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仕事で年始の挨拶をかねて長野方面に行ってきました。
客先を廻る途中に昼食の時間になり小諸駅近くの蕎麦屋に入りました。
「手打そば 草笛」。長野県に6店舗を展開する信州そばチェーン店で、ココが本店とのこと。
ざる蕎麦とかき揚げを注文。大盛りを注文しようとしたが、同僚から普通盛りでも十分の
ボリュームと。
草笛の蕎麦は7:3とのこと。なるほど盛りは通常店の1.5倍はあるのでは?
しかし、その量の多さが気にならないくらい「のど越し」がよかったのだ!
この蕎麦屋は小諸城址 懐古園の敷地内にあるので、昼食後同僚と食後の散歩へ。
小諸城は、武田信玄のころ山本勘助らにより現在の縄張りとし、豊臣秀吉天下統一のとき
小諸城主となった仙石秀久により完成された城。城下町より低い位置に城を築いた
「穴城」は全国でも珍しい城で「日本百名城」の一つ。仙石秀久が築いた「大手門」や
野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿で残されているとパンフレットに。
小諸城『三の門』、国の重要文化財に指定されている。
明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と
名付けられたと。現在の「三の門」に掲げられた扁額は徳川宗家16代当主・徳川家達の
筆によるもの。
園内の池の噴水。周囲には白い氷の塊が。
戦国の世に武田信玄に滅ぼされた小諸城のことを、路傍の秋草の花が懐かしく
語っているようだと。
空堀に架かる黒門橋。本丸曲輪と二の丸曲輪を結ぶ唯一の接点。
この橋の先が本丸。そして橋を渡った所に黒門が存在したとの事だが現在は門の
土台付近の石垣のみが残っていた。
鏡石。
山本勘助晴幸が毎日鏡替わりに、常に愛用したと伝えられると。
自分の顔を写し反省したと。私もこの石に自分の姿を写して懺悔。
天守台跡。ここに天守閣があったのだが今は何もない。
三層の天守閣が、寛永3年(1626年)に落雷で焼失したとのこと。
その後は徳川の政策により再建されなかったと。
コンクリート造りの天守閣を再建したいのが人情であろうが、何もないのがまた良いのであった。
天守閣を支える石垣。野面石積みの石垣は400年前のまま当時の姿。
山野に転がっている自然石をそのまま見事に積み上げてあるのだ。
藤村記念館。
島崎藤村の小諸で生活した時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されていた。
1時間弱のいつものように早足散策。園内には各種の桜の古木が。
桜の花の時期にもう一度訪ねたいと思いながら、そしてここに転居された
幼なじみを思い出しながら、車に戻り次の客先へ向かったのであった。
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