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日の出島昭和12年1月4日、NHK国民歌謡の曲。歌唱は内田栄一。作詞が佐藤惣之助、作曲が内田元。歌詞は以下のごとくです。1.黒潮躍る大洋に 海濤(カイトウ)花と散る所 千古の巌みどりして 御稜威燦(ミイスヅサン)たり日の出島 2.朝雲衝いて昇る日を 仰ぎて我等一斉に 只、日本(ニッポン)と讃ふれば 燃ゆる歓喜の美はしさ3.あゝこの島に生まれ来て 上、一系を畏(カシコ)みつ 萬朶(バンダ)の櫻もろともに 生くる感謝を誰か知る4.擧(コゾ)れ若人躍進の 正義の航路たゆみなく 世界の海に船出して 示せ幸ある日の出島 示せ精神(ココロ)の日の出島「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.28
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南京の踊り子昭和17年、松島詩子の歌唱でレコード発売。作詞が時雨音羽、作曲が細川潤一。歌詞は以下の如くです。1.揚子江、夕日が赤い港町 耳輪泣いてる踊り子の 遠い故郷は半年かかる チャルメラが呼んでいる 南京の踊り子よ2.懐かしい歌はあの日の太湖船(タイコセン) 長江はるばる上る船 愛が終わればサインも消える さようなら、さようなら 南京の莫愁湖(バクシュウコ) 3.南京の町にあの日の灯がともる タバコの箱に消え残る 君のあの唄聞こえて来るよ 呼んでいる、呼んでいる 南京の踊り子よ「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.28
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乙女の春昭和14年、NHK国民歌謡。衛藤美津代が歌唱。作詞が今中楓渓、作曲が森正雄。歌詞は以下のごとくです。1.ここは山里、都に遠い 都恋いしと幾年月の 夢に夢見た明るい灯影 乙女心に悩んだよ2.幾夜悩んだ夢路の果てに 今朝は影さえ枕に消えた 窓に仄々茜がさして 乙女心は朗らかよ3.何を憧(アコガ)りょ都の空を 里は良いとこ窓辺の梅に ぱっと踊った大きな朝日 乙女心も踊るのよ4.匂う白梅、花笠幾つ 花を慕って来て啼く小鳥 小鳥良い鳥、高枝(タカエ)に啼いて 乙女心に春が来た「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.28
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2022年7月26日、大東亞戰爭は日本が勝った(ヘンリー・S.ストークス/著、 藤田裕行/訳)読了。副題:英国人ジャーナリスト ヘンリー・ストークスが語る「世界史の中の日本」奥付を見ると平成29年4月27日第1刷発行となっているから、かなり新しい。何故この本を知ったのか忘れたのだが、少なくとも表題がいい。しかも、著者が英国人と言うのもいい。日本の歴史をある程度学んでいる人にとっては、目次を見ただけで大方の内容が分かると思う。一方で、学校の教科書でしか歴史を学んでいない人にとっては驚愕の内容だろう。この本に書いてあることは本の表題が端的に表している。「大東亞戰爭は日本が勝った」だ。16世紀に始まった大航海時代から白人キリスト教徒たちが世界中を席巻し、植民地として白人以外を搾取してきた。亜細亜地域もその例外ではなく日本以外は全て白人の支配下に置かれていた。日本が大東亜戦争を戦わなければ現在でも白人の支配下だっただろう。大東亜戦争当時、陽が沈まない国として世界に君臨していた大英帝国を瞬く間に滅ぼしてしまったのだから、英国にとっては許すことのできない国である。それまで、被支配者として搾取されて来た亜細亜の人々にとっては、不可能と思われていた独立をもたらしてくれたのが日本であった。世界史では、様々な王朝や国家が勃興しては滅亡していった。その中で、特異な存在なのが日本で、世界での国の興亡の中で、永遠の太古からずっとひとつの文明がひとつの流れとして、征服されることなく今日まで続いている。もし、日本が大東亜戦争を戦わなかったら、アジアにはいまだに欧米列強の白人が支配する世界が広がっていたかも知れない。白人列強による世界支配を終焉させ、人種平等の世界の実現へと舵を切らせる歴史的偉業を果たしたのが大東亜戦争だった。著者は未来に生きる日本の子供達やこれから生まれてくる子供達に、「日本は、世界を侵略した犯罪国家ではない。世界を侵略していたのは、この500年を取れば白人列強諸国だった。日本はその残虐非道な白人の世界侵略を覆した正義の国なのである。」と伝えたいそうだ。まず、日本が正式に閣議決定した戦争名は「大東亜戦争」であるが、敗戦により「太平洋戦争」と呼ぶように強制されたが、占領が終了してもそのままなのはおかしいと著者は言う。香港や印度が太平洋か、とも。米国は太平洋で真珠湾攻撃をした日本を表すために「太平洋戦争」としたいので、「大東亜戦争」とすると日本が何故戦争をしたかがよく分かるので使いたくないそうだ。日本が侵略戦争を起こしたというのは真っ赤な嘘で、亜細亜を侵略して植民地にしたのは欧米列強なのだ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの一神教は絶対君主を表しているが、日本は太古の昔から八百万の神々の国で、合議制なのだ。民主主義が敗戦によって米国からもたらされたなどと言う事はない、元々民主的な国なのだ。日本は旧石器時代から侵略されることなくずっと民族が続いて現在に至る国だ。日本人は文明や文化は大陸から朝鮮半島を通って日本に渡来したと思っているが、それは誤りで、文化や人は、日本列島から朝鮮半島へと流れ入ったそうだ。