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天皇靖国参拝、麻生外相「検討を」(2006年01月29日12時22分 asahi,com)この人本当に票がほしいんだろうね。この発言をして何票増えるんだろうか。多分実現しようがなかろうが彼には関係がないんだろう。どんな発言をすれば票につながるか、そんなことばっかり考えているんだろうね。外務大臣だら、外交のことシッカリ考えてほしい、アメリカの良いなりになっていればそれで外交が終わるわけではないんだよ。もっともっとチャンネルを増やさないとね。アジアの代表としてアメリカと話し合いをするんなら良いけど、アメリカの代弁者としてアジア各国に働きかけている。そんな状態だ。自分の票のことばっかりを考え、そしてアメリカに媚をうる。そんなんじゃアジアの代表、アジア各国の代弁者にはなれないよね。僕はなってほしいな
2006年01月30日
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2006年01月29日
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昨日、アンマとオッサンがいとこを送りにはるばる京都まで行ってきました。私たち夫婦ついては行きませんでしたが、いとこの親が一緒でした。すぐに京都駅を折り返し帰ってきました。特急券を持っていたので改札を出たかも疑問です。もったいないという気もするのですが、彼らにとっては楽しい小旅行だったことでしょう。 次男坊はお土産として招き猫を買ってきてくれました。 ちなみにアンマとは長男を意味し、オッサンは次男以下を意味します。 それと行かなかった三男坊は私たちたちにベッタリでした。
2006年01月29日
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HD-H120LAN3年ぐらい前?もっと前だったかな。とにかく修練スタッフになっていたときからこのての存在を知っていてほしかった。うちにはパソコンが二台ある。以前は固定機とモバイルよう、モバイル用は連れ合いにもパソコンが必要だろうと説得して買った。それも何台か世代交代をしてで値段的なこともあって今はデスクトップになっている。この二台のパソコンは一応ランで繋がっている。お寺のデータなどどちらのパソコンでも使いたいことがある。その時にはどちらも立ち上げておく必要があった。だから一台は24時間電源を入れたままになってしまう。でも電気代がもったいないのでモニターだけは切ってある。前はブラウン管のモニターだったのでなおさら電気代が気になっていた。ところで、何台かのパソコンを使いデータを共有したいときは、サーバーを設置するしかないと思っていたが、数年前、修練のフリーをされている方からLANにつなげるハードディスクがあるということを教えてくれた。早速修練からかえって検索したが、値段がえらく高くためらっていた。そのうちその事もどうでもよいことになってしまっていた。しかし流星さんのブログを見て、以前ほしかったものを買われたんだと思い、今いくらぐらいするのか検索したら、以前とは比べものにならないぐらい訳すなっていたので、思わず買ってしまった。そのものが土曜にについたので早速つなげて設定していた。法事や親類の家に行く用事があってなかなか設定が終わらず、日曜日の夕方やっと設定ができた。ちょっと嫁さんのメールのデータがなぜか行方不明になってしまったが(本当に申し訳ない m(__)mペコリ)、何とかデータを共有できるようになった。これで必要ないときはどちらのパソコンもキレルので、電気代節約になるかな。ところでハードディスクの電気代はいくらなんだろう、そこを調べておくのを忘れていた私であった。これでちょっと便利になった我が家です。ところでセキュリティーの問題としてLAN用もハードディスクはどうなんだろうって、書き込みをしながら気になってしまった。まだまだ問題は山積み難だろう、ただそれに気がついていないだけなんだろう。
2006年01月29日
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真宗大谷派宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌テーマ今、いのちがあなたを生きている 東本願寺では、2011年にお迎えする宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌に向けて御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を発表いたしました。 このテーマは、閉塞感あふれる現代社会において、私たち一人ひとりに何を問いかけているのでしょうか。 このページでは、これまで東本願寺から発信した御遠忌テーマに関する様々な内容を紹介していきます。御遠忌テーマから呼びかけられているメッセージに共感された方々の声を紹介する中で、皆さんにとって、テーマとの出遇いの場となることを願っています。公共広告機構CM命は大切だ。命を大切に。