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福岡にいる。学生時代を過ごしたから懐かしい街である。昼食をとったレストランでのウェイトレスの博多なまりが、心を安らかにする。箱崎にあるホテルで、公立大学協会図書館協議会総会があり、出席のため仙台空港から朝たった。公大協図書館協議会は、全国の都立・府立・県立・市立の大学の図書館長と事務長で構成される会である。現在は73大学が加盟している。明日の総会のための準備がこの拡大役員会の主要なテーマだった。学術データベース導入のための交渉力の強化というテーマもあり、私の大学の図書館にも関係があり、興味深く聞いた。終了後は、懇親会があり、皆さんと名刺交換をし、情報のやりとりをする。本年度会長館の北九州市立大学の棚沢先生(私の本やHP、ブログのことを話題にされた)、開催間の福岡女子大学の草壁先生、兵庫県立大の斉藤先生、愛知県立大学の加藤先生等の話を聞く。宮城大学は来年度は開催館なので、終了時のしめのあいさつを頼まれた。その話の中で、当地福岡の九大の出身だということを入れていたら、岡山県立大学の野津先生から声がかかった。昭和48年の九大工学部卒で、同期生だった。レストランで、宮城大学企画情報班の安部班長と3人で、いろいろと語り合った。同じ時代をこの地で過ごしたこともあって、愉快で有意義な時間を共有した。
2007/05/31
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11時から「研究委員会」、12時から「総合研究」、13時から人事予算委員会、14時から18時まで評議会という会議の連続の日だったが、その前にビジネスモデル論というオムニバス講義で、「ビジネスモデルと人的資源管理」というテーマで事業構想の父としての後藤新平を語った。日本最初の植民地である台湾統治を民生長官として成功させる、イギリスの東インド会社を模した南満州鉄道(満鉄)の初代総裁として基盤を築く、関東大震災直後の帝都復興計画の実行などを題材に、事業構想とビジネスモデルについて論じた。プロジェクトに適した考え方をまず決め、事前に科学的な大調査を行い、壮大なマスタープランをつくり、簡素な組織をつくり、適材をあらゆるところから強引にスカウトし、厚遇を与え思い切り仕事をさせて、想定以上の赫々たる成果をあげる。これが後藤新平の仕事遂行のやり方だ。悪がき時代のエピソード(恩人である安場の言「この子は将来大臣にもなる器だ。性格をたやめないように育てよ」)、暴漢に襲われた板垣退助の医師としての活動(「あの男は医者にしておくにはもったいない」)、北里柴三郎とのライバル関係と終生の友情、ビスマルクとの会見(「君はみたところ政治を志すべき人間である」)、台湾時代の部下であった殖産局長の新渡戸稲造とのコンビ(「智・仁・勇の三拍子そろった人であった」)、満鉄総裁時代(「午前8時の人間でやろう」、1.5億円が都の予算規模の時に8億円の東京改造計画を発表(「後藤の大風呂敷」)、最晩年のスターリンとの会見、ボーイスカウト初代総裁としての子供達との交流(「ぼくらの好きな総長さんは、白いお髭と、、」)などのエピソードも交えながら、後藤新平の先見を語った。その後藤自身が「遠眼鏡 一人で持てば 罪作り」と詠んだが、この言葉が本質を現していると思う。私自身にとっても楽しい講義となった。
2007/05/30
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このブログに書き続けた分量もかなりの量になってきた。最近気がついたのだが、「ブログはデータベース」であるということだ。人物記念館の旅というテーマで書いている文章はもちろんだが、ちょっとしたエッセイを書く時にも役に立つデータベースであることがわかってきた。ブログに書く内容は多岐にわたっているから、頼まれてエッセイを書くときなど、キーワードで検索したり、ランダムに読んでいたりすると、ヒントになることが多くなってきた。自分の考えたこと、感じたこと、やってきたことなどが検索できるマイ・データベースである。ブログにおいても「量がやがて質に転化する」という法則が貫徹するということになる。この自前のデータベースを用いて、連載中のビジネス・データという雑誌に書いた文章が届いた。この文章のベースになっているのは、4月18日の「移動は、経済的・時間的コストではなく、知的資源である」という文章である。これを雑誌用に手直ししたものが、下記のエッセイとなった。このマイ・データベースは時間がたつに連れて、何か自分にとって宝物になっていくという予感がある。楽しみである。----------------------------------------------------------------知的な資源となる「移動力」「移動」というキーワードがある。常に移動し続けている人には面白い発言をする人が多い。これらの人々の発言を新聞・雑誌・テレビ、そしてブログで見ていると勉強になる。 軽井沢に住んで東京で仕事をしている川勝平太。最近新聞でコメントしている記事をみかけたら、静岡文化芸術大学の学長に肩書きが変わっている。この4月から日本文化研究所から移ったのだろう。この大学は浜松にあってたしか木村尚三郎が初代学長だった大学だろう。これで静岡も加えて移動の機会が増えてくるのでますます視点が深くなるのだろう。 日本国中をめまぐるしく動き回っている落語の桂三枝師匠。毎日、ブログを見ているが、全国津々浦々を公演で歩いている様子がわかる。簡単な場所の紹介や感想と写真のブログだが、その経験が笑いのネタになるのだろう。体調の記載もあり、落語も体力勝負ということがよくわかる。 日本とアメリカのシリコンバレーを頻繁に往復している梅田望夫。梅田のブログはものすごい人気で書き込みが圧倒的に多い。そのコメントに触発されてまた思考が深まってくるという循環の中で成長を続けている。飛行機の往復の時間は司馬遼太郎などの講演録をipodに入れて聞いているそうで、実にいい時間を過ごしているそうだ。 アメリカ・ヨーロッパ・アジアを計画的に訪問して定期観測をしている寺島実郎。米東海岸・西海岸、フランス・イギリス、中国・タイ、そして中東など移動範囲は実に広い。その移動力が膨大な知識と相俟って、豊かで重い発言につながっていく。 身の回りでも出張の多い人は独自の情報を持っていることが多い。 また全国で講演をしている人も自然に移動のサイクルの中に入っているので、気づき情報が多彩になってますます賢くなるのではないかと思う。 こうやってみてくると、地理的な移動だけをみても、移動による見聞や体験が様々な差異の発見を促し、それが脳を活性化することは明らかだろう。 ここ数年私が夢中になっている「人物記念館の旅」でも、なかなか行く機会のない町を観ることにもなり、新しい目で日本各地を眺める機会にもなっているし、時間の経過によって独自の発想の源にもなってきつつある。移動は経済的・時間的コストではなく、知的資源ととらえるべきなのだろう。「移動力」もリーダーの条件の一つとなった。
2007/05/29
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「明日すぐ使える!」達人5人の「パワポ」ワザ。最強「オリジナルプレゼン術」。 ビジネスマン必見!明日の急なプレゼンにもすぐに役に立つ!! パワーポイントを駆使した独自のプレゼン方法を提唱する5人の 「オリジナル・プレゼン術」の極意を一挙公開!---------------------------------登場している5人は以下のとおり。それぞれ2ページ。コンセプチュアルデザインラボラトリ代表の竹島慎一郎:「一枚企画書プレゼン」 必要な要素を一枚にまとめ インパクトで全体を理解させる株式会社ツインパークスのシステムエンジニアの高橋征義:でかいプレゼン」 とにかく文字はものすごく巨大 人目の引きつけ度が抜群のプレゼンゴマ・ホールディングス社長の斉藤広達:「ホワイトボードでラフ書き」 重要なストーリーライン作成は ホワイトボードをうまく活用デザイナーのイソムラ・アユム「感じるプレゼン」 視覚と聴覚の全てで感じる ユニバーサルプレゼン宮城大学の久恒啓一「図解プレゼン」 図解は「マル」と「矢印」が基本 関連性を明確化し全体像を提示この中から自分に役立ちそうなワザを拾って身につけるといいと思う。「宝島」には久しぶりに出て手にしたが、よく見ると雑誌タイトルの脇に小さく「BUSINESS WONDERLAND」という文字が添えてあった。この雑誌のコンセプトはビジネスという素晴らしい世界を紹介するということだったのだ。こういう雑誌は競合誌も多く時代の激流に流されてがちなだけに、雑誌づくりのコンセプトを定めることによってアイデンティティを護ろうと言う戦略であろう。THE21など競合する他誌のコンセプトも調べてみたくなった。目次を追ってみたい。・総力特集パート1 「墜ちる会社」大研究・総力特集パート2 最強 オリジナル「プレゼン術」・総力特集パート3 儲かる「経済指標」の読み方また、大きく登場している人物は、下記。・三浦展・藤原和博・山崎元・須田慎一郎・北尾孝吉、、、。表紙は、深夜の新宿の高層ビル群に雷が落ちている放電の様子をバックに、大小さまざまな文字で、しかも黄色、白・ピンク(プレゼン特集はピンク!)などの色を用いて、雑誌の内容がわかるようにタイトルが並べられている。この表紙もビジネスワンダーランドというコンセプトからきているのだろう。
2007/05/28
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この土日に書店に並び始めた頃だろうが、新著が刊行された。長い時間がかかった本だけに愛着がある。著者:久恒啓一&図考スタジオ出版社:三笠書房価格:1000円。-----------------------------------------以下この本のオビの言葉から。「聖書」「君主論」から「孫子」まで 西洋、東洋の名著が早分かり! 宗教、哲学、経済、社会・・・ あの名著が、あの大作が、 読まずに「わかる」すごい本! 古今東西の、あのロングセラーが まるごと図解になって登場! 「英雄伝」「ユートピア」「方法序説」「リヴァイアサン」「パンセ」 「法の精神」「エミール」「国富論」「戦争論」「種の起源」「資本論」 「ツアラツストラはかく語りき」「精神分析入門」「論語」「老子」「韓非子」 「史記」「マハーバーラタ」他47編を厳選!-----------------------------------------------------------例えばプラトン「国家」はこうなっている。(図解と文章)http://www.hisatune.net/html/02-kenkyuu/tyosaku/bookde/meicho/2007-meicho.htm楽天http://item.rakuten.co.jp/book/4408405/アマゾンhttp://www.amazon.co.jp/b/ref=topnav__gw/250-9464305-0802603?%5Fencoding=UTF8&node=465392bk1http://www.bk1.co.jp/product/2792189
2007/05/27
