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このブログを始めたのが今年の1月1日、元旦でしたので、丸1ヵ月が経とうとしています。おかげさまで、ひと月、1日も欠かすことなく更新を続けることができました。これからも肩に力を入れずに続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。さて、本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月3日に熊本機関区で撮影したC57151号機です。原板のポジが色あせて、ほとんどモノクロ写真のようになっていますが、この151号機には緑のナンバープレートがついていたと思います。なお、今日(31日)から、しばらく九州へまいります。現地でこのブログを更新できたらと思い、向こうへパソコンを持っていきますが(もちろん、仕事でも必要なのですが、笑)、宿泊を予定しているホテルの部屋はどうやらLANに繋がっていないようです。首尾よく更新できれば、おなぐさみ、というところでしょうか。このブログをご贔屓にしていただいている方には、引き続きチェックしていただければうれしいです(万一だめな場合、次の更新は2月4日(土)の夜になる予定です)。
2006/01/31
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以前は構内の入換えといえばDD13が当たり前でしたが、今ではほとんど見かけなくなり、そうした仕事はDE10が担当するようになっています。DD13がDE10に置き換わっていったのは、いつごろからなのでしょうか。たぶん、私が冬眠中のことだったのでしょうね。しかし、そのDE10も活躍の場が狭くなっているのが現実です。若い方がた、そう、そこのあなた! 記録するなら今のうちですぞ!(笑)ということで、本日、ディーゼル機関車がテーマの日の「思い出の1枚」は、1983(昭和58)年2月11日に姫路駅で撮影したDE10が牽引する貨物列車です。機関車のあとに続くヨ(車掌車)や黒・茶入り混じったワムの編成など、これこそまさしく日本の正統な貨物列車だったのです。
2006/01/30
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コンパクトデジカメは2台ほど持っていますが、デジ一眼に惹かれつつも、これまではフィルム(ポジ)メインでやってきました。デジ一眼に踏み切れなかった理由の1つは、ニコンユーザーである私にとって、ハイエンド機と入門機の中間機種がニコンのデジ一眼になかったということです。そうした折、昨年末、ついにニコンのD200が発売され、スペックと費用とのバランスも良いことから、私もついにデジ一眼の導入を決意しました。ところが、ニコン党の方は、みなさん同じようなことを考えたと見え、発売と同時に注文が殺到し、私が予約を入れた大阪・梅田のヨ○バ○カメラも150台から200台ほどのバックオーダーを抱えています。そのため、納品は1ヵ月から2ヵ月待ち。私も12月20日に予約したものを、今日ようやく受け取ることができました。でも、ニコンでは、一部の機種を除いてフィルムカメラの製造を中止することが発表されていますし、コニカ・ミノルタもカメラ部門から撤退することが発表されました。フィルムからデジタルへ、時代は明らかに動いています。デジタルの便利さは十分認めますし、印刷業界もデジタルを中心とした仕組みにシフトしています。しかし、まだまだデジタルがフィルムを越えられない分野も厳然として残っています。私のもう1つの趣味である水中写真の世界では、水面をあおったときの太陽光線が水の青に溶け込んでいく絹目のようなグラデーションは、まだまだフィルムの方が数段上回っています。ハイエンド機といえど、デジタル画像は白飛びしてしまうのです。こうした分野はほかにもあるのかもしれません。私自身は当面、陸上はフィルム&デジ、水中はフィルムと使い分けることになりそうです。
2006/01/29
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先日、伯備線で特急「やくも」が線路の作業員をはねた事件が大きく報道されました。大変痛ましい事故で、鉄道ファンとしても胸が痛みます。テレビや新聞ではパープル色の「スーパーやくも」の写真が大きく掲載されていましたが、この写真を見て、ふと国鉄色時代の「やくも」を思い出してしまいました。本日の「思い出の1枚」は、1983(昭和58)年2月11日に岡山駅で撮影した特急「やくも」です。
