版社からの内容紹介より>1970年の夏、海辺の街に帰省した〈僕〉は、友人の〈鼠〉とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、〈僕〉の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。<大使寸評>神戸、芦屋あたりが舞台だから土地勘もはたらくし、ものうく軽い、この都会的センスがいいね♪Amazon風の歌を聴け************************************************************【螢・納屋を焼く・その他の短編 】予定村上春樹著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった…。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/04予約、副本2、予約0)>rakuten螢・納屋を焼く・その他の短編 ************************************************************【海辺のカフカ】 村上春樹著、新潮社、2002年刊<出版社からの内容紹介より>15歳の誕生日、少年は夜行バスに乗り、家を出た。一方、猫探しの老人・ナカタさんも、なにかに引き寄せられるように西へと向かう。暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて。<大使寸評>どうでもいいことかもしれないけど、この小説の全編にわたって土地勘があるのです。ただ、大使の場合、四国の田舎から神戸、東京に向かうところが逆コースなんだけど(笑)Amazon海辺のカフカ************************************************************【東京奇譚集】村上春樹著、新潮社、2005年刊<「BOOK」データベース>より五つの最新小説。不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこか、あなたの近くで起こっているかもしれない物語。【目次】偶然の旅人/ハナレイ・ベイ/どこであれそれが見つかりそうな場所で/日々移動する腎臓のかたちをした石/品川猿<読む前の大使寸評>村上春樹の小説を昔にさかのぼって読みたくなるわけです。・・・はまってしまったんでしょうね。rakuten東京奇譚集東京奇譚集byドングリ************************************************************<『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』2>図書館で『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』という本を、手にしたのです。レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。それから、本の表紙に「村上春樹翻訳ライブラリー」とあるのだが、村上さんの翻訳者としての実力がしのばれるのである。【私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー】村上春樹編訳、中央公論新社、2009年刊<「BOOK」データベース>より密なる才能、器量の大きさ、繊細な心…カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だったーJ・マキナニー、T・ウルフ、G・フィスケットジョンほか、早すぎる死を心から悼む九人が慈しむように綴ったメモワール。<読む前の大使寸評>レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。rakuten私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』1************************************************************【女のいない男たち】村上春樹著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>より絡み合い、響き合う6編の物語。村上春樹、9年ぶりの短編小説世界。【目次】ドライブ・マイ・カー/イエスタデイ/独立器官/シェエラザード/木野/女のいない男たち<読む前の大使寸評>村上春樹の短編小説集ってか・・・『1Q84』ブームの後に、こんな本が出ていたとは、春樹ファンを自認している大使としては不覚であった。rakuten女のいない男たち************************************************************【職業としての小説家】村上春樹著、スイッチ・パブリッシング 、2015年刊<「BOOK」データベース>より「MONKEY」大好評連載の“村上春樹私的講演録”に、大幅な書き下ろし150枚を加え、読書界待望の渾身の一冊、ついに発刊!【目次】第一回 小説家は寛容な人種なのか/第二回 小説家になった頃/第三回 文学賞について/第四回 オリジナリティーについて/第五回 さて、何を書けばいいのか?/第六回 時間を味方につけるー長編小説を書くこと/第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み/第八回 学校について/第九回 どんな人物を登場させようか?/第十回 誰のために書くのか?