2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全33件 (33件中 1-33件目)
1
4月28日から30日まで二泊三日の人物記念館の旅に出ていた。東北6県の中で唯一の空白県であった秋田県を攻略するのがテーマであったが、山形県にも入り、合計で9つの記念館を訪問した。秋田県と山形県の両方に位置する鳥海山という荘厳な美しい山が印象に残った。また、秋田県では桜がちょうど満開であり、先々で楽しむ機会があり堪能した。3日間天気がよく、気持ちのよいドライブとなり、600キロ以上の走行距離となった。秋田道・鳥海山・桜・日本海・温泉・庄内平野・鶴岡・月山、、、。東北は連休でも混まないのが嬉しい。詳細は別途報告。計176館。28日。秋田県・矢口高雄。増田町まんが美術館。・山下太郎。横手市大森町の山下太郎記念館。・石坂洋次郎。横手市の石坂洋次郎記念文学館。29日。秋田県・菅江真澄。秋田県立博物館の菅江真澄資料センター。・石川達三。秋田市の市立中央図書館明徳館の石川達三記念室。・白瀬のぶ。仁賀保市金浦町の白瀬南極探検隊記念館。30日。山形県・高山樗牛。鶴岡市大宝館の高山樗牛記念室。・清河八郎。庄内町清川の清河八郎記念館。・阿部次郎。酒田市松山町の阿部記念館。
2007/04/30
コメント(0)
プレハブの長屋の2階にある部屋で、毎週部会をやっていると、1階の丁度真下にある混声合唱団の清らかな歌声が聞こえてきます。なかなかうまいのだろうけれども、われわれ探検部員の歌もかなりいけるのではないか、混声合唱団の歌声を聞いてそう思いました。自称ロマンチストあり、多少ロマンチストの毛のある男ありなので、人をロマンチストにさせる山の夜など、しんみりと歌をうたうことが多いのです。静かな夜に、テントの中のローソクを囲みながら、合唱をしたり、独唱したりするのです。私達は、自分達のことを“探検部少年少女合唱団”と呼んでいました。レパートリーは、その頃はやった御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)の青春歌謡、「いつかある日山で死んだら」で始まる感傷的な山の歌、レッドリババレーなど英語のうた、春歌など多彩でした。したがって、時間さえ規制されなければ、何時間でもうたい続ける有様でした。どこの国にも国歌があるように、探検部でも部歌が欲しいという声がありました。私達が半分部歌のーつもりで愛唱していたのは、「知床旅情」です。当時は、この歌は世間に知られておらず、私達はこの美しいメロディをこよなく愛していました。「今宵こそは君にうちあけんと岩かげに寄れば、」など皆でその気になって合唱です。ところが、歌手の加藤登紀子がテレビの画面でうたいはじめると、寮の風呂の中でも全然風情を理解しないような男が口ずさむのを聞くとプライドが許さず、この歌を部歌にするのはやめました。もう一つは、「波をちゃぷちゃぷ~~かきわけて」で始まるNHKの「ひょっこりひょうたん島」の主題歌です。「丸い地球の水平線に何かがきっと待っている。楽しいこともあるだろさ、苦しいこともあるだろさ、だけどボクらはくじけない、泣くのはイヤだ、笑っちゃお」なかなかいい歌です。この歌はその後クラブの連中の結婚式の時は必ずやりました。又、誰がつくったか忘れましたが、「行くぞ我等が探検部」というのがあります。歌詞は、「ゆくぞーわれらがたんけんぶうー、ゆくぞーわれらがたんけんぶうー」とこの一つの文句が同じメロディーでいつまでも続くのです。これも一時、受けたのですが、あまりバカバカしいのでやめてしまいました。「よしそれではボクがつくろう。」と野心を燃やした私は、ある晩、歌詞をつくりはじめました。ああでもない、こうでもないと練っていますととうとう明け方までかかってしまいましたがやっとできあがりました。しかし作詞ということではなくて、よく旧制高校のバンカラ男どもが、声をはりあげるあの「巻頭言!」になってしまったのです。探検部巻頭言!! いざや聞け、我等ロマンチストの歌声を!!いざや歌わんかな、誇らかなる感情の高揚を持ちて!!あまた多くの女に愛されし我等といえども!!初恋の君に流す涙の純情を誰が知る!!あまた多くの友を得し我等といえども!!君に流す惜別の涙を誰が知る!!薄青き順風に帆をあげてはるかなる海の彼方、夢多き君よ何処へ!!流れくる逆風つきてはるかなる山の彼方、望多き我身は何処へ!!あるは、とうとうと流るる大河を渡り!!あるは、白銀輝く峰々を駆け、あるは、烈風吹きすさぶ野分をつきて!!あるは、鳥も通わぬ絶海の孤島へ!!月影淡き丘に座せ、我はつぐ一杯の酒!!君よ飲め、恍惚の美酒!!そして行け、若き血潮のなすがまま!!不浄なる巷をおそへ、高き蛮声!!ああ、うたわずや、たたえずや男のロマン、男の純情!!当時の私は、ペンネームを、高遠純としていましたので、部誌には作・高遠純となってのっています。この巻頭言は、私が先の詞を若干のふしをつけて大声で叫ぶと、部員が一声に「オー」と声をあげるというやり方にしました。結構評判が良く、それからは、どんな会合であってもこれをやることにしました。苦労してつくり、数えきれないほど実演したので、何十年たった今も、一言の狂いもなく唱えることが出来ます。自称ロマンチスト、高遠純の面目躍如といったところでしようか。
2007/04/29
コメント(2)
4月初めの土曜日、池袋から東武東上線で1時間かかる武蔵嵐山(らんざん、と読む)に建つ、念願の安岡正篤記念館を訪問する。一世の師表・天下の木鐸とうたわれた安岡正篤(1898-1983年)の記念館は、正式には社団法人郷学研究所安岡正篤記念館という名前であつ。総面積5500ヘーベの域内には記念館のほかに、恩賜文庫、金鶏神社、成人研修会館、管理等などがある。ここでは安岡郷学を基調とした郷学の振興をめざし、この地にあった日本農士学校以来の伝統を継承している。この学校は昭和6年に創設され、東洋思想に基づき農村青年を教育した学校であるが、居ずまいを正さなければならないような気韻に満ちた空間である。まず、金鶏神社にお参りする。1927年(昭和2年)に安岡が小石川の義家公ゆかりの地に創設した金鶏学院がその源である。主神は天照皇大神、産土神は八幡太郎義家と畠山荘司重忠、そして学問神として孔子・孟子・王陽明・藤原せいか・中江藤樹・熊沢蕃山・安岡正篤・学院創設以来の道縁者と記されてあった。これが東洋学の系譜だろう。その後、平屋の日本家屋風の記念館に入る。記念館の看板は横に長い板に書かれた文字だが、安岡正篤の人格を髣髴とさせる立派な美しい文字である。安岡正篤は自身を教育者として位置づけていたが、生涯で二度大役を果たしている。最初は、鈴木貫太郎内閣時代、太平洋戦争を終える決意をした昭和天皇の「終戦詔書」に最後の赤字の筆を入れたときである。この詔書は1945年(昭和20年)8月15日にラジオ放送によって流れた天皇の言葉となって全国民が聞いた。安岡は戦争に負けて降伏するという言い方ではなく、将来にわたって大事な言葉を書き込んだ。これを「黄金の言葉」と言っている。「万世のために太平を開かんと欲す」という言葉は、天皇の玉音放送の中で抑揚をもっているので、これまで何回となく聞いているので私も覚えている。これは「近思録」という中国の書の中にある。もう一つの言葉「義命の存するところ」という春秋佐伝の言葉は、道義というものを至上命題とするという目的で入れようとしたが、最終的には「時運の命ずるとこと」に変わってしまった。これは風の吹くままという意味であり将来の国家再建に向けての財産とはならない。安岡は戦争を止める理由と国家の命題を同時に入れ込めなかったことを残念がったとのことである。もう一回は、昭和天皇崩御によって新しい元号を決めるときである。1989年1月7日、天皇崩御、1月17日に小渕官房長官は「平成」の二文字を発表した。この記者発表は若い小渕の顔と名前を一躍有名にした。小渕はミスター平成と呼ばれる。元号案は3案あった。修文、正化、そして平成である。敗戦とともに元号制度は風前の灯火となり慣習法上の地位として残っていたが、ようやく1979年(昭和54年)の大平内閣時代に元号法が成立する。この法はたた2条しかない。「元号は政令で決める」と「元号は皇位の継承があった場合に限りあらためる」である。内閣ではひそかに宇野精一、坂本太郎、諸橋徹二、安岡正篤の4人の碩学に元号についての検討を依頼している。平成とは、「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」からとった言葉である。これは後に総理となった竹下登が講演の中で「安岡さんの案」として紹介したことがある。書経には「万世のために太平を開かんと欲す」という言葉があり、その上に「地平天成」という言葉がある。明らかに安岡正篤の案であろう。吉田茂総理大臣は、その祖父である牧野伯爵が私淑していた安岡を老師として仰いだ。その縁で、岸信介、池田、佐藤栄作、大平正芳と続く歴代総理の指南番としての「役割を果たしていく。佐藤栄作の秘書だった楠田実は、佐藤総理は大事な文章にはほとんど朱を入れてもらうために安岡先生に面会したと述懐している。安岡の葬儀委員長は岸信介である。記念館にはアメリカの元駐日大使グルーの語った記録があった。太平洋戦争の和平工作にあったえ、アメリカの意向を直接に天皇に伝えられる人物として7人があげられている。最初に安岡正篤、それから緒方竹虎、結城豊太郎、藤山愛一郎、、。やはり影響力の大きい人物だったのだろう。熱心に記念館をみていたら受け付けの女性が男性を紹介してくれる。財団法人の評議員の方で、若いときから安岡に仕えたとのことで「偉過ぎて近寄りにくい人だった。その人にあうように話をしてくれた。人をみて話をする」と日常の人となりを説明してくれた。この人によると安岡正篤の長兄は高野山の大僧正403世である。兄は仏教会界の最高峰、弟は東洋思想の大家である。そして親切にも恩賜文庫の中を見せてもらっや。安岡の蔵書が何万冊と整理されて保管してある。壮観だ。何でも最近ホームページを立ち上げたところ、訪問者が一気に増えたとのことだ。思えば今まで安岡正篤の本はよく読んできた。「人物」をテーマに学問を積みあげた人物だけに心に響く言葉をたくさんもらってきた。今回も改めて多くの書物を買い込んできたので、珠玉の言葉を拾っていずれまた書いてみたいが、少しだけあげておこう。「経書は学問の最も根幹である。、、、一切の学問を経書の註釈にするように勉強すればよいい」「どんな一事・一物からでも、それを究尽すれば必ず真理に近づいてゆき、竟には宇宙・天・神という問題にぶつかるものだ。」「自分はつきつめた所、何になるかといえば、自分は自分になる”完全な自己”になるということだ」「宗教と道徳を区別するのあ西洋近代学の通念であって、東洋ではこの二者を”道”として一なるものと考えてきた」
2007/04/28
コメント(10)
毎月「ファシリテーションの技術」という連載をしている「月刊ビジネスデータ」(日本実業出版社)の5月号が届いた。このブログに書いた文章を土台に書いた「私のキーマンリスト」という記事が載っている。このブログに書いたことをエッセイとして改めてまとめるというケースがぼちぼち出てきた。毎日書いているから、だんだんとネタの宝庫となってきた。「リーダーのマネジメント&データ誌」を標榜するこの雑誌は市販されてはいない。企業などの組織が購入しているのだが、本日改めて内容を眺めてみたがなかなか実際的なノウハウが盛り込まれていると感心した。今号の特集1は「しごと心のギア・チェンジ!」、特集2は、「笑いの技術」だった。以下、掲載順の執筆者一覧、職業、主著。森永卓郎。獨協大学経済学部教授、「萌え経済学」久恒啓一。宮城大学事業構想学部教授、「図で考える人は仕事ができる」児玉光雄。鹿屋体育大学教授、「オシム 知将の教え」大森ひとみ。大森メソッド代表取締役、「男の仕事は外見力できまる」南雄三。住宅技術評論家、「スラスラわかる断熱・気密のすべて」ジェームス・スキナー。経営コンサルタント、「成功の9ステップ」浜口直太。ジェイ・シー・アイ代表取締役、「最後のルール プロのなる16の条件」村田裕之。村田アソシエイツ代表、「いくつになっても脳は若返る」上地明徳。日本インベスターズ証券専務取締役、「ダマされたくない人の資産運用術」ひめのともみ。クリニック院長、「女はなぜ突然怒り出すのか?」田坂広志。ソフィア・バンク代表、「プロフェッショナル原論 個人シンクタンクの時代」中嶋真澄。作家、「ココロの本音がよくわかる魔法の心理テスト」安田佳生。ワイキューブ社長、「千円札は拾うな」越野世帆里。クリエイティブディレクター大橋悦夫、「手帳ブログ」。佐々木正吾、「ロボット心理学」。小林シンヤ、「探テク」ダニエル・カール。山本冨美子。エンジェルバンク代表取締役、「セレブな女性起業家」もりたしんや。金城学院大学教授、「ユーモアの社会学」古谷治子。マネジメントサポート代表取締役北里千園実。千塾ジャパン代表大谷昭宏。ジャーナリスト、「日本警察の正体」神田まこと。システムレコード社長井上史雄。明治大学教授、「日本語ウオッチング」石井憲正。日本個性学研究所所長この雑誌は、毎回旬のテーマを語る特集をする。人選の眼も確かなものである。今号には、NPO法人知的生産の技術研究会の仲間の大橋さんも座談会で登場している。私の連載は今号で18回目。2年という約束だから、速いものであと半年(6回)となった。
