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満腹ダイエット、酒飲みダイエット、別名糖質制限ダイエットをやるのに、豆腐をはじめとした大豆製品は不可欠なものだ。糖質制限だからといって、あれもダメ、これもダメだといってしまっては、食べるものがナクナリ、ストレスばかりが貯まるのだが、豆腐はここを開く可能性を大きく秘めている。たとえば豆腐のチャンプルー。質素な材料ばかりなのだが、作るのは簡単で、すこぶるうまい。焼酎のお湯割りがあれば、あとは魚の干物一枚ぐらいで、十分満足できる。厚揚げとタラコのマヨネーズグラタン。ホワイトソースのように小麦粉を使わないから、これもGOOD。このピザの台は油揚げだ。チーズもソーセージもオーケー。このように活用できる豆腐など大豆製品なのだが、大豆といえば、その80%が安価な外国産だ。特定の国の名前をあげたくないが、輸入大豆といえば怖いのが遺伝子操作された大豆、また日本では許されていないポストハーベストの恐怖がある。コスト面など様々な問題はあるのだろうけれど、国内の農家にはがんばって大豆を作ってもらいたい。また加工食品会社にも、コストの問題はあるだろうが国内産大豆を優先して使う産業構図を描いてもらいたいものだ。
2012年01月31日
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車いすのタイヤの空気が減ってきた。空気が減ると、車いすをこぐのにも余計な力が必要となるし、(ブレーキバーでタイヤを押さえるタイプの)ブレーキも効きが悪くなるので、バスや電車がブレーキをかけると車いすが動いてしまう。また、湿気が高くなると(昨今は必要性をまったく感じないが)フローリングを噛む音がうるさくなって、家族に迷惑をかける。良いことはないので、今朝近所の車いす屋さんを呼んで、空気を入れてもらった。車いす屋さんは大手とつきあうのも悪くはないが、近所の車いす屋さんなら、こんなサービスもしてもらえる。悪くない。屋外用の車いすなら、出かけたついでに自転車屋さんで空気を入れるという方法もあるのだが、室内用の車いすは外をころがしていくわけにもいかないから、大変助かるサービスだ。しかし、そうたびたび空気入れごときで呼び出すのも気が引けるから、「パンパンに入れといて」とお願いした。車いす屋さんは希望通りパンパンに入れてくれたのだが、お兄ちゃんが帰ってから大変なことに気が付いた。タイヤがパンパンに膨れてしまったものだから、ブレーキをかけたりはずしたりするのに、ものすごく力がいるのだ。素手ではかけられないほど、かたくなってしまった。時間が経てば解決する問題なのだろうけれど、なにごともほどほどが大切であることを思い知らされた。
2012年01月31日
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特定疾患として認定された難病以外にも、原因や治療法のない病気に悩む人は多い。そんな人たちを横につなぐNPOがある。「SORD」(希少難病患者支援事務局)というのだが、このサイト上にある「Re:me(リ・ミー)」というSNSが役に立つのではないだろうか。http://www.sord.jp/4pati/domestic_reme.php このサイトから、患者本人、患者家族がログインできる。大学の研究室などとも連携した、前向きな情報が入手できそうだ。
2012年01月31日
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妻が食卓に、ガーベラの鉢植えを飾ってくれた。ガーベラといえば、通常花屋さんで流通を始めるのは、4月ころからではないだろうか。秋まで流通する花だから、決して春を思わせる花ではない。しかし、窓外のグレイッシュな景色を背景に咲く花には、ほかならぬ春のかおりが感じられる。朝食の時、妻が「なにごとも『うれしい』ととらえていきたいわね」とつぶやいていた。その意見には全面的に賛成だ。このガーベラだって、温室の中で思わぬ早い春を迎えさせられたのかも知れないが、見る人が「うれしい、春が来た」と喜ぶ顔を見れば、生きがいを感じてくれるのではないだろうか。
2012年01月30日
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近鉄は日本最大&最長の私鉄路線を持つ。だから近鉄を使わないと行けない都市も多い。そのかわり、バリアフリー設備をJRほどに期待できないこともある。JRもたいしたことはないが。特に特急を利用する場合、多くの特急に使用されている旧型車両では、デッキの幅や形状からして、車いすの乗車を拒んでいるケースも多い。車両形式によっては、きちっと車いす受け入れの可能な車両もあるのだが、車両形式の記載されたダイヤグラムを読まないとわからない。これは駅員だけしか持っていないし、前日ぐらいにならないとわからない上、読める駅員も少ない。だから素人は、バリアフリー設備がわずか2席とはいえ、用意されているアーバンライナーを使うしかないのだ。大阪難波ー名古屋間をノンストップで運転する特急には、すべてアーバンライナーが使われているのだが、途中の特急停車駅である桑名、四日市、白子、津、名張、八木に用事のある人は緩行タイプの特急を使わなくてはならない。これがアーバンライナーばかりとは限らない。もともと1時間に1本しか運転されていないので、乗る電車を決めて駅に行かないと、何時間も時間を無駄遣いすることになる。http://www.kintetsu.co.jp/senden/meihan/culture/timetable/timetable_weekday.html#weekdaynambaこの時刻表から「UL」と書かれた列車を利用しよう。比較的、発車時間帯に偏りがある。バリアフリーシートといっても、この写真のように、肘かけが跳ね上がり、付添人とも向かい合わせで座われ、傍らに車いすの置けるスペースがあるだけだ。乗務員の呼び出しボタンもあった。気に入らないのはトイレだ。新幹線N700のように、便器に横からアプローチできない。いったん立ち上がって回れ右しないといけないのだ。近鉄は標準軌だから新幹線と同じ車幅がある。なのに通路を中央にとってあるため、こまやかな配慮ができなかったようだ。少なくとも、このスタイルでは私は用をたせない。近鉄には「日本一の鉄道会社」だという誇りをもって、仕事をしてもらいたい。阿倍野に日本一の高層ビルを建てて、満足している場合じゃないのだ。
2012年01月29日
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昨日の電車旅の疲れからか、今朝はえらく寝坊してしまい、ブランチをいただいたあとは大阪国際女子マラソンのテレビにくぎ付け、そのあとは読書と、比較的退廃的な日曜日を過ごしている。本は宮本輝さんの「地の星」を、やっとの思いで読み終えた。文庫本を読むには、近頃老眼鏡を必要とするので、なかなか読書ペースが上がらない。それはそうと、大好きな輝さんであるのに、肝心の芥川賞受賞作品をまだ読んでいないことに最近気づき、AMAZONで文庫本を取り寄せた。「蛍川」と「泥の川」(太宰治賞)の二編がおさめられている。ハードカバーの単行本では重すぎて、近頃腕の調子も悪いから、寝床で持って読めないからだ。また足利に住む産みの母も、読書が好きだから、読み終わったら送ってあげたい。文庫本なら送り賃もあまりかからないだろう。ただいかんせん私より19歳年上の母である。老眼鏡をかけてでも、文庫本の小さい文字はきびしいだろうに・・・と思っているのだが、今まで送った文庫本の感想も送ってくるのだから、マいいかと思っている。
2012年01月29日
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昨日ある人がエコーを吸っていたので、「お、変わったたばこ吸ってるね」と話しかけたら、「値上げでこいつに変えたんっす。240円ですから」と。値段を聞いて一瞬おどろき、「なるほど」と思った。わかば(250円)、ゴールデンバット(200円)、しんせい(240円円)などとともに、置いている店も増え始め、しばしば売り切れなどもでているそうだ。ちなみに「いこい」は、もう生産終了しているようだ。浅草新世界の老舗たばこ店では、「わかばとゴールデンバットが人気で、マイルドセブンやマールボロから転向する人が多く、値上がり前の1・5倍近く売れてます」という。 今なら売れるのに、安価たばこを置いてる店が少ないのは利益率の問題から。 大阪・堂島の店主は「マージンが1割ですから、もともと安いのは置いてない。たばこは本当にマージンが少ない。1割というのは最終利益ではなく、粗利益率だ。ひと箱売って41円と25円では、41円をより多く売りたいのは人情だろう。ちなみに「『しけもく』でも最後まで吸いたい人が多いようで...以前の2倍くらいは出てます」と、キセルまで売れるようになったという。たばこは嗜好品であるから、値上げしたからといって愛好ブランドが変わるものでもないだろうが、単なる嗜好品ではないのだろう。たしかにワーキングプアや年金生活者は、たばこに限らず、続く値上げには耐えられないだろう。ところでたばこって、年金の支払額を決めるときの基準となる「消費者物価指数」の対象品目にはなっていないのだろうか。
