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今日、日本への帰国便のチケットを購入した。年末は帰れそうにないし、修論のデータ集めもしないといけないし、今年中に一回帰っておいたほうがいいとは思っていた。まだ先のことだからいいだろう、とほっていたら、昨日メルマガ登録してある某旅行会社からお知らせメールが。なんと、Virginの里帰り直行便が350ポンドと言う。直行便はどんなに安くても500ポンド近くはするのが普通。経由便だって350では買えない。どうせ買おうと思ってたし、これを機会に早速購入。不思議なのが、このバーゲン、お知らせがきたのが昨日。発売締め切りが今日。要するに、二日限りの特別価格ということになる。HPにも載っていなければ、一般広告も無い。そういえば、二年前の秋に日本に帰ったときも同じようなセールでチケットを購入した。そのときはBAの直行便で250ポンド。やはり一日限りの特別価格だった。おまけにその時は、送られてきたチケットを見ると940ポンドと書いてあり、そのためかチェックイン時にただで2ランクもグレードアップしてくれた。乗り込むとシャンペンのサービスがあり、シェル型の寝心地のいい座席にUBONの食事。250ポンドしか払っていないのに申し訳ない気すらした。どんなカラクリがあるのかわからないが、きっとある期日までにどうしても売ってしまいたいチケットがあって、格安でさばいてしまうんだろう。今日は3月31日。航空券の出発日期限が9月30日。ちょうど半年後ということになる。この先半年の予約席の数とか、販売数とか、なにか関係があるんだろうか。いずれにせよ、格安で予定の日にちも取れ、大満足。Virginは航空会社の中でもサービスがいいし、食事が美味しい。直行便は贅沢だから、普段はめったに乗れないけど。今回はランクアップとは行かないかもしれないが、久しぶりのVirginでの帰国はちょっとうれしい。メルマガ登録もしておくものだ。
Mar 31, 2006
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今週一杯で今学期が終わり、またながーいお休みに入る。そういえば、このブログを始めたきっかけも去年のこの時期、あまりに暇だったからだ。本当はたくさん論文があるので「暇」なはずはないんだけど。この一ヶ月の間に書く予定の論文の一本は、日本語の短縮形を扱う。短縮形って言うのは実は日本人が無意識に共有してる言語感覚が顕著に現れるので面白い。誰に教えられたわけでもないのに、いつの間にか「キムタク」とか「パソコン」とかいう言い方が定着する。日本語では二語の複合短縮の場合、最初の二文字ずつをとって四文字の短縮形を作るのは基本技。一語の短縮でも最初の4文字をとる場合が多い。「アスパラ」とか「ハイオク」なんていうのがそれ。でも、場合によって3文字になって、「パンフ」とか「セレブ」なんていったりもする。4文字の場合は平板アクセント、3文字では頭にアクセントがくることが多い。その裏にあるルールを探るのが目的。単に日本語の短縮形ルールを調べているようでいて、実は日本語の基本になる音韻構造が分かる可能性が高い。今回は特に、外来語の短縮形に的を絞ろうかと思っている。最近気になるのは「デスチャ」とか「ブラピ」なんていう、複合語(名前だけど)短縮なのに4文字にならないタイプ。なんで「デスチャイ」じゃダメなのか。実は、日本語で4文字と呼ぶサイズは、言語学的には「foot×2」という結構ユニバーサルな音を数える単位に置き換えられる。「フット」と言うのが日本語で言うところの2文字に当たるわけだが、英語を含む多くの言語ではこれが単語の最小単位。日本語では一文字の単語も多いけど、英語では「pi」とか「ta」とか言う語は許されない。短すぎるのだ。だから「pea」とか「tar」と伸びるか、「pin」とか「tap」とか、最後にもう一つ子音がつく。関係ないようでいて、日本語にもこの制約は結構働いている。酢を「お酢」といったり花子ちゃんを「ハちゃん」と言わず「ハナちゃん」と呼ぶのもそのためだ。ようするに、「foot×2」というのは言語的にはとても落ち着いた理想的な形だと言える。ちょっと話がそれたが、そんなことを考えるとデステニーズ・チャイルドがデスチャになるのはちょっと不自然だ。先生とそんな話をしていたとき、私の「デスチャ」と言う発音を聞いて先生が「何で最後にグロッタルストップをつけるんだ」と聞いてきた。グロッタルストップというのはのどの奥のほうで出す詰まったような音で、日本人なら語末の小さい「っ」を発音しようとすると出来るはず。「あっ!」と言ったときの「あ」の後に来る音の無い音。そんな音を出したつもりは無かったのに、先生の耳には聞こえたらしい。でも後で繰り返してみても、ダンナに言わせてみても、確かに「デスチャ」の後にはグロッタルがある。