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愈愈、終幕です...cont....**********川幅(かわはば)はあまり広くない。底は浅い。流れはゆるやかである。舷(ふなばた)に倚(よ)って、水の上を滑(すべ)って、どこまで行くか、春が尽きて、人が騒いで、鉢(は)ち合せをしたがるところまで行かねばやまぬ。腥(なまぐさ)き一点の血を眉間(みけん)に印(いん)したるこの青年は、余ら一行を容赦(ようしゃ)なく引いて行く。運命の縄(なわ)はこの青年を遠き、暗き、物凄(ものすご)き北の国まで引くが故(ゆえ)に、ある日、ある月、ある年の因果(いんが)に、この青年と絡(から)みつけられたる吾(われ)らは、その因果の尽くるところまでこの青年に引かれて行かねばならぬ。因果の尽くるとき、彼と吾らの間にふっと音がして、彼一人は否応(いやおう)なしに運命の手元(てもと)まで手繰(たぐ)り寄せらるる。残る吾らも否応(いやおう)なしに残らねばならぬ。頼んでも、もがいても、引いていて貰う訳には行かぬ。 舟は面白いほどやすらかに流れる。左右の岸には土筆(つくし)でも生えておりそうな。土堤(どて)の上には柳が多く見える。まばらに、低い家がその間から藁屋根(わらやね)を出し。煤(すす)けた窓を出し。時によると白い家鴨(あひる)を出す。家鴨はがあがあと鳴いて川の中まで出て来る。 柳と柳の間に的(てきれき)と光るのは白桃(しろもも)らしい。とんかたんと機(はた)を織る音が聞える。とんかたんの絶間(たえま)から女の唄(うた)が、はああい、いようう――と水の上まで響く。何を唄うのやらいっこう分らぬ。「先生、わたくしの画(え)をかいて下さいな」と那美さんが注文する。久一さんは兄さんと、しきりに軍隊の話をしている。老人はいつか居眠りをはじめた。「書いてあげましょう」と写生帖を取り出して、春風にそら解(ど)け繻子(しゅす)の銘は何と書いて見せる。女は笑いながら、「こんな一筆(ひとふで)がきでは、いけません。もっと私の気象(きしょう)の出るように、丁寧にかいて下さい」「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画(え)にならない」「御挨拶(ごあいさつ)です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」「持って生れた顔はいろいろになるものです」「自分の勝手にですか」「ええ」「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」女は黙って向(むこう)をむく。川縁(かわべり)はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面(いちめん)のげんげんで埋(うずま)っている。鮮(あざ)やかな紅(べに)の滴々(てきてき)が、いつの雨に流されてか、半分溶(と)けた花の海は霞(かすみ)のなかに果(はて)しなく広がって、見上げる半空(はんくう)には崢(そうこう)たる一峰(ぽう)が半腹(はんぷく)から微(ほの)かに春の雲を吐いている。「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷(ふなばた)から外へ出して、夢のような春の山を指(さ)す。「天狗岩(てんぐいわ)はあの辺ですか」「あの翠(みどり)の濃い下の、紫に見える所がありましょう」「あの日影の所ですか」「日影ですかしら。禿(は)げてるんでしょう」「なあに凹(くぼ)んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」「そうすると、七曲(ななまが)りはもう少し左りになりますね」「七曲りは、向うへ、ずっと外(そ)れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸(かか)ってるあたりでしょう」「ええ、方角はあの辺(へん)です」 居眠をしていた老人は、舷(こべり)から、肘(ひじ)を落して、ほいと眼をさます。「まだ着かんかな」 胸膈(きょうかく)を前へ出して、右の肘(ひじ)を後(うし)ろへ張って、左り手を真直に伸(の)して、ううんと欠伸(のび)をするついでに、弓を攣(ひ)く真似をして見せる。女はホホホと笑う。「どうもこれが癖で、……」「弓が御好(おすき)と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。「若いうちは七分五厘まで引きました。押(お)しは存外今でもたしかです」と左の肩を叩(たた)いて見せる。舳(へさき)では戦争談が酣(たけなわ)である。 舟はようやく町らしいなかへ這入(はい)る。腰障子に御肴(おんさかな)と書いた居酒屋が見える。古風(こふう)な縄暖簾(なわのれん)が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥(つばくろ)がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨(あひる)ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場(ステーション)に向う。 いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る。情(なさ)け容赦(ようしゃ)はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸(じょうき)の恩沢(おんたく)に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑(けいべつ)したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前(ひとりまえ)何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵(てっさく)を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇(おど)かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を擅(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢(いきおい)である。憐(あわれ)むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛(か)みついて咆哮(ほうこう)している。文明は個人に自由を与えて虎(とら)のごとく猛(たけ)からしめたる後、これを檻穽(かんせい)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨(にら)めて、寝転(ねころ)んでいると同様な平和である。檻(おり)の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命(フランスかくめい)はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜(にちや)に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人(ごじん)に与えた。余は汽車の猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様(さま)を見るたびに、客車のうちに閉(と)じ籠(こ)められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車(てっしゃ)とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝(つ)かれるくらい充満している。おさき真闇(まっくら)に盲動(もうどう)する汽車はあぶない標本の一つである。 停車場(ステーション)前の茶店に腰を下ろして、蓬餅(よもぎもち)を眺(なが)めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。 向うの床几(しょうぎ)には二人かけている。等しく草鞋穿(わらじば)きで、一人は赤毛布(あかげっと)、一人は千草色(ちくさいろ)の股引(ももひき)の膝頭(ひざがしら)に継布(つぎ)をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。「やっぱり駄目かね」「駄目さあ」「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪(わ)るくなりゃ、切ってしまえば済むから」 この田舎者(いなかもの)は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭(にお)いも知らぬ。現代文明の弊(へい)をも見認(みと)めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描(か)き取った。 じゃらんじゃらんと号鈴(ベル)が鳴る。切符(きっぷ)はすでに買うてある。「さあ、行きましょ」と那美さんが立つ。「どうれ」と老人も立つ。一行は揃(そろ)って改札場(かいさつば)を通り抜けて、プラットフォームへ出る。号鈴(ベル)がしきりに鳴る。 轟(ごう)と音がして、白く光る鉄路の上を、文明の長蛇(ちょうだ)が蜿蜒(のたくっ)て来る。文明の長蛇は口から黒い煙を吐く。「いよいよ御別かれか」と老人が云う。「それでは御機嫌(ごきげん)よう」と久一さんが頭を下げる。「死んで御出(おい)で」と那美さんが再び云う。「荷物は来たかい」と兄さんが聞く。 蛇は吾々(われわれ)の前でとまる。横腹の戸がいくつもあく。人が出たり、這入(はい)ったりする。久一さんは乗った。老人も兄さんも、那美さんも、余もそとに立っている。 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭(にお)いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑(すべ)って、むやみに転(ころ)ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺(なが)めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果(いんが)はここで切れる。もうすでに切れかかっている。車の戸と窓があいているだけで、御互(おたがい)の顔が見えるだけで、行く人と留まる人の間が六尺ばかり隔(へだた)っているだけで、因果はもう切れかかっている。 車掌が、ぴしゃりぴしゃりと戸を閉(た)てながら、こちらへ走って来る。一つ閉てるごとに、行く人と、送る人の距離はますます遠くなる。やがて久一さんの車室の戸もぴしゃりとしまった。世界はもう二つに為(な)った。老人は思わず窓側(まどぎわ)へ寄る。青年は窓から首を出す。「あぶない。出ますよ」と云う声の下から、未練(みれん)のない鉄車(てっしゃ)の音がごっとりごっとりと調子を取って動き出す。窓は一つ一つ、余等(われわれ)の前を通る。久一さんの顔が小さくなって、最後の三等列車が、余の前を通るとき、窓の中から、また一つ顔が出た。 茶色のはげた中折帽の下から、髯(ひげ)だらけな野武士が名残(なご)り惜気(おしげ)に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合(みあわ)せた。鉄車(てっしゃ)はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然(ぼうぜん)として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と余は那美さんの肩を叩(たた)きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟(とっさ)の際に成就(じょうじゅ)したのである。------------------------------底本:「夏目漱石全集3」ちくま文庫、筑摩書房 1987(昭和62)年12月1日第1刷発行-------------------------------ふうっ!!!
2006年07月31日
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"原爆症の審査長期化"「死後認定」増える 厚生労働省が行う被爆者の原爆症認定の審査が長期化し、2004年度は平均307日を要したことがわかった。02年度の2倍以上で、審査結果の通知前に死亡する申請者が、広島、長崎両市だけでも、03~05年度に計108人に上った。厚労省は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が集団申請を呼びかけたため、「審査が追い付かない状態」と釈明しているが、被団協は「戦後61年。被爆者の高齢化で原爆症が一気に顕在化しているなか、死後認定されても無意味だ」と審査の迅速化を訴えている。原爆症認定は、医師や専門家18人でつくる審査会で判断。認定されると、月額約14万円の医療特別手当が支払われる。厚労省によると、以前は審査会を1~2か月おきに開いており、申請受理から審査終了まで、00年度は326日かかっていた。01年度から毎月開催に変更。189日に短縮され、02年度は129日だった。しかし、02年度には、画一的とされる基準の見直しを世論に訴える手段として、被団協が集団申請を呼び掛け、また、被爆者の高齢化に伴ってがんなどを発病する人も増えたことから、申請件数は1180件と、515件だった前年度の倍以上に跳ね上がった。1回の審査会で判断できるのは70件程度で、02年度の未審査分を持ち越した03年度の審査日数は253日と長期化。さらに04年度は307日へと延びた。05年度も審査日数は300日前後になる見込みだ。この間、結果待ちの死亡者数は、広島市では02年度が23人だったが、03年度からの3年間で25人、33人、30人。02年度2人だった長崎市でも、同6人、11人、3人となった。このうち、広島市では03年度からの3年間で計32人(00年度から3年間で計22人)、長崎市でも計7人(同計4人)が死後に認定された。死後認定の場合でも、申請翌月にさかのぼって手当は支給されるが、広島市内の男性被爆者の遺族は「認定通知を見せてあげたかった」と悔しがる。厚労省は「申請順に議論しており、積み残しもあって長期化は避けられない」とするが、審査会の開催回数を増やすことは考えていない、という。被団協は「厚労省は大勢が亡くなっている現実を重く受け止めてほしい」と訴えている。(2006年7月30日 読売新聞)----------------------------------"ジョニイへの伝言"(昭和48年)阿久悠作詞/都倉俊一作曲ペドロ&カプリシャス(唄) ♪~♪ ジョニーが来たなら 伝えてよ 二時間待ってたと わりと元気よく 出て行ったよと お酒のついでに 話してよ 友だちなら そこのところ うまく伝えて ジョニーが来たなら 伝えてよ わたしは大丈夫 もとの踊り子で また稼げるわ 根っから陽気に できてるの 友だちなら そこのところ うまく伝えて 今度のバスで行く 西でも東でも 気がつけば さびしげな町ね この町は 友だちなら そこのところ うまく伝えて 今度のバスで行く 西でも東でも 気がつけば さびしげな町ね この町は ジョニーが来たなら 伝えてよ 二時間待ってたと サイは投げられた もう出かけるわ わたしはわたしの 道を行く 友だちなら そこのところ うまく伝えて うまく伝えて **********************************wet......I wana to call you, NO MORE "HIROSHIMA"!!**********************************"原爆許すまじ"浅田石二 作詞/木下航二 作曲♪~♪ふるさとの街やかれ身よりの骨うめし焼土に今は白い花咲くああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの街にふるさとの海荒れて黒き雨喜びの日はなく今は舟に人もなしああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの海にふるさとの空重く黒き雲今日も大地おおい今は空に陽もささずああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆をわれらの空にはらからのたえまなき労働にきずきあぐ富と幸今はすべてついえ去らんああ許すまじ原爆を三度許すまじ原爆を世界の上に-------------------How about you??(~不許~)
2006年07月30日
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余は那美さんの姿を見た時、すぐ今朝の短刀を連想した。もしや懐(ふところ)に呑(の)んでおりはせぬかと思ったら、さすが非人情(ひにんじょう)の余もただ、ひやりとした。 男女は向き合うたまま、しばらくは、同じ態度で立っている。動く景色(けしき)は見えぬ。口は動かしているかも知れんが、言葉はまるで聞えぬ。男はやがて首を垂(た)れた。女は山の方を向く。顔は余の眼に入らぬ。 山では鶯(うぐいす)が啼(な)く。女は鶯に耳を借して、いるとも見える。しばらくすると、男は屹(きっ)と、垂れた首を挙げて、半(なか)ば踵(くびす)を回(めぐ)らしかける。尋常の様(さま)ではない。女は颯(さっ)と体を開いて、海の方へ向き直る。帯の間から頭を出しているのは懐剣(かいけん)らしい。男は昂然(こうぜん)として、行きかかる。女は二歩(ふたあし)ばかり、男の踵を縫(ぬ)うて進む。女は草履(ぞうり)ばきである。男の留(とま)ったのは、呼び留められたのか。振り向く瞬間に女の右手(めて)は帯の間へ落ちた。あぶない! するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いのほか、財布(さいふ)のような包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐(ひも)がふらふらと春風(しゅんぷう)に揺れる。 片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸(てくび)に、紫の包。これだけの姿勢で充分画(え)にはなろう。 紫でちょっと切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体(たい)のこなし具合で、うまい按排(あんばい)につながれている。不即不離(ふそくふり)とはこの刹那(せつな)の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後(しり)えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁(えん)は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。 二人の姿勢がかくのごとく美妙(びみょう)な調和を保(たも)っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。 背(せ)のずんぐりした、色黒の、髯(ひげ)づらと、くっきり締(しま)った細面(ほそおもて)に、襟(えり)の長い、撫肩(なでがた)の、華奢(きゃしゃ)姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着(ふだんぎ)の銘仙(めいせん)さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反(そ)り身に控えたる痩形(やさすがた)。はげた茶の帽子に、藍縞(あいじま)の尻切(しりき)り出立(でだ)ちと、陽炎(かげろう)さえ燃やすべき櫛目(くしめ)の通った鬢(びん)の色に、黒繻子(くろじゅす)のひかる奥から、ちらりと見せた帯上(おびあげ)の、なまめかしさ。すべてが好画題(こうがだい)である。 男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧(たく)みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩(くず)れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。 二人は左右へ分かれる。双方に気合(きあい)がないから、もう画としては、支離滅裂(しりめつれつ)である。雑木林(ぞうきばやし)の入口で男は一度振り返った。女は後(あと)をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行(あるい)てくる。やがて余の真正面(ましょうめん)まで来て、「先生、先生」と二声(ふたこえ)掛けた。これはしたり、いつ目付(めっ)かったろう。「何です」と余は木瓜(ぼけ)の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。「何をそんな所でしていらっしゃる」「詩を作って寝(ね)ていました」「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」「実のところはたくさん拝見しました」「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木瓜の中から出ていらっしゃい」 余は唯々(いい)として木瓜の中から出て行く。「まだ木瓜の中に御用があるんですか」「もう無いんです。帰ろうかとも思うんです」「それじゃごいっしょに参りましょうか」「ええ」 余は再び唯々として、木瓜の中に退(しりぞ)いて、帽子を被(かぶ)り、絵の道具を纏(まと)めて、那美さんといっしょにあるき出す。「画を御描きになったの」「やめました」「ここへいらしって、まだ一枚も御描きなさらないじゃありませんか」「ええ」「でもせっかく画をかきにいらしって、ちっとも御かきなさらなくっちゃ、つまりませんわね」「なにつまってるんです」「おやそう。なぜ?」「なぜでも、ちゃんとつまるんです。画なんぞ描(か)いたって、描かなくったって、つまるところは同(おんな)じ事でさあ」「そりゃ洒落(しゃれ)なの、ホホホホ随分呑気(のんき)ですねえ」「こんな所へくるからには、呑気にでもしなくっちゃ、来た甲斐(かい)がないじゃありませんか」「なあにどこにいても、呑気にしなくっちゃ、生きている甲斐はありませんよ。私なんぞは、今のようなところを人に見られても恥(はず)かしくも何とも思いません」「思わんでもいいでしょう」「そうですかね。あなたは今の男をいったい何だと御思いです」「そうさな。どうもあまり、金持ちじゃありませんね」「ホホホ善(よ)くあたりました。あなたは占(うらな)いの名人ですよ。あの男は、貧乏して、日本にいられないからって、私に御金を貰いに来たのです」「へえ、どこから来たのです」「城下(じょうか)から来ました」「随分遠方から来たもんですね。それで、どこへ行くんですか」「何でも満洲へ行くそうです」「何しに行くんですか」「何しに行くんですか。御金を拾いに行くんだか、死にに行くんだか、分りません」この時余は眼をあげて、ちょと女の顔を見た。今結んだ口元には、微(かす)かなる笑の影が消えかかりつつある。意味は解(げ)せぬ。「あれは、わたくしの亭主です」 迅雷(じんらい)を掩(おお)うに遑(いとま)あらず、女は突然として一太刀(ひとたち)浴びせかけた。余は全く不意撃(ふいうち)を喰(く)った。無論そんな事を聞く気はなし、女も、よもや、ここまで曝(さら)け出そうとは考えていなかった。「どうです、驚ろいたでしょう」と女が云う。「ええ、少々驚ろいた」「今の亭主じゃありません、離縁(りえん)された亭主です」「なるほど、それで……」「それぎりです」「そうですか。――あの蜜柑山(みかんやま)に立派な白壁の家がありますね。ありゃ、いい地位にあるが、誰の家(うち)なんですか」「あれが兄の家です。帰り路にちょっと寄って、行きましょう」「用でもあるんですか」「ええちっと頼まれものがあります」「いっしょに行きましょう」 岨道(そばみち)の登り口へ出て、村へ下りずに、すぐ、右に折れて、また一丁ほどを登ると、門がある。門から玄関へかからずに、すぐ庭口へ廻る。女が無遠慮につかつか行くから、余も無遠慮につかつか行く。南向きの庭に、棕梠(しゅろ)が三四本あって、土塀(どべい)の下はすぐ蜜柑畠である。 女はすぐ、椽鼻(えんばな)へ腰をかけて、云う。「いい景色だ。御覧なさい」「なるほど、いいですな」障子のうちは、静かに人の気合(けあい)もせぬ。女は音(おと)のう景色もない。ただ腰をかけて、蜜柑畠を見下(みおろ)して平気でいる。余は不思議に思った。元来何の用があるのかしら。 しまいには話もないから、両方共無言のままで蜜柑畠を見下している。午(ご)に逼(せま)る太陽は、まともに暖かい光線を、山一面にあびせて、眼に余る蜜柑の葉は、葉裏まで、蒸(む)し返(かえ)されて耀(かが)やいている。やがて、裏の納屋(なや)の方で、鶏が大きな声を出して、こけこっこううと鳴く。「おやもう。御午(おひる)ですね。用事を忘れていた。――久一(きゅういち)さん、久一さん」 女は及(およ)び腰(ごし)になって、立て切った障子(しょうじ)を、からりと開(あ)ける。内は空(むな)しき十畳敷に、狩野派(かのうは)の双幅(そうふく)が空しく春の床(とこ)を飾っている。「久一さん」 納屋(なや)の方でようやく返事がする。足音が襖(ふすま)の向(むこう)でとまって、からりと、開(あ)くが早いか、白鞘(しらさや)の短刀(たんとう)が畳の上へ転(ころ)がり出す。「そら御伯父(おじ)さんの餞別(せんべつ)だよ」 帯の間に、いつ手が這入(はい)ったか、余は少しも知らなかった。短刀は二三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下(あしもと)へ走る。作りがゆる過ぎたと見えて、ぴかりと、寒いものが一寸(すん)ばかり光った。-----------cont.次は"最終章"desu..----------------------------------------
2006年07月28日
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cont...海は足の下に光る。遮ぎる雲の一片(ひとひら)さえ持たぬ春の日影は、普(あま)ねく水の上を照らして、いつの間にかほとぼりは波の底まで浸(し)み渡ったと思わるるほど暖かに見える。色は一刷毛(ひとはけ)の紺青(こんじょう)を平らに流したる所々に、しろかねの細鱗(さいりん)を畳んで濃(こま)やかに動いている。春の日は限り無き天(あめ)が下(した)を照らして、天が下は限りなき水を湛(たた)えたる間には、白き帆が小指の爪(つめ)ほどに見えるのみである。しかもその帆は全く動かない。往昔入貢(そのかみにゅうこう)の高麗船(こまぶね)が遠くから渡ってくるときには、あんなに見えたであろう。そのほかは大千(だいせん)世界を極(きわ)めて、照らす日の世、照らさるる海の世のみである。 ごろりと寝(ね)る。帽子が額(ひたい)をすべって、やけに"阿弥陀"(あみだ)となる。******************Whst's a "阿弥陀"??"阿弥陀被り"(あみだ-かぶり)帽子などを、後ろ下がりにかぶること。あみだ。******************所々の草を一二尺抽(ぬ)いて、木瓜(ぼけ)の小株が茂っている。余が顔はちょうどその一つの前に落ちた。木瓜(ぼけ)は面白い花である。枝は頑固(がんこ)で、かつて曲(まが)った事がない。そんなら真直(まっすぐ)かと云うと、けっして真直でもない。ただ真直な短かい枝に、真直な短かい枝が、ある角度で衝突して、斜(しゃ)に構えつつ全体が出来上っている。そこへ、紅(べに)だか白だか要領を得ぬ花が安閑(あんかん)と咲く。柔(やわら)かい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚(おろ)かにして悟(さと)ったものであろう。世間には拙(せつ)を守ると云う人がある。この人が来世(らいせ)に生れ変るときっと木瓜になる。余も"木瓜"になりたい。*********************What's a "木瓜"??"木瓜"(ぼけ)(1)バラ科の落葉低木。中国原産。庭木とする。高さ約2メートル。小枝はときにとげとなる。葉は楕円形。春、五弁花が前年枝に数個ずつつく。花は紅・白のほか咲き分け、絞りなどがある。果実は楕円形で黄熟し、香りが良い。「木瓜の花」は [季]春(2)クサボケの別名。********************* 小供のうち花の咲いた、葉のついた木瓜(ぼけ)を切って、面白く枝振(えだぶり)を作って、筆架(ひつか)をこしらえた事がある。それへ二銭五厘の水筆(すいひつ)を立てかけて、白い穂が花と葉の間から、隠見(いんけん)するのを机へ載(の)せて楽んだ。その日は木瓜(ぼけ)の筆架(ひつか)ばかり気にして寝た。あくる日、眼が覚(さ)めるや否(いな)や、飛び起きて、机の前へ行って見ると、花は萎(な)え葉は枯れて、白い穂だけが元のごとく光っている。あんなに奇麗なものが、どうして、こう一晩のうちに、枯れるだろうと、その時は不審(ふしん)の念に堪(た)えなかった。今思うとその時分の方がよほど出世間的(しゅっせけんてき)である。 寝(ね)るや否や眼についた木瓜は二十年来の旧知己である。見詰めているとしだいに気が遠くなって、いい心持ちになる。また詩興が浮ぶ。 寝ながら考える。一句を得るごとに写生帖に記(しる)して行く。しばらくして出来上ったようだ。始めから読み直して見る。出門多所思。春風吹吾衣。芳草生車轍。廃道入霞微。停而矚目。万象帯晴暉。聴黄鳥宛転。観落英紛霏。行尽平蕪遠。題詩古寺扉。孤愁高雲際。大空断鴻帰。寸心何窈窕。縹緲忘是非。三十我欲老。韶光猶依々。逍遥随物化。悠然対芬菲。ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を観(み)て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と唸(うな)りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払(せきばらい)が聞えた。こいつは驚いた。 寝返(ねがえ)りをして、声の響いた方を見ると、山の出鼻を回って、雑木(ぞうき)の間から、一人の男があらわれた。 茶の中折(なかお)れを被(かぶ)っている。中折れの形は崩(くず)れて、傾(かたむ)く縁(へり)の下から眼が見える。眼の恰好(かっこう)はわからんが、たしかにきょろきょろときょろつくようだ。藍(あい)の縞物(しまもの)の尻を端折(はしょ)って、素足(すあし)に下駄がけの出(い)で立(た)ちは、何だか鑑定がつかない。野生(やせい)の髯(ひげ)だけで判断するとまさに野武士(のぶし)の価値はある。 男は岨道(そばみち)を下りるかと思いのほか、曲り角からまた引き返した。もと来た路へ姿をかくすかと思うと、そうでもない。またあるき直してくる。この草原を、散歩する人のほかに、こんなに行きつ戻りつするものはないはずだ。しかしあれが散歩の姿であろうか。またあんな男がこの近辺(きんぺん)に住んでいるとも考えられない。男は時々立ち留(どま)る。首を傾ける。または四方を見廻わす。大に考え込むようにもある。人を待ち合せる風にも取られる。何だかわからない。 余はこの物騒(ぶっそう)な男から、ついに吾眼をはなす事ができなかった。別に恐しいでもない、また画(え)にしようと云う気も出ない。ただ眼をはなす事ができなかった。右から左、左りから右と、男に添うて、眼を働かせているうちに、男ははたと留った。留ると共に、またひとりの人物が、余が視界に点出(てんしゅつ)された。 二人は双方(そうほう)で互に認識したように、しだいに双方から近づいて来る。余が視界はだんだん縮(ちぢ)まって、原の真中で一点の狭(せま)き間に畳(たた)まれてしまう。二人は春の山を背(せ)に、春の海を前に、ぴたりと向き合った。 男は無論例の野武士(のぶし)である。相手は? 相手は女である。那美(なみ)さんである。 cont....
2006年07月28日
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cont...日は霞(かすみ)を離れて高く上(のぼ)っている。障子(しょうじ)をあけて、後(うし)ろの山を眺(なが)めたら、蒼(あお)い樹(き)が非常にすき通って、例になく鮮(あざ)やかに見えた。 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合(きあい)一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好(しこう)で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自(おの)ずから制限されるのもまた当前(とうぜん)である。英国人のかいた山水(さんすい)に明るいものは一つもない。明るい画が嫌(きらい)なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色(けいしょく)をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝(まさ)っている、埃及(エジプト)または波斯辺(ペルシャへん)の光景のみを択(えら)んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然(はっきり)出来上っている。 個人の嗜好(しこう)はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々(われわれ)もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西(フランス)の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色(けいしょく)だとは云われない。やはり面(ま)のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態(うんようえんたい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几(さんきゃくき)を担いで飛び出さなければならん。色は刹那(せつな)に移る。一たび機を失(しっ)すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端(は)には、滅多(めった)にこの辺で見る事の出来ないほどな好(い)い色が充(み)ちている。せっかく来て、あれを逃(にが)すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。 襖(ふすま)をあけて、椽側(えんがわ)へ出ると、向う二階の障子(しょうじ)に身を倚(も)たして、那美さんが立っている。顋(あご)を襟(えり)のなかへ埋(うず)めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶(あいさつ)をしようと思う途端(とたん)に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃(ひらめ)くは稲妻(いなずま)か、二折(ふたお)れ三折(みお)れ胸のあたりを、するりと走るや否(いな)や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸(すん)五分(ぶ)の白鞘(しらさや)がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座(かぶきざ)を覗(のぞ)いた気で宿を出る。 門を出て、左へ切れると、すぐ岨道(そばみち)つづきの、爪上(つまあが)りになる。鶯(うぐいす)が所々(ところどころ)で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑(みかん)が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走(しわす)の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生(な)りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆(いくつ)でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹(き)の上で妙な節(ふし)の唄(うた)をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋(やくしゅや)へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃(つつ)の音がする。何だと聞いたら、猟師(りょうし)が鴨(かも)をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。 あの女を役者にしたら、立派な女形(おんながた)が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住(じょうじゅう)芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然(しぜんてんねん)に芝居をしている。あんなのを美的生活(びてきせいかつ)とでも云うのだろう。あの女の御蔭(おかげ)で画(え)の修業がだいぶ出来た。 あの女の所作(しょさ)を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立(どうぐだて)を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在(あ)って、余とあの女の間に纏綿(てんめん)した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語(ごんご)に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡(めがね)から、あの女を覗(のぞ)いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。 こんな考(かんがえ)をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届(ふとど)きである。善は行い難い、徳は施(ほど)こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人(なんびと)に取っても苦痛である。その苦痛を冒(おか)すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜(ひそ)んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸(ひさん)のうちに籠(こも)る快感の別号に過ぎん。この趣(おもむ)きを解し得て、始めて吾人(ごじん)の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進(しょうじん)の心を駆(か)って、人道のために、鼎(ていかく)に烹(に)らるるを面白く思う。もし人情なる狭(せま)き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏(きょうり)に潜(ひそ)んで、邪(じゃ)を避(さ)け正(せい)に就(つ)き、曲(きょく)を斥(しりぞ)け直(ちょく)にくみし、弱(じゃく)を扶(たす)け強(きょう)を挫(くじ)かねば、どうしても堪(た)えられぬと云う一念の結晶して、燦(さん)として白日(はくじつ)を射返すものである。 芝居気があると人の行為を笑う事がある。うつくしき趣味を貫(つらぬ)かんがために、不必要なる犠牲をあえてするの人情に遠きを嗤(わら)うのである。自然にうつくしき性格を発揮するの機会を待たずして、無理矢理に自己の趣味観を衒(てら)うの愚(ぐ)を笑うのである。真に個中(こちゅう)の消息を解し得たるものの嗤うはその意を得ている。趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎(げすげろう)の、わが卑(いや)しき心根に比較して他(た)を賤(いや)しむに至っては許しがたい。昔し巌頭(がんとう)の吟(ぎん)を遺(のこ)して、五十丈の飛瀑(ひばく)を直下して急湍(きゅうたん)に赴(おもむ)いた青年がある。余の視(み)るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵(まこと)に壮烈である、ただその死を促(うな)がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子(ふじむらし)の所作(しょさ)を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂(と)ぐるの情趣を味(あじわ)い得ざるが故(ゆえ)に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。 余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在(だざい)するも、東西両隣りの没風流漢(ぼつふうりゅうかん)よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの、画(え)なきもの、芸術のたしなみなきものよりは、美くしき所作が出来る。人情世界にあって、美くしき所作は正である、義である、直である。正と義と直を行為の上において示すものは天下の公民の模範である。 しばらく人情界を離れたる余は、少なくともこの旅中(りょちゅう)に人情界に帰る必要はない。あってはせっかくの旅が無駄になる。人情世界から、じゃりじゃりする砂をふるって、底にあまる、うつくしい金(きん)のみを眺めて暮さなければならぬ。余自(みずか)らも社会の一員をもって任じてはおらぬ。純粋なる専門画家として、己(おの)れさえ、纏綿(てんめん)たる利害の累索(るいさく)を絶って、優(ゆう)に画布裏(がふり)に往来している。いわんや山をや水をや他人をや。那美さんの行為動作といえどもただそのままの姿と見るよりほかに致し方がない。 三丁ほど上(のぼ)ると、向うに白壁の一構(ひとかまえ)が見える。蜜柑(みかん)のなかの住居(すまい)だなと思う。道は間もなく二筋に切れる。白壁を横に見て左りへ折れる時、振り返ったら、下から赤い腰巻(こしまき)をした娘が上(あが)ってくる。腰巻がしだいに尽きて、下から茶色の脛(はぎ)が出る。脛が出切(でき)ったら、藁草履(わらぞうり)になって、その藁草履がだんだん動いて来る。頭の上に山桜が落ちかかる。背中には光る海を負(しょっ)ている。 岨道(そばみち)を登り切ると、山の出鼻(でばな)の平(たいら)な所へ出た。北側は翠(みど)りを畳(たた)む春の峰で、今朝椽(えん)から仰いだあたりかも知れない。南側には焼野とも云うべき地勢が幅半丁ほど広がって、末は崩(くず)れた崖(がけ)となる。崖の下は今過ぎた蜜柑山で、村を跨(また)いで向(むこう)を見れば、眼に入るものは言わずも知れた青海(あおうみ)である。 路(みち)は幾筋もあるが、合うては別れ、別れては合うから、どれが本筋とも認められぬ。どれも路である代りに、どれも路でない。草のなかに、黒赤い地が、見えたり隠れたりして、どの筋につながるか見分(みわけ)のつかぬところに変化があって面白い。 どこへ腰を据(す)えたものかと、草のなかを遠近(おちこち)と徘徊(はいかい)する。椽(えん)から見たときは画(え)になると思った景色も、いざとなると存外纏(まと)まらない。色もしだいに変ってくる。草原をのそつくうちに、いつしか描(か)く気がなくなった。描かぬとすれば、地位は構わん、どこへでも坐(すわ)った所がわが住居(すまい)である。染(し)み込んだ春の日が、深く草の根に籠(こも)って、どっかと尻を卸(おろ)すと、眼に入らぬ陽炎(かげろう)を踏(ふ)み潰(つぶ)したような心持ちがする。 cont...