2012年01月29日
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今日、津からの帰りに息子にメールをした。休みで家にいるだろうと思ったからだ。「今日晩御飯は家で食べますか?ご希望のメニューは?」返ってきた返事が「から揚げの油淋鶏」。思わず「油・・・なんて読むの?」と返信した。「ユーリンチって読む」初めて聞く名前だから、「帰り道に高島屋で勉強してくる」と返信した。自分で作るのは無理そうだから、できあいの惣菜を買って帰ろうとしたのだ。しかし近鉄から地下鉄の乗り換えは、高島屋の前を通らない。そのまま御堂筋線に乗って、cook padでレシピを調べた。「ふーん、なるほど。できないことはない」そう思った私は、駅からちょこっと遠回りしてミニスーパーに寄って材料を調達。入浴介護のあと、あわてて作った。息子に「イメージとしてはこんなの?」と尋ねたら、「うん、ばっちりだ」食べてみて「最高にうまいよ。どうやって作ったん?」実は滅茶苦茶、手間がかかったのだが、「うん、ありあわせを適当に」と答えておいた。レシピには載っていなかった鷹の爪を混ぜたのが、正解だったようだ。なるほど、これなら酒のつまみにも、ご飯のおかずにもなる。
2012年01月28日
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昨夜、ボリショイバレエの「白鳥の湖」を観てきた。2012年日本公演の皮切りになる公演だろう。会場は三重県文化会館大ホール。津の駅から少し離れた閑散とした地域に立つホールだったが、会場はほぼ満席だった。今までオペラやミュージカルなど、数々の舞台を観てきたが、この舞台は、気品と言い、格式といい、最高のものだったといえよう。少しだけでもアイホンのムービーにおさめたかったのだが、車いす席は一番後ろの通路際であり、数多くのスタッフが立っていた。試しにちょっと・・・とスイッチを入れたとたんに、叱られた。文化的に育てられてこなかったせいか、初めて観るバレエには、本当に感動した。それにしても、あれだけ同じ背丈、同じプロポーション、同じ脚の細さの女性を集め、2時間にわたる演技を提供できるボリショイって、いったいどんな劇場なのだろう。津のような地方都市で公演をして、ダンサーも楽団員も、スタッフも、いったいどこに泊まるのか気にしていたら、なんと私たちの泊まった同じホテルに宿泊していたようだ。ただ人目を気にするせいだろう、朝食はレストランを使わずお部屋で弁当を食べたようだし、次の公演地への出発も、チェックアウトの時間過ぎになったようだ。私たちが見ることのできたのは、スタッフの姿だけだった。マリーヤ・アラシュやアレクサンドル・ヴォルチコフは、やはりステージの上の人だった。記念写真の期待は、はかなくもくずれた。
2012年01月28日
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新大阪に入ってくる列車や電車の屋根に、雪が目立つようになった。大阪は首都圏と同じようにカラカラ天気が続いているのだが、北陸方面や山陰方面からくる列車は、大雪の中を走ってくる。それに加え、昨日からは滋賀県でも雪が降っているため、通勤電車の屋根にも雪が目立つ。これから2月に向けては、歯をくいしばっていこう。
2012年01月27日
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明日、三重県の津に行くのだが、どうやら途中の滋賀県、三重県北部は雪のようだ。利用する予定の新名神だって、鈴鹿の峠を越えるころには雪道、もしくはアイスバーンを覚悟しなくてはならない。しかし、今までの車には必ず装備していたタイヤチェーンが金ぴかのままお払い箱になっていたこともあって、今度の車にはチェーンなんか買っていない。ましてやスタッドレスタイヤなんか履いてもいないし、持ってもいない。幸い(?)肘の痛みと痙攣が最高潮になったこともあって、「こりゃクルマどころじゃない」ってわけで、久々に近鉄特急で行くことにした。津に向かう近鉄特急の車両は旧型で、バリアフリー対応になっていない。まだつたい歩きのできたころにはなんとかなったのだが、お尻に根っこの生えている現在ではどうしようもない。で、時刻表を眺めていると、今までは名古屋までノンストップの特急に使われていたアーバンライナーが、津にも停まるバージョンとして走っているのを発見した。もともと1時間に1本しかない特急の一部であるから、2時間早い特急に乗らないと、このアーバンライナーは利用できない。帰りも2時間遅い特急まで待つ必要がある。新幹線と近鉄の急行で行くことも考えたが、運賃が近鉄の3倍近くする。おまけに時間も、1時間と変わらない。「時は金なり」という言葉があるが、車いすの悲しさ。明日ばかりは、金をドブに捨てるような覚悟で、アーバンライナーに時間をあわせて出かけることにしよう。
2012年01月26日
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アイホン4Sを買って、楽しんで使っているのだが、カメラのズーム機能をどうすれば使えるのかが謎のままだった。画面をタップすればズームバーが出てくると書いてあるのだが、何も出てこない。だから今日ソフトバンクショップで尋ねてみた。正解は「親指と人差し指でピンチアウトする」のだそうだ。画面に2本の指をつまんで触れ、その2本を画面上で開く。すと、おやまぁ、なんと簡単にズームバーの登場することがわかった。知らないことは聞いてみるものだ。
2012年01月25日
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栃木の老人ホームで暮らす産みの母から手紙が届いた。今日のお手紙はちょっと長編で、90円の切手が貼ってある。「どれどれ・・・?」と読んでみて、うれしくなった。母には一週間に一通の割合で手紙のやりとりをしているのだが、手紙の最後にこう書かれていた。老人ホームの皆さんは、家族に捨てられた、病気ばかりで不幸だ、好きなこともできない、食事がまずい…こんな会話ばかりが溢れているそうなのだが、あなたが書いてくださるお手紙で幸せだったころを思い出す、親子の心の通い合いが失われた時代なのに、こうして毎週心のこもったお手紙をもらえる、私の語りかけたことにはきちんと返事がもらえる。栃木に来たときはどうなることかと思ったけれど、今が人生の中で一番幸せなのよ。たいした親孝行もできていないのだが、こうして喜んでもらえることが一番うれしい。そしてなによりうれしいのは、まわりの人々すべてに「ありがとう」の気持ちで接し続けていることだ。
2012年01月25日
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東京では「ひき肉」というものを、大阪では「ミンチ」という。ひき肉で育った人間が、ミンチに馴染むのにはずいぶん時間がかかった。しかし東京にも「メンチカツ」というものがあるのだから、ミンチという言葉には決して間違いはないのだろう。今日は妻の帰りが遅いので、セガレと二人の夕食だから、以前に買った里芋を活用しようと、鶏のミンチを買ってきた。ミンチを炒め、長ネギの小口切りを加え、しょうゆ、砂糖、鶏スープ、豆板醤で煮たら、結構うまい煮物ができた。ボイルしたイカの酢味噌とホウレンソーのおひたしとで、そこそこ美味しい酒が飲めた。酒を一緒に飲めるセガレと二人の夕食なんて、なかなかいいもんだ。ついこないだまで、本当に子供だったのに。
2012年01月24日
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私が大阪に来て27年経つが、車が走れぬほど雪のふったことは、たしか一度しかない。たしか16年ほど前の話だ。駐車場から出たものの、車がまっすぐ走ってくれない。仕方なくチェーンを巻こうとしたが、この体だ。どうにもこうにもと困り果てていると、近所のご主人が現れて装着をしてくださった。このときはじめて知ったのだが、このご主人のお勤め先はニッサンのディーラーだった。(ちなみにこのときの私の車はグロリアワゴンだった)もし今日雪が降ったなら、もう車のチェーンなど買ってないし、もちろん車いすのタイヤもスタッドレスではない。私自身は自宅にくぎ付け状態になる。病院や買い物にも出られなくなる。我が家に入浴介助に来てくださるヘルパーさんも、訪問リハビリの先生も、自転車やバイクで動いているから来ることがむずかしいだろう。大阪にいると、こんな心配をせずに済むのがありがたい。どうか雪の降らないことを願うが、今度の金曜日は鈴鹿を越える用事がある。大陸から押し寄せる寒波君に、ちょいと関西・東海方面に近寄らぬよう願いたい。
