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夕刻は、新橋の有薫酒造で開催された中津北高の同級会に参加。このに店は「高校よせがきノート」というノートが2552冊(2014年2月26日現在)が揃っている。そのファイルが並べてある棚は壮観だ。第一号は福岡の久留米大学附設高校。全国の高校の総数は5300だからもうすぐ半分となる。同窓生同士のつながりができるという素晴らしいアイデアだ。このおかげかどうか、ミニ同窓会らしき集団もいて、満杯だった。http://koukou-yosegaki.com/ http://www.shinbashi-yukun.com/f:id:k-hisatune:20140228202508j:imagef:id:k-hisatune:20140228202455j:image福岡から、永沼くんと寺山くんが来ていた。長沼くんのお母さん(93歳)と電話で中学校以来の話をした。「息子と仲良くしてください」。永沼くんと寺山君に電話で私の母(86歳)と話をしてもらった。大阪への転勤者もあり、近々また送別会があるかもしれない。帰って風呂に浸かりながら届いたばかりの行徳哲男先生の相田みつをらとの対談集「随所に主となる」を読む。[asin:4884743113:detail]「いま ここ 自分」「玄妙即凡」「意中、」人あり。腹中、書あり」「武という字は、戈を止めるという意味」「人間ぬくぬくとし始めると、ろくな仕事はせん。追いつめられと、竜が玉を吐くように命を吐く」(紀野一義)「一生燃焼、一生感動、一生不悟」(相田みつを)「もう否定の哲学は終わった。これからは肯定の哲学をそう構築するかだ」(シャルダン)「もし梅園に出会わなかったら、私はノーベル賞をもらえなかっただろう」(湯川秀樹)「師友会」(安岡生篤)は「師恩と友益」(吉田松陰「「徳を成し、材を達するには、師恩友益おおきに居る」から)。」「現象としての人間」(シャルダン)を取り寄せたい。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140228 | 編集 歩いて通勤中に野田先生から電話。 今泉先生と確認 10時:学部運営会議 10時40分:教授会:卒業判定と進級判定。 文科省へ提出する学科改組の書類の確認:公平係長、金先生。九段サテライト 14時半:3COO(学部長・研究科長)会議:自己点検 16時:大学運営会議(学長主宰)・経営会議(理事長主宰):ビジネスICTコース(データサイエンティスト養成)の進行状況。 17時10分:自己点検評価委員来訪者累計本日昨日
2014/02/28
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2014/02/27
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サイバーエジェントの有料ブログサイト「B.L.G」の執筆陣の食事会に参加した。恵比寿ガーデンプレイスのウェスティンホテルの和食「舞」。f:id:k-hisatune:20140226222322j:image以下メンバー。野呂エイシロウ(放送作家)。 俣野成敏(「プロフェッショナルサラリーマン」)。 熊本浩志(amadana代表)。 河尻亨一(「広告批評」元編集長)。 横石崇(TWDW主宰)。 内田和俊(「最強チームのつくり方~依存する人が変化を起こす人になる~」)。 小杉俊哉(「起業家のように企業で働く」)。金田博之(元外資系大手ソフトウェア本部長)。主催のサイバーエージェント側は曽山取締役人事本部長以下、担当者が数人。近くの俣野さん(シティズンから独立したコンサルタント)と金田さん(IT企業からミスミに転職)といろいろと話ができた。ビジネス書作家、放送家作家などが中心で30代と40代前半の方が多く、また主催者側もトップの曽山さんも39歳というから、予想通り今が旬の人たちと楽しく歓談する機会になった。みな感度が高く、サイバー側の問題提起にアイデアがどんどんでてくる。IT業界を走る有力企業のスピード感を体感した。また仕事で能力を最高に発揮させる仕組みも独特で面白い。この企業は本体1500人、グループで2800人というスケール。アメーバのようにどんどん業容を変化させながら生き残っていくバイタリティあふれる企業だ。この「B.L.G」プロジェクトも仮説に基づき、トライアルを行い、どんどん改善をしながら、新しいビジネスモデルに育てていこうとしている。走りながら考え、考えながら走っていくというスタイル。「実践の方法。具体的ノウハウ。体験。知恵。インタビュー。人生相談。テーマごとの多数の解の提示。ライブ感。生々しさ。、、、」このプロジェクトがどのように改善されていくのか、興味深い。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140226 | 編集全体方針共有会を開催。10時から17時まで。f:id:k-hisatune:20140226115722j:image 学部長(私)による総括:25分 大学全体の収支と経営情報学部収支の推移。「安定的黒字体質。補助金なしでも。投資余力。予算。」 中期計画(2012-2014年度)と2013年度の到達点。「2010年の多摩大戦略図。学部運営。人材像。学部運営のマネジメントサイクル。8委員会の総括と次の課題。事業計画を実行計画へ」 8人の各委員長による2013年度総括。 午後は、2014年度の新委員会メンバーで討議。教員は全員が4つの主要委員会と4つのサポート委員会の二つに所属しているため、前半と後半でメンバーを入れ替え。事務局人事も発表され、新委員会にも新メンバーで参加。f:id:k-hisatune:20140226143730j:imagef:id:k-hisatune:20140226131107j:imagef:id:k-hisatune:20140226143629j:imagef:id:k-hisatune:20140226130957j:imagef:id:k-hisatune:20140226130801j:imagef:id:k-hisatune:20140226130748j:image 9人の新委員長等による2014年度の実行計画(具体策、スケジュール、担当)作成にに向けての議論の報告と質疑。 学部長(私)による総括:20分 「方向感の一致。路線対立はない」「スムーズな討議。新メンバーの安藤美冬先生も活発に議論」 「問題解決の方策に重心が移ってきた。課題別の担当制をとる委員会が多くなった。ゼミ力がポイント」非常に充実した全体方針共有会になったと思う。人が替わるとアイデアも出てくる。2014年度の成果が楽しみだ。来訪者累計本日昨日
2014/02/26
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イケダハヤト「なぜ僕は「炎上」を恐れないのか--年間500万円稼ぐブロガーの仕事術」(光文社新書)。「炎上」を逆手にとって進んでいく、ストレスフリーな生き方を目指す覚悟の書。「みんなもっと炎上しようぜ!」「ぼくは空気を読みません」「いいたいことがいえる地位を築き、環境をまず変えること」「炎上することで燃やし尽くしてしまえ」、、とまえがきにあるように挑戦的な姿勢で書き始めている。そして、あとがきには「ぼくは「こう」してきました。あなたはこれから「どう」しますか?、、」と読者に語りかけている。1986年生まれの著者はまだ27歳。今年度の春学期には多摩大で最も若い非常勤講師として学生たちに向き合ってもらったが、共感者が多くとても人気があった。「年収150万円で僕らは自由に生きていく」(星海社新書)は、ほんの少し前の出版だったが、もう年収も500万円に届いているようだ。新しい価値観を提示し、エッジを効かせて、フリーランスで生きていこうとする若者の、これからの「自由」への旅に注目していきたい。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140225 | 編集FD勉強会を開催。4つのテーマ。10時から15時まで。教員のほとんどが参加。f:id:k-hisatune:20140225132416j:image 学生指導プロジェクト報告。 プレゼミ1・プレゼミ2。 インターンシッププログラムに導入するあるプログラムを体験。 クラウド型授業の展開。--------------------------一般2期の入試判定会議に出席。来訪者累計本日昨日
2014/02/25
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「武士の家計簿」を書いた磯田道史さんの所論に興味がある。「近世大名家臣団の社会構造」とは対になっている。以上の2冊を読めば、江戸時代の武士社会の仕組みがわかる。本日は「江戸時代の備忘録」というこぼれ話をつづった軽い文庫をざっと読む。家康「対象のつとめは、逃げること」だから、剣術には冷淡で、騎馬と水泳に力を入れた。太田垣蓮月の「あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり 同じ御国の 人と思へば」という歌で、西郷の江戸攻めを回避した。江戸の教育事情もわかって面白い。一両は30万円。寺子屋に子供をやると、親は今の金で年間10万円程の学費を払った。入学金(束脩)、授業料(謝儀)2万を5回。上級武士は家柄で高禄が保証されているが、下級武士は計算などができなければ仕事にありつけなかった。武士には「侍」「徒士」という「士分」と、「足軽、中間以下」の段階があり、大きな隔たりがあった。明治維新の立役者は、大隈・板垣・陸奥・高杉・桂・井上以外は、ほとんどが中級以下の「下級武士」であった。西郷・大久保・黒田・勝・江藤・副島・福沢は、徒士層であり、山形・伊藤は中間層であった。「侍」は身分があがるほど、領主近くなる。下がるほど「官僚」的色彩が強くなる。「徒士」は官僚なので実務、事務的実力が必要だった。家督相続時には筆跡と算盤の試験があった。組織の命運は自家の存亡にかかわる。藩校などで必死に勉強したのは、徒士の師弟だった。役付にならなければ収入が増えないからだ。「日露戦争までの日本人は偉かった」というが、その中核を担った乃木・大山・児玉・秋山兄弟らは「徒士」として育った人たちだった。「明治の人は偉かった」という述懐は、そういう人たちは各界にいたということだろう。1800年ころから武士の教育に力を入れた藩は幕末には雄藩となり、明治維新を経て1904年の日露戦争のまでの間に、多くの人材を輩出した。この間、100年の歳月が流れている。教育は国家百年の計なのだ。藩校システムは近代化の準備として有効だったが、人間を均質化した面もある。儒教、特に朱子学は観念的にすぎる傾向がある。経験談中心の「夜話」や、薩摩藩の「郷中教育」での思考訓練など。師と弟子の対面学習、とことん面倒を見るという文化。、、マンツーマン教育は多様な人材を育てる。近世以前の武士教育は、実践的でリアリスティックだった。現代の教育現場で格闘している者にとって、ヒントになる。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140224 | 編集一般入試?期の日 金子さん 高野課長:インターゼミ関係・学長からの要請 志賀先生 梅澤先生・黒瀬さん:父母対象のセミナーの企画 矢内事務長:非常勤教員を対象とした教育説明会の件 金先生:非常勤教員への情報提供の件 諸橋先生:多摩タップデトリップ 大森先生:「卒業の集い」の企画の相談 樋口先生: 中村そ先生:来訪者累計本日昨日
2014/02/24