2006年07月28日
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cont...十二基督(キリスト)は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚(おしょう)のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画(え)と云う名のほとんど下(くだ)すべからざる達磨(だるま)の幅(ふく)を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工(えかき)に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利(き)くものと思っている。それにも関(かか)わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢(ふくろ)のように行き抜けである。何にも停滞(ていたい)しておらん。随処(ずいしょ)に動き去り、任意(にんい)に作(な)し去って、些(さ)の塵滓(じんし)の腹部に沈澱(ちんでん)する景色(けしき)がない。もし彼の脳裏(のうり)に一点の趣味を貼(ちょう)し得たならば、彼は之(ゆ)く所に同化して、行屎走尿(こうしそうにょう)の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁(へ)の数を勘定(かんじょう)される間は、とうてい画家にはなれない。画架(がか)に向う事は出来る。小手板(こていた)を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色(しゅんしょく)のなかに五尺の痩躯(そうく)を埋(うず)めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界(きょうがい)に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素(せきそ)を染めず、寸(すんけん)を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技(ぎ)において、ミケルアンゼロに及ばず、巧(たく)みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武(ほぶ)を斉(ひとし)ゅうして、毫(ごう)も遜(ゆず)るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画(え)もかかない。絵の具箱は酔興(すいきょう)に、担(かつ)いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤(わら)うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境(きょう)を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。 朝飯(あさめし)をすまして、一本の"敷島"(しきしま)をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。\\\\\\\\\\\\\What's a "敷島"以下 YOMIURI-ONLINE yori煙草(たばこ)は日本原産ではなく、南米からヨーロッパに伝わり、天文十八年(一五四九年)フランシスコ・ザビエルの来日のさい、日本に伝えられたといわれる。日本での栽培は天正年間(一五七三~九二年)とされているが、記録では慶長十年(一六〇五年)長崎桜馬場に植えられ、のち山城の花山、大和の吉野に移植された。同じころ鹿児島の指宿に植えられ、その種を島津氏が近衛家に贈り、それを花山に植えたという説もある。そして、天和三年(一六八三年)ごろの産地としては、上野国高崎・岩崎・石原、甲斐国小松・葉袋、信濃国生坂・井上、陸奥国田代・仙東・白石、常陸国赤土、大和国吉野、丹波国篠山・福知山などが有名であった。享保年間(一七一六~三六年)になると諸藩も財政窮乏の打開策として煙草の栽培を奨励した。"明治に品質改良され栽培盛んに" 喫煙法もはじめは煙草の葉を巻き、のみ口に紙を巻いたり、竹の筒を使用したりしていたが、江戸時代に煙草が普及すると刻み煙草になり、それにともなって煙管(きせる)・煙管入れ・煙草盆などが作られ、それも意匠を凝らすようになった。明治になってからは新しい品種も移入され、品質・技術が改良され、各地でさかんに栽培された。奈良県吉野郡の十津川村では、若い衆がヨバイに行って、娘の親が怒るようなとき、オヤイジメとしてとった手段に、屋敷の煙草畑に竿(さお)をたおし、竿の両端に縄をつけて引き歩き、煙草畑をだいなしにしたり、縄に一葉ずつさして乾かしてある煙草の葉を、縄の端を持って引きずって逃げ、煙草の葉をいためてしまうのが、もっとも大きな打撃を与えるイジメ方だったというのも、煙草栽培の普及を物語っている。ところで、明治六年(一八七三年)に政府は地租改正を実施し、地租を地価の百分の三定率としたが、これは事実上封建貢租以上の負担になったので、明治九年(一八七六年)茨城・三重・奈良・愛知・岐阜で、はげしい地租改正反対の一揆が起こった。その結果、西南戦争の直前に税率は二分五厘に引き下げられた。このことを一般に「竹槍でちょっと突き出す二分五厘」と、一揆の成果ともいうが、政府はそれにかわる財源として、すでに煙草に対する課税を決めていたのである。それが明治八年の「煙草税則」で、営業税のほかに消費税を設けるものであった。これがのちに煙草専売制へと発展していったのである。巻き煙草が一般に吸い出されるようになったのは、明治二十年(一八八七年)をすぎてからで、最初は京都の村井商会のサンライズで、つぎにヒーローであった。東京では岩谷天狗煙草の売り出した白牡丹が人気をよんだ。このころ巻き煙草を買うと、中にガラスの吸い口が入っていて、煙草の太さも今の煙草の三分の二もないほど細いものであった。外国煙草ではカメオ・ピンヘッドがこのころから用いられた。"最初の銘柄は本居宣長の歌から拝借" いよいよ明治二十九年(一八九六年)の「葉煙草専売法」に続いて、明治三十七年(一九〇四年)七月から煙草の製造・販売を含めた完全専売の「煙草専売法」が施行されるのであるが、その最初に売り出す煙草の名前にどうしても名案が浮かばず、一月前になってもなお決まらなかった。そのとき一担当者が思いついたのが、愛煙家で知られた国学者本居宣長の、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」という歌であった。この歌からそれぞれ「敷島」・「大和」・「朝日」・「山桜」と命名した煙草を売り出したのであった。このうち「朝日」はその包みが平型と角型があって、平型は洋服用、角型は和服用と両者使い分けるようになっていた。これに続いて以降、スター・チェリー・カメリア・オリエント・ほまれ・不二・ナイル・アルマ・国華・やよい、とさまざまな煙草が売り出された。一方、刻み煙草も愛用されていて、ふくじゅ草・白梅・さつき・あやめ・はぎ・もみじ・なでしこ、などが出まわった\\\\\\\\\\\\\cont...
2006年07月28日
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"編集手帳"(7月28日付)「おひや」を頼めば水がくる。「ひや」を頼めば酒がくる。「にぎり」と「おにぎり」は別物である「『おビール』と言ふのが気に入らない。外来語に『お』をつけるな」。作家の阿川弘之さんが「食味風々録」(新潮社)に書いていた。「お」の字ひとつで指す品が変わり、人を不愉快にもし、日本語はむずかしい文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、4人に3人が「お菓子」と用い、2人に1人が「お酒」と使う。「お」の定着組だろう。少数派には先の「おビール」1・6%、「おくつした」0・9%…などがある「おビール」はもっと頻繁に耳にしている気もするが、紅灯の巷(ちまた)をさまようことの多い身の統計的な偏りかも知れない。足の指が光栄のあまり引きつりそうな「おくつした」が普及しないことをただ祈るばかりである調査では「怒り心頭に達する」(正しくは、発する)と使う人が7割を超えた。言葉は時代とともに変化していくものであればこそ、「お」のつけすぎに限らず、慣用句の誤用に限らず、「気に入らない」と言いつづけることが大事なのだろう調査結果を伝える朝刊を読みながら食卓をふと見ると、おみおつけ(御味御付)の椀(わん)がある。「お」が二つ…。一つでも時に多すぎ、二つあって邪魔にはならず、言葉というのは奥が深い。(2006年7月28日 読売新聞)---------------------------------AND..."風が吹けば"************風が吹けば桶屋が儲かる出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』"風が吹けば桶屋が儲かる"(かぜがふけばおけやがもうかる)英:(After wind's blowing, basinsmiths get money)日本のことわざで、あたかもバタフライ効果のように思わぬ所に思わぬ物事の影響が出ることの例えである。しかし現代では、その論証に用いられる例が突飛である故に、「あり得なくはない因果関係を無理矢理つなげて出来たトンデモ理論」も指すことが多い。経済学においては、ある主体の支出が様々なプロセスを経て何倍もの支出になる乗数効果や、投資が投資を生む波及効果のたとえとして持ち出される場合がある。"語源"江戸時代の浮世草子「世間学者気質(かたぎ)」だと言われている。 この俚諺を展開すると、以下のような論証があると言う。風で砂埃が舞い上がる。 その風が目に入り、失明する人が増える。 当時、視覚障害者が就ける職業は三味線弾きぐらいだと思われていた。故に、三味線弾きが増える。 三味線に張る革を集めるため、ネコが大量に殺される。 天敵が減ったことによりネズミが大発生する。 ネズミは桶を食害する。 桶の売り上げが上がる。 故に、桶屋が儲かる。 これを一つ一つ検証してみると、砂埃で失明する人がそれほど大量にいるか? それほどの風であれば、家屋倒壊や農作物の損害の方が大きくなるはずである。 視覚障害者が大量に出たとしたら、その全員が三味線弾きとして糊口することは出来なくなるはずである。 ネコが激減する前にその革の値段は高騰し、例えば(練習用三味線の革として使われる)イヌに取って代わられるはずである。 ネズミが大発生したとしても、桶だけを食害するとは考えにくい。むしろヒトに噛みつく、伝染病を媒介すると言う問題の方が遙かに大きくなるはずである。 こうして社会は大混乱に陥る。そのような状態で、人々が食害された桶を買いに走るとは考えにくく、桶屋(彼ら自身もその混乱に巻き込まれるに違いない)がこの事例でそれほど利益を得られるとは考えられない。 故に、これは広義のドミノ理論であると言える。個々の因果関係は「あり得なくもない」物であるが、実際にどれくらいの確率があるのか検証された事の無い、経験的に言っても「恐らく無いと言っていい」事象が5段階に渡って積み重ねられており、全体的な尤度は限りなく低い。その上、もし実際に起こったとしたら副次的な問題の方が大きい。いわゆる「机上の空論」として批判される物は、多かれ少なかれこの俚諺のような要素を含んでいる。このような蓋然性を無視した議論に対し、実際の結果を元に論証しようとする態度が経験論であり、その代表がプラグマティズムである。----------------------------------------"風"北山 修 作詞/端田 宣彦 作曲♪~♪人は誰もただ一人 旅に出て 人は誰もふるさとを 振り返るちょっぴりさみしくて 振り返っても そこにはただ風が吹いているだけ・・・・・・♪人は誰も 人生につまづいて 人は誰も 夢破れ 振り返るプラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で プラタナスの散る音に 振り返る帰っておいでよと 振り返っても そこにはただ風が 吹いているだけ・・・・・・人は誰も 恋をした切なさに 人は誰も 耐え切れず 振り返る(間奏 口笛)何かを求めて 振り返ってもそこには ただ風が 吹いているだけ振り返らず ただ一人 一歩ずつ振り返らず 泣かないで 歩くんだ何かを求めて 振り返ってもそこには ただ風が 吹いているだけ吹いているだけ~吹いているだけ・・・・・・・・・・----------------How do you feel about this ??(*~風~*)
2006年07月28日
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"編集手帳"(7月27日付)正岡子規は亡くなる前年、ロンドンに留学中の友、夏目漱石に手紙を書き、闘病の苦しみを訴えた。「僕ハモーダメニナッテシマッタ」「生キテヰルノガ苦シイノダ」同じ手紙に以下のくだりがある。「倫敦(ロンドン)ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」と。生きることに苦しみながらも好奇心は衰えていない。「その明るさが人々を引き入れ、子規のそばに添わせてしまう」とは司馬遼太郎さんの言葉である病床の随筆「墨汁一滴」では痛みをこらえつつ、ガラス鉢の金魚を眺めて言う。「痛い事も痛いが、綺麗(きれい)な事も綺麗じゃ」。これも読む人を“そばに添わせる”一行だろう独特の明るさを育てたものは、生まれもった晴朗な人柄に加えて、病床を囲む友人たちとの心の交流であったに違いない。その記録ともいうべき子規と友人たちの筆による書画約120点が見つかった「竹の子や雨の一夜を二三尺」という子規の筆とおぼしき句の傍らに、洋画家中村不折(ふせつ)が若竹の図を描き添えた作品も含まれている。書画の一部は子規庵で9月に催される特別展示で公開されるという「枝豆や三寸飛んで口に入る」。死の影が迫る病床で屈託を感じさせない句を詠んだ人である。病気を苦に、生活に疲れ、年間3万人以上がみずから命を絶つ時代、書画は見る人に何ごとかを語りかけるだろう。(2006年7月27日 読売新聞)---------------------------Who's Who???ABOUT "正岡子規"(まさおか-しき)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(1867年10月14日(旧暦9月17日) - 1902年9月19日)俳人、歌人。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など、多方面に渡り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人である。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。享年35。辞世の句「糸瓜咲て痰のつまりし佛かな」より、子規の忌日9月19日を「糸瓜忌」「獺祭(だっさい)忌」という。---------------------------AND....正岡子規 「はて知らずの記」yori (新聞 『日本』 明治26年7月23日~9月10日掲載) (一)松島の風 象潟の雨 いつしかとは思ひながら 病める身の行脚道中覚束なく うたゝ寝の夢はあらぬ山河の面影うつゝにのみ現はれて 今日としも思ひ立つ日のなくて過ぎにしを 今年夏のはじめ何の心にかありけん、 松島の心に近き袷かな と自ら口ずさみたるこそ我ながらあやしうも思ひしが つひにこの遊歴とはなりけらし。先づ松島とは志しながら 行くては何処にか向はん。金華の豪壮高舘の悲滲末の松山末遠くとも矢立峠に筆を濡し 八郎潟に西湖の遠きを忍びて名にしあふ秋田に露の哀はれを知らんか はた山形米沢をうしろにして越の国に夏の白雪を誰やらの膚にながめ 猶行く先は直江津より信州に入りて仏の御光を拝まんか 山路にあへぎて掬ぴあへぬ清水越に 渇せる喉をうるほさんか。まゝよ浮世のうき旅に 行く手の定まりたるもの幾人かある。山あれば足あり 金あれば車あり。脚力尽くる時 山更に好し 財布軽き時 却て羽が生へて仙人になるまじきものにもあらず。自ら知らぬ行末を楽みに はて知らずの日記をつくる気楽さを 誰に語らんとつぶやけば罔両(魍魎)傍に在りてうなつく。乃ち以て序と爲す。あなかしこ。三春病ひに鎮して筆硯やうやうにうとみ勝なるに 六月のはじめつかたより又わらはやみに罹りて 人情の冷熱一生の盛衰は独り心に入みながら時鳥の黒焼も其効あらず 野道の女郎花われ落ちにきと人に語らふ間も無く 木末の朽葉ふるひかへしふるひ落して兎角する程に一月も過ぎぬ。ある日鉄眼禅師のわが病床をおとつれて 今より北海行脚にと志すなりと語らるゝに羨ましさは限りなけれども 羽抜鳥の雲井を慕ふ心地して涼しさやわれは禅師を夢に見ん と餞別の一句をまゐらす。やがて病の大方にをこたりしかば 枕上の簑笠を睨みて空しく心を苦しめんよりは 奥山越水を躇み越えて胸中の欝気を散ぜんには如かじと我も思ひ人もすゝむるに 旅衣の破れをつくろひ蕉翁の奥の細道を写しなどあらましとゝのへて 今日やたゝん明日や行かんと思ふものから ゆくり無く医師にいさめられて七月もはや十九日といふに やうやう東都の仮住居を立ち出でぬ。かねて旅立のよし知りたる誰彼より よりよりに贈られたる餞別の句 松島の紙帳につるせ松の月 素香 橘爲仲とよ陸奥守にてくだりける時白河の関を通るとて狩衣指貫とり出でゝ着しける事を思ひ出でゝ 白河の関で着かへよひとへ物 松島へ書床しに行く行脚かな 涼しさの君まつしまぞ目に見ゆる 同孤松鷺洲 子規氏松島行脚の首送に泥硯を贐(はなむけ)して 旅硯清水にぬらせ柳陰 松島で日本一の涼みせよ 江左瓢亭 其外にも数へ尽さず。 -------------------How does he want to live???(*^糸瓜^*)
2006年07月27日
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庫裏に入る。庫裏は明け放してある。盗人(ぬすびと)はおらぬ国と見える。狗(いぬ)はもとより吠(ほ)えぬ。「御免」と訪問(おとず)れる。森(しん)として返事がない。「頼む」と案内を乞う。鳩の声がくううくううと聞える。「頼みまああす」と大きな声を出す。「おおおおおおお」と遥かの向(むこう)で答えたものがある。人の家を訪(と)うて、こんな返事を聞かされた事は決してない。やがて足音が廊下へ響くと、紙燭(しそく)の影が、衝立(ついたて)の向側にさした。小坊主がひょこりとあらわれる。了念(りょうねん)であった。「和尚(おしょう)さんはおいでかい」「おられる。何しにござった」「温泉にいる画工(えかき)が来たと、取次(とりつい)でおくれ」「画工さんか。それじゃ御上(おあが)り」「断わらないでもいいのかい」「よろしかろ」 余は下駄を脱いで上がる。「行儀がわるい画工さんじゃな」「なぜ」「下駄を、よう御揃(おそろ)えなさい。そらここを御覧」と紙燭を差しつける。黒い柱の真中に、土間から五尺ばかりの高さを見計(みはから)って、半紙を四つ切りにした上へ、何か認(したた)めてある。「そおら。読めたろ。脚下(きゃっか)を見よ、と書いてあるが」「なるほど」と余は自分の下駄を丁寧に揃える。 和尚の室(へや)は廊下を鍵(かぎ)の手(て)に曲(まが)って、本堂の横手にある。障子(しょうじ)を恭(うやうや)しくあけて、恭しく敷居越しにつくばった了念が、「あのう、志保田(しほだ)から、画工さんが来られました」と云う。はなはだ恐縮の体(てい)である。余はちょっとおかしくなった。「そうか、これへ」 余は了念と入れ代る。室がすこぶる狭い。中に囲炉裏(いろり)を切って、鉄瓶(てつびん)が鳴る。和尚は向側に書見(しょけん)をしていた。「さあこれへ」と眼鏡(めがね)をはずして、書物を傍(かたわら)へおしやる。「了念。りょううねええん」「ははははい」「座布団(ざぶとん)を上げんか」「はははははい」と了念は遠くで、長い返事をする。「よう、来られた。さぞ退屈だろ」「あまり月がいいから、ぶらぶら来ました」「いい月じゃな」と障子をあける。飛び石が二つ、松一本のほかには何もない、平庭(ひらにわ)の向うは、すぐ懸崖(けんがい)と見えて、眼の下に朧夜(おぼろよ)の海がたちまちに開ける。急に気が大きくなったような心持である。漁火(いさりび)がここ、かしこに、ちらついて、遥かの末は空に入って、星に化(ば)けるつもりだろう。「これはいい景色。和尚(おしょう)さん、障子をしめているのはもったいないじゃありませんか」「そうよ。しかし毎晩見ているからな」「何晩(いくばん)見てもいいですよ、この景色は。私なら寝ずに見ています」「ハハハハ。もっともあなたは画工(えかき)だから、わしとは少し違うて」「和尚さんだって、うつくしいと思ってるうちは画工でさあ」「なるほどそれもそうじゃろ。わしも達磨(だるま)の画(え)ぐらいはこれで、かくがの。そら、ここに掛けてある、この軸(じく)は先代がかかれたのじゃが、なかなかようかいとる」 なるほど達磨の画が小さい床(とこ)に掛っている。しかし画としてはすこぶるまずいものだ。ただ俗気(ぞっき)がない。拙(せつ)を蔽(おお)おうと力(つと)めているところが一つもない。無邪気な画だ。この先代もやはりこの画のような構わない人であったんだろう。「無邪気な画ですね」「わしらのかく画はそれで沢山じゃ。気象(きしょう)さえあらわれておれば……」「上手で俗気があるのより、いいです」「ははははまあ、そうでも、賞(ほ)めて置いてもらおう。時に近頃は画工にも博士があるかの」「画工の博士はありませんよ」「あ、そうか。この間、何でも博士に一人逢(お)うた」「へええ」「博士と云うとえらいものじゃろな」「ええ。えらいんでしょう」「画工にも博士がありそうなものじゃがな。なぜ無いだろう」「そういえば、和尚さんの方にも博士がなけりゃならないでしょう」「ハハハハまあ、そんなものかな。――何とか云う人じゃったて、この間逢うた人は――どこぞに名刺があるはずだが……」「どこで御逢いです、東京ですか」「いやここで、東京へは、も二十年も出ん。近頃は電車とか云うものが出来たそうじゃが、ちょっと乗って見たいような気がする」「つまらんものですよ。やかましくって」「そうかな。蜀犬(しょっけん)日に吠(ほ)え、呉牛(ごぎゅう)月に喘(あえ)ぐと云うから、わしのような田舎者(いなかもの)は、かえって困るかも知れんてのう」「困りゃしませんがね。つまらんですよ」「そうかな」 鉄瓶(てつびん)の口から煙が盛(さかん)に出る。和尚(おしょう)は茶箪笥(ちゃだんす)から茶器を取り出して、茶を注(つ)いでくれる。「番茶を一つ御上(おあが)り。志保田の隠居さんのような甘(うま)い茶じゃない」「いえ結構です」「あなたは、そうやって、方々あるくように見受けるがやはり画(え)をかくためかの」「ええ。道具だけは持ってあるきますが、画はかかないでも構わないんです」「はあ、それじゃ遊び半分かの」「そうですね。そう云っても善(い)いでしょう。屁(へ)の勘定(かんじょう)をされるのが、いやですからね」 さすがの禅僧も、この語だけは解(げ)しかねたと見える。「屁の勘定た何かな」「東京に永くいると屁の勘定をされますよ」「どうして」「ハハハハハ勘定だけならいいですが。人の屁を分析して、臀(しり)の穴が三角だの、四角だのって余計な事をやりますよ」「はあ、やはり衛生の方かな」「衛生じゃありません。探偵(たんてい)の方です」「探偵? なるほど、それじゃ警察じゃの。いったい警察の、巡査のて、何の役に立つかの。なけりゃならんかいの」「そうですね、画工(えかき)には入(い)りませんね」「わしにも入らんがな。わしはまだ巡査の厄介(やっかい)になった事がない」「そうでしょう」「しかし、いくら警察が屁の勘定をしたてて、構わんがな。澄(す)ましていたら。自分にわるい事がなけりゃ、なんぼ警察じゃて、どうもなるまいがな」「屁くらいで、どうかされちゃたまりません」「わしが小坊主のとき、先代がよう云われた。人間は日本橋の真中に臓腑(ぞうふ)をさらけ出して、恥ずかしくないようにしなければ修業を積んだとは云われんてな。あなたもそれまで修業をしたらよかろ。旅などはせんでも済むようになる」「画工になり澄ませば、いつでもそうなれます」「それじゃ画工になり澄したらよかろ」「屁の勘定をされちゃ、なり切れませんよ」「ハハハハ。それ御覧。あの、あなたの泊(とま)っている、志保田の御那美さんも、嫁に入(い)って帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法(ほう)を問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳(わけ)のわかった女になったじゃて」「へええ、どうもただの女じゃないと思いました」「いやなかなか機鋒(きほう)の鋭(する)どい女で――わしの所へ修業に来ていた泰安(たいあん)と云う若僧(にゃくそう)も、あの女のために、ふとした事から大事(だいじ)を窮明(きゅうめい)せんならん因縁(いんねん)に逢着(ほうちゃく)して――今によい智識(ちしき)になるようじゃ」 静かな庭に、松の影が落ちる、遠くの海は、空の光りに応(こた)うるがごとく、応えざるがごとく、有耶無耶(うやむや)のうちに微(かす)かなる、耀(かがや)きを放つ。漁火(いさりび)は明滅す。「あの松の影を御覧」「奇麗(きれい)ですな」「ただ奇麗かな」「ええ」「奇麗な上に、風が吹いても苦にしない」茶碗に余った渋茶を飲み干して、糸底(いとぞこ)を上に、茶托(ちゃたく)へ伏せて、立ち上る。「門まで送ってあげよう。りょううねええん。御客が御帰(おかえり)だぞよ」 送られて、庫裏(くり)を出ると、鳩がくううくううと鳴く。「鳩ほど可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか」月はいよいよ明るい。しんしんとして、木蓮(もくれん)は幾朶(いくだ)の雲華(うんげ)を空裏(くうり)に(ささ)げている。寥(けつりょう)たる春夜(しゅんや)の真中(まなか)に、和尚ははたと掌(たなごころ)を拍(う)つ。声は風中(ふうちゅう)に死して一羽の鳩も下りぬ。「下りんかいな。下りそうなものじゃが」 了念は余の顔を見て、ちょっと笑った。和尚は鳩の眼が夜でも見えると思うているらしい。気楽なものだ。 山門の所で、余は二人に別れる。見返えると、大きな丸い影と、小さな丸い影が、石甃(いしだたみ)の上に落ちて、前後して庫裏の方に消えて行く。-------------cont.
2006年07月27日
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十一山里(やまざと)の朧(おぼろ)に乗じてそぞろ歩く。観海寺の石段を登りながら仰数(あおぎかぞう)春星(しゅんせい)一二三と云う句を得た。余は別に和尚(おしょう)に逢う用事もない。逢うて雑話をする気もない。偶然と宿を出(い)でて足の向くところに任せてぶらぶらするうち、ついこの石磴(せきとう)の下に出た。しばらく"不許葷酒入山門"(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と云う石を撫(な)でて立っていたが、急にうれしくなって、登り出したのである。---------------(注)ABOUT"不許葷酒入山門"(葷酒山門に入るを許さず)禅寺の門の脇の戒壇石(かいだんせき)に刻まれる句。臭いが強い野菜(=葱(ねぎ)、韮(にら)、大蒜(にんにく)など)は他人を苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口にした者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということ。(参考)戒壇石(かいだんせき) 律宗・禅宗などの寺院の前に立てた石標。多く、「不許葷酒入山門」の句が刻んである。結界石。--------------- トリストラム・シャンデーと云う書物のなかに、この書物ほど神の御覚召(おぼしめし)に叶(かの)うた書き方はないとある。最初の一句はともかくも自力(じりき)で綴(つづ)る。あとはひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。何をかくか自分には無論見当がつかぬ。かく者は自己であるが、かく事は神の事である。したがって責任は著者にはないそうだ。余が散歩もまたこの流儀を汲(く)んだ、無責任の散歩である。ただ神を頼まぬだけが一層の無責任である。スターンは自分の責任を免(のが)れると同時にこれを在天の神に嫁(か)した。引き受けてくれる神を持たぬ余はついにこれを泥溝(どぶ)の中に棄(す)てた。 石段を登るにも骨を折っては登らない。骨が折れるくらいなら、すぐ引き返す。一段登って佇(たたず)むとき何となく愉快だ。それだから二段登る。二段目に詩が作りたくなる。黙然(もくねん)として、吾影を見る。角石(かくいし)に遮(さえぎ)られて三段に切れているのは妙だ。妙だからまた登る。仰いで天を望む。寝ぼけた奥から、小さい星がしきりに瞬(まばた)きをする。句になると思って、また登る。かくして、余はとうとう、上まで登り詰めた。 石段の上で思い出す。昔し鎌倉へ遊びに行って、いわゆる五山(ごさん)なるものを、ぐるぐる尋ねて廻った時、たしか円覚寺(えんがくじ)の塔頭(たっちゅう)であったろう、やはりこんな風に石段をのそりのそりと登って行くと、門内から、黄(き)な法衣(ころも)を着た、頭の鉢(はち)の開いた坊主が出て来た。余は上(のぼ)る、坊主は下(くだ)る。すれ違った時、坊主が鋭どい声でどこへ御出(おいで)なさると問うた。余はただ境内(けいだい)を拝見にと答えて、同時に足を停(と)めたら、坊主は直(ただ)ちに、何もありませんぞと言い捨てて、すたすた下りて行った。あまり洒落(しゃらく)だから、余は少しく先(せん)を越された気味で、段上に立って、坊主を見送ると、坊主は、かの鉢の開いた頭を、振り立て振り立て、ついに姿を杉の木の間に隠した。その間(あいだ)かつて一度も振り返った事はない。なるほど禅僧は面白い。きびきびしているなと、のっそり山門を這入(はい)って、見ると、広い庫裏(くり)も本堂も、がらんとして、人影はまるでない。余はその時に心からうれしく感じた。世の中にこんな洒落(しゃらく)な人があって、こんな洒落に、人を取り扱ってくれたかと思うと、何となく気分が晴々(せいせい)した。禅(ぜん)を心得ていたからと云う訳ではない。禅のぜの字もいまだに知らぬ。ただあの鉢の開いた坊主の所作(しょさ)が気に入ったのである。 世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴(やつ)で埋(うずま)っている。元来何しに世の中へ面(つら)を曝(さら)しているんだか、解(げ)しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀(しり)に探偵(たんてい)をつけて、人のひる屁(へ)の勘定(かんじょう)をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後(うし)ろの方から、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと云う。うるさいと云えばなおなお云う。よせと云えばますます云う。分ったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。方針は人々(にんにん)勝手である。ただひったひったと云わずに黙って方針を立てるがいい。人の邪魔になる方針は差(さ)し控(ひか)えるのが礼儀だ。邪魔にならなければ方針が立たぬと云うなら、こっちも屁をひるのをもって、こっちの方針とするばかりだ。そうなったら日本も運の尽きだろう。 こうやって、美しい春の夜に、何らの方針も立てずに、あるいてるのは実際高尚だ。興来(きた)れば興来るをもって方針とする。興去れば興去るをもって方針とする。句を得れば、得たところに方針が立つ。得なければ、得ないところに方針が立つ。しかも誰の迷惑にもならない。これが真正の方針である。屁を勘定するのは人身攻撃の方針で、屁をひるのは正当防禦(ぼうぎょ)の方針で、こうやって観海寺の石段を登るのは随縁放曠(ずいえんほうこう)の方針である。 仰数(あおぎかぞう)春星(しゅんせい)一二三の句を得て、石磴(せきとう)を登りつくしたる時、朧(おぼろ)にひかる春の海が帯のごとくに見えた。山門を入る。絶句(ぜっく)は纏(まと)める気にならなくなった。即座にやめにする方針を立てる。 石を甃(たた)んで庫裡(くり)に通ずる一筋道の右側は、岡つつじの生垣(いけがき)で、垣の向(むこう)は墓場であろう。左は本堂だ。屋根瓦(やねがわら)が高い所で、幽(かす)かに光る。数万の甍(いらか)に、数万の月が落ちたようだと見上(みあげ)る。どこやらで鳩の声がしきりにする。棟(むね)の下にでも住んでいるらしい。気のせいか、廂(ひさし)のあたりに白いものが、点々見える。糞(ふん)かも知れぬ。 雨垂(あまだ)れ落ちの所に、妙な影が一列に並んでいる。木とも見えぬ、草では無論ない。感じから云うと岩佐又兵衛(いわさまたべえ)のかいた、鬼(おに)の念仏(ねんぶつ)が、念仏をやめて、踊りを踊っている姿である。本堂の端(はじ)から端まで、一列に行儀よく並んで躍(おど)っている。その影がまた本堂の端から端まで一列に行儀よく並んで躍っている。朧夜(おぼろよ)にそそのかされて、鉦(かね)も撞木(しゅもく)も、奉加帳(ほうがちょう)も打ちすてて、誘(さそ)い合(あわ)せるや否やこの山寺(やまでら)へ踊りに来たのだろう。 近寄って見ると大きな覇王樹(さぼてん)である。高さは七八尺もあろう、糸瓜(へちま)ほどな青い黄瓜(きゅうり)を、杓子(しゃもじ)のように圧(お)しひしゃげて、柄(え)の方を下に、上へ上へと継(つ)ぎ合(あわ)せたように見える。あの杓子がいくつ継(つな)がったら、おしまいになるのか分らない。今夜のうちにも廂(ひさし)を突き破って、屋根瓦の上まで出そうだ。あの杓子が出来る時には、何でも不意に、どこからか出て来て、ぴしゃりと飛びつくに違いない。古い杓子が新しい小杓子を生んで、その小杓子が長い年月のうちにだんだん大きくなるようには思われない。杓子と杓子の連続がいかにも突飛(とっぴ)である。こんな滑稽(こっけい)な樹(き)はたんとあるまい。しかも澄ましたものだ。いかなるこれ仏(ぶつ)と問われて、庭前(ていぜん)の柏樹子(はくじゅし)と答えた僧があるよしだが、もし同様の問に接した場合には、余は一も二もなく、月下(げっか)の覇王樹(はおうじゅ)と応(こた)えるであろう。 少時(しょうじ)、晁補之(ちょうほし)と云う人の記行文を読んで、いまだに暗誦(あんしょう)している句がある。「時に九月天高く露清く、山空(むな)しく、月明(あきら)かに、仰いで星斗(せいと)を視(み)れば皆(みな)光大(ひかりだい)、たまたま人の上にあるがごとし、窓間(そうかん)の竹(たけ)数十竿(かん)、相摩戞(まかつ)して声切々(せつせつ)やまず。竹間(ちくかん)の梅棕(ばいそう)森然(しんぜん)として鬼魅(きび)の離立笑(りりつしょうひん)の状(じょう)のごとし。二三子相顧(あいかえり)み、魄(はく)動いて寝(いぬ)るを得ず。遅明(ちめい)皆去る」とまた口の内で繰り返して見て、思わず笑った。この覇王樹(さぼてん)も時と場合によれば、余の魄(はく)を動かして、見るや否や山を追い下げたであろう。刺(とげ)に手を触れて見ると、いらいらと指をさす。 石甃(いしだたみ)を行き尽くして左へ折れると庫裏(くり)へ出る。庫裏の前に大きな木蓮(もくれん)がある。ほとんど一(ひ)と抱(かかえ)もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、下から空は見えぬ。花があればなお見えぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙(す)いている。木蓮は樹下に立つ人の眼を乱すほどの細い枝をいたずらには張らぬ。花さえ明(あきら)かである。この遥かなる下から見上げても一輪の花は、はっきりと一輪に見える。その一輪がどこまで簇(むら)がって、どこまで咲いているか分らぬ。それにもかかわらず一輪はついに一輪で、一輪と一輪の間から、薄青い空が判然(はんぜん)と望まれる。花の色は無論純白ではない。いたずらに白いのは寒過ぎる。専(もっぱ)らに白いのは、ことさらに人の眼を奪う巧(たく)みが見える。木蓮の色はそれではない。極度の白きをわざと避(さ)けて、あたたかみのある淡黄(たんこう)に、奥床(おくゆか)しくも自(みずか)らを卑下(ひげ)している。余は石甃(いしだたみ)の上に立って、このおとなしい花が累々(るいるい)とどこまでも空裏(くうり)に蔓(はびこ)る様(さま)を見上げて、しばらく茫然(ぼうぜん)としていた。眼に落つるのは花ばかりである。葉は一枚もない。木蓮の花ばかりなる空を瞻(み)ると云う句を得た。どこやらで、鳩がやさしく鳴き合うている。 --------------cont.