/第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア/第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出<読む前の大使寸評>大学図書館でみっけ、市図書館の予約を解消し、借出したのであるが・・・大学図書館は穴場やで♪<図書館予約:(10/27予約、11/27大学図書館でミッケ、借出し)>rakuten職業としての小説家************************************************************【騎士団長殺し第一部・第二部】村上春樹著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりその年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降っていたが、谷の外側はだいたい晴れていた…。それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。<読む前の大使寸評>16ヵ月も待ったのか…個人的には最長待機の予約本ということになるのです。もう本屋の店頭では見かけないもんね。主人公は職業的な絵描き(肖像画家)であるが、妻から要求されて離婚に応じたのです。その後、自分が描きたいものを探すかのように、エージェントをたたんで彷徨するわけです。・・・と直球勝負のような、サマセット・モーム『月と6ペンス』を髣髴とするかのような純文学と言いましょうか。<図書館予約:(4/12予約済み、8/30受取)>rakuten騎士団長殺し第一部・第二部『騎士団長殺し第一部・第二部』1:騎士団長の登場<その他>< フィリップ・マーロウがつなぐ輪>より『ブレ-ドランナー』と『チャイナタウン』をつなぐのがフィリップ・マーロウなんですね。もっと製作サイドから言えば・・・監督スコットの愛する『チャイナタウン』であり、脚本家ファンチャーが愛する『さらば愛しき女よ』ということになります。さらに、個人的な話になりますが・・・『さらば愛しき女よ』を図書館で借りて入院し、入院中に痛みに耐えて読破した大使である。医者が「本が読めるんですか」と感心していたが・・・・フィリップ・マーロウが好きなんですよ。【さよなら、愛しい人】レイモンド・チャンドラー著、早川書房、2009年刊、11年1月読破<「BOOK」データベースより>刑務所から出所したばかりの大男、へら鹿(ムース)マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探しに黒人街の酒場にやってきた。しかし、そこで激情に駆られ殺人を犯してしまう。偶然、現場に居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらましたマロイと女を探して紫煙たちこめる夜の酒場をさまよう。狂おしいほど一途な愛を待ち受ける哀しい結末とは?読書界に旋風を巻き起こした『ロング・グッドバイ』につづき、チャンドラーの代表作『さらば愛しき女よ』を村上春樹が新訳した話題作。 <大使寸評>映画『チャイナタウン』が、パクリとは言わないまでも、この本をを下敷きにしていることが良くわかります。ただ、フィリップ・マーロウは、エロ話で盛り上がるジェイク・ギテスよりは上品ですね(笑)Amazonさよなら、愛しい人レイモンド・チャンドラーといえば、村上春樹のロング・グッドバイも良かった。【ロング・グッドバイ】レイモンド・チャンドラー著、早川書房、2007年刊、2009年5月6日読破<「BOOK」データベースより>私立探偵フィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には哀しくも奥深い真相が隠されていた…大都会の孤独と死、愛と友情を謳いあげた永遠の名作が、村上春樹の翻訳により鮮やかに甦る。アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞受賞作。 <大使寸評>ミステリーというジャンルに初めて手を出したのは、フィリップ・マーロウの魅力もあるが、村上春樹訳に惹かれたからでもある。翻訳本は翻訳者の創作とも言われるように、翻訳者の能力、感性が作用するようですが、村上訳は原本に忠実と言われているようです。(原本を読んだわけでは、ありませんが)Amazonロング・グッドバイリドリー・スコットも「未来のフィリップ・マーロウ」というアイデアに執着したようですね。ところで、村上春樹は未来のフィリップ・マーロウともいえる『ブレードランナー』のデッカードについて、どう思っているんでしょうね。(調べてみます。)【ブレードランナーの未来世紀】より60年代終わりから、ヴェトナム戦争を背景に、ハリウッドでは再びアンハッピーエンドの映画が作られた。いわゆるアメリカン・ニューシネマである。ハリウッド映画が描かなかったアメリカのダークサイドを描こうとしたニューシネマは、ハリウッドが闇を描いていた40年代のフィルム・ノワールを再生した。それがスコットの愛する『チャイナタウン』であり、ファンチャーが愛する『さらば愛しき女よ』なのだ。スコットはファンチャーの脚本の「未来のフィリップ・マーロウ」というアイデアに興奮した。彼はロマン・ポランスキー監督の「チャイナタウン」(74年)のようなフィルム・ノワールを撮りたいと思っていたからだ。****************************************************<『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪R3>図書館で借りた小川洋子著『博士の本棚』という本を読んでいるのだが…このところ集中して借りた本のなかで、『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪が見られるので、並べてみます。