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ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル(1823年12月21日 - 1915年10月11日)はフランスの生物学者。昆虫の行動研究の先駆者であり、研究成果をまとめた「昆虫記」で有名である。その偉大な人生は91年に及んだ。ファーブルは、昆虫のみならず、貝類、植物、菌類など、手に入る限りの生物を研究した。昆虫でもありとあらゆるものをテーマにした。そして生物以外に、考古学、民俗学、天文学、物理学、化学、数学にも手を出した。そして南仏文芸復興運動のメンバーであり、詩を書き作曲もした。生きた百科全書のような人だった。日本の南熊楠に似ているという評価もある。世界中で日本ほどファーブルの本が人気な国はないようだ。児童版「昆虫記」は多く読まれている。ファーブルの祖国フランスが虫オンチであるのに対し、日本は植物相が豊かで虫が多く、そのためもあり虫めずる国であるからでもある。ファーブルが生涯貧しかったのは、フランスに生まれた不幸でもあったかもしれない。ファーブルの言葉。 幸運は、貧乏負けしな者を決して見捨てない。 独学には独学の値打ちがある。それは、官学の定まった型に人をはめ込まない利点と特徴があるのだ。 私の心の中に、すでに薪が積まれてあった。私の読んだ論文は、その薪に火をつける役目をしたのだ。 あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っています。 私の本には内容空疎な公式や、えせ学者の愚劣な論議が詰まっていない。観察したことの正確な叙述なのであって、それ以上でも。それ以下でもないのだ。そうして虫たちに自分で質問しようとおもう人たちは、ここに書いてあることと同じ答えを受け取ることになるだろう。「昆虫記」の第1巻の発刊は、1789年4月でファーブル56歳の時だった。売れ行きはよくなかった。自然の中で生きて活動している昆虫の姿を記録し、その謎を説明しようとした。科学と文学を調和した文体を意識した。62歳で妻を失い、2年後64歳で23歳の家政婦ジョジェフィーヌと再婚する。40歳の年の差があったが、3人の子供が生まれた。それ以来、規則正しく勤勉な、そして平穏な生活を送ることができ、平均して3年に一度の割合で「昆虫記」を出版し、1907年、84歳の時に最後の第10巻を完成する。この世紀の大著作の総題は、「昆虫学的回想録」という意味の言葉だった。日本最初の訳者といわれる大杉栄は、賀川豊彦からファーブルのことを聞いて興味を持った。賀川は弱肉強食の理論書のように悪用されたダーウニズズムに対抗するためにファーブルを持ち出したのである。大杉は簡潔に「昆虫記」とした。大杉は関東大震災のどさくさに、憲兵隊に殺されてしまったため、第1巻しか訳すことはできなかった。84歳で「昆虫記」10巻は完成したがさっぱり売れない。87歳、賞や勲章をもらい、祝賀の宴のあとで名前が知られるようになり、売れ行きがよくなる。過去30年間に合計よりも多くなる。89歳の時にジョゼフィーヌが48歳で亡くなる。1巻56歳。2巻59歳。3巻63歳。4巻68歳。5巻74歳。6巻77歳。7巻78歳。8巻80歳。9巻82歳。10巻84歳。ファーブルのライフワーク「昆虫記」は、56歳から84歳までの28年間でようやく完成するのである。------------------博物学の巨人 アンリ・ファーブル (集英社新書)ファーブル巡礼 (新潮選書)来訪者累計本日昨日
2014/02/23
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午後は時間が空いていたので、文京区へ。 前回、休館日で見れなかった「虫の詩人・ファーブル昆虫館」。奥本大三郎さんが館長だった。f:id:k-hisatune:20140222133536j:imageファーブルや「昆虫記」を愛する人々の気持ちが集まってできた施設。ファーブルは博物学の巨人、昆虫の詩人と呼ばれる。この人は他の研究者の学説の引用はしないで、自分の目で見て確かめたことだけを書いた人だ。障害で70冊余の著作がある。一階が展示室、地下が両親と弟と住んだ南ふフランスのファーブルの生家を模している。2階が標本収蔵庫、3階は集会室、4回は研究室、屋上というつくり。虫ともだちの写真があり、奥本館長と養老孟司先生らの楽しそうな姿が写っている。NPO法人日本アンリ・ファーブル協会が運営している。こNPOはファーブル検定も主催している。 東洋大学井上円了記念博物館白山の東洋大学にある博物館を訪ねたが閉まっていた。この大学は哲学者の井上円了の創立。キャンパスの建物群の前に塩川正十郎氏の銅像があった。小泉政権で「塩爺」と呼ばれた塩川氏は、この大学の中興の祖らしい。文部大臣を辞した後、東洋大学理事長、総長として、平成元年に白山キャンパス再開発事業を決定し、平成17年に文系五学部の白山キャンパスを完成させている。平成24年は125周年。f:id:k-hisatune:20140222142041j:image 東洋文庫日本最古、かつ最大の東洋学専門図書館・研究機関。三菱三代目の岩崎久弥の寄付を中心として発展した施設。1924年創設で今年は90周年。東洋学とは、日本を含めたアジア・アフリカが対象の歴史学など諸学問分野の総称である。つまり西洋世界以外の地域が対象であり、西洋人の目から見た分類ということだ。現在、100万冊で質量ともに東洋学に関しては国内最高の機関。800の言語の書物、一次史料が豊富、そして3割が洋書。大英図書館、フランス国立図書館、ハーバード燕京研究所、ロシア科学アカデミーなどと並んで東洋学では世界の5指に数えられる。一次資料として展示してあった「新井白石自筆文書」の「仏教」とういう書をみた。「欽明天皇13年冬12月百済聖明王、、、」と仏教伝来のことを漢文で書いている文書だった。「広開土王碑拓本」をみると、この高句麗19代の王の業績を讃えているが、「倭」という文字があり、百済、新羅を破ったとある。この東洋文庫は、岩崎久弥の個人文庫3.8万冊と、モリソン文庫2.4万冊が基礎になって出発している。モリソン文庫を見学。モリソン文庫はオーストラリア人のアーネスト・モリソン(1862-1920年)というロンドンタイムスの北京特派員が20年にわたって集め2.4万冊を当時3.5万ポンドで岩崎久弥が買い取ったものである。1845年にでたマルコポーロの東方見聞録、遼東遊記、東インド航海記、東方旅行記、伊達政宗遣使録、ロビンソンクルーソー漂流記、ペリー提督日本遠征記、日本奥地紀行(イザベラバード)、、などがみれる。当日は「仏教--アジアをつなぐダイナミズム」という企画展が開催中だった。戒律がきびしい上座仏教(南伝仏教)。大乗仏教:大衆に広める仏教。自らも他人も救済する仏教。慈悲、利他の精神。ブッダの前世である菩薩と自らを重ねブッダと同じ道を歩む。チベット仏教:インドから直接。独自の発展。死者の書。川口彗海像。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130222 | 編集午前。先週の大雪で延期になった大学院修士論文最終試験。今回はBルームの審査委員長。最近、特定課題研究論文というジャンルが増えてきて今回はついに8割近くに達した。私の担当したBルームでも5人のうち4人が特定課題だった。社会人大学院の多摩大らしい特色になってきたと思う。自分の勤務する企業の改革の道筋、新事業の理論化など、切実な問題意識と解決方法の模索の論文で、私の役割は審査というよりアドバイザーになった。以下、担当した論文。 女子力によるリアルコミュニケーションで会員組織の活性化を図る 新たな時代の人材育成 カウンセリングとコンサルティングの融合による、人材育成手法の有効性に関する考察 ファンケルへのMBB導入による風土改革 日本企業の経営における「志」概念の研究 R社における新しい働き方実現を支えるミドル世代のエンゲージメント向上--------------------夕刻。九段でインターゼミの打ち上げ会。2つの学部の学部生、社会人大学院生、学長はじめ両学部の教員、職員、社会人OBなど。f:id:k-hisatune:20140222182512j:image来訪者累計本日昨日
2014/02/22
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「スコールの夜」(芦崎笙)を読了。第5回日経小説大賞受賞作品。著者は50代の財務省大臣官房参事官。「組織はきれいごとでは動かない。女性の出世は逆差別か? そして、仕事は自己実現たりえるか――日本社会「中枢」のダイナミズムを、第一線で活躍する女性を通して、懐深く細やかにからめ取るまったく新しい経済小説」。「平成元年に東大法学部を卒業、都市銀行トップの帝都銀行に女性総合職一期生として入行した吉沢環が女性初の本店管理職に抜擢された。担当任務は、総会屋・暴力団への利益供与や不祥事隠しの役割を担ってきた子会社の解体と退職勧奨の陣頭指揮。保守的な企業風土による女性への偏見や差別に耐えての昇進を意気に感じ、荒療治に乗り出すが、周囲の感情的な反発を招き、経営幹部の派閥抗争に巻き込まれていく―。」女性主人公が銀行入行後20年の40代に入り、「綺麗事ではすまない厳しい現実に叱咤されるかのように、もう一度自分の属する組織において死物狂いで働いて見ようと思い始めていた。」というところで、この小説は終わる。企業は人生の学校である、と改めて思う。矛盾と葛藤しながら、組織と折り合いをつけながら戦っていく道程が仕事の歴史だ。その道程がキャリアである。この著者の官僚も、毎日そういう状況の中で歯を食いしばりながら、組織と自分の間合いを測りながら仕事をしていると思う。困難な仕事に立ち向かおうという宣言だろう。読後には、組織と個人の折り合い、仕事の意味、正義感、人事、役職、、、こういうテーマで企業小説を書いてみたいと思った。---------------------30年前からの知り合いのD出版のT編集者と食事の約束。------------------------今日も、よく歩いた。-------------------------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」130221 | 編集 矢内事務長:研究開発機構評議員会の決定事項報告。資料(補助金、科研費)の要請。大学院。学園との協議内容。、、 公平教務係長:教授会議事録の文言調整。 梅澤先生:聖ケ丘小学校児童へのバートル先生のセミナー。 豊田先生:大学院ビジネスICT関係の第2回セミナーの様子を聞く。 奥山先生:学生寮関係の進捗。自己点検関係。 金先生:岡山大出張報告を聞く。 ゼミ生の鈴木君を見かけてエントリーシートの書き方を指南。来訪者累計本日昨日
2014/02/21