そんなこと、何千何万回言われるより、「あなたが大切だ」誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける。公共広告機構です。テーマ 命の大切さ・コミュニケーションを通して 「あなたが大切だ」 企画・制作 博報堂 命の大切さ。これまでのACのテーマの中でも最も根源的かつ大きいテーマだと思いました。この問題に今どうアプローチすれば救いや希望を見出せるのか、自問自答する日々が続きました。悩んだ末に出てきたのが「あなたが大切だ。」というシンプルなメッセージです。人間は誰しも関係性の中で生きています。それをまわりくどく表現するのではなく、静かな、しかし確かな心の叫びとしてずばりと表現する。メッセージを分かりやすく、ストレートに訴求していくことをテーマの基本としました~~~~~~~~~~~ACのほうが、素直に耳に入ってきます、私は。ACの方が好きです、私は。いのちの大切さが、声高にあらゆるところから聞こえてくる。耳をふさぎたくなるぐらいに聞こえてくる。「いのち」の安売りかと思ってしまうぐらい。そういう私も「いのち」の安売りをしている一人かもしれない。だけど違いを出したかった。自分のは違うんだよって。自分の本物だよって。ACのコマーシャルを見てはっと気づかされた。わたしのいのちあなたのいのちこれが私のメッセージから抜け落ちていたことを。今思い出して言葉、ある講演会でおっしゃった言葉果物という味は私達には説明できないが、バナナやリンゴの味は説明できる人権いうぼやっとしたことどれだけ学ぶよりも部落差別や、性差別ということを直接学んだ方が人権ということが見えてくる。こんな言葉を聞いて納得した覚えがある。言葉自体は曖昧ではあるが。「いのち」「いのち」…とただ連呼するよりも私達の見える感じる「いのち」、を伝える事が大事だ。「いのち」の具体化これが私にはできていなかった。他人事だったということなんだろうな。人がいうからいっていたんだろうかな。実態のない「いのち」の大切さを訴えていたんかな。
2006年01月27日
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次男坊が今学校から帰ってきました。飛び跳ねるように走ってきました。何か嬉しいことがあったのだろうと思っていたのですが、慌ててランドセルを投げ捨ててトイレに駆け込みジャ~~という音をたてていました。そのあとスッキリした次男坊は早速アニメ専門チャンネルを入れて見入っています。我が子ながら…‥どう表現していいかわかりません。
2006年01月27日
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話しによれば昨晩こっそり外に逃げ出し朝方帰ってこられそうだ。でもどうもケンカして負けたようです。たから凹んで動きもせず死んだように寝ているうちの馬鹿猫く~です。
2006年01月27日
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形式上はって言わななければいけないぐらいお粗末なでき、というか手抜き版になってしまっていますが、ごぼはんだより125号が仕上がりました。よろしければご一読ください。こちらからどうぞ
2006年01月27日
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「一夫十妻」?一軒家に 同居拒む女性脅した容疑で逮捕(2006年01月26日01時57分asahi.com)「呪文唱えて」一夫十妻!? 謎のハーレム男逮捕(2006年01月26日08時15分ライブドアニュース)この事件なんか気になりますね。どこがっていえば一夫十妻が、
2006年01月26日
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「危険性は交通事故より低い」 BSEで米いらだち(2006年01月25日00時13分asahi.com) 米国産牛肉の再禁輸措置を巡る日米両政府の局長級会合が24日、外務省で開かれた。米国産輸入牛肉に、除去が義務づけられている脊柱(せきちゅう)(背骨)が付いていた問題について、米国側は会合後の記者会見で、牛海綿状脳症(BSE)の危険性を「車でスーパーに買い物に行って事故に遭う確率の方がよほど高い。その事実を日本の消費者に伝えたい」(ペン農務次官)と指摘。厳しい日本の輸入基準へ不満をあらわにしたが、背骨混入を見逃した原因について明確な説明はなかった。~~~~~~~~~~~~~~本当にアメリカと日本の間ではこの問題について温度差があるんだと思う。また日本のいうことについても「フレンド」といっておきながら全然気になっていない様子がうかがえる。正直全然相手にされていない感じだ。多分に本は日本という独立した国として認識されておらず、アメリカの修の一つだと思っている、いやもしかすると植民地だという認識があるんじゃないかな。アメリカは日本という国に対しては謝罪しているが、日本国民には謝罪していないのでは!悲しいことだ。あと、ライブドアのことについてもテレビで見たんだけども、アメリカではホリエモンはそこいらじゅうにいるよって感じ。