2012年01月24日
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今朝の新聞広告で見たのだが、羽田からのB787便が大阪にも、一日二往復飛ぶようになった。東京ー大阪間は新幹線とデッドヒート状態になっているのだが、やはり空の便も押しも押されぬドル箱路線である。昼間の二往復だけだから、時間的にちょっと・・・という感じがしないでもないが、まずは大阪への就航を歓迎しよう。我が家の斜め上が着陸航路になっているから、どんな飛行機が飛んでいるかは、とても気になるのだ。関西空港発着の国際線で、もうB787を投入している航空会社はあるのだろうか。
2012年01月23日
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我が家に届いた年賀状の当選番号を調べた。ちょっと分量があるので、えらく時間がかかったのだが、今年は景品も選択肢が広くて夢が持てるじゃないか。でも結果、当選は切手シート7枚のみ。当選確率1.7%ということになる。年賀状をくださった方にではなく、我が家にあまり福がないとすべきかな?それとも、「まぁ、そんなもんじゃない?」ということか。
2012年01月23日
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お通じが順調でなくてお困りの方も多いだろうし、貯めこみすぎてそれが肥満や体調不良につながっている人も多いと思う。私はいたって快食快便男だったのだが、病気の重篤化につれて、頭痛のタネのひとつとなってしまった。世の中には改善のためのいろいろな方法があるようだが、下剤ばかりは使うことのできない方法だ。下剤は効果が早く、激しいのだが、車いすに乗っている身だ。行きたくなったからと言って、素早く便座に腰を下ろせるわけじゃない。外出中、出張中、旅行中などは、そのトイレさえどこにあるかわからない場合も多いし、トイレが見つかっても使えるトイレでないことも多い。事前から準備万端整えておく必要があるのだが、私が現在一番重宝しているのが、斉藤ひとりさん(銀座まるかん)の「スリムドカン」だ。私の場合、脊髄を原点とする直腸障害だからほかの方とは事情も違うと思うのだが、決して下剤のように激しく効くのではなく、一日から一日半かけて、穏やかにニッコリできるのだ。私は6粒飲んで、二日間ほど様子を見ることにしている。多重障害、なかんずく内部障害は大変やっかいだ。人に迷惑をかけることもあるから、相談もできないし、助けを求めることもできない。
2012年01月23日
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外出の帰り、2車線道路の1車線をふさいでいる恐ろしく幅広の車を見た。結構広い道路で、路肩に駐車している車をよけて通るのは難しいことではないのだが、この車ばかりは動き出すのを待つしかなかった。今まで大型の車はずいぶん見てきたが、この車、なんていう車なのだろう?興味が湧いて、思わず写真を撮ってしまった。
2012年01月22日
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私がお手伝いしている障害者グループには、なぜか西淀川区在住の人が少ない。障害者がいないのであれば喜ばしい話なのだが、人知れず家の中で誰にもかまわれずさびしく暮らしている障害者がいるのでは、可哀そうな話だ。昨日西淀川区で幅広く各所帯と交流のある方に、相談に行ってみた。「障害者なんて・・・」といやがられるかと思い、長時間の交渉を覚悟していたのだが、思わぬ結果が待っていた。訪問のかいつまんだ説明を、アポとりのときにしていたのだが、その説明だけで私への対応の構図ができていたようだ。「肢体障害、内部障害といっても、私たち障害のない人間にはよくわかりません。車いすに乗っている人とかペースメーカーつけている人とか、もう少し具体的に書いてわかりやすくしてもらえないでしょうか。2月中に全世帯をあたって、3月には西淀川総会ができるようにしましょう」返す言葉がなかった。ただただお礼だけを繰り返して帰ってきた。今日その具体的な書類をFAXして、電話でよろしくお願いしたら、すでに全世帯への連絡方法、成果の掌握方法などをおっしゃっていた。お仕事は某行政機関ではたらいていらっしゃるとのこと。久々に仕事のできる人・・・飲み込みが早く、具体的な絵の描ける人・・・にお会いできて、久々にスッキリすることができた。仲間が増えて、この障害者グループが夢と希望のあふれる障害者の輪になればと思う。
2012年01月22日
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酒飲みというモノサシからすると、ここは私が成年してからの昭和40年代半ば以降の話としてよんでいただきたい。当時の私たちにとっては、そのときこそが現代であったのだが、今となっては40年ほど昔話になる。私が酒を飲み始めたころ、主な戦場は街の飲み屋だった。宴会もできる座敷のある大きな飲み屋もあれば、ママさんが一人でやっているスタンド割烹もあった。私がしばしば立ち寄ったのは、渋谷の町はずれにある某南太平洋の島の名前がつけられ、その島出身のマスターがやっているスナックだった。場所柄、青山あたりのマンションメーカーのデザイナーさん、営業さんなんかが多くたむろする店。新入社員だった私にとっては、まわりはお姉さん、お兄さんばかり。顔なじみになった私は大変かわいがられた。この店でお金を出して飲んだのは最初の2-3回だけ。あとは全部お姉さんたちのごちそうだった。この店では「何本飲んだ?」という会話が横行していた。何本といってもビールの話ではない。角瓶を何本飲んだかという話だ。ウィスキーなんかシングルかダブルか、水割り、それともハイボール?なんて世界にいた私には、信じられない世界だった。700ml入った角瓶を、まるでお茶でも飲むようにグイグイ開ける。もちろん水もソーダも氷も使わない。私は3本が限界だった。大体3本でギブアップしていたのだが、一度4本に挑戦したことがあって、みごとに3日酔いした。二日酔いどころではない。翌朝も翌夜も、翌々朝も気持ち悪くて仕方なかったのだが、なんとか仕事をしていた。こんな私を職場の上司が、あるBarに連れて行ってくれた。「お前もおとなの酒を飲もうぜ」と。同じ角瓶を水割りにして嘗めながらJAZZを聞き、上司は熱っぽく仕事の話をした。トレンドショップを担当しているときで、来シーズンはどんなトレンドに火を付けようかという話題だった。私はこの話にのめりこんだ。流行というものが、どこからどうやってその種が見つけられ、どういう人の手によってカタチにされ、どのようにパブリシティーに取り上げられ、いかにしてお金になっていくのか。私よりわずか2歳年上だった上司はその後ガンで亡くなってしまったのだが、彼から教わったトレンドセッティング術は私に取り入れられ、さらにエスタブリッシュされて大きな形になった。まだやりたいって気持ちはある。さrにでっかくやろうと、サラリーマンを辞め新しい道を歩み始めたのだが、病気がこれにブレーキをかけてしまった。やりたかった仕事ができなくなったのは残念だが、病気になったおかげで「やりたかったけどあきらめていた仕事」ができるようになった。新しい仕事では、まだまだ一人前だとはいえない。おかげで「老化」なんて言葉と縁遠くなったのだから、なにが幸いするかわからない。
2012年01月21日
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障害や難病を持っていると、人から励まされることが多い。励ましてくださる方のお気持ちは、十分にくみ取って感謝すべきであろう。しかし「励まされる」ことに快感を覚えてしまう病人や障害者が多いのも事実だ。励まされることによって、自分が被害当事者であることの認識を深める方々だ。生き方の問題だから、これを「悪い」と決めつけるつもりはないが、私の生き方の中では、きわめて異色な存在だ。たとえ歩けなくても、手や言葉の力で人を励ませる存在でありえないかと思う。弱弱しい生き方だけはしたくない。できないことがあったら、できることを人の数倍やればいいんじゃないか。
2012年01月21日