日本民族は朝鮮人とも中国人とも遺伝的に別な人種だそうだ。260年の江戸時代の江戸の治安が出て来る。1786年に江戸の人口調査が行われ137万人だったそうで、その内70万人強が町人だったそうだ。その治安を守っていたのが町奉行所だが70万人を150人の警官が守っていたことになり、町人500人弱に警官が1人になるそうだ。現在世界でも最高に治安がいいとされる東京では260人に一人の警官だそうで、当時の江戸の治安がいかに良かったかを示しているそうだ。江戸と大阪を結んだ東海道には千軒を超える旅籠が在ったが、そんな国は世界中には存在していないそうだ。江戸時代の教育も世界一で、その蓄積があったから明治になって海外から膨大な量の知識が入って来ても簡単に消化して世界で最強を競うのにさほど時間を要していない。江戸を代表する芸術に歌舞伎があるが歌舞伎座はミラノのスカラ座より大きいそうだ。大日本帝国は、侵略ではなく、防衛のための帝国だった。西洋列強の帝国主義は、植民地支配による搾取だが、日本が朝鮮半島や台湾や満州で行った統治は、本国からの持ち出しだった。植民地を豊かにすることに、本国が国民の血税を費やす。それも、本国以上に立派な基盤整備をし、大学を設置して高等教育を行い、工業や農業を発展させ、経済的に潤わせる。これは、白人列強から日本及び同法の朝鮮人、台湾人、大陸のアジア人を防衛しようとしたからで、その延長線上に大東亜共栄圏が在り、東亜が自ら繁栄することで、日本が防衛されるとの考えである。日本は日英同盟の故に第一次世界大戦に参戦し、唯一の非白人国として戦勝国の一員としてパリ講和会議に臨み、そこで世界で初めて「人種差別撤廃」を提案して16名参加の内14名が賛成するという圧倒的多数で採択されたが議長を務めていた米国のウィルソン大統領が、これは重要案件なので全会一致でなければなるとして、提案その物を葬り去ってしまったが、日本の学校では教えない。。第二次世界大戦前の亜細亜で植民地とされることなく独立主権国家だったのはネパール、シャム、日本だけだった。しかし、ネパールとシャムは列強の陣取り合戦の過程で緩衝地帯として植民地になっていなかっただけで、独自の軍事力で自力で独立主権国家であったのは日本だけだった。真珠湾攻撃が奇襲とされているのは誤りだ。米国民を騙して多くの米国民を生贄にしたのはルーズベルト大統領だ。目次も判り易い。私の読書記録索引はこちらをクリック。
2022.07.26
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広東の踊り子昭和15年、松島詩子の歌唱でレコード発売。作詞が時雨音羽、作曲が細川潤一。歌詞は以下の如くです。1.星の降る夜の薔薇の花 白い支那服月の眉 広東の踊り子は 意中(チョンギ)意中よ吾(ゴオ)意中 歌であの人呼んでいる2.胸に真赤な花の色 揺れる耳輪がちらちらと 夢探す黒い瞳(メ)よ 意中意中よ吾意中 今はあの日の花も無い3.すすり泣き泣き夜を行く 破れ胡弓の主は誰 広東の踊り子は 意中意中よ吾意中 月を仰いで呼んでいる「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.20
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子守唄NHK国民歌謡の曲。時期や歌唱者は不明。作詞が三好達治、作曲が岡野貞一。歌詞は以下のごとくです。1.ねんねんよーおころりよ おころりころりと鳴る鈴は 坊やのお馬の頸の鈴 お馬は良い馬、青の馬2.青のお国は麦畑 麦の畑が十三里 菜種畑が十三里 山は高山茅の原3.茅の原から吹く風は かうかう子とろ、よい子とろ よい子ぢゃ、よい子ぢゃ、ねんねしな この子を盗られてなるものか「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.20
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母さんたずねて昭和21年、川田正子の歌唱でNHKで放送。作詞が斎藤信夫、作曲が海沼実。歌詞は以下の如くです。1.迷子の迷子の小雀は お背戸の藪で 母さん訪ねて呼んだけど サラサラ冷たい風ばかり 風ばかり2.迷子の迷子の小雀は お寺の屋根で 母さん何処よと聞いたけど ポクポク木魚の音ばかり 音ばかり3.迷子の迷子の小雀は お山の蔭で 母さん捜して鳴いたけど キラキラ夕日の影ばかり 影ばかり「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.20
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お手を拝借時期不明、NHK「歌のグランドショー」の今月の歌。歌唱は三沢あけみ。作詞が塚田茂、作曲が宮川泰。歌詞は以下の如くです。サア、それではみなさん、お手を拝借、イョーオ!!1.川の流れと幸せは ほっておいたら止まらない 涙こらえてせき止めりゃ きっとあなたの所へ来るハァ そうと話が決まったら 先ずは皆さん お手を拝借願います2.好いて好かれた仲でさえ いつか別れる時もある いくらあなたが隠しても 女心にゃ分かるのよハァ そうと話が決まったら 先ずは皆さん お手を拝借願います3.年が若けりゃ苦労する 年を取っても苦労する 同じ苦労をするならば 広い世間の為にやろうハァ そうと話が決まったら 先ずは皆さん お手を拝借願います4.篭の小鳥と幸せは そっとしてれば居つくもの 愚痴もこぼさず真心で いつか卵を産むものよハァ そうと話が決まったら 先ずは皆さん お手を拝借願います 「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.20
