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ブリトニースピアーズの妊娠ヌード広告が、東京のメトロで物議をかもし出したというニュースを読んだ。http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/m20060823k0000e040068000c.html常々なんとなく気づいていたことが具現化されたようなニュースだ、と思った。イギリスでは妊娠中の女性を目にすることが多い。もちろん妊娠している人数が多い、というわけではないだろうけど、近所、テレビ、広告等で目にすることが多い。母がイギリスに来たときに一緒にテレビを見ていて、かなりお腹の大きい女性がプレゼンターを務めている姿に驚いていたのが印象的だった。慣れていた私はそんなことなんとも思わなかったからだ。でも、気をつけてみると、つい最近終了したばかりの、毎年恒例のテレビ番組BIGBROTHERの司会者も、あと4週間で予定日というお腹を抱えての司会だった。朝のBBCニュースのプレゼンター(男女のペア)の女性達も、代わる代わる妊娠しているように見える。大きなお腹を抱えてもぎりぎりまで働く、というのがイギリス流のようだ。お腹の大きい女性が目立つのにはもうひとつ理由がある。こちらの女性は妊娠中に、わざわざお腹を目立たせるような服装をするのだ。「わざわざ」というのは間違っているかもしれない。たぶん、普段と同じような格好をしているだけなんだろうけど、お腹が大きいので目立つんだろう。夏にはおへそが出るようなTシャツも着るし、ぴったりとしたトップスにパンツという格好も多い。日本で見るようなマタニティドレスなんて見たことがない。そしてみんな「私は妊娠してるのよ!」と宣伝しているかのように堂々としている。日本では妊娠中の姿と言うのは隠さなければいけないことみたいだ。今は誰もそんな意識はないかもしれないけど、お腹の大きい人をテレビで見ることは少ないし、仕事をしている姿も見ないし、マタニティドレスの形だってお腹を隠そうとしているように見える。「産の忌み」なんて習慣があった国なのだから仕方ないのかもしれないけど、新しい命が生まれてこようとしているのに、どうして隠さなければいけないんだろう。そんなことを考え始めると、帯祝いとかお宮参りとか、当たり前のお祝い事までシニカルな目で見ずにはいられなくなってしまう。今回のブリトニースピアズの一件は、メトロの対応がどうとか青少年への影響がどうとか言う以前に、西洋文化と日本文化との差から出てきた問題のように思えて仕方がない。西洋では妊娠中の姿を人前にさらすことに抵抗を示す人なんていないのだから。
Aug 23, 2006
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最近、論文のデータ収集にネット検索を利用することが多い。テーマとしている日本語の平板アクセントに関する論文、記事を探していると、どうにも気になってしかたがないことがある。それは「日本語が乱れている」とか「間違ったアクセントが氾濫している」とか、言語の「正否」を問う内容の文が異常に多いこと。「若者が間違った発音をしていて聞き苦しい」とか「古き良き日本語を失っていくことはなげかわしい」なんていう、「意見」がほとんどで、平板化を言語現象として捕らえようと言う考え方は皆無に近い。「日本語はこうあるべき」という考え方は、常に変化し続ける言語に対して無理を押し付けることだし、そういう自分がしゃべっている日本語もそのさらに昔の形から変化してきたものだということを考えないんだろうか。プログラマ、メモリなんていうコンピュータ用語や、ドラム、ザイルなんていうちょっとそのエリアに強い人が使い始めたいわゆる「専門化アクセント」は、今はかなり一般にまで普及している。哲学科の学生が「ハイデッガー」を平板に言っていたという笑い話もある。私が扱っているのは言語現象としてのDeaccentuation(アクセントを失うこと)なので、いわゆる「平板化アクセント」とはちょっと違うが、それでも言語変化のひとつとしてアクセントが平板化する現象は面白いと思う。そもそも複数のアクセントパターンを持っていた昔の日本語は、少しずつ「アクセントのある型」と「アクセントのない型」の二つに絞られていっているようだ。話題になるのは外来語の平板化ばかりだが、実際は漢語や大和言葉の多くも平板化が進んでいる。「電車」「飼い猫」「映画」なんていう言葉は今では平板のほうが主流とされている。