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電子本が出版される模様。「30歳からの人生リセット術 悔いなく生きるために」(創元社)。2月28日販売開始。「言いようのない不安を抱えたまま、仕事と生活に追い立てられる毎日。「30代、自分は今のままでいいのだろうか?」この疑問からこそ新しい人生が始まる。30歳で「何者でもない」自分に絶望し、大きな転身を遂げた著者が、仕事や人間関係、お金や時間の使い方など、充実した30代を生きるために必要な心構えと行動を説く。リセットした自分で明日を生きたいと願うビジネスパーソンのための「生き方」の教科書。」http://booklive.jp/product/index/title_id/246410/vol_no/001----------------11時:出版社の編集者とプロジェクトメンバーで東京駅の「とらや」で打ち合わせ。1年越しの大きなプロジェクトも大詰め。4月14日に見本、4月22日に発売の予定で進む。まだいくつか私の作業も残っている。----------------昼食後、岩沢さんとKDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)出版プロジェクト等の相談。こっちは3月中。--------------今日の収穫 進歩発展を邪魔するのは、青年の過失より老人の跋扈だ(伊庭貞・住友総理事)土光敏夫(「清貧と復興」(文春文庫)より) 成功は成功の母である 日に新たに、日々に新たなり 世界の実業家で活躍した人たちが成功した要因は、例外なしに会社が終わってからの時間が大切だと思っていた点に求められる、とバブソンという人が言っている。成功の要因は会社での時間中になく、私生活での時間にある。 自信を一つ一つ積み上げることが、能力を獲得する過程である。 単色情報を天然色情報にもどすには、自らの足で現場を歩き、自らの目で現場を見ることだ。 最も大きく重い負担は、人事である。、、しかし、衆智を集めて最後に決める責任はトップにある。トップはそのとき、神に祈る心境で人事を決するのである。 適所におけば適材になる。 日ごろから厳しく公私のけじめをつけ、いやしくもその行動を疑われるようなことがないようにしなければならん。 リーダーに要求されるのは、「無私の人」であることだ。 信念を貫きとおそうとする者の行方には重い十字架が待っている。(石坂泰三)------------------------------書店で買った本。 「社会と自分 漱石自選講演集」(ちくま学芸文庫)。 「スコールの夜」(芦崎笙・日経出版社)。第5回日経小説大賞受賞作品。-----------■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140220 | 編集 15時:品川キャンパスで研究開発機構評議員会に出席。 多摩大総合研究所(望月所長)、情報社会研究所(公文所長)、医療・介護ソリューション研究所(真野所長)の3研究所がメンバー。 来年度からの機構長に田村常務理事の続投が決まる。 多摩大総研の所長を3年ぶりに再度私が引き受けることになった。来訪者累計本日昨日
2014/02/20
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年明けから通勤はウオーキングの習慣がついている。愉しみがあるから続いている。その愉しみは本の内容を耳で聴くことだ。オーディオブックで、半藤一利「昭和史」(1926-1945年)34巻を全編聴き終わった。著者の半藤さんが語るのを聴くという講義スタイルなので、毎日少しづつ勉強するということになる。勉強と健康の一石二鳥である。さて、この「昭和史」は、終戦時に中学生だった半藤さんの実感も交えて、1928年(昭和3年)の満州某重大事件(張作霖爆殺事件)から始まった日中戦争の全過程、その延長線上に勃発する大東亜戦争への突入と1945年の敗戦に至るまでの激動の昭和の前半が語られている。この20年の過程で、日本人の死者の合計は310万人を数えるという惨憺たる結果になった。明治維新から日露戦争まで40年かかって築いた大日本帝国は、その後の40年で滅び焦土となった。半藤一利は、この「昭和史」の教訓をあげている。総括すると「根拠なき自己過信」に陥っていた。 国民的熱狂をつくってないけない。 抽象的観念論を好み、具体的理性的な方法論を検討しなかった。 タコツボ社会の集団主義の弊害。 終戦にいたる国際的常識を理解していなかった。 大局観・複眼的考え方がなく、対症療法、短兵急な発想に終始した。日本は気がついたら、最終的に中国、米英、ソ連などほとんど全世界を相手に闘うということになってしまっていた。そしてこの大戦争は始めたはいいが、やめることは実に難しかったということもわかった。聴き終わって、軍部の暴走、マスコミの扇動、国民の熱狂、冷静さの喪失、責任者の決断不足、人事の怖さ、世界情勢に対する感度不足、情報戦での敗北、、、など感ずるところが大であった。この昭和史は、日本人自身の陥りやすい欠点がすべて込められていると思う。今日から、後半の「昭和史」(1945-1989年)に入る。-------------------神保町の岩波書店で本を購入。「保守とは何か」(福田恆存)「近世大名家臣団の社会構造(磯田道史)「江戸の備忘録」(磯田道史)「平成史」(小熊英二)「文章心得帳」(鶴見俊輔)「就活下克上」(山内大地)-----------------------------15時:サイバーエージェントの有料ブログBLG担当者と意見交換。f:id:k-hisatune:20140219154104j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140219 | 編集 11時:多摩キャンパス ラウンジで今泉先生と意見交換。 寺島文庫カフェ:大学院の徳岡先生と同席となり情報交換。 16時半:大手企業幹部との学長面談に同席。f:id:k-hisatune:20140219163531j:image 終了後、学長に学部の近況を報告。来訪者累計本日昨日
2014/02/19
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木内昇(のぼり)という女性作家に注目している。1967年生れ。出版社勤務を経て2004年に小説家デビュー。2011年、「漂砂のうたう」で直木賞。江戸時代、幕末を描く作品が多い。庶民が主役の作品。「ある男」に続き、「櫛挽道守」(集英社)を読み終わった。中山道の木曽路の小さな村に住む「お六櫛」という名品をつくる職人一家が暮らす物語。この小さな保守的な村にも幕末の波が押し寄せる。櫛職人の家族を題材にしているが、普遍的な職人の世界を画き切っている。櫛職人というテーマを深く掘り下げた名作だ。「ある男」もそうだったが、世の中を変えようとする無名の庶民の生きざまには読後に静かな感動を覚える。この作者の人々を見つめ描く腕もただものではない。 吾助はなにも教えぬ代わりに弟子が学ぼうとするのを咎めもしなかった。 二度としくじりをせぬよう、戒めのため目につくるところに飾ってあるのだ 慣れろ。道具をわがものにしなければ。あとはわれで工夫すろ。 引くのと押すのとで微妙に力加減を変えていたのである。 一向に飽きのこない面白さと、一生を掛けるだけの深みと、それを抜きん出た技量でものにしている父への尊崇 道具いうのは職人の命です。 作るいうより、もともとあるべき形を導き出しとるような気さえしますんや 江戸では、、、仕事を高めていけるのだ。 己の足どりを乱してはなんね。他人の歩調に引っ張られては、己の仕事はできんだで 自分の手でありながら誰かに操られているような不思議を覚えながら一枚を挽き終える。 わしはここを動かずに、わしという櫛師を知らしめたる、そうやってしがらみだらけの世を変えたると決めたんや なんともいえねえ味があるで、風格、いうたらええじゃろうか。一朝一夕では出ねえ味だ。 うまぐいっとるとごろは大概、考えずともできるとこだ。そごを解き明かすとかえってぎこちなくなる。だで、考えるな。むしろ、悪いところ、うまぐいがんところから目を逸らしてはなんね 先代、先々代からずっと受け継いできたものだげ。おらのこの身が生きとる間、ただ借りとる技だ。んだで、おらの技というこどではねえんだ 一日挽かねばそれだけ勘が鈍る。勘を取り戻すには、鋸を持たなかった日の倍の日数がかかる。 腕は立っても、心棒がないやね。それをこれから己の手で掴まなあかん小説のストーリーも上手く出来ていて素晴らしいが、櫛職人の発する叡智を以上ピックアップしてみた。なにごとにも通じる真理だと思う。司馬遼太郎や藤沢周平亡き後は、歴史小説はこの作家の作品を愉しむことにしようか。--------------------------学部長日誌「志塾の風」130218 | 編集 菅野先生夫妻:引越し中。 高野課長・小林先生と雑談来訪者累計本日昨日
2014/02/18
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人麻呂の歌碑訪ひ来たる奈多の海ゆ伊方原発遠く光る見ゆ(中津市・久恒啓子)本日の朝日新聞の「朝日歌壇」に母の歌を発見。奈多海岸の人麻呂の歌碑は一緒に行ったし、四国の伊方原発は宇和島別府の船の中で見たから、この情景はよく理解できる。この歌を採った選者の心にも響いたのだろう。「朝日歌壇」は、1910年、石川啄木を選者として始まった。1970年(昭和45年)から、代表的歌人4人がそれぞれの視点で投稿から秀作を選び解釈や評価を記す。この歌については選者の高野公彦が「奈多(国東半島の南部)から見る白い異物」という言葉を加えている。自分の立っている九州の一角と遠くに見える四国の岬の突端にある原発。そして柿本人麻呂の時代と現代のシンクロ。この地理感覚と歴史感覚の交合、そして原発という大きく不気味なテーマと向き合っているという時代感覚がこの歌のポイントだと思う。母に電話をすると、朝日歌壇に採られたのは三度目という。2011年02月の朝日歌壇には、以下の歌が載っている。 原爆に遭いしピアノの傍らに従姉坐れり老女となりて (中津市) 久恒啓子この歌は仙台和泉区の高森に住む従姉が、広島で原爆に遭ったピアノを大事に持っていて、そのことが話題になった新聞記事を見た時に作った歌だ。私も実物を見ている。3・11の東日本大震災の直前の時期でもある。相当に被害を受けたと来ているが、あのピアノはどうなっただろうか。今回は原発の歌だが、これは原爆の歌だ。原爆と原発は背中合わせの科学技術であるが、その二つの歌が朝日歌壇に採られたのは興味深い。--------------------------------2004年12月18日には大岡信の「折々のうた」でも採られている。十年余の看とり辛からむと友は言ふ独りになるはもっと恐ろし 久恒啓子『「風あり今日は』(平十六)所収。十年余の看病とあるが、作者によると昭和六十二年に夫が脳出欠、症状が意外に重く、右片麻痺、失語症となった。以来十五年間、看病の明け暮れだっという。その間、子供たちの協力で一年に一度、国内外を旅行してストレスを解消したという。その夫も亡くなり、三回忌をすませた。この辺で「前向きに歩き出そう」と、この歌集を編んだという。右は闘病中の歌。健気な妻の本音。 大岡 信来訪者累計本日昨日
2014/02/17
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大雪で動けないので、いろいろと整理。 書斎の片付け やるべき仕事の確認 原稿整理 読書「櫛挽道守」(木内昇)------------先週金曜日のラジオ「ビジネス展望」での寺島報告。 アメリカの失率は6.6%。一時9%だったのが景気がよくなって、引き締めのタイミングという6.5%近くにまで下がってきた。景気の上昇はシェールガス革命、次世代ICT革命による。 2014年のアメリカの成長率は2.6%と言われていたが、2.8%にまで上方修正された。3%にまで届くのではないか。 アメリカの経常収支は8000億ドルの赤字だったのが、4000億ドルにっまで半減。財政収支も赤字は1兆ドルが5000億ドルにまで半減。 新興国や日本に流れていたマネーの流れは変わって、アメリカへ。日本株への外人の17兆円の資金は1月は1.17兆円の売り越しになった。それが1万4千円台の株価になった。 大事なのは、日本の成長戦略だ。------------------------------------------ソチオリンピックの選手たち(10代から40代)の戦い終えての言葉をピックアップしてみる。 41歳の葛西選手が銀メダル。 「次の目標をもらった。45歳、49歳とやれるところまでやってみたい」 17歳高梨沙羅選手4位。 「力不足を痛感させられた。技術も精神面も磨き、もっともっと練習してレベルアップしていきたい」 19歳羽生結弦選手金メダル。 「自分のスケートを、もっともっと高みへ持っていきたい」 15歳平野歩夢選手銀メダル 「いままでやってきた積み重ねは、全部意味があったんだなと思いました」 25歳渡部暁斗選手銀メダル 「力出し切れた、満足」来訪者累計本日昨日
2014/02/16