2006/01/28
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本日のお題は気動車です。私が長い休眠状態から覚め、鉄道写真を再び始めるようになったのは2002(平成14)年のことです。再開のきっかけは、冬の「SL北びわこ号」を撮りに行ったことですが、そのあと、四国・徳島線で走った「阿波四国三郎号」に出かけて完全復活となりました。本日の「思い出の1枚」は、その「阿波四国三郎号」を撮りに行ったときに撮影した徳島線の気動車です。2002(平成14)年5月18日のことで、場所は下浦駅付近です。田んぼの傍に小さな祠があり、それとからめて撮影しました。四国は今でもたくさんのお遍路さんが巡礼を行っている信仰の土地です。線路際の祠からも、そうした敬虔な心を感じることができました。
2006/01/27
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今日は、中国の蒸気機関車がテーマの日ですが、このところ異種重連をご覧いただいていますので、本日もその続きで、撮影場所を中国にしたいと思います。しかし、本日の組み合わせは、前に東風型ディーゼル機関車、後ろに前進型蒸気機関車と、写真を撮る方からすれば最悪の編成です。撮影したのは2004(平成16)年12月28日、場所は中国・集通鉄路の経棚駅です。集通鉄路の経棚峠といえば、雄大な内モンゴルの景色の中を前進型蒸機が重連で爆煙を上げながら越えていく所として、中国鉄道ファンの聖地のような場所でした。しかし、この写真を撮影した2004年の年末にはかなりの確率でディーゼル機関車(東風)が運用されるようになっており、前進の重連は撮影できたらめっけもの、重連でなく単機牽引の貨物でも、ディーゼルでなければ良しとしなければ、という雰囲気でした。そうした状況のなか、マイナス20℃の丘の上で鼻水を垂らしながら待った挙句の前・東風+後ろ・前進重連には正直がっかりしました。しかし、このあと駅に停まった前進のテンダーで石炭のかき寄せ作業や給水作業を撮影することができ、逆光の中、あたり一面に立ち上がる蒸気の中に浮かび上がった作業員の姿は、とても幻想的で、それはそれで貴重な体験ができたと思っています。
2006/01/26
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昨日は蒸機の後ろにディーゼル機がくっついた重連をご覧いただきましたが、本日は蒸機と電機の組み合わせです。本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月4日に鹿児島本線の上伊集院と薩摩松元の間で撮影したものです。この時は鹿児島本線が電化される直前で、蒸気機関車が牽く貨物列車や客車列車に混じって電気機関車の慣熟運転も行われていました。このカットには、D51 1024号機のあとに交流電機機関車がついていますが、パンタグラフが下がっているところを見ると、蒸機にぶら下がりの回送かもしれません。
2006/01/25
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昨日のブログで、中国の無煙化が猛烈なスピードで進んでいることを書かせていただきましたが、かつての日本でも、国鉄の無煙化直前には蒸気機関車とディーゼル機関車(もしくは電気機関車)がカップルになった重連を見かけました。本日の「思い出の1枚」は、そうしたころの写真です。撮影したのは1968(昭和43)年12月29日で、場所は四国の高松駅です。四国は比較的早くに無煙化が達成されましたので、ほかの地域ではまだまだ蒸気機関車が元気に走っているのに、四国ではディーゼルばかりという時代が、このあとすぐに訪れます。私が四国の蒸気機関車を撮影したのは末期のころのようで、前にC58、後ろにDF50がついたこの貨物列車も、そうした過渡期の記録と見ることができます。土讃線の山岳区間などではD51が運用されたようですが、残念ながら私自身は四国のD51には遇わずじまいでした。四国で最後まで残ったのはC58ですが、集煙装置がついた厳つい格好をしています。それにしてもこの編成、前が蒸機(C58)、後ろがディーゼル機(DF50)の並びでよかったと思います。逆だとがっかりしたでしょうね。