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次の日私たちのツアーはラスベガスからサンフランシスコに飛び、いそいそとバスに詰め込まれて、サンフランシスコ東およそ300kmのところにあるヨセミテ国立公園を目指した。途中にインディアンの集落などもあって目を引いたのだが、それ以上に目を引いたのが風力発電の風車だった。まだエネルギー問題が現在ほど取りざたされておらず、国内で見ることはなかったからちょっと驚いた。ヨセミテは東京都と同じくらいの広さがあるというから、山手線や地下鉄が走っているわけでもないから、そのすべてを見るなんてことは不可能に近い。しかしヨセミテに入って真っ先に目を引くものがある。ほとんど壁のような断崖絶壁で、しかもところどころにポツンポツンと人の姿が見える。2700mあるこの絶壁を、好きな人は一週間ほどかけて登るそうだ。私にはできることじゃないから、「へえっ」と見上げて滝壺のほうへ。この滝は世界で2番目の高さを誇るという。滝壺から数百メートルあたりまで近寄っただけで、水煙に前が見えなくなるほど。足場が悪くて車いす向きではないため、引き返して小川沿いの雑木林の切り株に妻と二人で腰を掛け、旅行会社支給の幕の内弁当を食べた。近在のハイカーたちもお弁当を広げていたのだが、彼らのお弁当はほとんどサンドイッチ。だから珍しそうに私たちのお弁当を眺めている。近くにいた人にうかがうと、サンフランシスコの学校の先生だとのこと。生徒たちに日本の食事の話をするのに、いい勉強をさせてもらったと喜んでいた。バスはふたたびサンフランシスコに引き返し、まず向かったところがカストロ通りのゲイタウン。サンフランシスコは世界で一番ゲイの人口が多い街だそうで、男性同士のカップルがベターッとくっついて仲良さそうに歩いている。六本木や赤坂のゲイはみんな女の格好をしていた。私の店のお得意さんだったゲイさんたちだって、いくら休みの日でも女性の服装をしていた。(化粧はしてないから、ただのオバサン?にしか見えなかったが)ところがサンフランシスコのゲイは女装なんかしていない。(女装していると、ゲイとは見抜けない)男のナリをして、男にベターッとしていた。夕食前に、あんまり見たくない光景だった。
2012年01月21日
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グランドキャニオンの総延長は500km、東京ー大阪間ほどの距離があるそうだ。でかい。なにしろでかい。でかいものに囲まれているせいか、アメリカ人というのは背がでかいばかりでなく、人間性も大雑把なように感じる。といってはなんだけど、この光景を見て感動しない人はいないだろう。しかし夜明けの暗い谷底から、一条の煙が立ち上っている。インディアンの部落から上がる煙だ。国家によってその生活は守られながらも、谷底から一歩も外に出られないという制約があるそうだ。観光客は谷底に降りるのに、レンタルでリャマを使う。これは時間がないとできないことだ。グランドキャニオンからラスベガスまでだって遠い。やはり500kmある。バスで約5時間。これをバスの運ちゃんは軽々と運転する。ラスベガスはカジノの町だというイメージが強かったのだが、自分の目で見るラスベガスは巨大なテーマパークだった。そこらにニューヨークやパリ、ベニスがゴロゴロころがっている。私は人から聞いていたので、まっすぐストラスフィアホテルへ飛んで行った。係りの人は車いすに乗った私が来たので驚いていたが、気持ちよく乗せてくれ、超高層ビルの屋上からさらに100数十m打ち上げるビッグショットなる快感を味あわせてくれた。
2012年01月20日
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このツアーの2日目、私たちはロスアンジェルスからラスヴェガスに飛び、バスでグランドキャニオンに向かった。その行程の一部ではあるのだが、ルート66を通る。アメリカの東海岸と西海岸を結ぶ、大変古く歴史の刻まれた道路だ。ちょうどお昼になったので、道路わきのステーキ屋さんへ。パッケージツアーというのは食事もセットされている場合が多く、旅行者にとっては本当に手間がかからない。店を探す手間もかからなければ、現地の言葉で書かれたメニューに苦労することもない。出てきたのはThe Americaという感じのでっかいステーキ。女性軍は、この一枚の食べきれない人が多かった。私はペロッと食べてしまい、外の空気を吸いに表にでたのだが・・・なんとルート66を絵にかいたようなハーレーダヴィッドソンが数台停まっている。ちょうど免許証が手動運転装置の限定となり、ついでに自動二輪免許も剥奪された直後であったから、ヨダレがこぼれたなんてものじゃない。グランドキャニオンに着いたのは夕暮れ時だった。観光地ではあるが、谷間以外にはほぼなにもないところだ。グランドキャニオンを物語る映画を見て、食事をして、おとなしくホテルで寝た。「明日は早起きですよ。グランドキャニオンの日の出を見ますから」というガイドさんの掛け声に、仕方なく・・・である。
2012年01月20日
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引き出しの整理をしていたら、古いエッセイが出てきた。これで終わりです。若き日のエッセイ、いかがだったでしょうか?
2012年01月19日
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ロスアンジェルス空港に着いた私たちは、まずバスに乗ってフリーウェイを走り、ディズニーランドのあるアナハイムへ。この「バスに乗って」というのが、今の私にはできない。このときも、一番前の座席に座らせてもらったのだが。アナハイムで泊まったホテルでは、ものすごい雷雨に見舞われた。雷が鳴るたびに、広大な駐車場に停められた自動車の防犯アラームが鳴り響く。気持ちよく眠れる環境ではなかったのだが、飛行機の中でよく眠れなかった影響もあって無事就寝。初日にして、時差が克服できた。カリフォルニアは暖かいだろうと思っていたのだが、すごく寒かったので、近所のショッピングセンターで長袖のスエットを一枚購入。これが旅行の中で、ものすごく活躍した。サンディエゴの港には、なにげなく航空母艦などが停泊している。オープンな港に、軍用艦がいるなど、日本では考えられない光景だ・・・が、よく見ると、船体に41のナンバーが!なんと横須賀に配備されていたミッドウェイではないか。ここで空母博物館になっているという。バスはさらに走ってメキシコ国境に到着。歩いて国境を渡り、昔懐かしい黄色いボンネットバスに乗って、ティファナの町に向かう。ディファナはアメリカから一番近い、メキシコの観光地らしい。ティファナに着いた最初の感想・・・「初めてじゃないな」。どうも故郷に帰ったような気がしてならなかった。どうも私は純粋な日本人ではないようだ。前世はメキシコ人だったような気がするし、パリのドゴール空港で取り調べを受けたときは、アラブゲリラだと思われていた。観光地とはいっても、見るものなんて何もなかった。土産物店が並んでいるだけ。しかもどの店も、道路から一段高いところにあるから、私は入ることができない。外でマリアッチを奏でる男たちや、インディオのばあさんたちと無言の時間を過ごしていた。ツアーの皆さんはいろいろ見ていたようだが、買えるものといえばテキーラぐらい。皆さん手ぶらでティファナを離れたようだ。この日はロスに泊まり、ラスヴェガス経由でグランドキャニオンに入る。
2012年01月19日
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東京では乾燥注意報が34日間発令され続き、今の注意報基準が導入された昭和42年以降では3番目に長い平成7年の記録に並んだという。また横浜市やさいたま市などでは18日まで33日間、千葉市や宇都宮市などで32日間、大阪市や神戸市などでも18日間続いたという。それがうって変わって、今日は冷たい雨降り。雪に変わるのではないかというくらい寒い。たまにはお湿りも必要という理屈からすれば、歓迎すべき雨なのだろうが、この冷たさはたまらない。今日はジムに加圧トレーニングをしに行く日だ。腕やら足やら、現在はトレーニングを妨げる要素が多々あるのだが、思い切って出かけて、汗をかいてくることにしよう。
2012年01月19日
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50歳になったのを機会に、アメリカ西海岸ツアーに参加した。リタイア組を対象にしたツアーだったのだが、結構中身は濃かった。車いすを利用しているとはいっても、少しなら立てる、つたい歩きができるというのは、大きな違いだ。なんといってもパッケージツアーに参加しちゃったのだから。関西空港で集まった旅行参加者の前で「ご迷惑かけるかも知れませんが」と挨拶させてもらった。しかし旅行中手押し車の代わりになる車いすに乗る私、少しは英語の通じる私は大の人気者だった。
2012年01月18日