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観測史上第一位の積雪のため、丸一日自宅に籠城。思いがけない時間をもらったので、読書「リベラル再生の基軸」(寺島実郎)と映画を堪能した。-------------------下村観山の画業と生活。身近な人々が見た観山。 三男・英時「元来、筆不精の人で、随分手紙では諸方へ不義理をした」 菱田春草「全然独創的に新領域を開拓する人ではないやうである。前人の既に着手した跡を探ねて、それに自家の意趣を加えて画を作る人である。それが穏健なる下村君の長所である。又た甚しい失敗に陥ることのない所以である。」 内山敦子「天賦の画才と出自に恵まれた人であり、また古典への精通から、創造性以上に換骨奪胎の妙を評されることの多い画家であった。」 妻仙子「画室には鍵をかけて、誰も入れません。何事も自分でしなければ気の済まぬ性質で、、。毎日古画を出しては嘆賞しながら、仏画を描いております。」 野間清六「またそのころ(日本美術院サイコウ後から大観の画風は急速な進境があったのに対し、換算の画風は停滞し勝ちであった」住み込み書生の弟子や子息が筆記した「画坊日記」からみえる日常。 捌ききれないほどの応需制作におわれながら院展出品画の制作や公的な依頼をこなし、画壇における交際や来賓の応接にも応じる多忙な日常。 朝・昼・晩に酒を飲むのが習慣で、飲酒絡みの弟子の嘆息が散見される。体調不良の遠因に過度の飲酒がある。師・岡倉天心の言葉。観山は天心の教えを一番守った弟子だった。 「人の型に入る勿れ、自分の影を踏むなかれ」 「いたずらに古人に模倣すれば必ず滅ぶ。系統を守りて進み、従来のものを研究して、一歩を進めんことを勉むべし。西洋画、よろしく参考すべし。しかれども、自ら主となり進歩せんことを。」観山は食道がんを遠因とする心不全で57歳で没している。大観は90歳まで生きたから、人生の長さは33年も違う。やはり、人は生年よりも没年が重要だ。-----------------------------------映画(DVDとテレビ) 「ロッキー」:アリと無名のウェブナーとの対戦にヒントを得て、スターローンが3日で脚本を書き上げ、プロダクションに売り込むがうまくいかない。ようやく決まりかけるが自身が主演のはずが「主演にポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、アル・パチーノといった有名スターを起用する」との条件を拒否。長い時間の後「 ギャランティーに関しては、監督は普段の半分、スタローンは俳優組合が定める最低金額、プロデューサーはなし。 制作費はテレビシリーズ1本分(約100万ドル)。 36万ドルまで高騰した脚本料を2万ドルに減額。」という条件で成立。第49回アカデミー賞作品賞ならびに第34回ゴールデングローブ賞ドラマ作品賞受賞作品となる。主演男優賞。 「ペリカン文書」:検察官を目指し法科に通うダービーは、世間を騒がす最高裁連続殺人に関する自分なりの説をまとめ文書を作った。それがいつの間に国家の上層部の黒幕の目に触れ、“ペリカン文書”と名付けられ、彼女は命を狙われる。恋人でもあった恩師は殺された。孤立無援の彼女を助ける者は敏腕新聞記者。ホワイトハウスの犯罪を描いたストーリーに引き込まれた。[学部長日誌「志塾の風140215CommentsAdd Star 大学院の修士論文最終試験の日だったが、観測史上第一位の積雪。交通機関が大きく乱れたが、朝になっても大学院からの連絡が全くない。6時過ぎにメールを出すが返事がない。6時半過ぎに事務長に電話して、院生と教員に至急連絡するようにと連絡。その後、ようやくメールで中止の連絡が来たが、対象院生と教員も大混乱した模様。 徳岡先生から電話連絡があり、院最終試験と院教授会の日程を調整。来訪者累計本日昨日
2014/02/15
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帰りは大雪の中、大学から歩いて永山駅へ向かう。道に迷って、あやうく遭難するところだったが、途中でバスに乗れてなんとか、帰還。------------------------昨年8月7日の「自分史フェスティバル2013」で行った基調講演「自分史が、日本と世界を変える」の文字起こしができてきた。偶然だが、今日ちょうどフェスティバル当日のCD=ROMが届いた。この原稿の修正作業に入るが、以下ポイントをピックアップする。 1997年「若い人に自分史を書かせよう」ということで、毎年書き方を教えまして、1年に100本ぐらいの自分史ができあがりました。合計で1000本ぐらいの若い人の自分史をもっております。、、1999年「ビジネス自分史」。1999年「キャリアカウンセラーの資格制度をつくるのでトップをやれ」という声を頂きまして、「伯楽」という資格制度をつくりました。、、、丸善で自分史の自費出版の方からお願いがありまして、高齢者の方向けの講座を持ちました。2007年には愛知県の春日井市でのシンポジウムに招かれました。、、、「自分伝説」というCD-ROM。、、、2003年からは「40歳からのライフデザイン」。、、、「知的生産手帳」。、、2010年には「遅咲き偉人伝」。、、昨年は、30代のための人生戦略の本を書いたりしています。、、 この15年間自分は一体何をやって来たんだろうか、と考えます。すると、自分史から出発をして、15年間自分史にまつわる仕事をしてきたのだと改めて考えることになりました。今回のこの講演の依頼は、非常にいい機会ですね。振り返ってみますと、やはり自分は自分史、人の生き方、人生観…、そういったものを勉強して、それを学生に伝えるために現在やっているんだということが見えてきました。こういう感じでございます。 我々は幸せを求めていますが、「幸せ」とは何か。「豊かさ」である。「豊かさ」とは何か。私は、それは「自由の獲得」と考えています。 「生涯学習で最も重要なことは何か」ということですが、それはここに書いてあります「少壮老死」という言葉です。 自分史の位置づけについてです。日誌、日記、自分史、自伝、伝記、評伝…とつながって発展していくのではないかと思います。 このインターネット時代をどう考えるかということですが、これは自分史業界にとっては大きな援軍であると思っています。 これまで自分史は年配者が書くものだと決まっていましたが、そうではありません。生涯にわたって自分の歴史を振り返りつつ、次の時間をどう生きるかということが大事になってきます。大学では、若者は自分が見つからず、何をしたらいいか迷っています。私はこう言っています。「自分探しはもうやめろ」と。元々自分があるわけではない。ないものは探せるはずはないではないか。今から一歩一歩自分を積み上げていくのである。「自分探しはもうやめて、自分づくりをはじめよう」と言っております。青年から壮年にかけては、途中で何度も危機が参ります。会社勤めをしても、過程を巡っても、様々な事件や危機が起こりますよね。危機を乗り切るためには今を総括する必要があります。そのために自分史を書かなければならないと思います。未来のために書く、ということですね。高齢者はどう考えるか。私たちは60歳以降、長い時間をもっています。、、「生まれてきたときと死ぬときと比べて、何か少しでもプラスアルファのものを残して死のうじゃないか」と書いてあります。後世への最大遺物とは何かという論考です。、、、やはり人生は平凡な人生なんてありません。波瀾万丈であります。そういったものを書いて、あるいは遺して、それを自分の子孫たちにも影響を与えていく、自分のみの周りに影響を与えていくことが重要ではないかと考えています。 この過程でわかったことは、偉い人は何かということです。それは「影響力」です。人に与える影響力が多い人は偉い、という定義を私は持っています。どういう影響か。周りに深い影響を与える人。その時代に広く影響を与える人。長く影響を与える人。即ち偉い人というのは、「影響力の深さ×広さ×長さ」であるということです。 毎朝見ていると思いますが「あまちゃん」がありますね。あれはアイドルです。何かというと、あのアイドルの定義は「自分の身の周りでアイドルになった人が日本のアイドルになる」ということです。これと同じですよね。自分の周りで影響を与えない人が、地域や日本で影響を与えないはずがありません。 本日は「自分史運動」の始まりでしょう。歴史的な記念日になると私は思っています。先ほど会長は宣言いたしましたが、私は、本日は21世紀の新しい自分史運動の始まりの記念日であると予言をして終わりたいと思います。-------------同時代史 ソチ冬期オリンピック・フィギャで羽生選手が金メダル。チャンが銀。オリンピックには魔物が棲んでいる。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140214 | 編集 学部運営委員会 教授会:教員採用など人事案件が多かったがすべて順調に通った。 多摩大総研運営委員会。松本、諸橋、彩藤、中庭、矢内、私。 過去の総括。来年度事業計画。所長人事。総研の将来像。 学部教員の兼務制。報酬のあり方。講演のプロデュース。研究員制度。オール多摩大としての形。、、、。 「健康」は食に関するNPOを立ち上げた渡辺幸裕さんを松本先生に紹介。来訪者累計本日昨日
2014/02/14
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品川での会議を終えて、長野新幹線で安中榛名へ。そこからタクシーで、東善寺に向かう。幕末の徳川幕府で勝海舟と並んでニ傑と称された小栗上野介(1827-1868年)の墓と資料館がある寺である。庭に横須賀から贈られた胸像が建っている。この胸像はやはり朝倉文夫の作だった。親友であった栗本瀬兵衛安芸守(1822-1897年)の胸像も並んでいる。栗本は横須賀製鉄所の功労者である。欧州アルプスを登山した初の日本人。維新後は報知新聞主筆。この像は門人だった犬養毅がつくらせたもの。裏の小山には小栗上野介と養子で同じく惨殺された21歳の小栗又一の供養墓がある。小栗の戒名は、陽壽院殿法岳浄性居士。雪の階段をかなり登ったところに二人の本墓があり、右手には3人の家臣の墓もある。f:id:k-hisatune:20140213140905j:image遺品館には使った駕籠があった。外には記念植樹で、作家の井伏鱒二が昭和53年6月10日の植樹したとある。小栗家は神田駿河台に屋敷があった。明治大学の向かいで現在のYMCAのある場所だ。そこには小栗の像がある。9歳で小栗は安積昆斎(あさかごんざい)の塾に入る。安積は佐藤一斎の学僕から苦労して最初の塾を小栗邸長屋を借りて開きてりた。その後、昌平校の教授となる。海防と貿易を説いた。ペリー来航時の国書の翻訳と返事を代作した。門人のリストをみたが、綺羅星のように人材が並んでいる。秋月悌二郎、岩崎弥太郎、栗本瀬兵衛、中村正直、清河八郎、吉田松陰、福地源一郎、高杉晋作、など2282人。アメリカへの使節の目付として、咸臨丸を従えて、ポウハンター号で江戸を出てハワイを経てアメリカ西海岸サンフランシスコに渡り、パナマ。船を乗り換えてカリブ界を越えてワシントン。ニューヨークから大西洋を越えてアフリカ、インド洋、インドネシア、香港。そして江戸へ、という世界一周を果たしている。ハワイではカメハメハ4世国王夫妻と会っている。正使の村垣淡路守のざれ歌「ご亭主はタスキ掛けなりおくさんは大肌脱ぎて珍客に会う」。f:id:k-hisatune:20140213144305j:imageアメリカではリンカーン大統領の前任のブキャナン大統領(1857年-1861年在任)に歓待を受ける。ワシントン上陸時に、「日本人は、列を作って歩ける!」といい、文化の度合いが高いと判断された。1860年6月22日のニューヨークタイムズは「、、我が国と日本との通商が十分に開放されれば、これらの物品はそっくりまねされて改良されてわが国に戻ってくるに違いない」という観察をしている。6月30日のニューヨークタイムズ「小栗豊後守は、アメリアの文明の利器を日本に導入することに大賛成だといわれている」と記している。