・『気になる日本語』2011年刊・『妖精が舞い下りる夜』1993年刊・『中国行きのスロウ・ボート』1997年刊・『博士の本棚』2007年刊・『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』2011年刊・『注文の多い注文書』2013年刊・『みみずくは黄昏に飛びたつ』2017年刊しかし、まあ…村上作品を信奉する女性作家に囲まれる村上さんは、作家冥利につきるようでおます♪R3:『気になる日本語』を追記このところ、エキゾティックな満州、上海など気になるのだが・・・この本にという歌が出ているので、見てみましょう。なるほど、という歌のとは天国のことだったのか♪この歌のメロディーは知らないが、暇な大使は“『中国行きのスロウ・ボート』がつなぐ輪”としてフォローしていたのです。ちなみに、村上春樹はこの曲に、死の気配を感じたそうだが・・・この辺りが作家的感性なのか?(大使、深入りし過ぎでは?)
2019.01.05
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本平松洋子『野蛮な読書』の書評を、見てみましょう。p223~225<ともに歩いていく仲間> 手に取る本と、よほど一体になっているから、こんな離れ業のようなエッセイが書けるのだ、とおもった。なにを、でなく、どのようにそれを読んだか、自在にのびちじみする時間のなかの記録。本と書き手の名の連なりを、平松氏本人の日常、非日常の空気が、パン生地のようにつないでいく。 ある一文にいざなわれ、うなぎの煙にさそわれるかのように、腕をひろげ、なだらかな回想の海へおよぎでる。「読書だって場所や時間と同調する」とあるとおり、平松氏は、本を、字の印刷された紙の束とは考えていない。息づき、眠り、きげんよく笑いかけてくるときもあれば、そっぽをむいてしまうこともある。平松氏は自分の生きている時間の上に大切に本をのせる。伴奏者として、あるいは、ナビゲーターとして、どの時間、その場所は、どんな速度で進もうが、きっと本はついてきてくれる、そんな信頼感にあふれている。 食べものの描写が頻出するが、それらもまた、よくある食い道楽と一線を画している。本と同じく、食べものも、平松氏にとっては「読む」「食べる」対象などではなく、時間の上をともに歩いていく仲間なのだ。気の合いそうな相手をみつけたら、「こっちにおいで」と声をかける。ぼおっとしているようなら手をのばしてさわる。いっきにひっつかむときもある。その呼吸のことを「野蛮」と、本人は苦笑まじりに呼んでいる。 池部良の項、間接話法で池部の肉声がひびいてくる。女優沢村貞子の26年間つけていた献立日記、大学ノートの原本36冊をひもといていく描写からは、朝夕の煮炊きの音、そして匂いが、ページの上にありありとたちのぼった。獅子文六の項に、ある意味、平松氏の「野蛮」の極致をみた。「どんな味がするのかな」と愛嬌たっぷりにはじめながら、かじり、ほおばり、しゃぶりつくす。さいごには、骨だけの獅子でだしをとって湯漬けにする。ごちそうさまでした。文六もここまで食べてくれたら本望にちがいない。 本への信頼とは、距離をおいてみれば、いまここにいない、死んでしまった人への信頼、ということにもなってくる。この世からとうに歩み去ったひとびとの時間と、みずからの時間が、ていねいかつ大胆に、太いのりしろでつながれ、読まれているあいだ、彼女らは、いま、ここを生き直す存在となる。「野蛮」とは、太古からつづく、死者への敬意、礼節にも通じているいくことばにも読める。 「すばる」2011年10月ウン 紙の本に拘る野蛮な平松さんであるが・・・いしいさんのこの記事を紙の本への拘りR5に収めておきます。『いしいしんじの本』6:冒頭のエッセイ『いしいしんじの本』5:シンジさんの読書遍歴『いしいしんじの本』4:吉幾三と太宰治のつながり『いしいしんじの本』3:いしいさんの読書歴『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへ
2019.01.04
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本冒頭のエッセイを、見てみましょう。p7~10<ティーンエイジャーのいしいしんじ> 1999年半ば、地球が終わるとささやかれていたころ、僕はそんな外部世界のことなどどうでもよう、このまま俺は終わる、というかもう終わってる、と部屋で寝転んではうそぶき、ただ、ドアをあけ外をみわたすと、なんだかまだ終わってない、書き割りの薄っぺらな風景がつづいている、けどそんなものにごmかされてたまるかと冷笑しながら、やっていることは朝から酒をのんでいるくらいだった。仕事はできなくうなっていた。人と会えないんだからどうしようもない。 その頃までの仕事というのは、人にあって興味深いその人物記を書いたり、赤塚不二夫やきんさんぎんさんと対談したり、抱腹絶倒の爆笑エッセイを書いたり、アクロバティックな短篇、息をとめて突っ走るような掌編、外国と日本の比較文化論や、科学読み物、絵本、四コマ漫画まで書いていた。つまり、なんでもありのライター稼業、注文があったなら、ぜったいに締切には遅れず、注文したその編集者の予想をこえる完成度の原稿をわたすこと。どんな分野の、どんなレベルの原稿でも、まる一日集中しさえすれば、「完璧に」書きあげる自信があった。 春先から、へんだ、という予兆はあった。まわりの建物がぐんとせりあがり、僕のほうへ先端からなだれかかってくる気配がしてしょうがない。原稿の注文がどれもこれも似通ってきた。かとおもえば、千本ノックのようにばらばらの注文がきた。居酒屋で8時間近くしゃべりつづけ、トイレに立って鏡をみたら、勢い余って唇をかんだらしく顎が血まみれになっていたり、寝ていても、眠っている自分をみながら、起きているもうひとりがあらわれ、僕に話しかけるのだが、その話しかけられえている僕自身ははたして眠っているのか、それともめざめているのだろうか。 