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今日午前中三番目の息子が通う保育園で生活発表会があり、見に行ってきました。昨年と比べると恥ずかしがらずに出来ていたので、少しは成長しているんだと思ってきました。うちの三番目は3月生まれなので、同じ年齢の子ども達と比べてしまうと、生長が遅いのでは、というか、まだまだネネだなぁって思ってしまいます。3月生まれはかわいそうですね。下手すると同じクラスでも、一歳近く違うんですよね。実を言うと私も三月生まれなんですけど。
2005年11月30日
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【漁師の本ししゃもセットS】 このあいだ楽天でたのんでいた本柳葉魚が昨日届いています。昨日はお七昼夜さん(おしちゅやさん)とゆうがた法事があり、食べられず、今日も黒部までお説教に息そして夜会合、今日もダメそうだ。明日もお説教があり、明日の夜になってやっと食べることが出来るだろうか?今日明日ともお説教に出かけるが、それぞれの友人が都合つかなくなり代打で行きます。代打でなく本命でお呼びがかからないものだろうか。そのためには一回一回精一杯お話してくるしかないんでしょうね。私柳葉魚のこと、ついヒシャモって打ってしまいます。「し」と「ひ」の使い分けが出来ていません。これは方言的なものが原因なのか、それとも私の耳が原因なんだろうか。
2005年11月28日
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ごぼはんだより123号を何とか仕上げました。ほとんど手抜き状態ですが、よろしければご覧になってくださいこちらからどうぞ
2005年11月26日
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最近小学生を対象とするスポーツ教室がはやっている。少年野球、少年サッカーのチームも増えている。子どもの大量区蔵教というてんてはよいことなのだろう。うちの三人の息子達も週一回水泳教室に通っている。おかげで風邪をひきにくくなったような思いが私の中にはある。だけどこうなっていくと遊びとしてのスポーツという意識がなくなっていくのではないだろうか。名づけて草スポーツと言うものだろうか。一生懸命やれば勝つことを挑む、チームが勝つためには練習しかない。そうすることによって技術体力がつく、しかしそこには経験者とそうでない人の間では差がついてしまう。そうなっていくと下手好きという段階がいなくなってしまうのではないだろうか。私はスポーツが好きというわけではない。音痴といった方が良いのかも知れない。だけど私が小学生の頃よく草野球をした。軟らかいボウルと、そこら辺に落ちている枝や竹などバットになりそうなものを探してきてやっていた。公園を占領したり、収穫の終わった田んぼでやったりして遊んでいた。その中で上級生がうまくない人にはハンディーキャップをつけたりして楽しく遊んでいた。今その光景があまり見受けられない。野球好きは少年野球団に入部って感じだ。専門化していくばかりだ。そうなると練習や試合ばかりになり、遊びとしての野球が存在しなくなっているのではと思う。このままで行けば野球人気、いや、スポーツ人気は落ちていくだろう。反対にプロレスなどのいわゆる格闘技系がはやっていき、人間から血が沸き出すことを喜び、人が苦しんでいることを見て喜ぶようなものがはやっていくのだろう。
2005年11月26日
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今日お参りの途中自転車がパンクした。片側一車線で両側に歩道のある結構車の交通量の多い道を横断した後後ろの逮夜の調子がおかしくなり、みるみるうちに空気が抜けていった。パンクがと思い自転車を押して帰ることにした。未だ半分しかお参りが終わっていないのにとブツブツ思いながら帰った。ちょうど、帰り道に2件お参りをする言えばあったのでしながら帰った。本当はお参りせずに帰ってしまおうかとも思ったんだが、思いと止ってお参りしながら帰った。家に帰り後ろの逮夜を点検してみると、カラスの割れたようなものが刺さっていた。原因はこれかと納得した。パンクを修理することを考え、刺さったものをそのままにして 自転車を嫁さんのと乗換えて後お参りした。ゆうがた嫁さんに車に乗せてもらいカーマ21まで、パンクの修理材を買いに行った。ついでに…、というか、パンク防止剤というものがあったので一称に購入した。明日朝直すことにして、今PCの前に座っている。サギサカパンク 修理セットサギサカ パンク防止剤(予防・修理)
2005年11月25日