f:id:k-hisatune:20140213144653j:imageアメリカでは精力的に見物している。砂糖精製向上、国務省、海軍造船所、特許局、議事堂、病院、天文台、測量局、ソニアン博物館、、。日本と欧米の差は、鉄を大量に使うことにあるとみた。「日本を鉄の国に改革したい」帰国後、小栗は日本最初の株式会社をつくる。「兵庫商社」。清水喜助に築地ホテルを建てさせる。富岡製糸場は、横須賀造船所の妹。横須賀造船所の建築技師・フランス人のバスティアンが設計図を書いた。横須賀からはさまざまな補助器具を提供してもらっている。中島飛行機製作所(現在のスバル・富士重工)は、横須賀造船所の弟。横須賀海軍工廠造兵部飛行機製造の幹部だった中島がは、「国では技術革新んに間に合わない。民間でやるのがいい」「制作費の安い飛行機をつくり空母で運んで闘うべきだ」。司馬遼太郎「横須賀造船所は、かつて日本近代工学のいっさいの源泉であった」(街道をゆく)東善寺の本堂には小栗に関する資料が大量に並んでいた。帰りに本を数冊買ったら、サインをしてくれた。その人はこの寺の住職の村上泰賢さん本人だった。以下、買った本。村上泰賢編「小栗忠順のすべて」村上泰賢編著「幕末遣米使節 小栗忠順 従者の記録」村上泰賢「忘れられた悲劇の幕臣 小栗上野介」「小栗上野介」(市川光一・村上泰賢・小板橋良平)■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140213 | 編集品川キャンパスで、自己点検2013執筆責任者、エビデンス責任者説明会を開催。f:id:k-hisatune:20140213102653j:image冒頭の挨拶は私が担当。以下、内容。--------------------------○2014年:開学25周年(未来)。寺島学長6年目(総括) 自己点検の年にあたったのは、過去と未来を考える良い機会。○寺島学長の6年(2009年)・ガバナンス(管理体制)とシナジー(三位一体)いうテーマ。・赤字からの脱却でようやく黒字体質へ。いよいいよ攻めの時代へ◎教育改革2009年の教育理念「現代の志塾」と学部研究科の人材像 ・経情:産業社会の問題解決の最前線に立つ ・グローバル:グローバルな問題を解決でき、グローバルな舞台で活躍 ・大学院:一業を起こし、一業をマネジメントできる人材・カリキュラム改革 ・・経情:カリキュラム改革・三つの系・人材像・2015年に学科改組(名称定員) ・・グローバル:カリキュラム改革・ゼミ・観光ホスピタリティ人材 ・・院:MBAカリキュラム完成・2014年からビジネスICT(データサイエンティスト) 教育理念に基づき、教育の体系化が進んだ。◎自己点検○量・元々多摩大は文科省何するものぞ。熱心でなかった。 認証評価の保留でようやく目が覚めた。・報告書:2010年(116p)・2011年(163P)・2012年(204P).2013年? 30%以上の増加。本文+エビデンスの増加(11年51P.12年73p)○質:自己点検の進化のプロセス ・2010年:現状・実態の把握 ・2011年:改善・向上の施策に目が向いた ・2012年:改善の具体策。エビデンス(証拠)・数字に着目 ・2013年:具体的改善策のチェックに重点○自己点検の体質化の努力の進行=大学改革そのもの!・大学全体の自己点検・・学部単位の中期計画策定と事業計画・・個人単位の事業計画と報告書 自己点検は量・質ともに充実してきた。さらに推し進めよう。 課題:2学部1研究科に温度差。レベルを合わせる必要あり。○学長年頭所感・教育の質の向上---手作り感・ゼミの多摩大・ビジネスモデル―社会人教育センター(リレー講座、、)・多摩学---個性化・三位一体運営---黒字体質の強化・学生サポート---新ファシリティ(アメミティ改善、、)・同窓会・後援会の充実・広報---オール多摩大の力を結集○自己点検・形式的・イヤイヤ・実質的・体系的・全学・全力・経営体質と教育研究の改善と強化へ ガバナンス強化とシナジー効果で、持続可能な大学へ!-------------------------参加者:44名。久恒学部長、安田学部長、宮地事務局長、矢内事務局次長<入試委員会>小林先生、樋口先生、橋詰先生、川手課長<教務委員会>金先生、今泉先生、渡邊先生、野原課長<学生委員会>趙先生、ホノベ先生、水嶋課長、瀧川課長<就職委員会>梅澤先生、杉田先生、良峯先生、佐藤先生、池田課長、早河係長<FD委員会>金子先生、彩藤先生、西井先生<M I C>志賀先生、出原先生、張先生、由利課長、格清係長<地域活性化MC>諸橋副学長、中澤先生<国際交流委員会>中村その子先生、高橋先生、寺山係長<学長室>中庭先生、高野課長<大学院>徳岡先生、森島課長<総務課>尾崎課長、清水課長、黒瀬係長、渡邉主任<企画・評価室>吉武係長来訪者累計本日昨日
2014/02/13
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「転んでもただでは起きるな! 定本・安藤百福」(安藤百福発明記念館編)。安藤百福のエピソード。 ハレー彗星が見えた年に誕生。「世の中に幸せをいっぱいもたらすような人間になって欲しい」との重いから「百福」と命名された。 日清食品:日々清らかに豊かな味をつくりたい、という願いが社名になった。 総合商社の事業分野の広さを「ラーメンからミサイルまで」というキャッチフレーズが使われた。安藤は不満で「ミサイルからラーメンまで」にして欲しかったそうだ。ラーメンは平和産業。 1971年の浅間山荘事件で機動隊がカップヌードルを食べる映像で大ブームとなった。------------------安藤百福の言葉は実にいい。 人生に遅すぎるということはない。 創業とは一粒の種を撒くことである。 どんなに優れた思いつきでも、時代が求めていなければ、人の役に立つことはできない。 人の集まるところには、需要が暗示されている。 創業者には定年がない。 発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念暗なきものに発明はない。 子どものように、いつも「なぜ?」と疑問を発しなさい。 開発とは時代を読む作業である。 時代に変化に対応するのではなく、変化をつくり出せ。 不即不離の付き合いが長続きする。 企業力とは、問題が生じた場合、一丸となってことにあたる仕組みにほかならない。 一時的なヒット商品よりも、新しい市場を創造していく商品を作れ。 インスタント食品とは時間を大切にする食品ということになる。 社員はもとより、社会全体がトップの姿勢を見ている。社長の座は十字架を背負っているようなものだ。 社長とは権力ではない。責任の所在を示している。 社員の結束を図るために、トップは先頭に立って旗印をかかげる必要がある。 事業はすべて、進むより退く方が難しい。 仕事をするのは組織ではなく人である。 人のやらないことをやれ。やれそうもないことを成し遂げるおが仕事というものである。 興味をもって取り組んだ仕事には疲労がない。 余人をもって代えがたい人になりなさい。 自らの足で歩き、自らの目で確認しなさい。そうでなければあなたの話には重みも説得力もない。 時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ。 食の仕事は聖職です。 食べれないものを食べられるようにするおが料理というものである。 味に国境はない。 人類は麺類だ。 「?」は、「!」のモト。 「気宇壮大 心眼千里」「体力智力 気力全力」「企業在人 成業在天」「入心入魂 自立自進」■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140212 | 編集 秘書と事務処理 杉田先生:フットサル部 杉本さん:学生委員会関係 彩藤先生:学部運営委員会のフェイスブックの継続 豊田先生:ビジネスICT 金子さん:学部運営委員会議事録 バートル先生 高野課長:インターゼミ来訪者累計本日昨日
2014/02/12
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思い立って、人物記念館の旅で横浜へ。下村観山(横浜市美術館)。安藤百福(カップヌードルミュージアム)黒岩重吾(神奈川近代文学館)-------------------------------桜木町で降りて、横浜市美術館で開催中の「下村観山展」。f:id:k-hisatune:20140212080825j:image岡倉天心門下の横山大観と並ぶ俊秀。この人には二人の理解者がいた。師の天心と、実業家の原三渓である。下村観山(1873-1930年)は、30代にはとうとう横浜本牧和田山の三渓の所有地内に住んで終焉までここで絵を描いた。穏健は人柄で原に愛されたようだ。もともとは紀州藩の小鼓方で幸流の能楽師の系統である、故事に詳しい。父は最後の狩野派絵師であり、最初の日本画家であもある狩野芳崖に託し、その後は橋本雅邦に師事する。才能を早くから発揮し、9歳で北心斎東秀という号をもらう。16歳で、東京美術学校の一期生として入学する。以後は、天心と大観と一緒に行動する。30歳で英国留学。ラファエロに関心。師の天心の死に際し、大観と日本美術院の復興を誓い、1周忌に再興を果たす。57歳という画家としては早い死であった。調べてみると、同志の菱田春草は37歳、木村武山は66歳であり、大観の90歳が群を抜いている。売店でJAL時代の仲間だった女性と偶然会う。----------------------------------------安藤百福発明記念館。愛称はカップヌードルミュージアム。f:id:k-hisatune:20140211133446j:image5階建ての大きなスケールの建物。子供連れの客が多く、大人気のミュージアムだ。体験型で、自分でカップ麺がつくれるそうだが、予約で満杯だった。f:id:k-hisatune:20140211134526j:image安藤百福(1910-2007年)はベンチャー精神とバイタリティにあふれた面白い人物だ。メリヤス、養蚕事業、幻灯機、航空機エンジン部品、炭焼事業、バラック住宅、製塩業、交通技術者養成学校、病人用栄養食品など多くの事業を立ち上げる。最後に行き着いたのが「食」に関する事業だった。ハレー彗星の接近とともに生まれた安藤百福は48歳でチキンラーメンの開発に瞬間油熱乾燥法を用いて成功。61歳で究極の加工食品と呼ばれるカップヌードルを「開発。95歳で永年の夢であった宇宙食ラーメン(スペース・ラム)を開発しNASAに提供し野口聡一宇宙飛行士が宇宙で食べた。日清食品の社葬は宇宙葬であった。インスタントラーメンの父と呼ばれたが、亡くなった時、ニューヨークタイムスは社説で「ミスター・ヌードル」と呼んだ。「人に魚を釣る方法を教えればその人は一生食べていけるが、人に即席麺を与えれば、もう何も教える必要はない」とも社説は語った。タイム誌で行ったアジアの英雄66人にも選ばれている。また、富士総合研究所が行った20世紀の世界をうならせたメイドインジャパンというアンケートでは、2位のカラオケ、3位のヘッドフォンスステレオ、4位の家庭用ゲーム機、5位のCD、6位のカメラ、7位の黒澤明、8位のポケモン、9位の自動車技術、10位のすしを抑えて、堂々の1位である。小学館「ラピタ」のメイドインジャパン大賞では、1位にカップヌードル、6位にチキンラーメンが入賞している。驚きの多い、実に楽しいミュージアムだ。----------------------------------------神奈川近代文学館で開催中の黒岩重吾展。f:id:k-hisatune:20140211145432j:image黒岩重吾(1924-2003年)は、同志社在学中に学徒出陣。株で儲けて酒色に溺れてある日全身麻痺に襲われる。入院3年。「書く以外に生きる方法はない」と決心し、1961年に「背徳のメス」で直木賞を受賞。その後、あらゆる注文を引き受け、月間700-800枚を書いた。19070年後半からは、古代を舞台に歴史小説を書く。「私は、人間の生につながるセックス、金銭欲、権力欲、等の飽くなき欲望を、えぎりにえぐり、人生とは何?を酷烈に自問自答させたい」と小説を書く動機を語っている。「阿騎野の朝に志を立つ」「生きることを苦しく思う時、思い切り生きたい」。直木賞選考委員として、1984年上半期から2002年下半期まで。吉川英治文学賞選考委員として、1990年から2003年まで。柴田錬三郎賞選考委員として、1988年から2002年まで。古代の歴史については、なかなかリアリティを感じることができないので、この人の書いた小説を読んでみるか。「中大兄王子伝」「日の影の王子 聖徳太子」「白鳥の王子 ヤマトタケル」「紅蓮の女王」「茜に燃ゆ」、、。来訪者累計本日昨日
