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今日は、京の異界伝説をお話します。皆様「千本ゑんま堂」というところを御存知でしょうか?「京都歴史逍遥・その13(9月23日)」で紹介しました晴明神社から北へ進んで今出川通りへ出ます。今出川通を西に向かい、千本今出川交差点を北へ。千本通商店街へ出ます。この商店街は東西の今出川通を挟んで北は鞍馬口通、南は丸太町通まであります。南北の千本通は、平安京では「朱雀大路」でした。都は、朱雀大路を縦軸に、東西の一条通りから南に広がっていたのです。したがって、このあたりは平安時代は洛外でした。さてこの平安時代。百人一首の歌人として知られる小野篁(802~853)は、またこの世とあの世を行き来する神通力を有したといいます。昼は宮中に赴き、夜は閻魔之庁に仕えたとの伝説を残しています。その異界との通路が東山の「六道珍皇寺」の井戸にあったそうです。篁は、閻魔法王より現世浄化のため、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、後に我が国の伝統習慣である「盂蘭盆会(お盆行事)」へと融合発展する法儀「精霊迎えの法」を授かったといいます。その根本道場として、朱雀大路の北側に篁自ら閻魔法王の姿を刻み、建立した祠がゑんま堂の開基と伝わっています。また、この地は「化野」「鳥辺野」と並び、篁が定めたと伝わる平安京三大葬送地のひとつ「蓮台野」の入口にあたります。ゑんま堂から蓮台野へ亡骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆が、この辺りには何本も無数にあったことから「千本」の地名が残ったといわれています。また、このゑんま堂は「引接寺(いんじょうじ)」という正式名称を持ちますが、「引接」とは「引導」とほぼ同じ意味です。でも、京都の人は「ゑんま堂」と呼ぶのに親しんでいるので、案外知られていませんね。ゑんま堂の御本尊である高さ2.4メートルの閻魔法王像を見てきました。近くで見るとかなりの迫力ですよ。二代目の閻魔様だそうですが、目に琥珀の玉を埋め込まれていて、人びとの行状に目を光らせているみたいです。実は、この閻魔法王というのは、地蔵菩薩の化身です。地蔵菩薩と閻魔法王、慈悲と厳格の二面をもって人を見詰める、今も昔も人の道はそうあれかしと望まれてきたんでしょうね。閻魔法王の脇に、面白いお供物が置かれていたのを目ざとく見つけました。老松酒造「閻魔」。ゑんま堂に「閻魔」。薄っすら琥珀がかった樽の香がする大分麦焼酎です。ラベルも派手で、閻魔様のように猛々しい味がするのかな?と思いきや、飲めばまろやかな口当たりで、少しウイスキーを思わせます。飲めば飲むほど、コワイ顔の下の地蔵菩薩のやさしい顔が見えてきました。
2008年09月27日
修学旅行生に、「京都でまず回りたいところは?」と訪ねると返って来る答えのベスト3に必ず入っているというのが、「晴明神社」。安倍晴明は、平安時代に朝廷における天文陰陽師として孝元帝以後6代の天皇に仕え、活躍した人物です。陰陽師ブームに火がついて以来、晴明を祀ったここ晴明神社は大人気のスポットです。おかげで近年、大手スーパーなどに圧されていた参道の商店街も活気を取り戻し、全国の商店街の希望の星になっているようです。晴明神社では、秋分の日は「晴明祭神幸祭」です。22日には宵宮祭があり、古式豊かに御湯立神楽が奉納されます。当日は神輿の渡御があり、堀川通を中心に巡行がおこなわれます。祭列は、祇園祭とは趣を異にした古式ゆかしい香りの漂う稚児行列や鼓笛隊などが練り歩きます。これもまた京都、という雰囲気をかもし出しています。また、26日は晴明公のご命日にあたります。さて。晴明神社の南100メートルの場所に「一条戻り橋」という橋が存在します。バス停の名前にもなっています。ここはあの世とこの世をつなぐ橋とされており、源頼光の四天王の1人渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所でもあります。源氏物語でも「行くは帰へるの橋」とも歌われているので、古くから堀川にかかっていたのですね。晴明公は式神(しきがみ)を、石棺に封じてこの橋の下に隠したと伝えられています。現在にもこの伝説が生きていて、「戻る」を嫌い葬列や入嫁列はこの橋を渡らない慣わしになっています。橋や川というのは、昔は人界とそれ以外の世界を隔てる境界になっていたと民俗学的にはいわれています。