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小田実が亡くなった。1932年生まれだから、まだ70代半ばだった。世界を貧乏旅行して好奇心の赴くまま見て歩いた「何でも見てやろう」(1961年。29歳の時の出版。河出書房新社)という本が大ベストセラーになって、大学生のときに興奮して読んだ記憶がある。「たしかにアメリカ合州国から始まって世界大にひろがった旅は、私の思考、人生に大きく風穴をあけた。そこから風は激しく入って来て、余分なものを吹き飛ばした。私はそれを書いた。」と小田が述懐するこの本は若者の世界への目を開いた歴史的な本だった。この人物とは何度か接点があったので、以下記してみたい。小田実は1960年代後半から1970年代前半にかけて活発に活動していた「ベ平連」(「ベトナムに平和を!市民連合」)を創るなど政治活動に多くの影響を与えた。大学時代にはこの人の発言に注目していた。就職後、20代の後半にロンドンで仕事をしていたが、そのとき、小田実が近くを通った。事務所にいると、中東地区を担当する偉い人(この人は豪放な人として有名だった)が「オメエ、小田まことって知っているか?」と聞くので、「それは有名な人ですよ」と答えたら、「そうか。オレは小田実(小田みのる)なら知っているが、小田マコトなんてしらないと答えたが違っていたかなあ」といって笑ったので、私もおかしくなったことを思い出す。その後、日本に帰り30歳頃から知的生産の技術研究会(知研)に参加した。このとき「激論!ニッポンの教育」(講談社)という本の編集の手伝いで旧・吉川英二邸を訪れたことがある。ここで有識者の座談会を行い、それを編集して本にするという企画だった。私がその場所に入ると、誰かがソファに寝そべっていた。起き上がるそぶりもないその人に挨拶をするとそれは著名な学者の小室直樹だった。その後、朝日新聞の原田先生と毎日新聞の黒羽先生がみえ、文部次官経験者、そして小田実が現れた。いったいどんな座談会になるのかと思っていたのだが、始まってみると当時の教育の主流である次官経験者と舌鋒鋭くそれを批判する小田実の一騎打ちの様相を帯びてきた。小田実は体が大きく骨太な骨格を持った偉丈夫だが、相手の理論を真上から粉砕しようとする迫力があった。後で講談社の編集者に聞くと「小室直樹も毒気が強いが、小田実は毒の強さが上だからね」という返事だった。ビジネスマン生活のかたわら知研での活動に精を出したのだが、東京でも小田実を呼んで話をしてもらったことがある。このときのことはよく覚えていないが、八木哲郎さんがそのときのことを記している。-------------------それからしばらくして、やっと実現した。しかし、このとき、小田さんの不興をかってしまった。というのは、会場までタクシーでおいでください、と甘く考えていたところ、「お前のところはなんだ。おれがわざわざ神戸から来たというのに迎えに来ないのはけしからん」とさんざんしぼられた。小田実と聞けば、大新聞社でも中央公論でも編集長自ら社用車でかけつけるということを知らなかったので大恥をかいたわけである。さらに聞くと、同じ日に東京で他の用件があったのが、キャンセルになったので、知研は「ついで」だったのが、知研のためだけにわざわざ神戸から来られたわけだったので、まったく恐縮したわけである。講演は素晴らしかった。終わってダイヤモンドホテルで久恒さんと3人で食事した。私は30年近くもずっと小田さんのファンですと一生懸命釈明してすこし機嫌をなおしてもらった。-------------------その後、大阪のホテルでも二人で会った記憶がある。あれは知研関西での講演にお招きしたときだった。ホテルの待ち合わせ場所で待っていると、小田実がのっそりと現れた。時間があったので喫茶店で話をする機会があった。確かオーストラリアのアボリジニの話題をしゃべっていた。「阪神大震災のときには寝ていたが、ガバッと起きたら戸棚が倒れてきた。あのままだったら確実に死んでたな」とも言っていた。また私の方からは「図解」について説明すると、「それは大変なこっちゃなあ」と感心してもらったことを覚えている。講演終了後、仲間の水谷哲也さんの車で自宅まで送っていったのだが、途中でもいろいろ気さくに話をしてもらった。ほんの数回しか触れる機会はなかったが、実に風格のある、そして存在感のある人物だった。
2007/07/31
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偉人の語録を集めている。書物を読みながら心に響く言葉を意識的にすくってきたが、大きな仕事を成し遂げた人物が自らのことを凡人・凡才と位置づけていることが多いことに気づく。一介の庶民から太閤にまで昇つつめた豊臣秀吉は「一職を得れば一職、一官を拝すれば一官、心頭を離れず、ひたすらにそれをつとめしのみ、他に出世の秘訣なるものならず」という意外な言葉を残している。彫刻界初の文化勲章受賞者である朝倉文夫は、「一日土をいじらざれば、一日の退歩である」と述べている。朝倉が努力の人であったことを思わせる言葉である。東京駅八重洲口の人の行きかう通路の太い柱に「浜口首相遭難現場」という看板がかかっている。出張の折に通りかかるが、意識している人はまったくいないようにみえる。このライオン宰相こと浜口雄幸は「第一に余は生来極めて平凡な人間である。唯幸いにして余は余自身の誠に平凡な人間であることをよく承知して居った。平凡な人間が平凡なことをして居ったのでは此の世に於て平凡以下の事しか為し得ぬこと極めて明瞭である」と、心に響く名言を残している。辛口の文芸批評で人気のあった小林秀雄は、「実行をはなれて助言はない。そこで実行となれば、人間にとって元来洒落た実行もひねくれた実行もない、ことごとく実行とは平凡なものだ。平凡こそ実行の持つ最大の性格なのだ。だからこそ名助言はすべて平凡に見えるのだ」と逆説的ではあるが真実の言葉を吐いている。東芝の社長、会長をつとめ財界総理とまで呼ばれた名経営者・岩田弐夫は「平凡の凡を重ねよ いつかは非凡になる」と言った。味わい深い言葉である。総理大臣をつとめたことがあり2・26事件で内大臣として凶弾に倒れた斉藤実は「わたしは決して、偉い人間でも何でもないんだ。まったく凡人に過ぎない。ただ何事も一生懸命努力してやってきたつもりだ。そうしているうちに、いつか世間から次々とドエライ椅子に押し上げられてしまっていたまでだ」と自らの人生を正直に述懐している。凡人・凡才であることを自覚し、平凡なことをただひたすら実行していく。時がたつといつの間にか大きな仕事が完成している。こういう型のリーダーは誰もが目指すことができるのではないだろうか。 (月刊ビジネスデータ8月号 連載執筆中の「ファシリテーションの技術」21回)
2007/07/30
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「自民 歴史的大敗」(朝日新聞)となった。今回の選挙は自民党の敗北であって、民主党は年金問題を中心とした敵失を選挙戦略を上手にとって生かしたものではあるが、必ずしも民主党の勝利であるとは言い切れない。それが新聞各紙のトップニュースの見出しに現れている。いずれにしても政権を担う力のある2大政党制への展望が開けた選挙だった。安部続投はリーダーの出処進退という面からみると不可思議な印象である。この政権には出処進退の哲学と美学がない。退路を断って戦った小沢民主党代表との差は大きく、安部自民党政権は傷口をさらに広げることになるだろう。----------------------------週末は、野田一夫先生との朝食、総合研究発表会、息子のライブ演奏初鑑賞(仙台のライブハウスennにて)、参院選挙投票(寺岡小学校)、映画「憑神」(つきがみ)の家族での鑑賞(利府ムービックス)、妻の誕生日を祝う家族での食事会(泉のキャスロン)というようにイベントの連続だった。また懸案であったパソコンの買い替えを行った。ソニーのボードPCの19インチL型(VAIO)を使い始めた。今までとの違いは、マイクロソフトのVISTAが入っていることと、セカンドライフをスムーズに楽しめることだ。日々の知的生活を充実させていきたい。
2007/07/29
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仙台ロイヤルパークホテルで野田一夫先生と二人で朝食を摂りながらじっくりと話ができた。今日は土曜日ではあるが、大学では4年生の総合研究の発表会があり、4つのグループの司会やコメントを担当した。前期の時間を就職活動の合間に集まって議論や資料の作成、プレゼンの準備をするということなので、学生たちもなかなか大変だ。以下、この4つのグループの研究テーマ。「プロジェクトMyu 同窓会が宮城大学を変える」「学生交流施設 ガクエン 事業計画」「学生に対する宮城県産ウオーターの消費拡大に関する提案」「七ケ宿町の情報化による地域活性化策の提案」私の担当のグループは「プロジェクト Myu」という発表を行ったが、携帯電話を使った撮影によるビデオドラマ仕立てで始まり、なかなか面白い発表となった。発表者のプレゼンも落ちついていたし、パワーポイントの資料もよくできていたし、会場からの質問に対する回答もスマートにこなしていて、総合的に合格点だったと思う。この内容は同窓会準備会に対して8月4日にプレゼンを行う予定になっている。他のグループも時間と労力をかけた発表が多く、全体にレベルが高かったように思う。終了後、ごくろうさんということで予定のなかった学生を3人連れて、大学の近くのテニスコートにあるレストランで食事をした。このグループは事業計画学科、情報コース、デザインコースからランダムにチームが決まり、そのチームで仕事をするという仕組みで、私の学科の学生もいて、あまり知らない学生が多い。3人とも女子学生で、イオンや東京のデザイン会社に就職が決まった人と、公務員試験を受験中の人だった。食事をしながっらいろいろと話をしたが、全員が一生仕事を続けていきたいということで、就職先を選んでいた。イオンは総合職なので勤務先は全国だが再就職ができる人事制度があり、デザインという分野は一生続けられるテーマであり、男女の区別なく仕事ができる公務員を選びたいということだった。結婚して良妻賢母路線を歩もうという人にはこの事業構想学部では会ったことがない、と全員が断言していたのが印象的だった。社会とつながりを持ちながら家庭を築くという生活設計や、結婚することは考えていないという人もいる。このにわかチームとはこれで終わりになるが、それぞれの人生に幸あれと願わずにはいられない。------------------夜は仙台市内のライブハウスで大学生の息子が出演する演奏を初めて見て聴く。
