PR
Calendar
Keyword Search
Comments
4月8日。 R1 の K 店での朝の試合に出場した。★ボウルで投げた日から、調子の良さは感じるものの、引っかき上げる悪癖、手離れが良くない投球があったためか、中指と薬指が腱鞘炎で痛んでいた。とはいえ、どうしても今日は試合に出たいという思いがあり、参加を決意。試合の要綱を見ていると、Cパターンのコンディションとの表記アリ。Cパターンで前全然打てなかった日を思い出し、 youtube で攻略法を検索する。いくつか見たが、それを自分のスタイルに変換すると、①過激に反応しない玉、すなわちメーリーフックジャブで外目を投げるか、②中のオイルを長く使いつつも、絞った出しのラインで新球クリプト投げるか、の二択かなと判断した。
車を走らせて20分して、会場に到着。受付をしてボックスに入ると、立ち話をしている参加者のボウラーさんたちの姿が。本当にいつもながらこういう光景を見ると、自分に全く自信が持てない。「自分より上手いんだろうな」という思いを抱いてしまう。参加者は僕も含めて13名のようだ。
練習投球が始まる。朝で体が上手く動かずに、最初数投、まったく思う投球ができない。「ああ、これは脱力がなってないせいだな」と自分のズレを認識して、バックスイングから引っ張ってこない意識を持つと、ある程度コントロールが落ち着いた。ただ、先発だと考えていたメーリーになかなかいいラインが引けるイメージが浮かばない。7番や10ピンのラインは決まったものの、ストライクラインだけが不明瞭で、終盤になんとなくクリプトを転がしてみると思い描いていた出しのラインでジャストのストライク。そのあと1投したくらいで「ピーーーッ」と終了の笛。ここでものすごく悩んだ。ストライクは出たものの、ほとんど練習投球でも投げていないほうの玉で突然投げだすんか?ただ、ここは攻めの勝負と決めて、クリプトを選択して試合開始。
1ゲーム目: 81 x9/x6/x6/x9/xxx 199(込219)
最初の投球で残した 2-4 をいきなりミス。オイルが厚くて曲がりきらなかった。スペアのラインを練習していないというぶっつけが早速悪い方に作用した。ただ、ボールが合っているということはすごいもので、左のレーンはとにかく投げれば全部倒れる。問題は右で、ややオイルの伸びがあるのか早く感じる…。ということは、左レーンとは別物と考えて、ラインは外に引かなくてはならないのだろう。しかしながら、外に極端に出過ぎて、薄いところで噛んでしまって厚めを食って割れるというのは本当に避けたい。そう思うと、1枚とか2枚ずつくらいしか動けない。途中の6はワッシャー。でもそれをきちんととれたのは良かった。次の6は 2-4-5-8 。ダイヤ型の嫌な奴。これもなんとかカバー。そうこうするうちに、薄めの7番、まで修正できて9ピン。ちょっとずつ形にしながら、大崩れさせずに守り切ったというゲームだった。ふっと隣のレーンを見ると、8連続ストライクで270に迫るスコアを出している上級者さんあり。この人はノーハンデながら毎度勝てる気がしない。
2ゲーム目: 7s2 x 8s- xxxxx9/9/x 213(込233)
せっかく合ってきたと思いきや、コントロールミスで厚めに入りスプリット2発。外目をこの噛む玉で投げていくのは不安定かと感じてしまう。そこでふと閃く。「右はメーリー、左はクリプトでどうだろう?」ただ、2球を投げ分けるというのは本当に難しい。違うラインイメージを持つことがというより、僕の場合は指穴の違いなども、微妙にフィーリングに影響を与える。ましてや投げまくったメーリーのサムホールと、こないだおろしたクリプトのボールのサムホールとでは皮膚の触れた回数が違うし、入口の削れ方が違う。ただ、このまま右をクリプトでこだわっていては倒れないと考えて、違う玉で投げることを決意。すると、やはり前回練習の成果か、ラインがぴたりとあって 5th !最後も無難にまとめて 200 UPをすることができた。珍しい! 2 ゲーム終わって、 400 あるなんて。ハンデもあることだ、これなら上位層にも食らいつけるかも…と隣を見ると、例の上級者さんはまた 250 を超えている…。トップまで76ピン差。まぁ~ないなと思いながらも、自分はやれるだけのことをやろうと決意。
3ゲーム目: xxxx9/9/9/x7/x9/ 227(込247)