2007/04/27
コメント(2)
この連休の前半は、「人物記念館の旅」では東北地方では唯一の空白地域となって残っていた秋田県を中心に訪ねる予定にしている。石川達三、石坂洋次郎、菅江真澄、矢口高雄、山下太郎をテーマとした記念館がターゲットだ。秋田には蒸留酒のような人間が生れると司馬遼太郎が語っている土地柄だから、楽しみだ。また、後半は那須への家族の小旅行も計画している。連休に読もうと思って、注文していた本が届いた。「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(山岡淳一郎・草思社)「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(北康利・講談社)「近衛文麿 黙して死す」(鳥居 民・草思社)「人は60歳で何をしたか」(藤原 治・文藝春秋社)「MODESTY 松井秀喜 つつしみ深い生き方」(伊集院 静・ランダムハウス講談社)「編集者という病い」(見城 徹・太田出版)「美術のアイデンティティ--誰のために、何のために」(佐藤道信・吉川弘文館)東京出張時に東京駅構内にある大きな書店で売れ筋の本を確認して手にとって面白そうな本を買ったり、土日に近所の金港堂で雑誌や新刊を手にとって確かめて買っているが、最近では新聞(朝日新聞・日本経済新聞)の書評や広告で見かけた書物の情報を切り抜いておいて、ネット書店で注文するというパターンで本を入手することが多くなった。連休にはいろいろやりたいことが山積しているので、全部できるはずもないのだが、計画すること自体も楽しいことである。
2007/04/26
コメント(2)
「残業はするな、前業をせよ!」(大和書房)が出てからの変化がいくつかある。まず、「前業」というキーワードに反応する人があり、講演の依頼が出てきた。一つは地元仙台での住宅業界向けである。この業界は期限がきまっていたり顧客の都合に合わせなければならないという事情があって、残業が恒常化しているという。そこで「前業」という考え方で体質を変えるヒントにしたいとのことである。受講対象者に前もってこの本を買って配り読んでもらうという念の入れようだ。もう一つは、金沢の新聞社系シンクタンクからの依頼だ。中日新聞に掲載された新聞広告をみて、本を入手し読む前に講演の依頼があった。「前業」というキーワードにいたく刺激を受けたとのことである。依頼をしてから私のことを調べたらしい。こういうケースは珍しい。アマゾンのサービスに「この商品を買った人はこんな商品を買っています」というコーナーがある。「前業」の本を買った人が購入した本が掲示されているので興味深くみた。・レバレッジ・リーディング(本田直之)・チャンスがやってくる15の習慣(レス・ギブリン )・何のために働くのか(北尾吉孝)・5%の人を動かせば仕事はうまくいく―嫌われてもいいから信頼されなさい (長谷川和広 )・幸運を呼びよせる 朝の習慣 (佐藤伝) 「読書」「習慣」「仕事」「朝」などのキーワードに敏感に反応する読者層が、この本を手にしているというイメージがわいてくる。また、アマゾンの「カスタマーレビュー」というコーナーでは、読者からの書評の投稿を読むことができる。この本には3つの書評が掲載されている。・「自分に投資する」というタイトルの「波音Catch The Waver」さんのレビュー(千葉県)・「内容はごく正論」というタイトルの「jinya」さんのレビュー(東京都)・「実践的仕事術」というタイトルの「さくらいろ 彩」さんのレビュー(宮城県)評価は全員が5点満点で4をつけているが、こういう読者のレビューは、購買にあたって大きな影響を与えるから大事である。またインターネットの大海の中を周遊していると、個人がこの本を取り上げて書評や感想を記しているブログなどに遭遇する。気兼ねなく自由に感想を書いているので、なるほど、「こういう風に読まれているのか」と納得することも多い。「前業」を読んでいる層は、前著「通勤電車で寝てはいけない」の読者層と同じ若いビジネスマンが中心のようだ。「参考になった」というブログをみると嬉しくなってコメントをつけて御礼と励ましをすることもある。著者がいきなり現れるのだから、相手は大変驚くケースが多いが、その反応も面白い。読者と著書をめぐって直接触れ合うことができるとは、いい時代になったものである。
2007/04/25
コメント(0)
このブログは、開設当初から「読書・コミック」というジャンルに登録している。このジャンルに書き込んでもすぐに最新の内容は表示されない。タイムラグがあって「新着ブログ」コーナーに30分おきに更新されて掲示される。このジャンルに登録しているブログは3599となっているから随分と多い。このコーナーの右に「前日のアクセス数」という欄がある。アクセス数の多いブログのベスト50を掲載する欄だ。アクセス数を時折見ていると、トップランクのブログのアクセス数の多さに驚かされる。「読書とジャンプ」というブログは毎日5000近い訪問者があるのは素晴らしい。ブログ開設以来2年半以上を経過したが、アクセス数が50の時代、100の時代、200の時代、400の時代があって、最近ようやく500前後まで数字が伸びてきた。いつかこのランキングに入りたいものだと夢想していたが、最近ギリギリのところに食い込むケースがぼちぼち出てきた。下記のラキングでは47位に入っている。ブログを書いているのは若い世代が圧倒的に多いのだが、「今日も生涯の一日なり」という私のような真面目系(?)のブログはランキングの中には少ないような印象を持っている。一度このランキングに入ると、またアクセス数を増やしたくなるから人間の心理とは不思議なものだ。内容を充実させることと同時にPRの方法も今後考えていきたいものだ。-----------------------------------------前日のアクセス数 01: 読書とジャンプ(4883) 02: 口コミ情報局!テレビアニ・・・(3168) 03: DeepPineApple(2933) 04: DYG0アドベンチャー(2397) 05: MAGI☆の日記(1938) 06: MIMIC LYRIC(1829) 07: おぼろ二次元日記(1519) 08: 渚の空-アニメの道(1438) 09: ─ 灼熱 ─(1427) 10: 帰ってきた二次元に愛をこめて☆(1356) 11: 翔太FACTORY+Zwei(1265) 12: ◆◇黒衣の貴婦人の徒然日記◇◆(1209) 13: 葬儀屋”よこさん”の本音部屋(1142) 14: a flower garden(1107) 15: エタ-ナル・アイズ(1035) 16: なーがのなんでも日記(974) 17: 数字ノ5@ToLOVEるヤミたん・・・(965) 18: Sweet パラダイス(961) 19: ぷちぷち・カフェ(920) 20: July's July(918) 21: 愛のセラピストDJ☆銀河・・・(856) 22: 『さおだけ屋はなぜ潰れな・・・(849) 23: BLEACH今日のため息(824) 24: よびりん人生大学(792) 25: 作家・内藤みかのメインブログ(743) 26: (仮)始まってません(735) 27: 【宝地図】で夢を叶えよう・・・(718) 28: 黒崎薫のお仕事日記(687) 29: newひめようこのワーキン・・・(666) 30: くまちゃんの本棚(664) 31: 新世紀の生き方、物語の世界(659) 32: 澄み渡る空(655) 33: 半端半床庵の忘備録(648) 34: okinawapapaのドタバタ闘魂日記(618) 35: ぷろきおん。(614) 36: よろず屋の猫(603) 37: ニューロンとワイヤの狭間から(601) 38: 大安ケイコ・ハッピーマリッジ(591) 39: アイドル画像(582) 40: みかみ塾自習室メンバーブ・・・(580) 41: †漫画しかないや†(571) 42: ★竹内睦泰の日本文化情報・・・(556) 43: 無職で暇(540) 44: リク☆ラグナロク(花男SS・・・(536) 45: 花より男子★二次小説 ・・・(531) 46: 颯HAYATE★我儘のべる(505) 47: 久恒啓一の「今日も生涯の・・・(503) 48: カイバーマンのお仕事2(477) 49: DREM 花より男子(474) 50: SOUTH HILL RX3(473)
2007/04/24
コメント(0)
「頭がいい人の、悪い人の話し方」の著者である樋口裕一さんの講演会を5月10日に仙台で開催する。主催は、NPO法人知的生産の技術研究会(知研)の仙台支部。最近わかったことだが、樋口さんは、私の小学校時代の近所に住む幼馴染の「ゆういっちゃん」だった!ちなみに私は「けいぼちゃん」と呼ばれていた。昨年、本人から連絡がきて感激の再会をしたことを思い出す。そのゆういっちゃんこと樋口裕一さんを仙台に招いて、旧交をあたためると同時に、知研で話をしてもらおうという趣向である。 (どなたでも参加できます。仙台近辺の方はぜひいらしてください) 以下、案内文。------------------------------------------------------------知研仙台会員 拝啓 例年より1週間も早い桜の開花宣言でしたが、仙台特有の風の強い日はまだまだ続いております。皆様にはその後いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか?さて、今年から始めました新企画“団塊シリーズ”の第2回目のご案内を差し上げたいと存じます。第1回目は中村裕子氏の大変示唆に富んだお話で大好評を戴きました。今回は東京から樋口裕一氏をお迎えして、お話をして戴くことになりました。樋口氏はあの230万部のベストセラー「頭がいい人、悪い人の話し方」の著者でもあり、また久恒理事長の幼なじみでもいらっしゃいます。これまでどのようにキャリアアップをされて来たか、またこれからどのようなものを目指されているか等、大変興味深いところを伺えることと存じます。皆様ぜひこの機会をお見逃し無くご参加下さいませ。 敬具 日 時 5月10日(木) PM6:30~8:30場 所 仙台市青年文化センター 3F エッグホール 地下鉄旭ヶ丘駅向え 電話 022-276-2108講 師 樋口 裕一 氏 (ひぐちゆういち) 京都産業大学客員教授テ ― マ 団塊シリーズ2 「私のキャリアデザイン」 ~これまでの私、これからの私~参 加 費 会員 1,500円 ビジター2,000円 学生 500円懇 親 会 レストラン 「ティーズ」 電話 022-301-3991 PM8:45頃から 会費 4,000円くらい 会場から徒歩5分*参加の方のみ4月30日まで右記宛にFAXして下さい。 FAX 022‐253‐3096 TEL 022-251-0887 申し込みは下記アドレスでもOK。 yokono@poplar.ocn.ne.jp----------------------------------------------------- 参加申込書 (切り離さずこのままFAXして下さい) 下記に丸印をお願いします 氏名 「知研」 会員 非会員所属 TEL FAX E-mail 懇親会参加 する しない----------------