2007/07/28
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前期の授業の終わりにあたって学生や大学院生のいくつかの発表会がある。先日行われた1年生の基礎ゼミ発表会であり、本日の大学院修士論文中間発表会であり、明日の4年生の総合研究発表会である。修士論文中間発表には、修士論文を指導する教員や大学院2年生、来年には修士論文を書く1年生が参加する。私の指導する学生の発表もあり、数人の先生からいくつか指摘をもらった。夜は来仙中の野田一夫先生(宮城大学初代学長)とそのファンクラブ世話人会のメンバーとの食事会を泉区の西洋料理の店・泉亭で行った。(野田一夫ファンクラブ http://nodakazuofc.net)代表の富田さん、事務局長の横野さん、町の名医・加藤先生、東北電力の横山さん、女性市会議員の佐藤さん、東武グループの支店長の粟野さん、私を含めて7人が80歳を迎えてますます意気軒昂な野田先生を囲んでの楽しい懇談の場となった。昨日の夜も、仙台市内のホテルの中華レストランでも食事会があり、私も参加した。野田先生の雄姿と切れ味のよい話は人を元気にさせるから、老若男女、左から右まで、さまざまな人が慕ってくる。その姿は壮観だ。今回は数日の滞在の間に、仙台や宮城県のある課題を巡って、市長や知事、銀行のトップと会ったり、電話で話をしている。東京でもいろいろと持ち込みの仕事が多いようだ。世の中にはトラブルが多く、それを解決ししてくれる人はまことに貴重だ。そういう人は誰よりも年配で、実績と権威があり、人柄がよく、世話好きであることが条件だが、なかなかいるものではない。東京でも中央官庁や民間から相談に訪れる人をずいぶんと私もみてきた。年齢があがるに連れて野田先生の存在は、輝きを増していくのではないだろうか。
2007/07/27
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1970年前後まで、教養主義は大学生の規範文化であり、常識であった。人格主義による人格形成とマルクス主義による社会改良を中核とする教養主義は、大正時代の旧制高校から始まり(大正教養主義)、マルクス主義による教養主義への敵対で滅ぶかにみえたが権力による弾圧でマルクス主義が退去した。その空白地帯に教養主義が復活する(昭和教養主義)。教養主義は半世紀にわたって日本の大学に君臨したのである。本書は教養主義の形成と没落を解明した書である。私が大学に入学したのは1969年である。全学連による学生運動の激しい時期で、安田講堂占拠とその攻防戦によって東大の入試が中止に追い込まれて全国の受験生に多大な影響を与えた年の入学生だ。私の入った九州大学は入学してすぐの5月から学生による無期限ストライキに入り、1年間ほとんど授業はなかった。大学では様々なマルクス主義者が闊歩していたが、一方で阿部次郎の「三太郎の日記」や倉田百三の「愛と認識との出発」などの必読書や、「中央公論」や「世界」などの総合雑誌を、そして漱石や岩波文庫を媒介とした教養主義の流れも根強くあった。この二つの流れに乗らないのは恥ずかしいと言う雰囲気があった。今にして思えば、学生運動の高揚と退潮、そして教養主義の没落の最後の世代だったということになる。教養主義は西欧文化の崇拝を核としていたが、日本の伝統である修養主義と双生児でもあった。修養とは、修身養心、つまり身を修め心を養うことであろう。克己や勤勉、鍛錬による人格の形成を道徳の中核とする精神主義・身体主義的な人格主義である。大学進学率は15%未満がエリート段階と呼ばれるが、19070年には23.6%になり、高等教育のマス化が進んだ。そして大卒者のただのサラリーマン化が新興する。大学紛争の解釈として筆者は、「学問とは何か」「学者や知識人の責任とは何か」と問うた原因は、大学生である自分たちが「ただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまった憤怒」であるとしている。団塊の世代の親の高等教育進学率(短大を含む)は6%、団塊の世代は22%だから、親が寄せる期待と自分たちの置かれた境遇の差にとまどった結果が暴力的な運動へと発展していったということなら置かれた状況がよく理解できる。この運動のなかで教養エリートを過酷に相対化した吉本隆明に対する共感が生まれていく。確かに吉本はあの時代のヒーローだった。そして教養主義を駆逐した大学はレジャーランドになっていった。ポスト全共闘世代は卒業資格をとることを目的として静かなキャンパスで生きていく。そしてレジャーランドの大学の住民はビートたけしによる知識人殺しを歓迎する。高度成長を担うビジネスマンとなった大学卒業生は、教養知ではなく、技術知としての経営学ブームの中で成長していく。専門知を身につけたテクノクラート型ビジネスマンの誕生である。階級社会の消滅によって階層的に構造化されない膨大な大衆が登場してくる。これが新中間大衆社会である。先日読んだオルテガの「大衆の反逆」にある凡俗に居直る大衆が支配する社会である。この大衆社会の進行の結果が現在の新中間大衆社会だ。筆者は、最後に教養主義が終焉した今こそ、教養とは何かを初めから考えるチャンスだと述べている。現実の仕事を相対化し反省するまなざしとしての教養を身につけた財界や政界の実務型の知識人は、あるべき像を提供してくれる。ここ数年取り組んでいる「人物記念館の旅」の中で、経済界や官僚組織の中で、本を読み自省を重ねながら、目の前の現実に立ち向かっている教養豊かな人物も多くみてきた。そしてそういう人物像に大きな共感を覚える自分を見つめてきた。教養人とは常に自分の立ち位置を確認し、いかに生きるかを問い続けている人である。そして人間としての生き方を磨くために修養していく。とすれば、歴史や地理、そして科学や芸術の人類の英知に学ぶ必要があるということになる。実世界の中で生きる術(すべ)としての教養という観点からの教養の再興が必要であると思う。
2007/07/26
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朝早くからずっと会議の連続だったが、これも「生涯の一日」である。8時15分からは新たに発足した報道チームの初会合。各学部とそれぞれのキャンパスの事務局からなるチームのチーム長(広報担当学長補佐)として、メディア環境の整理と担当者リストの整備への協力依頼、広報資源のピックアップなどのお願いをした。8時40分からは広報室ミーティング。こちらは学長自ら室長をつとめる会議で、ウェブ上のPR誌「くきやま便り」の編集会議、その後私から報道チームの始動の状況を説明する。終了後、本当は9時から始まっていた研究委員会に遅れて出席。受託研究、共同研究などの審査や研究倫理に関する意見聴取などがテーマ。昼食はおにぎりをほおばってすます。最近はほとんどこういう状況なので改善が必要だ。気分転換を兼ねて外で食べるようにしたい。13時からは人事予算委員会。委員長は学長。昨年度の決算説明、博士課程設置などの関係の施設の協議など。そのまま同じ部屋で評議会。司会は学長。学内の最高意思決定期間である評議会では、重要な決定が毎回行われる。今回は、私は広報委員会からの報告の中で報道チームの始動状況の説明と、総合情報センター長としての運営委員会の議事の報告と問題提起を行った。議題も多く、各部局長からの報告も盛りだくさんで、結局18時まで4時間かかった。その後、副学長と二人で学長室に出向き案件の協議。
2007/07/25
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シンボリック・アナリスト・製品のかわりにシンボル--データ、言語、音声、映像表現を操作する・問題解決、問題発見、戦略的媒介を行う多くの職種が含まれる。研究科学者、設計技術者、ソフトウェア技術者、建設技術者、生物工学技術者、音響技術者、公共関係専門家、投資銀行家、法律家、不動産開発専門家、専門会計士、経営コンサルタント、金融コンサルタント、税務コンサルタント、エネルギーコンサルタント、農業コンサルタント、軍事コンサルタント、建設コンサルタント、経営情報専門家、組織開発専門家、戦略プランナー、ヘッドハンター、システム・アナリスト、広告プランナー、マーケッティング戦略家、アートディレクター、建築家、映画監督、写真家、工業デザイナー、出版人、作家と編集者、ジャーナリスト、音楽家、テレビ・映画プロデューサー、大学教授。・シンボル操作によって問題点を発見し、解決し、あるいは媒介する。・現実をいったん抽象イメージに単純化し、それを組み替え、巧みに表現、実験を繰り返し、他分野の専門家と意見交換をしたりして、最後にはそれを現実に変換する。・収入は、仕事の質や独創性、頭の良さ、問題解決の速さによって決まる。・事実、データ、文書、公式、規制は容易に手に入る。価値があるのは、その知識をいかに有効かつ創造的に活かすかの能力である。・彼らの多くが仕事を楽しんでいることである。・初歩段階の正式の教育では、4つの基礎的技能の習得が課される。抽象化、体系的思考、実験、共同作業である。・抽象化の能力--無秩序にパターンと意味を発見するはシンボル分析のエッセンスの中のエッセンスである。ごたまぜの現実が単純化されることによって、新しい形で理解され操作されることが可能となる。・混沌としたデータを、どうしたら再解釈し再配列できるかの可能性を見つけだす。この結果、乱暴な情報の巨大な渦が統合、同化され、新しい解決策、問題点、そして選択肢が目の前に現れる。・体系的思考は抽象化の一歩先の段階である。・新しい機会を発見するためには、人間は全体を見渡す能力と、現実を構成する要素が互いに関連しあっている過程を理解する能力が必要である。・シンボリック・アナリストの教育は、体系的思考を重視する。・より高度な抽象化と体系的思考を習得するためには、実験によって学習しなければならない。・最後は共同作業の能力である。・共同で学習し、抽象化概念を議論し、合意に達することを学ぶというのは、正式の教育では通常、重点が置かれることがない。