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MAMORUクンがパリで活動しているとき、パリを訪れたことがある。ホテルがメトロの通っていない郊外であったため、彼と合流するのにはバスを使わざるを得なかった。まだパリのバスには低床式のバスなんてなかったのだが、このころの私はつかまり立ち程度はできたので、なんとか車いすを放り込んで乗車できていた。今はかなりバリアフリーになっているようだが、フランス語のアナウンスは非常に聞き取りにくい。道や景色を覚えていないと、降りるべき場所で降りることもできない。車いすで街を歩いてみて、MAMORUクンの存在に大変ありがたみを感じた。石畳の道路の下には下水道が完備していて、車道と歩道の段差はものすごく大きい。これは車いす一人では歩けない。実際パリの町で、車いすに乗った人は見かけなかった。私にはMAMORUクンという強力なサポーターがいるので、思う存分パリの町を歩き回ることができた。足回りの大変悪いヴェルサイユさえも見てまわれたほどだ。彼のアパルトマンでは良い思い出を刻むことができた。ボンマルシェで惣菜を買い込み、サンミッシェルあたりでワインと生ガキを仕入れて、彼のアパルトマンでのんびりディナーを楽しんだのだ。オペラ座の近くのレストランや、家庭料理のレストランでも夕食をいただいたが、彼のアパルトマンがサイコーだった。パリはもう一度訪れたい街なのだが、もうMAMORUクンは上海だ。誰か力強いサポーターがいないと、ちょっとむずかしいかなと思う。
2012年01月17日
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車いすで出かける旅行に、客船のクルーズは最高だ。足元の不自由がまったくない上、ホテルをかついで旅するようなものだから、いつでもゴロリと横になれるのがいい。私がQE2で香港までのクルーズを楽しんだのが22年前、まだ下の息子が歩き始めたころだった。どんどん不自由になる足、激痛に苦しむ足に悩んでいたのだが、10日間のクルーズは思う存分楽しむことができた。乗船客800名に、クルーが800名。ほぼマンツーマンのサービスが受けられる。パスポートなどは船に預けたままだから、香港での上陸時には乗船者証をもたせてくれるのだが、このQE2の乗船者証というのがものすごい。どこへ行ってもゴールドカード以上のサービスが受けられる。ゴールドじゃない自分のカードが出せないくらいだった。舟の中では毎日決められたドレスコードで出歩く。数多くあるレストランで好きな時に食事ができる。映画もダンスもカジノもコンサートも、プールも室内ゲームも。屋外やプールばかりはドレスコードのない場所だった。当然荷物も多くなるわけだが、荷物は宅配業者が自宅まで取りに来てくれて、キャビンまで運んでくれるから、手荷物はハンドバッグ一個。ただ残念なことに、日本発着以外の船の場合、出港地までは荷物を運ばねばならず、日本発着の客船クルーズはあまりないことだ。QE2は退役して、今ではドバイでホテルになっているという。先日沈んだ船のように、客船はどんどん大きくなり、豪華になっている。地中海に限らず、アドリア海、カリブ海など、選べるクルーズは多い。荷物の問題と、旅行日数に見合った休みだけが問題じゃないだろうか。
2012年01月17日
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明日で阪神大震災から17年になる。あの朝、朝のお勤めをしている最中に揺れ始めた。関東育ちで比較的地震には慣れている私は、あわてずに手元のストーブの火を消したのだが、どうも半端な揺れ方ではない。通学準備をしていた娘が私の胸に飛び込んできた。娘を抱き寄せて、部屋の片隅で伏した。仏壇が飛び、テレビが飛び、ピアノが大きく動き、台所も食器棚も粉々になった。建物が崩れて倒れるのではないかと思うほど、激しく揺れた。妻と息子が心配で呼びかけると、ベッドの上で倒れた本棚の下敷きになっているそうだが、布団がかかっているので怪我はないとのこと。普段から近所づきあいはしておくものだ。マンションの低層階に住む人、マンション以外の住宅地に住む方々が、階段を上って救援に駆けつけてくれた。たびたび襲いかかる余震には肝を冷やしたが、およそ3時間で壊れたものはすべて片付き、電気もガスも復旧して生活を取り戻すことができた。しかし外壁はひび割れ、建物と建物を結ぶ通路は崩落し、エレベーターもワイヤが切れて動かなかった。しかし、大阪港から神戸に船を出すから救援物資を、という呼びかけがあり、すぐに被災者から救援隊へとマインドがスイッチオン。すぐに米を炊いて、何個の握り飯を作っただろうか。新品の下着やペットボトル入り飲料などを、港へ向かうトラックに届けた。この日は会社を休み、ドイツ・オーストリア・スイスへの飛行機やホテルもキャンセル。落ちているガラスや瀬戸物のかけらが怖くて、室内でもスニーカーを履いたまま生活。余震に怯えながらテーブルの下で一夜を過ごした。建物が断層の真上にあったのだろうか、市内でも格別大きな揺れに襲われたようだ。この年、私は会社を辞めて退職金を受け取ったのだが、被災者家族として所得税が免税になった。地震は怖かったけれど、なんだか儲けたなというイメージがある。あれから17年。子供たちは大きくなったし、私たちは年とった。
2012年01月16日
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しばらく前から手が震えて困っていた。マウスを持つ手が激しく震えて、カーソルの位置が定まらないのだ。PCでは比較的こまかい作業をするから、これには困っていた。左手で右手を抑えて作業していたのだが、昨日文筆家の会合で宮本輝さんが「最近字を書くときに手が震えて困っている。知り合いの医者に相談したら『それは本態性振戦(ほんたいせいしんせん:病気ではないが、原因のわからない症状)だ』といわれ、「これを飲め」といってくれた薬を飲んだら、たった一錠で効いちゃった」と言っていた。原因はわからないが交感神経の病気だそうで、β2受容体に働きかける薬「アロチノロール」が効果的なのだそうだ。私は薬がきらいで、とんでもない難病を持ちながらも薬はまったく服用していない。しかし副作用がなく、症状を抑えることができるのなら考えないでもない。来月神経内科の診察があるから、ドクターに相談してみよう。なにしろ字を書くときにも、コーヒーカップを持っても、手が震えるのだ。ストレスなんかないし、人前で緊張するというヤワな人間じゃないのだから。もしかしたら上腕三頭筋、腕橈骨筋、尺側手根屈筋などの緊張も関連しているのかも知れない。
2012年01月16日
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今朝リハビリに出かけたのだが、ものすごい寒さだ。ついでに買い物をしてきたのだが、あまりの寒さに今晩は参鶏湯(サムゲタン)にすることにした。ソウルの東大門で入ったチンハルメダッカンマリという店でで食べた参鶏湯が、とても美味しかったからだ。こんなところでミシュランガイドに登場するような店に出会えるとは思っていなかった。店はものすごく混んでいて、長い行列ができていた。一瞬たじろぐ光景だ。それでも負けじとばかり、寒風吹きすさぶ中を並んでいたら、行列を管理するオジサンが手回しよく、店の中に担ぎ入れてくれた。身動きできないようなテーブルに車いすを無理やり突っ込まれたような感じだったが、食べるだけだ。ま、いいか。煮えたぎったスープの中に、羽をむしって内臓を出した鶏まるごと一羽。それをオバチャンがハサミでチョキチョキと食べやすい大きさに切って、「10分待ってから食べるんだよ」と。ほかにはネギとトック(お餅)だけ。これをコチュジャンベースのたれに付けていただく。となりのテーブルでは、これに麺やご飯を入れて食べていたが、鶏一羽で私たちはお腹いっぱい。今日は食べられる量の鶏の切り身だから、ラーメンや餃子も用意した。ついでにキムチも放り込む。やや無国籍料理になるが、温まるためには最高の夕食になりそうだ。寒い季節、韓国料理はクセになる。
2012年01月16日
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今日市内天王寺区にある常勝関西青年会館というところで、関西在住の文筆家が集まる会合があって参加してきた。芥川賞選考委員をなさっている宮本輝さんが北日本新聞で連載小説を書き始めた話、江戸川乱歩賞の鏑木蓮さんが京都新聞で連載小説を書き始めた話などがあった。宮本輝さんは毎日新聞の連載小説を終えたばかりで、今はホッとしているそうだが、連載小説は一か月分の原稿をさきづけで送らねばならないそうで「地獄だ」と言っていた。わずか一篇の小説すら書いては破りの私にとっては、想像もできない世界だ。「僕に『畜生!』と思わせるようなすごい作品を書いてくれ」と言われたが、こればかりは祈って自分を高め、読者が喜んでくださるような・・・という一念で仕事をしないといけないなと思わされた。少しは背筋がピシッと伸びたような気がする。帰りがけに、かっぱえびせんのお土産をいただいた。コップ一杯のビールでなくなってしまうような分量だが、同じ志を持つ友に分け与えて、かみしめていただこうかと思う。