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最近結構気に入って聞いているラジオ番組がある。それはJFN系、というか東京FMって書いた方が良いのだろうか、水曜日深夜3時から、私たちが使っている日付で言えば木曜日の朝AM3から放送している「ウオンテット水曜日だ」。正体がよくわかっていないのだが、 菊地成孔という人と、大谷 能生が、パーソナリティーだ。この人達は音楽関係者のようだ。どんな番組かというと、ある意味いろんなことをしっている人達が昼下がり喫茶店に集い、訳のわからない冗談や雑談を大きな声で喋っている。それをまわりで耳立てている。そう言う番組なんです。なんか気に入っちゃいまして意識して聞いてています。時にはラジオをつけっぱなしで寝て、時には気力で起きて聞いてています。だから最初から最後まで聞いているわけではないんですが、聞き出すと目がさえてしまいます。その内の大谷何某という人が今度「菊成孔セレクション ロックとフォークのない20世紀」という本を出す?出したというので、注文しました。ついでに前出ていた「東京大学のアルバート・アイラー(東大ジャズ講義録・歴史編)」という本も一緒に購入しました。東京大学のアルバート・アイラー(東大ジャズ講義録・歴史編)菊成孔セレクション ロックとフォークのない20世紀
2005年11月24日
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<asahi.comニュース特集 > マンション耐震強度偽造耐震強度偽造問題で、国土講中性が被害者顔をしているが、本当にそうだろうか。確認申請を受理したものの責任、確認検査したものの責任、確認検査機構として認可した国(国土交通省?)の責任。そんなものもあるんではと思うんです。こういうことを見逃した責任というのはないんでしょうか。それと安ければいいという私たちの生活姿勢もあるのかも知れないと思うのです。同じ機能と表示されていればつい安い方を買ってしまいます。安全保証料っていう考え方もあって良いと思うんです。って言うか、「何故安いんだろう」っていう疑問を持つことが大切なんだっていう気がしています。わからないことは専門家に任せっきり、そういう私のありようも同じ質なのでしょう。専門家を神様にしてしまう、専門家は素人を遠ざけるそういう私たちの根本的な生活姿勢みたいものがこの事件を引き起こしているのではないでしょうか。そう私は思うんです。一億総懺悔を太平洋戦争の時になったといわれていますが、このことを呼びかけた人は戦争を起こしたことを国民みんなが懺悔しなければいけないと主張したのではなく、戦争に負けたことを臣民としての国民が天皇に懺悔しなければならないっていう意味でそう言ったそうです。誰がそう言ったと言うことは忘れてしまっていますw
2005年11月22日
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花王バブ古都の散策寝る前にちょっと書き足し。この間いわゆるドラッグストアーで、散策しているとバブに古都の散策というのがあって思わず購入しちゃいました。紅葉とかいろんなフレーバーが入っている詰め合わせみたいやつでした。それとドラッグストアーっていう表現、、最近ちょっと抵抗があります。ドラッグイコール麻薬っていう思いがあるんで、気になってしまいます。でもアメリカでもドラッグストアーみたいですね。
2005年11月20日
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ちょっと何故か楽天でのニックネームを変えたくなって変えてみました。そう大変わりはしてないのですが、プチ変身みたいものです。今日から本山の報恩講がはじまるというのに、今日も隣寺の報恩講があります。このお寺は平生はお参り愛はしていないのですが、この間代務住職を引き受けたお寺の関係でお参りに行きます。そこで登高座というやつをしなければいけません。あさって初デビューってやつだったんですが、でも事情あって初デビューは一昨日終わっています。なれないからということもありますが、あまりすきにはなれません。気が重みです。私の住む富山県では、一般家庭にお手次ぎのお寺があるように寺院にもお手次ぎ寺があります。漢字でどう書くのか解らないのですが、「あいじょうこう」っていっています。でもこれはそんなに珍しいことではないんですが、どこ方の地域と違っているかというと、報恩講の満座では登高座を当寺の住職がするのではなくお手次ぎのお寺にしていただくのです。また当寺住職は基本的には本間には入らず余間に座ります。人数の関係でそうでないこともありますが、いわゆる上座には座りません。隣寺のお寺さん方々にお勤めをしていただくんだというスタンスをとるんです。私は余間に座らずに外陣に座り、助音のお手伝いをするのですが…。これは今の大谷派の儀式作法からいうと違うようなのですが、お勤めしていただくというこの精神を私は大事にしていきたいと思っています。我が報恩講は勤めていただき聴聞するんだ、ということなんでしょうね。隣の石川県では、いわゆる「あいじょうこう」はいわゆる式事役をするそうです。