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大学三年になって、私は四回目の引越しをしました。「とても良い人が来てくれた。」と下宿のおばさんは大喜びです。実をいうと、私は第一印象が良いらしく、最初はうまくいくのです。ある日、夕食を食べに階下に降りていくと、大変な美人がいるではありませんか。聞いてみると、最近この下宿の近くに引越してきた女子高生だそうです。食事をしながら、何となく気になって見ていますと、「久恒さん、手を出したらイカンとよ!!」とおばさんから注意がありました。一応「ハイ」と答えておきました。翌朝、登校時、たまたまこの彼女と一緒になりました。どちらからともなく、映画を観に行こうということになりました。次の日曜日、彼女と公園で落ち合って、「何が観たい?」と聞くと、「私、ハレンチ学園がみたいとよ。」と云うではありませんか。丁度そのころ、この映画が流行っていました。女の子のスカートをまくったりする全くハレンチな学園の様子を描いた映画を、二人で観たわけですが、そのあと、近くの公園に行きました。うららかな春の陽がみちみちており、青や黄色のパンヂーが咲き乱れておりました。突然、この彼女が持っていたカバンで顔をかくしたのです。何事ならんと前方を見ますと、ああ、下宿のおばさんがいるではありませんか。私はすっかり恐縮して平あやまりという訳です。ところが、やはり春です。二人の気持はおさまりません。私の部屋は、下宿の二階だったのですが、朝六時頃、彼女が登校のためにその下を通るのです。私はめざまし時計をかけ、六時前に起き上るという寸法です。しかし声を出すと、下に寝ているおばさんが起きてしまうので、私は一計を案じました。「何日、何処で逢おう」と書いた紙をヒコーキ型に折って、彼女めがけて飛ばすという方法です。「オレも、頭がいいなア」と自己満足していましたが、残念、途中で木にひっかかってしまいました。急いで2機目を飛ばしました。それで彼女もOKして又デートとなる訳ですが、運の悪いことにまたおばさんにみつかってしまいました。ある雨の日、雨の強さで木にひっかかっていた紙ヒコーキが地面に落ちてしまったのです。又、又しぼられてしまいました。最後に、もっとひどい失敗をやらかしてしまったのです。友達の所に泊って翌朝、下宿にもどり、歯をみがいていますと、おばさんが二階に上って来ました。「久恒さん、あんた知っとるとネ!!」「エ、何ですかあ」このおばさんは、通常は、細長い眼なのですが、この日ばかりは、どういうわけか、たて長というか、三角というか、つり上っているのです。「あんたの部屋に、ウジ虫が湧いたんばい!!」と云います。「エッ、アーそうですかア」と僕。事情をきくと、おばさんが二階の掃除をしていると、ウジ虫一匹を発見したそうです。その道をたどって行くと私の部屋にいきついたという訳なのです。部屋をあけると、ほったらかしておいた何やら食べ物の中から、かなりのウジ虫が発見されたというのです。近所の人を呼んで、よってたかって退治したらしいのですが、ここでひるんでは男の恥と思った私は、「ヘエー、男やもめにウジが湧くという諺があるが、本当に湧くんですネェー」といいますと、おばさんもさすがに勘忍袋の緒が切れたとみえて「出てケー」となってしまいました。数々の失敗を重ねて、とうとう、この住みごこちのよかった下宿を出て、寮に入るハメとなってしまいました。弟にはこの話をしましたが、人には決して云うなよと云っていたにもかかわらず、私が入っていた探検部の後輩であり、弟の同級生でもあるYという男に喋ったらしいことに気がつきました。なぜかと云うと、この後輩、部会の席で、「久恒ウジ、久恒ウジ」と慇懃無礼な呼び方をするものですから。
2007/05/26
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学内の仕事が多忙でしばらく東京にいけなかったが、日帰り出張をしてきた。東京での本拠にしてきた東京駅前の丸ビルの21Cクラブが、連休明けから新丸ビルに移ったので、話題の新丸ビルも見物してきた。新丸ビルはシックで中年向けの内装なので丸ビルの華やかな雰囲気とは違う。確かに見物客や飲食スペースで楽しむ人たちは年配者が多いかもしれない。「和」をテーマにした階もあるせいだろうか、和服を着飾った中年の女性グループもぞろぞろと歩いている。居酒屋風の店もある。店のエリアから外側に出るとこのビルの周辺の景色を楽しみながら休憩ができるという構造になっている。しかしあいにくの雨だったので、景観が悪い。また店を巡るとその奥からも上下の階にも行けるようになっていて便利だ。ただ、事務所がわりに使っている21Cクラブはオフィス棟にあるので、いったん一階に出ないといけないのが不便ではある。しかし丸ビルから移転したこのクラブは従前より広くなって使い勝手はよくなっている。今回の目的は、手がけていた2冊の本の執筆が終わったので、次の企画の仕込みである。N社、M社、D社という3つの大手出版社の旧知の編集者と21Cクラブで打ち合わせをする。テーマ探しの段階、企画書の段階、具体的な執筆の段階とそれぞれだが、収穫があった。また、「週刊B-ing」からの取材が30分ほどあった。こちらは遠距離通勤特集でのコメントが役割だった。それらの合間に、三井物産に寺島実郎(宮城大学客員教授)さんを訪問し講義の日程などの相談などをする。また、NPO法人知的生産の技術研究会の八木哲郎会長と秋田事務局長とも活動の相談をする。朝8時15分の新幹線で仙台から東京に向い9時51分到着、駅前の新丸ビルで仕事をこなし、18時56分の新幹線で東京から仙台に向かい20時37分に到着というスケジュールだったが、東京駅前に拠点があるため、随分と多くの人に会うことができた。
2007/05/25
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楽天のブログの総数は、138943件である。その内訳は、園芸 パソコン・家電 料理・食べ物 ドリンク・お酒 ファッション 出産・子育て 生活・インテリア 美容・コスメ 健康・ダイエット アウトドア・釣り 車・バイク スポーツ 趣味・ゲーム ペット 映画・TV 読書・コミック 音楽 旅行・海外情報 そのほか というようにジャンル分けされている。私のこのブログ「今日も生涯の一日なり」は、「読書・コミック」というジャンルに登録しているが、このジャンルの総数は3456件となっている。このジャンルの最新記事を眺めていると、右にの欄に「前日のアクセス数のランキングが発表されており、50位までのメルマガ名が掲載されている。毎日500前後のヒット数がないとこのランキングには入らないのであまり関心はなかったのだが、最近50位ぎりぎりながらこのリストに載る日がでてきた。今週の水曜日は、どういうわけか684件のヒットがあり、今日みると今までで最高の28位にランクインしていた。最高は一日3000件以上のヒット数だから、すごい集客力だと感心する。また、全ブログの中での一位は毎日5万のヒットがあり、50位以内に入るためには3300ほどのヒットが必要である。そういうランクを目指すつもりはないが、ヒット数の多いブログの秘密を知りたいものである。-----------------------------------前日のアクセス数 01: DeepPineApple(3164) 02: 読書とジャンプ(3143) 03: 口コミ情報局!テレビアニ・・・(2746) 04: キラークィーン(2320) 05: ●仕事のアイデア「裏ワザ・・・(1859) 06: MAGI☆の日記(1697) 07: 翔太FACTORY+Zwei(1645) 08: ─ 灼熱 ─(1629) 09: 愛のセラピストDJ☆銀河・・・(1453) 10: おぼろ二次元日記(1226) 11: 葬儀屋”よこさん”の本音部屋(1226) 12: 帰ってきた二次元に愛をこめて☆(1132) 13: 作家・内藤みかのメインブログ(1094) 14: ◆◇黒衣の貴婦人の徒然日記◇◆(1075) 15: 渚の空-アニメの道(1073) 16: 澄み渡る空(1064) 17: ぷちぷち・カフェ(1042) 18: かっぱのお部屋。(1031) 19: イカス大人のおもちゃ箱(996) 20: a flower garden(992) 21: エタ-ナル・アイズ(966) 22: よろず屋の猫(931) 23: よびりん人生大学(844) 24: 数字ノ5@ToLOVEるヤミたん・・・(811) 25: 立ち読みのできる本屋さん(805) 26: 『さおだけ屋はなぜ潰れな・・・(752) 27: Sweet パラダイス(707) 28: 久恒啓一の「今日も生涯の・・・(684) 29: ~悦楽への扉~ 大人限定(657) 30: 無職で暇(652) 31: newひめようこのワーキン・・・(627) 32: †漫画しかないや†(607) 33: BLEACH今日のため息(596) 34: ニューロンとワイヤの狭間から(586) 35: (仮)始まってません(574) 36: 立ち読み気分で気軽に読書・・・(567) 37: ぷろきおん。(566) 38: alcove(564) 39: PRESS ON ! !(560) 40: ★竹内睦泰の日本文化情報・・・(540) 41: みかみ塾自習室メンバーブ・・・(514) 42: 新世紀の生き方、物語の世界(503) 43: ★アカネのアノネ(500) 44: ヘイルトゥ一休さんっ!!(492) 45: 亞の玉手箱(492) 46: わくわくBOOKランド ・・・(490) 47: 『熱血!!コロコロ伝説』編・・・(482) 48: 知音夢裡尋(479) 49: 青空日和(464) 50: てんてん(462) -------------------------------
2007/05/24
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80歳という長寿を昔から「傘寿」という。その傘寿を師匠の野田一夫先生が迎える。そのお祝いの会が仙台のSS30という高層ビルの最上階のレストランを借り切って開かれた。宮城大学初代学長をつとめた野田先生の人気と人脈は健在で、仙台の各界の重鎮が多く参加。学長時代に野田一夫ファンクラブという会が結成されて野田先生を囲んで楽しい談笑の会が何度も催された、今回もこの会の主催である。司会は世話人会の名事務局長の横野洋子さんがつとめたのだが、司会の引き出し方も上手でいつもの野田節が冴え渡って参加者の心を打った。野田先生の話はいつも愉快で爽快で、この会の参加者は全員野田先生のファンなので実に和やかな雰囲気だ。皆さん自分の80歳の時の姿を想像しながら、かくありたいと念じながら聴いているように思った。最長老で七十七銀行の村松巌さん、菓匠三全の田中祐人さん、ホットマン・イエローハットの伊藤信幸さん、七十七銀行の勝俣康行さん、宮城大学一期生でウインテックの蔡英俊さん、トライポッドワークスの佐々木賢一さん、宮城大学一期生でデュナミスの渡辺一馬さんらが楽しく、心のこもったお祝いの挨拶をした。今回の私の役目は、閉会の辞だった。この会では創立以来の私の肩書きは黒幕であること、最近は挨拶によく出てくるので黒幕とはいえなくなってきたこと、野田先生の人生はビジネスモデルの体現の連続であること、20-50-代は大学教授のビジネスモデル、60-70代は大学学長のビジネスモデル、そしてこの50年間マスコミをにぎわせている言論人のビジネスモデルであること、人間の偉さは人に与えた影響量の大きさが指標であること、80歳からは人生のライフモデルを体現されていること、幸せとは自由の拡大であること、その条件はカエ・ヒマ・カラダ・ココロであること、最後に野田一夫ファンクラブはファンが先に倒れて野田先生だけになると成立しなくなるからみんな健康で長生きしてください、とこういう閉めの挨拶となった。参加者も大変満足した、とてもいい会となった。こういう気持ちのいい会は長く続けていきたいものだ。
2007/05/23
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まぐまぐの「日刊メルマガ発行部数ランキング」によれば、毎週2回出している私のメルマガが日記部門447誌の中で、ベスト10に入っている。発行部数は7981となっているが、自前でも数百の配信を行っているから部数は8千部強といったところだろう。ランキングの上の方はカネ系とエッチ系が多くを占めている。私のメルマガのような「真面目系」(?)は少ない。ちなみにトップは約3万部で、0部というメルマガも結構多い。ふと気がつくとこのメルマガも現在496号を数えている。再来週の6月4日の月曜日には500号迎えることになる。------------------------------------------------------------2007年05月22日メルマガ発行部数ランキング No.2177 日記-----------------------------------------------------------------1ヶ月以内の発行があるメルマガの発行部数によるランキングです。--------------------------------------カテゴリ:日記 調査日:2007/05/20447誌もあり、1回に全てを配信できないので、400位までを配信します。------------------------------------------------------1位 29482部 今から始めるネットで楽々副業術2位 19049部 情報商材もう買うな!稼げるお宝情報ミュージアム3位 16650部 【超神速】ミリオネアキングへの道【億王】4位 12523部 村上レポート5位 11955部 聞いてください 有名風俗店の業界裏話6位 10180部 アスリート堀田の とほほ・セラピー記7位 10150部 オークションで稼ぐ!