2006年07月27日
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こんな所へ美しい女の浮いているところをかいたら、どうだろうと思いながら、元の所へ帰って、また煙草を呑(の)んで、ぼんやり考え込む。温泉場(ゆば)の御那美(おなみ)さんが昨日(きのう)冗談(じょうだん)に云った言葉が、うねりを打って、記憶のうちに寄せてくる。心は大浪(おおなみ)にのる一枚の板子(いたご)のように揺れる。あの顔を種(たね)にして、あの椿の下に浮かせて、上から椿を幾輪も落とす。椿が長(とこしな)えに落ちて、女が長えに水に浮いている感じをあらわしたいが、それが画(え)でかけるだろうか。かの"ラオコーン"(注)には――ラオコーンなどはどうでも構わない。原理に背(そむ)いても、背かなくっても、そう云う心持ちさえ出ればいい。しかし人間を離れないで人間以上の永久と云う感じを出すのは容易な事ではない。第一顔に困る。あの顔を借りるにしても、あの表情では駄目だ。苦痛が勝ってはすべてを打(う)ち壊(こ)わしてしまう。と云ってむやみに気楽ではなお困る。一層(いっそ)ほかの顔にしては、どうだろう。あれか、これかと指を折って見るが、どうも思(おもわ)しくない。やはり御那美さんの顔が一番似合うようだ。しかし何だか物足らない。物足らないとまでは気がつくが、どこが物足らないかが、吾(われ)ながら不明である。したがって自己の想像でいい加減に作り易(か)える訳に行かない。あれに嫉(しっと)を加えたら、どうだろう。嫉では不安の感が多過ぎる。憎悪(ぞうお)はどうだろう。憎悪は烈(は)げし過ぎる。怒(いかり)? 怒では全然調和を破る。恨(うらみ)? 恨でも春恨(しゅんこん)とか云う、詩的のものならば格別、ただの恨では余り俗である。いろいろに考えた末、しまいにようやくこれだと気がついた。多くある情緒(じょうしょ)のうちで、憐(あわ)れと云う字のあるのを忘れていた。憐れは神の知らぬ情(じょう)で、しかも神にもっとも近き人間の情である。御那美さんの表情のうちにはこの憐れの念が少しもあらわれておらぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟(とっさ)の衝動で、この情があの女の眉宇(びう)にひらめいた瞬時に、わが画(え)は成就(じょうじゅ)するであろう。しかし――いつそれが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満しているものは、人を馬鹿にする微笑(うすわらい)と、勝とう、勝とうと焦(あせ)る八の字のみである。あれだけでは、とても物にならない。----------------------------------------------What's "ラオコオン"出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 蛇に襲われるラオコオンと2人の息子"ラオコオン"(Λαοκοων ラオコーン、ラーオコオン)はギリシア神話に登場する、イリオス(トロイ、トロイア)の神官である。神話によれば、アポロン神殿(アエネイスなどではポセイドン神殿)の神官"ラオコオン"は、トロイア戦争の際、トロイの木馬をイリオス市内に運び込もうとする市民たちをいさめたが、この行為はアテナの怒りを買った。アテナはラオコオンの両目を潰し、さらに海に潜む2頭の蛇の怪物を使ってラオコオンを襲わせた。ラオコオンは子供たちと一緒にいたが、子供たちは2人とも怪物に食われてしまった。このことは、アエネイスの第2巻などに歌われている。---------------------------------------------- がさりがさりと足音がする。胸裏(きょうり)の図案は三分(ぶ)二で崩(くず)れた。見ると、筒袖(つつそで)を着た男が、背(せ)へ薪(まき)を載(の)せて、熊笹(くまざさ)のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。「よい御天気で」と手拭(てぬぐい)をとって挨拶(あいさつ)する。腰を屈(かが)める途端(とたん)に、三尺帯に落(おと)した鉈(なた)の刃(は)がぴかりと光った。四十恰好(がっこう)の逞(たくま)しい男である。どこかで見たようだ。男は旧知のように馴々(なれなれ)しい。「旦那(だんな)も画を御描(おか)きなさるか」余の絵の具箱は開(あ)けてあった。「ああ。この池でも画(か)こうと思って来て見たが、淋(さみ)しい所だね。誰も通らない」「はあい。まことに山の中で……旦那あ、峠(とうげ)で御降(おふ)られなさって、さぞ御困りでござんしたろ」「え? うん御前(おまえ)はあの時の馬子(まご)さんだね」「はあい。こうやって薪(たきぎ)を切っては城下(じょうか)へ持って出ます」と源兵衛は荷を卸(おろ)して、その上へ腰をかける。煙草入(たばこいれ)を出す。古いものだ。紙だか革(かわ)だか分らない。余は寸燐(マッチ)を借(か)してやる。「あんな所を毎日越すなあ大変だね」「なあに、馴れていますから――それに毎日は越しません。三日(みっか)に一返(ぺん)、ことによると四日目(よっかめ)くらいになります」「四日に一返(ぺん)でも御免だ」「アハハハハ。馬が不憫(ふびん)ですから四日目くらいにして置きます」「そりゃあ、どうも。自分より馬の方が大事なんだね。ハハハハ」「それほどでもないんで……」「時にこの池はよほど古いもんだね。全体いつ頃からあるんだい」「昔からありますよ」「昔から? どのくらい昔から?」「なんでもよっぽど古い昔から」「よっぽど古い昔しからか。なるほど」「なんでも昔し、志保田(しほだ)の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」「志保田って、あの温泉場(ゆば)のかい」「はあい」「御嬢さんが身を投げたって、現に達者でいるじゃないか」「いんにえ。あの嬢さまじゃない。ずっと昔の嬢様が」「ずっと昔の嬢様。いつ頃かね、それは」「なんでも、よほど昔しの嬢様で……」「その昔の嬢様が、どうしてまた身を投げたんだい」「その嬢様は、やはり今の嬢様のように美しい嬢様であったそうながな、旦那様」「うん」「すると、ある日、一人(ひとり)の梵論字(ぼろんじ)が来て……」「梵論字と云うと虚無僧(こもそう)の事かい」「はあい。あの尺八を吹く梵論字の事でござんす。その梵論字が志保田の庄屋(しょうや)へ逗留(とうりゅう)しているうちに、その美くしい嬢様が、その梵論字を見染(みそ)めて――因果(いんが)と申しますか、どうしてもいっしょになりたいと云うて、泣きました」「泣きました。ふうん」「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟(むこ)にはならんと云うて。とうとう追い出しました」「その虚無僧(こもそう)をかい」「はあい。そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする」「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」「まことに怪(け)しからん事でござんす」「何代くらい前の事かい。それは」「なんでもよっぽど昔の事でござんすそうな。それから――これはここ限りの話だが、旦那さん」「何だい」「あの志保田の家には、代々(だいだい)気狂(きちがい)が出来ます」「へええ」「全く祟(たた)りでござんす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃(はや)します」「ハハハハそんな事はなかろう」「ござんせんかな。しかしあの御袋様(おふくろさま)がやはり少し変でな」「うちにいるのかい」「いいえ、去年亡(な)くなりました」「ふん」と余は煙草の吸殻(すいがら)から細い煙の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪(まき)を背(せ)にして去る。 画(え)をかきに来て、こんな事を考えたり、こんな話しを聴くばかりでは、何日(いくにち)かかっても一枚も出来っこない。せっかく絵の具箱まで持ち出した以上、今日は義理にも下絵(したえ)をとって行こう。幸(さいわい)、向側の景色は、あれなりで略纏(ほぼまと)まっている。あすこでも申(もう)し訳(わけ)にちょっと描(か)こう。 一丈余りの蒼黒(あおぐろ)い岩が、真直(まっすぐ)に池の底から突き出して、濃(こ)き水の折れ曲る角(かど)に、嵯々(ささ)と構える右側には、例の熊笹(くまざさ)が断崖(だんがい)の上から水際(みずぎわ)まで、一寸(いっすん)の隙間(すきま)なく叢生(そうせい)している。上には三抱(みかかえ)ほどの大きな松が、若蔦(わかづた)にからまれた幹を、斜(なな)めに捩(ねじ)って、半分以上水の面(おもて)へ乗り出している。鏡を懐(ふところ)にした女は、あの岩の上からでも飛んだものだろう。 三脚几(さんきゃくき)に尻(しり)を据(す)えて、面画に入るべき材料を見渡す。松と、笹と、岩と水であるが、さて水はどこでとめてよいか分らぬ。岩の高さが一丈あれば、影も一丈ある。熊笹は、水際でとまらずに、水の中まで茂り込んでいるかと怪(あやし)まるるくらい、鮮(あざ)やかに水底まで写っている。松に至っては空に聳(そび)ゆる高さが、見上げらるるだけ、影もまたすこぶる細長い。眼に写っただけの寸法ではとうてい収(おさま)りがつかない。一層(いっそ)の事、実物をやめて影だけ描くのも一興だろう。水をかいて、水の中の影をかいて、そうして、これが画だと人に見せたら驚ろくだろう。しかしただ驚ろかせるだけではつまらない。なるほど画になっていると驚かせなければつまらない。どう工夫(くふう)をしたものだろうと、一心に池の面(おも)を見詰める。 奇体なもので、影だけ眺(なが)めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸(ひとみ)を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。一丈の巌(いわお)を、影の先から、水際の継目(つぎめ)まで眺めて、継目から次第に水の上に出る。潤沢(じゅんたく)の気合(けあい)から、皴皺(しゅんしゅ)の模様を逐一(ちくいち)吟味(ぎんみ)してだんだんと登って行く。ようやく登り詰めて、余の双眼(そうがん)が今危巌(きがん)の頂(いただ)きに達したるとき、余は蛇(へび)に睨(にら)まれた蟇(ひき)のごとく、はたりと画筆(えふで)を取り落した。 緑(みど)りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩(いろ)どる中に、楚然(そぜん)として織り出されたる女の顔は、――花下(かか)に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖(ふりそで)に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。 余が視線は、蒼白(あおじろ)き女の顔の真中(まんなか)にぐさと釘付(くぎづ)けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯(たいく)を伸(の)せるだけ伸して、高い巌(いわお)の上に一指も動かさずに立っている。この一刹那(いっせつな)! 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。夕日は樹梢(じゅしょう)を掠(かす)めて、幽(かす)かに松の幹を染むる。熊笹はいよいよ青い。 また驚かされた。cont.-----------------Why does he suprised ???
2006年07月26日
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"編集手帳"(7月26日付)歌人の竹山広さんに一首がある。「田中角栄 大悪人か然(しか)らじか 呼び捨てられて 何がな親し」ロッキード事件当時の時事詠である「今太閤(たいこう)」「庶民宰相」…多彩な異名を奉られた権力の絶頂期よりもむしろ落ちた偶像となった身に、そこはかとない親しみを覚えたと歌っている。陰翳(いんえい)の刻まれた人生の浮き沈みが誘った感慨であろう政権を退いて2年足らずの田中氏が東京地検に逮捕されたのは1976年(昭和51年)の7月27日、あすで30年になる。ニュースを聞いたときの衝撃を真夏の日差しとともに思い出す方もおられよう昨年4月に本紙の世論調査で「戦後発展の功労者」を尋ねたところ、日中国交回復などの業績を評価してだろう、5人に1人が田中氏の名前を挙げた。「悪人か然らじか」、容易に答えの出ない人である受託収賄などの罪により、1、2審で有罪の判決をうけたのち、上告審の途中で死去している。最晩年まで派閥を根城に「キングメーカー」「闇将軍」として党内に隠然たる勢威を誇った田中氏が世を去って、はや12年が過ぎた永田町は政局の季節を迎える。かつては自民党の総裁選といえば派閥の領袖(りょうしゅう)がもつ腕力と金力が批判交じりに話題になったものだが、いまでは領袖の面々の名前を思い浮かべるのにもひと苦労する。往時茫々(ぼうぼう)の感が深い。(2006年7月26日 読売新聞)-----------------------------------"陰影/陰翳"(いんえい)(1)光の当たらない暗い部分。かげ。(2)色・音・感情などに微妙な変化があって趣が深いこと。「―に富んだ描写」-----------------------------------以下、"陰翳礼賛"(谷崎潤一郎) yori私は数寄を凝らした日本座敷の床の間を見るごとに、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。なぜなら、そこにはこれという特別なしつらえがあるのではない。要するに唯清楚な木材と清楚な壁とを以て一つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹もの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。にもかかわらず、われらは落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。-----------------------------------"草枕"by 漱石十鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股(ふたまた)に岐(わか)れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁(ふち)には熊笹(くまざさ)が多い。ある所は、左右から生(お)い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形(かた)ちで、ところどころに岩が自然のまま水際(みずぎわ)に横(よこた)わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連(つら)ねている。 池をめぐりては雑木(ぞうき)が多い。何百本あるか勘定(かんじょう)がし切れぬ。中には、まだ春の芽を吹いておらんのがある。割合に枝の繁(こ)まない所は、依然として、うららかな春の日を受けて、萌(も)え出でた下草(したぐさ)さえある。壺菫(つぼすみれ)の淡き影が、ちらりちらりとその間に見える。 日本の菫は眠っている感じである。「天来(てんらい)の奇想のように」、と形容した西人(せいじん)の句はとうていあてはまるまい。こう思う途端(とたん)に余の足はとまった。足がとまれば、厭(いや)になるまでそこにいる。いられるのは、幸福な人である。東京でそんな事をすれば、すぐ電車に引き殺される。電車が殺さなければ巡査が追い立てる。都会は太平の民(たみ)を乞食(こじき)と間違えて、掏摸(すり)の親分たる探偵(たんてい)に高い月俸を払う所である。 余は草を茵(しとね)に太平の尻をそろりと卸(おろ)した。ここならば、五六日こうしたなり動かないでも、誰も苦情を持ち出す気遣(きづかい)はない。自然のありがたいところはここにある。いざとなると容赦(ようしゃ)も未練(みれん)もない代りには、人に因(よ)って取り扱をかえるような軽薄な態度はすこしも見せない。岩崎(いわさき)や三井(みつい)を眼中に置かぬものは、いくらでもいる。冷然として古今(ここん)帝王の権威を風馬牛(ふうばぎゅう)し得るものは自然のみであろう。自然の徳は高く塵界を超越して、対絶の平等観(びょうどうかん)を無辺際(むへんさい)に樹立している。天下の羣小(ぐんしょう)を麾(さしまね)いで、いたずらにタイモンの憤(いきどお)りを招くよりは、蘭(らん)を九(えん)に滋(ま)き、(けい)を百畦(けい)に樹(う)えて、独(ひと)りその裏(うち)に起臥(きが)する方が遥かに得策である。余は公平と云い無私(むし)と云う。さほど大事(だいじ)なものならば、日に千人の小賊(しょうぞく)を戮(りく)して、満圃(まんぽ)の草花を彼らの屍(しかばね)に培養(つちか)うがよかろう。 何だか考(かんがえ)が理(り)に落ちていっこうつまらなくなった。こんな中学程度の観想(かんそう)を練りにわざわざ、鏡が池まで来はせぬ。袂(たもと)から煙草(たばこ)を出して、寸燐(マッチ)をシュッと擦(す)る。手応(てごたえ)はあったが火は見えない。敷島(しきしま)のさきに付けて吸ってみると、鼻から煙が出た。なるほど、吸ったんだなとようやく気がついた。寸燐(マッチ)は短かい草のなかで、しばらく雨竜(あまりょう)のような細い煙りを吐いて、すぐ寂滅(じゃくめつ)した。席をずらせてだんだん水際(みずぎわ)まで出て見る。余が茵は天然に池のなかに、ながれ込んで、足を浸(ひた)せば生温(なまぬる)い水につくかも知れぬと云う間際(まぎわ)で、とまる。水を覗(のぞ)いて見る。 眼の届く所はさまで深そうにもない。底には細長い水草(みずぐさ)が、往生(おうじょう)して沈んでいる。余は往生と云うよりほかに形容すべき言葉を知らぬ。岡の薄(すすき)なら靡(なび)く事を知っている。藻(も)の草ならば誘(さそ)う波の情(なさ)けを待つ。百年待っても動きそうもない、水の底に沈められたこの水草は、動くべきすべての姿勢を調(ととの)えて、朝な夕なに、弄(なぶ)らるる期を、待ち暮らし、待ち明かし、幾代(いくよ)の思(おもい)を茎(くき)の先に籠(こ)めながら、今に至るまでついに動き得ずに、また死に切れずに、生きているらしい。 余は立ち上がって、草の中から、手頃の石を二つ拾って来る。功徳(くどく)になると思ったから、眼の先へ、一つ抛(ほう)り込んでやる。ぶくぶくと泡(あわ)が二つ浮いて、すぐ消えた。すぐ消えた、すぐ消えたと、余は心のうちで繰り返す。すかして見ると、三茎(みくき)ほどの長い髪が、慵(ものうげ)に揺れかかっている。見つかってはと云わぬばかりに、濁った水が底の方から隠しに来る。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。 今度は思い切って、懸命に真中(まんなか)へなげる。ぽかんと幽(かす)かに音がした。静かなるものは決して取り合わない。もう抛(な)げる気も無くなった。絵の具箱と帽子を置いたまま右手へ廻る。 二間余りを爪先上(つまさきあ)がりに登る。頭の上には大きな樹(き)がかぶさって、身体(からだ)が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿(つばき)が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向(ひなた)で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角(いわかど)を、奥へ二三間遠退(とおの)いて、花がなければ、何があるか気のつかない所に森閑(しんかん)として、かたまっている。その花が! 一日勘定(かんじょう)しても無論勘定し切れぬほど多い。しかし眼がつけば是非勘定したくなるほど鮮(あざや)かである。ただ鮮かと云うばかりで、いっこう陽気な感じがない。ぱっと燃え立つようで、思わず、気を奪(と)られた、後(あと)は何だか凄(すご)くなる。あれほど人を欺(だま)す花はない。余は深山椿(みやまつばき)を見るたびにいつでも妖女(ようじょ)の姿を連想する。黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然(えんぜん)たる毒を血管に吹く。欺(あざむ)かれたと悟(さと)った頃はすでに遅い。向う側の椿が眼に入(い)った時、余は、ええ、見なければよかったと思った。あの花の色はただの赤ではない。眼を醒(さま)すほどの派出(はで)やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。悄然(しょうぜん)として萎(しお)れる雨中(うちゅう)の梨花(りか)には、ただ憐れな感じがする。冷やかに艶(えん)なる月下(げっか)の海棠(かいどう)には、ただ愛らしい気持ちがする。椿の沈んでいるのは全く違う。黒ずんだ、毒気のある、恐ろし味(み)を帯びた調子である。この調子を底に持って、上部(うわべ)はどこまでも派出に装(よそお)っている。しかも人に媚(こ)ぶる態(さま)もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜(せいそう)を、人目にかからぬ山陰に落ちつき払って暮らしている。ただ一眼(ひとめ)見たが最後! 見た人は彼女の魔力から金輪際(こんりんざい)、免(のが)るる事は出来ない。あの色はただの赤ではない。屠(ほふ)られたる囚人(しゅうじん)の血が、自(おの)ずから人の眼を惹(ひ)いて、自から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である。 見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものはただこの一輪である。しばらくするとまたぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩(くず)れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練(みれん)のないように見えるが、落ちてもかたまっているところは、何となく毒々しい。またぽたり落ちる。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺(あたり)は今でも少々赤いような気がする。また落ちた。地の上へ落ちたのか、水の上へ落ちたのか、区別がつかぬくらい静かに浮く。また落ちる。あれが沈む事があるだろうかと思う。年々(ねんねん)落ち尽す幾万輪の椿は、水につかって、色が溶(と)け出して、腐って泥になって、ようやく底に沈むのかしらん。幾千年の後にはこの古池が、人の知らぬ間(ま)に、落ちた椿のために、埋(うず)もれて、元の平地(ひらち)に戻るかも知れぬ。また一つ大きいのが血を塗った、人魂(ひとだま)のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる。cont.--------------------------------How long do you have about that??
2006年07月26日
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"娘の遺体も発見"盗み目的で侵入 岩手の母子不明事件以下 ASAHI-COM yoyi(2006年07月25日)岩手県洋野(ひろの)町の会社員上野紀子さん(52)と次女の会社員友紀さん(25)が行方不明になっていた事件で、県警久慈署の捜査本部は25日未明、青森県八戸市沢里の塗装業若林一行容疑者(29)を、紀子さんの死体遺棄容疑で緊急逮捕した。供述にもとづいて捜索したところ、同町内の山林で紀子さんの遺体が見つかり、近くで友紀さんの遺体も見つかった。同容疑者は、盗み目的で上野さん方に侵入し、親子を殺害したことを認める供述もしている。捜査本部は同日、若林容疑者を盛岡地検に送検した。捜査本部は、上野さん親子が行方不明になった19日の朝と夕方に付近で不審な白い軽トラックを見かけたという住民からの通報を受け、ナンバーから若林容疑者を割り出し、事情を聴いていた。 捜査本部によると、若林容疑者の供述通り、25日午前1時40分ごろ、上野さん方から南西に5キロほど離れた山林の草むらに放置された紀子さんの遺体を発見した。さらに同午後2時20分ごろ、友紀さんの遺体も約150メートル離れた斜面で発見された。 25日朝に記者会見した捜査本部長の小野寺英一・県警刑事部長は、「(容疑者は)死体遺棄容疑については認めている。盗み目的や殺人についても一部認めている」と述べた。捜査本部は、若林容疑者がなぜ上野さん親子を狙ったのかなどについても調べている。 上野さん親子は19日夕方にそれぞれ洋野町内と岩手県久慈市内の勤務先を退社後、行方不明になっていた。連絡が取れないことを不審に思った親族が久慈署に通報し、22日午後、自宅1階の和室に大量の血痕が残されているのが見つかった。 現場の状況や上野さん親子に家出の理由もないことから、県警は久慈署に捜査本部を設置して殺人容疑で捜査を進めていた。 -------------------------Why???