2014/02/11
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佐藤一斎が、自藩の巌邑藩の重職のために書いた心得「重職心得箇条」が実にいい。私自身の心に響いたところ、自分が及ばないところを抜き出して戒めとしたい。 1.重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、此重の字を取失い、軽々しきはあしく候。、、些末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。斯の如くして大臣の名に叶うべし。 2.大臣の心得は、先ず諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に採決する所其職なるべし。、、有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。、、。功を以て過を補わしむる事可也。、、人々に択り嫌なく愛憎の私心を去て、用ゆべし。、、平生嫌いな人を能く用ると云う事こそ手際なれ。 3.家々に祖先の法あり、取失うべからず。又仕来仕癖の習あり、是は時に従て変易あるべし。、、、時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立ぬものなり。 4.、、先ず今此事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考えて然る後例格を検し、今日に引合すべし。、、自案と云うもの無しに、先ず例格より入るは、当今役人の通病なり。 5.応機を云う事あり肝要也。、、物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其機の動きを察して、是に従うべし、、、、。 6.公平を失うては、善き事も行われず。、、、姑く引除て活眼にて惣体の対面を視て中を取るべし。 7.衆人の厭服する所を心掛べし、、、苛察を威厳と認め、又好む所に私する所は皆小量の病なり。 8.重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。、、 9.刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是を預るべきなり。 10.政事は大小軽重の弁を失うべからず、緩急先後の序を誤るべからず。、、、着眼を高くし、惣体を見廻し、、、、手順を遂て施行すべし。 11.胸中を豁大寛広にすべし。、、、人を容るる気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。 12.大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべきは元よりなり。然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。 13.政事に、、此所に手を入れて信を以って貫き義を以って裁する時は、成り難き事はなかるべし。 14.政治と云えば、、、何事も自然の顕れたる儘にて参るを実政と云うべし。、、、手数を省く事肝要なり。 15.風儀は上より起るもの也。人を猜疑し陰言を発き、、、甚あしし。、、其事の顕れたるままに公平の計いにし、、、。 16.物事を隠す風儀甚あしし。 17.人君の初政は、年に春のある如きものなり。、、刑賞に至ても明白なるべし。、、、-------------------------市川宏雄「リニアが日本を改造する本当の理由」(メディアファクトリー新書)を読了。関東・中京・関西の一体化。7300万人の東海道スーパーメガロポリス。新日本列島改造論だ。来訪者累計本日昨日
2014/02/10
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取り組んでいる本の執筆が本日で終了した。歴史がテーマであり、新しい分野なので苦労もあったが、私にとっては新たな地平を拓く大きな挑戦であり、成果もあった。次のテーマも浮上。--------------今日の収穫 ナニ、誰を味方にしようなどといふから、間違うのだ。みンな、敵がいい。敵が無いと、事が出来ぬ。(勝海舟) 西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり、退屈せずますあmす研究すべし(島津斉彬) 人にはすべて能不能あり、いちがいに人をすて、或はわらふ可からず候(富岡鉄舟) 卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず(明治天皇) 春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む(佐藤一斎) 凡そ学問は必ず積累を以てす。一朝一夕の能く通暁するところにあらず(佐久間象山) 一人にても餓死流亡に及び候わば、人君の大罪にて候(渡辺崋山) 予は俯仰天地に愧る事なし、いよいよこれより心を定め、静居して以て天下を卜せんと欲す(大隈重信) 予は朝にあるも野にあるも主義とする所は則ち一なり(大隈重信) ただ旧友を忘れざるのみならず、兼ねてまた新友を求めざるべからず(福沢諭吉) 独立の気力なき者は、必ず人に依頼す。人に依頼する者は、必ず人を恐る。人を恐る者は、必ず人に諂ふものなり(福沢諭吉) 天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり(黒田官兵衛)-----------同時代史 東京は45年ぶりの大雪。 東京都知事選で舛添要一氏が当選。次点宇都宮氏、3位細川氏。来訪者累計本日昨日
2014/02/09
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東京・多摩は40年ぶりの大雪 有料ブログサイト「BLG」に新記事を投稿:本物の条件--7つ(師匠・友敵・志・仕事量・修養・構想力・日本) 今日明日で、本の原稿執筆がほぼ終了する。 ソチでの冬季オリンピックが開幕。-----------------------------東京新聞に寺島さんのインタビュー記事。安倍外交の評価。 反米を内在した「貢米」外交。中国、韓国の周辺を回る「ドーナツ外交」。 中国の脅威を封じ込めようとする冷戦期の思想。 米中は懸案を抱えながらもお互いを大切にし、戦略的に意思疎通のパイプを太くしている。日米関係 集団的自衛権の行使を実現して戦おうとしているなら、米国とのズレは大きくなる。 「信頼できる同盟国」から「やっかいな同盟国」とみられる。世界からも孤立する。靖国神社参拝の米国の「失望」 米国や欧州は日本への深い「幻滅感」を持っている。靖国は外国では日本軍国主義のシンボルとみている。 日本は戦後秩序、つまり東京裁判とサンフランシスコ講和条約を否定したいのかという不安や懸念を抱く。 安倍外交は「反米」を内在している。日中関係 日本外交の「浩然の気」、つまり心の広さが問われている。アジアとの関係 米国の抑止力を利用するしたたかさを持って、一次元高い理念を掲げながら、アジアのまとめ役になることを考えるべきだ。 日本の技術、産業力で周辺国を豊かにすることが基本。エネルギー分野での連携、金融危機に備えた通貨交換協定の拡大、大学生同士の交流、、。 日本が中心となってロシア、北朝鮮を含めた非核化構想をまとめれば反対する国はない。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140208 | 編集 大学院修士論文の5篇を読み込む。来訪者累計本日昨日
2014/02/08
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東京都内でまだ訪れていない主な記念館を整理。後、20館ほどだ。折に触れて訪問したい。五十嵐賢治記念洗濯資料館(東急多摩川線下丸子駅。土日祝日休館。03-3759-1336)小野忠重版画館(中央線阿佐ヶ谷駅。月・火休館。3338-9282)海音寺潮五郎記念館(小田急線経堂駅。土日月休館。予約。3429-1338)熊谷恒子記念館(地下鉄浅草線西馬込駅。月休館。3773-0123)小林人形館(京成押上線八広駅。土日にも開館。2612-1644)佐藤助大雄記念館(東急世田谷線世田谷駅。月休館。3427-4545。彫刻家)日本女子大成瀬記念館(山手線目白駅。日月祝日休館。5981-3376)ねぎし三平堂(山手線鶯谷駅。水土日のみ開館。3873-0760)三木安正記念館(西武池袋線大泉学園駅。土日祝日休館。3922-4134。教育心理学者)村岡花子アン記念館・村岡花子文庫(京浜東北線大森駅。月に3回開館。予約。児童文学者)八木重吉記念館(中央線高尾駅。町田市相原町4473。往復はがきで予約。0427-83-1877。詩人)国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館(中央線三鷹駅。日月祝休館。0422-33-3340。初代学長)吉岡弥生記念室(地下鉄大江戸線若松河田駅。日祝第3土休館。3353-8111。東京女子大創立者)秋山庄太郎写真芸術館(地下鉄表参道駅。金土日開館。3405-8578吉田苞竹記念館(日比谷線神谷町。日祝休館。3583-0762。書家。)東洋大学井上円了記念博物館(三田線白山駅。初代学長。)旧安田楠雄邸庭園(千代田線千駄木駅。水土開園。)ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」(西日暮里・田端駅。近土日の午後開館。3812-7111)尾崎士郎記念館(JR大森駅。年末年始休館。3750-1611)川端龍子記念館(JR大森駅。地下鉄浅草線西馬込駅。月休館。3772-0680。日本画家)馬込文士村資料展示室(JR大森駅。3773-9216)台東区の博物館、史料館、美術館、ミュージアムなどの蓄積も見る価値がある。-------------------------岡山(黒田官兵衛。山田方谷。犬養毅。大山名人。竹久夢二。宮本武蔵。)■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140207 | 編集 人事委員会:9時半から。教員採用。 学部運営委員会:10時から13時まで。 文科省申請書類作成打ち合わせ。来訪者累計本日昨日
2014/02/08