小金持ち8位 9313部 ネットビジネス、特選情報局!9位 7981部 久恒啓一のビジネスマン教授日記10位 7940部 現役塾講師スマイリーの裏授業11位 7277部 【メルぞう裏話】メルぞう開発者からの最新情報と裏話12位 6884部 魔人の闘魂伝説13位 6115部 金脈が微笑む!常識外れな生きかたのススメ!14位 5717部 楽々月20万!現役キャバ嬢のお気楽オークション日記15位 4326部 ミズリィ・ウォッチャー16位 4307部 日本初!芸能関係者発信 芸能スクープ情報17位 3772部 初心者のためのネットで簡単に無料で稼ぐ方法18位 3557部 汗と涙と埃まみれの教科書19位 3390部 無料レポートでこれだけできる20位 3328部 賢者の智慧 GOLDEN RULE21位 3267部 感動無き続く人生に興味なし22位 2968部 ネットで儲ける最速術23位 2636部 とまと日記24位 2225部 凡人でもできる!朝30分の加速成功術25位 2061部 最強主婦あめちゃんの片手間アフィリで月収30万♪26位 2016部 タクシー運転手からの内緒話27位 1974部 ソープランドと性の神秘な裏話28位 1893部 天使のSEX29位 1781部 エアポート出撃ダイアリー30位 1753部 秘書のつぶやき31位 1713部 肉体労働者が提供!?ネットでガンガン稼ぐ秘訣!!32位 1542部 月収7ケタのすすめ~ネットで稼ぐ思考~33位 1512部 『俺様っ!』の内緒話。34位 1246部 テンダーハートのアフィリエイト日記35位 1231部 無料レポ最前線!注目のメルぞう、まぐぞう、スゴワザ36位 1173部 週刊 宇都出マガジン37位 1132部 起死回生!絶え間ない収入と自由な時間の爆得講座38位 1079部 タダで!好きな車に乗り放題~♪39位 1078部 オレ様千秋のアフィリエイトでがっちり稼ぐ方法40位 1076部 LEIFRAS-ism 「リーフラス社長日記」41位 1072部 日刊「あねごろく」42位 1056部 「一日49円!」で行く、日本一周ひとり旅紀行!43位 1042部 ウェインのアフィリエイト情報~サクッと日給3万円~44位 1008部 情報系無料レポートでハッピーライフ45位 955部 SOAP Net-吉原風俗体験談メールマガジン-46位 950部 タコ社長のにんげん観察日記47位 940部 神秘の福袋48位 915部 『髪友通信』10倍成功する奇跡のヘアケア秘術!49位 900部 玩具道(電影版)50位 840部 夢を形に ビジネス編51位 817部 Weekly Big Memo @ハチ52位 814部 読んで分かれ!面白い文章を書く方法53位 789部 吼えろ!日本人~熱き魂を語れ~54位 642部 グータラでもスッキリ!3ヶ月で13.5kg痩せた55位 630部 ビジネスホテルマネージャーズ日記
2007/05/22
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「若く明るい歌声に、雪崩も消える、花も咲く、、」で始まる歌声で有名な「青い山脈」や「陽のあたる坂道」という小説や映画で名前を知っている石坂洋次郎の文学記念館を5月の連休に秋田県横手市に訪ねた。泊まったホテルのレストランからは、長いすそをなだらかにひいて、頂上に残雪をいただいた端麗な鳥海山の姿が目に入る。ちょうど日没の時刻だったが、それは、それは美しい山容である。石坂洋次郎は1900年(明治33年)に弘前で生まれ、最後は静岡県伊東市で86歳の天寿をまっとうする。死の床で、「人生よし」と書き残したから、悔いのない生涯だったのだろう。弘前高校から慶應義塾大学に進んだ石坂は卒業後、横手で教師生活を送った。横手というまちは冬は長く春は遅く、かまくらの町として有名である。この教師生活から生まれてた作品も多い。プロレタリア文学の全盛時に石坂は青春文学を目指し、1933年(昭和8年)にはこの地で「若い人」を書き、絶賛された。しかしその内容を不敬罪・軍人誣告罪で訴えられた。結果的に不起訴になったが、学校にいられなくなっていく。その後1936年に自身の夫婦生活の不和を描いた「麦死なず」という作品を書く。石坂が数多い作品の中で一つだけ挙げるとしたらと聞かれて、挙げたのがこの作品である。「私は今日までたくさんの作品を書いているが、一つだけ残したい作品をと言われれば、躊躇なく「麦死なず」をあげる。」といっている。石坂は21歳のときに弘前出身の17歳のうら子を妻に迎える学生結婚だった。そのうら子との苦しい日々を描いたが、「この作品を書かなければ生きていく力が見出せない」というほど石坂は精神的に追い詰められていた。後に石坂は「僕の一番の代表作は「麦死なず」だよ」と講談社の文芸誌「群像」編集長の大久保房男に語っている。1949年(昭和14年)、38歳の石坂は東京へ出て大活躍を始めるが、この横手での教師としの13年の体験が、若い人を観察する目を養った。石坂文学の特徴は、映画化された作品が多いということだ。「青い山脈」は5回、「若い人」「何処へ」「石中先生行状記」は4回、「暁の合唱」「若い娘」「陽のあたる坂道」は3回、そして2回映画化された作品は実に11作品にのぼる。多くの青年に希望を与えた作品を書いたのだ。記念館には、石坂の書いた色紙が飾ってある。 照顧却下 地味に着実 に進むことだ 私の好きなものは 人間だ。嫌いなも のも人間だ。私の 関心は常に人間 の上にある教え子たちに与えた書。 生き甲斐や 雪は山ほど 積もりけり 小さな完成よりも あなたの孕んでいる 未完成の方がはる かに大きいものである ことを忘れてはならな いと思う(若い人)「「青い山脈」のかなたに---クラス担任石坂洋次郎先生(半田亮悦・秋田魁新報社)」という本を記念館で入手し興味深く読んだ。後に秋田県内の小学校、新制中学校教員として勤務した教え子が書いた石坂先生の思い出である。この本に書かれている石坂先生の断面を拾ってみる。当時30歳の国漢教師で終身・国語・漢文を担当した。3年生のときのクラス担任だった。体重十一貫3百弱(42キロ)。私にとってはたた一人の眠くない先生でした。もの静かで、穏やかで、それでいて少しのたるみも隙もなく、滔々と流れるその口調。温厚で平静、クラス全体を温かく見守っている、良識派の先生。言動全般に圭角がなく、いつも感情の均衡がとれていて、素朴で誠実な先生だった。温和で、ほのぼのとした雰囲気が、クラス全体を包んでいるように思えた。身辺の普通のことを普通に話していながら、それでいて大切なことをきちんと教えてくれている感じだった。私たちの胸には、いつとはなしに、石坂洋次郎は自分たちの側の味方なのだ、という思いが住みついていった。講義の流れには、一点一画の介入も許さないものがあった。薄っぺらな愛国心の高揚を説くことなどはしなかった。だが、その反対でもなかったように思われる。先生は自分の職務生活に作家としての修行中の姿を全然持ち出さなかった。学校では、心から国漢教師という公人になりきっていた。この半田少年は「賢く迷い、そして伸びよ」という色紙をもらって生涯の指針とした。生きる喜びとはという生徒の問いに、「そうだねえ、健康で働き、ご飯をおいしく食べ、きれいな空気を吸って毎日元気で生きている、それが生きている喜びではないだろうか」と答えている。「己の分に生きよ」「賢い平凡人たれ」「どちらにも片寄らない中道。人間は中道を歩むことが大へん大切なことです」「私の好きなものは人間だ。私の嫌いなものも人間だ。私の関心は常に人間の上にある」「人生は真面目な事実である」(アルバム)「肉親や周辺の者を不幸にする生活環境の中から、人生にプラスする芸術がほんとに生みだされるものなのだろうか」横手市城址に建てられた文学碑の碑文には以下の文が刻まれている。小さな完成よりもあなたの孕んでいる未完成の方があるかに大きいものであることを忘れてはならないと思う(「若い人」)-- この作家が教え子たちに残した言葉もなかなかいい。その言葉が彼等の人生に長く影響を与え、それが残っていることが素晴らしい。石坂は一人一人にその人にふさわしい言葉を書いてあげている。素晴らしい教師だったのだ。
2007/05/21
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探検部は山に行きます。時には岩をのぼったりおりたりのロッククライミングも行います。この岩登りに必要な道具、それはヘルメットです。私達のクラブの別名は“ドロボー探検部”と言う位ですから、必要と思ったものはすぐに手に入れるべく頭や指を使います。当時ヘルメットは500円位の安さでしたが、これも部員全体の数をそろえるとなると大変です。そこで私達がねらったのは学生運動の活動家がカッコよく愛用しているヘルメットなのです。70年安保時代に大学時代をすごした私達のまわりには、日本共産党系の民青を超えたと称する新左翼の人々が多くおり、小さな派をつくっては組織闘争に明け暮れていました。当時は“ゲバる”という言葉が流行った位ぶっそうな構内で、赤ヘルや青ヘルや白ヘルの眼光の鋭い活動家達が、毎日のように内ゲバをくりかえしていました。独眼流を売り物にする活動家、足を引きずっている活動家もおり、これらの障害はいわば彼等の勲章のようでした。私達の作戦は彼等のヘルメットを奪うという計画です。陽が落ち姶めた頃学内で内ゲバが始まると見物にでかけます。角材や鉄パイプでなぐりあって勝負がついたあと残るのは、いくつかのヘルメットという寸法で、私たちはハイエナよろしくこれを没収します。時には血をだしながら倒れている男の頭から、「中核」と書かれたヘルメットをひっぱがすこともありました。さてこのようなことをしばらく続けると沢山のヘルメットが入手できます。探検部のロッククライミング合宿を近郊の山で行うことになるのですが、部員は全員、自力で奪ったヘルメットを持って山中を一列に並んで行進です。「行くぞお、われらがたんけんぶー」白ヘルの中核、白ヘルに黒いふちどりの核マル派、青いのは社青同派、赤ヘルはノンセクトラジカル、といった具合です。ある者はオートバイのヘルメット、又ある者はナベと多彩なヘルメットの集団。ある時、10人位の仲間とともに山中を行進中、いく人かの登山者に出あいました。彼等は、山中を様々な派のヘルメットをかぶった猛者連中が、思想の違いをのりこえて一列に行進をする姿をみて、驚く者、あるいは、この美しい人間愛に感動を覚える者と、その反応は多様です。登山者の眼にはどう映ろうと、私達は、ただ登山の必需品であるヘルメットを最も労力とお金のかからない方法で入手しただけのことですから、今からロッククライミングをやれる!!と期待に胸をふくらませて行進をしていたというわけです。
2007/05/20
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渡辺淳一の「鈍感力」(集英社)が売れているそうだ。この小説家は男女の機微を描いた作品が多くファンも多いが、今回のタイトルはいつもの小説のニュアンスとは違うので、不思議に思っていた。妻がこの本を買っきて読んだあと、「どんな本なんだ?」という私の問いかけに「そうねえ。女性の鈍感力以外のところは、お父さん(最近はそう呼ばれている)のことを書いているようです」との答えだったので、早速読むことになった。渡辺淳一の主張は「いい意味での鈍感力」を持てということである。それを裏付ける例を挙げながら主張を展開していき、最後は女性は子どもを産むために鈍感に生まれついていて、その鈍感力の最大のものは母性愛であると締めくくる。渡辺淳一は、叱られ続けてもへこたれない、強くて鈍い体、鈍い腸、雑然とした部屋、環境適応力といった要素と事例を挙げながら鈍感力を説明していく。確かに妻の言うように、新入社員時代から20代までの若い頃はよくミスを連発したが上司からみると怒りやすいタイプだったようで、よく叱られていた記憶がある。大学時代に探検部で鍛えたせいだろうか、仕事量が多いのも平気だったが、30代の半ばの頃に人使いの荒いことで有名な上司があるとき「おまえ、丈夫だなあ」とあきれたように声をかけられたことがある。そのときは「わたし、丈夫なんです」と笑いながら答えたことがある。独身時代、大食いだったこともあり昼の定食を一度に2回食べていたりしたが、「腹をこわしたことがない」ことが自慢で、同僚の女性社員からは「アイアンストマック(鉄の胃袋)」とあだ名されていた。部屋の汚さも有名だったが、特に社会人となったら時間の無さにショックを受けて、自分を磨くこと以外の生活のための掃除、洗濯、入浴などは最小限で済ますという方針を立てたので、それもしかたのないことだった。ある人から「汚な好き」といわれたことがあったが、「わたしはきれい好きなんです。でも掃除がきらいなので、汚くなっているのです」と返事をしたこともある。サラリーマン時代には10回ほど転勤や仕事の変更があったし、大学への転身という大きな変化も何とか乗り切ってきたから、環境への適応力はまあまああるほうだろう。ここまで鈍感力を考察してきたが、渡辺淳一はもう一つ条件を挙げていた。それは「図にのる才能」である。人から褒められたら、「その本人がその褒め言葉に簡単にのる、この図にのる、調子のよさは、いわゆる、はしたないことではなく、その人を大きく、未来に向かって羽ばたかせる原動力となるのです。」とある。そういえば、これもあたっている気がする。よく考えてみると「図にのる才能」という言葉も味わい深い。図の本を書き、図を使ってプロジェクトを遂行ししている今のわたしは確かに「図」という武器の上に乗っている。この章の扉には図という文字を斜めにしたイラストがあり、その角の上に人物がバランスをとりながら手を振っている姿が描いてある。まさにこの鈍感な人は「図」に乗っているのだ。さて、わたしはもちろん鈍感で過ごしてきたが、よく考えると周りが敏感、過敏であったならば、トラブルの連続だったろうという気はする。そう考えるともっとも鈍感力が備わっていたのは、家族や同僚などの周りの人々だったのかも知れない。