アメリカにくっついていけば間違いないって思っているコイズミクンがトップを務めている日本なんだから、ライブドア事件も日本にとっては本当はたいした問題ではないはず。コイズミクンを押している起業家達はみんな同じ穴の狢、多分フジテレビもお買い得のライブドアによだれが出ているのだろう。起業家が堀江門を批判することがわからない。反対にホリエモンを応援する人が多いということもなんか頭をかしげてしまいます。とにかく私たちの国は今アメリカナイズされてお金も大事だけどお金だけじゃ済まないものもあるんだよっていう考えを持つ人は少なくなっていっている。義理人情を大事にするのはださいことになっちまっている。そういう私も双華もしれないが、よわったもんだ。
2006年01月26日
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「参拝批判、中韓だけ」小泉首相 参院本会議で(2006年01月25日13時31分asahi.com) 小泉首相は25日午前の参院本会議で、自らの靖国神社参拝について「アジア諸国において、中国、韓国以外に批判する国はない」と述べた。そのうえで首相は「アジアが将来の共同体形成に向けて歴史的変化を遂げつつあるなか、自由と民主主義を尊重する開かれたアジアの実現など、将来の地域秩序の構想といった面においても積極的に貢献する」と語り、アジア各国との協力関係を強化していく姿勢を強調した。 民主党のツルネン・マルテイ氏の代表質問に答えた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~国としてのカテゴリーは中国と韓国だけが靖国神社に参拝することを反対しているかも知れないが、一個人としては靖国神社に首相が参拝する日本国民はたくさんいるはず、少なくても私は反対。アジアに住む一個人としては決して少なくはないはず。コイズミクンがいうこの共同体、多分ずいぶん前の大東亜共栄圏と何ら考え方が変わらないものなのでは。これが二度と戦争を繰り返さないと誓っている首相の発言なんだろうか。本当に疑ってしまうというか、最初から信じていないので、何もわかっていないやつという言い方が正しいのだろうか。太平洋戦争もアジアの幸せのためということで始まったはずだ。
2006年01月25日
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いつもだらしのないところしか写真に撮ってやっていないんですが、たまには先頭モードになったり、哲学者のように外を眺めながら物思いにふけったり、置物のように座ることもあるんですよ。
2006年01月25日
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今月初めに二十代の男性が亡くなった家族がある。その家族のショックは多分想像できないぐらい大きなものだろう。その家に一週間に一度お参りに行っている。お参りの度、母親のショックは大変なものだということが伺える。出来ればその家族に、そしてその母親に励ましの言葉や、気の利いた言葉をプレゼントしたい。そう思うのであるが、間に合わない。というかそういうような気がしてならない。プリントや本をプレゼントしても、変な言い方だが目向きをされていない感じだ。何も間に合わない。だけど…。だからその場にいるのが本当につらい。だからよくすぐに逃げ帰ってくる。本当に何も間に合わない私だ。~~~~~~~~~~~~~~~「雨ニモマケズ」雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジヨウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボウトヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ 【宮沢賢治】
2006年01月24日
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ごぼはん便りの来月号を仕上げようとPCの前に座っているのだが、か・け・な・いのらないのでランキンタクシーの「アミシャツ魂」を聞いている。これを聞くとなお文章を書く気力が涌いてこない。でもこの音楽を聴くということにはならない。この間教区では本山指定の同和特伝がはじまった。それに途中でスタッフとして加わりいろんな事を考えてきた。自分には同和問題やいろんな差別の問題に関わる中で、親鸞聖人の教えが見えてきたっていう思いがあるので、同和と宮殿のカリキュラムとして部落問題を理解してもらうということだけではなく真宗に触れてほしいということにこだわって自分は計画してきた。それがある程度入れられて形となった。でも、最近悩みがある。真宗を理解するために部落問題を利用してよいのだろうかって思う。信心獲得するために部落問題に関わるっていうのはおかしいんじゃないかっていう気がしてならない。目的、最終目的が信心獲得する、真宗を理解する、そのために部落問題に関わっても信心をいただけるんだろうか。そうではないような気がする。部落問題と取り組む中で親鸞聖人の言葉がリンクしてくるんだけど。どう表現していいのか言葉が涌いてこない。自分の現場、自分の課題として部落問題と関わるなかで宗祖の課題が見えてくるのであって、何かの目的を達成するために部落問題を学んでも、課題は見えないのかもしれないと思う。感謝の念仏として部落問題に関わるということはあるかもしれない。とにかく、同和特伝の第一義的開催の願いは部落問題に取り組む人が一人でも多く生まれれる古都でないかと思う。そして大二義的に宗祖の願い、阿弥陀仏の願いと部落問題がリンクしていくっていうことじゃないかなっていう感じがする。やっぱりわからない。