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赤いスイートピー昭和57年、松田聖子の歌唱でレコード発売。作詞が松本隆、作曲が呉田軽穂。歌詞は以下の如くです。1.春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ 煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから 何故知りあった日から半年過ぎても あなたって手も握らない I will follow you あなたに ついて行きたい I will follow you ちょっぴり 気が弱いけど 素敵な人だから 心の岸辺に咲いた赤いスイートピー2.四月の雨に降られて駅のベンチで二人 他に人影もなくて不意に気まずくなる 何故あなたが時計をチラッとみるたび 泣きそうな気分になるの? I will follow you 翼の 生えたブーツで I will follow you あなたと 同じ青春 走って行きたいの 線路の脇のつぼみは赤いスイートピー 好きよ今日まで逢った誰より I will follow you あなたの 生き方が好き このまま帰れない帰れない 心に春が来た日は赤いスイートピー「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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十三夜昭和16年、小笠原美都子の歌唱でレコード発売。作詞が石松秋二、作曲が長津義司。歌詞は以下の如くです。1.河岸の柳の行きずりに ふと見合わせる顔と顔 立ち止まり懐かしいやら嬉しやら 青い月夜の十三夜2.夢の昔よ別れては 面影ばかり遠い人 話すにも何から話す振袖を 抱いて泣きたい十三夜3.空を千鳥が飛んでいる 今更泣いてなんとしょう さよならと、こよない言葉かけました 青い月夜の十三夜「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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木立の中に秋がいる昭和32年、NHKラジオ歌謡。歌唱は芦野宏。作詞が薩摩忠、作曲が米山正夫。歌詞は以下の如くです。1.木立の中に秋がいる ススキの色に秋がいる 一人ぼっちのミノムシは 風の寒さが身にしみて マントの襟を立てている2.木立の中に秋がいる 落葉の上に秋がいる うすい羽したコオロギが 露の深さにおののいて 命の限り鳴いている3.木立の中に秋がいる 時雨の歌に秋がいる 夏の残した想い出が いつか枯葉に包まれて 木の実の胸に眠ってる 「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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希望呼ぶ朝昭和23年、NHKラジオ歌謡。歌唱は羽山和男。作詞が加藤省吾、作曲が八州秀章。歌詞は以下の如くです。1.朝は呼ぶ希望の歌を 風は呼ぶ緑の丘よ 小鳥も歌も希望の夢を 呼ぶよさやかな青い空 あゝ友よ肩組め 朝だすがしい希望の朝だ2.雲は呼ぶ希望の僕を 山は呼ぶ希望の君を 歌へよ歌へ若さの限り 行こう七つの丘超えて あゝ友よ肩組め 朝だすがしい希望の朝だ3.陽は昇る希望の瞳 波光る希望の濱よ 高鳴る血潮打ち振るこの手 駒もいななく丘の上 あゝ友よ肩組め 朝だすがしい希望の朝だ「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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憧れを呼ぶ歌昭和23年、NHKラジオ歌謡。歌唱は木村四郎。作詞が野村俊夫、作曲が米山正夫。歌詞は以下の如くです。1.青い空には雲が流れて 風にポプラがそよぐ丘の上だよ 僕らはみんな手に手を組んで 雲に呼びかけ鳥に呼びかけ 憧れを高らかに歌うのだよ2.若い胸には希望溢れて 白い鴎が浮かぶ晴れた海だよ 僕等の夢は汐路の彼方 今日も元気に明日も元気に 人生の荒浪を越えるのだよ3.青い丘には歌が流れて 淡く優しく光る野辺の川だよ 僕等の胸に燃え立つ若さ 空を仰いで雲を仰いで 青春の喜びを謳うのだよ「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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思い出の歌昭和36年、NHKラジオ歌謡。歌唱は平尾昌章(晃)。作詞が横井弘、作曲が飯田三郎。歌詞は以下の如くです。1.祭り笛、街に鳴る日は 呼んでいる遠い思い出 山すその村の社で 父の背に拗ねてせがんだ 綿菓子の味の恋しさ2.街を行く水の流れに 浮かびくる古い藁屋根 赤い帯、似合う娘と 水車小屋めぐる水車に かけていた夢の儚さ 3.遠太鼓、揺れて果てなく 思い出も揺れて果てなく 母の手に沁みて仄かな 麦の穂の匂い求めて 街角に一人佇む「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.17