2007/07/24
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研究開発、設計、エンジニアリング、高度なレベルのセールス、市場開拓、広告などを担当する人。映画制作者、俳優、作曲家、プロデユーサー。弁護士、銀行家、金融業者、ジャーナリスト、振付師、保険会社の幹部、医師、経営コンサルタント。クリントンがアメリカ大統領の時代に、労働長官として活躍したロバート・B・ライシュが1991年に書いた「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」という本が話題になったことがあった。このライシュが21世紀に伸びる職業として挙げたのが上に引用した職業であり、ライシュは彼等をシンボリックアナリストと呼んだ。表象・記号・符号などのシンボルを操作して問題解決、分析、解釈、媒介をする専門家で、21世紀の知的職業と指摘していた。---------------------------------------------------これらの人は1人か小さなチームで仕事をする。上役や監督とではなくパートナーと働くことが多い。彼らの年収は高く仕事環境は静か、これになるには4年学卒以上の教育を必要とする。シンボリック・ナリストの仕事は全体の職の20%をしめる。まだまだ増大する。シンボリック・アナリストは必要となれば、コンピューターのキーをたたくだけで、すでに確立された知識体系を引きだすことができる。事実、データ、文書、公式、そして規則は容易に手に入る。価値があるのは、その知識をいかに有効かつ創造的に活かすかの能力である。シンボリック・アナリストは、多くは一個人または少人数のチームで仕事をするが、世界的な組織網を持つ大きな機関と結びつく場合がある。チームワークはしばしば、非常に重要な役割を演じる。解決方法はおろか、問題自身も事前にわかっているわけではないから、なにげない私的な語らいのなかから有効な発見や洞察が生じ、それが最高に活用され、即座に決定的評価に結びつくことがあるのである。----------------------------------1991年当時、この本を読んだのだが、シンボリック・アナリストという新語に違和感があり、馴染めなかった記憶がある。シンボルを操作して問題の発見、分析、解釈、解決などを行う職業という言葉を改めて眺めて、私もシンボリック・アナリストの一員だったと気がついた。私がやっていることは、概念、考え方、計画、実態、現実などを図と言うシンボルを使って表現し、操作し、企画や解決の道筋を明らかにしていくという仕事ということができる。本は読み手のレベルでしか理解されない。当時の私はこの本の本質を理解できない段階だったのかもしれない。もう16年経っているから今改めて読むと多くの示唆があると思うので、早速注文した。
2007/07/24
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選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、凡俗なる人とは、自らに何も求めず、自分の現在に満足し、自分に何の不満ももっていない人である。高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られるものであり、権利によって計られるものではない。まさに貴族には責任がある(Noblesse oblige)高貴であるということは、彼に名声をもたらしたつねならざる努力があったことを意味している。貴族とは、つねに自己を超克し、おのれの義務としおのれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えていく態度を持っている勇敢な生の同義語である。彼らにとって生きるとは、不断の緊張であり、絶え間ない習練なのである。つまり彼らは苦行者なのである。大衆の魂の基本構造は自己閉鎖性と不従順さからなっているからである。なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいものとして受け入れる人は、高貴なる人である。-------------スペインの哲学者・オルテガ(1883-1955年)が1930年に書いた「大衆の反逆」は、大衆社会論の嚆矢として有名である。以下、その要旨。現代社会を支配しているのは大衆であり、この大衆は不従順な自己閉鎖的な野蛮人である。高貴なる生を営む少数者の欠如と凡俗なる大衆の組み合わせが19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパの姿である。ここからの脱出方法として歴史意識の再生が必要であろう。自分の背後に多くの過去(つまり経験)という歴史を飲み下した上で、時代の高さにふさわしい社会的生の形式を選択創造しなければならない。ヨーロッパ合衆国の創造がヨーロッパ的生に課せられた課題である。この本の中でオルテガは「高貴な生と凡俗な生---あるいは、努力と怠惰」という章で、冒頭の印象に残る言葉を述べている。マスコミの発達によってオルテガの指摘した大衆社会はますます進んでいる中、自己啓発的、自己実現的な態度で自らの資質を磨き、社会に対する自らの義務と責任を果たそうとする人々の多寡とレベルが社会の方向を決めていくということだろう。精神性の高さこそが重要である。
2007/07/23
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○君は「めん」を知っているかロンドン一の歓楽街ソーホー地区の一角に「めん」という中華料理店がありました。値段が安く、汚い店ですが、味は天下一品でありよく通ったものでした。ところで私はエリザべス女王の別邸であるウインザー城の近くに住んでおりましたが、近くに中華料理の「Take Away Restaurant(日本語だと「持ち帰りの店」)があったのです。そこには18才位のかわいい中国人の娘がおり、すっかり顔見知りになっていました。ある日、私は話題を提供するつもりで、この「めん」の話をすることにしたのです。これが失敗のもとでした。「君は「めん」を知ってるか?」「ええ、知っているわ」こういう会話を期待していたのですが、「Do you know “Men”?」 と聞くと、彼女の顔が青くなったのです。どういうことやら私にはさっぱりわかりません。そうすると彼女は、次のように叫ぶではありませんか。「Do I know men? Oh! What a silly question!」つまり、18才のこのおとめは、「私が男を知っているかって!何てバカな質問をするのでしょう」と言っているのです。そこでようやくにぶい私も気がつきました。真昼間から18才のおとめに対する私の質問は、「お前、もう男を知ってるか?」という言葉だったのです。「men」は、単数ではなく複数(つまり少くとも2人)ときています。英語ってなかなかむずかしいものですねえ。
2007/07/22
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先週東京の時事通信ホールで行われた第6回日総研フォーラムの議論を聴いてきた。今回のテーマは「世界新潮流と日本の立ち位置(ヨーロッパの行き方に学ぶ)」である。このフォーラムは日本総研会長の寺島実郎が、毎回ゲストを招いて議論するという構図である。今回は、朝日新聞の木村伊量(54歳。早大・ワシントンで寺島と一緒)と東大の藤原帰一(東大政治学の灯火)がゲストだった。木村は17日に朝日の欧州総局長から戻ったばかりで最新の欧州情勢を基礎に「日本が学ぶべきものは、ルールをつくろうとしていること(水質、、)、モデルをつく力(新しい公共、ソーシャルエンタプライズ、、)、二者択一ではない行きかた(是々非々、緊張関係)である」と述べた。藤原は日本は西欧の一員(欧化)か、アジアの一員(土着)かを明治以来持っているとした上で、宗教、民主主義、市場と政治、国際政治の4つのポイントから、欧州とアメリカ、そして日本の状況を見事に整理。アメリカは宗教心が厚いが欧州は薄い。日本は宗教を理解しない。欧州は自覚した人のみに自由を与えるという考え方から民主への道(キリスト教民主主義、社会民主主義)を歩んだ。アメリカでは民主化は終わっていてこれを世界に広めようという考え方だから民主は保守主義の中核思想。日本はアメリカ型の民主主義ひと筋。アメリカは民主主義と資本主義は戦争(日本の公共事業にあたる)によって結びついている。欧州は左右両翼とも大きな政府を維持してきた。日本はグローバル化をアメリカ化ととらえた。欧州は世論と外交は異なると考える伝統外交で灰色的。アメリカは外交にも市民が参加する仕組みだから選挙で方針は簡単に変わる(北朝鮮政策が典型)。日本は日米同盟至上主義だが状況によって組み立てる欧州型が必要。寺島は二人の議論を受けて、成長力と産業力という議論を展開。イギリスの成長は金融(7%成長)と不動産で活性化しているが、技術は空洞化しており産業力(マイナス0.4%成長)は衰退している。電力企業の半分はドイツなど外国傘下にあり、自動車もドイツとアメリカの傘下にある。ドイツは成長は弱いが産業力では圧倒(EUという名のドイツの強化)。EUはアメリカとロシアに挟まれており、欧州の欧州化、アメリカからの積極的自立がテーマ。以下、「欧州の実験」に関して、「日欧関係」と3人発言が続き、最後に寺島の総括講演で終わった。このフォーラムには200人ほどの人がいたが、ひと言も聞き漏らさないようにしている人が多いだろうか、静謐で張りつめた雰囲気の中で2時間以上があっという間にたった。終了後、知研の八木会長と秋田事務局長と東京駅でお茶を飲んで最終の新幹線で仙台へ。
2007/07/21