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受講者270人の「立志人物論」の授業の最終回のアンケートがまとまった。以下、キーワードをピックアップ。「性格」「人生の見本」「生き方」「適性」「歴史」「人物」」「志」「時間」「価値観」「視野」」「心」「就活」「考え方」「ロールモデル」「教養」「史実」「人物像」「刺激」「意志」「チャレンジ」「心の持ち方」「偉人」「成長」「継続」「信念」「視野」「知識」「目標」「実行」「量」「人生設計」「好奇心」「記念館」「大人」「信頼」、、。「15回の授業を受けてどう変わりましたか?」・人の見方が変わりました。性格をもっと見ようと思うようになりました。・手本とする人材を見つけて、そのモデルに合わせて動くという事を知りました。・自分の人生の“参考”となった。・自分をよく知れた。・20歳となった私のこれからの人生の見本になるような人々を知ることができた。偉人の名言は、自分自身に響くものがあった。・人物を調べていると、新しい発見があり良い経験だった。エニアグラムのタイプ別はすごいと思った。・日頃YouTubeで先生が紹介している人の名言をチェックして日々成長している。人の生き方・人生に興味がわいた。・偉人の生き方を真似するようになった。そして変わった自分を実感したい。・自分の適性を見極めるようにしたいと考えるようになった。・歴史に興味を持つことができた。これからも様々な人物を紹介し続けていただきたい。・図解の良さを感じた。・価値観が変わった。・自分にはない考え、志の高さだったので勉強になった。・時間は限られていて、いかに上手に使っていくことが自分の人生をより豊かにすることになると思った。・視野が広がり、心に残る言葉にも出会い、自分自身少し成長した気がする。・パワーポイントで人生鳥瞰図を作るのが大変でした。人に興味を持ち始めた。就活に役立つことがたくさんあり、自分のためになった。・一番変わったのは考え方。YouTubeなど動画から学ぶことができたので楽しい面もあった。・ロールモデルとして見つめ直すことで、今までと少し違った目線でとらえることができ、自分の人生のヒントが見えた。・物事に対する考え方が色々と変わり知識・教養が蓄えられたと思う。・私自身の「考える力」の向上ができた。・ロールモデルという人物を明確に自分の頭に入れることで夢や行動や言動を考え過ごすようになった。・自分を見直せた。・人を見る目が養えた。・過去の史実や人物像に学ぶべきことは、とても多いなと思った。・たくさんの偉人が出てきて刺激を受けた。そんな偉人達の名言を心に秘めがんばります。名言をスマホの待ち受けにしたりしてもっと自分自身を強化していきたいと思う。15回の講義は、先生も優しく、いい雰囲気で講義も受けれて良かったです。・偉人たちの共通していることはセンスもあるが他の誰より努力をしていること。そして必ず意志を曲げないことだと思った。ゆえに、私も苦難にあたってもあきらめず頑張りたいと思った。・普通の人生で良いと思っていたが、この授業を受けて行く内に、新しいことにチャレンジしたくなりました。・大変興味を持てる授業でした。・私の心の持ち方が変わるようになった。・偉人達の人生の生き方を知ることにより自分も大きく成長できた・生様や残した言葉はどれもすごいものだった。この講義で紹介されたような方たちに近づけるように、たくさんのことに挑戦していきたいと思った。・様々な生き方があると思った。今後は、チャレンジする事を恐れず、様々なことに挑戦していきたい。・決して諦めず続けていく。・人物について図を書くと、知らなかった事がたくさんあり、驚いた。・昔の偉人を知れて普段学べないことが学べて自分のためになった。・エニアグラムも面白かった。・自分が尊敬する人に対して考えることができ、とても良かった。・生きていくヒントになった。今春から社会人なので自分らしく一歩一歩進んでいきたい。・人に興味持ち深く考えるようになった。・YouTubeを見るようになった。学校の友達以外にもエニアグラムをやりその人の性格がよく分かり面白かった。・偉人に対するイメージの変化が見られた。・自分のロールモデルを見つけることができたので、これからの人生の土台を作れた。・価値観が変わった。視野が広がった。・歴史上の人物に恥じぬよう、これからの人生を歩んでいきたい。・自分も何かを成し遂げたい。・就活を来年に持ち越そうと諦めていましたが、この授業で紹介されてきたあらゆる人物を見て行くうちに、もう少し頑張ってみようと思えるようになりました。・偉人達は皆、人生の一分一秒を全力で生きていて見ていてとても清々しいものでした。講義を受けて自分の価値観が180度変わったと思います。・知らない人物が出てきたとき、この人はどんな名言を残しているのかなと気になるようになった。・自分を見つめ直すキッカケとなった。自分の行動一つ一つ意味を確かめたり研究するようになった。・図で公約を考えるという、良いことを聞いた。偉人に触れ、考え方が広がった。・しっかり信念を持って過ごしていこうと思った。・ロールモデルを決めることにより、自分がどうなりたいのか改めて考えることができた。・授業で色々な人の人生を聞いて視野が広がった。・鳥瞰図が頭の中に入っていると、すぐに整理ができる。図解は大切だと思った。・知らない人物について学ぶことで自分の知識が増えた。人生鳥瞰図は生き方や思い、価値観など全てを知ることができるのですごいものだと思った。この人のおかげで今の日本があると思った。・偉大な人の映像を見て触発された部分がたくさんあった。・自分がもっと成長できることを学んだ。人生の糧にしていこうと思った。また志を改めて知ることができた。・一日一日目標を作って日々実行していくことは、今までの人生の中でとても新鮮だった。おかげで就職先が見つかった。・偉人達の名言は勉強になった。YouTubeをつかった授業は面白かった。いろいろな生き方を知った。自分らしく生きようと思った。・心の中に火がついた。・図で公約を考えるという、良いことを聞いた。偉人に触れ、考え方が広がった。・都知事選や衆院選の公約を考えられたのでよかった。自分のダメなところは直したい。・偉人達は共通して毎日すごい量の作業をこなしている。私も遊んでいる暇はない。毎日が勉強、作業のための時間だ。・自分の人生設計に大いに活躍した。自分で決めた道を信じ続ければ夢はかなうと思えるようになった。・人物の歴史を知り、自分自身の人生のテーマを考えさせられた。・歴史人物など言葉や文章だけでは伝わらない部分が動画だと非常に分かりやすく頭に入りやすかった。・とても素晴らしい講義をありがとうございました。・世の中には偉大な人がたくさんいると思った。尊敬する点が多くあることに気づいた。これからは周りの人を良く見て良い部分を吸収していきたい。・昔の人に関心を持ち、見習う必要があると感じた。・図解するくせをつけたい。・動画で、偉人達の想い・考え・価値観に触れることができたからだと思う。・新しい自分を発見できた。・多くの偉人の話を聞いて、「失敗に恐れず抗戦する」ことの大切さに気づけた。・心に火をつけてあげれるような人に近づけてきた気がします。・色々な人を知ることの重要だということを学んだ。・人物について注意深く見るようになった・本田圭佑について書いた。多くの苦労をして、ここまでの人物になったということが分かった。・授業で紹介していただいた本を、認識を深めるために読んでいきたいと思う。・好奇心が強くなった。情熱大陸やプロフェッショナルなど一人の人物に焦点をあてた番組が好きになりました。・有名人だけでなく、人の見方が変わりました。人物を調べて行くうちに、人の性格ややってきた事に興味を持つようになった。・人生の目標としたいと思える人が増えた。・紹介された人に興味を持つようになった。鳥瞰図を書けるようになった。・人生鳥瞰図を書いて、どのようにして夢をつかんだかを把握できた。・自分の見方が変わった。・他人の人生から学べることがたくさんあることを知った。もっと多くの人の生き方や考え方を知り、そこから多くのことを学んでいきたい。・自分の生き方を1から見直そうと思った。・人物を知る機会となり、私の成長の一歩になった。先生の講義は周りの評判も良く、私もステキな講義だったと思う。・歴史を学ぶことが、自分の人生をより良くすると思うようになった。・さまざまな著名人の生き方や考え方を知ることができてとても刺激になった。・図を見る時に、見方が変わって、図から読み取れる情報の量が多くなった気がする。また、文章を読み頭の中で図にまとめようとする考えが働くようになった。・偉大な人々への興味が増大した。・日常生活で出会うことのないような価値観に出会え、ためになった授業だった。・先生の授業は生徒に寄り添っているので非常に興味がもてた。・志を持つ人間を知ることができた。今後の生き方の参考になった。志を持って歩んでいきたい。・私は土方歳三のように努力を惜しまない人間になりたいと思うようになった。明確な目標を持つことができた。・目標とすべき人を見つけることができた。・人生鳥瞰図が面白かった。・すごく楽しかった。名言が心に響いた。勉強になった。自分のロールモデルが変わってしまうのではないかと思うほど影響力が大きかった。・偉人達や現在の社会貢献している人たちは、物の考え方や見方、人生の生き方などが他の人とは違う人が多いという事が分かり、自分の今後の生き方の参考にしようと思った。・久恒先生のブログを拝見し、歴史に興味を持つようになった。春休みに気になっている人物の記念館などに行ってみます。・考え方が昨年よりも大人になっていると感じた。・社会に立つ上で、人に信頼されるような人になりたいと思った。・偉人について学べ、充実していて、とてもよい内容でした。・人生や生き方をどのようにしていくべきかを改めて考えさせてくれた。・視野が広がった。・心に響くことが多かった。・感受性が豊かになった。多くの言葉が心に響いた。・動画は分かりやすかった。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140206 | 編集 金子さんと学部運営委員会の資料確認 志賀先生:オリエンテーションの進め方 高野課長:蓄積したコンテンツの使い方 成績つけ終了 学長に電話で近況報告来訪者累計本日昨日
2014/02/06
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童門冬二「小説・小栗上野介 日本の近代化を仕掛けた男」を読了。卓越した先見性と構想力を持ち、激動の幕末に外国奉行・勘定奉行・軍艦奉行等を歴任し、徳川幕府の存続に力を尽くした三河譜代の気骨あふれる武士・小栗上野介(1827-1868年)の物語。著者の童門冬二は1927年生まれだから、ちょうど100年はやく生まれたのが小栗だ。小栗は近代日本の設計者だが、その設計図を明治の新政権が実行した。「廃藩し郡県制に切り換え、幕府を中央集権政府とし、その主宰者お権限を拡大する」という小栗の新日本構想を明治政府が実行した。著者は小栗の「混濁した世の中で貫く人間としての潔さと誠意」に興味を持ってこの小説を書いている。組織と人間というテーマを持つ著者の関心を引いた人物なのだろう。幕府を代表する傑物、4歳上の勝海舟と小栗上野介の二人のライバルを対比しながら、幕末の様子を幕府側の視点で描いている。ポーハタン号(2400トン)でアメリカに渡った正副使節の目付が小栗で、もう1隻の咸臨丸(300-400トン)の艦長が勝であった。一行はアメリカ西海岸、東海岸、アフリカ、喜望峰、ジャワ、バタビア、香港を経て、品川に上陸している。世界一周をしている。小栗は「最も日本人らしい威厳と落ち着きを備え、その容姿が端麗でスマートだった」と言われている。与えれた状況の中で精一杯力を尽くし、沈みゆく船を必死に持ちこたえさせようとする頑固で優秀な行政官僚の姿は清々しい。小栗を登用したのは井伊直弼で、小栗が最後に仕えたのは徳川慶喜である。「お役替わり70数度」と言われるほど、人事異動が多かった。能力の高いマルチ人間だった。外務大臣、大蔵大臣(4度)、陸軍大臣、海軍大臣、東京都知事、、、、。小栗の最大の業績と言われているのは、「徳川幕府軍のフランス式改良。その指導にあたるフランスからの指導教官の招聘。横須賀造船所の建設」である。横須賀造船所は、仮に幕府が倒れても、新しい持ち主は「土蔵付き売家を買ったことになる」と小栗は言った。日本へのプレゼントである。1868年に江戸城大会議において主戦論を展開し、役職のすべてを免ぜられ隠退。知行国である権太村東善寺に落ち着く。東山道先鋒総督府が追悼令を発し、捕縛され、斬首される。享年42歳。斬首の地に建つ顕彰慰霊碑の碑文には「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と記されている。群馬県高崎市の東善寺を訪ねたい。■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140205 | 編集 成績つけ 諸橋副学長 判定会議に参加 矢内事務長:学園本部・総研、、。 ゼミ4年の長田君と面談。 中庭先生、奥山先生:新ファシリティの運営関係。寮の進捗状況。 総務・吉武さん:自己点検会議の打ち合わせ 金先生:教務関係のすり合わせ 梅澤先生:父母会の企画の相談 インターゼミ生の金子、田中、後藤君と食事会。都知事選、若者に舛添候補支持者が多いというのは意外。f:id:k-hisatune:20140205191745j:image来訪者累計本日昨日