2007/04/23
コメント(0)
探検部の部員連中と言えば、だいたいみんな貧乏でうすぎたないが、暗い下宿で集っている時には、海外遠征の話がでたり女性論がでたり、そして例の如く、各人各様の探検論に花が咲くのでした。冬の間にクラブの雰囲気に慣れてきた私は春から猛然と行動を開始です。手許にある部誌の昭和45年度活動報告をながめてみましょう。『昭和45年、部昇格部室獲得、5月1日~6日新入生歓迎の大崩山系春合宿(縦走班のメンバーとして参加)、5月23日~24日第10次岩屋鍾乳洞調査(隊員として参加)、6月13日~14日第11次岩屋鍾乳洞調査(リーダーとして参加)、7月12日~8月10日○○大学・△△大学合同奄美郡島調査隊遠征(鍾乳洞斑員として参加)、10月10目~21日秋季合宿祖母・傾・夏木・鹿納・日隠縦走(縦走隊・サブリーダーとして参加)、12月25日~1月2日大山スキー合宿(サブリーダーとして参加)』この一年のありとあらゆる合宿、遠征に顔を出していることがわかります。ただやみくもに動いた結果気がついてみると、秋や冬の合宿ではサブリーダーをつとめるまでになっていた自分を発見することになりました。山では体力が勝負です。私達がよく唄った歌の一節に「美しい心が辛くもたくましい体に支えられる時がくる。若者よ、その日のために、体をきたえておけ。」というのがあります。このたくましい体をつくりあげるための原動力は、強靱な胃袋であります。逆に言うと、胃袋の大きく強靱な奴は、エネルギーを体内に多量に蓄積できるためどんなに辛い強行軍であっても弱音を吐くことはありません。山では食事の量、つまり、どれだけの食物を胃袋の中に入れられるか、これがタフと呼ばれるか否かの別れめです。探検部では、食事のための茶わん、フォーク、スプーン等を“武器”と呼んでいます。人と争いながら食べる。つまり生存のための自衛の武器であり、他人の死命を制することも可能な攻撃的な武器でもあるのです。「武器は大きい方が良い」と考えた私は、スーパーに行って、味噌汁用の大きなボールと、犬の食器によく使うアルミのボール、そして、一挙にたくさんの食物をすくえる超大型のスプーンを買いそろえました。初めての合宿に行っていざ食事となると、先輩部員から驚きの声があがります。「久恒、それホントに食器?」「スプーンというより、スコップだなそれは」「なべに使えるじゃないか」「水はけの道具に丁度良い」等々。この頃の私の唯一の自慢は、胃が大変丈夫だということでした。普通の人の2~3倍のスピードでメシをかきこむことができますし、何ばいでも食えるほど胃袋が大きく、又、腹をこわすことなど全くありません。合宿の食事の時は、犬のちゃわんにご飯を盛り、大きなスコップのようなスプーンで口の中に、次次とほおりこみます。最初のうちは、皆あきれて見物をしていましたが、そのままにしているといつの間にか自分の分け前が減るという事実にガク然とした部員達は必死の防衛策をとり始めました。合宿のたびごとに、次々と全員が大型の食器をそろえはじめたのです。一種の恐慌といってよいでしょう。今まで、食事の前には「ご飯のうた」という歌を合唱してから食べることになっていました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう。風もさわやか心も軽く、みんな元気だ感謝して、楽しいごはんだ、さあ食べよう、いただきまあす。」というのがそれです。しかし私の入部以来、悠長にこの歌を唄う人はいなくなってしまいました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう、いただきまーす。」という大変な省略形で戦いに挑むのです。しかしながら、スピードで私にまさるものはおりません。何しろ、私にはいそいで食べるものですから、「ものをかむ」という習慣がないのです。要するに、食物を口の中にできるだけたくさんつめこんで、みそ汁で流しこむという方法なので、ものすごい早飯です。人が一杯目をようやく終るころには、三杯目をゆうゆうと味わって食べているという状態ですから、非難の眼を感じることも多かったように思います。この、大飯食らいも、のちのち、様々な事件を起こすことになるのです。
2007/04/22
コメント(0)
世界中の大企業が次々と参入を果たそうとしている3D仮想空間「セカンドライフ」が話題にのぼりはじめた。前から興味を持っていたが、日本での事業展開を始めた人の話を聞く機会があった。この浅枝大志という人は1983年生まれというからまだ24歳という若さだ。ウェブを始めた頃、レイランドという会社が行っていた3Dの仮想空間にチャレンジしてみたことがあった。この空間のなかで「バーチャル総合研究所」という3階のビルを建てていろいろ実験してみたことがある。残念ながらこのサービスはなくなってしまった。それ以来こういう新技術をずっと探していたが、やっとこういう事業が起こってきたのかという感慨が私にはある。近々日本語によるサービスが立ち上がるとのこと。非常に興味深い話だったので、その一部をここに記したい。----------------------------------------------------・セカンドライフは566万人が参加する社会空間・セカンドライフは、空間提供のみが特徴・主要三社プラス50社程度。数百万人が関わっている・セカンドライフの特徴は、モノをつくれることと換金可能であること・モノにプログラムを入れられる(車の運転ができる、、)・ユーザーに所有権がある(帰属している)・ライブ動画、音楽ストリーミング配信、路上ライブ・コミュニティ+3D表現。SNS(mixi)はリアルタイムではない・2003年正式サービスを開始。2006年6月(50万人)に世界最初の企業参入(アメリカンアパレル)があった。だからまだ1年未満。その3ヵ月後にトヨタ・日産が参入。事例・トヨタは、車を売っている。300リンデンドル。3種。車の色や形を加工できる。コミュニティ(場やモノ)を与え、自由を与える。・日産は、体験型マーケッティング。ハイクオリティな車を自動販売機で無料販売。色別の自販機。・島を20万円で購入。維持費3.5万円(月)。年間:60-70万円。・スーザン・ベーカーのコンサート場面。ギターをつくってくれた。プレステの後期レベル。クリエーターが多い。・シスコ。島2つ。会社案内空間で採用活動・マツダ。コンセプトカー。未来モデル。存在しないおものをつくってイメージをあげる・リーボック。靴の部品の色を変えられる。白い靴から、、。リアルとバーチャルの組合せ・リアルミックス型は以下・NBCスポーツ。アメフトの生中継。スポーツ空間・ALOFT。ホテルの再現・INTEL。製作中の様子をリアルにみせる。5番街39番地。Uチューブで見れる。・NBC。12月に参入。ロックフェラーセンター。バーチャルライブコンサート・ソニー・東芝EMI・DELL。近未来の建物。カスタマイズで買う・CNET。参入しただけ。・課題・・著作権の問題。事例。・・換金問題の解決・・引きこもり・ニートの増加懸念・・セカンドライフ内での契約・・オープンソースの流れ・・サーバー側のオープンソース化・・オフショアリング(インド、、)キーワード・・整頓するものと感覚で感じるもの・・ネット人口は10倍にはならない(限界がある)。どの方向にIT人口が行くか?・・ロングテール(全取り)とニッチ。ニッチ型へ移行するだろう・・80:20の法則。2割の客。・・滞在時間の重要性・・バーチャルからリアルへの企画の流れ。アニメキャラの商品化、・・セカンドライフは広告媒体ではない・・パブリックビューイングに行く。みんなで見る。一人でみてもつまらない。ウェブ19分、しかしセカンドライフなら2時間半、最後までいた。・・ないならつくるしかないあ。今は事例がない。今なら最初の成功事例となるだろう。・・MS型からFIREFOX型へ移行・・オープンソース・今週のジャンプ(漫画。中川、、)質疑応答・相場は?時間とクオリティ。まだ出来る人間がいない時代。・セカンドライフ内での契約?1回も会わずに一緒に仕事をするアバターが契約主体か、、。・広告媒体?まだ母数が少ない。価値があると思ったところがだす。・リンデンダラーは換金できるか?ドル換金から円に換金。違法ではない。できないことはない。リンデンダラーはポイントか(限度あり)、通貨か(銀行法)、、、。課税問題がある、、。アメリカでも決まっていない。クリエーターの報酬?仲介機能?オフショア?・過去のもののコンバートは可能か?できないだろう。所有権、、。・携帯との連動? 3Dである必要はない。・バグによるダウン?資産消滅時の保障はない。セカンドライフはそういうことを起さないことがテーマ。警察や裁判所はつくらない。当事者間でやれ・広告の相場?広告代理店が入るか。今は直接取引き。・著作権?アメリカ法。カジノに日本人が入ってもいいのか、それはだめだろう。オンラインカジノはアメリカでは禁止。違法なものは排除していくという方向。「グーグル八分」にするとか、、。・転売できるか?リセールは禁止されている・ペット?需要はあるだろう。
2007/04/21
コメント(0)
当時の探検部には部室がありません。先輩の下宿を部室がわりに使っていたのです。一年間の活動費として学友会から支給される予算がたったの八千円から一万円にあげる交渉が難事でした。学友会の予算担当者とえんえん四時間話しこんでUPしてもらったのでした。さて今度は根城となる部室を確保することにしました。と言ってもオンボロのクラブの部室の集っている長屋には一つも空きがありません。そこで知恵をしぼって考えたのが、すでに部室を持っている既存のクラブの部室を奪うという計画です。まずあまり活動をしていないところで考え方が右寄りのクラブをさがすことにしました。調べると「俳句部」というクラブがこれに該当することがわかりました。クラブの部員で、全共闘のメンバーをしていたGという男に、「俳句部は右翼的であり、けしからん。彼等に部室をあずけておくことは大学のためによくない。」というデッチあげの理論をつくり、構内の実力者闘争家に根まわしをしたのです。早速、全共闘名で、俳句部追放の紙をはりだしました。俳句部の罪状をならべたてたあと、「何月何日までに部室を空け渡せ、空け渡さなければ実力で追放する。後は探検部が使用する」という文言を並べました。その当日、私達探検部員は、赤いヘルメットをかぶって俳句部に突入です。部屋の中には一人、浮世離れした俳句部の学生がいました。彼等の方でも泣く子と全共闘には勝てぬと退散してしまいました。「エイ、エイ、オー」とみんなで勝ドキをあげました。さて、部屋の中をみると、大きな金庫があります。しかしカギがありません。しかし大丈夫、探検部にはどんな男でもいるのです。ダイヤル式の複雑な暗号を解いてしまう先輩もいるのです。中味は何にもありませんでしたが、何はともあれ、今後の飛躍のための一里塚を築いたわけです。今から考えると、全く無法なふるまいでしたが、当時は半分位は真剣にこのプロジェクトをすすめていたようです。俳句部の皆さん、ゴメンナサイ。
2007/04/20
コメント(0)