今本山のHPにいっって報恩講にお参りにこられた方々に配るしおりを見ましたが、小川一乗さんの言葉難しいですね、というか堅いですね。専門用語を連発せず、現代用語というか平易な言葉で表現してほしいもんですね。これが難しいんですがね。こういう聞き慣れない言葉を聞いて有り難く思われる方もおられるのでしょうが、でもね~。彼が今所長をしている教学研究所のいましなければならない仕事って考えると、私が求めている教学研究所の仕事というべきなんだろうけど、じ~ちゃん、ば~ちゃんが解る言葉で表現し泣ければって思ってしまいますw。教学研究所から教化学研究所へ、っていうか。教学ということを雲の上に上げないでほしいって思ってしまうんですよね。何かグッチっていたら五時半になってしまった。ちょっと一眠りしようっと。
2005年11月19日
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昨日のお昼にゲンさんにお別れを言ってきました。寝ている、そんな感じでした。悲しかったです。今日は葬儀です。今頃荼毘しているところだろうか。もうあのだみ声で、というかドスのきいた声で「お~い」という声聞くことはできないんですね。本来なら葬儀にお参りしたいのですが、いろいろと気兼ねをしてしまします。たくさんのお参りだから申し訳ない法衣を着てお参りするとお布施を頂くことが心苦しいだから最近は友人の時、衣を着ずにお参りに行くか、葬儀でない日にお弔いに行くようにしています。 これでも結構気を遣うんですよ。
2005年11月19日
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asahi.comニュース特集<鳥インフルエンザ>インフルエンザの季節が近づいてきましたね。今年は鳥インフルエンザのことがあってちょっといつも以上に敏感になっています。鳥インフルエンザの大流行がささやかれていると、気にしちゃいますよね。私はインフルエンザのワクチンは学校で昔したような気があるんですが、お金を出して、そして自分でお医者さんに言ってワクチンを打ったことはありません。でも今年はやってみようかと思っています。効き目はほとんどないと思うのですが、鳥インフルエンザの対策のためにしてみようかと思うんです。死ぬのがこわいですからね。藁をも掴む思いというやつで…、知識がない中で、鳥インフルエンザの対策として考えられるのはこれぐらいしか思いつきません。普通のインフルエンザのワクチンを打ってもかからないというわけではないということは認知しているんですが、でも症状を抑える可能性は少しあるんじゃないかという思いが少しあります。そういう最善というよりはもしかしてというところで、ダメもと精神で、何もしないよりはいいだろうというところで今年は初体験してみようと思っています。噂によるとお医者さんによって予防接種の値段が違うらしいです。本当かな。何で違ってくるんでしょうかね。安かったら効き目が違うとか?そんなことはないでしょうけどね。この文章を書き込む前にちょっとインフルエンザについて少しだけ勉強させていたサイトがあります。参考までに貼っておきます。http://plaza.rakuten.co.jp/yokohama1581/diary/200511120002/
2005年11月18日
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紀宮さま、黒田慶樹さんと挙式 「黒田清子さん」に(asahi.com)おめでとう紀宮でなく清子?ところでなんて読むの?きよこ?さやこだって。初めて知った。一人の人間が結婚したこと、本当にめでたい。天皇制についてそんなもん必要なんか、って思っている私もめでたいと思った。めでたい、めでたい、何がめでたいかっていうと彼女が日本国籍を取得できたこと。日本国民になったこと本当にめでたい。これからは日本国民として法律によって基本的人権が保障される。ある意味で人間として生きていこうと思えば生きていけるのだ。思えばだけどね。でも、天皇の子、元皇族というのがずっとついてくるだろうが。昔でいえば準皇族といったんだろうか。。本人がそういう肩書きから逃げようとすれば一人の人間として生きていける。しばらくは一人の人間として生きる訓練をしなきゃいけなんだろうが。とにかくめでたいめでたい。祝日本国籍取得! 法の下で人間として生きることを保証されておめでとう!天皇という身分が無くなり、そして皇族という身分もなくなり、一日も早くその人々が日本国民になれることを願うばかりである。
2005年11月16日