2012年01月15日
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バリ島へは一度だけ行ったことがある。まだつたい歩きのできるころだったから、バスやタクシーで動き回れたのだが、現在の体ではタクシーもむずかしいから、もう無理かも知れない。食べ物のおいしい島だった。ナシゴレン、ミーゴレン。辛そうなものばかりじゃない。魚も美味しい。なによりホテルの朝食で出されるフルーツがきれいで、超おいしいのだ。めったにたくさんフルーツを食べない私がたくさん食べたのだ。出先で来た!!俗にいう「バリ腹」だ。トイレに駆け込んだが、バリ島のトイレは和式トイレのようなものだ。「さて?」と困ったが、出るものは待ってはくれない。あとでホテルに帰ってトイレでしゃがみなおしたが、通常使っているトイレにこれほど感謝したことはない。以来今でも東南アジアに出かけるときは、必ずパイロゲンを持参し、料理にかけたり、水に混ぜたりして、安全には注意している。濃縮用のパイロゲンが軽くてがさばらず、使いやすい。
2012年01月15日
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ニューヨークからの帰りに、トランジットもあるのでサンフランシスコに寄った。ケネディー空港からは5時間ほどなのだが、時差も3時間あるから、だいぶ時間感覚が狂ってしまう。はじめてのサンフランシスコだったから、おのぼりさんよろしくフィッシャーマンズワーフを訪れた。ニューヨークのピア37ともどもウォーターフロントを本当によく活用していると思った。翌日は港から船に乗って、サンフランシスコ近郊の避暑地として有名なサウサリートに行く。船の中でかかっていたCalifornia dreamがぴったり耳になじんだ。http://www.youtube.com/watch?v=dN3GbF9Bx6E&feature=fvwrel カリフォルニアの青い空の下で、ここでも娘はバレエを踊りまくっていた。妻は買ったばかりの洋服に、ヨットハーバーの柱でコールタールをベッタリとくっつけ、義父は「お腹がパンパンで苦しい」と言っていた。そういえばニューヨークで、国際貿易センタービルの最上階でランチを食べた。9.11テロの映像を見て、あのレストランのスタッフは無事だったのだろうかと心配になった。アメリカからの帰路、飛行機は千島上空を飛んで帰る。ものすごい遠回りをしているような気がするのだが、上空から眺めた富士山を見て、「あぁ帰ってきたんだ」と妙にメランコリーになってしまった。
2012年01月14日
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まだ義弟のMAMORUクンがニューヨークでフォトスタジオを開いていたころ、義父母と娘を連れてニューヨークに行った。タイムズスクエアに近いブロードウェイのホテルに泊まったのだが、夕食を食べに外に出ておどろいた。なんと電話ボックスの屋根に肘をついてコーラ飲んでる連中がやたら多いのだ。アメリカの都市というよりは世界の首都という感じで、世界中の民族が寄り集まっている。便宜上多くの人が英語を使っているわけだから、へたくそな私の英語でもなんとか通じるのがうれしかった。ただ決して治安の良い場所ではない。ブロードウェイでは義父がコートにマスタードをぶっかけられた。幸いだったのはそれにその場で気づかなかったこと。多くの場合「あ、かけられた!」とコートを脱いだりすると、その騒ぎに乗じてお財布などをすり取る手口だそうだ。MAMORUクンが足の不自由な私のために自転車を貸してくれた。サブウェイに乗るときもMAMORUクンが階段を担ぎ下ろしてくれた。しかしある店でランチを食べていたとき、店を出たら電信柱にチェーンでくくりつけておいた自転車が、きれいさっぱり消えていた。高そうな自転車だったから、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。イースターの日、6人全員でラ・ガーディアからワシントンに飛んだ。義父母の冥途の土産ににとポトマックの花見を企画していたのだ。アフガニスタン人の運ちゃんに片目をつむってポンティアックをチャーターして、定員オーバーの6人で乗り込み、ワシントン観光をした。航空宇宙博物館、ペンタゴン、キャピトル(国会議事堂)、アーリントン墓地を経てタイダルベイスンで花見をした。イースター休暇ということもあって、周辺の州から多くの車が集まり、川辺も大変な人出だった。日本の花見と違って、酒盛りをやるわけにもいかず、ホットドッグとコーラでおとなしく花見をした。まだ小学生だった娘は、当時バレエ教室で習っていたバレエ(?)を気持ちよさそうに踊っていた。ニューヨークに帰ったらエンパイアステートビルがイースター色にライトアップされていた。
2012年01月14日
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27年前、大阪に転勤してきたとき、住んでいた社宅マンションの上空を国際線の飛行機が飛んでいた。まだ大阪空港が国際空港として使われていたからだ。台湾から飛んでくるDC-8などという時代物も飛んでいた。そうした中で目を引いたのが、大韓航空の飛行機だ。ほかのヨーロッパ路線やアメリカ路線の飛行機に比べて、便数が多い。そんな大韓航空の飛行機を見て、韓国という国が日本から一番近い外国であることを認識した。釜山に住む知り合いへのお礼も兼ねて、釜山ーソウルへの旅行にたびだったのは、ソウルオリンピックが開催される前の年(1987)のことだ。知り合いの家での家庭料理の夕食に誘われて、ド肝を抜かれた。ご家族のお嬢さんたちがスカートを履いたまま、立膝で食事をするのだ。テーブルの上には数えきれないほどのキムチが並び、お箸は金属、そして主にスプーンを使って食べる。小鉢に盛られた料理を食べきると、すぐにおかわりが盛り付けられる。どうやら食器を空にするということは、「おかわり」を意味するらしい。「遠慮なく残しなさい」と言われた。ほかにも茶碗を手に持たないとか、いろいろ食事のルールがあるようで、かなり戸惑った。釜山は海に面した街ということもあり、魚料理が多かった。翌日は知り合いのショーファーが運転する車で、慶州の仏国寺(プルグクサ)へプルコギを食べに出かけた。添え物として青唐辛子を焼いて、コチュジャンをつけて食べるものがあったが、おいしいものだからついたくさん食べてしまった。「辛いものは食べすぎないほうがいい」と注意されていたのだが、ついたくさん食べすぎて、激しい腹痛を起こし近所のお医者さんに担ぎ込まれた。腸炎だということで、お尻に注射一本で治った。「記念に持って帰れ」と、お土産に診察券を持たされた。海外で医者にかかると、もちろん保険がきかないから高かったとは思うのだが、知り合いの奥方が支払ってくださったようだ。その足で釜山空港に向かい、シャトル便でソウルに飛んだ。ソウルでは南大門の正面にあるロッテホテルに泊まったはずなのだが、先日ソウルへ行ったときにはもうなかった。ソウルではあちこちを歩き回ったのだが、同じ顔をした民族なのに、話す言葉も、食べるものも、生活習慣も、なにからなにまで違うのに驚いた。マクドナルドでハンバーガーを食べたのだが、ハンバーガーにはさんであるピクルスが、ソウルではキムチであるのにも驚いた。ソウルからの帰国便はソウルを1時間ほど遅れて離陸、伊丹には門限ぎりぎりの9時ちょっと前に到着した。国際線の到着といえば、イミグレだ、検疫だ、通関だとややこしいものなのだが、門限ぎりぎりだったせいか、面倒くさそうに空港から追い払われた感じだ。このとき使い残したウォンが、当時の日本ではなかなか両替できるところがなく、後日ハンイルバンクで両替するまで、ウォンの札束が財布の中でデカイ顔をしていたっけ(笑)この旅行には当時小学校2年生だった娘を連れて行ったのだが、娘の描いた絵日記がいろとりどりで楽しかったことを思い出す。
2012年01月13日
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まぐまぐニュースで見たのだが、パンダで有名な中国・成都空港に未確認飛行物体が飛来。同空港を発着する航空便に大きな影響が出、その未確認飛行物体の機体自体がyoutubeではっきり激写されている。この報道を信用するかしないかは私たち自身であるが、まず見てみよう。http://rocketnews24.com/2012/01/12/171589/
2012年01月13日