2006年01月23日
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今し方昼食にラーメンを食べに行ったのですが、途中たんぼ道を通っていきました。そうするとまわりが真っ白!雪が吹雪いて見えないのではないんです。雪が適度に降り、明るさも適度にあり、そしてまわりが雪に覆われているとこんなことがたまにあります。何も見えね~って感じではなく、眩し~ぃ、て感じでした。
2006年01月23日
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耐震強度偽装問題、そしてライブドアの問題、アメリカ産牛肉輸入再停止事件ただごとではないと思う。だから個別に悪人たたきをするだけでは済まん問題なような気がする。悪人たたきをすることも大事。我がニッポン、砂か、積み木で出来た城だったということなんでしょうね。そして今ちょっと大きな波が来て崩れかけたのですかね。だからどれだけ、砂を積んでもダメなんだろうね。でも積んでしまうのが自分なんだろうね。またその城に自分が住んでいるということも忘れてはならんことなんだろうね。この砂の城に住みながら、この城をどのように頑丈にしたら良いんだろう、ずっと住めるようにしたらいいんだろう。人の城なら「そんなもんコワしてしまえ」なんて言えるけど、自分が今住んでいる城だからそうは言えないし、出来ない。ダメだってわかりながらも砂で補強していくしかないんかな。そんなこと考えたらわびしいね。わびしいって思っているということは未だ他人事なんかな。自分のことのはずなのに。
2006年01月22日
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昨日の午前中嫌みを言いに行ってきました。でも、効き目なしでした。やっぱり主入りを呼ばなかったことを思っているって思っているようです。何度も相談がないのはおかしいと言ったのですが、呼ばなかった言い訳ばかりされていました。全然伝わらなかった。もう筋を通すと限りを尽くすって言うことが必要のない時代、そして社会になってしまったんですかね。まぁ、このことが大事だって感じたのは私だってつい最近のことなんですが。自分がこのことの大切さに気づくのが遅すぎて、時代に取り残されてしまったんだろうか。後、自分の思いを他に伝えるって難しいことですね。難の中の難、これに過ぎたるはなし。ですね。自分の思いを伝えることがこれですから、そしたら御信心をもらうっていうことはどうやねん!もっと難なんかいさ~。(文法的に「やんかいさ~」の使い方が違っている)
2006年01月22日
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俺の観音さんたこにかいたんや。高いとこからみたいやろうから。(『僕の上の星 君の上の星』樹心社刊より)
2006年01月22日
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実は今日の午前中ある家に嫌みを言いに行こうと思っている。これを説明するにはちょっと基礎知識的なことがあるのでそれから書いてから思いを書くことにする。浄土真宗の年中行事で一番大切なものは報恩講という宗祖である親鸞聖人のご命日を縁として勤められる仏事である。これは本山はもとより、別院末寺、そして門徒(信者さん)である各家々でも勤めることが基本となっている。北陸地方には寺檀関係(お手次ぎ:檀那寺と檀家:門徒という関係)の他にエンカリという制度がある。エンカリというのはお手次ぎのお寺が遠方などの理由により、平生の月参りを近くのお寺に依頼すること、お手次ぎ関係はないけれども平生の月参りをするという関係である。基礎知識としてはここまでであり、さて、昨日私がエンカリをしている家に報恩講があったようだ。一軒だけ報恩講があったというわけではなく、同じお手次ぎのところが何軒もあるので昨日まとめてあったようだ。その一軒の家から昨日の朝電話があった。「慶報恩講なんだけど、何時ぐらいになるかわかりますか」とといわせだった。こちらとしては報恩講の知らせがないので「なんのことですか」状態だった。書き忘れたが、このお手次ぎさんの関係はいつも報恩講に招待があった。「聞いていませんから当番の人に聞いてみてください」とその人に入った。電話空いてもやばいことを言ってしまった状態でオドオドされていたというか、動揺されていた。(そうだ。