2006/01/24
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今日はディーゼル機関車がテーマの日ですが、日本ではなく、中国のディーゼル機関車をご覧いただきたいと思います。私が中国を訪れる最大の目的は、やはり、かの地の蒸気機関車を撮影するためですが、今から30年ほど前の日本と同様、中国では現在、急速に無煙化(ディーゼル化)が進められており、いつまで蒸気機関車を見ることができるのか、予断を許さない状況です。そうしたなかで、昨年秋にも1つの路線が無煙化されました。すでにこのブログでも何度か名前を挙げている内モンゴルの集通鉄路が、そうです。この鉄道は、日本でいうところの第3セクターになるのですが、貨物の運搬が主となっているため、客車列車は1日2往復(うち1往復は気動車)しかありません。無煙化区間は一昨年あたりから徐々に広がっていき、去年の上半期にはかなりの確率でディーゼル機関車牽引の貨物列車が出現するようになりました。そして秋にとうとう終焉を迎えたのです。本日の「思い出の1枚」は、2004(平成16)年8月10日に集通鉄路大板(ダーバン)の機務段(機関区)で撮影した東風型ディーゼル機関車です。この機関車は「民兵号」という名前と装飾がついているだけあり、特別な機関車ということで、カメラを向けると機関士さんに注意され、同行していた通訳さんに事情を伝えてもらって撮影した、ほろ苦い思い出の残るカットです。
2006/01/23
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昨日は「白いかもめ」をご覧いただきましたが、本日の「思い出の1枚」は、「白いかもめ」の車内です。今は九州新幹線が部分開業されたため、そちらの方へ名前を譲り、特急「リレーつばめ」となりましたが、その787系電車や、この「白いかもめ」など、斬新なスタイルをした列車が多いのがJR九州の特徴です。また、「白いかもめ」は外見だけでなく、車内のデザインも非常におシャレです。床は木目調ですし、アートギャラリーの壁に掲げられた毛筆のパネルも「和」の雰囲気を上手に醸し出しています。左側の丸くカーブした部分、実はここ、お手洗いなんだそうです。機能性だけが優先された従来のお手洗いから、がらりと発想を転換し、これまでにない空間となっています。こうした車両が増えてくれば、在来線を利用するお客がもっと増えていくと思うのですが……。
2006/01/22
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今月末から来月の上旬にかけて福岡へ出張する予定になっています。仕事の関係で、これまで何度か九州へ行っているのですが、関西では見られない列車や機関車に遭えますので、わたし自身の中では、ちょっとしたお楽しみになっています。本日の「思い出の1枚」は、昨年の秋、九州へ行った時に撮影した特急「かもめ」です。特急「かもめ」は「ハイパーサルーン」型と「白いかもめ」型の2つに大きく分けられます。本日のカットは「白いかもめ」型の編成です。個人的には、この「白いかもめ」、わたしのお気に入り列車の1つで、格好いいと思うのですが、先頭部の丸いカーブや白くて長い編成を見ていると、何となくモスラの幼虫や風の谷のナウシカに現れるオーム(要するにイモムシ系ですね)を連想してしまうのですが、それってやっぱりおかしいのかなあ……。
2006/01/21
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本日のお題は気動車です。さて、どのカットをブログにアップしようかと、手元のストックを探した結果、四国・土讃線の特急「南風」をご覧いただくことにしました。漫画家のやなせたかしさんが高知県出身のため、土讃線の特急にはアンパンマンのキャラクターが描かれた編成がいくつかあります。内装・外装ともにキャラクターがあふれているアンパンマン列車の評価は、やはり好みによって微妙に分かれるようです。このカットを撮影したのは、土讃線の佃駅と坪尻駅の間ですが、ここには四国三郎と異名をとる吉野川が流れており、長い鉄橋が架かっています。この写真は、鉄橋を渡りきったアンパンマン列車が大きく右にカーブを切るところをアウト側から撮影しました。本日の「思い出の1枚」は、2003(平成15)年8月13日に撮影したアンパンマン列車の特急「南風」です。