2006年07月25日
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"母娘不明、殺害供述の男を逮捕"…死体遺棄容疑で 岩手県洋野(ひろの)町種市、会社員上野紀子さん(52)と二女の会社員友紀さん(25)が行方不明になっている事件で、久慈署捜査本部は25日未明、死体遺棄容疑で、青森県八戸市の若林一行容疑者(29)を緊急逮捕した。若林容疑者は2人の殺害を認める供述も始めており、捜査本部は容疑が固まり次第、殺人容疑で再逮捕する方針。調べによると、19日午後5時ごろ、紀子さんは洋野町内、友紀さんは岩手県久慈市内の勤務先をそれぞれ乗用車で出た後、消息が途絶えていた。連絡が取れないことを不審に思った親類が同署に通報、22日午後、同署員が無人の自宅和室に血痕があるのを確認した。紀子さんの車は自宅前、友紀さんの車は自宅近くの空き地に置いたままになっており、捜査本部は2人が何者かに連れ去られた可能性が高いとみて捜査。上野さんの自宅付近で白っぽい車に乗っているのを目撃されていた若林容疑者から任意で事情を聞いていた。(2006年7月25日 読売新聞)-------------------------"迷い道"渡辺真知子 作詞/作曲♪~♪現在過去未来 あの人に逢ったなら私はいつまでも待ってると 誰か伝えてまるで喜劇じゃないのひとりでいい気になってさめかけたあの人に 意地をはってたなんてひとつ曲り角 ひとつまちがえて迷い道 KUNEKUNE(くねくね)今さらカードに 愛の奇跡求めていかさま占いは続く スペードをハートにあれからどうしてるのいまごろどこにいるのひとりのままでいると 噂できいたけれどひとつ曲り角 ひとつまちがえて迷い道 KUNEKUNE(くねくね)捨ててしまったわ 昔のプライドなんてもしも許されるものならきっと生まれかわるまるで喜劇じゃないのひとりでいい気になって扉をあけているの 今もあなたのためにひとつ曲り角 ひとつまちがえて迷い道 KUNEKUNE(くねくね)---------------------------------Where's strayed sheep??**************以下、イザヤ書(53章2~6節)yoriこのイエスは、罪のない神の子で、あなたが拒絶され、屈辱の中を通るとき、あなたと一体として共鳴してくださいます。預言者イザヤは、彼をこのように表現しています。“彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され私たちの、咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。”-----------------------------If you have to decide,You should take a difficult one!!(^困難^)
2006年07月25日
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編集手帳(7月24日付) yori「視援隊」日本の夜明けを望み、世界的な発想で幕末を生きた坂本竜馬の「海援隊」にちなんだという1983年、富士メガネ(本店・札幌)の金井昭雄会長(63)はタイの難民キャンプを訪れ、視力を検査し、眼鏡を贈る活動を始めた。米国留学で学んだ奉仕の精神と「日本はモノ、カネだけで、人的貢献はない」との批判が胸にあっただが、持参した500組もの眼鏡は、タイ税関でいったん没収される。事前に送った機材が届かない。35度以上もの暑さ、言葉の壁。加えて自らの食事、水、トイレ……いかに無謀だったかを思い知ったところが、難民たちの評判は、極めて良かった。見える喜びは何物にも代え難いからだろう。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は金井さんに支援継続を求めた社員数人とスクラムを組んで23年間。「視援隊」はネパール、アルメニア、アゼルバイジャンにも訪れた。贈った眼鏡は、10万組以上。言葉や理屈を超えた感動が、支援継続のエネルギーだというUNHCRは今年の「ナンセン難民賞」を金井さんに贈ることを決めた。難民支援活動に対し50年以上も続くこの賞は、かつて「国境なき医師団」や歌手のルチアーノ・パバロッティも受けている。日本人では金井さんが初めてだ。世界的な視野とその心意気を讃(たた)えたい。(2006年7月24日 読売新聞)----------------------------"家事しない父 どう接すれば"… 20代女性会社員。50代で求職中の父親、20代の姉と3人暮らしです。私が10歳のとき、母が病気で亡くなり、その後は姉が中心となって家事をしていました。 私は父に「もっと家事を手伝え」としかられましたが、勉強の方が大事でした。姉は高校卒業後働き、私は短大へ進みました。 今、姉は仕事で遅く帰り、休日は遊びに行き、家事をあまりしません。仕方なく私がしています。父は「姉さんは子どものころ遊ばなかったからね。今はお前が面倒を見てくれる。ありがとう」と言います。 褒められるのはうれしいのですが、父は私に甘えてばかりで、頼りないです。「男は台所に入らないものだ」と古い考えを口にします。「今の時代、男性が料理をするのは当然」と主張しても「できないものはできない」と聞きません。これからどういう態度で父と暮らしていけばいいでしょう。(茨城・I子)◇母親を亡くされてから、ご家族三人三様に悲しみや苦しみを抱いてこられたのだと思います。家事は女の仕事と思い込む父親もまた。 お姉様が今、家事から遠ざかっているのは、「長女」に生まれたというだけで、一家の「内助」として踏ん張ってきたことへの反動でしょう。そのことを、お姉様は誰よりもあなたに理解してほしいと思っているかもしれません。いつか、感謝を言葉にしてさしあげてください。 その上で、3人の家事分担のスケジュールを作ってみてはいかがでしょう。 父親も「できない」ではなく、「できるためのトレーニングをしていないだけ」なのですから。曜日で分けてもいいし、家事の内容で分担を決めてもいいと思います。あなたとお姉様が一緒にそのことを父親に話してみましょう。今後、おふたりが独立した場合どうするのかも、父親に自分のテーマとして考えてもらいましょう。求職中で、家にいる時間の多い今こそチャンスです。休日に一緒に家事をやってみて、「できない」と思い込んでいる彼に、ちょっとした自信と達成感をもってもらうことも効果的かもしれません。 (落合恵子・作家) (2006年7月22日 読売新聞)---------------ABOUT "午後の曳航"(1976)鋭い感性を持った少年と未亡人である母親、2人の前に現われた1人の船乗りの男。その3人の間に起こる心の葛藤を描いた三島由紀夫の同名小説の、日米合作というもののスタッフ・キャストが全て外国人という海外での映画化。製作はマーティン・ポール、監督・脚色は「暗殺、女狐」などの脚本を書いたルイス・ジョン・カルリーノの初めての監督作品、撮影はダグラス・スローカム、音楽はジョニー・マンデル、編集はアンソニー・ギブスがそれぞれ担当。出演はサラ・マイルズ、クリス・クリストファーソン、ジョナサン・カーン、マルゴ・カニンガム、アール・ローデス、ポール・トロピア、ゲイリー・ロック、スティーブン・ブラック、ピーター・クラハムなど。***************"あらすじ"英国の小さな港町。夜、少年 は、母アン(サラ・マイルズ) が完全に眠りについたことを知ると家を抜け出した。息を切らして約束の倉庫に着いた時は、すでに『首領』(アール・ローデス)と仲間は闇の中に集合していた。『首領』と5人の仲間たちは秘密クラブを作り、互いに番号で呼びあっており、少年は3号だった。『首領』は13歳の少年にしては卓抜した頭脳と感性の持主であり、堕落した大人と、その大人たちが作りあげた世界を軽蔑していたので、1号から5号までの少年たちはそれに感化され共鳴していた。そんなある日、少年の深夜の外出は、母親のアンの知るところとなり、部屋に閉じこめられてしまった。怒った少年が部屋中を荒らしまわった時、偶然に隣の母の部屋を覗くことのできる小さな穴を発見した。ある日、ベル号という大きな船が入港したのを知った少年は、母にせがんで見学に行った。そこで少年にとっては『理想の男』、アンにとっては未亡人になって以来初めて心をときめかせた『男』--2等航海士ジム・キャメロン(クリス・クリストファーソン)に会った。3人は食事をし、色々な事を話し合った。そして、夜、少年は小さな穴から母親とジムとのセックスを覗き見た。それは完璧に美しかった。翌日、ジムは出航して行った。すがすがしい海の香りだけを残して去ったジムに少年は満足した。だが母は違っていた。彼女はジムが送って来る手紙をむさぼるように読みふけった。『首領』は、下等な大人の男女が考える事は同じで、ジムは英雄なんぞではなく、やがて結婚話でも持ち込む、と少年をからかった。少年は初めて『首領』に反抗した。しかし、『首領』の予測は正しく、再び帰って来たジムはアンに結婚を申し込み、2人はその事を少年に告白した。大人に例外はない、英雄は存在しない。ジムに対する怒りがさらに深める事件が起こった。覗き穴がアンに見つかって少年が怒られていた時、仲裁に入ったジムは、少年にとって耐えがたいほど偽善的な態度でその場を収めたのだ。少年は『処置』を仲間たちに相談した。『首領』はジムの存在を抹殺すべく少年たちに指令した。ベル号が出航する日、彼らは刃物と睡眠薬とゴムの手袋を用意し、少年がジムを誘い出した。ジムはすすめられるままに睡眠薬の入った紅茶を飲んだ。意識の遠くなったジムを前に、少年たちの処刑の儀式が始まった。海は午後の陽の光の中で蒼く澄みわたっていた。---------------Who's Who???"三島 由紀夫"(みしま ゆきお)1925年1月14日 - 1970年11月25日)劇作家、楯の会会長。本名は平岡 公威(ひらおか きみたけ、通称こうい)。榊山保名義の作品もある。東京市四谷区生まれ。学習院初等科から中等科および高等科を経て東京帝国大学法学部卒。卒業後、大蔵省国民貯蓄課に勤めたが9ヶ月で退職、作家として独立した。 三島由紀夫代表作は『仮面の告白』、『金閣寺』、『潮騒』、『豊饒の海』。戯曲に『サド侯爵夫人』、『わが友ヒットラー』、『近代能楽集』などがある。唯美的な作風で知られる。AND...三島由紀夫こと、平岡公威は、1925年1月14日東京市四谷区永住町(現・東京都新宿区四谷)に農商務省官僚平岡梓と倭文重(しずえ)の間に長男として生まれる。なお、三島の満年齢と昭和の年数は一致する。父・梓は、一高から東大法学部を経て高等文官試験に優秀な成績で合格したが、面接官に嫌われて大蔵省入りを拒絶され、農商務省(のちの農林省)に勤務していた。母・倭文重は、金沢藩主前田家の儒者を務めた橋家出身で父・健三は東京開成中学校の五代目校長を務めた人でありその次女であった。兄弟はは、妹・美津子(1928年生まれ)、弟・千之(1930年生まれ)がいる。祖母・夏子の父は大審院判事の永井尚忠であり、母は常陸宍戸藩藩主、松平頼徳が側室との間にもうけた娘・高。祖母は、その長女として生まれ、12歳から17歳で結婚するまで有栖川宮熾仁親王に行儀見習いとして仕える。永井荷風と三島由紀夫は、この夏子の実家を通じて遠い親戚に当たる。特に平岡梓の風貌は荷風と酷似しており、三島は蔭で父・梓を「荷風先生」と呼んでいた。祖父の平岡定太郎は兵庫県印南郡志方町(現・兵庫県加古川市志方町)の農家の出。東京帝国大学法科大学(英法)を卒業し内務省官僚となり、福島県知事、樺太庁長官等を務めたが、満州でのアヘン取引に関わるスキャンダルで失脚。なお定太郎は夏目漱石と東大で同期にあたり、漱石の『それから』に登場する不倫相手の旦那(平岡)および『門』の安井のモデルとされている。公威と祖母・夏子とは、中等科に入学するまで同居し、公威の幼少期は、夏子の影響下におかれている。生来病弱な公威に対し、夏子は両親から引き離し、公威に貴族趣味をふくむ過保護な教育を行った。男の子らしい遊びはさせず、女言葉を使ったという。家族の中で、夏子はヒステリックなふるまいに及ぶこともたびたびだった。また夏子は、歌舞伎や能、泉鏡花などの小説を好み、後年の公威の小説家および劇作家などの作家的素養を培った。*************************"曳航"(えい―かう)船が引き綱で他の船や荷などを引いて航行すること。「タグボートに―されて離岸する」*******************take〈a ship〉in tow---------------"黒の舟唄"能吉利人作詞/桜井順作曲♪~♪男と女の 間には深くて暗い 川がある誰も渡れぬ 川なれどエンヤコラ 今夜も 舟を出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowお前が十七 俺十九忘れもしない この川に二人の星の ひとかけら流して泣いた 夜もあるRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowあれから幾年(いくとせ) 漕ぎ続け大波小波 ゆれゆられ極楽(ごくらく)見えた こともある地獄(じごく)が見えた こともあるRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowたとえば男は あほう鳥たとえば女は 忘れ貝真っ赤な潮(うしお)が 満ちるときなくしたものを 思い出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Rowおまえと俺との 間には深くて暗い 川があるそれでもやっぱり 逢いたくてエンヤコラ 今夜も 舟を出すRow and RowRow and Row振り返るな Row Row-------------------------Could you play with "Row"???
2006年07月24日
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Le Petit princeby "Antoine de Saint Exupéry"Last one....***************CHAPITRE XXVIIXXVII(Cinq cents millions de grelots) ET maintenant, bien sur, ca fait six ans deja… Je n'ai jamais encore raconte cette histoire. Les camarades qui m'ont revu ont ete bien contents de me revoir vivant. J'etais triste mais je leur disais : C'est la fatigue…And now six years have already gone by . . . I have never yet told this story. The companions who met me on my return were well content to see me alive. I was sad, but I told them: "I am tired." そして、六年が過ぎました僕は誰にだって、このお話をしませんでした。僕の友達は皆、僕の奇跡の帰還を喜んでくれたのです。僕は悲しくなって、こう言いました。『疲れちゃったんだよ』Maintenant je me suis un peu console. C'est a dire… pas tout a fait. Mais je sais bien qu'il est revenu a sa planete, car, au lever du jour, je n'ai pas retrouve son corps. Ce n'etait pas un corps tellement lourd… Et j'aime la nuit ecouter les etoiles. C'est comme cinq cent millions de grelots…Now my sorrow is comforted a little. That is to say--not entirely. But I know that he did go back to his planet, because I did not find his body at daybreak. It was not such a heavy body . . . and at night I love to listen to the stars. It is like five hundred million little bells . . . 今はもう、悲しみは薄れてきたけれどでも、彼は、きっと自分の星に辿り着いたと思っています。あれ以来、日暮れ時に、彼の姿を見たことがないもの....................僕は夜中に星たちの呟きを聞いてそれは、50億年も前の光が届いたことなんだとMais voila qu'il passe quelque chose d'extraordinaire. La museliere que j'ai dessinee pour le petit prince, j'ai oublie d'y ajouter la courroie de cuir! Il n'aura jamais pu l'attacher au mouton. But there is one extraordinary thing . . . when I drew the muzzle for the little prince, I forgot to add the leather strap to it. He will never have been able to fasten it on his sheep. でも、本当に信じられないようなことが起こるものです。星の王子様に描いてあげた、あの首輪のことですが僕は、その首輪に皮のストラップを着けるのを忘れていたのでした。だから、折角の首輪を羊に巻きつけることができなかったのです。Alors je me demande : "Que s'est-il passe sur sa planete? Peut-etre bien que le mouton a mange la fleur…"So now I keep wondering : what is happening on his planet? Perhaps the sheep has eaten the flower . . . だから、こう思っているのです『王子様の星はどうなっているのだろう?きっと、羊が(大切な)あの花を食べてしまったのでは....』Tantot je me dis : "Surement non! Le petit prince enferme sa fleur toutes les nuits sous son globe de verre, et il surveille bien son mouton…" At one time I say to myself : "Surely not! The little prince shuts his flower under her glass globe every night, and he watches over his sheep very carefully . . ." そして、こんな風に思っています『そんなはずはない!王子様なら、毎晩、花の覆いを被せるはずさ。羊が花を食べてしまわないように....』Alors je suis heureux. Et toutes les etoiles rient doucement.Tantot je me dis : "On est distrait une fois ou l'autre,et ca suffit! Il a oublie, un soir, le verre, ou bien le mouton est sorti sans bruit pendant la nuit…" Then I am happy. And there is sweetness in the laughter of all the stars. But at another time I say to myself : "At some moment or other one is absent-minded, and that is enough! On some one evening he forgot the glass globe, or the sheep got out, without making any noise, in the night . . ." そう思うと、心が安らぐのです。満天の星も微笑んでいるように見えます。でも、......Alors les grelots se changent tous en larmes!…C'est la un bien grand mystere. And then the little bells are changed to tears . . .Here, then, is a great mystery. それで、深い悲しみのあまり、暗い闇があたりを覆いつくすのでした。Pour vous qui aimez aussi le petit prince, comme pour moi, rien de l'univers n'est semblable si quelque part, on ne sait ou, un mouton que nous ne connaissons pas a, oui ou non, mange une rose…For you who also love the little prince, and for me,nothing in the universe can be the same if somewhere, we do not know where, a sheep that we never saw has--yes or no?--eaten a rose . . . 王子様を愛しているからこそ僕も同じですが、......."yes"か"no"か花は食べられてしまったのかとRegardez le ciel. Demandez-vous : le mouton oui ou non a-t-il mange la fleur? Et vous verrez comme tout change…Et aucune grande personne ne comprendra jamais que ca a tellement d'importance!Look up at the sky. Ask yourselves : is it yes or no? Has the sheep eaten the flower? And you will see how everything changes . . . And no grown-up will ever understand that this is a matter of so much importance!空を見上げてごらんそして自問自答するの............................**********************"LE Dernier message"最後のメッセージCa c'est pour moi, le plus beau et le plus triste paysage du monde. C'est le meme paysage que celui de la page precedente, mais je l'ai dessine une fois encore pour bien vous le montrer. C'est ici que le petit prince a apparu sur terre, puis disparu.This is, to me, the loveliest and saddest landscape in the world. It is the same as that on the preceding page, but I have drawn it again to impress it on your memory. It is here that the little prince appeared on Earth, and disappeared. これが、僕にとって、この世で一番美く、でも、一番悲しい風景なんです。この風景は、前の頁と同じものです。でも、あなたに、もっと良く見てもらいたくて描いたのです。星の王子様が地上に最初に姿を現したところであり、姿を消したところでもあります。Regardez attentivement ce paysage afin d'etre sur de le reconnaitre, si vous voyagez un jour en Afrique, dans le desert. Et, s'il vous arrive de passer par la, je vous supplie, ne vous pressez pas, attendez un peu juste sous l'etoile! Look at it carefully so that you will be sure to recognize it in case you travel some day to the African desert. And, if you should come upon this spot, please do not hurry on. Wait for a time, exactly under the star.この風景を(忘れないように)しっかり眼に焼き付けてください。そして、いつかアフリカの砂漠に旅したときに(ああ、ここが"そう"なんだと)そして、この場所を通り過ぎるときは、お願いだから急がないで欲しいのです。そこで立ち止まって、煌く星たちを見上げて下さい。Si alors un enfant vient a vous, s'il rit, s'il a les cheveux d'or, s'il ne repond pas quand on l'interroge, vous devinerez bien qui il est. Alors soyez gentils! Ne me laissez pas tellement triste : Then, if a little man appears who laughs, who has golden hair and who refuses to answer questions, you will know who he is. If this should happen, please comfort me. Send me word that he has come back.そこで、一人の子供が、あなた方に微笑みながら近づいてきて金髪を風に靡かせていて、何か質問を投げかけてみても、何も答えなかったとしたらその子が誰なのか(聡明なあなた方なら)お分かりですよねもし、そんなことが起こったとしたら悲しみに暮れている僕を救うと思って知らせて欲しいのです。ecrivez-moi vite qu'il est revenu…Where he will be going...."あの人"が戻ってきたからと..........------------------------------------The dreams,Does it come true for us ????(:^夢^:)
2006年07月23日
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"編集手帳"(7月23日)付箸(はし)文化の本家筋、中国では箸を「●」と記す。(●は竹カンムリに快)元々は箸だった。が、発音が「止まる」の意の「住」と同じで、縁起が悪い。そこで「者」を速い意味の「快」に変えた、というのが定説だ古人の願いが通じたのか。昨今の中国経済は停滞知らずの勢いだ。ただし、環境破壊も有史以来の「快」とあって、中国政府は環境保護に本腰を入れ始めている。その余波が日本の割り箸業界に及んできた昨年、国内で流通した割り箸は約258億膳(ぜん)、97%が中国産だ。その中国が、原料のシラカバ林保護や燃料代の高騰などを理由に昨年末に3割値上げした。次なる値上げも通告している。こちらも「快」だ国内の割り箸業者も値上げに動いた。頭を抱えているのが、コンビニや外食産業などの大口需要先だ。「割り箸はただ」の意識が浸透した昨今では、有料化もままならないそこで国産割り箸を見直す機運が出てきた。林野庁によれば、値段は中国産の2倍以上だが、材料は端材や間伐材なので「需要が増えれば、資源の有効利用や森林保護にもつながる」のがミソという。某大手コンビニは環境保護をPRしながら、国産割り箸の試験販売を始めた「箸をおつけしますか、それとも…」。店員の問いかけに、脳裏で様々に「迷い箸」を巡らす機会が増えるかもしれない。(2006年7月23日 読売新聞)----------------------------------"矢車草"(やぐるま-そう)(1)ユキノシタ科の大形多年草。深山の林中に生える。根葉は柄が長く、五小葉が掌状につき、径40センチメートルに達する。初夏、高さ約80センチメートルの花茎の頂に多数の白色小花を円錐花序に密生。葉の形が矢車のようなのでいう。[季]夏。(2)ヤグルマギクの別名。[季]夏。*************************************以下、"FLOWER PHOTOGRAPH"yori 引用desu**************************"ヤグルマギク"(矢車菊)Centaurea cyanus別名:ヤグルマソウ(矢車草)、セントーレア"名前の由来"元々は小麦畑に生える雑草だったそうです。花の形が矢車に似ているのでこのような名前になったといわれています英名は"コーンフラワー"ヨーロッパ東南部や西アジアの麦畑の中に咲いていたことから、(キク科セントウレア属)*************************花言葉:繊細な心白の花言葉:愉快黄の花言葉:侮り紫の花言葉:貴方の要求を容れます青紫の花言葉:教育、信頼ヨーロッパ原産。明治初期~中期に渡来。春から夏にかけて色とりどりの花を咲かせます。ドイツの国家にもなっています。古代エジプトのツタンカーメン王の墓からも発見された、由緒ある花です。(古代エジプトでは青い花が魔除けとされ王様のミイラの胸のところに飾られました)*******************************《 ギ リ シ ャ 神 話 》その1属名Centaureaは、ギリシャ神話の半身半馬(獣)のケンタウロス属の賢人ケイロンに由来しています。ギリシャ神話ではケイロンが矢車草の薬効を発見したことになっているそうです。ヘラクレスはある時、猛毒のヒュドラの血が塗ってある毒矢で、誤って恩師のケイロンを射てしまいます。ヘラクレスはケイロンに手渡された矢車草で手当てをしましたがよくなりません。不死身のケイロンは死ねずに苦しむばかりだったので、プロメテウスが変わりに不死身になり、ケイロンは死んで苦しみから逃れることが出来ました。矢車草の花びらを傷口にふりかけるとケイロンが生き返ったという伝説もあるようです。*******************************《 ギ リ シ ャ 神 話 》その2学名Centaurea.cyanusのcyanusは、花の女神フローラ(クロリス)の崇拝者のチアヌス(キアヌス)に由来しているそうです。コンスタンチノープルに住むチアヌスという少年は、毎日、花の女神フローラのために花を摘んで花輪を作り、祭壇に捧げていました。ところがある日のこと、チアヌスは、花輪にする花がみつからないので探しまわっているうちに道がわからなくなり、そのまま死んでしまいます。フローラは、若い崇拝者チアヌスの死を悼み、人々が彼のことを思い出せるように、彼が野原で摘んでいた花を「チアヌス」と名付けました。 また、フローラが少年を「チアヌス」の花に変えたという話もあります。 ----------------------------------ANDDo you know "矢車剣之助"矢車といえば、堀江卓の漫画で「矢車剣之助」というのがある。「少年」という月刊漫画雑誌に連載されていました。ABOUT"矢車"(やぐるま)(1)軸の周りに矢羽根をとりつけて、回るようにしたもの。幟(のぼり)の竿(さお)の先などに用いる。[季]夏。(2)家紋の一。(1)をかたどったもの。(3)矢をさしておく台。----------------------What's colouer do you like about "Centaurea cyanus"???(:紫:)
2006年07月23日
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"The Little Prince"writen by "Antoine de Saint-Exupéry" XXVI. Beside the well there was the ruin of an old stone wall. When I came back from my work, the next evening, I saw from some distance away my little price sitting on top of a wall, with his feet dangling. And I heard him say: "Then you don't remember. This is not the exact spot." Another voice must have answered him, for he replied to it:"Yes, yes! It is the right day, but this is not the place." I continued my walk toward the wall. At no time did I see or hear anyone. The little prince, however, replied once again:"--Exactly. You will see where my track begins, in the sand. You have nothing to do but wait for me there. I shall be there tonight." I was only twenty metres from the wall, and I still saw nothing. After a silence the little prince spoke again:"You have good poison? You are sure that it will not make me suffer too long?"I stopped in my tracks, my heart torn asunder; but still I did not understand. "Now go away," said the little prince. "I want to get down from the wall."I dropped my eyes, then, to the foot of the wall-- and I leaped into the air. There before me, facing the little prince, was one of those yellow snakes that take just thirty seconds to bring your life to an end. Even as I was digging into my pocked to get out my revolver I made a running step back. But, at the noise I made, the snake let himself flow easily across the sand like the dying spray of a fountain, and, in no apparent hurry, disappeared, with a light metallic sound, among the stones. I reached the wall just in time to catch my little man in my arms; his face was white as snow. "What does this mean?" I demanded. "Why are you talking with snakes?" I had loosened the golden muffler that he always wore. I had moistened his temples, and had given him some water to drink. And now I did not dare ask him any more questions. He looked at me very gravely, and put his arms around my neck. I felt his heart beating like the heart of a dying bird, shot with someone's rifle... "I am glad that you have found what was the matter with your engine," he said. "Now you can go back home--" "How do you know about that?" I was just coming to tell him that my work had been successful, beyond anything that I had dared to hope. He made no answer to my question, but he added: "I, too, am going back home today..." Then, sadly--"It is much farther... it is much more difficult..." I realised clearly that something extraordinary was happening. I was holding him close in my arms as if he were a little child; and yet it seemed to me that he was rushing headlong toward an abyss from which I could do nothing to restrain him... His look was very serious, like some one lost far away. "I have your sheep. And I have the sheep's box. And I have the muzzle..." And he gave me a sad smile. I waited a long time. I could see that he was reviving little by little. "Dear little man," I said to him, "you are afraid..." He was afraid, there was no doubt about that. But he laughed lightly. "I shall be much more afraid this evening..." Once again I felt myself frozen by the sense of something irreparable. And I knew that I could not bear the thought of never hearing that laughter any more. For me, it was like a spring of fresh water in the desert. "Little man," I said, "I want to hear you laugh again." But he said to me: "Tonight, it will be a year... my star, then, can be found right above the place where I came to the Earth, a year ago..." "Little man," I said, "tell me that it is only a bad dream-- this affair of the snake, and the meeting-place, and the star..." But he did not answer my plea. He said to me, instead: "The thing that is important is the thing that is not seen..." "Yes, I know..." "It is just as it is with the flower. If you love a flower that lives on a star, it is sweet to look at the sky at night. All the stars are a-bloom with flowers..." "Yes, I know..." "It is just as it is with the water. Because of the pulley, and the rope, what you gave me to drink was like music. You remember-- how good it was." "Yes, I know..." "And at night you will look up at the stars. Where I live everything is so small that I cannot show you where my star is to be found. It is better, like that. My star will just be one of the stars, for you. And so you will love to watch all the stars in the heavens... they will all be your friends. And, besides, I am going to make you a present..." He laughed again. "Ah, little prince, dear little prince! I love to hear that laughter!" "That is my present. Just that. It will be as it was when we drank the water..." "What are you trying to say?" "All men have the stars," he answered, "but they are not the same things for different people. For some, who are travelers, the stars are guides. For others they are no more than little lights in the sky. For others, who are scholars, they are problems. For my businessman they were wealth. But all these stars are silent. You-- you alone-- will have the stars as no one else has them--" "What are you trying to say?" "In one of the stars I shall be living. In one of them I shall be laughing. And so it will be as if all the stars were laughing, when you look at the sky at night... you-- only you-- will have stars that can laugh!" And he laughed again. "And when your sorrow is comforted (time soothes all sorrows) you will be content that you have known me. You will always be my friend. You will want to laugh with me. And you will sometimes open your window, so, for that pleasure... and your friends w ill be properly astonished to see you laughing as you look up at the sky! Then you will say to them, 'Yes, the stars always make me laugh!' And they will think you are crazy. It will be a very shabby trick that I shall have played on you..." And he laughed again. "It will be as if, in place of the stars, I had given you a great number of little bells that knew how to laugh..." And he laughed again. Then he quickly became serious: "Tonight-- you know... do not come," said the little prince. "I shall not leave you," I said. "I shall look as if I were suffering. I shall look a little as if I were dying. It is like that. Do not come to see that. It is not worth the trouble..." "I shall not leave you." But he was worried. "I tell you-- it is also because of the snake. He must not bite you. Snakes-- they are malicious creatures. This one might bite you just for fun..." "I shall not leave you." But a thought came to reassure him: "It is true that they have no more poison for a second bite." That night I did not see him set out on his way. He got away from me without making a sound. When I succeeded in catching up with him he was walking along with a quick and resolute step. He said to me merely: "Ah! You are there..." And he took me by the hand. But he was still worrying. "It was wrong of you to come. You will suffer. I shall look as if I were dead; and that will not be true..." I said nothing. "You understand... it is too far. I cannot carry this body with me. It is too heavy." I said nothing. "But it will be like an old abandoned shell. There is nothing sad about old shells..." I said nothing. He was a little discouraged. But he made one more effort:"You know, it will be very nice. I, too, shall look at the stars. All the stars will be wells with a rusty pulley. All the stars will pour out fresh water for me to drink..." I said nothing. "That will be so amusing! You will have five hundred million little bells, and I shall have five hundred million springs of fresh water..." And he too said nothing more, becuase he was crying... "Here it is. Let me go on by myself." And he sat down, because he was afraid. Then he said, again: "You know-- my flower... I am responsible for her. And she is so weak! She is so na・e! She has four thorns, of no use at all, to protect herself against all the world..." I too sat down, because I was not able to stand up any longer. "There now-- that is all..." He still hesitated a little; then he got up. He took one step. I could not move. There was nothing but a flash of yellow close to his ankle. He remained motionless for an instant. He did not cry out. He fell as gently as a tree falls. There was not even any sound, because of the sand.cont.--------------------------------Could you find any-thing what you would to do??