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2022年7月17日、NHK解体新書(有馬哲夫/著)読了。副題:朝日より酷いメディアとの「我が闘争」奥付を見ると2019年10月29日初版とあるから、結構新しい。最近読んだ本に「日米開戦 陸軍の勝算」と言うのがあり、2015年の初版なのに図書館では今でも10人以上が順番を待っている。しかし、この本はそれよりかなり新しいが、人気がないみたい。すぐ借りられた。この本は目次を見れば大体の内容が分かると思う。最近見たNHKの番組でさらりと「坂本龍馬は見回り組に殺された」言っていて、とても驚いたが、この本を予約した後だったので、さもありなんと思ってしまった。この本には具体的に証拠を示して著者が色々と証明している。最初にNHK党の党規約が登場。著者は党の目的に異論はないが、2項目を追加して欲しいと言う。①NHKの番組製作スタッフの盗作・盗用、その他の著作権侵害、及びそれらに関連する不正や不法行為やハラスメントを監視し、見つけた時は告発し、関係者に対する厳罰と氏名の公表を要求することによって、NHKが再びこのような行為に走らないようにすること。②NHKの番組が数千万人の視聴者に影響を与えていることに鑑みて、データや資料の捏造・改竄、過度の誇張や省略によって、番組視聴者が誤った知識や歴史認識を植えつけられることがないよう監視し、見つけた時は告発し、関係者に対する厳罰と氏名の公表を要求することによって、NHKが再びこのような行為に走らないようにすること。だそうだ。そして、「はじめに」と第1章で盗作・盗用・捏造・改竄に関して書いてある。目次の通りなのだが・・・最初が「NHKの昭和天皇『新資料発見』報道は捏造」だそうだ。2019年8月16日のニュース7で初代宮内庁長官田島道治の「拝謁記」が発見されたと大々的に報じられて、翌日の「NHKスペシャル」で1時間番組として大々的に放送されたそうだが、実際には16年も前に加藤恭子が著書で明らかにしていて、NHKは加藤恭子の情報に基づいて田島道治の遺族に取材して、それをあたかも自らが発見したとして放送しているそうだ。次が著者自らがNHKに騙された件だ。ロッキード事件に関する著者の本を読んだと称して著者に監修を依頼して来たが、実際には「監修」としては扱われず、報酬も約束とは大違いで、裁判の末、著者の言い分が認められたが、和解となり、そして、NHKは著者に口止めを迫り、著者はそれを拒否したそうで、口止め料が和解金から減額されたそうだ。NHKは裁判敗北後も著者の著作を盗作・盗用し続けているそうだ。NHKの盗作・盗用のテクニックとして「ドラマ」仕立てにすることだそうだ。ドラマなので、何でもありなんだが、見ている方はあたかも歴史上の事実であるかのようにとってしまうとも。次が、戦前・戦中は軍部に盲従していたくせに、敗戦後一度も反省の態度を示していない報道組織はNHKだけだそうだ。その上、軍部の問題として現在でも放送しているそうだ。戦後は占領軍に盲従して、現在でもその影響は残っていると。NHKは保身の為ならなんにでも乗り換えるそうだ。広島に原爆が投下された8月6日を「原爆の日」から「平和の日」にするのにNHKが果たした役割は大きいそうだ。敗戦後何年にも渡って8月6日に黙祷の後、盆踊りや仮装行列など、正にお祭りをやっていたそうで、それを大々的に全国に知らしめたのがNHKだそうだ。本来の「原爆の日」から「平和の日」にして毎年行う事で広島から全国へそして世界中へ8月6日は広島平和の日となり、世界初の原爆による大量殺戮の印象が薄められているそうだ。放送法第4条に「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と規定してあるがNHKは度々これに反しているそうだ。そして、放送法第9条に「・・・その放送した事項が真実でないかどうかを調査して、その真実でないことが判明した時は、判明した日から二日以内に、その放送した放送設備と同等の放送設備により、相当の方法で、訂正又は取り消しの放送をしなければならない」とあるそうが、著者がこの本の中で指摘していることに関して放送法第9条に則って訂正放送をしたことは全くないそうだ。NHKは「広島・長崎の原爆」について放送する時に米国の「投下賛成派」と「仕方なかった派」を登場させることはあるが、反対派を登場させることはないそうだ。米国では常識となっている、原爆の実力を見せてソ連の欧州への侵攻を思い留めさせようとしたと言う事も報道しないそうだ。1995年に米国ABC放送が「原爆投下か本土上陸作戦しか選択肢がなかったというのは事実ではない。皇室維持条項付きの降伏勧告など他にも選択肢はあった。」と放送して物議を醸したが、この放送はピーボディ賞を獲得しているそうだ。そして、この放送後は「原爆投下は正当だった」が80%以上もあったのに、だんだん減少して来て最近は50%になっているそうだ。しかし、NHKは現在でも「仕方がなかった」としか放送しないそうだ。ポツダム宣言の受諾に関して「皇室維持」が最重要であったとされているが、トルーマン大統領は「皇室維持」があれば日本が受諾することを判っていたので、削除したそうだ。その理由は原爆投下でソ連を恐れさせて戦後を有利にしていく為だったそうだ。先の敗戦後NHKは占領軍による解体を恐れていたそうだ。しかし、NHKは日本全国を組織的に網羅していて、その利用価値は日本に於ける他の報道機関を遥かに超えるものだったから、占領軍は早くからその利用価値を認識していたそうだ。しかし、民主化の一環でNHKに労働組合を作ったりしたことでNHKの左傾化が急速に進み、占領軍は解体しようとしたが時すでに遅かったそうだ。それで、民間放送局を作らせてNHKに対抗させようとしたそうだ。そのうえ、当時最新鋭の媒体だったテレビの放送免許をNHKには与えずに、できたばかりの読売テレビに与えたそうだ。当初の放送法には受信料の規定はなかったが、当時のNHKは巨大な組織で当時の日本での広告費や寄付ではとても賄いきれなかったし、民放を広告費として、いずれ日本が復興したら広告費で充分NHKに対抗できるだろうとの考えがあったそうだ。しかし、現在ではインターネットなどで民放が苦しんでいて、その一方でNHKの収入は盤石だそうだ。私の読書記録索引はこちらをクリック。