《私が直接電話を取ったわけではないので》)最初は当番の人が私の所に案内をされるのを忘れたんだろうと思っていた。だから急に電話があってもいけないな~と思っていた。でも電話がなかった。慶一軒その報恩講をする家に月参りに行く日だったので行くと、家の人が「今日、報恩講に来られたんだ」と口重たく言われた。そして今回当番の人であり、その家からすれば総本家に当たるような家の人が今年から呼ばないように決めたらしいことを告白された。その事実を知って正直あの野郎~と思った。怒りが湧いてきた。でもこの怒りは呼んでもらわなかったことに対する怒りではない。正直好んで言っていたわけでもなく、なかなか日程の都合を合わせるのが難しく困っていたところだった。行かなくてもよくなったことに対してはホッとしている気持ちもある。呼ばれるから言っていたという感じだったのだ。何に腹がたっているかというと、相談がないことだ。相談でもないから一言報告がほしかった。どうせばれることなんだから言ってくれると良いのにと思った。なぜ報告がなかったのだろうかということを自分がかってに推測すると、バカにされているのかな、なんて考えてしまう。そういう答えしか思い浮かんでこない。言いにくいことは確かなんだけれども、でもそれでは終わらないだろうと私は思った。「筋」というものを通してほしかった。筋を通さない関係と言うことは信頼されていなかったり、バカにしているからに間違いないと私は思った。だから今日の午前中、その当番の家に出向き、「私に何か話しがあると思うんだけど」と嫌みを言いに行こうと思っている。自分が今までしてきたように「まぁ良いか」ていうことにしても良いんだけど、それでは済まないような木がしてならない。このことを言ったら何か良い課されることを考えて何もしないのではよくないと思っっている。いいたいことを言い、いいたいことを言われる関係。そういう関係にたくさんの人となりたいと今はそう思う。それが同朋という関係のはじまりだろうとも考えている。だから今日午前中、嫌みを言ってくるつもりだ。
2006年01月21日
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枯葉剤で目をもたないで生まれてきた女の子と僕は二人で「戦争はぜったいだめです」と話ししてきたい。殺されるために生まれてこない。殺すためにも生まれてこない。戦争は大事なことをわすれている『好きやって… 言わないくらい 好きやって』 小学館刊より
2006年01月21日
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今朝なぜか 原田大助 さんのことを思い出した。よくわからない。内の三男坊が通っている保育所にはらだいすけというともだちがいるからだろうか。とにかく彼のことを思い出したのだ。彼はいわゆる作家さんなのかな。詩画集を何冊か出されている。彼に直接お会いしたことはないのだが…。彼は多分ダウン症かなんかで以前影護学校に通っていた人である。その学校である先生と出会い、思っていることを言葉に表現し、絵を描くことを教えてもらったそうだ。大助さんに絵を描くことや文章に表現することを教えてあげた人のお話は聞いたことがある。というか、教区の学習会で是非この方の話が聞きたいとリクエストしたというのが事実だ。彼の文章や絵はは素直で飾り気がない。本当その詩画を見ていると暖かくなり、なごむ。彼の存在を知ったのは和田先生のお寺である。お寺に遊びに行くとかわいらしい仏様の絵があった。そして彼が書いた詩画集だといって本を二、三冊頂いた(自主出版のもの)。多分ユタカさんから頂いたのだったろうか。それを読んで心が温かくなった。そしていろんな人に紹介した。“飾らない”ということを教えてもらったようか感じがした。それは何時だったろうか。多分十年ぐらい前だったろう。今懐かしく思っている。彼のことを忘れていた。和田先生のお寺に夏期講習の時などに行っていたことのことを思い出す。相変わらず和田先生の言葉は思い浮かんでこないが、お寺での出会いはいっぱい思い浮かんでくる。土の中には見えないけれどいつもいっぱい種がある【送料無料】 さびしいときは心のかぜです【送料無料】 原田大助詩画集好きやって…言わないくらい好きやって【送料無料】 僕の上の星☆君の上の星今この四冊が簡単に手にはいるようです。
2006年01月21日
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うちの三男坊瑞生は朝起きたと思って見るとゲームをしているではないですが。お正月にお年玉と誕生プレゼント(誕生日は5月)を合わせ長男朋生に任天堂DSを買ってやったので瑞生に今まで朋生が使っていたゲームボーイSPがおさがりとして自分のものとなっています。わかってやっているのか疑問がありますが、とにかく暇さえあればピコピコやっている瑞生です。
2006年01月19日
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今日は、決して暇ではないのですが、今のんびりとしています。 猫の写真を撮ったり、携帯ストラップで猫とじゃれあっています。 でもそろそろお参りに出かけなければならねータイムアップが迫っています。 でも体が動きたがりません。いつまでもこのままこうしていたいです。