2006/01/20
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今日は、中国の蒸気機関車がテーマの日です。昨年、中国の河南省にある英豪線という専用鉄道を訪れたことがあります。ここではC2型蒸機が石炭の運搬を行っています。中国国鉄と接続した英豪という町と、山の上の炭鉱とを結んで、1日に数本の石炭列車が走っています。本日ご覧いただく写真は、山の上の炭鉱で撮影したものです。C2型蒸機のバックに見えるのは、貨車に石炭を積み込むためのホッパーです。地下から掘り出した石炭をベルトコンベアでこのホッパーに運び上げ、そこから貨車に落としていくという仕組みです。これまで私は煉瓦積みのホッパーを見たことがなく、機関車のバックに配置すればロケーション的にもおもしろいと思い、このホッパーと蒸気機関車の組み合わせでかなりのカットを撮影しました。
2006/01/19
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私が住んでいる大阪・吹田といえば、かつては日本一とも言われた貨物ヤードがあり、東海道・山陽道を行き来する貨物を再編成するため、休みなしに入換えが行われ、蒸気機関車の煙で街全体が霞んでいたとも言い伝えられています。しかし、月日が流れて貨物はコンテナが中心となり、今や広大な貨物ヤードも線路が取り除かれ、がらんとした空き地となり、つわものどもが夢のあと、といった雰囲気を漂わせています。貨物にまつわる情景を思い出していると、では、最近の貨物用機関車はどうなんだろう、ということに思いが至り、手元のストックをかき回すと、EF200の写真が出てきました。シングルアームのパンタグラフ、車体に描かれた「INVERTER HIGHTECH LOCO」の文字。いかにも現代的な新鋭機という感じです。というわけで、本日の「思い出の1枚」は、かつての吹田操車場横を通過していくEF200 12号機です。
2006/01/18
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わたくし、写真を撮るのは大好きなのですが、そのあとの整理がなかなかできないという困った性格です。折角撮った写真も、整理をしておかないと、時間が経つほど何が何だか分からなくなる、というのは身に沁みているのですが、1日延ばしにするうち、気がつけば1年以上が経過しているということもざらではありません。そこで、昨年秋から一念発起し、撮ったポジはその月のうちに整理すること。これまで未整理のままになっている写真も、できるだけ早くに遡及整理をすること。この2点を自らに課しました。おかげで随分片づいてきたのですが、それでも今なお、かなりの数のポジが未整理袋の中に眠っています。最近整理したのは、1年2ヵ月前に撮影した「SLやまぐち号」です。このとき撮影した写真は、このブログの本館である「鉄道幻灯館」にもアップしていますが、ポジは未整理のままだったのです。整理にあたって久しぶりにポジを見てみると、それはそれで楽しいものです。本日の「思い出の1枚」は、平成16(2004)年11月27日に山口線徳佐のカーブで撮影したC57「やまぐち号」です。サイドから見たC57、やはりラインが流麗です。なお、このブログのお気に入りリンクの中にも入れていますが、「鉄道幻灯館」の本館へはこちらからどうぞ。http://kumahiroki.hp.infoseek.co.jp/index.htmlGallery2の山口線特集の中に収められています。
2006/01/17
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今日はディーゼル機関車がテーマの日ですが、昨日、ナンバープレートの拓本でブログを書かせていただきましたので、本日もそれの関連ネタをご覧いただきたいと思います。なお、昨日のブログに関し、わが畏友品川530さんから「ナンバープレートは交通博物館の壁面に保存されているよ」とのご教示を受けましたので、これに関する記述については訂正したいと思います。さて、昨日のブログを書いているうちに、確かナンバープレートの拓本を採っている所を記録した写真が残っていたはず、と思ってネガを探してみました。