2022.07.17
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ハナミズキ平成16年、一青窈(ヒトトヨウ)の歌唱でレコード発売。作詞が一青窈、作曲がマシコタツロウ。歌詞は以下の如くです。1.空を押し上げて 手を伸ばす君五月のこと どうか来て欲しい 水際まで来て欲しい 蕾をあげよう 庭のハナミズキ 薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように君と好きな人が 百年続きますように2.夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて 一緒に渡るには きっと船が沈んじゃう どうぞ行きなさい お先にゆきなさい 僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように君と好きな人が 百年続きますように3.ひらり蝶々を 追いかけて白い帆を揚げて 母の日になれば ミズキの葉、贈って下さい 待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ 薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように君と好きな人が 百年続きますように 僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように君と好きな人が 百年続きますように 君と好きな人が百年続きますように「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.08
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上海の踊り子昭和14年、松島詩子の歌唱でレコード発売。作詞が時雨音羽、作曲が細川潤一。歌詞は以下の如くです。1.霧の夜を月の夜を 踊るランタン踊る上海 夢を見るよな踊り子の 黒い瞳が濡れている 濡れている2.町の灯も窓の灯も みんな呼んでる歌の上海 リラの花さえ開く夜を 何を泣くやら夜の雨 夜の雨3.あの歌もこの歌も 遠い想い出、夢の上海 君の形見の日の丸の 紅のあかさは燃えるのに 燃えるのに 「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.08
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秋のおとずれ昭和24年、NHKラジオ歌謡。歌唱は安藤晴代。作詞が武田雪夫、作曲が平井康三郎。歌詞は以下のごとくです。1.風が明るく流れてる 谷間でそっと聞きました 秋の優しい足音を かすかに、かすかに聞きました2.白い窓掛け揺れている 窓辺でじっと聞きました 秋のかすかな歌声を 一人で一人で聞きました3.青い小鳥の鳴いている 林でさっき聞きました 秋の静かなささやきを 黙って黙って聞きました「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.08
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2022年7月5日、日米開戦 陸軍の勝算(林千勝/著)読了。副題:「秋丸機関」の最終報告書奥付を見ると2015年8月1日初版とあるから割と新しいのかな。本の存在を知って図書館に予約を入れたが長期待たされた。130万都市の図書館に1冊しかないのだ。現在でも11人が待っている。順番が回って来てもすぐ借りに来るとは限らないし延滞もあるから11番目の人に回ってくるのは10ヶ月位掛かるのかな。最近では色々な資料が発掘されてGHQの焚書、盗聴、検閲、洗脳、等々が明らかにされてきている。先の大戦である大東亜戦争は敗戦後、太平洋戦争とされ、多くの国民が帝国陸軍の馬鹿共が無謀な戦をして国を滅ぼしたとされているし、私も学校でそう教わった。著者はそうではないと言う。それを、現存する一次資料で明かそうと言うのがこの本だそうだ。著者は2次や3次資料をいじっても意味がないと言う、私もそう思う。第1次世界大戦の後は戦争は国を挙げての総力戦になっていて、当然日本も総力戦を戦う上での計画を練っていた訳で、帝国陸軍は科学的な研究に基づく、合理的な戦争戦略を準備していたそうだ。総力戦に臨んでの国家的戦争戦略「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」が昭和16年11月15日の大本営政府連絡会議で決定されたそうだ。しかし、この資料は闇に葬られていて防衛庁防衛研究所戦史室編纂「戦史叢書」全102巻にも載っていないそうだ。ペリーを送り込む前から狙っていた日本。開国してなかなか手ごわい国になってしまったが米国は諦めずに攻めてきた。日本は米国に苛められて苦しんでいたが、多くを米国に依存していたのでそう簡単に戦争ができる状況にはなかった。しかし、苛めがあまりに酷いので色々と検討がされていたそうだ。組織として既にあった、「日満財政経済研究会」「企画院」「陸軍省整備局」で戦争について検討したが、どれも結論は「無理」だったそうだ。そこで、帝国陸軍は昭和14年秋「陸軍省戦争経済研究班」を組織し研究を開始したそうだ。この研究班を発案したのは当時大佐だった岩畔豪雄だったそうで、彼は中野学校創設もしているそうだ。