橋の上を渡るのは人間ですが、橋の下というのはすでに「異界」だったのです。ですので、溺死した人や川上から流れてくる異物などは「異界」から此の世に来た客人(まれびと)として畏怖され、反面別格扱いされてきました。式神も「異界」の住人で、橋の下、川の流れはあの世、魔界への入り口だったのでしょうね。そんなオカルト話をするのにぴったりの焼酎。「魔界への誘い」佐賀・光武酒造場芋焼酎ファンにとってはすでにネームバリューはありますが、飲みやすいのでビギナーにもおすすめです。「異界とは……」といううんちくを語って飲めばまた違う味わいに。思わず、焼酎の魔界へ引きずり込まれてしまいます。
2008年09月23日
今年の夏は本当に暑かったです。我が家でもアイスクリームの消費が伸びました。去年買ったアイスクリーマーを回す暇も待てないので買ってしまう。毎日2、3個は食べてしまうのでまた買いに走る……という自転車操業でした。夕飯のメニューも何となくそうめん、ひやむぎ、冷し中華という食べやすい麺類だったりして、精彩を欠く食卓だったこともままありました。ちょっと反省してますが。そういう暑い夏の夜には冷えたビール……ではなく、クラッシュドアイスでアレンジした焼酎です。通常はグラスの七分目くらいまでにクラッシュドアイスを入れ、焼酎水割りや梅酒を注ぐのですが、あるとき考えてみました。「これもっと細かい氷でもいいんではないの?」そこで、実家から貰ってきた昔父親が使っていたペンギンさんのかき氷器を引っ張り出してきました。そうめんつゆを入れる器に焼酎(梅酒)を入れ、かき氷をてんこ盛りにするのです。さらにその上から焼酎(梅酒)をかけます。「焼酎かき氷」。これをカクテルと呼んでいいかどうか?という気もしますし、邪道かもしれませんが、なかなかいけます。レシピは特に書きません。物足りない時は、お酒を足したりして、自在に楽しめます。梅酒の代りにエスプレッソを漬け込んだ焼酎をかけたら、甘味がなくてがっかりしたのでコンデンスミルクをかけてみました。すると、大人の味のコーヒーかき氷になったのです。もっと甘味が欲しかったら、かき氷用のみつを上からかければいいですし。ところが、これを思いついたのが先月の終わりでした。いまや朝晩は肌寒いほどの季節。なんか損した気分です。来年は、もっと違う味にトライしてみようかな、なんて思ってしまいました。エスプレッソ焼酎の作り方は簡単です。50~80ccのエスプレッソもしくは濃い目に淹れたコーヒーを180ccの焼酎に入れて一晩寝かせて出来上がりです。今回使ったものは、焼酎の旨みを生かしたいと思い、弥生焼酎醸造所の「太古の黒うさぎ」です。甘い中にややスモーキーな香がする熟成感のある黒糖焼酎。もちろん、ストレートでも美味しいですよ。
2008年09月18日
今年は9月14日が中秋の名月です。15日平野神社の「名月祭」に行きました。朝方から天気が悪く、途中から生憎の雨模様で、お月様は隠れていらっしゃいました。<午後6時半から神事、雅楽の演奏のなどの奉納行事が行われます。また、お抹茶接待も設けられますよ。(有料ですが)私は雅楽演奏の頃にちょうどぶらりと立ち寄ったのですが、この季節になると夜は風も出て来てやや肌寒いような気持ちよいような心地です。「ああ、お酒を飲みたいなあ」などと思ったりして。でも、出店やお茶席にはお酒はありませんので、帰宅してちょっと。中秋の名月というと、十五夜(8月15日)に対しての十三夜(9月13日)となります。十三夜は日本独自の風習であり、ちょうど収獲時期の大豆や栗などを供えることから、この夜の月を豆名月または栗名月といいます。栗名月ということで、栗ご飯も栗おこわもいいですが、やはり今夜は栗焼酎でしょう!「栗のお酒なんてあるの?」と疑う事なかれ。お酒は基本的に糖分のある穀物や果物からなら出来ます。栗焼酎もいろんな銘柄がありますよ。西山酒造株式会社の「栗焼酎 古丹波・竹炭濾過」。丹波栗の銀寄(ぎんよせ)という種類の甘味の強い大ぶりな栗を使った本格栗焼酎。お湯割りでふわっと立ち昇る甘い湯気に気分もほっこり。そして、欠かせないのが焼酎のおとも。「栗大福」です。最初、ストレートの黒糖焼酎に合わせて食べていましたが、栗の甘味には栗焼酎だなと思い、試してたらやはりバッチリでした。そのまま焼き栗や芋羊羹も合いますよ。って、夜中にたくさん食べたらいけませんね(笑)。でもついついいってしまう食欲の秋です。
2008年09月15日