大学院で「キャリアデザイン」という講義を持っている。今季は受講生は4人。社会人2人、留学生1人、他大学からの入学者1人。先週から始まり今週で2回目の授業を終えた。キャリアに関する良書を2冊づつ与えて、それを7月までにそれぞれが毎回図解する。つくってきた図解を見せながら発表し、内容について批評しあうという趣向の授業だ。8冊の本のエキスを吸収できるし、いくつかの本の主張がシンクロしていくので、私にとっても大変興味深い時間となっている。下記にあるのは受講生からのHPへの書き込みだ。----------------------------------------------------------私が担当する本は、「若者はなぜ3年で辞めるのか?年功序列が奪う日本の未来」(城繁幸著・光文社新書)「仕事で「一皮むける」 関経連「一皮むけた経験」に学ぶ」(金井壽宏著・光文社新書)の2冊です。緊張しました。自信のない部分、自分の中でブレがあり迷った部分に限ってしっかりと質問され、指摘を受けました。結果的にはそのことで、図解のブレが修正され、同時にセッションが、本の内容以上に深まっているように感じました。また、今回発表した3つの図解を融合した形でセッションが進行した時は、図解のスゴさを感じました。プレゼン・セッションを受けて、次回改訂版を持参することも授業として画期的だな、と思いました。次回は第2章「やる気を失った30代」をやります。引き続きよろしくお願いします。-----------------------------------------------------私が担当する本は「プロフェッショナル原論」(著者;波頭亮、ちくま新書)「使う力」「著者;御立 尚資、PHPビジネス新書)の、2冊です。どちらの本も、大手コンサルティングファームを知る方が書いている本ですので自分の将来にも非常に役立つ2冊だと思います。(先生、ご推薦ありがとうございました)本当に楽しみにしているので気持ちだけが空回りしないように、頭も追いついていくように頑張りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。-------------------------------------------------------ウズベキスタンからの留学生です。 今年の前期でキャリアデザインを受講させていただきます。 去年は久恒先生の学部での授業に聴講させていただいたことがありました。それ以来、本や論文を読んで、ちょっと図解しています。内容はともかく、著者が明らかにしていない部分や構成の欠点などを見つけるようになりました。 家な壁に大きな図解があります。「私のスタディ・デザイン」です。それを見たたび観覧車の一番上から自分を見ているような気持ちになれます。 物事を「中」からではなく、「上」から全体を見れるようになりたいです。これからもよろしくお願いします。----------------------------------------------------キャリアデザイン、2007年度新メンバーです。今年から宮城大に入学しました。これまで、図解で本を読むということはありませんでした。というよりも、図解で本を理解するということを考えたこともありませんでした。ですから、昨日の授業は、私にとってかなりの驚きでした。私の担当する本は、「現場主義の人材教育法」(関満博 ちくま新書)「シンプル人生の経済設計」(森永卓郎 中公新書)の2冊です。これまで経験したことのない授業で、もちろん楽しみなのですが、ついていけるのかという不安でいっぱいです。今はとにかく、課題をこなせるように、また少しでも自分がレベルアップできるようにがんばりたいと思います。よろしくお願いします。------------------------------------------------------------
2007/04/19
コメント(0)
「移動」というキーワードがある。常に移動し続けている人には面白い発言をする人が多い。これらの人々の発言を新聞・雑誌・テレビ、そしてブログで見ていると勉強になる。軽井沢に住んで東京で仕事をしている川勝平太。 最近新聞でコメントしている記事をみかけたら、静岡文化芸術大学の学長に肩書きが変わっている。この4月から日本文化研究所から移ったのだろう。この大学は浜松にあってたしか木村尚三郎が初代学長だった大学だろう。これで静岡も加えて移動の機会が増えてくるのでますます視点が深くなるのだろう。日本国中をめまぐるしく動き回っている落語の三枝師匠。 毎日、ブログを見ているが、全国津々浦々を公演で歩いている様子がわかる。簡単な場所のの紹介や感想と写真のブログだが、その経験が笑いのネタになるのだろう。体調の記載もあり、落語も体力勝負ということがよくわかる。日本とアメリカのシリコンバレーを頻繁に往復している梅田望夫。 梅田のブログはものすごい人気で書き込みが圧倒的に多い。そのコメントに触発されてまた思考が深まってくるという循環の中で成長を続けている。飛行機の往復の時間は司馬遼太郎などの講演録をiPODに入れて聞いているそうで、実にいい時間を過ごしているそうだ。アメリカ・ヨーロッパ・アジアを計画的に訪問して定期観測をしている寺島実郎。 今もアメリカ出張中だと思うが、米東海岸・西海岸、フランス・イギリス、中国・タイ、そして中東など移動範囲は実に広い。その移動力が膨大な知識と相俟って、豊かで重い発言につながっていく。身の回りでも出張の多い人は独自の情報を持っていることが多い。また同僚だった天明茂先生など全国で講演をしている人も自然に移動のサイクルの中に入っているので、気づき情報が多彩になってやますます賢くなるのではないかと思う。こうやってみてくると、地理的な移動だけをみても、移動による見聞や体験が様々な差異の発見を促し、それが脳を活性化することは明らかだろう。ここ数年取り組んでいる「人物記念館の旅」でも、なかなか行く機会のない町を観ることにもなり、新しい目で日本各地を眺める機会にもなっているし、独自の発想の源にもなってきつつある。「移動」は経済的・時間的コストではなく、知的資源ととらえるべきなのだろう。
2007/04/18
コメント(0)
書籍の新聞広告はどのくらい効いているのか。これは結局、出版社の売り上げで判断するほかはないのだが、ある指標を使える気もしている。それは、ネット書店での反応をみるという方法だ。アマゾンでは、数時間置きに売り上げのランキングを表示するというサービスがある。新聞広告が出てから、ここを眺めていると雰囲気はわかる。新著「残業はするな、前業をせよ!」(大和書房)の場合は、14日(土)に中日新聞、16日(月)に朝日新聞、17日(火)に読売新聞に割合と大きな広告が出た。影響を観察してみたが、アマゾンの順位では、中日新聞は少し動いて、朝日新聞はまあま動いて、読売新聞では大きく動いている。今回のテーマは読売新聞の読者に届いた、という印象を持った。朝日新聞と読売新聞の読者層は違うということなのだろうか。ネット書店ではその日に反応が起こり、それが書店での売り上げとして数日後に反映してくる。その数字を出版社が入手するのは実際のところかなり遅れるようだ。新宿紀伊国屋での売り上げを見て、次に打つ手を考えているという出版社もある。出版社に聞くと、実際にはネット書店の売り上げはまだまだ微々たるものだそうだが、ネット書店での反応は先行指標としては使えると思う。また本に対する評価については、著者自身に直接届く情報は極めて少ない。本を書き始めた時代から長い間、読者の反応は売り上げの数字と数ヵ月後に出版社からもらう読者カードだけだったが、インターネットの登場によって様変わりした。最近はネット書店での読者の投稿書評を参考にしてきたのだが、今はこれに加えて、読んだ人が書いているブログに注目している。様々な人が、本の是非を論じている。著者自身が読んでいるとは思っていないから、影響を受けたとあったり、当たり前のことを書いているだけだと批判していたり、正直な感想が書き込まれており、とても参考になる。時どきは、嬉しくなってコメントを書き込んだりもしてみている。江藤淳(1933ー1999年)という大物の文藝評論家がいた。この人の本は評価も高く読者も多いのだが、何十年作家家業をやっていても、自分の本を読者が読んでいる姿を見たことがなかったそうだ。ところが、山手線に乗って座ったら向い側の紳士が自分の最新刊(山本権兵衛を描いた「海は甦る」だったか)を熱心に読んでいる姿をみた。江藤は驚き、またその姿と表情ををじっと感動を持って眺め続けたとのことである。勇気がなくて「その本の著者の江藤淳です」と声をかけることができなかたことを悔やんでいる。若い頃、文藝春秋だったと思うが、そういうエッセイを面白く読んだことがある。私も同じような経験をしたことがある。仙台のジュンク堂という大きな書店で本を探していたところ、若い女性が私の出した新しい本を手にとって眺めている姿に遭遇したことを思い出した。驚いて観察しているとその人は買うつもりでレジに向かおうとした。私はとっさに「あのう、その本を買いますか。わたし、著者の久恒です、、、」と声をかけたら、「今は仙台にいらっしゃるんでしたね」と驚きの声をあげた。少し会話をしたが、嬉しく恥ずかしく、そして幸福な思いがしたことを思い出した。最近は、著者と読者の距離が随分と近くなったものである。
2007/04/17
コメント(4)
日本の近代批評の創始者である小林秀雄(1902年--1983年)は膨大で緻密な作品群を残して圧倒的な存在感をもって時代の中に生き続けている。作家論、日本古典論、美術論、学問論と活動領域は広範であり実に多彩で、しかもいずれの分野も水準が実に高い。それは厳しい自己鍛錬の賜物であることが、新潮新書「人生の鍛錬--小林秀雄」を読むとわかる。「無常といふ事」「モオツアルト」「近代絵画」「本居宣長」「考えるヒント」「様々なる意匠」「志賀直哉」「私小説論」などが代表作だが、私の記憶に残っている作品も多い。小林秀雄は、舌鋒の鋭さと逆説的な警句と論理的で格調の高い文章で有名であり、同時代以降の誰もが畏敬の念を持って小林の人物と作品を語る姿を多く見ている。以下、この本の中で共感を持って読んだ「仕事論」に関する言葉をあげる。小林秀雄の仕事の流儀である。-------------------------------------------------------------・心掛け次第で明日からでも実行が出来、実行した以上必ず実益がある、そういう言葉を、ほんとうの助言というのである。・実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ。・成る程、己の世界は狭いものだ。貧しく弱く不完全なものであるが、その不完全なものからひと筋に工夫を凝らすというのが、ものを本当に考える道なのである、生活に即して物を考える唯一の道なのであります。・私は、自分の職業の命ずる特殊な具体的技術のなかに、そのなかにだけに、私の考え方、私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。・天職という言葉がある。若し天という言葉を、自分の職業に対していよいよ深まって行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。----------------------------------------------------------------------16日の朝日新聞に「残業はするな、前業をせよ!」の広告。新刊の中では一番大きなスペースだった。17日は読売新聞の予定。
2007/04/16
コメント(0)
中学校以来、初めて絵を描いてみた。友人がすらすら美しい絵を描くのをみて、興味を持って、「あかしや水彩毛筆」という20色の「彩」というパックを買ってみた。「彩があれば、そこがアトリエ。」だそうだ。20色とは、墨色・銀鼠・松葉色・牡丹色・紅色・焦茶色・紫色・群青色・黄色・朱色・茶色・紺色・若草色・藍色・空色・緑青色・黄土色・薄橙色・茜色・桃色である。日本の色の名前の付け方に感心する。振り返ってみれば、中学校以来である。絵は不得意で、誉められた記憶は一切ない。このため、絵を描くことも、絵を鑑賞することも、避けてきた感じもある。最近、絵の鑑賞は「自分の家に飾りたいか」という観点からすればいいというアドバイスをもらってから気が楽になって、美術館を訪問する機会も多くなってきた。またNHKの新日曜美術館も時間があるときは見るようにしている。そういう下地があって、道具を買ってみて、ゆっくりした時間に描く気になった。本屋でいくつか本を求めた時に、どういうわけか「信州の美術館めぐり」というとんぼの本を買ったのだが、その中の絵を眺めているうちに創作意欲(?)が湧いてきたというわけだ。旅をするときに、道具と小さなスケッチブックを持って行きたい。