本日の「思い出の1枚」は、1972(昭和46)年8月9日に北海道・石北本線の常紋信号所で撮影した1カットですが、当時の拓本はこんなふうに採っていたんだという記録写真としてご覧ください。49673号機のナンバープレートの拓本を採っているのですが、よく見ると、実際に作業をしているのは機関士さんと機関助士さんのようです。北海道とはいえ、真夏はそれなりに暑いもの。拓本採りを見守る鉄道ファンのいでたちからも暑さが伝わってきます(かぶっている帽子や身につけている服装から、時代を感じますね)。運用と運用の間の休憩時間とはいえ、機関士さんたち自らが拓本採りに協力してくれるなど、今では考えられないことです。大らかな時代でした。
2006/01/16
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蒸気機関車が現役時代、ナンバープレートの拓本を採るのは、それほど珍しいことではありませんでした。拓本と聞くと、今の若い人たちの中には、はあ~? と言う人がいるかもしれませんが、魚を拓本にしたのが魚拓ですから、そういうイメージを持っていただくと分かりやすいかもしれません。先日、筋金入りの鉄道ファンである私の友人がわが家に遊びにきたとき、ふと思い出してナンバープレートの拓本を引っ張りだしてみました。障子紙をナンバープレートに押し当て、ボイラーについている煤をこすりつけただけの極めて雑駁な拓本ですが、ン10年ぶりに見る過去の遺産は、私自身にとっても懐かしい思い出の記念品でした。ナンバーは「C55 3」と「D50 231」の2種類です。友人いわく「これは九州の若松機関区か直方機関区で採ったものではないですか」。まさしくそのとおりで、自分自身でもはっきりとは思い出せないのですが、いずれかの機関区で採録したのは間違いありません。すでに機関車もナンバープレートも、実物は過去帳入りしていますので、拓本とはいえ、このナンバープレート、私自身にとっては、ちょっとした“お宝”です(表装でもしようかしらん。笑)。
2006/01/15
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昨日は松山駅で撮影したJR四国色の気動車をご覧いただきましたが、本日は同じく松山で撮影した伊予鉄道の路面電車をご覧いただきたいと思います。伊予鉄道は市内を走る路面軌道と、郊外へ延びる普通軌道が大手町付近で平面交差しています。異なる形式の線路がダブルクロスしているのは珍しい光景です。タイミングが良ければ郊外型電車と路面電車が交差するシーンを撮影することができます。本日ご覧いただいているこのカットを撮影したあと、私は運良く両者の交差シーンを撮影することができました。そのカットは以前、このブログの本館である「鉄道幻灯館」にアップさせていただきました。しかし、そのシーンをゲットするまでには結構待ちましたね(笑)。本日の「思い出の1枚」は、伊予鉄道の路面電車が1つの画面の中に3両写っているカットです。昨日の「思い出の1枚」は2両でしたので、1両プラスしてみました(笑)。真ん中の路面電車は新しいタイプの車両です。乗り心地の点から言えば、断然この電車の方が良いでしょうね。しかし、旧型車両の方には何ともいえない味わいと風格を感じます。甲乙つけがたい雰囲気です。
2006/01/14
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昔はディーゼル天国だった四国も、予讃線は電化され、ステンレスボディの電車が疾走しています。本日は気動車がテーマの日ですので、同じ予讃線でも、松山以西の非電化区間を走る列車をご覧いただきたいと思います。本日の「思い出の1枚」は、2004(平成16)年2月3日に松山駅で撮影したキハ32とキハ47の並び写真です。両車両ともにJR四国カラーがみずみずしい印象です。予讃線では、少し前に国鉄色のキハが復活しましたが、個人的にはこのJR四国色も捨てがたい気がします。おせちも良いけど、カレーもね、というところでしょうか。このカットを撮影したあと、わたしは左側のキハ32に乗って予讃線(旧線)の撮影に行きました。
2006/01/13