2007/05/19
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新入生合宿では二日目に毎年全員で「陶芸」を体験している。講師は遠刈田温泉で「アトリエまんぷう」を主宰する豊原先生。20年前からこの蔵王の地に住み着いて本格的な穴窯で陶芸に打ち込んでいる方だ。最近は、中国や韓国でも毎年個展を開くなど海外との交流にも熱心で、最近出来た蔵王町国際交流協会の会長もしているそうだ。焼き物の話を聞いて、次につくり方の基本などを習って、各自が思い思いの作品づくりをする。学生は初めての体験なので仲間と語らいながら楽しそうに土をこねている。湯呑み、ぐい飲み、お皿、カップなどが、ビー玉を用いた簡単なロクロの上で次第に形を現していく。できあがった作品は、色の指定をしてまんぷうに預けるのだが、数百度で焼く素焼きをした後かわかして次に千数百度で本格的に焼いて、7月にできあがってくる予定だ。基礎ゼミの終了時にあわせて全員に渡されるが、毎年受け渡しの光景は賑やかだ。この陶芸のプログラムは新入生にも毎年好評である。引率の私たちも参加するが、私は初年度は湯呑み、次年度は眼鏡置きをつくった。今回は何をテーマにしようかなと考えたが、自宅で飼っている「ちょこら」という犬の茶碗にすることを思いついた。ちょこらはアルミの食器を毎日使っているので、これを私がつくった食器に変えてあげようという趣向である。できあがったやや大きめの茶碗の板状になった底の部分に箸を使って「ちょこら」という文字を丁寧に入れてみた。愛犬が毎日その茶碗を使って餌を食べる姿をみると、少し幸せな気分になるかもしれない。そうすると家庭内での私の株もあがるかもしれないなあとふと想像しておかしくなってしまった。
2007/05/18
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今年の新入生の対象の基礎ゼミ合宿も例年通り、蔵王のホテルで行なわれている。朝9時過ぎに120名ほどバスで出発し1時間ほどで着いた。全員の30秒の自己紹介から、今年の基礎ゼミテーマである「だてもん市場」の説明会とワークショップ、夜の懇親会までプログラムが続いた。宮城大学は県内と東北各県からの入学者が多いが、札幌からや沖縄からもやってきていた。自己紹介では、音楽好きの学生が圧倒的に多く、人気シンガーやグループの名前を挙げる人が多かった。読書が好きな学生が挙げていたのは、恩田陸や吉本ばなな。喫茶店めぐりが趣味の学生も。みんな新しい友達が欲しいといっている。昨年退官した天明先生による挨拶の講義があって練習を何度もしたが、みんな真面目に挨拶やお辞儀の仕方を熱心に学んでいた。また最近は茶髪がいないと気がついた。夜の懇親会はゲーム中心だったが、予定の2時間きっかりで13グループの出し物を終えたのにはビックリした。昨年は1時間半以上も延びたのだが、このタイムコントロール力は素晴らしい。この基礎ゼミを始めた最初の年の学生が、もう3年生になっていて新入生に対して講義やインターンシップや学生生活などについて説明していた。私の担当だった学生もいたが、随分と大人になったなあと感慨深かった。明日もプログラムがあり、夕刻に仙台に戻る予定。
2007/05/17
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自分が本を書くこともあって、新聞の本の広告欄は必ず見ている。新聞ごとに読者が違うことがよくわかる。また「大反響!6刷」「3刷」「140万部突破!」「重版出来!」などの言葉で、どんな本が売れているかがわかる。タイトルで世相を感じることができ、世の中ウオッチングをしている感じになる。ある意味で新聞の記事よりも読者の心の動きを推しはかる材料になる。新聞は下から読もう!17日の朝の朝刊。朝日新聞2-4面東野圭吾「幻夜」「百夜行」(集英社文庫)本田桂子「その死に方は、迷惑です」(集英社新書)柴田鉄治「世界中を南極にしよう」(集英社新書)ジェームス・M・バーダマン「黒人差別とアメリカ公民権運動」(集英社新書)カンサンジュン「日朝関係の克服」(集英社新書)山崎麻美「子どもの脳を守る」(集英社新書)川畑信也「知っておきたい認知症の基本」(集英社新書)原信田実「謎解き 広重江戸百」(集英社新書)「小説すばる」(集英社)大谷光真「世のなか 安穏なれ」(中央公論新社)1面イジョンシク「朝鮮半島 最後の陰謀」(幻冬舎)池田大作「勝利の光」(聖教新聞社)曽野綾子「うつを見つめる言葉」「孤独でも生きられる」(イースト・プレス)さかなクン「さかなのなみだ」(リヨン社)「こころの旅」(世界文化社)日本経済新聞2-3面柴田昌治「なぜ社員はやる気をなくしているのか」 (日経新聞出版社)田中靖浩「右脳でわかる!会計力トレーニング」(日経文庫)信託法入門・環境法入門・交渉力入門・リスクマネジメントの法律知識(日経新聞出版社)竹中平蔵「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」(日経新聞出版社)北尾吉孝「何のために働くのか」 (致知出版社)渡部昇一「渋沢栄一 男の器量を磨く生き方」(致知出版社)一日一言シリーズ「吉田松陰」「坂村真民」「安岡正篤」「佐藤一斎」(致知出版社)「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」 (光文社新書)岡嶋裕史「iPhone 衝撃のビジネスモデル」(光文社新書)宮田律「イラン」(光文社新書)八幡和郎「歴代知事300人」(光文社新書)1面浜口隆則「戦わない経営」(かんき出版)「年金の基礎知識」「支店長力」「捜査指揮」「はじめての仕訳」「キャッシュフロー計算書入門」「わが子のうつ病を治す方法」「ある広告人の告白」「探そう、仕事の、歓びを。」
2007/05/16
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iGoogleというサービスを使っている。グーグルの検索機能はよくできているので、頻繁に使うようになった。イメージ、トランジット、マップ、ローカル、Earth、Gmail、Picasa,翻訳、カレンダー、デスクトップ、検索オプションというサービスが日常お世話になっているサービスだ。最近、iGooGleと名前の変わった画面を利用するようになった。この画面には自分が必要とするグーグルのサービスや頻繁にみる関心のあるサイトなどを登録しておくことによって、常時最新情報をウオッチできる。Google Map、Gmail、Live TV Channels、Google Calender、You Tube、asahi com、トップニュース、るるぶ、経済、夕刊フジBlog、NIKKEI NET、2チャンネルヘッドライン、WikiPedia、そしてブックマークとしてYAHOO!スポーツなどを登録している。また、関心のある人物のRR配信も登録している。iGoogleはこういう画面が一望できるので、使い勝手がいい。このiGoogleの画面はどんどん新旧を入替えブラッシュアップしていきたい。(何か、いいサービスはないかな?)松井や松坂が活躍するメジャーリーグの試合の進み具合などは、イニングが終了する度に結果が文字で記されるので、仕事の合間によくチェックしてして楽しんでいる。(映像が見れないかな?)またYou Tubeではニュース番組などもアップされるので、これもチェックして短時間で情報を得ることもしている。情報とは自分にとって役に立つ知らせである。情報という言葉が話題になってきた25年前くらいに、情報という言葉を自分なりに定義をしたことがある。それ以来ずっとこの考え方で生活してきたが、選別にあたって実に役に立った。この「自分にとって」という部分が大事である。世の中に溢れている知らせの海の中を羅針盤を持たずに漂流している感覚を持っている人も多いのではないか。自分のテーマや関心事項というアンテナが立って、初めて有益な情報がそのアンテナで受信できるということだ。便利なこのiGoogleを使いこなすには、この情報の定義に沿って自分のテーマをある程度確定しておかねばならないということだろう。
2007/05/15
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体がこの穴を突破すればよいのだから要は穴を大きくすることだと結論した私達の行動は次のようなものです。理学部化学部のこのリーダーは、鐘乳石の化学方程式を恩いだし塩酸をかけると化学反応をおこして鐘乳石は溶けるはずだと主張しました。CaCo3+2HCl→CaCl2+Co2+H2O彼によれば、「塩酸をかけると溶ける、そしてまわりの石はもろくなる。その弱くなったところをトンカチでしつこくたたけば容易に石はくずれていくはずである。これをくり返していけば、短時日のうちに我々は前人未踏の空間に達するであろう」という理論なんです。私達は半信半疑でしたが、とにかく実行することにしました。塩酸の入ったビンを片手にタオルとトンカチを持って四~五人でこの鐘乳洞にもぐります。まず塩酸を目指す小さな穴のまわりに注ぐと、先程説明した化学方程式で発生する気体や塩酸が、あたり一面にたちこめてきます。この気体は吸い込むとのどがヒリヒリしてくるのです。この気体をそのまま吸いこむと気管をやられますから、手にしたタオルで口をふさぎ気体が流れ去るのを待たねばなりません。今度はトンカチを手に穴の周辺のもろくなったはずの部分をたたくのです。ところがこの穴の周辺をたたくためには、胸がようやく通る位の狭いところを通過する必要があります。胸が上の壁と下の壁とにはさまって身動きできなくなるところまで体を進めても、腕がようやく穴の入口あたりに達するという状態です。したがって肩を軸にして腕を振ることはできません。どうやるかと言うと、手を精一杯のばした上でも手首のみが自由に動くのですから、トンカチを持って手首を振るのです。10分以上もこの動作を繰り返してもちっとも穴は大きくならず、かえって塩酸のにおいでせきこんでしまうのが関の山。ところが、5人ほどの人間がこの作業を続けて次に自分の順番がまわってくると、どういう訳か以前より穴がいく分大きくなっているような気がします。そこで又この作業を行う元気がややでてくるのです。およそこのような神に背く作業は短時日のうちに完了するわけはありません。とうとう私の卒業までに数回の合宿を行ったにもかかわらず、未知の空間の扉はひらきませんでした。大学を出て半年位たった頃、クラブの後輩から手紙がきました。「前略、先輩/とうとうあの鍾乳洞の穴があきました。」ようやく人が通れそうな位にまで穴をひろくすることに成功した後輩達は、わが探検部で一番やせている小さな男に一週間の断食を命じたというのです。そしてこのやせ男の最もやせ細った頃をみはからって、この穴に無理やり押し込んだらしいのです。この不幸な男に、世界で初めて人類が足を踏み入れた空間の感想を聞くと、「案外、中は広く、ユニークな形をした石もあり楽しかったですよ。ただ、その空間の先に、また同じような穴があったのにはゾッとしました。」との答です。さすがにその穴をまた掘ろうと言い出す男がいなかったのがせめてもの幸いです。ところが、このクラブ連中はこの男を押し込むことには神経を使ったらしいのですが、果して再び出てこれるか否かということには、トンと頭がまわらなかったようです。ですからこのやせ男は決死の覚悟でこの恐るべき空間からはいずり出たということです。このクラブ連中は、「一度入った穴だから出れないわけはないだろう。又、もし出れなくても、もう一週間も絶食すれば出てこれるさ」とほざいていたそうです。