実は「デス」で1フット、「チャ+グロッタル」で1フットという「foot×2」の形を守ろうとしているんじゃないかと言うのが、主旨になる予定。でも、困っていることがある。私も日本を離れて7年になる。年末に日本に帰ったときにテレビで「デスチャ」なんて言葉を聞いて驚いたばかりで、他にどんな短縮形が巷にあふれているのか全然分からない。特にこの「3文字」の短縮形に限ると、ネットで探していても思うように見つからないのだ。だいたい口で言っている流行言葉や音が記述に現れるまでには少し時間がかかるものだ。日本の女子高生を捕まえて「どんな言葉がはやってるの~?」なんていう怪しいことでもしない限り、本当のデータが得られない。しかもここはイギリスだし。なにかデータを集めるいい方法がないものだろうか。
Mar 23, 2006
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言語学を学ぶにつけ、なかなかしっくりと身につかない考え方がある。それは、清音と濁音、つまり有声か無声かということが1か0かの対立ではないと言うこと。日本語も英語も含め、多くの言語では有声音と無声音(pとb、tとdとか)が対立する。伝統的な音韻学ではこの意味の対立を作り出す最小の単位を「音素」として、PETとBET、 BETとBEDが対立することの説明とした。有声か無声か、というのは声帯が振動するかどうかで決まる。のどに手をあててしゃべったときに、振動していれば有声音。いわゆるささやき声はすべてを無声音化した状態だと言える。これ自体は分かりやすい概念だと思う。英語でも日本語でもこの対立は耳に聞こえやすいし、身につきやすい。でも、実際の音声を周波数、波形などを取って調べてみると、実は人が「有声か無声か」を聞き分ける鍵にしているのは実際の声帯の振動ではないと言うことが明らかになってきた。そして今では有声という概念が思うほど明確に無声と対立するものではなく、もっと段階的にとらえるべきものだという説が主流となっている。どういうことかというと、例えばフランス語の濁音は、英語の濁音よりもっとずっと有声の度合いが強いと言う。そしてフランス語と英語を比べると、実はフランス語の清音が英語の濁音によっぽど近い。そんなふうに考えていくと、じつは何をして有声と呼ぶか、という概念そのものが怪しくなってくる。フランス人にとっての無声音が、イギリス人にとっての有声音だということになる。(そのときに本当に比べているのはVOTと呼ばれる子音から次の母音までのギャップの時間だと言われている。)それに加えて、有気、無気の違いもある。英語では普通、語頭の無声音は有気音となるし、有声音は無気音となる。P(h)etに対してBetと言う息の漏れかたの違いがあり、それがPとBの区別にも役立っている。そして、無気の無声音というのは限りなく有声音に近く聞こえる。だから有声無声ではなくて有気無気を対立させる韓国人は清音と濁音の区別が怪しくなる。結局、そういう色んな要素が合わさって「有声」「無声」という印象を与えている、と言った方が正しいようだ。なんだかややこしい話になってしまったが、普段当たり前だと思っていることが意外に当たり前じゃないんだなぁ、と最近気づかされたことの一つだった。
Mar 21, 2006
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今日は「The first day of spring」だとニュースで言っていました。すぐにはピンと来ませんでしたが、春分の日なんですね、イギリス流の。確かに「春の始まり」と言われればそういう意味にも取れる。あれ、でも春分の日って3月21日じゃなかったっけ。あ、時差があるから日にちも一日ずれてるのね。そんな発見をした今日でした。ちなみに、「春の始まり」とは名ばかり。まだまださむ~い日が続くイギリスです。
Mar 20, 2006
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深夜にBBCで日本語の言語+文化を教える番組をやっていました。どう見ても80年代終わりごろの服装にヘアスタイルの日本人が、マイクを向けられてぎこちなく「私は銀座で働いています。」なんて言ったかと思うと、今度は受験戦争の話、そうかとおもうと漢字の成り立ちの話など、何でもありの番組でした。あれが今の日本だと思われるとちょっと困るなー、なんて思いながら見ていると、話はビジネスマンの礼儀、習慣に移りました。正しい名刺交換の仕方(私も知らない)、挨拶、お辞儀の仕方なんかの話の後、日本で働いている日本語も流暢に操る外国人が、日本人とビジネスをする際の注意点を説明してくれました。日本人ははっきりと物を言わないので、態度から相手の気持ちを汲まないといけないと言う話。その中で、「日本人にビジネスの話を持ちかけるときは、相手が乗り気かどうかこちらが察しないといけない。首を傾けて息を吸い込みながら歯で「シー」と言う音を出されたら、それはNOということだ」と。なるほど、考えてみたこともなかったけれど、やってみると確かに躊躇の気持ちを表している。口でNOとは言わないけど、「いやー、それはちょっと」的な感情が良く現れる気がする。こんな日本人と仕事するのは大変でしょうねぇ、なんて、ちょっと同情してしまいました。