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今日のお題は、中国の蒸気機関車です。蒸気機関車といえば、欠かすことができないのは水と石炭です。機関区(機務段)では、次の業務に備えて給水と給炭が行われますが、大きな機関区ではクレーンを使って給炭を行います。クレーンにもガントリークレーンといった超大型のクレーンから、小型のクレーンまでいくつかの種類に分かれています。以前、中国の内モンゴルにある集通鉄路で、クレーン自体が蒸気で動くものを見かけたことがあります。このクレーン、上半身は起重機、下半身は機関車といういでたちです。積み上げている石炭をならしたり、機関車に積み込んだりするために線路の上をあっちへ行ったり、こっちへ来たりと自走していますが、動くときに出す音は「ボッ、ボッ、ボッ、ボッ」と、蒸気機関車と全く同じ音色です。外見はクレーンですが、音を聞くとやはりこれもSLなんだ、と思ってしまいます。というわけで、本日の「思い出の1枚」は、2004(平成16)年12月に中国は内モンゴル、集通鉄路のホルク機務段で撮影したスチームクレーンです。後方に見えているのは前進型蒸機ですが、この集通鉄路は昨年秋にディーゼル化され、こうした光景も今では過去のものとなってしまいました。
2006/01/12
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本日は電気機関車がテーマの日です。昨年の夏は、関西始発の九州ブルートレインである「彗星・あかつき」と「なは」が統廃合されるということで、よく“朝練”に行っていました。長い歴史を持った「彗星」は昨年秋で姿を消し、「なは」と「あかつき」が1つに併結されて山陽路を走ることになりました。このダイヤ改正により、EF65PFの牽く関西ブルトレはなくなりました(関西に来るという意味では「出雲」と「銀河」が残っていますが、東京始発ですので純粋な関西ブルトレとは言えません。また、そのブルトレ「出雲」も廃止が決定されました)。先だって7日の日に国鉄色の「雷鳥」をご覧いただいた時に書きましたが、「なは・あか」になって初めて、久しぶりに“朝練”へ行ってきました。本日の「思い出の1枚」は、今年の初撮りで撮影した大山崎のサントリーカーブを立ち上がってくる「なは・あか」です。
2006/01/11
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昨日は成人の日でしたので、きれいな振袖を着たお嬢さんに至る所でお会いました。私としては成人の日を鉄道写真として捉えてみたいと思い、最寄りの駅に出かけてきました。ちょうど成人式が終わり、帰ってくる時間帯だったようで、新成人は、男性も女性もくつろいだ表情で電車から降りてきました。本日の「思い出の1枚」は、そうした中の1カットです。このお嬢さんは、この写真を撮る15分前くらいからホームで友人を待っていたのですが、到着した電車からお目当ての知り合いが降りてきた、まさしくその一瞬に見せた表情です。明るい笑顔がとても印象的で、思わずシャッターを切りました。わこうどの未来に幸多かれ、と祈ります。
2006/01/10
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今日はディーゼル機関車がテーマの日です。本日の「思い出の1枚」は、1971(昭和46)年3月に山陰本線の保津峡で撮影したDD54 2号機をご覧いただこうと思います。DD54は幹線用のDD51に対し、亜幹線用として1966(昭和41)年に誕生し、計40両が製造され、主に山陰地方で使用されました。機関および液体変速機に西ドイツのメーカーの技術を導入した画期的な機関車でしたが、故障が続き、十分な活躍をしないまま10年余りで全機廃車となった悲運のディーゼル機関車です。このうち、1号機から3号機までは試作機で、前面窓部分の傾斜角度や前照灯の位置が量産型とは異なっています。手元に残っているネガを見ると、この日、保津峡で撮った写真は9カットしかなく、そのうち鉄道を撮影したものは3カット(気動車が1カット、DD54が2カット)だけです。なぜ保津峡へ行ったのか。なぜ3カットしか撮影しなかったのか。35年が経とうとする今となっては、その理由が思い出せません。また、撮影したときにはDD54がほどなく姿を消す運命にあるなどとは、思いもかけませんでした。今は、たとえわずかであっても、悲運の機関車DD54を撮影できた幸運を喜ぶべきなのでしょう。
2006/01/09