そのうち注文がとだえ、頭がぐるぐるまわりながらそのど真ん中でからだが動かない感覚におそわれつつ、僕はこのときはじめて、それまで自分が、どんな内容の原稿だって「完璧に」書ける、万能の書き手、と思いこんでいたことを、寝ていても起きている例のもうひとりの口から、ねっとりした声でささやかれた。そして、その思いこみが、まったく見当ちがいだったことも。(中略) 年末、東京でひとりで暮らすのが、精神的にも肉体的にも金銭的にもきびしくなり、うまれそだった大阪の実家に、いったん身を寄せることにあった。といって、新幹線の乗車賃などもっていない。JR神田駅を徒歩でたずね、駅長に「なんとかならないでしょうか」と相談した。大阪の天王寺駅の駅長室に、先に帰省していた兄に来ておいてもらう。神田駅と天王寺駅を電話でつなぎ、駅員同士で会話がなされ、僕は神田駅の駅長から、黄ばんだ書類を1枚わたされ、「これがあなたの切符になる。車掌にみせても、若い職員だと手続きを知らない場合が多いから、相手によく読んでもらいなさい」。そうして東京駅から新幹線に乗りかえて大阪にいった。この出来事はもうひとりの自分が、耳の底にささやいたエピソードなどではなく、神田の駅長も「20年ぶりくらいに書いたなあ」となつかしんでいたように、刑事が逃走中の犯人を捕らえ、連れ帰るときに駅でとる、昔ながらの手続きである。 実家にもどった僕は、祖母が向かい住んでいた四畳半で、腹ばいになったり古い「婦人画報」をひらいたりしてごろごろして過ごした。 僕は母に、こどものころ、僕がこの部屋でなにかを書いたことがあったかたずねてみた。母は、4歳から6歳までかよった幼児生活団にもっていくため、ずっと「お話」を書いていた、とこたえた。「ふうん、そういうの、とってあったら、いまどんな風に読めるやろ」僕がいうと、母は妙な顔をし、「なにゆうてんのん、ぜんぶとったあるがな。二階の六畳間の袋棚の、つづらのなかに残してあるがな」 自分のうちに「つづら」がある、というインパクトも相当大きかったが、ともかく六畳間にあがり、踏み台にのぼって袋棚をあけると、兄のぶん、ふたごの弟のぶんにはさまれ、飴色の藤であまれた僕のつづらがひっそりと置かれている。ふたをとってみると、半ばで折られた茶封筒がみえ、あ、これだなと一目で直感した。封筒のなかには折り紙サイズの正方形に整えられた画用紙の束がはいっていた。なんだか、ここでずっと待ち伏せしていたようにもみえた。いちばん上の青い表紙には、おぼえたての平仮名で、このように書かれていた。「たいふう いしいしんじ」。これがまさしく、四歳半の僕が書いた、いちばんさいしょの「お話」だった。ウン 切符のエピソードがええやんけ・・・やっぱりかなり、変り者である。『いしいしんじの本』5:シンジさんの読書遍歴『いしいしんじの本』4:吉幾三と太宰治のつながり『いしいしんじの本』3:いしいさんの読書歴『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへ
2019.01.02
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“文学賞にチャレンジ”という秘めたる野望を持つ大使なんですが・・・この際、文学賞についてあれこれ集めてみました(アホやで)・『いしいしんじの本』・『極夜行』・『五色の虹』・大特集『作家と文学賞』・作家の履歴書・新人賞へチャレンジ・書評サイトR1:『極夜行』『いしいしんじの本』を追記<『いしいしんじの本』>図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本『いしいしんじの本』5:シンジさんの読書遍歴『いしいしんじの本』4:吉幾三と太宰治のつながり『いしいしんじの本』3:いしいさんの読書歴『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへこのたび角幡唯介著『極夜行』が大仏次郎賞を受賞し、本屋大賞と合わせて2冠達成となったのです。とにかく『極夜行』には角幡さんのサバイバル感覚が余すことなく描かれているようで、すごい♪<ETV特集『極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~』>先日(12/01)のETV特集『極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~』を観たのだが、壮絶な内容であった。2018.12.01極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~より 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。自撮りカメラの映像と肉声でつづる壮絶な旅の記録! 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。猛烈な吹雪に襲われて方角を知るすべを失い、食料が底を尽き生死の境をさまよう。 壮絶なサバイバルが繰り広げられた「極夜」の世界で、角幡は何を見たのか? 自撮りカメラには、極限の状態に置かれた人間の生々しい姿と肉声、そして人類のはるかな記憶に回帰していく探検家の思索の跡が収められていた。 出発早々に六分儀を失ったので、角幡さんは北極星と月と移動時間だけをたよりに備品デポ地点を目指すのですが、この自撮りレポートはほぼ全篇が暗い地底のような光景が続くのです。それだけに、冬至を過ぎて、地平線上に太陽が顔を出したときの感激がよく伝わったのです。相棒のソリ犬は精神安定剤の役目をはたす存在でもあったが、最悪状況では殺して食べることも考えていたと、サラっと語っていました。