2007/04/15
コメント(0)
しからば、探検部とは何でしょうか。これを言葉で言うのが非常に難しい。そもそも、この探検という言葉がよくわかりません。人に聞いても誰も納得のいく説明をしてくれません。顧問であるMという先生は、「探検とは知的情熱の肉体的表現である。」と言ってました。単純な学生であった私はこの言葉に非常に感激ししばらくの間使っていました。しかし、冷静に考えてみると何を言っているのかよくわかりません。ある人は、「探検とは、探り調べることだ。だから、学術調査をしなければならない。」と言います。しかし学術調査なら学生がクラブをつくってやるべきものなのかどうか疑問です。入部して気がついてみると、毎日このクラブの人達は、「探検とは何か」というテーマで話をしているではありませんか。自分達のクラブの頭にかぶせている言葉さえもよくわからないおかしなクラブだなと思ったものです。又、この探検部というクラブは、具体的な行動というと、山登り、スキー、鐘乳洞探査、無人島合宿、スカイダイビング、ちょうちょう採集という具合に多種多様な活動を行っていました。ところが意外や、このクラブは、文科系のクラブなのです。ワンゲルや山岳部が体育系のクラブであるのに対して。「わけのわからないクラブに入ったものだ。」と思ったものの、一切、理屈は言わずに、ありとあらゆる合宿や遠征に参加することに決めました。当時の探検部は創立七年目の新興の小所帯のクラブでした。人数も大学院のOBを合わせても10数名だったと思います。今から振り返ると、この探検部入部が私の学生生活を充実したものになるきっかけとなったのでした。
2007/04/15
コメント(2)
土曜日の今日は、一日中リラックスする日ということにした。スポーツクラブでのスイミングとバス、喫茶でのケーキセットでゆっくり。帰宅後は、買い込んできた水彩毛筆の20色セットを使って、春の季節の教会と周囲の絵を描いてみた。絵を描いたのは中学校以来である。もともと下手だったが、とにかく形や色を考えながら描いていく。なんとかそれらしくなった。充実した不思議な時間を過ごした。あとは、本を読んだ。--------------------------------小説家・丸谷才一の「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社)を読む。このクラスの小説家になると、谷崎賞、講談社エッセイ賞、野間文藝賞などの贈呈式の挨拶、結婚披露宴でも祝辞、そして友人の葬儀での弔辞など挨拶の機会が多い。丸谷は失言を避けるために、必ず挨拶を文章にして当日はマイクの前で読み上げるということをずっと続けている。編集者で後に作家となって芸術選奨新人賞を受賞した杉山正樹がその姿をみていて、「その原稿を残して置いて、本を作りませう」といって、「挨拶はむずかしい」という本を出したのだそうだ。このことを丸谷は「編集者としての運動神経」が素晴らしいと感心している。他者の編集者が「これなら、原稿を催促する必要がない」と絶賛したそうだ。この本で紹介されている挨拶の対象となった人々をあげておこう。村上春樹、早乙女貢、山崎正和、色川武大、百目鬼恭三郎、日下武史、井上ひさし、堀口大學、辻静雄、和田誠、池澤夏樹、宇野千代、吉田秀和、山口瞳、米原万里、山下洋輔、辻邦生、高樹のぶ子、中村紘子、大野晋、吉行淳之介、藤沢周平、ドナルド・キーン、、、。これらの著名人との交遊や人となりが愉快なエピソードで綴られており、それが逆に丸谷才一の来し方を浮き彫りにしている。川端康成文学賞贈呈式での受賞者スピーチとして史上最短といわれる「14番目に」、世阿弥を演じたがる俳優を題材にした「日本演劇史上最高の名優になる」(日下武史)、「完全な批評家」の吉田秀和氏喜寿の会での祝辞、「喧嘩と文章の名人」の立花隆出版記念会、「人間の時間はいいもの」の中村紘子デビュー40周年記念リサイタルのあとのパーティでの祝辞、など面白い挨拶文を堪能した。「出獄してきた阿部定と、最初に関係した男は勇気があった」から始まる挨拶は一番受けたそうだ。巻末に井上ひさしとの対談が収録されている。この中で井上ひさしは、それぞれの挨拶の前につけた詞書(ことばがき)という前書の発明を誉めている。そして親戚の集まりや結婚式の挨拶をつなぎ合わせると丸谷の半生が自然に浮かび上がってくる、これは新しい種類の自伝である、と喝破している。井上ひさしが丸谷才一の挨拶を分析している、これがまことに的確だ。・挨拶は会の最初に、その共同体の方向をできるだけ楽しい歩行に向けていく重要な役割・自分定めを、短く早く。(自分がなぜ、どういう立場で、どういう資格で、)・気のそろっていない会場をピシリと引き締めて一つにするには笑いを使う・一般論は避ける。言う時は練り上げて簡潔に。・具体的なもので展開していくのが大切。具体的にエピソードで。・ゴシップはいいけど悪口はいけない・弔辞は一種の評伝挨拶の仕方についてまとまった考えを持っていなかったが、この本のお陰で指針のようなものができた気もする。「挨拶はむずかしい」という前著を注文してみたのだが、そちらは絶版だった。
2007/04/14
コメント(0)
探検部というクラブを読者はご存知だろうか。このクラブに似たものに、ワンダーフォーゲル部(ワンゲル部)と山岳部という伝統のあるクラブがあります。ワンダーフォーゲルとはドイツ語で、渡り鳥という意味です。ヨーロッパの山々を若い青年たちが足で歩きキャンプをし、自然に触れ、健かに生活することをめざした活動が日本に輸入されて、今やほとんどの大学にワンダーフォーゲル部というクラブが実在しています。危険を冒すのではなくて、山々を楽しくハイキングし、キャンプでは、抒情性の高い山の唄を皆で唄うというのが平均的な姿のようです。私は一時このクラブに在籍しており、夏の北アルプスに出かけたことがあります。北アルプスの雄・槍ケ岳の手前の大きな雪斜面を上から降りてくる時でした。ある東京の私大のパーティが逆に長い雪斜面を列をなして登ってくるのをみかけました。一人の新入生らしい男が、もう一歩も登れないという表情で下を向いてつっ立ったきりになってしまうと、前後から上級生の罵声がとびます。さらに冷たい雪をまるめてぶつけたりもしています。何と恐ろしい光景かとつぶやくと、ワンゲルの上級生が、「お前らよかったなあ。うちはああいうことはないゾ。」といいました。下界に降りたあと、新聞をみると、何人かの新人が上級生のしごきで死んでいました。イヤハヤ恐ろしいことでした。という様に比較的ゆるやかな山登りをするのがワンゲルと言って良いでしよう。さて長い伝統を誇る山男集団の山岳部は、いわずと知れた山登りのプロたちです。彼等はロッククライミングもやりますし、冬山なども積極的に出かけます。私の高校以来の友人であるU君は、ある大学の山岳部に在籍しており二人でよく山の話をしました。二人で一緒に山登りに行ったこともあります。この彼も大学在籍中に山をやめてしまいました。あるロッククライミングで、彼は三番目にいたそうです。一番目と二番目がザイルをつないでいました。トップの男が足をすべらせ転落したそうです。ザイルをしっかり持ってそれをとめようとした二番目は、ささえきれずに、彼の眼の前で空中にポーンと飛びだしてしまったのだそうです。そして二人とも死んでしまいました。U君は、二人を山で焼きながら泣けてしかたなかったのだそうです。それ以来、彼は長年の両親の懇願を容れて山をやめることにしたのだそうです。これが山岳部の一面です。 (明日に続く)
2007/04/14
コメント(0)
NPO法人知的生産の技術研究会の機関誌「知研フォーラム」295号が届いた。私は連載している「人物記念館の旅」では、柳宗悦の日本民藝館と河井寛次郎記念館を取り上げた。また「書評」として、現代日本人のための生き方を考えさせる3冊の本を紹介した。「プロフェッショナル原論」(波頭亮)、「養老院より大学院」(内館牧子)、「白洲次郎 占領を背負った男」(北康利)。この号の圧巻は知研顧問でもある寺島実郎さん(財団法人日本総合研究所会長)の講演録である。3月5日に東京であった講演であるが、私は知研理事長として寺島さんを紹介する役割だった。「2007年の世界潮流を予測する---新しい世界秩序への英知」というテーマの素晴らしい講演だった。以下、そのポイントを抜粋する。------------------------------------------------------・自分が生きている時代を認識することくらい難しいことはない。・2001年9月11日からの5年間に観察者・分析者から発言者へ大きく座標転換をした。この間、2つの軸で発言していた。1つは、イラク戦争は「間違った戦争」「不必要な戦争」であったことを、戦争が始まる前から自分なりのロジックで展開していたこと。1つは、マネーゲームに傾斜した資本主義は省察されねばならないこと。・断片的知性から全体知へ・なぜ日本の知識人というのは主体的にものを考えることができないのだろうか。・イラク戦争のとき、「仕方がないじゃないかシンドローム」、、、・深く深く問題を省察しながら、自分の物の見方や考え方はどういうものなのだろうと自問自答していくプロセスをしなかったら、知的生産なんてぜったいにできない。・軸のぶれない物の見方や考え方はどうしたら身につくのか、・不条理に対する「怒り」は、まず時代と向き合うときの最初の要件だ。・自分の理論をどうしたら客観化できるか。・歴史の脈絡の中で事実をキチッと踏まえていなかったら、筋の通った発言なんかとてもできない。・「知的三角測量」というものがそれだけなされたか、なされなかったか。・中東と米国と日本との知的三角測量図・歴史の座標軸の中で相対化してみせる知的三角測量を一生懸命試みて、相対化してみせる力がないと、全体を見とおすことができない。・「マージナル」つまり境界線に立つと、ものすごい緊張感に襲われ、日本とは何かということを考えざるを得なくなる。・鈴木大拙の言葉。分割するというのは西洋の知性の性格である。「分割的知性」、、。・東洋の知性は、全体知を求める主客未分化、つまり主と客が別れていない、・その場その場のきわめて短い期間の空気の中で発言するインテリに成り下がってしまう・日本経済の現況は、川上インフレ、川下デフレ。原材料業界はインフレ、消費はデフレ。・勤労者カ計の可処分所得は1997年をピークに11%落ちている。収入にの減少と公的負担の増大が原因。・日本企業の経常利益は1998年を底として2.4倍になった。・グローバル化によって上場企業の経常利益の6割は海外活動(海外連結法人の利益・海外金融収益・輸出の利益)による。・日本の生業が変わった。貿易収支より所得収支(海外投資に対する配当や利息)が上回る国になった。・年収200万以下の人は労働者6384万人のうち2574万人。300万前後の人及び年金生活者が400万人。その上が500-700万円クラス。連合(700万人)は今は大企業正規雇用者と官公労公務員で構成されており年収700万超。・今後は、パンを稼ぐための仕事(カセギ)と、自分の尊厳を高める仕事(ツトメ)を切り分けて設計していかねばならない。・中間層を厚く持ちこたえるための産業論の再構築が必要・若者を受け入れる新しい社会をどうつくって待ちかまえるかという議論・会社と社会の両方に足をおきながら問題意識をたえずフィードバックして深めていく。中途半端にならないためには、すさまじい勉強と努力が必要で、それを乗り越えて自分の思考を鍛えていく人間がいちばん尊い。・日本は個別には世界一流のものを全部持っている。日本にないものは、総合戦略。剣山を思いつく力が、総合戦略を思いつく企画力。
2007/04/13
コメント(0)
