全6件 (6件中 1-6件目)
1
" 大根卸し、摺小木 が並んで懸 けてある傍 らに火消壺だけが悄然 と控 えている。 真黒になった樽木 の交叉した真中から一本の自在 を下ろして、先へは平たい大きな籠 をかける。その籠が時々風に揺れて鷹揚 に動いている。この籠は何のために釣るすのか、この家 へ来たてには一向 要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへ入れると云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。これから作戦計画だ。どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜 な地形だからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずる。どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。 何だか東郷大将のような心持がする。 下女はさっき湯に行って戻って来 ん。 小供はとくに寝ている。 主人は芋坂 の団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引き籠 っている。 細君は――細君は何をしているか知らない。 大方居眠りをして山芋の夢でも見ているのだろう。 時々門前を人力 が通るが、通り過ぎた後 は一段と淋しい。わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺 の寂寞 と云い、全体の感じが悉 く悲壮である。どうしても猫中 の東郷大将としか思われない。こう云う境界 に入ると物凄 い内に一種の愉快を覚えるのは誰しも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配が横 わっているのを発見した。 鼠と戦争をするのは覚悟の前だから何疋来ても恐 くはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合である。 周密なる観察から得た材料を綜合 して見ると鼠賊 の逸出 するのには三つの行路がある。 彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ない。その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやる。あるいは溝 へ湯を抜く漆喰 の穴より風呂場を迂回 して勝手へ不意に飛び出すかも知れない。そうしたら釜の蓋 の上に陣取って眼の下に来た時上から飛び下りて一攫 みにする。それからとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右の下隅が半月形 に喰い破られて、彼等の出入 に便なるかの疑がある。 鼻を付けて臭 いで見ると少々鼠|臭 い。もしここから吶喊 して出たら、柱を楯 にやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかける。もし天井から来たらと上を仰ぐと真黒な煤 がランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちょっと吾輩の手際 では上 る事も、下 る事も出来ん。まさかあんな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒を解 く事にする。それにしても三方から攻撃される懸念 がある。 一口なら片眼でも退治して見せる。 二口ならどうにか、こうにかやってのける自信がある。しかし三口となるといかに本能的に鼠を捕 るべく予期せらるる吾輩も手の付けようがない。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関する。どうしたら好かろう。どうしたら好かろうと考えて好い智慧 が出ない時は、そんな事は起る気遣 はないと決めるのが一番安心を得る近道である。また法のつかない者は起らないと考えたくなるものである。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではないか、しかし聟殿 は玉椿千代も八千代もなど、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではないか。 心配せんのは、心配する価値がないからではない。いくら心配したって法が付かんからである。 吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便利である。 安心は万物に必要である。 吾輩も安心を欲する。よって三面攻撃は起らぬと極 める。それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやく分った。 三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、自 ら明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶 である。 戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対する計 がある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つに極 めねばならぬとなると大 に当惑する。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。"
2015年03月25日
コメント(0)
脳中の活力は人一倍|熾 に燃えている。ただ外見上は至極沈静端粛の態 であるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死 の庸人 と見做 して無用の長物とか穀潰 しとか入らざる誹謗 の声を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼 の多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎※ 同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋 に故障を挟 む景色 のない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑 するのも、あながち無理ではない。 大声は俚耳 に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩 も古い昔からある事だ。 形体以外の活動を見る能 わざる者に向って己霊 の光輝を見よと強 ゆるは、坊主に髪を結 えと逼 るがごとく、鮪 に演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものである。 