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今年の基礎ゼミの最終発表会が開かれた。新入生が8人ずつ13組に分かれて同一テーマの課題についての発表を行う。今年のテーマは、この秋に仙台空港からほど近いダイヤモンドシティの近くにオープンする予定の「だてもん市場」である。年間340万人を集めようというこの野心的なプロジェクトへ、4月から3ヶ月の準備期間を経て学生が提案・提言を行うという趣向である。この3ヶ月共通の課題に向かう中で高校生から大学生への意識転換をはかり、友人をつくる、そして事業構想への導入を行う。こういうことが狙いのプログラムだ。外部からは、だてもん市場の仲田館長、このプロジェクトのプロデューサーで旧知の大志田さん(宮城県サービス向上委員会で一緒だった)、それから県の仙台地方振興事務所の方(終了後、わざわざ挨拶にみえた)も見えて、午後1時から5時まで1年生のプレゼンを聞いてもらった。地産地消、キッズマーケット、ダテスポ、グランドファミリー、汁もん市場、県内各地の木を植える、だてもんカレンダー、文化の切り口、朝市、ドクターズレストラン、弁当フェスタ、シロウトフード、子どもと野菜、七輪、伝統行事、掘り起こしと磨き、流行、、、などが学生のプレゼンを聞いたゲストたちの講評の中にでてきたキーワードだ。私はこの3ヶ月の間、基礎ゼミの裏番組でプレゼンテーションの授業を持っているが、人前で発表することはできるようになったし、資料のパワーポイントもまあこなせるようになった。残ったのは、他のグループに対する質問である。なかなか質問がでない。質問とそれに対する応答までいくといいのだが、それは1年生後期の課題として講評時に指摘しておいた。河北新報と東北放送が取材に来ていたので、後日記事と映像で出るだろう。この基礎ゼミでは、毎年焼き物を全員がつくる。5月の蔵王合宿で各自が製作したものが焼き物となってこの日にできあがり、配布される。3ヶ月のプロジェクト終了の解放感と、ものとしてできあがった陶器を眺めながら全員が談笑する風景もなかなかいい。私は今年は愛犬ちょこら用のおわんづくりに挑戦した。底の部分に「ちょこら」という文字を入れた陶器の出来上がりをみると嬉しくなる。ちょこらの反応はどうなるだろうか?夜は学科の教員による打ち上げも兼ねて暑気払い。午後7時から2時間半ほどの歓談の時間を過ごした。
2007/07/20
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毎年夏が来る前に「夏の予定」をたてるようにしている。仕事、執筆、遊び、旅行等のテーマごとにやりたいことを書き出している。最近JRの新幹線に乗るたびに「大人の休日倶楽部」の広告をみかけるようになった。吉永小百合が「たくさん たくさん 旅しようね。」と言って微笑むというポスターだ。男性・女性とも50歳以上が加入の条件となっているので資格はあるなあと思ってこのところみていた。最新のビラによると「JR東日本全線+函館+金沢・福井」の普通車自由席が3日間乗り放題で、1万2千円というサービスがある。新幹線や特急も含んでいるから随分と使い勝手がいいようだ。今回の募集は「8月31日から9月9日の連続する3日間」だから、私のスケジュールだと使える可能性がある。このビラの鉄道地図を眺めていると東北新幹線や秋田新幹線しかほとんど乗っていないことがわかった。この機会に鉄道を使った旅にも挑戦してみようか。岩手の三陸沿岸、北秋田地方、信州などに興味をそそられたが、青函トンネルを通って北海道の道南の函館にも行けるようだ。私の「人物記念館の旅」でもまだ手薄な地域の一つが北海道なので関心がでてきた。調べると函館とその周辺には、石川啄木、高田屋嘉兵衛、川田竜吉、千代の山・千代の富士などの記念館があることがわかって、興味が出てきた。何ごとも予定をしないと始まらない。そろそろ夏モードに切り替えていきたい。
2007/07/19
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2000年に新潮社から刊行された「1900年への旅--あるい道に迷わば年輪を見よ」に2007年現在の時点で加筆・修正を行ったものが選書として出版された。この本が寺島実郎著「20世紀から何を学ぶか(上)--1900年への旅 欧州と出会った若き日本」である。21世紀を前にして百年前の1900年に視座をおいて、再考すべきテーマをその歴史の現場に足を運び、一つ一つ積木細工のように思考を積み上げ、総体としての時代認識を構築しようとしたと著者は述べているが、今になって思えば壮大なスケールの構想と実行であった。「着眼大局、着手小局」という囲碁の言葉があるが、この連載が始まった今から10年ほど前の「フォーサイト」を読んでいた頃は著者の頭の中は見えなかったが、2000年に一冊の本に凝縮された時、感銘を受けたことを思い出した。「アメリカを理解しようというのなら、欧州を訪れて欧州からアメリカを観察しなければだめだよ」という示唆を受けた著者は、この体験を踏まえて「知的三角測量」、「知的遠近法」という言葉を発明している。知的三角測量とは地理軸でものごとを立体的にとらえようとする試みであり、知的遠近法とは知的三角測量を踏まえて歴史認識の射程を長くとり、かつ地理的空間軸を広くとる方法論である。著者が常に言っている「歴史と地理」という視点を具体化する豊かな方法論である。「1900年 パリ」から始まったこの本は、ロンドン、ウイーン、ローマ、マドリッド、ハーグ、サンクト・ペテルブルク、ベルリン、そしてバルセロナにて「旅の終わりに」を迎える。それぞれの章では、日英同盟(1902年)から日露戦争(1904年)直前の世界という背景の中で、欧州各国の当時の政治状況を包括的に的確に示し、その中で各国と関係を持った日本人の事跡を訪ね、20世紀の幕を開いた人々を注視し、思索を深めていく。読者は膨大な資料を読み込んだ上で著者が語る欧州各国をめぐる近代史の講義を受け、その中で鎖国を解いて間もない若き日本人の格闘を真近に感じることができる。それは著者自らが歴史の現場に目的意識を抱いて足を運んで得た感慨を伝えてくれるからである。著者の構想力と行動力には驚きを禁じえない。日本海海戦の天才参謀・秋山真之、文豪・夏目漱石、横須賀造船所をつくった小栗上野介、日本近代化の啓蒙者・福沢諭吉、三井物産初代社長・益田孝、最後の元老・西園寺公望、日本逓信の父・寺島宗則、日本のイメージをつくった川上音二郎、在野の大博物学者・南方熊楠、黒い瞳の伯爵夫人・クーデンホーフ光子(青山光子)、ロシア革命を誘発した明石元二郎、軍神・広瀬武夫、日本外交の立役者・小村寿太郎、軍人と文人の葛藤を生きた・森おう外などが登場し、100年前後に欧州に関与した日本人の生身の姿を彷彿させる。また、これらの日本人と関与し、あるいは影響を与えた欧州各国の偉人も多数登場する。ピカソ、マルクス、ケインズ、クーデンホーフ・リヒャルト、ヒットラー、フロイト、ヨハネパウロ二世、ムッソリーニ、フランコ、オルテガ、ウイッテ、ビスマルク、ガウディ、、、。私たちは事実の羅列と後講釈で埋められた歴史書と、ある時代に生きた人物に傾斜した小説の中で歴史をみてきた。また、国ごとの直線的な歴史の寄せ集めとしての歴史を学んできたように思う。司馬遼太郎の歴史小説が多くの日本人の心をつかんだのは、時代と個人の関わりあいのバランスに共感を覚えたからだろう。著者は、1900年という歴史の転回点で欧州に視点を定め輪切りにしながら当時の日本人を描き、時代と個人との関係の集積である歴史をつかまえようとし、そして見事に成功させている。機会あるごとに世界各地のアンティーク市場を訪ね、万国博覧会関連の歴史的資料やグッズを集めている。幕府のフランス使節らが泊まったグランドホテルに数回宿泊してみる。ミュージカル「レ・ミゼラブル」を何度も観ている。ロンドンの漱石の下宿跡への訪問。ダイアナ妃の葬列をみる。川上一座の復刻CDを取り寄せじっくりと聞く。この本を書くための欧州各国への頻繁な取材旅行。繰り返し堪能した「ラマンチャの男」。当時のメディアの検索と解読、、など若い頃からの志と日々の蓄積が今日の著者をつくったという事実に納得する。この本は、キーワードの連鎖でできあがっている。カッコ書きのキーワードは誰でも断片的に知っている言葉や概念が多いが、それらが深く結びつきながら新たな像が結んでくる。それは、膨大な書物の読破と結論の抽出という気の遠くなるような忍耐力と継続力の賜物である。またこの本の特色の一つは、現代の課題との関係で1900年をみているということだ。著者の現在と未来を考えるという問題意識は一貫しており、コソボ、、クリントン、ブレア、NATO、ロシア、社会民主主義、インターネット、超大国アメリカの動向などに関する考察が導き出されており、思考の軸はぶれていない。「1900年への旅」という原題の本は、このたび「20世紀から何を学ぶか」というタイトルになって登場したが、このことによって読者は著者の目線の先にある像をより強く意識できるようになった。読者は読み終えて同時代を生きる寺島という巨大な知性とともに歴史の旅を重ねた思いがするだろう。歴史書であり、人物論であり、警世の書であるこの本は、寺島実郎という人物が渾身の力を込めて書いた書物であるということができる。日々の精進とこういった仕事の丹念な積み重ねが今日の寺島をかたちづくっていると改めて感じることになった。
2007/07/18