2014/02/05
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京橋の国立近代美術館フィルムセンターで開催中の「小津安二郎の図像学」を観る。このセンターはわが国唯一の国立の映画機関。8階建て。映画上映のホールが二つある。劇映画14700本、文化・記録映画28300本、アニメ映画2400本、テレビ映画6000本。映画関係図書36000冊(和書29000。洋書4200)。シナリオ30000冊。ポスター46000枚。スチル写真638000枚。小津安二郎(1903-1963年)は生誕110年、没後50年。世界的映画監督。「永遠のウルトラモダン」を堪能した。この人は図案、色彩、文字なども描ける総合芸術家だった。晩年のカラー作品は戦後日本の名画の宝庫と言われている。人物の背後に本物の名画を使っており、画面の構図や色調は厳密に計算されていた。f:id:k-hisatune:20140204222640j:image 浮世絵を130枚所有しいていた。小津映画と浮世絵は似ている。ローアングル。 近代絵画:梅原龍三郎。岸田劉生。安井曾太郎。会津八一。小林古径。前田青噸。山口蓬春。速水御舟。東山魁夷。杉山寧。こういう画家たちの本物の絵を映画の随所に使っている。 グラフィックアーチスト:図案の小津 本の装丁:色彩の小津 タイトル・スタッフなどの文字:文字の小津 コースターコレクション自筆シナリオ・絵コンテ帳・撮影用シナリオがいつも用いる3点セットだった。19歳:尋常小学校代用教員20歳:松竹シネマ蒲田撮影所助手24歳:監督29歳:日本をリードする監督34歳:入隊し中国戦線へ。40歳:インド独立をテーマとする映画企画で南方へ60歳:満50歳の誕生日に死去。小津語録「物事には作法がある」「安物を粗末に使うな。良いものを大事に使え」「黒澤明は考える人、木下恵介は感じる人、小津は見る人ではないか」「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」「名画の中で昼寝するのが一番の喜びだ」■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140204 | 編集目黒の学園本部を訪問。 理事長から激励をいただく。 常務理事、真子先生、藤本先生に下記を説明。 来年度の運営方針・委員会人事。 入試関係の方針説明。 給与関係。 期末手当関係。 教員採用人事。 非常勤採用関係。 多摩大総研。来訪者累計本日昨日
2014/02/04
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夜は、The Club の仲間との会食。場所は赤坂Bizタワーの赤坂離宮。この友人たちとの付き合いも、もう25年ほど続いている。f:id:k-hisatune:20140203201518j:image勤めている、または勤めていた企業は、JR、サントリー、日経、NTT、東京ガス、ワコール、ニッポン放送、ソニー、小学館、カメラマン、など多士済々。二次会は、開高健が愛したバーを4人で訪問。サントリー宣伝部で開高番だった渡辺幸裕さんを中心に、一緒にした旅行などでのいろいろなエピソードを楽しく聞く。開高健の写真、名言、著書などが飾ってある雰囲気のいいバーだ。従来からの私のお気に入りの開高健の言葉は「悠々として 急げ」。f:id:k-hisatune:20140203214840j:image「人間らしく やりたいナ トリスを飲んで 「人間」らしく やりたいナ 「人間」なんだからナ」「悠々として 急げ」「漂えども沈まず」「シンシンの夜は チクチク飲んで オレはオレに 優しくしてやる そうすることに してある チクチクとナ トリスでしょ」出版人マグナカルタf:id:k-hisatune:20140203215334j:image■CommentsAdd Star学部長日誌「志塾の風」140203 | 編集 多摩大の敷地内で京王電鉄が始めた移動販売。周辺住民に喜ばれているらしい。f:id:k-hisatune:20140203104600j:image 今泉先生:採用関係の意見調整。 一般入試:本部詰め。途中で、樋口入試委員長、出原副委員長、川出入試部長、矢内事務長と小会議。 成績つけ。来訪者累計本日昨日
2014/02/03
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文京区千駄木の住宅街にある「金土日館・岩田専太郎コレクション」を捜し当てて常設展を堪能。1901年の浅草生まれだから20世紀の初年に生まれている。昭和天皇とディズニーと同い年だ。1920年19歳で挿絵画家としてデビュー。以来、73歳で死去するまで、半世紀にわたって雑誌や新聞を舞台に活躍。25歳、吉川英治の「鳴門秘帖」(大阪毎日新聞)の挿絵で一流挿絵画家の地位をえる。時代小説、探偵小説などあらゆるジャンルの挿絵を、時代に即した新鮮な感覚で描いた。この間、ずっと挿絵画家としてトップの地位を保った人生だった。f:id:k-hisatune:20140203074407j:image岩田専太郎が生涯に描いた挿絵は6万枚。親友の小説家・川口松太郎は「挿絵を描くために生まれてきたような男」と評している。浮世絵の伝統を基礎に、時代の流行を敏感にとらえ、画風を変化させていった。大胆な遠近法、装飾的な画面構成、映画のアングルやクローズアップの手法、新しい印刷技術ん織先取りなどを採用した「専太郎調」といわれる独自のスタイルを確立した。義太夫の太夫は小説家、三味線は挿絵画家という関係という見立てがある。図案家、画家、印刷図案家、日本画家と師匠を変えながら、18歳で単身上京。戦争で無一文になった専太郎は、俳優の長谷川一夫の居候になり、3年間を過ごす。新聞、雑誌、ポスター、レコードジャケットなど夥しい作品がある。吉川英治の「鳴門秘帖」。大仏次郎の「赤穂浪士」。小島政二郎んお「花咲く樹」。火野葦平「青春発掘」。冨田常雄「処女峰」。船橋聖一「夜のリボン」。小島政二郎「甘肌」。司馬遼太郎「竜馬がゆく」。司馬遼太郎「世に棲む日々」。吉行淳之介「裸の匂い」。松本清張「西海道談奇」。山岡荘八「徳川家康」。映画ポスター「木枯し紋次郎」。レコードジャケット「森進一・無情の夢」。日吉ミミ「失恋」f:id:k-hisatune:20140203074635j:image「専太郎美人」という言葉があるほど、生涯にわたって美人女性を描き続けた。「一日5人。3万数千人の女がいつのまにかできる」「絵はかくもんじゃない。生まれるものだ。どんな子が生まれるか。」「きのうは過ぎ去ってもうない。あすはまだ来ない。今日があるだけ」「挿絵画家には椅子が用意されていない。現役であることが位置であり、第一線から下ると、座る椅子は取り上げられてしまう」-----------------------------娘が女の子を生んだ。8時46分。3026g。51センチ。真夜中から陣痛が始まって病院との間を2回往復することになった。日曜日だったので、こちらの家族と婿側の家族も揃って大騒ぎの一日となった。また、新しい体験が始まる。来訪者累計本日昨日
2014/02/02
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私のホームページ「図解ウェブ」が、本日をもって15周年となった。仙台の宮城大学で2年ほど経った頃、1999年2月1日にインターネット時代は図解の時代だと考えトライしてみた。当初は、教育・研究・地域貢献の3本柱という骨格だけで出発したのだが、このホームページは年月を重ねるうちに、命を持ってきた。このDNAが自律的に成長し続けて、今のHPになっているのは感慨深い。http://www.hisatune.net/html/etc/6th.htm#openhttp://www.hisatune.net/index.html15年前の1999年には以下のような出来事があった。EUでユーロ導入。金融再生のために公的資金導入。ユーゴ空爆。東京都知事に石原慎太郎が当選。民主党代表に鳩山由起夫。世界人口が60億人を突破。普天間基地返還で名護市辺野古が移設候補に。大阪横山ノック知事退任。ロシア、エリツイン大統領、、、。-------------------------------------------2014年の約15年後は2030年になる。この15年で日本と世界はどう変わるだろうか。「2030年 世界はこう変わる」(講談社)という本を読了した。米国国家情報会議編のこの書物は、アメリカの国家戦略を策定する者、関心を持つ者が頭に置いておくべき近未来のトレンドが書かれている。以下、まとめ。2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」 作者: 米国国家情報会議,谷町真珠 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2013/04/19 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログ (14件) を見る 4つのメガトレンド(構造変化)のキーワードは、個人、分散、人口、連鎖である。 極度の品構想は5割減少。東アジア、特に中国で。 世界の中間所得層は10億人から20億人超になる。特にアジア。インドの中間層が中国を上回る成長。 一人あたりGDPga1.5万ドルを超えると民主主義が定着。 アジアは北米都欧州の合計を上回る。中国は米国を抜き世界一。2030年は中国とインドがスーパースター。アフリカではエジプトとエチオピアとナイジェリア。ラテンアメリカではブラジル。 覇権国家がない状態で、国際社会は不安定化。 2030年の世界人口は83億人。平均年齢が上昇。日本は45歳から52歳。若者社会国家は政情不安定。 都市人口比率は6割の49億人。 世界的食糧不足は対処可能。食料インフレが深刻。エネルギー不足懸念は後退。米国はエネルギー独立を実現。 世界の流れを変える6つの要素は、世界経済、統治力、衝突、地域紛争、技術、米国、である。 インドは中国と米国に次ぐ経済大国。中国とインドの合計は米国とEUのご受けの2倍。 長期的には中国は安定した政治制度づくりに成功。 国内紛争の解決には6年、国家間紛争は2年で収束。 サウジアラビアは2037年に原油輸入国に。 パレスティナ問題は解決しない。 情報(IT)分野。データ処理、ソーシャルネットワーク、スマートシティ。 自動運転技術。3Dプリンター。遺伝子組み換え食物。精密農業。マイクロ灌漑。病気管理。能力強化。 米国は覇権国からトップ集団の1位に。 4つのシナリオ。欧米没落型、米中協調型、格差支配型、非政府主導、である。 欧米没落型:欧米は内向き、グローバル化は停止。米中協力型に比べ27兆円も低下。自由貿易圏は消える。 米中協力型:世界経済は現在の2倍。新興国、先進国とも成長。中国の民主化が進む。 格差支配型:国内・国際で経済格差。勝ち組と負け組。 非政府主導型:政府以外の機関や人々が世界をリード。エリート層と中間所得層が増加。来訪者累計本日昨日
2014/02/01
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