稲穂実る九月。田舎育ちの私には、朝には黄金に色づき始めた田圃に柔らかい米の汁をすすりに来るスズメの群れ、夕べには山里におりてくるアキアカネの大群が稲穂の上に舞う光景が浮かびます。そうした光景の中を列車に乗って通学したものです。台風がくれば、農家の方々にはまことに申し訳ないのですが、田圃は水浸しで、水の上を走る龍に乗るような気分でまるで宮崎アニメの世界です。日本には、まだまだそんな場所が幾つもありますね。夏、東海道本線に乗って京都から東へ行くと、野洲市から近江八幡あたり、緑のじゅうたんが広がっています。それが、九月を過ぎると黄色と緑の市松模様のようなじゅうたんに様変わりしてきます。黄色は実った稲で、緑はこの時期、まだ丈の短い大麦や小麦です。大麦は、実は明治時代までは精白して食べられることはありませんでした。それで臭いの独特な大麦を混ぜたごはんを「臭い飯」といって刑務所などで呼ばれ始めたようです。壱岐焼酎に癖があるのも、かつては精白技術が発達していなかったためです。今は、麦焼酎といえば、サワヤカな香で喉ごしがするっとした飲みやすい焼酎のように言われていますね。麦は日本のような梅雨のある湿気の多い地域ではカビや病気が蔓延しやすく育ち難い穀物です。北海道産の小麦粉などが美味しいのは、梅雨がないからです。そこで、日本本島では、大体が稲作とは逆に秋蒔きをして翌年の春、梅雨前に収獲してしまいます。「麦秋」という言葉がさす季節は「春」です。残留農薬米問題で騒然となった焼酎業界ですが、これを機に原材料のトレサビリティや、流行だけではなく我々の望む酒類のクオリティの方向にもあらためて目を向けた商品選びを考える必要があるでしょう。西酒造の「一粒の麦」。これは麦麹を使った本格麦焼酎です。こういう癖の少ない美味しい麦焼酎が飲めるようになった環境に感謝しつつ、今日も一献。
2008年09月09日
近頃、見直されている和食、和酒、そして和装や儀礼、しきたりを含めた和趣。日本酒というと、醸造の神様が鎮座まします「松尾大社(まつのおたいしゃ)」「梅宮神社」とわが洛西には有名なお酒の神様がおられます。京都市西部にそうした神社が多いのも、いにしえ太秦辺りに移り住んだ秦氏をはじめ、渡来系の人びとが高度な農業、土木建築、醸造技術などを都にもたらしたということでしょう。当時の酒はほとんどが濁酒で、米を原材料とした餅、(炊)飯、酒は神饌でした。春日大社には日本で最古の酒殿があり、古来そこで醸造される一夜酒のような濁酒を神に捧げていました。いまでも、神酒を自ら醸造している神社が数十社残っているとききます。神社とお酒は切っても切り離せない存在です。むしろ、お寺では「般若湯」などと呼ばれて、人の本性を露見し煩悩を増幅するものであるとして、隠れてこっそり楽しむものだったのですが。さて、蒸留酒である焼酎はどうだったのかというと?薩摩焼酎のふるさと鹿児島県大口市にある郡山八幡神社には、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に宮大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ 作次郎 鶴(雨かんむりが付きます)田助太郎」という内容の落書きが伝わっており、焼酎の飲用について日本国内に残存する最古の文献となっています。イタリアの世界遺産での落書きが問題になっていましたが、もしかしたら作次郎さん助太郎さんも、実際軽い気持ちで書いたものかもしれませんね……。サツマイモの栽培がさかんに行われたのは江戸時代になってからですので、この頃は米を主原料とした米焼酎だったと思われます。庶民の酒というイメージは強いですが、神社での振る舞いも焼酎だとすると、神職の方々も焼酎を常飲していたのでしょうね。いずれにしても、日本酒も焼酎も神様に縁の深い飲料です。神社仏閣巡りをしていて、よくその神社で売られている御神酒や奉納している酒造会社のお酒を買います。その中で、日本酒と焼酎両方あることは珍しいのですが、一つありました。「敬老の日 長寿祈願の酒・焼酎」「桃太郎伝説」で有名な岡山の吉備津神社で長寿祈祷をしていただいたという、ありがたいお酒です。長寿祈願の焼酎は米焼酎を樫樽で熟成させたもので、癖がなく飲みやすいお酒です。桃太郎のその時代、桃太郎に退治された温羅(うら)(一説には百済の王子だったとも)や人々がどういうお酒を飲んでいたのか、気になるところですが本日はこの辺で。
2008年09月06日
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