2007/05/14
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梅田望夫と茂木健一郎の共著「フューチャリスト宣言」(ちくま新書)を一気に読んでみて明るい未来を創りだそうとしている革命家をフューチャリストと呼んでいるように感じた。「ウェブ人間論」で対談した若い作家・平野啓一郎とは違った個性が際立っている脳研究を本籍とする茂木健一郎(1962年生まれ)との相性もいいようで、梅田望夫(1960年)の発言はいつも以上に知的刺激に満ちている。今回はどのような未来が視野に入ってくるのかという観点もあったが、フューチャリストたらんとする同世代の二人の日々の生活のライフスタイルに興味を持って読み進んだ。仕事上ではネット世界にどっぷりとつかりながらリアル世界ではクオリア(質感)の高い生活をしようとしているシリコンバレー在住の梅田望夫の日常には、これからの生き方の一つの方向が鮮明に見てとれる。若い人だけにとどまらず現在世界を生きている知的生活を志そうとする人が関心を持つべき生き方である。リアル世界で一流の人に会い続け既存メディアでも発言し影響を与えていながら、ネット世界でも毎日1万人以上が訪問するブログを書き続けているタフな茂木健一郎という生き方も興味深い。茂木はリアル世界にやや重点を置きながら、らせん状に成長しようとする戦略をとっているように見える。この人物の本をいくつか眺めてみたことがあり、高い知性の持ち主であることはわかったが何を主張しているのかはよくわからなかった。今回、梅田との対談を読んで彼の考えていること、やろうとしていることがよくわかった。リアル世界とネット世界の双方を視界に置きながら、右足と左足のどちらかにあるいは両方に等分に体重をかけるかが、今後の生き方のありようだということが見えてくる本である。万国の労働者に革命を呼びかけたマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」にならって、タイトルを「フューチャリスト宣言」にしたのだろうか。世界の進む方向を示し、若い世代の人生と生き方に大きな影響を与える思想を明快に語ったこの本は、新時代の革命へ向けての檄文である。(「回天」とは明治維新で志半ばに倒れた志士・清河八郎の革命思想をあらわした言葉)----------------------------------------------------------------以下はフューチャリストたちの日常のライフスタイルに関する部分のピックアップである。参考にしたい。梅田望夫・1994年にインターネットの時代が到来・メールよりブログのコメントやトラックバックのほうが気になります・アンリかではほとんどネットの脳内空間だけで暮らしている。2002年からアメリカの国内線の飛行機には一度も乗っていない。どこまでネットで代替できるかという人体実験を5年くらい続けている。・家かオフィスにいて、ネットに一日8-10時間費やしている。あとは考え事をしたり本を読んでいる。・「この人たちは大事だな」という人をネット上で発見してブログやサイトを巡回する。日本語と絵意義でネット上に500人くらいの友だちや仲間(アメリカ人が多い)がいるような感じ。そして意味あるものを選び出して分類する・「はてなグループ」という共有空間を10個くらい持っている。500人のブログの中で関連があると思ったら、URLを特定のグループに放り込む。ブログとグループが同時並行的に進む。・朝は4時か5時におきる。8時までには昔だったら丸一日かけてしていた仕事が終わっていると感じることが多い。・自分のリアルライフはクオリア(茂木のいう心のなかで感じるさまざまな質感)の世界。ネット側でものすごく効率のいい生き方をして早く切り上げて、リアルで過ごす時間が長くなる。・ネットの付き合い方がその人の個性・ネット時代のリテラシーというのは感情の技術です・リアルタイムに、ブログとユーチューブとこれからの新サービスを組み亜悪と一日で教材ができる。大学で講義するエネルギーがもったいない。・リアルとネットという二つの世界での生計の立て方、知的満足のしかたを組み合わせて戦略的に考えていく・世の中雄を俯瞰して理解したい。たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある。俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人はこれからの時代は有利になる。総合する視点。・ネットへの興味とリアル世界での満足度は反比例する・自分の著書についての感想は2万近く読んで1万くらい記録してある・サンプルでなく全数でいくことにすごい時間的投資をしている・ブログを書くのは修行・ネットベンチャーなど採用するときにその人のブログを重視する・会議でもネット上で議論をやりつくして、それでもできないことおwリアルの会議でやると、とんでもなく生産性の高い会議になる茂木健一郎・ホームページを立ち上げたのが1997年・ウイキペディアのヘビーユーザーです・いろんな人と会って刺激を受けて朝から晩までずっと仕事をしている。・出張の気晴らしは、ユーチューブ・SNSの中途半端な感じには拒否感がある。・自分のブログのコメントには返事は出さない・7対3の3がウェヴ世界の人格ということはある。ヒット数はグーグル上に現れる時価総額だ。・「クオリア日記」は一日1万2千から3千のアクセス・英語のブログを11月から始めた。小林秀雄や本居宣長などについて書きながら英語世界の偶有性に身をさらす・インターねと時代には、古典的な教養というものが復活するんじゃないか・警戒心を解くというのが、ネットで生きるための大切な知恵だ・自己紹介は「僕の名前をグーグルで検索してください」といえばいい・ブログ上に音声ファイルをアップしている・日本の競争原理は、論文を点数化して何点以上だと教授昇進といった内規。アメリカのテニュア(終身教授資格)は「それまで誰も手をつけていない分野を切り拓いたかどうか」だ
2007/05/13
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午後、近所の40代の友人宅で、21才の大学生の息子とセカンドライフを楽しませてもらった。一つの部屋にマック1台とウインドウズ2台を並べて同時にセカンドライフを探検するという趣向である。アバターと言って友人と息子は同じ女性の姿、私は筋骨隆々とした若い男性の姿を選んで入る。息子が使ったマックが一番メモリー容量が多く、2番目が友人、私のノートパソコンの容量が少なかった。セカンドライフへの入り口でテレポートという機能を使い、3人そろって会話をしたり、アバターを動かす練習をまずする。前後左右、そしてフライという機能を使うと飛び上がって空間を垂直に移動したり、空を飛ぶこともできる。私以外の二人はコンピュータゲームに慣れているのでうまいが、私のアバターは壁にぶつかったりしてなかなかスムーズには動かない。この家の回線は100メガという大型の容量なのだが、3人で立体空間を動くということになるとカクカクというように滑らかな動きにはならないのは仕方がないところだ。また、30分もするとノートパソコンのバッテリーが無くなってしまうから、随分とエネルギーの消費が早い。練習場のビルを出て早速、日産自動車のアイランドに飛んでいく。赤い色をした巨大な自動販売機が立っていて、中にいろいろな色やフォームをした車が並んでいる。トイレの壁に暗証番号が書いてあり、それをみつけて自動車の自販機に入力し、欲しい車の番号を押すと青い車が路上に登場した。もちろんこの車を動かすこともできるが、車の中に入って運転席に座りハンドルを動かす感覚で走ることができる。街はやや赤みのかかった夕方の時間の風景だ。どうやらこの空間には「時間」が存在するらしい。ドアを開けることもできる。左ハンドルの外車仕様の車を動かすと風景も動いていく。車の色を途中で変えることもできる。ブルーをシルバーに変えみる。こういう工夫を加える中で愛着が涌いてくるような気もする。まず、日本人コミュティに出かけることにした。ジャパンショッピングモール、ヒルズ、ビーチなどがある。モールを3人で散策する。3Dの立体像であり、自分の視点で世の中が見えるのでリアリティがある。右に回ると視界が違ってくる。相手の顔は見えるが自分の顔は見えない。これは実世界と同じだ。性別や顔や肉体、そして服装を自由に選び、架空の人物に変装して世界を歩いているという感覚だ。ジャパンシティには、セブンイレブンやビッグカメラや洋服の青山、ブックオフの看板が見えるので、降りてみた。どうも偽者らしい。ビッグカメラと見えたのは、「ビックリカメラ」という看板であり、土地のレンタルの広告がある。1784ヘーベで月1400円だった。銀座を歩く。銀ブラだ。ビルの中には様々な店が出ている。「日本の喪服」、「ふんどし」、「銃器」、「ジェスチャー」、「入墨」、「下着」などが売られている小さなショップが並んでいる。銀座のビルの中にもまったく人影がない。死んだ街のようだ。下北沢の高架下にお店を出しませんかという広告も見かけた。高円寺という区画もあるらしい。映画「プルコギ」の宣伝ポスターを見かける。焼肉ムービーの宣伝だ。大学生の息子がバーコードがあるといって、携帯電話をこちら側の世界でとりだし撮影するとURLが入手できた。そこをクリックすると映画の公式サイトが現れた。あちら側の世界とこちら側の世界がこういう形でもつながっているのか。この広告の近くでは肉を焼いていた。ビルの外に出る。時折人が通るが誰も挨拶もしない。私は操作に行き詰ったので、息子の画面を観察することにした。近くに来たアバターとの会話が始まった。「可愛いですね」「看板を読めるんですか」「池袋からです」「ところで双子ですか?」こういう会話が文字でわされているチャットを見ていると、背景の木々が風で揺れているのがわかる。すごくリアルな風景だ。「先週からやている」「4回目のログイン」「面白いですか?」「なんか面白いですよね」違う人が寄ってきた。ここで4人。「5月の連休に始めました」「みんな最近なんですね」シマウマの姿をしたアバターが現れる。「自分でつくったんです」今度は黒ずくめの衣装を纏った人物が入ってくる。「今日で3日目です」「ここだけは人口密度が高い」「外国に行くにはパスポートはいらないんですか」相手の姿を見ながらのチャットは面白い。「SLの歩き方ってサイトがあって、、」SLとはセカンドライフのことだろう。略語や隠語が多い。W:笑いあり:ありがとうよろ:よろしくどんどん人が増えてくる。今度は狼の姿をしたアバターだ。合計8人が集まっている。シザー・ハンスという映画の主人公の姿をした人もいる。「踊りのバイトで、4リンデンドル稼いだ」「サウナに行って春だけでも10リンデンドルもらえる」ここでも情報が大切だということがわかる。「備え付けの機械が、そこにいるだけで20分で20LD(リンデンドル)くれる、、」画廊が目に入った。オーストリアンアートだ。またアクセサリー、洋服、ステンドグラスを売る店もある。道を歩くと、何人かが歩いているのが目に入るが会話はない。この世界に入ってくる人種はネットゲーマーが多い。彼等はきっかけがないと喋らない。ネットゲーマーという人々は戦いというような目的や倒すべき目標がないと燃えない。セカンドライフという世界には「自由」があふれている。自分で何をするか、つくるか、」誰と交流するかを決めて行動して、コミュニケーションをとっていかねばならない。自由が不自由に感じる段階のような気がする。知り合い同士がこの世界で一緒に行動するのがいいかもしれない。今回は3人の知り合いがいたので、安心して歩くことができた。この世界で出会った人とフレンド登録をすると直接目セージを交換することができるから、友人や親友が生れてくるのだろう。5リンデンドルは実世界の1ドルに相当する。セカンドライフという世界では日本円の価値で30万円で一つのアイランドを手に入れることができる。ここに建物を建てたり、土地を貸すことができる、そしてこのアイランドに建物などをつくってアップロードするとセカンドライフ社に金を払う、こういう仕組みになっている。この世界に住むには有料会員になって居住権を得る必要がある。この額は2000円くらいだと聞いた。6-7年前だっただろうか、レイランドという会社の同じような世界に入っていたことがある。3階建てのビルを建てて久恒バーチャル総合研究所という看板を掲げた。2階にはマホガニーの机などで装備された豪華な所長室があって、裏庭には混浴の温泉がついており、大吟醸専門のバーを用意した。この総研でいくつもの部屋をつくって教え子を含めて研究を行っていこうという構想だった。残念ながら途中でこのサービスはなくなってしまった。地下にもうひとつの世界があるという不思議な感覚で、アバターを使って楽しんだ経験を思い出す。このセカンドライフも同じような志向ではあるが、実際の経済世界とのリンケージがあることが大きな違いである。コンサルタント業や建築業なども成り立つ。どういう方向に進化していくのかわからないが、それはこの世界に住む人た次第だということになるのだろうか。気がつくと3時間以上の時間が経っていた。