2006年01月17日
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今期の冬は決行雪が積もっている。これは例年と違って寒気の流れが違うのと、日本海を流れる暖流が例年より海水温が高いのが原因だそうだ。これは今問題になっている地球の温暖化が原因なのかも知れない。でもこれを気象って言ってのだろうか。なんて思ってしまう。ふと兄名ション映画の「風の谷のナウシカ」を思い出してしまう。地表には人間をダメにする胞子が飛び交う。その胞子をまき散らす植物もあちらこちらに生えている。しかしその植物は汚れた地表を浄化していたのだ。同じように今私たちが「異常気象」と言っている物持ち旧のちゆ能力なのかも知れない、なんて思うこともある。そして何に対して異常というのだろう常は何をさして言うのだろう。普通気象という定義はなんだろう。それは我々が知りうる中での異常でしかないのではないだろうか私たちは「常」なるものを知っているんだろうかな~んて思ってしまう。でも今回の大雪を喜んで引き受けれるわけでもない。
2006年01月16日
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今日は暖かいせいかガスがかかっています。神秘的という人もいるかも知れませんが、私の感じからすればそんなに神秘的でもないです。薄ガスですから。もうひとつの白い闇である雪、つもっていたものはだいぶ一晩で融けた感じです。平生無精にて掃除をしていない、そして手入れのしてない、元庭にも白い闇で覆われています。しかしこのや身でだいぶ薄くなってきました。そうすると事実が見えてきます。白い闇で覆われているときは綺麗だったんですが、その闇も晴れると現実が見えてきます。それは決して美しいものではありません。目を覆い隠したくなる事実がはっきりと見えてくるのです。
2006年01月14日
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天気用法では今日は暖かくなるということであったが、実際体で感じたところではさほどでもっていう感じだった。期待というか、思いこみがあったからだろうか。でも日が暮れてから急に南風が吹いてきて、雨も落ちてきたようだ。私が住んでいるところは平野部なので全く心配はないが、山間部での雪崩が心配だ。せめて人間に害がなければと思う。個人的には暖かくなって雨が降れば、屋根に積もっている雪が解けるので、ナマクラな私にとって雪下ろしをしなくても済むので大助かり。私の住むところでも心配事が一つだけある。それは雨と雪解け水によって用水から水が溢れないだろうかということだ。今から数日間の天気が少し気がかりだ。本当に少なくても人間に害がないことを願うばかりである。
2006年01月13日
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今いとこの舅さんがなくなったということでお通夜に参列してきた。まず行く途中、念珠を忘れたことに気づき、次勤行中に地域の習慣で、焼香の時賽銭をおいてくるということになっているんだけど、財布そのものを家においてきたことに気づいた。賽銭を出さなければいけないということにも気づいていなかった。僧侶としてはお通夜によく参列するのだけど、一般参加者としてさんれるする機会の少ない私は、結構抜け作だった。お通夜は本願寺派の僧侶のお方がお勤めをなさったんだけど、正信偈を読誦なさっていたんだけど。焼香のバックミュージックにしか聞こえてこない、自分には。宗祖の正信偈も御和讃も自分の耳に入ってくるんだけど、教えとしては聞こえてこなかった。お説教を聞いても、ひどいなぁってしか感じなかった。俺の不調の時の話しよりひどい、なんて思ってしまった。「お浄土に帰って行かれた」という言葉を7回以上は聞いたんだけど、響いてこなかった。お話を評価している自分もいる。まぁそんなことはどうでも良いんだけど、仏式でお通夜を勤めている意義、そういうものが感じ取れなかった。多分自分がやっているときもそうなんだろう。なかなか乙やという場が聞く場として成立しないんだということが、常識なんだろう。そういう常識を抜きにして自分は伝えよう伝えようとしていた。もうちょっと儀式のこと色々考えて、工夫しなければって感じさせていただいた。
2006年01月10日