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先ほど知人が亡くなったことを聞いた。ちょっと驚いている。 げんさんと親しく呼ばさせていただいていた。ゲンさんは真宗用語をもじって三癌転入だと自分の病気をギャグにしていた。彼は自分に真宗の今の最大の課題は同和、靖国だと教えてくれた一人である。 話しによれば今月初めにあった自坊の報恩講と次に住職になる人の入寺式には出席していたそうだ。急変したのか我慢していたのだろう。報恩講と入寺式が終わって気が抜けたのだろうか。 さっき彼がやり残したと思っていたことは何だろうかとかんがえていた。でも頭に思い浮かんではこなかった。 とにかくゲンさんは私(たち)を反差別、差別のない世界へつながる道を歩み続けるために引っ張っくださった方には間違いない。 だから彼がいなくても、歩み続けていこう。一人の道先案内人がいなくなったのでめちゃくちゃ迷ってしまうかもしれないが、歩み続けていこう。 一時の思いかもしれないが、そう思った。
2005年11月15日
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12日~13日まで長男朋生と次男真生は富山教区の児連の交流会で石川県の白峰村へ行ってきました。私は昨日報恩講の助音。連れ合いは私の送り迎えと今日御門徒の方々がユキツリをしてくださっているので、そのいろいろと。白峰村は白山の麓です。私も行ったことがあるのですが、美肌の湯と化石が掘り出すことの出来る施設があるところです。結構良いところです。朋生にデジカメを私写真を撮ってくることを依頼すると80枚も取ってきました。実はまだまだ取りたかったようですが、電池切れだったようです。
2005年11月14日
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本田美奈子という人がこの世の生を終えていった。白血病と闘いながら死んでいってしまった。テレビがこんなに取り上げるとは思わなかった。有名人が若くしてなくなったからだろうか有名人が白血病で亡くなったから何だろうか自分には今一つここまでテレビが取り上げる訳が見えてこない。彼女は私と同年代。昔よくテレビの中で見かけた。歌も上手だった。好きなタイプのアイドルだった。でも彼女、死ということを一人称で自覚したときどう思ったんだろう、どう生きようとしたのだろう。興味はある。しかし、彼女の死が私の死の自覚にはつながってはいない。私は何時か必ず死ぬんだということは理解することはできても、そのことに頷けず生きている。やっぱり他人事の死だ、どこまで行っても。こんな自分が何となく情けなく思えてくる。情けなく思わなければいけないのだろうと感じる。とにかく嫁さんが最近よくテレビで流れている本田美奈子のアメイジングレイスがほしいというので注文した。■送料無料■本田美奈子 CD+DVD【アメイジング・グレイス】 10/19
2005年11月12日
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ごく親しい知人に末期ガンの人がいる。本人に告知済み。今の医療は本人に告知することが結構当たり前になってきているようだ。本人は自宅で死を迎えたいらしい、もしくは一時帰宅でもいいからというのかもしれない。しかし家庭の事情で帰れない。その人のつれあいは高齢で、またからだがそんなに強くない。息子さんも家などの仕事が忙しいらしい。同居していた家族はそれだけ。娘は結婚して子供を持ちなかなか家をでれないみたい。帰りたい気持ちはわかるが、無理なんだろうとしかいいようがない。何故家に帰りたいのだろう。そのことが大事なのかもしれない。少しでも家族と一緒にいたいのではって思う。生きていることを実感じたいのかもしれない。同室の患者さんも死を待つ患者さんらしい。もしかしたら姥捨て山状態になっているのかもしれない。そう思っているかもしれない。そう思ってしまうとなかなかそこに居たくはないだろう。 これを知る私はどう動くべきなのか。思いはいろいろあるけれど動きがとれないのが実際。車は運転できない…、忙しい…。いろいろいいわけが出てくる。せめて、せめて自分が死に向かって生きていることを実感するために、そして如何に生くべきなのかを考える教材として出遇っていくしかない。
2005年11月12日
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今の杉浦法務大臣は弁護士であり、大谷派の「門徒」だそうだ。そこで、このあいだ死刑制度について一騒動あった。私は死刑制度があることについては反対だ。コイズミクンみたい人が「死刑制度反対」なんていえば、そうなるのかも知れないが、そういう在り方もあるのだろうが、私はあまりすかない。死刑制度反対の理念に沿った、反対への道とはどういった文なんだろうか。民衆のそう井出っていうことなんだろうけど、そう思う自分はどうその道に向かって歩んでいけばいいのだろう。その事を考えれば考えるほど、道を歩んでいないことも見える。ちなみにこの騒動の記事をスクラップしてみたので気が向けばみてください。杉浦法相「死刑署名拒否」 “サプライズ発言”波紋 省内警戒(gooニュース2005年11月 2日 (水))「舌足らず…」法相、死刑執行拒否発言で改めて釈明 (読売新聞)[Infoseek ニュース2005年11月1日1]「死刑執行のサインせぬ」と発言、すぐに撤回 杉浦法相(asahi.com2005年11月01日02時12分)死刑執行に署名せず 杉浦法相が明言(共同)【gooニュース2005年10月31日 (月) 】杉浦法相が1時間後に発言撤回『死刑署名せず』(ブログヘッドライン)法相「舌足らず」と釈明 死刑制度「世論は二分」とも(asahi。com2005年11月 1日 (火))【gooニュース】インフォシークで死刑制度を(ブログ)検索