しかしまあ、角幡唯介の辞書には絶望という言葉は存在しないのか?あるいは危機に対してある種の鈍感モードに切り替わるのか? まあ、凄いわ。(孤独なサバイバルを耐える鈍感さがあり、自分の危機を客観視できる)・・・ということで、早速『極夜行』という本を図書館に借出し予約したのです。イラチな大使でおます。予約状況を見ると、入手できるのは半年後というところでしょうか。【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行<『五色の虹』>第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品は、三浦英之の『五色の虹』とのこと。満州建国大学卒業生たちの戦後に着目して、彼らの半生を追った著者のジャーナリスト魂がいいではないか♪・・・ということで、「五族協和」にこだわる大使は、出版社のサイトを覗いてみました。第13回開高健ノンフィクション賞受賞作品『五色の虹』より三浦英之 日中戦争の最中、日本の傀儡国家となった満州で、日本、中国、朝鮮、モンゴル、ロシアの五民族から選抜された優秀な若者たちが六年間、共同生活を送った場所がある。 幻の大学と呼ばれる最高学府「満州建国大学」。 そこでは満州国の国是「五族協和」を実践すべく、特殊な教育が施されていた。学生たちは二十数人単位の寮に振り分けられ、授業はもちろん、食事も、睡眠も、運動も、生活のすべてを異民族と共同で実施するよう強制されていたのだ。一方、学生たちには「言論の自由」が等しく与えられ、五民族の学生たちはそれぞれの立場から、日本や満州の政策をめぐって日夜激しい議論を戦わせていた。 1945年、満州国が崩壊すると、建国大学は開学わずか八年足らずで歴史の闇へと姿を消す。それぞれの母国へと戻った学生たちは「日本帝国主義への協力者」として弾圧され、過酷な生活を余儀なくされた。日本人学生の多くはシベリアに送られ、中国やロシア、モンゴルの学生たちは長年、それぞれの権力の監視下に置かれた。 そんな彼らが半世紀以上、密かに編み続けてきた記録がある。極秘の同窓会名簿である。卒業生1500人の氏名と住所、戦後に就いた職業などが記されている。かつてのニッポンが目指した「五族協和」と、現在の中国共産党の進める「少数民族同化政策」とが、どう違うのか?・・・ついナショナリズムに傾く大使でんがな。<大特集『作家と文学賞』>本屋でIN★POCKET 2014年10月号を見かけたが・・・大特集『作家と文学賞』となっているので、即買いでした。超お買い得やで♪【IN★POCKET 2014年10月号】雑誌、講談社、2014年刊<出版社サイト>より【大特集:作家と文学賞】いつ、どこで、どの作品で、賞を受けたのか。驚いた。喜んだ。はたまた、悔しかった。文学賞に対する思いは、作家の数だけ違う。けれど、ひとつだけ共通すること。どんな賞にも受賞者しか知らない秘密と思い出がある。作家がこっそり教えてくれる、ここだけの「文学賞」、うちあけ話。 <大使寸評>ピンポイントで大使のツボを突いています。これで200円なら、超お買い得でおま♪文学賞カレンダー(p53)なんてのもあるので、だめもと応募に役立ちそうです。(アホやで)kodanshaIN★POCKET 2014年10月号<作家の履歴書>『作家の履歴書』という本は適当につまみ読みしても、文学賞デビュー方法が学べる内容になっています。つまるところ、読んで楽しいハウツー本として評価できるのではないでしょうか♪(デビューできるかどうかは、読者の素質次第なんでしょうけど)【作家の履歴書】阿川佐和子、他著、KADOKAWA、2014年刊<商品説明>より当代きっての人気作家が、志望動機や実際に応募した文学賞、デビューのきっかけなど、作家になるための方法を赤裸々に語るノンフィクション。作家志望者必読の、様々なデビュー方法が具体的に学べる決定版!<読む前の大使寸評>作家志望の大使にとって、作家デビューのヒントが満載の1冊でおま♪rakuten作家の履歴書作家の履歴書byドングリ<新人賞へチャレンジ>『日本語文章がわかる』という本のなかで、某誌編集者の松成氏が新人賞へ勧誘していました。某誌および出版業界の宣伝も兼ねているんでしょうけど。<新人賞へチャレンジ:松成武治>よりp101~102 『生きる』で今期(2002年下期)の直木賞を受賞した乙川優三郎氏は、「何の下地もなしに小説らしいものを書きはじめてから十余年」と自らの歩みを回想しています。 乙川氏が、小説の世界に入ったのは、「気まぐれ」からだったといいます。 ある夜、酒を飲みながらテレビで退屈な時代劇を見ていた。これなら自分にも、短篇なら書けるかなとワープロに向かいます。 10秒前までは、その気もなかったのに、書き始めてみると、結局、2週間ぐらいかかりますが、最後まで書くことができた。で、小説雑誌の新人賞に応募する。落選。以来、年に2篇、新人賞にチャレンジして、5年目に「藪燕」でオール読物新人賞にゴールイン。 『霧の橋』で第7回時代小説大賞、『五年の梅』で第14回山本周五郎賞授賞、と乙川氏は、一作、一作、階段を上がるように作品世界を充実させて、今回の直木賞受賞を迎えます。乙川氏の場合、何の準備もない、ずぶの素人からここにいたるまでに十余年の歳月が必用だったというわけです。 第109回の直木賞を授賞し、乙川さんの先輩にあたる高村薫氏もよく似たコースを辿りました。 日本経済が右肩上がりの好調を続けた80年代のなかば、高村氏は、当時はまだまだ高価、70万円ほどもしたパソコンを入手。 買ってはみたものの、さほどの用途もなく、暇つぶしの気分で文章を作ってみた。それが高村氏にとって、小説世界への入り口でした。 書き上げてみると、だれかに読んでもらいたく、といって親や友達に見せるのは恥ずかしく、と、新人賞に応募したのが今日の高村氏に接続します。 高村、乙川氏ばかりではなく、新人賞にチャレンジする人々は増加の一途です。 発行部数よりも、新人賞への応募数のほうが多いと悲鳴を上げる雑誌まであらわれるほどの活況ぶりですが、この現象は、次の世代の文壇隆盛のために大変に喜ばしいことだと受け止められます。 偶然、出来ごころ、好奇心、動機はさまざまで結構です。続々と小説世界への参加を期待しています。大変に魅力に満ちた世界であると確信しています。<書評サイト>ネット上には、いろんな書評サイトがあり、大使もフォローしているのだが・・・この中に文学賞受賞作も含まれているので、励みになるのでは。■朝日新聞系列好書好日トップベストセラー解読売れてる本朝日デジタルの書評からbyドングリ■文芸春秋・今月買った本・新書の窓■図書:岩波書店・読む人・書く人・作る人