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パリコレが終わった後、私たちは80年代に俄然クローズアップされてきたミラノに飛んだ。パリを飛び立ったアリタリア航空の飛行機では、機内アナウンスもイタリア語とフランス語だけ。さっぱりわからなかった。リニャーテ空港から到着したホテルは、DUOMOの真横にあった。あまり近すぎて、DUOMOの威容がわからないほど。正面の広場に群がる鳩を見て、「なんだ、浅草とそう変わらないじゃないか」と思った。まだスピーガ通りにも「おっ!」と目を引くショップも少なく、ようやくアルマーニが注目されはじめ、ベネトンが後染め技術でショップ展開を本格化する前だった。まだまだローマブランドが中心で、せいぜいフィオルッチが異色だったころではないだろうか。ヨーロッパ中の生地のコレクションであるイデアコモに行った。ミラノ北駅から、昔の南武線みたいな電車で行く。コモ北駅から会場はコモ湖畔を歩いてすぐだったのだが、湖の向こうに真っ白なアルプスが見えたのには感動した。コモ北駅近くにセントマリアデレグラツィエがあったので、「もしかしたら?」と入ってみたら、やはり「最後の晩餐」が飾られている教会だった。最後の晩餐はつい去年あたりに工事の完成を見たようだが、30年ぐらいかけて修復をしていたことになる。帰り道、パリ経由で帰ったのだが、ミリタリールックに身を包んだ私はアラブゲリラの嫌疑をかけられ、空港警察に裸にされての取り調べを受けた。ただでさえショックで飛行機に乗り込んだのに、帰り道のアンカレッジが濃霧で降りられず、フェアバンクスに降りて半日ぐらい時間つぶしをすることになった。スッチーたちは業務放棄をしてしまうし、最悪の環境だったのだが唯一良い報せ。鈴木義行総理大臣がたまたま訪米の帰りに、やはり霧でフェアバンクスにいたことだ。本来なら成田の門限で帰れないところだったが、総理大臣の飛行機が帰るってことで、オマケで一緒に成田に降ろしてもらえた。・・・日本に帰れたのはうれしかったのだが、成田から自宅のある横浜までのタクシーが遠かったこと、高かったこと。なんだか最後までトラブル続きだったのだが、だからこそ印象に残った初旅行だった。
2012年01月12日
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初めてのパリはエントリーもれによるシャットアウトで意外なものになってしまったが、ただの観光旅行ではなかった楽しみも、ちゃんと残っていた。パリコレ期間中にパリを訪れるファッション関係者(日本人デザイナー、アトリエスタッフ、スチリスト、モデル、バイヤーなど)を対象とした、雑誌WWD(ウーマンズウェアデイリー)が主催するパーティーにお招きいただいたのだ。これがものすごい顔ぶれで、大変興奮してしまったことを思い出す。フレンチのフルコースディナーだったのだが、興奮してしゃべるのに夢中で、「下げてもいいか」と尋ねるギャルソンに思わず「ウイ」と言ってしまって、お肉が下げられてしまったのは残念な思い出だ。次の日の夜は、市内の公園に張られたテント会場で開催されたKENZOの春夏コレクションのショーに参加した。ものすごく大きなテントにカメラマンとバイヤーがビッシリ。時間になっても始まらないと、みんなが足で地団駄を踏み鳴らす。そこに最初のモデルが登場すると、地団駄が拍手と口笛に変わり、もう大変なお祭り騒ぎだ。そういえば、このころの通貨はフランだった。1フラン硬貨を数枚持ち帰り、穴をあけ、鎖でつないでベルト飾りなんかを作ったっけ。
2012年01月12日
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まったく右も左もわからないパリの町で、レアールの市場跡を見て回って、ちょいと驚いた。パリって海からはそんなに近くないはずなのだが、市場跡に並ぶカフェでは、みんなワイン片手に生ガキを食べているのだ。カキといえばお腹を壊す食べ物の代表のようなものなのだが、どうやらパリの町ではひとつの俗説にしか過ぎないようだった。それにしてもパリジャンはよくワインを飲む。当時の日本で販売されているフランスワインは高価なものだったが、パリではジュースのような価格で販売されている。「なるほどな」と思った。その後歩いてモンマルトルに向かった。と、ある階段にぶつかる。なんとユトリロの描いた「コタンの小路」なのではないだろうか。階段わきのアパルトマンからは麻雀パイを洗牌する音が聞こえて、やや幻滅を感じたのだが、思わずとんでもない場所に行き当たったことの幸運を感じる。サクレクール寺院の周囲では、さすが芸術の都だけあって、すさまじい数のアーティストであふれかえる。しかし私には、このアーティストたちが画家なのか画商なのかがわからなかった。絵を売るついでに絵を描いてるという感じ。まぁ彼らも生きていかなくてはならないのだから、こうした観光地に出向いて、絵を売りながら描いているのだろう。まだケーブルカーなどなかった時代。境内には焼き栗屋のムッシュたちが「マホーン」と呼びかけながら、栗を売っていた。しかし油断していると、妙な格好をした男女にぶつかられたり、妙なおまじないを売り込まれたりする。彼らはジプシーなんだそうだが、事情を知らない私はただマゴマゴしていた。
2012年01月11日
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私が初めて海外に飛び立ったのは32歳の11月。比較的オクテの海外デビューだ。ファッションの買い付け業務で出張命令が下ったのだが、事務方の手違いで私の名前が登録されておらず、買い付け先のオフィスに入ることができず、幸か不幸か観光旅行になってしまった。30年以上前の話だから、飛行機はエアフランスのアンカレッジ経由だった。成田から9時間、到着と同時に駆け込んだ空港のトイレの便器が非常に背が高く、格別背が低いわけではないのに届かなかった記憶がある。仕方なく大便のトイレに並んだのだが、日本人ばかりが小用で並んでいた記憶がある。パリ・ドゴール空港への到着は現地の早朝だった。このころの私は、やや足を引きずりながらも歩けたので、あまり不自由を感じなかった。いわゆるパリコレの時期だから、右を見ても左を見ても、各国のバイヤーばかり。きわめて派手なオジサン、オバサンがぞろぞろ歩き回っているのだ。タクシーで展示会場へ行き、ランチを済ませてホテルへ。凱旋門のすぐ近くにあって、エッフェル塔が真正面に見える部屋だった。その後メトロに乗って買い付け先のオフィスに行ったのだが、名前がエントリーされていないからということで私だけシャットアウト。後頭部をぶんなぐられたような気分になった。ほかのスタッフと夕食の時間と場所だけ約束して、再びメトロの駅に戻ったのだが、一人になってみて初めて自分がエトランジェ(異邦人)である現実に気づかされた。まわりに書かれているサインも商業広告も、電車の行先も、すべてフランス語で表記されているのだ。もちろん周囲にいる乗客が話す言葉もフランス語。はっきり言って、たじろいだ。地下鉄の出口がどちらかさえわからない。知っている外国語はEXIT(英語)だけなのだ。仕方なく次の電車の到着を待ち、降車する乗客の後ろを歩いて行ったら、写真のような看板を見つけた。どうやらSORTIEというのが、出口を意味する言葉のようだった。どこをどうあるいたのか覚えていないのだが、バイヤーとしての任務を帯びての出張だったから、パリジェンヌの服装、着こなしばかりが気になった。この時代の日本人の服装感覚とは雲泥の差があった。決して裕福そうではないパリジェンヌたちのおしゃれ感覚は想像を絶していた。パリジェンヌたちをジーーーーッと穴の開くほど見つめ、夕食会場に行ったら、日本茶にまで値段の付いていることに二度びっくり。びっくりだらけの旅のスタートだったのだが、この旅は大当たりだった。以後私の職場にとって、びっくりビジネスで大きな成果を出すことにつながったのだから。(つづく)
2012年01月11日