違う玉でのラインアジャストが上手くいっているのか、わけのわからない謎のメッセンジャーが飛んできてピンを払ったりする、幸運な 4th でスタート。そこからはダブルは持ってこれなかったものの、 10 ピンをことごとくカバー。今日は 20~25 枚のオイルが厚く、 23 枚のあたりに転がせば、大抵取れる。左右へのミスの幅も若干甘く感じた。ビッグと呼ぶほど高いスコアは打てないものの、守りを固めて高得点を打てた。ハンデを足すとかなり大きなスコアになった。やはり気にしてしまう隣のレーン。すると、なんと 200 を割っているではないか。首位との差は一気に詰まり、24ピン差の 2 位に浮上した。向こうはノーハンデ、自分はハンデ20。ということは…。次のゲームのハンデをここで加算すると、その差は4。つまり、スクラッチで相手に5ピン勝てば優勝なのか。と計算をした。ハンデを持っているにしたって、勝負は勝負。勝てるものなら勝ちたい。「優勝」という言葉が現実味を持ち始め、つばをゴクリと飲み込んでしまった。ひょっとしたら向こうがミスをするかもしれない。自分のボウリングをきちんと全うしようと改めて考えてレーンへ向かった。
4ゲーム目: x 7/ x 9/ xx 9/9/9/8/8 203(込223)
相手のことは考えてはならないとはいっても、隣のボックスは嫌でも気になる。自分もストライクが連続できないのだが、向こうもストライクが繋がらない。するとこちらが 6 フレで初めてダブルを持ってくることに成功。すると向こうも負けじとダブルで応戦。このダブルは読みがばっちり当たった素晴らしい投球ができた。お互いがその後ストライクは途切れるが、相手は残したピンのスペアをミスしてしまった。それ以後こちらはストライクが取れないながら、とにかく慎重に、手堅くスペアを拾っていく。相手がミスをしたことで、スコアの差は一気に広がり、勝利が我が目の前に見えてきた。すると、どうだ。足が、震える。両足が途端にぶるぶると震えだしたのだ。なんて情けない。屈伸したり、叩いたり、人の見ていないところでジャンプをしたりして、なんとかもとに戻そうとするのだが、それでも小刻みに震えているような状況になってしまった。ここで天が味方したのが、マシンのトラブルだった。震える足で9フレを投球すると10ピンをタップ。だが、ピンが間違いなく立っているにも関わらず、スコアにはxが入ってしまった。それを修正しようとして店員さんを呼び、同ボックスのボウラーさんとあれこれ話しているうちに、いい感じで気が紛れてリラックスできたのだろうか?幸運にも、ふっと足の震えが止まっていることに気づいた。その10ピンもしっかりとカバーし、今日は7回中7回のカバーとなった。最後10フレも思惑通り、とはいかなかったが、最低限の仕事は果たせた。結果、5ピン差でかわして大逆転での優勝という結果を納めることができたのだった。
あまりにも試合で負けすぎていて「勝った」というと何か感覚が変なものだ。「本日の優勝者はハンデ込み922ピンの~・・・」そんな勝ち名乗りを遠くに聞きながら、これはいつぶりだろうとぼんやりと思った。数えてみると、 2007 年のR1C店のR1カップ店舗代表決定戦から、ついぞ「優勝」というものをしていない。実に ”16 年ぶりの ” 優勝、であった。優勝と書かれた金ぴかのうちわを手に撮影を受けながら、プレゼンターの店員さんと話した。「妻にいつも、今日も負けてくるの?なんて言われながらうちを出てくるんですけど。長くやっているとこんな日もあるんですね。初めていい報告が出来ます。」「今日は誇っていいです、胸を張って帰れますね!」そんなやりとりを交わした。
最後に勝ったあの日、 hironoview は 22 歳であった。その場の楽しいものに惹かれるばかりで、何ひとつも満足に成し遂げられない甘ちゃんであった。そのくせ、何か自分には出来るんじゃあないかと自分を買いかぶり続けていた。そんな愚にもつかぬ若者であった。しかし、社会の波にもまれながら、仕事の波に飲まれながら、月日は過ぎていった。「つかず離れず」といえば聞こえはいいのだが、腐れ縁のようなボウリングとの縁を傍らに、自分は今年 38 歳を迎えた。「今が一番うまい」かはわからない。そうではないかもしれない。でも、間違いないことがひとつある。当時より今のほうが、頑張って生きているという点において、自分のことが好きである。
最後くらい国語教師らしく、ひとつ詞的にまとめてみよう。
4月の土曜のある朝。世のなかの片隅で、誰もが気に留めないだろう小さな1勝があった。ただその1勝は、ほかならぬ自分にとっては宝石よりも価値があるものだった。才能もろくに持たない男だからこそ、何年たってもこの勝利の味を忘れないだろう。怪我ばかりの手や指だからこそ、何年たってもこの勝利の感触を思い起こすだろう。しょっちゅう勝てないからこそ、忙しい日々の中にあって、1万字を越えるこんな日記を書くのだろう。これらの全てが、表題である ” 幸福力 ” を私が持っている証明だ。
~16年ぶりの勝利に際して~
0622 復帰 Jun 23, 2024
0609 うぬぼれの末路の光明 Jun 9, 2024 コメント(2)
0605 ブラックパール出陣! Jun 5, 2024