2018.12.31
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本シンジさんの読書遍歴を、見てみましょう。p182~185<小説を「生きる」時間> 「「おれ」のこの場面の「赤シャツ」に対する気持をこたえなさい。(『坊ちゃん』より)」「おれなあ、イタリア生まれやから赤シャツとか似合うやん、そやから絹の袖になあ、スルルルッと腕とおしてな、広場のテラスでスパゲティチュルルルッツって食うてん」。満州帰りの中学の国語の教師はさすがに馬鹿にされていることはわかったらしく試験の点数はもちろん素行点は下の下の下だった。 パンチパーマをゆるくほどいた髪型で校舎の裏でセブンスターを吸っていたら、近所の友だちに冷水器のところに呼び出され「しんちゃん、このままやったらお前、ただのチンピラになってまうで。チンピラ格好ええか?」といわれ、そんな顔していうんやったら、あんまし格好ようないかもな、と思った。 この頃、大藪春彦や横溝正史など読んでいたのを覚えている。いま振り返ればまんま角川映画の戦略に乗せられていて微笑ましい。小学生の頃はなにより海外のSFだったが、中学校に入ってから文庫で芥川龍之介、太宰治などの日本のメジャーどころを読みこんなにおもしろいのかとびっくりした。「日本語で書かれている」と思った。 海外のSFも日本語に訳されてはいたけれど、ぎりぎり限界の命がけで書かれた日本語は次々とかたまりのままこちらの深い穴に飛びこんできては、意味とかストーリーとか以前に、黒い湯につかっているような熱っぽい感覚で僕の内側を満たした。 なかでも夏目漱石や正岡子規、森鴎外の日本語はすごかった。捕獲したての野生動物のように暴れ、うなり、なにかを猛然と平らげていくといった感じがした。そんな年齢ということもあったかもしれないが、こういう人たちが、それまでになかった小説の日本語を、書いていくその一瞬ごとに作りだしていったことはたしかなことだ。 高校生になってジャズのレコードを聴き、そうか俺はジャズをやる人間だったと気づいてテナーサックスを買った。テナーサックスは三週間練習してもスー、スー、としか鳴らなかった。よく行くジャズバーにサックスを持っていき、バーテンの人に「俺ジャズやる人間かと思ってたら違った。三週間やっても鳴らへん」といったら、バーテンの人は僕のサックスを調べて妙な顔をし、「いしい君、サックスは竹のリードをはめな鳴らへんで」といった。竹のリードを買ってはめたら三秒で音が出た。 週に三回ジャズバーに通って専属のミュージシャンに練習をつけてもらった。ジャズなどはじめるとどうしてもアメリカの小説に手が伸びていく。メルヴィルにホーソーン、ヘミングウェイ、フィッツジェラルドにフォークナー。サリンジャーやアップダイクなどの現代小説を読むようになると、読めもしないのに古本屋でペーパーバックを買って、公園や電車の駅でぱらぱらめくる癖がついた。カート・ヴォネガットはその古本屋の主人に薦められて初めて手にした。 ブローティガン、ジョン・バース、アイイザック・シンガー。それまでになかった小説の言葉をいま作りだしている人たちが、まだこんなにいるのかと驚き、サックスを鳴らして興奮した。 ヤングアダルト図書総目録2009年12月ウン 織田作之助賞受賞にふさわしいシンジさんの関西弁がええでぇ♪・・・それにしてもイラチなのにアホなところがいかにも関西人である(笑)。『いしいしんじの本』4:吉幾三と太宰治のつながり『いしいしんじの本』3:いしいさんの読書歴『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへ
2018.12.31
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本吉幾三と太宰治のつながりを、見てみましょう。p166~167<金木町のブルース> 演歌師吉幾三は言うまでもなく太宰治と同じ金木町の出身で太宰治が玉川上水に浮んで4年後の昭和27年に生れた。私は一度間近で会ったことがあるがぎょっとするぐらい背が高く、太宰治も当時としては皆がふり返るくらい長身というのをどこかで読んだことがある。 いまインターネットで調べてみたら今年の11月にやはり金木町に太宰治の等身大の銅像を建てる計画があるらしくその高さは176センチである。吉幾三は公称178センチだからふたり太宰と吉が岩木山をバックに並んでいる姿はまさに津軽の空である。吉幾三は歌詞を自分で書いている。「俺はぜったい!プレスリー」の歌詞で太宰なのは一見目立つ病院やマイネではなく、これは楽曲を聴かないとわからないが、イェイイェイイェイのうねりと含羞である。 「俺ら東京さ行ぐだ」は、もう当たり前というくらい太宰治に聞こえるが、それはもちろん歌詞の内容がどうというよりよくいわれる通り「日本においてヒットした最初のラップ」であるからだ。「女生徒」「駆け込み訴え」などを引くまでもなく太宰治の小説はほぼすべてラップである。