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今日も良い天気、といっても晴天ではありません。今日は雨です。でもこの雨で雪が融けてくれるとなれば私にとっては良い天気です。今日今期三度目の水道の凍結です。防寒対策が悪いところが凍結します。平生使わない台所、そしてボイラー、そして座敷横にあるトイレとこれが定番です。ここに三念はそんなに寒くならなかったので大丈夫だったんですが、今回は三度目です。先ほど座敷のトイレを覗きに行くと、小便機の水を流すボタンから噴水のように水が噴き出していました。水をかぶりながら水を止めました。明日から使われるというのに…。根本的な防寒対策をしなければと感じています。平生いないところはどうしても室温も下がってしまうんですよね。だから普通の対策では間に合わないようです。ここだけは北海道並みの防寒対策をしなければならないようです。床をこがしたところを大工さんに直してもらわなければいけないのでついでにしてもらわなくてはって思っています。今日は在所で二軒お通夜があります。私は法衣をつけて行かなくても良いのですが、香典だけは近日中に持って行かなければと考えています。おまけにそれに加えて今日はいとこの舅産のお通夜もあります。続いています。パーマンかドラえもんにたのんで身代わりロボットがほしい気分です。
2006年01月10日
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今日は一日良い天気でした。朝方は寒かったですが、お日さんのおかげでアイスバーンも融け、自転車に乗ることが午後から出来た。実は午前中も自転車を乗って出動したのだが、タイヤが滑りコワコワでした。午後から気分も良いので、自転車で5分もかからないところまで行き立山連峰の写真を撮ってきました。なかなか上手には写っていないのですが、ご覧ください。呉羽山からとか、常願寺川の河口から今日立山連峰を取ると本当にきれいに写ったんだろうな~
2006年01月09日
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本堂の屋根から落ちてくる雪が、そろそろ屋根につきそうです。やっぱりすらさないといけないのだろうか?後雪止めの瓦が強いてある座敷もそろそろ雪を下ろさなければ危ないような気がする。私が住むお寺はここ20年ぐらい屋根の雪下ろしをしていない。自分もそのころ遊びがてら屋根に上がって手伝った(?)記憶がある。だから正直まともに雪下ろしをしたことがない。正確に言えば去年中越に行ってやってきているのだからどういえばいいのだろう。とにかく一人でする勇気がない、勇気ではなく根性だった。うじうじしている自分であった。
2006年01月09日
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朝方電話がかかった。こういう場合良い話しではないことが多い。今日法事を催される家の方だった。ちょっと安心したのだが、でもそうではなかった。実は母親が亡くなられて…、という話しだった。父親の三回忌は中止にするとのことと、葬儀の日程を教えてくださった。夫婦同じ月日に亡くなられたということなんだなぁ。馬頭らしいことだ。とにかく弔いに行った。行くのは良いのだが、途中、融雪装置(道から水が噴水のように出る装置)のある道があるのだが、そこが最悪だった。シッカリ凍結していた。水が流れているところは良いのだが、流れていないところが凍っています!めちゃくちゃビビりながら行ってきました。今日はそういうことで少し時間に余裕が出来ることと相成ったわけです。
2006年01月09日
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正月早々不祥事を起こしたり、一昨日在所で葬儀があり、また昨日叔父の義母の葬儀があり、今日はまた法事。何か落ち着きません。そわそわしています。このことはもしかすると私の生き方そのものなのかもしれず、ただいろんな事があり実感させられているだけなのでしょう。今だけそわそわしているのではないのでしょう。いろんなものが間に合わないこと、そのことが実感させられています。そう実感しながらも何とか間に合わせようとしている自分もいる。やっかいですね、自分。
2006年01月08日
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明日お葬式の遺族の方に差し上げようと以下の本を購入「さよなら」を大切な人にいうんだ マージィ・ヒーガード作・画 清水惠美子訳 法蔵館刊後自分の参考資料として、どんなに恐ろしかったかいいたいんだ別れたパパとママに会いたいんだを購入しました。
2006年01月06日
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突然「枕勤めに来てほしい」という連絡があった。はじめていく家であった。20歳後半の男性がお亡くなりになられたようだった。家族の方の同様が激しく、子音を聞くという行為が出来なかった。その一族にはちゃんとお手次ぎのお寺があるので、「法話」というものをする機会が作れないので、友人のアイディアを拝借して、入棺のお勤めが終わった後、3分もかからない時間お話をさせていただいた。そのためにいろいろと思いを巡らしていた。ふと仏を「佛」と何故呼ぶようになったのかと言うことを思い出した。これは多分大学の授業の中で雑談として語られていたことだと記憶する。でもその事が歴史的にどれだけ正しいことなのかと言うこと、また本当にそういうことをいわれたのかと言うことは非常にあやふやである。どういうことを思い出したかというと、ほとけ様と言うようになった語源は「ほっとけ」からではないかということである。本当かかいなって思ったことも思い出す。