2006年07月22日
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Je le vois.....=I see that.....----------------------------"わかっているよ"(Je Le Vois Sur Ton Visage)【作詞】Jacques DEMARNY & Jean CLAUDRIC 【作曲】Enrico MACIAS(1967) sung by "マシアス" 訳詩 永田文夫"わかっているよ" ジュル ボワ ー,ジュル ボワ ー "だまっていても" ジュル ボワ ー,ジュル ボワ ー 君の心の中はすべて その顔みれば ジュル ボワ ー,ジュル ボワ ー "うれしいときは" ジュル ボワ ー,ジュル ボワ ー "胸のときめき" ジュル ボワ ー,ジュル..."******************cont.*******************"CHAPITRE XXVI"Il y avait, a cote du puits, une ruine de vieux mur de pierre. Lorsque je revins de mon travail, le lendemain soir, j'apercus de loin mon petit prince assis la-haut, les jambes pendantes. Et je l'entendis qui parlait:-Tu ne t'en souvens donc pas? disait-il. Ce n'est pas tout a fait ici!Une autre voix lui repondit sans doute, puisqu'il repliqua:-Si! Si! c'est bien le jour, mais ce n'est pas ici l'endroit…Je poursuivis ma marche vers le mur. Je ne voyais ni entendais toujours personne. Pourtant le petit prince repliqua de nouveau:-… Bien sur. Tu verras ou commence ma trace dans le sable. Tu n'as qu'a m'y attendre. J'y serai cette nuit…J'etais a vingt metres du mur et je ne voyais toujours rien.Le petit prince dit encore, apres un silence:-Tu as du bon venin? Tu es sur de ne pas me faire souffrir longtemps?Je fis halte, le coeur serre, mais je ne comprennais toujours pas.-Maintenent va-t'en, dit-il… je veux redescendre!Alors j'abaissai moi-meme les yeux vers le pied du mur, et je fis un bond! Il etait la, dresse vers le petit prince, un de ces serpents jaunes qui vous executent en trente secondes. Tout en fouillant ma poche pour en tirer mon revolver, je pris le pas de course, mais, au bruit que je fis, le serpent se laissa doucement couler dans le sable, comme un jet d'eau qui meurt, et, sans trop se presser, se faufilla entre les pierres avec un leger bruit de metal.Je parvins au mur juste a temps pour y recevoir dans les bras mon petit bonhomme de prince, pale comme la neige.-Quelle est cette histoire-la! Tu parles maintenent avec les serpents!J'avais defait son eternel cache-nez d'or. Je lui avait mouille les tempes et l'avais fait boire.Et maintenant je n'osais plus rien lui demander. Il me regarda gravement et m'entoura le cou de ses bras. Je sentais battre son coeur comme celui d'un oiseau qui meurt, quand on l'a tire a la carabine. Il me dit:-Je suis content que tu aies trouve ce qui manquait a ta machine. Tu vas pouvoir rentrer chez toi…-Comment sais-tu?Je venais justement lui annoncer que, contre toute esperence, j'avais reussi mon travail!Il ne repondit rien a ma question, mais il ajouta:-Moi aussi, aujourd'hui, je rentre chez moi…Puis, melancolique:-C'est bien plus loin… c'est bien plus difficile…Je sentais bien qu'il se passait quelque chose d'extraordinaire. Je le serrais dans mes bras comme un petit enfant, et cependant il me semblait qu'il coulait verticalement dans un abîme sans que je pusse rien pour le retenir…Il avait le regard serieux, perdu tres loin:-J'ai ton mouton. Et j'ai la caisse pour le mouton. Et j'ai la museliere…Et il sourit avec melancolie.J'attendis longtemps. Je sentais qu'il se rechauffait peu a peu:-Petit bonhomme, tu as peur…Il avait eu peur, bien sur! Mais il rit doucement:-J'aurai bien plus peur ce soir…De nouveau je me sentis glace par le sentiment de l'irreparable. Et je compris que je ne supportais pas l'idee de ne plus jamais entendre ce rire. C'etait pour moi comme une fontaine dans le desert.-Petit bonhomme, je veux encore t'entendre rire…Mais il me dit:-Cette nuit, ca fera un an. Mon etoile se trouvera juste au-dessus de l'endroit ou je suis tombe l'annee dernière…-Petit bonhomme, n'est-ce pas que c'est un mauvais reve cette histoire de serpent et de rendez-vous et d'etoile…Mais il ne repondit pas a ma question. Il me dit:-Ce qui est important, ca ne se voit pas…-Bien sur…-C'est comme pour la fleur. Si tu aimes une fleur qui se trouve dans une etoile, c'est doux, la nuit, de regarder le ciel. Toutes les etoiles sont fleuries.-Bien sur…-Tu regarderas, la nuit, les etoiles. C'est trop petit chez moi pour que je te montres ou se trouve la mienne. C'est mieux comme ca. Mon etoile, ca sera pour toi une des etoiles. Alors, toutes les etoiles, tu aimeras les regarder… Elles seront toutes tes amies. Et puis je vais te faire un cadeau…Il rit encore.-Ah! petit bonhomme, petit bonhomme j'aime entendre ce rire!-Justement ce sera mon cadeau… ce sera comme pour l'eau…-Que veux-tu dire?-Les gens ont des etoiles qui ne sont pas les memes. Pour les uns, qui voyagent, les etoiles sont des guides. Pour d'autres elles ne sont rien que de petites lumieres. Pour d'autres qui sont savants elles sont des problemes. Pour mon businessman elles etaient de l'or. Mais toutes ces etoiles-la elles se taisent. Toi, tu auras des etoiles comme personne n'en a…-Que veux-tu dire?-Quand tu regarderas le ciel, la nuit, puisque j'habiterai dans l'une d'elles, puisque je rirai dans l'une d'elles, alors ce sera pour toi comme si riaient toutes les etoiles. Tu auras, toi, des etoiles qui savent rire!Et il rit encore.-Et quand tu seras console (on se console toujours) tu seras content de m'avoir connu. Tu seras toujours mon ami. Tu auras envie de rire avec moi.Et tu ouvriras parfois ta fenetre, comme ca, pour le plaisir… Et tes amis seront bien etonnes de te voir rire en regardant le ciel. Alors tu leur diras: "Oui, les etoiles, ca me fait toujours rire!" Et ils te croiront fou. Je t'aurai joue un bien vilain tour…Et il rit encore.-Ce sera comme si je t'avais donne, au lieu d'etoiles, des tas de petits grelots qui savent rire…Et il rit encore. Puis il redevint serieux:-Cette nuit… tu sais… ne viens pas.-Je ne te quitterai pas.-J'aurai l'air d'avoir mal… j'aurai un peu l'air de mourir. C'est comme ca. Ne viens pas voir ca, ce n'est pas la peine…-Je ne te quitterai pas.Mais il etait soucieux.-Je te dis ca… c'est a cause aussi du serpent. Il ne faut pas qu'il te morde… Les serpents, c'est mechant. Ca peut mordre pour le plaisir…-Je ne te quitterai pas.Mais quelque chose le rassura:-C'est vrai qu'ils n'ont pas le venin pour la seconde morsure…Cette nuit-la je ne le vis pas se mettre en route. Il s'etait evade sans bruit. Quand je reussis a le joindre il marchait decide, d'un pas rapide. Il me dit seulement:-Ah! tu es la…Et il me prit par la main. Mais il se tourmenta encore:-Tu as eu tort. Tu auras de la peine. J'aurai l'air d'etre mort et ce ne sera pas vrai…Moi je me taisais.-Tu comprends. C'est trop loin. Je ne peux pas emportes ce corps-la. C'est trop lourd.Moi je me taisais.-Mais ce sera comme une vieille écorce abandonnee. Ce n'est pas triste les vieilles ecorces…Moi je me taisais.Il se decouragea un peu. Mais il fit encore un effort:-Ce sera gentil, tu sais. Moi aussi je regarderai les etoiles. Toutes les etoiles seront des puits avec une poulie rouillee. Toutes les etoiles me verseront a boire…Moi je me taisais.-Ce sera tellement amusant! Tu auras cinq cents millions de grelots, j'aurai cinq cent millions de fontaines…Et il se tut aussi, parce qu'il pleurait…-C'est la. Laisse moi faire un pas tout seul.Et il s'assit parce qu'il avait peur.Il dit encore:-Tu sais… ma fleur… j'en suis responsable! Et elle est tellement faible! ET elle est tellement naive. Elle a quatre epines de rien du tout pour la proteger contre le monde…Moi je m'assis parce que je ne pouvais plus me tenir debout. Il dit:-Voila… C'est tout…Il hesita encore un peu, puis se releva. Il fit un pas. Moi je ne pouvais pas bouger.Il n'y eut rien qu'un eclair jaune près de sa cheville. Il demeura un instant immobile. Il ne cria pas. Il tomba doucement comme tombe un arbre. Ca ne fit meme pas de bruit, a cause du sable.cont.**********************
2006年07月22日
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"編集手帳"(7月22日付)戦争という過酷で悲惨な時を過ごすなかで人は、何が起きても動じない精神を養い、異文化を受け入れる広い心を学ぶことがある。あなたの場合もそうでしたか。問われてその人は答えている影響はあったかも知れないが、言葉にする際は“ない”と答えるのがいいでしょう。「そういうものから学べたとするならば、それ(戦争)が必要なものになってしまう」と思想家の言葉にも、歴史家の言葉にも聞こえよう。木村元彦さんの著書「オシムの言葉」(集英社インターナショナル)の一節である。イビチャ・オシム氏(65)がサッカーの日本代表監督に就任した旧ユーゴスラビアに生まれ、祖国の内戦と分裂で一家離散も経験している。3年半前にJ1・千葉の監督になり、限られた補強費のなかで上位争いの常連チームを育て上げた名将は、味わいと深みのある言葉の語り手として知られる作り上げること(攻撃)は難しい。相手が作り上げたものを壊すこと(守備)はやさしい。戦術的なファウルで、あるいは引いて守ることで相手の好プレーを壊すことはできる。「でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。そう思いませんか?」4年後に向けて、攻めのオシム・ジャパンが動き出す。率いる人は折々に、刻みの深い人生観を聞かせてくれることだろう。(2006年7月22日 読売新聞)******************************Who's Who???ABOUT "Иван Осим"(イビチャ・オシム)現ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ出身のサッカー選手、指導者。サッカー日本代表監督(2006-)。一般的によく紹介されるイビチャの名称は、ニックネーム的な要素が強く、本名はラテン文字で Ivan, キリル文字で Иван, 日本語読みではイヴァンである。ジェフ千葉での登録名はイビチャ・オシム。2003年よりJリーグ・ジェフユナイテッド市原(2005年シーズンからジェフユナイテッド市原・千葉に改称)の監督。基本方針のうち、肉体面では「走力」、精神面では「哲学」の二面的アプローチで、降格危機・低迷から脱したジェフ市原をさらに改革。「賢く走る」「危険なサッカー」がキーワード。2006年現在でJリーグ最年長監督であったが、次期日本代表監督候補に名前が挙がったため、混乱を避けるために千葉の監督を辞職し、長男のアマル・オシムが千葉の監督に就任した。同年7月21日に日本代表監督に正式に就任。------------------------------------------Who's Who???ABOUT "鶴屋南北"(つるや-なんぼく)狂言作者。三世までは俳優。(1)(四世)(1755-1829) 江戸の人。大(おお)南北と称される。別号、姥尉輔(うばじようすけ)。初世桜田治助に入門、1811年南北を襲名。世話物を得意とし、巧みに幕末期の世相をとらえた作品を生んだ。特に怪談物に傑作が多い。代表作「東海道四谷怪談」「天竺徳兵衛韓噺」「心謎解色糸(こころのなぞとけたいろいと)」など。(2)(五世)(1796-1852) 四世の女婿の養子。孫太郎南北・小南北と称される。門人に三世瀬川如皐(じよこう)・河竹黙阿弥がいる。------------------------------------------------ついでにABOUT"鶴屋吉信"(つるや-よしのぶ)*********************************京菓匠"鶴屋吉信"HP yori 引用 東京店〒103-0022 中央区日本橋室町1-8-8電話:03(3243)0551(代表)FAX:03(3243)0552麹町店〒102-0083 千代田区麹町1-3-7電話:03(3237)7363(代表)FAX:03(3237)7363世田谷店(東京支店)〒154-0017 東京都世田谷区世田谷1-23-20電話:03(3426)7155(代表) FAX:03(3427)2623本店京都市上京区今出川通堀川西入(西陣船橋)電話:075(441)0105(代表) FAX:075(431)1234 弊店は、江戸時代の享和三年(1803)の創業以来、代々皇室、茶道家元の御菓子御用を承るなど、豊かな京菓子文化の歴史を築いてまいりました。代々伝えられる家訓「ヨキモノヲ創ル為二材料、手間ヒマヲ惜シマヌ事」を守り、お客様に真にご満足いただける様日々研鑽致しております。東京支店一階の店舗世田谷店は、本格的な京風の数寄屋建築で、ゆったりと京菓子の世界をお楽しみいただけます。 *****************************京観世・柚餠(きょうかんぜ・ゆうもち) 極上の丹波大納言小豆を使った小倉と村雨で観世水の文様を表した意匠棹もの「京観世」。求肥に青芽柚子の香りをこめて、阿波和三盆糖をまぶした風味ゆたかなつまみ菓子「柚餠」。数度の皇室お買い上げに浴しています。 ----------------------------------Would you mind to have some-one???
2006年07月22日
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"欽ちゃん球団"「やめないで」、電話・メール…500件 野球の社会人クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」のメンバーによる不祥事で、同球団監督の萩本欽一さんが球団を解散する意向を明らかにしたことを受け、同球団事務局には20日、「やめないで」「応援している」などの電話やファクスが殺到した。ファンの反応を伝え聞いた萩本さんは「えらいことを言ってしまった」と話しているという。東京・中央区の球団事務局には、解散発言が報道されて以降、問い合わせや励ましの電話やメール、ファクスが、20日午前までに約500件寄せられた。ほとんどは「クラブチームの火付け役になったのに、なぜやめるのか」「ファンがいるので、ぜひ続けて」といった内容。事務局は、「ファンからの声を萩本監督に伝えたい」としたうえで、「年内の試合は行う方向で調整したい」と語った。また、同球団を支援している「水戸信用金庫」(本店・水戸市)では、「昨夜、第一報を受けた。さらに詳細な連絡をもらって対応を考えたい」と困惑気味。自社の商品名が選手名として登録されている「伊藤園」(本社・東京都渋谷区)でも「これから会議を開いて検討するところ」と、対応に追われていた。一方、20日未明に、萩本さんと協議した岡本尚博・球団代表によると、球団事務局に「やめないで」との多数のメールや電話などがあったことを伝えると、萩本さんは「ありがたいなあ」などと話したという。(2006年7月20日 読売新聞)***************************かいさん 0 【解散】 (名)スル(1)会合などが終わって、人々が別れ散ること。⇔集合「現地―」(2)集団・組織・団体などを解いて、なくすること。「劇団が―する」(3)議会で、議員全員に対し任期満了前にその資格を消滅させること。国会では衆議院にのみ認められ、衆議院が内閣不信任案を可決、あるいは信任案を否決した場合に、内閣が総辞職しない限り解散となる。地方議会でも一定の手続きのもとに行われる。(4)商法上、会社が本来の目的である営業活動を止め、法人格を失う状態になること。合併の場合を除き、財産関係を処理し、組織を廃止する。`````````````````````````````"解散"(かいさん)《会合の》breakup; 《議会の》dissolution.・~する break up; disperse; dissolve.-----------------------------------"ああ"夏休みだ!!!-----------------------------------"Summer Holiday"performed by (Cliff Richard)♪~♪We're all going on a summer holiday.No more working for a week or two.Fun and laughter on a summer holiday.No more worries for me and you.For a week or two.We're going where the sun shines brightly.We're going where the sea is blue.We've seen it in the movies.Now let's see if it's true.Everybody has a summer holidayDoing things they always wanted to.So we're going on a summer holidayTo make our dreams come trueFor me and you.-----------------------------------How many days do you have about "Summer Holiday"??
2006年07月21日
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YOMIURI"編集手帳"yori(7月20日付)うすい雲を通して明るい空から降る雨を「白雨(はくう)」という。夕立の別名でもあり、夏の季語になっている。「木から木へこどものはしる白雨かな」(飴山実=あめやま・みのる)遊んでいた子供たちが不意の雨をよけながら、木陰から木陰を伝って走っていく。白雨の「白」とは、光を通した雨粒の色か、雨脚のしぶきか。雨の呼び名は数あるなかでも、指折りの美しい言葉だろうきょうから夏の土用、「大暑」も近い。学校の夏休みもはじまる。いつもならば白雨のお湿りが恋しくもあり、またよく似合う季節だが、今年の雨は茶褐色とも何とも見定めがたい泥の色をしている梅雨前線の大雨で長野県をはじめとする列島各地に大きな被害が出た。死者・不明者は20人にのぼる。堤防の決壊で冠水した街並み、土石流の爪跡(つめあと)と、被災地から届く写真はどれも泥一色に染まっている地響きとともに目の前を車や立ち木が流れていく…。住民の談話はどれも生々しい。雨が峠を越しても地盤はゆるんでいる。捜索は困難をしいられるが、一刻も早く不明者の無事が確認されることを仏教では八種の龍王を八大龍王といい、そのうちの娑伽羅(しゃがら)龍王が雨をつかさどる。「時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ」(源実朝)。白雨は胸にしまい、いまは「雨やめたまへ」と祈るほかはない。(2006年7月20日 読売新聞)-----------------------------What's "土用"???***************"土用"(どよう)(1)陰陽五行説で、春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水に配し、土を各季節の終わりの一八日間に当てはめたことからいう二十四節気中の立春・立夏・立秋・立冬の前の各一八日間。(2)特に、夏の土用のこと。七月二〇日頃から立秋の前日までの一年中で最も暑い時期。[季]夏。――布子(ぬのこ)に寒帷子(かんかたびら)(1)物事があべこべなことのたとえ。(2)時節の用をなさないもののたとえ。----------------------------------How about YOU???
2006年07月20日
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ASAHI-COM以下 日曜版 "b" yori 引用 "リックとイルザ"(映画「カサブランカ」) アトラス山脈を背景に砂漠に広がるスタジオ。ハリウッド映画などで使われたオープンセットが今も残る=モロッコ・ワルザザートで 美しい光で映画の国に 不安定な気流に何度も揺さぶられながら、十数人の客を乗せたプロペラ機は砂漠の中の滑走路に降り立った。 モロッコ最大の商業都市カサブランカから南へ空路1時間余りのワルザザート。空港から車で10分も走ると、広大な敷地に点在する映画のセットが目に飛び込んできた。 サハラ砂漠の入り口。背後に先ほど越えてきたアトラス山脈が連なる。強い日差しが肌を刺し、空は抜けるように青い。 広さが60ヘクタールもある撮影スタジオは、モロッコでは最も古く、83年にオープンした。カサブランカから同行してくれた映画制作会社「サンドライン」のカマル・ベルミ社長(50)は誇らしげだった。 「最近はハリウッド映画が年に1本は撮影されます。この土地の魅力は何と言っても、美しい光です」 これまでに撮影された米国映画は「ナイルの宝石」(85年)や「クイーン・オブ・エジプト」(95年)、「グラディエーター」(00年)など約10本に上るという。 六十数年前、米国の映画会社がこの国を舞台に米国で撮影したのが「カサブランカ」だ。 当時のヨーロッパはドイツ軍に占領され、フランス領だったカサブランカは、米国を目指すヨーロッパの難民たちであふれていた。パリで恋に落ちたリック(ハンフリー・ボガート)とイルザ(イングリッド・バーグマン)はこの地で再会、かなわぬ夢に心を焦がす。リックは自分を犠牲にして、イルザと反ナチ活動家の夫ラズロ(ポール・ヘンリード)に通行査証を渡し米国に向かわせる。男のダンディズムに世界中が酔った。 その人気は半世紀以上過ぎたいまも衰えない。カサブランカの映画研究所長、ヌールディン・サイルさん(56)は「巧みに練り上げられた見事なストーリーとせりふが私たちを酔わせるのではないか」と話す。 リックがイルザと再会したナイトクラブ「カフェ・アメリカン」は、カサブランカで再現されている。2年前に「リックス・カフェ」を開いたキャシー・クリガーさんは米国人。「すばらしい映画なのに、カサブランカにリックの店がないのはもったいないわ」。繁華街のホテルで営業して30年の「バー・カサブランカ」も健在だ。リックのようなトレンチコート姿の接客で観光客の人気を集めてきたが、さらに映画に近づけようと先月改装を始めた。 政府も映画産業に力を入れている。ワルザザートの空港は89年に滑走路を拡張。01年にはパリ直行便が就航した。映画専門大学や映画関係者のトレーニングセンターの建設計画も進む。サイルさんは言う。「ハリウッド映画の経済効果は今や年間10億ドルに上る。国内映画の底上げにもつながり、モロッコにとっては大切な産業です」 暑さが和らぐ日没後、旧メディナはますます活気づいた=カサブランカで 政治とロマンスの融合 リックとイルザが恋に落ちたパリ。小さなカフェに黒人歌手サムの「時の過ぎゆくまま」が流れる。ひどく取り乱しているイルザに向かって、リックは「君の瞳に乾杯!」とグラスを傾けた。店内に飛び込んでくるドイツ軍の拡声機の声。イルザは「全世界が崩壊しようという時を選んで、私たちは恋に落ちたのね」。「うん、まったくタイミングがまずかった」とリック。ふたりは激しく抱き合う。 列車で一緒にマルセイユに行くことを約束したが、待ち合わせの場所にイルザは現れなかった。 ♪ ♪ ♪「カサブランカ」の映画化が動き出したのは1941(昭和16)年12月27日。日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まった20日後だった。原作は高校の英語教師が38年、欧州旅行した経験が下敷きになった舞台劇「みんながリックの店にやってくる」。カサブランカに住む米国人が自由の国アメリカへ脱出しようとするヨーロッパ難民たちと繰り広げる物語だ。ブロードウェーにかけられる前に頓挫したが、ワーナーブラザーズは未上演の舞台劇としては過去最高の2万ドルを支払った。 米国映画に詳しい相模女子大教授の曽根田憲三さん(59)は「ハリウッドは国民の士気を高めるプロジェクトが必要だった。物語の舞台が北アフリカというのも、エキゾチックな街での悲劇の恋を描いたヒット作『カスバの恋』を思い出させて良かったのではないか」と言う。 ヨーロッパ大陸はデンマークやオランダなどがヒトラーに支配されていた。フランスも40年6月にドイツ軍によってパリが陥落。カサブランカは家族や故郷を失ったヨーロッパ難民たちであふれていた。 映画をイメージしたレストラン「リックス・カフェ」=カサブランカで ♪ ♪ ♪映画作りは脚本の段階から難航を極めた。イルザ役のイングリッド・バーグマンは自伝「マイ・ストーリー」の中でこう振り返っている。 最初から脚本家とプロデューサーの意見が合わず、議論のたびに、脚本はめちゃくちゃに変えられた。撮影は毎日その場の思いつきで進められる始末だった。自分はヘンリード(ラズロ)とボガート(リック)のどちらを愛しているのかわからなくて、しつこく質問した。監督は「まだわからないんだ。うまくやってくれよ。どっちつかずでと言うだけだった」という。 監督と脚本家のこのぶつかり合いが究極のメロドラマを生む原動力になった。リックがパリでのイルザとの日々を回想するシーンもその一つだ。 春のパリ。リックが並木道でゆっくりとオープンカーを走らせ、助手席でイルザがリックに腕を回す。リックのアパート。イルザが窓際で花を生けている。「本当は君は誰なの?」。イルザは「私たち何も聞かない約束よ」。そしてカフェでの最後の約束……。リヨン駅で雨に打たれながら待ったリックは、サムが持ってきたイルザからの手紙にぼうぜんとする。 「ご一緒に行くことも、二度とお目にかかることもできなくなりました。ただ、あなたを愛していることだけは信じていただきたいの……」 降り注ぐ雨に文字がにじんでいく。 回想シーンは最初、ふたりが無言のまま凱旋門の前をドライブする場面しか撮影されなかった。脚本家が「必要ない」と主張したためだが、監督は自らの権限で脚本を書き直した。 結末でも難航した。イルザとラズロが米国へ行くのか、それともイルザはリックとともにカサブランカに残るのかが決まらない。エンディングは二通り撮影することになった。 ところが、イルザとラズロを飛行機に乗せた後、リックが地元警察署長と霧の空港を歩きながら去っていくシーンが突破口になる。リックが「たぶん今から美しい友情が始まるんだよ」というせりふを吐いたとたん、全員が「これだ! もう一つのエンディングは必要ない」と声をそろえたという。 バーグマンは「そのせりふを聞くまで、誰もそれが結びのせりふとなることを知らなかった。ましてやこの映画がオスカー(アカデミー賞)を獲得することなど、知るよしもなかった」と振り返る。 ♪ ♪ ♪全米の映画・テレビ脚本家約1万人人で組織する米脚本家組合はこの春、歴代の最も優れた映画脚本に「カサブランカ」を選んだ。 曽根田さんは「もし焦点がリックとイルザ、ラズロとのロマンスのみに置かれていたら、ありふれた作品になっていたに違いない」と指摘し、「政治とロマンスに関する白熱した議論、脚本家と監督の意見の対立が見事なバランスを生み出し、『カサブランカ』に不死身の生命を与えたのは皮肉としかいいようがない」と語る。 文・佐藤昭仁 写真・岩下毅 *************************** 〈ふたり〉 舞台は1940年、フランス領モロッコのカサブランカ。ナチスの侵攻から逃れ米国へ亡命しようとするヨーロッパ人たちであふれていた。ある日、リックが経営するクラブ「カフェ・アメリカン」に、反ナチ運動のリーダー、ラズロが妻のイルザを伴って現れる。 リックとイルザはかつてパリで恋に落ち、米国への亡命を誓い合った仲だった。しかしイルザは待ち合わせの駅に現れなかった。死んだと思っていた夫ラズロの生存がその直前に確認されたためだった。 イルザとの再会にリックの心は揺れる。イルザもリックへの思いを募らせていく。 パリの回想シーンでのリックのせりふ「君の瞳に乾杯!」(Here’s looking at you,kid)は有名。ふたりが会うたびに流れる音楽「時の過ぎゆくまま」(As Time Goes By)も多くの人を魅了した。 監督はマイケル・カーティス。43年のアカデミー賞で作品賞、脚色賞、監督賞を受賞した。日本公開は46年。 ************************* Song "As Time Goes By"Artist(Frank Sinatra)♪~♪You must remember thisA kiss is still a kissA sigh is still (just) a sighThe fundamental things applyAs time goes byAnd when two lovers wooThey still say: "i love you"On that you can relyNo matter what the future bringsAs time goes byMoonlight and love songs - never out of dateHearts full of passion - jealousy and hateWoman needs man - and man must have his mateThat no one can denyIt’s still the same old storyA fight for love and gloryA case of do or dieThe world will always welcome loversAs time goes by ****************************The hottest songs from Frank Sinatra ------------------------------"涙のリクエスト"(昭和59年)作詞 売野雅勇/作曲 芹沢広明歌(チェッカーズ)♪~♪涙のリクエスト 最後のリクエスト~ 最後のコインに祈りを込めて Midnignt DJ ダイヤル回して あの娘に伝えて まだ好きだよと トランジスタのボリューム上げて 初めて二人 踊った曲さ サヨナラなんて 冷たすぎるぜ ヒドイ仕打ちさ オレの送った銀のロケット 今では違う誰かの写真 イイさそいつと抱き合いながら 悲しい恋を笑ってくれよ 涙のリクエスト 最後のリクエスト 涙のリクエスト 最後のリクエスト for you 波間に消える眩しい夏さ 引き際せめて カッコつけるぜ あのメロディー 口笛にして もしもあいつにふられた時は同じ歌を ダイヤルしろよ 夜中の街を おまえを迎えに 駆けて行くから 愛を誓ったメモリーリング 曲に合わせて海に投げるよ サヨナラ代わりに二人に送る 悲しい恋のリクエストだよ 涙のリクエスト 最後のリクエスト 涙のリクエスト 最後のリクエスト for you ------------------------------------------"リクエスト" a request.・~曲 a request song [tune].・~番組 a request program(me).---------------Would you mind it??