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出張時に小型ノートとはいえパソコンをカバンに入れるのはつらい。できるだけ荷物を少なくするのが当面の私の工夫の目標である。カバンもいろいろ試してみたが、今は無印商品のカバンの使い勝手がよくてそれを使っている。小さくて軽い「折りたたみ式キーボード」を買った。前々から気になっていた商品だが、手で軽くつかめる小型の製品だ。黒い表面にコーティングがしてあって肌触りがとてもいい。小さい弁当箱のような箱を開けるとそれがキーボードになっている。このキーボードと、最近重宝しているウィルコムのw03esという小型PDA(携帯機能もある)をUSBでつなぐ。このウィルコムw03esは、いつでもどこでもメールやインターネットがのぞけるので情報の入手が格段によくなった。会議中でも外界で起こっていることは把握できるようになった。またw03esは下をずらすと小型のキーボードがついているのだが、簡単なメールなら打てるがそれ以上は難しい。この欠点を克服する手段として折りたたみ式小型キーボードに興味を持った。ホームページのサロンに一行だけ書き込んでみたが、W3esの方の画面の文字が小さいこともあって字の間違いが少しあった。慣れもあると思うので使ってみたい。これがうまく使えると、出張の時にブログを書くことが容易になる。最近はホテルでもパソコンが用意されていたりするところも出てきてはいるのだが、そういうホテルは若者向けに多い。パソコンつきということだったので地方で泊まったホテルがシャビーだったりする。全体的なサービスとIT関係のサービスのバランスがいいホテルはなかなかない。東京でもそうだから地方の場合はなかなか見つけるのが難しい。ということで自己防衛のためにIT関係の機器に注意を払っているのだが、このキーボードの購入もその一環である。
2007/07/17
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7月としては観測史上最大の大型台風が去った翌日に大地震がまた襲ってきた。台風が来るとなぜ大きな波が押し寄せてくるのかという長年の素朴な疑問がようやく解けた。台風というのは超低気圧のことであり、海面を押さえつける力が弱くなり、そのために海面が盛り上がってくる。これが答えだった。風が吹くからではない。そうすると台風の時期と地震にも因果関係がでてくる。そういえば台風の時によく地震が起こる。これは地殻を押さえつけている大気が薄くなることによって圧力が緩み、その間隙をついて地殻変動が起こるということなのではないだろうか。いずれにしても日本列島の形に沿って台風が進んでくることが多いし、温泉の多さが証明するように地震という厄災から逃れることはできない。日本はまさに災害列島である。今回の新潟を中心とする大きな地震はまだ全貌はつかめないが、被災者の方々にとってはまことに気の毒であり早急な手当てが望まれる。現在進行中の参議院議員選挙選挙の活動や投票はどのようになるのだろうか。選挙活動を行う候補者の一挙手一投足は有権者の厳しい視線にさらされるあろうし、道路などのインフラの破壊によって選挙そのものにも影響が出ることが予想される。一方でこの地震は有権者の投票行動、すなわち勝敗に少なからず影響を及ぼす可能性がある。政府が指導力を発揮し現地への対応をすばやく適切に実行できれば株が上がるだろうし、もたつくようだと輿論の追い討ちを受けことになる。どっちになるだろうか。
2007/07/16
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日本ではみかけないが、欧米には「歴史家」という肩書きがある。司馬遼太郎の書き換えた日本史の膨大な蓄積と優れた観察に、まともに対抗できた日本史を専門とする歴史学者はいなかった。梅棹忠夫の「文明の生態史観」という骨太な世界史の構想に対して、各国史を専門とする歴史学者は沈黙を余儀なくされた。日本はなぜ太平洋戦争に突入して負けたのか、という問題意識をもって日本史の世界に小説という想像力を要する武器で切り込んだ司馬遼太郎、世界と人類の歴史をまるごと把握しようとし生態学の観点から文明の成り立ちと発展を論じた梅棹忠夫、この二人の巨人に共通するのは深い問題意識と徹底した現場主義と精力的な文献の渉猟である。司馬遼太郎の生前時代、この二人の対談を興奮を持って読んだことを思い出す。この二人は事実関係を積み上げる歴史学者という職業人ではなく、現在と未来のために総体としての歴史を論じることのできる歴史家と呼ぶべき人たちであろう。「20世紀から何を学ぶか(下) 1900年の旅 アメリカの世紀、アジアの自尊」(寺島実郎・新潮選書)は、寺島実郎の歴史家としての本質を際立たせた名著である。この本は自らの足と眼を使って歴史の現場に立ち、文献と資料によって事実を確認し、自身の20世紀像を確認しようとする壮大な試みである。「1900年の旅」を雑誌「フォーサイト」で「欧州篇」の連載を始めたのは1997年8月からの2年間で、「アメリカ・太平洋篇」は2000年からの2年間だった。それぞれ「1900年への旅--あるいは道に迷わば年輪を見よ」と「歴史を深く吸い込み、未来を想う---1900年への旅 アメリカの世紀 アジアの自尊」という二つの本に結実しており、私も読みかつ出版記念会での講演も聞いている。この新潮選書は2007年の時点で改めて加筆・修正を行い改編したものである。10年前の1997年といえば、寺島本人がニューヨークとワシントンの米国駐在から帰国した年である。宮城大学の開学も同じ年であり私が仙台に赴任してからの10年とまさに重なった時期にこの連載とその成果として本が完成している。この間、東京での様々な機会における講演や私の大学での客員教授としての講義や私的な交流の過程で本書の内容について聞く機会が多かったが、改めて読むとこの優れた構想と実行力に頭が下がる思いがする。下巻はアメリカ・太平洋篇であるが、1900年前後に日米関係と日本とアジアの関係の中で活躍した人物を追いながら20世紀を総括し、我々が歩み始めた21世紀を考えるという試みである。明治の青年に夢を与えたクラーク博士、タイム・ライフ・フォーチュンを創刊したヘンリー・ルース、第二次世界大戦当時の米国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト、戦後日本をつくったマッカーサー、太平洋の橋を目指した新渡戸稲造、高尚なる生涯を生きた内村鑑三、禅の世界的思想家・鈴木大拙、6歳で米国留学に挑んだ女子教育の津田梅子、世界的名声を博した医学の野口英世、アメリカ社会での日本の存在感を演出した高峰譲吉、在米のまま日本の近代のあるべき道を示した朝河貫一、近代石炭産業の功労者・松本健次郎、情報戦争の敗北者・大島浩駐独大使、アジアは一つと唱えた優れた美術行政家・岡倉天心、偉大な魂ガンディー、インドの良心チャンドラ・ボースとパール判事、中国革命の父・孫文、中国民衆の啓蒙者・魯迅、不倒翁・周恩来、、、、、。これらの人々の生きた時代とそれぞれのテーマと歩んだ足跡を一歩一歩踏みしめ丹念に掘り起こしながら20世紀の意味を考えぬ抜く、そこから21世紀の現代のテーマを念頭に置きながら教訓を導き出していくという忍耐と知性を必要とする知的営為に挑んだ姿には感動を覚える。深い問題意識と解決の道筋を発見しようとする強い意志と、解決のための体型的な構想の提示が寺島の真骨頂である。私自身、寺島実郎という人物と仕事や私的な活動の中で四半世紀にわたり交際を続け、その言動を注意深く観察する機会に恵まれているが、その思想や生き方に大いに影響を受けてきた。この書の中で展開される優れたキーワードは直接耳から、あるいは雑誌論文で見ていたが、改めて体系的にそして厳しい文字による言葉として触れると、一層の深みと強さを持って心に響いてくる。「選書版へのあとがき」の中の「人物論の妙味---人生を衝き動かすもの」という項では、歴史に名を残した人物を衝き動かしたものを深く考えるなかで、彼等の「時代認識との格闘」に著者は心を打たれている。またそれぞれが直面した「中年の危機」にあたっては、「使命感の再確認」と「出会いと人間関係」による力の獲得により進化を遂げていると述べている。単なる人物論の視界を越えて時代との関係において人物の本質や情念を汲み取ろうとする努力を重ねているのだ。そして見えにくい時代のテーマは歴史のメッセージに静かに耳を傾けることによって考え、「自分は何をすべきなのか」に回答を得なければならないと締めくくる。まさにこの書は進化する思索者であり、透徹した歴史家である寺島実郎自身の生き方の回答を探す旅の一里塚である。
2007/07/15
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珍しく夕食後「家政婦は見た!」というテレビドラマをずっと見た。年一回くらいの割合で放映されるこのドラマはその当時の世相がふんだんに盛り込まれているなどよくつくり込まれていて面白い。演技の大変上手い女優市原悦子演じる石崎秋子が上流家庭に大沢家政婦協会の家政婦として派遣されて、その欺瞞ぶりを見聞し、最後に自分が見聞した事柄を家族全員が集まる席であらいざらいぶちまけて、去っていくというのが毎回のおおまかなストーリーである。一種サスペンス的な要素もあり、時代を風刺する面白さもあり、ユーモアにもあふれていて、なかなか素晴らしい作品が多い。最後のエンディングで大映テレビ制作とあったのを見つけた。このプロダクションの作品は定評がある。大ヒットとなった「スチュワーデス物語」はこの会社の作品である。あるドラマをつくるときに、企業側の担当者として、有名な野添さん(確か同名の女優のお姉さん)という女性プロデューサーと打ち合わせや食事をしたことがあることを思い出した。ドラマづくりにかける情熱と細かいところまでゆるがせにしない職人的な仕事ぶりに感心したことがある。私は当時30代だったからもう野添さんは引退しているのだろうが、こういうドラマづくりの伝統が引き継がれていることがわかって嬉しくなった。この番組は1983年から始まったというから20年以上の長寿である。今回はこのシリーズの第25作で、「家政婦は見た!美貌の女社長、8000億の秘密…秋子に似たソックリ女の謎!」というキャッチであるが、ライブドア事件を下敷きにしていることがすぐにわかる内容だった。主役の女社長は堀江社長のキャラクター、浅野温子演じるファンドのトップは村上ファンドの社長のキャラクター、舞台となっている超高層ビルは六本木ヒルズ、などあの事件を思い出しながら楽しめる内容だった。相対取引や投資事業組合の活用による株価の吊り上げなどの錬金術など、話題になったキーワードや仕組みがふんだんにでてくるなど、ライブドアをめぐる当時の社会の姿が戯画化されていて面白かった。また般若の名人面打ち師も登場し芸術世界の深層を覗くこともできるし、一筋縄ではいかない男女の関係の深い闇の演出もあり、結局最後まで見てしまった。「家政婦は見た!」が代表作品の一つとなっている市原悦子もこの始めた当時は50歳くらだったろうから今は70歳になっているはずだが、円熟した演技が素晴らしい。このドラマのエンディングは独特である。主人公の秋子がブツブツいいながら次の家政婦の依頼のあった家にでかけ、呼び鈴を押して、家政婦紹介所からきましたというところで終わる。この間、ドラマのスタッフの文字などがずっと流れているが、このエンディングの時間も結構長い。今回は豪華な邸宅だったが、これが次回の作品の予告になっていて視聴者の想像を刺激するという凝ったつくりである。今から1年くらいかけてじっくりとつくりあげていくのだろう。息の長い仕事だから、毎回の作品の出来栄えもいいのだと思った。
