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それは 昨夜、仕事が終わっての帰り道・・・。車のラジオから a-ha の 『 Take on me 』 が流れてきて、あまりの 懐かしさに、曖昧な カタカナ英語で歌詞を口ずさんでいた・・・そんな時でした。プファン! プファ~ン!それほど 大きくないとはいえ、甲高い クラクション が2回鳴ったのは・・・。何事かと思い見たバックミラーに映っていたのは、私が少しでも急ブレーキを踏めば、ぶつかるのは確実と思われる車間距離で真後ろを走る、なんとも イヤ~な雰囲気 の一台の車。“ どけどけ~ 邪魔だ邪魔だぁ~! ” といった クラクションかとも思いましたが、邪魔になるほど ゆっくり走っていたワケではなく、そもそも 片側二車線で 道幅も広い主要幹線道路の左側を走る私の車の右側は、車やバイクどころか 犬さえも走っていません。先に行きたければ、とっとと 抜いていけばいいのに、さらに2回のクラクションの後、ヘッドライトを数回 パッシング 。その上、よく見ると その車、わずかに 蛇行 している様に見えなくもない・・・。右の車線に避けて、その車を先に行かせようかとも思いましたが、どうも納得がいきません。かといって スピードを上げると 逃げているみたいでシャクなので、イヤミ なほどに 法定速度厳守で走ることに・・・。 すると、車線変更して加速し始めたので、そのまま行くのかと思いきや、私の車の横まで来ると、スピードを合わせて 並走。横を見ると、テレビのCMにだって そのまま出られそうなほど、周囲の景色が映り込み、テカテカと黒光りした 高級車 で、窓には一分の隙もなく フィルムが貼られ、どちらかというと あまりお近付きになりたくない様な車。さすがに この状況は ヤバイ!私の頭の中では、警戒警報が鳴りっぱなしです。そんな私を覗き込むかの如く、並走する車の助手席の窓が音も無く下がり・・・「 お~い! ○○くん~! 」以前いた会社で一緒に仕事をしていた Sさん ( 仮称 ) が、こっちを向いて、笑顔で叫んでいました。きっと私は 呆気 に取られた顔していたのでしょう・・・「 やっぱ 気付いてなかったんやなぁ・・・」そんな事言われたって、もう 何年も会ってなかったし、まさか Sさんだとは思いもしません。昼間だったら判ったかもしれませんが、私の車のリヤガラスも薄いとはいえ色がついてますので、夜だと 運転している人の顔まで判別するのは難しい。そもそも、あんな 車 で、あんな 運転 するだなんて・・・。 (;一_一)文句のひとつでも言ってやろうかとも思いましたが、正直言って ホッとした気持ちの方が勝っていた様な気がします。それにしても、私には ひとつ、疑問 に思うことがありました。── 当時と今とでは、乗っている車も違うというのに、どうして 私が運転してるとわかったのか? ──車が変わっている事は、誰か共通の知り合いから 聞いたとしても、目の前を走るのが私の車だと判断するのは、車のナンバーまで知っていないと無理でしょうし、たとえ車のナンバーを知っていたとしても、私が運転しているとは限りません。うちの奥さんが運転しているかもしれないし、友人が代わって運転しているかもしれない・・・。運転していないどころか、乗っていない場合だって 無いとは言えません。ミステリー小説風にいうと 『 日常に潜む謎 』 といったところなんでしょうけど、現実は 小説ほど 劇的ではないようです。噺家や司書、社内報の編集長や女流作家なんて探偵役が登場するまでもなく、答えは 当事者からあっさりと明かされてしまいました。目の前の信号が赤になり、しばし並んで停車した時に・・・「 ん? あぁ、 さっき セブンイレブン行ったやろ? わしも おってん 」なるほど・・・。 (^。 ^a;)確かに行きました。 タバコと赤ボールペンを買いに・・・。Sさんには 申し訳ないですけど、私は 全く気付いてなかったです。お互いに近況を ほんの少し話した頃には、信号は 赤から青へと変わってしまい・・・「 そんじゃなー! 」そんな一言を残し、排気量4000cc のエンジンに物を言わせ、滑るように 走り去って行きました。郷ひろみ と同級生と聞いた事があるので、今年で 50歳 になったはずの Sさん。あの人は、知り合いの車を見掛けたら、いつも あんな事をしているのだろうか ・・・ ええ歳こいて ・・・ (^_^;)PS. ふと気付くと、車のラジオから流れていた 『 Take on me 』 は いつの間にか終わってしまったらしく、サビで 『 ♪ 並フェイス DE 大きい筆入れ ♪♪ 』 と聞こえる、懐かしくもない曲が流れておりました。