4月創刊予定の高校生向けキャリアマガジンの取材を受けた。大学や専門学校などの広告で経費を賄うフリーマガジンで、東北中心に配布する。この創刊号の特集で、仙台のドミニコ学園高校の4人の高校3年生が制服姿で現れた。・今どきの高校生へのアドバイス・進路をどのように考えたらよいか・高校時代、何を考えていたか・キャリアとは何か・夢についてこういう質問に答えながら、キャリアに関する私の考えを述べるという形式のインタビューである。二人は養護教諭希望で、他の二人はまだ具体的な職業のイメージが固まっていない。彼等の語った言葉を話題にしながら、生い立ち・出会い・出来事・価値観・性格・関心・能力・好きか嫌いか・得意・不得意などをキーワードに話を組み立ててみた。私の高校時代についての質問もあり、真面目で気弱な高校時代、失意の時代を経て探検部活動にのめり込んだ大学時代、そして就職してからの職場の変遷、向いた仕事と向かない仕事、大学に転身した時の志と結果、などについて語る。また私のなりたかった職業の変遷も話してみた。小学校時代はアナウンサー、中学校時代は新聞記者、高校時代は弁護士、大学時代は探検家、卒業後はビジネスマン、そして大学教授への転身という一貫性があるとはいえないキャリアに関する軌跡、そしてこれはその場その場で一生懸命にやってきた結果であることなどを説明する。「今まで何をしてきましたか?」そして「今から何をしたいですか?」という二つの問いに一生のどの時点にあっても常に答えることができる準備があることが重要であること、一生をかけて自分になっていくこと、このブログのタイトルである「今日も生涯の一日なり」という言葉がキャリアを考えるときのヒントになることなど、高校生に知ってもらいたいことを話してみた。この4人は宮城大学志望(看護学部・事業構想学部)ということなので、下記のような質問も受ける。・宮城大学の魅力や特徴は何か・実学とは何か最後に、研究室の本棚に並べてある私の著作から興味のある本を選んでもらって贈呈する。「図解・女性のための成功ノート」「勉強してはいけない!」「図で考えれば文章がうまくなる」「残業はするな、前業をせよ!」が彼等の選んだ本だった。女子高校生に関心が垣間見える気もする。
2007/04/12
コメント(0)
8時20分:大学に到着(徒歩通勤)8時40分:広報室会議。今年最初の顔合わせ。12時:「総合研究」打ち合わせ。計画学科・デザインコース・情報コースという3つの分野の4年生が6人で事業構想を創りあげる科目である。初対面なのに議論が活発で、あっという間に今年のテーマは「宮城大学同窓会の事業構想」と決まる。今日から早速、卒業生の取材に入った。いいテーマと速いペースなのでうまくいく予感がする。13時:インターンシップ運営委員会夏休みに行う2年生向けの大学独自のインターンシッププログラムの会議。14時半:学部教授会17時半:大学院教授会19時半:学部歓迎会(泉パークタウンゴルフクラブ)4月から赴任した二人の先生の歓迎会。隣のゴルフクラブのレストランを借り切ってのパーティ。なかなか雰囲気のいい会場。全員が必ずスピーチを行うという趣向。21時半過ぎに終了。-------------------------------------------------------------------「前業をせよ!」の売れ行きがいいらしく、大和書房の編集者から第3刷りの連絡が入った。5千部の増刷というから増刷としてはかなり大きい。薄くて手に取りやすく、軽いタッチなのがいいのかもしれない。この本は4月5日発刊であるが、実際には3月下旬から配本されたということだからかなり速いペースである。書店に並んでいるだけで新聞広告は打っていない。出版社はこの好調を受けて、今週末から来週にかけて新聞広告を打つとのこと。やや大きいスペースとなるらしい。4日(土)の中日新聞、16日(月)の朝日新聞、17日(月)の読売新聞が決まっている。
2007/04/11
コメント(2)
住んでいる泉パークタウンという街に「マイタウン泉」というフリーマガジンがある。泉パークタウンを楽しむフリーマガジンという触れ込みの雑誌である。この街は大きいので発行部数は3万部ほどで、各戸に配布されている。我が家にもこの雑誌の最新号が配られた。この号は、東北放送の朝の番組でお馴染みの人気気象予報士である斎藤さんが「リレーインタビュー」に登場している。タイトルは「季節感を感じる街で暮らせるしあわせ」である。斎藤さんは同じ町内に住んでいるので、難しい顔をしてゴミ出ししている姿やバスに乗り遅れないように必死に走っている雄姿を時折見かけることがある。このマガジンの冒頭エッセイは私が担当していて、今回は「徒歩通勤という経験」という文章を書いた。大学の同僚や警備のおじさん、教え子たちがつくた会社のスタッフなどが登場する。このマガジンはこの号で第3号になるのだが、「一旦休刊とさせて頂く」というお知らせが載っていた。3号で廃刊する雑誌が多いという話をよく聞くがそのとおりになった。そういえば、数年前に「自分時間」という雑誌が創刊されてここにエッセイを頼まれて張り切って書いていたことがある。こちらは1年近く続いたと記憶しているが、私がエッセイを書いた雑誌は無くなることが多い。まさかエッセイのためではないだろうとは思うが、、、。---------------------------------------------------徒歩通勤という経験 車で大学に通勤している途中で同僚が歩いている後姿を見かけるようになった。一人は60代で、この人はリュックをかついで英会話のテープを聴きながらの通勤である。40代の同僚は途中の景色を眺めながら悠然と歩いているようにみえる。職住接近の環境が徒歩通勤を意識させる。私も昨年の末から彼等にならって自宅から歩き始めた。「徒歩通勤」というテーマでこの原稿を書いている今の時点では確かに続いているが、このエッセイを読者が読む頃には元の木阿弥になっている可能性が高いとは思うが、、、、、、、。年末に妻が通いはじめたヨガを便乗して始めたところ、意外に調子がよくて週2回ほど通うようになった。その延長線上に健康コンシャスになって、徒歩通勤構想が浮上したわけだ。万歩計をつけて歩くと自宅から勤務先までせっせと歩くと20分で、3000歩になる。今まで何度もトライしたが続かなかった原因は、カバンにあった。持つと手が腱鞘炎のように痛くなるし、キャスター付きのカバンだとガラガラと世間を騒がせていくことになる。今回はこの問題がやっと解消した。家を出てからある時間を置いて妻がカバンを大学まで届けてくれるようになったのだ。瀟洒な校舎の白百合学園を横目に、均整のとれた美しい姿の県図書館を横切り、テニスコートやフットサルスタジアムなどのあるスポーツセンターの横を通り過ぎて行く。信号を左に折れると、大学の警備員と出会う。警備のおじさんとはすっかり顔なじみになってしまって「おはようございます」と挨拶を交わし、その日の天気を話題にするようになった。警備員はローテーションでまわっているのだろうが、朝は決まった年配の警備員がいることが多い。朝が早いから朝一番の仕事をしているのかなと勝手に想像しながらご挨拶。教え子たちがつくった会社が泉パークタウン内にある。最近、10人ほどの社員がみんな太ってきたような気がするので、「会社の健康は社員個人個人の健康にかかっている」というメッセージを添えて、全員に万歩計をプレゼントした。少しは健康に対する意識があがってきただろうか。大学の同僚の間に徒歩通勤を流行らせるのもいいかもしれないなあ、、、。この冬は今年のゴルフシーズン(スコアは一向に伸びない)に備え、ヨガとウオーキングで体と心を鍛え離陸の準備は整った。結果はいかに、、、、。----------------------------------------------------------
2007/04/10
コメント(2)
今日から授業の開始である。朝、8時に歩いて大学に向かう。20分歩いて3000歩で大学に着く。4階の研究室に行こうとエレベータを待つが運行していないので、階段をのぼる。この階段のぼりは最後のところがキツイのだが、その日の体調を占うにもちょうどいい。今日は、まあまあだ。いくつかの書類を整理している間にあっという間に9時になる。着いてすぐに事務局の担当者に書類をつくってあるので取りに来て欲しいとうメールを打つ。メールの返事や講義の準備。9時からは、秘書との打ち合わせの時間であるが、ゼミ希望の学生が現れてゼミの内容の質問があった。いくつか答えているうちに私のゼミに来ることになった。月曜日から始まる週がスムーズに流れるかどうかは、秘書とのこの打ち合わせにかかっている。主として変化の激しいスケジュールの確認だが、このプロセスの中で、決断しなければならないことがいくつも出てくる。9時半頃からは、本日から始まる二つの講義の配布資料の印刷の打ち合わせや、講義の教室の備品の確認を行う。何人来るかわからないから、去年の人数を上回るコピーを用意する。10時直前に事務局がやってきて明日の会議の書類を私から渡す。10時からは学長補佐会議である。12時までに終わるという予定になっているが、実際には重い議題が多く13時半少し前までかかった。研究室に戻ると、一昨年私のゼミを出て東北大学大学院文学研究科に通っている中国人留学生の元気な女性が久しぶりに現れた。先生とテーマを変更したとのことで、研究生活は順調のようだ。修士課程を終わったら日本の企業に就職するとのことで、就職活動についての報告と相談があった。日本を代表する大手メーカーの最終面接まで進んでいるそうだ。彼女と話しながら講義の準備をする。14時半に講義会場に着くと、教室一杯に学生が座っている。1年生の学科生対象の講義なので最大でも104人であり。他の授業と二つ重なっているので、せいぜい50人と踏んでいたのだが、100近くいるようだ。秘書は資料の再コピーに走る。初回なのでオリエンテーション中心という内容だが、新入生は今日から授業が始まったところなので、おとなしく真面目に聞いている。こういう殊勝な姿はいつまで続くだろうか、、。16時前に終わっていったん研究室に戻る。次の講義の教室に行っていた秘書が戻ってきて、「教室に入りきれなくてあふれています!」との報告。去年とは違って今年は人数が多そうだ。事務局と相談して学生に2階の大講義室に移ってもらう。この教室は300人入るから余裕がある。そういえば開学当初、350人の登録があり、全員来たら座れないという状況があったことを思い出した。この人数になると資料の配布さえうまくできなくなる。あっという間に17時40分になり、今日の予定されたスケジュールが終了。その後、研究室でややこしい電話が入ったり、今日の講義のアンケートの自由記述を読んだり、残務整理を少しして帰宅する。
2007/04/09
コメント(0)
大学には受け持ちの教授がいます。私のクラスはM先生という、ドイツ語の先生でした。この人は、昼間は「イッヒ、デルルルル」とかの発音をしながら、あまり面白くない授業を行います。授業が終ると、「今日はどうですか」と酒によくさそっていただきました。この先生は、酒が好きで一日に何軒も大学付近の飲み屋をまわります。ベロンベロンに酔っぱらってしまうのであとが大変なのです。それにこの先生は金払いが悪いらしく、どの店に行っても、「先生今度までにはお願いネ。」と飲み代の請求をされています。このM先生には子供がいないようでしたが、ある日私は一度何かの機会にお目にかかったことのある奥様と少し話をすることがありました。子供っぽい少年であった私を気に入ったらしく奥さんは私の事を、「とてもかわいい学生さん」と先生に話をしたらしいのです。それ以来私は、「女房の恋人」と先生から呼ばれてしまいました。したがって、先生が酔っぱらって道ばたに寝ようとする時に送って行くのはいつの間にか私ときまってしまいました。二人位で先生をかついで送り届け、玄関のブザーをならすと、奥さんが窓からのぞき、先生だとわかるとカギをしめてしまうのです。これにはおどろきました。冬の寒い時期にこごえながらブザーを押しつづけたものです。やっとあけてくれると今度は先生がまた、「上がって飲んで行きなさい」ときます。奥さんの顔と先生の命令との板ばさみ、苦労したものです。しかし、私が送って行くと、比較的奥さんの気げんがよかったので、この先生のおもりは私の役目となっていました。もう冬に入ったころ、私は、先生の家のある方向にある丘までマラソンをしました。この頃はまさに閉塞状態で自分で自分がわからなくなりしょんぼりしていた時期です。私は、「主体性の確立」という言葉が当時好きでした。そのためには、異る立場のそれぞれの人の意見を聞き、どれが正しいのかを考えたうえで自分の立場を決定しようというアプローチをとっていました。その結果全く頭が混乱してしまっていたのです。マラソンで丘のうえまでのぼって夕陽をじっとみていて、ハッと気がついたことがありました。「そうか、わかったぞ。自分は今まで主体性をつくるために、色々な意見を聞いてきたが、実は、主体性を全く喪失する結果になってしまったのだ」そしてそれはなぜかと考えると、自分は今まで言葉をもてあそんでいただけなのだということに気がつきました。行動しない言い訳をごねていたのだとわかった私は、「行動しよう、何でも良いから無目的に行動だ。」と考えました。この夕陽をみながら悟ったことが私の大きな転機となったようです。こうして、私は従来から少し関心を持っていた、探検部に入ることにしました。大学一年の冬のことです。