2007/07/14
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京都大学教育学部の藤原勝紀先生から、9月の初めに京都でラウンドテーブルを開くから出席して少し話をせよとの連絡があった。文部科学省の「科学研究費補助金ー基礎研究B」で採択されているプロジェクトで、今年度が最終年度にあたる3年がかりの研究である。内容はまだよくわからないが、「専門的教養知」の働きとその教育・養成に関する文理融合型研究、というのが正式の研究テーマである。「専門的教養知」とは何だろうか。専門家が持つべき教養とでもいうのだろうか。もと京大教授で今は関西大学にいる竹内洋先生を招くとのことだった。竹内洋といえば、「教養主義の没落 変わりゆくエリート文化」「日本主義的教養の時代」「立身出世主義--近代日本のロマンと欲望」などの著書がある碩学である。私には「人物記念館の旅」を題材にして「人」を論じて欲しいという注文だった。
2007/07/13
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10年以上前、フジテレビに「なるほど!ザ・ワールド」という高視聴率のお化け番組があった。そのプロデューサーは王東順さんといって業界ではヒット企画を連発する有名人だった。ビジネスマン時代に王さんの仕事に少し関係したことがあった。悠揚迫らぬ物腰と柔らかい物言いと飾らぬ人柄に感銘を受けたことを思い出した。そのきっかけは「視聴率の怪物プロデューサーの現場発想力」(講談社+α文庫)という本だ。この本はテレビ界最高の企画マンの発想の秘密を披露した本だが、当時の王さんの考えていたことや見えなかった生活を垣間見ることができて、楽しい読書だった。自分に与えられたテーマを24時間考え抜いたこと、そのためにあらゆるヒントをメモしまくったこと(ノートは100冊以上に及ぶ)、一緒に仕事をする仲間を大切にしたこと、妥協のない丁寧な仕事を突き詰めたこと、こういうことが発想の源だったことがよくわかる内容になっている。テレビのプロデューサーとして得た企画能力は他の仕事でも生きており、普遍的な能力と方法と技術であったことがわかる。「なんでも一生懸命やっておけば、のちにそれが自分に還元される」「私はマスマーケティングというものをあまり信用していない」「私が心がけているのは、面倒がらずに人に会う、ということだ」「ほかの人がやったことと同じことは絶対やらない」「キーマンを押さえる」「クイズ!ドレミファドン」「早押しイントロクイズ」「クイズ!年の差さなんて」「オールスー大運動会」「夜のヒットスタジオ」「歌だ!飛び出せ 2万キロ」「出たMONO勝負」「ハナキンスタジオ」「新春スターかくし芸大会」「めざましテレビ」「7人のHOTめだま」「なるほど!ザワールド」と王さんのプロデュースした番組を並べると、その凄さがわかる。一度、どこかの温泉で「なるほド」のスタッフ忘年会に呼ばれたことがある。司会の楠田枝里子さんもいて楽しくワイワイいいながら過ごしたこともある。当時は各局のいろいろな番組に関わっていたこともあって、テレビ業界の面白さ、凄まじさ、華やかさ、いい加減さ、、、などを感じていた記憶があるが、王さんの誠実な仕事ぶり、いきかたは独特だった。いずれにしてもこの書は、ビジネス指南書として、企画のノウハウ本として、すぐれた書物であることは間違いない。
2007/07/12
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朝一番はホームページの改善打ち合わせ。大学院の修士論文の執筆のために中国・杭州の企業に調査に行っていた院生が戻ってきて報告を受ける。事前の仮説と実態との差異に驚いていた様子。事実の重みに圧倒されて戦略の練り直し。8月にもう一度中国で調査を予定しているので、この7月が勝負でもある。学部生のゼミの最終日。今期は、社会人2名、中国人留学生1名、通常の日本人学生2名で計5名持っている。近々打ち上げをすることになった。大学院のキャリアデザインの授業の最終日。それぞれ2冊の本を与えて、それを毎回4人の院生が図にまとめて発表し、議論するという趣向である。名うての学者、作家、コンサルタント、評論家などの書物だが、よくみると矛盾や不統一や論旨の混乱などが散見される。社会人2人、ウズベキスタンからの留学生、他大学からの入学生が今期の受講生だが、毎回楽しく議論して、新たな知見を手に入れることができた。IT関係の企業の部長さんがみえて、SEに対する講演依頼あり。夕刻からは、研究室内での打ち合わせ、そして会議などが続く。---------------------------------(10日に記入すべき記事を11日に書き込んでしまったので、11日の分は10日に記入する予定。 このブログでは勘違いでこういうことがよくある。何かいい手はないかなあ)
2007/07/11
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7月11日。8時40分から1時間、広報室ミーティング。10時、4年生のゼミ生から就職の報告と相談を受ける。11時から、基礎ゼミ生(1年生)との対応。12時から総合研究チーム会合(4年生)。12時10分からインターンシップ委員会(2年生)。13時から学長との懇談。14時半から17時半、教授会。17時半から18時半、大学院教授会。19時頃から仙台市内で研究室の鈴木秘書やアシスタントの岩澤君、そして横野さんと懇親会。随分前から秘書の鈴木さんと一緒に準備をしてきた案件の教授会での報告も本日終わり、また前期の授業とゼミが終了してほっとしたこともあり、うまいお酒や珍しい食べ物をいただきがら国分町の飲み屋で女性陣3人と楽しく歓談した。
2007/07/10
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前期の二つの学部の授業が今日で終了した。1年生を対象とした「ビジネスプレゼンテーション」と、2年生以上を対象とした「ビジネス情報論」は、4月からそれぞれ13回の講義だった。「プレゼンテーション」の方は、1年生の学科学生のほぼ全員が出席しているが、毎回ほとんど全員が出席している。この授業では効果が数字でわかるようにしてある。プレゼンをやれといわれたときに4つのタイプに分かれる。「逃げる」「苦痛を感じる」「仕事ならやむを得ない」「自らやりたい」という分類である。4月の最初の講義から毎回自己判断させて授業の経過とともに数字がどのように変化していくかを追うというスタイルである。最初は逃げる10人、苦痛44人、仕事40人、自ら5人だったが、前回の7月2日のデータでは、逃げる2人、苦痛19人、仕事67人、自ら2人となった。この授業の目標はそれぞれワンランク上げるということなので、逃げる人が苦痛になり、苦痛の人の多くが仕事に移ったということになる。自らが減っているのは根拠の無い自信が毎回粉砕されて仕事になったということなのだろう。(最終回の13回目の講義では、逃げる0、苦痛12、仕事84、自ら7という結果になった。最終回では一気にドライブがかかりほぼ9割が仕事以上となった。7月16日記入)この授業では毎回、グループ内でプレゼンする機会があり、毎回仲間からの評価とアドバイスをもらえる。そして最終の2回は、ランダムに結成した8-9人の12のグループで数週間にわたって調べたテーマの全体発表(パワーポイント)をして、順位をつけるという趣向である。それぞれの日の1位と2位には優勝スピーチをしてもらった。終了後のアンケートを読むと、「慣れた」「恐くなくなった」「自信がついた」「友達が増えた」(毎回異なるメンバーでチームを組むから友人が増えるしかけにしてある)という声が多い。入学後半年の1年生の時点で人前で喋ることが恐くないという武器で大学生活を送ってくれるだろう。「ビジネス情報論」では、ビジネスにおける情報の大切さの認識と戦う武器としての図解コミュニケーションの技術を身につけることを主眼としている。13回の授業だが、100人余りの受講生のほとんどは毎回出ているようだ。最後まで出席者が減らない。毎回、講義に実際に図を描く、グループで批評しあうという構成にしている。毎回扱うテーマは、日経新聞のあとビジネスに関する新聞記事や雑誌記事を題材や朝日、河北などの新聞記事や、日経ビジネス、プレジデントなどのビジネス雑誌の記事を用いている。授業の最後で毎回とっているアンケートによると、力がついていくのが見える。「何ごとも図解で理解しようとするようになった」「考える力がついた」「今後の授業や論文を書くときい使いたい」というような声が多く、手ごたえがある。卒業するまでに図を描く習慣を確立して社会に羽ばたいて欲しいものだ。明日は、学部のゼミと大学院の講義の最終日。
2007/07/09
