PR
Keyword Search
Comments
Calendar
拝観入口の有る恵林寺の庫裏を見た時には京都に瞬間ワープしたかと錯覚。
恵林寺の庫裏と京都五山筆頭の天龍寺の庫裏とがソックリ同じと感じたのであったが。
恵林寺庫裏の鬼瓦。
見事な枯山水と白砂の波の姿。
拝観料(300円)を払い庫裏内へ。
夢想国師が築庭した枯山水の庭。
庫裏の鬼瓦がここにも鎮座していた。
方丈の扉は見事。
透かし彫りの美しさに感動。
方丈の廊下からの白砂庭園。
うぐいす廊下手前の太鼓橋。
うぐいす廊下入り口。
うぐいす廊下。
静かに歩くように!との注意書きがあり、足を一歩進めるごとにキュッキュッと音が
したのであった。
武田不動尊。
霊殿(明王殿)に安置されている不動尊像で武田不動尊と呼ばれている。
信玄が佛工康清を召し対面して彫刻させたもので、螺髪結跏して剣索をとり不動明王の形を
表すが信玄の真像と伝えられるとのこと。
写真撮影可を確認済み。
武田信玄公墓所。
1573年、53歳で亡くなった信玄公はここに眠っているのです。
信玄の墓の後ろに武田家家臣の供養塔が約七十基並んでいた。
真っ直ぐに伸びた杉の大木。
そして杉皮が表面に人工的に?貼られていた。
柳沢吉保夫妻の墓。
江戸時代中期、徳川5代将軍綱吉の側近で大老格の地位にあった甲府15万石藩主
柳沢美濃守吉保と正室定子の墓。柳沢吉保は甲斐国主として優れた業績を残していて、
山梨県の歴史の中でも、武田信玄に次ぐ人物として知られるのだと。
再び見事な庭園。
本堂裏側に広がる、京都の天龍寺、西芳寺の庭園を築造した夢窓国師築庭といわれる
池泉回遊式庭園。織田信長の焼き打ちに遭い、その後徳川家康が再興し、
柳沢吉保によって改修された部分が多いが、上部の須弥山石組は鎌倉時代のものが
残され傑出した美しさが随所に見られる。国の名勝史跡に指定。
池は真っ白に完全凍結。
小さな滝からは、清流が落ちていた。
庫裏、方丈廻りの案内図。
再び庫裏からの白砂枯山水庭園。
武田信玄といえば風林火山。この4文字がなければ画竜点睛を欠くというもの。
これは恵林寺・庫裏の拝観入り口に置かれている大きな衝立。
この四文字を目にすると武田家ゆかりの甲斐国にやってきたんだなあということを
しみじみと感じたのであった。
「武田家の聖地」 と書かれたポスター。
~一華(いちげ)五葉を開き 結果自然(じねん)に成る~
一つの花がある。その花が五つの花びらを開いた、という意であると寺の人から。
この花はあなたが生まれたときからあなた自身の深いところに咲いている花だ。
もしあなたが「五つの花びら」の意味を知りたいのなら、道はたった一つ。
禅を実践し、あなた自身が心の中を深く…深く…訪ねて、自分の力でもって
その意味を体得するしかない。
その行はあなたの心に美しさを与え、そしてあなたの人生を限りなく豊かにするに違いない と。
境内にいた立派な白猫。
鐘楼。
そして恵林寺の見学を終え甲府駅に。
そして駅前横の巨大な武田信玄公に面会。
この日は甲府から新宿、上野を経由して土浦まで向かう予定で上りのあずさに乗車。
しかし高尾駅で突然のSTOP。八王子手前の踏切で人身事故と。
復旧まで70分との車内放送、京王線での振り替え輸送を行うと。
迷ったが同僚と乗り換えずにジッと我慢して運転再開を待つことを決断。
50分後に運転再開し、上野経由で土浦に到着したのであった。
土浦駅前のビジネスホテルを予約済み。
駅まで慌ただしくラーメンを夕食代わりに。
駅前のイルミネーションが疲れた心と身体を癒やしてくれたのであった。
「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(… 2024.09.09
「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(… 2024.09.08 コメント(1)
「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(… 2024.09.06 コメント(2)