必竟 無理な注文に過ぎん。しかしながら猫といえども社会的動物である。 社会的動物である以上はいかに高く自 ら標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。 主人や細君や乃至 御 さん、三平|連 が吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剥 いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上 すような無分別をやられては由々 しき大事である。 吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆 に出現したほどの古今来 の猫であれば、非常に大事な身体である。 千金の子 は堂陲 に坐せずとの諺 もある事なれば、好んで超邁 を宗 として、徒 らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災 なるのみならず、また大いに天意に背 く訳である。 猛虎も動物園に入れば糞豚 の隣りに居を占め、鴻雁 も鳥屋に生擒 らるれば雛鶏 と俎 を同 じゅうす。 庸人 と相互 する以上は下 って庸猫 と化せざるべからず。 庸猫たらんとすれば鼠を捕 らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極 めた。せんだってじゅうから日本は露西亜 と大戦争をしているそうだ。 吾輩は日本の猫だから無論日本|贔負 である。 出来得べくんば混成 猫旅団 を組織して露西亜兵を引っ掻 いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気|旺盛 な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なく捕 れる。 昔 しある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、猫が鼠を覘 うようにさしゃれと答えたそうだ。 猫が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外 ずれっこはござらぬと云う意味である。 女|賢 しゅうしてと云う諺はあるが猫|賢 しゅうして鼠|捕 り損 うと云う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢 こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。 今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。 春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪 が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶 の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。 今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。 戦闘線は勿論 あまり広かろうはずがない。 畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺 がぴかぴかして、後 ろは羽目板の間 を二尺|遺 して吾輩の鮑貝 の所在地である。 茶の間に近き六尺は膳椀 皿小鉢 を入れる戸棚となって狭 き台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢 が仰向 けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年03月23日
コメント(0)
「そうでござんすか、せんだってある宴会で逢いました時先生の御話をしたら、そうか君は苦沙弥 君のところの書生をしていたのか、僕も苦沙弥君とは昔 し小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったら宜 しく云うてくれ、僕もその内尋ねるからと云っていました」「近頃東京へ来たそうだな」「ええ今まで九州の炭坑におりましたが、こないだ東京|詰 になりました。なかなか旨 いです。私 なぞにでも朋友のように話します。――先生あの男がいくら貰ってると思いなさる」「知らん」「月給が二百五十円で盆暮に配当がつきますから、何でも平均四五百円になりますばい。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年|一狐裘 じゃ馬鹿気ておりますなあ」「実際馬鹿気ているな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間と異 なるところはない。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れない。多々良君は充分実業家の利益を吹聴 してもう云う事が無くなったものだから「奥さん、先生のところへ水島寒月と云う人 が来ますか」「ええ、善くいらっしゃいます」「どげんな人物ですか」「大変学問の出来る方だそうです」「好男子ですか」「ホホホホ多々良さんくらいなものでしょう」「そうですか、私 くらいなものですか」と多々良君真面目である。「どうして寒月の名を知っているのかい」と主人が聞く。「せんだって或る人から頼まれました。そんな事を聞くだけの価値のある人物でしょうか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えている。「君よりよほどえらい男だ」「そうでございますか、私 よりえらいですか」と笑いもせず怒 りもせぬ。これが多々良君の特色である。「近々 博士になりますか」「今論文を書いてるそうだ」「やっぱり馬鹿ですな。博士論文をかくなんて、もう少し話せる人物かと思ったら」「相変らず、えらい見識ですね」と細君が笑いながら云う。「博士になったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うていましたから、そんな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そんな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやりました」「だれに」「私 に水島の事を聞いてくれと頼んだ男です」「鈴木じゃないか」「いいえ、あの人にゃ、まだそんな事は云い切りません。向うは大頭ですから」「多々良さんは蔭弁慶 ね。うちへなんぞ来ちゃ大変威張っても鈴木さんなどの前へ出ると小さくなってるんでしょう」「ええ。そうせんと、あぶないです」「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云う。