2007/05/12
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探検部活動の一つの分野に鐘乳洞探検があります。このケイビング活動の練習場として私達は北九州にある岩屋(ごうや)鐘乳洞をよく利用していました。この岩屋には長く続く横穴や数十メートル地下に下がるたて穴や、“カニの横バイ”と我々が名付けていた狭い通路を持つ鐘乳洞などがあり、遠征のための訓練に非常に適しています。鐘乳洞にもぐる時の服装はと言うと、自動車整備工の制服ともいうべき“つなぎ”とキャラバンシューズ、ヘルメットとランプといった具合で、炭鉱夫と同じです。鐘乳洞になぜもぐるのか。山の場合には、「そこに山があるから」という美しい台詞があり、又、「頂上から見る美しい景色がそれまでのつらさを忘れさせる」あるいは「重い荷物を背負って遠い道を行くのは人生と同じである」という教訓派と様々であり、まあどれももっともらしく聞こえます。ところが鐘乳洞だけは理由がみつかりません。地中にずんずんもぐっていくと地の底に落ち込んでしまったような心細い気持になります。又、狭い穴を必死で通過する時など「今ここで地震が起きたら一巻の終りだな」と考えたり、さらに悪いことに鐘乳洞には水が流れていることもあり、泥だらけになってしまい、良い事は全くありません。“つなぎ”も岩にひかかって破れたり、ヘルメットが岩にぶちあたったり、又ヘルメットにつけたライトが接触不良でつかなくなることもしばしばです。気の遠くなるような暗闇の中でライトがつかず、しかも仲間がすぐそばに居ない時など気の小さい人なら発狂するところです。鐘乳洞は地中にあいた穴ですから体が通れなくなればそこで、終りとなります。岩屋に20メートル位垂直に下がった深いたて穴があり、その底から今度は横に穴がのびています。この穴にはロープを体にまいて仲間に入口で支えてもらいながら降りるのです。ある時部員五人でこの穴にもぐりました。この横穴を進んでしばらく行くと行きどまりです。もうこれ以上進まなくてもすむため内心ホッとしてひき返そうとした時、先頭にいたリーダーのYという男が「オーイ、小さな穴があいとるぞー」とわめいています。よくみると直経7~8cmほどの小さな穴があいており、顔を精一杯近づけるとその穴の先に何やら空間らしきものがのぞけます。通常、「ヘルメットが通れば体は通る」というのがこの鐘乳洞探検の一つの公式なのですが、この小さな穴はとても無理。ところがこのリーダーがとんでもないことを思いつきました。「ヨシ、みんなでこの穴をほろう」これ以後一年近くにわたって私達は非常に辛い仕事をするはめになりました。(明日へ続く、、、、)
2007/05/12
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2007/05/11
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日経キャリアマガジンの6月号の「できる人は朝勉派!」に登場している。「通勤電車で、、、一日をシミュレーション」というタイトルでのインタビュー記事である。三笠書房から出して「通勤電車で寝てはいけない!」がきっかけだ。また、その延長線上にある大和書房から出した最新刊の「残業はするな、前業をせよ!」の写真も載せてもらった。こういった「早起きのすすめ」という企画は、ビジネス雑誌では周期的に特集される黄金の企画だ。「時間の使い方」は永遠のテーマだが、その中でも早起きは王道といった感じである。とにかく朝早く起きれば生活が変わることは間違いない。そしてその充実した生活という感覚を知って習慣にできれば人生が上向くことは自明である。朝早く起きてよこしまなことを考える人はいない。限られた人生をどのように生きようか、今日一日をどのように過ごそうかと誰でも考える。そこが素晴らしい点である。40歳を越えた頃、丸の内のビジネスマン時代に早朝英会話教室に通っていたことがある。6時38分の始発に座って7時40分に東京駅に到着。そして朝7時50分から新橋の学校で8時半までの40分間の講座に出ていた。この時間に英会話の勉強をしようという人たちに悪い人はいないから、いい友達ができる。会社の経営者、霞ヶ関の環境庁の官僚、IBMのエンジニア、OLなどと知り合った。彼等との交流は夜の飲み会に発展した。英会話学校を終えて丸の内の職場に着くのが8時50分。始業は9時半だったから、仕事の準備をする時間もある。通勤電車の1時間、英会話学校の40分、始業前の40分という3つの時間を過ごした後に本番の仕事が始まるというわけだ。忙しかったが充実していたなあと懐かしく思い出す。この特集の中に、「生活改善応援サイト 早起き生活」の紹介がある。http://www.hayaoki-seikatsu.com起床時に指定のボタンをクリックすると自動的に起床時間の推移をあらわすグラフが作成される。これなども活用してみたい。
2007/05/11
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2007/05/11
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2007/05/10
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高校生のためのキャリアデザインマガジン「カラフル」という雑誌が創刊された。 http://www.campus-shingaku.netこの創刊号の監修を頼まれたが、記事としても「巻頭特集」と「特別インタタビュー」に応じた。表紙にはインタビュアーの高校生4人と一緒に写った写真が載っている。巻頭特集は「劣等性ほど成功する!図で考える進路」というタイトルで4ページである。進路や自分の人生を考図でえるということをテーマに書いている。 ・悩んでいることを図にしてみよう ・図を描くと人生のイメージが見えてくる ・あなたのキャリアをデザインしよう ・人生鳥瞰図の作り方 特別インタビューは「幸せな人生を送るために、今考えることは?」というタイトルで、地元の聖ドミニコ学院高等学校の高校生が4人からインタビュを受けた。2ページ。 高校生が将来のことやキャリアを考える時、どんなことに気を付ければよいでしょうか? 久恒先生は高校生のころ、将来何になりたいと考えていたのですか? 働くにあたって成績の良し悪しや、頭がいい・悪いというのは重要ですか? 高校生のうちにやっておいた方がいいことってありますか? もしも、久恒先生が今、高校生だったら。高校生と一緒にやってみたいことはありますか? 最後に、久恒先生の考える「キャリア」について教えてください。そして最後に高校生の「お話を聞いてみて」という感想がついている。他の記事は、高校の紹介と専門学校の内容のレポート。この号の企画・制作に宮城大学出身者で構成する(株)デュナミスが参加しており、デザイン、本文制作、図解制作、編集協力にはこの会社のメンバーの名前が出ている。それぞれの学校の概要が図でも示されている。聖ドミニコ学院が変わる!女子高NO.1宣言!・レポート:仙台医療福祉専門学校・レポート:日本電子専門学校・レポート:窪田理容美容専門学校・レポート:東京ホテルビジネス専門学校「高校生参加型」を標榜するだけあって、「高校生編集スタッグ大募集!」や「こんな学校見てきて!私の学校にも来て!」などの募集を随所に入れ込んだ編集となっている。広告紙面は、日本電子専門学校の「オープンキャンパスへ行こう!」と「第3回キャラクターイラストコンテスト開催決定!」、東進衛星予備校ののPRなど。進路に迷う高校生と、大学・短大・専門学校をつなぐマガジンということだろう。高校生に早くからキャリアに対する意識を目覚めさせるということも大事なことだと思う。この雑誌は主に東北エリアをカバーするが、地域のキャリアデザインマガジンとして育って欲しいものだ。
2007/05/09
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山形県庄内町清川にある清河八郎記念館を訪問した。明治維新につながる活動を行った草莽の志士清河八郎は1830年生まれで、長州の吉田松陰と同年である。昭和37年の没100年記念記念事業として遺品の収集と保管、そして偉業の顕彰のために建てられた記念館である。その横に昭和8年に竣工した清河神社がある。神社と記念館の間に清河の坐像がある。幕府から徴募された浪士組234名に向かって京都壬生の寺で「我々は尊王譲位を志す志士である」と述べ、ほぼ全員を賛同者にした有名な演説を行っている姿である。このとき、離脱したのが近藤勇以下後の新鮮組だ。羽織、袴の姿で刀をさし、センスを持っているこの坐像は回天しょう始清河八郎先生との揮毫がある。これは鶴岡出身の大川周明だた。斉藤元司が本名であるが、生れ故郷の清川を使おうとするが、川は小さいので大きな河の文字を用いることにした。また鎮西八郎為朝を尊敬していたので、八郎を名乗った。清川村の素封家に生れた八郎は家出をし、江戸へ出る。22歳で神田お玉が池の千葉道場で千葉周作から北辰一刀流の免許を受け、25歳のときに神田三河町で文武指南を行う塾を開く。この時代、文を教える塾と武を教える道場を一緒に兼ねた塾は極めて珍しかった。教育者を本分としtれいた清河は桜田門外の変に衝撃を受ける。その名簿を見て、年齢の若さや身分の低さに驚き、時代の変化と自らの役割に目覚める。清河は「虎尻之会」または「英雄の会」と呼ばれる会を結成し盟主となり、幕府を倒し天皇の親政に変える回天の大事業を画策し、水戸、仙台、京都、九州を遊説し義師をつのる。平野國臣やまき保臣ら各地の志士に会っている。寺田屋事変で挫折するが、その後も活発に活動を重ねるが、34歳の時に刺客に襲われ志し半ばに倒れる。館内には徳富蘇峰の諸書があった。維新回天偉業之魁また、頭山満の書も飾ってある。 尊王攘夷 明治維新を高く評価し信長時代から明治時代までを「近世日本国民史」という百冊の本を書いた徳富蘇峰と右翼陣営の頭目であった頭山満の書である。金屏風の書は、寺田屋事変の数日前に薩摩屋敷で書いたものだった。 智信 仁勇 厳清河は少年時代から日記をつけていた。「旦起私乗」という名前の日記には天・地・人の3巻がある。「旦起」とは、朝早くおきて勉強するという意味で、「乗」とは記録のことである。天は18歳の日記、地は19歳の日記、人は20歳の日記であるが、すべて漢文で書かれており、清河の学識の高さが偲ばれる。「私乗後編」も展示されていた。こちらはメモ帳に小さな字でぎっしり書かれていた。塾の教科書は手書きの印刷だった自分で書いた文章を、木の活字を買って印刷したものだ。講義は訓話中心であったそうで、「文を以って義を説き、義を以って文を述べる」というやり方だった。「西遊八冊」という旅行の記録がある。母親を連れて伊勢参りを行った169日間の旅の記録である。善光寺、伊勢参り、奈良、京都、大阪、四国の金毘羅、安芸の宮島、京の祇園、大阪天神、天橋立、石山寺、三井寺、江戸の芝居と壮大な観光旅行である。母は駕篭、自分は徒歩であった。この克明な記録は、自分のためではなかった。母が後に思い出せるようにかな文で書いている。清河八郎記念館の前に鶴岡藩の藩校「明徳館」を訪ねたが、清河は明徳館をまったく評価していない。家族にあてた手紙が残っている。「学問のためにはまるでなりません。聖堂(明徳館のこと)より大豪傑が出たことがなく、田舎では公儀の聖堂といえば大変なところと思っているでしょうが、実際はとるに足らないところです」鶴岡出身の作家・藤沢周平は、清河八郎を「回天の門」という小説で描いている。清河八郎は、家を飛び出し、遊女を妻に迎え、革命に奔走し、書や歌を詠み、全国を駆け巡って、短い人生を駆け抜けた。この本を読みながら、破天荒で時代を回転させた魅力的な人物とじっくりとつきあってみたい。
2007/05/08