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私が海外を旅する時、一番心を砕くのがその宿泊先だ。海外のホテルをさがすのに、楽天トラベルやエクスペディアなどのホテル検索サイトを使うだろう。しかしなかなかaccessible roomの有無を確かめることがむずかしい。その点、大阪に本社があるオクトパストラベルなら、ホテル名の傍らに車いすマークが付いているからわかりやすい。検索エンジンでオクトパストラベルとさがすと、車いすマークの付いていない画面が出てしまうから、以下のURLからアクセスするといい。http://www.octopustravel.com立地や価格、★数など、比較的検索はラクチンだ。しかもその上、同社に一報入れておけば、同社の社員がしっかりホテルと連絡をとって、ホテルバウチャーにその旨をしっかり書いてくれるから安心できる。しかしひとことでaccessible roomとはいっても、その造作はさまざまだ。一番多いのがバスタブなしでシャワーのみというタイプ。これはアメリカや東南アジアに多い。カナダのバンクーバーではトイレの手すりが片側にしか付いていないことが多かった。北欧のaccessible roomは広くて豪勢な作りのところが多かった。こればかりは実際に行ってみて、自分の目で見て確認するしかない。行き届かない造作の場合は、それでもなんとか利用できる方法をホテルのスタッフと相談するしかない。またベルリンで泊まったホテルは造作は完璧だったのだが、駅とホテルとの間に横断歩道のない大通りがあって(階段しかない横断地下道だった)、どうやって行けばいいのかがわからない。駅前で考え込んでしまったのだが、駅前を通る低床式の路線バスの停留所がホテルの前にあることを発見して事なきを得た。またオクトパストラベルは会社規模が小さいせいか、カバーしているホテルがやや少ないように思う。そういう場合、私は楽天トラベルで探し、ホテルの「詳細情報」の一番下に出ているバリアフリー状況を見る。書かれている場合のみaccessibleだということなのだが、私は必ず電話かEメールで(もちろんEメールのほうが安い)、トイレやお風呂の造作、予約の確実性などを問い合わせて、その後「Rakutenで予約するから」と申し添える。rakutenは比較的世界ブランドなので、十分話は通じる。航空券もついでに楽天でとれば、ポイントも貯まるのでありがたいのだが、ホテルについてはまずオクトパスで探すことをお勧めしたい。担当者を決めて、ものすごく丁寧に応対してくれる。もちろんクレジットカードOKだ。
2012年01月11日
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海外旅行の多くのパッケージツアーは、空港からホテルまでバスを仕立てていることが多い。しかも頼みもしないのに、土産物店などに立ち寄り、買い物をさせられることも多い。これはガイドのささやかな収入になるのだから、協力したいという気持ちはあっても、ホテルに到着する前では、あまりその気になれないのが、まぁ普通だ。個人旅行の場合には、まず空港からホテルまでのアクセスに苦労する。タクシーで行ける距離ならいいが、近頃の空港は市内から大変遠距離の場合が多い。成田や関空みたいなものだ。こうした中で、空港から市内までの公共交通機関が整えられている場合は、大変うれしい。北京、上海には地下鉄の便があるのだが、乗換駅のエレベーターが不備であったり、階段昇降機が故障していたり、駅員が操作方法を知らなかったり。中国各都市においては、最初からタクシーを利用したほうが安くて早くて確実だ。上の写真はソウルの地下鉄なのだが、これはオススメだ。ソウルは地下鉄だけで、ほぼどこにでも行ける。車いす野郎の私が言うのだから、ほぼ間違いはない。行けない場所があっても、ちょいとまわり道をすれば行けることが多い。そんなわけで、今の私は空港からの鉄道が整備されている都市にしか行けない。近いところから、香港はOKだ。クアラルンプール、シンガポールもOK。フランクフルト、ミュンヘン、ストックホルム、コペンハーゲン、ロンドン。パリやミラノはどうなんだろう?アメリカもちょいとわからない。私が行ったときには、まだタクシーに乗れたから、ホノルルはザ・バスが走っているからOKだ。タクシーに乗れないというのは不便なものだ。今年はちょいとスペインにチャレンジしてみようかと思う。ボストンにも行かなくてはいけないし、早くお尻の褥瘡を治さなくちゃいけないな。
2012年01月10日
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毎早朝激しい痙攣と痛みで目を覚まされるのは、大変つらいものだ。大変寒い季節でもあるのだが、ちょいと起きて一杯ひっかけないと再度眠りにつくことはむずかしい。といって、ベッドから車いすに移乗するのは、とてもむずかしい。痙攣して緊張した足で、移乗のために力を入れるという自然の動作ができないのだ。だから腕の力に頼ることになるのだが、この頃は腕にも大変な緊張と痛みがあるので、この早暁の作業には緊張させられる。緊張はともかく、正月以来不思議なことが起きている。この痙攣で目覚めるまでに、非常に具体的な夢を見ているのだ。登場人物も時間も、本当に具体的だ。しかもイイ夢が多いから、目が覚めてしまうのを本当に残念に思っている。あくまで夢の話だから、そのストーリーを具体的に書くことはできないのだが、苦しいときにもイイことはあるのだと喜んでいる。
2012年01月09日
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ソウルの梨泰院(イテウォン)でIPブティックホテルに泊まった。梨泰院というソウルにしては外国人の多い街に泊まってみたかったし、★★★★ランクのホテルだったから、まぁ安心して予約を入れた。accessible roomを確かに予約したのだが、チェックインしようとするとすでに先客がはいっているとのこと。みごとなダブルブッキングだ。「なんとか普通の部屋で」と押し切ろうとするスタッフに、私もかみついた。結局セミスイートのaccessible roomに空きがあったので、差額サービスで、ちょいといい部屋に泊まった。しかしこの部屋、ちょいと良かったのは値段だけのようだった。バスルームの扉が内開きで、バスタブを完璧に隠してしまう。狭いので車いすを中でターンさせることもできない。入浴をあきらめざるを得なかった。さらに翌朝、トイレに入って驚いた。壁面に設置されている折り畳み式の手すりにつかまると、メキメキバリバリッと妙な音がする。壁面が全面ガラス&鏡でできたバスルームなのだが、手すりまでガラス面に付けられている。手すりにかかった重量で、ガラスが割れていた。今まで手すりを使う人がいなかったのだろうか。写真を撮ってフロントにクレームを申し上げた。「アイムソリー」と言うだけで、「お怪我はありませんでしたか?」もない。外出から帰って見たら、ガラスの破損だけはパテで補修されていたが、手すりははずされていた。つまりaccessible roomとしての役割は、まったく果たさなくなったわけだ。かわいそうに、私のソウルの4日間は完璧に外便になった。このクソ寒い時にと、そうでなくとも時間のかかる私だ。無性に腹が立った。
2012年01月08日
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昭和24年の生まれで、神奈川県茅ケ崎市で育ったから、東海道線はすでに電化されていた。茅ヶ崎駅に入る電車はほとんどが湘南電車だった。で、ときどき電気機関車に引かれた列車が走る。当時の電車や列車にはエアコンなんかついてなくて、座席の背もたれも直角だった。ただ電車というのはどうも息苦しくて、たまに大阪行きとか門司行なんていう機関車に引かれた列車に乗るとうれしかった。駅の売店で冷凍ミカンとかゆで卵なんかを買って、これを食べながら乗ると、ちょっとした旅行気分だった。しかし御殿場線の下曽我へ引っ越した時には、列車を引くのが蒸気機関車になったので興奮した。元来蒸気機関車より電気機関車のほうが近代的な乗り物ではあるのだが、蒸気のほうが圧倒的に格好良かった。御殿場線は勾配の急な路線だから、蒸気機関車を2両くっつける。三島寄りにD52、国府津寄りに小さなC11だ。なんだか時代を逆行しているようではあったが、SLが好きだった。http://www.youtube.com/watch?v=ZxwOpnaN1lU
2012年01月07日
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毎年正月は、箱根駅伝のテレビ中継を楽しみにしている。今年は東洋大学が首位で第5区間の柏原にタスキがタッチされたので、3年間続いた柏原の箱根の山道ゴボウ抜きの離れ業を見ることができなかった。それよりも、つい柏原登場までテレビにかじりついてしまったため、ソウルへ旅立つ飛行機のチェックインに大幅な遅刻を演じてしまった。飛行機がガラガラだったので無事に乗ることができたのだが、危ないところだった。箱根の駅伝は、なつかしい場所ばかりを走る。都内はともかく、横浜の鶴見から横浜駅東口にかけて、江の島から茅ヶ崎、平塚の湘南遊歩道(私が小さいころは駅北口の国道1号線を走っていた)、国府津から小田原、そして板橋、風祭、湯本、塔ノ沢と登り、父の実家があった大平台(ここで声援したのが一番多いか)、宮ノ下、小涌谷と走って芦ノ湖畔にいたる。すでに茅ヶ崎には誰もおらず、大平台も車いすでは近寄ることさえできないのだが、駅伝のたびに私のふるさと中継をやってくれるようで、感謝している。
2012年01月07日
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