2006年07月19日
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「いき」の構造(2)以下 引用cont.「いき」の形式化的抽象を行って、西洋文化のうちに存する類似の現象との共通点を求めようとするのもその類(たぐい)である。およそ「いき」の現象の把握に関して方法論的考察をする場合に、我々はほかでもない universalia の問題に面接している。アンセルムスは、類(るい)概念を実在であると見る立場に基づいて、三位(さんみ)は畢竟(ひっきょう)一体の神であるという正統派の信仰を擁護した。それに対してロスケリヌスは、類概念を名目に過ぎずとする唯名論(ゆいめいろん)の立場から、父と子と聖霊の三位は三つの独立した神々であることを主張して、三神説の誹(そし)りを甘受した。我々は「いき」の理解に際して universalia の問題を唯名論の方向に解決する異端者たるの覚悟を要する。すなわち、「いき」を単に種(しゅ)概念として取扱って、それを包括する類概念の抽象的普遍を向観する「本質直観」を索(もと)めてはならない。意味体験としての「いき」の理解は、具体的な、事実的な、特殊な「存在会得(えとく)」でなくてはならない。我々は「いき」の essentia を問う前に、まず「いき」の existentia を問うべきである。一言にしていえば「いき」の研究は「形相的」であってはならない。「解釈的」であるべきはずである。 しからば、民族的具体の形で体験される意味としての「いき」はいかなる構造をもっているか。我々はまず意識現象の名の下(もと)に成立する存在様態としての「いき」を会得し、ついで客観的表現を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顛倒(てんとう)するにおいては「いき」の把握は単に空(むな)しい意図に終るであろう。しかも、たまたま「いき」の闡明(せんめい)が試みられる場合には、おおむねこの誤謬(ごびゅう)に陥っている。まず客観的表現を研究の対象として、その範囲内における一般的特徴を索めるから、客観的表現に関する限りでさえも「いき」の民族的特殊性の把握に失敗する。また客観的表現の理解をもって直ちに意識現象の会得と見做(みな)すため、意識現象としての「いき」の説明が抽象的、形相的に流れて、歴史的、民族的に規定された存在様態を、具体的、解釈的に闡明することができないのである。我々はそれと反対に具体的な意識現象から出発しなければならぬ。二「いき」の内包的構造意識現象の形において意味として開示される「いき」の会得(えとく)の第一の課題として、我々はまず「いき」の意味内容を形成する徴表を内包的に識別してこの意味を判明ならしめねばならない。ついで第二の課題として、類似の諸意味とこの意味との区別を外延的に明らかにしてこの意味に明晰を与えることを計らねばならない。かように「いき」の内包的構造と外延的構造とを均(ひと)しく闡明(せんめい)することによって、我々は意識現象としての「いき」の存在を完全に会得することができるのである。cont.--------------------------------"メルクマール"((ドイツ) Merkmal)特徴。目印。目標。指標。**********************以下も引用desu."身の回りのドイツ語"(7)yoriカテゴリー、ヒエラルヒー、メルクマール明治以降、私たちの先人は近代的な国民国家を建設するために、憲法、軍隊、医学、化学などの実際的な制度や知識をドイツからたくさん取り入れました。しかし、それに限らず、音楽などの芸術と並んで、ゲーテやシラーなどの文学、カント、ヘーゲル、ニーチェなどの哲学思想、マルクスやマックス・ウエーバーなどの社会科学などから、自然科学や技術を生み出すもととなっている、人間や社会をもきちんと研究してきました。物事はさまざまにグループ分けすることができます。例えば、人間であれば性によって男と女に、年齢によって大人と子供に、国籍によって日本人とドイツ人に、などのように分類されます。このそれぞれのグループがカテゴリーというわけです。英語ではcategoryですね。これも本来はギリシア語です。日本語では範疇という難しい漢語をあてています。このカテゴリーは階層関係をなしています。例えば、人間は犬などと並んで動物の下位概念であり、動物は植物と共に生物の下位概念です。この階層関係をヒエラルヒーと言います。これも本来はギリシア語で、ドイツ語ではHierarchie、英語でもhierarchyですから共通しています。しかし、英語はハイアラーキーと発音しますから、ヒエラルヒーという語はドイツ語から入ったということがわかります。ひとつの範疇はいくつかの意味成分の組み合わせで記述することができます。例えば、「男」という範疇は「人間」と「男性」という成分の組み合わせです。このような成分が"メルクマール"です。これはドイツ語ではMerkmalで、merken「察知する」や「覚える」という意味の動詞とMal「印」という意味の名詞から成り立っています。つまり物事を見分ける際の手がかりとなる特徴、指標のことです。簡単な日常語では目印です。学問は客観世界をいろいろな視点から分類、整理し、抽象化して見せるわけですが、その整理の仕方は視点の立て方によっていろいろなものがあり得ます。例えば、「人間は動物である」もひとつの判断です。これをテーゼと言います。ドイツ語はTheseです。人間や社会現象に関する判断は自然科学よりも多様であり得ますが、多様とは言っても無原則ではなく、何らかの基準に基づいていますからある程度客観的です。しかし、この客観性も決して普遍的ではなく、判断者の属する社会や歴史の影響を受けています。このような社会的、歴史的制約を伴った判断をイデオロギーと言います。ドイツ語はIdeologieです。人文・社会科学は人間や社会現象を解釈するだけにとどまりません。マルクスは社会の変革を目指す実践的社会科学を提唱しましたから、19世紀後半から20世紀前半にはさまざまな革命運動が起こりました。プロレタリア(Proletarier)が自分たちの権利を主張して、隊列を組んで、シュプレッヒコール(Sprechchor)をしながら町を練り歩き、社会のヘゲモニー(Hegemonie)を握ろうとしました。このシュプレッヒコールですが、sprechen「話す」とChor「合唱」から成り立っていて、声を合わせてスローガンを叫ぶことです。いかにもドイツ語という感じがしませんか。このように、人文・社会科学の分野からもさまざまなドイツ語が日本の社会生活の中に入り込んでいます。--------------------------------"編集手帳"(7月19日)付スペイン語でハトを「パロマ」という。ガスコンロなどで知られるパロマ(本社・名古屋市)の社名もそこから採られている鳥の名前を用いることに決まり、何の鳥にするかを巡って社内で議論が交わされた。本間之英(ゆきひで)さんの「社名の由来」(講談社)によれば、ハヤブサも候補に挙がったという戦後、消火器をつくっていた時期があり、「すばやく飛びかかって火を消す」イメージにはハヤブサがぴったりだったのだろう。選考で漏れたとはいえ、事故の火種を迅速に消し止めるハヤブサの心まで捨て去ることはなかろうにパロマの瞬間湯沸かし器による一酸化炭素中毒事故でこの21年間に少なくとも20人が死亡していた。不完全燃焼が起きるような改造がなされていたという。誰がなぜ改造したかは明らかでない。パロマは事故を公表してこなかった不正な改造のみならず製品自体の劣化にも事故の原因があったというが、自社製品で多数の死者が出ているのに利用者に黙ったままでいられる会社の神経も、ただ漫然と報告を受けてきた経済産業省の神経も、ともに理解しがたい「鳩(はと)のごとく素直に、蛇のごとく慧(さと)かれ」とは新約聖書の一節だが、事故の火種を消し止める際の要諦(ようてい)でもある。最初の社長会見では犠牲者に謝罪の言葉もなかった。ハヤブサもハトもいない。(2006年7月19日 読売新聞)-----------------------------------How do you think about "PAROMA"
2006年07月19日
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"パロマ事故、死者20人に"…品質劣化も認める記者会見で初めて謝罪した小林敏宏・パロマ工業社長(パロマ会長)と小林弘明・パロマ社長パロマ工業(名古屋市)製の瞬間湯沸かし器による死亡事故が相次いだ問題で、同社と、販売元で親会社にあたるパロマ(同)は18日、経済産業省が指摘した17件のほかに、10件の事故が起きていたことが新たに判明、これらの事故で5人が死亡していたと発表した。事故件数は計27件、死者数は計20人となった。さらに前回14日の会見で「修理業者などが不正改造していたのが原因で、製品自体に問題はない」としていた主張から一転、安全装置の品質劣化による事故が含まれていることを認め、謝罪した。パロマ工業の小林敏宏社長(68)は18日の記者会見で、一連の問題解決後に引責辞任する意向を表明。一方、同社長の長男でパロマの小林弘明社長(37)は現職にとどまる。新たに判明した事故は、1990年12月~95年11月に北海道(5件)、秋田(2件)、東京、福岡、長野(各1件)で発生、北海道と秋田でそれぞれ2人、福岡で1人の計5人が死亡していた。事故原因についてパロマは「すべて不正な改造によるもの」としてきたが、18日の会見では、内部調査の結果、27件のうち不正改造が原因とみられるのは14件で、残る13件は改造の形跡がなかったことが確認されたと発表した。13件のうち、少なくとも4件は製造から10年以上が経過。安全装置と連動する「コントロールボックス」(制御装置)の基板に「はんだ割れ」が発生するなど、品質劣化が確認され、それが事故につながったという。残る9件については調査中か追跡不能とした。品質劣化が原因で事故が起きた点について小林弘明社長は「製造した責任があり、補償については社内で検討し、対応する」と述べた。事故情報に関する資料は、いずれも本社の品質管理部で保管されていた。しかし、資料がきちんと整理されていなかったため、追跡調査に時間がかかったとしている。同社は問題の機種すべてを無償で新型に交換する。対象となるのは、80~89年に製造された7機種約26万台。(2006年7月19日 読売新聞)----------------------------------"方程式"(ほうてい-しき)未知数を含む等式で、その未知数に特定な数値を入れたときだけ成り立つもの。その未知数を方程式の根(解)といい、根をすべて求めることを方程式を解くという。*****************"equation"均分(法), 均一(化); 同一視; 方程式.e・qua・tion・al a.equation of motion 【物】運動方程式.equation of state 【物・化】状態方程式.equation of time 【天文】均時差.----------------------------------Of what do you have any "equation"??(*^愛^*)
2006年07月19日
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"粋"(いき)「意気」から転じた語〕(1)気性・態度・身なりがあか抜けしていて、自然な色気の感じられる・こと(さま)。粋(すい)。⇔野暮(やぼ)「―な格好」「―な作り」(2)人情・世情に通じているさま。⇔野暮「―な計らい」(3)遊里・遊興に精通していること。また、遊里・花柳界のこと。「―筋」(4)いろごとに関すること。---------------「いき」の構造by(九鬼周造)序この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟(ひっきょう)わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。昭和五年十月**********************一 序 説「いき」という現象はいかなる構造をもっているか。まず我々は、いかなる方法によって「いき」の構造を闡明(せんめい)し、「いき」の存在を把握することができるであろうか。「いき」が一の意味を構成していることはいうまでもない。また「いき」が言語として成立していることも事実である。しからば「いき」という語は各国語のうちに見出(みいだ)されるという普遍性を備えたものであろうか。我々はまずそれを調べてみなければならない。そうして、もし「いき」という語がわが国語にのみ存するものであるとしたならば、「いき」は特殊の民族性をもった意味であることになる。しからば特殊な民族性をもった意味、すなわち特殊の文化存在はいかなる方法論的態度をもって取扱わるべきものであろうか。「いき」の構造を明らかにする前に我々はこれらの先決問題に答えなければならぬ。 まず一般に言語というものは民族といかなる関係を有するものか。言語の内容たる意味と民族存在とはいかなる関係に立つか。意味の妥当問題は意味の存在問題を無用になし得るものではない。否(いな)、往々、存在問題の方が原本的である。我々はまず与えられた具体から出発しなければならない。我々に直接に与えられているものは「我々」である。また我々の綜合と考えられる「民族」である。そうして民族の存在様態は、その民族にとって核心的のものである場合に、一定の「意味」として現われてくる。また、その一定の意味は「言語」によって通路を開く。それ故に一の意味または言語は、一民族の過去および現在の存在様態の自己表明、歴史を有する特殊の文化の自己開示にほかならない。したがって、意味および言語と民族の意識的存在との関係は、前者が集合して後者を形成するのではなくて、民族の生きた存在が意味および言語を創造するのである。両者の関係は、部分が全体に先立つ機械的構成関係ではなくて、全体が部分を規定する有機的構成関係を示している。それ故に、一民族の有する或る具体的意味または言語は、その民族の存在の表明として、民族の体験の特殊な色合(いろあい)を帯びていないはずはない。 もとより、いわゆる自然現象に属する意味および言語は大なる普遍性をもっている。しかもなお、その普遍性たるや決して絶対的のものではない。例えばフランス語の ciel とか bois とかいう語を英語の sky, wood 、ドイツ語の Himmel, Wald と比較する場合に、その意味内容は必ずしも全然同一のものではない。これはその国土に住んだことのある者は誰しも直ちに了解することである。Le ciel est triste et beau の ciel と、 What shapes of sky or plain? の sky と、 Der bestirnte Himmel ber mir の Himmel とは、国土と住民とによっておのおのその内容に特殊の規定を受けている。自然現象に関する言葉でさえ既にかようであるから、まして社会の特殊な現象に関する語は他国語に意味の上での厳密なる対当者を見出すことはできない。ギリシャ語のπολισにしてもεταιραにしても、フランス語の ville や courtisane とは異なった意味内容をもっている。またたとえ語源を同じくするものでも、一国語として成立する場合には、その意味内容に相違を生じてくる。ラテン語の caesar とドイツ語の Kaiser との意味内容は決して同一のものではない。 無形的な意味および言語においても同様である。のみならず、或る民族の特殊の存在様態が核心的のものとして意味および言語の形で自己を開示しているのに、他の民族は同様の体験を核心的のものとして有せざるがために、その意味および言語を明らかに欠く場合がある。例えば、esprit という意味はフランス国民の性情と歴史全体とを反映している。この意味および言語は実にフランス国民の存在を予想するもので、他の民族の語彙(ごい)のうちに索(もと)めても全然同様のものは見出し得ない。ドイツ語では Geist をもってこれに当てるのが普通であるが、 Geist の固有の意味はヘーゲルの用語法によって表現されているもので、フランス語の esprit とは意味を異にしている。 geistreich という語もなお esprit の有する色合を完全にもっているものではない。もし、もっているとすれば、それは意識的に esprit の翻訳としてこの語を用いた場合のみである。その場合には本来の意味内容のほかに強(し)いて他の新しい色彩を帯びさせられたものである。否(いな)、他の新しい意味を言語の中に導入したものである。そうしてその新しい意味は自国民が有機的に創造したものではなくて、他国から機械的に輸入したものに過ぎないのである。英語の spirit も intelligence も wit もみな esprit ではない。前の二つは意味が不足しているし、 wit は意味が過剰である。なお一例を挙げれば Sehnsucht という語はドイツ民族が産んだ言葉であって、ドイツ民族とは有機的関係をもっている。陰鬱(いんうつ)な気候風土や戦乱の下(もと)に悩んだ民族が明るい幸(さち)ある世界に憬(あこが)れる意識である。レモンの花咲く国に憧(あこが)れるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬(しょうけい)である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地(かのち)へ」の憧憬、ニイチェのいわゆる flgelbrausende Sehnsucht はドイツ国民の斉(ひと)しく懐くものである。そうしてこの悩みはやがてまた noumenon の世界の措定(そてい)として形而上的(けいじじょうてき)情調をも取って来るのである。英語の longing またはフランス語の langueur, soupir, dsir などは Sehnsucht の色合の全体を写し得るものではない。ブートルーは「神秘説の心理」と題する論文のうちで、神秘説に関して「その出発点は精神の定義しがたい一の状態で、ドイツ語の Sehnsucht がこの状態をかなり善(よ)く言い表わしている」といっているが、すなわち彼はフランス語のうちに Sehnsucht の意味を表現する語のないことを認めている。 「いき」という日本語もこの種の民族的色彩の著しい語の一つである。いま仮りに同意義の語を欧洲語のうちに索めてみよう。まず英、独の両語でこれに類似するものは、ほとんど悉(ことごと)くフランス語の借用に基づいている。しからばフランス語のうちに「いき」に該当するものを見出すことができるであろうか。第一に問題となるのは chic という言葉である。この語は英語にもドイツ語にもそのまま借用されていて、日本ではしばしば「いき」と訳される。元来、この語の語源に関しては二説ある。一説によれば chicane の略で裁判沙汰を縺(もつ)れさせる「繊巧(せんこう)な詭計(きけい)」を心得ているというような意味がもとになっている。他説によれば chic の原形は schick である。すなわち schicken から来たドイツ語である。そうして geschickt と同じに、諸事についての「巧妙」の意味をもっていた。その語をフランスが輸入して、次第に趣味についての lgant に近接する意味に変えて用いるようになった。今度はこの新しい意味をもった chic として、すなわちフランス語としてドイツにも逆輸入された。しからば、この語の現在有する意味はいかなる内容をもっているかというに、決して「いき」ほど限定されたものではない。外延のなお一層広いものである。すなわち「いき」をも「上品」をも均(ひと)しく要素として包摂(ほうせつ)し、「野暮(やぼ)」「下品」などに対して、趣味の「繊巧」または「卓越」を表明している。次に coquet という語がある。この語は coq から来ていて、一羽の雄鶏(おんどり)が数羽の牝鶏(めんどり)に取巻かれていることを条件として展開する光景に関するものである。すなわち「媚態的(びたいてき)」を意味する。この語も英語にもドイツ語にもそのまま用いられている。ドイツでは十八世紀に coquetterie に対して Fngereiという語が案出されたが一般に通用するに至らなかった。この特に「フランス的」といわれる語は確かに「いき」の徴表(ちょうひょう)の一つを形成している。しかしなお、他の徴表の加わらざる限り「いき」の意味を生じては来ない。しかのみならず徴表結合の如何(いかん)によっては「下品」ともなり「甘く」もなる。カルメンがハバネラを歌いつつドン・ジョゼに媚(こ)びる態度は coquetterie には相違ないが決して「いき」ではない。なおまたフランスには raffinという語がある。 re-affiner すなわち「一層精細にする」という語から来ていて、「洗練」を意味する。英語にもドイツ語にも移って行っている。そうしてこの語は「いき」の徴表の一をなすものである。しかしながら「いき」の意味を成すにはなお重要な徴表を欠いている。かつまた或る徴表と結合する場合には「いき」と或る意味で対立している「渋味」となることもできる。要するに「いき」は欧洲語としては単に類似の語を有するのみで全然同価値の語は見出し得ない。したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和(やまと)民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支(さしつかえ)ない。 もとより「いき」と類似の意味を西洋文化のうちに索めて、形式化的抽象によって何らか共通点を見出すことは決して不可能ではない。しかしながら、それは民族の存在様態としての文化存在の理解には適切な方法論的態度ではない。民族的、歴史的存在規定をもった現象を自由に変更して可能の領域においていわゆる「イデアチオン」を行(おこな)っても、それは単にその現象を包含する抽象的の類概念を得るに過ぎない。文化存在の理解の要諦(ようたい)は、事実としての具体性を害(そこな)うことなくありのままの生ける形態において把握することである。ベルクソンは、薔薇(ばら)の匂(におい)を嗅(か)いで過去を回想する場合に、薔薇の匂が与えられてそれによって過去のことが連想されるのではない。過去の回想を薔薇の匂のうちに嗅ぐのであるといっている。薔薇の匂という一定不変のもの、万人に共通な類概念的のものが現実として存するのではない。内容を異にした個々の匂があるのみである。そうして薔薇の匂という一般的なものと回想という特殊なものとの連合によって体験を説明するのは、多くの国語に共通なアルファベットの幾字かを並べて或る一定の国語の有する特殊な音(おん)を出そうとするようなものであるといっている。「いき」の形式化的抽象を行って、西洋文化のうちに存する類似の現象との共通点を求めようとするのもその類(たぐい)である。cont.------------Would you play like as a "IKI"??
2006年07月18日
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"編集手帳"(7月18日付)生まれる前の子供たちが、地上に降りる順番を待っている。「時の番人」から呼ばれた子供は船に乗り、おのが命の誕生に向けて旅立つ。メーテルリンク「青い鳥」の一場面である皆が希望を胸に乗船していくなかに、ひとり、ぐずる子供がいた。「いやだ。いやだ。行きたくないんだ。生まれたくないんだ。ぼく、ここに残っていたいんだ」(新潮文庫)。理由は語られていない秋田県藤里町で近所の小学1年生、米山豪憲(ごうけん)君(7)を殺害した疑いがもたれている畠山鈴香被告(33)が、今年4月に水死した自分の長女、彩香さん(当時9歳)についても殺害を認める供述をはじめた一緒に川に行き、彩香さんを持ち上げて橋の欄干に乗せ、突き落としたという。なぜ。供述はこれまでにも二転三転しており、豪憲君を殺害した動機を含めて事件にはなお、幾つもの闇が残されている世の中には、おぼれたわが子を救うために、自分が泳げないことも忘れて水に飛び込み、命を落とす親もいる。供述の内容を伝える記事を読みながら、にわかには信じられないでいる。「青い鳥」の子供の声が少女の面影に重なる橋の欄干から眼下の川面に落ちていく寸秒の恐怖のなかで、彩香さんは誰に救いを求め、誰の名前を呼んだだろう。「おかあさん」、それ以外にはなかっただろうに。(2006年7月18日 読売新聞)-----------------------------Who's Who??ABOUT "モーリス・メーテルリンク" (Maurice Maeterlinck)(1862~1949)ベルギーのヘント(ガン)生まれの詩人・劇作家。最初は弁護士になったが、24歳のときパリに出たことがきっかけとなって詩作・劇作を志した。89年処女詩集「温室」を書いてベルギー文壇で絶讃されたが、同年に書いた戯曲「マレーヌ姫」がマラルメに注目されてフランス文壇でも一躍有名になり、以後クローデルらとともに象徴劇の第一人者となった。代表作「闖入者」「ペレアスとメリザンド」「青い鳥」など。作品はすべてフランス語で書かれている。象徴派に影響を受ける。 1911年にノーベル文学賞受賞。 ****************************『青い鳥』(1908)L'oiseau Bleu / Maurice Maeterlinck戯曲。貧しい兄妹・チルチルとミチルが、妖女の依頼で「青い鳥」を探しにいく。実体化した「光」の助言に従い、犬や猫、火や水など、物体の魂をお供に冒険する。**************************メーテルリンク/鈴木豊訳貧しいきこりの子の兄妹チルチルとミチルはクリスマス・イブの夜、仙女の訪問を受け、その言い付けで「青い鳥」を探しに出かける。「思い出の国」「夜の宮殿」「未来の王国」などを探しまわるが、どこにも「青い鳥」は見つからない。ようやく自分たちの家に帰ってきたとき、すべては夢だったことがわかる。そして「青い鳥」(幸福)は家で飼っていたキジバトだったことを知る…メーテルリンクの代表的な夢幻劇。 *****************************第一幕 第一景 きこり小屋幕があがると、チルチルとミチルが小さなベッドでぐっすりと眠っている。お母さんチルが、もう一度二人に毛布をかけ直し、しばらく二人が眠っている様子を眺めている。ちょうど半ば開いたドアから首を差し出したお父さんチルを手で呼び寄せる。お母さんチルは唇に指を押しつけて、お父さんチルが声をたてないように合図し、ランプを消してから、爪先で歩きながら右側から出てゆく。舞台はしばらく暗闇のまま。やがてよろい戸ごしに明りが差し込み、その光がだんだんと強くなってゆく。テーブルの上のランプがひとりでにつく。どうやら二人の子供が目を覚ましたらしく、ベッドの上に坐る*******************************【チルチル】 ミチル?【ミチル】 おにいちゃん?【チルチル】 ねてるのかい?【ミチル】 おにいちゃんは?……【チルチル】 ねていないよ。お前と話しているんだもの、ねているわけはないじゃないか……【ミチル】 ネエ、今日はクリスマスなの?【チルチル】 でもサンタクロースは今年はなにも持って来ないよ……【ミチル】 どうして?……【チルチル】 お母さんに聞いたんだけれど、お母さんは町へ出かけて、サンタクロースにそう言うひまがなかったんだって……でも来年はきっと来るよ……【ミチル】 来年って、なかなかなの?……【チルチル】 すぐじゃあないさ……でも、お金持の子供の家へは今夜来るんだぜ……【ミチル】 そうなの?【チルチル】 アレッ!……ママがランプを消すのを忘れてるぜ!……いいことがあるぞ……【ミチル】 どんなこと?【チルチル】 起きようよ……【ミチル】 でもいけないって言われてるのよ……【チルチル】 だってだれもいないんだもの、かまうもんか……よろい戸が見えるかい?……【ミチル】 アラッ! なんて明るいんでしょう!……【チルチル】 パーティの明りだよ。【ミチル】 なんのパーティなの?【チルチル】 前の、お金持の子供の家のさ。クリスマス・ツリーだぜ。よろい戸を開けてみよう……【ミチル】 だいじょうぶかしら?【チルチル】 もちろんだいじょうぶさ、だってぼくだちだけだもん……音楽が聞えるかい?……起きようぜ……二人の子供は起きて、窓のひとつに駆け寄って踏み台へ登り、よろい戸を押して開ける。明るい光が部屋の中に差し込む。子供たちは夢中になって外を見る【チルチル】 すっかり見えるぞ!【ミチル】 〔踏み台の上には、ようやく立っているだけの場所しかない〕見えないわ。【チルチル】 雪が降ってるよ!……六頭だての馬車が二台あるぞ!……【ミチル】 男の子が十二人出てきたわ!……【チルチル】 バカだな、お前は!……あれは女の子だよ!……【ミチル】 ズボンをはいてるわよ……【チルチル】 わかりもしないくせに……そんなに押すなよ!……【ミチル】 あたしに触らないでよ。【チルチル】 〔踏み台をひとりじめにして〕お前は場所をみんな取っちまってるぜ……【ミチル】 あたしの場所なんかぜんぜんないわよ!【チルチル】 黙ってろよ、木が見えるぜ!……【ミチル】 なんの木なの?……【チルチル】 クリスマス・ツリーだよ……なあんだ、壁を見てるんじゃないか!……【ミチル】 だって場所がないんですもの……【チルチル】 〔踏み台の場所をちょっと空けてやり〕ホラ!……これで充分だろ?……そっちのほうがずっとよくなったろ?……明りがたくさんついてるぞ! ずいぶんあるなあ!……【ミチル】 あんなに大騒ぎして、あのひとたちなにをしているのかしら?【チルチル】 音楽をやってるのさ。【ミチル】 あのひとたち、怒ってるのかしら?【チルチル】 ちがうよ、ただ疲れただけさ。【ミチル】 また白いうまをつけた馬車がきたわ!【チルチル】 口をきくなよ!……見ていろよ!【ミチル】 木の枝に下がっている、あの金色のものはなあに?【チルチル】 もちろんおもちゃさ! サーベルに、鉄砲に、兵隊に、大砲だよ……【ミチル】 ネ、お人形はどう、枝にさげてないかしら?【チルチル】 人形だって?……バカバカしい。人形なんてちっとも面白くないや……【ミチル】 テーブルのまわりにあるの、あれはなにかしら?【チルチル】 お菓子に、くだものに、クリーム・パイだよ。【ミチル】 小っちゃいとき、一度クリーム・パイを食べたことがあるわ……【チルチル】 ぼくもだよ。パンよりおいしいね。でも、ほんの少ししかもらえなかったよ。【ミチル】 ほんの少ししかなかったんですもの……テーブルいっぱいにあるわよ……あのひとたち、あれをこれから食べるのかしら?【チルチル】 もちろんさ。ほかにどうすればいいんだい?【ミチル】 あのひとたち、どうしてすぐに食べないの?【チルチル】 お腹がすいてないからさ……【ミチル】 〔びっくりして〕お腹がすいていないんですって?……どうして?【チルチル】 ほしいときにいつでも食べるからだよ……【ミチル】 〔信じられない様子で〕毎日そうなの?【チルチル】 そうらしいよ。【ミチル】 みんな食べるのかしら?……ご馳走するのかしら?【チルチル】 だれに?【ミチル】 あたしたちに……【チルチル】 ぼくたちのことなんか知らないんだぜ。【ミチル】 ご馳走してって、頼んだら?【チルチル】 そんなことむりだよ。【ミチル】 どうして?【チルチル】 だっていけないって言われてるんだもん。【ミチル】 〔両手をたたいて〕アラッ! なんてきれいなんでしょう!【チルチル】 〔夢中になって〕笑ってるぞ、笑ってるぞ!【ミチル】 子供たちがダンスをしてるわ!【チルチル】 ほんとだ、ほんとだ、こちらもダンスをしようよ!〔二人は大喜びで踏み台の上で足を踏み鳴らす〕【ミチル】 アア! ほんとに面白いわ!【チルチル】 お菓子をもらってるぞ!……もう手をつけてもいいんだな!……食べてる! 食べてる! 食べてるぞ!【ミチル】 いちばん小っちゃい子まで食べてるわ! 二つ、三つ、四つも!【チルチル】 〔夢中になって喜び〕アア! いいなあ!……いいなあ!……ほんとにいいなあ!【ミチル】 〔もらったつもりになって、お菓子を数えながら〕あたし、十二ももらっちゃったわ!【チルチル】 ぼくは十二の四倍だぞ! お前にもあげるよ!小屋の戸をたたく音がする【チルチル】 〔急に静かになって、怖がり〕なんだろう?……【ミチル】 〔おびえて〕パパだわ! 以下 略-----------------------------"智恵子抄"(高村光太郎著yori 引用)『あどけない話』智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。-----------------------------"君は心の妻だから"(昭和44年)なかにし礼作詞 / 鶴岡稚義作曲 唄 (鶴岡雅義と東京ロマンチカ) ♪~♪愛しながらも 運命(さだめ)に敗けて 別れたけれど 心はひとつ ぼくの小指を 口にくわえて 涙ぐんでた 君よ ああ~ 今でも愛している 君は心の 妻だから 巡(めぐ)り逢えたら 離(はな)れはしない 二人といない やさしい人よ 君の項(うなじ)の あの温(ぬく)もりが 忘れられない 今日も ああ~ 思えば涙が出る 君は心の 妻だから 強く生きるよ 生きてることが いつかは君に 幸(しあわ)せ運ぶ ぼくに縋(すが)って 胸をたたいて きっと泣くだろ 君は ああ~ その日を夢見ている 君は心の 妻だから-----------------------------Could you ???(*^妻^*)
2006年07月18日
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"編集手帳"(7月17日付)息子が公金を使い込み、遊女と行方をくらましたと聞いて、父親が心情を語る。「盗みする子は憎からで縄かくる人が恨めしいとはこのことよ」近松門左衛門「冥途(めいど)の飛脚(ひきゃく)」である。罪あるわが子よりも捕縛の役人が恨めしい。親ごころが胸にしみるせりふだが、現実の世界では親が甘いのをいいことに、つけあがる者もいるからむずかしい核とミサイルで周辺の安全を盗み、拉致で人を盗む。北朝鮮という「盗みする子」を親代わりになって庇護(ひご)し、その蛮行を穏便に取り繕ってきたのは中国であり、ロシアである両国にしてみれば北朝鮮の金正日体制が動揺するような事態は望ましくない。いわば国益上の思惑から生じた親ごころだが、「親の顔が見たい」とつぶやきたくなる場面は一度や二度ではなかった大甘の親も、今度ばかりは世間の目を意識したのだろう。中国は当初、ミサイル発射に対する国連安保理の対応を「報道声明」で済まそうとし、次いで「議長声明」を唱え、ついには「決議」まで譲歩した。中甘程度にはなったらしい案文をめぐって日米と中露が押し引きした決議案がようやく採択された。北朝鮮の素行が改まらなければ、かばいだてしてきた者、とりわけ中国が今度は批判の矢面に立つ。親の威厳にかけて、きちんと躾(しつけ)をしてもらわねばなるまい。(2006年7月17日 読売新聞)----------------------------------"冥途"(めいど)〔仏〕 死者の霊魂が行く暗黒の世界。冥界。よみじ。――にも知る人どこにでも知り合いはいるということのたとえ。地獄にも知る人。――の土産(みやげ)にする死んであの世へ持って行くための楽しい思い出にする。********************以下 引用です"冥途の飛脚"、またの名「恋飛脚大和往来」(作者近松門左衛門)実際に起こつた公金横領事件【宝永七年(1710)正月二十五日、大和新口村の小百姓四兵衛の息子・清八が大阪に養子に出て、亀屋忠兵衛と名乗っていたが、公金に手を付け、遊女を請け出して駆け落ちし、大和上里村(現・香芝市)の親類宅に潜んでいるところを逮捕された】をヒントに、好きな女と一緒になりたいという欲望のために罪を犯してしまう忠兵衛の男心と、命をかけて愛情を示した男に報おうとする遊女梅川の女心を描き、現代にも通じる近松門左衛門の代表作の一つです。飛脚屋亀屋の養子忠兵衛は遊女梅川と深く愛し合い、彼女に会うために店の運転資金に手をつけたり友人の丹波屋八右衛門に多額の借金をしています。 武家屋敷からの為替金三百両の催促を受けた忠兵衛は大金を懐に店を出ますが、歓楽街の灯が目に人ると大きく心が揺れるのでした。梅川は恋しい忠兵衛が訪れるの待っていましたが、現れたのは八右衛門。忠兵衛の悪い噂を言い立てます。それを立ち聞きした忠兵衛は憤慨し、借りも忘れてつかみかかります。間に人ってなだめる梅川の手前、忠兵衛は為替金にかけられた封印を切り、その金で八右衛門に金を返済し、梅川を身請けしてしまいます。 全てを明かされた梅川は、忠兵衛に従って町をあとにするのでした。二人は一つの駕寵に相乗りし、みぞれ交じりの空の下、忠兵衛の故郷新口付へと逃れて行きます。二人は「生きらるれだけ、この世で添おう」という刹那主義的な逃避行で、藤井寺から竹の内峠を越えて、忠兵衛の生まれ故郷・新口村(にのくちむら)まで逃げのびる。その道行の冒頭を少し引用します。「翠帳紅閨(すいちょう こうけい)に、枕並べし閨(ねや)の内、馴れし衾(ふすま)の夜すがらも、四つ門の跡夢もなし、さるにても我が夫(つま)の 秋より先に必ずと、あだし情の世を頼み、人を頼みの綱切れて、夜半の中戸も引き替へて、人目の関にせかれ行く。 昨日のままの鬢(びん)つきや、髪の髷目(わげめ)のほつれたを、わげて進じよと櫛を取り、手さへ涙に凍(こご)ゑつき、冷えたる足を太股(ふともも)に、相合炬燵(あいあいごたつ)、相輿(あいごし)の、駕籠の息杖(いきづえ)生きてまだ、続く命が不思議ぞと、二人が涙、河堀(こぼれ)口」「翠帳紅閨」(緑のとばりをかけた紅色の寝室のことで、遊女の寝室)などという難しい漢語が並びますが、現代文になおすと「私の寝床で、貴方と枕を並べて夜もすがら馴染んだことが、夢のように果ててしまった。我が夫(忠兵衛)が秋までに必ず請け出すと約束してくれたことを頼みにしていたが、その頼みの綱が切れて、人目をはばかって落ち延びて行く身となった。 髪のほつれを直してあげようと櫛をとっても、手さえ涙で凍りつく。相乗りする駕籠の中で、冷えた足をお互い組み合わせてコタツ代わりにしていると、駕籠かきの息継ぎが伝わり、まだ生きているのだと思うと、また涙がこぼれ出る」。梅川のセリフであるが、文章は意外に分かりやすく、梅川と忠兵衛2人のいじらしい情感がふつふつと沸き上がる。******************************[新口村(にのくちむら)の場] 新口村に着いた2人は、詮議の厳しいことを知り、実家から少し離れた幼な友達の忠三郎の家に身を隠す。そこへ雨の中を父の孫右衛門が通りかかり、水たまりで滑って転倒し、鼻緒を切る。 思わず梅川が飛び出し、嫁の気持をいっぱい滲ませて、孫右衛門を親身に世話すると孫右衛門もそれとなく察し、泣きながらわが子を思う心情を切々と訴える。孫右衛門は忠兵衛に会わずに立ち去り、二人は裏道を逃げるが、まもなく捕えられ、浮名ばかりを難波に流した。-----------------------------------Hades; the world of the dead. 冥途のみやげ "a good memory"----------------------------------Have you ever look at "Hades"???(*^冥^*)
2006年07月17日