先刻 から袷 一枚であまり寒いので少し運動でもしたら暖かになるだろうと云う考から主人はこの先例のない動議を呈出したのである。行き当りばったりの多々良君は無論|逡巡 する訳がない。「行きましょう。上野にしますか。芋坂 へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮 ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱 へ下りる。吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行 する勇気もないからずっと略してその間 休養せんければならん。休養は万物の旻天 から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動 する者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝 は働くために生れたり寝るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢 ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令 猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。ただ先刻 多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物 のごとくに罵 ったのは少々気掛りである。とかく物象 にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉 らんのは厄介である。何でも尻でも端折 って、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達磨 と云う坊さんは足の腐るまで座禅をして澄ましていたと云うが、仮令 壁の隙 から蔦 が這い込んで大師の眼口を塞 ぐまで動かないにしろ、寝ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖 などと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも静坐の工夫と云うのがあるそうだ。これだって一室の中 に閉居して安閑と躄 の修行をするのではない。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年03月17日
コメント(0)

世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険が多くて、日に日に油断がならなくなる。 狡猾 になるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪である。 老人に碌 なものがいないのはこの理だな、吾輩などもあるいは今のうちに多々良君の鍋 の中で玉葱 と共に成仏 する方が得策かも知れんと考えて隅 の方に小さくなっていると、最前 細君と喧嘩をして一反 書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくる。 「先生泥棒に逢いなさったそうですな。なんちゅ愚 な事です」と劈頭 一番にやり込める。 「這入 る奴が愚 なんだ」と主人はどこまでも賢人をもって自任している。 「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまり賢 こくはなかごたる」 「何にも取られるものの無い多々良さんのようなのが一番賢こいんでしょう」と細君が此度 は良人 の肩を持つ。 「しかし一番愚なのはこの猫ですばい。ほんにまあ、どう云う了見じゃろう。 鼠は捕 らず泥棒が来ても知らん顔をしている。――先生この猫を私 にくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちませんばい」 「やっても好い。 何にするんだ」 「煮て喰べます」 主人は猛烈なるこの一言 を聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑を洩 らしたが、別段の返事もしないので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福である。 主人はやがて話頭を転じて、 「猫はどうでも好いが、着物をとられたので寒くていかん」と大 に銷沈 の体 である。なるほど寒いはずである。 昨日 までは綿入を二枚重ねていたのに今日は袷 に半袖 のシャツだけで、朝から運動もせず枯坐 したぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へは少しも巡回して来ない。 「先生教師などをしておったちゃとうていあかんですばい。ちょっと泥棒に逢っても、すぐ困る――一丁 今から考を換 えて実業家にでもなんなさらんか」 「先生は実業家は嫌 だから、そんな事を言ったって駄目よ」と細君が傍 から多々良君に返事をする。 細君は無論実業家になって貰いたいのである。 「先生学校を卒業して何年になんなさるか」 「今年で九年目でしょう」と細君は主人を顧 みる。 主人はそうだとも、そうで無いとも云わない。 「九年立っても月給は上がらず。いくら勉強しても人は褒 めちゃくれず、郎君 独寂寞 ですたい」と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちょっと分りかねたものだから返事をしない。「教師は無論|嫌 だが、実業家はなお嫌いだ」と主人は何が好きだか心の裏 で考えているらしい。 「先生は何でも嫌なんだから……」 「嫌でないのは奥さんだけですか」と多々良君|柄 に似合わぬ冗談 を云う。 「一番嫌だ」主人の返事はもっとも簡明である。 細君は横を向いてちょっと澄 したが再び主人の方を見て、 「生きていらっしゃるのも御嫌 なんでしょう」と充分主人を凹 ましたつもりで云う。 「あまり好いてはおらん」と存外|呑気 な返事をする。これでは手のつけようがない。 「先生ちっと活溌 に散歩でもしなさらんと、からだを壊 してしまいますばい。――そうして実業家になんなさい。 金なんか儲 けるのは、ほんに造作 もない事でござります」 「少しも儲けもせん癖に」 「まだあなた、去年やっと会社へ這入 ったばかりですもの。それでも先生より貯蓄があります」 「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。 「もう五十円になります」 「一体あなたの月給はどのくらいなの」これも細君の質問である。 「三十円ですたい。その内を毎月五円|宛 会社の方で預って積んでおいて、いざと云う時にやります。――奥さん小遣銭で外濠線 の株を少し買いなさらんか、今から三四個月すると倍になります。