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最近は、女性の車掌さんが増えましたね。私が通勤に使っている阪急電車でも、女性車掌さんのアナウンスを聞くことが多くなりました。以前は「お?!」と思ったのですが、今はことさらに感じることはなくなりました。ソフトな口調が耳に心地よいと思います。男女平等の世の中ですから、乗り物の世界だけ男性社会というのも変な話ですしね。わたしは鉄道現場で女性が増えるのは大歓迎です。ということで、本日の「思い出の1枚」は先日、阪急山田駅で撮影した、発車直後に車内から後方を指差し確認する女性車掌さんです。白い手袋が印象的です。
2006/01/08
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大阪では、まだまだ国鉄色の列車を見ることができます。1つは特急「雷鳥」、もう1つは特急「北近畿」です。先日、相生の保存中国蒸機を見に行く前に、関西の定番撮影地の1つである大山崎の、通称「サントリーカーブ」へ友人と一緒に行ってきました。目的は関西ブルトレの「あかつき・なは」を撮影することだったのですが(この時撮影したカットは来週にでもご覧いただきたいと思います)、その時「サンダーバード」に混じって国鉄色の「雷鳥」も撮影しました。線路際、かぶりつきの編成写真は鉄道写真の基本です。どちらかというと情景写真に流れることが多いわたしですが、たくさんのファンにまじって線路際に立つと、やはり基本は大切にしなければ、と思います。同時に、ファンから高く支持される国鉄色も1日でも長く走っていてもらいたいものです。本日の「思い出の1枚」はサントリーカーブを通過する国鉄色の「雷鳥」です。
2006/01/07
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本日は気動車がテーマの日です。1ヵ月前に訪れた九州では、久大本線をメインの撮影地としましたが、日田英彦山線にも足を延ばしました。この路線では、筑前岩屋と大行司の間にあるめがね橋が昔から有名で、好撮影ポイントになっています。この区間では線路が山沿いを走っており、そのためにアーチ橋が数ヵ所存在しています。それぞれに味わいがありますが、筑前岩屋駅に近いアーチ橋が、通称「めがね橋」と呼ばれているようです。日田英彦山線では、朝夕はキハ47が2連で走っているようですが、日中の乗客が少ない時間帯はキハ120が単行で運用されているみたいです。JR九州の列車には、明るい黄色や赤がボディカラーとして使われており、南国九州には似合っていると思うのですが、日田彦山線のようなローカル情緒あふれる路線では、やはりキハ47のような、昔ながらの白地に青いラインの塗装が合っているような気がしました。本日の「思い出の1枚」は、日田彦山線のめがね橋を渡る黄色い単行気動車です。
2006/01/06
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昨日は相生市に保存されている人民型蒸機をご覧いただきましたが、本日は、もう1両保存されている前進型蒸機を本日の「思い出の1枚」としてご覧ください。人民型蒸機の車輪配置は2C1のパシフィック型ですが、前進型は1E1となっています。前進型は中国でも実車を撮影していますが、人民型は今回初めて見ました。保存蒸機を見に行こうという誘いを受けた時には、もっと小さい蒸機かと思っていたのですが、予想を上回る大きさで、遠目には前進型とあまり変わらないくらいに感じました。この機関車が客車を牽くさまを見てみたかった、というのが実物を見た感想です。中央公園に保存されている前進型と人民型の蒸気機関車は、中国で製造されたのち、昭和58(1983)年に日中国交正常化10周年を記念して日本へ運ばれ、横浜と神戸の港町で展示されたのち、中国発祥の祭りであるペーロン祭が相生市で毎年盛大に開かれていることにちなんで、日中友好のシンボルとして展示されるようになったものです。昨日の写真に田駄雄作さんがコメントを寄せてくださっていますが、前進型は新車のまま日本に運ばれてきて相生に展示されましたので、中国の鉄路を知らないまま一生を終える機関車ということになります。アスベストの飛散を防止するためには仕方のないことですが、日本で保存されている数少ない中国蒸機ですので(人民型蒸機に至っては世界で唯一かもしれません)、何とか手立てはないものかとも思いますが、これは言っても仕方のないことなのでしょうね。
2006/01/05