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"夫が見知らぬ人にお説教" 75歳の主婦。77歳の夫についての相談です。 「手持ちぶさたの時には、英会話でもいい、何か一つ覚えなさい。1か月で30の会話ができる」。これはスーパーのレジで、夫が店員に言った言葉。「あんた破れたジーパンはいて、みっともない。繕いなさい」。これは、電車で見かけた若い女性への言葉です。 高校の教師だった夫は、見知らぬ人にしばしば話しかけ、お説教をします。 ある時は、バス停で座り込んでたばこを吸っている高校生に「たばこはいかんよ」と、その害について話し始めました。 夫の語り口は優しく、人を怒らせない楽しい雰囲気を持っているため、その子たちは暴言を吐くわけでもなく、「わかりました」とたばこを消しました。本当にほっとしました。 夫は誰とでも仲良くなるのですが、私はそのフレンドリーな態度が恥ずかしく、嫌なのです。私の前ではやめてほしいと頼むのですが――。静かに、どっしりと、悠然と構えてほしいのです。何かご教示ください。 (福岡・N子) ◇私はあなたの夫が大好きです。見知らぬ若い人に説教しても相手を怒らせない優しい語り口、楽しい雰囲気で誰とでも仲良しになる老人。こういうキャラクターは私たちが作る映画の中の想像だけと思っていましたが、現実に存在することに驚き、うれしくなってしまいます。 何よりその話の正しさ、豊かさ、深さに敬服します。たばこの害は言うに及ばず、1日一つの英会話も時間と持続力の大切さ、ちょっと的はずれと思われる服装への苦言でさえ流行への批判が聞こえてきます。 へたに若い子に注意したら逆切れを起こされる時代、いつもそばにいるあなたにしてみれば、ハラハラの気疲れもあるでしょう。だれかれとあまりにも気軽に声をかけられると恥ずかしくなるものかもしれません。それでも、こんな時代だからこそ、あなたの夫のような年配の方にいてほしいのです。どうか、夫を誇りに思ってください。などと言うまでもなく、実は私などの何倍もあなたは夫が大好きなんだと読めますが。 (大森 一樹・映画監督) (2006年7月16日 読売新聞)-----------------ABOUT "車輪"の下『車輪の下』(しゃりんのした)"UNTERM RAD"出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ヘルマン・ヘッセの長編小説。1905年に発表。周りの人々から期待され、その期待に踏み潰されてしまった少年を描いた、自伝的小説。日本では、ヘッセの作品中最もよく読まれている作品である。"あらすじ"ハンスは周りの人々の期待にこたえようと、勉学にいそしみ神学校に入学したが、ハンスの心はやがて反発していく。見習い工として出直そうとするが、ますます混迷をきわめ、きづけば川へ身をゆだねていた。"作品背景"ヘッセは少年時代、神学校在学時に、「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」といって悩み、不眠症とノイローゼに陥ってしまった。結局学校を退学し、精神療養をして高校に転校した。だが、自らがどうしたら詩人になれるのか悩み、高校をやめ本屋の見習いとなったが、三日であきらめ、消息を絶ってしまった。主人公・ハンスは、周りの期待にこたえられず、自殺するところとなるのだが、ヘッセには母親がいて、これがヘッセの立ち直るきっかけとなった。ハンスには母親がおらず、ここが小説と事実との大きな違いである。-----------------"車軸"(しゃじく)(1)車のじく。車の心棒。(2)〔雨滴が車の心棒ほどもあるの意〕雨脚(あまあし)の太い雨。また、大雨が降ること。「俄に黒雲立ちまよひ、―平地に川を流し/浮世草子・永代蔵 4」――を=流・す(=下(くだ)・す)車軸のような太い雨脚の雨が降る。大雨の降るさまにいう。---------------------What wheather have you ever in your lives???(*^苦^*)
2006年07月16日
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以下『古曲への案内』(荘司賢太郎)yori 引用 牧野良三氏(1885~1961)の「おもい出」には、上野の芸大に邦楽科が創設された経緯が書かれているので、次に挙げる。******************日本音楽について、わたくしには深いおもい出がある。 大正七年の秋のことである。原(敬)内閣が成立して政党内閣というものが初めてでき上がると、その文部大臣に中橋徳五郎さんが選ばれた。世間は原首相の文教一新に関する大きな志を知らなかったものだから、この意外な人選に驚いた。文部省というところは、宮内庁と相並ぶ別格な役所であって、その大臣には、華族とか、役人を長くしてきた特別な人物とか、何れにするも社会から別格扱いをされる人物でなければならないものとされていた。そこへ、関西の実業家で、長い間大阪商船の社長をしていた民間人を選んだのだから、驚いたのは無理もない。今の東宮妃が選ばれた驚きと喜びとを逆にしたような空気だった。それで、政界も、言論界も、意地の悪るい小姑のような態度で、新文相の一言一行を、目ひき袖ひきして問題にしたものだった。 その際のこと、文部大臣が当時秘書官をしていたわたくしを連れて上野の音楽学校へ出かけた。一と通り見てまわってから、先生や、父兄や、それに新聞記者を前にして、この学校では西洋音楽は教えているが、なぜ日本音楽を教えないのかといわれた。すると、それが忽ち問題にされて、翌日の新聞にデカデカと書き立てられて、文部大臣は学校と待合をゴッチャにしている、卑俗な文相の面目躍如たりと悪口した。日本の音楽というものはそんな風に、全く卑俗なものとされていたのである。 すると中橋文部大臣は、サンザン悪口をされた揚げ句のこと、一つ世間の眼を開いてやろうじあないかといい出して、音楽学校に邦楽科設置の立案を命じた。それが、その後いよいよ実施されることになって、音楽学校に長唄科、清元科、常磐津科、義太夫科といった意外な学科が設けられ、高輪の家元(清元延寿太夫)を始め各家元の代表者が官立学校の奏任待遇の先生に任命されたんだから愉快だ。全く驚くべき教育界の革命で、三味線音楽のために万丈の気焔を吐いたものだった。 この革命を心から喜んだ人に、当時の東大の教授笹川臨風博士があった。笹川さんの喜びといったらたいへんなもので、それ以来わたくしは大の仲よしになったのだが、その笹川さんが、いつも心にかけていたものが、この古曲であった。古曲には大衆性がとぼしいから、このままにして置いたら亡びてしまうといっていろいろに苦心し、保存に鑑賞に、それから歌詞の整理に、その心つかいは並み大抵なものではなかった。*********************************以下 略 -----------------------AND....『桜餅屋の娘(三)、その他の娘達』(荘司賢太郎) yori 引用 おとよのその後について-------- 阿部正弘が死んだ後も、おとよは福山藩邸の奥に住んでいたが、維新後、向島の実家に戻って来た。四十二、三の頃というから、明治十二、三年頃と思われる。(というのは、鳶魚の計算違いで、明治十四、五年としないとおかしい) 内縁の夫と共に長命寺の裏門脇に二階建ての家を建てて、桜酢を始めたという。 おとよには娘が一人あったが、その娘が伝染病に罹って、隔離病院に入れられると聞いて倒れ、大正三年九月十九日に、おとよは七十五才で亡くなったという。 以上、おとよの死で三田村鳶魚の『桜餅』は終わっている。 山本屋の美人娘は此のおとよだけと思っていたところ、思いがけない記事を見つけた。 篠田鑛造の『幕末明治女百話』の中である。「岩亀の鑑札娼妓の朝帰り」という項があるが、この岩亀とは横浜の有名な妓楼、岩亀楼のことである。 東海道の品川宿には、勤皇の志士達が盛んに遊んだ土蔵相模とか、島崎楼とか、いった表向きは旅籠屋だが、売女を抱えた遊女屋が軒を並べていたが、その中に岩槻屋という店があった。 安政五年(1858)、日米修好通商条約締結。翌年、横浜港が開港され、更にその翌年の万延元年(1860)、横浜の太田新田の埋立地に外人相手の遊廓が出来た時、そこへ岩槻屋が出店を出したが、それが岩亀楼である。 品川の岩槻屋に喜遊という娼妓がいた。 喜遊は岩亀楼が出来ると、そちらへ移って行った。 岩亀楼を有名にしたのは此の喜遊である。 喜遊はどうしても異人に馴めず、「露をだにいとう倭(やまと)の女郎花 ふるアメリカに袖はぬらさじ」という辞世を残して、自ら命を断った。 時に喜遊十七才、文久二年(1862)のことと云う。 喜遊については、江戸深川の医師、太田正庵の娘で、嘉永六年(1853)、十五才の時に新吉原甲子屋に売られ、‘子の日’という名で遊女に出たが、その後、横浜の岩亀楼に移った(『温古見聞彙纂』)ともいわれている。 これが正しいとすると、文久二年には喜遊は二十四才になっている。 又、「露をだに-----」の辞世は、吉原松葉屋の遊女花岡の作ともいう。 要するに、喜遊に関する話の真偽は不明で、喜遊という遊女がいたことは確からしいが、朝倉無声氏によると、実はこれは大橋訥庵が、勤皇の志士の志気を鼓舞するために創作した話で、訥庵自身から、そのことを聞いたという者がいたそうだ。 確かに、そういわれてみると、辞世と云い、出来過ぎた話ではある。 大橋訥庵は勤皇の儒者で、坂下事件の計画を立てたのは大橋訥庵だという。 坂下事件とは、井伊直弼の遺志を継いで公武合体のため和宮の降嫁を実現させた老中安藤信正を、水戸の浪士達が坂下門外で襲って傷を負わせた事件である。 文久二年正月十五日のことである。 しかし、大橋訥庵は、宇都宮藩士等の一橋慶喜を擁立して義兵を挙げる計画を援助して、その上書を一橋家の近習に取り次ぎを依頼したことが発覚して、坂下事件の三日前に逮捕投獄された。 同年七月に獄中で発熱、宇都宮藩に預けられたが、七月十二日に病死した。一説には毒殺されたともいう。行年、四十七才。 話を岩亀楼に戻すが、岩亀楼があったのは今の関内の辺りで、楼内に日光の朱塗りの橋が拵えてあり、異人が珍しがって、よく遊びに行ったという。一人分、二朱と五百の見物料を取って見せたが、一両出すと、同楼一番の大広間の「扇の間」へ通して立派な茶菓子を出した。横浜見物で岩亀楼を見ないと、見物甲斐がないといわれる程だった。 扇の間というのは、襖から何から何まで、すべて扇の絵で、窓の形まで扇型で、その綺麗さは目を驚かすばかりだった。他にも、竹の間、鶴の間、松の間といろいろあったが、竹の間は竹、鶴の間は鶴、松の間は松の絵が夫々描いてあった。喜遊が自害したのは松の間だった、という。 以下の引用文はいずれも『幕末明治女百話』の「岩亀の鑑札娼妓の朝帰り」からのものである。「この岩亀の娼妓は、大てい西洋人の相手が多く、その向うの内意も含んでいましたが、岩亀楼へ出向かれない、身分のある異人のためには、同楼から娼妓を、異人館へ駕篭で送り込んだもので、ソレは毎晩のように御用があったんですから、吉原では「男の朝帰り」が目立ちますが、横浜ではアベコベに、異人館から「娼妓の朝帰り」があったんです。この異人館行に二タ通りありまして、月極めの女と、一夜妻の女とありまして、月極めは普通の扮担(なり)で、ラシャメンみたいなものですが、一夜妻の方は、やはり仕掛(しかけ)を着て、花簪をさし、花魁(おいらん)風で出かけました(以下畧)」「岩亀楼では、異人館通いを特権(ひとりじめ)としてしまいました。岩亀楼からでないと、異人さんのとこへは行かれないんですから、果ては鑑札を出して、鑑札料を取ったんです。これで同楼はうまい汁を吸っていました。ソレが同楼の娼妓ばかりでなく、素人の娘でも、金になりますから、異人の妾を望むものがありますと、表面は同楼の娼妓となって、鑑札を貰って行くんで、みんな相当の金子を、同楼へ納めました」「向島の桜餅のおちょうさんと、妹のおきんさんが、オランダ公使館に引取られ、おちょうさんが公使、おきんさんが書記官の愛妾となったことは、有名な話なんですが、日本の素人娘が、異人のお妾となったのは、これが嚆矢だということです。ですから、外国奉行の水野筑後守へ願い出たところ、奉行所でも先例がないんでしょう。お役人のうちでは、恐しくお憤りになって、日本の女の面汚しだ、斬って棄てるという頑固な役人もあったんですが、トドの結局(つまり)岩亀楼の娼妓としたら、すでに娼妓は出入りしているんだからよいということになって、例の鑑札で公使館へ入ったんです。横浜本町の塗物屋の娘おこうさんも、この縁で米国領事の妾となったんです」 向島の桜餅といえば山本屋だが、その山本屋の二人の娘、おちょう、おきんの姉妹が、オランダ公使と書記官の妾になった、というのである。 いつ頃の話なのか、と考えると、カギは外国奉行の水野筑後守である。 水野筑後守忠徳は、二度にわたって外国奉行を勤めている。 最初は、安政五年(1858)七月に新設の外国奉行に就任したが、翌六年七月に起きたロシヤ士官暗殺事件の処置のまずさから軍艦奉行に遷任。二度目は、文久元年(1861)五月に外国奉行に再任。翌二年七月、函館奉行となるまでの二回である。 岩亀楼の出来たのが万延元年(1860)であるから、当然、再任の文久元年五月から、翌二年七月までの一年二ヶ月の間のこととなる。 喜遊の事件は文久二年のことというが、実際にあったとしても、何月にあったのか、はっきりしないので、はたして水野忠徳の再任中の出来事だったか、どうか、わからない。 おちょう、おきんの姉妹が、オランダ公使館の妾になったのを、仮に文久元年とすると、阿部正弘の思い者になった、おとよは二十三才になっている。山本屋三代目の新六はおとよの弟であるから、まだ廿才そこそこで、妾奉公にあがる程の子供のある筈がない。 おちょう、おきんの年令は不明だが、少なくとも十五才にはなっていると思われる。 とすると、山本屋二代目の金五郎には、おとよ、新六の他に、おちょう、おきんという二人の娘があったことになる。つまり、二人の姉妹は、おとよ、新六の妹ということである。 岩亀楼は、慶応二年(1866)十月廿日の朝、土堤道(どてみち)の豚切売業鉄五郎方から出火した、俗に「豚屋火事」といわれる大火事で、焼失した。この火災で関内一帯は焼け野原となり、岩亀楼の他、神風楼、金石楼、岩里楼などの大妓楼もすべて焼けてしまった。 以下 略 -----------------------「ふるアメリカに. 袖はぬらさじ」(有吉佐和子作 戌井市郎演出 文学座)************************Who's Who about"有吉佐和子""有吉 佐和子"(ありよし さわこ)1931年1月20日 -1984年8月30日日本の作家。和歌山県和歌山市出身。長州藩士 有吉熊次郎は曽祖父にあたる。東京市立第四高女(都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女へ。その後、光塩高女、府立第五高女(都立富士高校)を経て東京女子大学短期大学部英語学科卒業。1952年『地唄』が芥川賞候補となり、注目される。『複合汚染』は日本の公害について書き上げた代表作。他に『華岡青洲の妻』『恍惚の人』『出雲の阿国』など。また、演劇やテレビなどの脚本も手がけた。1962年に「赤い呼び屋」とも言われた興行師の神彰と結婚。長女に作家の有吉玉青をもうける。1964年に神の事業の失敗により離婚した。1984年8月30日、急性心不全のため都内の自宅で死去。享年53。------------------------How do you feel about that??
2006年07月16日
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---------------「探し物は何ですか」作詞/作曲 井上 陽水 ♪~♪見つけ難(ニク)い物ですかカバンの中も 机の中も探したけれど 見つからないのに まだまだ探す気ですかそれより僕と 踊りませんか夢の中へ 夢の中へ行ってみたいと 思いませんか Woo woo woo-- Woo woo woo--Woo woo woo-- さあ♪ 休むことも許されず笑うことは止められて這(ハ)いつくばって 這いつくばって いったい何を 探しているのか探すのを止めたとき 見つかることも よくある話で 踊りましょう 夢の中へ行ってみたいと 思いませんか Woo woo woo-- Woo woo woo--Woo woo woo-- さあ 探し物は何ですか まだまだ探す気ですか夢の中へ 夢の中へ行ってみたいと 思いませんか Woo woo woo-- Woo woo woo--Woo woo woo-- さああー Woo woo woo 夢の中へWoo woo woo 夢の中へWoo woo woo-- さあ ---------------1973(S.48)年、井上陽水のヒット曲。1989年、斎藤由貴のカバーでもヒット。 ---------------「川に落とした」畠山被告、彩香さん殺害を供述秋田児童殺害秋田県藤里町の小学1年米山豪憲(ごうけん)君(7)が殺害された事件で、殺人容疑で再逮捕された近所の無職畠山鈴香被告(33)が、長女の小学4年彩香さん(当時9歳)の水死について、「川に落として殺害した」という内容の供述をしていることが15日、わかった。能代署捜査本部は、供述の裏付けを進め、17日に秋田地検が豪憲君殺害事件で畠山被告を殺人罪で起訴した後、彩香さん殺害容疑で再逮捕する方針。畠山被告の供述によると、4月9日夕、2人で自宅から約3キロ離れた藤琴川の大沢橋まで行き、川を見せようと彩香さんを持ち上げて橋の欄干に乗せた後、川に落としたという。捜査本部の調べで、同日午後6時から7時にかけて、大沢橋の上で畠山被告と彩香さんとみられる2人連れと、畠山被告の車と似た白い軽自動車が目撃されていた。彩香さんは同日午後4時ごろ、自宅から遊びに出かけ、同4時30分ごろ、自宅前で近所の住民が見かけたのを最後に行方がわからなくなった。畠山被告は同夜、捜索願を出し、能代署員らが捜索。翌10日午後1時35分ごろ、大沢橋から約5キロ下流の藤琴川で彩香さんの遺体が発見された。司法解剖の結果、水死と判明し、同署は、自宅近くの河原で足を滑らせて川に転落した「事故死」と判断した。畠山被告は納得できないとして、彩香さんの足取りについて情報提供を求めるチラシを配ったり、能代署に再捜査を求めたりしていた。逮捕後、畠山被告は豪憲君を殺害した動機について「何でほかの子たちは元気なのに、うちの彩香がいないんだろうと、切なくて苦しくて、張り裂けそうな感じになった」と説明し、「子供をさらってどこかに放置したら警察が動いてくれると漠然と思っていた」とも供述していた。(2006年7月16日 読売新聞)---------------------------------------------陸橋から女児転落死、無理心中?母親「落とした」 15日午後3時5分ごろ、愛知県豊田市勘八町の「猿投(さなげ)グリーンロード」に架かる陸橋から「女の子が落ちた」と、通行人から110番通報があった。豊田署員が駆けつけたところ、道路脇の斜面に、同県刈谷市広小路、会社員畠中勝巳さん(41)の長女優花さん(8)(市立亀城小2年)が倒れており、病院に運んだが、頭を強く打っており、間もなく死亡した。優花さんが転落した直後、橋の上から身投げを図って通りがかりの女性に取り押さえられた母親(39)が、「娘を落とした」と認めていることから、同署は無理心中を図ったと見て殺人容疑で調べている。陸橋には高さ1メートルの欄干がついている。優花さんは陸橋から約17メートル落下、崩落防止用のコンクリート壁にうつぶせに倒れていた。(2006年7月16日 読売新聞)--------------------------------------------Would you like to throw "WHAT"???
2006年07月16日
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続報.....「母と姉を傷つける言葉で…」ジダンがTVで釈明 【パリ=若水浩】サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝で退場となったフランス代表主将のジネディーヌ・ジダン(34)は12日夜、フランスの有料テレビ「カナル・プリュス」に生出演し、イタリアのDFマテラッツィに頭突きしたのは.....「自分の母と姉を深く傷つける言葉」を3回繰り返し言われたためと釈明した。具体的な言葉は明かさなかった。ジダンによると、まずマテラッツィがユニホームを引っ張り、ジダンが「ユニホームを引っ張りたいなら、試合の後にしてくれ」と答えた。それに対しマテラッツィが、「自分の母と姉を深く傷つける言葉」を3回繰り返した。「1、2回目は耐えたが、3回目は我慢できなかった」と、"頭突き"に至った経緯を説明した。"頭突き"については、試合を見ていたファンや子供たちに対して「許される行為ではなく、謝罪したい」と話したが、「これで引退するW杯で、だれがこんなことをしたいと思いますか。罪のある人が罰を受けるべき」と、マテラッツィを非難した。(2006年7月13日 読売新聞)******************************"頭突き"(づつき)相撲やけんかで、頭を下げて突っ込み、頭で相手の胸などを強く突くこと。「―をくらわす」------------------------------AND...."罪と罰"について出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』****************************************************罪と罰(つみ と ばつ)Преступление и наказаниеロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーによって書かれた長編小説である。「現代の預言書」とも呼ばれ、ドストエフスキーの実存主義的な考え方を垣間見ることができる。頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」という独自の犯罪理論をもとに金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも、殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に罪の意識が増長し、発狂していく。しかし、ラスコリーニコフよりも惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャが家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれ、最後に自首をするまで様々な葛藤をして人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズムが描かれた小説。また、殺人犯としてのラスコーリニコフが予審判事ポルフィーリィに追い詰められ、またそれに立ち向かう鬼気迫るやりとりの推理小説さながらな場面も見ものである。日本国内では、学生の夏休みの読書感想文を書くための推薦図書として毎年あげられたり、手塚治虫などによってコミックス化されるなど、日本人にもよく親しまれている作品である。一方、本編に登場する『選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある』という一説は、しばしば犯罪人の自己弁護、正当化に用いられる。------------------------------Do you know.....ABOUT"自殺対策基本法"********************出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』"自殺対策基本法"(じさつたいさくきほんほう)は、2006年6月15日に国会で成立した日本の法律である。***********************************自殺(じさつ)とは、自分の意思により、自分の生命を絶つことである。日本では、その方法や状況などにより自害、自刃、自決、自死、身投げ、入水、(鉄道等への)飛び込みなどと言われることもある。***********************************2004年のデータでは、日本の年間自殺者数は32,325人(警察庁発表)に達していて、2003年の自殺者は34,427人で過去最高を記録している。日本を含むいくつかの国では自殺は主要な死因のひとつである。(日本人の死因の第6位で、とりわけ20代、30代では死因のトップ。)ヨーロッパでは、旧ソ連から独立して西側諸国に経済的に接近した国々、バルト三国、ウクライナ、ロシア、旧東ヨーロッパの国々、たとえばハンガリーなどが、世界的な統計の中でも上位にある。------------------------------"空に星があるように"作詞・作曲(荒木一郎)♪~♪空に星が あるように浜辺に砂が あるようにボクの心に たった一つの小さな夢が ありました風が東に 吹くように川が流れて 行くように時の流れに たった一つの小さな夢は 消えました淋しく 淋しく 星を見つめ一人で 一人で 涙にぬれる何もかも すべては終わってしまったけれど何もかも まわりは消えてしまったけれど♪~♪春に小雨が 降るように秋に枯れ葉が 散るようにそれはだれにも あるようなただの季節の 変わり目の頃~****************************Dose it like stars on the sky,isn't it??(*^星^*)
2006年07月13日
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「ジダンが先に挑発」マテラッツィが反論 サッカーのワールドカップ(W杯)ドイツ大会の決勝(9日)で退場処分となったフランスのMFジダンを、異常な行動に駆り立てた要因について様々な憶測が流れている。ジダンはイタリアのDFマテラッツィに頭突きを見舞って退場となったが、英国の一部メディアやロイター通信は、アルジェリア移民の息子であるジダンが、マテラッツィから「卑劣なテロリスト」とののしられた事が背景にあると関係者の話をもとに伝えた。「母親を侮辱する言葉を投げかけられたことが原因」とする報道もある。これに対してマテラッツィは11日付のイタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」で「頭突きを受ける直前に、私は彼を数秒間抑え込んだ。するとジダンは、こちらをあざわらうように、『シャツが欲しければ後でやる』と言った。私は彼に対して尊大な態度を取ったかもしれないが、差別的な発言はしていない」と反論した。(ベルリンで、千葉直樹)(2006年7月11日 読売新聞)***************************Where is "アルジェリア""アルジェリア"(Algeria)アフリカ北部、地中海南岸に臨む民主人民共和国。1830年以降フランスの植民地。1962年フランスから独立。石油・天然ガス・ブドウ・オリーブ・羊毛などを産出する。住民はアラブ人・ベルベル人。大部分がイスラム教徒。主要言語はアラビア語・フランス語。首都アルジェ。面積238万平方キロメートル。人口二六七二万(1993)。正称、アルジェリア民主人民共和国。***************************"60代 よみがえった心の傷"60代男性。夫婦仲は円満で、月の半分くらいは、娘のマンションで過ごしています。妻も娘も、私を心から大切にしてくれます。 しかし最近困ったことが起きました。心不全で入院し、退院後の療養中、突然心の奥に封印していたものがよみがえってきたのです。 それは、30年以上前の、最初に結婚した元妻の姿です。彼女から受けた心理的虐待、彼女が家出して男と同居していたころのやり取り――。元妻は小さな子どもを捨てて逃げました。これとは別に、亡母や妹からの暴言も次々思い出されます。悔しさで夜眠れません。 少し前に、20代の男性が「小学生のころのいじめ」を理由に人を殺した事件がありました。私は犯人の心理がわかる気がします。そうすることでしか、心を合理化できなかったのです。 と言っても今更どうなることでもありません。今の妻や娘には言えないことばかりです。心の傷を忘れる方法はないのでしょうか。(愛知・A男) ◇心不全で入院し、退院した後にこれまで長い間心の底に押しこめてきた怒りや悲しみがよみがえり、悔しさで眠れなくなってしまったのですね。あなたは、妻や娘にも話すことができないことばかり、とおっしゃいますが、あなたの心の傷はまさに「語れないから」心の奥に封じこめられてきてしまったのでしょう。 あなたはこれまでやさしい現在の妻と娘さんに心配をかけてはいけない、と過去のつらさを一人で抱えこんできたのですね。心の傷は体の傷とよく似ています。ケガをした時、傷口を洗わず上から布をかぶせぴったりテープをはったら、傷は隠れるものの、いつまでも治りません。心の傷も同じ。隠して押さえこんでいると治らないのです。 しかし心配しないで下さい。あなたは今、かつての傷をきちんと受け止める力を持っていらっしゃる。封じこめた怒りを「表現し」、必要なら涙を流すことで、傷を消毒できます。つらさをノートに書いて下さい。過去の自分と対面して、抑えた感情を出し切って、今の家族との生活を十分楽しんで下さい。 (海原 純子・心療内科医) (2006年7月11日 読売新聞)---------------------------How do you feel about "above"??
2006年07月12日
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"コーヒー・ルンバ"J.M.Perroni 作詞・作曲中沢 清二 訳詞♪~♪ 昔アラブの偉いお坊さんが恋を忘れた あわれな男にしびれるような 香りいっぱいのこはく色した 飲みものを教えてあげましたやがて心うきうき とっても不思議このムードたちまち男は 若い娘に恋をしたコンガ マラカス 楽しいルンバのリズム南の国の情熱のアロマそれは素敵な飲みもの コーヒー モカマタリみんな陽気に飲んで踊ろう愛のコーヒー・ルンバ!!!!-------------------------"編集手帳"(7月11日)付子供は就寝の時刻が近づくと、むずかるものである。「サッカー選手とは勝つことが何より好きな、大きな子供だ」と語ったサッカー日本代表の元監督、トルシエ氏の言葉を思い出す生涯で最後の試合も延長戦の後半に入り、現役選手としての就寝の時が刻一刻と迫るなかで、ついむずかったとしか思えない。ワールドカップ決勝、フランスの主将ジダン選手である相手選手に強烈な頭突きを食らわし、退場処分を受けた。華麗な履歴の最終ページを自身の手で汚し、勝利の女神にはそっぽを向かれ、表彰式にも姿を見せなかった。有終の美は言うべくしてむずかしい早朝のテレビ画面にいつまた物騒なニュース速報が流れはしないかと、世界で最高水準にあるプレーの数々にも頭の芯(しん)までは酔えぬまま、4年に1度の祭りが幕を閉じたとんだ人物に筆が及んでジダン選手には気の毒だが、これも時節柄で許されよ。後継者の噂(うわさ)がささやかれる北朝鮮の「大きな子供」も権力者としての就寝時刻が遠くないのか、むずかるのを超えてすでに血迷いつつある韓国大統領府のホームページが、北朝鮮のミサイル発射を受けた日本政府の対応を「大騒ぎ」と批判した。むずかってミサイルを撃つ大きな子供は沙汰(さた)の限りだが、太平楽な夢にふける朝寝坊の子供にも困ったものである。(2006年7月11日 読売新聞)***********************"かなりあ"by 西条八十 歌を忘れたカナリアは 後ろの山に棄てましょか いえいえ それはかわいそう 歌を忘れたカナリアは 背戸(せど)の小薮に埋けましょか いえいえ それはなりませぬ 歌を忘れたカナリアは 柳の鞭でぶちましょか いえいえ それはかわいそう 歌を忘れたカナリアは 象牙(ぞうげ)の舟に銀の櫂(かい) 月夜の海に浮かべれば~ 忘れた歌を思い出す **********************童謡 『かなりあ』より----------------------♪~♪Somewhere over the rainbowWay up highThere's a land that I heard ofOnce in a lullaby Somewhere over the rainbowSkies are blueAnd the dreams that you dare to dreamReally do come true Some day I'll wish upon a starAnd wake up where the clouds are far behind meWhere troubles melt like lemondropsAway above the chimney topsThat's where you'll find me Somewhere over the rainbowBluebirds flyBirds fly over the rainbowWhy then, oh why can't I?Some day I'll wish upon a starAnd wake up where the clouds are far behind meWhere troubles melt like lemondropsAway above the chimney topsThat's where you'll find me Somewhere over the rainbowBluebirds flyBirds fly over the rainbowWhy then, oh why can't I? -----------------------"会いたい"作詞 沢ちひろ/作曲 財津和夫唄 沢田知可子♪~♪ビルが見える教室で ふたりは机並べて同じ月日を過ごした すこしの英語とバスケット そして私はあなたと恋を覚えた卒業しても私を 子供扱いしたよね「遠くへ行くなよ」と半分笑って半分真顔で 抱き寄せた低い雲を広げた 冬の夜あなた夢のように 死んでしまったの今年も海へ行くっていっぱい映画も観るって約束したじゃないあなた約束したじゃない 会いたい...♪波打ち際すすんでは 不意にあきらめて戻る海辺をただ独り歩いてる声をかける人をつい見つめる彼があなただったら あなただったなら強がる肩をつかんでバカだなって叱って優しくKissをして嘘だよって抱きしめていて 会いたい...遠くへ行くなと言ってお願い一人にしないで強く抱き締めて私のそばで生きていて今年も海へ行くっていっぱい映画も観るって約束したじゃないあなた約束したじゃない 会いたい...-----------------------"Hard To Say I'm Sorry"(素直になれなくて)performed by "Chicago"♪~♪ "Everybody needs a little time away," I heard her say, "from each other.""Even lover's need a holiday far away from each other."Hold me now.It's hard for me to say I'm sorry.I just want you to stay.After all that we've been through,I will make it up to you. I promise to.And after all that's been said and done,You're just the part of me I can't let go.Couldn't stand to be kept away just for the day from your body.Wouldn't wanna be swept away, far away from the one that I love.Hold me now.It's hard for me to say I'm sorry.I just want you to know.Hold me now.I really want to tell you I'm sorry.I could never let you go.After all that we've been through,I will make it up to you. I promise to.And after all that's been said and done,You're just the part of me I can't let go.After all that we've been through,I will make it up to you. I promise to.You're gonna be the lucky one. ----------------------------------Could you say "Hard To Say I'm Sorry"???
2006年07月11日
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"結婚13年、夫が愛せなくなった"30代パート女性。子どもが2人います。結婚して13年になりますが、この先、夫と暮らしていくことが良いこととは思えません。いろいろあって、気持ちがどうにもなりません。 浮気や暴力はありません。でも、「いてくれてよかった」と思えることが一度もないのです。仕事のことで毎日大酒を飲み、事故を起こしたこともあります。 家族の和を保とうと、旅行に出かけるなどしましたが、いつもがっかりした気持ちで終わります。そんな気持ちを表に出さないように、頑張ってきたつもりです。でも、もう疲れました。夫は最近、私にいろいろ気を使うようになりました。しかし私には、夫への思いが戻ってきません。 ずっと、別れる理由を探してきたような気がします。片方が一緒にいたいと思ったら、一緒にいなくてはいけないのでしょうか。夫を愛することができません。夫に優しくしてくれる人は私以外にいるはずです。こんな理由で別れることはできないのでしょうか。(神奈川・K子) ◇愛せなくなった夫と暮らし続けるより、お互いの幸せのために、別れてやり直した方がよい、というあなたの考えに私も同感です。 でも、夫が別れたくないと言った場合、ただ漠然と「嫌になった」というだけの理由では、裁判をしても、離婚を認められる可能性は少ないでしょう。誰が見てもこれ以上結婚生活を続けられないような事情がないと、一方的に別れることはできないのです。 お手紙では、夫に浮気・暴力など、はっきりした離婚理由がない様子。訳もなくいっしょにいるのが嫌だとすれば、別れるには、夫に離婚を承知してもらうしかありません。 思い切って、夫に正直な気持ちを打ち明け、誠意をもって「別れてほしい」とお願いしてみたらいかがですか。夫と話し合って、当分の間別居して、お互い冷静に考えてみるのもよいと思います。 直接話せないなら、家庭裁判所に「夫婦関係調整」の調停を申し立てる方法もあります。一人で悩まないで、現状を打開するための一歩を踏みだしてください。 (土肥 幸代・弁護士) (2006年7月9日 読売新聞)--------------------------"まほろば"「まほらま」の転「まほら」に同じ。「倭(やまと)は国の―たたなづく青垣山籠れる倭しうるはし/古事記(中)」--------------------------"宇宙船艦ヤマト"オープニング曲 performed by "佐々木功"♪~♪さらば地球よ 旅立つ船は宇宙船艦ヤ・マ・ト宇宙の彼方(かなた) イスカンダルへ 運命背負い 今 飛び立つ必ずここへ 帰ってくると 手をふる人に 笑顔で答え銀河を離れ イスカンダルへ遥遥(はるばる)のぞむ 宇宙船艦ヤ・マ・ト--------------------------How about you??