2005年11月11日
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【新商品】キャットポケットツイード CIP-600 ハニーベージュ嫁さんがうちの馬鹿猫QOOのためにこれを買った、今んとこ気に入っているみたいだ。自分から中にはいるっていうことはなく入れてやるんだけど、入れるとそこからはなかなか出てこない、寝ている。さっきは中には入らず座布団のようにして上に乗っかって寝ていた。肌触りが良いのかも知れない。嫁さんはダスキンで買ったみたいだけど、今検索すると、ネットの方が安かった。床暖房にスイッチが入ると外出もせずそこで寝てばっかりのうちの馬鹿猫です。
2005年11月10日
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MS-200B先ほど譜面台を注文しました。私は雅楽を少しならっているのですが、本を見るときは今まで見台タイプのものを使っていました。今だいぶ視力が落ちてきたので見台の高さではよく譜面が見えなかったのです。思い切ってこの譜面台を注文してみました。選定の基準は、座っても覩ることの出来る高さ、そして安さでした。最初はこのショップで注文する気がなかったのですが、安さで選んだところでは千円以上買い上げなければならないとのことでしたのであきらめてここにしました。送料含めて二千円ぐらい。まぁ失敗しても良いかという私にとっての値段でした。評価はきてからのお楽しみです。期待しないで待つことにする。値段が値段だから。座ってもみれる譜面台でよいものがありましたら 教えてちょんまげ!(古~い)
2005年11月10日
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しなければいけないことはいっぱいある冷静に考えればでてくるは出てくるはでも今しなければと考えればあまり浮かんでこない消去されていくことばっかり今日は朝からなんにもしていないテレビやPCの前に座っているだけそういう意味で言えば私がいましたいことはネットの世界に入り込むことなのだろうかだからここに座っているのだろう
2005年11月10日
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近所にある大谷派寺院の報恩講にお互いお参りし合っているのが10ヶ寺ぐらいあるのです。今だいたい半分ぐらいは終わったぐらいだろうか。それ以外にも片方向で、というか私がお金をもらうということでお参りをさせていただいているところも2ヶ寺ぐらい、そしてお説教としていくのが一ヶ寺。結構疲れてきた。膝ががくがく、そして思うような高さできれいに声が出なくなってきた。ちょっと風邪を引いているからだろうか。とにかく疲れが少し来ているのは間違いない。明日あさってと一ヶ寺行けば三日間ぐらいは休みになる。休みになっても畑のことが気になる。正直一ヶ月ぐらい世話をしてやっていない。何時ゆったりできるのだろう。
2005年11月06日
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今日一人で昼食だったので、このあいだ通販で買った天下一品のラーメンを食べました。私は京都に住んだことはないのですが、若い頃、(今も若いつもりなんですが)友人に連れて行ってもらってから結構やみつきになっています。以前は京都に行くたび食べていたのですが、今はいっっても食べません。年に一度通販で注文をして食べるぐらいになってしまいました。たまに食べるから美味しく感じるようになりました。以前はそうではなかったんですが…。昔と山にも天一の支店があったのですが、食べに行かなくてはって思っている間に閉店になってました。今は金沢にあるらしいのですが、行っていません。鶏ガラのこってりスープ、いつも食べると胃にきちゃいそうな気がしますが、たまに食べると美味しく感じます。
2005年11月05日