「耳障り」でないので気づかないだけだ。その日本語全体に及ぶ平板化現象が、とうとう外来語に及び始めたというだけのことかもしれない。箸と橋と端の三つのアクセントの対比は有名だが、こういう三種類の対比を見せる日本語はそう多くはない。日本語、特に標準語のアクセント構造はどんどんシンプルになっているといえる。(京阪アクセントではもう少し多くの型が残されている。)それが「なげかわしい」ことだと思うのはただのセンチメンタリズムだ。逆に外来語の影響で「ディ」とか「ウィ」なんていう音が増えて、日本語の音韻構造は複雑化している。ディズニーランドをデズニーランドと呼ぶことは逆に恥ずかしいと思われているのはなぜだろう。さらに付け足すと、どこそこの名誉教授だとか偉そうな肩書きを持つ人が、平気な顔で外来語のアクセントと英語の元々のアクセントと対比させて「間違ってる」などと言ったりしているのは、本当に信じられない。外来語は音韻もアクセントも元の言語ではなく、日本語なら日本語の音韻規則に従うものだ。外来語として日本語に入ってきた言葉は、もう「日本語」だといえる。知識人を自称する人の無知には本当に見苦しいものだと思う。ところで、こういう言語変化に対する抵抗は、日本語だけではなく英語にも見られる。もともと「希望を持って」というような意味だったhopefullyを「できれば」という意味で使うことに批判的なのが代表例。オーストラリア英語に代表される語尾のあがるイントネーションに対する批判も多い。誰でも自分がしゃべる言葉が絶対で、違うものは認めたくないだけなのかもしれない。でもそんなことをものともせずに変わっていくのが言語だし、世代が変わればそれがまた当たり前になっていくのだろうけど。
Aug 18, 2006
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またか、というのが正直なところ。戦争に加担しているんだから仕方ないけど、どうもイギリスは狙われているらしい。でも本当のところ「イギリスが狙われている」という言い方は正しくないのかもしれない。去年の地下鉄テロも、今回も、イギリス生まれ、イギリス育ちの、国籍としては「イギリス人」に当たる人物が犯人とされている。イギリス生まれのイスラム教の二世の間で、過激派が増えているという話はよく耳にする。口を開けば労働者階級のイギリス人の子供みたいな訛りなのに、しゃべることは西洋主義を批判し、イスラムを崇める内容だったりする。自分たちでイギリスに渡ってきた親の世代のイスラム教の人々のほうが、むしろ寛容な考えを持っていたりする。言葉も生活もすっかりイギリス的な中で育ち、かつイスラム教的教育をされる矛盾の中で、特殊な感情が育つのかもしれない。イギリスでイスラムとして育つ中で、ひどい差別や押さえつけにあわなかったはずがない。自分たちの信仰を否定され、押さえつけられる中で、嫌悪の感情が生まれるのだろうか。今回のテロ未遂は、飛行機に液体爆弾を持ち込む計画だったという。セキュリティチェックの穴を狙った計画、といわれている。そういわれて思い出した。そういえば、このあいだ日本から帰ってくる時は、成田でお茶のボトルの中身まで検査された。ボトルを中身をチェックする機械にかける。ピーと音がして、緑のランプがつけばOK。私は二つボトルを持っていたが、なぜか十六茶が機械に引っかかり、ふたをあけて匂いまでかがれた。日本ではそんなチェックをしていたが、こちらの空港では見たことがない。大体、ヒースローのチェックは甘い、といつも思う。日本のほうがよっぽど厳しくやっている。液体のボトルだって、日本だったらきっとチェックで見つかるはずなのに。イギリスがとった対策は、水のボトルなどの持込禁止。水どころか、今は機内持ち込み荷物自体が制限されている。ヒースローから機内に持ち込めるものはパスポート薬類メガネ財布ティッシュ、ハンカチ鍵赤ちゃん用のミルクや必需品これだけだそうだ。それも、透明のビニール袋に入れること。これでは日本に行くような長距離便の人は大変だ。化粧品もだめだし、携帯電話やコンピュータ、カメラもだめらしい。預け入れる荷物に入れろというが、壊れたら弁償してくれるんだろうか。今こちらを訪れている日本人も多いだろうと思うが、これでは帰るのも大変だ。貴重品の扱いに困ることだろう。911以来激減したイギリスへの日本人観光客だが、最近すこしずつ回復しつつあった。きっとこれでまたがっくりと落ち込むことになるだろうなぁ。
Aug 10, 2006
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