Mar 14, 2006
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赤ちゃんは「言語中枢」なるものを持って生まれてきて、育つ環境によって何語でも習得できるように脳が設定されているという。考えてみれば当たり前の話だけど、それが本当にどういう意味なのか考えたことがなかった。昨日の授業でその証拠になるような話を聞いて、ちょっと面白かったのでご紹介。外国語を習得しようと思った事のある人だったら誰でも経験があるだろうが、大人の耳は母国語以外の言語の音を聞き分けるのが困難になる。日本人だったらLとR、BとVなんていう音が区別できなくて苦労した人も多いはず。そういう音の聞き分けが、なんと6ヶ月までの赤ちゃんは何の苦労もなくできるのだという。こんな実験がある。まず、赤ちゃんを母親のひざの上に置き、赤ちゃんから見て右側につまらないおもちゃ、左側に魅力的なおもちゃを置く。赤ちゃんが両方に興味を示したところで面白いおもちゃの方を隠してしまう。赤ちゃんは仕方なくつまらないおもちゃの方を向くことになるが、その間ずっと「BABABABABABABABA」という発音を聞かせ続ける。赤ちゃんにとってはつまらないおもちゃと「BABABABA」という音がリンクすることになる。それから突然音を「PAPAPAPA」に変え、その後すぐに左側の面白いおもちゃの方を見せる。それを何回か繰り返すと、赤ちゃんは「音がBABABAからPAPAPAに変わったら面白いおもちゃが現れる」という学習をし、「BABABABA...PAPA」と聞いた瞬間におもちゃが現れるより前におもちゃが出てくる左側の方を向くようになるらしい。ちょっとややこしいが、要するに赤ちゃんがBAとPAという音の対立を聞き分けて、それをヒントにおもちゃの出てくるほうを向く、と言うのが実験の概要。この方法で色んな音の区別を実験すると、実に赤ちゃんはおよそ世界中のどんな言語に見られる音の対立も容易に聞き分けるのだと言う。LとRはもちろんのこと、のどの奥のほうを使うアラブ語の難しい発音とか、何でも聞き分ける。ところが、この実験を生後3ヶ月、6ヶ月、12ヶ月の子供に対して行ったところ、生後12ヶ月になるとこの能力は消滅してしまうことが分かった。6ヶ月まではどんな音でも聞き分けていた赤ちゃんが、1歳になるとその能力を失い、今度は自分の母国語となるべき言語に存在する音の区別にしか反応しなくなる。こうして考えると、赤ちゃんは最初の六ヶ月で自分の母国語を見極め、その音韻構造を知り、関係のない音の区別は「必要のないもの」として区別しなくなるということになる。その取捨選択の過程が第一言語習得ということになる。とはいえ、いわゆるバイリンガルになるには、一般に12,3歳までにその国に渡ればよいとされている。小学校を卒業するまえに外国に来れば、子供は立派なバイリンガルになる。だとすると、その「失われた能力」は本当の意味で失われたわけじゃなくて、その後10年くらいは残っているということなのかもしれない。それを過ぎると、もう取り返しがつかない。生まれたばかりの頃にLもRも聞き分けることが出来たのかと思うと、なんだかちょっと悲しい。おまけとして、赤ちゃんはどんな音も聞き分けるだけでなく、どんな顔も見分ける能力があるらしい。「どんな顔」というのは、人間だけじゃなく猿のこと。赤ちゃんはやはり生後12ヶ月までの間は、人間だけでなく猿の顔の区別もできるのだとか。その能力が何に役に立つのか分からないが、でもきっと「どんな世界に生まれるのか分からないんだから何でも一つ一つ注意して見よう」ということなのかもしれない。人間が猿の顔を見分けられないのは、その必要がないからというだけなのかも。ここに来て、大学のときに文化人類学の先生が熱心に教えていた「エティック」と「エミック」の話を思い出した。世の中のすべてのものは連続体。それを分節するのが人間の能力で、その分節の仕方は文化によって異なるとか。虹の色を7色と見るか11色と見るかは文化によるけど、実際の虹の色の間には切れ目はないというのと同じ。そうして考えると、赤ちゃんが色んな音の対立を聞き分けている、と言うのは事実を捉えているわけではなく、実際赤ちゃんは世の中を、聞こえてくる音を分節していないだけなのかもしれない。「対立」と言う概念こそが、人間が成長する過程で身につけていくものなのかもしれない、なんて思った。
Mar 2, 2006
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