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「漫画・釣りキチ三平」で有名な漫画家・矢口高雄さんとは数年前に雑誌の座談会でご一緒したことがある。「教育美術」という文部省系の雑誌で、全国の美術教師に配布されている。出席者は、漫画家の矢口高雄、コンピュータグラフィックの先生、そして図解コミュニケーションの私だった。指導要領の改訂で美術教育に、漫画とCGと図解が入ったとのことで、その座談会だった。矢口さんは漫画家は「強い風が吹いて草が揺れた」という記述を絵にするときには、どんな草の種類なのか、どんな色なのか、強い風の季節はいつか、など細かに考証しなければ描けないのですと発言して大変な仕事だなあと思った。また漫画はずっと差別されてきた歴史があり、やっと陽の目をみるようになってきたと感想を漏らしていた。矢口さんの静かな人柄に魅せられたことを思いだす。秋田県の増田町に町立のまんが美術館がある。入場するときに気がついたが、矢口さん本人が5月4日・5日にこの地でのサイン会に出席するとの看板があった。連休の後半にここを訪れると会えたのかもしれない。経歴表を眺める。1939年(昭和14年)にひどい山の中の貧しい家に生れる。4歳頃に絵を描くのが好きになる小学校3年生、手塚治虫の漫画を読み、腰が抜けるほどぶったまげる。それ以降、手塚中毒に陥り、将来は漫画家になることを夢見る。中学2年生、マンガ家になることを決意。高校1年生、釣りや昆虫採集にあけくれる高校卒業後、羽後銀行に入行昭和42年、白土三平の「カムイ伝」にショックを受ける。昭和44年、「長持唄考」が「ガロ」に入選し、昼は銀行員、夜はマンガの生活。昭和45年、12年勤めた銀行を退職し上京。天才少年が大人の釣り天狗を相手にパワフルに活躍する「釣りキチ三平」は矢口高雄の代表作で、大ベストセラーであるが、昭和48年から週刊少年マガジンの連載される。この作品は長い生命を持っていいて、第5回講談社出版文化賞(児童まんが部門)を受賞している。その他、母校の西成瀬中学校を舞台にした体験を描いたエッセーコミック「蛍雪時代」、プロの熊狩りの一段を描いた「マタギ」(第5回日本漫画家協会賞大賞)、東北の山深い農村を舞台に幸せとは何かを描いた「ふるさと」などが代表作である。平成12年には増田町名誉町民となっている。矢口高雄の作品は、故郷の影響が強い。この美術館には漫画の世界で活躍する作家たちの写真と作品の紹介が、2階へと続く長いらせん状の廊下に配置されている。アトリエでの写真と漫画が展示されていて興味深い。やなせたかし(1919年生)、竹宮恵子(1950)、猿渡哲也(1958)、諸星大二郎(1949)、新谷かおる(1951)、望月三起也、白土三平(1932)、ちばてつや(1939)、土田世紀(1969)、きくち正太(1961)、平田弘史(1937)、手塚治虫(1928)赤塚不二夫(1935)、倉田よしみ(1954)、北見けんいち(1940)、高橋よしひろ(1953)、秋元治(1952)、上村一夫(1940)水木しげる(1922)、さろうふみや(1965)、水島新司(1939)、あだち亮(1951)、高橋留美子(1957)、石ノ森章太郎(1938)、原哲夫(1961)、森秀樹(1961)、藤子・F・不二雄(1933)、藤子不二雄(1934)。「発想を もっと柔軟にしてみろ そうすりゃあ もっと大きな 夢がふくらんで くるじゃないか!!」「人間は失敗してまあビ つまずき転んで強くなる つまり人生には無駄が ないってことサ、、」こういう漫画からとった言葉がパネルになって掲げてあるが、矢口高雄本人が書いた書である。書道3段の腕前だけあって素晴らしい字だ。「平成版 釣りキチ三平」には、次のような言葉があった。「見上げれば山 見わたせば山 喫茶店も映画館もデパートもない 山ん中のボクの村 あるのは山々と一本の細い流れ 好むと好まざるとにかかわらず その山と川がボクの 遊び場であり 勉強部屋であった」人物記念館では、本を買い込んでくることにしている。後でじっくり本人の書いた(描いた)作品を鑑賞するためだ。現地でしか手に入らないものも多い。今回は、矢口本人が描いた「ボクの手塚治虫」、「釣りキチSanpei 幻の魚争奪戦編」、そして漫画と文章で綴った「ボクの学校は山と川」、またNHK「課外授業 ようこそ先輩」の別冊である「ふるさとって何ですか」などを手にした。矢口高雄は望郷の念が人一倍強い漫画家である。このブログでは訪問の第一報を覚え書として記し、こういう資料読み込んで本人の実像に迫っていきたい。
2007/05/07
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「三太郎の日記」で旧制高校生を魅了して人格主義を唱えた東北帝国大学教授・阿部次郎の記念館は仙台にあり、訪問したことがある。山形県の松山にある記念館は、次郎の文字が入っていない阿部記念館だった。記念館の近くの小学校には阿部襄という名前の石碑が建っていたので不思議に思ったが、切妻造りの平屋の実家をみて納得がいった。玄関を入ってすぐの和室には、4人の写真が掲げてあった。阿部次郎(1883-1959年)の隣は、小学校の石碑でみた阿部襄(のぼる・1907-1980年)だった。襄は次郎の兄の一郎の子どもで、生物学者・生態学者で山形大学農学部の教授をつとめた。一方で文学者・詩人としても活躍し、山形出身の俳人を記念した斉藤茂吉文化賞や、地元への貢献が大である人に贈られる高山樗牛賞ももらっている。当主であり次郎の祖父に当たる七郎右衛門と祖母にあたるわかのの写真がある。このわかのが立派な人格者で、阿部家の精神的なバックボーンとなった。偉いおばあさんだっとの説明があった。阿部次郎は八人兄弟の次男であるが、兄弟の写真と事績を展示した部屋に入って驚いた。次郎は東京帝大を出て東北帝大教授、三也は陸軍大学出身の軍人、余四男は東京帝大を出た動物学者で広島文理科大学教授、勝也は東京帝大を出た歴史学者で九州帝大・北海道帝大・東北帝大教授、六郎は京都帝大出身の文芸評論家で東京芸大教授、という具合に秀才一家だった。次郎だけが特別なのではなく、阿部家そのものがこの地域の誇りだったのである。阿部記念館と名付けたのもわかった。阿部次郎選集4巻に阿部次郎が甥の襄のために書いたサインがあった。次郎は襄を可愛がっていた。ベストセラー「三太郎の日記」が初版からずっと並んでいた。見覚えがある本をみると「三太郎の日記 補遺」(角川書店)とあり、昭和45年(1970年)5月発行とあった。私が大学時代に手にしたのはこの本だった。懐かしい。阿部次郎が中学3年生(明治31年7月19日)のときに「14歳の誓い」を書いている。 我道徳的品格の理想 慈愛 誠実 沈静 精進の気象 宇宙を呑むの自信 慎重この頃からすでに人格主義が芽生えていたことを示している。「品格」という言葉も用いていた。次郎は毎年正月に遺言を書いている。新しい遺言を書いたら前の遺言は破棄しているのだが、珍しく昭和16年元日版の遺言状が展示してあった。参考にしたい習慣である。岩波書店の岩波茂雄(1881-1946年)は一高時代からの同級生で、寮が同室だったこともあり、生涯の親友だった。友人が金に困っているのをみかねて岩波の金を借りてやろうかなどと書いた手紙も残っていた。子供達へのユーモアのこもったいたずらもあった。11歳から13歳の姉弟がよくケンカをしたらしくサンタクロースに扮してたしなめるたいりしている。面白い面もあったのだろう。入り口の座敷に戻る。阿部少年に影響を与えた自然を記した説明書がある。 広さ---庄内平野から広さの観念 高さ---北の鳥海山、南の月山から高さの観念 奥深さ-では丘陵の奥行きから自然と人生との限りない奥深さ東北大学100周年記念行事で阿部次郎記念賞を創設したとのニュースがあったが、東北大学にとっても阿部次郎は大きな存在である。仙台の阿部次郎記念館も東北大学の所有だった。
2007/05/06
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私達探検部が考え出したのは、屋台で探検料理を売ろうという案でした。材料はヘビ、カエルが主なものです。材料集めのために数週間前から材料収集部隊の編成にとりかかりました。ヘビをつかむのは平気という部員と、家の近くに食用カエルがたくさんいるという部員の両方をそれぞれのリーダーに任命し、ヘビ班に5名程の新人をつけ、カエル班にも同数の新人をさずけました。それから数週間、週一回の部会のたびに部室のブリキカンの中にヘビやカエルが続々と集ってきます。いよいよ明日が大学祭という日、部室に入ると「久恒さん、大変です。ヘビが逃げました。」と下級生が青い顔をしています。今から調達するのも難しいので皆で必死になって部屋の中をさがしますと、大きな青大将が金庫の裏から悲しげな眼をしてのぞいています。早速つかまえて放りこんだのは言うまでもありません。さて当日。料理の名人であるK先輩と、新入部員のくせにヘビやカエルの大好きなF君が先頭にたっていよいよ探検料理の開始です。食用ガエルをどうやって殺すか。ペンチで頭を一発、キョーリョクになぐって気絶させるのです。女性の新入部員でTという豪傑女が何匹もこの方法で殺すのに飽きてしまい、なんと部屋の壁に投げつけて気絶させる方法を開発しました。私達はいざとなった時の女の残酷さに身ぶるいしたものです。女って恐ろしい。ヘビの方は皮をむいてカバ焼きにします。まむしは味には定評がありなかなかうまいのですが、青大将は大味でありシマヘビも美味とは言えません。夕方、屋台のテントのひとつに陣どった探検部は、「大学名物、探検定食一人前たったの九〇円!」という看板をかかげて呼び込みを開始しました、献立はヘビのカバ焼、シマヘビの骨のスープ、食用カエルのモモ肉のからあげ、それにごはんです。私も初めて食べたのですが食用ガエルの肉は本当においしい。味はとり肉に似てはいますが、まろやかな味ははるかに上です。したがってこの探検料理は、まさにとぶように売れます。若いカップルがどんどん入ってきます。最初はもの珍しげに入ってくるのですが、探検定食を口にすると、「おいしい、おいしい」と満足の体です。私達は調子にのって「ヘビはいかが、カエルがうまい、天下一品の探検定食だよ」と呼びこみをやっていると、あるカップルの女性が、カエルのモモ肉のからあげを口にしながら「これがホントにカエルなのお?」と信用していない様子です。私は早速、「おい、いいか。カエルをそのままの姿で揚げてこい」と下級生に命令を出しました。数分後、大きな食用ガエルが手足をひらいたままの姿で揚がってきました。「ハイ、これがカエルの姿揚げだ」とその女性のテーブルに出すと、「キャー」と叫び気持悪そうに帰っていきました。始めてから二時間もたつと、「もうヘビやカエルが底をつきました。」との報告です。残念無念、材料がなくなっては仕方ありません。クラブ一同楽しく過した大学祭でした。ところが悪い客が一人いたのです。私の出身高校の後輩の一人が探検定食を食べたあと金を払わずに逃げ出したのです。私は「追えー」と命令をだしたのですが、その男は夜の闇の中に消えてしまいました。「ふてえ野郎だ、ただじゃおかねえぞ」と皆でフンガイしました。その後、Nという無銭飲食の男は大手商社に入社したといううわさを聞きました。商社マンにむいていたのかも知れません。
2007/05/06