でもその事を思い出し、また頷けることも何となくある。ほっとけ様はほっといてもいい人ということなのかも知れないと思った。それはどうでもいい人という意味ではなく、かまうことを必要としない人、いろんなことを心配する必要のない人ということかも知れないと思った。覚者として、ブッダとして関係を結ぶということなんだろう。またお亡くなりになられた人を、「ほとけ様」と特にいう。それは死後のこと、後のことをなんにも心配ないんだよと私たちの先輩方が頂かれてきた歴史なんだろう。でも私たちは「死んだらどうなるんだろう」って思ったり、「成仏できるだろう」かって心配したりしてしまう。そういう思いを払拭して、「何も心配ない必ず成仏されるんですよ。ブッダに必ずなられるんですよ」という先輩の喚び声がほとけさんという言葉なんだろうって感じた。また死者を、恐れを運んでくるものとしてあるのではなく、自分が仏道を歩みづつけていけるはたらきとして頂いていく。私たちが不覚者で、また罪悪深重の凡夫であり、反対に死者は覚者、私を救済して下されるお方という関係をあらためて結ぶ、それが死者をほとけさんと呼んできた歴史なんだろう。死者を荼毘(火葬)に附し、その儀式を仏式で執り行う。新たに仏陀として出遇い直すプロセスなんだろう。死者と対話して(肉声として応えてくれるわけでもないが)、浄土への道を歩むことを進めて下されるお方として出会う。死者から仏陀の言葉を聞き取る、そういうことが仏式で葬儀を執り行う意義なんだろう、そういうことを考えさせられた。また和田爺のお通夜に参列し、彼の顔を拝見させて頂き、伊勢谷さんの法話を拝聴した。その事が絡み合ってそんなことを今思っているんだろうな。余談だが、和田稠さんを神様につくり上げていくのではなく、仏様としてであっていかねければ、また難しいことかも知れないが、同行としての関係を築いていくことを心がけることの重要性も強く感じている。こんなかっこの良いことを言える私ではない存在だ。本当のところ、私は和田爺から何を聞いていたんだろうって思ってしまっている。私の記憶には入れ歯をカクカク音を立てながら喋っておられた姿しか思い浮かんでこない。喋っていた内容が浮かんでこないんだ。本当に情けなく思う。そう言う私だから和田の爺さんを神様にするということもあり得ないのかも知れない。出遇っていなかった!和田の爺さんと!それだけがはっきりしている。でも和田の爺さんのまわりにいる人に本当世話になった。今を歩まさせて頂いたっていうことははっきりと言える。
2006年01月06日
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今朝気温計を調べてみるとMIXがマイナス7度3分、今の外気温もマイナス3度9分、昨晩は積雪は全然無かったが、その分結構寒くなりました。
2006年01月05日
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現在午前3時、外気温はマイナス5度2分(写真の気温計では-4.7だが)を下回っています。このままだと朝方どうなるんだろう。考えただけで寒くなってきた。
2006年01月05日
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ごぼはんだより124号を発行していました。こちらからどうぞ
2006年01月05日
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昨日の早朝、私の不注意により小火を起こしました。布団と床をこがしたんです。布団に火が入ったので、一応自分たちで消したつもりだったんですが、念のため119番しました。そしたら、消防車が何台かやってきてその後警察の人も何人か土足でやってきて(消防の人はスリッパを履いてくれました。)大騒ぎになりました。そして今日地方紙に記事が載り、いろんな人から電話がかかってきました。近所の人やもんとの方々にいっぱいご迷惑をおかけしてしまいました。門徒さんたちは片付けまでやっていってくださいました。本当に有り難く思いました。門徒の方に消防にお勤めの方がいて、門徒を代表して検証中に現場を覗きに来られ、「たいしたこと無い」の一言に何故か目頭が熱くなりました。感じたことは火災ということはいろんなが慣れていくことと、「まぁ良いか」という思いから起こるんだなって実感しました。いろんな要因が重なって起こるんです。そういう意味で自分にはあり得ないって言うことはないんですよね。それは実感しました。
2006年01月05日
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新年初の書き込みです。 でも… 今、知人から二本電話がありました。ひとつはお参りの委託 もう一つは 昨日、和田しげしのじいちゃんが亡くなったとの知らせでした。じいちゃんやその周りにいた方々にはいろいろ教えていただいたりお世話になりました。 ショックというかビックリしています。
2006年01月02日
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