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いつも一緒に中国へ行っている東京の畏友が京都の実家に帰ってきましたので、昨日は、彼の提案で兵庫県相生市那波南本町の中央公園に保存されている中国蒸機を撮影しに行ってきました。保存されている機関車は1982年製造の前進型QJ6200号と1960年製造の人民型RM1163号です。前進型は今なお本国の中国においても現役で活躍していますが、もう1台の人民型は、中国でもすでに姿を消しており、本国での保存車両もないことから、世界で唯一残っている人民型蒸機ということになります。祖国から遠く離れた異国の地で保存されているのに数奇な運命を感じました。前進型は現存する蒸気機関車で最大のもので、昨年までは集通鉄路でもその雄姿を見ることができましたが、ついに終焉を迎え、その巨大さゆえに活躍の場が狭められています。友人は年末に前進型蒸機が活躍している数少ない路線の1つである大古線に行ってきて、昨日はその話をじっくりと聞かせてもらいました。ただ、これら2台の機関車から基準値の6倍近いアスベストが確認されたため、近く解体されることになっています。現状では飛散の恐れはないものの、鉄部の腐食により周辺のテニスコートやグラウンドに飛散することを考慮し、撤去されることが決定されたそうです。昨日の訪問も、解体される前に一目見ておこうということで行ったわけです。本日の「思い出の1枚」は、相生市那波南本町の中央公園に展示されている人民型蒸機をながめるご近所の方です。
2006/01/04
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お正月モードでマッタリしているので、お休みついでに昨日、自宅前の駅(阪急山田駅)にカメラをもって出かけてきました。通勤で乗り降りするものの、普段は撮影などしないので、逆に新鮮な感じがしました。上り・下りの駅進入や停車中の編成写真など、お決まりのカットを撮影したあと、運転士さんや車掌さん(最近は女性の車掌さんも増えました)をスナップさせていただきました。お仕事中の真剣な眼差しや、きびきびした指差し確認の動作は、やはり見ていて気持ちがよく、格好良いものです。本日の「思い出の1枚」は、列車の発車に伴い、後方確認をする運転士さんです。
2006/01/03
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冬休みに入り、久しぶりに城東貨物線へ撮影に行ってきました。年末年始はウヤになる可能性が高いため、もしかすると運休になっているかもしれないと思いながら、夕暮れの吹田行きを待っていました。陽が大きく西に傾いた午後4時半前、DD51が牽くコンテナ貨物が近づいてきました(ちなみに、同じスジの貨物は大晦日、ウヤになっていました)。各地では次第に更新色が増え始めているDD51ですが、吹田近辺では原色のDD51がまだまだ健在です。いつもの場所で、いつものDD51。やはり安心できるひとときです。
2006/01/02
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あけまして、おめでとうございます。これまで私のホームページの掲示板で続けていた「本日の思い出の1枚」ですが、以前からブログとして独立させてみたらどうか、というお薦めがありましたので、新年を機会に「ブログ 鉄道幻灯館」として立ち上げました。曜日ごとにテーマは決めていますが、もちろんこれにはこだわらず、気の向くままに書きつづっていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。さて、本日の思い出の1枚ですが、新年にふさわしいカットを、と思ったのですが、いざ、探すとなると難しいものです。そこで、ちょっと珍しい写真として思いついたのが、昨年の夏、ダイヤ改正前に撮影したEF66が牽引する特急「なは」です。関西ブルートレインとして長い歴史を誇る「なは」ですが、通常の牽引はEF65PFが担当しており、EF66が先頭に立ったことは、これまで数えるほどしかなかったそうです。このときも最初、遠くで見たときは、何か変だなあ、と思いましたが、近づいてくるにつれ、疑問が驚き、さらには狂喜へと変わっていきました。
2006/01/01
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