そして、実際に頭となって班を率いたのが中佐だった秋丸次朗だったそうだ。検討した結果は2年位は米国の総合力が勝ることはないとの分析結果だったそうだ。特に物を運ぶ船が最大の弱点だったようで、乱暴な言い方になるがそこに狙いを定めるような戦略になったようだ。陸軍が何とか戦う術を見付けて努力しているのに、海軍は西太平洋の制海権は無理と言いつつ避戦でもないと実に無責任な対応だったそうだ。「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」だが、先ず南方英米蘭の資源地帯を叩いて確保(大東亜共栄圏)で、次に独伊と協力して英の封鎖と屈服となっているそうだ。この二段階作戦で少なくとも引き分けに持って行こうとしたようだ。そして、対米だが、こちらから打って出るのではなく、海軍の伝統的な守勢作戦思想で、こちら側に呼び込んで撃破して行こうと考えていたそうだ。印度洋で対英交通を遮断するのも重要なことであったそうだ。対ソであるが独逸は日本に対ソ戦を望んでいたが南方へ向かう為対ソ戦は回避の方針でこの点では独逸と考えが異なっていたそうだ。そして、香港、マニラ、シンガポール、ラングーン、ジャワ等々西欧に植民地として搾取されて来たところを現地の協力もあって開放していって、序盤としては予想以上の大成功だったそうだ。シンガポール陥落後チャーチルは大英帝国崩壊を恐れたそうだ。猪瀬直樹著「昭和十六年夏の敗戦」が出て来るが、昭和十六年夏に総力戦に向けた教育・訓練として行われた机上演習の記録を取り上げて負けると分かっていながら陸軍は戦争に向かったように書いているが、著者は訓練のためのもので設定範囲が狭すぎるとしている。具体的には西方、印度などや印度洋が全く入っていないそうだ。第三章の見出しが、「山本五十六連合艦隊司令長官が、大東亜戦争を壊した」となっている。無謀で馬鹿なのが陸軍でその代表が東条英機、冷静で有能なのが海軍でその代表が山本五十六で彼の戦死が無ければ、なんてことも言われているが、山本五十六は名将ではなく迷将だそうだ。山本は「開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して米国海軍及び米国民をして救うべからざる程度にその士気を阻喪せしむること是なり・・・・・」としているそうだ。真珠湾攻撃は奇襲とされているが、ルーズベルト大統領は先刻承知で、旧式の艦隊を真珠湾に残し空母を主体とした主力は居なかった。ルーズベルトは非戦が大統領選の公約だったので、戦争をするには国民が納得する理由を欲して努力をしていて、それにまんまと嵌ったのが日本海軍だったそうだ。そして、印度洋方面の西進は予定通り進んでいて、困った英国の依頼で日本を東に引き出そうと、米国の東京空襲で驚いた日本軍は山本の案に反対できなくなり太平洋に向かいミッドウェーで日本海軍が壊滅してしまったのだそうだ。しかも、ミッドウェー海戦での損害を海軍はかなり隠していたそうだ。そして、決定的だったのが山本がガダルカナルに固執して、失敗して、この戦は終わってしまったそうだ。陸軍省戦争経済研究班の実質的なリーダだった有沢広巳は昭和16年3月に報告書「経済戦争の本義」を書いているそうだ。彼は戦後吉田茂の配下を始め色々と活躍し叙勲もしているとのこと。そして、彼は回顧録に戦前のことはかなり歪曲して書いているそうだ。著者は有沢広巳の回顧録「支離滅裂の秋丸機関」を取り上げ、歪曲や嘘の部分を発掘された一次資料に基づき解説している。秋丸次朗も昭和63年に出した回顧録で、秋丸機関が陸軍に戦争を思い留めるように努力したが陸軍がこれを顧みず開戦へと向かったと書いたそうだ。秋丸次朗が回顧録を出した少し後に有沢広巳が亡くなり、全て焼却されたはずの「英米合作経済交戦力調査(I)」が見つかり、それを家族が東京大学に寄贈して大変な騒ぎになったそうだ。そして、秋丸次朗はじめ、戦後進歩派で鳴らした関係者は大変な恐怖を持ったようで、必死になって火消しに回ったそうだ。一例として著者が挙げているのが日経新聞2011年1月3日の記事だそうだ。NHKもこの手の人達の火消しに協力する番組を色々と流しているそうだ。経済学や歴史学関連の諸学会やマスコミなどは、秋丸機関に関する事実が世に明らかになることを、今も、極度に恐れているそうだ。戦後、太平洋戦争は陸軍の暴走による無謀なものであったと歴史の歪曲がされて現在に至っているが、実際は、「日本人は、家族を守るため、国を守るため、民族を守るため、そして、アジア諸国の独立を勝ち取るため、清く正しく、英知を尽くしてアメリカやイギリスによる侵略に立ち向かったのです。大義ある防衛戦であるからこそ、多くの国民が進んで勇敢に戦い、結果、二百数十万の兵士が戦場に散ったのです」と著者は書いている。今後とも、色々な現物が発見されて、分断された歴史に繋がりが取り戻されていくだろう。私の読書記録索引はこちらをクリック。
2022.07.05
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登山電車で昭和32年、NHKラジオ歌謡。歌唱は岡本敦郎。作詞が丘十四夫、作曲が古関裕而。歌詞は以下のごとくです。1.萌える青葉が招くから あの山越えて湯の宿へ 登山電車で行こう 僕は身軽な旅行服 君は真っ赤なスポーツ着 晴れたこの日の思い出の カメラも肩に掛けてある あゝ山々が招くから 登山電車で行こう2.若い二人の一日は あの雲のよに帰らない 登山電車で行こう 僕は明るく唄うから 君はスケッチそれもいい 絵具鞄はなくっても 真っ白な手帳があればいい あゝ青空が招くから 登山電車で行こう3.生きる喜び幸せを あの山鳩も歌ってる 登山電車で行こう 僕のスーツにゃウイスキー 君のバックにゃチョコレート 忘れられない思い出は 大事に胸に残そうよ あゝ太陽が招くから 登山電車で行こう「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.04