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○日本人の苗字入社して6年目、海外に勤務するチャンスがやってきました。勤務地はイギリスのロンドンで、実習生という身分で結果として1年と数ケ月の滞在となりました。私はロンドンで、次のように呼ばれていました。「永遠に純粋な男」と。一体なぜだと思いますか。私の苗字は久恒ですが、この文字の意味を考えてみますと、「久」を英語でいうと、「ever」であり、「恒」も英語では「ever」となります。つまり「久恒」は、「久しく久しい」という意味になるのです。一方、私の高校以来の、ペンネーム(高校時代、自分を詩人と考えていました)は、「純」でした。つまり英語で言うと「pure」ですね。そこで私は自分のことを「Mr. Pure Forever」つまり「永遠に純粋な男」と呼ばせていた訳です。もっとも口の悪い友人達は、「Mr. Poor Forever」(永遠の貧乏人)と言っていましたがね。さて、日本人の苗字を英語に訳してみることにいたしましょう横松 besides the Pine高野 Upper Field松下 Under the Pine久保 Ever Hold清源 Clean Origin畑迫 On the Field島 Islandさて、どうでしょう。こうやってあらためて考えてみますと、日本人の苗字には、自然にちなんだものが、何と多いことかと、気がつきますね。そして、日本という国が美しく、豊かな自然にめぐまれているということをつくづく感じます。しかし、おかしな苗字もあるのですよ。私の友人の平山君が、自分の名字を英語に訳したらどうなるのかなアと云いました。私は早速、平山=Flat Mountainと訳しましたが、おかしなことに気がついたのです。そもそも、山というのは平べったいものではないということです。平らな山、一体こんな山があってよいものでしょうか。
2007/07/08
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仙台駅の12番ホームで降りて向かいの11番線の各停の新幹線に乗り換えた寺島実郎さんと車内で待ち合わせ。今日の小旅行の目的は古川にある吉野作造記念館を訪問することだ。先日東京で会った時、雑誌連載の取材の一環として訪れたいとのことだったので東京から日帰りの旅が実現した。市内を流れる緒絶川のほとりにある橋平酒造店の酒造蔵・家財蔵・屋敷を再現した「醸室」(かむろ)の味所あらいではっと料理を昼食に食べ、そのまま記念館へ。小一時間二人で館内を見学する。記念館は土曜日だったのだが、寺島実郎さんと私の二人しかいない。それぞれ興味のある展示を見て歩く。大正デモクラシーの中心人物だった吉野はキリスト教倫理に基づき政治を実践することをテーマとした実践の人だった。東大では小野塚教授の「君主も国家の一部」という思想に感銘を受けるが、キリスト教の本郷協会で海老名弾正(1856-1937)という人物に大きな影響を受ける。海老名は吉野より22歳年上であるが、経歴をみると熊本洋学校、同志社、本郷教会を経て、1920年には同志社の総長をつとめている。熊本出身徳富蘇峰や新島襄らの影響を受けた人物であろう。吉野はキリスト教の正義と愛を実現すべく社会事業家としても活動をしていて、東大キリスト教青年会理事長としてセツルメント活動にも熱心だった。それが東大セツルメントにつながっていく。寺島さんは岩波書店の雑誌「世界」の「脳力のレッスン」(本質を見抜く眼識で荒tな時代を切拓く)という連載を持っている。この7月で63回目の連載というから5年以上続いているが、現在のテーマは「ベルサイユ講和会議が今日に示唆するもの」だ。ここで近衛文麿や吉野作造を取り上げる予定で今回の訪問となった。「人物を書くからには真正面から真剣に向き合わねばならない」「根本のところは何か」などが寺島さんの問題意識だ。館長の田中昌亮さんを呼び出し、短い時間だったが少し話をする。この記念館は講演を頼みたくて何度もアプローチしてきたそうだ。だから書面上では面識があるらしい。私は二度目の館内訪問だったが、今回は「吉野作造評論集」「古川よ影」「吉野作造--人生に逆境はない」「故吉野博士を語る」などを買った。吉野作造日記を読みたかったが、絶版で古本屋しか手に入らない。吉野も30歳過ぎから亡くなるまで日記を書き続けていた。ほとんどの時間を人物論を語り合いながら過ごしたが、「1900年の旅」など近代の日本人の足跡を日本のみならず世界に足を伸ばして訪ね歩いている先達の寺島実郎さんは、目線深くその人物の本質に迫ろうとする。
2007/07/07
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グーグルが「googleブック検索」という新しいサービスを始めた。書籍の全文を検索して、ユーザーの興味にあった書籍を見つけ出し購入できる場所や貸出先を案内するサービスである。以下がグーグルのこのサービスの説明だ。-----------------------------------------------Google ブック検索 や、 Google.co.jp で検索した際に、検索語句と一致する内容を含む書籍が見つかると、その書籍へのリンクを表示されます。 書籍名のリンクをクリックすると、図書カード カタログ エントリなどの書籍の基本情報をご覧いただけます。 また、検索語句を含む書籍からの抜粋が表示される場合や、 Google パートナー プログラムを通じて出版社もしくは著者の許可がある場合は、書籍の数ページが表示されます。著作権が消滅している書籍については、全文をご覧いただくことができます。 いずれの場合にも、書籍を購入できるオンライン書店へ直接移動するリンクが表示されます。 -----------------------------------------------試みに福沢諭吉」というキーワードで検索をかけてみた。全部で74件出てくるが、これは「部分プレビューの書籍」でこのキーワードが出てくるページとぞの前後を見ることができた。「すべての書籍を検索」では587件、そして「全文表示の書籍検索」では0という結果になった。「吉野作造」ではどうか。「すべての書籍」が402件、「部分プレビューの書籍」が18件、「全文表示の書籍」は0だった。「斉藤孝」は、「部分」が42件、「全文」は0。「和田秀樹」は、「部分」が14件、「全文」は0。「寺島実郎」は、「部分」0、「全文」0。出てきた本をみると、キーワードの部分に印がついた文章が載っている部分を読むことができるが、右のほうの「この書籍を購入」というコーナーには「アマゾン」「紀伊国屋」「楽天ブックス」「セブンアンアドワイ」のリンクがあり、「図書館(英語)でこの書籍を探す」というサービスもある。その下に「地域の書店を探す」という検索欄があり「渋谷」などの地域名で検索できる。情報を提供した出版社やアマゾンなどの書店の名前もふんだんにでてきて、互いにメリットを感じてタイアップしている様子がわかる。最近、アマゾンでは読者の書評を書いて送ってもそれが画面になかなか反映されないという苦情をよく聞くようになった。アマゾンもアップする作業が滞っていて最新の情報を提供するという気概が薄れてきたようだ。アマゾンは読者の書評の投稿が多く、これが他のウェブ書店との差別化ができているポイントであるのに優位が薄れていくことになるだろう。本を買う読者は、新聞などの書評欄と同じくウェブ上の読者の感想を参考にして買うことも多いので、こういうことではまずい。システムの崩壊はこういうところから起こる可能性がある。経営陣は気がついていないのではないか。グーグルが始めたブックサービスはいずれ参加する出版社が多くなってくると、本を選んだり買うにも欠かせないものになる可能性を秘めている。頻繁に使ってみたい。
2007/07/06
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宮城県の多賀城市にある独立行政法人雇用・能力開発機構宮城センター(宮城職業能力開発促進センター)で東北ブロックの業務推進連絡会議で講演。宮城センターは多賀城にあるソニーの向い側にある。青森センター、岩手センター、宮城センター、秋田センター、山形センター、福島センター、東北職業能力開発大学校、青森職業能力開発短期大学校、秋田職業能力開発短期大学校、いわき職業能力開発促進センター、会津職業能力開発促進センター、そして宮城センターから42名の受講者があった。センターや大学校の講師や事務系の係長、そして能力開発支援アドバイザーなどが多い。この機構は厚生労働省所管で、再就職に直結した職業能力開発で求職者を支援する独立行政法人だ。職業訓練、産業人材育成、キャリア形成支援、若者支援、などを行っている。終了後、次長さんにセンター内の施設を案内してもらった。大きな実習場がいくつもあり、訓練生が学んでいた。金型加工、旋盤技術、介護サービスの実習現場などを見てまわった。このセンターでは、建築情報オペレーション科、住宅診断サービス科、ビル設備メンテナンス科、マネジメント情報システム科、情報システムサービス科、生産経営実務科、光通信施工技術科、生産システム技術科、テクニカルオペレーション科、ビジネスワーク科、介護サービス科、テクニカルワーク科、電気設備科など多彩なコースがある。私にとっては講演は現場をみるいい機会になっている。組織が抱える問題を聞き、現場を見せてもらって視野が広がる思いをすることが多い。雇用や能力開発の分野、職業訓練の実際、悩みなどを垣間見ることができた。
2007/07/05