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昨日あるお寺に助音として報恩講に参加しました。何か、今年は決行声が調子よく、高い声が出るんです。そのことで喜ばれたり、迷惑がられたり…。お勤めが終わり、当然のことなのですが、法話がありました。お話をされた方は、大谷派では結構昔から「ビハーラ」に関わっておられるお方。また、大学時代浄土三部経の講義を受けた方。ちょっと時間があったのでもんっぽう。おまえの聞法姿勢というのはそんなもんか!まぁそれはさておいて、お話の内容はやはりビハーラに関したもの。死をすぐそこに迎える人、そしてその家族、一人の死を自覚し家族が出遇い直す、そして自分の生を考える、最初はそういう話しだったと思う。つい思ったこと、その話を聞いている私は、なかなか「生」が問われてこないって感じた。どこまでも他人事。そしてもう一つ感じたこと。話の内容はいただける話し、頭ではわかる、頭では納得がいく。でも心に響いてこない。これは聞いている私の問題かとも思う。彼に対する信頼がないからかな。できる人の話ってことも感じた。自分はダメ人間で生きてきている。人がそう思っていると感じて生きてきている。すごくできない、やくにたたないことにたいしてこんぷれっくすがあるすごくできない、役に立たないことに対してコンプレックスがある。だからできる人に対しては嫌悪感さえも感じることがある。だから成功する話しは苦手だ。その延長線上で多分この方の話が聞けないのだろう。仏教の悟りを開いた(と誤解している)迷える人間の話は嫌いだ。教化者意識が見え見えの人の話は耳のシャッターが自動的におりてしまう。でも、そんなことを考えていたら、おまえはどうなんだって声が聞こえてきた。もしかするとおまえの話を聞いている人もそう思っているかもしれない。その前におまえの話し方もそうなんじゃないか。そういう声は聞こえてきて、頭ではいろいろ考える。心では頷けない。そうではない。俺はもっとましだって思っている自分もある。自分は迷っている人間の有り様を聞きたいのかもしれない、そして話したいのかもしれない。指導してくださるのはお釈迦様や親鸞さんで十分って思っている、かな。聞く立場の人の話を聞きたい。といいながら、法話を聞きながら今度どんな話をしようかと思っていた。使える話しはないかと探っている自分もあった。何を伝えようか、何を教えようかっていつの間にか自分の大ッ嫌いな教化者意識が涌いてきている。自己矛盾している自分が見えてきた。そしてそういうこともいつの間にか忘れていてしまっている、そういう一日でした。
2005年11月03日
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ごぼはん便り122号ができあがりました。今朝何とか仕上げました。また見てくださいこちらから
2005年11月02日
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昨日、一昨日と私が所属するお寺の報恩講でした。私が勝手に決めたテーマは「精一杯の報恩講」です。一番大事な年中行事、報恩講。これをどう他の人に伝えることが出来るのかと思い、自分が精一杯勤めるしかないと思ったからだ。しかしそうなってないことも事実なのだが。最近真宗寺員で報恩講の縮小ががはやっている。日程を短くしたり、お斎を外注にしたり、法中(坊さん)方におもてなしを無くしたり、…。いろいろな理由があるし、理解も出来る。でもそれが言い訳になっているような気がする。本当はめんどくさい、楽をしたい、というのが見えてくる。自分の中にもある。めんどくさいから楽をしよう、わかる、理解できるのだがそれではいかんのとちゃうかって思う。そう自分に言い聞かせる自分。報恩講の大切さをどう伝えるのか、私にはなかなかはっきりしてこない。だから私は昔通りのおもてなしを一生懸命したい。大変なことをあえてしたい。
2005年11月02日
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「死刑執行のサインせぬ」と発言、すぐに撤回 杉浦法相(asahi.com)自分の思想信条を持つことはこの日本では保訴訟されないのか公人となると多少はある野田おるが、今回はどうなのだろう。法務省の圧力なのか、小泉国王の圧力なのか、私は国王の圧力だと考える。おまえはものを考えず俺のゆうとおりに動け、これのしたいことを一生懸命考えて動けばよいのだ。そんな感じのことが臭ってくる。そういうことが私たちの所にまで圧力がやってくるのでは。おそろしやおそろしや未だに我が宗門の宗務総長が表明した、ハンセン病問題の賠償裁判の判決に対する声明がHP上では未だに公開されていない。極秘の声明なのか。それは声明といえるのだろうか。これにも何か怪しげなにおいがする。何でも勘ぐってしまう私なのでした。昨日から私の所属するお寺では報恩講が始まっています。昨日は少しお参りが少なかったけれど、今日はいっぱいおまいりに来てくれることを期待します。今ご飯が炊けたので御仏飯をもります。それでは
2005年11月01日
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