また、ヒットした当時、この歌の方言はまったく津軽弁でない、とか、金木町には「電気は通っていた」しそれほどの田舎ではない、などと揶揄されていたのを覚えているが、田舎のイデアというか、逆理想郷のようなものを設定して東京をひっくり返すというやりかたも吉と太宰は通じる。 そしてさらに重要なのはただ技法状、ライムを重ねていくだけという表層的な偽ラップでなく、太宰治の小説は人間のブルースから来る本物のラップであり、その点太宰治とは北部の白人の富豪家にまぎれこんだ黒人だったともいえる。 うたうしか他にできず、神様にやけにすがり、なにかあるとすぐ薬に手を出してしまう。そしてギター代わりに筆を持ちトーキング・ブルースをうたう。吉幾三のラップがいまも生きており、卒業やら桜やらふやけた言葉をただ並べただけのラップっぽいだけの楽曲がすぐに消えていくのは、太宰ほどの濃厚っさはなくても、吉幾三にも津軽の黒人の血が入っているせいにちがいあるまい。 「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒットする前年私は交換留学でアメリカにいったが格好をつけるための英語のペーパーバックと、そして新潮文庫で出ている太宰治の本を全冊、持っていった。たいへん重い荷物だった。 シカゴで迎えに来るはずの人が誰も来ず、郵便飛行機で小包扱いで田舎町へ行った。何ヶ月が過ごすうち、近所の喫茶店でわりと話すようになった大学生のバイトの黒人が、私が読んでいる文庫本に目をつけ、それ面白いんやったら訳してくれよ、といった。私はいちばん短い「満願」を1週間くらいかけて英訳した。黒人と友人らに喫茶店で読んで聞かせたが、皆からだをエビのように折って手を叩いて爆笑したのは、私の珍妙な英語ばかりでなく、「満願」に流れ渡るブルースの光と影のせいだったろう。 「文芸別冊 総特集 太宰治」2009年4月ウン カラオケでは吉幾三の「雪国」を熱唱する大使であり、わりとファンであるが・・・「ブルースをうたう吉幾三のラップ」という賛辞には、なるほどと思ったのです。『いしいしんじの本』3:いしいさんの読書歴『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへ
2018.12.30
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本いしいさんの読書歴を、見てみましょう。p66~70<仕事をしていない人間はひとりもいない> 仕事を、金銭を得る手段ではなく、それぞれの人間が、別の人間、あるいは世界ととり結ぶ、関係のありかたとして捉えるなら、この世で仕事をしていない人間はひとりもいない。ひとりで屋内にとじこもり、隣の部屋で植物を栽培し、それを食べ、一生外へ出ずに死んでいったとしても、そのひとが仕事をしなかったとは、けして断言できないように思う。 デパートや商店や、ひとそれぞれの職場で、言葉も理屈も届かない場所に、人間の存在を感じ、いちいち立ち止まっていては、とても厄介で、物事がたちゆかなくなってしまうが、本を読む時間のなかでは、そういう感覚に身を任せて、字面より深いところへ潜っていく、ということを誰もがだいたいしている。読書とは、ストーリーを味わうことでも、理解することでもなくて、そのなかへからだごと入っていき、言葉の届かない場所を揺さぶられることだ。 『流刑地にて』フランツ・カフカ 仕事と人間、というテーマで本をあげるならまずはカフカだ。カフカにおいては、仕事はその内容や目的でなく、いつの間にかはじまって終わるまでの、なんだかよくわからないひとつのプロセスとして描かれ、それは生れて死ぬまでの人間とつまり同じことである。手続きとしての人間。作業場としての世界。すべての作品に、どこか知らない場所の事務所や、現場独特の匂いがある。匂いといえば、徹底してドライに描きながら、あらゆる行間にユーモアがたちこめているのは、もちろん狙ってできることではなく、カフカ自身が一プロセスに徹した、その残り香にほかならない。 短篇『流刑地にて』は、何度読んでもなんのことかわからず、そのわからなさ自体が深い読後感を残す、たちのぼっては消えていく煙のような作品。(中略) 『北京の秋』ボリス・ヴィアン 十代のころに読んだ本で、ストーリーなどまったく覚えていないが、出てくるひとたちが皆、とにかく働いていた、という強い印象がある。誰かに強いられてでなく、といって自発的にでもなく、電信柱が立っているように、ただそこにいて、なんだかわからないことを休まずにこなしている。 いま振り返ってみれば、それは、小説に出てくる、という仕事にほかならず、無責任であろうが真面目であろうが、その働きの点ではまったく等価で、単純に裏返すと、すべての人間はこの世にいるという意味において絶望的に等価である、というアイロニーにつながっていく。小説の舞台は北京ではないし、季節は秋でもなんでもないけれど、やはりこの小説は「北京の秋」という題のまま、何百年も前から電信柱のように存在していたような、たまたま著者が20世紀のフランスにいて、自分の知っていることばで書いただけのような、そんな奇妙な広がりを感じつつ、読み終えたおぼえがある。 幼いころ一度きいただけなのに、何十年も耳について離れない、正体のわからない物音のような小説。 青山ブックセンターのイベントによせて2006年1月『いしいしんじの本』2:中国という感覚『いしいしんじの本』1:韓国のひとたちへ
2018.12.30