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8月に宮城大学で行うFD研修会で講師をお願いする山本眞一先生(広島大学大学研究センター長)の本を読んだ。この数年間に何回か、前任地大学の筑波大学大学研究センターに呼ばれたことがある。その折、いただいたのが「大学職員のための高等教育システム論--より良い大学経営専門職となるために」(文葉社)だ。大学に勤務する事務職員を対象とする本で、高等教育の基礎知識と事務職員の心構えを述べている。私のような他の分野からの転職組は基礎知識が役にたつし、事務職員の心構えの方は管理職として大学運営にあたる私のような者にもいい情報が書いてある。1章:職場としての大学2章:高等教育システムとは何か3章:大学の歴史として知っておくべきこと4章:変化する時代の中の大学教育5章:職員のプロフィール6章:すぐれた大学職員となるために1章と4章と6章を興味を持って読んだ。現在は広島大学の大学研究センター長をつとめる山本先生は、二つの研究会を前任の筑波大学大学研究センターで行っていた。一つは2000年から始めた「大学経営人材養成のための短期集中公開研究会」で、大学職員の能力開発とくにそのための意欲を刺激する目的の研究会だった。受講者は延べ5000人を超え、修了証書も1000枚以上を発行している。この研究会には確か二度ほど講師としてお招きいただき、講義とその後の受講者との懇親会にも参加した。主として私立大学の事務職員が中心だったが、大学の現状や事務職員の課題や悩みなどを聞いて随分と参考になった。もう一つは、大学院レベルの授業を想定した「試行プログラム」でこれは平成14年度から実施している。大学経営に特化した大学院を想定した授業の試行プログラムで私も一度講義に出たことがある。このときは「考える大学職員になるために」というテーマで講義した記憶がある。山本先生とはお互い30代の頃からの知り合いである。知的生産の技術研究会のスタッフとして活動していた頃、東京駅のレストランで当時文部省の役人だった山本さんと会ったことがある。山本さんも知研の会員だった。略歴をみると、山本さんは40歳のときに埼玉大学大学院政策科学研究科の助教授に転出し、43歳で筑波大学に移り、47歳のときに教授となっている。大学研究センター長となった山本さんからこの二つの講座に呼ばれて旧交が復活した形である。この本の6章には「サラリーマンの知的生産技術」という言葉があり、「今や古典の部類に属すると思われる梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)」を薦めている。山本先生は「問題解決能力の向上」をあげている。志と能力を有する大学職員に、幅広い大学問題の理解を前提に、問題怪傑能力を教える教員は、残念ながら現時点では明らかに不足していると語っている。そして「職員」に望まれることして三つあげている。1.大学として解決すべき課題が何かを正しく捉えられる能力。2.教育の工夫改善を始めとする学生サービスの向上策を正しく捉えられる能力3.常に新しい事務分野に興味を持ちつづけること。事務職員と頻繁に接触し仕事をしている私にはよくわかる議論で、産業界や行政、教育分野などで私が講演している問題意識とほぼ同じである。大学界も経営や仕事という観点からみると他の業界とあまり違わないように思う。8月の宮城大学の教員研修会(FD)で山本先生の名前が出たので、連絡役を買ってでて久しぶりに連絡をとった。研修会で当大学の大学教員に刺激を与えてもらうのが楽しみだ。
2007/07/04
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放送大学の講座を担当する先生から、来年4月から始まる「問題発見と解決の技法」の中の「図解による表現」という単元への協力要請があった。この単元の後半は、宮城大学での授業の様子と、私へのインタビューで構成される。放送大学には350ほどの科目があるが、毎年「問題発見と解決の技法」はベスト10に入る人気科目だそうだ。来年から新しい教材で講義をする。放送大学の受講者は社会人が多いので、仕事を持っている人や仕事をしたことのある人が多いのでこういった科目には興味を示すと思う。放送大学には、10代から80代のおよそ8万人の学部生と7千人の大学院生が日本全国に在籍している。これまでにおよそ4万人の卒業生(教養学部)と、1千人の修了生(大学院)が卒業・修了している。放送大学の放送授業プログラム(番組)は、本部の専用スタジオにて収録されている。このスタジオが収録の現場であるが、依頼文書を見るとNHKのディレクターが撮影などの指揮をとっていることがわかる。2007年1月現在で、学生の所属する「学習センター」は東京都に4か所、その他の道府県に各1か所、学習センターの分室的な役割を担う「サテライトスペース」は7道県に7か所、設置されている。学生は、このいずれかの学習センターまたはサテライトスペースに所属する。千葉に住んでいてまだ子どもが小さかった頃、妻がこの放送大学に通い「教育と発達」という科目群を卒業している。このため千葉の本部には卒業式などで何度か足を運んだことがある。そのときスクーリングの授業の様子を映した映像をみた記憶がある。熱心な社会人で埋め尽くされた教室で質問がたくさん出ていて教師がタジタジとなっている映像だった。社会人は生半可な答えでは納得しないのだと感じたことがある。一度つくった教材は4年間使用するとのことだ。実際の撮影は10月以降になるとのことだが、どんな番組に仕上がるのか楽しみだ。
2007/07/03
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報道写真家・山本こう一さんが6月に出版した「日本人が行けない「日本領土」」(小学館)を読んだ。私たちは、日本を取り巻く国境の現実についての知識に乏しいことがよくわかる迫真のレポートである。北方領土。 中立条約を破って宣戦したソ連が侵攻し、占領され、日本人島民が追い出された。竹島。 朝鮮戦争中に韓国大統領が一方的に領有宣言を行い、武力占拠が続いている。尖閣諸島。 石油資源埋蔵の可能性が出ると突如領有権を主張した台湾と中国による講義活動が続く。沖の鳥島。 満潮時に海面から16cmしか頭を出していないが、全島沈没が時間の問題となっている。南鳥島。 米国から平和裏に返還された日本最南端の島だが、民間人の上陸は厳しく制限されている。こういった国境に位置する島々を、1990年5月の択捉島から始まって、実に16年間にわたり取材した文字通りの労作である。報道写真家らしくカラーと白黒の写真が随所に散りばめられているが、ほとんどはこれら国境の島々への上陸まつわるエピソードが文章で綴られている。また、それぞれの島と関係の深い各氏と著者との対談も興味深い。現総理の安部晋三、北方領土問題では新党大地の鈴木宗男、また若手の政治家や日本財団の職員などとのやりとりが、国境の島の抱える問題点、つまり日本という国の問題をを浮き彫りにしている。「日本の国境地図」という地図を眺めえてみると、領海としての接続水域は小さいが、1996年に設定された排他的経済水域(EEZ)は実に広い。EEZを含むと日本は世界第6位の広さになる。この排他的経済水域は、ロシア、韓国、中国、台湾と距離が近く、この水域で様々な形のトラブルが起こっていることが実感としてわかる。領土問題は、領有権を主張する根拠となる歴史的事実(日本人が住み経済活動を営んでいる)と現在の姿ににいたった経緯、そして実効的支配の有無がポイントとなる。こういった点を著者は上陸に向けての煩雑な手続きや直面する壁を乗り越える中で説明してくれる。国家を構成する領土・国民・主権を守るのが政府の役割であるが、日本政府は領土問題に対して主張すべきことをせずに無為に過ごしてきた、また問題解決の可能性のある時期を見過ごしてきた。この姿勢を早急に改めるべきだ。これが著者の主張である。また、その前提として国境問題に関する情報を国民に開示してこなかったことが、この問題に国民の関心が向かわない原因であるとして、情報の積極的な開示を要求している。領土問題は予想を超えた形で突如現れ、それが紛争の勃発につながることがある。また、島か岩かと議論のある沖ノ鳥島の存在は、軍事的・経済的にも大きな意味があり、これが海中に沈むことによって、日本は大きな打撃を受けることになる。この本によって、テレビ等で時折報じられる国境問題の全貌が明らかになった。報道写真家である著者は、文章という表現手段で立派な報道活動を行った。この仕事も報道写真家の領土の範囲なのだろう。
2007/07/02
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「健康」が至上命題となっている現今の世の中は、医者を中心にいくつかの宗教のような考え方がある。「病気にならない生き方」の新谷弘実先生や「体をあたためればすべての病気がなおる」と主張し断食サナトリウムを経営する石原結実先生などそれぞれに強烈な信者がいて、それぞれの聖書ともいうべき書物を読み漁っている。「免疫革命」で有名なな安保徹先生の著書は私もいくつか読んでいる。月刊「現代」8月号に「還暦から始めるアンチエイジング」というインタビュー記事があったので買ってみた。60歳を迎えた安保先生は仲間の医師から「最近ちょっと皮膚が汚くなってしまったんじゃないか」と指摘を受ける。「健康な生活を説く書物の執筆に忙殺され、結果、自らの免疫力を低下させてしまったのですから、こんあ皮肉な話はありません」。安保先生の自己診断は「執筆に追われ、イライラも募り、他人に健康を説きながら自身の健康を顧みる余裕がなかった。相当に無理のかかった体になっていたのでしょう」だった。毎日15分間、上半身を鍛える運動を続け、免疫力を活性化させた結果、首周りや顔からは、一切のシミが消えたそうである。この正直な文章を読んで読んで吹き出しそうになった。これに似た話を思い出した。「知的生産の技術」という戦後の岩波新書で最近まで一番よく読まれた本を書いた梅棹忠夫先生は意外なことに遅筆で有名である。書いたものを読むとやさしい言葉で目からうろこが落ちるような見方を流れるように説明する。だから熱烈なファンが多い。この梅棹先生から編集者が原稿を受け取るのは、なかなか難しいらしい。知的生産の技術研究会の八木哲郎会長からも、本の前書きを頼んでも「桜の咲く季節には、、、」といわれて春に訪ねると、「紅葉がきれいになったら、、、」といわれて途方にくれたという思い出話を聞いたことがある。この梅棹先生のエッセイを読んでいたら、なかなか原稿を書いてくれない先生に、ある編集者から「こういう本がありますよ。参考にされたらいかがですか」という手紙とともに「知的生産の技術」が同封されていて、驚くと同時に申しわけないと反省したという文章があった。梅棹先生の文章のうまさと編集者のユーモアのある原稿催促の方法にどちらもさすがだと感じたことがある。私にも思い当たる節もあるが、著者は「こうしたらいいい」ということを本に書いてるのであって、「自分はこうしている」と書いてあるのではないということだろうか。読者としても、こいうこともあるということを知っておいた方がいいかもしれない。
2007/07/01
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