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まつり昭和59年、北島三郎の歌唱でレコード発売。作詞がなかにし礼、作曲が原譲二。歌詞は以下の如くです。1.男は祭りを、そうさ担いで生きて来た 山の神、海の神、今年も本当にありがとう 白い褌引き締めた裸若衆に雪が舞う 祭りだ祭りだ祭りだ豊年祭り 土の匂いの沁み込んだ 倅その手が宝物2.男は祭りで、そうさ、男を磨くんだ 山の神、海の神、命を本当にありがとう 船に五色の旗をたて海の男が風を切る 祭りだ祭りだ祭りだ大漁祭り 見ろよ真っ赤な陽が昇る 倅一番、船を漕げ 燃えろよ涙と汗こそ男のロマン 俺もどんとまた生きてやる これが日本の祭りだよ「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.04
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青桐の葉っぱNHKラジオ歌謡の曲。時期や歌手は不明。作詞が藤浦洸、作曲が八木傳(ツタエ)。歌詞は以下のごとくです。1.青桐の枯葉が散るよ 秋風の煉瓦の道 鈴の様な綺麗な音で 靴先を転げて行くよ 青い空、広い空、秋風よ秋風よ2.枯葉故、淋しく散りて 枯葉故、悲しく行くよ ひとひらを拾い上げれば 酒の様な匂いがするよ 青い空、広い空、秋風よ秋風よ3.見詰れば愛しくなるよ ひと夏の命の後 古い絵の聖者の顔の あの色の青桐の葉よ 青い空、広い空、秋風よ秋風よ「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.04
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暖炉の部屋で昭和32年、NHKラジオ歌謡。歌唱は高英男。作詞が薩摩忠、作曲が中田喜直。歌詞は以下のごとくです。1.日暮れの町に木枯らしが 飾りを付けた樅の木と 溜息交じりの年の瀬を 冷たい歌で連れて来て みんなの足を急がせる★ 狭いけれども幸せが いっぱい溢れている部屋で ケーキの上のローソクに そっと灯りを点けましょう2.部屋の暖炉に燃える火が 二月の頃の悲しさと 九月の頃の喜びを 炎の胸に踊らせて みんなの顔を染めている ★以降を繰り返し3.今宵の窓に降る雪が 遠い昔の想い出と 新たな都市の希望(ノゾミ)とを 白い袋に詰め込んで みんなの胸に持って来た ★以降を繰り返し「ギターと歌おう」はここをクリック
2022.07.04
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2022年6月26日、究極の免疫力(西原克成/著)読了。後書きに、筆者の永年の研究が実って、難病と言われる免疫病の原因と治療法が明らかになったからこの本を書いたとある。今の日本の医者は単に自分の担当する器官を見るだけで、人間を生きている生命体としてとらえることをしないのだそうだ。患者の発病に至るまでの既往歴や現病状をはじめ体の医学的所見を隅々まで把握する最も重要な診察をせずに、単に検査をして何か出れば自動的に治療法が決まると信じている医者が多いそうだ。膵臓癌の疑いで入院しても、詳しい問診もなければ、顔から上腹部から患部にかけての視診・触診・打診・聴診等をせずに採血だ、CTだ、レントゲンだ、と物理的なものだけでエネルギーに関しては全く無関心なのだそうだ。検査が多いのはそれが医者の収入になるからだそうだ。お金になるのは難病指定された病気だそうで、治すのが困難だからこの名前なのだが、難病にしてしまえば莫大な金が国からもたらされる仕組みだそうで、代表例がステロイド療法、インターフェロン療法、抗癌剤療法、骨髄移植療法、人工透析療法などだそうだ。日本では鼻呼吸が身に着く前におしゃぶりを取り上げてしまうから口呼吸の大人が多いそうで、それが腎臓を痛めて人工透析へとなるそうで、そうなれば医者には莫大な収入が約束される。それを鼻呼吸に矯正しても収入はほとんどないそうだ。白血球が増えているとの現象だけで、白血病でないが、白血病として治療すれば高額の医療費を確保できるとのこと。白血球は炎症などがあると増えるが、白血球の数しか見ないからなのか、お金が欲しいからなのか白血病ではないのに抗がん剤治療をして患者を弱らせるそうだ。こうすると患者は弱ってもなかなか死なないので、長く難病治療を続けることができるそうだ。明治以降の日本の医学は世界的に見てとても優れたものだったそうだ。緒方洪庵の適塾が明治維新に大きく影響したためだそうだ。しかし、昭和40年代の大学紛争の頃から日本の医学がおかしくなって今に至っているそうだ。敗戦直後に導入された米国のインターン制度を廃止しようとすることに端を発しているそうで、この運動の中心になったのが東京医科歯科大学と東大医学部だったそうで、東大医学部内は二つに割れてその影響は今日まで続いているそうだ。森鴎外の白米食での脚気の事が出て来る。脚気は日本にしかないから独逸医学に知見はないし、時代的に伝染病と考えられていたそうだ。しかし、海軍の麦飯で顕著に減少したのに、それを無視した森鴎外の白米と沢庵の推奨で俄然増えてしまったそうだ。東大の弊害としてもう一つ、北里柴三郎が東大に無視されて福沢諭吉の援助で内務省管轄で研究所を開き多くの成果を上げていたことを快く思わない文部省管轄の東大医学部が、北里研究所を文部省管轄にして支配下に置き邪魔をしたそうだ。東大医学部では解剖学は自習だそうだ。