2007/04/08
コメント(3)
私が大学に入学したのは昭和44年。この前後数年間が最も激しい大学粉争のうずまいた時期でした。佐世保への原子力潜水艦エンタープライズ入港拒否闘争、東大安田講堂のバリケード、そして機動隊の実力行使による落城、東大入試の中止事件、そして私の入学した九州大学でも数々の事件がありました。入学試験の二日目の過激派学生による試験場の占拠、予備校での入試続行、入学後は、5月に全学の無期限ストライキへの突入、大学の講内では、白ヘルメットの中核、白ヘルに黒いフチどりの革マル、青ヘルの反帝学評、赤ヘルのノンセクトラディカル、日共系の民青、理論派の第四インターと多種多彩な考え方の一団がカッポしていました。私自身は、クラスの仲間と一緒に、ノンセクトをきどっておりこのような青春の熱気のムンムンする雰囲気の中でとまどいながら、クラス討論会に参加するという日々が続いていました。入学後一年間は、丁度大学が学生の手でその権威をこなごなにくだかれたように「いい子」で育ってきた私の自信を根こそぎゆるがされるという体験をした時期でした。学生運動面では、しだいに過激になっていく運動、学内で日常の出来事となってしまった内ゲバ、歯のなくなってしまった活動家、血しぶきをあげながらこづきあうヘルメット集団、そして何よりもこのような状況の中で自信を持って発言できる言葉を持たない自分へのいらだち、自信喪失。下宿に帰ると毎日の様に様々な考え方の学生が訪れます。中核、革マル、反帝学評、第四インター、民青、そして創価学会等々。何が正しいのやら全くわからなくなってしまった私は、クラスの討論会などでも口を閉ざしてしまいました。ものがしゃべれなくなってしまったのです。大学にはもう一つの青春があります。それはクラブ活動です。受験勉強中になまってしまった体をきたえようと私が選んだのは、ワンダーフォーゲル部でした。春の新人歓迎合宿では「こんな苦しいおもいをするなら死んだ方がましだ」と感じながら、山々を縦走しました。その時私は、自分はかなりタフな身体を持っているなと思いました。夜はメシを食いながらトランプに興じたり、山の歌をうたって楽しくすごしました。学園紛争の中で閉塞状態にあった私は、クラスの仲間には申し訳なかったけれども、夏には北アルプス縦走班に入り、2週間近く山々を歩きまわりました。富山から入って雲の平、槍ケ岳、穂高連峰を経て上高地へ。しかし、このワンダーフォーゲルという部も何かもの足りません。山で楽しく遊ぶだけで良いのだろうか。過激すぎる学生運動には主体的に参加はできず、クラブの方もどうも自分向きではないというか、没頭できないのでした。そして何に対しても自信のなくなってしまった私は、いよいよ無口になってしまいました。(以下、明日へ続く)
2007/04/07
コメント(0)
「1億ドルの男」松坂大輔が大リーグ・レッドソックスの一員として初登板を勝利で飾った。多彩な球種、伸びのある速球、配球の素晴らしさ、華麗なマウンドさばき。人なつっこい笑顔が印象に残る素晴らしいデビューである。西武時代の松坂にはあまり関心はなかったが、海を渡った大リーガー松坂のファンとなることにした。「大リーグのマウンドに立つことは、夢ではなく目標だった」と語る松坂は、インタビューでもコメントがなかなかいい。今年はまず20勝投手となると予想しておこう。私は打者では松井秀樹のファンである。日本ではあれほど敬遠フォアボール責めにあってもたった一つの失投を見逃さずホームランにする精神力、そして淡々と振り返る語り口に感心している。「心が変われば人格が変わる。人格が変われば環境が変わる。環境が変われば運命が変わる」という言葉を座右の銘としている松井の冷静なコメントも興味深い。松井の年俸は渡米直後から倍増して15億円である。ゴルフでは今年は宮里藍ちゃんはアメリカツアーで優勝するだろう。20歳過ぎの藍ちゃんの賞金は軽く1億円を越しているし、今後どこまで伸ばしてくるか見ものである。藍ちゃんのコメントを聞いていると頭がいいなあと感心することも多い。プロテニスプレーヤー然り。2005年11月現在の数字で少し古いが、ゴルフの尾崎将司は生涯賞金26億円、岡本綾子の生涯賞金が8億円、そして野球の日本最高年俸が6億円の佐々木、5億円の清原。タイガー・ウッズの昨年の獲得賞金は6億弱で生涯(現在29歳)で47億円。日本の丸山茂樹(35歳)は2億円。比べてみると、やはり、メジャーの年俸は高く、夢がある。スポーツの世界には国境はない。また、アートの世界も世界で通用する演奏家、アーティストも多くなっている。実業の世界はどうか。日本でも証券会社、コンサルティングファームなど外資系企業に勤める人たちの収入は、日本のサラリーマンと比べると雲泥の差である。私の親戚にも中央官庁をさっさと辞めて外資系企業に転職した20代の若者がいるが、都内のど真ん中に高額の賃料を払って住んでいる。「仕事も面白いし待遇も抜群」だそうだ。グローバル化した職業では、サラリーも世界標準になっているということである。世界のトップクラスが集い競う職業では、今後もプロフェッショナルの価値は上昇しつづけるだろう。そして誰でもできる仕事は多数の競争者の中で、賃金には下降圧力がかかっていくことになる。そういう2極化が進行している。国内市場で飯を食っている業界では、当然のことながら国内スタンダードに引っ張られるから、価値を生み出す能力ほどの差はでない。しかしここでもIT化の進行に伴って、掛け替えのない能力を持った人の価値は上がり、技術の蓄積のない者には厳しい世界となりつつある。いわゆる格差の進行である。大学での新学期が始まって学生と接する機会が増えてきたが、大リーガー松坂大輔投手の初勝利の話題によって、若者を取り巻く環境の変化と進むべき方向について改めて考えさせられらた。
2007/04/06
コメント(0)
昨日は平成19年度の入学式。本日の午前中は、大学院生のオリテンテーション。 午後は、東北公済病院で新入職員研修の講師。明日は、学部新入学生と在校生向けのオリエンテーション。今週は、忙しく学内を動き回っている。授業の開始は、来週の月曜日から。3月に出した「残業はするな、前業をせよ!」(大和書房)の調子がまあまあいいらしく、本日、出版社から増刷の連絡が入った。若い人が読んでいるらしい。今日の東北公済病院での講演テーマも、この本に沿ったものだった。キャリア、仕事の心構え、ライフデザインというような話を新入の看護師を中心とした若い人にして欲しいという要望だった。昨年も呼ばれているから、院長先生や看護部長とは顔馴染みとなっている。
2007/04/05
コメント(0)
新年度の新企画として、このブログの日々の日記に加え、「団塊坊ちゃん青春記」という連載を始めます。同世代、後続世代の感想を楽しみにして書いていきたいと思います。以下、プロローグです。------------------------------------------------------------団塊の世代の最後のグループに属す主人公の自伝的青春物語である。朝鮮戦争の年に生を受けた主人公は貧しかった子供時代を経て未曾有の受験戦争を戦って、大学紛争の渦巻いていた1969年に大学入学(70年安保)、戦後の高度成長の末期である1973年に就職(オイルショック)、20代から30代前半の安定経済成長期に一人前になり、30代後半からの数年間は1985年のプラザ合意による円高とバブルの発生による日本経済の絶頂期を経験、40代は90年代初頭のバブル崩壊による経済と企業の苦境(失われた10年)による低成長時代を経て、現在50代後半を迎えるにいたった。団塊の世代は日本の一大変革期である20世紀の後半を生き抜いてきた世代だ。主人公は浪人生活後の大学入学で初めて自己の崩壊を経験し、探検部というクラブに熱中し、奔放な青春を満喫する。就職後めぐってきた海外勤務で様々な事件に出遭い、帰国後も襲う数々の出来事に遭遇する。大学入学直後に訪ずれた自己崩壊と自己確立への旅の始まり、部室の乗っ取り作戦の思いつきと成功、巻頭言の作詞への熱中、トイレットペーパー盗難作戦の冷や汗、大学祭での個性的な企画と実行、鍾乳洞探検秘話、学生運動に影響を受けながらしたたかに生き抜くクラブ活動、貧しい学生下宿生活の驚くべき断面、顔面神経麻痺事件の大いなる不幸、そして東京に就職して最初の下宿に泥棒が入った世にも奇妙な物語、降ってわいたイギリス駐在時の誤解と勘違いによる国際関係の一触即発的状況、帰国後の独身生活の悲惨さと滑稽さ、、、、。ばかばかしく、おかしく、そしてかなしい青春の物語。結婚して家族を持ち、仕事という現実に全力で立ち向かう30代以降の姿からは想像できない、破天荒な生活と愉快な事件の連続。明治の「坊ちゃん」と昭和の「どくとるマンボウ青春記」の団塊の世代版の物語とでもいおうか。
2007/04/05
コメント(4)
「人物記念館の旅」には、小説家、画家、詩人、文学者、学者、軍人、経済人、教育者、音楽家、役人、、、とあらゆるジャンルの一流人の人生と向き合える楽しみがあります。私は音楽は詳しくありませんし、俳句は門外漢、医学などにも関心はありませんでしたが、それぞれの分野の一流人の記念館を訪れて足跡をみることによって興味の対象や関心分野が広がってきます。訪問するたびに、目から鱗が落ちる経験をします。記念館があるような作曲家は生涯で3000から5000曲をつくっています。著名な小説家の著作の量の物凄さも知ることができます。彫刻家も教育者も政治家も、こういう人たちの特徴はまず仕事量が膨大であることです。そして質の高い仕事群の中から生涯の傑作が生まれ、後の世にその作品が残るのです。それが代表作です。絵描きには長生きが多いこともわかりました。90歳台まで筆を振るった人が多いのです。葛飾北斎は90歳まで生き、その間に90回も引っ越しています。しかも引越しするたびに名前を変えるんです。名前を変えるごとに作風を変える。引越しは、それまでの自己を否定して新しい作風をつくりだすための手段だったのではないかと感じました。横山大観は明治初年(1868年)に生まれて、90歳まで生きています。この横山大観の記念館が不忍池のほとりにありますが、行くといつも閉まっている。実際に大観が住んでいた家を記念館にしているので、絵は湿気に弱いなど保存の条件も厳しいので、しょっちゅう虫干しをしなければならないとかでなかなか大変なのでしょう。三度目にようやく入ることができました。音楽家では東京上原の古賀政男の記念館が立派でした。中山晋平は楽器なしで作曲しますから文人並の書斎が仕事場でした。羽仁もと子は有名な学者の羽仁五郎の義理の母親です。羽仁もと子は「婦人の友」という雑誌を発行し新生活運動を提唱し、自由学園というすばらしい学園を創設して、大正、昭和を駆け抜けた人物です。この一家からは面白い人材が生まれています。羽仁もと子の娘婿が羽仁五郎で、その子が映画監督の羽仁進、その娘は羽仁真央というジャーナリストです。この家系は全部、ジャーナリスト、教育者で、人物は縦にみていくといろいろな発展がわかります。田中館愛橘という名前はどこかで聞いたことがあるなと思ったら、日本ローマ字会の初代の会長でした。この人は日本の世界的な科学者を何人も育てたマルチ人間です。知研の最高顧問の梅棹先生が今日本ローマ字会の会長ですが、縁があったことを始めて知りました。この人も95歳まで生きて、科学者として世界を飛び回り、キューリー夫人やアインシュタインとも親交があった。当時、地球には二つの衛星があるとヨーロッパの学者が言っていた。ひとつは月で、もう一つは田中館愛橘博士。それくらい田中館博士は世界中をぐるぐる回っていた。この人の弟子がまたすごい。本多光太郎などそうそうたる人物が出ています。大山康晴は千四百何勝もしている将棋界の最高峰で、数知れないほど賞をもらっています。しかし、「賞というのはごほうびではない、私にとってはげましである」と言っていますが、この言葉からあらわれる心がけに感心します。彼にとっては名人位を維持することなど関係ないことで、将棋道を究め続けることが目的だった。心構えが違う。池波正太郎の記念館に行った後は、彼が愛した浅草・上野にひどく関心が湧くようになりました。東京で時間があったときは、「昼飯を食べに池波正太郎が贔屓にした店」に行こうという気になります。私は長いあいだ教養の不足感があったのですが、おかげで最近すこし教養がついてきました(笑い)。 (「人物記念館の旅」をテーマとした講演録より一部抜粋)