2005年10月30日
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先日、この街で一番大きな ホール を有する文化会館で、小・中学生や高校生のクラブやサークル等の 合同発表会 という様な趣きのイベントがありました。バントや太鼓、歌にダンス、そして 吹奏楽団と、総数16組が出場。うちの息子 (小3) も出場するので、会場まで送ってあげ、そのまま 観覧することになりました。客席は立ち見になるほどの混み様でしたが、息子は私とは違って肝が据わっているのか、緊張もせず、いつも通りできららしく、一緒に出場した子供達も一様に 満足気 な様子でしたので、練習の成果が発揮できたのでしょう。立派な賞まで頂く事ができましたので、子供達にとっては、色々な意味で いい経験 となった様に思います。 (^^)ステージから 一生懸命さが伝わってくる様な発表が多く、印象に残るグループも幾つかありまして、特に印象に残っているのが 2組目に登場した アマチュアバンド。始まって早々に、ギターの 弦 が切れてしまうトラブルに見舞われながらも、なんとか立て直そうとする姿を観ていると 、心密かに応援し、演奏終了した時には、周りの誰よりも 大きな 拍手 を送っていました。もう遠い昔の話となってしまいましたが、高校・専門学校と、学生の頃、キーボードをしていて、バンド活動もしていた私は・・・─── 俺も 昔 、 こんな事 あったよなぁ ───そんな思いで、在りし日の自分をダブらせていたのかもしれません ・・・・・・「 お前はええよなぁ。 どうせ サポートやと思ってんねんやろうし・・・ 」18年程前、小さいとはいえ ホール 言っていい会場で、8組ほどのアマチュアバンドが集まってのLIVEがあった日、出番が終わって控室に戻ってきた私に浴びせられたのは、3人の冷たい視線と かろうじて聞き取れた そんなセリフでした。その日、私は、ひとつ年上のF先輩と 『 T-SQUARE 』 の コピーバンドとして出場すると共に、同級生数人で組まれていた 『 尾崎豊 』 のコピーバンドの サポートメンバーとして出場する事になっていました。その “ 尾崎豊バンド ” はキーボードがいないという事で、サポートを頼まれたというのに、サポートをするはずの私が 大失敗 の原因を作ってしまったのです。当日、先輩と 二人だけで 『 T-SQUERE 』 の曲を演奏する事になっていた私は、デジタル・シンセサイザーのキーボードをメインに据えて、自動演奏させるシーケンサーやリズムマシン、複数の音源モジュールとアナログ・シンセサイザー等を集中制御できる様にシステムを組んでいました。それ故に、十分すぎる程、事前のシステムチェックをして本番に臨んだのですが、いざ演奏を始めると、場違いなパーカッションの音が鳴り出したり、関係ないフレーズを突然演奏し始めたりと、思いもしない事が起きてしまい、客席からは 失笑 まで・・・。私は、なんとかしようと試みてはみるものの、どうにもならず、これ以上 暴走 させるワケにもいかないので、システムを一旦 停止させました。目に 涙 を溜めながらマイクに向かっていたボーカルはもちろんのこと、あの状況で最後まで演奏を止めなかったバンドのメンバーに、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうと同時に、頭の中は真っ白で、気が付くと “ 尾崎豊バンド ” の出番は終わっていました。今 振り返ってみても、何が原因だったのか わかりません。ですが、そのあと 『 T-SQUERE 』 の曲を演奏する際には、その様な現象は起きなかったので、システムのトラブルではなく、操作に何か ミス があったのだろうし、たとえ システムトラブルだとしても、責任を果たせなかった私には、弁解の余地など、あるはずもなく・・・。全ての出番が終わって控室に戻った時に、謝っても聞いてももらえず、 いっその事、掴みかかられるくらいの方が マシだったかもしれません。音楽は聞くもので、楽器は授業で習う程度という私が、キーボードをやり始めたのは、高校生の頃、友達のバンドが分裂し、欠員の補充に誘われたのが、そもそものきっかけでした。高校時分は 文化祭で演奏する程度だったのが、専門学校に通う頃には、いくつかの バンドを掛け持ちしつつ、比較的大きなホールでLIVEをしたり、レコーディングスタジオでデモテープ作ったりする様にまで・・・。そんな私も、この一件の事だけが原因ではないのですが、その後、楽器は続けながらも、バンドとしての活動や、ステージに立つことは やめてしまいました。今では、楽器を触ることさえなくなってしまいましたが、久し振りに してみるのも悪くないかと、今回息子が参加したイベントを客席から観ながら、ふとそんな事を思った次第であります。