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4日・5日は、家族4人で車で那須に出かけた。10時に自宅を出て、着いたのは午後1時。エピナール那須というリゾートホテルはもう10年以上も会員となっているので、年に数回訪れる。13階建ての本館と別館、そして温泉、テニスコート、分譲マンション、陶芸などのを楽しめる別棟などがあり、常連となっていることもあり勝手もわかりわが家にとっては快適な場所だ。ここも、バブルの崩壊もあって会員権の償還ができなくなって、アメリカのシティグループが支援して最近再出発した。結果的にお金は返ってこなくなったが、代わりに9年ほど使える期間が延びることになったので、今後も通うことになりそうだ。このホテルには、那須の母という占師がいて人気がある。妻と娘は毎回見てもらっているが、今回は私と息子がみてもらった。生年月日と手相で将来を占ってくれる。私と息子は六白金星なので、基本的には同じ運勢で、守りの2年目であるので、慎重にものごとを運ばねばならない。手相は全く違った。私ははっきりとした男性的な手相で、向上心、運命線、生命線などが強いということだったが、息子の方はむしろ女性的で繊細な芸術家タイプで、職人的な仕事が向いているという宣託だった。那須の母の分析には思い当たる節が多く、またアドバイスも納得できる部分が多かった。このホテルの名物は、夜9時から行われるコンサートである。広いロビーがコンサート会場に変化する。昔、ブルーシャトーで一世を風靡したブルーコメッツのメンバーが働いていて、夜はブルーシャトーをギターで奏でる。また今はフロアーを担当していてもう少しで歌手デビューというところまでいった三条正人似の歌い手が「君は心の妻だから」を歌う。司会は売店の売り子という具合で、楽しい時間をプレゼントしてくれる。愉快な企画だ。ホテルの部屋から見ると悠然としたなだからかな那須岳と色とりどりの緑の雑木林が、穏やかな気分にさせてくれる。春霞のかかった景色は素晴らしい。今回は、このホテルの中でゆっくりして出歩かないことにした。滞在中、本を3冊読んだ。「近衛文麿 黙して死す」(鳥居民・草思社)は、日本が戦争を始めた責任は「木戸幸一内大臣にあり、首相だった近衛にはない」という史観で書かれた本である。木戸内大臣とマッカーサー司令部の対敵情報局のノーマン課長が仕組んだ陰謀で、開戦の責任と終戦の不手際の責任を近衛にとらせ、逮捕直前に近衛を自殺に追いやったという史観で書かれている。この鳥居民という著者は、「シリーズ昭和20年」という大型シリーズを刊行中で、第一部は14巻中、11巻まで出していて、昭和20年の一日一日を丹念に綴っている。たしか全体では34巻ほどになると聞いたことがある。完成したら貴重な資料となるだろう。著者は1929年生まれで、太平洋戦争の真実をことこまかく追っている。膨大な資料を読み込んだうえで、自らの信じるストーリーを語る。その部分は「思っている」「はずである」「「のではないか」などの表現が多い。日本と中国近代史の研究家なので、はしょっている部分が多く、いきなり事実関係が出てくるので知識が少ないと読みづらい面もあるが、興味深い事実をたくさん知った。「編集者という病」(見城徹・太田出版)は、幻冬舎という新興出版社を立ち上げ、10年間で9本のミリオンセラーを出し、ジャスダックヌに上場した風雲児の自伝的な作品である。尾崎豊、山際淳二、中上健次、石原慎太郎、松任谷由美、村上龍、坂本龍一、五木寛之、重松清などの作家との交遊を紹介しあがら、編集者であることを語っている。見城は私と同い年であるが、随分と濃い人生を生きていると感じた。作家との付き合いは半端ではなく、編集者としての気概や戦略眼に感銘を受ける内容だった。この出版社は見城という魅力的なリーダーが率いている限り今後も世間の耳目を集め続けるだろう。・表現者にとっては一番書きたくないものが、編集者には一番書かせたいことであり、 それこそが黄金のコンテンツになる、、・売れるコンテンツを満たすものは必ずヒットする オリジナリティ・明快・極端・癒着・大家の三人とこれはすごくなると思う新人を押さえれば、真ん中はむこうから入ってくる・売れなければ読者にとって必要なかった商品なのである「グラビアの夜」(林真理子)。編集者・スタイリスト・ヘアメイク・カメラマン・マネージャー・モデルら現代の若者の心情と生活、生態を林真理子が達者な軽い筆致で描いた作品。現代の気分を上手に表現しているので、共感を呼ぶだろうと思う。林真理子が若い人に人気があるのも当然という気がする。
2007/05/05
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大学での行事で忘れてならないものに学園祭があります。高校の学園祭というと、詩や短歌のコンクールがあったり合唱コンクールがあったりで、あまり気負った感じもなく比較的自由に参加できたものでした。しかし大学に入ると様相は一変します。学生運動というのは言わば、自己の存在を確認するための自己満足の運動なのですが、これを政治と結びつけてしまうために普通の人には政治運動と誤解されてしまいます。むしろ一種の自己改革の運動、実存主義の運動と理解した方がよいでしよう。どのような社会であっても、イデオロギーを武器にあらゆる勢力をやっつける人種に人気が集るものです。大学もその例外ではない、と言うより大学こそは社会に出る前の安全で自由な世界であり、もっともカッコ良い人達がカッポする世界になる可能性が大きいのです。そのような血の気の多い人達が学友会の中心にいるのですから当然のように大学祭も政治色を強めてしまいます。ある年の大学祭のテーマは「混迷の中に光を求めて」でした。要するに“腐敗し混迷の度を深めつつある日本の政治の流れに怒りをおぼえる。その中にあって自分達は光を求めて運動を行うべきである”という趣旨のようです。このテーマのもと各クラブは創意と工夫でそれぞれの活動を行って欲しいのでしょう。わがクラブでも様々な意見が飛び交います。「このような政治情勢の中でお祭りなどとはけしからん。参加すべきではない。」又、「クラブ活動に閉じこもらず政治活動に関与しようではないか。」等々。つまり、お祭りで何をしようかと考えるのではなく、そもそも学園祭とは何か、参加すべきか否か、参加すること自体が反革命的ではないかなどと根本的に(学生用語で言うとラディカルに)考えようという訳です。私が腹が立ったのは、そういう議論は何も生まないのだということでした。つきつめて考えるとは言うもののそれは行動しないための口実である場合が多いのです。参加しないという人達はその間何をしているかというと、マージャンやパチンコをしているのが関の山です。「ぐずぐず言わずにお祭りなんだから楽しくやろうじゃないか。探検部らしさのある素晴しい企画でアッと言わせようじゃないか。」と提案し大方の同意をとりつけてしまいました、要はなぜやるかのではなくいかにやるかだと考えたのです。私達探検部が考え出したのは、屋台で探検料理を売ろうという案でした。(以下続く、、、)
2007/05/04
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連休前半にしっかり読んだ本。どちらも労作である。 「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」(北康利) 「後藤新平 日本の羅針盤となった男」(山岡淳一郎)訪問した人物記念館で買い込んだ本も多い。 本人の著作・他人の書いた伝記・自伝・近親者の思い出、、、、。 これらを読んだ上で、メモを参照しながら、順次訪問記を書く予定。本日、近所の書店で買ってきた本。 「どうせ生きるなら」(大橋巨泉) 「グラビアの女」(林真理子) 「VOICE」5月号 「サライ」--やきものを旅する 「歴史学の名著30」(山内昌之) 「政治学の名著30」(佐々木毅)
2007/05/03
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今も昔も学生は貧乏なものと相場は決っています。今から考えると探検部は特にその傾向が強かったように思います。さて、私達の年間行事は、ゴールデンウィークの連休に行う春合宿、夏休みの長期間に行う夏合宿、夏遠征、秋の試験休みに行う秋合宿、暮れから正月にかけて行う冬合宿、これらが主な行事となっています。そしてこれらの期間はまとまって比較的長期の休みがとれるため、ワンゲル部も、山岳部も同様の合宿をうつことになるのです。今回の話は、需要と供給のアンバランスからおこる悲劇のお話です。長期間山に入る、しかも多勢の人数で、ということになると、食料品、装備品をかなりの量を買い込む必要があります。例によって貧乏ですから、できる限り安くあげるよう調達をしなければなりません。例えば、夕食は一人米を何合にするかで、予算担当者と大飯食らいの連中がぶつかってしまうこともたびたびです。山での生活で欠かせないものは、色々ありますが、もっとも必要なのは、トイレットペーパーなのです。山ではちゃんとしたトイレなどありませんから、当然テントのまわりの適当な、つまり、人から見えなくて安心出きる場所で、用をたすことになるわけです。私達山男(女も)の間ではこれを、キジうち、と呼んでいます。まだ新人の頃、「なかなか優雅な名前をつけるものだわい」と感心していたのですが、実は、猟師がキジをうつときは姿勢を低くして構えるのだそうです。つまり、その時の姿勢によく似ているのだそうです。したがって、大キジ、小キジ、と呼ぶことになっています。ちなみに、空キジというのもあります。トイレットぺーパーは、本来の用途以外にも、広い用途をもっています。食事を終えると、武器が汚れますから当然水で洗う必要があります。水場が近い場合、又水が豊富にある場合には問題はないのですが、それ以外の場合には、トィレットペーパーの出動です。味噌汁やシチューがまとわりついた食器を、トイレットペーパーでふきとる作業を行います。こうすると、少々は残っても、翌日又、その食器を使用して、食あたりをするということはなくなります。つまり、水洗いのかわりにトイレットペーパーを使うのであります。そうなると、多勢の人数、しかも長期間ですから、大量にトイレットペーパーが必要です。スーパーで買うのは金がかかるので、どこに眼をつけるかというと、大学の構内にいくつか存在するトイレに眼をつけるのです。あそこには必ずぺーパーがあるし、しかもまだ封をきっていないものもあるのです。したがって、タダで入手できるということですから、春夏秋冬の合宿の前には、クラブで編成を組んで盗みにゆくというのがならわしとなっていました。一応全部のトイレにまわるとかなりの量調達ができます。しかしそれでも足りないと、装備品の担当者に言われると、しかたがない、女子トイレに入ることにしました。痴漢さわぎで警察につかまることも考えましたが、勇気をふりしぼって私が決行することにしました。ある校舎の女子トイレに、すきをみて入りこみ、トイレットペーパーを物色していますと、ツカツカと女性が入ってくる気配がします。さっとある扉をあけ、中でジーツと息を殺しています。なにしろ、ノドをならす訳にもいかず、ひたすら、静かにしています。悪い予感がします。もし見つかったら、警察につかまってしまう。両親がおこるだろうなあ、新聞に何とでるのかなあ、等々。しかしその女性は用を足したら出て行ってしまい、ホッとします。しかし、いつまでもここにいるワケにはいきません。今度は出るタイミングが難しい。トイレットペーパーを持ち、女子トイレからとびでるわけですから、入ってくる女性とかちあったら元も子もありません。まさに意を決して、“脱兎”の如く逃げ帰りました。女子トイレ作戦、成功です。山が好きな大学の教授は数が少ないので、いくつかの部の部長をかけ持ちすることになります。私達の頃の部長は、S先生と言って、世界的な蝶の権威です。先生は、山岳部長も兼務です。ある宴会の席で先生がグチをこぼしました。この先生も山男ですので、トイレットペーパーを盗むことはご承知なのですが、教授会で、「どうも、学内のトイレットペーパーの消耗がはげしすぎるが。」とある別の教授が言ったそうです。大問題となる前にすかさず、S先生は、「そりやあ、みんな若いから。」とか何とか言ってごまかしたのだそうです。先生のおっしゃるには、「ごまかしも効くが、あんまり派手にやってくれるとワシの立場がなくなるでのう」と暗に自粛をよびかけていました。ご迷惑をおかけしました。S先生殿。
2007/05/02
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「U7」という雑誌が届いた。学士会が若い層向けに発行している小型のおしゃれな雑誌である。3月号ではインタビューに登場したのだが、4月号の今回は巻頭のエッセイを依頼された。テーマは何でもいいということだったので、若い人に向けて「人物記念館を訪ね歩く」というテーマで書いた。この雑誌は年配の学士会会員も読んでいるようで、何人かの大物から「読んだよ」との声がかかった。今号のインタビューは、秋山咲恵(サキコーポレーション社長)さんと倉林啓士郎(イミオ社長)さんだった。------------------------------人物記念館を訪ね歩く2年ほど前から全国各地をあるテーマを持って旅をしている。主に明治・大正・昭和の時代に活躍した偉人を顕彰した人物記念館を訪ねる旅である。古くは福沢諭吉・後藤新平あたりから新しいところでは岡本太郎・司馬遼太郎といった時代に焦点をあてている。出張や講演の折に訪ねたり、私的な旅行もなるべく記念館を含めるようにしている。この旅もすでに160館を超えた。この人物記念館の旅では、日本という国家の品格を体現している偉人の生涯を観察するのだが、彼等の残した言葉にも大いに関心をひかれ蒐集する様になった。私自身はこの旅の中で「今日も生涯の一日なり」という福沢諭吉の言葉を発見し以後座右の銘としており、この旅とほぼ同時に始め毎日書き続けているブログ(http://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/)のタイトルにもこの言葉をいただいている。現代を生きる若い人たちにも先達の残した珠玉の名言を深く味わってもらいたいと思う。
2007/05/01
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