2007/04/04
コメント(2)
蝦夷地探検で有名な最上徳内の記念館を山形県村山市に訪ねた。最上徳内(1755-1863年)は、特産品紅花を最上川の舟運で酒田に運び北前船で各地に売った楯岡というまちの貧農の出である。長崎にに住んだシーボルト(1796-1866年)が「18世紀の卓越せる日本の探検家。まれなる学者」と讃えた人物である。年齢差が40歳近くもあるシーボルトと最上徳内は協力して、アイヌ語辞典を共編する。この辞典にはドイツ語訳が併記されている。最上徳内は湯島の聖堂で医学や算術を学ぶが、それは27歳で遅いスタートだった。後に本多利秋の音羽塾で天文、測量などの自然科学を学び、それが蝦夷探検につながっていく。1785年(天明5年)から始まった田沼意次の蝦夷調査に参加する。アイヌ人の姿をスケッチで描くなど、その風俗や習慣に馴染んでいる。単身での探検ではエトロフ島にも渡り、ロシア人と交わりロシア語や地理も学んでいる。徳内は都合9回にわたり、樺太やオホーツクを含む探検を実行している。樺太では間宮林蔵と出会い、情報を提供した。それは間宮海峡の発見につながっていく。ランドサットマップという衛星地図が展示してあった。蝦夷地、現在の北海道が示されていたが、緑の大地の中にところどころ赤い部分があった。札幌、旭川、函といった都市だが、エネリギー消費の盛んなところである。蝦夷地探検に功績のあった人々のリストも興味深い。工藤平助 1734-1800年 赤蝦夷風説考林子平 1738-1793年 経世家 海国兵談大黒屋光太夫 1751-1828年 高田屋嘉兵衛 1769-1827年生涯9回の蝦夷地調査を行った最上徳内の業績は、和算、論語研究、産業政策など多岐にわたっているが、人物の特徴は頑強な体力と際立った精神力にある。同郷の斉藤茂吉は、この徳内をつぎのように歌っている。 最上川なかるるくににすぐれ人 あまた居れどもこの君われはクナシリ島トマリで1798年に詠んだ歌は、アイヌ人との交流を心から楽しんだ様子がみえる。 今年こそえぞ人とも月見れば こさふきもせめ心ゆるして北方領土についての記述が詳しく展示されていたので、勉強する。1.最上徳内の千島探検が1855年の日露通好条約の締結に導く 国境は、エトロフ島とウルップ島の間 日本領は、エトロフ、クナシリ、シャコタン、ハボマイ群島2.1875年の樺太・千島交換条約 千島列島18と交換に樺太全島を放棄 北方領土は含まれていない3.1905年のポーツマス条約(日露戦争) 北緯50度以南の南樺太は日本の領土4.1951年のサンフランシスコ条約 千島・南樺太の権利、権原及び請求権を放棄 放棄した値域はどこに帰属するかなにも決められていない 千島列島には北方領土は含まれていない北方領土は最上徳内らの努力によって日本固有の領土であることを説明した展示である。北方領土に関する数字があった。年平均4.5度 夏は13度 冬は5-6度最上徳内のおかげで深いつながりとなった北方領土のアッケシ(厚岸町)と村山市は平成3年7月15日に友好都市提携盟約書を結んでいる。記念館の外の庭に出ると、最上徳内顕彰碑がある。碑文を書いたのは金田一京助博士。人口衛星によるGPS(汎地球測位システム)の基準点と示されたところがあった。「徳内基準点」となずけられている。村山ライオンズクラブがつくった徳内の胸像の正面には水のある小さな庭があった。よく見ると池の中に突き出ている土地は北海道の形をしていた。そして南樺太や北方領土とおぼしき部分がみえる。それを探検家・最上徳内が見つめているという構図になっている。説明をなかったが、よく考えられた構図だと感心した。
2007/04/03
コメント(8)
平成19年度が今日から始まった。大学では人事発令から一日が始まる。まず、馬渡学長が県庁で知事から第二期任期(2年間)の辞令を受けて、その他の教員や職員の採用や異動の辞令を受け取る。10時頃から学内で新役職者、新規採用教員、転任職員らへの学長からの辞令交付と挨拶が続く。私自身については、昨年度拝命した総合情報センター長(図書館と情報ネットワークを担当)に加え、今年度から学長補佐という役職が追加された。学長補佐は、副学長とともに学長を補佐する体制を厚くし2年後に迎える独立行政法人化へ備えるために新設されたポストである。3つの学部から一人づつ指名され、事業構想学部からは私が指名を受けた。11時過ぎからは、早速今年度第一回の学長補佐会議が開催され、午後1時過ぎまで続いた。学長、副学長、学長補佐、事務局長、副局長がメンバーで、事務局の担当者が陪席するという形である。今回は異動による新メンバーも多いので、学長から会議の趣旨や抱えている課題などの説明が行われなどでコミュニケーションをとる形となった。事務局職員は県庁の職員なので3年ほどで異動になるので、常時三分の一が新しくなる。総合情報センター担当の企画情報班でも班長や情報担当者の交代があったため、コミュニケーションを上手にとって最初の出だしを乗り切っていかねばならない。今年度はさらに忙しくなりそうだ。
2007/04/02
コメント(0)
昨日の3月31日から山形県の天童市と村山市を車で訪問している。天童市では、「天童広重」と呼ばれる肉筆画で有名な天童の広重美術館を訪問した。広重(1797-1858年)の画業200年を記念して平成9年にオープンした美術館だが、数年前にも訪れたことがあり2回目の訪問である。滝の湯ホテルという大きなホテル所有のコレクションを展示した美術館で、内部は落ち着いた雰囲気で、二つの部屋で広重の浮世絵などを堪能できる。江戸後期天童藩は財政が苦しく、商人や富農の献金の献金や借金で運営をしていた。江戸詰めの藩士吉田専佐衛門、木村宮之助や、藩医の田野文仲といった人々が、狂歌を通じて懇意になった広重に依頼して肉筆画を200枚描いてもらって、献金の御礼や借金返済の肩代わりをした。広重は丸2年かけて完成している。この大量の肉筆画・広重が後に「天童広重」と呼ばれた。狂歌は滑稽や風刺を読み込んだ和歌であるが、藩士たちはそれで得た人脈で藩の財政を救ったのである。広重は東海道広重という名前で狂歌も詠んでいた。広重は晩年の工夫として竪絵と呼ばれる浮世絵を描いている。絵は横が広い画幅の中に描くのが一般的だが、難しいといわれる縦長の絵も描いている。また死絵(しにえ)と呼ばれる絵もあった。これは、著名人が死亡したときに出版される追悼の絵で、肖像画に業績や辞世の句、戒名などを加えた絵である。「斉藤真一 心の美術館」は出羽桜美術館分館である。斉藤真一は1922年生まれ(大正11年)というから私の亡くなった父と同世代である。倉敷市に生まれ東京美術学校を出て、中学校の教師になる。37歳の時にフランスに留学し、藤田嗣司と親交があった。帰国するときに藤田から「日本に帰ったら秋田や東北がいいから、一生懸命に描きなさい」とアドバイスを受ける。盲目の女旅芸人である「ごぜ」に興味を惹かれて一生、そのテーマを追いかけていく。高校の教師をしながら休日は、裏日本の彼女等の足跡を訪ねていく。49歳で18年つとめた伊東高校を辞める。高田キクエという「ごぜ」に出会い、ごぜ宿を探す旅を続け、多くのごぜの生涯を聞き出してそれを絵や文章に残していった。ごぜは、越後高田や新潟長岡に多く、3人から5人ほどがグループとなって、雪解けから12月まで村から村へ旅を続ける。雪の深い日本海側の人々にとって、ごぜの訪問は唯一の娯楽だった。三味線を弾き、祭文松枝を歌い、閉ざされた山国の寒村に娯楽を持ち込んだ。斉藤の描く絵は、悲しい絵であるが、赤が鮮烈である。「赤より「赤赤」という字に惹かれてならない。赤だ何か絵の具のチューブから出したままの色彩に思えるが、「赤赤」はもっと、火のように鮮やかでパチパチ音をたてて眼底に焼き付いているような滲みの余韻を持っているから妙である」と自身が語っている。旅の中で絵と日記が記したものを展示してあった。「「ごぜ」その語感から、私はいつも得たいの知れない女の故里にようなものを感じている。そして、その古めかしい語感をたどり、一人静かに今旅をしている。そして人気のない淋しい町や村を訪ね、その語感をたどり、さまよっているのだ」という言葉を見つけた。哀しい絵である。見るものに強い印象を与える絵である。小説の挿絵を描いてもらっていた水上勉は「父は虚無僧さんだったという。氏もまた漂白の者の血を持ち、私と同じような魂の原風景をもてあます人か、となつかしさをおぼえた」と記している。斉藤は文章も書けたようで、「ごぜ 盲目の女旅芸人」という本で、日本エッセイスト賞を受けている。51歳のときであった。古い民家を使ったこの美術館は、「心の美術館」という名前である。確かに心を打つ、心に残る絵の多い不思議な美術館だった。分館である「斉藤真一 心の美術館」から道路を隔てた向い側が本館の出羽桜美術館である。出羽桜はこの地方の代表的な銘酒だが、その当主であった三代目社長・仲野清次郎がつっくった財団法人が管理するのがこの美術館である。現在も大きな酒造であるから一升瓶がうずたかく積まれた酒蔵の隣に大きな民家がある。これが美術館である。当日は「さくらの雅 李朝のむくもり」というタイトルの展示を行っていた。出羽桜という名前のとおり、桜というモチーフにこだわっているようだ。出羽桜がこの地方の新聞に打っている広告をまとめたものがあって見たが、「酒は文化なり 出羽桜の信念です」というテーマで酒と文化の関わりを述べている。朝鮮李朝の壺や桜をあしらった陶磁器や掛け軸などが展示されていた。一番奥に厚い扉の防火蔵があり、李朝の雑器が保管されていた。庭に面した廊下にゆったりと座るための椅子があった。もはやここを愛した主人はいないが、そこのこの財団の初代理事長の仲野清次郎が座っているような錯覚にとらわれる。「古美術を蒐め、その美しさを慈しむことは、若い樹木が、年輪を重ねてゆくと同じである。それぞれの場に執念く生きて、その樹格を整えてゆくように、例え分野は狭くとも、それなりの品位を整えたいと思いながら、その理想の遙かさを覚えるばかりである。-------------------私の学生の頃は、一部の茶陶は別として、柳宗悦等の白樺派の李朝賞賛の声さえ、萎え衰えようとする、戦後の混乱期であった。----------------------------------これからも、李朝の美しさに心ひたして、ソールサケ(魂の酒)を造り続けたいと思っている。---」(昭和63年10月17日 美術館開館に寄せて)この仲野清次郎という人物にも興味を覚えた。広重美術館は滝の湯ホテルが運営し、出羽桜美術館は出羽桜酒造がつくった財団が運営している。このように産業界で活躍した人物が、その財力を用いて美術館や博物館などをつくり出す例は多い。千葉県佐倉市の川村美術館は大日本インキの創業者のコレクション、青森県三沢市の民俗博物館は古牧温泉のホテルのオーナーの蒐集品が中心、福島県裏磐梯にあるダリ美術館(諸橋近代美術館)はスポーツのゼビオの創業者がつくった美術館だった。翌日の4月1日は、村山市の最上徳内記念館を訪問。こちらは大物なので改めて訪問記を記すことにしたい。
2007/04/01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1