2005年10月17日
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まさか、そんなことを 言い出すなんて ───掲示板サイト 『 2ちゃんねる 』 の書き込みが基となった 『 電車男 』 。“ 実話ではない ” と言われたりもしていますが、困っている美しい女性を、冴えない男が助けた事から恋が始まる という 古典的と言ってもいい様な、この物語にハマってしまった人は、私の周りも多くいて、テレビ・ドラマ版 を 毎週楽しみにしていた うちの奥さんも その中のひとりです。普段は本を読む事も無く、それどころか読もうとさえしないというのに、掲示板の内容がまとめられた本に興味を示したり、映画版も観たがっていましたので、先日 放送されていた 特別編 ( 電車男・もう一つの最終回SP ) は、当然見ていると思ったのですが、そうではないらしく・・・「 電車男はもうええわ。 純愛やと思って観てたのに、最終回があれではなぁ ・・・ エルメスの、あのエロっぷりで引いてしもたわぁ 」最終回の告白以後のエルメスには、私も 違和感 がありました。映像としてはキスシーンまででしたが、寄り掛かる仕種や表情は なんとも言えない エロさ漂う 雰囲気 で・・・。「 あれでは エルメスやなくて エロメスやん!」確かに・・・。 (^_^)そんな、今となっては どうでもよくなってしまった 『 電車男 』 ですが、このドラマのおかげで、よく こんな事を言われてました。「 ホームページやってるとかなんとか言ってるけど、ホンマは 電車男に出てくる パソコンやってる人達みたいに “ キター ” なんてやってるんやろ?」そんな事、やってないっちゅうのに・・・ (^_^;)うちの奥さん、ワープロ教室の講師をしていた事もあって、文書を入力させたら私よりも、う~んと早くて、キーボードを一切見ない ブラインドタッチ まで 完全マスターしているというのに、その技量が発揮できるのは 今では骨董品となってしまった感もある、ワープロ専用機 のみ・・・。なぜか、パソコンには 苦手意識 があるらしく、触ろうとしませんので、当然ながら インターネットも全くやりません。おかげで、ドラマ放送開始当初は、インターネットの用語など、わからない事があると よく訊かれましたが・・・「 う~ん、 なんとなく わかったんやけどなぁ 」説明してあげても、こんな返事が返ってくる事が少なくなかったので、このHPの事も、随分前に ちゃ~んと説明したはずなのですが、“ なんとなく ” 程度しか わかってなかったのかもしれません。ところが、昨日・・・「 最近よく耳にする ブログ って、日記のことやってんなぁ。 あんたのホ~ムペ~ジも そうなんやろ? 」「 まぁ、そんなもんやなぁ。 日記っていうても 毎日なんて書けてへんけど・・・ 」「 あんたも、私の悪口とか 書いてるんやろ? 」「 悪口なんか 書いてへんやん、悪口は・・・。 それに、あんた も ってなんやの? 」「 『 鬼嫁日記 』 やんか! あんなん書かんといてやぁ~ 」『 鬼嫁日記 』 というのは、今日から始まったドラマで、日記ブログサイト 『 実録鬼嫁日記 』 が もとになったものです。うちの奥さん、このドラマの番組宣伝などを見ているうちに、気になりだしたのだとか・・・。そして、今日は 第1回 放送日。早く帰る事ができたので、私も 放送を見たのですが・・・「 鬼嫁っていうから どんなもんかと思ってたけど、鬼とちゃうやん! まだまだやわ・・・ 」さすが うちの奥さん ・・・ 貫禄のセリフであります。 A^▽^;)そして この後、こんなことまで・・・「 私も やりたい! ブログとかいう 日記みたいなやつって、簡単にできるんやろ?」いつも、パソコンが苦手だと言ってるだけに、まさか そんなことを 言い出すなんて 思いもしませんでした。「 家の事とか、職場であった事とか、そんなん書こうかなぁ 」うちの奥さんの “ 職場であった事 ” というと、以前 『 ま め 』 という題名で このHPに書いた事があります。ですが、私でも 内容が内容なだけに、さすがに その後は書くのを控えています。“ ブログ始めてみたい ” と いうのは、思いつき で言っているだけなら いいのですが・・・・・・ (^ ^a;)
2005年10月11日
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