ほんに少し金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなります」 「そんな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃしないわ」 「それだから実業家に限ると云うんです。 先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はありますのに、惜しい事でござんしたな。――先生あの鈴木藤十郎と云う工学士を知ってなさるか」 「うん昨日 来た」本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった作成中だったAKBのまとめサイトができました。クリックするとサイトに飛びます。他のまとめサイトにない特徴があります。リンクされているメンバーの名前をクリックするとその場で開きます。開いた画面の右下にポインターを持っていくと表示が矢印に変わるので、そこでポインターを移動させると好きな大きさにできます。すごく快適に楽しめると思います。AKB48も少し見ると楽しめますよ。一度食わず嫌いの人も覗いてみるとイメージが変わるかも知れません。
2015年03月12日
コメント(0)
そげん山の芋の好きな男がおりますか?」と三平君|大 に感心している。 「御母 あさま、夕べ泥棒が這入 ったの?」と姉が尋ねる。 「ええ」と細君は軽 く答える。 「泥棒が這入って――そうして――泥棒が這入って――どんな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答えてよいか分らんので「恐 い顔をして這入りました」と返事をして多々良君の方を見る。 「恐い顔って多々良さん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。 「何ですね。そんな失礼な事を」 「ハハハハ私 の顔はそんなに恐いですか。困ったな」と頭を掻 く。 多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりの禿 がある。 一カ月前から出来だして医者に見て貰ったが、まだ容易に癒 りそうもない。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子である。 「あら多々良さんの頭は御母 さまのように光 かってよ」 「だまっていらっしゃいと云うのに」 「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質問である。 細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまり煩 わしくて話も何も出来ぬので「さあさあ御前さん達は少し御庭へ出て御遊びなさい。 今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細君はようやく子供を追いやって「多々良さんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見る。 「虫が食いました。なかなか癒りません。 奥さんも有んなさるか」 「やだわ、虫が食うなんて、そりゃ髷 で釣るところは女だから少しは禿げますさ」 「禿はみんなバクテリヤですばい」 「わたしのはバクテリヤじゃありません」 「そりゃ奥さん意地張りたい」 「何でもバクテリヤじゃありません。しかし英語で禿の事を何とか云うでしょう」 「禿はボールドとか云います」 「いいえ、それじゃないの、もっと長い名があるでしょう」 「先生に聞いたら、すぐわかりましょう」 「先生はどうしても教えて下さらないから、あなたに聞くんです」 「私 はボールドより知りませんが。 長かって、どげんですか」 「オタンチン・パレオロガスと云うんです。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでしょう」 「そうかも知れませんたい。 今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べて上げましょう。しかし先生もよほど変っていなさいますな。この天気の好いのに、うちにじっとして――奥さん、あれじゃ胃病は癒りませんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさい」 「あなたが連れ出して下さい。 先生は女の云う事は決して聞かない人ですから」 「この頃でもジャムを舐 めなさるか」 「ええ相変らずです」 「せんだって、先生こぼしていなさいました。どうも妻 が俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそんなに舐めるつもりはない。 何か勘定違いだろうと云いなさるから、そりゃ御嬢さんや奥さんがいっしょに舐めなさるに違ない――」 「いやな多々良さんだ、何だってそんな事を云うんです」 「しかし奥さんだって舐めそうな顔をしていなさるばい」 「顔でそんな事がどうして分ります」 「分らんばってんが――それじゃ奥さん少しも舐めなさらんか」 「そりゃ少しは舐めますさ。 舐めたって好いじゃありませんか。うちのものだもの」 「ハハハハそうだろうと思った――しかし本 の事 、泥棒は飛んだ災難でしたな。 山の芋ばかり持って行 たのですか」 「山の芋ばかりなら困りゃしませんが、不断着をみんな取って行きました」 「早速困りますか。また借金をしなければならんですか。この猫が犬ならよかったに――惜しい事をしたなあ。 奥さん犬の大 か奴 を是非一丁飼いなさい。――猫は駄目ですばい、飯を食うばかりで――ちっとは鼠でも捕 りますか」 「一匹もとった事はありません。 本当に横着な図々図々 しい猫ですよ」 「いやそりゃ、どうもこうもならん。 早々棄てなさい。 私 が貰って行って煮て食おうか知らん」 「あら、多々良さんは猫を食べるの」 「食いました。 猫は旨 うござります」 「随分豪傑ね」 下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人がある由 はかねて伝聞したが、吾輩が平生|眷顧 を辱 うする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が今まで夢にも知らなかった。いわんや同君はすでに書生ではない、卒業の日は浅きにも係 わらず堂々たる一個の法学士で、六 つ井 物産会社の役員であるのだから吾輩の驚愕 もまた一と通りではない。 人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理である。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。
2015年03月08日
コメント(0)