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図書館で『いしいしんじの本』という本を、手にしたのです。巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。図書館が正月休みに入るので、年越し本として追加して借りたのです。【いしいしんじの本】いしいしんじ著、白水社、2013年刊<商品の説明>より小説家いしいしんじは読む。とにかく読む。青年時代に没入した漱石や宮沢賢治、ブラッドベリから、小川洋子、小島信夫、辻原登、莫言、グレアム・スウィフト、ゼーバルト、マンガレリといった古今東西の作家たちまで。ジャンルの分け隔てなく読むのも、いしい流読書の魅力。写真家鬼海弘雄や絵本作家荒井良二、現代美術家大竹伸朗、漫画家ほしよりこなど、著者が語る本は、どれもみななんと面白そうであることか。なにより読んでいる本人が心の底から、身体の底から、本の時間を味わい、楽しみ、生きている。<読む前の大使寸評>巻末の著者略歴を見ると、京大仏文科卒で、織田作之助賞を受賞しているということで、変り者なんでしょう・・・ということで借りたのです。amazonいしいしんじの本良きにしろ悪しきにしろ中国は大きな関心事ということで、中国に関するエッセイを見てみましょう。p132~133<中国という感覚にのみこまれる> いま中国人の莫言という作家が書いた小説『転生夢現』を読んでいて、読んでいきながら自分がこれまで読んだどんな小説よりも広く暗くそしてまぶしく感じ、興奮し涙し爆笑し、ということばかりつづくのだが、これは莫言の新しい作品の日本語訳がされてそれを読むたびにそうである。 『転生夢現』は上下巻あって上巻は436ページあり、ある地主が1950年土地改革の騒動のなかで銃殺され地獄におち、そして無実を訴えるがもとの村へロバとして転生させられてしまう。 第4章「農業合作社のドラとどろき、雪中ロバが蹄鉄を打つこと」第6章「転生ロバがほのかに恋をし、知勇をふるってオオカミと闘うこと」第11章「転生ロバが義足をつけてもらうも、飢民に襲われて食われること」。その後地主は牛、豚と転生し短い生を継いでいきながら、農業、工業の国営化、紅衛兵の跋扈、文化大革命と、現代中国への流れを動物の低い目線から物語る。 歴史大河小説というような言葉におさまりきらない何かが莫言の小説にはいつもあるが、これは中国の本物の作家が本物の中国のことを書いているからそうなっている気がする。「三千年の歴史」などと戯れ言のように日本では中国のことをいうが中国では「歴史」と過去何年何千年という紙の積み重なりではなくて、もっと不定形で毛むくじゃらでウニョウニョうごめいていて、そのどこかの部分に自分のからだがおさまっている生暖かく巨大ななにかである。それは足を浸した夜の海に似ている。膨張と収縮をくりかえす「宇宙」に似ている。そしてまさしく「物語」のことでもある。 はじめて中国にいったのがたしか1995年でそれ以降いっていないが、こんなことを書くと怒られそうだが、上海の市街を数日歩きまわり、電車ですし詰めにされ別の名の知れない町へいってそしてまた戻ってきて、有名な大きな川の河岸にぼんやり立って北東の方角の空を見あげ、アーこの先に日本があるとふとおもったとき、日本という国が中国という大きなかたまりのなかのとても変わった一部と感じられ、ハッとしたことがあった。 アメリカの属州などといわれるカリフォルニア州の海岸に立って太平洋を眺め、この先の日本はアメリカの一部の島、と日本人が感じたりするだろうか。河岸に立ったとき私は中国という感覚にのみこまれていた。それは安らかであると同時にきなくさく、非論理的でふしだらな感じでもあった。「これからは中国だ」といってその時期誇らしげに移り住んだ大勢の日本人をみたがその人たちはいまふりかえるとなにか「転生」したあとのようにみえた。 そうした不合理や矛盾、非人間性をも内にのみこんで咀嚼し、一部と化してしまう大きさ、明るさ、暗さが中国とその歴史にはあり、そしてそのようなものを作ったのは人間である。というようなことが、莫言の小説を動かしている原理だとおもう。中国と宇宙と物語りは同じ軸でまわる。 「TRANSIT」2008年3月『転生夢現』の続きを、見てみましょう。p135~136<ページのむこうの特別な時間> 本を読むとは、一見そこに書いてある字を読むことだけだと思いがちだが実は、その書いてあるページのむこうの空間に全身ではいりこみ、日常の時間ではなくそこに流れている特別な時間に身を任せ流されていく、一種の身体経験、見えない踊りのようなものとみることもできるだろう。 音楽の場合を考えてみたらわかりやすいが、きいていると思っている瞬間音楽は逃げ去っているがその逃げさって行く瞬間の折り重なりがつまり音楽の流れで、小説や詩にも同じようなところがあり、本の場合文章を「演奏する」のは読者自身である。 『転生夢現』は歴史小説といえるが歴史上の出来事を連ねていくから歴史小説というのでなく、「釣り文学」とか「恋愛小説」などと同じく、「歴史とはなにか」「なぜ歴史があるのか」といった答えのない問いかけを、背後に響かせながら進んでいく「歴史小説」である。 主人公ははじめロバで、1950年のある日、橋の上で銃殺された主人公の地主が、閻魔大王の前に引きだされ無実を訴え、じゃあ同じ村に生まれかわらせてやるといわれて気がついたらロバになっている。ロバは寿命が人間ほど長くないので第1章で死んでしまい、再び閻魔大王の前に出てだましたことをなじると、次に転生させられるのは牛である。ブタ、犬、猿と転生を繰りかえす主人公の地主は、毛沢東時代、文化大革命、改革解放から2000年問題と、動物の目線ですべてを目撃し、その同じ目線のまま読者も歴史の波にたゆたう。中国そのものを生き直すといってもよい。 歴史とは過去の記憶などでなく、いま自分のいる場所を揺さぶりながら、行く先の知れない果てへ枝葉を伸ばしていく真新しい音楽であると、読者は全身で笑いながら知ることができる。(後略) 「MOE」2008年7月『いしいしんじの本』1
2018.12.30
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