2006年07月10日
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パウロ書簡"コリント人への第一の手紙"13章(愛の賛歌)もしも私が、人間の、そして御使いたちの言葉によって語りはしても、しかし愛をもってはいないなら私は鳴り響く銅鑼かあるいは甲高く鳴るシンバルと化してしまっている。またもしも私が預言をなし、さらにすべての奥義とあらゆる知識をもってはいても、またもしも私が山々を移すほどの、あらゆる信仰をもってはいても、しかし私が愛をもってはいないなら、私は無である。たとへ私が、私のすべての財産を分け与えたとしても、またもしも私が、私の体を焼かれるためにに引き渡しても、しかし私が愛をもってはいないなら、私は何の役にも立たない。愛は寛容であり親切である。愛は妬(ねた)まず、愛は自慢せず、高ぶらず、ふさわしくない振舞いをせず、自分自身のものを求めず、苛立たず、悪しきことを企まらず、不義を喜ばず、しかし真理を共に喜ぶ。愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。----------------------------Love is patient and kind; it is not jealous or conceited or proud;love is not ill-mannered or selfish or irritable; love does not keep a record of wrongs;love is not happy with evil, but is happy with the truth.Love never gives up; and its faith, hope, and patience never fail. -----------------------------愛は決して倒れる事がない。しかしそれが預言であれば壊されるであろう。異言であれば、途絶えるであろう。知識であれば壊されるであろう。なぜならば私たちは部分的に知っているにすぎないからであり、そして部分的に預言をするからである。完全なものが到来する時には、部分的なものは壊されるであろう。私が幼児であった時々には、私は幼児のように話し、幼児のように思い、幼児のように考えたものだった。私が大人になってしまった時には幼児的なものを壊してしまった。実際、私たちは、今は鏡において謎をみているが、しかしその時には顔と顔を合わせて見るであろう。今、私は部分的に知っているにすぎないが、しかし、その時には私が知りつくされたように、私も知りつくすことであろう。そこで今や、信仰、希望、愛、これら三つが存続する。しかしそれらのうちでもっとも大いなるものは「愛」である。----------------------------ABOUT "コリントの信徒への手紙一"出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』コリントの信徒への手紙一は新約聖書に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である。コリント人への第一の手紙ともいわれる。続けて書かれた第二の書簡「コリントの信徒への手紙二」もある。「一コリ」という略称が用いられることもある。----------------------------"愛の賛歌"(HYMNE AL'AMOUR) 作詞 E.ピアフ(PIAF EDITH)作曲 M.モノー(MONNOT MARGUERITTE ANGELE-----------------------------1949年の作品。離婚、麻薬中毒、交通事故と不幸の連続の中でこの歌は飛行機事故で亡くなった最愛の人に捧げられました。♪~♪Le ciel blue sur nours peut s'effonderd Et la peut bien s'ecroulerこの蒼い空が私たちの上に落ちてきてもそして、この地球がひっくり返ってもPeu m'importe si tu m'aimesそんなこと、知ったことじゃないわ、もし、あなたが私を愛してくれるならJe me fous du monde entierTant qu' l'amour inondra mes matins世の中すべて、どうでもいいの愛が私の明日(あした)を満たしてくれるのならTant que mon corps fremira sous tes mainsPeu m'inporte les problemes私の心臓(ハート)があなたの腕の中で震えているわ なにも懼れることはないMon amour puisque tu m'aimesあなたがわたしを愛してくれるのなら♪ J'irais jusqu'au bout du monde, Je me ferais teindre en blondeこの世の果てまでもついて行くの髪をブロンドに染めてもいいわSi tu me le demandaisもしもあなたが望むのならJ.irais decrocher la luneJ.irais voler la fortune月までついて行くわ宝石を盗むことも躊躇(ためら)わないSi tu me le demandaisもしもあなたが望むのならJe renierais ma partrie Je renierais mes amisわたしの祖国を捨ててもいい わたしの友達を見捨ててもいいSi tu me le demandais.もしもあなたが望むのならOn peut bien rire de moi, Je ferais n'importe quoi,世間の人は私を笑うかもしれないけど 私はなんでもやってのけますSi tu me le demandais.もしもあなたが望むのならSi un jour la vie t'arrache a moi, Si tu meurs, que tu sois loin de moi,いつの日か、最後の日が来てあなたが死んで、遠いところへいってしまってもPeu m'inporte si tu m'aimesそんなことどうだっていい構わない、あなたが愛してくれるのなら Car moi je mourrai aussi私もまたいつか朽ち果てるのだからNous aurons pour mous l'eternite Dans le blue de toute l'immensite私たちは共に永遠の中で生き続け 果てしない蒼い空の中へとDans le ciel plus de problemes Mon amour crois-tu qu'on s'aimeなにも囚(とら)われることはないわ 愛する人よ 互いに愛し合っているのだからDieu reunit ceux qui s'aiment.きっと運命が二人の心を永遠(とわ)に結びつけてくれるに違いないわ!!!!---------------------------------------------Why don't you love your one???
2006年07月07日
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"言葉無き恋歌"by ポール・ヴェルレーヌ(金子光晴)訳巷に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。かくも心ににじみ入るこのかなしみは何やらんやるせなき心のためにおお、雨の歌よ!やさしき雨の響きは地上にも屋上にも!消えも入りなん心の奥にゆえなきに雨に涙す。何事ぞ!裏切りもなきにあらずやこの喪そのゆえの知られず。ゆえしれぬかなしみぞげにこよなくも堪えがたし。恋もなく恨みもなきにわが心かくもかなし。*********************原詩"Romances sans paroles"(1874)by-Paul Verlaine Il pleure dans mon coeurComme il pleut sur la ville,Quelle est cette langueurQui pénètre mon coeur?O bruit doux de la pluiePar terre et sur les toits!Pour un coeur qui s'ennuieO le chant de la pluie!Il pleure sans raisonDans ce coeur qui s'écoeure.Quoi! nulle trahison?Ce deuil est sans raison.C'est bien la pire peineDe ne savoir pourquoi,Sans amour et sans haine,Mon coeur a tant de peine!-----------------------------Who's Who??ABOUT"ポール・ヴェルレーヌ"出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ヴェルレーヌポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine, 1844年3月30日 - 1896年1月8日)フランスで最も一般的によく知られている詩人である。ロレーヌのメスに生まれ、パリの高等学校で学んだ後、公務員となった。詩を書きはじめたのは非常に若い頃からで、高踏派のパルナシアンとそのリーダーシャルル・ルコント=ド=リールの影響を強く受けた。-----------------------------誰か故郷を想わざる作詩 西条八十/作曲 古賀政男 (昭和15年) 1 花摘む野辺に 日は落ちてみんなで肩を 組みながら唄をうたった 帰りみち幼馴染みの あの友この友あゝ誰か故郷を想わざる2 ひとりの姉が 嫁ぐ夜に小川の岸で さみしさに泣いた涙の なつかしさ幼馴染みの あの山この川あゝ誰か故郷を想わざる3 都に雨の 降る夜は涙に胸も しめりがち遠く呼ぶのは 誰の声幼馴染みの あの夢この夢あゝ誰か故郷を想わざる-------------------------- ルカ伝14章 宴会を催すときにはむしろ貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招くがよい。そうすれば、お返しができないから、あなたは幸いである ヨハネ伝15章 人がその友のために自分の生命を捨てること、これより大きな愛はない--------------------------"癩"(らい)者に by "Kamiya Mieko"(1914-1979) 光うしないたる眼うつろに 肢うしないたる体担われて 診察台にどさりと載せられたる癩者よ、 私はあなたの前に首を垂れる。あなたは黙っている。 かすかに微笑んでさえいる。 ああしかし、その沈黙は、微笑みは 長い戦の後にかち得られたものだ。運命とすれすれに生きているあなたよ、 のがれようとて放さぬその鉄の手に 朝も昼も夜もつかまえられて、 十年、二十年と生きてきたあなたよ。 なぜ私たちでなくあなたが? あなたは代わって下さったのだ、 代わって人としてあらゆるものを奪われ、 地獄の責苦を悩み抜いて下さったのだ。許して下さい、癩者よ。 浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、 そこはかとなく神だの霊だのと、 聞こえよき言葉をあやつる私たちを。かく心に叫びて首をたるれば、 あなたはただ黙っている。 そして痛ましくも歪められたる顔に、 かすかなる微笑みさえ浮かべている。 --------------------------Over and done with. Thirty thousand letters come safely through. The airline company kept drilling it into you: the precious mail, more precious than life itself. Enough to keep thirty thousand lovers going... Lovers, be patient! In the sinking fire of sunset here we come. Behind Bernis the clouds are thick, churned by the whirlwind in its mountain bowl. Before him lies a land decked out in sunlight, the tender muslin of the meadows, the rich tweed of the woods, the ruffled veil of the sea. (from Night Flight) by Saint-Exupéry --------------------------城砦よ。私はおまえを人間の心のなかに築くだろう"城砦" (サンテグジュペリの遺稿)より引用 --------------------------From-Where does he come ????
2006年07月06日
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"編集手帳"(7月5日)付人生を旅にたとえた引退宣言を読んでいて、思い浮かべた一節がある。長い旅の物語、ゲーテの「ファウスト」で悪魔メフィストは主人公の博士を評して言う「あいつは天上の一番美しい星を取ろうとしているかと思えば、地上の一番ふかい楽しみをきわめようとする。そして近いものも、遠いものも、あいつのわきかえる胸を満足させない」サッカーの「ヒデ」中田英寿選手(29)が自身のホームページに掲載したメッセージのなかに次のようなくだりがあった。「(プロになって)子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった」と誰よりも自分に厳しい孤高の人は勝利という美しい星を追いつつも、おのがサッカーのなかに胸を満足させない何かを感じていたのだろう。日本代表の「顔」がピッチの上にいない国際試合を想像すると、さびしい現役最後の試合となったワールドカップ(W杯)の対ブラジル戦で、決勝トーナメントへの勝ち残りという「星」が夢と散ったとき、ピッチの上に仰向(あおむ)けに倒れたまま起きあがれなかった死力を尽くして走り、吼(ほ)え、蹴(け)った人の、あの10分以上にも及ぶ最後の映像を多くのファンは瞼(まぶた)の裏に焼き付けて忘れないだろう。すでに別の旅路を心に期しているようである。求める新しい星が何であれ、いい旅を。(2006年7月5日 読売新聞)------------------------------"八月の濡れた砂"詞 吉岡オサム/曲 むつひろし♪~♪あたしの海を まっ赤に染めて夕日が血潮を 流しているのあの夏の光と影はどこへ行ってしまったの悲しみさえも 焼きつくされたあたしの夏は 明日もつづく♪打ち上げられた ヨットのようにいつかは愛も 朽ちるものなのね※あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの想い出さえも 残しはしないあたしの夏は あしたもつづく※(※ くりかえし)-----------------------"難破"(なんぱ)(1)強風や激浪のために、船がこわれたり、転覆したりすること。「―船」「台風で船が―する」(2)相手の意見を非難して破ること。論破。-----------------------"難破船" 作詞/作曲 加藤 登紀子 ♪~♪ たかが恋なんて 忘れればいい泣きたいだけ 泣いたら目の前に違う愛が見えてくるかもしれないとそんな強がりを 言ってみせるのはあなたを忘れるためさびしすぎて こわれそうなの私は愛の難破船折れた翼 広げたままあなたの上に 落ちて行きたい海の底へ 沈んだなら泣きたいだけ 抱いてほしい♪ほかの誰かを 愛したのなら追いかけては 行けないみじめな恋つづけるより別れの苦しさ えらぶわそんなひとことで ふりむきもせず別れたあの朝にはこの淋しさ 知りもしない私は愛の難破船おろかだよと 笑われてもあなたを追いかけ 抱きしめたいつむじ風に 身をまかせてあなたを海に 沈めたい♪あなたに逢えない この街を今夜ひとり歩いた誰もかれも知らんぷりで無口なまま 通りすぎるたかが恋人を なくしただけで何もかもが消えたわひとりぼっち 誰もいない私は愛の難破船 ------------------------Would you like to ride with me in a (ship)wreck.??
2006年07月05日
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"よみうり寸評"(7月4日)付〈引退〉――ホームページで表明したあたり、いかにもヒデ、中田英寿らしい。W杯・ブラジル戦に敗れた後、ピッチの芝で仰向(あおむ)けのまま10分も起き上がらなかった姿を思う心に決めていたから、最後の芝の感触を背に空を仰ぎ、一人でしみじみ来し方を脳裏に走らせていたのだろう。まだまだやれる29歳。燃え尽きてはいないのだが、燃え尽きた部分もあるに違いない孤高の男の孤高の決断だ。ヒデの出処進退、ヒデの新たな〈旅立ち〉はだれも止められない。ご苦労さん、ありがとうでも「まだまだ日本のサッカーには彼が必要。せっかく授かった才能を生かさないと神様に怒られるよ」と東京V・ラモス監督が言った。この言葉も忘れないでほしい引退を〈もったいない〉とも思う。〈もったいない〉は滋賀県知事選でよみがえった言葉でもある。飽食やバブルの時代を経て忘れられがちの言葉だ。その感覚を多くの日本人が共有していたのは、いつごろまでだったか引退と選挙ではまるで別の話だが、それぞれに〈もったいない〉を考えさせられた。(2006年7月4日 読売新聞)--------------------------------以下、中田英寿公式HPより引用“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03~1985年12月1日 - 2006年6月22日~俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。あの頃はボールを蹴ることに夢中になり必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍らにあった。この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。五輪代表、日本代表へも招聘され世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。*********中略*********そして、思った。どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援――。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術を知らなかったこと。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか…ちょっと自信がなかった。けれどみんなからのmailをすべて読んで俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。だから今、俺は、安心して旅立つことができる。最後にこれだけは伝えたい。これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。新しい旅はこれから始まる。今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。“ありがとう”--------------------------------"別離"by 中原中也1さよなら、さよなら! いろいろお世話になりましたいろいろお世話になりましたねえいろいろお世話になりましたさよなら、さよなら!こんなに良いお天気の日にお別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛いこんなに良いお天気の日にさよなら、さよなら!僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみるとみなさん家を空(あ)けておいでだつたあの時を妙に思ひ出しますさよなら、さよなら! そして明日(あした)の今頃は長の年月見馴れてる故郷の土をば見てゐるのですさよなら、さよなら! あなたはそんなにパラソルを振る僕にはあんまり眩(まぶ)しいのですあなたはそんなにパラソルを振るさよなら、さよなら!さよなら、さよなら!2僕、午睡から覚めてみると、みなさん、家を空けてをられたあの時を、妙に、思ひ出します日向ぼつこをしながらに、爪(つめ)摘んだ時のことも思ひ出します、みんな、みんな、思ひ出します芝庭のことも、思ひ出します薄い陽の、物音のない昼下りあの日、栗を食べたことも、思ひ出します干された飯櫃(おひつ)がよく乾き裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼(な)いてゐたあゝ、あのときのこと、あのときのこと……僕はなんでも思ひ出します僕はなんでも思ひ出しますでも、わけて思ひ出すことはわけても思ひ出すことは……――いいえ、もうもう云へません決して、それは、云はないでせう3忘れがたない、虹と花忘れがたない、虹と花虹と花、虹と花どこにまぎれてゆくのやらどこにまぎれてゆくのやら(そんなこと、考へるの馬鹿)その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、いつかは、消えて、ゆくでせう(霙(みぞれ)とおんなじことですよ)あなたは下を、向いてゐる向いてゐる、向いてゐるさも殊勝らしく向いてゐるいいえ、かういつたからといつてなにも、怒つてゐるわけではないのです、怒つてゐるわけではないのです忘れがたない、虹と花虹と花、虹と花(霙とおんなじことですよ)4 何か、僕に、食べさして下さい。何か、僕に、食べさして下さい。きんとんでもよい、何でもよい、何か、僕に食べさして下さい。いいえ、これは、僕の無理だ、こんなに、野道を歩いてゐながら野道に、食物(たべもの)、ありはしない。ありません、ありはしません!5向ふに、水車が、見えてゐます、苔(こけ)むした、小屋の傍、ではもう、此処(ここ)からお帰りなさい、お帰りなさい僕は一人で、行けます、行けます、僕は、何を云つてるのでせういいえ、僕とて文明人らしくもつと、他の話も、すれば出来たいいえ、やつぱり、出来ません出来ません。--------------------------------"帰れソレントへ"徳永政太郎訳詞(1)/芙龍明子訳詞(2)クルティス作曲(徳永政太郎訳詞)うるわしの海は うつつにも夢む君の声のごと わが胸をうつオレンジの花は ほのかにも香り恋に嘆く子の 胸にぞしむよあわれ君は行き われはただひとりなつかしの地にぞ 君を待つのみかえれよ われを捨つるなかえれソルレントへ かえれよソルレントの海は たぐいなき海よ貴き宝を 底にうずむや惑わしのシレンは 君の手をとりていと甘き声に 君を誘うよあわれ君は行き われはただひとりなつかしの地にぞ 君を待つのみかえれよ われを捨つるなかえれソルレントへ かえれよ(芙龍明子訳詞)うるわしのソレント 海原(うなばら)はるかに夕もやたなびき 思い出誘うオレンジの香り ほのかにただよい森の緑にも 風はささやく今はただ一人 過ぎし日しのべば砕ける波音 寂しく響く帰れ君 故郷(ふるさと)の町このソレントへ 帰れようるわしのソレント 海原はるかに歌声流れて 夢路に誘う海の精(せい)シレーネ 妙なるその歌やさしくいざない 君を招くよ今日もただ一人 窓にたたずめば星かげ夜空に 寂しく光る帰れ君 故郷の町このソレントへ 帰れよ------------------------Where would you come ???
2006年07月05日
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"編集手帳"(7月4日)付 乾物屋の正一少年から見た商店街は、生き生きとしていた。魚屋、呉服屋、金物屋などが軒を連ね、みんな顔なじみだった。ねじめ正一さんの直木賞受賞作「高円寺純情商店街」の世界である1万3000超に上る全国の商店街の多くはいま、郊外型の大型店に客を奪われて苦戦している。“シャッター通り”もある。経済産業省が、そうした逆風に負けない「がんばる商店街77選」をまとめた北海道帯広の商店街は「北の屋台」に挑戦し、蔵のまちの埼玉県の川越商店街は、景観を生かす。「一店逸品運動」の発祥地は静岡呉服町名店街で、京都錦市場商店街は京の台所を売り物にする紹介しきれないが、訪ねてみたくなる商店街を目指す意気込みに溢(あふ)れている。アーケードをかけるなど、金太郎飴(あめ)的なてこ入れ策や、成功例の真似(まね)が一時、目立ったのと比べると、さすがにアイデア77選だ「改正まちづくり3法」の成立を受けて、政府は、中心市街地の空洞化に歯止めをかけようと力を入れる。様々な規制によって、中心街から郊外へ大型店を逃がさず、集客力のアップを狙うという現在の“正一少年”たちが眼(め)を輝かせ、魅力的でにぎやかな純情商店街が生まれる日があるだろう。切り札は、個性を生かした地元の意欲と工夫、なによりも温かい人情だと信じたい。(2006年7月4日 読売新聞)---------------------------"勝手にシンドバッド" 作詞/作曲 桑田圭介 唄(サザンオールスターズ)♪~♪ララララ・・・・・・・・ 砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて 夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに それにしても涙が 止まらないどうしよう うぶな女みたいに ちょっと今夜は熱く胸こがす さっきまで俺一人 あんた思い出してた時 シャイなハートにルージュの色が ただ浮かぶ "好きにならずにいられない" お目にかかれて Year! 今何時 そうねだいたいね 今何時 ちょっと待ってオー 今何時 まだ早い 不思議なものね あんたを見れば 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき~ いつになれば湘南 恋人に逢えるの お互いに身を寄せて いっちまうよな瞳からませて 江ノ島が見えてきた 俺の家も近い ゆきずりの女なんて 夢をみるよに忘れてしまう さっきまで俺一人 あんた思い出してた時 シャイなハートにルージュの色が ただ浮かぶ "好きにならずにいられない" Year! お目にかかれて 今何時 そうねだいたいね 今何時 ちょっと待ってオー 今何時 まだ早い 不思議なものね あんたを見れば 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき~ 心なしか今夜波の音がしたわ 男心を誘う 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき 胸さわぎの腰つき ~---------------------------"Can't Help Falling In Love""好きにならずにいられない" ♪~♪Wise men say only fools rush in but I can't help falling in love with you Shall I stay would it be a sin If I can't help falling in love with you Like a river flows surely to the sea Darling so it goes some things are meant to be take my hand, take my whole life too for I can't help falling in love with you Like a river flows surely to the sea Darling so it goes some things are meant to be take my hand, take my whole life too for I can't help falling in love with you for I can't help falling in love with you The hottest songs from "Elvis Presley" ---------------------------"ねえ! ムーミン"井上ひさし作詞/宇野誠一郎作曲---------------------------♪~♪ねえ ムーミンこっち向いてはずかしがらないでモジモジしないでおねんねネ「あらまあ どして」けど でもわかるけど男の子でしょだから ねえこっち向いてねえ ムーミン「あたしに話して」かくしたりしないでなんでも打ちあけてお馬鹿さんネだって そんな「まさか ううん」さあ いいから男の子でしょだから ねえ「あたしに話して」::::::::::::::::::::::::::TVアニメ「ムーミン」より--------------------------ABOUT"ムーミン"出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』"ムーミン"スウェーデン語="Mumin"フィンランド語="Muumi"英語="Moomin"フィンランドの児童文学作家・トーベ・ヤンソンのスウェーデン語による小説『ムーミン谷のなかまたち』の主人公。また、日本でアニメ化された際の題名。ムーミン (詩人)は、19世紀のインドの詩人。ウルドゥー語の詩で有名。 ******************************『ムーミン』はトーベ・ヤンソン作の児童文学・絵本・漫画作品、および、妖精に似た生き物ムーミン・トロールの男の子。ムーミン谷にムーミンパパ、ムーミンママと住んでいる。はずかしがりや。また、トーベ・ヤンソンの作品を日本でTVアニメ化した作品もある。原作とはかなり性格等が変更されているのが特徴。初期のアニメ作品(1969年版・1972年版)は日本では人気だったが、原作者のヤンソン自身は原作と異なる作品世界を好んでおらず、「私のムーミンはノー・カー、ノー・ファイト、ノー・マネーだ」と言って怒ったという又、キャラクターデザインに関しても、初期のアニメ版が、自分の挿絵とは違うキャラクターデザインである事に難色を示した為、日本のスタッフが原作に近いキャラクターデザインに変えて放送したが、視聴者の子供達から「(キャラが)恐い」という意見が出た為、作者に交渉し「日本国内でのみ放送するなら」と言う条件で、挿絵とは違うキャラクターデザインで放送している。**************************"主な登場人物" ムーミンパパ※括弧内は現地フィンランドでの表記だが、ムーミンの原作はスウェーデン語で書かれたものである。ムーミン(Muumipeikko) ムーミンパパ(Muumipappa) ムーミンママ(Muumimamma) ノンノン(楽しいムーミン一家では「フローレン」。原作では「スノークのお嬢さん」。Niiskuneiti) スノーク(Niisku) スニフ(Nipsu) ミイ(pikku Myy) ミムラ姉さん(Mymmeli) スナフキン((スウェーデン語Snus mumrik 、フィンランド語Nuuskamuikkunen) ヘムレン(Hemuli) 署長 スティンキー モラン(Mörkö) フィリフヨンカ ホムサ ガフサ ジャコウネズミ おしゃまさん(トゥーティッキ。Tuutikki) メソメソ君 ニョロニョロ(Hattivatit) 飛行鬼 氷姫 ムーミンのご先祖様たち ティーティーウー --------------------------Would you mind to find "Mumin"???
2006年07月04日
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"編集手帳"(7月3日付)社会評論や作家活動で知られた臼井吉見さんの「自分をつくる」は、1979年に出版された。後に戦後の第3の波と言われた、少年犯罪が深刻化しつつあるころだった中学生や高校生、父母らを前にした講演集である。臼井さんによると、この当時、「過保護地獄」と題して特集した雑誌もあったように、過保護に、あるいは親から干渉されすぎて育った少年の犯罪が社会を驚かせていた。まさに時宜を得た講演集だった何ごとによらず、できるだけ自分のからだを動かし、できるだけ自分の頭で考え、できるだけ自分の心で感ずる。「これが、中学時代で一番だいじなことだと思います」と臼井さんは語っている夫婦や親子、兄弟など家族関係は、24時間のうちの1時間ぐらいが適当ではないか、とも述べている。例えば24時間べったり親子の関係から逃れられない雰囲気では、「とても人間の育つ余地がない」という。最近も少年による衝撃的な事件が続いている。第4の波と言える状況だ。親子の軋轢(あつれき)が悲惨な結果を招くケースも目立つ。児童相談所による児童虐待の処理件数が昨年度、過去最多を記録したという気になる発表もあった昨年の犯罪白書は家庭の役割の大切さを強調して注目されたが、臼井さんの家庭論は今も新鮮だ。問題家庭に届かないのが残念である。(2006年7月3日1時45分 読売新聞)-----------------------------"雨が止んだら"なかにし礼 作詞/筒美京平 作曲♪~♪雨が止んだら お別れなのね二人の思い出 水に流して二度と開けない 南の窓にブルーのカーテン 引きましょう濡れたコートで 濡れた身体であなたは あなたは誰に 誰に 逢いに行くのかしら雨が止んだら あたしはひとりドアにもたれて 泪にむせぶ雨が止んだら 出て行くあなた冷たい靴音 耳に残してあなたがつくった インクのしみを花瓶をずらして 隠しましょう濡れたコートを 濡れた身体をあなたは あなたは誰に 誰に あたためてもらうの雨が止んだら あたしはひとりあなたのガウンを まとってねむる--------------------------------After rainy-days,How do you like a any-one??
2006年07月03日
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贈り物したのに返事も来ない 30代女性。心のわだかまりについて相談します。 難病のため働けず、母と暮らしながら家事手伝いをしています。自分で言うのも何ですが、友だちはたくさんいます。 その中に、高校時代からの親友がいて、今春、娘さんが小学校に入学しました。お祝いに、ちょっとした品物を贈ったのですが、何の連絡もありません。以前も、彼女の誕生日にカードや品物を贈りましたが、なしのつぶてです。決して、お返しの物がほしいわけではなく、「届いたよ、ありがとう」の言葉がほしいのです。 彼女は働いていて忙しく、時間に追われているのでしょう。でも、これは一般常識であり、マナーだと思うのです。それとも「贈り物をしてやったのに」という私のエゴでしょうか。 この気持ちをどのようにもっていけばいいのか、ご助言をお願いします。(宮崎・M子) ◇小さなことでも他人から受けた好意に、感謝の気持ちを「ありがとう」と伝えるのは常識です。でも、競争社会というのでしょうか、日々が忙しく過ぎていく中で、人間同士の当然の行為が失われていくように感じられるのは、残念なことだと思います。 あなたのおっしゃる通り、その方はマナーに欠けています。でも、悪意はないのかもしれません。あなたも推察されているように、生活のリズムが違うのではないでしょうか。その内、お礼を書かなくては……、電話をしなくては……などと気にしながら、時がたってゆくのでしょう。そういったことは、きっと多くの方が体験していることではないでしょうか。私自身、お礼状がおわびを兼ねてしまうこともあります。 こんなことをしてあげた、こんな物を贈ってあげた……それは自分自身のあたたかい気持ちとして、相手からのリターンを求めない方がいいと思います。次に出会う機会があったら、届いたかしらと、さりげなく聞いてみてはいかがですか。きっと、反省されると思います。 (森 英恵・デザイナー) (2006年7月1日 読売新聞) --------------------------以下 引用"賢者の贈り物"(The Gift of the Magi)オー・ヘンリー作/結城浩訳1ドル87セント。それで全部。しかもそのうち60セントは小銭でした。小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。デラは三回数えてみました。でもやっぱり1ドル87セント。明日はクリスマスだというのに。 これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。ですからデラはそうしました。そうしているうちに、人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。 この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、家の様子を見ておきましょう。ここは週8ドルの家具付きアパートです。全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。 階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」という名前が書かれた名刺が貼ってありました。 ----------(中略)----------デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。何か、すてきで、めったにないもの ―― ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。 その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。たいそう細身で機敏な人だけが、縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。 急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。 さて、ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、誇るべき二つのものがありました。一つはジムの金時計です。かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。もう一つはデラの髪でした。シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。 さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。ためらいながら1分間じっと立っていました。が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。 デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。 デラが立ち止まったところの看板には、「マダム・ソフロニー。ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。 「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。 ----------(中略)----------「神さま。どうかジムがわたしのことを今でもかわいいと思ってくれますように」とささやきました。 ドアが開き、ジムが入り、ドアを閉めました。ジムはやせていて、生真面目な顔つきをしていました。かわいそうに、まだ22歳なのに ――彼は家庭を背負っているのです。新しいオーバーも必要だし、手袋もしていませんでした。 ジムは、ドアの内で立ち止まりました。うずらの匂いにじっとしている猟犬と同じように、そのまま動きませんでした。ジムの目はデラに釘付けでした。そしてその目には読み取ることのできない感情が込められていて、デラは恐くなってしまいました。それは憤怒ではなく、驚嘆でもなく、拒否でもなく、恐怖でもなく、デラが心していたどんな感情でもありませんでした。ジムは顔にその奇妙な表情を浮かべながら、ただ、じっとデラを見つめていたのです。 デラはテーブルを回ってジムの方へ歩み寄りました。 「ジム、ねえ、あなた」デラは声をあげました。「そんな顔して見ないで。髪の毛は切って、売っちゃったの。だって、あなたにプレゼント一つあげずにクリスマスを過ごすなんて絶対できないんだもの。髪はまた伸びるわ ―― 気にしない、でしょ? こうしなきゃ駄目だったの。ほら、わたしの髪ってすごく早く伸びるし。『メリー・クリスマス』って言ってよ、ジム。そして楽しく過ごしましょ。どんなに素敵な ―― 綺麗で素敵なプレゼントをあなたに用意したか、当てられないわよ」 ----------(中略)----------週8ドルと年100万ドル ―― その違いは何でしょうか。数学者や知恵者に尋ねたら、誤った答えが返って来るでしょう。東方の賢者は高価な贈り物を持ってきましたが、その中に答えはありませんでした。何だか暗いことを申しましたが、ここで述べた言明は、後にはっきりと光り輝くことになるのです。 ジムはオーバーのポケットから包みを取り出すと、テーブルに投げ出しました。 「ねえデラ、僕のことを勘違いしないで。髪型とか肌剃とかシャンプーとか、そんなもので僕のかわいい女の子を嫌いになったりするもんか。でも、その包みを開けたら、はじめのうちしばらく、どうして僕があんな風だったかわかると思うよ」 白い指がすばやく紐をちぎり紙を破りました。そして歓喜の叫びが上がり、それから、ああ、ヒステリックな涙と嘆きへと女性らしくすぐさま変わっていったのです。いそいで、そのアパートの主人が必死になって慰めなければなりませんでした。 包みの中には櫛(くし)が入っていたのです ―― セットになった櫛で、横と後ろに刺すようになっているものでした。その櫛のセットは、デラがブロードウェイのお店の窓で、長い間あがめんばかりに思っていたものでした。美しい櫛、ピュアな亀甲でできていて、宝石で縁取りがしてあって ―― 売ってなくなった美しい髪にぴったりでした。その櫛が高価だということをデラは知っていました。ですから、心のうちでは、その櫛がただもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですけれど、実際に手に入るなんていう望みはちっとも抱いていなかったのです。そして、いま、この櫛が自分のものになったのです。けれども、この髪飾りによって飾られるべき髪の方がすでになくなっていたのでした。 しかし、デラは櫛を胸に抱きました。そしてやっとの思いで涙で濡れた目をあげ、微笑んでこう言うことができました。「わたしの髪はね、とっても早く伸びるのよ、ジム!」 そしてデラは火で焼かれた小猫のようにジャンプして声をあげました。「きゃっ、そうだ!」 自分がもらう美しい贈り物をジムはまだ見ていないのです。デラは手のひらに贈り物を乗せ、ジムに思いを込めて差し出しました。貴金属の鈍い光は、デラの輝くばかりの熱心な気持ちを反射しているかのようでした。 「ねえ素敵じゃない? 町中を探して見つけたのよ。あなたの時計にこの鎖をつけたら、一日に百回でも時間を調べたくなるわよ。時計、貸してよ。この鎖をつけたらどんな風になるか見たいの」 デラのこの言葉には従わず、ジムは椅子にどさりと腰を下ろし、両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑みました。 「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。いますぐ使うには上等すぎるよ。櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。さあ、チョップを火にかけてくれよ」 東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。 ----------------------------"Could you mind to chenge your-Gifts" ???
2006年07月02日
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