著者曰く、そんな東大医学部はコーヒー豆のないコーヒーだと書いている。現代の医学は人体を機械と同じに捉え、人体を細分化してそれぞれを専門に扱うようになってきているそうで、人体を含めた自然界のエネルギーを忘れてしまっているそうだ。生きていると言う事はエネルギーを使って細胞を作り替えていくことだそうで、細胞は部品ではなく、エネルギーが流れ込み、流れ去りながら、細胞自体が作り代わり生命現象が維持されているそうだ。著者の指導で母乳だけで育ってきた2歳半の子が居るそうだ。親には小児科医の言う事は無視しろと指導しているそうだ。小児科医は母乳では栄養が足りないから5ヶ月を過ぎたら離乳食を与えよとか、おしゃぶりはなるべく早く使わないようにしろとか言うそうだが、小児科医には従っているふりをしてすべて無視しろと言う事だ。小児科医の指導で5ヶ月でカボチャを食べさせたら発疹が起きたので著者に相談して母乳だけにしたら治ったそうだ。 1歳半の検診でこの子が医者に「先生こんにちは」ときちんと挨拶したらその医者は「離乳食」のおかげですね、とご満悦だったそうだが、当然だが嘘の申告しかしていないのだが。日本の育児の誤りは昭和55年の母子手帳の改定に始まるそうだ。厚生省はスポック博士の考えを全面的に取り入れたそうで日本の子供の成長に多大な悪影響が出ているそうだ。まず5ヶ月の乳児にタンパク質を与えよと言うが絶対に与えてはならないそうだ。与えると消化できないから腸が駄目になるしお腹が苦しいからうつぶせ寝になり、鼻腔が圧迫されて口呼吸にと、元気に育てない基になっているそうだ。スポック博士の育児法は米国でもてはやされていたが人工乳で育った幼児が死亡したりして調査が行われ幼児の腸は未成熟でタンパク質を与えるとよくないことが分かり、人工乳や離乳食などから母乳中心に変えたそうだ。しかし、同じ頃厚生省はスポック博士の育児法を全面的に取り入れて現在に至っているそうだ。うつぶせ寝で赤ちゃんは酸欠で死ぬそうだ。二酸化炭素は空気より重いので自分が出した二酸化炭素が口や鼻の周りに漂い、充分な酸素が吸収されなくなり眠りながら酸欠で死ぬそうだ。仰向けだと出した二酸化炭素は自重で落ちて行くから酸素を含んだ普通の空気を吸うことができるそうだ。扇風機の風が顔に当たる状況で寝ると顔の所の気圧が下がり酸欠で静かに死ぬそうだ。富士山の様に高い山に登った時にも気圧は下がるが身体全体が感知して呼吸を促進するからいいが扇風機だと口と鼻のあたりだけの気圧が下がるから呼吸の促進は起きないそうだ。体を冷やすと体を駄目にしてしまうそうだ。癌の人は低体温だそうで、これを37度にするだけで治せるそうだ。腸を冷やすと全身のミトコンドリアの機能障害を引き起こすそうだ。冷たいもの、例えばアイスクリームは零度以下だから、恒温動物の人体に入ると、アイスクリームを解かすための融解熱が必要になり身体は膨大なエネルギーを費消するそうだ。人の様に恒温動物は爬虫類などの冷血動物に比べて10倍のエネルギーが必要で、それだけ大量に食べる必要があるそうだ。哺乳類の中で人間だけが持つ欠陥があるそうだ。それが口呼吸だそうだ。600万年前に話すようになってから気管と鼻腔の繋がりが離れるようになったそうだ。他の哺乳類は気管と鼻腔が常時繋がっているそうだ。人間も1歳迄は繋がっているそうで、それ故に乳を吸いながら呼吸ができるそうだ。しかし、離乳食を与えることで気管と鼻腔の間が閉ざされるようになり、口で息ができるようになるそうだ。スポーツは身体にいいとされるが逆で自律神経のバランスを崩し健康によくないそうだ。昔の日本では、夏に冷たいものを摂り過ぎないようにとか、子供は必ず9時間以上寝なさいとか、当たり前だったが、昭和40年頃から良質の睡眠であれば3~4時間で充分だとか言う人が現れて、充分に睡眠をとらない人が蔓延してしまったそうだ。睡眠と言っても眠れない人が居るが、重要なのは重力からの解放で睡眠薬の服用は弊害で、体を横にしていることが重要なのだそうだ。重力から解放されればいいかと言うと、そうでもなくて、宇宙空間の様に無重力状態だとそれはそれで問題があるそうだ。現代西洋医学はエネルギー保存の法則を全く無視して人体の構成要素の細胞にしか着目していないから、免疫病(難病)が理解できないそうだ。免疫病(難病)は、身体に作用するエネルギーの不適と身体の細胞レベルの呼吸のミトコンドリアのエネルギー代謝の変調が原因となって起こる疾病だそうだ。エネルギーの不適には、骨休め不足による重力作用の過剰、腸や身体の過冷却、太陽光線不足、気圧、湿度、超音波や放射線、電磁波の生体への作用だそうだ。ミトコンドリアの変調の原因は、COやシアン、大気汚染等の毒物の作用、ビタミンやミネラル不足、病原性ウィルスや細菌の感染、口呼吸や腸の過冷却による腸内常在細菌の細胞内感染、つまり寄生性の微生物・原虫・寄生虫等の感染の複合によるのが一般的だそうだ。SARSやMARS、AIDSに肝炎ウィルスやインフルエンザでも、症状が出るのは、生体全体の活動が低下している、つまり体力が失われているからだそうだ。そうした背景が無ければ、細胞の中に巣くったウィルスや細菌が活動を開始することはなく、細胞が再生される時に不要物として尿や汗として排出されるそうだ。健康な人が冷えたビールを飲んだり、アイスクリームを食べたりした後3日もしない内に献血をすると、腸内細菌が入った血液を献血することになるそうだ。 これを弱った患者に輸血すると死亡に繋がるそうだ。最後に、人類特有の口呼吸や冷たいものの飲食を止め、恒温動物らしく体温を保ち、直立歩行による重力の負荷を骨休めで解消することで健康に暮らせるそうだ。私の読書記録索引はこちらをクリック。
2022.07.02
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