" 「そんな帯があるものですか。それだからあなたは不人情だと云うんです。 女房なんどは、どんな汚ない風をしていても、自分さい宜 けりゃ、構わないんでしょう」 「まあいいや、それから何だ」 「糸織 の羽織です、あれは河野 の叔母さんの形身 にもらったんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違います」 「そんな講釈は聞かんでもいい。 値段はいくらだ」 「十五円」 「十五円の羽織を着るなんて身分不相当だ」 「いいじゃありませんか、あなたに買っていただきゃあしまいし」 「その次は何だ」 「黒足袋が一足」 「御前のか」 「あなたんでさあね。 代価が二十七銭」 「それから?」 「山の芋が一箱」 「山の芋まで持って行ったのか。 煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」 「どうするつもりか知りません。 泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」 「いくらするか」 「山の芋のねだんまでは知りません」 「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」 「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津 から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」 「しかし御前は知らんと云うじゃないか」 「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」 「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」 「何ですって」 「オタンチン・パレオロガスだよ」 「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」 「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向 出て来んじゃないか」 「あとは何でも宜 うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴 」 「意味も何 にもあるもんか」 「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」 「愚 な事を言わんで、早くあとを云うが好い。 早く告訴をせんと品物が返らんぞ」 「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」 「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」 「そんなら、品物の方もあとはありません」 「頑愚 だな。それでは勝手にするがいい。 俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」 「私も品数 を教えて上げません。 告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」 「それじゃ廃 そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入 る。 細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。 両人 共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨 め付けている。ところへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者|多々良三平 君が上 ってくる。 多々良三平君はもとこの家 の書生であったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われている。これも実業家の芽生 で、鈴木藤十郎君の後進生である。 三平君は以前の関係から時々旧先生の草廬 を訪問して日曜などには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄である。 「奥さん。よか天気でござります」と唐津訛 りか何かで細君の前にズボンのまま立て膝をつく。 「おや多々良さん」 「先生はどこぞ出なすったか」 「いいえ書斎にいます」 「奥さん、先生のごと勉強しなさると毒ですばい。たまの日曜だもの、あなた」 「わたしに言っても駄目だから、あなたが先生にそうおっしゃい」 「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢さんも見えんな」と半分妻君に聞いているや否や次の間 からとん子とすん子が馳け出して来る。 「多々良さん、今日は御寿司 を持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促する。 多々良君は頭を掻 きながら「よう覚えているのう、この次はきっと持って来ます。 今日は忘れた」と白状する。 「いやーだ」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーだ」とつける。 細君はようやく御機嫌が直って少々笑顔になる。 「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。 御嬢さん喰べなさったか」 「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねる。 「まだ食いなさらんか、早く御母 あさんに煮て御貰い。 唐津 の山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやく気が付いて「多々良さんせんだっては御親切に沢山ありがとう」 「どうです、喰べて見なすったか、折れんように箱を誂 らえて堅くつめて来たから、長いままでありましたろう」 「ところがせっかく下すった山の芋を夕 べ泥棒に取られてしまって」 「ぬす盗 が? 馬鹿な奴ですなあ。本連載は青空文庫収録ファイル「吾輩は猫である」(新字新仮名、作品ID:789)から引用・編集し提供させて頂いています。 夏目 漱石慶応3年1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町に生まれる。本名は夏目金之助。帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経て、1900年イギリスに留学する。帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作「吾輩は猫である」を発表。1906年「坊っちゃん」「草枕」を発表。1907年教職を辞し、朝日新聞社に入社。そして「虞美人草」「三四郎」などを発表するが、胃病に苦しむようになる。1916年12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠。享年50歳であった。"
2015年03月02日
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1


